グローバル化と「ポピュリスト帝国(The Populist Empire)」
―ジョージ・W・ブッシュ政権とイラク戦争―
法学・政治学系教授 五十嵐 武士 キーワード:ジョージ・W・ブッシュ グローバル化 帝国 ポピュリズム 覇権国 イラク戦争はじめに
現在のアメリカは、21世紀の世界で文字通り唯一の超大国といえる。しかし、ジョージ・ W・ブッシュ(George W. Bush)政権がアフガン、イラク両戦争を相次いで断行したことによ って、アメリカ自体が世界情勢の不安定化を惹き起す重大な問題の一つともなった。その結果、 アメリカでも「アメリカ帝国論」が活発に議論されるようになったが、アメリカにはもともと 自らを帝国に対置される共和国と見る、根強い愛国的な伝統があり、この観点から言えば、ア メリカの帝国化を唱える言説自体否定すべきものである。それゆえ、アメリカはなぜ帝国化し なければならなかったかという、それとは別の問題がある点に注意する必要もあろう。 それというのも、現在の帝国化には、世界情勢の必要に応える対策という面があることも、 否定できないからである。端的に言って、その点はグローバル化が急速に進む世界情勢の中で、 いかに秩序を構築するのかという、グローバル・ガヴァナンスに深く関連していると言ってよ い。 ブッシュ政権はイラク戦争を始めるにあたって、イラクを植民地にする意図はないと明言し ている。またイラクの石油資源を、国際経済のために確保するという利害関心はあるものの、 イラクの民主化を梃子にして中東地域の安定化を図るという戦争目的も掲げていた。つまり、 アメリカは不安定な世界情勢を対象にして、国際秩序の構築に責任を担う、ロバート・ギルピ ン(Robert Gilpin)流に言えば、覇権国としての役割も自任していたのであった(Gilpin 1985:145)。 本稿は、現在のグローバル化に見られる次のような性格に着目して、ブッシュ政権が追及し た「帝国化」の性格を解明することを課題にしている。すなわち、アメリカ社会にはグローバ ル化を先取りする性格があり、現在アメリカが強力に主導するグローバル化にも、アメリカ社 会をモデルにして世界を改造しようとする傾向が強く見られるといえる。 ブッシュ政権が帝国化を推進したのも、アメリカの帝国的な性格を背景にしており、帝国化 をポピュリズムの言説で正当化する、「ポピュリスト帝国(Populist Empire)」とでも呼ぶべき 性格のものであった。そこでは目標を達成するために強制力の行使も辞さない帝国の支配が追及されており(帝国主義と言ったほうが適切なので以下では帝国主義と呼ぶことにしたい)、 帝国化を牽制すべき、共和国の民主的な機能が十分機能しえなかったのである。 以下では、まず初めに現在のグローバル化が、アメリカのいかなる帝国的な性格を背景にし ており、その結果アメリカ社会とどのように似通っているかを考察する。次いでブッシュ政権 がポピュリズムを帝国主義を正当化するうえでいかに活用したのか、またそれにはどのような 問題点が伴っているのかを明らかすることにしたい。
1.アメリカ社会の帝国的な性格
アメリカの帝国的な性格を理解するには、古典的な帝国と比較すると分かりやすい。古典的 な帝国を、独自の文明の中心として一つの世界を形作る政治体制と定義すると、帝国には次の ような国民国家とは違う特徴が見られる。第一は、同質的な国民ではなく、多くの民族集団か ら構成されている点である。第二は、文明の浸透度に応じて中心から周辺へと広がるピラミッ ド状の階層構造を成している。そこでは各民族集団の文化的特徴が尊重されるとはいえ、構成 員の間での平等は必ずしも重視されていない。第三は、周辺では帝国に帰属するアイデンティ ティが強くないので、紛争が生じやすく、周辺の管理が帝国の存続を左右する危険をはらんで いる点である(Lieven, 2000: Maier, 2006)。 この古典的な帝国と比較して、アメリカの帝国的な性格を明らかにするために、国家を領土、 国民、主権によって成り立つとみる標準的な見方に沿って、アメリカのこれら三つの構成要素 を見ることにしよう。 第一の領土は、18世紀の独立達成時にすでにミシッシピ河以東の広大な地域に及んでおり、 当時からアメリカを「帝国」と呼ぶことは珍しくなくなかった。