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私のコンピュータ事情  徐 知行

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Academic year: 2021

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健康文化 18 号 1997 年 6 月発行 1 随 想

私のコンピュータ事情

徐 知行 新しい学年が始まった。私も日本に来て5年目になった。この4年間に私は たくさんの新知識や新技術を勉強した。特にコンピュータについては私は最初 の“機盲(注 1)”から“できる人”になった。 私は4年前の4月18日に中国の上海から日本に来た。4年前中国ではコン ピュータはまだ珍しいものであった。上海市内の尐しの“電脳商店”で多くの 人は毎日パソコンを見ていた。パソコン操作者の手によって、パソコンディス プレイ上で一行一行の英語は速くワープロ化された。ディスプレイに表示され た文字は“天書(注 2)”みたい。意味は全く分からなかった。主な顧客は会社関 係の人達であった。コンピュータは給料の計算やワープロなどのために使って いた。まだコンピュータの値段は収入より凄く高くて、コンピュータを使う必 要はあまりないと思っている人も多かった。当時私もコンピュータについては 全然わからなかった。時々、テレビやアメリカの映画からコンピュータをみた。 “あの人は凄い。キーボート、マイクなどからコマンドを入力し、何でもでき る”と思っていた。自分はできないことがあれば、コンピュータに頼むべきと 思った。自分は心中でコンピュータのできる人が羨ましいと思った。インター ネットについては聞いたこともなかった。あの時から、私は必ずパソコンをで きるの人間になりたいと思っていた。 4年前に日本に来た。最初の一年は東京都内のある私立医科大学で研究員と して働いた。初めて研究室に入って、私はびっくりした。見たこともないの実 験設備がいっぱいで、パソコンも何台か置いてあった。パソコン操作ができな いと実験がやれないと心配した。でもそれもパソコンの勉強のいいチャンスと 思った。実験が始まった。一日の実験が終わってから、先生から教えて頂いて、 データをパソコンに入力してからパソコンの勉強も始めた。またワープロを日 本語で入力をして、日本語の勉強も進んだ。面白かったことは、漢字の暗記が 速かったことだ、漢字の音読は上海語と似ていると思った。しかしこの学校で は、私はパソコンについて尐ししか勉強できなかった。DOS、通信などは全く わからなかった。休みの日に、時々新宿や秋葉原などの電気屋に遊びに行って、

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健康文化 18 号 1997 年 6 月発行 2 色々のパソコンに触れた。自分は井の中の蛙だった。日本に来て二年目、私は 情報処理とパソコンが大好きだから、名古屋大学医学部医療情報部に大学院研 究生として入学した。医療情報部のパソコンはもっとたくさんあった。ここで 私は本番のパソコンの勉強を始めた。因みに私はインターネット、ネットワー クなど全く分からないから、医療情報部の山内一信教授にご指導を頂いて、イ ンターネットの世界に入った。先生はいつも私に“教室のパソコンは使って下 さい。よく使えば、パソコンは上手になる”と言ってくれた。教室のホームペ ージを作るときは、コマンドなど何も分からなかったが、先生は専門家を連れ てきて、教えてくれた。私は先生の指導のもとで、初めて教室のホームページ を作った。 今年、二年ぶりに中国の旧正月に上海へ戻った。上海の発展は凄い。周りに 高いビルがいっぱいで、高速道路や地下鉄ができた。二年前に私は空港から家 までタクシーでやく三十分かかっていたが、今回は高速道路で十五分のうちに 着いた。最大の変化はパソコンを持っている人がかなり増えたことである。イ ンターネットに接続している人は何万人といるらしい。本屋、電脳ショップが 大変混んでいる。計算機入門、マルチメディア、ソフトウェア、ネットワーク などコンピュータ関連の本はよく売れている。中国ではほとんどIBM互換機 を使っている。しかし複雑な原因によって、普通の市民がインターネットに接 続するには制限がある。例えばインターネットに入ってから3ヶ月以内に必ず 公安局に登録する。上海では ISDN 回線はほとんどない状態なので、ピーク時 はダイヤルインでもなかなか繋げない。今上海はインターネット、通信衛星な どで遠隔医療の実験を行っている。私は上海で主な遠隔医療実験を行っている 上海医科大学付属華山医院衛星遠隔医療診断センターに見学に行った。ビルの 4階にある二つの部屋に診断センターがある。部屋の中にPC機とスキャナが いくつか置いてある。研究環境、研究費、設備、回線状態など日本と比較にな らないほど小規模であった。しかしそんな簡単な研究環境下でも研究を行って いる。私は感動した。 時間があっという間に過ぎ去った。4年経って、私は“機盲”からコンピュ ータの操作が出来る人になった。これも教室の先生達、特に山内一信教授の優 しい熱心なご指導によるものと思っている。私は心から先生達に大学院の残り 2年間に、もっと頑張って、遠隔医療の研究に精一杯に捧げたいと思う。 注1. 機盲-コンピュータが全く分からない人 注2. 天書-読めない文書 (名古屋大学医学部大学院生)

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