• 検索結果がありません。

Vol.65 , No.3(2017)000メタデータ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Vol.65 , No.3(2017)000メタデータ"

Copied!
28
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

天野 恭子, 祭式名を隠した祭式記述, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 0 3 9 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1039/_article/-char/ja, 抄録:

最古層の祭式文献の一つであるMaitrāyaṇī Sam̐hitā(MS)の I 9 章は,caturhotr̥ 祭文につ いての章と言われている.そこでは,caturhotr̥ 祭文が主要な śrauta 祭式において用いられ ることが述べられているが,caturhotr̥ 祭文は I 9 章以外の祭式記述においては全く言及さ れない.おそらく主要なśrauta 祭式が記述された時点では caturhotr̥ 祭文の使用は受け入れ られていなかったと推察される.また,I 9 章には,何の祭式か同定されてこなかった, 未解明の儀礼行為が記されている. 本稿では,I 9 章に記される儀礼行為が,sattra,dvādaśāha,mahāvrata という一連の祭式 に相当することを論じる.これらの祭式は,MS の主要部分が成立した段階では正統 śrauta 祭とは見なされていなかった,特殊な祭式である.MS I 9 の記述と,主に Kāṭhaka-Sam̐hitā のsattra 章(KS 33–34)の記述を対照させて,対応関係を指摘する. この考察により,MS I 9 が sattra,dvādaśāha,mahāvrata の儀礼を記すことは明らかであ るが,MS I 9 はこれらの祭式の名前を明かさない.それは,これらの祭式が正統 śrauta と は違う異文化的背景を持つことに,起因すると考えられる.すなわち,非正統祭式を正統 śrauta 祭式記述という枠組みに嵌め込んで記述しようとしたことが,I 9 章の記述の特殊 性を生んだと考えられる. 伊澤 敦子, アグニ逃走神話と ukhā 土器の土探索, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, https://doi.org/10.4259/ibk.65.3_1047, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1047/_article/-char/ja, 抄録: Agnicayana はレンガを積んで祭壇を築くことを目的とする祭式であるが,それ以前に最重 視されるのは ukhā 土器の作成である.祭火を入れて運ぶ土器を作るに当って,まず大切 なのはその為の土を掘り出すことであり,その土は特別なものでなければならない.ここ で Agni を探す行為と土を求め掘り出す行為が結びつくのだが,下敷きになっているのは Agni の逃走神話である.本論では,この神話がどう関わりアレンジされていくかを見て いく. まず,神話について概観すると,3 人の兄達が供物を神々に運ぶ途中でいなくなってしま ったのを見て,Agni が恐れをなし逃げてしまい,水や草木の中に隠れてしまうが,最終 的に神々によって探し出される.隠れ場所は様々で,水,植物,石,暗闇等が挙げられる. 次にukhā 作成に関する部分について,1. Savitr̥ への献供,2. 木製のくわについて,3. 馬 とろばを連れて穴に向かう,4. 穴で馬に土を踏ませる,5. 穴の周囲に線を描く,6. 土を 掘りだす,7. 穴に水を注ぐ,8. 土を集める,9. 土にヤギの毛などを混ぜる,10. ukhā の成

(2)

型,11. ukhā を焼く,のうち,特に神話との関わりが明瞭な部分である 1, 2, 3, 4, 6 を検討 する.

神々のAgni 探索に当てはまるのが,ukhā 土器の為の土を求める行為であり,新たな点火 に相当するのが,土を掘り出す作業である.但し,黒 Yajurveda Saṁhitā によれば,Agni を見つけたのはPrajāpati となっている.また,Maitrāyaṇī Saṁhitā と Kāṭhaka-Saṁhitā では, 掘 り出した 土を集 める際に 唱えられるマントラの中で最初に火を鑽出したとされる Atharvan が Prajāpati と 見 な さ れ る . し か し , 祭 壇 を Prajāpati と 同 一 視 す る Śatapatha-Brāhmaṇa では,Agni 探索で Prajāpati に言及されることはない.また,土を掘り 出す行為主体は,神々とPrajāpati に帰されるが,その行為は抽象化され,最初に火を鑽出 したとされるAtharvan は prāṇa と置き換えられる. 唱えられるマントラに関して,Savitr̥,Aśvin,Pūṣan という太陽との関わりが深い神々の 名が挙げられる句が何度か唱えられる点や,Aṅgiras への言及が繰り返される事実に鑑み て,Vala 神話の影響も考慮に入れる必要があろう. 竹崎 隆太郎, リグヴェーダにおける心臓(hā́rdi/hr̥d-)と定型句「讃歌を形作る(√ takṣ)」 について, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 0 5 4 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1054/_article/-char/ja, 抄録: リグヴェーダ(R̥V)における心臓の主要機能には以下がある:(1)大工仕事としての讃 歌形成,(2)ソーマの純化としての讃歌形成,(3)精神活動の座,(4)感情の座,(5) 損傷されうる生命の核,(6)インドイラン時代に遡る定型句 Skt. hr̥dā ́mánasā とその変形. このうち本稿では(1)を扱う. 詩作を表現する際に,言葉・詩節・讃歌を√takṣ < 印欧祖語 *√ tetḱ「(大工仕事によっ て ) 形 作 る 」 と い う 語 を 用 い る 発 想 は , 印 欧 語 の 古 い 詩 の 言 葉 (Indogermanische Dichtersprache)の伝統に遡り,ヴェーダ語の mántra- √ takṣ はアヴェスター語にも,vácas-√ takṣ はアヴェスター語と古代ギリシア語にも対応表現がある.しかし R̥V では上記 mántra- と vácas- 以外にも「讃歌」を意味する多くの語が √ takṣ の目的語として用いら れており,R̥V の時代においてもまだ生きた定型表現であった.R̥V の詩人はこの定型表 現に「心臓」という要素を付け加えた.定型句「讃歌を形作る(√takṣ)」が心臓(hā́rdi/hr̥d-) と共に用いられるR̥V 中の五例,特に R̥V 3.39.1 における詩人が自分自身の詩作活動を描 写している部分から,(1)アイデア matí- が(2)心臓によって 形作(√ takṣ)られて(3) 讃歌の言葉(stóma-, mántra-, havíṣ- など様々)に出来上がり,これが(4)心臓から駆け 出して(5)称賛の対象たる神格へ向かう(R̥V 中の他箇所より(6)神格の心臓に届く), というR̥V 詩人の体験していた詩作過程が分かる.

(3)

川村 悠人, chandovat sūtrāṇi bhavanti と chandovat kavayaḥ kurvanti, 印度學佛教學研究, 公開 日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 0 5 9 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1059/_article/-char/ja, 抄録: 7 世紀頃,カシミールで活躍したと目される詩学者バーマハは,Kāvyālaṅkāra 第 6 章冒頭 部で詩文(kāvya)制作におけるパーニニ文法学の知識の重要性を説いた後,同章第 23 詩節以降,詩人がなすべき言語使用となすべきでないそれについて多角的な議論を展開し ている.Kāvyālaṅkāra 6.27cd 句では,詩文におけるヴェーダ語使用が禁止される.

