F・スコット・フィッツジェラルドの
『グレート・ギャツビー』に描かれた夫婦
― 大金持ち夫婦と貧乏夫婦 ―
宮内華代子 〈要旨〉 F・スコット・フィッツジェラルドは「ロスト・ジェネレーション」を代表する作 家である。1922 年のひと夏、ロング・アイランドとニューヨークを舞台にして起こっ た出来事をニック・キャラウェイが回想して語る形式の長編小説、『グレート・ギャツ ビー』(1925)の中に描かれている夫婦像、夫婦観を明らかにし、さらに「対比」、「象 徴」、「回想的語り」など、駆使されている技法について検討する。若くして巨万の富 を得たギャツビーとディジー、ディジーの夫で大富豪のトム・ブキャナンと極貧の自 動車修理販売店店主の妻・マートル・ウィルソンとの 2 組の不倫と、ニックの恋愛が同 時進行する。物語りの結末は、ディジーがマートルをひき殺し、ギャツビーはその罪 を被って身代わりとなってウィルソンに射殺され、ウィルソンは自殺する。第一次世 界大戦後の繁栄と狂乱の 1920 年代アメリカを特色付ける事象―未曾有の好景気、禁酒 法施行、ギャングの横行、自動車産業の勃興、風俗と道徳革命―それらすべてを作品 は取り込み、ジャズ・エイジの縮図を完成した。最富裕層、最貧困層に属する 2 組の夫 婦を対照的に描き出し、最上流社会に属する夫婦の贅沢を極めた生活に潜む、偽り、 不道徳、不和を抉りだし、中西部出身のニックが自身の価値観と倫理観に則って彼ら を糾弾する。語り手のその嘆き、怒りと批判は、実は作者自身のものでもある。 キーワード:F・スコット・フィッツジェラルド グレート・ギャツビー ジャズ・エイジ 夫婦 貧富 ロスト・ジェネレーション アメリカンドリーム 1.はじめにフランシス・スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald)は最初の長編 小説『楽園のこちら側』(This Side of Paradise)(1920)の初版を 1 日で売り切り、発売 1 週間後には 2 万部を突破し、年内には約 5 万部を売りつくして、華々しく文壇に登場した。 しかし、長編第 3 作の『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)(1925)に対しては、 ウィリアム・ローズ・ベネット(William Rose Benet)やギルバート・セルデス(Gilbert
Seldes)のようなごく一部の批評家を除く圧倒的大多数の書評家、批評家による評価は低 く、売れ行きも伸びず、一時期は絶版になったこともあった。ところが、1950 年代に起 きたフィッツジェラルドの再評価ブームが契機となって今日では販売部数は年間 30 万部 以上にも及び、現在までに 300 編以上の批評・論文が発表されている。ロバート・L・ゲ イル(Robert L. Gale)が言う通り、現在ではフィッツジェラルドは『グレート・ギャツ ビー』の作者として世界的に知られ、この作品を 20 世紀文学の古典として確固たる地位 を築いていて、1)5 冊の長編小説、178 編の短編小説(内 14 編は未発表)を含む彼の作品群 の中でも最も高い評価を得ている代表作であるとみなすことに異議を唱える者はいな い。2) 出版直後にフィッツジェラルドから献本を受け取った T・S.・エリオット(T. S. Eliot) は「『グレート・ギャツビー』は、ヘンリー・ジェイムズ以来初めてアメリカ小説に見ら れた進歩である」3)と絶賛し、マックスウェル・ガイスマー(Maxwell Geismar)もまた「今 日に至るまでのアメリカ近代文学の伝統においてよく練られた小説のもっとも完全な実例 である」4)と賛辞を述べた。モダン・ライブラリー社(The Modern Library)は 1998 年 に「20 世紀最高の 100 冊の小説」(“The Modern Library’s 100 Best Novels”)としてリス トを発表し、その中で『グレート・ギャツビー』はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』 (Ulysses by James Joyce)に次いで 2 位にランクされた。2006 年に翻訳書を発行した村上
春樹に至っては次のように断言している。 もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、 考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャツビー』と、ドストエ フスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバ イ』である。どれも僕の人生(読書家としての人生、作家としての人生)にとっては 不可欠な小説だが、どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことな く『グレート・ギャツビー』を選ぶ。もし『グレート・ギャツビー』という作品に巡 り会わなかったら、僕はたぶん今とは違う小説を書いていたのではあるまいかという 気がするほどである....5) 本論では、1920 年代アメリカのロング・アイランドとニューヨーク市と「灰の谷」を 舞台に繰り広げられるこの物語の中で、どのような夫婦がどのように描かれているか読み 解きながら、ガイスマー、エリオット、村上春樹たちがこの作品に寄せている高い評価の 所以をつきとめたい。 2.作品の背景 『グレート・ギャツビー』は 1922 年のひと夏の出来事をニック・キャラウェイ(Nick
