Vol.123「【特集】地域と時間をつなぐ−「よそ者」の役割とは」 - 書籍・出版/CEL【大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所】
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(2) C O N T E N TS. 特集. 地域と時間をつなぐ ――「よそ者」の役割とは. 123. 02 . vol.. N o v e m b e r 2 019. [インタビュー]. 変わり続け、問い続ける、 「異人=よそ者」という存在. 赤坂憲雄[学習院大学文学部日本語日本文学科教授] [インタビュー]. 08 地域と 「よそ者」が混じり合う場づくり. ――息づくまちはいかにつながり続けるか. 細川裕之[オルガワークス株式会社専務取締役] 川幡祐子[WeCompass 代表理事]. 14 . [インタビュー]. “ 多主語的 ”なアジアが硬直した文化を突破する. 黄國賓[神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所長・教授] 赤崎正一[神戸芸術工科大学芸術工学部ビジュアルデザイン学科教授] [インタビュー]. 20 コミュニティ ・デザイン新論. ――「包摂か排除か」を越えて. 川中大輔[龍谷大学社会学部講師/シチズンシップ共育企画代表] 新川達郎[同志社大学大学院総合政策科学研究科教授]. 移住者︑訪問者︑外国人︙︙. 内とは異なる価値観を持つ「よそ者」は︑. 社会に変化をもたらす存在として︑. 古くから大きな意味を持ってきました。. 近年も地域活性の切り札として注目を集めていますが︑. たんに恩恵をもたらす者と捉えるだけでは. 不十分ではないでしょうか。. 地域と時間をつなぎ︑これからの姿を考えていくなかで︑. 外の視点を持つ「よそ者」の役割を見直す。. 今号では︑そうした「よそ者」の可能性を検討すべく︑. さまざまな視点から考察を重ねます。. 26 「関係人口」とは何か?. ――その背景・意義・可能性 小田切徳美[明治大学農学部教授]=文. 32 新たなコミュニティを創造する「聖地巡礼」の面白さ 岡本健[近畿大学総合社会学部総合社会学科准教授]=文. 38 移民が「よそ者」になるとき、ならないとき 髙谷幸[大阪大学大学院人間科学研究科准教授]=文. [レポート]. 42 人と地域を結ぶなにわの伝統野菜. ――「玉造黒門越瓜 “ ツルつなぎ ” 収穫祭」レポート. [レポート]. 46 認知症の本質を知り、共に生きるために ――第 2 回「高齢社会 2030 を考える会」報告. [連載]. 48 私たちが考える万博. 第 2 回 大阪・関西万博2025に盛りこみたいもの. [エッセイ]. [書籍案内]. [CEL からのメッセージ]. 52 奈良の倭の奴の国宝. 文=哲夫 [漫才コンビ・笑い飯]. 54 地域と時間をつなぐ「よそ者」の役割を考えるための 10 冊 表紙・裏表紙・扉/大阪市大正区 泉尾にある築約 65 年の長屋を改修 した「ヨリドコ 大正メイキン」 。1 階 のシェアアトリエにクリエイターたち が集う。. 56 「よそ者」の受容度が、日本の将来を左右する? 田中雅人 浪花の十二ヶ月 服部麻衣[大阪くらしの今昔館学芸員].
(3) 変わり続け、問い続ける、 「異人 =よそ者」という存在 地域・コミュニティをつなぐ存在として、今あらためて「よそ者」の力が注目を集めている。 が、ひと口に「よそ者」といっても、そのあり方はじつに多様で捉えどころがない。 ウチとソトを自在に行き来し、人と人の新たな結びつきを生み出す、 「よそ者」の役割とは何か? 民俗学者として早くからその存在に注目、その後は独自の「東北学」を通じて、 異人・境界・排除などの概念をアクチュアルな視点から問い直してきた赤坂憲雄さんに、 うつり変わる「よそ者」観、それがこれからの日本にもたらすものについてお話を伺った。 脇坂敦史 =取材・執筆 栗原論 =撮影. インタビュー. う 違 和 感。『 異 人 論 序 説 』 の な か で. ( ス ト レ ン ジ ャ ー)で は な い か? と い. し て み た か っ た。 自 分 は「 よ そ 者 」. れた異人たちのあり方を、さまざま. ニティのあり方、それに追い詰めら. ら、 「排除の論理」を強めるコミュ. そうした社会問題の輪郭を描きなが. Akasaka Norio. 繰 り 返 し 描 い た、 両 義 的 な、 「ウチ. な角度から考察しています。. [学 習 院 大 学 文 学 部 日 本 語 日 本 文 学 科 教 授 ]. 赤坂憲雄. 『異人論序説』(1985年)を書い とソト」に引き裂かれた存在として. 「ウチとソト」に 引き裂かれた自己を見つめて. た1980年代半ば、私はちょうど. 東北で出会った、 共同体の内なる「よそ者」たち ふたつの著作を書くことで見えた. 分の不安定さが投影されていたと思. の「 異 人 」(図1)に は、 そ う い う 自. めの施設に、隣接するニュータウン. 計画が進められていた自閉症者のた. たとえば、埼玉県の国有林に建設. なりました。だから1992年に東. た視点を崩したいという感覚も強く. どこかでそれを超えたい、そこで得. ことは、たくさんありました。ただ、. 宗教学や社会学、現代思想などさま います。. 歳くらいでした。民俗学や国文学、. ざまなテクストのなかに「ウチとソ. 出し、その境界や交わりに豊かな物. 「自己と他者」といった二元論を見. 進む東京のウチとソトが接する境界. 私の暮らしていた武蔵野は都市化の. じ よ う な 感 覚 が 色 濃 く あ り ま し た。. (1986年)を書いたときにも、同. からそこに住んでいた「旧住民」の. 思える拒否反応に対し、もっと古く. のは、ニュータウン住民の過剰とも. じる、先駆的な事例です。注目した. 事件を取り上げました。現代にも通. の住民から反対運動が起きたという. のです。. き、私はふたつ返事でそれに乗った. ならないか」という誘いがあったと. 北に新しくできた大学から「教員に. の父がかつて福島県で炭焼きや山師. 続 編 と し て『 排 除 の 現 象 学 』. 語を発見しようとしたこの本は私に 年 )や. ト 」「 秩 序 と 混 沌 」「 清 浄 と 不 浄 」. とって、さまざまな意味で出発点と と し て、「 三 億 円 事 件 」(. [ * 1]の 仕 事 を し て い た こ と に 関 係. 80 68. 東北を選んだ理由のひとつは、私. なりました。. 側がむしろ受容的だったという事実。. します。父は生まれ故郷を追われる. ❸移住者. ウチ集団. ❹マージナル・マン (境界者). (we-group). を破った者など秩序の周縁に追いやられた人々、⑤故郷へ帰る旅 人など外の世界からの帰還者、 ⑥共同体とは無縁の完全な「よそ者」 。. 79. 『異人論序説』に掲載の、 漂泊と定住から分類した共同体と異人 (よ そ者)の関係(一部改変) 。①一時的に交渉をもつ芸能者・遊行 の宗教者・渡り職人など、②行商人・旅人・巡礼者・赴任者など他 集団からの訪問者、③移民・嫁や婿・転入者などの移住者、④掟. 「 イ エ ス の 方 舟 事 件 」( ~ 年 )な. すでにニュータウンという巨大な. ソト集団. 私のなかには若い感覚として、自. ど特異な事件の現場にもなりました。. 生の背後に見え隠れしているものを、. 分が生きていることの窮屈さとか居. に と っ て、 新 し い 施 設 が ひ と つ 増. 自分の目で確認してみたい。結果と. ように東京へ出てきました。父の人 え て も、 そ れ ほ ど 大 き な 問 題 で は. して、東北の村や町に入って聞き書 年間にわ. り、ねじれていて、常に当事者が引. る側」の関係はこのように複雑であ. 「ウチとソト」 「排除する側とされ. ことにも驚きました。. う、 定 住 と は 矛 盾 し た 願 望 が あ る. てどこかに移住していきたいとい. 私自身の「東北学」へとつながって. やがて非水田的なものにこだわった. い。後知恵ではありますが、それが. 景のなかには田んぼというものはな. 武蔵野台地も畑作地帯。自分の原風. せん。くわえて、私が育った東京の. というものが出てきたことがありま. 移り住んできた人たちが大多数を占. 武蔵野は父のように故郷を捨てて. き裂かれている。それを丁寧に解き. います。. る。今でもそれは同じように感じて. いったように思います。. 父や家族の話のなかには、田んぼ. たって続けることになりました。. 20 ほぐすことは重要な意味をもってい. 自分と家族はその家と土地を売っ. ウ ン 住 民 の 懸 念 の な か に、 い ず れ. な か っ た の で す。 さ ら に、 地 価 や. 「異物」を抱え込んでしまった彼ら. ❺帰郷者 ❻バルバロス (完全なよそ者). きをするという仕事を. この本のなかでは、新聞をにぎわす. ❶漂泊民 ❷来訪者. 資産価値の低下といったニュータ. 心地の悪さがあり、それを解きほぐ. (they-group). 2 C E L N o v e m b e r 2 019 C E L N o v e m b e r 2 019. 3. 30 █図1: 「異人=よそ者」のさまざまな形.
