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「国家」と「国民」の間 : ヘーゲル『ドイツ憲法論』における近代国家の構図

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(1)「国家」と「国民」の問 ヘーゲル『ドイツ憲法論』における近代国家の構図 坂. -Zur. じ. め. 清. 子. 〃Staat‖ und 〃Nation" ldentit凱beim jungen nationalen Kiyoko. は. 本. Hegel-. SAKAMOTO. に. 1989年から90年にかけてのいわゆるドイツ「統一劇」に際して,これを激しく前へ駆 り立てたのは「我らは一国民(WirsindeinVolk)」1)という叫びであった。戦後の40年 間, 「ドイツ国民」という語は歴史の重荷を背負い,それ相応に慎重に使用されてきたこ. とはいまさら確認する迄もない。ところがそうした取り扱い注意のいわば劇薬は,今だ なお即座に活性化され得るものであった。すなわち「国民」という概念が瞬く間に再び 現実を突き動かす理念へと変容し,もはや一握りの保守思想家によってではなく大衆に よって国家統一の根拠としての機能を担わされていったのである.およそ一国民「だか ら」一国家であるべきだという論理は,根源的・自然的なものなのであろうか。そうし た思考の回路はどのような思想基盤の上に立っているのであろうか。 こうした問いを思想史的に検証する試みの一つとして,本論文では,. 「ドイツにおける. 最初の近代権力国家論」2)とされる--ゲルの初期の政治論文『ドイツ憲法論』を取り上 げ, 「国民」と「国家」の概念的連関とその機能を見直してみたい。この政治論文はドイ. ツにおけるフランス革命-の幻滅と,続く革命戦争の時代に,ドイツ帝国が名目だけで なく実質的に統一することの必要性を唱えて書かれた近代国家論である.具体的にはヘ ーゲルは,. 1799年から1802年まで断続的に執筆しており,時期的にドイツにおける19世. 紀ナショナリズム前夜の段階に位置している。以下ではこの国制諭を材料に,フランス 革命以後国民主義には至らないまでも,知識人の間で確実に何らかの意識の変革が起き 「国民」といった概念の微妙な関連を再構成するつもりである。 ている時期の「国家」, 『ドイツ憲法論』の国家理念を考察するにあたっては, --ゲルが非常に高く評価し, 国家を論ずる際の範ともしているマキアヴュリの『君主論』にも目を向け,必要に応じ て比較考量してみたい。言うまでもなく,. --ゲルから時代を遡ること300年ものマキア ヴュリのテクストをその時代的,地理的な相違を無視して単純に対比することはできな いoしかも影響という点から見れば,当時--ゲルはマキアヴェリのみならず,カ ント J.D.スチュアートの国民経済学,一部にロマン主 をはじめとする啓蒙思想やA.スミス,.

(2) 2. :坂. 本. 清. 子. 義,批判的態度で自然法思想などに触れており,ルカ-チも指摘するとおり,一つ一つ の影響関係を特定することは難しい3)。しかしヘーゲルが18世紀末のドイツをマキアヴュ リの時代と類似性から観察し, 『君主論』の政治的態度を自らの国家論に取り入れようと している態度も彼の文章において明白である。むしろマキアヴュリとの対比で『ドイツ 憲法論』を検討することによってはじめて,マキアヴュリを範として受容しながら実は マキアヴェt)から決定的に離脱していたヘーゲルの国家理念の逆説的な-しかも「国 民」概念との関わりでは極めて重要な-一倍fJ面も抽出することができると思われる。し たがって本論文ではヘーゲルの議論を様々な影響者に分配する作業を多少犠牲にし,ま た時間的地理的相違という保留付きで,あえてマキアヴュリとの対比を行なうことにし たい。. そもそもヘーゲルがマキアヴュリを高く評価したのも,. 『ドイツ憲法論』を草したのと 同様にそれに見合う時代の洩れがあったからであるから,本論文ではヘーゲルの国家概 念の検討に入る前に,まずそうし・た時代の背景の中にヘーゲルを位置付けておくことが 必要だと思われる(第1章一1)。次にヘーゲルのマキアヴ土りに対する高い評価と、マ キアヴェリの思想と合致しようとするヘーゲルのスタンスとを確認しておきたい(第1 章一2)。それらを前提としてヘーゲルの国家論を「国家」の概念,国家の与える「自由」 の意味, 「君主」の働き,. 「国民」の概念という4つの視点から考察してゆき,マキアヴ. エリを範としているつもりで実はそこから決定的に離脱していった理論の図式を取り出 す予定である(第2章一1-4)0 第1書. 時代の流れの中で. 1)ドイツ憲法論の成立状況 フランス革命後のドイツでは,多数の領邦国家に分立している「ドイツ国民の神聖ロ ーマ帝国」の現状を何かの欠如あるいはF.-ルトゥングの言う「帝国国制の欠陥」4)とす・ る意識が頓に顕著になっていた。ウェストファリア条約(1648年)によって帝国等族 (Reicbsst馳de)が国家主権を獲得してドイツの小国分立体制が法的に固定化されたとい う事実だけでなく,意識の上でも郷土や領邦のレベルを超えた何か「全体」を喪失して いるということが認識されたのである。そうした「欠如」には,知識人たちによってさ まざまな表現が与えられた。例えばCb.M.ヴイ-ラントは,この欠けたるものを「愛国 心」と表現した.フランス革命に関する一連の論文集の中の「ドイツの愛国心について」 と題する論文において,彼は次のように言っている。 おそらく,いやむしろたしかにプロイセンの愛国者はあるいはザクセンやバイエ ルン,ヴュルテンペルク,ハンブルク,ニュルンベルク,フランクフルトの愛国 者といったものは存在するであろう。しかし,全ドイツ帝国を自分の祖国として しかもすべでの何よりも愛する,ドイツの愛国者はどこにいようか。すなわち, ただドイツ帝国の維持や共通の敵に対する防衛を行うのみならず,危険が去った 後も帝国の安寧のために(--)多大な犠牲を捧げる覚悟ができている愛国者,.