Carraway)(29 歳)が回想して語るという形式の長編小説である。1922 年春、ニックは マンハッタンにある証券会社に就職することになり、中西部から出てきてロング・アイラ ンドの借家に住むことになる。その隣家の大邸宅の住人がジェイ・ギャツビー(Jay Gatsby)(32 歳)だった。ギャツビーが第一次世界大戦で海外に出征することになったた めに、5 年前に別れた恋人ディジー(Daisy)(22 歳)はニックの又従兄の娘である。ディ ジーの夫で大富豪のトム・ブキャナン(Tom Buchanan)(30 歳)はイェール大学時代のニッ クの学友で、マートル(Myrtle)(30 代半ば)という愛人がいる。マートルの夫で自動車 整備士のジョージ・ウィルソン(George Wilson)(30 代半ば)は自動車修理販売店を細々 と経営している。ニックは、ディジーと同郷の友人でプロゴルファーのジョーダン・ベイ カー(Jordan Baker)(21 歳)をブキャナン邸で紹介され親しく交際するようになる。こ のようにして主要登場人物たちのうち、ギャツビーとディジー、トムとマートルの 2 組の 不倫と、ニックとジョーダンの恋愛が同時進行する。 作品の舞台になるのは 4 箇所の土地である。ニューヨーク市から約 20 マイル離れたとこ ろに、小さな湾を隔ててロング・アイランド海峡に向き合って突き出した卵形の一対の土 地、イースト・エッグ(East Egg)とウェスト・エッグ(West Egg)、そしてウェスト・ エッグとニューヨーク市のほぼ中間に位置する灰の谷(Valley of Ashes)、それにニュー ヨーク市マンハッタンである。フィッツジェラルドは 1922 年秋から 1924 年春までロング・ アイランド北岸に住んだことがあり、架空の土地、イースト・エッグ、ウェスト・エッ グ、灰の谷は、実際の地理上はそれぞれ、マンハセット・ベイ(Manhasset Bay)を挟む マンハセット・ネック(Manhasset Neck)と、グレート・ネック(Great Neck)、グレー ト・ネックの西方のフラシング・リバー(Flushing River)沿いの一帯を指している。6) ギャツビーとニックはウェスト・エッグに、ブキャナン夫妻はイースト・エッグに住んで いる。両方ともニューヨーク市から通勤圏内にある富裕層の居住地で 1 シーズンの家賃が 12,000 ∼ 15,000 ドルもする。地名のイースト(東)とウェスト(西)は象徴的に用いられ ている。イースト・エッグは上流特権階層の住宅地で、より高雅で荘厳、高級感のある洗 練された土地柄であり、ウェスト・エッグは新興成金が多く住んでいる。ウィルソン夫妻 は貧民居住地区の灰の谷に住居兼店舗を構えている。 イースト・エッグのブキャナン邸とウェスト・エッグのギャツビー邸の豪華さは、最富 裕層に属する者が持てる富の証として描かれる。ブキャナン邸は落ち着いたコロニアル様 式の屋根が目立つジョージ王朝風白亜の殿堂で、イタリア風庭園、レンガを敷いた歩道が あり、海岸から玄関先までの芝生の長さだけでも約 4 分の 1 マイルにも及ぶ。一方のギャ ツビー邸は、入り江を挟んで恋人ディジーが住むブキャナン邸の対岸に位置している屋敷 である。ノルマンディーの市庁舎風の建物で、音楽室、図書室、玉つき室を備え、大理石 のプール、広さ 40 エーカー以上もの庭がある。この 2 軒の豪邸とウィルソン夫妻の家は対 照的である。灰の谷の一帯には生ゴミや灰の投棄場が広がっている。その荒涼とした土地 の片隅に 3 店舗が入ったみすぼらしい小さな建物があり、ウィルソンの店はその中の 1 軒
である。 作品から、当時のアメリカの夫婦の実態を知ることが出来る。1922 年夏の間、毎週の ようにギャツビー邸では盛大なパーティが開かれた。オーケストラの生演奏があり、有名 な歌手やエンターテーナーが出演し、派手な電飾がほどこされ、酒類と料理がふんだんに ふるまわれた。ギャツビー邸でのパーティには招待状がなくても誰でも自由に出席を許さ れた。豪勢なパーティの噂を聞いて、入江の対岸に住むディジーがいつか訪れてくること を期待してギャツビーが開いていたためだった。ニックが時刻表の余白に記した、そのひ と夏のギャツビー邸でのパーティ参加者名が第 4 章には 2 頁にもわたって列挙されている。 その一覧表からも分かるように政治家、実業家、映画演劇関係者、歌手、プロモーターな ど、あらゆる職種の人間、著名人が出席していた。当然、夫婦同伴のパーティ客も多い。 第 3 章では 1 章すべてを費やして、ニックが初めて出席したギャツビー邸でのパーティの 様子が詳細に描かれ、パーティ会場での様々な夫婦の行動を写し出している。午前 2 時近 くになってもまだ大勢の客で混雑している会場で自称「夫」の男性とけんかした後、歌い ながら酔いつぶれてしまった歌手、会場に残っている大多数の夫婦が激しい口論ををくり 広げた挙句、パーティ終了間際には別行動をとっている。「自称の夫」「夫と称している男 たち」と書かれているのは、法律上、正式な「夫婦」ではない出席者たちも多いというこ とであろう。頻発した夫婦げんかの原因の殆どは、夫、あるいは妻が他の人に関心を示し たり、口説いたりしたからである。7)第 6 章でブキャナン夫妻が初めてギャツビーのパー ティに出席した時には、ギャツビーとディジーはトムの目を盗んで一緒にパーティ会場を 脱け出し芝生を渡って、隣家のニックの家に出かけ、半時間ほど玄関ポーチに座って「二 人だけでいられる楽しい半時間を過ごした。」8) 第 4 章では、ニックはマンハッタンのレストランでギャツビーから仕事仲間のマイ ヤー・ウルフシャイム(Meyer Wolfsheim)を紹介される。ウルフシャイムは、ギャツビー は女性に対して異常に用心深く、友達の奥さんにもまったく見むきもしない男なのだと、 ニックに教える。ウルフシャイムの口ぶりからすると、ギャツビーのように身近な女性に 関心すら示さず手を出さない男は珍しいということだ。作品の中では、多くの夫婦がそ ろってパーティに出かけたものの、パーティが終わるまでの長時間を仲よく過ごせる夫婦 は一組もいない。夫あるいは妻をおきざりにしてパーティで出会った異性に関心を抱いて 言い寄り、はたまた会場を脱け出して恋人と逢瀬を楽しむことさえある。パーティに偽り の夫を同伴する女性も珍しくなく、友人の妻に関心を持たない男は珍しい。実際、第 7 章 ではディジーの不倫にあてつけて、トムは妻の情事を黙って見過ごす夫が多い昨今の風潮 を嘆いている。9)――『グレート・ギャツビー』から 1920 年代当時に於ける夫婦の実態の 一端をこのように読み取ることができる。