(4) し、語らない。私を含め、武蔵野を. 地の歴史や文化についても知らない. 者」たちが集まってくる。彼らは土. 心 部 と 違 い、 周 縁 化 さ れ た「 よ そ. 成功者たちが屋敷を構える東京の中. め る、 い わ ば「 移 民 の 大 地 」 で す。. けていることが多かったんです。. 性」を強くもつ人たちの話に耳を傾. の で す が、 い つ の ま に か「 よ そ 者. 多い。だから意図したわけではない. は公式的で、かたよっていることも. そういう人たちの語る歴史というの. ではない。入ってきたばかりの人も. 東北の小さな村といっても、均質. 引き裂かれていたのだと思います。. 彼 女 た ち に と っ て の 故 郷 は ま さ に、. り続けていたのだ、と気づきました。. て、そもそも女性は「よそ者」であ. 代以降に離村が進み、もはや2人の. そんなおひとりでした。1960年. に暮らしていた加藤さんという方も、. 最上川に面する小外川という集落. ちらが気づいていなかっただけです。. みんな「村の人」ですが、それはこ. のような「よそ者」にとって最初は. てしまった人がいることも多い。私. いるし、家族のなかに村を出ていっ. と がわ. その地に足をつけて暮らしている人 老 人 が 暮 ら す だ け だ っ た そ の 村 は、 東北は、私の父のように村を捨てて. こ. たち」に話を聞くことが楽しかった。 消え失せる運命にありました。彼が 都会へ出ていった人たちはもちろん、. 故郷だと思っている人はあまりいな. 自分が安心して「よそ者」になれる そこに婿養子としてやってきたのは 北海道や戦前の満洲、ハワイへ移民 うか?. メージが、これほどに強いのでしょ. だから、東北で「根っこがあって、. いし、距離感があるのです。. こ と に も、 解 放 感 が あ っ た。「 よ そ し た と い う 家 族 も 多 く、 そ こ か ら. 年ほど前。しかし加藤さんが語る. かつての村の姿には、中世以来の歴. 者 」 と し て 村 や 町 を 訪 ね、 お じ い ち ゃ ん、 お ば あ ち ゃ ん の 話 を 聞 く。 帰ってきた人たちもいる。 る人たちの多い世界だったと思いま. デーションがあったのです。 だ漂泊性の高いコミュニティでした。. 中世までの日本の社会は、移動す. 史 を も つ「 川 の 民 」 、川に漁る漁労 民俗学においても、従来は〝漂泊. とりわけ深く印象に残っているの. すなど. 土地ごとに祭りのある世界をあらた 民 が 生 き て い ま し た。 そ れ は、 『奥. か かい. す。少しずつ定住性の強い村がつく. さん や. めて知り、山野河海 [*2]と交わり と 定 住 [ * 3] 〟という対比的な二元. その後、東日本大震災の. の古い話は「村の旧家」や「根っこ. 思い返してみると、もともと土地. が、離れてみて気づくことも多くあ. 東北に関係する仕事も続けています. ばってしまい、答えることができな. という質問を投げかけると体が強. 「○○さんにとって故郷は何ですか」. 「 ○ ○ さ ん の 故 郷 は ど こ で す か?」. いるのです。. と言われ新しい土地に移住してきて. 「もうお前は二度と帰ってくるな」. い隠すような「定住の村」というイ. のが当たり前なのに、なぜそれを覆. は「よそ者」が出たり入ったりする. な論理も強く残っています。実際に. ない者=「よそ者」を排除するよう. しょう。そしてそこには、掟に従わ. 伝 わ っ て い る よ う な「 定 住 者 」 で. もっているのは、代々その名が村に. た し か に、 今 も 地 方 で 発 言 権 を. 共同体を出た者は不幸になる、 という「呪い」. 「 逃 げ ら れ る 社 会 」 か ら「 逃 げ ら れ. まりは1万年ほど前ですが、それは. に対し、ある種の差別的なまなざし. 住的な共同体はよそからくる人たち. ジです。. に自由があったというようなイメー. 者 が 集 う 場 )が 生 ま れ て お り、 そ こ. ユートピア (アジール=聖域、無縁の. の隙間にアウトローたちの小さな. て描かれていると思います。共同体. (1978年)という本のなかで、そ. 網 野 さ ん は『 無 縁・ 公 界・ 楽 』. があって、その地に足をつけて暮ら い。そんな女性に出会ったときのこ. 成長期の集団就職などで、そういう. ない社会」への転換であるというの. は、 女 性 た ち で す。 考 え て み る と、. している人たち」がよく知っている、 とは忘れられません。村社会におい. マ ー ジ ナ ル ( 境 界・ 周 縁 的 )な 存 在. です (. に帰ってくる者もいます。逆に、残. ゴミをどこに処理するかというのは、. ります。. かつての東北では、家督を継ぐべ. された長男は家屋敷と田んぼがあっ. 定住とともに人類が初めて直面した. ふる さと. き長男と次男以下の間に圧倒的な格. ても嫁は来てくれずに鬱々としてい. 問題です。集団のあり方についても、. こわ. 頁の図2) 。. しかし戦国時代を経て、近世の定. んな中世をある意味で〝希望〟とし. という一般的なイメージが私のなか. うイメージをもっていました。けれ は次々と外へ出ていってしまう。な. 女性たちの多くはよそから嫁入りし. にあったと思います。しかし、実は. ども今や、定住共同体が存在すると. かには、都会で功成り名を遂げて村. てそこにやってくる。結婚するとき、. をもつようになる。そうすることが いう前提自体が幻想だと思った方が. 武蔵野に戻ってきました。今もさま. 自分たちの共同性をより強固にする よいのかもしれません。. ちが被差別民の起源のひとつとなっ 差 が あ り ま し た。 長 男 以 外 が 家 に. たり。今では、関係は完全に逆転し. いえ、長い間にわたり相互扶助と排. 同体としての力が弱まっていたとは. とん平さんが見事に演じていた利助. 映画『楢山節考』(1983年)で左. 私にとってそれは、今村昌平監督の. れて馬小屋に寝起きしていたりする。. 「 村 の 共 産 制 」 で あ り、 メ ン バ ー と. 柳田国男の言葉を借りれば、それは. 必ずお前を助ける」という関係です。. おいては、さまざまなトラブルが起. が、同じ場所に住みつづける社会に. り前に受け入れていました。ところ. たとえば死体をどこに埋葬するか、. ていく背景には、こうした強い定住 残 っ た 場 合 は「 お じ 」 、 女 な ら「 お. 同じことが言えます。遊動する人た. 世にかけて村の周縁に定着した人た. 化への傾斜があったと思います。. てしまいました。. 除の原理を同時に抱え込んでいまし という男のイメージです。彼は村人. こるし、嫌な人間とも一緒に暮らさ. そして戦後の農村も、定住的な共. た。だからこそ、たとえば社会学者. ]の利用権をもたな. ないといけません。あいつより俺の. いりあい ち. 明 さ ん が 著 書『 共 同 幻 想 論 』. てしまったにもかかわらず、吉本隆. そういう共同体の力は、今や壊れ. が 壊 れ て し ま う。 「逃げられない社. 望をコントロールしなければ共同体. やしきたりをつくり、メンバーの欲. うことが見えてしまう世界では、掟. し て 入 会 地 [*. ちは、離れる、分かれる、去る、捨. の鶴見和子さんが強調されたように、. か ら「 く さ れ 」 な ど と さ げ す ま れ、. ければ、村で暮らしていくこともで. ( 1 9 6 8 年 )な ど に 言 う と こ ろ の. 会」は、そのようにつくられていっ. かで私が描いた定住と漂泊のせめぎ. 同 じ よ う に、 『異人論序説』のな. たわけです。 る 種 の「 呪 い 」 で す。 そ の 呪 い は、. 合いも、この大きな1万年のスケー ルで考えてみると、ちょっと違って 見えないだろうか。西田さんの『人. 動」から「定住」へと生活のスタイ. こ と を 語 っ て い ま す。 人 類 が「 遊. 人類学者の西田正規さんが面白い. 思 う よ う に な り ま し た。 も ち ろ ん、. く壊れはじめているのではないかと. 「 逃 げ ら れ な い 社 会 」 が 今、 柔 ら か. 革命』 、 1 9 8 6 年 )を 読 ん で、 私 は. 類史のなかの定住革命』(原題『定住. ルを大きく変えた「定住革命」の始. 「逃げられる社会」から 「逃げられない社会」へ. 今も繰り返しかけられているのです。. た者は必ず不幸になる」という、あ. かし続けている。それは「ここを出. 「恐怖の共同性」はなおも人々を脅. 方が食べものが少ないとか、そうい. てる……離合集散というものを当た. 共同体にとっての「内発的発展」を. 中年になっても童貞の彼は日々性欲. きません。. 「掟を守り、やるべきことをやれば、. 促 す よ う な、 い わ ば「 よ そ 者 の 効 に悩まされていました。. しかし時代が下がると、高度経済. ならやまぶしこう. 用」も考えられた。私自身も『異人. 4. 論序説』を書いているとき、そうい. 地域社会が人を縛る力というのは、. ば」と呼ばれ、薄汚い格好で働かさ. 4. ざまな形で東北とのつながりをもち、. ことにもなるからです。柳田国男も. 年ぶりで. カ月前. の細道』でそこを通過した松尾芭蕉. 遊動から定住への革命が起こったことで、人類は新たな. ながら組み立てられている暮らしの. 問題と直面し「逃げられない社会」を構成することになっ た。出典/『人類史のなかの定住革命』西田正規. られていきますが、歴史学者の網野. 農耕民. 論を語ってきましたが、それほど単. 中緯度森林の定住民. がけっして語ろうとしなかった「も. 定住生活. 風景はいいなあ、と心から思ったの. 人類の生活. 善彦さんが描いたように、それはま. (遊牧民). 純な図式では語り尽くせないグラ. 遊動生活. うひとつの東北」でもあったのです。. 遊動狩猟採集民. です。. █図 2:遊動から定住による生活様式の変化. 言っていることですが、中世から近. に東北を離れた私は、約. 50. 4 C E L N o v e m b e r 2 019 C E L N o v e m b e r 2 019. 5. 2. 20.
