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一九六〇年代における日本被団協「再生」の意味を問う ―「被団協関連文書」№8の分析―

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一九六〇年代における日本被団協「再生」の意味を問う

「被団協関連文書」№

8の分析

 

  

はじめに 一九五六年に開かれた第二回原水爆禁止世界大会に際して設立された日 本 原 水 爆 被 害 者 団 体 協 議 会 (日 本 被 団 協) は、原 水 禁 運 動 が 分 裂 し た 一 九 六〇年代に、原水禁団体との関係を巡り運動が停滞し、一年間の運動休止 期間を経て、一九六六年から運動が「再生」したと評価されてき た 一 。 運動の「再生」に際しては、日本被団協と各県被団協の連絡を強化する た め に「被 団 協 速 報」が 発 刊 さ れ た 。そ の 二 号 (一 九 六 七 年 一 月 一 日) に 掲 載 さ れ た の が、伊 東 壮 三 東 京 都 原 爆 被 害 者 団 体 協 議 会 (東 友 会) 事 務 局 長 が 記 し た「み ん な の 対 政 府 交 渉 へ」で あ っ た。 「再 生」に あ た り、日 本 被 団 協は、国会や政府に対する陳情 ・ 請願の「行動」を企画したが、ここで伊 東 壮 は、組 織 が 比 較 的 し っ か り し て い る と 自 負 す る 東 友 会 で す ら、こ の 「行動」を推進することは簡単なことではないとした。 東 京 は こ の 大 行 動 に 三 〇 〇 名 の 動 員 を 予 定 さ れ て い る。五 〇 〇 〇 名 も い る 東 友 会 の 人 の 中 で 三 〇 〇 名 位 の 動 員 は わ け は な い と 思 わ れ る か も 知 れ な い。五 〇 〇 〇 名 も の 多 人 数 を か か え な が ら、と に か く 各 区、各 市 町 村 に 被 爆 者 の 地 域 組 織 を も ち、た え ず、 「東 友」や「健 診 の し お り」を 通 じ て 企 画 に 働 き か 学苑 ・ 近代文化研究所紀要   第九四七号   (一四) 〜(三三)   (二〇一九 ・ 九)

In Quest of the Meaning of the Rebirth of Nihon Hidankyo in the 1960s: An Analysis of ‘Documents Related to

the Confederation, No. 8’

Shinobu Matsuda This paper examines a file (No. 8) of historical documents related to Nihon Hidankyo (Japan Confederation of A- and H-Bomb Sufferers Organizations), and discusses how the organizational principle of the confederation was changed from top-down to bottom-up in the late 1960s.

When the movement to ban atomic and hydrogen bombs in Japan was split in the 1960s, Nihon Hidankyo suspended activities for a year since it couldn’t coordinate the violent clash of opinions about the pros and cons of the nuclear weapons. When Hidankyo became active again Takeshi Ito, the executive director of the Tokyo branch (Toyukai), of the confederation, was the central figure who lead the successful reorganization. He listened to voices of A-bomb survivors, and spurred them to participate actively in the confederation. He believed that doing so would help survivors regain the strength necessary to go on with their lives.

Key words: Japan Confederation of A- and H-Bomb Sufferers Organizations (日

本原水爆被害者団体協議会), movement to ban atomic and hydrogen

bombs (原水爆禁止運動), suspension and re-start of the confederation

(協議会の休止と再開), Takeshi Ito (伊東壮), historical documents

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け を 行 っ て 来 た 例 は、全 国 で も 珍 ら し い し、全 国 の 被 爆 者 組 織 の な か で は そ う し た い み で は 先 づ 上 位 に 位 す る だ ろ う と「中 国 新 聞」を 始 め 内 外 と も に 自 負しているのである。 史料にある通り、東友会は三〇〇名の被爆者をこの運動に動員すること を予定していた。しかしこの動員が必ずしも簡単にいくものではないこと を伊東は続けて記している。 と こ ろ が、各 地 区 の 代 表 者 か ら な る 東 友 会 理 事 会 で は、こ の 三 〇 〇 名 の 動 員 は 大 変 な 論 議 を よ び お こ し て し ま っ た。 「座 り 込 み を 含 む こ う し た 行 動 に 被 爆 者 を 動 員 す る に は、時 間 を か け た 討 論 を 通 じ 行 動 へ の 理 解 を 深 め な け れ ば 不 可 能 で あ る。 」「都 内 と 雖 も 交 通 費 が か か る。一 人 三 〇 〇 円 と し て も、一 日 九 万 円、四 回 も つ づ け れ ば、三 六 万 円 の 費 用 が か か る。そ の 費 用 は ど の よ う に し て 捻 出 す る の か」発 言 す る 各 地 区 の 代 表 者 の 頭 に は、一 地 域 当 り 一 〇 名 の 割 り に な る こ の 動 員 数 に、具 体 的 に「誰 々 さ ん」の 顔 が 去 来 し た こ と で あ ろ う。そ の 人 を こ の 動 員 に つ れ 出 す た め の い ろ い ろ な 方 策 が こ う し た 発 言 を させたのであろう。 私 た ち 東 友 会 の 執 行 部 に は、こ の 大 動 員 は 被 団 協 の 従 来 の 体 質 を 根 本 的 に 変 更 す る 問 題 を 含 ん で い る こ と を 感 じ と っ た。す な わ ち、日 本 被 団 協 の 何 人 か の 幹 部 が 自 分 た ち だ け で お こ す 行 動 と は 全 く 異 質 な 何 か が あ る と い う こ と で ある 。 (傍線は引用者) つまり日本被団協の代表者数名が、政府や国会に対して陳情をおこなう ことはそれまでもあったが、多くの被爆者を「行動」に連れ出すことは日 本被団協として新しい取り組みであったのだ。 「何 人 か の 有 志 が 座 り 込 ん だ り 交 渉 し た り し て 苦 労 し て」い た 運 動 に 対 して、 「絶対多数の被爆者は、 「好きな連中が又やっている」と思ったり、 中 に は 幹 部 が 何 を や っ て い る の か 全 然 知 ら な い と い う こ と が 長 く つ づ い て」いたのではないかと伊東壮は問う。そして「今や全国三〇万の被爆者 が、行動のために上京しようがしまいが事のなりゆきを片唾をのんで見守 るなかで、この大行動が組織される」必要を論じている。 この史料が記された前年には、被爆者の要求の正当性を訴えるパンフレ ット『原爆被害の特質と「被爆者援護法」の要求』 (通称「つるパンフ」 ) が 日本被団協によって作成されており、伊東壮自身も専門委員として「つる パンフ」執筆の中心的な役割を担っていた。しかし「行動」の遂行のため には、専門委員が学知をもとに作成した「つるパンフ」だけでは不十分だ との声を受けたことも同史料には記されている。 あ る 東 京 の 地 域 の 代 表 者 か ら こ ん な 注 文 が あ っ た。 「な る ほ ど ツ ル の パ ン フ レ ッ ト の 内 容 は よ く ま と ま っ て い る だ ろ う。だ け ど、問 題 は そ れ が 最 も 下 部 の 一 人 一 人 の 被 爆 者 と ど の よ う に 血 が つ な が っ て 通 い 合 っ て い る か が 問 題 だ。 ど ん な つ ま ら な い 悩 み や 苦 し み で も 一 人 一 人 が 自 分 で そ れ を 書 い て も ち 寄 る ことから仕事は始るのだ。 」 多くの被爆者を動員する「行動」を仕掛けるにあたっては、専門委員が 作成した「つるパンフ」をそれぞれの被爆者が自分の問題として受けとめ、 一人一人の被爆者の声を持ちよって「行動」せねばならないと考えられた のであった。 「み ん な の 対 政 府 交 渉 へ」を 読 む と、日 本 被 団 協 の「再 生」は 単 な る 運 動の再開に留まらず、組織原理や運動原理の大きな質的転換を伴った「再

