【報告】研究所プロジェクト「アジア境域における
跨境的生活様式の研究―東アジア・東南アジアの比
較―」
雑誌名
アジア文化研究所研究年報
号
48
ページ
218(189)-183(224)
発行年
2014-02-28
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00006386/
トランスナショナル・コミュニティ研究班 報告
研究所プロジェクト(第3年次)
アジア境域における跨境的生活様式の研究
──東アジア・東南アジアの比較──
Studies on Transnational Way of Life in Asian Peripheries : Comparative Perspective of East Asia and Southeast Asia
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ Ⅰ 研究班の構成・目標 1.研究班名:トランスナショナリティ研究 2.代表者:松本誠一 3.構成員: 研 究 員:井沢泰樹,植野弘子,後藤武秀,小林正夫,長津一史,山本須美子 客員研究員: 井出弘毅,大畑裕嗣,金 東光,小澤康則,末成道男,宮下良子,渡邉暁子, 岩田剛,鈴木佑記,森田良成,山口裕子 4.概 要 当研究班が目標とするのは,東アジア・東南アジアを主な対象として,そこにおける個別エスニ シティ(民族性)の調査,および文化接触・文化変容の研究を推進すること。また,アジアの人々 の移動と移動先での定住化および受け入れ社会での葛藤・同化の状況,アイデンティティの様相を 明らかにすることである。このために,文化人類学・社会人類学・教育人類学・環境人類学・宗教 人類学・法人類学・法制史・人文地理学・共生社会学・市民社会論・俗信研究・高等教育論・植民 地史などの専門分野の研究者がそれぞれの視角から研究し,学際的に協力して複雑なアジア社会文 化の解明に寄与したい。 当研究班では研究所プロジェクト「アジア境域における跨境的生活様式の研究─東アジア・東南 アジアの比較」を抱えている。プロジェクト・メンバーは研究班メンバーの一部で構成し,また所 外研究者の協力も得ながら遂行している。研究班メンバーの研究業績をみると,今後もあれこれコ ラボレーションする企画を構想できるので,実現に向けて運んでいきたい。 5.本報告の構成について 本報告では,Ⅰで研究班の概要,Ⅱで研究所プロジェクトの報告,Ⅲ以降で研究所プロジェクト の成果の一部を収める。この原稿締め切りが年度途中であり,研究所プロジェクト成果に関しては, 2014年1月末をめどに研究所プロジェクト資料集を,2014年4月に総括報告をまとめる予定である ので,関心のある向きはそれを参照されたい。 Ⅱ 研究所プロジェクト(井上円了記念研究助成金「研究の助成」共同研究) 1.概要 「アジア境域における跨境的生活様式の研究──東アジア・東南アジアの比較──」 《研 究 期 間》2011(平成23)年4月∼2014(平成26)年3月 《研究代表者》松本 誠一(社会学部教授) 《研究分担者》井出 弘毅(アジア文化研究所客員研究員) 植野 弘子(社会学部教授) 後藤 武秀(法学部教授) 小林 正夫(社会学部教授) 長津 一史(社会学部准教授) 宮下 良子(アジア文化研究所客員研究員) 山本須美子(社会学部教授) 2.研究経過 平成24年度(昨年度報告した分の続き) (1)11月24日∼26日 中国・アモイ調査 松 本 誠 一
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ (2)2月24日∼3月2日 中国・深圳市,台湾調査 後 藤 武 秀 (3)3月19日∼21日 下関市調査 井 出 弘 毅 (4)3月20日∼23日 下関市調査 宮 下 良 子 平成25年度 (5)5月25日∼27日 研究会報告 長 津 一 史 (6)5月25日∼27日 研究会報告 岩 田 剛 (7)8月7日∼13日 韓国・巨済市,統営市,釜山市調査 松 本 誠 一・井 出 弘 毅 (8)8月25日∼28日 シンガポール調査 山 本 須美子 (9)8月31日∼9月2日 下関市・山口市調査 宮 下 良 子 (10)9月8日∼11日 韓国・釜山市調査 宮 下 良 子 各調査・研究会の概要は以下のとおりである。日付順に記載する。 平成24年度 (1)中国,アモイ調査 アジア文化研究所 研究員 松 本 誠 一 期 間:2012年11月24日∼26日 出 張 先:中国・アモイ市 研究目的: 研究所プロジェクト「アジア境域における跨境的生活様式の研究─東アジア・東南ア ジアの比較(研究代表者:松本誠一,社会学部教授)」の一環として,後藤プロジェ クト(「東アジア・東南アジアにおける西洋近代法と慣習法の関係に関する研究」)と の共催による研究会で研究報告を行うこと,併せてアモイにおける調査を行うため。 11月24日(土)9:50,成田から全日空機935便(アモイ直行)に搭乗した。乗客は20∼30%程 度で後部席はガラ空きであった。尖閣諸島問題による日中外交関係の冷え込みの影響で利用客も減 少かと想像した。アモイ到着予定13:40が延着し,14:18に着陸。アモイ大学にて海外長期研究中 の後藤武秀研究員による空港出迎えを受けて,タクシーで直ちにホテルへ直行。チェックインし, 荷物をほどいてすぐに会合場所に移動して,用意した原稿「韓国移民とネットワークつくりの文化」 を報告。東洋大学創立125周年を記念して作成された大学印刷物などを土産として持参した。 アモイは鄭成功が根拠とした土地の一つであり,アヘン戦争後の1842年に開港した五港の一で, 以前から海外とのつながりが強かった。近年では1981年の共和国政府による経済特区指定を受け て,現代中国内でもいち早く海外,とくに対岸の台湾との関係緊密化が進み台湾資本の導入が進ん だ。いわゆる「湾岸交流」(中国と台湾との交流)が進行している。 こうした歴史的背景を持つ土地柄であるので,トランスナショナルな社会文化現象の研究には もってこいの都市だと言えよう。期待を持って臨んだが,領土問題の悪影響はまだ続き,残念なが らアモイ大学スタッフとの十分な交流には壁が残っていた。 会の後はアモイ大学の広い公園の様なキャンパス(写真1)を見学。教職員寮・学生寮も多く建 設されている。年間の授業料は日本円にすればかなり安い。世界大学ランキングが高く,生活費も 合わせて,日本よりずっと安く大学生活を送れる大学であれば,(領土問題さえなければ)海外留 学を躊躇する理由がどこにあろうか,と考えさせられた。キャンパスを抜けて海岸に出て,夕暮れ の光景を眺める。アモイには内陸部から観光客が多数来るということで,海浜に憩う人々を見る。