(5) それは数百年というような長い時間. なくてはならない存在にまで育って てが「自分ごと」として考えられる. もらい、その定住・定着を図ること いっていないことも多い。. が 目 的 で す が、 残 念 な が ら う ま く. う新しい意識をもち、企業のなかで. のではないでしょうか。今、そうい. かつての村には、志や思いを共有 彼ら若者たちを眺めている地域の. います。. たというような話ですが、インター する人たちが応援し合う形でお金を 人 た ち の ま な ざ し と い う の が、 「よ. えてなくなることはないでしょう。. は、さらに広がることはあっても消. じめた現代の遊動的なネットワーク. 編していくこともできる。それだけ. 組みを内から外へと開かれた形で再. した。今ならネットを通じ、その仕. そこに「村の共産制」の痕跡を見ま. というシステムがあり、柳田国男は. 野市のような地方都市にも、大都市. 私が関わりをもっている岩手県遠 ある一線を越え、地域社会の「利権. か、と言ってももらえる。けれども. ても泳がせておく。面白いじゃない. ]. 窮屈な思いをするよりも自分で生き. し. だから、たとえば学校やいじめか ですべてがまかなえるわけではない からやってきたそんな若くて優秀な. 出す「頼母子」や各種の「講」[*. たの も. ることを選びたい、と地方へ向かう. の単位で、気がつくとそうなってい ネットのような匿名性の高い世界が. ら逃げてはいけないと思い込まされ、 にせよ、遠くにいる「誰か」が利益 人たちがたくさんいて、とりわけ. 存在し、そこに仮想通貨が流通しは. 自殺を選んでしまう子どもたちを見 を す べ て 奪 っ て い っ た り、 「誰か」. 型の地産地消的システムをつくって. に再生可能エネルギーのような循環. テムの限界を感じています。代わり. される大都市型の中央集権的なシス. て多くの人が、原子力発電所に代表. 東日本大震災の後には、私を含め. 他的に閉じるのではなく、 「よそ者」. 新しい地域社会の仕組み。それも排. を 通 じ た 現 代 の 頼 母 子 か ら 始 ま る、. あまり理解されていません。ネット. う と し て い た 人 物 で あ っ た こ と は、. ういう協同組合的な考え方を広めよ. げた「入会」です。柳田もまた、そ. もない。ある意味で、それは先にあ. 海も川も太陽も風も、誰のもので. く、みずから積極的に、覚悟を決め. かったというマイナスの意識ではな. げられない社会」に入れてもらえな. 野 の よ う な 町 へ や っ て き ま す。「 逃. どこにあるのかを徹底的に調べ、遠. たいことを受け止めてくれる土地が. ンターネットを駆使し、自分がやり. 「ロスジェネ世代」である彼らはイ. いた経験をもつ人もいる。いわゆる. 流企業や官庁、海外協力隊などで働. みがえっています。じいちゃんたち. 性たちが仲間に入ったところは、よ. ないと続けられない。実際、若い女. れ〟とされた女性にも入ってもらわ. に も そ れ を 解 放 し、 か つ て は〝 穢. い く と 担 い 手 が い な い。 「よそ者」. 民俗芸能が好例です。村が衰えて. とはできないだろう、と思います。. ける村や町しか、もはや生き残るこ. 当の意味で取り込んで、生かしてい. でも私は、そういう若者たちを本. 手のひらを返したように切り捨てら. いくしかない――そのような考えか に対しても徹底的に開かれた形をも て地方を選ぶ人たちが現れているの. れてしまう……。. ら、福島県会津で酒屋の社長をして たせる――そういう試みが今、あち です。. るのです。うまくいかないと嘆くより. み出すようになり、今は会津の地に. は「再エネは雇用を生まない」と言. 部」というサロンをつくることに. 流れを重ね合わせる。すると、すべ. ない社会」へ、という大きな歴史の. を集めてつくったその小さな会社は、 「 逃 げ ら れ る 社 会 」 か ら「 逃 げ ら れ. われながら、さまざまな手法で資金. し た の で す。 行 政 か ら 離 れ、 利 害. か れ た 社 会 」 と い う 対 比 の 上 に、. 従来の「閉じられた社会」と「開. ていくでしょう。. れ る よ う に な れ ば、 日 本 も 変 わ っ. な 場 所 が、 い た る と こ ろ に つ く ら. に受け入れ、地域協力活動を行って. これは地域外の「よそ者」を積極的. 全 国 の 自 治 体 に 派 遣 さ れ て い ま す。. 力隊」として、多くの若い人たちが. よって制度化された「地域おこし協. たとえば2009年度に総務省に. いくことができるのか?. ティ」は、どうやってデザインして. いなければできないこともたくさんあ. も使い方ひとつだと思います。彼らが. 受け入れて元気になる。. かけになり、どんどん「よそ者」を. くれれば嬉しいし、その喜びがきっ. にしても、彼女たちが仲間になって. も、成功例をつくっていった方が早い。 関 係 の な い、 自 由 に 開 か れ た 形 で. 歴史をしっかりと捉え直してみたい. 今、自分が育ったこの地域の風土や. そうした大きな関心のなかで私は. その意味で、 「地域おこし協力隊」. 私も遠野市で「つなぎ役」をしながら、 運 営 し、 そ こ で 映 画 を 見 た り、 コ. 人近くの地元雇用を生. そういう若者たちが残れるための場所 ン サ ー ト を 開 い た り す る。 お お げ. 1、2 年 で. をつくり、ささやかに応援していこう. の で す が、 私 は そ の 古 い ビ ル の こ 人 た ち が も つ、 新 し い 感 性 や ノ ウ. 都会からあえて移ってきた若い. れたものとして捉え直すことでした。. で語られることの多い東北を、開か. していたのは、閉じられたイメージ. 私が「東北学」を通してやろうと. だに『異人論序説』のなかで発した. くこと。そういう意味で、私はいま. 分の故郷としてしっかりと描いてい. この武蔵野という地域を、いわば自. い ま す。 「よそ者」ばかりが暮らす. と 考 え、 「武蔵野学」に取り組んで. と が ず っ と 気 に な っ て い ま し た。 ハ ウ が あ る か ら こ そ、 こ う し た 場. それは日本がもつ複数性、多様性を. 多様性を柔らかく 受け入れるためのレッスン. さ に 言 え ば、 そ れ は 現 代 に お け る. 年 く ら い 前 ま で フ ィ リ ピ ン・ パ 所は魅力的になるだろうと私は感. 若き日の問いかけの影響下にいるの. 遠野にもむかし映画館があった. ブなどが入っていたという建物を. 柔らかく受け入れるための「内なる. かもしれません。. じ て い ま す。 そ う い う ア ジ ー ル 的. 異質性」と共存していくためのレッ. *. *. *. 山を歩き回って立木の売買や鉱脈探しを行う. *. 3. 2. 1. 注. *. 4. スンでもあったと今では思っていま す。個人も地域も、そんなレッスン. 定住民により耕作、貢納が行われる荘園や農. 職業のこと。. を 地 道 に 繰 り 返 す こ と で、 外 の 人、 外の世界ともうまくつながることが. 農耕を基礎として一カ所に定住する人々に対し、. 地を取り巻く山や原野、川や海。. できるのではないでしょうか。. 村などの共同体全体で所有した土地で、薪炭. 者など一所不住の人々が漂泊者とされる。. 山の民や川の民、芸能者、行商人、遊行の宗教. 海の向こうの台湾や朝鮮半島、中 国 や 東 南 ア ジ ア と の 関 係 づ く り に、. 頼 母 子 は 構 成 員で あ る 個 人 や 法 人 が 定 め ら れ. を指す。. や肥料用の落ち葉を拾う入会の山などのこと. かつての日本は失敗したと思います。 もしかしたらその原型が、これまで. ばれた。. 蔵野をよむ﹄ ︵岩波新書︶など多数ある。. 北﹄ ︵講談社 学術文庫︶ 、 ﹃性 食考﹄ ︵岩波書店︶ 、 ﹃武. ︵ともにちくま学芸文庫︶ 、 ﹃東北学/もうひとつの東. 発言を行う。著書に﹃異人論序説﹄ ﹃排除の現象学﹄. 北学﹂をはじめとする独自の視点から幅広い執筆・. 化研究センター所長を経て2011年から現職。 ﹁東. 工 科 大 学 教 養 部 教 授、 同 東 北 文. 東 京 大 学 文 学 部 卒 業。 東 北 芸 術. 学 科 教 授。 1 9 5 3 年 生 ま れ。. 学習院大学文学部日本語日本文. あかさか・のりお. 赤坂憲雄. 