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生」で あ っ た こ と が う か が わ れ る。本 論 文 で は、 「被 団 協 関 連 文 書」を 利 用しながら、被団協運動における一九六〇年代半ばの大きな質的転換およ びその意味について考察する。 1   日本被団協の設立 ・ 停滞 ・「再生」 ― 『五〇年史』 の記述から ― まず一九五六年に設立された日本被団協が一九六〇年代半ばの分裂危機 を経て、運動が「再生」するに至るプロセスを『五〇年史』の記述を参照 しながら確認する。 ( 1)日本被団協の設立 アメリカは、一九五四年三月から五月にかけて、中部太平洋マーシャル 諸島のビキニ環礁とエニウェトク環礁で核実験をおこなった。近隣の島民 や近海で操業していた多数の漁船に被害が及び、第五福竜丸乗組員が「原 子病」にかかったことが報じられ、 「〝死の灰〟が国内に持込まれて不用意 に運ばれている」危険性が指摘され た 四 。さらに同船の鮪から放射能が検出 さ れ た こ と で、 「原 爆 マ グ ロ」と「死 の 灰」は 国 民 の 日 常 生 活 の 問 題 と し て受けとめられた。水産業関係者のみならず各種団体で原水爆に反対する 署名運動が始まり、自治体決議も相次いだ。さらに一九五四年八月八日に は各地の署名を集計するセンターとして、原水爆禁止署名運動全国協議会 が発足した。三度目の原水爆被害を憂える人々の想いは、一九五五年八月 六日から八日までの第一回原水爆禁止世界大会の開催へとつながった。 『五 〇 年 史』で は 第 一 回 原 水 禁 世 界 大 会 に つ い て、被 爆 者 が 被 爆 体 験 を はじめて広く語った場として記載されている。同書は、①大会初日に原爆 被爆者である広島の高橋昭博、長崎の山口みさ子らが発言したこと、②関 東 地 方 か ら 参 加 し た 代 表 の 多 く が 民 家 に 宿 泊 し た 結 果、 泊 め た 側 (被 爆 者) が泊まった人と交流する機会になっ た 五 ことに注目した上で、 「世界大会は、 原爆投下の犯罪性追及の課題などは残されたが、大会を準備した世論と運 動の動向は、その後の運動の基盤となった」と評価している。 世界大会後、原水爆禁止運動広島協議会は被爆者救援委員会を設け、藤 居平 一 六 が委員長になる。藤居の基本構想は「年がら年中、死ぬまで運動を す る 原 爆 被 害 者」が「原 爆 被 害 を「ま ど う」 (償 わ せ る)た め の 組 織」を つくることであった。被爆者組織を、広島の全県組織からはじまり、長崎 をはじめ各県の組織、全国組織へと拡大し、さらに世界の核実験被害者を 結集しての「国際被団協」まで藤居は視野に入れていたとされ る 七 。 一 九 五 六 年 三 月 一 八 日 に は 広 島 県 原 爆 被 害 者 大 会 が 開 催 さ れ、 「水 爆 実 験 を 即 時 停 止 す る よ う 措 置 さ れ た い」 「原 爆 被 害 者 援 護 法 (仮 称) を 制 定 せられたい」を採択、国会に請願することとなった。請願内容において、 こ れ ま で の 「国 庫 負 担」 を 原 爆 投 下 に 対 す る 国 家 の 責 任 を 問 う 「国 家 補 償」 に変えた点などが討議の成果とされてい る 八 。ついで一九五六年五月二七日 広島県原爆被害者協議会が結成された。広島の全ての原爆被害者団体を一 つの組織にまとめた同協議会の会員数は二万六七二一人にのぼっ た 九 。 長崎でも、第一回原水禁世界大会に参加した代表の報告会をかねた集会 が一九五五年一一月に開かれ、ほぼ同時に長崎原爆青年会が一四人の会員 で発足し、長崎原爆被災者協議会の結成を決 め 一〇 た 。 翌一九五六年八月九 〜 一一日に第二回原水禁世界大会が長崎で開かれた。 大会には、広島県代表九〇人のうち被爆者が四〇人を占めるなど全国から 多くの被爆者が参加した。長崎原爆青年乙女の会からは、原爆被害を受け 下半身不随となった渡辺千恵子が「みじめなこの姿をみて下さい。わたし

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が 多 く を 語 ら な く と も、原 爆 の 恐 ろ し さ は わ か っ て い た だ け る と 思 い ま す」と 語 り か け、第 四 分 科 会 で は、 「原 水 爆 被 害 の 実 相 と 被 爆 者 救 援 に つ いて」からだ ・ くらし ・ こころの苦しみの実情が訴えられ、県外に出て相 談 窓 口 す ら な い 被 爆 者 の「み じ め さ」 、救 援 立 法 化 を 求 め て も「い や な 顔 をする」厚生省 ・ 大蔵省 ・ 代議士のようすなどが語ら れ 一一 た 。 大会二日目の八月一〇日には、全国各地から被爆者ら八〇〇名が集まり、 原水爆被害者全国大会が開催された。会場には「原水爆禁止運動の促進」 「原 水 爆 犠 牲 者 の 国 家 補 償」 「被 害 者 の 治 療 ・ 自 立 更 生」 「遺 家 族 の 生 活 補 償」 「原 水 爆 被 害 に 因 る 国 民 生 活 の 安 定 保 証」の 五 本 の ス ロ ー ガ ン が 掲 げ られた。 そしてこの大会にて日本原水爆被害者団体協議会の結成が決められた。 一九五六年九月二七日には日本被団協第二回代表者 ・ 理事会が開かれ、① 日本原水協に日本被団協東京事務所設置を依頼すること、②日本原水協に 加盟することを決め、③未組織地方の組織化と原水爆実験禁止協定を結ば せるための活動を協議した。 被爆者対策立法を巡る動きは急速に展開し、日本被団協結成から一年後 の 一 九 五 七 年 四 月 一 日 に は 原 爆 医 療 法 が 施 行 さ れ、被 爆 者 健 康 手 帳 の 申 請 ・ 交付がはじまった。同年度末に発表された全国の手帳交付数は二〇万 九 八 四 人 (う ち 広 島 市 七 万 四 六 一 〇 人、長 崎 市 六 万 六 八 八 二 人) で あ っ た。た だし、それに対する厚生大臣の認定による原爆症認定患者は一九五七年度 時点で一六六八件の低い数字に留ま っ 一二 た 。 さらに日本被団協は原爆医療法改正の運動を進め、一九六〇年三月には、 二キロ以内の直爆被爆者と原爆症認定を受けた者を「特別被爆者」とし、 彼らの一般疾病への医療費支給制度が創設された。 一九六〇年八月八日、日本被団協第五回定期総会では「全国的展望に立 った日本被団協としての方針を、各会の実情、意見の充分な反映のもとに 打ち出し、かつ方針を徹底する執行部の機能」を求めて、規約改正をおこ ない、従来の代表委員 ・ 常任理事制を、理事長 ・ 代表理事制に変えた。代 表理事は八ブロックそれぞれと広島、長崎から各一名を選出し、理事長に は森滝市郎が選ばれた。 ( 2)原水禁運動の分裂と被団協運動の混乱 一九五五年当時には国民運動として大きな盛り上がりをみせた原水禁運 動であったが、一九六〇年代になると分裂がみられるようになった。一九 六〇年の第六回原水爆禁止世界大会は安保反対の声の高まりの一方で、原 水禁運動が安保反対の姿勢を打ち出すことを批判する人びとも現れ、一九 六一年八月には自民 ・ 民社党系のメンバーは、別に核兵器禁止平和建設国 民 大 会 を 開 催 し、一 一 月 に は 核 兵 器 禁 止 平 和 建 設 国 民 会 議 (核 禁 会 議) を 発足させた。彼らは一九六二年五月に広島 ・ 長崎原爆被爆者大会を広島で 開催し、全日本被爆者協議会が、主として広島市内在住被爆者を組織して 発足し、広島県被団協から離 れ 一三 た 。 この状況を受けて、一九六二年八月の日本被団協第七回定期総会では原 水禁運動と被爆者運動との距離の取り方が協議された。大分、大阪、兵庫、 京都、愛知、熊本、滋賀、富山、徳島、香川、岡山の一一府県を代表して 大分県被団協会長の山田都美子から提出された意見書では、原水協と核禁 会議両方に加盟すべきであり、核禁会議に加盟しないならば原水協からも 脱退すべきであるとされた。この意見を巡っては激しい討論がおこなわれ たが、分裂をさけ日本被団協の団結を強化する方向で、次期代表理事会へ