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ 海沿いに大規模なホテルが土地をゆったり使って立地している。対岸の台湾・金門島はあいにくの 曇り空で視界が悪く,よく見えなかった。 アモイ大学から山手に位置する南普陀寺(写真2)も見学した。ここは海外華僑の信仰を集める ことで知られる。参拝客に溢れ,紙銭を買って燃やし上げているのは女性である場合が多いよう だった。 翌,日曜日の午前は華僑博物院(写真3)を見学。同院は1930年代に開館した。東南アジアで成 功した華僑の寄付に負う。館内見学コースの最初の個所では,鑑真和尚その他,日本との関係が説 明されていた。その後,苦力(クーリー)を送りだし海外で苦労した歴史,華僑が中華人民共和国 建国にいかに貢献したかの展示,海外華人の抗日運動,陳嘉庚(1874-1961。シンガポールにおい てゴム園経営で巨富を成し,国民党軍の補給支援も行い,中華人民共和国成立後は共和国政府を支 援した)の収集品(考古遺物,大型陶磁器など)展示などを見た。ミュージアムショップは未設置。 中国では荒れ果てた宗教施設の復旧や,民間信仰施設の新設が近年,進んだが,都市住民の地縁 的結合を窺うのに恰好の民間信仰対象,アモイ城隍堂の再興もその1例で,そこを見学した。ここ は台湾の城隍堂とも交流している。 アモイの中心的な繁華街である中山路,台湾屋台料理の集まっている台湾小吃街,ほかの街路を 巡ったが,私の関心がある韓国系表示の見える店舗は,食堂と洋装店(写真4)の2店舗のみであっ た。台湾小吃街は2011年の中台交流を促進する第3回湾岸フォーラム後に生じたリトル台湾である。 写真3 華僑博物院 写真1 アモイ大学キャンパスの一部 写真4 アモイ商店街に見えるハングル看板の 洋装店 写真2 南普陀寺
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ 26日(月)午前中は,1842年にアモイは開港して,後に英米独仏日の共同租界になったが,アモ イ島が手狭になり,コロンス島(所要10分)に外国人居住区が広まった。同島に渡り,当時の建築 物の残存状態,新たな観光開発の進展状況を見た。 アモイはすでに中国国内観光客で溢れているが,その歴史遺産を生かして,海外観光客も惹きつ ける土地であること,研究者としてのわれわれの関心からは中国における「跨境的生活様式」研究 において,歴史的にも一つの重要な土地であること,などの認識が深められた。 26日の帰国便は出発が遅れて,19:10成田到着予定が19:43に着陸。機内は60%程度の乗客率で 中国人,日本人が半々くらいかと思われた。荷物受取場で「カートを入れるな」という区域に入れ ている人が近くに続けて現れたが,中国語話者には改良が必要な表示と思われた。無事,帰着した。 (2)中国・深セン市,台湾調査 アジア文化研究所 研究員 後 藤 武 秀 期 間:2013年2月24日∼3月2日 出 張 先:アモイ市,深セン市,台北市 研究目的: 「アジア境域における跨境的生活様式の研究─東アジア・東南アジアの比較(研究代 表者:松本誠一,社会学部教授)」の一環として中国南部,台湾における調査・研究 を行うため。 日程表 2月24日(日) 12:10発便でアモイから深センに向かう。深セン13:25着後,深セン大学にて資 料調査。深セン市内ホテル宿泊。 2月25日(月) 深センより香港へ移動し,10:10発便にて台北に向かう。11:45台北着後,中央 図書館台湾分館で資料調査。台北市内ホテル宿泊。 2月26日(火) 中央図書館台湾分館で資料調査。台北市内ホテル宿泊。 2月27日(水) 台湾大学法学院で資料調査。台北市内ホテル宿泊。 2月28日(木) 台湾大学法学院で資料調査後,15:05発便にて香港に向かう。16:55香港着後, 深セン市へ移動。深セン市内ホテル宿泊。 3月1日(金) 清華大学深セン研究生院にて資料調査。 3月2日(土) 14:00発便にてアモイに向かう。15:15アモイ着後帰宅。 (3)下関市調査 アジア文化研究所 客員研究員 井 出 弘 毅 期 間:2013年3月19日∼21日 出 張 先:下関市,福岡市 研究目的: 研究所プロジェクト「アジア境域における跨境的生活様式の研究─東アジア・東南ア ジアの比較」計画による下関調査 昨年も調査に訪れた福岡市の在日コリアンの集住地域であった場所についてフォロー調査を行 なった。また下関において,在日コリアン男性のインフォーマントからの聴き取りのフォロー調査 及び日韓を行き来するポッタリ(担ぎ屋)に関する調査を行なった。 調査日程は以下の通りである。
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ 3月19日 かつての在日コリアンの集住地域の1つを再訪。その後下関に向かった。 3月20日 在日コリアン男性A氏からの聴き取り調査。また在日コリアンが経営する店舗等においてポッタ リに関する聴き取り調査。 3月21日 下関国際旅客ターミナル,グリーンモール商店街などを巡訪。 今回の調査の目的は,報告者が以前関釜フェリー(下関と釜山間を結ぶ国際フェリー)内にて出 会った在日コリアン男性から再度ライフヒストリーを聴き取ることである。また,ポッタリの人々 の歴史と現状について接近することを主眼とした。さらに在日コリアンの集住地域の変容を把握す ることである。 最初に在日コリアン集住地域の1つを昨年に引き続き再訪した。島村恭則氏の先行研究による と,ここはこの付近に点在していた集住地域の最後の場所である。他の場所については再開発事業 等による集合住宅への住み替えが行なわれ,もはや往時の町の姿はなくなった。2010年にここを最 初に訪れた際にはまだ家屋はいくつか残っていたが,住民のほとんどは住んでいなかった。2012年 に再訪した際には立ち退きによって家屋もなくなり空き地が広がっていた(写真①)が,今回再訪 するとコンビニエンスストアやドラッグストア,大規模な質屋などができており,町の様子は一変 していた(写真②)。昨年確認したキムチ屋2軒はそのまま残っており,今回はそのうちの1軒の 店主夫妻から地域や店の歴史などについてより詳しく話を聴くことができた。この辺りはかつて 「文化町」と呼ばれており,在日の人々が流入して集住地域となったとのことである。この店には 姉妹店がもう1店舗ある。その店は少し離れた場所にあり,店主の姉が経営している。以前はここ で一緒に店を切り盛りしていたが,国道の歩道拡幅工事による立ち退きに伴い,新店舗を開店した。 この店には定期的にポッタリが韓国から商品を運んで来ているが,担い手は昔のような在日コリア ンではなく韓国の本国人である。 2日目は早朝より国際旅客ターミナルにて,昨年話を聴かせて頂いたインフォーマントA氏と待 ち合わせ,釜山から到着したフェリーの乗客の様子を観察した。一見したところ韓国からの団体旅 行客がほとんどであった。続いてA氏から,現在もポッタリが商品を納品している在日コリアン経 写真① 元の集住地域であった場所。 写真② 写真①とほぼ同じアングルから撮影。 空き地であった場所がドラッグストア 等に変貌。
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ 営の店舗2軒を紹介して頂いた。これらの店主らからはポッタリの現状と過去の話について詳しく 聴くことができた。今回は残念ながらポッタリ自身から話を聴くことはできなかったが,数少なく なった在日コリアンの高齢のポッタリに関する情報を教えて頂いた。次回再訪して聴き取り調査を 実施する予定である。また下関の在日コリアンの集住地域を巡検した。A氏によると,若い人々は どんどん外に出て行き,住人もかなり高齢化しているとのことであった。 3日目も早朝より国際旅客ターミナルにて乗客の様子を観察した。この日下関に入港したのは日 本籍船(前日は韓国籍船)であったためか,ポッタリの姿はほとんど見られなかった。 在日コリアンの集住地域は,区画整理事業などによる集合住宅化が進み,かつての姿から大きく 様変わりをしてきている。こうした現象は他の集住地域であった場所においても同様に見られる。 出て行った人々は戻らないし,残った人々もわずかであり,もはや集住地域とは言えない現状であ る。