KA 6.27cd: chandovad iti cotsargān na cāpi cchāndasaṁ vadet |

さらに,chandovat という一般原則に依拠してヴェーダ語を述べることも許されない. このchandovat の原則は,文法家パタンジャリが論及する次の二原則と関わる. 1. chandovat sūtrāṇi bhavanti「諸スートラはヴェーダ語に準ずる」

2. chandovat kavayaḥ kuruvanti「詩人達はヴェーダ語のような[言葉を]発する」

バ ー マ ハ の 時 代 と 地 域 に お け る 詩 文 と 文 法 の 連 関 を 探 る 上 で 貴 重 な 資 料 と な る Kāvyālaṅkāra 第 6 章については,V. M. Kulkarni による有益かつ包括的な概説がある.し かし残念ながら,当該の chandovat の原則は詳論されておらず,バーマハがどのような思 想的背景のもと上述の言をなすにいたったのかは明らかにされないまま現在に至る.この 問題の考察が本稿の目的である. 上記二原則が登場する Bhāṣya の分析から,バーマハの主張の背後にあるものを以下のよ うに描くことができる.まずもって,パーニニのヴェーダ語規則によってのみ説明され得 る語形を美文作品中で使用することは許容され得ない.それらの規則は美文作品の領域で は適用不可だからである.この種の語形は,パーニニ文典中のどの規則もそれを説明でき ないという意味において,正しくないものと見られるべきである.原則1 はこの種の語形 を正当化するものではない.何故なら,この原則はパーニニのスートラ中での言葉遣いに 対してのみ有効だからである.この原則が効力を発揮する場を美文学領域にまで拡張する ことは許されない.このことは,Aṣṭādhyāyī 1.1.1: vr̥ddhir ād aic における語形 aic に対する パタンジャリの議論の文脈から明白である.他方,詩文作家の習性に触れる原則2 もまた, 言葉の正しさを保証するものとはなり得ない.パタンジャリが同原則を望ましくないもの (na hy eṣeṣṭiḥ)とし,ヴェーダ語の特徴を有する詩文作家の表現を文章の欠陥(doṣa) と見るからである.以上より,バーマハはパタンジャリの論説に忠実に従っていると言え よう.

(4)

置田 清和, 近世南アジアにおけるバクティ・ラサ論について, 印度學佛教學研究, 公開日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 0 6 6 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1066/_article/-char/ja, 抄録: サンスクリット詩学におけるラサ論は 4 世紀前後に書かれたとされる『ナーテ ィヤ・シ ャーストラ』によって初めて言及され,9 世紀カシミールに登場したアビナヴァグプタに よって思想的基盤が与えられた.従って,アビナヴァグプタ以降の詩論家達は彼の思想に 言及せずにラサ論を語る事はできなかった.しかし,アビナヴァグプタ以降の詩論家達に は独自の思想性がない,とするJeffrey Moussaieff Masson と Madhav Vasudev Patwardhan (1970)の見解には疑問を提示せざるを得ない.Venkataraman Raghavan(1978)や Sheldon Pollock(1998, 2016)が指摘するように,パラマーラ王であったボージャ(11 世紀)など, アビナヴァグプタ以降にも独自のラサ論を展開した詩論家が存在したからである.また, バクティ(信愛)の思想とラサ論を融合し,独自のバクティ・ラサ論を展開したジーヴァ ・ゴースヴァーミー(16 世紀)も注目に値する.この論文ではジーヴァの『プリーティ サンダルバ』111 章に焦点をあて,アビナヴァグプタ以降のラサ論の発展の一部を解明す る.その過程で Pollock(2016)におけるジーヴァのバクティ・ラサ論理解に対する修正 も提示する. 和田 壽弘, 新ニヤーヤ学研究の歴史と展望, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, https://doi.org/10.4259/ibk.65.3_1073, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1073/_article/-char/ja, 抄録: 新ニヤーヤ学の研究方法として(1)哲学的方法と(2)歴史的方法が主に採られてきた. (1)は,新ニヤーヤ学の「古典テキスト」を,綱要書や限られた註釈書やインドの学術 伝統の中で保持された見解を基に,合理的に解釈することを目指す.ダニエル・インガー ルズ以来,多くの研究者が採ってきており,哲学との比較研究へと向かうことが多く,さ らには新ニヤーヤ学の哲学的特徴を探求する傾向が強い.この立場の問題点は,歴史的連 続性を確保できない可能性や,離れた時代の主張を結びつけてしまう可能性があることで ある. 一方(2)の立場を採る研究者は多くなく,エーリッヒ・フラウワルナーがその代表である. 新ニヤーヤ学の体系を確立した 14 世紀のガンゲーシャの前後の歴史が明確でない段階で は,歴史的研究を行うのは相当困難である.問題点は,歴史的連続性を重視するために, 新ニヤーヤ学の特徴について沈黙してしまうことである. 二つの方法を併せて採用したのは,ステファン・フィリップスである.彼は歴史的文脈の

(5)

中で新ニヤーヤ学の発生を捉えようとした.歴史性を踏まえつつ,その哲学的特徴を考察 したのである. 我が国では,宇野惇,宮元啓一,石飛道子による綱要書研究が主流を占めた.新ニヤーヤ 学の「古典テキスト」に研究段階を進めたのは,丸井浩,和田壽弘,工藤順之,山本和彦, 岩崎陽一である.かれらの研究方法については,二つの方法の内どちらに力点を置くかが 異なる. 重要な点は,二つの方法はいずれかが正しいというものではなく,また,現実の論文にお いては互いに排除し合うものでもないということである.今後は研究が蓄積されるにつれ て,二方法を共に採るようになると思われる.現時点では,(2)よりも(1)に重点が傾 きがちであるが,哲学の研究者との連携が充分になされているとは言い難い.哲学研究者 との連携あるいは哲学的知識の吸収が,新ニヤーヤ学の哲学的意義を探求する上で不可欠 であろう. 岩崎 陽一, 言葉の「意味」とは何か, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 0 8 2 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1082/_article/-char/ja, 抄録: 言葉が意味するもの,話し手がその言葉により意図するもの,聞き手が言葉から理解する もの――インドにおける古い時代の意味論では,これらは明確に区別されていなかった. しかし,ニヤーヤ学派とミーマーンサー学派プラバーカラ派の意味論論争においては,こ れらの差異が大きな意味をもつ.ニヤーヤ学派は,言葉から直接的に(推理を介さずに) 理解されるものはその言葉の意味であるという前提に立つ.一方,プラバーカラ派は,言 葉から直接的に理解されるからといって,それが言葉の意味であるとは限らないと主張す る.本稿では,新ニヤーヤ学派のガンゲーシャ(14c)が『タットヴァ・チンターマニ』 で展開する意味論論争の分析を通して,言葉の「意味」についての各学派の見解を検討す る. そこで議論されるのは,普通名詞の意味は普遍か個物かという,古くから論じられてきた 問題である.ガンゲーシャとプラバーカラ派のいずれも,普遍と個物は同時に,直接的に 言葉から理解されると認める.(バッタ派はそれを認めない.)しかし,プラバーカラ派 は,個物は言葉の意味ではないという.この立場においては,「言葉の意味とはその言葉 から理解されるものである」という考えは支持されない.では,彼らにとって言葉の「意 味」とは何なのか.ガンゲーシャのテキストにおいては,その明確な定義は与えられない. しかし,彼らは言葉の意味を,その言葉から理解されるべき,言葉がそれ自体で意味する ものと捉えていたと考えると,彼らの議論をうまく説明できる.そしてこれは,ヴェーダ の儀軌解釈を本務とするミーマーンサー学派に必要な意味論であるといえる.規則を述べ る言葉は,それから実際に何が理解されるかに関わらず,そこから理解される「べき」意

(6)

味を有していなければならない.そしてそれは,話し手の意図や聞き手の理解からは導出 できない. 斉藤 茜, 音素に基づく文意理解に関する諸学説の比較検討, 印度學佛教學研究, 公開日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 0 8 9 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1089/_article/-char/ja, 抄録:

ミーマーンサー学派の文意論の大成者Kumārilabhaṭṭa は,著書 Ślokavārttika Vākyādhikaraṇa において,文意が語意から生じることを主張し,その過程をさまざまに検討し,それ以降 の文意論の展開に大きな影響を与えた.その議論の途中 vv. 110–117 において,「音素を 文意理解の原因とする」説が登場し,簡潔に否定される.この音素→文意論は,Śālikanātha のPrakaraṇapañcikā においても,Prabhākara 派の立場から,(恐らくスポータ論者と一緒く たにして)「最終音素→文意」説ないし「文想起→文意」説として,批判される.Vācaspatimiśra 著作 Tattvabindu では,この Śālikanātha のテキストが多く使われており,例文も同じで, 構成及び説の定義は多少異なれど,大筋は殆ど変らない.一方,Vācaspati との年代関係 が議論されてきたJayantabhaṭṭa は Nyāyamañjarī 6.2 において,「音素を文意理解の原因と する」説に対して,更に詳細な検討を試みる.そして彼の「音素→文意」論では,ミーマ ーンサー系統の痕跡のない,Jayanta 独自の議論が展開される.このように,スポータ理 論を批判するという一点で共通するこれらの学匠は,文意の考え方の違いにより,音素に 対して採った戦略が異なる.本稿では,Kumārila から Vācaspati への議論の発展と,Jayanta が提供する資料から得られる議論を比較しながら,音素→単語と,単語(語意)→文意の 狭間に位置する媒介としての音素→文意論の内容を考察する. 日比 真由美, 『ニヤーヤ・リーラーヴァティー』における主宰神論証, 印度學佛教學研究, 公 開 日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 0 9 5 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1095/_article/-char/ja, 抄録: 古来インドでは主宰神に関する哲学的な議論が盛んに交わされてきた.なかでも,主宰神 を奉ずるニヤーヤおよびヴァイシェーシカ学派と,無神論的立場にたつミーマーンサー学 派や仏教徒との間で繰り広げられた主宰神の存在論証をめぐる論争は,激しい応酬を重ね ることで各々の論理学や認識論に関する諸理論の展開にも大きく寄与する結果となった. 本論文は,12 世紀頃にヴァッラバが著した『ニヤーヤ・リーラーヴァティー』(= NL)に おける主宰神論証を分析することで,ウダヤナ以降,ガンゲーシャ以前に展開されたニヤ ーヤおよびヴァイシェーシカ学派の主宰神論の一端を明らかにする. ヴァッラバの提示する論証式は,大地などが結果であることにもとづいて,その作り手と

(7)

しての主宰神の存在を論証するものであり,ニヤーヤおよびヴァイシェーシカ学派による 主宰神の存在論証の基本形といえる.そしてNL の主宰神論は,この論証式の妥当性をめ ぐる論理学的な議論に終始する.全知者性などの主宰神の諸属性についての神学的な議論 はなされず,また,ウダヤナが力説した,ヴェーダ作者としての主宰神の存在論証が言及 されることもない. ヴァッラバによる主宰神論証は,先行するニヤーヤおよびヴァイシェーシカ学派の思想家 が扱った論点のなかから,「結果の作り手は身体を具えた者に限定されない」という主張 に関わるものだけを集中的に取り上げ,コンパクトに整理したものといえる.また,仏教 徒側の文献を読み込み,その内容を元に議論を洗練させた形跡が見られる.既出の論点を 扱いながらも,その提示方法や応答の詳細には独自性が見出せ,新ニヤーヤ学派的な論議 (vāda)上のテクニックも確認できる. 張本 研吾, Pātañjalayogaśāstravivaraṇa 作者の認識論, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, https://doi.org/10.4259/ibk.65.3_1101, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1101/_article/-char/ja, 抄録: 『ヨーガスートラ』とその注釈『ヨーガバーシュヤ』(両者を一つとしてPātañjalayogaśāstra) に対するシャンカラに帰せられる復註Pātañjalayogaśā-stravivaraṇa は Pātañjalayogaśāstra 1.7 に対する注釈において自身のpramāṇa 論を展開する.本稿は,その中で『ヴィヴァラナ』 の著者が pratyakṣa を論じる箇所を取り上げる. まず,新たに作成中の批判校訂版に基づき Vivaraṇa の pratyakṣa 論の構造をアウトライン として提示し,どのように Vivaraṇa の作者が自らの論を展開するために『バーシュヤ』 のテキストを織り込んでいるかを見ていく. その中でさらに『ヴィヴァラナ』の作者が独自の哲学を展開している場面を観察する.そ の一つは yogipratyakṣa と mānasapratyakṣa としてしばしば論じられる二つの知をヨーガ派 の pramāṇa 論に取り入れる努力を著者がする場面であり,もう一つは著者が究極には pramāṇa は偽であると主張する場面である. 最後に,『ヴィヴァラナ』作者の pramāṇa は最終的には偽であるという立場と『ブラフマ スートラバーシュヤ』の作者であるシャンカラのpramāṇa に対する懐疑的な態度とを比較 する. 眞鍋 智裕, マドゥスーダナ・サラスヴァティーのヴィシュヌ神解釈, 印度學佛教學研究, 公 開 日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 ,

(8)

h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 0 9 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1109/_article/-char/ja, 抄録: マドゥスーダナ・サラスヴァティー(ca. 16th cent.)は,アドヴァイタ・ヴェーダーンタ 学派の学匠であり,またヴィシュヌ神信仰者でもある.そのため,彼はアドヴァイタ教学 とヴィシュヌ派教学とを統合しようとしている. 彼は,その著作 Paramahaṃsapriyā(PP)において,ヴィシュヌ派の一派であるパンチャラ ートラ派のvyūha 説をアドヴァイタ教学によって基礎づけている.その際に,vyūha 説で 説かれるヴィシュヌ神の四つの姿のうち,ヴァースデーヴァ神をブラフマンに,サンカル シャナ神を,ブラフマンが制約された姿である主宰神に割り当てている.一方マドゥスー ダナは,PP や Bhagavadgītāgūḍhārtha-dīpikā では,クリシュナ神をヴァースデーヴァ神の 化身であると述べると同時に,クリシュナ神を主宰神であるとも述べている. ところで,サンカルシャナ神とクリシュナ神はともにヴァースデーヴァ神の変容であり, また主宰神であると説かれているが,両神は全く同じ神格なのであろうか.あるいは両神 には何か違いがあるのであろうか.本稿では,マドゥスーダナのサンカルシャナ神理解と クリシュナ神理解を検討することにより,この両神の関係がどのようなものであるのか, ということを明らかにした. その結果,マドゥスーダナは同一の主宰神を,三神一体説における主宰神と化身としての 主宰神とに区別し,その違いと役割に応じてサンカルシャナ神とクリシュナ神という別々 の神格として説いている,ということが導き出された. 赤松 明彦, 日本における 1990 年代以降のジャイナ教研究, 印度學佛教學研究, 公開日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 1 5 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1115/_article/-char/ja, 抄録: 1965 年春にパリのコレージュ・ド・フランスで行われたルートヴィヒ・アルスドルフの講 義は,西欧のみならず日本のジャイナ教研究にとっても,転換点を画するものであった. それは,ジャイナ教研究を,仏教研究のための補助的学問の地位から,インド学において 独自の広がりと価値をもった研究分野へと押し上げるものであった.この講義録は,「ジ ャイナ教研究――その現状と未来の課題」として直後に出版されたが,これに示唆を得て ジャイナ教研究を進めることになった日本の研究者もいたのである.この講義録には,ジ ャイナ教研究に関わるおおよそ 10 項目の課題(主として,聖典類の文献学的研究,語義 研究に関連する)が示されている.本稿では,ジャイナ教研究の分野で,1990 年代以降 に日本で公表された研究業績の中から,その 10 項目の課題のうちの 6 項目に対応するも ので,特に日本語で書かれた優れた成果を紹介した.本稿が意図するところは,内容的に は極めて価値のあるものでありながら,国際的に必ずしも十分には知られていない現代日

(9)

本のジャイナ教研究の成果について,その一部にせよ広く世界の学界に知らせようとする ものである.