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検討を委嘱することとな っ 一四 た 。 一九六二年九月九日の代表理事会では、各県被団協ごとの事情から、核 禁会議への加盟をおこなっている地方とそうではない地方があり、日本被 団協として統一方針を示せない事情があることが確認された。そして日本 被団協としては日本原水協に加盟している現状を維持するとまとめた。こ の報告をうけて大分県被団協は九月一六日に総会を開き、日本被団協と大 分県原水協からの脱退を決 め 一五 た 。 またこの直前の米ソの対立の激化を受けて、日本原水協内部でも軋轢が 生じていた。第八回原水禁世界大会は、大会中の八月五日に、中断してい た 核 実 験 を 再 開 し た ソ 連 に 抗 議 す る か 否 か を 巡 っ て 対 立 が 表 面 化 し、 「い かなる国の核実験にも反対」すべきであると主張する社会党 ・ 総評系の大 会役員が退席したまま閉会することになった。一九六三年一月二〇日には 日本被団協は日本原水協に運営正常化を要請し、日本原水協も統一の維持 をめざす動きをみせるが、今度は七月二五日に米ソ英が結んだ「部分的核 実験停止条約」への賛否を巡り、ふたたび日本原水協常任理事会はまひ状 態に陥り、社会党 ・ 総評系は、別の国民大会を開き、原水禁運動は事実上 分裂 し 一六 た 。 原水協の分裂を受けて、一九六三年一一月一七日には、宮崎、大分、岡 山、鳥 取、兵 庫、京 都、愛 知、滋 賀、栃 木 の 九 府 県 と 阿 部 幸 雄 (愛 媛) 、 新 開 進 (大 阪) が、① 日 本 原 水 協 加 盟 の 即 時 取 り 消 し、② 理 事 長 お よ び 現 代 表 理 事 不 信 任、③ 規 約 改 正 (会 の 名 お よ び 事 務 所 の 設 置 場 所 の 変 更、理 事 長 ・ 代表理事制を廃止し会の代表者を複数とし、選出は全国理事会の公選による) を求めて、日本被団協臨時総会開催を求める要請書を森滝市郎理事長宛に 送った。 しかし一九六四年二月六日の第一六回代表理事会では、この問題で臨時 総会を開くことが「重大な結果」を招くとの理事長発言があり、臨時総会 を開かないとの理事長の決断が了承された。 この間、森滝は社会党系の原水爆被災三県連絡会議に広島代表として参 加したが、第一七回理事会では、森滝が日本原水協の役員、広島県原水協 の役員、日本被団協の役員であることを整理することなく、被災三県連絡 会議の主導者に加わったことに対して、激しい批判が出たと『五〇年史』 には記されている。また同理事会では、日本原水協の一角に「寄宿」して い た 日 本 被 団 協 事 務 局 を、暫 定 的 に、広 島 県 被 団 協 に 移 動 す る と の「報 告」が森滝からなされた。それまでは日本被団協の活動資金は日本原水協 に寄せられる被爆者救援募金でまかなわれ、会計事務も日本被団協からの 要請で日本原水協の協力のもとに処理されてきたが、この関係は事務所移 転によって崩れることとな っ 一七 た 。 さらに一九六五年二月第一九回代表理事会にて、日本被団協は当分いか なる原水禁団体にも加盟関係をとらないことで決着をみたが、その後日本 被団協の運動は停滞し、一年間の休止状態に陥 っ 一八 た 。 ( 3)被団協運動の「再生」 その後日本被団協においては、第二一回代表理事会 (一九六六年五月二九 日) で 一 九 六 六 年 度 の 運 動 方 針 が 決 定 さ れ、 「対 外 的 宣 伝」と し て「被 爆 者 の 実 態 、 援 護 法 要 求 の 根 拠 を 簡 易 に 叙 述 し た リ ー フ レ ッ ト の 作 製 と 販 マ マ 布 」 をおこなうことが示さ れ 一九 た 。さらに、その具体策として七月には第二三回 代表理事会で日本被団協内に専門委員会を設置することが定められ、小川 政 亮、庄 野 直 美、山 手 茂、伊 東 壮 の 四 名 が 専 門 委 員 に 就 任 し、 「つ る パ ン

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フ」が 作 成 さ れ た。こ の 一 連 の 流 れ を 指 し て『五 〇 年 史』は「運 動 の 再 生」と評価している。 し か し 活 動 休 止 状 態 か ら「運 動 の 再 生」に 至 る ロ ジ ッ ク に つ い て は、 『五〇年史』では十分に説明されていない。 「つるパンフ」の発刊以降の活 動は被団協関係者にとっても運動の原点であると記憶されている時期では あるが、同時に非常な混乱期であり、その実体は十分には認識されていな いように思われる。被団協関連文書から考える。 2   「被団協関連文書」からの検討 日本被団協が機能停止に陥った前後における、日本被団協内部での議論 に 関 連 す る 史 料 の 多 く は、 「被 団 協 関 連 文 書」№ 8の も ん じ ょ 箱 に 収 め ら れている。本章ではこれらの史料を時系列に沿って検討し、一九六〇年代 半ばの被団協の変化について考察する。なお、いずれも未発表の史料であ るため、各史料とも若干長めに引用する。 ( 1)第一九回代表理事会への不満 前章で述べたように一九六五年二月二八日の第一九回代表理事会以降、 一年間日本被団協の活動は休止することになるが、同代表理事会に傍聴者 と し て 出 席 し た 田 辺 勝 (広 島 県 被 団 協 理 事 長) の 会 議 を ま と め た 史 料「日 本 被団協全国代表理事会   理不尽にも日本原水協脱退を 決 二〇 定 」が存在する。 田辺が批判した点として、①代表理事が決定していないブロックが三箇 所ある状態で開催された代表理事会が日本被団協の意思を代表しているか 否かへの疑問、②代表理事会の開催通知が開催日三 〜 四日前と差し迫って の到着であり、各ブロックでの充分な討議を経ないまま参集した代表理事 による決定が「民主的な運営」とは言い難いこと、③広島県被団協を部外 者として発言を極端に制限した こ 二一 と が記録されている。以上の三点から、 会の運営のあり方自体に不満が生じていたことが分かる。 さらに準備不足の代表理事会で「いかなる原水禁組織にも加盟せず」と の重要な運動方針を決定したことは、森滝による「組織分断活動」である と糾弾している。 また田辺は会議を総括する「結語」に次のように記載している。 7、結語 今 回 の 代 表 理 事 会 を 傍 聴 し て 受 け た 印 象 は、全 国 的 に は 被 爆 者 一 人 〳〵 を 掘 り お こ し、被 爆 者 の 要 求 を 汲 み と っ て ゆ く 努 力 が 積 み か さ ね ら れ て い る 府 県 の あ る こ と を 原 水 禁 活 動 を 通 じ て わ れ わ れ は 承 知 し て い る が、日 本 被 団 協 の 名 に よ っ て 行 わ れ 或 は 行 わ れ よ う と し て い る 運 動 に は 見 逃 す こ と の で き な い、 きわめて重要な問題を包蔵しているということである。…… ( 008-3-02 ) 府県レベルの運動においては、被爆者の要求を汲み取りつつ、被爆者運 動を立ち上げていこうとする動きがみられるにもかかわらず、被爆者の声 に耳を傾ける方向で日本被団協の代表理事会が運営されていないことへの 強い不満が表明されている。 さらに、第一九回代表理事会終了直後の一九六五年三月六日には、杉山 秀 夫 (静 岡 県 原 水 爆 被 害 者 の 会 会 長) か ら 森 滝 市 郎 へ の 不 信 任 二二 状 が 提 出 さ れ ている。杉山の意見は田辺の感想と似通っており、一九六四年一二月三日 の 全 国 理 事 会 お よ び 一 九 六 五 年 二 月 の 第 一 九 回 代 表 理 事 会 の 召 集 方 法 が 「非民主的」であったことに対する非難が記されている。