アメリカ人自身、古典的な意 味で帝国的な性格を備えていることを自覚していたのであった。その後も西部地域への拡大を 追求する西漸運動を続けて、太平洋岸に到達したのに次いで、さらに海外に飛躍したように、 アメリカ社会には膨張する活力がみなぎっている。それが、現在もグローバル化の牽引力にな っているといえる。 第二の国民も、多様なエスニック・グループで構成されている点が帝国的である。そのエス ニック・グループの多様性は社会的な階層構造とも対応しており、総じてアメリカの独立を達 成した白人でアングロ・サクソン系プロテスタント教徒(WASP)の子孫が上層を占め、次いで 移民してきた時期が早い順に上の階層に上がり、最も遅く来た移民が階層構造を押し上げる傾 向が見られた。アメリカの民主主義思想では平等が重視されているのに反して、アメリカ社会 は先進国の中でも所得格差が最も大きく、社会層の構造は帝国的な性格を厳然と帯びていると 言わざるをえない。 その典型的な例が、黒人奴隷およびその子孫であり、旧南部のプランテーションは、いわば アメリカ内部の植民地として帝国主義的な性格を浮き彫りにしていた。南北戦争後、南部は経 済的に半植民地的な状態に陥り、解放されたはずの黒人もジム・クロウ制度の下で、植民地人 にも等しい人種差別を強いられていたのである。1960年代の公民権運動によって、人種差別がようやく撤廃され、黒人にもミドル・クラスに 上昇する機会が開かれた。その結果、黒人はアフリカ系アメリカ人として政治的な発言力を強 化したものの、黒人内部には階層分化が生じ、ミドル・クラスに上昇できずに大都市のスラム に押しとどめられた黒人は、半植民地的な状態の中での生活を強いられている。アメリカは、 社会階層の帝国主義的な性格を払拭できずに今日に至っているのであった。 第三の主権では、個人の自由や権利の保障を国家目的にする共和国の理念や、それに基づく 政治体制が、国家存立の基盤の根幹をなしている。またそれを補強してきたのが、肥沃で資源 に恵まれた帝国的に広大な領土が、経済的に上昇する機会、「アメリカの夢」を提供してきたこ とである。技術革新がその夢を一層増進して、家庭電気製品や自動車を享受する近代的なライ フスタイルを創出した。なかでも映画やプロ・スポーツなどの大衆文化が、ローマ時代のコロ シアムや劇場さながらに、民衆を熱狂させてアメリカ人としてのアイデンティティを実感させ ている点でも、アメリカは古典的な帝国の性格を色濃く帯びていると見ることができよう。 主権の国際的な発動である対外政策では、第二次世界大戦後の冷戦期に、西側陣営の盟主た る超大国として海外に多くの軍事基地を保有した。冷戦終結後もこの点は大きく変わっておら ず、現在でも海外の軍事基地は130カ国にわたって700余りに達している。アメリカは軍事費 の規模でも国際的に突出しており、世界全体の軍事費の40%以上を占め、2位以下25位までの 諸国の軍事費の総計にほぼ匹敵する規模に達している。このように安全保障上も海外に軍事的 に介入しやすい体制を維持している点で、アメリカは帝国としての性格を備えているといえる (Johnson, 2008)。
2.アメリカ社会とグローバル化の類似性
グローバル化とは、ヒト・モノ・カネ・情報やアイディアなどが国境を超えて迅速かつ大量 に移動する現象である。アメリカがそのグローバル化を強力に主導することは、アメリカの国 内社会が、政府レベルに加えて、民間レベルでもトランスナショナルに海外と直結して交流す る傾向が急速に高まっていることを意味している。 アメリカ社会が現在のグローバル化を先取りしている点は、個人のアイデンティティや国内 での産業構造の変化および人口移動の面に顕著に見られる。第一の個人のアイデンティティに 関しては、アメリカが植民地時代から西に向かって膨張を続け、国内での移住も活発に行われ たことが重要である。それに伴い、生まれ育った土地に強い愛着を抱く伝統社会の郷土愛とは 違って、特定の土地に根ざさずに人生を自らの選択によって切り開く独立独歩の人間を、個人 のアイデンティティの模範としてきたのであった。 産業構造や人口移動の面でも、1940年代以降、労働組合の組織率が低く賃金の安い南部や西 部で軍事産業が発達し、製造業も北東部や中西部から移動した。