ナサニエル・ホーソン(Nathaniel Hawthorne)の『緋文学』(The Scarlet Letter)(1850) のヒロイン、ヘスター・プリン(Hester Prynne)は姦通(Adultery)を犯した罰として その頭文字「A」の緋文字を一生胸に縫いつけて生きていく。『緋文学』の舞台はアメリ
カ 17 世紀、殖民地時代の厳しい倫理観に支配されたピューリタン社会である。それから 75 年を経てフィッツジェラルドがこの作品で描き出している時代は 1920 年代である。第 一次世界大戦後、大恐慌に襲われるまでの 10 年間にあたるアメリカの 1920 年代は好景気 が続いた繁栄の時代で、歴史上初めてアメリカの経済が世界第 1 位に昇りつめた。10)人々 は贅沢と快楽を求め、従来の社会的秩序や道徳に反抗して統制を嫌い、自由奔放な生き方 を求める若者達が風俗と道徳の革命を起こした。作品中ギャツビー邸とマートルのアパー トでのパーティでは酒がふるまわれ客たちが酔いつぶれ、また第 7 章のプラザ・ホテルで は酒宴が開かれていることからもわかるように、人々は当時施行されていたはずの禁酒法 を破り、ジャズが流行って踊り狂っていた。農村から都市への人口移動が急激に増えて都 市が大きく成長し、1920 年には総人口に占める都市人口が 51%となって初めて農村人口 より多くなった。中でも人口の伸びが最も大きかったのが全国からの移住者が急に増加し たニューヨーク市だった。11)1850 年に 50 万を超えていた人口は、1900 年には 340 万(旧市 内 185 万)に達していた。12) 心理学者ギルバート・ハミルトン(Gilbert Hamilton)が発表した 1920 年代に関する報 告によると、男女 100 人ずつのアメリカ人既婚者を対象に調査したところ、男性 28 人、女 性 24 人が不貞行為を行っていた。調査対象人数が少ないのは、不倫というきわめてプラ イベートな関係の調査を行うことが当時は難しかったからであろう。1948 年と 1953 年に アルフレッド・キンゼイ(Alfred Kinsey)が発表した『性行動に関するキンゼイ報告書』 (Sexual Behavior in the Human Male, Sexual Behavior in the Human Female)では、調査対 象者の数は大幅に増えている。既婚男性 6427 名のうち、3 分の 1 以上が、女性 6972 名のう ち 26 パーセントが婚外性交渉を持っていた。正直な回答を寄せなかった者もいることが 考えられるので実際の数字はこれ以上になるのではないかとみられている。13)フレデリッ
ク・ルイス・アレン(Frederick Lewis Allen)はアメリカの離婚率は上昇する一方で、 1910 年には百組の結婚に対して、8.8 組の離婚であったが、1920 年には 13.4 組、1928 年に は 16.5 組、つまり 6 組の結婚に対して 1 組の離婚の割合を報告している。人々の考え方に も変化がみられ、離婚を恥だと考えるよりも勇気ある望ましい行為とみなすような、旧来 の考え方を打破する見方も広まってきた。14) 『グレート・ギャツビー』はアメリカの 1920 年代のこのような経済の好況と狂乱と道徳 革命のただ中で繰り広げられる物語である。 3.ブキャナン夫妻の夫婦像 『グレート・ギャツビー』の時間設定は 1922 年のひと夏であり、夫トムは 30 歳、妻ディ ジーは 22 歳、3 歳の一人娘がいる。小説では 3 ヶ月余の「現在」の時間進行を中断して、 第 4 章、第 6 章、第 8 章の中に長い回想が、また随所に思い出が挿入されて「過去」が入 り込んでくる。トムとディジーの出会いと結婚生活については第 4 章でジョーダンがニッ
クにうちあける思い出話から知ることができる。1917 年夏、ケンタッキー州ルィヴィル で「一番大きな国旗を掲げ、一番広い芝生の庭を持つ家」の娘、18 歳のディジーはティラー 基地に配属されてきた 27 歳の陸軍中尉ギャツビーと出会った。ひと月程の親密な交際の 後、ギャツビーが第一次世界大戦で外地に赴くことになって、同年 11 月に二人は別れた。 ディジーはギャツビーのことを忘れられないまま 1919 年 6 月にはシカゴの大富豪トムと気 のすすまない結婚をした。ジョーダンのこの回想は作品では 4 頁に渡って延々と続き、 ディジーが新婚当初から今日までの約 3 年間夫の女性関係に悩まされ続けてきたことが明 らかになる。ハネムーン直後には車の中での情事が発覚し、8 月にサンタ・バーバラに宿 泊中にホテルの客室係のメイドを乗せた車が自動車事故を起こして新聞に載り、一家が イースト・エッグに転居してきたのも、トムが女性問題を起こしてシカゴに居られなく なったためだった。小説が始まる時点ですでにトムには灰の谷に住む愛人マートルがい て、ニューヨークに逢引の場所としてアパートを借りている。 トムはスポーツ万能でイェール大学時代には全米に名が知れ渡る有名なフットボールの 選手として活躍した。ディジーの言葉を借りれば、「すごく大きい、並はずれてでかい、 獣のような男」で、するどい目つき、ひきしまった口元をしていて金持ちに独得な横柄で 傍若無人、人を見下すような威圧的な言葉づかいや態度をとる。思想的にはゴダード (Goddard)の『有色帝国の勃興』(The Rise of the Colored Empires)を読んで有色人種が 白人を脅かすようになることを憂えたり、北欧人種の優越性を信じている人種差別主義者 でもあり、また科学書を愛読していて、読んで得た知識をひけらかしたりする。