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-1フランスの国民社会主義構想を中心に││
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1一一『奈良法学会雑誌』第9巻2号(1996年9月〉 お えき
ま 近年にいたるまでナチ・イデオロギーに関する内外の研究は、このイデオロギーの中に占める国民社会主義構想の 内容やその意義にたいし、大きな関心を払つてはこなかった。例えば、ミヒャルカが一九七三年にナチ・イデオロギ ーに関する研究動向を整理し、かっこれに論評を加えた時、彼が取り扱ったのは、主としてヒトラーやヒムラ l の人 ハ 1 ) 種論を対象とした研究であった。ただしこれは、別段、ミヒャルカの遺漏であるとはいえない。何故なら、七三年ま での時点ではナチ・イデオロギーの研究といえば、人種論ないし反ユダヤ主義の解明が中心課題となっていたのであ り、国民社会主義構想の問題は、この時点ではまだ視野のそとに置かれていたからである。 これと類似の傾向は、その翌年にも見いだされる。即ちレ 1 ン は 、 一九七四年に発表した論説の中でナチ・イデオ ロ ギ l の研究について論じた時、 ﹁ こ こ 一O
年の問、歴史家たちはナチズムの歴史の殆んどすべての局面を再解釈しハ 2 ﹀ 始めている。:::しかしながらナチ・イデオロギーに関する満足のゆく再解釈は、今なお現れてきてはいない﹂、ま たコナチ・イデオロギーを究明する︺課題が体系的やり方で試みられなかったのは、ナチ︹研究︺の歴史叙述に特有な怠 ( 3 ﹀ 慢の一つである﹂ときわめて適切な指摘を行い、この分野における研究の進展の必要を力説した。だがこのレ 1 ン 自 ハ 4 ﹀ 身が一連のナチ党指導者の思想を考察の対象に取り上げた際、国民社会主義構想には全く言及しなかったのである。 もちろん人種論をナチ・イデオロギーの構成的中核として重視するアプローチは、それ自体としては適切といわな ければならない。そのような研究動向は、 一 九 九
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年代にも継承されており、例えば、 アルトゲルトがナチ・イデオ ロギーを考察した時、彼は自己保存と増殖をめぐる人種間の闘争を、このイデオロギーの中枢とみなして、その解明 ハ 5 ﹀ に取り組んだ。 このように見てくると、ミヒャルカが取り扱った一九七O
年前後の歴史家から九0
年代のアルトゲルトにいたるま での研究者たちは、人種論ないし反ユダヤ主義に重点を置き、その反面、国民社会主義構想の究明を軽視ないし無視 してきたことが判明する。ドイツの学界において、この構想に重要な意義を認め、その内容の究明と取り組む研究が 次第に本格化するのは一九八0
年代に入ってからのことである。だが予想外のことながらフランス・ファシズムを研 究する歴史家の聞では、一九六0
年代から国民社会主義構想に大きな関心が払われ、またファシスト・イデオロギー の中に占める、この構想にも高い位置づけが与えられていたのである。 以上のような学界動向を念頭において、本稿は、ドイツとフランスの両ファシズムにおける国民社会主義構想の探 究の歩みを学説史的に取り上げ、この構想に関し、明らかにされた成果をまず提示してみたい。 ついで時期をフラン スの。フレ・ファシズムの時期に限定し、 一八九八年に﹁国民主義的社会主義﹂ 由 。 丘 町 凶-2
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ロ 釦 丘 OD 丘町加古を唱えて 活躍したパレスに焦点をあて、彼の国民社会主義構想の内容を明らかにする。本稿は、このような比較史的な視野とハ 6 ) 手続きによって、国民社会主義構想に関する認識をより一層、深めることを目的としている。 3一一ファシスト・イデオロギーの比較史 ( 1 ) t 巧 弓 。 H ∞ . ﹄ m J H 由 叶 ω ・ ∞ -M H O -N H 印 ・ N H 申 l N N M -( 2 ﹀切回円 σ 同 E ζ ・ 戸 田 口 P Z 向 N F 宮 市 D H O B
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においても、ナチ・イデオロギーの取り扱いに関しては、前掲論文と同じ傾向が見られる。 ( 5 ) 君。民間出口同旨仲間色円 Y E 四百 g -o 問 ぽ 己 g Z 丘 町 D D 回 目 白 O N E U B Z 田口ロ己主門司︿。ユ m Z P F Z 一 阿 国 ユ ロ ・ 出 EnZ ﹃ ロ - H L W O ぐ 丘 町 由 巳 ( 出 岡 田 - Y 明 白 血 n y U B Z 田 口 口 弘 Z 恒 三 Oロ 色 白 O N 日 丘 町 田 ヨ ロ 印 ( 切 叩 円 ロ ロ w 同 由 申 H ) ・ ω -H -H H l H H M -( 6 ) このように本稿は、ファシスト・イデオロギーにはそれなりに独自な構想が存することを前提にしているが、ここでやや 詳しく言及しておきたいのは、ファシスト・イデオロギーに関する機会主義テーゼ(ないしは能動的ニヒリズム・テーゼ) の問題である。欧米の学界では一九六0
年代以降、機会主義テーゼへの批判が提起され、さきに取り上げたミヒャルカも一 九七三年の時点で、ナチ・イデオロギーを無原則な機会主義とみなすテーゼに疑問を唱え、そのテ i ゼからの脱却の必要を 説いていた(冨片町民 wpo ℃ -n x J ω -N H S 。しかしわが国では、このテーゼが根強く維持されつづけている。例えば高名な 政治学者である内山秀夫氏は、﹁イデオロギーとしてのファシズムは存在しない﹂と記し(同﹁政治の変動11運動とイデ オロギー 1 1 i ﹂高島通敏・関寛治編﹃政治学﹄︹有斐閣・一九七八年初版第一刷二九九五年初版第二九刷︺、一四一ページ)、 その根拠として一九五六年刊行の﹃政治学事典﹄(平凡社)に掲載された丸山真男氏の﹁ファシズム﹂という項目中の一節 を引用する││﹁ファシズムは具体的状況において、その機能をはたすためにもっとも有効なイデオロギーでみずからを扮 装する。・・イデオロギーから政策がうみだされるのではなしに、逆にファシズムの n 政策 u に好都合なイデオロギーが動 員されるのである﹂(一四一1
一四二ページ﹀。丸山氏が一九五0