志賀 浄邦, Āptamīmāṃsā 第 59 偈をめぐる諸問題, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, https://doi.org/10.4259/ibk.65.3_1122, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1122/_article/-char/ja, 抄録: ジャイナ教徒サマンタバドラ(6 世紀頃)による Āptamīmāṃsā(以下 ĀM)は,他学派(特 に仏教徒)がジャイナ教徒の見解を紹介し批判する際に,頻繁に引用される作品である. 仏教論書の他,他学派(例えばニヤーヤ学派)やジャイナ教徒自身による引用状況も考慮 に入れると,第 59 偈が最もよく引用されていることがわかる.同偈は,ジャイナ教徒に 特有の見解である多面的実在論(anekāntavāda)とその根拠を端的に示す内容となってい る. 仏教徒がĀM 59 を引用する場合,多くの論書では「ジャイナ教徒」(digambara)の見解 として引用されているが,例えばジターリのJātinirākr̥ti では「ジャイナ教徒とミーマーン サー学派」が一まとめにされ,両派の説が混在する中でĀM 59 の引用がなされている. またシャーンタラクシタ・カマラシーラはĀM 59 自体を引用することはないものの,そ れとほぼ内容の Ślokavārttika(以下 ŚV)(Vanavāda)21–22 を「クマーリラ説」として引 用している.カルナカゴーミン他が ĀM の一連の偈を「ジャイナ教説」として紹介する 際にŚV(Vanavāda)23 を介在させているのは,ĀM 59 の構造をより明確に提示し,その 内容理解を補完するためであったと考えられる. ĀM と ŚV に見られる類似の偈を比較した結果,クマーリラが ĀM の記述を参照しアレン ジを加え,当該の偈を著した可能性が高いことが判明した.少なくともジャイナ教徒ヴァ ーディラージャスーリの記述はこの可能性を支持する.サマンタバドラとクマーリラの前 後関係は明らかではないものの,少なくとも両者は普遍と特殊に関する理論に関して共通 した見解を保持していたといえよう.また仏教論書の記述に従えば,ジャイナ教徒とミー マーンサー学派によって主張された存在論(特に普遍と特殊の関係)はサーンキヤ学派の それと類似の構造をもっていることがわかる. 上田 真啓, ジャイナ教白衣派聖典の注釈文献研究, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, https://doi.org/10.4259/ibk.65.3_1130, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1130/_article/-char/ja, 抄録:

ジャイナ教出家者の滅罪儀礼や教団運営を規定するテキスト『ヴャヴァハーラ・スートラ』 には,歴史的に古いものから順に,1)『ニリュクティ』(プラークリット語),2)『バー シュヤ』(プラークリット語),3)『チュールニ』(プラークリット語とサンスクリット語),4)

(10)

『ティーカー』(サンスクリット語)の 4 つが存在している.上記の 4 つの注釈文献のう ち,最初の2 つは,注釈文献とは言いながらも実際には『スートラ』の補助文献的な役割 を持っていたと考えられ,これらもまた,さらなる注釈を必要とするいわば『スートラ』 に準ずるような性格をもったテキストと言える.『チュールニ』は,これら『スートラ』 と『ニリュクティ・バーシュヤ』に対する注釈であり,プラークリット語とサンスクリッ ト語が混在した散文から成る.最後の『ティーカー』もまた,『チュールニ』同様,『ス ートラ』『ニリュクティ・バーシュヤ』に対する注釈である.つまり,『スートラ』『ニリ ュクティ・バーシュヤ』に対する注釈文献には2 種類のテキストが存在する訳であるが, 分量的にはこの『ティーカー』の方が多く,整然とした議論が展開されているために『ス ートラ』と『ニリュクティ・バーシュヤ』の解読には,注釈としては一般的にはこれが使 用される.これまでジャイナ教聖典研究においては,『スートラ』本文そのものの解読が 第一の目的であったため,『スートラ』理解に対する有用性の観点から,『ティーカー』 が重視されてきた.しかし,注釈文献の歴史的展開という観点からすれば,歴史的に先 行する『チュールニ』の重要性は看過できない.本発表では,この観点から『チュールニ』 を捉え,これが『ティーカー』のいわば原型のような存在であったということを,両者の 比較を通じて示すことを目的とする. スチャーダー・シーセットタワォラクン, パーリ語経典貝葉写本のデータベース開発, 印 度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 3 6 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1136/_article/-char/ja, 抄録: 貝葉写本は長い間パーリ語経典の内容を伝承する主な手段として使用されており,仏教研 究にとって貴重な資料である.しかし,貝葉写本の多くはよく保存されず,しかも研究ま たは取り扱いに実用的なフォーマットで記録されなかった.近代の学者たちによるパーリ 語研究は長い歴史を持ちながらも,パーリ語経典の貝葉写本のデータベースの作成は,ま だ体系的に行われることがなく,パーリ語と仏教学の分野では比較的新しいものである. この論文では,関連情報の収集に基づきデータベース開発から得られる知識に言及し,貝 葉写本の曖昧な文字を解読と転写する方法に関連する課題を示す.タイに保存されるコム 文字とタム文字貝葉写本を中心に,ディーガ・ニカーヤ写本の解読やそのデータ入力の解 決策を提示する. 渡邉 要一郎, Saddanīti における bhāvapada について, 印度學佛教學研究, 公開日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 4 3 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1143/_article/-char/ja, 抄録:

(11)

12 世紀に学僧 Aggavaṃsa によって著述されたパーリ文法学文献 Saddanīti では,自動詞語 根にbhāva(動作)のみを意味すべきときに導入される接辞 ya と parassapada/attanopada を 付与して作られた語(例えば bhūyate など)が bhāvapada と称されている.Aggavaṃsa は 幾つかのパーリ文献のなかでは,この bhāvapada とともに,行為主体を表す要素として第 一格語尾をとる語が見られうると指摘する.すなわちtena bhūyate というような構文だけ ではなくso bhūyate というような文章が存在すると考えられている.また,Saddanīti § 594 では行為主体を表示すべき場合に,行為主体が動詞によって既に表示されている場合には, 第一格語尾が導入され,動詞・kita(Skt. kṛt)接辞によって未だに表示されていない場合 には,第三格語尾が導入されると規定される.この点は Pāṇini 文法学の体系とは異なる ものである.従ってso bhūyate という構文では,一見すると動詞によって bhāva のみが動 詞によって表されているのに,行為主体を意味する第一格語尾が導入されているかのよう な矛盾した状態が見られることになる.Aggavaṃsa は,bhāvapada というものは第一義的 には行為主体を示すものであり,間接的にbhāva が意味されるという解釈を示す.それは あたかも,行為にとっての拠り所である人間を保持しているに過ぎない蓆が,間接的に「動 作の保持者」と呼ばれているが如くである.これによって,§594 の規定との矛盾が解消 されうる. 鈴木 隆泰, 「其罪畢已」, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 4 7 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1147/_article/-char/ja, 抄録: 『法華経』の「常不軽菩薩品」に登場する常不軽という名の出家菩薩は,増上慢の四衆に ひたすら成仏の授記をし続け,そのことで彼らから誹謗,迫害を受けた.増上慢の四衆は 常不軽を誹謗・迫害した罪で死後無間地獄に堕ちたが,自ら罪を畢え已わった後に常不軽 と再会し,彼から『法華経』を教示され(=成仏の授記を受け),無上菩提へ向かう者と なったとされる.ところが羅什訳の『妙法華』のみ,死時に臨んで常不軽が「其の罪,畢 え已わって」(其罪畢已)としている.しかし,なぜ彼に罪があるのか,あるとすれば何 の罪なのかが解明されないまま,今日に至っていた. 従来看過されていた事実として,Suzuki Takayasu は「常不軽菩薩品」に二種類の誹謗者 が表されていることを明らかにした.二種類とは “『法華経』に出会う前の,『法華経』 という仏語なしに無効な授記をしていた常不軽”(常不軽 ①)を誹謗した者たち(誹謗 者 ①)と,“『法華経』に出会った後の,『法華経』という仏語をもって有効な授記をし ていた常不軽”(常不軽 ②)を誹謗した者たち(誹謗者 ②)であり,後者の誹謗者 ② のみが,『法華経』説示者を誹謗した罪で堕地獄する.ところが『妙法華』のみ,常不軽 ② が『法華経』を説示していたという記述を欠いており,常不軽 ①と常不軽 ② との 差違が判別しがたくなっている. 『法華経』の主張(『法華経』抜きに如来滅後に一切皆成の授記はできない.だからこそ,

(12)