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( 2)「東京の原爆被害者をはげます集い」 第一九回代表理事会のあと 日本被団協としての運動 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 は休止することとな ったが、地方における「被爆者一人〳〵を掘りおこ」す動きがあったこと を示す史料が、一九六五年六月一日に開催された「東京の原爆被害者をは げます集い」の開催 案 二三 内 である。差出人は「世話人会準備会」となってい るが、東友会メンバーないしは有志が中心になっていると思われる。集い の意義と目的については次のように記載されている。 Ⅰ「集い」の意義と目的 ⑴ 被 爆 者 の 要 求 を 実 現 さ せ「広 島」 「長 崎」 「ビ キ ニ」を く り か え さ な い た め に、被爆者とともに広汎な各界各層の人々が立上ること。 ⑵ 被 爆 者 運 動 と 被 爆 者 救 援 運 動 の 意 義 を ひ ろ げ、広 汎 な 世 論 を つ く り あ げ る こと。 ⑶ 被 爆 者 が 切 実 な 要 求 を も と に 団 結 し、被 爆 者 の 組 織 を つ よ め、被 爆 者 運 動 を発展させること。 ⑷ 文 化 ・ 芸 術 ・ 芸 能 を は じ め 各 界 各 層 の 諸 団 体 サ ー ク ル ・ 個 人 の 自 主 的、創 造的な被爆者救援運動を大きく発展させること。 ⑸ 被爆者自身の運動を支え、救援するための資金をつくりあげてゆく。 ( 008-3-10 ) この史料では被爆者援護法制定そのものを目的とするのではなく、被爆 者 運 動 の 組 織 的 再 編 成 の 意 図 が 強 く 打 ち 出 さ れ て い る。す な わ ち、こ の 「集 い」で は、意 義 と 目 的 が「被 爆 者 の 組 織 を つ よ め、被 爆 者 運 動 を 発 展 させること」や「自主的、創造的な被爆者救援運動を大きく発展させるこ と」自体におかれていることが理解できる。また原水禁団体との密な協力 関係の維持が困難となるなかで、独自財源の確保が意識されている点も重 要 で あ る。 「当 日 の 構 想」と し て は 東 京 都 体 育 館 に 八 〇 〇 〇 名 が 集 ま り、 「全 会 場 の 参 加 者 と 被 爆 者 が 交 流 し 心 と 力 を 一 つ に し て い く」こ と が 挙 げ られている。 さらに同史料から「運動のすすめ方」を引用する。 Ⅱ運動のすすめ方 ⑴ よびかけ ― 東京の原爆被害者をはげます集いを成功させましよう   に こ た え て、こ れ を 広 く ゆ き わ た ら せ、世 話 人 会 を 各 界 各 層 の 団 体、個 人 で結成する。 ⑵ 世 話 人 会 は 当 日 の 集 い の 準 備 と と も に、全 都 の 被 爆 者 運 動 と 救 援 運 動 を 発 展させるために、自主的、創造的な運動をおしすすめる。 ⑶ 被 爆 者 を 囲 む 懇 談 会、交 流 会、学 習 会 や 宣 伝 活 動 に よ っ て 原 爆 投 下 の 真 相、 被 爆 者 の 二 〇 年 余 の 放 置 さ れ た 歴 史、現 在 の 情 勢 と と も に、ひ ろ く 理 解 さ せる活動 ⑷ 被 爆 者 の 要 求 を 実 現 す る こ と は、国 民 各 層 の 生 活 と 権 利 を 守 る こ と に 結 び ついていることを明らかにし、被爆者との連帯した運動を発展させること ⑸ 地域 ・ 職場の被爆者と積極的に交流し、共に立上る活動。 ⑹ 「被 爆 者 完 全 援 護 法 制 定」 「原 爆 症 根 治 療 法 研 究 機 関 設 置」の 国 会 請 願 署 名 をすすめること、地方自治体へ被爆者の要求実現を請願すること。 ⑺ 東 友 会 の 救 援 折 鶴 バ ッ チ の 普 及 、 救 援 募 金 箱 の 運 用 を 積 極 的 に す す め る こ と 。 ⑻ 毎月六日、九日を以上の諸運動をすすめるための定例行動日とすること。 ⑼ 「は げ ま す 集 い」に 一 人 で も 多 く の 被 爆 者 が そ の 要 求 と と も に 参 加 で き る ようにすること。 ( 008-3-10   史料中の句点の有無は原文ママ)

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この史料から読み取れるのは以下の三点である。 第一に、それ以前の被爆者運動が、被爆者援護と原水禁運動を両輪と位 置づけていたにもかかわらず、この「集い」においては、原水禁の文字が みられないことは重要であろう。原水禁運動との関係を巡って、被爆者運 動が活動中止期であったことを踏まえての配慮であると考えられる。 第二に、 「自主的、創造的な運動」 「積極的な交流」などの表現には、横 のつながりを意識する発想が濃厚にみられる。地域や職場など被爆者が生 活する場における連帯を求めている点も特徴的であろう。 第三に、被爆者問題が単なる被爆者の救援に留まるのではなく、被爆者 問 題 を 置 き ざ り に し な い 意 識 を も つ こ と が 、 国 民 全 て の 生 活 と 権 利 の 向 上 に も つ な が る こ と を 訴 え 、 被 爆 者 と 国 民 と の 連 帯 を 模 索 し て い る こ と が わ か る 。 「東 京 の 原 爆 被 害 者 を は げ ま す 集 い」に み ら れ る 積 極 的 な 運 動 意 図 を み る と、 『五 〇 年 史』に 記 載 さ れ る 一 九 六 五 年 前 後 の「運 動 の 停 滞」は 日 本 0 0 被団協の停滞 0 0 0 0 0 0 であって、東京においては新たな組織原理を採用しながら、 運動の発展が目指されていたことが分かる。 ( 3)日本被団協の運動再開 ― 第二〇回代表理事会(小郡)開催前後の動き ― 一九六六年三月二一 〜 二二日には、第一九回代表理事会以来一年ぶりに、 第二〇回代表理事会が山口県小郡で開かれた。第二〇回代表理事会開催通 知 に は、草 稿「日 本 原 水 爆 被 害 者 団 体 協 議 会 規 約 改 正 二四 案 」 (図 一) が 添 付 されており、運動の再開にあたって森滝理事長らが作成し、同代表理事会 に附議した規約改正案とみられる。 同規約改正案では第二条の事務所規定が空欄となっており、日本原水協 脱退後の事務所が広島県被団協に移転されたものの、広島県被団協が分裂 図一   「日本原水爆被害者団体協議会規約改正案」 ( 008-3-12 )

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するなかで、事務所の位置も定められていなかったことが分かる。また日 本被団協の目的は「原水爆の被害者が団結して、被害者の救援活動、及び 世 界 平 和 の た め、原 水 爆 禁 止 運 動 を 行 う こ と」 (第 四 条) が 掲 げ ら れ、第 五 条 の 事 業 で は「原 水 爆 被 害 者 の 援 護 措 置 の 前 進」 「原 水 爆 犠 牲 者 の 慰 霊 行事及び原水爆完全禁止のための内外への訴」など五点が掲げられている。 この規約案における大きな変更は理事長 ― 代表理事制から代表委員 ― 理 事制への転換であり、一九六〇年になされた理事長 ― 代表理事制への転換 を、もう一度旧に復することが提案された。かつての理事長制への転換が 日本被団協としての統一方針を強力に打ち出すことにあったのだとすれば、 原水禁運動との関係を巡って揺らぐ日本被団協が統一方針を出すことが困 難になったことを示しているのだと推測される。 さて第二〇回代表理事会開催直前の一九六六年三月一五日に、東友会は 森 滝 理 事 長 を 糾 弾 す る 書 簡 (以 下、東 友 会「問 責 文」 ) を 発 し て い 二五 る 。批 判 のなかでもっとも強い主張がなされている「三、民主々義は今日では子供 でも常識になっております」と題された文章を引用する。 広 範 な 被 爆 者 の 声 を ど う 吸 い 上 げ、ど う 組 織 し 運 動 化 す る か と い う 観 点 は 現 在 の 理 事 長 及 び そ の 同 調 者 に は 皆 無 で あ り ま す。そ の 事 例 を あ げ れ ば き り が あ り ま せ ん。例 え ば こ の た び 代 表 理 事 会 に 対 し て も、行 宗〔一〕東 友 会 代 表 理 事 に 和 田 氏 よ り 電 話 が あ り、元 老 と し て 参 加 し て 欲 し い と 要 請 が あ り ま し た。東 友 会 の 常 任 理 事 会 は、全 員 こ の こ と 一 つ に つ い て も 猛 然 と 怒 り ま し た。 お た づ ね し ま す が、日 本 被 団 協 は 個 人 協 議 会 で あ っ て 団 体 協 議 会 で は な い の で す か。東 友 会 に 正 式 の 連 絡 が あ り、そ れ を み ん な で 集 っ て は か り 決 定 し て こ そ 行 宗 氏 が 出 る 意 味 も あ る 筈 で す。ま し て 元 老 な ど と い う の は 旧 憲 法 上 で も 違 憲 の 用 語 だ っ た も の で す。手 続 き も 自 分 達 が 勝 手 に き め た 規 約 さ え も メ チ ャ ク チ ャ に ふ み に じ っ て 何 を し よ う と い う の で す か。そ れ で も 日 本 被 団 協 5 5 で す か。そ れ で も 民 主 的 な 団 体 で す か。そ れ で も 一 片 の 良 心 に も 恥 じ な い と い う の で す か。私 た ち は 二 〇 世 紀 半 ば の 日 本 で こ の よ う な 非 常 識 で 非 民 主 的 な 考 え 方 を 抱 い て い る 人 達 が、ど う し て 日 本 の 被 爆 者 運 動 を や っ て い け る の か 不 思 議 に 思 っ て い ま す。こ う し た 発 想 の か げ に は 被 爆 者 の 大 衆 的 意 見 を 恐 れ、それを拒否する思想をよみとります。 ( 008-3-15   傍点原文ママ) 被爆者の声を吸い上げ、とりまとめていく発想がそもそも森滝に欠如し ていることを糾弾している点が特徴である。さらに東友会は自らを「中立 の団体」と位置づけ「下部の意見が機関に正当に反映するから中立になる のです。被爆者にはいろ〳〵の人がおり、その意見の一致したところで会 議を進めてい」るのに対し、日本被団協理事長の立場でありながら、社会 党 ・ 総評系の国民会議に接近する森滝を厳しく批判している。さらに、森 滝 ら を「被 爆 者 貴 族」と 揶 揄 し つ つ「私 た ち は 毎 日 〳〵 の 活 動 の 中 で 一 人〳〵の被爆者を大切にするが故に、憤激を一段と強くし、被爆者貴族の 跋こを問責したい思いで一杯であります」とした。 前章でまとめたように、森滝がこだわったのは「いかなる国の核実験に も反対」であった。しかし米ソの冷戦が「熱戦」として展開しつつあった アジアにおいては、その主張は必ずしも全ての被爆者を包含する一致点に はなりえなかった。右に引用した書簡において、東友会は原水協脱退の決 定自体の是非については言及していない。すなわち東友会は原水禁運動と の 距 離 を め ぐ る 批 判 を し た の で は な く、 「一 人 〳〵 の 被 爆 者」の 気 持 ち を 含んだ形での運動の再編と「民主主義」にのっとった組織再編を求めたの