年代半ばの時点で、このような古典的ともいうべき機会 主義テーゼ(ただしこの語は丸山氏においては使用されていない)を主張したことは、その時期までのファシスト・イデオロ ギ l 研究の国際的動向・水準に照らしてみると、止むをえない面があった。しかしこの機会主義テーゼは、一九六
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年代 以降には批判の対象となってくるのであり、内山氏がそのような新しい研究動向を全く素通りして、五0
年代の泊説を一九 九五年段階においても、固持しつづけるのは、余りにも安易すぎるのではないか。例えば氏は、機会主義テーゼ脱却のうえ にたちつつ広くヨーロッパ諸国のファシスト・イデオロギーの性格を探究し、わが国でも参照が容易なN
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年代の機会主義テーゼのほうにメリットを 認め、この説をあらためて自覚的に選択したのであろうか。同じくこの機会主義テーゼの支持者に伊集院立氏がいる。氏は このテーゼ否認のうえにたち、かつナチ・イデオロギーにはそれなりの内在的論理があることを複数のレヴェルにわたって 検証した拙著﹃ナチ党の思想と運動﹄(名古屋大学出版会・一九九O
年)への書評の中で﹁著者がそのように努力されれば されるほど、やはりナチズムのイデオロギーに﹃不動の世界観﹄は存在せず、その﹃複合﹄性は、戦術・戦略的な側面も強 かったのではないか﹂(﹃西洋史学﹄一六一号、一九九一年、六六ページ﹀という批判を提示した。他方で氏は、丸山真男氏 の能動的ニヒリズム・テーゼにも着目し、﹁丸山氏のいわれるニヒルな﹃近代性﹄についての著者なりの見解も期待したか った﹂(向、六六ページ)という要請も記した。この伊集院氏の期待に応えるためには、丸山氏の能動的ニヒリズム・テー ゼへの批判にまで朔及しなければならないが、いま本稿ではその余裕がない(ただし筆者の見解では、その提唱者一一1チェ の場合は別として、丸山氏の説く意味での能動的ニヒリズム・テーゼは混乱を含んだ未整理な概念である﹀。ただ強調して おきたいのは、このテーゼを丸山氏が五0
年代半ば頃に主張したことは、当時の国際的水準に照らして止むをえなかった商 があるのであり、むしろ問題は一九九一年の段階においても伊集院氏がこのテーゼにいまだに引きずられている観のあるこ とである。ただ一つだけ丸山氏の能動的ニヒリズム・テーゼへの批判をここであげておくならば、氏は﹁日本ファシズム運 動のイデオロギー的特質﹂として﹁家族主義的傾向﹂﹁農本主義的思想﹂﹁大亜細亜主義に基くアジア諸民族の解放﹂の三 点を提起している(同﹃現代政治の思想と行動﹄上巻︹未来社・一九五六年︺、三五1
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概念のレヴェルでは、﹁ファシズムの運動と体制に陪くまつわるニヒリズム的性格﹂を 指摘し、その根源を﹁積極的目的と理想の欠如﹂﹁そこでは﹃何のための闘争か﹄という問題がいつしか消え失せている﹂ ことの中に見いだしているハ同﹃現代政治の思想と行動﹄下巻︹未来社・一九五七年︺、三一一一ページ)。このように上位概念ではそのイデオロギーにおける目的の消失をあげ、下位概念の白本ファシズムには画定的立脚点としての目的の存在を 説くことは、論理として破綻してはいないか。同じことは伊集院氏にも妥当する。即ち氏はナチ党の農業政策の指導者グレ ー に つ き 、 前 掲 拙 著 で 氏 の 主 張 に 寄 せ た 批 判 ( 一 二 ハ 六 ペ ー ジ ﹀ に た い し 、 ﹁ 評 者 は や は り ダ レ l の人種論的エリート論の側 面を重視したい﹂(前掲書評、六八ページ)と反論して自説を固持している。筆者はこの反論に同意しないが、氏が機会主 義テーゼ(ないし能動的ニヒリズム・テ!ゼ﹀に立脚する以上、このダレ I の﹁人種論的エリート論﹂も便宜的な戦略・戦 術上の主張にすぎないものになる答であり、これを拙著への反論という形をとって、ダレ l の 固 定 的 立 脚 点 ( ダ レ l の ﹁ 農 本思想﹂の﹁中軸﹂)として持ちだしてくるのは、やはり大きな矛盾ではないであろうか。総じて、機会主義テーゼや能動 的ニヒリズム・テーゼは、そもそもの初発からファシズム研究の進展に内側からブレーキをかける働きをするものとして、 そ の 克 服 が 必 要 で あ る と 思 う 。
第一章
ド イ ツ の 国 民 社 会 主 義 構 想 の 研 究 ドイツの国民社会主義構想に関する取り組みが本格化するのは、先にも指摘したように一九八0
年代に入って以降 5一一ファシスト・イデオロギーの比較史 のこととみなして差し支えない。まず注目に値するのはツィテルマンの研究、とりわけ彼の次のような主張であるi
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﹁ヒトラーの過小評価は、彼を目的も計画ももたずに行動し、ひたすら権力欲にとりつかれた機会主義者と描く ことの中にとりわけ現れている﹂と。そしてツィテルマンは﹁︹自らを︺国民主義と社会主義の総合と唱える国民社会 主義の主張は、真剣に受けとめられてこなかった﹂とのベて、機会主義テーゼの延長線上に国民社会主義構想の軽視 が生じたことに苦言を呈するのである。また彼はヒトラーのもとにおける国民主義と社会主義の両概念の同一性と相 主互換性││﹁社会主義は国民主義となり、国民主義は社会主義となる。社会主義と国民主義の両者は一つのもので ーーに注意を喚起したが、この両概念の等置を確認することは国民社会 あ る ︿ 一 九 二 七 年 三 月 二 七 日 の ヒ ト ラ ー 演 説 ﹀ ﹂ 主義理解の大前提となるのであって、 ツィテルマンがこの局面を言いあてたのは、きわめて適切たことといわなけれ4 4 m F A 、 つ r h
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o p u サ J ︽ レ 4 ナ J 1 u さらに彼はナチ党の労働者獲得の志向にも大きな関心を払い、 ﹁何故、国民社会主義ドイツ労働者党は自らを﹃労 働者党﹄と記したのであろうか。その大きな理由は、この党が主として労働者層を自らの側に獲得するべく努力した ハ 4 U ことの中にある。その限りで、党はその主張するところからいって:::労働者党であったのである﹂と主張した。加﹂ の一節で、彼は国民社会主義構想の把握にあたっては、党の理念の内在的な自己理解から出発すべきことを説いてい るのであって、彼の手法は的を射たものと高く評価しなければならないであろう。このようにツィテルマンの提言は、 国民社会主義イデオロギーの内容に迫りうる多くの有益な示唆を含んでいたが、ただし彼の場合、国民社会主義概念 と労働者獲得の志向性との関連の追求がなお不十分であり、この点でこの両者の総合的把握には大きな空白の部分を あとに残した。 なるほどクレプシュは、 一 九 九O