いわゆるエスニック・ビジネスの1つであるキムチ屋や解体業などいくつかの痕跡を残すのみ である。 今後はポッタリ自身からの聴き取り調査から,在日コリアン主体であったその歴史と現状につい て把握したい。また在日コリアンの集住地域の歴史と現状についてもより詳細なデータを収集する 必要があると考える。 (文・写真 井出弘毅) (4)下関市調査 アジア文化研究所 客員研究員 宮 下 良 子 期 間:2013年3月20日∼23日 出 張 先:下関市 研究目的:下関市におけるコリアン,日本人の炭焼き関係者への聞き取り調査 下関市に到着した調査の初日(3月20日)は,東大和町在住のコリアン二世女性のM氏に会った。 現地の個人調査を開始した2010年からお世話になっており,彼女自身のライフヒストリーの聞き取 りはもちろん,他の在日の方々の紹介等,多大な尽力をいただいている。2日目の21日の午前中は, 下関市立大学の木村健二先生の研究室へ向かった。木村先生から院生の修士論文「在日朝鮮人のエ スニック・アイデンティティの行方」へのコメントを求められており,私自身の研究テーマにも関 わることからコメントをさせていただいた。また,木村先生自身が現在取り組んでおられる「1939 年の北九州・山口県における在日朝鮮人─関門日日新聞の記事をめぐって」の発表も拝聴したが, 本調査に関係する内容であった。その後,東亜大学の崔吉城先生の研究室へ伺い,下関市大字小野 に住む日本人の炭焼き関係者の自宅を訪問した。そして,その炭焼き関係者Y氏に翌日の聞き取り の承諾を得,22日に再度,下関駅から新下関駅のY氏のご自宅へ一人で伺った。Y氏への聞き取り 調査後,下関駅近くの下関市立図書館へ移動し,同じく父親が一時期炭焼きを生業としていた在日 コリアン二世男性のR氏に図書館1階のカフェで聞き取りを行った。今回の日本人,在日の方々の 聞き取りで,終戦後の在日コリアンの職業として炭焼きに従事する人が少なくなかったという事実 が把握できた。この事実はこれまでの下関の在日コリアン研究では欠落していた部分であり,新た な歴史の掘り起こしになるのではないかと思われる。
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ 平成25年度 (5)研究会報告 アジア文化研究所 研究員 長 津 一 史 期 間:2013年5月25日∼27日 出 張 先:名古屋市,京都市 研究目的: 名古屋市内において,「東南アジアの海とひと」研究会で進めている海民データベー スの作成等に関する打合せ。京都大学東南アジア研究所において,「東南アジアの海 とひと」第7回研究会参加・趣旨説明・発表 5月25日には,名古屋市内で,名古屋市立大学人文社会学部赤嶺淳准教授と海民・海域データ ベースのまとめに関する打合わせをおこなった。 26日午前は,京都大学東南アジア研究所において,赤嶺准教授および青山和佳北海道大学大学院 准教授とサマ・バジャウに関する先行研究の検討会をおこなった。午後には,同研究所において, 「東南アジアの海とひと」第7回研究会を開催。赤嶺が趣旨説明を担当,濱下武志教授がやむなく 欠席になったため,出張者が「海道の社会史:ウォーレシアにおける海民ネットワークの動態的連 繋」のタイトルで口頭発表をおこなった。報告では,インドネシア東ジャワ州のバジャウ人を事例 に,海民の移動のダイナミクスとネットワーク編成の動態的関係,混淆性・クレオール性が維持さ れてきた社会生態空間について論じた。これに対し,立本成文,田中耕司,加藤剛(いずれも京都 大学名誉教授),および岩田剛(愛媛大学)からコメントを受けた。夕食をはさみ夜には同研究会 第二部会をおこなった。大学院生を含む若手研究者4名がタイ・アンダマン沿岸,インドネシア・ スラウェシ,フィリピン・ボホル,隠岐の海洋文化について報告し,出張者はそれぞれにコメント した。 (6)研究会報告 アジア文化研究所 客員研究員 岩 田 剛 期 間:5月25日∼27日 出 張 先:名古屋市,京都市 研究目的: 名古屋市内において,「東南アジアの海とひと」研究会で進めている海民データベー スの作成等に関する打合せ・京都大学東南アジア研究所において,「東南アジアの海 とひと」第7回研究会参加・趣旨説明・発表 京都大学東南アジア研究所において,「東南アジアの海とひと」第7回研究会に参加,立本成文 (京都大学名誉教授・元地球環境学研究所所長)「海域文明交流圏としてのマレー世界」,長津一史 (東洋大学社会学部)「海道の社会史:ウォーレシアにおける海民ネットワークの動態的連繋」双方 の発表に対し,コメントを与えた。立本報告に対するコメントでは,東南アジア海域世界を長期的 な歴史の視点,および海域間比較の立場から,同海域のダイナミクスを捉えた内容を評価した。長 津報告に対するコメントでは,微視的視点から現代の東南アジア海域における海民ネットワークの 連続性と非連続性を捉えた内容を評価した。このコメントを手がかりに,フロアからは活発な議論 がなされた。夕食をはさみ夜には同研究会第二部会をおこなった。大学院生を含む若手研究者4名 がタイ・アンダマン沿岸,インドネシア・スラウェシ,フィリピン・ボホル,隠岐の海洋文化につ いて報告し,出張者はそれぞれにコメントした。
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ (7)韓国・巨済市,統営市,釜山市調査 アジア文化研究所 研究員 松 本 誠 一 アジア文化研究所 客員研究員 井 出 弘 毅 期 間:2013年8月7日∼13日 出 張 先:韓国(巨済市,統営市,釜山広域市) 研究目的: 研究所プロジェクト「アジア境域における跨境的生活様式の研究─東アジア・東南ア ジアの比較」計画による韓国・巨済島,統営,釜山調査 韓国・コジェ(巨済)島の長老派キリスト教会と,コジェ島及びトンヨン(統営)市と日本との 関わりを中心に調査を行なった。そのため今回も昨年と同様,島の中心地であるコヒョン(古縣) ではなく,日本に近い側の港の1つであるチャンスンポ(長承浦)をベースにした。 調査日程は以下の通りである。 8月7日 空路釜山に入り,金海国際空港から高速バスにてコジェ島のチャンスンポに移動。 8月8日 コジェ博物館を再訪。今回初めて館長に会うことができた。次いでインフォーマント宅を再訪し てA氏から聴き取り調査。さらに仏教施設B庵を再訪して聴き取り調査。 8月9日 コジェ文化院を再訪。またコジェヒャンギョ(郷校)を訪問。さらにC教会を再訪し牧師夫妻か ら聴き取り調査。その後同じ長老派の他教会の牧師達と合流し,トンヨン市の市街地を見学。 8月10日 前日に引き続きトンヨン市の市街地を見学。日本式家屋の名残や復元されたコブクソン(亀甲船) などを見学。財団法人ハンサンテーチョップ(閑山大捷)記念事業会を訪問し祝祭について話を伺 う。 8月11日 コジェ島の北部地域や南部地域を中心に巡検。宿泊先の近くにて日本植民地時代の神社跡ではな いかと思われる場所を捜索。 8月12日 高速バスにて釜山へ移動。コジェ博物館長から教えて頂いた旅行会社を訪問し社長から話を伺っ た。その後釜山税関博物館を再訪。日本式家屋の名残や仏教寺院などを巡検。 8月13日 臨時首都記念館を見学。ポスドン(宝水洞)書店街にて資料を入手。空路成田へ帰着。 8月7日から11日までコジェ島調査,12,13日に釜山調査を実施した。 初日は移動日である。2日目は最初にコジェ文化院を再訪したが,創立記念日で休みであった。 そのため予定を後に回すこととし,コジェ博物館を訪れた。ここはこれまでに2回訪問しているが, 館長が不在でお会いしたことがなかった。今回は初めてお会いすることができ,いろいろと話を伺 うことができた。館長は博物館の他にも対馬観光を主とする旅行会社の経営もしており,観光業者 の観点からも参考になる情報を頂いた。またこの方と同じく対馬ツアー主体の旅行会社を経営して おり,2010年に対馬の韓国語学習に関する博士論文を提出した人物について教えて頂いた。 続いて昨年初めて訪問したインフォーマント宅を再訪し,A氏から前回の聴き取り内容の確認