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であった。 森滝理事長糾弾の気運が高まる中で開催された第二〇回代表理事会につ い て は「日 本 被 団 協 第 二 〇 回 代 表 理 事 会 の 経 過 報 告(ま と 二六 め )」が 残 さ れ ている。この史料は会議に出席した北海道、東北、神奈川、福岡などの各 被 爆 者 代 表 か ら の 報 告 お よ び テ ー プ 録 音 (一 日 目 の み) を も と に し て、日 本原水協事務局がまとめたものである。 同報告によると、会議初日は、東北、九州、北海道各ブロックの代表理 事から、運動が停止した責任を問う声があげられ、東友会「問責文」の他、 東 北 ブ ロ ッ ク の「辞 職 勧 告 文」 、静 岡 県 被 団 協 の 不 信 任 電 報 が 森 滝 宛 に 提 出されたことに言及した 上 二七 で 、理事長としての対応のあり方が厳しく問わ れた。さらに日本被団協の事務所の所在がみえなくなっており事務体制の 混 乱 し て い る 状 況 や 、 ブ ロ ッ ク 会 議 停 止 地 域 か ら 出 て い る 代 表 理 事 の 代 表 資 格の有無などについて鋭い批判がなされ、決議をみないまま終わっている。 二日目の討議においては、広島代表理事からテープ録音の中止が動議さ れ、東北 ・ 九州 ・ 北海道の三ブロックは反対したが、賛成六、反対三にて テ ー プ 録 音 が 打 ち 切 ら れ た。 「被 団 協 関 連 文 書」 008-3-12 の 規 約 改 正 案 が 森 滝 か ら 提 案 さ れ た が、ブ ロ ッ ク 討 議 を 経 ず に 提 案 す る こ と は「非 民 主 的」だとする批判や、現行規約の問題点を先に論じるべきとの意見が出さ れ、まず規約改正の必要性を各地のブロック会議で討議することになった。 ( 4)  一九六六年度運動方針案をめぐる動き  ― 第二一回代表理事会に向けて ― 第二〇回代表理事会の討議を受けて、森滝がまとめた運動方針案が二点、 被 団 協 関 連 文 書 に 残 さ れ て い る。森 滝 市 郎「本 年 度 運 動 方 針 素 案」 ( 008-3-08 ) お よ び 森 滝 市 郎「本 年 度 運 動 方 針(案) 」 ( 008-3-09 ) で あ る。と も に 一 九 六 六 年 四 月 五 日 の 日 付 が 付 さ れ て い る が、 008-3-08 を も と に し て、 008-3-09 が作成されたと思われ、おおむね同一内容となっている。 日本被団協としての運動方針として、被爆者援護法制定の運動、原水禁 運 動 の 二 本 柱 を 掲 げ、目 的 達 成 の た め に 必 要 な「組 織 ・ 宣 伝 ・ 財 政」の 「組織」について 008-3-08 では次のようにまとめている。 日 本 被 団 協 の 組 織 的 運 営 の 第 一 点 は、地 方 組 織 の 主 体 的 活 動 を 日 本 被 団 協 の 運営の基礎に据えることであります。 第 二 点 は、こ の 上 に 立 脚 し て、日 本 被 団 協 共 通 の 事 業 と し て は 全 会、全 会 員 の一致し得る行動を強力に推進することであります。 つ ま り 地 方 組 織 の 連 絡 協 議 体 が、日 本 原 水 爆 被 害 者 団 体 協 議 会 で あ る こ と を 鮮明にすることであります。 第 三 点 は「被 爆 の 運 命 を 共 に し た」と い う 一 点 に 基 い て 結 成 さ れ て い る 組 織 の 性 格 上、そ の 集 団 的 意 志 の 代 表 の し か た に、よ り 集 団 的、中 立 的 性 格 が う ち出されることであります。 こ ゝ に 、 当 面 い か な る 原 水 禁 組 織 に も 加 盟 せ ず と い う 立 場 を 貫 き な が ら 日 本 被 団 協 と し て の 機 構 改 善 が 必 要 と な り ま す。抽 象 的 な 表 現 で あ り ま す が、日 本 被 団 協 と し て は、 各 会 が 一 致 し 得 る 事 業 を 共 通 事 業 と す る 連 絡 協 議 機 関 と し て の 性 格 を 鮮 明 に し、共 通 事 業 の 具 体 化 と 推 進 の た め に、各 ブ ロ ツ ク 代 表 の 協 議 機 関 が 存 在 し、会 の 代 表、会 務 の 総 理 は、複 数 代 表 制 度 に よ つ て 行 わ れ ることが必要であります。 ( 008-3-08   史料中の傍線は、謄写版史料にペン書きで加筆) 森滝は「独自の調査、慰霊祭など、地方組織の主体的活動が活発」にな

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っていることを認めた上で、その意見をすりあわせるのではなく、日本被 団協は「連絡協議機関」として「各会が一致し得る事業を共通事業」とす ることとしている。 東 友 会 が「被 爆 者 を は げ ま す 集 い」を お こ な い、個 人 の「自 主 的」 「創 造的」な活動を重視し、多様な意見を包含する形で、運動を発展させるこ とを考えていたのに対し、森滝は多様な背景を持つ被爆者たちが 共有でき 0 0 0 0 る意見のみ 0 0 0 0 0 を日本被団協の集団的意志とした点は鋭い対照をなしている。 ま た 008-3-09 で は、原 水 協 か ら の 自 立 が 必 要 と な っ て い た 財 政 に つ い ては「基本的に各会からの会費、諸事業に対する分担金に基礎をおくこと が 望 ま れ る 」 と し た 上 で 、 日 本 被 団 協 の 活 動 資 金 と し て は 「 日 本 被 団 協 中 央 会計が年間約三百五十万円を確保するよう寄付金集め、事業活動を行う」 と さ れ、 「地 方 の 会 は、自 治 体 か ら の 助 成、一 般 募 金、事 業 活 動 に よ つ て 会 の 運 営 費 確 保 の 努 力 を 行 う」と さ れ て お り、 「宣 伝」と は 切 り 離 さ れ て 説明されている点も「被爆者をはげます集い」の発想とは対照的である。 森滝による一九六六年度運動方 針 二八 案 に対しては、東北ブロック会議から 対案である「一九六六年度   日本被団協運動方針(案) ― 提案 ― 東北ブロ ツク会 議 二九 ― 」が出され、ともに一九六六年五月二九日の第二一回代表理事 会に附されることになった。その内、東北ブロック会議提出の「運動方針 (案) 」では「被爆者援護法制定」 「原爆症根治療法研究機関の設置」 「核戦 争阻止 ・ 核兵器完全禁止」の目標実現がうたわれているが、注目されるの は 運 動 の 総 括 で あ る。 「一、被 爆 者 運 動 は、ど の よ う に 前 進 し て い る か。 そ の 成 果 と 教 訓 に 学 び、運 動 を さ ら に 発 展 さ せ よ う。 」の 項 目 に は、被 爆 者運動の現状に対する認識が示されており、各県被団協それぞれの活動が 具体的に列挙されている (表一参照) 。 東北ブロック会議が特に注目したのは各県が取り組む運動の「大衆」性 であった。被爆者運動が少数の幹部だけではなく、裾野をもった運動とし て拡大していることが強調されており、たとえば表一中の「 1」に記載さ 表一   東北ブロツク会議が指南する各県被団協の「前進」 活動内容 都道府県団体 1 「被爆者をはげます集い」の「画期的な成功」 一七〇〇人の被爆者と一万人にのぼる原水禁運動の活動 家 が「都 体 育 館 を う め つ く し、ひ じ ょ う に 感 動 的 な 集 会」 東京、横浜 2 被爆者療養センター建設運動への大衆的な募金 県知事や地元自民党代議士も賛同者とならざるを得ない 世論の状況 岩手、山口 3 自治体議会と理事者に対する積極的なはたらきかけ 東京、北海道、青 森、神奈川、山梨、 静岡、長野、山口、 福岡 4 被爆者の実態調査 ・ 被爆者の手記を刊行 各県被爆者組織と原水協や平和友好団体の提携 広島からは『原爆許すまじ』 (新日本出版社) の刊行 岩手、宮城、新潟、 東京、神奈川、静 岡、長野、愛知、 高知、広島、山口、 福岡、長崎 5 一九六五年一〇月の国会請願大会では都道府県代表が六 万人を越える請願署名を提出 「大衆的」 「恒常的」な行動に重要な意義 各都道府県代表 6 三 ・ 一ビキニデーには静岡県被団協が日本宗平協ととも に久保山愛吉の墓前祭開催 静岡 「一 九 六 六 年 度   日 本 被 団 協 運 動 方 針(案) ― 提 案 ― 東 北 ブ ロ ッ ク 会 議 ― 」( 「被 団 協 関 連文書」 008 -3 -06 )から要約して松田が作表。