(3) 3. 「国家」と「匡L民」の間. そのような入時どこにいようか5). この引用には,愛国心が領邦レベルではなく「全ドイツ帝国」を範囲にして考えられて いることがよく見て取れる。,この種のいわゆる拡大「愛国心」は,ナポレオン支配下の 時代にはフィヒテやアルントといった人物によって政治的エネルギーとして頻りに鼓舞 されてゆくが,この文章が書かれた1793年の時点ではまだそのような気運はなく,文化 的視点からする「欠如」の意識と並行して存在する現実認識にとどまっていた。文化的 な欠如として,例えばゲーテはドイツには文化的な「中心」がないと表現している. 「一つの方法で」 「一つの精神をもって」それぞ ドイツには,作家たちが集まり, れが自分の領域を完成できるような,社会的生活教養の中心点がどこにもありま せん6).. 当時ドイツの小国の領主達は文学的な発展を政治意識の高揚・に利用しようと骨折っては 失敗していたとされるが7),ゲーテも上のように言ったとしても政治的な発言を行ってい るわけではなかった.ゲーテ自身の言葉で,. 「ドイツに古典的作品を生み出す素地になるか. も知れぬからといって,わたしたちは革命(Umw良1zungen)を望もうとは思いません」8)と 明確に政治的変革から切り離されている。 さらに,ヘーゲルが問題視した「欠けたるもの」とは,. 「国家」であった。彼は次のよ. うな論文の書き出しで,ドイツの現実に対する厳しい批判を開始する。 ドイツはもはや国家ではない9)。 革命の後,外国に対して侵略勢力と化したフランス軍と戦ったドイツには,帝国の軍隊 がある「はず」であった。諸侯は分担出兵し,本来「ドイツの住民の数の多さとその戦 (486)をもってすれば帝国の軍隊は強 闘的才能,その領主達の流血をも辞さなぃ覚悟」 力な機能性を発揮することもできたであろう。ところが現実は,諸侯が和合する最後の チャンスと目された諸侯同盟は大国プロイセンに利用され,オーストリアはそのプロイ センと権力対立を続け,そして小勢力の帝国等族らはその時々に自国の利益の擁護を求 めて浮動するという有様を呈した。対仏同盟戦争の経過においてプロイセンが単独でバ ーゼル和約を結び,オーストリアがカンポ・フォルミオの和約を締結し,さらにラシュ タット合議の泥沼に入っていった蘇末はドイツ帝国を自己解体へと追い込むものでしか なかった..ドイツの「防衛のために」したはずの戦争が自らの「内臓を引きちぎる」 結果にな.ってしまう現状,これがヘーゲルのいわゆる「国家ではない」状態であったo このような認識を待ったのは,もちろん--ゲルが最初ではない。すでに18世紀半ば すぎにF.C.Ⅴ.モーザ-は「ドイツの国民精神について」という論文において領邦エゴイ ズムを批判し,. 「国民精神」の再生,すなわちドイツ帝国全体を「祖国」と意識する「祖. 国愛」を求めて次のように言っている。 ベルリン人がウィーン人を,ウィーン人が-ノーファーを,ヘッセン人がマイン. ツを自らの祖国として重視し,愛し,尊敬の意を抱くようになれば,彼らはどん なにか幸福に,平穏に見えることであろうか10)0 モーザ-はこれが皇帝への権力集中によって実現されると考えるのに対し,ヘーゲルは. (488).

(4) 4. 坂. 本. 清. 子. 似たような現状認識に立ちながら,近代国家の構図を示そうとしたoこれが後の時代の 目から見てヘーゲルの新しい業績と言うべき点であろう。 『ドイツ憲法論』の全体は大きく四つの内容に分けられ,まず「国家ではない」とされ る現状の叙述,つぎに国家の概念規定,第三に圧倒的なページ数を割いて国家が解体し た原因の歴史的考察,そして最後に短く国制改革への捷案という構成になっている。本 論文では古代以来の歴史的反省や現状の糾弾よりもむしろ理想として掲げられている部 令,つまりヘーゲルの描いた近代国家の構想を重点的に取り上げるつもりであるo 2)マキアヴェリとの結びつき 前章にも述べたような認識がヘーゲルの『ドイツ憲法論』の出発点であった以上,時 代は違っても,同様に小国分立の状態で全体としての機能が麻輝していたイタリアに類 似性を感ずるのも,またそうした現実に対して国家統一の必要を主張したマキアヴェリ. を高く評価するのもある程度まで儲けよう。ところが,ヘーゲルのマキアヴュリへの入 れ込みは単なる「評価」にとどまるものではなかった.中世には激しい嫌悪を受けたり, まともに相手にされなかったりしたこの『君主論』は,スピノザによる肯定,. 18世紀に. なってヘルダーによる評価を経て,次第に位置が高くなってゆく。そしてヘーゲル,フ ィヒテを経て,「マキアヴュリはドイツで19世紀初頭以来名書を回復した」11)。こうした流 れのなかに位置したヘーゲルはそれでもマイヤーの言葉を用いれば「この動きの中でも 特別なラディカルさで抜きんでている」12)。 ヘーゲルは自身マキアヴェリの受容史を踏まえたうえで,マキャベリが不当に扱われ ていることに反対する.例えば「マキアヴェリズム」という語がそれだけで非難の言葉 として使われてきたことを嘆き,フリードリヒ2世が王子の時代に書いた「反マキアヴ ュリ」という論文の「誤解と憎悪」を噸芙的な調子で批判し,この書物を「冗談であり 風刺である」とする人々に呆れてみせるという具合である(558)。これに対して,ヘー ゲルはマキアヴュリを「極めて偉大且つ高貴な感性を備えた純粋な政治的頭脳」. (555) であると着じるのであった。彼はマキアヴュリの業績の歴史的意義を次のように述べる。 マキアヴュリの作品は,彼の時代に対して,また彼自身の信念に対して,政治的 破滅に向かって急ぎつつある民族の運命が天才によって救済され得るということ の偉大なる証明を与えたものである。. (557). ヘーゲルは18世紀末のドイツにおける政治的状況を「民族の運命」の-展開と見て,マ キアヴュリの時代のイタリアのそれに重ね合せていた。その他のヨーロッパ諸国が既に 国家的統一を成就していたことを挙げて,これに対するドイツとイタリアの共通性につ いてヘーゲルは次のように述べる。 これに対して,他ならぬイタリアはドイツと同じ運命の行程を辿った。ただ,イ. タリアにはすでに以前からかなり進んだ文化があったので,その運命は,ドイツ が現在真っ只中にあって直面している展開にまでもっと以前に至ってしまったの である。. (551).

