シンクロニシティ ―秘数に導かれて
人生の暗号と運命
竹森
寅千代
聖なる愛とはなんでしょう。 父と子と聖霊が、思いと行いのいっさいにおいて、 永遠にあなたを導き続ける事です。 (エドガー・ケイシー・リーデングより)
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目次
プロローグ 一. 雑学 二. シンクロニシティ 三. 還暦を過ぎた頃 四. 家系を探ることから 五. 太陽系 今の時代 六. 数秘術 人は数をもって生まれ、残して死す 七. ある犬との出会い 八. 娘のこと 九. 娘と旅行 一〇.前世の墓と秘数 一一.竹森姓と父石太郎の前世の共通点など 一二.義兄石見金造と道悦のこと 秘数のこと5 一三.前世の妻と周りの人の秘数 一四.悦子さん 一五.私、寅千代の事 一六.新しい会社そして倒産 一七.父の死と十字架 一八.北へ帰る。別れと再出発 一九.不惑の年を迎えて 二〇.十字架の啓示 二一.信仰と転生の意味と学び 二二.秘数について 二三.姉が召される
7 プロローグ
プロローグ
一冊の本に出会うのは運命である。人生は全てにおいて出会いであり、機会であり、選 択である。偶然ではない。 人 に は 生 年 月 日( 誕 生 日 ) が あ る。 そ れ を 秘 数 で 表 す 事 が 出 来 る。 生 年 月 日 は 同 じ で も、名前も同じという人は少ないだろう。さらに両親の名前や生年月日も同じと言う人は さらに少ないだろう。だからその秘数一つが同じであっても、運命は違ってくるのは当然 である。誕生日や名前の秘数は波動であり相手の秘数によって影響をうけるからだ。その ように単に誕生日が同じでもその人の運命は大きく違ってくる。ただ個性的なもの、ある いは潜在的なある一部が似ているところはある。 自分の誕生日、名前の秘数が、両親や兄弟姉妹、友人などまわりの秘数(波動)に影響 を与え、または影響を受けるのである。 私の人生を覚性させたのは一冊の本「転生の秘密」だった。 私が還暦を過ぎた頃、何故か人生が虚しく感じられた。私は小企業の経営者であり、人 一倍働き、事業の拡大と利益の追求に励んできた。それが当然だと思っていた。しかしそ8 れが満たされる事はなかった。もしもその思いが満たされていたならば、人生虚しいなど と考えたかどうかそれは疑わしい。結構満足して人生を謳歌していたかもしれない。 満たされなかった思いが幸いして、私の場合人生に疑問を持つ機会に恵まれた。 人は生まれ、無垢な子供の時期から多感な思春期を迎え、そして希望と期待と不安の中 で 青 年 と な る。 生 き る た め に 働 く の は 当 然 で あ り、 こ こ ま で は な ん の 疑 問 も 覚 え な か っ た。やがて「歳月人を待たず」のごとく歳を経て老人となってしまう。あとは確実な死が 近づいて来るだけ。そしてやがて死は訪れる。これは人生に成功したと言われる人も、ま た 失 敗 し た と 言 わ れ る 人 も み な 同 じ で あ る。 成 功 か 失 敗 か は そ の 当 人 の 価 値 観 に も よ る が、死だけは平等に間違いなく訪れる。 死が全ての消滅なら、短い人生の富貴も貧困も大差はない。そこになんの意味があると いうのだろう。またある人は、短い人生だからこそ生きている間、好き勝手に楽しまなけ れば意味が無い、と言うだろう。 多くの人々はこの現実、この結果になんの疑問も感じないで納得して生きているのだろ うか。私だけだろうか、この現実に納得しないのは。 人が生まれて来る意味。存在する意味。そして生きていくことの意味。運命とは。現実 とは。私はそれらについて納得のいく答えが必要だった。 哲学書でもそれは解決できなかった。
9 プロローグ 「 叩 け よ さ ら ば 開 か れ ん 」 と い う 言 葉 が あ る よ う に、 私 の そ れ ら の 疑 問 に 対 す る 答 え は 徐々に解かれていった。
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一.雑学