主 体 となる 相 互 扶 助 的 な 団 体 や 会 合 が 講 と 呼. た金品を払い込み、融通し合う金融の形態で、. の東北との関係のなかにあるかもし れ な い。 あ る い は 北 海 道 の ア イ ヌ、 沖 縄 の 歴 史 に も あ る か も し れ な い。 そういう連続したグラデーションの なかで現実を見ていくことが、これ か ら さ ら に 多 様 な「 逃 げ ら れ る 社 会」を生きるうえでの大切な学びに なるのではないでしょうか。ウチに しろソトにしろ、もはや「閉じたア イデンティティ」ではやっていけな い。 で は「 開 か れ た ア イ デ ン テ ィ. 5. ささやかなアジールといえます。. と思っています。. ます。. いた私の友人の佐藤彌右衛門さんが、 こちで小さな新しい風景をつくりつ. けが. 小さな再生可能エネルギーの会社を つあると感じています。. 代の女性の活躍が目立ちます。なか. 構 造 」 に ま で 触 れ て し ま っ た 瞬 間、. の な か で あ れ ば、 「 や ん ち ゃ」 を し. まり2年、3年という限られた時間. 私には、痛いほどわかるのです。つ. 20. には国立大学の大学院を卒業して一. 遠野市で現代の アジールをつくる試み. 年を東北で過ごした. ていると、「逃げてもいいんだよ!」 がすべてを抱え込んだりする形では. そ者」として. と言いたくなる。今、私たちのひと なくなります。. 若者たちが増えています。. り ひ と り が 逃 げ ら れ る 強 さ を も ち、. 30. つくりました。大企業の人たちから. 見つけようとしている途上だと思い. 逃げる人に対しても寛容なあり方を. 5. では「遠野の魅力」を共に考え(上) 、遠野の民俗と伝説に触れるツアーには県外からも多くの参 加者が訪れた(下) 。写真提供/富川岳. 6 C E L N o v e m b e r 2 019 C E L N o v e m b e r 2 019. 7. 20. 借 り て、 私 た ち は「 遠 野 文 化 倶 楽. 遠野でも「地域おこし協力隊」の若者による活動が静かに、しかし確実に浸透しつつある。 「to know(トゥーノウ=遠野) 」と題した一連のプロジェクトでは、東北の地域文化を現代に生きる人々 の糧とすべく企画やデザイン、ツーリズムを数多く実施。遠野中学校 1年生 130人に向けた講義. 10.
(6) [オルガワークス株式会社専務取締役]. Hosokawa Hiroyuki. Kawabata Yuko. 分、商店街にほど近い、おだやかな暮. 「 ヨ リ ド コ 大 正 メ イ キ ン 」 は、 J R 大 正 駅 か ら 歩いて約. も解いていきたい。. 目線をもって取り組んだ場づくりのプロセスをひ. 層にとどまらず、地域の歴史を尊重し、長期的な. 「地域でよそ者が面白いことを始めた」という表. お ふ た り に 訊 く「 小 川 文 化 再 生 物 語 」 か ら、. を伺った。. について、またその後の展開までさまざまなお話. 川幡祐子氏に、改修にいたるまでの経緯や実作業. 空き家活用協議会 ( We Comp ass)代表理事・. デュースを担当した一般社団法人大正・港エリア. 務 取 締 役・ 細 川 裕 之 氏 と、 プ ロ ジ ェ ク ト の プ ロ. トリエの運営に携わるオルガワークス株式会社専. プロジェクトにあたった主要メンバーのうち、ア. 大正区外出身、つまりよそ者だという。そこで、. この建物の再生に携わった主要人物は、すべて. 建物」なのだ。. た、商品と思しき品々――見るほどに「気になる. ている人の姿、いたるところにディスプレイされ. に飛び込んでくる。さらに周りには何やらつくっ. を覗くと、壁を取り払った奥行きの深い空間が目. つい足が止まる。誘われるようにガラス越しに中. の対比が味わいを醸し出しており、通りすがりに. 分と、古いトタンをめぐらした2階壁面との意匠. 建物だ。しかし、白壁に窓を大きく取った1階部. いるため、正面から見るとこぢんまりした印象の. 道路に面した元長屋の側壁部分を入り口にして. らしの息遣いが感じられるまちにある。. 15. 家をどう活用するか。物語はそこから動きはじめた。. さを感じるまち。そして「かっこいい」と思った. う思いのもと、住まいを軸にしたまちづくりの仕. 幡氏。川幡氏は、 「まちの住宅をよくしたい」とい. 市西部に位置する大正区は、江戸期の新田開発な. 地域に新たな光を見いだす、 よそ者の視点. 奈桜氏に、現在もわずかながら入居者がいる南棟. 事に携わり、現在は大正区や港区にある空き家活. き. 川幡氏によれば、大正区全体で工場の縮小や廃. の空き室に住まないかと持ちかけた。兵庫県たつ. どで造成された海と川に囲まれた区域である。明. かん. 止によってこうした賃貸住宅の空き家が年々増え. の市で築100年ほどの、戸も閉まりかねるよう. 用をワンストップで相談に応じる専門家集団であ. スター」と呼ばしめる原点ともなった。戦後、紡. 年以上賃. 治期には区内に大阪紡績会社 (現・東洋紡)が創業、. 績産業衰退後も中小工場が立ち並ぶ「ものづくり. ており「小川文化」も、ことに北棟は. な家に住んでいた神吉氏は、小川氏の「前の住人. お. 小川氏はまず、友人でイラストレーターの神吉. の町」として発展してきた。また、大正期よりそ. 借人がいない状態が続いていたという。いずれ壊. の荷物が残っている部屋だが、自分で片付けから. な. の働き手として沖縄からの出稼ぎ者を雇い入れた. するなら住んでいいよ」との誘いに乗ったものの、 も住める状態ではなかったという。. 想像以上の荷物の量と老朽化の進み具合で、とて. して建て替えるか更地とするかと見られていた長 とになった。. 屋である。そんななかオーナーが代替わりするこ. 年代前半に建てられたの. ことから、現在も沖縄出身者が多く、沖縄物産店 この大正区内に昭和. 代目オーナーと. 快適とは言いかねる環境での暮らしを楽しんで. 「古いけど、かっこいい」――. なった小川拓史氏は、老朽化が進んでいた「小川. いる神吉氏ならばと小川氏が見込んだからとはい. ショップには、オリジナリティあふれるカラフルな革小物、刺繍が アクセントのユニークなTシャツや可愛いイラストの手描きスリッ ポンなどデザイン性の高い作品が並ぶ。. 階 建 重 層 長 屋「 小 川 文. 10. 文化」を見た時、素直に思ったそうである。仕事. 1 階入り口のショップから奥を覗くとアトリエ部分が広がる。仕切 られていた壁面を取り払うことで長屋の特長を生かした奥行きの あるつくりに。. が、 物 語 の 中 心 と な る. 知らせたい思いから、屋根に使われていたトタンを2 階の壁に使っ たり、古材をはりめぐらせたりしている。. 年代から高度成長期にかけて、大正区内. 2 棟ある長屋のうち右側(北棟)をリノベーションし誕生したシェ. 化」だ。 「昭和. アアトリエ「ヨリドコ 大正メイキン」 。2 階が住居、1 階が店舗付き シェアアトリエになっている。 「古い建物はかっこいいものだ」と. 3. や料理店が軒を連ねることでも知られている。. る We Comp assの代表を務めている。. 『小川文化』もそうした住宅のひとつでした」と川. 建てられました。南棟と北棟の. で東京と大阪を行き来していたが、大正区を訪れ. 加藤しのぶ=取材・執筆 宮村政徳=撮影. には工場労働者向けの木造賃貸住宅 (長屋)が多く. 川幡祐子 たのは初めてだった。それなのに、どこか懐かし. 細川裕之. 大阪の紡績産業の発達を牽引し「東洋のマンチェ. 物語の舞台となる地域の話から始めよう。大阪. インタビュー. 棟の長屋が並ぶ. 「地域におけるよそ者の役割」を考えるにあたって、 ひとつの事例を紹介する。 舞台は 2017 年にオープンしたシェアアトリエ 「ヨリドコ 大正メイキン」。 大阪市大正区泉尾にある築約 65 年の長屋 「小川文化」を改修し、クリエイターのための 住居・店舗付きシェアアトリエに再生したそのプロセスは、 よそ者が、地域で紡がれてきた物語や知恵を尊重し、 長期的な目線で、丁寧に地域と関わろうとする 姿勢がうかがえるものであった。. 小川文化再生物語 ―― プロローグ. ――息づくまちは いかにつながり続けるか 2 30. 08 C E L N o v e m b e r 2 019 C E L N o v e m b e r 2 019. 09. [一般社団法人大正・港エリア 空き家活用協議会 (WeCompass) 代表理事]. 2. 地域と 「よそ者」 が 混じり合う場づくり 30.