(5) 5. 「国家」と「国民」の間. 300年遅れてやっとマキアヴェリの時代に追いついたドイツの政治的現実は既に述べたと おりであるが,ヘーゲルはマキアヴェリの歴史観に倣って,この悲惨こそ国家統一によ 『君主論』の論理を簡単 って民族の「運命」が救われる好機であると解釈し直しでゆく。 にまとめてみると,マキアヴュリは,一人の君主が国家統一およびその維持という事業 を成し遂げるときには,二つの要素が相補的に整っているものだとする。すなわち君主 自身の「徳(virtu)」と,下界や歴史が作り出す状況としての「運命(fortuna)」である 13)。マキアヴュリはまず,両者のうち「運命」よりむしろ「徳」のほうを頼みにするべき だと勧めている。そうした「徳」による君主の中でも卓越した人物として,ペルシア王 キュロス,聖書中の人物モーゼ,ローマ建国の祖とされるロムルス,アテナイを統一し たとされるギリシャ神話中の人物テセウスの名を挙げて,その行動の形式を次のように まとめるo. 彼らの行動や人生を吟味すれ■ば,みな運命からはただ機会(occasione)のほか何 も受けなかったことがわかる。そしてその機会は彼むに思い浮かんだ形を刻印す ることができるような材料を与えた。こうした機会がなければ,彼らの志操の徳 は麻樺していたであろうし,またそうした徳がなければ,その機会はやってきて も無駄であったろう14). っまり,君主の事業はもちろん君主自身の「徳」によるものであるが,それでも最低限, その「徳」が引き出され,発揮されるペき前操や地盤としての「運命」が必要だという ことである。しかもマキアヴュリはその「運命」を,決して順風とか明るい雲行きのこ ととは考えていなかった。例えば上に挙げた人物のうちヘーゲルがあとで取り上げるテ セウスも,「もしアテネの人々が散り散りばらばらに暮らしているのでなければ,その「徳」. が証明されることはなかったであろう」15)ときれているoマキアヴェリは『君主論』の最 後の章で,君主に対して今こそイタリアの救済のために立ち上がるように呼び掛けてい るが,そのタライマ.)クスで再度,上に挙げた人物の名前を登場させて「徳」と「運命」 の関係を思い出させている。そしてイタリアにとって「運命」の熟したことをうぎのよ うに説くのである。 それだから現代においてもやはり,ひとりの重要なヰタリア人の徳を有効にさせ るためには,イタt)アは目下の状態のような最後の段階にまで至らなくてはなら (--)アテネ人よりも分裂しな なかった。イタリアはユダヤ人よりも抑圧され, ければならなかった。指導者も法秩序もなく打ちのめされ,掠奪され,引きちぎ られて敵に踏み胴られ,あらゆる壊滅状態に苦しんでいなければならなかったの である16)。. 現下にある悲惨を理想実現のための歴史的必然とするマキアヴェリの歴史哲学に強く感 銘を受けたヘーゲルは, 『ドイツ憲法論』で上の引用を含む, 『君主論』の最後の章を長々 と引用し,ヘーゲル国家観の核心,すなわち「真剣なことがらの真理」. (554f)をここに. 読み込むのである。 ヘーゲルがマキアヴュリの理論と態度とを18世紀末のドイツに翻案しようとした態度.

(6) 6. 坂. 本. 清. 子. を,例えばかソシーラーは次のように要約している. 彼は,. 19世紀におけるドイツの公的生活とマキアヴュリの時代におけるイタリア. の国家生活との間に正確な平行性があるのを認めた。新たな関心と新たな野望と が心のうちに目覚め,彼は第二のマキアヴュ1)一自らの時代のマキアヴェリたら んことを夢みた17)。 「自らの時代」の必要からマキアヴュリを取り入れようとし,近代国家の権力装備の必要 を揚場していったドイツ人としては,ヘーゲルはマイネッケに従えば「最初の一人であ り,おそらくはもっと強い精神をもった人物」18)であったoそうしたヘーゲルが『ドイツ 憲法論』で示した国家理論の特徴をへラーは次のように結論付ける。 いずれにしても我々は,ドイツにおける最初の近代権力国家論が当時の自然法の 潮流からは全く影響を受けていなかった,マキアヴュリのルネサンス政治に繁属 している(anknupfen)ことが確認できるのである19). たしかにヘーゲルはマキアヴュリを範とするがしかし,上のようにまで言い切れるかど うかは疑問である。ヘーゲルの表した「国家」と「国民」の関係は,マキアヴュリを受 容する過程でわずかずつ,しかし最終的には決定的なずれを見せていたのではないだろ うか。そうした相違こそは,変革されつつあった知識人の意識に対応した新しい時代の 思考を生み出す素地を形成したのではないだろうか。次の章ではヘーゲルの国家概念の 構成を検討しながら,マキアヴュリとの近さと距離とが交叉する地点を探ってゆくこと にしたい。それにノよってさらにヘーゲルの「国家」,. 「国民」そして「君主」の関係につ. いて考察を進めてゆくつもりである。 幕2♯. rドイツ*法輪』における近代国家の図式. 1)国家の概念 ドイツの「国家ではない」状態を「犯罪」. (556)と断ずるヘーゲルは,国制改革への. 揚言を国家の概念規定から始める。彼は「国家」の要素を国家概念にとっての重要性に 従って,大きく二つの領域に分けて考えているoすなわち一方は一つの.r近代国家」存 立のために必然的(notwendig)な,国家権力が直接掌握していなくてはならない要素, 他方はそれ以外の偶然的(zufallig)な要素である. まず,およそ国家は次のように定義されるo 一つの人間多衆(Menscbenme喝e)は,その全財産を共同して防御するために結 合しているときにのみ,一国家と称することができる。 (472)20) ここからすぐに読み取れるとおり,ヘーゲルの考えた国家の機能は第一に「防衛」,つま り自らの財産を侵そうとする外敵から結束して身を守ることである。、この機能を果たす ために「共同の軍隊と国家権力を作ること」. (473)が不可欠であるとされる.この「軍 隊」と「国家権力」という二つの要素のみが国家の「必然的」な要素だということにな る。. この点では,マキアヴュリが国家権力をその人格に体現させる君主に負わせた機能と.