年刊行の著作において、 ヒトラーの﹃わが闘争﹄にのべられた経済構想を取り扱 かつ労働者層の社会的・文化的状態の改善を通じて彼 らを民族共同体の中へ組み入れるという構想をいだいていたことに言及した。これはそれ自体としては適切な主張で っ た 際 、 ヒトラーがナチ党の労働者獲得に大きな意義を認め、 あり、国民社会主義構想への研究を前進させる萌芽をもつものであった。だがクレ。フシュの場合、 会主義構想への指摘は、たまたまその中味をいいあてたにすぎないという程度に止まっており、この構想を自覚的に このような国民社 取り上げて体系的に説明し、 かつナチ・イデオロギーに占めるその位置づけを明確に示した論述ではなかった。 いましがたツィテルマンが一九八七年の著作でナチ党の労働者獲得の志向性に寄ぜた関心を紹介しておいたが、同BO
の 活 動 を 、 一九三一年一月以降、経営内の労働者獲得をめざした国民社会主義経営細胞機構NS
﹁NSBO
の問題は、国民社会主義一般の問題の中心点にたつ﹂という視野から、詳細に追求した。 じ年にグラッツェンベルクは、彼 の 著 作 は 、 ナチ党の労働者獲得に関する本格的な研究と評価することができるが、さらに九五年にはポンスがこれ を継承・発展さぜる方向で、 ナチ党の労働者政策に関する著述を公刊した。彼はグラッツェンベルクの研究を念頭に 置 け ば 、 いささか言い過ぎにはなるけれども、次のような適切な指摘を行う
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﹁一九三三年前における国民社会主 義の労働者政策に関しては、これまでその体系的取り組みが欠如していた。 会主義の闘争の動機、イデオロギー的綱領的基礎、社会政治上の方針の設定、経営内での実践、とりわけその効果、 これらの重要な局面の学問的討議は、殆んど着手されてはこなかった﹂と。そして彼は﹁ドイツ・ファシズムの起源、 ﹃ドイツの労働者の魂を求める﹄国民社 本質的特徴、貫徹条件を探究する人は、その大衆的基盤の労働者的要素に関する討議を回避してはならないであろ う﹂と提言しながら、自らの研究課題を﹁﹃国民社会主義﹄ないし民族共同体における労働者問題の総体的解決モデ ルの体系的再構成と分析的解明﹂の中に求めた。 ﹁国民社会主義による 7-ーヲァシスト・イデオロギーの比較史 またポンスの別な主張によるならば、自らの著作で、とりわけ取り組みの対象としたのは、 労働者論議の中に含まれている労働者問題のイデオロギー的解釈﹂なのであった。このような立場にたっ彼が、 党の労働者政策に関し、これまでしばしば見られたような機会主義的解釈を退けたのは当然のことであった。 ﹁ 国 民 ナチ 社会主義ドイツ労働者党を﹃労働者層の征服﹄ へと駆りたてた動機を、何はさておき国内政治上の権力闘争における 戦術的打算の結果と解釈することは、誤りである。それどころか党の労働者政策は、その核心において﹃民族共同体 の中への労働者層の永続的で、自己の意志に基づくあらたな組み入れ﹄をめざしており、ひたすら権力戦術的で、選 挙戦術的な動機の明確な超越を示していた﹂というのである。 ポンスは、このような見地からNSBO
の活動を探究したが、以上に見てきたドイツでの研究上の歩みにより、ド イツ・ファシズムにおける国民社会主義構想とその労働者獲得の志向との関連の把握は、本格化の一途を辿ってゆく円 ロ ﹀ の で あ る 。 ファシスト・イデすロギーを国民社会主義概念を基軸として考察する視野は、ドイツ以外のファシズムを考察する 歴史家の間では、比較的早くから見いだされる。即ちサンタレッリは、イタリアのファシズムとドイツのナチズムを ハ
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総括する概念として国民社会主義g a
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四 日 目 回 目 。 ロ 丘 町 内 ) 口 弘 と い う 語 を 使 用 し て お り 、 国 民 主 義 と 社 会 主 義 ( 実 際 除 サ ハ M H ) ンディカリズム)との融合という観点から、イタリアにおけるファシズムの先例と起源の問題に取り組んだ。またスペ イン・ファシズムの研究者ペインは、﹁国民主義と社会主義あるいは協調組合主義︹コ l ポラテイズム︺の結合は、権 ︹ お ﹀ 威主義的形態を付与されてふつう﹃ファシズム﹄として知られるものになった﹂とのベて、ファシスト・イデオロギ ーの構成的中核を国民主義と社会主義との結合のなかに見いだしており、同じくベン H アミも﹁ファランへによる国 民主義と社会主義の統合﹂という局面に着目した。さらにスペイン史家カlは、ファランへ党の創立者ホセ・アント ニオ・プリモ・デ・リヴェlラにつき、﹁ホセ・アントニオにとって:::ファランへの目的は労働者を国民主義的な 協調組合国家へ改宗させることであった﹂という主張を行った。 またハンガリーでは、 一 九 三O
年以降、国民社会主義を党名に掲げる多数のファシズム運動が出現したが、この国 のファシズム運動を研究したセレシ n ヤンツェは、矢十字党という最大の運動の指導者サlラシを取り上げ、彼にと つては国民主義と社会主義は矛盾し合う概念ではなく、逆に相互補強の関係にたつものであることを明らかにした。 このサlランの構想によれば、﹁貨幣資本主義﹂と金権的議会体制の打倒後に構築される﹁国民社会主義的労働国家﹂ の中に労働者を統合してこそ、社会調和と連帯のみなぎる共同体がはじめて建設されるというのであった。 このような学説状況を見てみると、ドイツ以外のファシズムを研究した歴史家たちは、 セレシ日ヤンツェの著作(一九八九年刊﹀を除けば、予想外に早く国民社会主義構想の意義に着目していたことが判明する。 こ れ は 、 国民社会 主義をドイツのファシスト・イデオロギーの構成的中核とみなす研究の登場がドイツにおいては一九八
