• 検索結果がありません。

絶 対 地 代

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "絶 対 地 代"

Copied!
41
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

論 絶 文

対 地 代

と 価 値

││高島永幹教授による拙論批判によせて│││

井 上 周

/ ¥  

高島教授による拙論批判とその検討高島教授の積極的見解とその問題点

高島教授による拙論批判とその検討

マルクスは︑土地所有そのものが地代に関係があることを認め︑そのうえリカiドと同じく差額地代を認めつつ︑

しかも最後に絶対地代の存在によって価値法則が少しも破綻を生じない︑という見解に立ち︑絶対地代は農産物の価

値の一部である︑という立場から︑彼の絶対地代論を展開している︒しかし︑右のマルクスの見解に対して若干の異

論や疑問がこれまでに提起されてきたことは周知の通りである︒

絶対地代と価値

(2)

絶対

地伐

と価

値

わが国でも︑戦前戦後を通じて論争がみられたが︑高島永幹教授は論稿﹁絶対地代と独占地代の差異について││

価値法則を中心として

1

1﹂

ハ﹃

茨城

大学

農学

部学

術報

告

h第 一

O号

所載

︑昭

和三

七年

一

O月

一六

日)

で︑

日高普・大内力両

教授の所説が絶対地代と独占地代そ混同している点を批判し︑また拙論にも言及されて︑種々の点から疑問と批判を

加えられた︒この高島教授の論摘は約十年前に発表されたものではあるが︑今日も論議を呼ぷ問題点を合むものであ

り︑

かっ

そこ

での

拙論

(﹁

絶対

地代

論と

その

問題

点﹂

﹃立

教経

済学

研究

﹄第

一四

巻第

一号

︑昭

和三

五年

六月

︑そ

のご

﹃地

代の

理論

﹄

に所収)に対する批判についても︑高島教授の所説には納得しかねるところがあるので︑﹂の際教授による拙論批判

に対して︑あらためてここで回答することにより︑価値論と地代論にかんする本問題の解明に資したいと考える︒

まず教授はその論稿のなかの﹁犬内氏の所説に対する井上周入氏の批判について﹂という項目で次のように述べら

れる

﹁絶対地代の本質論にかんする犬内氏や日高氏の見解については︑すでにその反論も現われている︒ここで︑その ︒

一例として井上周入氏の所説をみることにする︒

井上氏は︑足回目絶対地代論の王坑怯を維持せんとする見地から︑大内・日高両氏の所論を︑

絶対地代と独占地代の混同論とみ︑なかんずく大内氏の主張を中心に批判を展開されている︒ われわれと同じく︑

氏は

︑ま

︑す

︑

Z R

内絶対地代論の要旨を述べられたのち︑大内氏の所論を要約的に紹介し︑次いでその検討にはい

M

られ

る︒

そして︑氏が検討の対象とされる論点は︑次のような大内氏の見解についてである︒

(1) 

絶対地代を生ずる農産物の価格にかんしては︑価値が何らかの基準として作用することはない︒

した

がっ

て︑

絶対地代の最高一限が価値によって画されるということは無意味である︒ただ︑絶対地代の源泉が問題になるとき︑は

(3)

じめて農業の資本構成が低位であれば︑それは農業内部の剰余価値から支払われうるというにすぎない︒

(2) 

絶対地代が農産物の価値と生産価格の差の部であるか全部であるかという点で︑﹃資本論﹄と﹃学説史﹄の

見解のあいだには多少の差がある︒

(3) 

農業資本の低位構成は絶対地代成立の条件ではなく︑絶対地代はもっぱら土地所有の独占から生ずる

o H C

己件

可

もこの見地から絶対地代を理解しているが︑さらに

F g

E

の見

解も

︑宮

山同

M円の見解よりは伏

2 2

5 !

