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身体の文学 -広津柳浪の『残菊』-

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(1)

身  体

文  学

−広津柳浪の﹃残菊﹄.トト

     一       。。  ﹁茲にお話いたす昔語﹂ということばによっていきなり始まる主人 公お香の語りにつれて、‘﹁残菊﹂’︵明二二Iニ○︶ の読者が1ず最初に知 らされることになるのは、’お香﹁十九の春﹂の﹁或朝﹂‘を驚かせた彼女 じしんの喀血のようすと、急のしらせで呼ばれた医師七患者とのやりと りである。’  若や。肺病L肺には名誉々医者︱若し肺病といはれたら⋮⋮  ︲医者の持余す肺病といはれたら、私は因果と諦めもするが、母の力 で落し、お蝶の便なさ⋮⋮気後れがして、手を握られるのも怖し  く思はれて、此時の脈博とやらは、恐らくは実数を測られな。かっ  、たらうと思ふ位。・それから、胸を打診される時の苦しさツー打毎に  ‘−lj釘を打れる様で−d﹁−其音響の善悪、︲素より知れやう筈はない  が、悪いのかと思へば、何処の音も気R掛るやうに濁って居ます。   一音毎に、私の眼は母と共に医者の顔を離れません。医者が私の胸  に手拭を掛て、其上に耳を・つけ=呼吸を深く・・・・・・咳瞰を強く⋮  ・・︲1=と_>はるヽ度に、’欺かれるものなら欺いても見たい程の心 ’苦しさ。 一〇’三

 恵  一

人文学部国文学研究室

﹁良人の友人で長く洋行して居た事もあり、治療も余程の上手で、随分

人の驚く程な手術を施した事もあり、殊に肺病には中々名誉な人です﹂

と読者に紹介された医師の診察は、まずは適確であ’つたといっていい。﹃ ・ヘルツの・ヽ・﹁内科病論﹂︵伊勢錠五郎訳補、増補改正第五版、明二三・一三︶ は﹁肺労﹂の﹁理学的証候﹂の項に﹁視診﹂・﹁触診﹂・﹁打診﹂・﹁聴診﹂゛ の四つを挙げるが、﹁触診ハ切要ナラス﹂とあるのにたいし、﹁打診ハ甚 夕喫緊﹂であり、・﹁聴診﹂は﹁必須閥クヘカラサルモノ﹂とされていた。 また、﹁脈数増多シ脈波高ク且ツ短ク緊張カヲ減シ疾脈或ハ飛跳脈性ヲ 呈ス﹂るときは・﹁肺結核﹂を疑われゐのである︵﹁診断学︵μ汀︶﹂︵1︶︶。  ﹁診断学﹂によれば、打診は﹁直接打診﹂と﹁介達打診﹂の二種類に 分けられる。前者は﹁直チニ指端ヲ以テ胸壁ヲ打ツ﹂やりかたで﹁方今 ハ廃棄﹂されている。後者には三通りの方法があり、ひとつは‘﹁左手ノ 指ヲ以テ胸壁二抵置シ右手ノ指端ヲ以テ左手ノ指上ヲ打﹂‘つというもの で、今日でもよく行われる。もうひとつは、﹁胸上二抵置シタル打板上 ヲウーエンテル氏ノ発明シタル鎚ニテ打ツ﹂やりかたで、こうすれば﹁狭 少部ノ分界ヲ判然区別シ得ルノミナラス其検査精緻ヲ極メ鑑識明瞭トナ ル﹂゛という。さらには、鎚を用いずに指で打診板を打つやり方もあった。 ﹁残菊﹂・の主人公に用いらヽれたのは、’﹁一打﹂・﹁釘を打れる様﹂とあるこ とからい鎚を使用した﹁介達打診﹂’であったと推測される。具体的には       一

(2)

一〇四 高知大学学術研究報告 第三十五巻 ︵一九八六年度︶ 人文科学 つぎのように行う。  まず、﹁打診板﹂を左手の親指と人差指で支え、すき間を残さないよ うに前胸部に密着させる。右手のてのひらで鎚の柄を﹁掌中二自由二動 揺スル﹂ように軽く握り、手首だけを使って’﹁打診板﹂を二回から五回 程度、いずれも同じ強さで打つ。打診の部位は、鎖骨上部から始め、鎖 骨内端部、向外半部、同下部、第二肋間へと下り、それぞれ左右両胸に ついて行う。第二肋間以下は、右胸については各肋骨および肋間を順次 打ってゆきいI左胸は心臓がある。ので、’胸骨上下部、左1 胸線部、乳線部、 ..第五々いし第七肋間を打づ.   ’こうして聴取される打診音は犬その強弱・高低に、よって。﹁清音﹂”・﹁濁‘ ノ音≒﹁余響音で・鼓音﹂︵以上強弱︶・﹁深調﹂・﹁高調﹂。。﹁無響音﹂爪鉱 ’属音﹂︵以上高低︶と分け’られるが、それらは打診の対象となる器官の  構造の特性によって’決っている。﹁全ク空気ヲ含マサル器官組織ハ真純  ノ濁音絆ヲ生﹂じ、内部に空間を有する器官、たとえば肺は﹁深キ無鼓  音性ノ清音ヲ発ス﹂る。﹁肺実質全ク空気ナキ片パ清音変ノ濁音トナル﹂、  すなわちもし結核に冒された肺で﹁殆ト四センチメートル面積大ノ空気  ナキ部分ヲ有スル片ハ其部位二判然濁音ヲ呈ス﹂る。あるいは、結核に  よって肺の中に﹁少ナクモーセンチメートル半乃至ニセンチメートル﹂  の空洞が﹁表面二近ク﹂できたときにはその箇所から﹁鼓音﹂を聴く。  ただし、﹁濁音﹂や﹁鼓音﹂は肺結核によってのみもたらされるもので  はなく、肺水腫や肺炎によっても生ずることがある。   したがって、打診のみによって診断を下すのは困難であり、また、空  洞や硬化の顕著でない比較的初期の肺結核は打診によってはとらえられ  ないので、聴診を試みることが必要とな。る。   聴診にも﹁直達聴診法﹂と﹁介達聴診法﹂の二種類がある。後者は﹁聴  胸器﹂を用いるもので、﹁残菊﹂の場合、﹁胸に手拭を掛て、其上に耳を  つけ﹂とあるから、器具を用いず直接胸に耳をあてて行う﹁直達聴診法﹂        二 が採用されている。このほうが﹁器械ヲ用ヒテ聴クヨリ明カニ聴取スル ﹁.ヲ得ル﹂という。その際、﹁患者ニハ平等ノ呼吸ヲ梢ヤ早メロヲ閉チ 鼻息ヲ為サシ﹂めて,おく。・  聴診によつて聴くことのできる音は﹁呼吸音﹂と﹁副呼吸音﹂に大別 される。﹁呼吸音﹂は﹁気胞性呼吸音﹂、と﹁気管支性呼吸音﹂とに分け られ、さらにそれぞれが﹁性情﹂・﹁高深﹂・﹁長短﹂などnよって細かく 区別され心。﹁膳呼吸音﹂には、発声や咳ぎなどに伴う音が属しゾその

(3)

らといって肺結核が原因とは限らないのである。︵2︶

 ﹁実用内科全書﹂︵高橋真吉・岡本武次著、明二三・六︶によれば、医

師はまず喀血とその他の吐血とを区別しなければならな﹄’い。もし﹁鼻液

ヲ混﹂じてい。ればそれは﹁鮮血﹂であり、﹁喉頭鏡検査﹂で異状が発見

されれば﹁喉頭及気管出血﹂であり、血が﹁酸性反応﹂’を示し、﹁暗黒

凝結ヲヂ﹂していれば胃からの吐血である。それらにたいして喀血。の特

徴は、﹁咳楸ニテ略血﹂・し、﹁鮮紅泡沫ヲ混﹂じており、その血がアルカ

リ性反応を示し、なおかつ﹁気管枝分泌物及円柱上皮﹂が血に混じ。つて

いるのが観察され、患者がしばしば発熱していることにある。お香は﹁二

つ主つの軽い咳瞰﹂とともに血を吐いてヽおり、喀血と断じてよいだろう

が、喀血だとしてもその原因は、﹁肺結核﹂を筆頭に、﹁肺膿瘍﹂・﹁肺腫

瘍ピ﹁肺ノ寄生虫﹂・﹁肺炎﹂・﹁肺臓外傷﹂など十三にも及ぶのである。

 したがって、肺結核を確実に特定する唯一の方法は、患者の吐いた血

や痰の中に﹁結核︵バチルレンヒを発見することであるI?︶。コ″ホが

したように、﹁善良ノ油浸系統及ヒアツペー氏照輝装置ヲ具フル顕微鏡﹂ を用いて特殊な染料によって着色された﹁結核﹁バチルレン﹂﹂を検出 するの‘である︵伊勢錠五郎﹁結核﹁バチルレン﹂検査法﹂﹁医家十二要﹂、 明二〇・二︶。﹁残菊﹂のようにこの方法によらないとすれば、医師が診 断を下すことを可能にするのは、多種多様な症候を複雑に組み合わせる ことによっ・て構成される蓋然性以外にはない。 ︹症候︺ノ発病緩慢ニシテ潜伏性二・来ル○肺労素質ノ体格ヲ有ス`哺♂ B' StlSS' B≫ii:£' SEaS-' e^.f-HS^' S^0.初期ハ貧血症状、忽チ疲労シ易ク 身体倦惰、心悸充盛︵女子ニテ八月経異常、体力減衰、営養障害、.・ 軽度ノ発熱且ツ消化機能障害9`FrO頑固ノ喉頭及気管枝加答児 症い咳楸頻発○略血悶黙認賢な︲ひ身林追日哀痩諸筋消削・スO軽微ノ 精神感動二由テ顧頬部紅盈、体温充進︲ス○容易二発汗ス心O脂肪減 一〇五 身 体 の.文 学 ︵谷川︶