スクリブ ナーズ社の編集者マックスウェル・パーキンズ(Maxwell Perkins)はトムの人物描写に ついて高く評価し、「一群の登場人物たちの描写は優れているが、中でも特にトム・ブキャ ナンの描写はみごとで、トムに町で出会ったら、すぐに彼だとわかって逃げ出したくなる ほどだ。」15)と誉めている。 人物像に関して上述の通り詳細に具体的に書かれているトムとは対照的に、ヒロインの ディジーの容姿については殆んど語られていない。ところが、彼女の「声」については次 のように凝った表現で微細に記述されている。 第 1 章で西部からウェスト・エッグに転居してきたニックがブキャナン邸を初めて訪れ たとき、ディジーの声を聞いて感じたことを次のように述べている。 彼女は低い、人を幻惑させるような声でぼくに質問しようとしていた。その声の高 低は耳を澄ませないととらえられない種類の声だった。まるでそのひと言ひと言が、 今後 2 度と再び奏でられないだろうと思わせるような音符の配列のようだった....16) ギャツビーの願いが叶って 5 年ぶりにディジーとの再会がついに実現する作品のクライ マックス、第 5 章の最後にもディジーの声についての記述がある。
ギャツビーの手はディジーの手を握っていて、小声で何か耳元でささやかれると、 感情を高ぶらせてディジーの方を向いた。僕が思うに、揺れ動く熱っぽい温かさでな によりも彼をとらえていたのはその声だった。なぜならその声は夢でもしのぐことの 出来ない――その声は不死の歌だった。17) 第 7 章で一行がブキャナン邸から自動車でマンハッタンのプラザ・ホテルに出かける直 前、ディジーの声についての最も有名な言葉「ディジーの声にはいっぱい金がつまってい る」(Her voice is full of money)をギャツビーが発する。
「彼女の声は軽率な感じがするね」と僕は言った。「あの声にはいっぱい―――」そ こで僕が言いよどんだ。 「ディジーの声には金がいっぱいつまっている」とギャツビーはすかさず続けて言っ た。そう、その通りだ。僕は今までまったく気付かなかった。彼女の声にはいっぱい 金がつまっている――その中から尽きることのない魅力が立ち昇り、舞い降り、チリ ンチリンと鳴り響き、シンバルの歌....白亜の宮殿の高楼には、王の娘にして黄金色 の少女....18) 一人の登場人物の魅惑的な声と話し方について『グレート・ギャツビー』ほど頻繁に言 及し、ここに引用したように情緒的な長文で表現した作品は他にはないだろう。低く喉の 奥でつぶやくような、聞き手を前のめりにさせるディジーの小さな声についてはこのよう に詳細に語られているのに、ディジーの容姿については、ただ「つややかな黒髪」「輝く 瞳」「色白の小さな顔」としか書かれていないのは何故だろうか。既述の通りのトムの詳 細な人物描写とは異なり、作品から具体的にディジーの容姿を思い浮かべるのは難しい。 主人公の強烈なロマンティシズムの対象であり、彼が入ることが許されない階層の、「そ の手にふれる資格すらない」女性であり、憧れ求め続ける美と富と夢の象徴としてのヒロ イン像を創造するために作者は意図的にディジーの人物描写を曖昧にしたのである。リ チャード・リーハン(Richard Lehan)は、ディジーが登場人物として肉体的存在感に欠 けるのは「彼女がロマンティックな期待と失われた時間を具現しているからである」と述 べている。19) 4.ブキャナン夫妻の真実 西部からウェスト・エッグに転居してきたニックは 1922 年 6 月にブキャナン邸での夕食 に初めて招待される。到着して屋敷の中に入るとディジーは笑って、こう言った。「わた しったら、幸せ過ぎて、ほんとに、もう、マ、マヒしちゃったみたい。」しかし、ニック はこの言葉が偽りであることをすぐ後に、夫妻が夕食の席をはずしたわずかの間に知らさ
れる。トムがニューヨークに愛人を囲っていることを知らない者はいないのだと、ジョー ダン・ベーカーが漏らす。「トムはニューヨークに女がいる」というジョーダンの言葉の 意味をすぐには理解できないほど、ニックは純朴で確固たる道徳観を持った人間である。 夕食後、二人きりになるとディジーからは結婚生活の孤独と辛さを訴えられる。その日夜 遅く、ブキャナン家から帰宅途中、車を運転しながらニックは思った。「ディジーがなす べきことは、子供を抱きかかえて、今すぐあの家から逃げ出すことじゃないのか――だけ ど、ディジーの頭の中には、そういう考えはまったくないようだ」20)この時点では、まだ ニックはディジーがどのような女性であるのか、良くわかっていなかったことが明らかで ある。 第 4 章のジョーダンの回想によると、ディジーは 5 年前の 1917 年の秋にギャツビーと別 れた後、半ダースもの男性を相手に遊び回るようになり、1919 年 2 月にはニューオーリン ズの男と婚約したという噂があったものの、シカゴから来た大金持ちのトムと 6 月に結婚 した。トムは挙式のために、ホテルの 1 フロア全部を借り切り、4 台の車に百人を乗せて ルィヴィルに乗り込んできた。挙式前日には 35 万ドルの真珠のネックレスをディジーに 贈り、その町でかつてないほどのお金をかけた派手な式を挙げた。 ギャツビーは人妻となっているディジーが自分との愛を復活させるには、豪邸を構えて 自己の財力を示すことが必要だと知っていたからこそ、金を蓄え彼女の家の対岸に位置す る屋敷を購入し、5 年ぶりに再会したその日にはディジーを自宅に案内し、庭やプールや 邸内を隈なく、高価な調度のひとつひとつ、英国から取り寄せたシャツの一枚一枚まで見 せて、自分が彼女の恋人となるにふさわしい人間であることを証明したのである。夫の公 然の浮気に耐え続け、浅薄な文明論や科学的な話にもつきあわなくてはならず、いかに孤 独で辛い結婚生活であろうと、ディジーのような女性が大富豪トムとの結婚生活を手放す はずはなかった。リチャード・リーハンは、時代とともに推移したディジーの人物評価を 紹介している。この長編をとりあげた初期の批評家たち、メアリアス・ビューリー(Marius Bewley)、ロバート・オーンスタイン(Robert Ornstein)、アルフレッド・ケイジン(Alfred Kazin)は、ディジーを不道徳で非人間的であるとして厳しく非難した。