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ と,さらに立ち入った話を伺うことを試みた。A氏については,昔対馬との間を船により行き来を していたという情報を他から得ており,そのあたりの話をお聴きしようとしたが困難であった。こ の話題以外の彼独自の健康法や信仰する天理教などについては大変饒舌であるが,昔の事柄に踏み 込むと,それは自分ではなく別の人物だ,ということで話が終わってしまった。この状況はもしか すると以前得た情報が間違いだったかもしれないと思われるほどであり,この件については別の方 面からのアクセスを試みる必要があろう。 次に昨年に引き続きB庵のポサル(菩薩:信徒代表)である婦人を再訪した。我々のことはとて もよく覚えていて下さり,快くお話をして頂いた。昨年は前情報も一切なく突然訪問したところ, 思わぬところで日本との関係が伺えた。亡くなったご主人が昔日本に留学して電気技術を習得し, 韓国で初めてのラジオを作った方であった。この話は長女によって書籍化されテレビ番組にもなっ た。今回は彼女自身の来し方や寺院についての詳細,日本による植民地統治下にあった子どもの頃 学んだ日本語についてなど,いろいろと語って頂いた。 3日目は,前日は休みであったコジェ文化院を再訪し,館長からオッポテーチョプ(玉浦大捷) 祝祭に関する情報を得た。これは今回で51回目となる祝祭で,豊臣秀吉による朝鮮侵略時の海戦に おける勝利を記念するものである。また院長からはこれまで文化院で刊行した書籍の一覧も頂いた (後掲,pp.189-188)。 次に毎年訪問している長老派キリスト教会を訪問する前に,そのすぐ近くにあるコジェヒャン ギョ(写真①)を訪れた。ヒャンギョ(郷校)とは昔儒学のために国が建てた教育機関である。ちょ うど総務の方がおられたのでご挨拶したところ,6月に刊行されたばかりの『巨済郷校誌』を寄贈 頂いた。恐らく日本でこれを手にしたのは我々が最初であろう。 キリスト教会では,牧師夫妻からこの1年間の教会の様子などについてお話を伺った。昨年訪問 した際に聞いたところでは,昨年から今年にかけて教会の建て替えが行なわれる予定であった。し かし訪問前に牧師に連絡したところ,諸事情により建て替えはしていない旨聞いていた。その理由 について尋ねたところ,教会内の人間関係が原因であり,その問題が解決しないうちは建て替えは できないとの返答であった。この教会は南インドへの海外教会建設などを行なっており,トランス ナショナルな活動をこれまで見てきた。教会再建という大きな発展を前に,問題の解決が望まれる。 その後牧師夫妻と共に同じ長老派の別教会に移動し,そこの牧師夫妻と一緒にコジェ市の西側に 位置するトンヨン市に向かった。ここも昔から日本との関係の深い場所である。港や市街地などを 散策した。特に港からすぐの場所にある切り立った丘トンピラン(東側の崖)は現在は観光地の1 つとなっているが,かつては貧しい人々が住んでいた不便な場所であった。そこを再開発しようと したが,市民団体等の活動により,全国から芸術家を募り壁に絵を描いてもらった。それが現在の 壁画村となった。不便な土地を観光資源化する方法の1つとして,大変興味深い事例である。 4日目も前日と同じくトンヨン市に向かい,トンヨン市郷土歴史館と統制営址(写真②)を見学 した。次に財団法人ハンサンテーチョプ(閑山大捷)記念事業会(写真③)を訪問した。ここは昔 の日本水軍との海戦勝利を記念する祝祭を主催する団体である。コジェではオッポ(玉浦)という 地名を冠したオッポテーチョプ(玉浦大捷)祝祭が行なわれているが,トンヨンではハンサンド(閑 山島)における勝利を記念するハンサンテーチョプ(閑山大捷)祝祭が行なわれている。他にもナ メ(南海)やヨス(麗水),釜山などでも行われているとのことである。ちょうど開催準備の最終 段階ゆえ多忙であったが企画課長から快く話を聴かせて頂き,過年度のパンフレットや昨年の 『2012 トンヨンハンサンテーチョプ祝祭 公式記録写真集』などを頂いた。コジェのオッポテー チョプではこうしたものは発行されておらずパンフレットのみであったが,トンヨンにおいてはか なり盛大に開催されていることが窺われた。その他トンヨン市内では,作曲家ユンイサン(尹伊桑)
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ の記念館や,数多く残る日本式家屋の名残(写真④),港にて復元されたコブクソン(亀甲船)(写 真⑤)などを見学した。 5日目はこれまで足を延ばしていなかったコジェ島の周辺地域を巡検した。コジェ島の北部に位 置するカジョ島や,南部にあるヘクムガン(海金剛)などを回った。コジェ島は観光の島であり, 特に夏には多くの観光客が韓国本土から訪れる。マリンスポーツやミュージシャンによるライヴな どイベントも数多い。そうした「島の文化」の一端を見ることができた。また宿泊したホテルの裏 山の頂上付近にこんもりとした茂みがあり,位置的にも日本植民地時代の神社跡ではないかと思わ れる場所を発見した。今回は残念ながらその痕跡を見つけることはできなかったが,今後明らかに していきたい。 6日目はチャンスンポ市街バスターミナルから高速バスにて釜山に向かった。まず研究協力者で ある崔仁宅氏・東亜大学教授(社会人類学・民俗学)を研究室に訪ね,日韓境域の現状について意 見交換した。特に彼がこの夏に調査した日本の唐津市の仏教寺院の事例は大変興味深く,韓国の釜 山との繋がりを色濃く残していた。その後2日目にコジェ博物館長から情報を得た,対馬ツアーを メインにしている旅行会社を訪問し,社長から話を伺った。予め領土問題に強くコミットしている 方であるとの事前情報を得ていたが,実際に会ってみるとその話は全く出てこなかった。続いて釜 山税関(写真⑥)を再訪し,その中にある釜山税関博物館の館長を久々に訪ねお話を伺った。彼は 韓国の経済系のニュースサイトにて,日本との間の密輸や,釜山港の貨物搬入に関する連載を持っ ており,現在も継続中とのことである。その後日本式家屋が多く残る地域を案内して頂いた(写真 ⑦⑧)。かなり古い建物が多く,近いうちに再開発でなくなるだろうとのことであった。次に彼の 所属する仏教寺院を訪問した。寺院の代表理事から壁画を紹介されたが,その一部に日本人のよう に見える人物が船に乗っており,船の帆が日の丸のように見えるとのことであった(写真⑨)。そ の後釜山広域市観光協会副会長らに紹介頂き,お話を伺った。龍頭山公園にある釜山タワーや楽器 博物館,昔の釜山の写真などを見せて頂いた。 最終日7日目は朝鮮戦争時に臨時首都が釜山にあったことを記念する臨時首都記念館(写真⑩) を見学し,ポスドン(宝水洞)書店街の古書店にて近代の釜山地図などを入手した。最後にロシア 人街(写真⑪)と中華街(写真⑫)を巡検して,空路成田に帰着した。 今回で3年にわたる調査研究が終了する。1年目(2011年度)には8月にコジェ島・釜山・下関・ 福岡調査を行ない,釜山と下関ではワークショップ「日韓境域の人と文化」をそれぞれ開催した。 