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れた「被爆者をはげます集い」については次のように記されている。 さ る〔一 九 六 五 年〕六 月 一 日 に 東 京 で、五 日 に 横 浜 で ひ ら か れ た「被 爆 者 を は げ ま す 集 い」は、文 字 ど お り 画 期 的 な 成 功 を お さ め ま し た。と く に 東 京 で は、一、七 〇 〇 人 の 被 爆 者 と、一 万 人 に の マ ぱ る 原 水 爆 禁 止 運 動 の 活 動 家 と が、 激 し い 雨 に も か か わ ら ず 都 体 育 館 を う め つ く し、ひ じ よ う に 感 動 的 な 集 会 と な り ま し た。ま た、ち よ う ど ア メ リ カ 原 子 力 潜 水 艦「寄 港」反 対 運 動 の 渦 中 に あ つ た 神 奈 川 県 で も、一 八 〇 人 の 被 爆 者 が 結 集 し た こ と の 意 義 は、き わ め て 大 き い。集 会 に 参 加 し た 被 爆 者 か ら、東 友 会 や 神 奈 川 県 被 団 協 に 寄 せ ら れ て き た 数 お お く の 手 紙 は、被 爆 者 が 団 結 す る こ と の 必 要 性 を 強 調 し、被 爆 者 と 原 水 爆 禁 止 運 動 の 活 動 家 と の 暖 い 連 帯 を 喜 ぶ 気 持 に あ ふ れ て い ま す。と く に、こ の 二 つ の 集 会 が、そ れ ぞ れ 東 京 原 水 協、神 奈 川 県 原 水 協 の 全 面 的 な 協 力によつて支えられていた事実を、指摘しておかねばなりません。 ( 008-3-06 ) 東北ブロック会議は、被爆者同士の横のつながりと、被団協と原水協と の連絡関係に注目して、当時の活動状況を総括した。それが同史料にある 次の文章である。 以 上 の よ う な 運 動 の な か で、最 近 、 ママ 、被 爆 者 の 地 方 組 織 が、茨 城、神 奈 川、 新 潟、山 梨、奈 良、和 歌 山、高 知 各 県 な ど、つ ぎ つ ぎ に 大 衆 的、民 主 的 な 確 立 を 見 る に い た り、ま た、東 京、静 岡、愛 媛、福 岡、長 崎 な ど の 各 都 県 で、 地 域 組 織 の 強 化 (た と え ば 校 区 ご と の 組 織 化) が す す め ら れ て い ま す。さ ら に、広 島 に お け る 小 頭 症 患 者 を 守 る 運 動 や、北 海 道、東 京、福 岡 な ど の 各 都 道 県 に お け る 相 談 所 運 動 の 成 果 に も、み る べ き も の が あ り ま す。そ し て、被 爆 者 運 動 と 被 爆 者 組 織 の 主 体 性 が 根 を お ろ す と と も に、財 政 も 安 定 す る と い う事実が、はつきり示されてきていることに注目しなければなりません。 ( 008-3-06 ) ここでは地方組織の「大衆的、民主的な確立」が進んでいると指摘され ており、各県被団協においても、この時期に規約や運動方針の変化があっ た事実を示唆しているが、地方の被爆者運動史料を検討した上で、今後、 分析をする必要があろう。 ( 5)第二一回代表理事会 前項でみたような運動方針の対立を含みながら一九六六年五月二九日に 開催された第二一回代表理事会については議事録が二点残されている。A 「第 二 一 回 被 団 協 代 表 理 事 会 経 由」 ( 008-3-17 ) と B「第 二 一 回 被 団 協 代 表 理 事 会 の 経 過 報 告(ま と め) 」 ( 008-3-18 ) で あ る。A は ペ ン 書 き で あ り、 Bは活版印刷である。ほぼ同一内容であるが、BからはAのうち、ヤジな どの公開に適さないと判断されたであろう記述が削除されており、下書き にあたると思われる。史料Aには執筆者は記載されていない。 この二つの史料には、すでに「加盟」をとりやめた原水禁団体との関係 について、運動方針に「協力関係」と記載するか否かを巡って討論された 様子が残されている。会議の濃密な雰囲気を伝えるメモであり、Aから該 当箇所を引用する。 4、組織問題   加盟と協力関係について ⑴ 今 年 は 援 護 法 獲 得 の 年 だ か ら 運 動 の 基 調 は こ れ の み と す べ き だ と す る 広 島 のヤジ を ママ 混った強い意見と

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⑵ 現 実 に す べ て の 平 和 友 好 団 体 と の 協 力 な く し て は、被 団 協 は こ こ ま で や っ て こ ら れ ず、現 に ど こ の 地 方 も 協 力 関 係 を も っ て い る か ら、事 実 に 照 ら し 「協 力 関 係 を ママ す る」こ と を 方 針 案 に の べ、加 盟 の 問 題 は 今 後 の 実 績 の 中 か ら決めるべきだとする九州の意見とが対立。 ◦ 約三時間ばかり、討論され、その間 2回休憩を持ち、雑談的に討論された。 ⑶ 広 島 の 桧 垣 氏、小 佐 々 議 長 よ り 折 ち ゆ う 案 と し て、 「い か な る 原 水 禁 団 体 と も 加 盟 せ ず」を て つ か い し、あ ら ゆ る 平 和 友 好 団 体 と 協 力 関 係 を も つ こ と を 方 針 案 に 記 録 せ ず、確 認 事 項 と し て 意 味 を 含 ま せ る こ と を 提 案、多 く は こ れ に 同 意 し て い た が、広 島 の 二 人 の オ ブ ザ ー バ ー の 婦 人 の ち つ か い 〔=蟄懐〕により、再び二つの意見が対立。 ⑷ 近 畿 の 添 島 代 表〔= 副 島 ま ち〕が 対 立 す る 二 つ の 意 見 の 混 乱 に し び れ を 切 らし、遂に泣きおとしで、次のような森滝案によって採択された。 「こ こ に、当 面 い か な る 原 水 禁 組 織 に も 加 盟 せ ず と い う 立 場 を 貫 き 乍 ら 日 本 被 団 協 と し て の 統 一 を 守 っ て 運 動 を 進 め ま す。こ の よ う な 体 制 の 中 で 援 護 法、原 水 爆 禁 止 の 目 的 の た め に、努 力 し な が ら 会 の 全 体 の 強 化 の 実 を あ げなければなりません。 」 この採択に対し、東北は反対 確認事項として、 討議内容については事ム局がまとめて入れる ( 008-3-17   □囲みは原文ママ) ⑷ に つ い て、B で は「こ の あ と を う け て、副 島 (近 畿 ・ 兵 庫) は、対 立 す る 意 見 に し び れ を 切 ら し、涙 を 流 し て、森 滝 方 針 (案) を 援 護 す る 発 言 がでて、森滝氏より次の提案がされた」となっており、また森滝提案に反 対したのが「東北」と記された箇所はBでは「東北、九州、四国」に修正 されている。 またBには四国ブロック会議から第二一回代表理事会に出された意見書 「日 本 被 団 協 一 九 六 六 年 度 運 動 方 針 森 滝 素 案 を 討 議 す る に あ た つ て」が 付 さ れ て お り、 「被 爆 者 の 団 結、統 一」と「日 本 被 団 協 の 発 展」を 妨 げ る 要 因として以下の点を挙げている。 第 一 の 原 因 は、被 爆 と い う 一 点 で 結 集 し て い る 組 織 に 対 し「い か な る 国 の 核 実 験 に も 反 対」を 基 本 原 則 と し て お し つ け、こ の よ う な 方 針 に 反 対 す る 都 府 県被団協を日本被団協から排除しようとしたことにあります。 さ ら に 森 滝 理 事 長 は、日 本 被 団 協 の 加 盟 団 体 で あ り、日 本 被 団 協 結 成 の 時 以 来、互 に 支 え あ つ て 活 動 し て き た 日 本 原 水 協 に 対 立 す る 組 織 で あ る「三 県 連」あ る い は「原 水 禁 国 民 会 議」結 成 の 呼 び か け 人 と な り、そ の 中 心 に な つ て 活 動 し て き ま し た。こ の よ う な 大 衆 組 織 の 原 則 を 無 視 し た 行 動 こ そ 多 く の 被 爆 者 の 切 実 な 要 求 を 放 置 し、日 本 被 団 協 の 活 動 を 停 滞 さ マ せ て 最 大 の 理 由 で あります。 第 二 に、日 本 被 団 協 を 無 活 動、分 裂 の 危 機 に お い や つ た の は、き わ め て 非 民 主 的 な 組 織 運 営 に あ り ま す。規 約 を 無 視 し て 事 務 局 を 勝 手 に 移 動 し た り 組 織 と は 無 関 係 に な つ た 元 事 務 局 員〔和 田 氏〕の 私 宅 を 連 絡 事 務 所 に あ て、さ ら に 援 護 法 制 定 の 署 名 を 一 年 間 も 放 置 す る な ど、組 織 運 営 の イ ロ ハ に も 反 す る 行為であります。 ◦