の見解により近

L

、

。

5 R

の価値法則にかんする説明は納得できないのみならず︑絶対地代を価値と生産価格の差の一部と解する

限り

︑

やはり彼の絶対地代論は価値法則に反するよ

200

ペー

ジ)

そして教授は︑右の諸点に対する私の検討のしかたを︑そこでいちいち述べることは省略するが︑しかし︑

﹁そ

の

批判はおおむね正しく︑その限りでは大内氏の主張の欠陥をついて︑宮山門凶絶対地代論の

E

続性の防衛にある程度成

功しているといえる﹂(向上)のだが︑﹁肝心の点において井上氏の批判は成功しているとはいえない︒それは上掲の

大内氏の見解にかんしてであって︑これがまた︑大内氏の主張の最重要ポイントであることは誰の目にも明らかであ

る︒これが不幸にして成功していない以上︑大内氏に対する氏の批判は︑たとえそれが全体的に正しい角度からのも

のであったにせよ︑たんに匡旬以のオウム返しぶおわっているだけで︑批判の相手方を真に納得させるにたるものと

はな

コて

いな

いの

であ

る︒

﹂(

一

00

1一O

一ペ

ージ

)

とい

われ

る︒

私の大内教授に対する批判が﹁相手方を真に納得させるにたるものとはなっていない﹂ことについては認めざるを

得な

い︒

それは大内教授の理解がマルクスのそれとは異なる基盤のうえに成立しているからである︒しかし高島教授

絶対地代と価値

(4)

絶対

地代

と価

値

四

の拙論批判はそうではなく︑基本的には拙論の立場を認めたうえでの批判である︒それだけに私としても反論を述べ

ておく必要を感ずるのである︒では問題は何であろうか︒教授はいわれる︒

﹁問題の箇所を示そう︒

井上氏は︑問題の箇所にさき立って︑﹃土地所有の独占は農業における資本主義的競争に工業のそれとくらべて一

定の独自の形態を与えはするが︑自由競争そのものを排除してしまうものではなく︑本来的独占価格の成立を許すも

のではない﹄といい︑続いて︑﹃剰余価値学説史﹄第二巻第二部︑3

︑﹁

リカ

i

ドの地代論一︑例﹁種々なる地代論の核

心﹂における冨問凶の︑﹃地代は︑農業生産物の独占価格から生じ︑

この

独占

価格

は︑

土地所有者が土地の独占を有

することから生事するという見解﹄に対する批判の文句を引用し︑﹃このことからもマルクスが︑すでにみたように︑

本来的独占価格に基づく独占地代と資本制地代(差額地代と絶対地代)を範噂的に明白に区別しており︑絶対地代を

独占地代と峻別していることを窺知することができる﹄とされ︑

さら

にこ

の占

?を

︑

﹃簡単な例﹄により﹃考察﹄しょ

うと

され

る︒

したがって︑この円簡単な例﹄において︑氏の﹃考察﹄しようとする問題の中心は︑絶対地代と独占地代の区別︑

つまり︑独占地代は絶対地代と異なって自由競争のなくならない限り成立しえないということのようである︒そし

て︑われわれが問題にしたいのも︑この﹃簡単な例﹄における氏の叙述についてである︒﹂(一O

一ペ

ージ

﹀

問題の核心は高島教授のいわれるように価値法則を侵害しないでーーというより価値法則との関連に立って

l!

?絶

対地代をどのように理解するか︑ということであり︑したがって絶対地代を独占地代と︑混同したり︑絶対地代を価値

法則と関連づけないで説明してはならず︑絶対地代が農産物の価値ハの全部または一部)から支払われ︑価値以上の価

(5)

格から支払われるものでないことの必然性(法制則)を示すことである︒教授は次のように続ける︒

﹁氏は︑問題の円簡単な例﹄を次のような想定からはじめられる︒

﹃いま既耕地の生産物がその価値以上の市場価格で販売される場合を考えてみよう︒この場合農業資本家はこの価

値と市場価格との差額を入手できるのであり︑もしかりにこれが恒常化するとすれば︑借地契約期間の更新に当って

は地主はこの部分を地代として入手することができるようになるであろう︒﹄

この想定は︑生産物の価格が価値以上であり︑しかもその差額は地代として恒常的に地主に引き渡されるというの

であ

るか

ら︑

いうまでむなく︑この場合︑独占地代︑しかも︑相当強固な基礎をもっ独占地代が成立していることを

意味する︒そして︑はじめにこうした独占地代の成立を想定してかかることは︑氏がこの﹃簡単な例﹄で解明したい

と考えておられる問題点に照らしてみれば︑一応当然のことのようにも思われる︒しかし︑氏が︑ほんらい独占地代

は自由競争のもとでは成立しえないという主張をもち︑しかも︑そのことをこの﹃簡単な例﹄で証明しようとされる

のであるならば︑当然成立するはずのない︑あるいはあとでその成立を否定しようとする独占地代を︑なぜ︑このよ

うに︑はじめに成立したものとして想定してかかられるのか︑わたくしには︑いささか合点がいきかねるのであろ︒

でも︑この点は︑さして重要な異論ではないので︑氏の想定を一応そのまま受けいれることにして︑さきをみること

にし

よう

︒﹂

︿向

上)