最近のフェミニ スト批評では、ディジーに対して同情的で、彼女は残酷な夫との不幸な結婚生活の被害者 であるとみなしている。21) 第 7 章では 9 月 18 日にギャツビーとニックはブキャナン邸での昼食に招かれ、ディジー がトムに離婚話を切り出すことが予想されていた。当日の昼食後、午後遅くブキャナン夫 妻、ギャツビー、ニック、ジョーダンはそろってマンハッタンに出かけることになり、ディ ジーを奪還しようとするギャツビーと妻を奪われまいとするトムがプラザ・ホテルのス イート・ルームで対決する。トムはこの日ギャツビーとディジーの様子から初めて二人の 関係に気付き、あわてふためき、気が動転して、うろたえる。心を入れ替え素行を改め、 今後は妻に尽くして大切にすると一同の前で誓う。トムがそれまで妻の不倫に気付かな かったのは、第一に結婚以来ギャツビーと再会するまで一度も浮気をしたことのない妻に
安心しきっていて、自分の放蕩にかまけて妻に無関心であったためである。別の理由とし ては、夫婦の不倫の仕方が異なっている。公然と浮気を楽しんでいるトムとは違って、ディ ジーは頻繁にギャツビー邸に出入りしていても、訪問は午後だけに限り、さらに、ギャツ ビーの屋敷の使用人達を全員解雇して口の堅い人間と交替させるほど、二人の関係が世間 に、特に夫に知られないように注意を払っていた。 プラザ・ホテルのスィート・ルームでのギャツビーとトムの激しい攻防の最中に、ディ ジーを失うまいとして、ギャツビーにあてつけてトムが言い放った。 どこの誰だかわからないような奴が自分の妻と浮気するのをじっと黙って見ている のが最近の流行だそうだ。それで、僕もそんな男じゃないかと甘くみているかも知れ ないが....近ごろ、家庭生活や家族制度を無視する連中が増えて何もかも台無しにし てしまって、黒人と白人が結婚するようなことにだってなりかねない。22) この言葉を聞いてニックは、怒りを覚えると同時にトムがひとこと言うたびに笑い出し たくなった。これまで家庭を顧みず、したい放題の女遊びに耽ってきたトムには道徳家 ぶった言葉を言う資格はない。ニックはブキャナン夫妻の言動に対して、このような批判 的な意見をしばしば述べている。大金持ちの夫婦の表面的には豪勢できらびやかな生活に 隠された不道徳と偽りと不幸を抉り出し、ニック自身の持つ道徳観を基準にしてブキャナ ン夫妻を裁いている。語り手ニックが述べるブキャナン夫妻に対する非難は、作者フィッ ツジェラルド自身がこの大富豪の夫婦に対して抱いていたものでもある。 そしてついに、小説がこの終盤に至って初めて、若くして巨万の富を築いたギャツビー の金の出所がトムの口から明らかにされる。ギャツビーは買収した数店舗のドラッグ・ス トアで密造酒を販売して金を儲け、その他にも数々の犯罪に関与しているという衝撃的な 事実が暴露される。ギャツビーはドラッグ・ストアの経営者であると信じて疑っていなかっ たディジーは事実を知り、怯え、激しく動揺する。プラザ・ホテルでの対決に勝利を収め たのはトムで、ディジーの気持はギャツビーから離れ、ディジーの口からトムに離婚を切 り出されることはなかった。その夜、プラザ・ホテルからギャツビーの車でロング・アイ ルランドに帰る途中、気が動転したまま運転していたディジーは、灰の谷を通りかかった ときに家から飛び出してきたマートルをひき殺して逃げ去る。妻を失って狂乱状態になっ た夫のウィルソンは、トムからマートルをひき殺したのはギャツビーだと聞かされ、翌日 午後 3 時、自宅プールに浮かべたマットに寝そべっているギャツビーを射殺した後、自殺 した。ギャツビーの死体がプールで発見された 30 分後にニックがディジーに電話をかけ たときには、夫妻は事件とのかかわりを逃れるかのように、すでに旅行に出た後だった。 最終章の第 9 章では、ギャツビーの死後 2 年を経た 1924 年の秋、ギャツビーが殺害され た後の日々をニックがふりかえる。ギャツビーを自分の身代わりにして、ひき逃げの罪を 被せて死に追いやったディジーと、嘘をついてギャツビーを妻のかわりにウィルソンに差
し出して銃殺させたトムを糾弾して、こう述べる。 すべてひどく無責任で(careless)で混乱していた。トムとデイジー、あの二人は 無責任な人間だった。二人は物も人もめちゃくちゃにしてしまって、その後は奥に引っ 込んでしまう、金の中だか、途方も無い無責任さの中か、あるいはなんであっても、 あの夫婦を一つにからめるものの中に逃げ込んで、自分たちが起こした混乱の後始末 は他人にさせるようなやつらだった....23) ブキャナン夫妻についてニックが作品の最後で語るこの一節を読む時に、物語の最初に 述べられていた言葉に思い当たる。 ギャツビーは最後で自分が正しかったことを示したのだ。叶わずに消え、はかなく 終わる人間の悲しみや喜びに対して僕が一時的に関心を失ってしまったのはギャツ ビーを餌食にしていたもの、夢を追い続けた彼の航跡に浮かんでいたあの汚い塵芥の せいだった。24) 「ギャツビーを餌食にした汚い塵芥」とはブキャナン夫妻に他ならない。 5.ウィルソン夫妻 イースト・エッグとウェスト・エッグが高級住宅地で「富」のイメージと結びついてい るように、ウィルソン夫妻が住んでいる灰の谷は低所得者層の居住地で「貧」のイメージ と結びついている。ウェスト・エッグとニューヨークのちょうど中間に位置する灰の谷 は、前述の通り廃棄物処理場が広がっていて、そこでは山も丘も家も煙突も、通過する列 車も人間までも、何もかもが灰色一色の荒涼とした土地である。ライオネル・トゥリリン グ(Lionel Trilling)や、リチャード・リーハンをはじめ、多くの批評家が T・S・エリオッ トの『荒地』(The Waste Land)(1922) がフィッツジェラルドの灰の谷の創造に大きな 影響を及ぼしていると指摘している。25) みすぼらしい自動車修理販売店を営むジョージ・ウィルソンとマートルは共に 30 代半 ばの夫婦で結婚して 12 年になり、子供はいない。夫のジョージは妻の愛人のトムとは属 する階級、生い立ち、地位、学歴、財産、容姿、服装、性格、生活・行動様式のすべての 点に於いて対照的である。のっそりした感じの、金髪で薄いブルーの目をした、生気のな い、気弱で貧血性の男だ。周囲の人達からは、「まるで幽霊みたい」に見られている。自 分の意見を持たず、いつも妻の言いなりになって行動するだけで、優柔不断で自主性に欠 け、妻からも軽蔑されている。車にはねられて即死するマートルが、家から道路に飛び出 す直前に憎悪をこめて夫を大声でののしった。「あんたなんか、汚なったらしい、みみっ