少○五官器知覚過敏○稽留性或ハ弛張性発熱○脈頻数○胸廓運動不

全○往々皮膚廠風ヲ生ス

理学的診断a■

●打診 肺尖軽濁或ハ全濁音ヲ呈スa既二空洞ヲ生スレハ鼓音、鉱

性打響、破壷音ウイントリヒ氏交換音等ヲ呈ス

●聴診 肺気胞音粗槌○呼気延長O湿性或ハ乾性水泡音0 空洞ヲ生

ズレバ気管枝呼吸音、﹃有響性水泡音、鉱性呼吸音、瓶子呼吸音等ヲ

聴ク

︵﹁実用内科全書﹂﹁肺結核﹂︶

 こうして詳細に区分され記述された一連の症候を目の前の患者に見出

しただけでは、しかし、まだ医師は肺結核という診断をためらいなく下

すことはできない。医師の決断を最後のところで支えるのは、彼個人ま

たは医学に蓄積された経験である。これらの症候が肺結核によってもた

らされたことが、過去の患者たちにおいて実証されていることが必要な

のである。ヽつまり医師は、特定の個人を超えた肺結核患者一般について

の概念を必要とする。        ヽ‘

︹証候︺患者往々或ルー定ノ事故ヲ以テ此病ノ誘因若クハ原因ナリ

ト信スルニ。拘バラス直チニ肺炎ヨリ将来スル者ヲ除クノ他真二其起

始ヲ確知シ得ルハ稀ナリ而シテ病初ニハ屡七只全身ノ怠惰疲倦ノ感

ヲ生シ食思欠乏、身体廠痩シ漸次蒼白色ヲ呈スルモ未夕咳楸ヲ発セ

サルモノアリ若シ此等ノ証候瀾久スル茜ハ虚弱家、腺病質若シクハ

肺結核ノ血系アル者ハ頗ル此病ノ疑ヲ免レサル所ナリ此ノ如キ人ニ

。於テハ心悸動常二旺盛シ且ツ甚夕刺衝性卜為ル次テ軽為ノ咳楸ヲ発・

、・シ日哺潮熱シ大約三十八度二至ル之ヲ診スル片ハ多クハ胸廓甚タ長

シト雖任狭且ツ扁平ニメ肋間広ク鎖骨寓ハ陥没シ両肩卿相離隔シ胸

一 一

(4)

-一〇六 高知大学学術研究報告 第三十五巻 ︵一九八六年度︶ 人文科学 廓ノ上部ハ呼吸ノ際充分二運動セス︵麻庫胸︶打診上二於テ未夕異 状ヲ認メサルモ聴診ニハ巳二粗烈ノ呼息、断続呼吸音、不定呼吸音 或ハ僅少ノ水泡音ヲ聴取スル﹁アリ是レ其初起ノ証候ナリ此証候荏 蒋持続シ而ノ咳嘸ハ早晩増劇シ略痰アリ初メ粘液性ナルモ后ニハ膿 状ト為ル身体ノ廠痩漸次相加り体温益い寸充進シ打診ニハ偏側或ハ両 側ノ肺尖二濁音ヲ呈ス聴診ニハ屡、、多量ノ水泡音ヲ聞ク時トメ巳二 鉱性ヲ帯フル﹁アリ又屡∼気管枝音アリ此期或ハ之二先ツテ間、’、。略 血ヲ来シ略痰中二八弾力繊維ヲ認ム此時期二至レハ体温日々昇騰シ 患者俑、’、。衰弱シ為メニ死ヲ致ス者ナリ。ド 是レ屡∼見ル所ノ経過ナリ其末期二至レハ更二腸管及喉頭所患ノ証 候ヲ顕ス﹁−多シトス       ‘︲ ︵ヘルツ﹁内科病論﹂﹁肺労﹂︶  彼女は肺結核と呼ばれる病いに冒されている。それはけっきょく、こ うして典型化された肺結核患者に彼女が該当するという資格においてで あって。、聴診において聴かれる﹁水泡音﹂やその他の症候がそれ自体で 彼女の病名を語るわけではない。すでに死亡した名もなき肺結核患者の 屍だけが、彼女の身体の示す症候を肺結核に結びつけることができる。  もちろん、実地の診断においてすべての医師がこうしたことをはっき りと意識していたわけではあるまい。いっぱんに﹁水泡音﹂や喀血はた だちに肺結核を指示する症候とみなされていただろうし、﹁残菊﹂の﹁肺 病には中々名誉な﹂医師もお香の聴診を終えるとさすがにあまり間をお くことなく病名を告げようとしている。また、その際の、病名を﹁漏さ うとして猶予する其意中﹂が具体的にかきこまれているわけでもない。 だが、にもかかわらず、医師のまなざしがどのようにして病いをとらえ るかということは、﹁残菊﹂という作品にとって決定的な意味をもつ。﹁打 診される時の苦しさ﹂というお香のことばは、奇妙な板を胸にあてられ 四

て鎚で打たれることがいったい何を意味しているのか、彼女がすでに完

全に知りぬいていることを示している。打診の際﹁其音響の善悪﹂に耳

を傾けるお香には﹁何処の音も気に掛るやうに濁って居﹂ると聴こえる。

すなわち’﹁残菊﹂においては患者が医師の行為をじゅうぶんに理解して

いるのであり、医師のみならず患者じしんもみずからを診断する。

私が予て聞て居た肺病の症候、一々胸に応へる事ばかり。若も私

が医者ならば、好し医者でないにもしろ、他人の病ひに私同様の

症候があつたら、‘私ハ遠慮なぐ肺病と診断致しませう○ ” ’

 ’こうして医師の視点が患者であるお香に内面化されていることによ り、﹃ ’残菊﹄は、’まずツ鴎外の指摘したよう。に﹁医1 中の実録﹂と見紛 うばかりの﹁病歴﹂的な正確さを獲得する︵﹁助翻掻﹂﹁めざまし草﹂明 二九・二︶。  お香の目を通して記述された症候と医学書のそれとを対比して示すと っぎのようになる。︵︿ ﹀内はヘルツ﹁内科病論﹂の記述である。︶  イ、発熱   ﹁或る日の夕刻、偶と熱が発ました﹂   ﹁一週間過ても︵中略︶熱も解る様子がありません﹂   ﹁其中に満身がぞくくと寒くなって﹂   ﹁今度ハ火の玉叡だ様な寒凱の苦しみ﹂   ︿︵熱候︶ ハ全経過中欠如スルハ極テ稀ナリ︵中略︶毎発作二屡り悪   寒シテ次二灼熱ノ感覚ヲ以テシ﹀  ロ、咳瞰   ﹁朝ダにぱか蜘も出ます`   ﹁一週間過ても、痰楸は漸次強くなるばかり﹂   ︿︵咳瞰︶ ハ概ノ閥如スル﹁ナシ﹀

(5)

ハ、胸痛  ﹁右の背から胸へ掛て、針で軽く刺さるゝ様に、妙な痛みを覚へます﹂  ︿往々病初二方ツテ肩脚部ノ疼痛ヲ訴フル者アリ是レ其初起二於ケ ’ル頗ル緊要ノ症候トス﹀ ≒ ニ、喀血  ﹁二つ三つの軽い咳楸.−何だ・か咽喉がムヅ癈く覚へたので、ハヘ  ツと一つ絞る途端に⋮⋮あら血−鮮紅なI 塊の血が﹂  ﹁糸の様な血が痰に筋を引て出た﹂  ﹁ムガリどした途端に、ゴロツと吐たは三四ロに⋮⋮叫盟﹂杯の  血﹂ ・︿其初メ胸内二温感アリ次テ液体ノ胸骨二沿テ昇騰スルカ如キヲ覚  へ随テ咳楸ヲ発シ血液ヲ喀出ス若クハ患者口内二一種ノ塩様味或ハ  血様味ヲ覚へ咳楸及声咳ヲ起シテ略血ス﹀  ︿血点若クパ血線.ヲ有スル略痰ヲ見ル片ハ肺労ノ疑アル者トス﹀  ︿喀血ハ純粋ニメ鮮紅色﹀  ︿略血ハ該病ノ経過中二屡、、反覆スル者ニメ其量ハ甚夕不同ナリ乃  チ極テ少量ヨリ五〇〇、〇以上二達ス﹀ ホ、呼吸促迫