このワークショップにおいて,「日韓境域研究の時代区分と『跨境人』のタイプについて」(松本), 「巨済島のキリスト教会に見るトランスナショナルなあり方」(井出)の口頭発表を行なった。11月 には研究所プロジェクトによるフォーラム「跨境コミュニティにおけるアイデンティティの持続と 再編──東アジアと東南アジアからの展望」のセッション1「東アジアの跨境コミュニティ──国 際化とアイデンティティの動態」において,「韓国巨済島キリスト教会に見た跨境的生活の実態を 通じて──アイデンティティ論再考」(井出),「日韓境域の島々と『海峡圏』交流──巨済島属島 を中心に」(松本)の口頭発表を行なった。1月に井出が単独で下関・福岡調査を行なった。2年 目(2012年度)は,8月にコジェ島・釜山調査を行なった。3月に井出が単独で下関・福岡調査を 行なった。3年目(2013年度)は8月にコジェ島・釜山調査を行なった。これまで継続調査してき たキリスト教会については,より踏み込んだ調査ができた。教会再建の延期など今後とも継続調査 が必要であると思われる。その他様々な場,人々から日本と韓国の関係において重要な情報を得る ことができた3年間であった。
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ 写真① 【コジェ島】コジェヒャンギョ(郷校) 写真③ 【 ト ン ヨ ン 市 】 財 団 法 人 ハ ン サ ン テーチョプ(閑山大捷)記念事業会 写真⑤ 【トンヨン市】復元されたコブクソン (亀甲船) 写真② 【トンヨン(統営)市】トンヨン市郷 土歴史館(右)と統制営址(左奥) 写真④ 【トンヨン市】日本式家屋 写真⑥ 【釜山】釜山税関を望む
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ (文・写真 井出弘毅) 写真⑦ 【釜山】日本式家屋 写真⑨ 【釜山】仏教寺院の壁。船の上に日本 の国旗のような帆と日本人らしき着物 姿の人物が見える。 写真⑪ 【釜山】ロシア人街 写真⑧ 【釜山】日本式家屋 写真⑩ 【釜山】臨時首都記念館 写真⑫ 【釜山】中華街
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ (8)シンガポール調査 アジア文化研究所 研究員 山 本 須美子 期 間:8月25日∼28日 出 張 先:シンガポール 研究目的:外国人受け入れに関する文献収集と聞き取り調査 8月24日深夜にニューデリーを発ち,25日午前8時に予定通りシンガポールに到着した。ホテル で休息後,近代アートのギャラリーを集めた地区として最近注目されているギルマン・バラック (Gillman Barracks)を訪れ,日本人画家による作品も含めた近代アートを鑑賞した。 26日午前中はチャイナタウンの中心に位置するチャイナタウン文化遺産センター(Chinatown Cultural Heritage Center)を訪れた。19世紀初めからのチャイナタウンの歴史について,当時の 生活を復元した展示や写真等を通して,詳しく知ることができた。華僑の歴史がシンガポールとい う国家の歴史と重なることを認識させない展示ではあったが,見ごたえのあるものであった。近く にある2000年代になって設立された佛牙寺龍華院(Buddha Tooth Relic Temple)も見学した。こ の仏教寺院はきらびやかで観光客が多かったが,歴史は浅く設立の目的も不明瞭であった。
そ の 後, 午 後 3 時 半 に 国 立 シ ン ガ ポ ー ル 大 学 リ ー・ ク ァ ン ユ ー 公 共 政 策 大 学院(National University of Singapore Lee Kuan Yew School of Public policy)のムクール・アッシャー博士(Dr. Mukul Asher)を訪問し,外国人に関する現状と政策に関しての情報を得,資料収集をした。夜は アッシャー夫妻に夕食に招待していただき,さらに話を伺った。アッシャー夫妻はインドのムンバ イ出身で,研究者としてシンガポールに在住する外国人として,個人的視点からのお話も聞けた。 27日は,午前10時半から日本貿易振興機構(JETRO)シンガポールのオフィスで椎野幸平氏と 面談し,近年のシンガポール社会の変化について主に経済的視点からの話を伺った。人口の約4割 を占めるようになった外国人流入の背景や受入の現状についての情報も得ることができた。外国人 と一括りでは論じることができなく,社会階層による違いについて詳しく話を伺った。世界の富裕 層は近年節税の為にシンガポールに移住する者が多いが,他方で労働者はシンガポール人の就きた くない仕事を担い,シンガポール社会になくてはならない存在になっている。そうした中で中間層 外国人の流入が制限されていることもわかった。同日深夜の飛行機に乗り,28日の早朝成田空港に 着いた。 今回のシンガポール訪問は短い期間ではあったが,関係者から外国人流入によって変化するシン ガポール社会の現状について貴重な情報を得ることができた。シンガポールの外国人問題は,シン ガポールの現状を把握する上で 非常に重要であることを再認識 することができた。 写真 シンガポールのチャイナタウン・スミス通り(山本撮影)
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ (9)山口市調査 アジア文化研究所 客員研究員 宮 下 良 子 期 間:8月31日∼9月2日 出 張 先:山口県文書館 研究目的:研究所プロジェクト計画による下関市在住のコリアンの生業(炭焼き等)の資料収集 あいにく,台風17号の影響で宇部空港へは航空機の発着が危ぶまれたが,なんとか運航が可能と なった。先の3月に聞き取り調査を実施した下関市在住のコリアンおよび日本人の生業である炭焼 きについての資料収集を山口県文書館で行った。文書館においては閲覧希望の資料をあらかじめ検 索し,その閲覧申請書を提出することになっており,原則的に複写は禁止されている。そのため, 必要な文書や写真は利用者のデジカメ等で撮影するのだが,あいにく後半はデジカメが故障してし まい,かなり写りが不明瞭となったが,重要な報告書等はなんとか全頁撮影ができた。 また,少しの時間を利用して,近隣の山口県立博物館や中原中也記念館へも足を延ばし,前者の 歴史展では産業や殖産興業などの関係資料を閲覧した。山口市は県庁所在地ではあるが,商店街な どはほとんどがシャッター街となっており,本プロジェクトの国内における主な調査地であった下 関市に比べるとその傾向は著しい。また,地理的歴史的背景から在日コリアンが集住しているのは 下関市であり,山口市におけるコリアンの人口が少ないことは地域のコリアン食堂がほとんどない ことからも窺えるし,実際に地域の商店街の店主に尋ねるとそのような返答であった。いずれにし ろ,炭焼き関係の「木炭生産者経営動向に関する調査報告書」(1966年)などは重要な資料収集と なった。 (10)韓国・釜山市調査 アジア文化研究所 客員研究員 宮 下 良 子 期 間:9月8日∼11日 出 張 先:韓国(釜山) 今回の釜山調査は,アジア文化研究所プロジェクトの「アジア境域における跨境的生活様式の研 究─東アジア・東南アジアの比較」研究の最終年度にあたり,これまでの第二次世界大戦前に渡日 し,終戦前後に韓国へ帰還したコリアン以外の「韓国で生まれ育ったコリアン」への聞き取り調査 を主な目的とした。 