それに伴い、南部や西部の全 人口に占める比率が増加して、80年代の半ばまでには、 1940年代の42%から54%へと過半数 を超えるまでに至った。このように国内でも、いわばグローバル化と並行するような活動が展 開されてきたのである第二次世界大戦後のアメリカは、国際的にも現在のグローバル化の基礎を築いた。アメリカ は戦争で疲弊した西ヨーロッパ諸国や日本の復興を支援するために寛大な経済援助を行い、資 金や原料ばかりでなく先端的な技術の移転も認めたうえに、文化的にも国際的に科学・技術や 社会科学、大衆文化などの分野で主導的な役割を演じた。その結果、60年代の後半以降、西ヨ ーロッパ諸国や日本など先進国との間で経済的に緊密に結びつく、相互依存の時代を出現させ たのである。 グローバル化のヒトの面では、リンドン・B・ジョンソン(Lyndon B. Johnson)政権が1965 年に行った移民法の改正が重要である。この改正はそれまでの制限をやめて、各国に平等に移 民数を割り当てる方針に転換したが、その結果、アメリカ政府の予想をはるかに超えて移民数 が飛躍的に増えたばかりか、それまで少なかった中南米や東・東南アジア諸国からの移民が大 半を占めるようになったのである。 70年代以降10年毎の移民数が700 ~ 1100万人にも及び、2000年の国勢調査では外国生まれ の人口が全人口の10%を超えて、アメリカ社会のエスニック・グループの構成が大きく変容し た。不法移民も1200万人を数え、人口の4%に達している。アメリカ社会は、今や世界の縮図 のような様相を呈するに至り、帝国的な性格を一層深めていると言うことができよう。 現在のグローバル化を主導するカネの面では、1960年代のジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)政権以来ドル防衛のために資本輸出を制限していたが、第一次オイル・ショックに 見舞われて国際的に資金が逼迫した74年に、資本輸出の自由化に踏み切っていた。その後81 年に登場したロナルド・レーガン(Ronald Reagan)政権が、経済政策の基本方針をケインズ主 義から、サプライサイド経済学とマネタリズムをベースに、レーガノミックスと称する新自由 主義の方針に転換し、グローバル化をさらに加速したのであった。 新自由主義は市場の効率を最優先するものであり、「小さな政府」をスローガンに政府の歳 出削減も目標にしていた。しかし、レーガン政権自体は新冷戦の対ソ強硬政策の下で、平時最 大の軍拡方針を取ったことから、アメリカは財政・貿易両面の「双子の赤字」を抱えて、70年 ぶりに債務国に陥ったのである。 アメリカの金融機関は、レーガン政権の実施した規制撤廃方針の下で活発に金融商品の開発 に努め、85年にイギリスが金融のビッグ・バンに踏み切ると、モルガン・スタンリー(Morgan Stanley)、ゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)、メリル・リンチ(Merrill Lynch)とい った大手の金融機関が、ウォールストリートよりも政府の規制が少ないシティ・オヴ・ロンド ン(City of London)に大挙して押し寄せた。こうしてシティはウインブルドン現象とも呼ばれ たように、ウォールストリートの飛び地のような様相を呈し、金融の国境を越えた一体化が一 段と押し進められたのである。シティの活動は、イギリス経済の再活性化をもたらすとともに、 アメリカに資金を供給する役割も果たしている。 国際金融はグローバル化の牽引力になったとはいえ、新たなタイプの危機を生じさせること にもなった。金融機関、とりわけヘッジ・ファンドが開発した金融商品には、過大評価されて いる通貨を利用した投機アタックという手法がある。97年にはタイやインドネシアの政府がそ
