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木田 拓也 昭和の桃山復興 ―陶芸の近代、伝統の創出―

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Academic year: 2022

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(1)博士(文学)学位請求論文審査報告要旨 論文提出者氏名 論 文 題 目. 木田 拓也 昭和の桃山復興 ―陶芸の近代、伝統の創出―. 審査要旨 昭和の初め、美濃で荒川豊蔵が志野焼の陶片を発見したことは、当時の通説を覆す出来事として陶芸界 に衝撃をもたらした。この事件を契機として、陶芸界では桃山時代のやきものに憧れる作家たちが各地に現れ た。窯址を発掘し、そこから出土採集した陶片を手がかりとしながら、すでに廃絶し、あるいは変貌を遂げて久 しい桃山時代の作陶技法を研究し、その再生を目指したのである。全国的規模で展開したこの一連の運動が 「桃山復興」である。この試みは当初、到達点の見えない、闇雲な取り組みであった。しかし、古陶芸の黄金時 代を甦らせ、日本陶磁史を確立しようとする陶芸家、研究者、趣味人たちの情熱が、この運動を支えた。本論 文は、この運動の成立事情と展開の諸相をつぶさに検証した上で、桃山復興が陶芸家たちの近代作家として の自己意識を覚醒させていったこと、さらに戦後、作家の創作性を盛り込んだ「伝統工芸」へと展開を見せたこ とを、三章に分けて時代の流れの中で考察したものである。 本論文は副題に示されているように、桃山復興がいかにして成立したのか〈陶芸の近代〉、さらに、桃山復 興はいかにして伝統となったか〈伝統の創出〉、という二つの問いかけを基軸として考察が進められる。 第一章「桃山復興の背景」では、桃山復興へと至る前史にまず言及する。現代では和物陶磁の黄金時代と いわれる桃山茶陶が、大正期にはさほど高い評価を得ていなかったこと、志野焼や織部焼が美濃ではなく瀬 戸の産物であると信じられていた状況を述べる。それが、大正中頃から旧大名家による道具売り立てが相次い で開催され、由緒伝来の確かな桃山茶陶が世に現れて高値で落札されるようになると、陶磁器の科学的研究 に対する機運が高まった。由緒伝来にとらわれず、実証的な日本陶磁史構築を目指して窯址発掘もおこなわ れるようになった。1930 年、美濃・大萱で荒川豊蔵(1894~1985)が志野焼の陶片を発見するという事件は このような状況の中でおこった。荒川から志野陶片を見せられた北大路魯山人(1883~1959)は、その純日 本的な芸術性に高い評価を与え、桃山復興の機運に大きな役割を果たした。同じ頃、唐津では中里無庵(18 95~1985)も古窯址を探索して陶片採集をおこなっている。錚々たる陶芸家たちが日本陶磁史が構築され る現場に立ち会っていた点に注目し、そして彼らによって、同時進行的に桃山復興が進められた事実の重要 性が説かれている。 第二章「桃山復興の展開」は、各地の陶芸家たちが各人各様の姿勢で桃山復興に取り組んでいった状況 について、作品観照に基づいて具体的な検討がおこなわれる。 まず北大路魯山人は書、料理、陶芸など多方面に独自の才能を発揮した人物である。自ら星岡窯を経営 し、荒川豊蔵らを職人として起用。主に食器の制作をおこなった。そのため魯山人にとって技術的な要素は本 質的課題とはならず、その意は、桃山陶芸を生み出した桃山茶人たちの美意識を手本と仰ぎつつ、いかに新 しい現代の和食器を創作していくかというところに注がれた。 川喜田半泥子(1878~1963)は三重県の裕福な旧家に生まれた実業家であり、自己流で作陶に手を染 めたディレッタントであった。彼はそれゆえに、出土陶片から桃山陶磁の再生をめざす陶芸家を「ニセモノ作 り」と批判し、自由な造形意識を尊重した。各地で桃山復興に携わる陶芸家たちと親交を重ね、1942 年には 美濃の荒川豊蔵、備前の金重陶陽、萩の三輪休雪を誘って「からひね会」を結成した。自らは「シロウト焼物 師」と称した半泥子の、伝統に拘泥しない個性重視の美意識によって、彼らの運動は「ゆるやかに」結束を果 たしたのである。この点から、桃山復興が古作の模倣(写し)から脱却し、近代的な作家活動へと発展していく うえで半泥子は重要な存在であった、とする本論文の指摘は傾聴に値する。 荒川豊蔵は、志野焼陶片を発見した美濃の大萱に工房を構え、はじめ桃山時代の作陶技法の忠実な再生 に取り組んだ。陶土、釉薬、窯の形式にまでこだわったが、いったん再現に成功すると、その後は模倣作を脱.

(2) し、荒川志野と呼ばれる鑑賞重視の作陶に傾倒していった。 金重陶陽(1896~1967)もまた、廃れていた桃山時代の古備前に回帰しようとした。土の精製をやめ、轆 轤を用いて備前焼本来の土味を生かした制作をおこなうことで、細工物が主流となっていた備前焼の改革を 成し遂げたのであった。 本章では、技術解明から美意識の探求作家的自意識へと向かった桃山復興の二面性を、博捜された資料 を提示しつつ浮き彫りにした。それに基づき、桃山復興が、陶芸家の作家的自意識を覚醒させる転機となった 重要性を指摘した点は、強い説得力を持つ。 第三章「桃山復興の評価」では、〈伝統の創出〉に関する考察が述べられる。1930年代のナショナリズム高 揚期において、日本固有の美学が求められるようになると、幽玄や侘び寂びを日本的美意識とする歴史観が 形成され、それに伴って桃山陶芸が高い評価を受けるようになった。桃山復興は、実はこうした時代的、社会 的な要請にもとづいて「日本的なもの」を創出しようとする現象であった。さらに戦後になると、過去との連続性 を回復する「伝統」は、日本精神再生のシンボルとして機能する。1950年代に始まる「日本伝統工芸展」や 「重要無形文化財保持者」(人間国宝)の認定制度は、〈伝統の創出〉を模索するものであった。桃山復興は、 その先駆けとしての評価を受けることになる。 以上、本論文は論者の15年に及ぶ東京国立近代美術館における研究の集大成であり、従来個々の作家 研究にとどまっていた感のある昭和初期から戦後の日本近代陶芸史を、茶道界、古美術業界、美術史学界、 また政治的動向へも視野をひろげつつ、俯瞰的に分析したダイナミックな論考である。また、近代のみにとどま らない言及は、自ずから日本工芸史観史ともなっている。それらの点をすぐれたものとして高く評価し、審査委 員会は全員一致で、博士(文学)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。 公開審査会開催日 審査委員資格. 2012 年. 9月. 3日. 所属機関名称・資格. 主任審査委員. 早稲田大学文学学術院・准教授. 審査委員. 早稲田大学文学学術院・教授. 審査委員. 秋田公立美術工芸短期大学. 博士学位名称. 氏 名 成澤 勝嗣. 博士(文学)早稲田大学. 内田 啓一 樋田 豊次郎.

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