(7) 7. 「国家」と「国民」の間. 共通している。マキアヴェリも,. 「よい軍隊」によって「攻撃と防御」を完全にし,国家. を維持することが国家の第一の基礎であるとした21).そのために国家権力を体現する「君 主」の機能も次のように限定的に規定されているo 君主は,戦争とその規則,規律のほかには,いかなる目的もいかなる考慮もいか なる技術も持ってはならない22)。 ヘーゲルは,国家概念のもう一方,つまり国家にとって偶然的あるいは悪意的だとされ るもの全ては国民に任されるという.具体的には,マキアヴュリの「君主」にあたる「権 力者が一人であるか複数であるか」という政体の問題や,市民的権利の「平等」が存在 するか否か, 「司法」・ 「行政」の形式,あるいは(これについては次節で取り上げるが) 「偶然」の領域に含められている。の 国家運営の基盤になると思われる「税制」できえ, みならず, 「国民(Yolk)の結合のかつての基礎杭」. (477)とされる「風俗と教養と言語」. の同一性もーもちろんそれらの要素自身は重要とされながらも11馬然的なものに数 えられているoさらには「宗教」もなくてもよい,いや.もっと積極的に,国家権力から 明確に分離すべきものと位置付けている(478f)。そうすることによってヘーゲルは「国 家」を文化的・宗教的共同体という性格から切り離し,客観的で制度上の「法的結合」 としての「近代国家」の概念を提示することになった。 もちろん,国家の「偶然的」要素を列挙して「国民の自由」に委ねると強調した背景 には,特に啓蒙絶対主義という具体的な敵もいた。フリードリヒニ世のプロイセンと・ ヨゼフ三世のオーストリア,そして時代は下って目下のフランスを念頭において,ヘー ゲルはJ.冗.G.ユステイ等当時の啓蒙絶対主義者の用語を使って次のように断ずる¢ 新しい,部分的には既に実行されてもいる理論で,国家というものは,ただ つ のバネをもった機会であって,そのバネが無限にある歯車装置の残りの総てに運 (481)23) 動を伝達するものであるという理論は,根本的な偏見である. これに対して,国家権力の統率範囲を必然的なものに限定して偶然の領域に数えられた (474)にとっ 「国家の平安と政府の安泰と国民の自由」 ものを国民の手に委ねることは, て極めて重要であるとする。そしてその自由を認めることは,認めない国家に比して国 「国家の自由」はどのようにして「国家 家をr無限に」強力なものとするとも言う。が,. の平安と政府の安泰」に繋がるのであろう丸また,この「自由」を鍵にヘーゲルが国 家の概念から削ぎ落とした文化的共同体という側面は,既に-ルダー以来現在に至るま でしばしば「国民」概念の内容ときれてきた側面である。ヘーゲルの「国民」はこれと どのように区別されうrるのであろうか。 2) 「自由」の三つの意味と「国民」 『ドイツ憲法割においては「自由」という諦がかなり頻繁に用いられている。上で述 べた,国民に与えられる領域という意味でだけでなく,別の分脆においても中核をなす 概念として使われている。ここではさらに二つの意味の「自由」を取り出して三つの意 味を比較してみたい。.

(8) 8. 二坂 本. 清. 子. 第一は,ドイツを「国家ではない」状態に密ちした原因としての「自由」概念である。 ヘーゲルの議論に従って整理してみると以下のようになろう。ドイツ国法が解体した原 因をヘーゲルはまず「ドイツ人の自由への衝動」 (465)の中に見る.そしてこの自由は ゲルマニア時代の「古きドイツの自由」・(466)に端を発するものとされる。当時の人々 は,自身とその一自身から区別されない一所有物のためにのみ生活し,行動していた. このように言ったからといって自然状態のようなものを考えていたわけではない。社食 契約による自らの制限という発想もなく,ただ現実にト頭の雌牛」のために生命をも かけてしまうような極端な行動の連続から,偶然の所産として各支配圏が形成されてい (467)が最初の「ドイツの自由」と呼ばれている。その ったoこうした「我儀な行為」 後の鮭史において,領邦が封建制度や代議制度といった原理に従って国家権力と関係を とり結ぶ可能性があったにもかかわらず,彼らは「普遍的なものから個別者の独立性と いう自らの原初的な性格」. (537)にのみ従った結果,全体が解体してしまったというわ. けである。. これに対して国家権力が与えるとされる第二の「自由」は前祐で言及した,行動や裁 量の「余地」としての自由であるoヘーゲルが次のようにその「自由」を叙述している. 普遍的な国家権力が自分に必然的なものだけを個別着から要求し,そうしてこの 必然的なものが実行されるのに必要な範囲にのみ措置を限る場合には,その他の 点では国家権力は国民に生き生きとした自由と自発的意志とを許すことができる し,また彼らの意志に相当大きな活動範囲を与えることさえできる占(474) そうした「活動範囲」として前節で列挙したような領域,より具体的には法律や法手軌 度量衡,貨幣,行政の形式,課税の方法,そして習俗や教養,言語,宗教といったもの を国家権力によって統制せずに各等族や個人の裁量に任せるのである。 このような「自由な余地」. (479)は先にも言及したとおり,啓蒙絶対主義への批判か らくる構想でもあり,それ自体としては意義を認めるが,我々はここで些かの疑念を抱 かないわけにはゆかない.すなわち,いかにして「自由な余地」と統一国家権力が両立 し得るのかという疑念であるoあるいは,ドイツ帝国が全体からの分離への衝動を意味 する「ドイツの自由」のために解体したならば,例えば行政の形式や魂税の方法までも 個々の等属に任せてしまって果して全体としての国家が維持できるのであろうか,とい う疑問である。ドイツ人の「原初的性格」とされた「ドイツの自由」は変化をきたすの であろうか。国家権力と自由の両立に関するこうした問いは,ヘーゲル哲学の発展を社 食哲学的視点から再構成したF・ビュロウも立てており,これを近代国家の核心の問題と 捉えている.が,ビュロウ自身はその筈えとしてW.Ⅴ.フンボルトやアダム・ミュラーの 名を挙げて影響関係に言及するにとどまっている24)。ここではむしろヘーゲル自身のテク ストからこの間いに対する解答を読み取る試みをしてみたい。 「ドイツが国家になることによって,すべての部分(Teile)が利益を得る」 るヘーゲルはこうした余地としての「自由」の「有益性」について3つの点を指摘して. ∫(580)とす. いるo第一に国家にとって財政的な利点があること,第二に国民に国家運営を賢く府う.