如来滅後にはこの『法華経』を説いて如来の名代として授記をせよ.如来のハタラキを肩 代わりせよ)から判断して,常不軽 ① と常不軽 ② の差違は『法華経』にとって本質的 であり,原典レベルで「其罪畢已」に相当する記述があったとは考えられない.羅什の参 照した「亀茲(クチャ)の文」が特殊であったため,常不軽 ① と常不軽 ② との差違が 判別しがたく,誹謗者 ① と誹謗者 ② を分ける必要が,漢訳段階で生じたものと考える のが妥当である.しかし,そのために「其罪畢已」という文章を編み出したのは,羅什が 『妙法華』訳出以前に『金剛般若経』を知っていたためと考えられる. この「其罪畢已」という一節が,日本の日蓮に絶大な影響を与えた.日蓮宗の開祖である 日蓮は,以前に念仏者・真言者であったため,「其罪畢已」の「罪」を過去の謗法罪と理 解した上で,自らを常不軽と重ね合わせ,〈法華経の行者〉としての自覚を確立し,深め ていった. もし『妙法華』に「其罪畢已」の一節がなかったとしたら,日蓮は〈法華経の行者〉とし ての自覚を確立できず,その結果,『法華経』に向き合う姿勢を変えた可能性が高い.あ るいは『法華経』信仰を捨てていた可能性まで考えられる.『開目抄』に見られる,「な ぜ自分には諸天善神の加護がないのか」「自分は〈法華経の行者〉ではないのか」の解答 の源は,「其罪畢已」以外には見出せないからである. もし『妙法華』に「其罪畢已」の一節がなかったとしたら,中世以降今日に至る日本仏教 は,現在とは大きく違った姿をしていたであろう.まさに,「大乗経典が外的世界を創出」 (下田正弘)した好例である.『妙法華』に存するたった一個のフレーズ「其罪畢已」が, 今日の日本の宗教界のみならず,社会の一側面を創出したのである. 笠松 直, 梵文『法華経』にみえる asthāt/asthāsīt の異読について, 印度學佛教學研究, 公開 日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 5 6 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1156/_article/-char/ja, 抄録: Veda 語では RV 以来,動詞 sthā のアオリストは語根アオリストで作る(asthāt).パーリ 語の偈文部分にも,歴史的な語根アオリストaṭṭhā が散見される(Sn 429; Jātaka I 188,12 等).他方,パーリ語散文では一般にs- アオリスト形 aṭṭhāsi を示し,その用例数は圧倒的 である. プラークリットでは一般に,過去形としてアオリスト形を用いる.sthā の場合,s-アオリ スト形が担ったものであろう.Mahāvastu は偈文でも散文でも s- アオリスト形 asthāsi を 示す.『法華経』偈文にもこの語形が散見される. 散文部分で,『法華経』Kern-Nanjio 校訂本(KN)ないし Wogihara-Tsuchida 校訂本(WT)

(13)

が一貫して “歴史的な” 語根アオリスト形を示す一方,中央アジア伝本がs-アオリスト 形asthāsīt を示すことは示唆的である.この一貫性が崩れるのは,Kashgar 写本 253b5 asthāt (= KN 263,15; WT 226,13)のみである.この箇所は提婆達多品に属する.この事象は, 提婆達多品が他の箇所と言語層を異にし,新層に属することを傍証するものと考えること ができる 恐らく原『法華経』はsthā に s- アオリストを用いる言語環境にあり,偈文においては韻 律の制約もあって,各伝本共通に古風な語形を残したものであろう.中央アジア伝本が散 文においてもs- アオリスト語形を維持した一方,ネパール系伝本はパーニニ(II 4,77) が教える古典サンスクリット的なアオリスト=語根アオリストで置き換えたものと解釈で きる. 仏教梵語文献におけるアオリストについては,従来,語根アオリストとs- アオリストと の差異について注目されることは少なかったように思われる.この様な調査を個々の語に 即して行えば,『法華経』成立史に係る知見を新たにする事例が見出される可能性があろ う.

山崎 一穂, Gopadatta 作 Saptakumārikāvadāna に見られる alaṃkāra について, 印度學佛教學 研 究 , 公 開 日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 6 4 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1164/_article/-char/ja, 抄録: Saptakumārikāvadāna(SKA)は西暦 5 世紀から 8 世紀の間に活動した仏教詩人 Gopadatta によって著された,クリキン王の七人の娘の物語を扱った美文作品である.Gopadatta は SKA を著すにあたり,大衆部系説出世部の律蔵に伝わる並行話を題材としたと考えられ るが,作品中で様々な文体の飾り(alaṃkāra)を用いている.本論は音の飾り(śabdālaṃkāra), 特に同音節群の反復技法に注目し,SKA がどのような文学作品の影響のもとで著された かという問題を考察するものである. SKA は 130 詩節からなる.うち同音節群の反復技法が用いられている詩節は八詩節ある. これら 8 つの用例は(a)yamaka,(b)lāṭānuprāsa,(c)pseudo-yamaka,(d)(a)と(b) の融合形に分類され,それぞれを分析すると,次のような特徴が明らかになる.(1) lāṭānuprāsa の用例が yamaka の用例に比べ多い,(2)この両者は厳密に区別されていない. (3)両者の融合形の用例には正確な同音反復がなされていないものがある. 以上の事実を踏まえると,Gopadatta が詩論家達によって yamaka に関する厳密な定義が与 えられる前にSKA を著した可能性が考えられる.しかし SKA の文体の特徴及び韻律の用 例から判断しこの可能性は排除される.興味深いことに,SKA に見られる同音節群の反 復技法の用例は戯曲作品,特にBhavabhūti(8 世紀)の Uttararāmacarita に見られる用例と

(14)

類似する.同作品に見られる 20 例の同音節群の反復技巧のうち,僅か 5 例が yamaka に 分類されるのに対し,残る用例は全てlāṭānuprāsa 或いは pseudo-yamaka に分類される.以 上から,Gopadatta は 7–8 世紀頃の戯曲詩人達の作品を知っており,彼等が用いた技法を SKA に取り入れた可能性が考えられる.

米澤 嘉康, 『律経』と『根本説一切有部律』, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, https://doi.org/10.4259/ibk.65.3_1171, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1171/_article/-char/ja, 抄録: 『根本説一切有部律』は,「律(経)分別」(Vinaya-vibhaṅga),「律事」(Vinaya-vastu),「律 雑事」(Vinaya-kṣudraka),「ウッタラグランタ」(Uttaragrantha)という 4 部構成であるこ とが知られている.本稿は,徳光(Guṇaprabha)著とされる『律経』(Vinayasūtra)に対 する『律経自註』(Vinayasūtravṛtty-abhidhāna-svavyā-khyāna)において,『根本説一切有部 律』の構成について言及している箇所,すなわち,第 1 章「出家事」第 98 経の註釈を取 り上げ,「律事」ならびに「ウッタラグランタ」の構成についての記述を紹介するもので ある.なお,当該箇所は『律経』「出家事」研究会によってテキストならびに和訳が出版 されているが,近年の研究成果における指摘にしたがい,本稿では一部訂正を施している. 井上 綾瀬, 律文献中の砂糖について, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 7 9 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1179/_article/-char/ja, 抄録: 漢訳律文献では,砂糖を表す際に「石蜜」という翻訳がしばしば使われる.しかし,紀元 前後のインドには,サトウキビの絞汁を1/4 に煮詰めた糖液(phāṇita/phāṇita),含蜜糖(黒 糖 ,guḍa/gauḍa/guḷa), 粗 糖 の 結 晶 が 浮 い た 廃 糖 蜜 ( khaṇḍa/khaṇḍa), 廃 糖 蜜 (matsyaṇḍikā/*macchaṇḍikā),薄い色の粗糖(śarkarā/sakkharā,さらに薄い色 vimala/vimala) などが存在し,「砂糖」は複数存在した.サンスクリット語やパーリ語で残る律文献には, phāṇita,guḍa,śarkarā,vimala が砂糖として示され,仏教教団にも複数の砂糖が知られて いた確認ができる.しかし,教団内では砂糖は全て「薬」として使用された為,厳密な砂 糖の種類を言及する必要はそもそもなかった.そのため,漢訳律文献において複数の砂糖 をひとつの「石蜜」という単語に訳しても「砂糖=薬」の原則故に問題が無かった.その ため,漢訳律文献中の「石蜜」という訳語が示す砂糖は複数ある.漢訳律文献中の「石蜜」 が,どの砂糖にあたるかは文脈や規則の内容から総合的に判断しなければならない. 熊谷 誠慈, ボン教の想蘊説, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051,