諸説はあるが明かされている人類の歴史はわずか数千年ぐらい前、象徴的に書かれてい る旧約聖書が約一万数千年前からのことであろうか。その歴史のなかで知り得たことが全 ての様に、我々は人生を学び考え進化している。だが、その有史以前の人類の出自をほと んどの人は知らない。生物学的進化論がもっともらしく、教えられている。しかし学問は 時として大きな間違いをおこし、後年訂正されてきている事も事実である。日々多忙な人 生のある日、立ち止まって自分を客観的に見つめた時、思いかけないひらめきや導きに出 会う事がある。 貴方の祖先は? どこまで分かりますか? 普通ならせいぜい数代百年そこそこでしょ うか。また、貴方は生まれ変わりのことをどう思いますか? と聞いたら、貴方はなんと 答えるだろうか。 生 ま れ 変 わ り の 事 を ど う 思 い ま す か? と 問 う と、 多 く の 人 は、 「 私 は そ う い う の は ねー、信じない方ですね」と言う。そういう人は精神世界のことやその類の本にも興味を 示さない。学校で学んだことで大方満足しているのかも知れない。そして自分の理解出来11 一.雑学 ない事に関してはやや否定的だ。これも当然のことであろう。学校の教育では生まれて来 る意味や、死後の世界などについて教える術を知らない。本当は一番大切な教えが解明さ れていないのだ。 一般に社会の中で暮らす上で必要とはしないから、身の上に何か特別な出来事が起こら なければ、精神世界を学ぶ事は少ないのかもしれない。 欧米の大学研究室では、優れた高名な学者が生まれ変わりを研究する時代になった。不 確かな空想の世界などではなく、証明される時代が来たようだ。 二 十 世 紀 最 大 と い わ れ る 霊 能 者 エ ド ガ ー・ ケ イ シ ー は、 人 は 霊 的 な 存 在 だ と 言 っ て い る。それぞれの魂が何度も生まれ変わり、そして学びを積み重ね、進化している魂もあれ ば、また何度も生まれ変わりながら、進化に遅れた魂もこの地球に同居している。人の魂 も人の数だけ様々だと言う。 一般的に生まれ変わりの話は、古くから言われている仏教の教えの中にある。だがそれ は伝承されているだけで、それがどうしたの、と言う程度で、突き詰めて探求はしない。 現世に関係のない事だと思っている。 何故生まれ変わらなければならないのか。生まれる必要があるのか。そこまで考えが及 ばない。 こ の 世 に 生 ま れ て き て、 こ の 世 で 生 き て い く 上 で、 あ ま り 意 味 の 無 い こ と な の だ ろ う
12 か。そうだとすれば、どちらでも良いことではないか、意味の無い事にとやかく問答する 必要はない、とも思っている。 しかし、人生にとって最も重要な意味をもっている事だとするならば、決して看過する ことは出来ないだろう。 私の疑問にたいする導きは、私の人生に起きた幾つもの不思議な偶然の一致、シンクロ ニシティだった。 シ ン ク ロ ニ シ テ ィ と は 二 〇 世 紀 の 思 想・ 深 層 心 理 学 に 最 も 影 響 を 与 え た 心 理 学 者 カ ー ル・グスタフ・ユングが、当事者にとって意味のある偶然の一致を表した言葉だが、シン クロニシティは予知であったり、または導きの一つであったりする。 なぜシンクロニシティは起こるのか。この不思議な現象は当然人間技ではない。人それ ぞれに相対的に理解が及ぶように表われる。大胆に結論を出すならば、別次元の高次の存 在に依る事だろう。 このシンクロニシティはなにを意味するか。これはなんだろう。何のメッセージなのだ ろうかと考える。そうするとまた次のシンクロニシティが表われる。小さな奇跡は、また 次の奇跡に繋げる。 そんなのは、ただの偶然さ、と思う人は奇跡が起きても、それは単なる偶然と思うから
