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コミュナル暴動と政治 -- ヒンドゥー・ナショナリズムと少数派ムスリム (特集 インド民主主義体制のゆくえ -- 挑戦と変容)

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Academic year: 2021

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(1)

コミュナル暴動と政治 -- ヒンドゥー・ナショナリ

ズムと少数派ムスリム (特集 インド民主主義体制

のゆくえ -- 挑戦と変容)

著者

近藤 則夫

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

194

ページ

26-29

発行年

2011-11

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004117

(2)

︶政権は宗派間の対立につな コミュナリズム ︵ communal-︶﹂と呼ばれるが 、政治と宗 ﹁世俗主義﹂ 的、社会的課題となった。   人々の間でコミュナリズムが最 も先鋭な形となって現れるのは暴 動の時である。 ﹁コミュナル暴動﹂ は、コミュニティとコミュニティ の対立・社会的亀裂を最も先鋭に 表し、かつ、その亀裂を広げるか らである。特に、ヒンドゥー対ム スリムのそれが典型的なものであ る。確かにパンジャーブ州で一九 八〇年代に先鋭化し多数の犠牲者 をだしたシク教徒過激派の暴力的 分離主義も一種のコミュナリズム の発現と考えられる。しかし、そ の暴力は治安機構とシク教徒過激 派の間のものが主であり 、ヒン ドゥー大衆とシク大衆の犠牲はそ のような暴力が波及したもので 、 両者が直接対峙する﹁暴動﹂はほ とんど起きなかったと言われる 。 また、暴力的対立は比較的短期間 に力で押さえ込まれたことから 、 宗派的亀裂は小さくはないものの ヒンドゥー対ムスリムのそれに比 べると相対的に傷跡は小さいと考 えられる。よってセンシティブな 社会的亀裂の問題を提示する本稿 では、 ヒンドゥー対ムスリムの ﹁コ ミュナル暴動﹂に焦点を当ててみ たい。

●コミュナル暴動と

ヒンドゥー民族主義

  コミュナル暴動は図 1で確認で きるように、一九六〇年代はじめ まで比較的よく押さえられていた といって良いであろう。その後一 九六四年、一九六九年に大きな暴 動が起こっているが、それを除け ば一九七〇年代までは比較的に平 穏であった。しかしながら、図で 確認できるように、一九八〇年代 から九〇年代にかけてコミュナル 暴動は頻発化し、かつ、激しさを 増した。その一つの大きな要因が ﹁ヒンドゥー民族主義﹂と呼ばれ るものの拡散である。それは人口 の約八割を占めるもののカースト や地域で分裂しているヒンドゥー を統合して強力な政治的アイデン ティティを持たせようとする運動 である。   従来、ヒンドゥーの至上性を強 調する偏狭な運動は ﹁ヒンドゥー ・ コミュナリズム﹂とされ、上述の ように一九七〇年代までは大きな 影響力はなかった。しかし、独立 後の様々な社会変動により、中下 層のヒンドゥーの政治社会的覚醒 が起こり、より広い階層に﹁ヒン ドゥー﹂意識が拡散すると、それ を政党政治の側が利用することに なる。一九八〇年代の会議派政権 が選挙で勝利するために、従来慎 重に避けていたヒンドゥー大衆に 支持を訴える戦略をとったことは そのきっかけとなった 。しかし 、 そのような戦略を最大限利用した のが、現在のインド人民党︵ B J P︶ (1) である。   ヒンドゥーの至上性を強調する ﹁民族奉仕団﹂ ︵ RSS ︶を基盤と する B J P はヒンドゥーの他宗教 への改宗問題、他宗教の﹁甘やか し﹂ 、イスラームが歴史的にヒン ドゥーに対して侵したとする様々 な歴史的汚点の回復などを掲げて ヒンドゥー大衆の支持を集めてい く。とりわけ、いわゆる﹁アヨー ディヤー問題﹂を大きな政治的争 点とすることに成功した。現在の

インド民主主義体制の

ゆくえ̶挑戦と変容

コミ

ヒンド

ムス

リム

(3)