﹂の

よう

に高

島教

授は

︑

一方で私が﹁簡単な例﹂で独占地代を前提として問題を提起しているといわれ︑かっ﹁い

ささか合点がいきかねる﹂が﹁さして重要な異論ではないので︑氏の想定を一応そのまま受けいれる﹂といわれる︒

しかし私はこれほどおかしな話はないと思う︒独占地代を否定するための論旨を展開するにあたって︑まず最初に

絶対

地代

と価

値

五

(6)

絶対地代と価値

ノ、~

私が独占地代を前提として論旨を進めているのであれば︑それだけで拙論は致命的な欠陥をもっていることになり︑

これほど重要な誤りはないはずなのに︑教誌が﹁さして異論はない﹂といわれるのはどういうことなのであろうか︒

私は決してそとで独占地代などを前提とはしていないのである︒

すなわち私は﹁既耕地の生産物がその価値以上で販売される場合::・農業資本家はこの価値と市場価格との差額を

入手できるのであり︑もしかりにこれが恒常化するとすれば︑借地契約期間の更新に当っては地主はこの部分を地代

として入手することができるようになるであろう同しかし﹁これまで耕作圏内に入ることのできなかった劣等地の耕

作圏内への参加や︑これまで平均利潤を入手できなかった既耕地への追加投資が行われるようになる﹂ので︑農業資

本家が価値と市場価格との差額を恒常的に入手したり︑地主がこの部分を地代として入手することはできなくなろ︑

と述べているのであるから︑独占地代などを前提にしてもいなければ︑するわけもないのである︒﹁もし恒常化すれ

ば﹂という一旬から私が独占地代を前提としているなどと結論づけることは︑余りにも飛躍した推論であろう︒そし

てこのように重要な独断的推論をしながら︑しかしこの点は﹁さして重要な異論ではない﹂と述べているのをみると

き︑私は益々奇異な感を抱かざるを得ないのである︒もし私が独占地代を前提としているなら︑それは極めて重要な

ので

ある

から

︑

その誤りを強調することは当然であり︑重要な異論を持つべきなのであるが︑教授はそういわれたい

のである︒というのは︑さらにそれ以上の誤りが拙論にあると教授が考えておられるからであって︑教授はこの点を

次のように述べられる︒﹁氏は︑上記想定にもとづいて︑この独占地代の発生している状態を表一で示し︑ここでは︑

﹃一ブッシェル当りの市場価値玉川シリングの穀物が七シリングで販売﹄され︑これによって︑

B 

c D

各地に︑

はそ

れぞ

れ一

四︑

一六

出︑

一八日シリングの価値と市場価格との差を生ずるとされている︒﹂(一

O

一l二ページ)

(7)

対~

いい

昆繭

滋 主主

+ ト

併 協 言

i

書

i

 

「ー←│刈H 

司 │ 三

い歯菌 I '¥.' 

l 言

l

L 

I ~号、 jσ

│重i

l

竺上一

持

ー却

益

ト一一一

誌と

え

/iE‑

ト一一 3 

階 昔話

Gf. 

3 

1

音声

‑

[ 斗

fllif~

り の 切

、

〈

ご』、

ーd 

日o 間o 町亡コ 、:

¥占

、

」、

毛、

くd

』C・4E 凶H』・4 ト~ H 

ミ ヲ

、

くf

事件c:n c:n  ー、

吋 、f ご、

@‘~

、::

、

』

一d 

c:n  01  c:n 

¥。布m ¥。3 m ¥02 u t u  ¥ 

¥占

ま

ト~

Cコ

ト~

ζコ

日 ( )