(15)

P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 8 5 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1185/_article/-char/ja, 抄録: チベットには古来よりボン教なる宗教が存在していたが,元来,高度な哲学を持っていな かったボン教は,7 世紀に伝来した仏教から思想的影響を強く受けた.ボン教に対する仏 教思想の影響のうち,密教的側面については,すでにサムテン・カルメイ氏などが,チベ ット仏教ニンマ派からの影響について指摘をしている.また,御牧克己氏によるボン教学 説綱要書研究などとともに,顕教的な側面についても研究が開始されている. ボン教のアビダルマについては,ダン・マーティン氏が概要を紹介している.筆者は五蘊 説に着目し,ボン教の五蘊説がヴァスバンドゥ著『五蘊論』の影響を非常に強く受けてい ることを特定した(Kumagai Seiji, “Bonpo Abhidharma Theory of Five Aggregates”『印度学 仏教学研究』64, no. 3 (2016): 150–157).ただし,『五蘊論』の五蘊説をボン教がそのま ま踏襲したわけではなく,『俱舎論』や『阿毘達磨集論』などの影響も受けながら,ボン 教独自の五蘊説を構築していったとことが判明した. 本稿では,五蘊説の中でも「想蘊」の概念に注目し,インド仏教からの影響という側面に 焦点を当てた上で,ボン教における「想蘊」の概念の独自性ならびに仏教思想との共通性 について検証した.ボン教は三種の想(小想・大想・無量想)を設定し,それを三界(欲 界・色界・無色界)に対応させているが,この対応関係は,仏教の『大般涅槃経』や『入 阿毘達磨論』などにも確認される.他方,「一切知者の想」を「無量想」に加える点など は,仏教文献には確認できず,ボン教独自の可能性が高い.さらに,ボン教の内部でも, 無量想の扱いには若干の相異があることも判明した.すなわち,ボン教は仏教と類似する 想蘊説を提示しながらも,ボン教独自の側面も持ち,さらにボン教内部においても時代に よって異なる説を生み出していったという事実が本稿で明らかにされた. 清水 尚史, スティラマティ『五蘊論釈』が論及する三世実有説について, 印度學佛教學研 究 , 公 開 日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 9 3 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1193/_article/-char/ja, 抄録: 2013 年に Jowita Kramer 博士によってサンスクリット語の校訂テキストが出版された『五 蘊論釈』(Pañcaskandhakavibhāṣā)は,アーラヤ識の注釈箇所において説一切有部の三世 実有説の批判を展開する.本稿では主に『俱舎論』(Abhidharma-kośabhāṣya)と比較する ことで,作用説の観点から両議論の違いを明確にする. 『俱舎論註』(Abhidharmakośavyākhyā)に従うと,説一切有部は『俱舎論』において,作 用(kāritra)を karman とは解せず,与果・取果という原因としての作用を立てた.ステ ィラマティの『五蘊論釈』において有部は,従来の作用の定義である与果・取果に変更を 加え,作用を取果のみとする.それによって,『俱舎論』などにおいて指摘されていた過

(16)

去の作用が存在してしまうという不合理を乗り越える作用説となっている. 『五蘊論釈』の中で論及されている有部の作用説は変更が加えられたことにより,問題の 焦点は作用と法との関係性となる.過去の作用が存在しない以上,「同じもの」とも言え なければ,時間設定の根拠となる作用と法とを「異なるもの」とも言えず,「異ならない もの」という曖昧な表現をすることになる.そして,作用と法自性との関係性から同一で あるとか別異であるという点から作用と法との関係性は示されないことを主張するが,無 自性となってしまう矛盾をスティラマティが指摘することになる. 眼が暗闇の中で作用を為しているかどうかというような作用説の問題は,睡眠から覚醒す る時や滅尽定から出る際の問題にも繫がる議論である.一見,アーラヤ識の存在論証にお いて三世実有説批判が展開されるのは不思議ではあるが,その背景思想には作用説の問題 があった可能性もあると考える. 新作 慶明, 『中論頌』第 18 章第 2 偈とそれに対する『プラサンナパダー』の注釈, 印度 學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 1 9 8 ,

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1198/_article/-char/ja, 抄録:

チャンドラキールティ(Candrakīrti)作『プラサンナパダー』(Prasannapadā, PsP)は,今 日唯一完本の形でサンスクリット原典の参照が可能なナーガールジュナ作『中論頌』 (Mūlamadhyamakakārikā, MMK)に対する注釈である.MMK の偈頌のみのサンスクリッ トテキストの存在は,近年まで知られておらず,La Vallée Poussin(LVP)による PsP 校 訂テキストに引用されるMMK が,MMK のテキストとして使用されていた.しかし,近 年,葉少勇によってMMK の写本が同定され,同校訂テキストが出版された.一方,PsP に関しては,今日でも多くの研究者の間でLVP 校訂本が用いられているが,近年では,LVP のテキストを見直す研究の存在が知られるようになっている.筆者もその 1 人であり, 第18 章の校訂テキストを作成し た. 先行研究で指摘されている通り,偈頌のみのテキストにおけるMMK 18.2 と PsP に引用 されるMMK 18.2 では,「我所」に相当する語について,前者では “ātmanīya” と,後 者では “ātmanīna” とテキストが異なることが報告されている.また,同じく,先行研 究では,当該偈を注釈する PsP についての言及もなされているが,依然として考察の余 地があるように思われる.本稿では,筆者が PsP 第 18 章の校訂テキスト作成過程で明ら かとなったMMK 18.2 とそれに対する PsP の注釈について考察する. 安井 光洋, 中観派における Akutobhayā の位置づけと青目釈『中論』の独自性, 印度學佛教

(17)

學 研 究 , 公 開 日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 2 0 5 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1205/_article/-char/ja, 抄録: Akutobhayā(ABh)と青目釈『中論』(青目註)はいずれもMūlamadhyamaka-kārikā(MMK) の注釈書であり,MMK 注釈書の中でも最古層のものとされている.ABh はチベット語訳 のみが現存しており,青目註は鳩摩羅什による漢訳のみが存在する.この両注釈書はチベ ット語訳と漢訳という言語上の相違がありながらも,その内容に多くの共通点が見られる. また,ABh と共通した記述が見られるのは青目註だけではなく,Buddhapālita の注釈(BP), Prajñāpradīpa(PP),Prasannapadā(PSP)においても ABh が広く引用されている.さらに, そのようなABh の引用パターンを類型化すると BP,PP,PSP に共通して ABh と同様の 記述が認められ,漢訳である青目註にのみ相違が見られるという例が少なからず見受けら れる. そのような青目註の独自性については同書の序文において,羅什が青目註を漢訳する際, その内容に加筆,修正を施したと僧叡によって記されている.そのため,青目註に見られ る独自の解釈については,訳者である羅什の意図が反映されている可能性も考えられる. よって,今回は上記の類型に該当する例としてMMK 第 18 章第 6 偈とその注釈を挙げ, 考察を試みた.この偈頌に対する注釈ではBP,PP,PSP が ABh の解釈を援用している. このことから ABh は中観派において MMK を注釈する際の伝統的解釈の典拠として扱わ れていたという結論に至った. 他方,青目註のみが ABh とは異なった独自の解釈を示している.これについては偈頌の 漢訳に明らかな意訳が認められることから,その注釈部分についても訳者である羅什によ って書き換えられているという可能性を検討した. 小坂 有弘, 『中論』第 23 章における śubhāśubhaviparyāsa 解釈, 印度學佛教學研究, 公開日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 2 1 0 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1210/_article/-char/ja, 抄録:

「顚倒の考察」(Viparyāsaparīkṣā,Phyin ci log brtag pa,観顚倒品)という章題で知られる 『中論』第 23 章では冒頭の第一偈を含む,三つの偈で śubha(浄)と aśubha(不浄)と viparyāsaḥ(顚倒)の三つの単語からなる śubhāśubhaviparyāsāḥ という複合語が確認される が,この語に関する情報は非常に限られ,この語の語義の決定を困難にしている.『無畏 論』,『仏護註』,『般若灯論』において,この語はśubha と aśubha との viparyāsaḥ (sdug dang mi sdug pa’i phyin ci log),と解釈されているが,『プラサンナパダー』ではśubha と aśubha と viparyāsa という並列複合語として解釈されており,諸註釈者とチャンドラキールティ