の攻撃に晒されて耐えきれなくなり、通貨危機を発生した。しかも、それが経済の順調に発展 していた韓国をも巻き込み、やがてブラジルやロシアにまで波及してアメリカの金融機関にも 打撃を与えるに及んで、世界不況の危険さえ発生じさせたのだった。 この97–98年の通貨危機以降、世界中の民間資金が再び投資機会を求めてアメリカに流入す るようになった。アメリカが投資機会を生み出す源泉になっていたのは、アメリカ人の旺盛な 消費であり、世界経済の成長率を20%押し上げる要因となってきた。その意味で、アメリカは 国際的な貿易・金融市場として、世界経済を支える国際公共財を提供したと言えなくもない。 グローバル化のモノの面は、アメリカ社会に大きな犠牲を強いるものでもあった。それにも かかわらず、レーガン政権は自由貿易方針を堅持し、自由貿易を促進するためにガットのウル グァイ・ラウンドを開始して、90年代にWTOの創設を導いた。しかし、国際的な競争力での 劣勢を挽回するために、アメリカ企業が製造業の生産拠点を海外に移したことによって、製造 業の従業員数がアメリカの全従業員に占める比率は、70年に26.4%だったのが、90年に16.2 %、2000年に11.2%と急速に低下したのである。 アメリカ企業が海外から逆輸出することによって、アメリカの貿易赤字はさらに悪化した。 しかし、安い輸入品が大量に流入することでインフレが抑えられ、90年代の後半以降アメリカ 経済は、70年代のスタグフレーションとは全く逆に、インフレ率も失業率も両方とも上昇せず、 景気循環を脱出したニューエコノミーが実現したと自画自讃されるに至ったのだった。 その主たる理由は、IT革命や不動産バブルで株式市場が活況を呈したからである。それに伴 い、規制撤廃や会計処理の不明確さが増えたことなどを悪用して、富の追及を至上価値とする アメリカに伝統的な「貪欲さ」が再び野放しになり、エンロンやワールド・コムなどの不祥事 も発生したのであった。
3.ジョージ・W・ブッシュのポピュリズム
ブッシュ大統領がポピュリストと呼べるかどうかは、かなり微妙な面がある。テキサス州知 事出身だったとはいえ、二代前の大統領の長男であり、ワシントンの連邦政界には馴染み深か った。1996年の大統領選挙で政権奪還のチャンスを活かせなかった共和党にとって、来るべき 2000年大統領選挙では切り札候補と目されており、早くから期待がかけられていたのであっ た。事実、選挙の前年には共和党の連邦上下両院議員や州知事の相当数が支持を表明し、選挙 資金集めも順調で富豪以外の他の候補を大きくリードしていた。 2000年の大統領選挙では、ブッシュ陣営は、いわば本命候補として中道路線を取った。所得 格差が広がっている情勢を改善する姿勢を示すために、「思いやりのある保守主義 (compassionate conservatism)」をスローガンに掲げ、対外政策でも謙虚さを説いて、国益を 明確にして海外への介入を抑制する方針を打ち出していた。と同時に、「小さな政府」を基本方 針とするレーガン革命を継承し、さらに増進する立場を鮮明にしていた。その意味で、共和党 主流派の立場に立っており、グローバル化を振興する方針も取っていたのである。 しかし、中道路線は必ずしも有効な選挙戦略にはならず、共和党の予備選挙で他の候補に遅れを取ったうえに、民主党候補の副大統領アル・ゴア(Al Gore)との間の本選挙は希に見る接 戦になり、一般投票の得票率ではゴアに敗れていた。それでも当選できたのは、フロリダ州の 開票をめぐって、フロリダ州や連邦の最高裁判所で裁判闘争を繰り広げ、辛うじて勝利したか らにほかならない。 その結果、大統領就任後もブッシュ陣営にとって最大の課題は、いかに再選を果たすかとい うことになった。ビル・クリントン(Bill Clinton)前政権同様、ブッシュ政権でも政権の運営 が選挙キャンペーンの延長上に位置づけられ、選挙参謀のカール・ローヴ(Karl Rove)を中心 に行った選挙結果の分析を踏まえて、共和党の中核の支持層を固める方針を優先していったの である。 キリスト教ニューライト派との提携を深めたのもその顕著な表れであり、ニューライト派の 要請に応える政策を配慮する一方、政権発足後まもなく大型減税を連邦議会の決定に持ち込ん だのも、共和党支持者の期待に応えるためであった。対外政策でも、地球温暖化の防止のため に締結された京都議定書の批准に消極的な姿勢を取るなど、単独主義の傾向を深めたのであ る。 ブッシュのポピュリスト的な性格は、彼自身の人格自体や政治的信条、方針などによるもの ではなく、多分に政治家としての経歴や政治戦略に由来していた。ブッシュはテキサス州生ま れとはいえ、上流階級出身の父親同様、東部の名門高校へ進み、イェール大学を卒業して、ハ ーヴァード大学ビジネス・スクールでも経営学修士号を取得した。