その背景の一つには,平成23年から調査に協力をしていただいている釜山に拠点を置く「韓日言 語奉仕会」のメンバーのなかのほぼすべての帰還者へはインタビューが完了していること。そして 二つ目には,帰還者のみの語りではなく,韓国で生まれ育ったコリアンの視点を加えることで,よ り帰還者たちの立ち位置が韓国社会の中で相対化できると考えたからである。 そして,もう一点,今回の調査の目的として,ソウルおよび釜山に拠点をおく日本人女性の「芙 蓉会」のメンバーにも聞き取り調査を実施することを計画した。これに関しては,報告者個人の力 では困難であるので,「韓日言語奉仕会」の会長に相談し,彼の人脈の広さに助けられ,在韓日本 婦人芙蓉会釜山本部の会長であるS氏にお会いすることが可能となった。この「芙蓉会」のメン バーへの聞き取りは,本調査の主な研究対象である第二次世界大戦前に渡日し,終戦前後に韓国へ 帰還したコリアンと同じ時代背景のなかでコリアンと結婚し韓国へ渡った日本人女性たちとの比較 が目的であった。つまり,両者のアイデンティティというものが,時代背景や環境の中でどのよう に形成され,変容していったのかということに関心があったからだ。韓国で生まれたコリアン,コ
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ リアンの帰還者,日本人女性たちのそれぞれの意識や立場を照射しあうことで何が見えてくるのか ということに注目したのである。 以下,調査日程に従い,時系列にまとめてみたい。 初日の9月8日(日)は成田空港を経て金海空港に到着。その後空港バスで釜山駅へ移動した。 釜山駅近くの宿泊ホテルにて「韓日言語奉仕会」会長夫妻に会い,その後調査の打ち合わせを行っ た。その際に研究所年報の抜き刷りである「トランスナショナル・コミュニティ研究班 報告」(第 47号)を数冊献本し,大変喜んでいただいた。 9月9日(月)は午前中,「韓日言語奉仕会」のメンバーである日本からの帰還者Y氏(女性) に対して宿泊先のロビーで聞き取り調査を行う予定であったが,自宅の階段で足をくじいたという ことでキャンセルとなった。その後,「韓日言語奉仕会」の会長夫妻にホテルまで車で迎えにきて いただき,昼食後,会長が指導している日本語中級クラスの授業に参加するため水営区南川二洞住 民センターへ移動した。その後,会長夫妻と共に東莱区へ移動した。そこで在釜山日本国総領事館 のK氏と待ち合わせ,彼の車の運転で「韓日言語奉仕会」会長夫妻と共に在韓日本婦人芙蓉会釜山 本部の会長であるS氏の自宅へ伺った。私達を案内したK氏は領事館に戻り,さっそくS氏への聞 き取り調査を実施した。終了後,地下鉄の東莱駅で「韓日言語奉仕会」会長夫妻と別れ,釜山駅の 宿泊先へ戻った。 9月10日(月)は「韓日言語奉仕会」のメンバーである3人のコリアン女性に聞き取り調査を行っ た。彼女たちは1928年生まれ,1929年生まれ1931年生まれの80歳代であり,韓国で生まれ,育って いる。全員が,女学校を卒業し,2人は専業主婦,1人は教師を経て専業主婦となっている。 9月11日(火)も引き続き「韓日言語奉仕会」のメンバーである韓国生まれ,育ちの女性1人(予 定ではもう1人いたが,当日にキャンセル)と旧満州で生まれ育ち,20歳のときに韓国に帰還した 女性1人に聞き取り調査を実施した。前者の女性は1930年生まれで女学校を卒業後,教師となり, 夫は大学教授である。また,韓国人,日本人が一緒になって創作している同人誌「みどりの風」に 加入している。後者の満州生まれ,育ちの女性は1928年生まれで大連高等女学校4年のときに関東 軍陸軍看護婦となる。その後,1948年にソウルに帰還している。2人の聞き取り調査後,報告者一 人で中区南浦洞のチャガルチ市場を巡検した。 今回の調査は思いがけず,在韓日本婦人芙蓉会釜山本部の会長にお会いする機会に恵まれた。釜 山には15,6人の芙蓉会のメンバーがいらっしゃるということだが,芙蓉会の会長自身が100歳と いう高齢であり,それ以外の方々も皆高齢である。中でも歩行可能な4,5人のメンバーがいると いうことで在釜山日本国総領事館のK氏に調整していただいたようだが,あいにく当日にお会いす ることはかなわなかった。しかし,会長であるS氏には初めてお会いするにも拘わらず,丁寧に対 応していただいたことは感謝に尽きない。また,3年目の本調査で,継続できたからこそ見えてき た成果もあり,実り多い調査であった。
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ 写真2 釜山駅前のホームレスの布団 写真4 日本語中級クラス 写真6 チャガルチ市場① 写真3 水営区住民センター 写真5 大連高等女学校の同窓会記念誌 写真7 チャガルチ市場② 写真1 釜山のチャイナタウン
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ 3.研究成果 後藤 武秀 2013「対于台湾接受西洋近代法及調整慣例法──以台湾伝統公司組織的合股為例」『東洋大学アジ ア文化研究所研究年報』(47):292-298. 2013「福建省アモイと台湾の城隍廟を通じた宗教文化の交流」『東洋大学アジア文化研究所研究年 報』(47):234-237. 2013「日本統治時期台湾における慣習法の適用実態──合股を例として」『法学新報』119(9・ 10):355-380.
2013「近代日本における会社法制の誕生と変遷」,Hanyang Law Review,30(3):1-7. 井出 弘毅 2013「研究所プロジェクト『アジア境域における跨境的生活様式の研究──東アジア・東南アジア の比較』計画による調査・活動報告──下関市,福岡市調査」『アジア文化研究所研究年報』(47): 2-4. 2013「研究所プロジェクト『アジア境域における跨境的生活様式の研究──東アジア・東南アジア の比較』計画による調査・活動報告──韓国・巨済島,釜山市調査」『アジア文化研究所研究年報』 (47):11-17. 2013(発表)「韓国・巨済島に見るトランスナショナルな状況」,島嶼コミュニティ学会第3回年会 (於東洋大学). 小林 正夫
2013, Structural Change of Population of Nepal: From Preliminary Result of 2011 Population Census, 『東洋大学アジア文化研究所研究年報』(47):223-231.
松本 誠一
2013, Bibliography: Japanese Studies on Korea (English translation), Hyup CHOI ed., Representing the Cultural ‘Other’ : Japanese Anthropological Works on Korea, Gwangju: Chonnam National University Press, pp.201-327.
2013, Bibliography: Japanese Studies on Korea (Korean translation), Hyup CHOI ed., Representing the Cultural ‘Other’ : Japanese Anthropological Works on Korea, Gwngju: Chonnam National University Press, pp.328-447.