(18)

には解釈に異同が確認される.本稿ではチャンドラキールティの複合語解釈とそれを前提 にした彼の第23 章理解を考察する. チャンドラキールティは第23 章の主題を「煩悩」とし,第 23 章は「原因に縁って生じる 煩悩の無自性性」(1,2 偈),「煩悩が帰属する拠り所の否定」(3,4 偈),「煩悩と心の同 時生起の否定」(5 偈),「煩悩の原因の否定」(6 偈〜 22 偈),「煩悩を滅する方法の否定」 (23,24 偈)の 5 つの視点から煩悩の存在を否定する章としてこの章を理解する.6 偈か ら 23 偈を「煩悩の原因の否定」として解釈する際に前提となっているのが彼の複合語解 釈であり,śubhaṃ と aśubhaṃ と viparyāsāḥ それぞれを一偈に説かれる貪欲(rāga)・瞋恚 (moha)・愚痴(dveṣa)の原因として対応させている. 彼の複合語解釈は他の『中論』註釈者と異なるものであり,彼の第 23 章理解に示される 「煩悩」という第 23 章の主題も「顚倒の考察」という章題の示す主題と異なるものであ る.しかし,彼のśubhāśubhaviparyāsāḥ 解釈を前提とした第 23 章理解には章全体を統一的 に理解しようとする意図があると考えられ,そこからは伝統的に伝えられてきた章題や先 行する註釈者たちの理解にかならずしも左右されない彼の註釈態度がうかがわれる. 横山 剛, 『中観五蘊論』に説かれる心不相応行についての考察, 印度學佛教學研究, 公開 日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 2 1 5 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1215/_article/-char/ja, 抄録: 月称の『中観五蘊論』は中観派の論書でありながら諸法の体系を解説することを趣旨とす る特異な小論であり,アビダルマに対する中観派の理解を伝える貴重な資料である.同論 の中で行蘊の解説は大きな分量を占め,法体系の特徴が顕著に表れる箇所である.心相応 行については『入阿毘達磨論』との構成の類似が指摘され,先行研究において注目を集め てきた.一方,心不相応行については未だ本格的な研究がみられない.そこで本論文では 『中観五蘊論』に説かれる心不相応行について考察し,同論に説かれる十九法の中から有 部が説く心不相応行として一般的な十四法以外の五法に注目して,同論がこれらの法を説 く理由を明らかにする. まずは『中観五蘊論』に説かれる十九法を示し,十四法以外の五法が依得,事得,処得の 三得と縁和合と縁不和合の対概念という二種類の教理からなることを紹介する.続いて, 衆賢の『順正理論』における心不相応行の解説に注目し,衆賢が和合を実体として心不相 応行に含め,さらに蘊得など施設の法も心不相応行に含めていることを指摘する.そして 『中観五蘊論』における三得については,このような有部の後期論書の教理を踏襲して心 不相応行として説かれた可能性を指摘する.続いて縁和合と縁不和合については,有部の 心不相応行における和合や不和合が僧団の和合や分裂の原因を意味する法であることを指 摘し,『中観五蘊論』に説かれる因縁の集合の意味する縁和合が『順正理論』に説かれる

(19)

和合とは異なる概念であると考えられることを指摘する.そして『中観五蘊論』の縁和合 と縁不和合が,有部の和合と不和合よりも,瑜伽行派の法体系における和合と不和合に近 い概念であることを指摘し,この二法に関しては『中観五蘊論』が瑜伽行派の法体系から 影響を受けている可能性を指摘する. 崔 珍景, 『瑜伽師地論』摂決択分の梵文注釈書断簡について, 印度學佛教學研究, 公開日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 2 2 1 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1221/_article/-char/ja, 抄録: 『瑜伽師地論』を構成する5 つのセクションのうち,唯識思想史を解明する上で,内容的 に重要な「摂決択分」(Viniścayasaṃgrahaṇī)に関連する梵文貝葉写本の断簡 3 葉がラサ に保存されている.3 葉はかつてチベットのシャル寺所蔵の写本であったが,北京大学所 蔵の写本写真を調査した葉少勇(Ye Shaoyong)教授によって発見,同定されたもので, そのうち2 葉は摂決択分自体の写本であるが,残る 1 葉は摂決択分に対する未知の注釈書 の断簡である.筆者は葉少勇教授より資料の提供を受け,これら3 葉の解読研究を行って いる.本稿では,3 葉の中から未知の注釈書断簡を取り上げ,断簡全体の概要を紹介する とともに,特にア ーラヤ識と転識をめぐる四句分別について注釈する部分に焦点を当て て,その解読結果を報告した.この1 葉がカヴァーする摂決択分の本文は摂決択分冒頭部 のアーラヤ識に詳細な定義を与える箇所であり,袴谷憲昭教授の論文「Viniśca-yasaṃgrahaṇī におけるアーラヤ識の規定」の中で示されたテキストの末尾部分,およびそれに続く「識 身遍知」の冒頭部に対応するが,ここに引かれる本文によ って,袴谷憲昭教授による和 訳および梵文単語の想定も一部修正することができる.この注釈書が誰によって著された かは現時点では全く不明であるが,写本の書写に用いられた文字はグプタ書体の名残を留 めた,8–9 世紀に遡るブラーフミー文字であり,この写本に書かれた注釈書が唯識思想家 の活躍した時代に遡る注釈書であることを示唆している. 阿部 貴子, 『思所成地』体義伽陀における止観, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, https://doi.org/10.4259/ibk.65.3_1229, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1229/_article/-char/ja, 抄録: 『瑜伽師地論』の『思所成地』Cintāmayībhūmi には,体義伽陀 Śarīrārthagāthā といわれる 41 の偈頌の集成とその註釈部分を含んだ章がある.この偈頌部分に関してはすでに梵本校訂 と出典に関する研究が為されているが,註釈部分の校訂は未だ公表されておらず,梵本に 基づく思想研究も行われていない. 体義伽陀の註釈部分に見られる大きな特徴は,止観による三毒の滅を広説する点と,修習 により清浄なる識を獲得し,さらに識と身体的存在ātmabhāva を完全に断ずることを説く

(20)

点である.本稿では特に止観に関わる第 3,4,15,36 項――テキスト校訂は別稿に譲る ――を考察しその所説を『声聞地』と比較した.その結果,以下の点を指摘する. 体義伽陀の止観に関する項には,『声聞地』に基づく箇所が見られる.しかし厳密に『声 聞地』に従っているとは思えない.なぜなら(1)体義伽陀は,『声聞地』に見られない 説明,すなわち纒と随煩悩を滅して軽安を得ること,麁重と身体的存在の関係,慈心に基 づく止を示す.(2)一方『声聞地』が詳述する内容,すなわち五停心観,名称に過ぎな いという観想方法,止観による転依 āśrayaparivṛtti の獲得は一切言及していない.(3)ま た『声聞地』と同じ偈頌を引用するが,尽所有性・如性有性といった同じ言葉を用いつつ も異なった解釈を付している. したがって体義伽陀は,基本的な表現を『声聞地』と共有しながらも,『声聞地』に特有 の思想――比較的新しい層もある――に言及せず,身体的存在と識の関係に一層の関心を 向けていると推測できる. 高橋 晃一, 初期唯識文献における他者の分別, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, https://doi.org/10.4259/ibk.65.3_1236, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1236/_article/-char/ja, 抄録: 瑜伽行派は唯識思想を主張し,外界の認識対象の実在性を否定したことはよく知られてい る.当然のことながら,その外界の中には他の衆生の存在も含まれる.しかし,大乗仏教 は衆生救済を標榜しているので,唯識という立場に立ち,他者の存在を自己の認識の所産 と見なすことは,大乗の基本的な理念と抵触するように思われる. これに対して,唯識への悟入は瑜伽行派の思想において到達点ではなく,衆生の教導とい う目的に到達するための過程に過ぎないとする見解がある.これを踏まえて唯識文献を見 なおすと,例えば『成唯識論』では,資糧位・加行位・通達位・修道位・究竟位の修行の 階梯のうち,第二番目の加行位で所取・能取を離れた唯識性を了解し,通達位以降でさら なる真理へと昇華させると同時に,衆生を唯識性の理解に導くことが説かれている.また, 『摂大乗論』も加行道において唯識へ悟入した後,菩薩の十地の初地にあたる歓喜地に入 り,六波羅蜜に集約される菩薩行の実践が行われることになると説いている.このように 瑜伽行派の思想において,唯識性は修行の完成の境地ではなく,菩薩行の入り口である. そして,その菩薩行においては,教導されるべき他者との関わりが重要な意味を持ってい る. 瑜伽行者の修行の完成と他の衆生の存在の関わりについて,最も端的に述べているのは『摂 大乗論』であろう.それによれば,一人の修行者が唯識性を証得したとしても,他の人々 の判断(分別)がはたらいている限り,外界に相当する器世間が消滅することはないとい う.その背景に『瑜伽師地論』「摂決択分」があることはすでに指摘されているが,「摂