しかし、実業家としては成 功できず、伝道師ビリー・グラハム(Billy Graham)に諭されて自堕落な生活をやめて信仰に 目覚め、敬虔なメソディスト派教徒に改宗したのは40歳になってからのことである。 それだけに政治活動では、選挙参謀や広報担当者を頼りにしなければならず、選挙参謀のロ ーヴや総務担当の首席補佐官カレン・ヒューズ(Karen Hughes)が、政治家ブッシュを仕立て 上げていった面が多い。ローヴやヒューズは劇場政治に長けており、政治では見栄えが現実に もなると見て、複雑な政治問題でも白黒をはっきりさせる単純化した形で表現し、誰にでも分 かるように伝えることを旨としていた。彼らが「田舎のマキアヴェリスト(Mayberry Machiavellis)」 と評されたゆえんである(The Phrase Founder, 2007)。
東部のエリート教育を受けたにもかかわらず、ブッシュがポピュリスト的になったのは、テ キサス育ちで子供の頃から庶民的な話し方や振る舞いに慣れていたからだけではない。ヴェト ナム戦争中の大学時代に、反戦を唱えるリベラルな知識人や学生に違和感を抱いたのに加えて、 78年に連邦下院議員選挙に初めて立候補したときに、対立候補から東部のエリートでテキサス 人ではないと散々攻撃されて落選していた。それ以来テキサス風に南部訛りで話し、庶民的に 振舞うように心掛けていたのだった。 選挙参謀のローヴも、ブッシュのエリート的な背景が目立たないように配慮し、ポピュリス トに見せかけるよう腐心していった(Shogan, 2007: 302)。ブッシュ自身、キリスト教福音主義 の信仰からいっても、道徳や家族などアメリカの伝統的な価値観を重視しており、熟慮よりも 自らの信念に基づいて「本能」的に判断するのを好んだのである。
ブッシュは、政治的な方針の立て方でもクリントンと対照的だった。クリントン政権では、 どう争点を扱えば政権への支持が高まるかを重視して、フォーカス・グループ による調査を多 用し、その都度人気のある政策を打ち出す変わり身の早い手法を取っていた。 それに対して、ブッシュ政権は、他の政治家やメディアによって情勢がいかなるものかを解 釈されて、受身の対応を迫られるのを嫌い、絶えず自ら情勢判断の主導権を確保するよう、先 手を取る方針を追求していく。そのために道徳的な意味合いの明確なヴィジョンを打ち出し、 その方針を一貫させて、何度も繰り替えして周知徹底させる手法を取ったのである (Skowronek 2005: 812–820)。 2001年9月11日のテロ事件は、1990年にイラク軍がクウェートに侵略して世界経済最大の 原油供給地たるペルシャ湾岸が危機に晒された際に、最大の産油国サウジ・アラビアを防衛す るためにアメリカ軍が駐留を開始したのに反発したイスラム過激派アル・カーイダが、惹き起 こしたものだった。アル・カーイダは、イスラムの聖地があるサウジ・アラビアに異教徒の軍 隊が駐留するのは、神への冒涜だと激しい憤りを表したのであり、「文明の衝突」の典型的な例 だったといえる。 他方、アメリカが軍事的にも介入したのは、何よりもグローバル化した世界経済の戦略的な 資源を確保するのが目的であり、その意味でグローバル化がもたらした新たな危機に取り組む 覇権国としての役割を担ったのだといえよう。ペルシャ湾岸諸国に原油の供給をほぼ全面的に 依存する日本が、130億ドルもの「小切手外交」を迫られたのはそのような事情に基づいてい た。 9.11テロ事件は、ブッシュの支持率が政権発足以来低下し続けていた中で起きた。それまで マスコミは、ブッシュの発言の不正確さや知識不足を取り上げて、大統領としての力量に疑問 を投げかけていた。そのような状況の中で、ブッシュはウォールストリートの世界貿易センタ ー双子ビルとワシントン郊外の国防省という、アメリカの金融と軍事の文字通り中核が攻撃さ れた前代未聞のこの国家的な危機に直面して、大統領の責任を改めて痛感し、国民の不安を解 消すべく断固たる姿勢を打ち出したのであった。それは彼の信仰のなせる業でもあり、「私は 神のみ手の中にいる(‘I’m in the hand of God.)」と感じていたのである(Bacevich & Prodromou, 2004: 49)。 