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第 三 に、こ の よ う に 日 本 被 団 協 を 開 店 休 業 状 態 に、ま た 分 裂 の 危 機 に お い や つ た の は 都 道 府 県 被 団 協 の 責 任 で は な く、日 本 被 団 協 の 執 行 部、特 に 理 事 長 の 要 職 に あ り な が ら、組 織 原 則 を 無 視 し た 行 動 を と り 続 け て き た 森 滝 理 事 長 の責任は決してあいまいなことで許すべきではありません。 以 上 の よ う に 日 本 被 団 協 の 民 主 化 と 民 主 的 運 営 の 体 制 を 確 立 す る こ と こ そ 本 年度の運動方針を討議する前提であると考えます。 ( 008-3-18 ) これらの森滝批判のもととなった事実関係はあくまでも四国ブロック会 議の視点によるものであり、事実の当否については慎重な検討が必要であ ろう。しかしここまでの史料でみてきたように、日本被団協の組織のあり 方についてトップダウンかボトムアップかの組織像を巡るイメージの違い があったことが明らかであろう。 ( 6)第二一回代表理事会後のうごき 第二一回代表理事会のあと、一九六六年六月一八日に日本被団協東北ブ ロック会議代表理事であった斉藤義雄は「緊急 連 三〇 絡 」を各都道府県原水協 事務局長あてに送った。第二〇回代表理事会および第二一回代表理事会が 森滝案を軸に検討しつつ、①東北 ・ 四国 ・ 九州からの森滝不信任、②東友 会 か ら の 森 滝 問 責 文、③ 「森 滝 運 動 方 針(案) 」 ( 008-03-08 ) に 対 し て も 東 北 ブ ロ ッ ク の 対 案 ( 008-3-06 ) が 出 さ れ、 「は げ し い 討 議」が お こ な わ れ た ことを伝えている。 そして東北ブロックの対案が、核戦争阻止 ・ 核兵器完全禁止被爆者援護 法制定 ・ 原爆症根治療法研究機関の設置が原水協の運動方針と一致してい るとした上で、 「各県被爆者の会の民主的討議により、東北運動方針(案) を森滝(案)に対する「対案」として支持し、これをできれば機関の正式 決定 (被爆者の会) とするようご援助」を依頼している。 ( 7)まとめ 日本被団協が活動休止に追い込まれた事情は『五〇年史』記載の通り、 日本原水協の分裂に対する各県ごとの意見の相違が原因であったのだろう。 一 方 で、 「被 団 協 関 連 文 書」№ 8の 箱 を ひ も と い て み て、一 九 六 〇 年 代 の 活動休止から再開に至るプロセスを一定程度復元すると、論点は日本原水 協問題だけではなかったと評価でき、組織原理を「民主的」に変革するこ との是非と日本原水協問題が結び付きながら、議論が展開したことが理解 できる。主に 3つの立場が存在したように思われる (表二参照) 。 森滝理事長と東北 ・ 九州 ・ 四国各ブロックとの対立は、日本原水協との 協力関係を巡る争いであった。森滝が日本被団協の運動方針を、全ての被 爆者が共有しうる論点、すなわち被爆者援護法の制定要求に絞ることで運 表二   被団協運動の「再生」に際しての各メンバーの意見まとめ 森滝市郎 当 初 は「い か な る 国 の 核 実 験 に も 反 対」を 日 本 被 団 協 の 方 針 と し て 掲 げ よ う と し て 挫 折 し、被 爆 者 と し て 共 有 で き る 論 点(= 被 爆 者 援 護 法 の 制 定 要 求)の み に、日 本 被 団 協 の 論 点 を 絞 る こ とで組織の立て直しを図った。 東北 ・ 九州 ・ 四国 各ブロック 日 本 原 水 協 と 同 時 期 に 生 ま れ、協 力 関 係 の 元 に 被 爆 者 運 動 が 発 展 し て き た 歴 史 的 経 緯 を 重 視 し、協 力 関 係 の 維 持 を 模 索 す る。 同 時 に 被 爆 者 一 人 一 人 の 声 を 拾 い 上 げ る 方 向 で の 運 動 方 針 樹 立 を求める。 東友会 原 水 協 と の 関 係 そ の も の に つ い て の 発 言 は 控 え つ つ、被 爆 者 一 人一人の声を拾い上げる方向での運動方針樹立を求める。

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動の結束維持を図ろうとしたのに対して、東北 ・ 九州 ・ 四国ブロックは日 本原水協との協力関係の維持を模索していた。 それに対して、東友会は原水禁運動との関係そのものについての発言を 控えつつ、被爆者一人一人の声を拾い上げる方向での運動を模索していた と 思 わ れ る。 「は じ め に」に 記 し た よ う に、一 九 六 〇 年 代 後 半 以 降 の 日 本 被団協は、被爆者の大規模な動員を新たに企画していくわけであり、東友 会の主張をもとに方針が立てられているように思われる。①原水協との関 係を直接的に取り上げることはせずに、②被爆者問題の科学的分析を重視 して問題の本質を問いつつ、③被爆者からの綿密な聴き取り活動を基盤と した被爆者要求の取りまとめを活動の中心においていく日本被団協の路線 が、東友会の影響のもとに一九六〇年代後半に確立していくとみてよいの ではないか。 一 九 八 二 年 に 刊 行 さ れ た 東 京 都 原 爆 被 害 者 団 体 協 議 会 (東 友 会) 編『首 都 の 被 爆 者 運 動 史 ― 東 友 会 二 十 五 年 の あ ゆ み ― 』 (以 下、 『東 友 会 二 十 五 年 の あ ゆ み』 ) に お い て も、一 九 六 〇 年 代 後 半 か ら 一 九 七 〇 年 代 の 運 動 に つ い て「日本被団協の中核としての東友会」の章を立て、森滝への問責状から はじまり、日本被団協の事務体制構築に東友会が協力することになり、さ らには「東友会の独自活動が被団協の運動に」なっていく経緯が記されて おり、そこには同会の自負がうかがわれる。 3、運動「再生」のキーマンとしての伊東壮 東友会が一九六〇年代後半以降の日本被団協の運動再生に協力していく 際に有した運動のロジックはどのようなものだったか。この時期の東友会 の中心となったのが伊東壮であった。東京 ・ 三多摩で被爆者の声を拾い集 め続けていた伊東壮は一九六六年には日本被団協の専門委員となって「つ るパンフ」作成の中心人物の一人となり、被爆者運動の理論を組み立てる 役割を果たした。さらに一九七〇年には日本被団協の事務局長となってい る。この章では伊東の発言を時系列に沿って振り返りながら、東友会を軸 とする日本被団協の「再生」について考察する。 ( 1)一九五〇年代半ばの被爆者の意識調査 『東 友 会 二 十 五 年 の あ ゆ み』で、伊 東 壮 は「東 友 会 二 十 五 年 の あ ゆ み と 被爆者援護法制定要求運動」の章を執筆した。そのなかで、東友会の前身 である「被災者の会」が一九五六年におこなったアンケートを紹介してい る (表 三) 。回 答 し た 被 爆 者 は 四 九 四 名 と さ れ て お り、 そ の う ち 東 京 在 住 が 四五四名、その他府県から四五名、回収率は三九 ・ 一%と記されて い 三一 る 。 表三   一九五六年八月   「被災者の会」アンケート 国への要求について何らかの意見をもつもの  49・ 4%     ― 「国家の手で健康診断や治療を無料で」  80・ 5% ― 「病気のため生活に困る者に生活の保証を」  15・ 9% ― 「障害年金への不満」  2・ 6% ― 「全然やる気のない政府に希望なし」  0・ 9% 社会に対しての要求で何らかの意見をもつもの  33・ 0%     ― 「被爆者の気持を理解してそっとしておいて欲しい」  56・ 4% ― 「興味本位の報道や科学的に正確でない報道は困る」  38・ 0% ― 「原爆禁止運動や救援運動が発展して嬉しい」  5・ 5% 被災者の会に対して意見をもつもの  37・ 4%     ― 「結成の主旨を守って政治的活動は今後もやらないでほしい」 68・ 6% ― 「薬品の廉価取次の健康管理を協力にやってほしい」  31・ 4%