Cコ

ト~

品

て

¥占

ヤヨ 父︑

︒

い¥qv¥hNG

い

¥ 午 て

U

司令

マ‑﹂い¥凶可︒

ミD

c

。

ト~

Cコ

HH M¥ ω 

]F E

戸¥ ω

ドー

ト3

トー&

〈コ

ト~o 

Nω HF  

] ﹁

∞

N ¥ω

しかし表一は決して独占地代の発生している状態を示すものではない︒もし

B

︑

c

︑

D

地の

一四

︑

一六

h

︑

一八

出

シリングを独占地代といつなら︑のちにみるように︑それは表二の状態へ移行することはできないのであり︑表ニの

状態へ移行する理論的説明のなかで︑それらが独占地代でないことをみることができるのである︒

続いて高島教授は次の私見を引用される︒

﹁もし農産物がその価値以上の市場価格で販売されるに至るや︑それまで耕作圏外にあった劣等地の地主は農産物

の生産価格を超える市場価格の僅かな差でも地代として入手することができるので︑よろこんで土地を貸出すし︑ま

た農薬資本家は平均利潤が入手できるなら︑よろこんで地代を払って土地に資本き投下し︑これまで耕作圏内に入る

ことのできなかった劣等地の耕作圏内への参加や︑これまで平均利潤を入手できなかった追加投資が行なわれるよう

にな

る︒

:;そこで今これら優等地門B︑

c

︑D

の各

地を

拐す

ll

高島︺への追加投資を捨象して考えると︑より劣等な新

絶対

地代

と価

値

ヲ セ

(8)

絶対地代と価値

j¥ 

地

A

が耕作圏内に入る可能性が生じる︒この場合この新地

A

の生産が五

0

シリングの資本でいかほどの生産物を生産

できれぽ資本家は地代を払ったのち平均利潤を入手できるであろうか︒それは明らかに五

0

シリングの投下資本で一

︒ブッシェル以上の穀物が生産されねばならない︒(とこでは説明の簡単化のため︑追加投資の生産物による需給の変動︑し

たが

って

市場

価格

の変

動は

一応

捨象

して

考え

る︒

また後にみるような絶対地代が農産物の価値と生産価格の差額の一部の場合もこ

こでは考慮に入れず︑耕作されている土地は農産物の生産価格をこえる価値の超過分の全額を絶対地代としている場合のみを考え

る︒

)そ

こで

一

O

ブッシェル以上を生産しうる未耕の劣等地が耕作圏内に入ることとなる︒

いま

一

O

ブッシェルの生産

物をもたらす新地

A

が耕作圏内に入ったとしよう︒そうすれば表二をわれわれは得ることができる︒

L (前

掲拙

稿︑

﹃立

教経

済学

研究

﹄第

一四

巻第

一号

︑

一 九 i

二一

ペー

ジ)

そしてここに述べられている表一から表二への移行についてはつ相当に疑義がある﹂(高島︑一O

一一

ペー

ジ﹀

とい

われ

るの

であ

る︒

ところがその﹁疑義﹂なるものは︑教授のさきの﹁私見が独占地代を前提としている﹂という断定とは

正反対の立場からの﹁疑義﹂であり︑一一重に承服し難い﹁疑義﹂なのであって︑どうしてそのように教授が考えられ

るのか理解に苦しむところの﹁疑義﹂なのである︒というのは︑教授の﹁疑義﹂は︑さきに﹁独占地代前提﹂という

批判を加えた同一所説を︑﹁不安定な過渡的状態前提﹂と次のように批判されるからであろ︒

﹁一つは︑氏の説明されるようなかたちで︑表一から︑表ニへの移行が行なわれるとすれば︑はじめの表一の状態

はそれ白体︑きわめて不安定な過渡的状態にあったわけであるが︑しかしそういう不安定な過渡的状態をはじめに設

定しておいて︑以後の展開を論じてよいものかどうかという点である︒氏は︑出発点として表一の状態をとり︑そこ

では︑市場価格ば一ブッシェル当り七シリングとされている︒ところが︑次には︑この同じ七シリングの価格のもと

(9)

対

4

‑ 1

7  

今 十 舟 際 芯

一宮

浬忌

官爵

一司

統官

爵

HUH‑d日勺H﹂ヤ峠3

雰 定 跡

1 4

必き醤

議時 叫接 会

M m

賛

同同

完

首愈 什ー 苛峠 翻 意 添

3 M

m

国岡山間由副議

、く'

I

町0 田0 町0 山0

、

て

'‑.l 

、 と

て'

トCーF4E p品~ トト4コ c

ト : ;

~ 寸

」

、く'

、

、ー‑

品 目 町 吋 、 ご

pa 託u 、

て ご

} 

叶 吋 叶 叶 ¥ 与て

、::

) 

¥ く

寸寸寸寸~.