(9) 9. 「国家」と「国民」の間. 「理性」が育つこと,第三に国民の「自己意識」,国家への「信頼」が生じること,とし ている。. 第一の有益性から見てゆくと,これは前節で触れた「税制」に関わる部分で,ヘーゲ ルはまず重税によらない財政を考える。機械的国家であれば税収入によって支払わなく てはならないはずの経費も,ヘーゲルの国家では自らの必要と関心に従った自発的な出 費に任せておけば予定調和的に賄われる。■裁判官でも教師でも,自分の必要なものに対 「課税」ということは問題ではなくなると言うo してだけ,自分で支払うようにすれば, しかも,自発的な出費や寄付をする際に,国民は事柄の必要性を考量する「悟性と卓越 性」 (482)という「自由」の第二の有益性を獲得する。また,行政官吏は選挙で選出す れば,報酬は金銭ではなく「名誉」によって支払われるから,国家の出費はさらに倹約 できるとする。選挙・被選挙権も国家から自由の余地として与えられたものであるし, 国民は自らの判断で適切な人を選出し,選ばれた人は名善を感じて国家に対する奉仕へ の意欲を高めるという仕組みである。そうしたやりとりを通じて,自分の意志で「共同 (S・482)が生ずるというわ の事柄に参画していることからくる自由の意識と自己意識」 けである.国家との関わりにおけるこうした「自己意識」あるいは「共同の意識」が, 第三の有益性とされている. ここまで見てくると,これら3つの有益性は自由を与えることから生ずる結果ではな く, 「自由」を与えること自体の現象であり,しかも相互に前提となっていることに注目. しておく必要があろう。例えばヘーゲルが自発的な支出の中に「貧民の扶助のための寄 付」をも数え入れるとき,国民の考量すべき「必要」には自己の「欲求」以上のものが 含まれている.とすると第一の有益性である課税によらない経費の調達には,第三の国 民の「自己意識」が前提されなければ不可能であるoつまり--ゲルは活動範囲として の「自由」を与えられたことからくる国家との「信頼」関係と,自己意識に基づく共同 (483)において,国民は「自由」だと考えているわけ のための「自発的な施しと犠牲」 である。. 国家という統一権力の枠内で現実化するこの「自由」は,もはや勝手気まま・を意味し た「ドイツの自由」でもなく,また裁量の範囲としての「自由な余地」でもないoそれ は共同体としての国家を実現態とする理想概念であり,国家権力という枠を必要としな がら,国家の存在目的としての理念でもある○このような『法哲学』にも繋がっていく 「共同の 意味が, 『ドイツ憲法論』で--ゲルの用いた「自由」という語の第三の意味, 自由」七呼べるもので■ぁる.前節でも潮用したが,. --ゲルがマキアヴュリの『君主論』. は「自由はただ国民が国家に法的に結合することにおいてのみあり得るものだという真 理」 (555)を語ったものとして称賛したとき,その「自由」はこの意味であった。しか も同時に,この意味で言うことにより,. --ゲルは実は「国家」と「国民」との関係に. おいてマキアヴェリと枚を分かつことになったのである。 というのも,マキアヴュリにおいては国家は君主の人格に帰せられるものであり,君 主が統治の対象をその人格に取り込むことによって関係は成立するoへ-ゲルの場合の.

(10) 10. 坂. 本. 清. 子. ように国民が共同の意識によって自足的に国家を維持してゆく制度はない。この点をま ず『君主制で君主のもっとも重要な続治の対象とされた「民衆(Yolk)」の位置付けか ら見てみよう。マキアヴェリは民衆からないがしろにされることを避けるべき「恥辱」 とし,民衆を敵に回してしまった場合考えられる最悪のことは「民衆から見捨てられる こと」とするマキアヴュリは民衆の「憎しみ」を買わないための方策を君主論の第15牽 から19章にかけて繰り返し論じる。そして次のように要約している。 ある君主が,民衆を基礎にし,命令の仕方を心得ており,恐れを知らぬ気概の持 主であれば,また逆境にあって気軌こもならず他の時のあらゆる用心策の手を抜 くこともなければ,そして彼の果敢さと秩序によって一般大衆を勇気づけるなら ば,決して民衆に欺かれることはなく,むしろ立派な基礎を設けたのだと認識す ることになるのである25)0. マキアヴュリは民衆を「基礎」にすると言ってはいるが,しかし民衆との間に信頼関係 は求めなかった.どんな場合でも民衆は国家と君主とを必要とするが同一化することの ない・いわば「他者」として定立している○むしろいつでも腫を返して君主の立場を危. 機に陥れるようなもっとも恐るべき敵対者となる可能性のある者,政治的和恵を駆使し て対処しておく対象,その憎しみを買わぬよういつも気をつけていなくてはならない勢 力なのである。 民衆だけでなく,君主以外のすべての成員はマキアヴュリにおいては「他者」と捉え られている。例えば・側近の信頼を得るために君主は「名誉」と「富」とを与えてやる が,ここで得られた信頼によって,君主は側近と融け合ってしまうことはない。君主の 得る倍額は単なる報いであって,あくまで側近の利害は側近のものでしかない。側近の 富がすなわち君主の富と見倣されるような,後に述べるヘーゲルの意味の「同一化」は決 して現れてこないのである.同一という観点からすれば,君主が重なっているのは唯一, 国家だけである。ある君主の国家の存亡は,. 「運命」を除桝ゴ,君主の「徳」一つに掛か. っているのである。このようにして,上に述べてきた国家と被支配層との他者性という 槻面は,君主が自己の利益の拡大のために被支配層を取り込もうとしているだけだとい. う,佐々木毅氏の言葉を借りれば「ルネッサンス的「個人主義」」27,による支配構造として も説明できることになる。 これに対してヘーゲルは,一方で後に述べるように国家と国民の「同一化」を考えて いるoまた他方でマキアヴュリにおける「個人主義」,弱い主体を一個の人格に取り込む ことによる結合に対して,国家権力と国民の「法的結合」を近代国家の構図の中に打ち 出してゆく。その時,マキアヴェリの国家では矛盾なく同居していた二つの側面が,意 外な緊張関係を呈することになるのである. 3). 「君主」の役割 まずヘーゲルにおける「国家」と「国民」との関係をさらに解明するために,国家権. 力の掌撞者としての「君主」が何を意味するかを見てみよう。ヘーゲルはマキアヴュリ.