﹁何となく胸苦しくって、折々促迫なる

さうな﹂

﹁呼吸が促迫て気が遠くなり﹂

﹁・またぐ呼吸が促迫く.なって﹂

呼吸−長く続いたら絶息

 ︿︵呼吸促迫︶ ハ概メ中等ナリ︵中略︶総テ肺労患者ハ棲上土登り或  ハ疾行スル等少ク身体ヲ運動スル片ハ忽チ之ヲ発ス又体温ノ昇騰ス  ル片モ呼吸ノ数ヲ増加ス﹀ へ、高痩  ﹁骨と皮でもつた身体、鏡見せられたら、・或は気絶したかも知れま 一〇七

身体.の文学

︵谷川︶   せん﹂  ’︿︵廠痩︶ ハ肺労二於テ最モ著シ而ノ体重漸ク減少ス︵四分ノー乃至   三分ノこ﹀       ..     .. ・・  ト、神経過敏       ﹃ .、    j・   ﹁普通の神経質でさへ、くだらぬ事に迄、あたら心を悩まします.   それが病気になれば、目に見る物、耳に聴くもの、舞下る蜘蛛、戸  ヽまどひの蜻蛉あれもこれも唯無性に気に掛ります.其中にも肺病   は別して神経が鋭敏になると云ひます﹂   ン ︰. ÷  一   t   ︿︵神経系︶大抵甚シク刺衝性ト為り軸ク喜怒ノ感動ヲ起ス﹀  また、﹁残菊﹂の最後に描かれる、﹁眼も見へなくな﹂つて﹁真黒な穴 の中﹂に落ちて行こ今とするお香に、﹁遠く﹂からその名を呼ぶ声が聞 こえるというくだりもヽ医学的な記述との対比が可能である︵.︶.・   肺労ハ徐死ヲ以テ常トス徐死トハ衰耗極マリ脂肪尽ク消失シ筋肉枯   凋シ膚皮蒼色トナリ血行機呼吸機共二微弱トナリ仮死ヲ為ス﹁数回   終二真死ヲ致ス︵中略︶嗅味ノニ管先ツ廃絶シ触覚ハ漸々減少シ   結膜ソ知覚ハ最後二至り全ク消失ス且ツ下身冷却スルヲ自覚シ視力   減衰シ瞑暗ヲ訴へ最後二聴官ノ感ヲ失.フ︵仁田桂次郎・﹁肺労治論﹂   第二篇、明ヱハ・五︶      ’・  以上すなわち、盗汗などを除く肺結核の主要な症候のほとんどはお香 によってきわめて正確に把握されていたといっていい。   ヽ・ノ  ーこれらの﹁残菊﹂。の表現が、同じく肺結核の主人公をもつ紅葉の﹁南 無阿弥陀仏﹂︵明二三・一〇。初出は﹁百花園﹂明二二・五∼六ブの、・ ’﹁あいた﹂と一声、胸を両手に我と圧す間もなく。﹃かつと吐出す血汐、       五

(6)

一〇八 高知大学学術研究報告 第三十五巻 ︵一九八六年度︶ 人文科学   平常にすぐれて多量なるに、由之助ハ面色替て狼狽え、有合ふ手巾   をお梅の口にあてがひ、     ︵︵痛・いかい、姉さん︶︶   返事はなく、眼を見開き、由之助を見詰るのみ。        I − II I   一 il        ■      一 一I といった喀血のくだりや‘、また、デュマーフイスの﹁聊姫﹂を翻訳した 加藤粟芳心﹁椿の花杷﹂、︵﹁小説草錦﹂第一号∼一四号、明二﹁一一∼ 二二・五ごのぐレフ   ◇︿    ド    ヽJ 蒼初然 後部ぺ仰向に々り咳の出る度両手にて朧を押へ吝じみ.居るうち昿        I     I   I   JI    −i   l の゛ヽ て ‘、.まづた匯く咳入り胸も裂・るか.と思パる’・・ヽ.バか力にて顔色が青、t吟で眼 り        i       id  4      − ゛一・   を閉ぢ剃皿の布をnに押し当て血を少し吐きE・が今八食事じな八y兼   て急に其座を立ち化粧室へ駆け込みたり という場面、あるいは同じく、

︵一月四日︶

昨日今日ハ苦痛ますく甚しく夜一夜眠り得ず候最早口をきくさへ

苦しく絶ず浮言と咳楸のみを致し︵下略︶

といったマルグリ・?\ト臨終直前の日記などにぐらべて、その精細さとか きこまれている症候の量においてはるかに優っているのは、ひとえに、 身体にあらわれたさまざまな徴候をひとつひとつ分節してとらえる医学 のまなざしが主人公に分け与えられていたからにほかならない。しかも 自叙体という形式をとる﹁残菊﹂の場合、お香によ﹃る症候の描写は、そ のまま彼女じしんの感覚を一人称で語ることでもあった。﹁骨と皮でも        六   った身体﹂という表現は、彼女の身体を医学という外部からとらえたも   のであると同時に、いわばその身体の内部から−1聴診の際に聴かれ   る音が響いてくるあの内奥からトーその感覚によってとらえたもので   もある。吐き出されたばかりの鮮血はいまだ彼女の体内をめぐっていた   ときの温もりをとどめてお`り、彼女は医学の記述した肺結核の症候をく   まなく自己の身体に感ずることができる。﹁残菊﹂の他の作品にたいす   る優位は、読者の生きなおすことのできる身体が、その奥行きと量感、   さ ‘ らnは時間の経過をともな。つて、ミカずか彼女の胸にかけられた﹁手拭﹂   いちまいぶ距離のところに定着されている。ことにある。読者は、’たとえ  でいちども喀血したことがなくとも、ぐお香どともに`﹁7 ンと鼻を通る気息 。︿。の臭さ卜。其血脛啓い﹂‘を気ながら感ずゐことがゼきふ。﹂かも、。﹃そ\   うした表現を`それと一体どう。つて支えてい・ゐ医学のまなざ毎にはまった.  j −      −     I   I      II j       rl l − r    j 。く注意を払わずに。’  ∼       ド    ﹁病歴﹂はこうして文学となる。あるいは、文学はこうして身体を、   科学が対象化した身体をとり込む。

    二

 長びいた風邪がいっこうに回復せず、あまつさえ胸の痛みを覚えるに

至ってきざし。た﹁若し嫌な病でハあるまいか﹂というお香の疑いは、喀

血をみるに及んでもはや容易にふりはらうことができないものとなり、

﹁気管支加答児﹂という医師の診断︵5︶にも彼女は心からは従えない。

  此頃誰やぢの穿った通り、それでなくても女は疑念の深いもの。私

  は慎めるだけハ慎む様にと、予々心掛ては見ますが、神経質とやら

  で、兎角何か。ゝ気になって、左もない事に迄無益な取越苦労をした

  がります。今も其疑念を呼出れる様でI用もなく霖て居れは妄

? ゝ 1

(7)

想は募りたがるものI医者の言葉を信用し様としても、さう行

なくなって参ります。それは、痰に血が⋮⋮母には隠して見せま

せんが、医者の帰去た後、糸の様な血が痰に筋を引て出たからです。

 ﹁女は疑念の深いもの﹂という説明とお香のこのときの﹁疑念﹂とは 何の関係もない。彼女の﹁疑念﹂は、彼女が﹁医者の言葉﹂と措抗しう るまなざしにょって血痰をとらえたことからふたたび首をもたげてく る。も・し彼女がその母のようにたんに医師を﹁仏様の様に信仰して居る﹂ だけなら、こケした﹁疑念﹂はたとえ一瞬心をよぎることがあったとし てもたちどころに払拭されてしまうだろう。しかし﹁疑念﹂はしっ`よう に彼女を苛みっづける。医師のまなざしはそれだけ深く彼女の裡に浸透 し、確固とした位置を占めている。けれども、﹁疑念﹂に導かれて﹁い よく肺病かしらん﹂と﹁自分から覚悟﹂してみるものの、やはり生に たい。する﹁未練﹂は彼女に残る。  S   一      一        r       かくけっ      もしや  医者の云った言葉−肺の略血ではないIそれがまた万一の綱   になって、僅かに依頼を繋いで居ます。尺ならば三寸の綱、・それが   七寸よびも尚は多くを繋いで居ます。

﹁尺ならば三寸﹂しかない﹁綱﹂にすがっているようなものだ、と彼女

はいう。﹁医者の云った言葉﹂が根拠のない﹁気休め﹂でしかありえな

いこ。とを見ぬきつつも、彼女はそれをあっさりとしりぞけてしまうこと

ができない。

 お香におけるこうした﹁疑念﹂のありようは、・彼女が医学のまなざし

を獲得することでどのような代償を支払わねばならなかったかを明らか

にしている。一方でみずから下した診断に固執しながらも、彼女はそれ

においそれと自己をあずけきってしまうことができない。なぜなら、﹁肺

一〇九 身 体 の 。文 学 ︵谷川︶ 病﹂という診断はふつうとりもなおさず自己の﹁一二年稀二八三年﹂︵﹁内 科病論﹂︶以内での確実な死を意味するからである。だが他方、死の宣 告を忌避して﹁医者の言葉﹂を信じようとしても、それがどうみても﹁気 休め﹂でしかないこと、すなわぢ診断の正しさはむしろ彼女の側にある ことははっきりしている。診断する自己と診断される自己とに彼女は引 き裂かれようとしており、乳母の口から医師のぽんとうの。診断をもれ聞 いたことがその分裂を決定的なものとする。