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年代に入つ て以降の事態であることと、対照的な動向といえないであろうか。 さらに看過してならないのは、 フランス・ファシズムと取り組んだ歴史家たちが、早くからこの国のファシズム (ないしプレ・ファシズム)における国民社会主義構想の登場とその意義に関心を寄せていたことである。 しかも彼ら のファシズム研究からは、きわめて興味深い提言も聞くことができる。次章においてそのような局面を考察してみる ことにしよう。 9一一ファシスト・イデオロギーの比較史 ︿ 1 ﹀河田町ロ開門 N X 巴B
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・なお筆者はツィテルマソに先立ち、ヒトラーのもとにおける両概念の同一性とその結合について、不 十分ながら指摘したことがある。拙稿﹁ヒトラーの社会 H 経済観﹂﹃寧楽史苑﹄(奈良女子大学史学会)二五号、一九八O
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五一ページ。向﹁ヒトラーとドイツ労働者党ーーその入党への動機をめぐってi
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。なお田村 栄子氏は、その力作﹃若き教養市民層と才チズム││ドイツ青年・学生運動の思想の社会史l
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﹄ ( 名 古 屋 大 学 出 版 会 ・ 一 九 九六年)において、前掲の拙著(﹃ナチ党の思想と運動﹄)がナチ・イデオロギーを反近代主義ととらえたことにふれ、﹁反 近代の根本的感情の保持者が労働者への接近感情をもつであろうかという素朴な疑問﹂を禁じえないという批判を提示した (一八ページ)。拙著においては、ナチ党指導者の問に労働者問題とその解決への共通認識として以下の論旨がいだかれて いたことを述べておいた。即ち一九世紀半ば以降のドイツの工業化は大量の労働者を生みだし、彼らのもとには甚だしい貧 困が蓄積されたにもかかわらず、市民層(ブルジョワジ l ) は労働者層の悲惨な生活状態には無関心で反社会的な態度を取 り、このことが両者間の政治的対立を深め、労働者層をマルクス主義陣営へと駆りたたしめた。ナチ党指導者たちの自負に よれば、市民層が高唱するナショナリズムには社会問題解決の契機が欠如しており、市民層の手によっては結束した国民は 形成できないのであって、労働者層をマルクス主義運動から奪還し、国民の中へ統合する課題は国民社会主義者だけが達成 できるというのであった。拙著は、このような要旨のもとにナチ党の労働者問題解決への共通認識とその社会的実践を当時 の原史料を使用して記述したつもりであるが、裏づけとなるデータがまだ不足していたのであろうか。拙著は紙数の関係も あって多くのデータを割愛せざるをえなかったが、以上の立論を補強できる多数のデータが未使用のまま手許に残っている と思っている。なお田村氏がナチ党による労働者葬得の消極的な成果をみて、労働者獲得の志向はそもそもの始めから本格 的にいだかれてなかったと考えるならば、それは誤りである。またここでわが国の社会科学者に取り付く欠陥として政治的 右翼も一種の人民主義的な大衆運動を組織化しうる事態への認識が一般に希薄であることも付言しておきたい。(ただしこ うは言っても、勿論、田村氏がこのカテゴリーに含まれるなどと主張しているのではない)。二O
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!1(て-",;_)。 (~) 似制掛﹄ AQlhfE 対トャ・ム kh ト hlli=ま た 矢 十 字 党 の 労 働 者 獲 得 の 志 向 と 成 果 に つ い て は 、 拙 稿 ﹁ ハ ン ガ リ ー に お け る フ ァ シ ズ ム 運 動 │ │ 比 較 フ ァ シ ズ ム の 視 野 か ら │ │ ﹂ ﹃ 奈 良 女 子 大 学 文 学 部 研 究 年 報 ﹄ 一 一 一 六 号 、 一 九 九 二 年 、 二 八
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一 一 一0
ペ ー ジ 、 同 ﹁ 一 九 三0
年 代 ハ ン ガ リ ー に お け る 急 進 H 権 威 主 義 政 権 ー ー そ の 登 場 と 挫 析 ー ー ら ﹃ 奈 良 法 学 会 雑 誌 ﹄ ( 奈 良 産 業 大 学 法 学 会 ﹀ 七 巻 ・ 一 二 ・ 四 号 、 一 九 九 五 年 、 一O
四1
一O
五 ペ ー ジ を 参 照 さ れ た い 。第二章
フ ラ ン ス の 国 民 社 会 主 義 構 想 の 研 究 こ の ヰ 早 で は 、 フランス・ファシズムが自生的・土着的性格をもっ運動であることを論じた一連の歴史家たちの主 張を紹介することから、記述を始めてみたい。まず注目に値するのは、 スターンヘルの指摘である。即ち彼は﹁フラ ンスのファシズムは、あらゆる点からみて土着の思想であった。それはいかなる意味でも外国からの輸入品、もしく ︿ 1 ) は:::イタリア・ファシズムの漠然とした模倣とみなすことはできない﹂、 ﹁完全ナショナリズムE
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のフランス、革命的右翼のフランスは、ファシズムの真の誕生地である﹂とのベて、ファシズムを外国 ま た の、とりわけイタリアの輸入品・模倣とみなす見解をはっきりと否認した。 このような見解はスターンヘルだけに止まらない。 ス l シ ! も ﹁ ︹ フ ラ ン ス の ︺ と し て 退 け 、 ファシズムは、国外から輸入された ハ 3 V フランスにおける政治的伝統に根づいてはいなかった﹂という説を﹁誤った解釈﹂ ﹁両大戦間期のフランス・ファシズムは、イタリアもしくはドイツの模倣ではない﹂というテ l ゼを打 ﹃外国産の﹄イデオロギーであり、 ちだした。またマツガチがフランスの急進的右翼に関する研究動向を整理した時、彼は﹁一八九0
年代の急進的右翼 と一九二0
・ 三0
年代のファシスト・リーグとの結びつき﹂や、 における連結﹂を唱える学界動向を紹介した。 ﹁世紀末の極端右翼と両大戦間期ファシズムとの間さらにここで想起しておきたいのは、類概念としてのファシズムに占めるフランス・ファシズムの高い位置づけに 関しての指摘である。再びスターンヘルの提言を聞いてみよう 1 1 ﹁フランス・ファシズムは政治的には弱体であっ たにもかかわらず、:::言葉のウェ l パI的意味でファシズムの﹃理念﹄にもっとも近かった。そればかりではなく、 またフランスは他のいずれかの園、とくにイタリアにおいて類似のイデオロギーの登場するよりもまるまる二