(7) え「今考えると、ひどい話ですよね」と笑う細川. 用問題にも積極的に取り組んでおり、 「 『彼女を助 けてくださった。それからは、地域課の方や区の. められた。それでも諦めきれない小川氏は、大正 区 に 相 談、 そ こ で We Comp assの 川 幡 氏 を 紹介されるのである。 空き家の活用にはクリアすべきハードルがたく さんある。ことに耐震性を有しない建物の場合、 事前に耐震安全性や劣化度のチェックははずせな い。 「小川文化」北棟は、耐震診断、劣化診断を 受けたうえで耐震改修を行うこととなった。 後に小川氏はあるインタビューで、当時の思い を次のように語っている。 「この物件には未来があるって、なぜか勝手に思 い込んでいたんです」 未来がある――地域における新たな光をよそ者 である小川氏が見いだし、それに賛同するよそ者 たちも関わり、地域とつながりはじめたのである。. クリエイターたちが「住み」 「働く」ことができる拠り所として. た歴史を踏まえ「まだ今なら、おじいちゃんおば. ザイナー業のかたわら「単にモノではなく、人を 耐震改修後の北棟をどう活用していくか。当初、. あちゃんが蓄積されている技術を継承できると考. プロモーション担当者などを連れて来られて、区. つながりはさらに広がっていく。大半が高齢者 えられたようです」(川幡氏) 。同時にその構想が. 育てたり、能力を引き出すような人自身をデザイ 小川氏は縫製工場をつくろうとしたそうである。. であった南棟のほかの住人と神吉氏との交流が始. 全体で、ひとつの長屋を住めるように手伝ってく. まり、神吉氏が主宰する絵画教室などを通して地. ンする仕事」に興味を持つようになり、小川氏の. だ。 現実的なものかどうか、小川氏自身が悩んでもい. 大阪が紡績産業で発展し、このまちに工場があっ. 「女手ひとつでは無理だと思った神吉さんは、自 域とも付き合うようにもなった。徐々に人魚棟が. たそうだ。現在は仕事でもパートナーという関係. 身のフェイスブックで片付けを手伝ってくれる人 たという。そこに打開策を提案したのが細川氏だ。. を募ったんです」(細川氏). に は 多 く の 人 が 反 応 し、 意 外 な 人 も 声 を あ げ た。. と命名し、前向きに奮闘する神吉氏のSNS発信 ようになる。そこで思いついたのが、空き家のま. から若い人に引き継げるものはないか」と考える. ケーションの場所にならないか」 「そこで高齢者. うになりましたが、打ち合わせでも、儲かるかど. 会社 (オルガワークス)を立ち上げて仕事をするよ. という思いがありました。このプロジェクト後に. 観点で、縫製の現場の人たちをどうにかしたい、. 「小川には、ビジネスというよりはソーシャルな. 当時の大阪市大正区長であった筋原章博氏である。 ま朽ちるのを待つかのようであった北棟の再生だ。. うかという話はまず出てこないんです。新規に何. 棟長屋が若い人と高齢者とのコミュニ. 現在港区長を務める筋原氏は大阪市職員から区 しかし、ハウスメーカーやリフォーム会社など. かを始める時の判断基準は“関わる人全員が幸せ. 「この. 長となり、人口減少が進む大正区を何とかしたい 関連業者に相談するも、口を揃えて建て替えを勧. ネズミの糞が転がっているような南棟を人魚棟. と自ら精力的に働きかける名物区長だ。空き家活. マニアックな見学会、せいぜい. かった。そうすれば、区内で同じような木造住宅. オーナーさんが実際につくってみる場を設けた. になれるかどうか” 。そういう価値観ならば、『縫 だろうという予想をはるかに超える. をもつ家主さんが自分でやりたいと思えばやれま. 細 川 氏 の ア ド バ イ ス を き っ か け に、 ク リ エ イ IYワークショップ」という形で一般からの参加. さらに内装を業者に一任するのではなく、 「D. ンテリアコーディネーター仲間、建築系専攻の大. を行いたいという意図がありました。実際にはイ. は、今後の空き家再生におけるサポーターの育成. すから。また、サポーター向けのワークショップ. ターが集う住居・店舗一体型のシェアアトリエに. を募ったそうである。ワークショップはふた通り。. 学生、DIY好き社会人などのグループが参加し、. への興味の高さがうかがえたそうだ。. しようというコンセプトも決まった。資金的には. ひとつは一般参加者向けとして、古い建物の良さ. 1室ずつ担当しました。おかげで2階住戸は、5. 年かかるような、ビジネスモデルとして. を生かすために、撤去した古材の再利用や壁のエ. 回収に 型破りな提案だが、「以前、小川と一緒に北区に. 戸それぞれに違う表情を持つ部屋に生まれ変わり. 階住戸の内装の企画とDIYを公募. ワークショップだけでも画期的な試みだが、ユ. ました」. イジング加工などを工務店店主に教わった (計4 戸ある. 人参加) 。もうひとつは、サポーター向け. シェアオフィスをつくったことがあり、それが数 スモデルがすでにできていたので、それをもちこ. ニークなのはその際にまかない料理が出されたこ とだ。 「暑い盛りのワークショップでしたから、せめて. して行われた (計約 人参加) 。一般参加者向けの 快諾し実施に至ったという。. ワークショップは、川幡氏からの発案を小川氏が. = ヨ リ ド コ ワ ー キ ン 」 と し た こ と も あ り、 こ こ. 食事の時は皆でワイワイ話しながら、 『ここはど. が多数設けられたこ とも特徴的だ。. 「本当は内装も工務店にお願いした方が早いし、. た が、 目 標 以 上 の 120 万円が集まった。 その成 功 報 告 会 や トークショーなど 直 接情報を開示する場. は「 大 正 区 で メ イ キ ン グ す る 拠 り 所 = ヨ リ ド コ. クラウドファンディン グで一部資金を募っ. うしたらいいですか』と相談したり、 『今度手伝. 互いの理解を深める うえで良い交 流の場 にもなった。. 精度も高い。けれども、一般参加者向けのワーク. 理」がふるまわれた。 料理づくりは神吉氏 のご家族や地域の人 びとも手伝うなど、お. 大正メイキン」と命名された。. ワークショップの参加 者には「まかない料. いに来てもらえませんか』などと頼めるような交. 月 か ら 始 ま っ た。. た土壁を活用した部屋など5戸そ れぞれが異なったイメージに仕上 がった。. よそ者から地域に関わっていくために 実 際 の 工 事 は、 暑 い 盛 り の. なんです。それを一般の方にも知っていただくた. ら。行政が支援すべきだと判断するのもその部分. 費用はかかっても、安全であることは大切ですか. 化 診 断 を 経 て 改 修 を し て い る こ と は 大 き い で す。. 「ハード面については、この建物が耐震診断と劣. えたという。. せよう」だったそうで、そのための取り組みを考. 細川氏からの意見が「工程はすべてオープンに見. 川幡氏によれば、今回のプロジェクトにあたり、. 地域との関わりを中心に訊いてみた。. そこで川幡氏に作業にあたって大切にしたことを、. 7. めに、耐震改修現場の見学会を開催しました」. 「2階住戸」は、内装の企画とDIY を実施するグループを公募し進め られた。デニム柄の塗装や撤去し. ショップをすることで、地域で空き家を所有する. 先のシェアオフィスを「ワーキングする拠り所. 2. 30. んだ」そうで、大きな不安はなかったようである。. に. 回、約. 人近い参加. 製』をもう少し噛み砕いて、制作の場を探すクリ 者が集まった。若い参加者が多く、耐震や安全性. 10 60. 年かけてじわっと成長してきた。そういうビジネ. かと言いました」. エイターたちの拠り所になる場をつくってはどう. 人程度の参加. 2. まちに受け入れられていく様子を見て、小川氏は. ださったんです」(細川氏) 。. 氏。小川氏とは. けられるのは僕だろう』と、本当に現場に駆けつ. 「耐震改修見学会」では、施工担当が耐震改修方法を説明。また 「耐震補強計画の説明会」では、耐震設計者と工務店の話のほか、 隣棟住人による大正地区と長屋暮らしの良さについても聞くこと ができた。. 代の頃から付き合いがあり、デ. 改修工事前の「小川文化」 、特に北棟は誰も住んでいない廃墟と なっていたため外も中も荒れ放題だった。. シェアリングビジネスの仕事を手伝うようになっ. 20. 10 C E L N o v e m b e r 2 019 C E L N o v e m b e r 2 019. 11. 50. 5. 10.