(11) ll. 「国家」と「匡L民」の間. とは違って,一人の君主による国家の維持を国家概念にとって必然的なこととは考えず, すでに言及したとおり国家権力の存在形態を「偶然の領域」に数えていた。国家にとっ ての必然的なことと偶然的なこととを区別した箇所で,. --ゲルは次のように述べてい. る。. 権力掌撞着が単独であるか複数であるか,またその単独者あるいは複数者がその 陛下としての地位に生まれつくのか選出されるのかは,集団が国家になるという (474) 唯一必然的なことにとってはどうでもよいことである。 にもかかわらず, 作業においては,. 「統一」という作業,いわば国家という大車輪を回転させるその始動の. --ゲルはマキアヴェリの「君主」へと無条件に立ち戻る.一人の「征 服者」,すなわち,民衆を征服者の強制力によって一つにまとめ挙げる必要を説くのであ るo一般の群衆にはこのちりぢりの状態から国家を統一する能力はなく,また国家の概 念もそれ自身としては個々人の勝手気ままを意味する「自由の衝動」に勝つことはでき ないと考えたからである。ヘーゲルは『ドイツ憲法論』の最後の部分で『君主論』に似 た呼び掛けを行い,君主の唯一すべきことを次のように書く。 ドイツ国民の一般の群俗(Haufen)は等族らとともに一人の征服者の権力によっ 自分はドイツに属するのだと考えるよう て一塊りの群衆(Masse)へと結集され (580). 強制されなければならない。. これに続けてヘーゲルは, 「このテセウスは」と突然,マキアヴェリが卓越した「徳」を もつ君主として挙げたアテネの英雄の名前の一つに戻るo --ゲルがドイツの「征服者」. を考える上で,マキアヴュリの挙例を常に念頭においていたことの好例とも言えよう0 しかしここでヘーゲルがこの同じ「テセウス」に負わせる責任は,もはやマキアヴュリ のそれとは合致せず, --ゲルの構築した国家概念の枠を守っている。上で引用したよ 「ドイツに属する」こと うに,国家統一をするための第一歩は,ドイツ人が一塊になり, を痛感すること,つまりドイツ国民としての共通の自己意識を獲得することである。こ のように国家に繋ぎ止められることが,前節で述べた第二,第三の自由-すなわち「自 由な余地」と「共同の自由」-の前提となる。こうなって初めて,ドイツという全体 のための「自発的な施しと自己犠牲」とが「自らの」利益として意識される条件が整っ たわけである.. この段階に至って,自発的な自己犠牲はもはや国民の「自由な余地」に任された「偶 「集合して一つの帝国軍へと結集し(・--)ド 然」の領域に留まらない。戦争になれば, イツの防衛のために」. (447f)戦う意欲になってゆく。それは単に横並びに同等のものが. 結束するだけではなく,何か共通の一つのものを守るために手を結ぶことができるとい (577)と言うと う意味である。ヘーゲルが「皇帝と帝国との関係に入ることが必要だ」 き,その「関係」はルネサンス的主観性を超えた「近代国家」の法的制度のことであり 「国家の健康は平 ながら,同時に国民のこうした共同の「意識」が念頭におかれている。 和理においてよりも戦時に現われる」 全体の危機を自らの危機と捉え,. (462)と--ゲルは語ってい■るが,戦争に際して, (462)自 「自らの衝動と心情とによって国家のために」.

(12) 12. :坂. 本. 清. 子. らのためであるかのように戦うこと,その「心情」.の確保をヘーゲルは目指したのであ ったo国家統一の作業で作り出される,国家を自分のものとする竜識を,ここでは「同 一化」と呼んでおく。この国家と国民の「同一化」が済めば,軍隊も機能でき,あとは 自由に任せられた個々の組織の運営によって国家は予定調和的に存続できるという論理 であった。. 国家統一とうい仕事を片づけるや否や,. 「君主」は当然のように「偶然」の領域に入れ. 込まれることになる。ヘーゲルにとって君主とはいわば,. 「国家」と「国民」の同一化と. いう化学反応が生ずるための触媒にすぎない。マキアヴュリにとっての君主が国家と一 体化しており,国家の統一だけでなくその存続も君主の肩に掛かっていたに対して,秤 集を一纏めにして国家へと押し上げる触媒,これが--ゲルの君主,此噴としてのテセ ウスであった28).一体化するのは国家と国民であって,マキアヴェリの場合のように君主. と国家ではない。ヘーゲルは『ドイツ憲準論』の中でマキアヴュリを賞賛し積極的に受 容していきながら,その思考の結果の「国家」,. 「国民」, 「君主」の関係において,マキ アヴュリとの間にこのように歴然とした違いを見せることとなったのである。 4)国家の統一と国民の生成 これまで,. 「国家」と「国民」の同一化とその起爆剤としての「テセウス」という三者. の関係を主に「国家」概念の側から検討してきた。. --ゲルは国家の概念を説明する際 に,しばしば「国民」という語の内容とされる文化的共同体から「国家」を切り離して. いた。しかし仮にヘーゲルがこの意味で「国民」という概念を考えているとすると, 家」と「国民」との同一化は矛盾を畢むことになる.また,国家の統一によって,国家. 「国. と国民とは意識の上だけでなく概念的にも同一になってしまうのかという疑問も残って いる。そのような疑問を片付けるペく,. 「国家」と「国民」の連関に関する考察の最後に,. これまで取り上げてきたヘーゲルの言葉をも振り返りつつ「国民」の概念についてまと めてみたい。. 『ドイツ憲法論』の中では「国民」の定義が行われていないのみならず,むしろ語の用 法が一定していない。が,そうした中から今「多衆(Menge)」という語をキー概念とし て取り出してみることにする。この概念は特に国家の概念について述べた箇所で多用さ れており,相互に関連のない多数の人々といった意味で,. 18世紀末のドイツの散り散り の状態を表現する言葉として用いられている。そのためこの「多衆」は,人の大勢のみ ならず,他の箇所では分立状態にある領邦国家群を指して「独立した国家の多衆」 (503) というようにも用いられる。他の箇所では,同じような意味で「群俗Haufen」, die. Einzelnen」,. 「個々人. 「部分Teile」などと呼びかえられている。. こうした共同の意識を持たない「多衆」が「国家」になることが, 『ドイ、シ憲法論』の 求めることであった。しかし, 「多衆」と「国家」との関係をより厳密に見ようとすると, 「多衆」が「国家」そのものになるとは述べられていないことに気づく.例えば,.r国家」 の「必然的」要素について規定した次の箇所を挙げてみたい。.