あの結核⋮⋮いよく不治ぬと極った肺結核であったか。私の生

聞な想像が、不幸にも的中た身の不幸。私は覚へず吐息をつきま

した。そして万像が無情なって、これが放心したのかと思ふ位。

 お香のところに肺結核は﹁あの結核﹂としてやって来る。

にかかって、あの人のようにこのわたしも死ぬのである。

﹁あの結核﹂

 同時代に書かれた一人称の語り手が主宰している他の作品にくらべ、

﹁こそあど﹂の使用法が格段にこなれており、﹁私﹂のいまとここがきわ

めて鮮明に定位されていることは、この作品の重要な達成だが、﹃なかで

も、かりに∼今﹄を近称にふくめるとすると、遠称と近称との対比が読

者にきわだった印象を与える。

あの火迄⋮⋮あれ迄行ば、万に一つも助からうか。彼処迄早く⋮

・:あの火迄と身をあせれば、私の名を呼ぶ声も遠くに聞へます。

私の名を呼ぶのは何人⋮⋮ふコ其処に⋮⋮今⋮⋮あゝあの火⋮⋮

あの火迄⋮⋮其処に⋮⋮今⋮⋮も⋮⋮もちつと⋮⋮も⋮⋮ふコ

⋮⋮オヽ、嬉しい⋮⋮。辛く火の傍に達けば、今迄の苦しさ、凄さ、

心細さは何処へやら、気も晴々と今夜が明たかと思ふばかり。気が

っけばあら、良人の顔−お蝶も其膝に⋮⋮。・’

      七

(8)

一一・〇 高知大学学術研究報告 第三十五巻 ︵一九八六年度︶ 人文科学 ﹁あの火﹂にたどり着くと夫と娘がいたというのは、いささか図式的と 思われるほどのしめくくりかたであった10  ﹁あの火﹂までなかなかたどり着けないで焦るという心象は、それま で彼女が﹁あの火﹂のあるあそこからどうしようもなく隔てられていた ことを物語っているのだが、じっさい彼女が肺結核をは・つきりと自覚し てからというもの、夫や娘たちはなんとしても彼女の手のとどかぬあそ ごへと遠ざかってしまっていた0 病眼に伏せる彼女にとづで、夫U﹁か 、s       ’     χχs     ゛      一      一、の一言が此世の加にな﹂つた・﹁あんJなに実意のある方﹂.で由り、︲娘は﹁あ 小如仁愛Q、しい﹂︲.’﹁か心吝匙ぜおり、‘母■H﹁心小か御気質叫肌機∼果・ 妹のぷ花ぽ・﹁あんなに優しい児﹂であっだ.  内言や独白におけ恥﹁こ.﹂・﹁あ﹂jは、J﹁コぱ身近な存在で自分の関ね ’、. りの強い対象を強烈に指示レ、アは笹かな存在で自分の関わ’りの強い対 象を強烈に指示﹂する︵堀口和吉﹁指示語﹁コーソーア﹂考﹂﹁論集8  本文学・日本語5現代﹂︶.ところが、お香にとっては、﹁あの結核﹂が わた.しのいまとここを占拠することによって、わたしの命は﹁此毒虫の 餌食﹂になろうとしている、つまり﹁コは身近な存在﹂を指示しはして ‘も、それはわたしを根こそぎ否定し、抹殺するようなかたちでしかわた しと関わりをもたず、また一方、﹁最愛のお蝶、お蝶自慢して見せうと 待た良人、便りなき母﹂たちは、かけがえのない、﹁自分の関わりの強 い対象﹂であるが、死にゆくわたしにと’つてはやがて﹁此世の縁﹂の切 れるひとびとであり、わたしのうちに先取りされた死によってここから は手のとどかない﹁遥かな存在﹂にまで遠ざけられてしまっている.こ こには肺結核に冒された身体としてのわたしがいて、あそこにはわたし がほかならぬわたしであるゆえんのいっさいがある.あそこにあるべき もの・がここにあり、ここにあるべきものがあそこにあるIお香が住 む絶望の世界.の遠近法をこのように描くことができるとするなら、彼女 の死病からの生還は、﹁あの結核﹂が彼女のいまとここを占領すること 八 によって顛倒され、絶ち切られていたここと・あそこの関係を修復するこ とによって果される。﹁あの結核﹂にこのわたしが冒されるという絶望が、 逆に、いま、このわたしが﹁あの火﹂にたどり着くことによって克服さ れるというのは、だからあまりに首尾の照応した文法どおりの結着であ ったといわねばならない。  したがって、       ぐ   1 1         I      rl      n  頼みとする夫は外交官ど七てヨー・ロ。パに行ってIおり’、自分は当時≒  一不治。の病ど。ぎれた噺。結核でずっと病床についてい石。つまりはじ め  ・‘  か^’■"夫の不在と肺結核という内外二見の抜ぐべ`かちざる壁によ。つ、  ’・・て、い’主人公﹃の現世的な展望や可能性をは’つき力と断ぢ切づておぎ、・ ∼ 作その堅く閉ざされた状況﹄の嘔で、’死に瀕した若い女性の内面を、ヽ当  ﹃時とヽしてはすぐれた。言文一致の独自体をもってばどんど無限に書き ’つづけていったのがこの作品である。匹 という猪野謙二の作品把握︵﹁明治作家の原点﹂﹁明治の作家﹂︶は、﹁外 公官としてヨーロッパに﹂。という勇み足は別として、お香の置かれた閉 塞状況。を見事にいいあててはいた。`残菊﹂がお香の喀血から語りはじ められるように、すべては彼女が﹁あの結核﹂にかかってしまったこと からはじまり、そして、その逆のコースをたどりなおして終る。  しかし、﹁夫の不在﹂をそれとしてきわだたせるのは彼女が肺結核に よって苦しむという事態であり︵6︶、そして、彼女は肺結核に冒された から絶望したのではなく、肺結核に冒されたことを知ったから絶望した のである。お香のように自分が肺結核患者であることに絶望するには、 肺結核という病いにたいする、ある特定の認識を必要とした。なるほど、

御承知の通り肺瘍と云ふものは、昔しから先づ死ぬものと極って居

(9)

夫れからして医師を尊ぶと云ふは、病家の最も務むべき事である、

古来よ∼医師と云ふ者は尊ばなければな。らん者と定まって居る︵芳

賀栄次郎﹁病家の医師に対する心得﹂﹁婦人衛生会雑節第一六号﹂

ります。︵中略︶肺瘍に罹れば咳が出て熱が出て次第に弱り、遂に 死ぬので、到底医師のお薬でも、神仏の力でも、癒る事が出来ない といふことが極って居りました。︵長与専斎﹁肺癈療法新発明に付 き素人方の心得﹂﹁婦人衛生会雑誌﹂第一六号、明二四・。四︶  ’ など、肺結核を不治の病いとする文献には当時もことかかない。だが、 ﹁一般的に言へば医学は時代の古一いほど肺結核の末期し’か知らなかつた が、近代に近づくほど早期を認識できるやうになった﹂︵松田道雄﹁結核﹂︶ のであり、まして﹁一九世紀の末葉までは、最も経験の豊かな臨床医た ちでさえ、﹃多ぐの消耗性の胸部疾患−癌、珪肺、種々の肺膿瘍など Iを結核と混同していた﹄︵ルネーデュボス、ジーンーデヽユボス﹁白 い疫病﹂北練平訳︶ことを考えあわせれば、。お香のようにただ一度の喀 血によっ’てかけがえのない生を断念する患者があらわれるのは比較的時 代が下ってからであり、それには患者が医師の診断を理解し、絶対的な 信頼を寄せることが必須の条件となる。

 いっぱんに﹁消耗性の胸部疾患﹂。である肺結核ば不治の病いではあっ

てもただちに死を意味しない?︶。だから﹁肺病か胃病の情人﹂︵逍遥﹁書

生気質‘第一一回﹂がいてもいっこうに差支えなかったし、﹁肺病にな

つて見たいツサ﹂︵紅葉﹁`京人形﹂第三のっぞき、明二二・九︶とはし

ゃぐ女生徒や、﹁肺臓の疾痙﹂をものともせず政治の世界での活躍を夢

みる書生もいた︵桜田百衛︱﹁自由廼錦抱﹂明一六・九︶。当時根岸で肺

病治療専門の・看板をかかげて実際に診察にあたっていたひとりの医師

は、ひとびとのこの病気にたいする無警戒をつぎのように嘆いてみせて

いる。       。・

  近年に至り文物進歩し。医学衛生学等の大に開けたるにも係ハらず。

  独り肺労に至りてハ。単に恐るべき伝染病なりと唱説するまでにて。

一一 一   身 体 の 文 学    ︵谷川︶

其の之を警戒するの念慮ハ。却て大に薄らぎ。或ハ肺労を以て。名

誉ある病の如く思ひ居るものあるハ。誠に怪しむべきの至りと云ふ

べし。︵立花晋﹁肺病者十戒﹂明二三・七︶

 だから、須藤南翠の﹁雛黄鵬﹂︵明二I万一︶に登場する旧弊な漢方

医のくりごともまんざらフィクションとばかりはいえなかった。’