ウッタル ・プラデーシュ ︵ U P ︶ 州中部のアヨーディヤーはラーム 神の生誕地とされるが、その地に あったラーム神の寺院はムガール 勢力により破壊されモスクが建設 されたとの主張に基づき、そのよ うな歴史的汚点を濯ぐためにその 地にラーム神の寺院を建立するべ し、という運動である。   B J P │ RSS を中心とするヒ ンドゥー至上主義勢力を軸に進め られたこの運動は、すでに一九八 〇年代始めには広がる傾向を見せ ていたコミュナル暴動による宗派 間の対立感情の先鋭化と作用し あって北部、西部インドを中心に 拡散し、それがさらにコミュナル 暴動の可能性を高めた。そのピー ク が 一 九 九 二 年 一 二 月 の ヒ ン ドゥー至上主義勢力によるアヨー ディヤーのモスクの破壊と、それ に続く大規模な暴動であった。こ のような宗派対立の拡散は、賛否 は分かれるにせよ政治的共同体と してのヒンドゥー﹁民族﹂という ものを多くの人に意識させること になる。ヒンドゥー・コミュナリ ズムに代わり、ヒンドゥー民族主 義が多くの人に語られるように なったのは、このような展開から であった。   ヒンドゥー民族主義はそのイデ オロギーを体現する政党である B J P が二〇〇〇年代中頃から選挙 で伸び悩んでいることから考えれ ば、成功したとは現時点では判断 できない。しかし、それが一九九 〇年代末まで B J P の成長に大き な役割を果たしたことは間違いな いであろう 。図 1に見るとおり 、 一九八〇年代後半から、九〇年代 にかけてのコミュナル暴動の拡大 と同党の連邦下院議員選挙におけ る成長は同一傾向を示しているこ とがわかる。もっとも暴力的な運 動を梃子にして成長し続けること は限界があり、 B J P は一九九〇 年代半ばから他の政党とも妥協で きるようなプログラムに重点を移 すことで九〇年代初めまでの勢い を維持することに成功する。その 成果が一九九八年の B J P を中心 とする連合政権の成立であった (2)。 連合は内部分 裂でわずか一 年しか続かず 一九九九年に 崩壊し総選挙 が行われるが B J P は国民 民主連合を率 いて政権に返 り咲く 。全イ ンド的にみる と一九九〇年 代後半以降は コミュナル暴 動の拡大に対 する反発もあ り 、しだいに ヒンドゥー民 族主義的な雰 囲気は徐々に 沈静化してい く 。二〇〇二 年 に グ ジ ャ ラートで大規模なコミュナル暴動 が起こり、同州ではヒンドゥー民 族主義的な雰囲気が高まったもの の 、それは州を超えて拡散しな かった。そのためもあって二〇〇 四年以降の選挙では B J P の得票 率は漸減傾向にあり、他政党に対 する求心力も弱まり、会議派の復 活とともに政権から遠ざかること となった。はば広い政策プログラ ムを備えるようになったとはいえ ヒンドゥー民族主義は B J P の 基 本線である。それは B J P の成長 にも大きな役割を果たしたが、逆 にさらなる成長の足枷になってい るといえよう。

●近年のコミュナル暴動

  コミュナル暴動は社会に与える インパクトの大きさから様々な角 度から研究されている。コミュナ ル暴動の発生を決める要因とし て、歴史的な要因に加えて、会議 派政治の変質、両宗派の経済階級 的利害関係の食い違い 、従来中 ・ 下層に位置づけられていた諸階 層、特に﹁その他後進階級﹂と呼 ばれる社会的に後進的であるが人 口の大きな部分を占める中間的 カーストの政治的覚醒、 あるいは、 ヒンドゥーとムスリムのネット ワークのあり方や都市部での人口 分布などが大きな要因として考え 図1 ヒンドゥー・ムスリム間の宗派暴動による死傷者:全インド (出所)

大衆連盟/インド人民党得票率:Election Commission of India(http://eci.nic.in/eci_main/index.asp)の掲載統計資料よ り筆者作成。

宗派暴動死傷者:以下の諸資料より筆者作成。

1)Engineer, Asghar Ali [2004] , Mumbai: Centre for Study of Society and Securalism, pp. 223-224.