(13) 「国家」と「国民」の間. 13. 一つの多衆が国家を形成する(bilden)には,彼らが一つの共同の軍隊と国家権力 (473)29) とを形成することが不可欠であるo 「多衆」が自身を「国家」にするとは書かれ 「多衆」は「国家」を形成するとされるが, ていない。 「多衆」が何になるかについては,例えばヘーゲルが法組織の必要性について 述べた次の部分から読み取ることができる。 ドイツの住民は国民(Volk)であることをやめて多衆(Menge)になってしまっ たが,そのようなドイツを一つの国家(Staat)へと結合するために,法的な繋が りが必要であった。 (524) これによれば,. 「多衆」は「国家」になるのではなく「国家」へと「結合」し,すると同. 時に「国民」になることがわかる。これまでの考察の結果を用いてもう少し詳しく記し 「自分はドイツに属す てみよう。 「多衆」はまずテセウスによって中心に引き寄せられ, るのだと考えるよう強制される」。それによって「多衆」はドイツにある共同の財産を「共 同で防衛」しようとの意識を獲得する(同一化)。するとその瞬間に「多衆」の「国家」 への結合は成就し,すなわち「国家」は形成され,同時に国家から多衆に自由が与えら 「テセウス」を触 れる。その時に,多衆はもはや多衆ではなく「国民」となるのである。 媒とした,イ国家」・「国民」・「自由」のこの全く同時的・複合的生成こそが,ヘーゲルの 「国家」の統一だったわけである. そのようなとき, 「国民Volk」という語は,. 「国家」のような「全体」が実際にある,. また想定される場合にその権力に従属する集団という意味で用いられる。それは例えば 「共同の国家権力に従属する国民に」. (465)という表現や「一国民がなすはずの一国家と. いう想念」 (554)という言葉,あるいは次の文にも確認される。 ドイツ帝国の存続は,次のようにしてしかあり得ないであろう,つまり,国家権 力が組織されて,ドイツ国民が再び皇帝と帝国とに関係を持つようになるという ことである。. (577). このように,国家のような権力組織を想定することで初めて生成する「国民」概念は, ヘーゲルがナポレオンによる支配下の時代に書いた次のような「国民」概念とは一線を 画している。 国民とは,言語,習俗,習慣そして教養によって繋がっているものである。この 繋がりはしかしまだ国家を編成しない。. 30). 『ドイツ憲法論』では,上のような国家依然にある文化的な共同体としての「国民」は, 近代国家にとっての「偶然」の領域に入られた言壱乱習俗,教養および宗教の同一性と ともに脇?押しやられていたoそのような文化的背景を持つ概念としてではなく,「国家」 の統一と同時に生成する概念,いわば国家共同体として考えら_itたのである. お. わ. り. に. 以上,国家の危機に際した--ゲルの国家統一への高唱と概念構成とを時に「国民」 と「国家」の連関という視点から再構成してきた。ここからさらに「国民」の生成と「国.

(14) 14. 坂. 本. 清. 子. 家」の統一の概念上の同時性が有する,現実に対する意味を問うならば,それは「国民」, 「国家」の双方から解釈が可能であろうo国民の側から見れば,国民理念は国家という現 実の基盤を要求することになる。国家が形成されれば,それは常に国民国家としてしか あり得ない。ヘーゲルによって構想された国家の組織は個人的主観によらない法的・制 度的な結合であり,その点でマキアヴェリと一線を画す近代性を明確にした?しかし他 方でそれはその前提において,国家-の同一化という人々の意識に多分に依存しており, その点では国家組織の客観性を裏切る構造をもっていた。かりに後者が圧倒的になって, 国民意識のようなものが国家に先行して現実を作り出してゆく状況が生ずれば,それは ナショナリズムにならざるを得ない。. これと反対に国家の側から見れば,国家という人為的に構築された組織に結集した人々 が国民とされるのだから誰でも制度的に国民になれることになる。その意味で,この側 面から見ればヘーゲルの「国民」概念は,所与としての自然的文化的共同体ではなく明 らかに人間が意志や取決めによって作り出した権力組織としての-集団であるという, 「国民」の新たな局面を開いたものとも言える。 いずれにしても, --ゲルの「国家」の構想を,この時点で上に述べた二つの側面の どちらかだと裁くことは短絡にならざるを得ない.言えることは,ヘーゲルの示した「国 家」と「国民」との関係は国民主義へと進むか,自然的文化的共同体から決別して憲法 主義になるかの分岐点を示している,ということである。そしてそれに関しては歴史と, また後のヘーゲル自身がさらに答えを出してゆくことになるのである0 どちらに進むかが選択の問題である以上,. I989/90年のドイツ統一の気運に根拠が挙げ られるとすれば,それは原初以来の自然の成り行きではなく,むしろ一つの選択であっ たことが少なくとも明らかになるであろう。. 旺 1)本論文では"Yolk"を一貫して「国民」と訳すことにするo ) Heller, Hermann, Hegel und der nationale Machtstaatsgedanke. 2. 1963,. Nachdr.. 3 ) Luk孟cs,. ). 1921,. Georg,. Dialektik 4. Ⅴ.. Fritz・. und S.252 6. ) Goethe, 12, Hamburg. 7 8 9. Werke Ztirich 1948,. Deutsche. Stuttgart 1914, 5 ) Wieland・ Christoph wart.. Zweifel・. Luk孟cs. Georg. Okonomie.. und. Hartung・. 1953,. Aalen. tiber die. junge Hegel:. Beziehung. Yon. S.230 15・. vom. Jahrhundert. bis. Gegen-. zur. S.162. Martin,. Wolfgang. Bd. 8, Der 19673,. Verfassungsgeschichte. 19597,. Ueber. (1793) In: C・M・Wielands Johann. in Deutschland.. S.57. Yon,. Deutschen s宜mmtliche. Literariscber. Patriotismus・. Werkein36. -. Fragen. Betrachtunten,. Bdn., 31. Bd., Leipzig. Sansculottisumus.. In: Goetbes. Werke. 1857,. Bd.. S.241. ) Hartung, a.a.0., S.161 ) Goe也e, a.a.0., S.241 ) Hegel・ Georg Wilbelm. Friedricb,. Die. Verfassung. Deutschlands.. In: Georg. Wilbelm.