宮下 良子 2013「付録23 在日アジア系住民の宗教団体・組織一覧 在日コリアンの仏教寺院一覧」『人の移 動事典──日本からアジアへ・アジアから日本へ』,丸善出版,351-352. 2013(口頭発表)「在日コリアン寺院──グローカリズムの視点から」慶應義塾大学 東アジア研究 所プロジェクト「日本・中国・韓国からみた海域文化の生成と変容──『東方地中海』をめぐる 基層文化の比較研究」研究例会6,慶應義塾大学. 2013(口頭発表)「接続するローカリティ/トランスナショナリティ──在日コリアン寺院の事例 から」,『現代社会における移民と宗教プロジェクト』,宗教と社会学会2013年度第1回研究会, 東洋大学. 2013「研究所プロジェクト『アジア境域における跨境的生活様式の研究──東アジア・東南アジア の比較』計画による調査・活動報告──下関市の在日コリアンの炭焼きを中心とした職業調査な らびに韓国・釜山市のコリアンおよび日本人への聞き取り調査」,『東洋大学アジア文化研究所研 究年報』(47):4-10. 2013「在日演劇論⑧ 白い花──キム・ギドクの映画『アリラン』から」『Sai』69:42-44.
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││
2013「在日演劇論⑨ 生まれいずるものたちへ──映画『冬の小鳥』から」『Sai』70:40-42. 2014「第2部 各国編 韓国・仏教」『在留外国人の宗教事情に関する資料集──東アジア・中南
アメリカ編』文化庁文化部宗務課,76-77,80-82,88-91. 長津 一史
2013 Spatial Data on Distribution of Sama-Bajau Population in the Southern Philippines, Hakusan Review of Anthropology 16:139-147. 2013「移動と混淆─バジャウ人の世界」『現代インドネシアを知るための60章』村井吉敬ほか(編), 東京:明石書店,28-30. 2013「東インドネシア,海民の社会空間──ゲセル島で村井さんと考えたこと」『ワセダアジアレ ビュー』14:31-34. 2014「自然資源管理(海域)」『世界民族百科事典』国立民族学博物館(編),東京 : 丸善書店,印 刷中. 2014「マレーシア・サバ州におけるイスラームの制度化──歴史過程とその特徴」『東洋大学アジ ア文化研究所研究年報』48,印刷中.
2013(口頭発表) Jalan Tikus on the Sea: Persisting Maritime Frontiers and Multi-layered Networks in Wallacea, Asian CORE Program Seminar Interface, Negotiation, and Interaction in Southeast Asia, February 22, 2013, Kyoto: CSEAS, Kyoto University.
2013(口頭発表)「インドネシア・境域のイスラーム実践─言語使用を中心に」国立民族博物館共 同研究会『映像資料を活用したイスラームの多様性についての地域間比較研究』3月3日,茨木 市:国立民族学博物館.
2013(口頭発表)「海道の社会史──ウォーレシアにおける海民ネットワークの動態的連繋」『東南 アジアの海とひと』第7回研究会,5月26日,京都:京都大学東南アジア研究所.
2013( 口 頭 発 表 ) From Tortoise Shell to Grouper: Marine Recourse Exploitation and the Making of Maritime Creole in Wallacea, International Workshop World History for Current Issues: Environmental Issues, Globalization, and Confl icts) October 5-6, Tokyo: the University of Tokyo. 2013(口頭発表)「東南アジアの海民サマと海産資源をめぐるネットワーク」国立民族学博物館共 同研究シンポジウム『アジア・オセアニアの海域ネットワーク社会と八重山諸島』11月10日,石 垣市:大濱信泉記念館. 2013(口頭発表)「趣旨説明」および「民族生成をめぐる国家と地域の文脈──マレーシアとイン ドネシアのバジャウ人」第22回日本マレーシア学会研究大会シンポジウム『比較のなかのマレー シア──民族と宗教に関する国家・地域間比較への展望』,12月15日,京都:同志社大学. 4.まとめにかえて われわれは2007年7月から2008年3月まで「境域アジアのトランスナショナル・コミュニティ ──地域間比較の試みとして」,2008年4月から2011年3月まで「境域アジアのトランスナショナ ル・コミュニティ──地域間比較研究の定礎に向けて」,2011年4月から2014年3月まで「アジア 境域における跨境的生活様式の研究──東アジア・東南アジアの比較」という課題を掲げて共同研 究を実施してきた。 その経緯と成果は各年の本報告に記載してきたが,共同研究メンバーはそれぞれに代表者となっ ていたり,研究分担者となっていたりしている科研費など,他の研究計画などでも成果を残してき ており,また新規の研究費獲得も行われている。
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ ここでは共通課題中のキーワード「トランスナショナル」と「跨境的生活様式」に対する現時点 での小考を記しておき,後日に備えたい。 (1)「トランスナショナル」の意味について この間に松本は,まだ一般になじみの薄い「トランスナショナル」の概念に関して「transnational ノート」の小考を成し,「transnational の語は20世紀からの語で,当初は政治・経済・宗教などの 国境を越えた拡張,拡張主義に対して用いられていたのが,近年はグローバル化の状況の中での個 人や家族の生活展開における動き(国境を跨いだ生活)に対して用いられるように変わってきてい ると言えよう」[松本 2011:24]とした。 「トランスナショナル」の語は接頭辞「トランス(trans)」と「ナショナル(national)」からな る語で,「トランス」には「越えて」「横切って」「貫いて」「通って」「完全に」「他の側へ」「別の 状態[場所]へ」「超越して」「... の向こう側の」などの意味がある(岩崎民平監修『現代英語辞典』 研究社,1980)。 そして,「ナショナル」の語幹「ネーション(nation)」には「国民」「国家」「民族」などの意味 がある。この三語は単一民族国家であれば,3語が具体的にさす人間集団は同じ人々であり得る。 しかし,世界で一民族が国民人口中に占める比率が最も高いのは,日本・韓国・北朝鮮とフォーク ランド諸島であり,日本も韓国も現在は多文化化が進んでいるとされていて,「単一民族国家」で あるとは自認していない。北朝鮮とフォークランド諸島の事情は分からないが,世界に「単一民族 国家」はないと言うしかないであろう。そうであれば,「国民」と「民族」は一致しない。ここで ややこしくなるのは「ナショナリズム」の概念である。 「ナショナリズム」を「国民主義」「国家主義」「民族主義」と訳せば,それぞれ意味するところ は異なってくる。片かな「ナショナリズム」はよく多用される語であるが,個々の使用例ではどの 意味で使用されているのか。「国民主義」と言えば,国民第一に考え,国家の不都合を国民にしわ 寄せしないイメージが浮かぶ。外国人は埒外に置くかもしれない。しばらく前までの日本の社会福 祉制度は日本国民のみを対象とするサービスであった。「国家主義」と言えば,国民はあれこれ不 便な抑制をこうむる。国民の自由は後回しにされるかもしれない。