ちい、いくじなしなんだよ!(you, dirty, little, coward!)」その言葉には、彼女が長年夫 に対して終始抱き続けてきた気持ちがよく表れている。 一方、妻のマートルは豊満な体つきで、精力のみなぎっている官能的な女性である。夫 が貧血性であるのに対し、妻は多血質のイメージを持っていて、実際、作品の中で多量の 血を流す。物語が始まってまもなく、第 2 章、ニューヨークのアパートで開かれたパー ティの最中、トムの制止を聞き入れずディジーの名を連呼して、トムに平手で顔を殴られ て鼻血を流す。この時の多量の出血は小説の最後の方、第 7 章でのマートルの最期を予示 している。そのひき逃げ現場の描写もまた彼女のあり余る活力を表す。ギャツビーの黄色 の高級車を運転していたディジーにひき殺され、もげた左乳房をぶらさげたまま、マート ルはおびただしい量の血を流す。大きく開いた口は両端が裂けていて、「まるで長年ため 込んだ恐るべき量の活力を一気に吐き出そうとして詰まらせたみたいだった。」26) 第 2 章、ニューヨークのアパートでのパーティで、マートルの妹キャサリンは、トムと マートルはそれぞれの結婚相手との生活に耐えられないのだとニックに打ちあけ、何故離 婚しないのか不思議に思っていると言う。妹のその言葉をマートルが自ら補足する。 ジョージが礼儀正しい紳士のように思えて結婚してしまったが、実は「私の靴をなめるに も値しない、自分よりランクがずっと下の(way below me)男」だとわかったと言う。 そのすぐ後のマートルの言葉から「ランクが下」というのは第一に金銭的な意味であるこ とがわかる。夫が結婚式の式服すら自前で用意できずに友人からの借り物ですませたこと を知ったときには、何時間も涙が涸れるまで泣き続けた。近所の喫茶店店主も、友人一人 いない非社交的でうだつのあがらない甲斐性なしの夫にマートルが満足できるはずがな かったのだと、同情的である。結婚したとたんに間違いに気付いて後悔し続け、マートル は夫を愛したことは一度もなかったと断言する。 12 年間連れ添ってきた夫のほうは、妻がひき殺される二日前まで妻の結婚生活への不 満にも浮気にも気付いていなかった。しかし、妻の情事に気付くと、気弱で決断力のない 男だったはずが、突然、別人のように意志強固で行動的になって西海岸への転居を即決 し、妻を 2 階に監禁する。妻をひき殺した男だとギャツビーを誤認して銃殺してしまい、 自殺を図る。「トムにはニューヨークに女がいる」という言葉の意味を理解できなかった 田舎出の朴訥なニックと同様、「自分が生きているのかどうかさえわからないような愚鈍」 で貧困にあえいでいるジョージには妻の不貞行為は考えすら及ばない、現実に我が身に起 こり得ることとはとうてい思えない事態だったのである。 マートルは愛人になることによってトムと同じ階級に属することができると思ってい る。中産階級の人間とおぼしき友人達を見下し、馬鹿にしたような横柄な態度と言葉づか いをして階級意識を露にする。ニューヨークのアパートに着くと、数人の知人を電話で呼 び出して、うちとけたにぎやかなパーティを開く。茶色のモスリンのドレスからシフォン の優雅なドレスに着替え、エレベーター・ボーイへの注文の仕方、パーティ客に囲まれて の手振り、身振り、歩き方、物腰、人格までも滑稽なほど何から何まですべて上流社会の
女性になりきってみごとな変身ぶりを見せる。愛人マートルは、灰の谷ではけっして味わ うことのできない贅沢な生活をユーヨークで送る。ペンシルバニア駅に着くとすぐに、化 粧品と香水を買い求め、アパートで真夜中過ぎまでパーティを開き、翌日は作成したリス トを手に買い物に出かけて高価なドレスを新調し、マッサージに行き、パーマもかけに行 く。脚の具合が少し悪くなれば、アパートまで往診を頼む。 トムの人物像についてはすでに取り上げた通りであり、リチャード・リーハンは『グレー ト・ギャツビー』は「傲慢な威張りちらす男のイメージ」、「残忍で横暴な性格」を決定づ け、強調するように物語が展開すると述べている。27)しかし、マートルがトムに囲われて いるニューヨークでは貧乏な主婦から上流社会のマダムへの変身に成功するように、愛人 との関係に於いてはトムもまた別人と化す。彼女がニューヨークでのこのように贅沢な生 活を送ることができるのもトムがマートルのための出費を惜しまないからだ。トムはマー トルに体の関係だけを求めたのではなく、大きな愛情も注いでいた。マートルがアパート で犬を飼いたいと言えば、即座に高額の仔犬を買い与え、アパートの壁にはマートルの亡 くなった母親の写真を引き伸ばして飾ってやり、母親の墓に供える花輪まで買う。 実際、作品の中のどの夫婦よりもトムとマートルは仲睦まじい。トムはマートルが汽車 からプラットフォームに降りるときには手を貸し、彼女が電話をかけている間ずっと膝の 上に座らせたままである。人目につくレストランにもマートルを連れて現れ、彼女が食事 時に自宅に電話をかけてくることも許し、友人にも紹介するほど公然の仲を築いていた。 頻繁にパーティを開くギャツビーとは違って、トムは自宅ではパーティを開かない主義だ と自ら言っている。それにもかかわらずマートルのアパートでは友人・知人を集めては酒 宴を催していた。正妻と一緒にパーティを主催することは億劫なのに愛人宅ではパーティ を開いて楽しんでいる。