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年も ハ 6 V ファシスト・イデオロギーが出現した国でもある﹂と。この一節でスターンヘルは、フランスのファシズムこ 前 一 に 、 そがヨーロッパでもっとも早く姿を現したばかりではなく、 ファシズムの理念型でもあったことを唱えた。 13一一ファシスト・イデオロギーの比較史 彼の著述のほかの箇所を参照してみると、次のような主張が見いだされるll
﹁急進的右翼がもっとも急速にファ シズムの基本的形態をもつにいたったのはフランスにおいてであり、またこの過程がもっとも速やかに完成した、即 ハ 7 ﹀ ち世界大戦勃発の前夜に完成したのはフランスにおいてである﹂、﹁ファシスト・イデオロギーが最初に成熟するのは まさしくフランスにおいてであり、それも第一次世界大戦の前夜までに成熟していた﹂。 しかもフランス・ファシズムの研究に従事する歴史家の聞では、早くから国民社会主義構想への関心や注目が見ら れた。いまその足跡を辿ってみるならば、パ l ンズは一八八0
年代末以降、反ユダヤ主義者として活躍したそレスを ﹁最初の国民社会主義者﹂と呼び、とりわけ一八九二年執筆のモレスの小冊子に焦点をあてて、国民主義を社会主義 と結合L
ょうとする彼の構想を、一九五O
年という早い時点で紹介した。モレスの考えによれば、労働者を財産所有 者に転化することによって、彼らの祖国との結合が達成できるというのであっお ついで一九六二年にウィ l パーがフランスにおける﹁国民社会主義的伝統の存続と特徴を跡づけ、さらにその固有 ﹁フランスの国民主義、社会主義および国民 l 社会主義﹂と題する論稿を発 な矛盾を分析する﹂ことを課題として、 表した。その際、ウィ l パ l は一八八0
年代末以降、まずプ l ラ ン ジ ェ 運 動 、 ついで反ドレフュス陣営に加担して活いち早く﹁国民主義的社会主義﹂という語を使用した先述のパレスの思想に注目した。ウィ1パ!はコ国民主 義 と 社 会 主 義 と の ︺ 支 持 者 を 欠 く こ と は な か っ た L と の ベ て 、 躍 し 、 イ デ オ ロ ギ ー 的 同 盟 は ・ : ・ : パ レ ス の 時 代 以 来 、 ﹂ の 国 における国民社会主義の潮流が一九世紀末に登場し、 かつ根強く存続していることに注意を喚起する。同様にスタ I ンヘルも、このパレスに注目し、彼の思想においては社会主義の樹立は国民主義の実現であり、また逆に国民主義は ( 日 ﹀ 社会主義の真の形態と考えられていたことを指摘した。 さらに先述のモッセは、反ユダヤ主義の文筆家として一八八
0
年代以降、注目をひいたドリュ I モンを﹁フランス ( 担 ﹀ の国民社会主義における中心人物﹂と呼び、また﹁彼は労働者階級の忠誠を獲得しようと試みるフランス右翼のきわ めて重要な人物の一人であった﹂と主張した。モッセの研究によれば、ドリュ l モンはピエトリに大きな影響を与え ( M 世 ) たが、このピエトリこそは一九O
一年に創立された ﹁フランス黄色組合全国連盟﹂ 同り九山内田凡川︼守釦己 O ロz m
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三年には国民社会主義党司月丘ω
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ロ巳を結成し、階級闘争に取っ て代る国民的連帯の樹立を叫んで活躍した人物であった。なお一九九O
年時点における指摘ではあるが、フランス・ い ﹃ 山 口 口 巾 印 の 指 導 者 と な り 、 ド リ ュ l モンについて以下のように論じたのである│i
﹁ ド リ ュ l モンの経験左 ( 路 ﹀ 思想、が、国民日社会主義のフランス的源泉の一つであったと言っても誇張にはならないだろう﹂と。 ファシズムの研究者ヴィノックは、 このようにフランス・ファシズムに取り組む歴史家の研究は、国民社会主義構想にたいし早くから関心を寄せてい たが、他方で彼らの聞からは、 ファシスト・イデオロギーに占める国民社会主義の重要な意義への提言も聞くことが ファシズムは決して出現できなかったであろう﹂と主張 できあ。即ちスターンヘルは、﹁﹃国民﹄社会主義なしには、 し、国民社会主義構想にファシスト・イデオロギーを形成する不可欠の中枢的概念としての位置づけを与えた。さら に彼はフランスにおける、この構想の永続性と目標の一貫性についても、次のように発言したーーーコ国民社会主義は︺最 初 、 ( お ) 一 八 八
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年代末に出現し、その伝統は中断することなしに第二次世界大戦まで継続した﹂、﹁ブlランジズムの 時代のパレスから一九四O
年の敗戦後のデアにいたるまで、国民社会主義は﹃国民の中へのプロレタリアートの統 合﹄という特有の目標を常に追求した﹂と。また先述のヴィノックも、 フランスにおいては一九一四年以前に﹁ファ ﹁このようなファシズムの生成過程は、言いかえれば自由主義的議会制 ( 加 V 民主主義に対抗するナショナリズムと社会主義の理論的結合にほかならなかった﹂と主張して、やはり国民社会主義 シズムの原型﹂が出現したと指摘しながら、 構想をファシスト・イデオロギーの構成的中核とみなしていた。 ファシスト・イデオロギーに占める国民社会主義の高い位置づけは、運動の実践者によっても自覚的に唱えられて いた。即ちフランス・ファシズム運動の第一波を形成したのは、 一九二五年にヴァロワが結成した﹁戦士と生産者の フ ェ ソ 1 ﹂明色2
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で あ る が 、 リズム十社会主義 H ファシズム﹂と定式化してみせた。彼の主張によれば、 ﹂のヴァロワは自らの立場を﹁ナショナ ﹁ファシズムは熱烈に心底から愛国的で 15一 一 フ ァ シ ス ト イ デ オ ロ ギ ー の 比 較 史 ナショナリズムに属するとされている。これは正しくもあるが、 あ る が 故 に 、 また同時に誤りである。 ファシズムは 熱烈に心底から:::労働者と農民の利益に結合しているが故に、社会主義に属するとされている。これは正しくもあ また同時に誤りである。ファシズムの偉大な独創性は、 ( 2 ﹀ 融合を実現することにある﹂というのである。 る が 、 ナショナリズムと社会主義というこつの大きな風潮の フランス・ファシズム運動の第二波を形成したのは、一九三三年にコティが創立した﹁フランス連帯団﹂ω