「民族主義」と言えば,自民族 中心主義を思い浮かべる。他民族は排外の対象となる。「愛他的,利他的な民族主義」というモデ ルがあれば,他民族とも結びつくが,現実にそういうモデルがあるであろうか。 ここに「トランス」を付けて「超国民主義」「超国家主義」「超民族主義」と訳すと,「ナショナ リズム」の訳のややこしさほど難しくはないように思えてくる。「貫いて」や「完全に」の意味で はどう解釈できるか問題は残るが,ともかく3つのどれか分からない枠を超えている点で,精神的 にも「向こう側へ行っちゃってる」,こだわりから自由になれる気楽さを覚えないであろうか。 ところで,「ナショナル」に関わる近代国民国家(Nation-state)概念は,国境内の住民を国民と して同化させる型と,一民族が一国家にまとまる(民族自立)という理想の型とで説明される。イ ギリスやフランスが近代国民国家のモデルだとする説明も見えるが,英連邦という諸国家の連合, フランス語圏諸国家の連帯という側面を見落とさないようにしたい。中国は漢族と55の公認された 少数民族からなる多民族国家であるが,『辞海』に「中華民族」の項目があり,これは中華人民共 和国の国民全体を指しているとされる。 (2)「跨境的生活様式」について 近年,「跨境」の語を用いた大型共同研究が次々と現れている。例えば,北海道大学・京都大学 の例があり,そこでは跨境史・跨境民族・跨境人(transnational actor)の語が用語化されている。 跨境史は従来の「辺境」研究の視角(中央と辺境の関連性等の問題)とは異なり,境域に視点を定 めて「国境を越えた相互作用」に注目することで,これまでの歴史研究の空白を埋める意義がある
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ とする。 中国語では跨境貿易,跨境経済区・工業区などの語が常用化している。中国朝鮮族研究では跨境 生活圏の語も使用され始めている。 たとえば中国で「跨境貿易」と使用される場合は,日本語では「国境貿易」と訳される。中国で は「跨界」の語も使われており,こちらは国内の民族自治区と隣接行政区域との間の境界線を跨ぐ ような場合に用いられている[松本 2012:1−3]。 それはそれとして,現在の国連を構成する基礎単位を国民国家とすると,世界の動きもその各国 家で作成される統計,調査された資料を基として把握されている。この点で一つの疑問を覚えるの は,次のような「トランスナショナル」な人々のつながりの例である。 たとえば一組の仲の良い夫婦がいて,普段は妻は韓国に,夫はアメリカにいる。こういう生活を 年来のものとしている。休暇のたびに二人は相手の下へ行く。この場合,韓国とアメリカの人口セ ンサスではそれぞれ「有配偶であるが,単身世帯」と把握されているであろうが,夫婦間の国際間 の連絡は密で,信頼関係はゆるぎない。 また,別の例で,ある家族がいて,夫は韓国で働き,子どもはアメリカに留学し,妻も子供の世 話のため,妻子がアメリカにいる。休暇に夫が妻子に会いにアメリカへ行く。その方が交通費は経 済的だからである。これも人口センサスでは,韓国側で男性単身世帯,アメリカ側で母子世帯とし て把握される。
この問題に対して,松本は家族社会学の修正拡大家族(modifi ed extended family)の概念を援 用して,修正核家族(modifi ed nuclear family)という概念も立てうると唱えた[松本 2009]が, 特に反応はない。修正拡大家族とは,核家族化が進んでいると言われた1970∼1980年代でも,故郷 と都市に離れて暮らす家族同士が実際には緊密な相互扶助関係,情緒関係を維持していて,イエ制 度が崩壊したと短絡的に言えない,という論議があった。統計上,単身世帯や欠損家族世帯と表れ ていても,遠くに補い合う家族員がいて,機能面では拡大家族が存在を続けているという説を語る のに提起された概念である。しかし,そういう関係は拡大家族ばかりではなく,核家族員同士の間 でもある。そして,その分居は国内分居だけでなく,国境を超えての分居もあり,それが増えてい る。こうした国際的に別居している家族は増加しているが,国民国家の枠内で行われる統計調査で は把握しがたい。在外国民の統計的調査研究がもっと推進されるべきであろう。 ところで,19世紀以前もグローバルな人々の移住があった。世界史において西洋列強が植民地主 義を展開させたのは16世紀から19世紀にかけての時代であった。宗主国から,たとえば農民が植民 地へ渡り,開墾して新世界に農村を築いた。人類学で言う狩猟採集社会の次に来る農民社会はどち らかと言えば「定着的」な社会であるが,農民の遠隔地への移住があった。過剰人口が新天地を求 めてであったり,飢饉・悪政を逃れての移住であったり,出移民を押し出す要因は一様ではない。 社会学史上,移民研究で著名なトマスとズナニエツキの『ヨーロッパとアメリカにおけるポーラン ド農民』(1918-1920)は20世紀に入ってからの作品であるが,ポーランドとアメリカの間での農民 移民の生活展開を追っている。 農民社会の次に来た産業社会は,基本的に人々の移動的な生活様式を有するという特徴をもつ。 産業革命・工業化,および都市化の進展は人の移動を促進した。農村から労働力を工業地帯,都市 へ集め,非農民層の植民地への移動も盛んになった。 その移動に際し,それまで共同生活してきた家族や知友と別れることになる。その場面で,それ が永遠の別れになるかもしれないという感慨が持たれた。港では紙テープの両端を船上の客と埠頭 の見送り人との間で持ち合い,ドラと汽笛が鳴り船が出航を始めても紙テープを繰り出して,でき るだけ繋がっていようとした。涙の別れの光景があった。一方,空港には親しい者が多数見送りに
アジア境域における跨境的生活様式の研究││東アジア・東南アジアの比較││ 出た。帰国に際しては,関係者が出迎えに行った。 それが,現在では涙の別れの光景が急速に減ってきている。現在の日韓境域では釜山から福岡へ 高速船で日帰りの買い物に来る人々がいる。対馬海峡,玄界灘をはさんで家族が分かれて住んでい ても,電話したその日のうちに会いに行ける。 日本の隠居制研究において,隠居世帯と子ども家族世帯との関係を分析する際に「同居,同財, 同かまど」「同居,別財,別かまど」などの語句で説明されることがあった。居住を共にするか, 財産を共有しているか,食事を共にしているかで,親夫婦と子夫婦家族との諸事例間で比較分析を 行う。世帯が分離しているか否か,家族機能が未分化か,分化しているかは一見してわかるとは限 らない。現在は家族クレジットカードの普及で,国境をはさんで暮らしていれば,居住と食事は別 にせざるを得ないが,クレジットカードにより家族の同一口座から生活費を引き出すということが できる。「別居,同財,別かまど」である。 国民国家の枠に収まらない国際的な人々の生活スタイルが増えていて,国際的なネットワーク, コミュニティへの帰属意識,アイデンティティをもつ人々が増えてくる。しかし,そういうボーダ レス国民の増加により,国家は既存の体制の危機を覚えるようになる。国民国家に代わりうる枠組 みはない,ということを人々に再認識させるために主権を奪われることの脅威や,ナショナリズム の強調を繰り返すことより,新たな社会文化システムの構築を課題とすべきであろう。 参照文献 松本 誠一
2009(口頭発表)「修正核家族 modifi ed nuclear family 考」,比較家族史学会第51回研究大会(大 阪大学豊中キャンパス).
2012「《特集》跨境コミュニティにおけるアイデンティティの持続と再編──東アジアと東南アジ アの事例から(序)」『白山人類学』15:1-6.
2013(口頭発表)「跨境的生活様式をめぐる概念群について──家族を中心に」,東洋大学アジア文 化研究所第7回年次集会.
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