事件発生後、ブッシュは安全保障問題の経験がなかったにもかかわらず、自ら主導権を発揮 する決意を固めていった。彼は側近のヒューズやスピーチ・ライター、マイケル・ガーソン (Michael Gerson)と相談しながら、演説の草稿を独自に練り上げる作業を続けた。ガーソン はグラハムも卒業した福音主義の神学校出身であり、演説に福音主義の言葉も散りばめなが ら、道徳的に明確な方針を力強く表明する草稿を用意したのである。 ブッシュは、9 月 20 日に連邦議会の上下両院合同委員会で行った演説で、「テロとの戦争 (War on Terror)」を正式に宣言し、この戦争はアル・カーイダだけではなく、すべてのテロリ スト・グループを根絶するまで続けると、長期戦になる覚悟を説いた。それに伴い世界各国に も、アメリカの側につくのかテロリストの側につくのかと厳しく選択を迫り、テロリストを支
援する国家も敵対勢力とみなすブッシュ・ドクトリンを突きつけたのである。 この演説は、冷戦の開始を宣言したトルーマン・ドクトリン同様、世界情勢を善悪二元論で 割り切って描くポピュリズムの言説を駆使していた。自由の祖国アメリカは、自由なゆえに、 「邪悪な(evil)」アル・カーイダ等のテロリストの攻撃に遭ったのであり、テロリストとの永久 戦争を戦い抜くことこそ、アメリカの使命であると唱えたのであった。 ブッシュが断固たる方針を打ち出したことによって、支持率はこの演説の直後に史上最高の 90%を記録した。このような世論の劇的な変化は、メディアの報道姿勢の変化によっても増幅 されていた。CBS のダン・ラザー(Dan Rather)やABCのピーター・ジェニングズ(Peter Jennings)といった、テレビの著名なニュースキャスターが、いずれも国家的な危機と見てブ ッシュ政権の声明を批判せずにそのまま報道し、報道機関の中には政権批判を招く恐れのある ニュースを、自主規制するところもあったのである(Jamieson & Waldman 2004: 149, 137 – 138, 150 )。 9・11テロ事件を境に、ブッシュは偉大な政治家に変身したとも評されたが、実際にはメディ アの方でもブッシュに敬意を表し、アメリカ人がブッシュにそうあって欲しいと切望する大統 領の資質を投影した面が多分にあった。星条旗が飛ぶように売れて愛国主義が高まり、政権へ の批判を許さぬコンフォーミズムの風潮になっていったのである。そうした中でブッシュ政権 は、テロ対策を目的にして、人権や自由を制限する愛国者法を制定したのをはじめ、アフガン 戦争の捕虜に国際法が保障する処遇を認めない措置まで取ったのだった。 10月7日に開始したアフガン戦争が予想以上に順調に進む中で、ブッシュは大統領としての 責任を、アメリカへの攻撃の危険を消滅させるには世界平和の実現が必要だと見る、壮大な使 命感へと膨らませていった。自らの目標も、南北戦争という国家的な危機を克服した、エイブ ラハム・リンカン(Abraham Lincoln)に匹敵するものと考えるようになったのである。しか し、彼は国連や他の国と交渉しなければならない国際協調をわずらわしく感じており、アメリ カが率先して単独ででも行動を起こせば、他の諸国も追随すると想定していた(Woodward 2002: 282)。 9・11テロ事件が起き、ブッシュ大統領が高い支持率を獲得したことで、政権内外のネオコン ら対外強硬派は、91年の湾岸戦争以来懸案になっていたイラクのサダム・フセイン(Saddam Hussein)政権の転覆など、長年の懸案を一挙に解決できる好機が訪れたと歓迎した。アフガ ン戦争が短期間で勝利する見通しが立ったことで、ブッシュも懸案だったイラク問題の決着の ときが来たと判断したのであった。 11月にはアル・カーイダの拠点から核兵器の「汚い武器」の製造チャートが発見されことに より、ブッシュや政府高官は国際テロリストの核兵器によるアメリカ攻撃に、不安を一層募ら せていった(Woodward 2004: 45–48)。彼らは、国際テロリストがイラクと提携して核兵器を 取得する危険を、以前にも増して深刻に考えるようになったのである。 ブッシュはイラクの民主化にも強い関心を抱くようになっており、2002年1月の一般教書演 説では、イランや北朝鮮と並んでイラクを敵視する「悪の枢軸」という言葉を使って、イラク