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( お ﹀ ︼ロ・山口明回目印ゆであるが、この運動は自らの立場を国民社会主義もしくは国民サンディカリズムと称していた。しかも運 動の指導者ルノーの構想によれば、 て お り 、 ﹁フランス連帯団﹂は大企業や国際金融にたいする労働者の隷属の打破をめざし 円引品﹀ ﹁﹃フランス連帯団﹄の﹃国民サンディカリズム﹄だけが労働者を祖国へ統合できる﹂というのであった。制 .;.!..J Q 阻 Q I'トぷ"1'( -4明鵡 Q 総川穏会 l絵蛍,...).;.!. Q t!' ';.L..;::-.-\ て涜 1~ 川代社以誕生選,...).;.!.ト IÌ'入1'( -<nl:{~ Parti Popu-laire Francais ~ -¥Q C' .;.!.':';" .J Q 択は偽異,...).;.!.さと阪 ';.L..;::-. M _ • I ト・且,). H 弐t!トトぶ"1'( -4会)
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トト,). 1'( ι ・ャ 1 ト守て ヨーー恥 N 江河 r-Qf ト主話題桶Al rぜ.}':jれ )~ν ム .;.!.Q~ 時点。 (...) Zeev Sternhell , Neither Right nor Left: Fascist Ideology in France (Berkeley et a 1., 1986) , p. 27. (∞) Zeev Sternhell , Mario Sznaider & Maria Asheri , The Birth of Fascist Ideology: From Cultural Rebellion to Political Revolution (Princenton , 1989) , p. 4. (的) Robert Soucy , French Fascism : The First Wave 1924-1933 (New Haven et a 1., 1986) , p. xiii. (申) Ibid. , p. 1. (凶) Paul Mazgaj , The Origins of French Radical Right: A Historiographical Essay , in: French Historical Studies , Vo 1. 15 , 1987 , p. 288. (∞) Sternhell , Neither Right nor Left.' …・" pp. 26/27. (ド) Ibid.,
p. 1. .t;王将 .J Q 吋""~ I' I I'入 κ. I'ト 0' 1'( -4 Qm ト縦割以0:'ν
t!' 1-只1( 0 主計乞主 l~ ムヤ "Q 幽岳{阪ヘえ 1ト Qill ト〉句 9 州出Jν::.
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円四と題して一九八三年にフランスで出版された ものであるが、この著作における彼の主張、即ちフランスのファシズムは自生的な思想としてヨーロッパでもっとも早く成 熟し、しかも両大戦間期のフランスにおいて大きな拡がりを見せていたという論述は、その二年前に公刊され、フランスの 思 想 そ の も の の 中 に フ ァ シ ズ ム へ の 歩 み が 見 い だ さ れ る こ と を 説 い た 切 R ロ ミ ι ・ 同 市 ロ ロ F m 4 M C F t p z m 宮崎 E 呂 田 山 田 由 ( 句 史FE2
﹀﹃フランス・イデオロギー﹄内田樹訳(国文社・一九八九年)と同様に、激しい拒絶反応に出会った。スター ンヘルの著作は、自国の歴史をファシズムとは無縁なものとみなし、その免疫性を自明の理と信じてきたフランス知識人の 歴史 H 政治意識を極度に刺激することになり、﹁スターンヘル論争﹂と呼ばれた激昂的な意見対立をひき起した。この論 争 に つ い て は 、 ﹀ 己 宮 山 o n -M V 山 口 F H り m g n -2 z g -c 虫 、 河 町 4 E Z 仏 一 N 昂 叩 4 ω Z E z -E 品目白 ( U 江 巳 ロ ♂ 山 口 一 切 口 円 。 宮 田 口 呂 田 件 。 ミρ
己 R Z ユア︿ O ︼ ・ 5 ・ 5 g 一 河 O Z 三 者 。 E -明 , H g n F 明 白 R U B -回 OFEm 宮 田 口 門 H U 洋 一 何 色 叩 口 氏 。 ロ 印 ロ ロ 同 町 巾 ω Z E Z 口 。 。 ロ 可 0 4 2 a ・ 5 H ﹄ E 吉 田- a
冨 昆 昂 EE22F ︿ O H ・s
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を参照されたい。スターンヘルはこの著作に より名誉致損を理由に告訴されるまでとなるが、アメリカの歴史家ウォlルは﹁︹今後︺二O
世紀フランスの歴史を執筆す る人は:::脇に弁護士をおき、その彼と一緒に草稿をまとめなければならないであろう﹂(者 O F r s -巳f
匂 ・2
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と、この 論争の過熱ぶりに驚きの声をあげた。スターンヘル論争は、ドイツのフィッシャ l 論争、ドイツ特有の道論争と同様に、第 二次世界大戦後におけるフランス人の歴史日政治意識を知ることのできる好事例であり、わが国のフランス史家による、こ の論争の詳細な紹介と論評とが期待される。 ( 9 ) 問 。 σ 恒 三 匂 ・ 国 司 百 四 ♂ 冨 2 2 日J
, F 冊 目 ﹃ 2 2 白 神 F O 口 m F H ω D 門 戸 丘 町 ぺ J S H m z w 唱 え 同 M D E W P ︿ o -- M M ・ -申 目 。 ・ 同 ︼ 同 u ・ω 印 叶 ¥ ω 日 ∞ ・ 財産の付与を通じて労働者を国民の中へ統合するという発想は、一九二0
年代のドイツの国民社会主義者、例えばグレl ゴ ア・シュトラッサーやゲッベルスにも見いだされる考えである。これについては、前掲拙著、一O
九1
一 一O
、二一七1