それもこれも妻をないがしろにしてでも愛人を喜ばせるためであ り、トムがマートルに抱いている愛情の裏づけでもある。 妻にも他人にも見せることのない優しさ、思いやり、寛大さをトムからひき出したのは マートルである。トムと初めて出会ったいきさつを人に話すときには、思い出すだけでも 興奮してくるほど、マートルも今なおトムを愛している。愛人の事故死を知って、プラザ・ ホテルからの帰途、ハンドルを握ったままニックとジョーダンが同乗していても人目もは ばからずに泣きくずれたトムの姿は、いかにマートルに対する愛情が深く、彼女を失った 悲しみが大きかったかを物語っている。 6.おわりに 頻出するパーティの場面で、夫婦同伴で出席している客の数は多いが、作品の中で主要 な登場人物として扱われているのはブキャナン夫妻とウィルソン夫妻の 2 組だけである。 ブキャナン夫妻はただの金持ちではなく、贅沢の極みをつくした豪勢な暮らしを楽しんで いる最富裕層に属する大金持ちである。特別仕様の高級車を所有していることは勿論のこ
と、ポロ競技用のポニーも数頭飼っている。作品を読み進めていくうちに、大金持ちにも 2 種類あって、ブキャナンのように生まれついての大金持ちと、ギャツビーのような成金 の大金持ちが居ることが分かる。有閑富裕層はより洗練されて、より高級感の強いイース ト・エッグに、新興の金持ちはウェスト・エッグにと住み分けている。アメリカではいつ でも「東」は都会、「西」は田舎のイメージと結びつけられる。 大金持ちのブキャナン夫妻も貧乏なウィルソン夫妻も、結婚当初から夫婦仲は険悪であ る。生きる意欲さえ無いジョージ・ウィルソン以外は、トムもディジーもマートルも家庭 の外に自己の居場所を見出して恋愛に耽っている。マートルは不倫に陥った理由を「人生 たった一回きりだから(You cannot live forever.)」、とうそぶく。第一次大戦後に起こっ た因襲打破の風潮と道徳革命のためであろうか、あるいはそれぞれの結婚相手に愛想を尽 かしているせいであろうか、不倫カップルは己の不貞行為に対する宗教的、倫理的罪悪感 を全く抱いていないかのように、逢瀬を重ねる。物語の結末は、マートルの自動車事故死、 ウィルソンによるギャツビーの射殺、ウィルソンの自殺というふうに衝撃的な事件が連続 して起こり、息つく間もない急展開で最後まで読者を引き込む。 作者が様々な技巧をとり入れていることも、この作品が成功した要因である。舞台と なったイースト・エッグ、ウェスト・エッグ、灰の谷の土地、また登場人物の所有物(家、 車、水上飛行機、ポニーなど)が「富」と「貧」を象徴する。時間設定を 1922 年のひと 夏とし、たびたび長い回想をとり入れて登場人物の生い立ちや経歴や過去の出来事を明ら かにすることによって時間構成を重層的にした。主人公とヒロインが初めて出会ってから 別れるまでの約ひと月間の「過去」とその 5 年後、二人の再会から主人公の死に至るまでの、 小説の中での「現在」が時間的に平行して進行する。作品には様々な「対比」が用いられ、 「東」と「西」、「貧」と「富」、「過去」と「現在」、「有閑富裕層」と「新興成金」、「ロマン ティシズム」と「物質主義」を対峙させて語られる。作品の大きな特色は「語り手」を据 えた形式をとっていることである。中西部から東部(ニューヨーク)に出てきた語り手は、 物語の進行役を務めると同時に西部で培ってきた価値観と道徳観によって、登場人物と彼 らがひき起こす出来事を評価する。とりわけ、上流階級の外見は華やかで贅沢で幸せそう に見える生活に潜む、虚しさ、裏切り、不和、道徳的堕落、苦悩と不幸を暴きだして提示 する。 『グレート・ギャツビー』の時代背景であるアメリカの 1920 年代―フィッツジェラルド が自ら名づけたジャズ・エイジを特色付けるものとして次のような実に様々な事項を挙げ ることができる。第一次世界大戦後、国民総生産、消費財生産共に急増し、アメリカは歴 史上初めて経済で世界の首位に立った。国民は未曾有の好景気に酔いしれ、自動車産業が 急伸した。ギャングが横行し、禁酒法が施行されたために酒類の密造と密売が莫大な利益 を生み出し、ジャズの流行、投機熱、風俗と道徳の革命が見られた。『グレート・ギャツビー』 は 1920 年代のアメリカに特徴的なこれらすべてを物語の中にとり込んでいる。その時代 を背景にして最も強い縁で結ばれているはずの夫婦が崩壊している姿を描き、国中が未曾
有の好景気に沸いていた時代に生きていても繁栄や豊かさから全くとり残された最貧困層 の夫婦の実情も描いた。その特殊な時代を浮き彫りにした『グレート・ギャツビー』は正 にジャズ・エイジの縮図であると言える。29) 本稿での読解は、作品の中に描かれた夫婦像、夫婦観を明らかにする試みであった。そ の主人公は一人の女性を一途に愛し、当然のように彼女との結婚を願い、巨万の富を得 た。彼にとっては蓄財自体は目的ではなく、彼女を獲得するための手段であった。結局 は、彼女の罪を被って射殺された。東部の有閑金持階級夫婦の金権主義や偽善や残忍やい い加減さは、主人公の浪漫主義と一人の女性に寄せる激烈な情熱、犠牲的精神、献身をき わだたせるために配されていたように思える。 注
1) Robert L. Gale,“Preface”, An F. Scott Fitzgerald Encyclopedia ( Westport, CT: Greenwood Press, 1998 ) ix
2) Richard Daniel Lehan, The Great Gatsby : The Limits of Wonder ( New York: Twayne Publishers, 1995 ) pp. 16―18 3)Ibid., p. 94 4)永岡定夫「評価」『フィッツジェラルド』野崎孝編(研究社、1966) p. 189 5)村上春樹「翻訳者として、小説家として―訳者あとがき」、F. スコット・フィッツジェラ ルド、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』(中央公論新社、2006)pp. 333f. 6)永岡定夫『フィッツジェラルド研究余滴』(英宝社、2003)pp. 45f.