(15) 15. 「国家」と「国民」の間. Friedrich. Hegel,. Werke. in 20 Bdn.. 1, Fr地e. Bd. Frankfurt. Scbriften.. a・M・. 1986,. S・451. 本論文で使用したテクストは,上記ズーアカンプ版--ゲル全集第一巻に納められている。 以下本文中でここから引用する場合には,括弧内の数字によってその引用頁を表わすことに する。 (例: (462))なお,訳語を選択する際に,金子武蔵訳, --ゲル政治論文集(上),岩 波文庫を適宜参照した。 10). Moser, Yon. gabe. ll). Friedricb, -Carl 1766,. Meinecke,. Notos. Werke.. I4ee der. Bd.. 1, Mtincben. 12) Maier, Hans, Einige In: Hegel-Studi印Beiheft. historische. Meinecke. Deutscben. dem. Nationalgeist:. der Aus-. Nachdruck. S.56. Die. Friderich,. Yon. Yon,. 1976,. 9. Bonn. StaatsrAson. in der. Geschichte・. neueren. In: Friedrich. 1969, S.411 Vorbemerkungen. zu. Hegels. politischer. Philosophie・. S.154 (Anm.). 1973,. 13) "virtu"と"fortuna"の訳誇は翻訳によってきまざまであり,前者は「徳」の他に力量,. 実力,勇気,後者は「連命」の他に運といった訳語が見あたったが,ここでは佐々木毅氏に 従った。 14) von. Machiavelli, Philipp. Niccolo, Rippel,. 15) ebd. 16) Machiavelli,. II Principe,. Stuttgart. 1986,. Italienisch/Deutsch.Ubersetzt. und. Herausgegeben. S.42. a.a.0., S.198f. Heaven of the State. New 17) Cassirer,.Ernst, The Myth 宮田光雄訳『国家の神話』を使用させていただいた。). 1946,. 19635,. P, 122. (この引用には. 18) Meinecke, a.a.0., S.412 Eeller, 19) a.a.0., S.57 20) 『ドイツ憲法論』や『人倫の体系』でヘーゲルの用いる〈Menge〉という語は,本論文でも 後に述べるように,多数の人々という意味だけでなく,その人々が全体に対して無関心であ る状態というニュアンスを含んでいる。そのため本論文では,このくMenge〉という語にや や特異な響きのある「多衆」という訳語を充てた。 21)マキアヴュリは国家の主要な基礎としてまず「よい法律とよい軍隊(1ebuoneleggeelebuone arme)」を挙げるが,この両者は同等ではなく,君主の権力を守る「軍隊」が「法律」の前提 とされ,軍隊についてのみ詳述されてゆく。法律はその意味で,君主の権力維持の手段とし て君主の人格に属していると言える。この点は後にヘーゲルの「法的組織」の位置付けとも 対照されるところであろう。 マキアヴュリはまた,別の箇所で国家の基礎となる要素をさらに一つ挙げている.それは君 主に対する「民衆(populo)」である。 22) Machiavelli, a.a.0., S.111 Staat 23) "Ein wohl eingerichteter. Maschine. Ahnlich seyn, wo alle muB einer vollkommen in Regent das der der muB R孟der und Triebwerke passen, genaueste und auf einander die kann, Werkmeister, die erste Triebfeder Seele seyn, wenn man so die alles sagen oder Politiscbe-und Gottlieb Yon, Gesammelte in Bew喝u□g SetZt." (Justi,Jobann Heinricb Finanzschriften, Absolutismus,. 24). B岱low,. S.86-87, ∑it. n. Aretin, Karl K81n. Friedrich,. 1974, Die. Otmar. Freiherr. Yon. (Hg.), Der. Aufgeklarte. S.167) Entwicklung. der. Hegelschen. Sozialphilosophie.. Leipzig. 1920,. S.46f. 25) Machiavelli, a.a.0., S.80 26) Machiavelli, a.a.0., S.82 80東。マキアヴュリにおける支 27)佐々木毅『マキアヴェッリの政治思想』,岩波書店1970年, Vgl. 配者の「個人主義」という語は,もちろん他の研究者たちによっても用いられている。.

(16) 16. :坂. Meinecke,. a.. a.. 本. 清. 子. 0., S.416. 28) 「セテウス」・のこのような位置付けをみると,これまでさまざまな研究者によって検討して きた,テセウスとは具体的に誰を指すかという開いはほとんど解答不能となってしまう。ど の「征服者」が,人々の意識革命を強制的に行うほど圧倒的な支配力をもちながら,国家を 統一するや自らの権力を最小限に制限するであろうか。解答も求めようとしても,例えばル カ-チのロベスピエール鋭やデイルタイのナポレオン鋭は既に覆されているし,ローゼンク ランツのカール大公説も,ヘーゲル自身のオーストリア批判を見ると確実とは言えない。同 じ根拠の弱さで, --ゲルは名前を挙げるにいたるほど確信できる人物に思い至らなかった とも考えることもできる。むしろヘーゲルの構想と現実との最初で最後の接点であるこの征 服者を見付けられなかったことを,この時事論文をして公刊させられなかった理由の一つに も数えられよう。 29)この箇所をローゼンツヴァイクは「多衆」イコール「共同の軍隊と国家権力」と読んで, 「国民」を「ただの多衆」と批判的に言及しているが,やや不適切と言わざるを得ない。 Rosenzweig,. 30). Hegel,. Franz,. Bd・. Hegel. 4, N血berger. und. der Staat・ 1. Bd. Miinchen. und. Heidelberger. Schriften,. 1920,. Frankfurt. S.133. a.M.. 1970,. S.246.

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