(8) 日間で5、 600人の方に来ていただきましたが、 地 域 の 方 が 多 か っ た の が 印 象 的 で し た。 こ こ が 残っていくことで地域を元気づけることになるな ら、それはよそ者にしかできないことなのかもし れません。よそから来た人が客観的にこの地域を 見て、未来を感じる面白い場だと思うから、お金 をかけてでもつくりたいと思ったわけですから」. コミュニケーションを通して 〝 混じり合う〟 場に. 階アトリエの特徴は、壁を取り払った開. 完 成 し た シ ェ ア ア ト リ エ「 ヨ リ ド コ 大 正 メ イ キン」 放感にあろう。入り口を入ると土間があり、段差 をつくったアトリエ部分が続く。細川氏によれば、. らには一般の人々を実に巧みに巻き込んで進めら. この再生プロジェクトが、行政をはじめ、地域さ. まな形で周知をはかっている。話を訊いていると、. 入っていいところ”まで入っていける、フリーな. さんが入り口を越えたら、自分が感じる“自分が. する排除感というのが強く出てしまうので、お客. 「どうしても建物の中と外というだけで、外に対. 極力境をつくらない設計を依頼したそうである。. た。担当は神吉氏である。 れていったかがうかがえる。それは沖縄県からの. 同時に、SNSなどでの工事過程の発信も行っ 「どういう形で工事を見せていくかという話に 感じをつくりたかったんです。たとえば土間とい 歩上がるの. 移住者を早くから受け入れてきた歴史をもつこの ます。では、そこからアトリエ内に はどうか。そこを上がったら、奥まで行っていい. る様子を見せた方が皆が応援してくれるだろう』. く っ て も 俺 に は 関 係 な い 』 と か、 『昔の方が良. 域 の 方 に、 『ヨソモンがきてオシャレなもんつ. 「実は内覧会の時はすごく不安だったんです。地. 川氏は次のように語った。. そんなことが必然的に起こることで、中の人と外. ケーションというのはとても面倒なことなので、. こ の 空 間 の 中 で 心 地 良 く 過 ご せ な い。 コ ミ ュ ニ. コミュニケーションをうまくとらないことには、. ける必要がある。中に入った人と迎え入れる人が、. のかどうか。確かめるためには、必然的に声をか. と、私たちが悪戦苦闘する様子を描いてくれまし. かった』とか言われたらどうしようと。けれど、 の人が混じり合うんです。. 神吉氏の目論見通り、SNSを通して数百人の. た (笑) 」 人が工程を見守ってくれた。また、大正区も折々 実際は自分たちにとって何十年も思い出にあるも 時. 味があるんです。ここが形になるための自然な成. じられる。次に来る時はまるで当事者のように友. 間過ごすことによって、当事者のひとりとして感. たり、コラボなど新しい取り組みができる」など、. 長のしかたというのがあると思うので、そこを大 事にしていきたいと思います。どちらかというと、 『実験』という感覚の方が強いですね (笑) 。実際. 際、覗いてくれるだけでなく、ボールをおいかけ. も出てくるかも、という願いも込めています。実. 見て、将来ものをつくる人になりたいと考える人. 「子どもたちが、中でものをつくっている様子を. 「このまちは、小さな工場と、その工場の隣で定. え、実現可能な方法を提案していきたいと言う。. も先述の通りクリアすべきことも多いことを踏ま. 川幡氏は、ひと口に空き家の再生利用と言って. おふたりに今後取り組みたいことを伺った。. 価値を保ち続け、さらに高めていきたいと考えて. にするのは自分たちの役割だと思っていますから、. います。この場の専門的な評価を受けられるよう. ずにすべてオープンにしていくことを大事にして. 用のショールームとして開放しながら何も閉ざさ. には、ここをひとつのリノベーションや空き家活. てヒューッと敷地内を自由に走り抜けていきます。. います」. 商いをしている人が多い地域です。これからやり たいと考えているのは、住宅の一部分でいいので、. ので、それをきっちり分けたり壁をたてるよりも、. きちんとかけ合える距離感があるのです。細長い. なっているので、お互いに干渉し合うし、迷惑を. 「ここは基本的にパーソナルスペース同士が重. 正メイキン」はどうなのだろう。. ないでいきたい。そういう選択をする人が今後増. てくれていますので、それをもっと行政などにつ. たいという家主さんも、少しずつですが相談にき. ともできます。また、お金儲けより地域に役立て. それを家賃や、ちょっとした小遣い稼ぎにするこ. ば片付けや改修といったハードルが下がりますし、. 空きスペースを貸してもらうことです。そうすれ. 通るだけでも『ごめんね』と声をかけたりするよ. リノベーションや再生してきた建物をどうする. えればまちも変わっていって、より面白くなって. かなど、あまり他例を見ないようにしているとい. うな、外の人が中の人とコミュニケーションをと 惑をかけ合いながら、見えないルールをお互いに. いくと思います」. て活用するクリエイターから見た、「ヨリドコ 大. では入居者、つまりここをものづくりの場とし. ています」. 食屋を営むといった、仕事と住居が一体化した小. エピローグ. 大切な「ヨリドコ」となっているようだ。. ことがある』と思い出話をしてくださったり。. 時間前までは外の人. 広報で紹介してくれたそうで、「公民連携といい 間だと思っていた方が、思いきって中に入り. ほかにもクラウドファンディングなど、さまざ. 達を連れて、『ここでひと声かけたら奥まで行っ てええねんで』と言ったり ( 笑 ) 」 入り口に大きな窓ガラスを入れ、外から中が覗 け る よ う に し た の は、 こ こ が 小 学 校 の ス ク ー ル. 1. 1. する人が半々という割合である。全員がここに入. 元大正区内から通う人と、1時間以上かけて通勤. は6人、ほかに2階のアトリエ兼住居に3組。地. は当然時間がかかる。ヨリドコも同じです。ここ. な循環が生まれて、生態系ができるようになるに. がわーっと集まることはありませんよね。必然的. 「難破船が沈んでいたとして、そこにいきなり魚. オルガワークス株式会社専務取締役。2013 年、個人デザイン事務所「TENG Meister」 を立ち上げて独立。その後同社役員を兼任。 「コト・場・ヒト」に関心をもち、シェアオ フィス「ヨリドコ ワーキン」や、シェアア トリエ「ヨリドコ 大正メイキン」の企画運 営を手掛けるようになる。クリエイターを サポートする、ビジネスカウンセリングや イベントプロデュースのほか、地域再生に つながる教育やまちづくりへの関わりも広 がっている。 一般社団法人大正・港エリア空き家活用協 議会(WeCompass)代表理事。民間の都市 計画系コンサルタントで、住宅政策分野の 調査や計画策定に従事。2006 年から大阪市 立住まい情報センターで、専門家団体、N POなどとの協働によって住まいまちづく りに関する普及啓発活動を実践。大阪市住 宅供給公社企画事業課にて公的賃貸住宅で のリノベーション、団地再生事業に従事し た後、現職。. らないと楽しめないのと同じように、お互いに迷 築いていくことが必要になってくるんです。この. う細川氏は、場づくりや、 「ヨリドコ 大正メイキ ン」のこれからについて「意図的に海に沈めた難. 場が自分に合うと感じる人が自然に入居されてい ると思います」. 居して良かった、と言う。「ものづくりに専念す. にこういう場ができて、周りがどういう反応をし. 破船」にたとえる。. る場ができたことで、自宅でつくっていた頃より. て活用していくのかという、自然の反応の方に興. 現在、1階シェアアトリエの契約クリエイター. 集中できる」「他のクリエイターから刺激を受け. 川幡祐子. 細川裕之. かわばた・ゆうこ. ほそかわ・ひろゆき. 今後は、小学生を迎えるイベントもしたいと考え. ゾーンにあたっていることも関係しているそうだ。. 2. 2. 階に友達の家があって、遊びに来た. の を 残 そ う と し て く れ た と 喜 ん で く だ さ っ た。. 日間の内覧会が開かれた。当日の印象を細. 1. ますが、これだけしっかり関わってくださること. し、. 月に無事完丁. なって、神吉さんが『工事の過程を漫画に描きま. 応援する人が増えない。建築家といえどももがい 11. 『昔、この. ていて失敗もする。できあがるまでに苦労してい. 多くの人が関わった改修工事は. うのはここまで入っていいよねという目印になり. 流の場にしたかったんです」. 1. まちだからこそ、うまくかみ合った面もあるのか. トリエのプロモーションリーフレットなども作成。 「ここを自分たち の暮らしの一部として捉え、ここを愛し、愛されるにはどうすべき かをすごく真剣に考えられていることに、僕ら運営側も励まされま す」と細川氏。. す』と。それも人間の裏側を。神吉さんは、『建. アトリエは中央部分の共有スペースがあることでクリエイターたち によるコラボ作品も生まれやすくなっている。また入居者全員でア. もしれない。. 細川、川幡両氏などよそ者たちが中心となりコトが動いていった。. 築家が立派なものをつくりましたというだけだと、. オーナーの小川氏の想いを受けとめたプロジェクト開始時の参加. はあまりないことで、有り難かった」という。. 2. 12 C E L N o v e m b e r 2 019 C E L N o v e m b e r 2 019. 13. メンバーたち。イラストレーターの神吉氏や今回お話しいただいた.