物も斯う変るとい

頃ハ銘々肥太っ唄ハ銘々肥太って強いのを自慢した者だが今ぢやア病人染た弱々し

いのを自慢しているヨ私ハ胃病で困りますイヤ私しハ脳病で私

ぶのハ不思議なもの乃父さんなんぞの血気盛んな

強いのを自慢した者だが今ぢやア病人染た弱々し

てハ人間らしく言ないでハな

己の気に人た事ハない︵第一

いのを自慢しているヨ私ハ胃病で困りますイヤ私しハ脳病で私

しハ肺病のソラ婁麻窒の喉頭加苔児のと誰れも彼も頭が痛いの尻

尾が偉いのと言て何か一つ病がなくツ いかイヤハヤ見る物聞ぐ事一つとして 回︶`    ブ         ∼  こんなありさまだから、医師にたいする患者の信頼もあやしいもので あつ゛たことはじゅうぶん推測がっく。ある医師は﹁家に依って医師を換 へる事を何とも思はない、流行にっれて医者迄も換へる人が有﹂るが、 そんなことではいけない。﹁医師を最初に択んで其後は取り換へず﹂、﹁択 んだ以上は其医師を充分信ずる﹂ことが大切である、とロをすっぱくし て説いている。

医師やその学問はもちろん当時もひきつづい‘てしばしば嘲笑の対象七な

(10)

一 一 一 一 高知大学学術研究報告 第三十五巻 ︵一九八六年度︶ 人文科学  つていたのである。    いか物喰ひの八兵衛といふ老爺水を飲んでコレラになりツこなら己    なんぞ八年が年中コレラで死ぬのを商売にして居なければならない  I・  ︵商売にしたら嘸繁昌するだらう︶西瓜もやりなさい真桑瓜も喰ふ    が宜しさ唐人の嘔語などを聞く奴があるものかいちじくの果物を喰    7 てハならないの汚駄物を焼棄てる、のと何の事た訳が分らぬ馬鹿な   ’面だ七力身・つげれ六真に左様です石炭酸め臭を嗅ぐとムカリ煮来4・    す彼がコレラのお迎へですとサ怖いでハありませんかと調子を合す  ∼ 婆さんあり是に付けても通俗衛生会の人々が骨折の程察しられたり⋮      .  III I   u  l   I        一         一  ・ ︵饗庭篁杜ご保み台ト晰一回で﹃もら竹﹄第三巻ご明二二・八︶ト    ー      一  f  11゛      `     I  し  。︲`−     ’﹃y      ’\ ’      い ・当時一﹄○万人以上の死者を出したこともあり、最も恐れられていたコレグ  ラをこうしてやりすごすものがいたとすれば、まして死者がそれよりか  なり少ない肺結核︵8︶なぞかれらにとっては恐るるに足らぬのであり、    追々寒に向ひますると兎角肺病といふものが起ります此病は伝染    もし遺伝もし其上に不治病でありますから、これはと恐るへき病    はムりません。そこで此病に取付かれてからは後の祭ですから、取    付かれぬ工夫か肝腎であります︵竹中成憲﹁肺病の話 付新発明呼    吸器﹂﹁いらつめ﹂第四号、明二〇・一〇︶  などといってうさんくさい﹁新発明呼吸器﹂の宣伝をしたりする医者の  いうことなどまさしく﹁唐人の癈語﹂にすぎない。もっとも﹁いか物喰  ひの八兵衛﹂とて病気にかからぬことはあるまい。だが、たとえ彼が医  者のところに出むくとしても﹁旧弊な病人ハ旧弊の医者を信じ﹂る︵篁  村﹁藪椿﹂第六回、﹁むら竹﹂第四巻、明二二・八︶までであって、お 十

香のように洋行帰りの医者の診断を人づてに聞いて絶望することは期待

薄である。お香は開化の医者を理解し、信ずることができる当時数少な

い開化の病人であった。そして、このことが、すなわち彼女が医師のま

なざしを内面化していることが、﹁残菊﹂という作品のいっさいがっさ

いを決定しているのである。

 だがそれにしても、はたしてほんとうにお香は生き返ることができた

のだろうか。       。。

      ニ・       ’  ・ヽ        ≒    ’ヽ I 一   一    ﹃ ト   ゛’“、‘J‘’`‘ り ・・   ”‘  。”’﹄ ぞ       j      l     り    ヽ・ ︱、︱  ’       j  −       s    s  同じく肺結核にかがった若い女性を扱ってはいて恚い紅葉め’﹁南無阿。。 弥陀仏﹂とI﹁残菊﹂’とでは ﹃まっ・たく正反対の構図をとる・。﹁南無阿弥陀仏﹂・ のお梅が継母にいじめられて。想いを寄せる人の写真を握りしめながら 淋しく死んでゆくのにたいし、母やかけつけた親威が見守るなかで生き 返ったお香は、ようやく洋行から帰った夫との嬉しい再会を果す。前者 が主人公の凄惨な死によって幕を閉じる悲劇であるとすると、後者は、 苦境を脱してふたたび結ばれるハ。ピー’エンドの物語でなければなら ない。じじつ、お香の語る﹁残菊﹂のプロットはたしかにそのように運 ばれている。ところが、読者のうける印象はプロットのハ。ピー・エン ドとはうらはらに、﹁南無阿弥陀仏﹂とさして変らぬ陰うつなものである。

紅葉山人の﹁南無阿弥陀仏﹂は外物を仮りて其悲惨を写し、柳浪子

の﹁残菊﹂は内情をもて其哀働を描きたり、いづれ仝じからねど共

に普ねく江湖の読者をして人生の朝露夕電に似たるを感ぜしめた

り。︵内田魯庵﹁柳浪子の﹁残菊ヒ﹁女学雑誌﹂明二二・一こ

魯庵はまた﹁お香は死んだのか生き返つたのかさらに解らず﹂ともいう。

(11)

﹁七歳の紐解ももう今年﹂という最後のことばを忘れずに引いているか

ら、魯庵がプロット上の事実をとりちがえたとは単純に考えられない。

そうではなく、お香によって語られるプロットなぞもはや問題にならな

いようなところで、否応なく﹁南無阿弥陀仏﹂のお梅と﹁残菊﹂のお香

とが重なってしまうという経験を魯庵はのべている。たしかに、お香が

語っているということに比重を置けば、語られる出来事は相対化されざ

るをえない。極端にいえば、お香が語っていることはすべてデタラメで

あってもいっこうに差支えない。逆に語られているお香だけに焦点を合

せれば、語っているお香の存在はかぎりなく稀薄になりもする。ただ、

そうであるとしても、﹁残菊﹂が生き返ったお香によって語られている、

すくなくともそういう小説上の体裁をとっているごとは事実なのであっ

て、’問題は、‘にもかかわらずハ″ピー・エンドにならないのはなぜか、

いいかえれば、かりに﹁南無阿弥陀仏﹂をお梅が生き返るように改めた

とし。ても﹁残菊﹂とは似ても似つかぬ作品ができあが。つてしまうのはな

ぜか、というところにある。

 ﹁残菊﹂と﹁南無阿弥陀仏﹂との。違いは、たんに結末が正反対である

ということだけにとどまるものではない。両者の肺病・肺結核の扱いか

たにも、きわだっ゛た相違を見出すことができる。

・たとえば﹁南無阿弥陀仏﹂では、

あ∼!老少不定斯の如きを、我人ともに春雨の日は、一日を一年と

暮らし、

五十年は

寝覚の秋の夜は、半時を三歳に明かし、このまなでゆかば

生倦する事と、日頃思ひし不覚、翌日が日をもしれぬ命。

と作者みずからが語っているように、お梅の肺病U人生の﹁無常﹂のあ

らわれであり、そうである以上、お梅が人の命のほかなさをかこつこと

はあっても、なぜほかならぬこのわたしが肺病にならねばならないのか

-一 一 一 一 身 体 の 文 学 ︵谷川︶ などとしんけんに悩む必要はなかった。﹁私だって何も死にたい事ハあ りやアしないけれど、寿命なら仕方がない﹂と諦めるお梅にたいし、﹁仮令 死んでも生て居たう御在ました﹂といいきるお香は、︲肺結核である自己