との対決方針を公にした。この演説は国際的には挑発的だと批判されたが、歴代大統領の演説 の有名な表現を散りばめており、アメリカ国内では圧倒的な支持を集め、「気高い演説(noble speech)」とも「感動的な言葉(galvanizing words)」とも評された(Dubose, Reid & Cannon 2003: 218–219)。ブッシュ政権は、それに次いでこの年国際法に公然と挑戦する先制攻撃戦略 も、採択するに至ったのである。
その理由は、ブッシュが今やアメリカが帝国になって、軍事力を行使してでも世界を主導し ていくべきだと考えていたからだった。「我々は、今や帝国だ。我々が動けば、新たな現実が生 まれる……我々こそ、歴史を作る存在なのだ。(We’re empire now, and when we act, we create our own reality... We’re history’s actors..,)」とも、語っていた(Suskind, 2007)のである。
ジェイムズ・べイカー(James A. Baker)元国務長官やブレント・スコウクロフト(Brent Scowcroft)元安全保障担当大統領補佐官といった、ブッシュの父親の政権高官だった人達が、 ブッシュ政権がイラクへの開戦に踏み切るのを懸念して反対の声を挙げる中で、ブッシュ政権 はテロリズムの危険を強調するキャンペーンを続けた。その作戦が功を奏して、2002年11月 に中間選挙を控えた連邦議会は、上下両院ともにイラクとの開戦を容認する決議を採択したの であった。中間選挙でも大統領与党が議席を失う長年の慣例を破って、共和党は史上例外的な 勝利を収めた。それは、民衆の支持の下で大統領が優位に立ち、大統領の戦争権限を牽制すべ き連邦議会の民主的な機能が麻痺してしまったことを意味していた。 ブッシュ政権は、国連安全保障理事会でイラクによる大量破壊兵器保有の査察の継続を主張 し、開戦に反対するフランスやドイツをものともせずに、フセインの独裁政からイラクを解放 して民主化を達成すると、ポピュリズムの言説を用いて開戦を正当化しながら、戦争準備を 着々と進めていった。ブッシュ政権は、イラク人亡命者が提供する情報をもとに、アメリカ軍 が攻撃すれば、イラク国民が解放軍として歓迎すると考えていたのだった。 2003年3月にブッシュ政権がイラク攻撃を断行したとき、アメリカで開戦を支持する世論は 68%に上り、四月初めには76%へとさらに上昇した。その一端の理由は、フセインが9・11テ ロ事件に関与したと受け取られていたからであり、世論の53%がそう考えていた。そうした誤 解は、ブッシュやディック・チェイニー(Dick Cheney)副大統領などの政府高官がフセイン の関与とは言わないにしろ、同じ演説でテロ事件とフセインの両方に言及することが多かった ことにもよっていた。 イラク問題やイラク戦争についての世論の事実誤認は、保守的なフォックス・ニュースの視 聴者が 81%、CBS71%、NBC と CNN で 55%といずれも過半数を超えており、公共放送の NPR/PBSの視聴者だけが辛うじて過半数を割っていた。教養層しか国際的に正確な知識がな く、世論がマスコミに増幅された劇場政治に席巻されているのは明らかだった(Harper & Clarke, 2004)。 イラク戦争が短期間でアメリカの勝利に終わったとはいえ、事前の占領計画が不十分だった うえに、フセインの率いたバース党員が中核を占める国家機構まで解体したことから、バース 党員の反発を招き、イラクは内戦状態に陥ってしまった。チェイニーやドナルド・ラムズフェ