7) F. Scott Fitzgerald, The Great Gatsby ( New York : Charles Scribner’s Sons ) p. 51 8) Ibid., pp. 105f.
9) Ibid., p. 130
10)David A. Shannon, Between The Wars : America, 1919―1941 ( Boston:Houghton Mifflin Company, 1979 ) p. 55
11)Ibid., pp. 120f.
12)岡田泰男『アメリカ経済史』(慶應義塾大学出版会、2000)pp. 209f.
13) Helen E. Fisher, Anatomy of Love ( New York:W. W. Norton & Company Inc., 1992 ) pp. 84f.
14)Frederic Lewis Allen, Only Yesterday ( New York:Harper & Row, 1931 ) p. 95
15)A. Scott Berg, Max Perkins Editor of Genius ( New York:Thomas Congdon Books/E. P. Dutton, 1978 ) p. 65
16)Fitzgerald, Gatsby, p. 9 17)Ibid., p. 96
18)Ibid., p. 120
19)Lehan, The Great Gatsby, p. 74 20)Fitzgerald, Gatsby, p. 20 21)Lehan, The Great Gatsby, pp. 74f. 22)Fitzgerald, Gatsby, p. 130 23)Ibid., p. 179
24)Ibid., p. 2
25)Lehan, The Great Gatsby, p. 94 26)Fitzgerald, Gatsby, p. 137 27)Lehan, The Great Gatsby, p. 120 28)Allen, Only Yesterday, p. 73
Shannon, Between The Wars, pp. 94f.
29)This Fabulous Century 1920―1930, ed. Time-Life Books ( Alexandoria: Time-Life Books, 1969 ) p. 49
Linda C. Stanley, The Foreign Critical Reception of F. Scott Fitzgerald 1980―2000 ( London: Prager, 2004 ) pp. 14f.
Married Couples in F. Scott Fitzgerald’s
The Great Gatsby:
The Wealthiest VS. The Poorest
Kayoko MIYAUCHI
This paper will clarify the images and views of married couples appearing in
The Great Gatsby (1925), and examine the techniques employed, such as “contrast,”
“symbolism” and “recollective narration.” The narrator, Nick Carraway’s love af fair proceeds simultaneously along with the affair between enormaously wealthy Gatsby and Daisy, and that between very rich Tom Buchanan, Daisy’s husband, and Myrtle Wilson, wife of the very poor owner of a shabby garage. At the end, Myrtle is run over and killed by Daisy driving Gatsby’s car. Saving Daisy’s life at the sacrifice of his own, Gatsby is shot by George Wilson, who commits suicide. The stor y presents the epitome of the “Jazz Age” covering all phenomena featuring the prosperous and frenzied United States after World War I. By contrasting two couples of the wealthiest and the poorest classes, the author gets down to the disguise, immorality and friction hidden in the life of the upper class couple living a gorgeous life, and condemns them through the narration by Nick from the Midwest with his own values and moral senses. The distress, anger and criticism of the narrator, in fact, mirror those of the author himself.
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