2)Ministry of Home Affairs (Govt. of India), Status Paper on Internal Security Situation As on March 31, 2007 [2007] (http:// mha.gov.in/internal%20security/ISS(E)-050208.pdf) p. 37

3)Ministry of Home Affairs (Govt. of India), Status Paper on Internal Security Situation As on March 31, 2008 [2008] (http:// www.mha.nic.in/pdfs/STTSPPR-IS090508.pdf) p. 42 4)Indiastat(データベース) 30 25 20 15 10 5 0 得票率(%) 年 2010 2000 1990 1980 1970 1960 1950 死者数(人) 3000 2500 2000 1500 1000 500 0 ヒンドゥー・ムスリム間 の宗派暴動による死者数 大衆連盟/インド人民党 (BJP)の連邦下院選挙に おける得票率

コミュナル暴動と政治 ―ヒンドゥー・ナショナリズムと少数派ムスリム

(4)

﹁コミュナル暴動﹂ 、 P ・ (3) 論である 。ブラスは B J P の選挙 マディヤ ・ プラデーシュ くつかの組織の扇動はあったとし ても﹁組織的﹂なものとは必ずし も言えないかもしれない。 しかし、 アヨーディヤー事件によって引き 起こされた一九九二年から九三年 にかけての暴動、とりわけ、一九 九三年のムンバイの暴動、そして 二〇〇二年のグジャラート州アー メダバードを中心とする暴動はそ れぞれシヴ ・セーナー (4)、 RSS やその関連組織の﹁組織的﹂扇動 によるところが大きいと考えられ ている。この点を具体的に考察す るために、州レベルの動態を取り 上げる必要がある。インドにおい て州は言語的、社会的にまとまり がある基本的単位で、社会に根を 下ろす本稿のような問題を考える とき第 1に考察の対象とすべき単 位であるからである。ここではグ ジャラート州と U P 州を取り上げ たい。

●州政府とコミュナル暴動

グジャラート州とUP州

  両州は、近代以降、たびたび大 きなコミュナル暴動を経験し全イ ンド的に見てもその震源地となっ てきた。しかし、一九九〇年代以 降の両州の状況には大きな違いが ある 。グジャラート州の方がコ ミュナル暴動の規模が格段に大き いのである。一九九二年一二月の アヨーディヤー事件の時もアヨー ディヤーの位置する U P 州よりも グジャラート州の方が多くの死傷 者を出している。また、二〇〇二 年には上述のようにアーメダバー ドなどで大暴動が起こっている 。 図 1の二〇〇二年の死傷者のほと んどはグジャラート州のそれであ る。この暴動はアーメダバード近 郊のゴードラでの列車火災事故で アヨーディヤーに勤行に出かけて 帰ってきたヒンドゥー主義活動家 が多数死亡したことを発端として 起こったものである。そこでは R SS などヒンドゥー至上主義組織 が明らかに組織的に暴動を扇動し た。一九八〇年代頃までのコミュ ナル暴動は両宗派が向かい合う都 市部で起きるものとされてきた が、このケースではアーメダバー ドだけでなく、地方都市、そして 農村部にも広がった。   問題はその時の州政府の役割で ある。州政府は憲法上、治安維持 に責任があり、その防止に全力を 注ぐ必要がある。特にグジャラー ト州のように過去に大暴動を経験 してきた州ではそうである。しか し 、一九九八年以降政権の座に あった B J P 州政府は自己の支持 基盤でもある RSS などの勢力の 動きを看過した。州政府はもちろ んそれを否定するが、市民団体な どにより関与の証拠が多数挙げら れている。そしてこのような状況 に対して野党会議派の追求も厳し いものではなかった。同州では B J P と会議派の二大政党政治の状 況にあるが、なぜ、野党である会 議派は州政権を強く非難できな かったのであろうか。その基本的 原 因 は グ ジ ャ ラ ー ト 州 の ヒ ン ドゥー社会に広がる反ムスリム感 情、そして、選挙政治におけるム スリムの比重の低さに起因する同 党のこの課題への姿勢にある。   仮に会議派が州 B J P 政権の責 任を強く追及してムスリムを擁護 する姿勢を前面にだすと、選挙で は少数派であるムスリムの支持は 得るかもしれないが、ヒンドゥー 大衆の支持を大きく減らす可能性 がある 。ムスリムの人口比は九 ・ 一 % ︵二〇〇一年人口センサス︶ であり 、これと引き替えにヒン ドゥーの支持が大きく減るような 戦略は政権復帰を狙う党としては 安易にとれない。人々の間でヒン ドゥー・ナショナリズム的認識が どの程度広がっているかは正確に はわからないがかなりの広がりを 持っていることは確かである。政 権を狙える位置にある政党にとっ てはそれは無視できない。近年の 同州の州議会選挙で両党の最も重 要なスローガンは﹁開発﹂である

(5)