一 二八ページを参照されたい。 ( 叩 ) 関 口 mgd 司 各 市 P Z 田 昨 日 0 口 M w - 2 5 ・ ω o n 山 田 -2 5 回 口 弘 Z 白 昨 日 O 白 何 回 ︼ ・ ω o n u -2 5 山 口 明 日 ロ npz 一 F -g n } 岡田 UZユ
g -m Z 品 目 叩 m -J H O H ・ M ・ -由 -由 N ・ H V - M 叶 日 ・ ( 日 ) N m m 4 ω 丹 市 E F m E ・ 2 己 目 。 ロ 巳 ω 。n u -2 5 同 ロ 門 同 ﹀ ロ 片 山 田 町 自 主 回 吉 川 寸 宮 市 わ 同 凹 巾 D 同 旨 白 E H ・ 即 日 国 間 吋 円 2 ・ F 口 一 ﹄ O E ﹃ 口 氏 。 向 。 ロ ロ Z H d a M M O ﹃ 同 門 司 回 目 的 件 O H M J ︿ o r ∞ -H 由 叶 ω ・ 同 ︼ ・ 日 M ・ E -h 仲 間 出 ・(臼﹀冨
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・ 呂 田 ・ ( M M ) スターンヘルは、このピエトリに関し、﹁彼によって、国民社会主義はプロレタリア的になった﹂とのべている(
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万人という数字もあげられている(谷川稔 ﹃フランス社会運動史││アソシアシオンとサンディカリスム││﹄︹山川出版社・一九八三年︺、二O
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-彼のこの指摘は、加藤克夫﹁フランス・ファシズム論の﹃革新﹄﹂﹃立 命館文学││瀬原義生教授退職記念論集││﹄五三四号、一九九四年、一一一一0
ページにおいても引用されているが、注の形 であまり目立ないように記されている。このような重要な提言は、やはり本文の中で特筆すべきではなかったであろうか。 ( 路)
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ロ﹁フ アシストの寓話、ドリュ・ラ・ロシェルの﹃ジル﹄﹂、前掲訳書・第 W 部 ・ 七 章 、 四 一 一 一 一 一 ペ ー ジ 。。
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・ 由 0 ・ ヴ ィ ノ ッ ク ﹁ フ ァ シ ス ト の 寓 話 : : : ﹂ 前 掲 訳 書 、 四 三 一 一 ペ ー ジ 。 ( 幻 ) ( 担 ) ( お ﹀ ( M ) ( お )第三章
新 し い ナ シ ョ ナ リ ズ ム それでは国民社会主義構想とは、 いったい、どのような要素から構成されているのであろうか。この問題をあらた めて検討してみたい。 この間いにたいし、やはり注目したく思うのは、 スターンヘルが提出した回答である。彼の見解によれば、この構 想 の 起 源 は 、 一 八 八0
年代末に登場する新穫のナショナリズムとある種のタイプの社会主義(非マルクス主義的、反マ ハ I U ルクス主義的ないしはポスト・マルクス主義的な社会主義)との総合の試みの中に見いだされるというのである。この章で t工、
一方の柱である新しいナショナリズムの局面を考察してみることにしよう。 一九世紀末にヨーロッパのナショナリズムが以前の時期にくらべて、いちじるしい変容をとげ、新しい質を帯びる にいたったことに関しては、これまで多くの歴史家によって指摘されてきた。いまその代表的な人物としてへイズを 19一一ファシスト・イデオロギーの比較史 取り上げてみるならば、彼はナショナリズムの主要な潮流を三つに分類している。即ち一八世紀に誕生し、国民国家、 国民文化の相互尊重による人類全体の福祉・進歩の達成を夢みる人文主義的ナショナリズム、 由かっ民主主義的で独立した国民国家とその相互協調を志向する自由主義的ナショナリズム、二O
世紀に登場し、内 一九世紀に興隆し、自 政面では一定の行動様式への強制的遵守を通じて反自由主義的専制的体制の樹立をめざし、対外的には自国の排他的 利益の追求に努め、他国民との協調を排斥する完全ナショナリズムE
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で あ る 。 ついでへイズのテーゼを基本的に継承しながら、 ナショナリズムを二つの類型に分類し直したのがアルターであっ た。彼はナショナリズムを、 一九世紀はじめに出現したリソルジメント・ナショナリズム 呂 田 。 沼 山- s
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と同世紀の末に登場する完全ナショナリズムE
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の二つに区別する。彼の主張によれば、前者が個人の自由と国民の自立的形成とを一体的なものととらえ、 かっそれぞれの国民国家、国民文化の相互 尊重に基づく人類全体の平和・福祉の達成をめざす(その代表的提唱者はへルダ!とマッツィ l 一一)のにたいし、後者は 国民的利益を至上の価値とみなして個人がこの要請に完全に従属・献身することを求めるとともに、他国民との協調 を排撃し、他民族の犠牲のうえに自国民の優位の貫徹に努める。さらにアルタ I の見解によれば、 ナショナリズムは ( 3 ﹀ このような変容にともなって、進歩的左翼の統合イデオロギーから右翼のそれへと転換をとげたというのであった。 このへイズとアルターによるナショナリズムの分類ならびにそれぞれの特質についての指摘は、それ自体、適切な 把握といえるであろう。だがこの際、注意しなければならないのは、この両名が一九世紀末以降のナショナリズムに 含まれる現存の政治・社会秩序へのきびしい批判と変革の志向を見落したことである。これにたいしイタリア・ファ シズムの研究者サルティは、この局面を正しく言いあてていた。彼は世紀の転換期に登場するナショナリズムを﹁新 しいナショナリズム﹂と呼び、この新種のナショナリズムが圏内の社会的階級的分裂を克服する新しい政治・社会体 制樹立の構想とも取り組んだことに関心を寄せた。またスターンヘルも完全ナショナリズムに該当するものを﹁新 L いナショナリズム﹂と規定し、このナショナリズムが集団の連帯の名において、富者、社会的不公正を非難するとと もに、それらを生みだすとみなした自由民主主義体制をも攻撃し、社会変革と新しい権威主義体制の樹立の双方を志 向したことをあげている。 ﹂のようにサルティとスターンヘルは、 ﹁新しいナショナリズム﹂の中に政治的・社会的変革への方向が含まれて いることをさぐりあてたが、この両名の把握はきわめて注目に値する。何故なら、彼らの着目したナショナリズムに よる政治的・社会的変革の志向が国民社会主義構想、 つまりファシスト・イデオロギーの中枢へとつながってゆくと 考えられるからである。