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こ の ア ン ケ ー ト 結 果 に よ る と、 「健 康 診 断 や 治 療 を 無 料 で」受 け ら れ る ようにすることを希望する回答が多数に上っているのに対し、社会に対す る要求や運動の発展に期待する感情は極めて微弱であったことがわかる。 また「被災者の会」に対しても政治的活動の自粛を求める声が強い。きわ めて消極的であった被爆者の感覚について、伊東は次のように振り返って いる。 こ れ か ら 当 時 の 被 爆 者 た ち の 姿 を 想 像 す れ ば、 「ひ っ そ り と 世 の 中 か ら か く れ、政 治 か ら 離 れ て い た い。し か し、国 は 何 と か 健 康 に つ い て 面 倒 を み て く れ れ ば い い。 」と い う こ と に な ろ う。こ れ は 今 日 援 護 法 制 定 を 当 然 の 権 利 と 考 え て い る 多 く の 被 爆 者 の 姿 か ら は、隔 世 の 感 が あ る。他 方 一 見、虫 の よ い よ う に 見 え る こ の 被 爆 者 の 当 時 の 姿 に は、 「こ こ ろ」ま で 無 力 化 さ せ ら れ た 原 爆 の 傷 痕 を 見 る こ と が で き、同 時 に そ れ か ら の 二 五 年 の 運 動 が、被 爆 者 の 孤 立 ・ 絶 望 ・ 無 力 を 解 き 放 つ 上 で 大 き な 意 味 を も っ て い た こ と を 物 語 る の で あ 三二 る 。 「孤立 ・ 絶望 ・ 無力」 の状況におかれた被爆者たちのようすを「 「こころ」 まで無力化させられた原爆の傷痕」と伊東は表現している。自ら立ち上が ろうとしない被爆者の姿は伊東にとって運動の原点であったと考えられる。 ( 2)日常的活動とつながった運動の希求 一 九 五 九 年 の 原 水 爆 禁 止 世 界 大 会 の あ と に、 『東 友 会 報』一 九 五 九 年 一 〇月に寄せた「よく、そしてみんなで生きるために」において伊東は、同 世界大会が安保問題と被爆者救援において激しい論争を起こしたにもかか わ ら ず、 「発 言 者 の 日 常 的 活 動 か ら 切 り 離 さ れ、生 活 実 感 か ら 無 縁 な、い わば大会のための発言に中心がおかれた議論のようにしか思えなかった」 と記している。さらに「原水協の八月だけの活動と考えあわせながら、原 水協大会に集まる人たちの多くがもっている、あまりに濃厚な「個人的、 一時的」代表意識にいささかうんざりした」とすら記している。 また被爆者問題について、伊東は次のように示している。 安 保 の は な ば な し い 論 議 の か げ で 被 爆 者 問 題 は 色 あ せ た も の と な っ て し ま っ た。 「今 さ ら、被 爆 者 救 援 な ん て」 「当 然 の こ と だ。考 え る 余 地 は な い。 」そ ん な ふ ん い 気 が 私 に は 会 場 で 感 じ ら れ た。…… 広 島 ま で 高 い 旅 費 を つ か っ て 来 る よ り 各 地 域 で 被 爆 者 と の 懇 談 会 で も も っ た 方 が 有 意 義 で は な い か。私 は 救 援 が 当 然 視 さ れ る ふ ん い 気 こ そ が、実 は 救 援 に 実 際 の 熱 意 を み ん な が 示 さ ない原因だという気がした。…… だ が 被 爆 者 の 中 に マ マ は 、原 水 禁 大 会 よ り も っ と 複 雑 怪 奇 で あ る こ と が 日 本 被 団 協 総 会 で ば く ろ さ れ た。延 々 四 〜 五 時 間 に わ た る 日 本 被 団 協 総 会 は、ほ と ん ど 役 員 改 選 問 題 だ け に 終 始 し、被 団 協 の 実 質 的 活 動 に ふ れ る 点 は、わ ず か 一 片の方針の棒読みであった。…… 私 が 東 友 会 の 決 定「幹 部 は 地 域 に か え れ」を 発 言 し た 時、…… 婦 人 被 爆 者 が 私に、 「今 日 の 中 で あ な た の 発 言 が 一 番 胸 に こ た え ま し た。私 の 地 域 の 幹 部 は 何 も してくれません」 と 訴 え て き た。原 水 協 も 被 団 協 も 下 か ら み ん な ひ と り ひ と り が し っ か り と 作 りあげていかなければ、えらいことになるとつくづく感 じ 三三 た 。 伊東の指摘で重要な点は、被爆者救援が議論する余地のないほど当然で あることは、救援運動への熱意が持たれないことの原因であるとする言及

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であろう。被爆者一人一人に向き合いながら運動組織を作ろうとしている 伊東の決意が表れている史料であると思われる。 ( 3)被爆者がもつ「意識」への強い関心 一九六〇年、伊東は『思想』誌上で、被爆者が自発的に自分たちの実態 を訴えてはいかない理由を分析 し 三四 た 。敗戦後長きにわたって苦しみを訴え ることもできず放置されてきた被爆者たちは、人類、民族、国民、地域社 会に不信を抱かざるを得ない状況におかれており、人間が生み出した科学 や国家組織に対しても不信をもっている点をあげている。それゆえに被爆 者は行動をおこなう「精神的な基盤」がないのだとした。 ま た 不 信 か ら な る 否 定 の 意 識 が 徹 底 さ れ れ ば、 「行 動 へ の 契 機 を 内 包 し た否定」になりえるはずだが、①被爆者の経験範囲が狭いことや、②経験 が「科学的思考様式」をもって整理されないままになっており、経験が単 な る「気 分」に と ど ま っ て い る が ゆ え に、 「行 動 へ つ な が る 否 定」を 実 現 させないまま、当時に至ったことを指摘している。すなわち一九七〇年代 後半以降、被爆者の証言が次々に出てきて体系的に組み合わされ、被爆体 験が広く共有されるに至るまでは、現場にいた被爆者たちの苦しみも、あ くまでも個別の「悲惨な体験」に留まって い 三五 た のであり、経験の科学的な 整理が必要だと伊東は考えたのである。 しかし一方で被爆者は「奇妙なことに、彼らの被爆経験を誇り、一種の 特種意識をもっている。同時に平等を望む意志もそれに絡まりついて」お り、その自己肯定の意識が「発展する〝否定〟意識への基盤」となりえる のだと伊東は評価した。 伊東は〝否定〟意識が大いなる発展へとつながる契機をつくるものとし て以下のように指摘している。 で は、そ の 契 機 を つ く る も の は 何 か。そ れ は、…… 被 爆 者 の 実 態 を 十 分 に 把 握 し た、且 つ そ の 被 爆 事 実 の 外 延 性 を 意 識 し た、国 民 と 被 爆 者 の 絶 え ざ る 交 流 と そ の 交 流 自 体 の 発 展 過 程 の 中 に、複 数 の 型 で ひ そ む も の で あ る。た と え ば 原 水 爆 禁 止 大 会 を 例 に と っ て も、ま た 被 爆 者 団 体 の 結 成 を み て も、ご く 一 部 で あ る か も し れ な い が、そ の 中 か ら、自 分 た ち の〝人 間 回 復〟を 達 成 し、 生 き る 意 味 を 見 出 し た 被 爆 者 は 多 い。そ し て、三 十 万 の 被 爆 者 が、国 民 全 体 と 共 通 の 場 を 真 理 の 底 ま で も ち う る な ら ば、そ れ だ け で 彼 ら は〝生 き て い て よかった〟のである。 伊東の関心は被爆者に生きる意味を与えることに注がれているように思 う。引 用 文 末 尾 に あ る よ う に、伊 東 の 関 心 は、 「彼 ら」 (= 被 爆 者) が「 〝生 き て い て よ か っ た〟 」と 感 じ ら れ る 方 向 へ 被 爆 者 運 動 を 転 換 す る こ と に 集 約されているように思える。 ( 4)「被爆者の意識の前進」についての試論 さ ら に「被 団 協 連 絡」一 九 六 〇 年 五 月 に 記 さ れ た「 「被 爆 者 の 意 識 の 前 進」についての 試 三六 論 」では、伊東は「被爆者団体の使命は、単に被爆者の 身体上の被害をとり除く仕事だけではない。被爆者が、本当に生きていて よかつたという安定感とよろこびを感ずる精神状態に彼らをおくことこそ、 その最終の目標としなければならない」と述べるようになる。運動目標と しての被爆者援護法の制定および原水禁運動の遂行とは別に、被爆者自身 が運動への参加によって救われるとの発想を伊東が持っていたことは注目 すべき点である。

参照

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