とついになじむことができない。

あ∼、し睨鯛⋮⋮如何して肺病に

か︵9︶はない筈−誰もこれで

死欠罹

だものはなし。私が先祖⋮⋮

つたらうか。私の家に此病の

此病の先祖となって子孫の不幸をつくるとは。お蝶にも遺伝する様

な事はなからうか⋮⋮遺伝したら何と致さう⋮⋮可愛想に罪もな

い児に迄⋮⋮。如何も分らない。何で斯様病に罹ったらう。いよく

肺病かしらん。あI因果な身の上、何の応報で斯様不幸に遭遇ふの

  か。 プ

﹁因果﹂・﹁応報﹂というとらえかたは、しばらく後で、幼い頃母に連れ

られてよくお寺参りに行ったりしたので﹁あんな妄想﹂が起きたのだと、

あっさりしりぞけられてしまう。﹁遺伝﹂でもなく﹁因果﹂・﹁応報﹂で

もないとすれば、では、お香に残された答は何なのか。

 明治二三年六月に出版された﹁実用内科全書﹂は、肺結核の原因をつ

ぎのように記述している。

︹原因︺病毒ハ結核﹁バチルレン﹂O誘因ハ体質脆弱○結核遺伝ヲ

有スル者○呼吸器疾患攘脂肪″繊。○胸部ノ創傷O静坐幽居琵○肺

労患者ノ略痰%kO煮沸セザル牛乳○栄養不給○気候不良″○不潔

空気○急性伝染病後、○精神欝憂、O淫事過度O虚弱多病ナル者O

壮年者二多シ

コ″ホの結核菌発見︵T八八二年︶の一報がいつ日本に伝わり、日本

       一 一

(12)

− − 四 高知大学学術研究報告 第三十五巻 ︵一九八六年度︶ 人文科学  の医学に登録され、二般の常識となったのか、詳しくはわからない。た  だ、おそくとも明治二〇年ごろにはかなりのひとびとが結核菌について  の知識をも゜ことができたと考えられる(2)o   ﹁残菊﹂でお香が喀血するのは明治一八年春、語り手として彼女が﹁昔  語﹂をしているのは明治二二年である。医師がこっそりとお香の母に告  げた病名を、お香と同い年の乳母は﹁ケイ⋮⋮⋮エ∼ケイ何とか﹂と  しか伝えられずいまた、−肺結核といふ語社、・私の隣近所、出入の八百  屋肴屋、それからそれに伝へて、私の為めに出来た新しい病名かと思は・`  れる位﹂なのに、。﹁私﹂。すなわぢお香は﹃たぢどこぢにそれを理解1 る・  ’もちろん≒肺結核﹄よ。いう緞名岫︶が結核病菌説にもと’づくとほかなら ‘ずしもいえないめだが、﹁肺結核﹂という新奇な病名を操る‘夢香がいいっI ︲’たんは自分の命を﹁此毒虫の餌食に∼て除う﹂と覚悟していることは見 ト逃すことができない。たんに﹁毒虫﹂というのであれば、労療の原因を  ﹁虫或ヒハー種ノ毒二帰﹂す東洋医学の観点︵桂田富士郎﹁和漢結核病  説ノT斑﹂・﹁東京医学会雑誌﹂第三巻第T六号、明二二・八︶もなくは  な’いが、﹁肺結核﹂という病名と﹁毒虫﹂とのむすびつきは、やはり結  核病菌説を強く喚起せずにはおかないだろう。竹中成憲の﹁肺病養生法﹂  ︵明二〇・一〇︶ にもつぎのようにある。 抑も肺結核︵俗に云ふ肺病︶ ハー種の﹁バクテリア﹂︵早く云ヘバ 虫なり︶に.因て起るものにして肺結核患者の痰略中に衆多居るもの なり       ’

 したがって、すくなくとも語り手としてのお香は結核病菌説を知って

い’たと考えられる(S)o

 ﹁残菊﹂は、肺結核が結核菌、

一 一

-結核﹁バチルヤノ﹂ハ其形、柱状ニメ或ハ直ナルアリ或ハ曲ナルア

リ或ハ稀レニ角ヲナシテ屈折セルモノアリ。其両端ハ鈍円ナリ。長

サハ○、○○一五乃至○、○○五密迷ナリ。︵ヘルツ述・広瀬佐太

郎訳﹁肺瘍ノ説﹂﹁東京医学会雑誌﹂第三巻第一号∼六号、明二二。

一∼三。ただし第三号からは﹁肺瘍ノ原因﹂と改題されて中絶。︶

  と そ の 形 状 が 説 明 さ れ 。 る 結 核 菌 に よ っ て も た ら さ れ る こ と に も と づ 。 い て   書 か れ た お そ ら く 1 本 で 最 初 の 作 品 で あ り 、 こ こ に 、 ﹁ 南 無 阿 弥 陀 仏 ﹂   と ﹁ 残 菊 ﹂ 。 と を 決 定 的 に 隔 て ∼ い ゐ 点 が あ る 。 鶏 眼 で は 見 る こ ’ と の で き   ぬ ち っ ・ ぽ け 力 虫 に ﹃ 無 常 と か 宿 命 な ど と い 。 う 重 た い 観 念 を 莉 ﹄ 力 せ K ? ' j A j i ≪ ・   ■ ≫ は 。 や で J 力 い 。 し か も い 結 核 菌 ‘ の 発 見 は 甘 肺 結 核 が 伝 染 病 で あ る こ と ” ∼ つ ご か 七 が た い 事 実 と す ゐ ︵ 1 3 ︶ l   y ’ プ ハ         パ   ’   \ ”

瘍症は近き世となりて先づ其繊微の形を見極めて結核といふ名を命

じぬ、これより後にそが原因たる細菌をさへ発明しえて結核菌と名

け、はては瘍症も人より人にうつら’でやはと云ふ石彼処此処に聞え

来ぬ︵鴎外﹁瘍症伝染統計の異議﹂﹁衛生新誌﹂第二八号、明二三・

三︶

具体的にどのようにうつるかというと、まず結核菌を吸い込むこと。

 抑モ結核ハ肺臓ヲ侵ス﹁最多キヲ以テ之ヲ稽フルニ﹁バチルレン﹂

 ノ人体二到達スルハ人其﹁バチルレン﹂若クハ其芽胞ヲ呼吸気二由

 テ吸入スル﹁最多シトノ説ハー般世人ノ信ズル所ナリ。而ノ﹁バチ

 ルレン﹂ノ源ハ専ラ肺瘍患者ノ略痰ナリ。︵中略︶ 一塊ノ略痰、能

 ク数百万ノ﹁バチルレン﹂ヲ分散シ風二由テ四方二散乱スレバ其到

 ル所得テ知ルベカラザレバナリ。︵ヘルツ﹁肺癈ノ説﹂︶

(13)

つぎに、接触伝染。

 結核症ヲロヨリロニ伝フルハ蓋シ疑ナシ︵同︶

‘したがつ。て結核患者との同棲やその看病にはつねに危険がともなう。

∼多少危険ナルハ長ク結核患者ヲ看護スル﹁是ナリ殊二室内狭陰ニメ

 空気ノ流通良シ’カラザル片然り斯ノ如キ室内二居ル﹁巳二衛生二良

 シカラス此一事二由テモ間々肺癈ヲ発スベtケレハナリ。看護ノ為メ

 ニ肺瘍ヲ伝染セルニ就テハ余其例二乏シカラズ或ハ病児ヨリ慈母ニ

ノ伝染セルアリ或ハ病母ヨリ其児二伝染セルモノアリ︵同ブ   ー

 しかしこうして結核菌が体内に侵入したといっても、﹃皆が皆発病する

わけではな’い。発病するかどうかは結核素因を有するか杏かによって決

まり、なかでも遺伝素因が重要である。

之ヲ要スルニ肺瘍ノ遺伝ハ。決メ直接二結核ヲ遺伝スルニ非ズ、全ク

組織ノ薄弱ナル﹁ヲ遺伝スルニ在リ。唯タ夫レ組織薄弱ナルガ故ニ

 ﹁バチルレン﹂ノ伝染スル﹁い及其組織ヲ食トナシテ発育蕃殖スル

﹁大二容易ナルナリ。︵同︶        \

 だかも肺結核にかかった母親の授乳は控えねばならない・。

 ・母が神経病とか精神病とか肺病とか小供にI伝はるべき病気のあつた

  時は則ち身鉢の丈夫な乳母を置くが宜しく御座り升否らざれば後に

  至て母親と同じ様な病を発するとが沢山あり升︵中略︶成程母親の

 ・血を以て居りますから病の本ハあるが其乳を飲めバ益々わるく致し

一L五  身体のイ文学   ︵谷川︶  ・ J・

ます夫故成るべく之を避くる様にしなければなりませぬ︵榊傲﹁小

供の精神及び保護法﹂其四﹁女学雑誌﹂明二万四︶

 ﹁実用内科全書﹂も肺結核の﹁予防法﹂として﹁隔離法、・略痰ノ消毒、 肺労患者ノ授乳ヲ禁ズ等﹂の項目を挙げている。 ’﹃ いお蝶の乳母は母親の結核発病以前からいるわけで、授乳の禁止という 措置はお香にたいしてこと﹃さら必要ではない。しかし、ただでさえ結核 にかかった﹁母親の血を以て居﹂るお駱が、このうえ母親と濃厚な接触 を重ねれば将来の健康が危ぶまれることは必至で■\§-s?-、また、