(9) [神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所長・教授]. [同大学芸術工学部ビジュアルデザイン学科教授]. Akazaki Shoichi. 年代から続く近代デザインの教育. 日本. アジア. ︱︱. 欧米という文脈のなかで. ︱︱. 日本とアジア各国は、長い歴史のなかでたがい に刺激を与え合ってきた。日本の高等教育機関に 在籍する留学生の9割をアジア圏出身者が占める [*1]昨今、大学のキャンパスもまた、よそ者同. 士の交流の場といえるかもしれない。そうしたな か、デザインを軸に、アジアの若者たちが各国の 伝統や文化を学び、知恵や情報を交換する場を目 指してつくられた、ユニークな研究所が神戸芸術 工科大学にはある。 その名も「アジアンデザイン研究所」 。今も現 役のグラフィックデザイン界の重鎮で、アジア図 年前に設立された。現在、. 像学研究の第一人者としても知られる杉浦康平さ んが中心になって約. =たぶん、こうだろう)と、東洋的な曖 perhaps や. ゆ. 昧さをのぞかせつつ答えていたところ、 「パーハ. 語の. どちらか言ってくれと求められ、おおいに迷った. 年代・. 組みのなかで旺盛なデザイン活動を行ってこられ た。 前のドイツ工作連盟、あるいはその影響を受けた. ザインの基礎をつくった教育機関であり、当時の. バウハウスは戦間期のドイツにあって、現代デ. のの見方と自分の内にあるものとのズレを強く感. 「そうしたなかで杉浦さんは、ヨーロッパ的なも. プス先生」といういささか揶揄的な異名を贈られ. バウハウス [*2]に始まる、という文脈で語られ. ウルム造形大学はその最も先端的な継承の場。若. たという。. るのが当然とされていた時代です」. じたんですね。近代デザインは、日本人のなかに. 戦前戦後を通じて日本のデザインは近代欧米デ. そ多くの人が気づきはじめていることに、最初に、. もそうとう深く根を下ろしていますが、はたして. が、その憧れの場所で、杉浦さんは大きな違和. しかも非常に若い時期に疑いを持ったのが杉浦さ. ザ イ ン の 圧 倒 的 な 影 響 下 に あ り、 そ こ で は 日 本、 ましてやアジア的なセンスは顧みられることがほ. 感に遭遇する。赤崎さんによれば、それは杉浦さ. んでした。いわばヨーロッパの他者の立場から近. それ以前にわれわれの根っこはないのか。今でこ. と ん ど な か っ た。 そ ん な な か で、 そ の 違 和 感 に. んが自らのなかに、近代欧米のデザインや思想と. 代デザインを相対化し、もっと過去から続いてき. 相容れないものを発見した瞬間だったという。 これはインタビューなどで何度か語られている. 真っ先に気づいたのが、ほかならぬ〝圧倒的モダ 「杉浦さんはアジアへの関心を深め、その理論を. 陽の渦巻く動き. 陽の眼 (陰中の陽). をもつのだ。. 中心主義を超えた内なる他者の発見が重要な意味. デ ン テ ィ テ ィ や 文 化 の あ り 方 に は、 自 己 ( 自 我 ). けになったというのは興味深い。個人や国のアイ. ことが、デザインの方向性を大きく変えるきっか. 若かりし頃に自分の内なる「よそ者」を発見した. 本のデザイン界を牽引してきた杉浦さん自身も、. はなく、常に揺れ動く存在として捉えること。日. すなわち、自分をどちらか一方に固定するので. もたらす起動力になっているという (図1) 。. 一部が内在し、これが全体としての循環と調和を. 「陽中の陰、陰中の陽」といって、たがいの力の. うより循環・調和の関係にある。しかも両者には. のふたつの力のあり方を示すが、両者は対立とい. の思想とも通じるかもしれない。太極図は陽と陰. それは、アジアを代表するシンボル「太 極 図」. た い きよく ず. たアジア的な基準のなかで、デザインのアイデア. 陰と陽という渦巻くふたつの力。一方、それぞれの 内には「陽中の陰、陰中の陽」が存在し、循環と調 和のダイナミズムを生み出しているという。. ことだが、当時、杉浦さんはウルムの学生にしば. 陰の渦巻く動き. 実際のデザインに応用しました。アジア的図像の. 陰の眼 (陽中の陰). や思想を探究しようとしたわけです」. █図1:太極図. しば自分のアイデアについて「ヤー・オーダー・. 雄、デザイン協力=谷村彰彦) 。 提供/神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所. 研究に没頭し、大学での教育や研究所の設立に尽. アジア的な空間と時間がモダンデザインの極致と融 合した象徴的作品(イラストレーション=渡辺冨士. ナイン」(イエスかノーか) 、つまりいいか悪いか、. 力するに至ったのは、. フランスで開催された「伝統と現代技術ーー日本の グラフィックデザイナー 12 人展」 (1984 年)に出品 されたポスター。杉浦康平の代表作のひとつであり、. 代の数年間、バウハウス. ニスト〟の杉浦さんだったという。. あった。. き 杉 浦 さ ん に と っ て、 何 よ り の 憧 れ の 場 所 で も. 太極図のごとく ―― 自らの内なるよそ者の発見. の流れをくむドイツのウルム造形大学で教鞭を. 大山直美=取材・執筆 宮村政徳=撮影. 「僕の考えでは、杉浦康平という人はヨーロッパ. 赤崎正一 そ う だ。 そ こ で、 そ の た び「 フ ェ ラ イ ヒ ト 」( 英. 関心の出発点を次のようにみる。. にしてきた赤崎さんは、そうしたアジアに対する. 黄さん。一方、長年にわたり杉浦さんと行動を共. 学院で博士号を取得した杉浦さんの研究室出身の. そう語るのは、ご自身も同大学の3期生で、大. ていいでしょう」. るアプローチから生まれた独特の研究の場と言っ. に至る、アジア的なものへの関心と、それに対す. 一貫して展開してきたデザインワークから図像学. り離された独立した研究組織で、杉浦康平さんが. 「アジアンデザイン研究所は大学や大学院とは切. 果たしてきた役割について話を伺った。. デザイン研究所が育ててきたさまざまなつながり、. で同大学教授でもある赤崎正一さんに、アジアン. 國賓さんと、杉浦康平さんのデザイン事務所出身. 杉浦さんの後を受け継いで同研究所長を務める黄. 10. Huang Kuo-Pin. 黄國賓. 執った経験が、 直接のきっかけだったと思います」. インタビュー. 的なモダニズムの強い影響のもと、当初はその枠. 文化とは古来、国や地域、世代に固有のものであると 同時に、たがいの影響関係のなか、 新たなかたちへ常に変わり続けているという面も、 見逃すことができない。 近年は、日本の大学や大学院へ留学してくる アジア系の若者が急増しているが、 そこでの教育は西欧を規範にした近代日本文化の 一方的な押し付けになってはいないだろうか。 たんなる知識や情報、技術や資格の伝達に とどまらない、相互の吸収と学びへの試み、 デザイン教育によりアジアと日本の新たな絆を築く、 ひとつの創造的な挑戦を取材した。. では、すべてがヨーロッパにおける産業革命や戦. 60 30. 14 C E L N o v e m b e r 2 019 C E L N o v e m b e r 2 019. 15. “多主語的” な アジアが硬直した 文化を突破する 50.