(21)

決択分」でも,他の衆生の存在によって器世間が意味づけられている.唯識思想を研究す る上で,他者の存在に着目することは重要な意義があると考える.

早島 慧, Prajñāpāramitopadeśa におけるアーラヤ識, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1884-0051, Print ISSN 0019-4344, https://doi.org/10.4259/ibk.65.3_1243, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1243/_article/-char/ja, 抄録: 瑜伽行派の中心思想であるアーラヤ識は,ダルマキールティの登場以降,インド撰述文献 史上極端に言及されることがなくなる.本稿は,そのアーラヤ識がラトナーカラシャーン ティの主著 Prajñāpāramitopadeśa(PPU)において,どのように解釈され,如何なる役割を 担うかを明らかにするものである. PPU におけるアーラヤ識解釈は伝統的な瑜伽行派の文献に依拠するものである.特に『唯 識三十論』等にみられる「一切の習気・種子を保持するもの」としてのアーラヤ識解釈を 重要視し,そのアーラヤ識を根底におきながら悟りへの階梯を示す.ただし,『唯識三十 頌』第5 偈 a 句 “tasya vyāvṛttir arhatve” という転依の解釈については,PPU は『唯識三 十論』と異なる解釈を行う.この相違は,「一切の習気・種子を保持するもの」としての アーラヤ識を重要視するラトナーカラシャ ーンティの立場を反映したものと考えられる. PPU においてアーラヤ識は「一切の習気・種子を保持するもの」として論じられ,その 種子の消滅システムによる転換,つまり転依が,ラトナーカラシャーンティの悟りへの階 梯として示される.そして,これが PPU の『唯識三十頌』第 5 偈 a 句解釈にも反映され ているものと理解され,さらに中観派に対する批判の重要な役割をなすのである.

VO Thi Van Anh, 『菩薩地』における修行階位について, 印度學佛教學研究, 公開日 2 0 1 8 / 0 3 / 2 4 , O n l i n e I S S N 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 2 5 0 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1250/_article/-char/ja, 抄録: 大乗仏教の修行階位は,従来,基本的に『十地経』に説かれる十階位であると理解されて いる.しかし,初期瑜伽行派の修道階位は,特に『菩薩地』の段階ではそのように断言で きない.その根拠は,同文献における修行階位に「住品」の階位と「地品」の階位の二種 類があるからである. さらにまた,周知のように,修行階位の内どれが重要な階位かという点に関して,瑜伽行 派は初地を重要とするが,『十地経』が重要とするのは初地ではない.なぜ瑜伽行派が初 地を重要な階位・聖位とするのかという疑問を解明するには,『菩薩地』の修行階位を考 察すべきである.本稿で考察した結果,同文献における階位説について,「住品」と「地

(22)

品」との二者の内,「地品」の七地説が主流であると言える.またその七地説の内,初地 に対応する浄勝意楽地(śuddhādhyāśaya-bhūmi)という階位の位置づけに注目し,凡夫か ら聖者になるという意味を有する浄勝意楽地の特異性から,修行者にとって,初地,すな わち聖者になる最初の階位が重要視されるものであると知られる.これによって,なぜ瑜 伽行派は初地を重要とするのかが理解でき,初期同学派の修行階位の確立の一背景を明示 でき た.

三代 舞, 知覚の作用としての niścaya, 印度學佛教學研究, 公開日 2018/03/24, Online ISSN 1 8 8 4 - 0 0 5 1 , P r i n t I S S N 0 0 1 9 - 4 3 4 4 , h t t p s : / / d o i . o r g / 1 0 . 4 2 5 9 / i b k . 6 5 . 3 _ 1 2 5 6 , https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/3/65_1256/_article/-char/ja, 抄録: niścaya の語は通例「確定」「決定」等と訳され,分別との密接な関わりを有する.したが って,無分別なるものとして知覚を定義付けている以上,ダルマキールティにとって知覚 が niścaya の機能をもつとは考えにくい.しかしながら,彼の著作 Pramāṇavārttika(PV) の第3 章において,知覚の作用を意味すると思しき(vi)niścaya の用例が見られ,それはデ ィグナーガの Pramāṇasamucaya(PS)1.9b に由来するものである.本研究では,PS 1.9b に対するダルマキールティの解釈について,PV と後の著作 Pramāṇaviniścaya(PVin)とを 比較しながら検討した. その結果,少なくともPV 3.339 においては,自己認識と同じものを指すことから,対象 の確定(arthaviniścaya)が知覚の作用と見なされていることが確認され,PV 3.341 および 345 で用いられる (vi)niścaya についても同様の可能性が考えられる.しかし,PVin において は,これらの用例は全て pratipatti,pratīti,vyavasthiti といった,知覚の認識作用を指すも のとしてより穏当な語に置き換えられている.さらに,PV 3.347 では,明らかに知覚の 後に生じる確定知の作用を指すものとしてniścaya の語が用いられているが,PVin におい て該当部分は省略されている.以上のことから,ダルマキールティは PVin において,問 題となる niścaya の用例を取り除き,確定知が関わらない形で議論を整理したと言うこと ができよう. その一方で,PV 3.349 に該当する PVin において新たに加えられた kāryatas(結果から) という文言は,このような筆者の予想を妨げる可能性がある.確かに,これまで広く参照 されてきたダルモーッタラやデーヴェーンドラブッディの解釈によれば,この句は,知覚 とその結果である確定知との因果関係に基づいて理解されることになる.しかし,ジュニ ャーナシュリーバドラが示すように外的対象と知覚との因果関係によって解釈すれば,確 定知との関わりは排除される. 望月 海慧, チベット文献において言及される世親の『法華論』, 印度學佛教學研究, 公開

参照

関連したドキュメント

Using the Z-order (or Morton curve) [19] in order to assign identifiers to the cells of a multidimensional quad-tree helps us to easily implement all the functions mentioned above.

For this reason, we make a comparison among three algorithms: the spherical interpolation algorithm implemented by using the zone structure on the sphere, the algorithm where

Aouf, On fractional derivative and fractional integrals of certain sub- classes of starlike and convex functions, Math.. Srivastava, Some families of starlike functions with

The use of the Leray-Schauder nonlinear alternative theory in the study of the existence of solutions to boundary value problems for fractional differential equations with

A structure theorem for ´etale morphisms (3.1.2) allows us to give a proof of the ´etale base change theorem following closely the proof in the rigid case.. We calculate the

Some aspects of the asymptotic behavior of the approximation numbers (= singular values) of matrices in B ( C n 2 ) can be very easily understood by having recourse to the

Some aspects of the asymptotic behavior of the approximation numbers (= singular values) of matrices in B (C n 2 ) can be very easily understood by having recourse to the following

Tuan, Regularization and error estimate for the nonlinear backward heat problem using a method of integral equation., Nonlinear Anal., Volume 71, Issue 9, 2009, pp.. Trong