が、会議派の選挙綱領においても ムスリムへの関わり合いよりも ﹁開発﹂を前面に出さざるを得な いのは、このような状況の故にで ある。   一方、 U P 州では状況は大きく 異なる。同州では一九八〇年代ま で比較的に規模の大きいコミュナ ル暴動を経験してきた (5)。しかし、 一九九三年以降は抑制されてい る。これはなぜであろうか。それ は結論的に言えばムスリムの政治 的比重の大きさと政党制の分裂状 況にある。   同州ではムスリムの人口比は一 八・五 % ︵二〇〇一年人口センサ ス︶である。また、政党状況は有 力政党として、旧被差別カースト に支持基盤をおく﹁大衆社会党﹂ 、 農民や中間階層そしてムスリムを 支持基盤とする ﹁社会主義党﹂ 、 会議派、 そして、 B J P があるが、 前二政党が有力である。同州では 政党とコミュニティやカーストと の関係がかなりはっきりしている ことが特徴であるが、度重なる暴 動の影響もあってムスリムの支持 は一九九〇年代まで会議派から社 会主義党に移っていった。もっと もその政党支持は絶対的なもので はなく流動的である。   このような状況においては社会 主義党はムスリムの支持を失うま いとし、大衆社会党や会議派はム スリムの支持を確保しようと懸命 になる。このムスリムの支持をめ ぐる競合状況こそが、社会主義統 系または大衆社会党系の政権が成 立する一九九三年以降の状況にお いて 、州政府がムスリムの要求 、 とりわけ社会的安全に敏感になる 大きな要因となっていると考えら れる︵両州の主要政党の勢力につ いては表を参照︶ 。

﹁制

た暴

動シ

民主主義

  近年のコミュナル暴動の発生要 因はいろいろあるが、以上二州の 比較から、州政府がそれを押さえ 込むという明確な政治的意志をも てば、それは可能であると思われ る。つまり、近年の大規模暴動が ﹁制度化された暴動システム﹂で あるならば、それは政党政治に強 く関わるものであり、そうであれ ばこそ、政権与党が明確な意志を 持てばその防止は可能なのであ る。   コミュナル暴動においては人口 比を反映して、その犠牲者は圧倒 的に少数派のムスリムである。そ のため近年の大暴動を経た今日 、 ムスリム大衆は大きな社会的疎外 感を持つに至っている。二〇〇二 年以降は大規模な暴動は起きてい ないが、その火種は無くなっては いない。彼らの鬱積した疎外感を 理解し、如何に取り除くか、これ が各州政府に課された大きな課題 であるが、それに積極的に取り組 むかどうかは、以上のように州政 治の構造によっている。しかしイ ンドの民主主義体制はグジャラー ト州などに対しても中、長期的に みれば州政府にそのような課題を 取り組まざるを得ない状況を作り 出しているように思われる。 ︵こんどう   のりお/アジア経済研 究所   南アジア研究グループ︶ ︿注﹀ ⑴一九五一年に結成された大衆連 盟︵ Jan Sangh ︶ が そ の 前 身 。 後に人民党に融合したあと一九 八 〇 年 に 分 裂 し、 現 在 の Bharat iya Janata P arty となる。 ⑵一九九六年の総選挙で B J P は 第一党となったが 、過半数に及 ばす 、他の政党の支持も得られ なかったので 、わずか二週間あ まり政権についた後 、中道連合 に政権を譲っている。 ⑶ Inst itut ionalized riot systems.   以下を参照。 Brass, P aul R. [2003] , New Delhi: Oxford Univ ersity Press. ⑷ ﹁シヴァージの軍団﹂の意味 。 ヒンドゥー至上主義 、および 、 マハーラーシュトラ州本来の住 民の利益を守るというイデオロ ギーを持ち 、地域排外主義的な 傾向を持つ。一九六六年設立。 ⑸一九九二年一二月の暴動のとき は B J P 単独の州政権であった が 、 同党はその後単独で政権に ついていない。 グジャラート州(定数:182議席) 政党 得票率(%) 獲得議席 BJP 49.12 117 会議派 38.00 59 UP州(定数:403議席) 政党 得票率(%) 獲得議席 大衆社会党 30.43 206 社会主義党 25.43 97 BJP 16.97 51 会議派 8.61 22 表 両州の主要政党の勢力:2007年の州議会選挙結果

(出所)Election Commission of India(http://eci.nic.in/eci_main/index.asp)の掲 載統計資料より筆者作成。

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