(10) 西欧近代のカウンターとしての 〝多主語的〟アジア 「 世紀以降、世界はもっぱら西欧的な近代文明. ように自分と他者を画然と分けて考えるのではな く、つながり、混沌、それらを含めた大きな流れ のなかで物事を捉える〝多主語的〟な見方が重要 ということだ。. 発展を見せていますが、このままでは西欧と同じ. やインド、あるいは東南アジア諸国なども急速な. ろで起こっています。一方で、近年は中国や韓国. 飢餓は絶えることなく、今なお地球のいたるとこ. ( 脇 役 )で す が、 B を 中 心 に す れ ば 今 度 は ほ か の. 持ち上がる。Aという点を中心にすれば、Bは伴. を持ち上げると無限にあらゆる点がからみ合って. 経 』[*3]に 書 か れ た こ の 宝 の 網 は、 ひ と つ の 点. 雄さんが言う〝因陀羅網〟にも通じます。 『華厳. け ごん. 近代化の道を進み、自分たちの大切な伝統や精神 点が伴になるという具合に、主従の関係はその都. ら もう. 性は破壊されかねない。われわれ東洋人には、西 度変化しつつ、すべての点が関係していることに. いん だ. 「多主語的な関係というのは、仏教学者の鎌田茂. 欧 的 な 自 己 ( 自 我 )中 心 主 義 と は 大 き く 異 な る 変わりはありません。このように常にたがいに共. の洗礼を受けてきました。その間、戦争や紛争や. 〝 多 主 語 的 〟 な 考 え 方 が あ り ま す。 今 の 世 の 中 の 創的であるというのが、多主語的な関係といえる こうした考えを基礎に、アジアンデザイン研究. でしょう」. きよう. 困難な状況を変えるには、そうしたアジア的な思 考をヒントに、可能性を探っていくべきではない か。そうした考えから、この研究所はつくられた のです」. 所は次の. つの研究理念を掲げる。①見えないも. 究でなく、重層的・複合的に対象を捉える④ひと. 融和のダイナミズムを考察する③ピンポイント研. のを、見つめてゆく②対立項を見いだし、対比と. 5. 術も個人を超えた多くの無名の人々すべてが主語 になり、時代を超えて受け継いでいく――そんな アジア特有の発想だという。それはまた杉浦さん いつそく に そく. の思想の根本であり、アジアンデザイン研究所の に. に. ふ に. 基本的な考え方を象徴するキーワード「 一 即二 即 た そく いつ. 多 即 一 」 あ る い は「 而 二 不 二(二にして一) 」とい う言葉にも通ずるものがある (図2) 。 もともとアジアには、ふたつ(以上)に見えるも のも実はひとつであるという考え方が古くから あ っ た。 た と え ば 太 極 図 に 見 る 陰 と 陽、 天 と 地、 日と月といった一対の密接なつながり。私たち自 身の体にしても右半身と左半身のふたつに分かれ るが、手を合わせればひとつにつながる。西欧の. の祭礼装置のデザインに着目、アジア各国の研究 者との密度の濃い意見交換を行った。こうした独 特の宇宙観や神話が色濃く反映された山車の造形 は、日本だけでなく、中国、バリ、イラン、イン ド、タイなど、アジア各国で見られるという。こ の研究成果は、のちに『靈獣が運ぶ アジアの山車. わかることがある。よそ者同士としか見えなかっ. り、このようなユニークな研究をしている大学は、. いうのが、私たちの研究所の基本的な考え方であ. じゆうじゆう む じ ん. [重 々 無尽]⑤環境や、心身の問題と関係づける [人間・環境中心]. 日本だけでは見えない、 文化の源流を探る試み これらアジア的な思考方法は研究所のみならず、 黄さんや赤崎さんが指導する学部・大学院でも研 究の基本姿勢となり、これまでに展覧会、講演会、 シンポジウム、出版など、多様な形で研究の成果 が発表されてきた。 たとえば、アジアンデザイン研究所の設立準備 期間から開設直後にかけては、瀬戸内海沿岸に残 だ. し. るきらびやかで豪壮な「太鼓台」とそのルーツと しての「山車」をテーマに、アジア文化圏に共通. 研究について次のように分析する。. の特性について、この5年ほど、継続的な研究活 しゆ み せん. おいて世界の中央にそびえるという須弥山の形か ら来ていると想定しました。黄さんの言葉どおり、 それを文献で証明することは不可能なので、アジ. 士課程あわせて. 人を中国人が占めてい. 人、黄さんが担当している大学. 黄さんによれば、現在、大学院の修士課程・博 イメージを渉猟し、図像的・造形的な類似性を発. 院生は と気づきから始まった研究が、シンポジウムなど. 学生が刺激を受ける場として、日本の教育・研究. る。ここでも他大学と同様、おもにアジア各国の. では、同大学院に在籍するアジアからの留学生. で語り合われ、本にすることで、人と人、国と国、 ていく。そういう場として、アジアンデザイン研. 機関が選ばれているというのが現状のようだ。. 人いるが、うち 見していったんです。初めは非常に個人的な関心. ア各地の多様な事例を集めては、想像力によって. 異なる時代、地域、技術との 出会いが創出するもの. 動を行っている。. 注目。前出の山車とも通ずる宇宙模型的な造形上. 各国の儀式や芸能の際の冠など「かぶりもの」に. 現在、研究所では新たなテーマとして、アジア. 究所が果たす意味は大きいと思います」. おける須弥山をかたどっているという。. ──この世とあの世を結ぶもの』(工作舎刊)とし て出版されてもいる。 「アジアの文化は多く源流を共有して、インドか ら中国、韓国、そして日本に渡ったものがたくさ んあります。今、日本には、民俗学の視点から祭 りを研究している方は大勢いますが、デザインや 造形の視点から掘り下げている人はほとんどいな い。日本という狭い範囲だけを対象にしていたの では、アジア全体に及ぶ巨大な流れを捉えられな いので、じつはこれは重要な視点です。たとえ文. たアジア各国が、たがいの内にある異文化を発見. 日本でもここだけだと思います」. 字で書かれた文献がなくても、デザインや形から. し合うことで、共通の表現の手法が見えてくると. メートル、重さ6トンにも及ぶ。4 本柱 のヤグラの内に太鼓を置き、上方に 布団(ふとん)を重ね、巻きつけて逆 三角形にした形態は仏教の宇宙観に. 「杉浦さんは、山車のデザインは仏教の宇宙観に. 黄さんの言葉を受けた赤崎さんは、この山車の. 太鼓台の模型。実物の太鼓台は、大 きいもので高さ5.5メートル、長さ12. 8. 89 文化と文化を結びつけ、体系と広がりを生み出し. 9. りを主語とするような西欧に対し、デザインも美. つ の 主 題 に、 多 く の 主 題 ( 問 題 意 識 )を 見 い だ す. すべてのものは「一」であり、 「二」であり、 「多」でもあり、同時にまた. 黄さんの言う〝多主語的〟とは、たとえば作品. 「一」でもあるという思想。一見矛盾し合うものが、溶け合い、一体化 する発想は、西欧的自己(自我)中心主義とは異なる“ 多主語的 ” 考え 方だ。. ︱︱ 多 く の 主 題 を、 ひ と つ の 主 題 に 織 り あ げ る. 二即一即多即一. には当然のごとく自分だけの署名を入れ、我ひと. █図 2:一即二即多即一. 16 C E L N o v e m b e r 2 019 C E L N o v e m b e r 2 019. 17. 18.
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