抑モ伝染ヲ致ス﹁最容易ナルベキ所以ハ患者卜寝食ヲ倶ニスル﹁最

モ久シク且ツ最モ親シキニ在リテ斯ソ如キハ殆ト唯夕夫婦ノ間二限

ルナリ︵﹁肺瘍ノ説﹂︶

とされる︵14︶以上ヽお香はヽその子のみならずヽあれほどその帰りを待 ちかねた央からも﹁隔離﹂されねばならない。娘や夫にたいし、お香は もはや母親や妻であることをやめた、たんなる結核患者であることを強 いられる。・  結核菌が原因である肺結核は、コレラ菌によってひきおこされるコレ ラのように、それ自体ではもはやどのような人間的意味ももたない。彼 女が肺結核にかかったのは、結核素因を有する彼女が結核菌に感染した からにすぎず、彼女がお香であるということ、すなわち、ある知性や性 格をそなえ、’あわせて一定の生いたちや境遇を有した一個の精神的存在 であるということと、彼女が肺結核にとりつかれることとはなんの必然 的な関係もない。そうした意味にお・いて、お香の肺結核は従妹のお花の かかった腸チフスとなんら選ぶところはない。また、だから逆に、結核     一        一       Iり患者であることは一種の匿名性を生きることを意味する。固有名詞で呼        一三

(14)

一 一 / X 高知大学学術研究報告 第三十五巻 ︵一九八六年度︶ 人文科学  ばれる存在であるよりまえに、彼女はまず医学書に記述されているよう  な、ひと力の誰でもない結核患者でなければならず、それにふさわしい  処遇を周囲からうける。   かろうじて生き返ったお香を待っていたのは、洋行からやっと帰った  夫との、かわいい娘を囲んでの団槃などではなく、寒々とした結核患者  としての生である。﹁治り切ると云ふは六かしいが、患部が固まって  腐潰が止らぬ事はない。もの﹂という四年前の医師の﹁気休め﹂に、’語り  手であゐお香が﹁後ではさうも思ひませんらと。わざわざ注をつけ‘てい石√  のは、‘生き返ってなお彼女が結核患者でありつづけ七いることを示七てし ・おりいここに彼女がわざわざ﹁昔語﹂をす&モチーラのずべ。てがある。☆  いっ力んもちな・おした病状か無理にお蝶をおぶったことによっ’て決定的。 ・に悪化し力こ‘とをことさら’克明に語るのは、語り手とし。ての彼女がお蝶し 、との接触をきびしく禁じられていることの反映であり、また、かつ・て病・  床で夫の帰りをひたすら待ちつづけたときの心細さを回想することにな  んらかの生々しい意味があるとすれば、かつてと同じように現在も依然  として夫との隔たりが存在しているからにほかなるまい。じっさい、病  床の妄想で過去をふりかえっ’たお香が連発する﹁あの時﹂・﹁あんなに実  意のある方﹂などといった曖昧な﹁あの﹂には、どうしても語り手とし  てのお香の現在の心情が托されずにはおかないだろう︵15)o   だから﹁残菊﹂はすくなくとも二度読まれねばならない。一度めは重  い肺結核を患いつつもそれをはねかえしてなんとか生き返った若妻の話  として。二度めは、生き返ったことがけっしてハ″ピー・エンドになら  ぬ結核患者、精神としての存在と身体としての存在が対立するあの結核  患者の語る話として。

ほゝ∼ 私は如何かしてるよ、坊様の云ふ事なんぞ、信じられる

ものではないのに。あ∼馬鹿くしい、詰らない考へを起したも

一四

のだ。だが、地獄極楽は妄誕にした処が、私は死で何処に行くの

だろうI’私の魂睨は何処に行く物だろう。身体が死ねば魂魂は

消ゆるとも云ふが⋮⋮真実に消やうか。私が今いろくな事を考

へて居る此心は⋮⋮消やうか此心が。屹度消やうか⋮⋮ふコ考へて

 居る此心が。如何して消るだろうI身体はこんなに衰弱て動か

・す事も出来ない様になって居ても、少しも狂はない⋮⋮兪J々鋭敏

︲なる此心が、どうして消やうかJ      。’‘ /   ’

居る此心が。如何して消るだろうI身体はこんなに衰弱て

し。 ノヽノ     、  ‘   ・ ’   ≒し。。 ・。−  。にノノ に﹁信七怖れる声のではな。い﹂・のは﹁坊様の云︷事︸で討ではない。ご悩ま・  ‘ しい恋、 ‘ 過剰な勉湖ノ阻囲の干渉、深い昏憂万どによっr舞病がもたら  されるとすび従来の陳1 でロマンテナックな言説飛ごのいっさ・いが否定    4  d I♂I       I       r       l  されているのだ・結核病薗説ぱ、内1 の病としての肺病を、 。いっきょに。 j l ご  lflF︱ ‘        ・ ︲’‘。 、“ ︰ ﹄I ″      s  身体の病い・としての肺結核へ七変える。ここでは灘結核患者であるとり  うことは、宿命や情熱などという神話をこれみよがしに身にまとうこと ではなく、結核菌に蝕まれたじくじくした﹁腐潰﹂を﹁身体﹂の内部に 感じながら、﹁鋭敏なる﹂﹁心﹂でやがて確実に訪れるであろう死や﹁魂 暁﹂の消滅などについてひとりぽっちで考えつづけることである。もち ろん、語り手であるお香がそうしたことを現在も考えているとは、﹁残菊﹂ には一言も書かれてはいない。お香がどんな顔つきをして、なぜこんな  ﹁昔語﹂をするのか、読者は直接知ることはできない。けれども、物語 の最後の﹃﹁とってつけたような﹂︵飛鳥井雅道﹁広津柳浪の初期﹂﹁日本 近代の出発﹂︶﹁不自然﹂な︵山田有策﹁初期柳浪の文学世界﹂・﹁国語と 国文学﹂昭四八・七︶結末に鮮やかにうっちゃられた読者は、あらため て﹁残菊﹂を読みかえすことによって、そこからお香の現在の姿をつか まえねばならない。あたかも打診や聴診によって身体の内奥にひそむ目 に見えぬ病いをさぐるようにして。