13 一.雑学 メッセージにも気付かない。シンクロニシティは受け手にその受信機、精神性が伴わなけ ればならない。受信してくれる当人にシンクロニシティは意味を持ってくる。正にユング がそうであつた。 目 に 見 え る も の が 全 て で は な い こ と は 歴 然 と し て 論 を ま た な い。 目 に 見 え な い エ ネ ル ギー、波動なども科学が証明する時代でもあり、量子力学なども原子の存在を証明してい る。 人はそれぞれ生まれる前に計画し、目的を持って生まれてくるといわれる。 しかし、それを誰がどのようにして証明することが出来ると言うのだろう。 もし、それの一端でも証明出来たら面白い。 人々の人生は余りにも忙しい。肝心の生まれて来た意味や目的など考える暇もない。 人生にとって重要な出会いがある。これは生まれる前から定められているようだ。
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二.シンクロニシティ
福 岡 藩 五 十 二 万 石、 黒 田 家 の 家 臣 に 竹 森 石 見 守( 竹 森 新 右 衛 門 次 貞 ) と い う 人 物 が い た。戦国時代の武将で青年、壮年期は黒田官部衛孝高と、その嫡子長政に随い織豊時代、 慶長の乱、関ヶ原と、ほとんど人生は戦に明け暮れた。黒田二四騎の一人で初めの名は新 次郎。二五歳の初陣で兜首を挙げ二八歳で十八の首級を挙げていた。 三木城攻略の時、毛利方との交戦で一番首を挙げるが、その時左手に重傷を負った。そ の後、左手の障害のため槍働きは少なくなるが、黒田家が万石大名となって、新しく旗を 制定した時、黒田孝高より「汝は敵の機を見ること天性の奇才なり。戦の功者である」と し て 黒 田 家 の 旗 を 預 け ら れ る 。 そ の 後 の 生 涯 は 黒 田 家 の 旗 の 将 と し て 活 躍 す る こ と に な る 。 筑前入国後は三千石の知行を賜り晩年まで旗奉行を務める。竹森家は黒田家二代忠之の 時、故あって一時途切れることもあったが、その後も世襲として百年以上旗奉行を務める 事となった。 次貞の生年月日は天文一九年九月二日。没年月日は元和七年一一月九日である。西暦に 変 換 す る と 生 年 月 日 一 五 五 〇 年 一 〇 月 二 一 日。 没 年 月 日 は 一 六 二 一 年 一 二 月 二 一 日 と な る。竹森石見守の墓は最初福岡の金龍寺に造られた。15 二.シンクロニシティ この生年月日、没年月日が後に私が霊数学、秘数を学ぶきっかけとなった。 私の義兄は石見金造という名前である。私の名前は竹森寅千代。父が言うには竹の森に 虎が千代続く、の意味であるそうだ。多分世界でただ一つの姓名ではなかろうか。同姓同 名はいないだろう。 竹森という名前は全国で八千余り、石見という名前はそれより少なく五千ぐらい。両方 合わせても一万三千くらい。日本国民約一億三千万人とすると一万分の一である。竹森と 石見が結婚する確率はそれよりも、かなり希少である。 彼の生年月日は大正一三年九月三日、一九二四年だ。彼は早くに逝ってしまった。没年 月日は昭和六三年四月二日、一九八八年だ。竹森の名と義兄の石見の名前を繋ぐと「竹森 石見」 、前述の竹森石見守と一致する。 この事に気がついた時に、これを意味の無い単なる偶然だと思うだろうか、それとも、 こ れ は 単 な る 偶 然 で な く 何 か の メ ッ セ ー ジ だ、 と 考 え る だ ろ う か。 こ れ が 最 初 の ヒ ン ト だった。 人は生まれる時、しるしを持って生まれて来ると言われる。それは「ほくろ」であった り、また痣であったり、生まれる年月日、誕生日、場所だったりいろいろだ。だから人は それぞれ自分の数字を持っている。あとで詳細は述べるが、私の数字は三七であり単数に すると三+七=秘数は一である。
発 行 2014 年 1 月 10 日 発行者 横山三四郎 出版社 e ブックランド社 東京都杉並区久我山 4-3-2 〒 168-0082 電話番号 03-5930-5663 ファクス 03-3333-1384 http://www.e-bookland.net/ 本電子書籍は、購入者個人の閲覧の目的のためのみ、ファイルの ダウンロードが許諾されています。複製・転送・譲渡は、禁止し ます。