なるほどアルタ l の見解によれば、完全ナショナリズムは第一次世界大戦後のファシズム運動につながり、しかも ファシズムの中でその絶頂に達したというのである。だがこの主張には疑問が残る。完全ナショナリズムの中には、 ファシズムへ直結するものと直結しないものとの二種類の運動が考えられるのではないであろうか。 イギリス・ファシズムの研究者サ l ロ ウ は 、 ト 同 盟 ﹂ 回 ユ 江 田 町 d E O 口 。 崎 明 白 師 三 田 仲 田 と の 聞 に は 、 エドワード期イギリスの急進右翼とモ l ズリの﹁イギリス・ファシス ナショナル・インタレストの把握をめぐり明瞭な連続性が認め られ、また後者が前者のジンゴイズムを継承したと主張した。彼は﹁関税改革連盟﹂斗母出回耐え
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一 などの運動の主張とのちのイギリス・フ 7 シスト運動のそれとの聞に類似性があると指摘している。 年 結 成 ﹀ し か し そうであるからといって、これらの急進右翼の運動をファシズムの先駆者とみなすことはできないのではないか。 サ マ l ズの研究によれば、これらの連盟は、なるほどジンゴイズムを鼓吹し、 かっ自己の主張に民衆の支持を取り 21一一一ファシスト・イデオロギーの比較史 つける意向を示していた。しかしそのメンバーには保守党員が多く、議会主義体制に何んら鉾先を向けた運動ではな ( 8 ﹀ く、かっ﹁このすべて三つの連盟は、急進的な社会改革を不必要にするべくもくろまれていた﹂という。またF
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-コ I ツ ィ l は、上述の連盟の指導部が名望家層に属する人物たちから構成され、 一般メンバーの 連盟加入は自らの社会的地位の上昇を意味していたとのベ、連盟は﹁人民主義的政治の新しい体制を創出するもので はなく、イギリス保守党の運勢を助けることに努めた﹂と主張している。 なるほど﹁関税改革連盟﹂ ﹁ 艦 隊 連 盟 ﹂ ﹁国民兵役連盟﹂は、排外的なジンゴイズムを高唱し、その限りで完全ナ ショナリズムの方向にたつ運動ではあった。だがこれらの運動をただちにファシズムの先駆者とみなし、 の ち の モ i ズリの運動とやにわに直結することはできない。何故なら、これらの運動は現存の政治・社会体制を維持・強化する働きを演じ、連盟にはファシズムの特徴をなす、 それなりの政治的・社会的変革を求める人民主義的運動という性格 が取りついではいなかったからである。 まずプレ・ファシズム、 ついでファシズムへとつな、がってゆく完全ナショナリズムとは、圏内の社会的再編成を志 向し、これと連動しながら自由 H 議会主義体制に非難の鋒先を向け、 一種の人民投票的独裁の樹立をめざす、そのよ うな﹁新しいナショナリズム﹂である。次章においては、そのような﹁新しいナショナリズム﹂の性格をもち、 台、 イヨ パレスの﹁国民主義的社会主義﹂を形成する一契機となったブ l ランジェ運動を考察してみることにしよう。 ( 1 ) ω S H H H F 巾 己 w ∞ 可 白 ロ 仏 師 。 同 司 吋 巾 ロ 円 } H H り 曲 師 n u g -J ℃ ・ 念 出 回 一 広 J Z 巴 S m H 初 日 間 } エ ロ O 門 戸 市 ご : J H M ・ 日 ・ ( 2 ) の 恒 三 Oロ し ﹃ ・ 出 ・ 出 回 可 2 ・ 同 , F m 国 防 件 。 ユ 円 即 日 開 4 0 -E Z 目 。 同 冨 O 門 同 叩 5 2 三 日 D D 巳 25(zg そ J 問 。 吋 } f g ω 日 ) ・ ち ℃ -N 叶 1 ω ω ・ 5 H l E F 広品IHS-なおへイズが人文主義的ナショナリズムと自由主義的ナショナリズムのそれぞれの代表者として重視するヘルダ ! と マ ッ ツ ィ l ニにつき、前者の歴史哲学に関してではあるが、和辻哲郎氏は﹁地球上のあらゆる民族の存在の権利を公平 に承認するという、立場を実現している﹂(同﹃近代歴史哲学の先駆者 1 1 ヴィコとへルダl││﹄︹弘文堂・一九五
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年 ︺ 、 六コ一ページ)と指摘し、また森岡鉄郎氏によれば、マッツィ l ニの理想は自由かつ平等の原則に立脚する諸国民が相互に自 立しってつ人類の進歩のためにそれぞれ独自の役割﹂を遂行し、これによって人類共同体の樹立に貢献することであった というのである(同﹃マッツィ!?│イタリア民族革命の使徒││﹄︹清水書院・一九七二年︺、六四ページ。 ( 3 ) H J W 片 足 ﹀ -Z F Z S Z E 曲 目 2 5 5 ( 同 E ロ r E 2 ¥ 冨 J H 申 ∞ 印 ) ・ ω ・ ω ∞ J 8 ・ S J A F 品 ロ ・ 印 日 ・ な お ド ロ ー ズ は フ ラ ン ス の ナ シ ョ ナリズムを考察した際、それが一八八五年以降、左翼の思想から右翼の思想へと転換したとのべており己白25田USN-ロ
2 Z 同 昨 日 c p己 目 曲 目 ロ 回 全 w H F Z w m w ロ ロ 出 色 野 山 ・ 2 白 色 O ロ E -z E E 凹 己 目 円 河 巾 n F Z ロ 宮 町 門 田 口 r g k z H ∞ 叶 H S E L D 口 出 U Z ユ 印 円 } 回 叩 NO 日 g n F 円 山 内 同 ω ι ・ M H O -S さ ・ ω ・3
・またヴインクラーも同じくフランスのナショナリズムが一八八0
年代半ば以降、かつての左翼のイ デ オ ロ ギ ー か ら 右 翼 の そ れ へ と 変 質 し た こ と を 認 め て い る ( 白 色 ロ ユ n F ﹀ ・ 当 日 ロ r z p U R Z S E D 白 H U B S C H H 円 四 8 s m P E r ・ 昨 日 o p g 一 広 ︹ 国 間 ・ ︺ -Z 国 昨 日 。 口 出 -U B E ︹ H S ∞ ︺ ω ・ 同 日 ﹀ 。ハ 4 ﹀ 同