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︵1︶ 表紙、奥付ともに欠。最初から付されていなかったと思われる。著者︵訳   者︶、発行者、発行年等未詳。全二七。二頁。一頁のはじめに﹁診断学︵男μ︶﹂   とある。墨で図表などが書き込まれており、また、結核菌検査法が説かれて   いないことなどから、明治一〇年代の医学教育に用いられたテキストかと思   われる。 ︵2︶ 伊勢錠五郎﹁詞医通﹂第二版︵明こハ・一こをはじめ﹁実用内科全脊﹂、   ヘルツの﹁内科病論﹂増補改正第五版なども、いずれも﹁略血﹂を﹁肺労﹂   や﹁肺結核﹂とならぶ、独立した項目として挙げている‘。 ︵a︶ 長与専斎﹁肺瘍療法新発明に付き素人方の心得﹂にもっぎのようにある。   ﹁医師が見るにも一通り手を握りい陪を見、腹を擦り、少し念の入った医師   が胸を獅訣‰診器を胸に押す⋮⋮。と。云ふ位では往けない。ソンナ事で   は到底結核病の判断が出き陥恥効ではない。︵中略︶如何な・る名医でも顕微   鏡に掛けて見ない中は﹁是は肺病で御座る﹂と云ふ判断は出来ぬと云ふ事は、   今日でも日本の医学社会の者は心得て居ツて﹂云々。 ︵4︶ お香の死に瀕したさまを描いたくだりは﹁日本小説道初まつて以来死の瞬   間を描写したるものよもや此外にあるべしとも思はず﹂︵内田魯庵﹁柳浪子   の・﹁残菊﹂﹂︶とされ、あるいは石橋忍月に﹁西洋にては此種の文字頗る多し    ︵中略︶殊に世人が賞賛する巻尾の﹁火の光﹂云々の如き夢中星光を出すの   趣向は多く西洋小説に於て逢遇するものにして今更其誉れを本書著者に帰す   るは浅慮なり﹂︵﹁新著百種第六号残菊﹂﹁国民之友﹂明二二・一二︶との指   摘もあるが、医学の記述する﹁徐死﹂にもとづいて書かれたものであろう。   本文中に挙げた例のほか、たとえばつぎのような説明もある。﹁徐死ハ老病   或ハ諸般ノ衰耗病ノ末期二在り而″其死前知覚及﹂思想ノ痴鈍卜為ルヲ常ト   ス或ハ恰。残燈ノ将二消滅セントスルニ当リテ暫ク其光ヲ添フルカ如ク死前   二及ヒテ却テ知覚爽然タル者アレ鈍至テ稀ナリ嗅味ノニ官ハ先ツ廃絶シ触覚   ハ漸々ニ減シ結膜ノ知覚ハ最後二至則万全ク測ス間∼患者ノ下身冷却ス`ルヲ   自覚シ次テ視力減衰シ瞑暗ヲ訴ヘテ澄光ヲ得ン﹁ヲ乞フ者アリ唯聴官ノミ   ハ久シクぷ湖以﹂三宅秀﹁病理総論﹂巻一、凋ト仁。一二版権竟許︶。 ︵5︶﹁医師も肺瘍rあふと云声諜心吻諧で兼ね成丈病人には知らせぬ様に心   を配り、肺瘍とは云はずに気管支加答児とか何とか云ふ様な事に云ひ紛らし て置て、家族に解った人が有れば其人丈けには申して置くことがあります﹂ 一 一 七 身 体 の 文 学 ︵谷川︶   ︵長与専斎、前掲文︶。 ︵6︶ もっとも、﹁外国に留学して居る人は、多くは日本の学校に居る時に成績   が好いとか、又は先に見込みの有る人で、皆勝れたる方々で御座いますべ   其留学£の死ぬ事は実に割合に沢山です。ソして其病ひは何かと云へば多く   は肺瘍であり升﹂︵長丿躊頃、前掲文︶というのが事実であるとすると、ほ   んらい﹁卒業した方の筆頭﹂で﹁洋行を命ぜられた﹂夫がかかるべき肺病   をその妻がひきうけたところにフィクションとしての﹁残菊﹂が成立してぃ   る’のかもしれない。 ︵7︶ ヘルツも﹁厳正ナル摂生二由テ更二久。ク命脈ヲ保統スル﹁アル而己ナラズ   初起二在テハ極テ稀二治癒スル﹁アルベシ﹂とのべ ︵前掲書︶、﹁実用内科全   書﹂も﹁多ク慢性于ソテ数月ヨリ数年二潮ル、治癒ハ甚タ稀ナリ﹂と記す。   ﹁肺労全ク治癒スル‘ノ徴アリ﹂といった報道もなされ︵﹁医事新聞﹂第二七七   号、明二万九︶、また養生法が出版されたりしていることから、当時肺結   核が不治の病いであったとはいちがいにいいきれない。﹁治り切ると云ふは   六かしいが﹂云々という﹁残菊﹂の医師の﹁気休め﹂も医学的根拠が。ないわ   けではなかった。誤診も多かったであろうが、しだいに肺結核の初期を認識   できるようになっていた医学は、病状の進行をくぃとめ。、ごく稀にではある   が肺結核を治癒しえたのではないか。そうしたことを前提にしなくては肺結   核患者が生き返&﹁残菊﹂はまったくナンセンスな物語となるはずで、じっ   さいに﹁本書全篇は是れ幽霊の裟婆物語り﹂とする批評も存在する︵龍閑亭   主人﹁蔀肢残菊︵柳浪子著︶﹂﹁日本人﹂明二三・一︶。つまい、肺結核をひ   たすら不治の病いとみなす素朴な態度にとっては、。﹁残菊﹂という作品はまっ   たくナンセンスであるほかはない。このことは、当時口医学的な知見がいか   に﹁残菊﹂という作品の成立にとって不可欠であるかを物語ってぃよう。ち   なみに﹁残菊﹂という題名は、﹁霜に後れたる野菊の肺病患者の臥せるもあり﹂   ︵須藤南翠﹁漕松操﹂明二二・六︶とあるようにか呻がて原を迎えようとす   ’・肺病患緒’fJ沸。 \ Bs r^ ns、同時。、菊。﹁ぶ唯公延ヰ﹂という別名を   もち、﹁服之可巳疾延年﹂とされてぃ。た︵﹁円機活法﹂︶こともたしかなの   であるo 。  ニ レ つ ■I    I ︵8︶ 当時は。信頼できる結核の統計はないとされるが、横山雅男編 ﹁日本統計要   覧﹂︵明二三・五︶の‘・﹁病性別死亡者︵二十一年︶﹂を見ると、全死者約七六   万人のうち﹁肺病﹂による死者は約四万人である。なお同年のコレラによる   死者は四一〇人であるが、明治コー年と一九年にはI〇万人を超える死者を        一五

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− 一 八 高知大学学術研究報告 第三十五巻 ︵一九八六年度︶ 人文科学   出した︵’医制八十年史﹂︶。 ︵9︶ コッホによ’る結核菌発見以後も、しばらぺの間結核の遺伝U医学のテjマ   でありつづけた。多田貞一郎﹁結核ノ遺伝二就テ﹂︵﹁東京医事新誌‘第六一   八号、明二三・二︶は﹁結核ノ遺伝ハ確実ノ事実ニシテ之レヲ疑フモノハナ   シ﹂として、祁核菌の直接遺伝説と体質の間接遺伝説を比較検討し、後者に   軍配をあぜているJしたがって、`﹁残菊﹂のこ‘のくだりはお香が結核菌説を   知ら々かったとする根拠にはならない。        χ ︱       I II I  S ︵a︶八﹁卵医通﹂よ前掲、・朋こハ・一こに気︲け冲悩旦.の原個タル明には結   核菌についての首及はなA・扇譜謝きヽの﹁徽菌撲滅法﹂’とい乃記事臓   一九ふ‘・一〇︶一にa↓近来徹菌・学の進歩寸延祉屁ひ是まご病原の芦分町’   な‘る虎死冽ヅ癩病で肺苛︰御気等八八皆な流や徽芦に一由て起必ものな必こ之   ’を発明せじバ世人の知る所なるぎ加宍﹂泌託迂力明芒八年四月発行のノ  止﹁東京医事新砂第三六七号にu﹁jg﹃EglF発見二係ル実益何如︵続.   稿︶﹂と題する記事が載っ・てお力、l明治一七い八年ごろか結核病菌肪の日本‘・ へ   名︶ ・ ' Phthisis pulmonum. j︵洋名︶・﹁肺労又肺結核、肺結物、肺臓結核﹂   ︵訳名︶をあげている。 召 語り手としての、という限定をつけたのは、結核病菌説を知りながら娘を 一六 毎日のように病室に入れゐことは’ちょっと考えられないからである。お香は 生き返っでからはじめて病菌説を知った。そのことがかつでの自己を語るに 恥たっ三て[毒虫]といヽり曖昧な表現をとらせたと考えたい。岡田和一郎﹁慢 性伝染病Q予防に就てご﹁婦人衛生会雑声第一七号、明二四・戸∼﹁極 く丈夫な人なれば肺病の毒が空気の中に伝はツて来ても、其人が盛である から、其毒︵虫︶’を肺の中で殺して仕舞う﹂とある。。 ’なお、﹁残菊﹂のっぎの。ようなくだりに注意する必要がおる。  ニお蝶の泣声冠くなって、乳母図鍵音。母ルッド立て、半ば   1出した乳飲。        一      一   ! ♂ ’・丸゛る‘様トー仙もなくI∼總腿で、一之八心部屋を出。て参︱ま七︲友。今思  万ご厚碗-fK筈∼∼︲母の・熹慮の勿体なI・’.   I レ⋮⋮。 この日ごお香勿母u唇察七訪れ力医’師仁お香の。容態にっいての話冲聞き、タ 吻記は激戚を呼び寄せ七J’食翌`日ぷなフて﹁、私不便と思へばこそ涙もろい 乳母い昨日から傍に寄せぬ程の母の ぷなフて︵ヽ私不便と思へばこそ涙もろい 言︶ 一 作作にむいけに穴球﹄にEJJy  ‘・。思へば﹂ヽとする必要はない。しかもまだこの時点ではお香の容態が急変して    一         一  ﹃・         ’p  いるわけでもなかった。お蝶への感染の危険性を医師から指摘されたお香の   母がとった措置とも考えられる。医師がそれまで病菌説を確信していなかっ   たということもありえなくはないだろう。 ︵13︶ ﹁おち椿﹂に﹁殊には青木氏も肺病なりしとの事、伝染病の一種なれば別   て御注意なされませ﹂と主人公が忠告するくだりがある︵﹁定本広津柳浪作   品集﹂上巻てしかしノ忠告したかいもなく女は﹁清休から感染した﹂肺結   核で死ぬ。この青木にたいする憎しみは、﹁無常迅遠の浮世﹂をはかなむ   ’こ’とによって消えるものではない。なお、﹁おち椿﹂には結核の原因として﹁遺  ’伝﹂’﹁特発﹂﹁伝染﹂の三つが挙げられているが、これによると﹁残菊﹂のお   香は﹁特発﹂と考えることもできる。 ︵14︶ もっともヘルツは接吻の習慣がなく部屋が清潔で通気もよい日本では欧州   よ力危険は少ないとする︵﹁‘肺瘍ノ説﹂︶。 ︵15︶ 柳浪の’﹁二たおもて﹂︵﹁やまと錦﹂周二万一二上ヒ丁二︶ に﹁あ`の   ⋮⋮⋮﹂’七いいさしたことばづかいは﹁まだ其意味を云ひ見はさない甚だ不完 へ 1 6 w 順に代表的と思われる例をいくつか挙げる。 味を云ひ見は﹂したことにはならない。 る箇所がある。﹁あの﹂の後に具体的に言葉を補っても、じゅう声んに﹁意 全な一句﹂だが、それを﹁究めぬ方が趣があるかも知れない﹂と指摘してい

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