ルド(Donald Rumsfeld)国防長官ら政府高官が、イラク人亡命者からの不正確な情報を信用 して、情勢判断を間違ったのがその主たる理由だった(Woodward, 2006)。 翌2004年の大統領選挙の年には、さらに4月にイラクのアブ・グレイブ刑務所で、イラク人 捕虜がアメリカ兵によって虐待されていた事実が明るみに出た。ブッシュの支持率は低下の一 途を辿り、11月の選挙前夜には50%前後に落ち込んで、再選も危ぶまれたほどである。しか し、結果的には、ローヴが指揮した、共和党の潜在的な支持基盤である福音派教徒の票を掘り 起こす選挙戦略が功を奏して、ブッシュは過半数の得票を獲得して再選を果たしたのである。 他面、ブッシュ政権には、自ら演出した劇場政治の虜になって抜け出せなくなり、情勢に合 わせた政策選択の可能性が狭められてしまうという、ポピュリスト的な大統領政治の陥穽も見 られた。大統領政治の指導的な研究者スティーヴン・スコウロネク(Stephen Skowronek)が 指摘するように、情勢判断の主導権に固執するリーダーシップの場合、情勢が変わって交渉に よる解決などの別の選択肢が生じても、臨機応変に対処しにくい傾向がある。 またブッシュのように、判断するのに熟慮でなく、本能に頼るのが好きな指導者の場合には、 自ら予想しない情勢の変化を的確に捉えられないという、弱点が伴っているとも指摘される (Skowronek, 2005)。これもまた、大統領の劇場政治が、現実から遊離した表象の世界を作り 上げることの帰結であると見ることができよう。
おわりに
ブッシュ政権が推進したアメリカの帝国主義は、9・11テロ事件で直面した国際テロリズムの 対策を目的にしており、グローバル・ガヴァナンスの要請に応えるものでもあった。しかし、 それをきっかけに長年の懸案だったイラク問題も一挙に解決しようとし、アメリカ単独ででも 取り組もうとしたことから、国際秩序の確保を担う覇権国というよりも、軍事力の行使も辞さ ない帝国への道を突き進んだのである。しかも、国内でその帝国主義を正当化するために、ブ ッシュ政権はポピュリズムの言説を駆使して、本稿が「ポピュリスト帝国」 と呼ぶような様相 を呈したのだった。 しかも、ポピュリズムの言説さながらに、イラクに独裁政を布くフセイン政権の追い落とし を重視するあまり、ペンタゴンやCIAの抵抗を押し切って、強引にイラク戦争を敢行した。そ の帝国主義は、中東地域の安定化というグローバル・ガヴァンナンスの壮大な目標を掲げてい たものの、イラク人亡命者というディアスポラの特殊な利害関心にも応えた面が多分にあり、 周到な計画を立てることなく、イラク人亡命者が提供する情報に頼りすぎていた点で、投機的 な企てという性格が強かったのである。 ブッシュ政権が、武力行使によって民主化を達成した先例として、第二次世界大戦後の日本 と西ドイツ両国の占領の成功を挙げたことにしても、日本や西ドイツには戦前に民主化した経 験があり、アメリカが行ったのは民主主義の再生だったといえる。イラクの場合は、それと違 って歴史的に民主政の経験がなく、民主化を実現するための国内条件が決定的に違うことを、 ブッシュ政権は十分見極めていなかったのであった。そのうえ、イラク戦争を強力に唱えたネオコンには、イスラエル政府にも近いユダヤ系の人 物もおり、彼らはグローバル・ガヴァナンスというよりも、イスラエルの安全保障を偏重する 傾向があった。イラクの「体制変革」 を通じて中東の安定化を図るという構想も、もとはと言 えばイスラエルの政治家が主張していたものでもある。そのようにブッシュ政権が掲げたイラ クの民主化という「普遍的な」理念も、イスラエルの利害関心を色濃く帯びていたのであった (Mearsheimer & Walt 2007: 215)。
ブッシュ自身、ネオコンの影響を強く受けたチェイニーやラムズフェルドの助言を尊重した のに加えて、国際的な協調を嫌って共和国の中核たる熟議を重視せず、イラク戦争の行方に関 しても、自ら慎重に考慮して確実な見通しを持つべく準備するのを怠っていた。ブッシュは、 経験や知識で鍛え上げた見識に基づいて的確に判断する深慮というよりも、自らの信念を頼り に本能で押し切ろうとする、ポピュリスト大統領の欠陥を露呈させたと言うことができよう。
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本稿は、Igarashi, T. (2009), “The populist empire in the global age: The democratic ideal and imperial reality in American foreign relations,” University of Tokyo Journal of Law and Politics 6 を編集のうえ、翻訳したものである。