、.::

、 ーー,

己

N 申∞ ∞品 寸。,、与ど'旬

、く'

、‑

H 

CP  H 。 。 、コH己 h晶・ 、t

魚、;'

、‑

r‑‑'‑ .......  t‑l  ........  '.:. 

o  0  0  0  ,迂4・

品 o ¥;) 

、く'

、‑

~

回 〉

ロ 。

で︑未耕の劣等地

A

が新しく耕作圏内にはいってくるとされている︒もちろん︑こうしたことは現実的に起りえない

というのではなく︑むしろ反対に︑しばしば生ずる現象であろうが︑しかし︑ともかくそれば経過的な現象である︒

わ

れわれが経済現象の一段階から次の段階への推移を理論的に分析しようとするならば︑一応安定した段階から次のま

た安定した段階への推移をこそとりあげるべきではなかろうか︒そうでなくして︑不安定な経過的段階をまず設定し

て︑そこから安定的な段階への推移を問題にしても︑その推移の必然性は明確にならないのではないかと思う︒氏の

説明のようであれば︑一ブッシェル当り七シリングの市場価格のもとで︑安定的な状態を示すのは︑表一の状態では

なく

て︑

むしろ表二の状態である︒表二の状態でこそ︑一ブッシェル当り七シリングの市場価格に対応して需給の関

係が一応安定的なものとして現われているというべきである︒とすれば︑氏は︑考察の出発点として︑表一の状態を

絶対地代と価値

九

(10)

絶対

地代

と価

値

。

とるべきではなくて︑表二の状態をとるべきであった︒しかし︑氏が︑そうでなく︑あくまでも︑表一の状態を出発

点としてとりたいと考えられるならば︑表一は︑一ブッシェル当り七シリングの市場価格のもとで一応の需給の調和

がたもたれていることをまず明らかにし︑そのうえで︑さらに表一の段階から友二の段曙へと論を進めるべきであっ

たし︑またその推移も︑その後需要が増大して市場価格は七シリングの線から上昇しはじめたとい

4 ったような仮定の

なかで論じられるべきであったであろう︒そうでなければ︑未耕の劣等地Aが新しく耕作圏にひき入れられる必然性

はでてこないのではなかろうか︒だが︑そうしたことは︑氏の説明では一切ふれられていない︒﹂(一O

二│

三ペ

ージ

)

さきに私の表は独占地代を前提としている︑として教授は批判されたのである︒それがこんどほ不安定な過渡的な

状態を示すものとして批判されているのである︒そして教授は﹁不安定な表一ではなく表二の状態から出発せよしと

もいわれ︑もしどうしても表一から出発したいのなら﹁一ブッシェル当り七シリングの市場価格のもとで一応の需給

の調和がたもたれていることをまず明らかにし︑そのうえで︑さらに表一の段階から表二の段階へと論じられるべき

であ

った

し︑

またその推移も︑その後需要が増大して市場価格は七シリングの綜から上昇しはじめたといったような

仮定のなかで論じられるべきであった﹂とされる︒だがこの批判は不当である︒

表一は市場価値玉川シリングの穀物が︑それを中心として販売価格が規定される状態を前提としている︒そこへ需

給の一時的でない変動が生じ︑販売価格が七シリングに上昇したことを示している︒だから教授の﹁論じられるべき

であった﹂という忠告の必要はないのである︒

一には全くあてはまらない︒ のみならず﹁市場価格七シリングの線から上昇﹂なとということは表

それは表二がより新しい段階に移行する場合の前提にはなろうが︒

教授は不安定な表から出発してはならないというが︑需給関係は常に変動要因を含んでおり︑不安定といえばすべ

(11)

ての地代表は不安定といえるのである︒安定も不安定も常に相対的なものであるのが資本制的競争の現実である︒と

くに市場価値水準の変動を示す表の説明のためには︑不安定な過渡的状態が問題になるのは当然であり︑またこの不

安定な過渡的状態をその前段措の安定的状態から一々説明する必要はない︒それは自明のことだからである︒

そもそも教授が︑表一が独占価格を前提としていると一方で批判し︑他方でその同じ安一を不安定な過渡的状態で

あると批判を加えることそれ自体が︑論理矛盾であろう︒さて以上で述べたような論理矛盾に立ちながら︑教授はよ

り根底的な疑問があると

L

て ︑

マルクスの差額地代論の中心的論点に関する疑問を次のように提起される︒

つもう一つは︑表一を出発点として未耕の劣等地

A

が新しく耕作薗にひき入れられる場合︑すなわち表二が成立す

る場合︑氏は︑市場価格は最劣等地

A

の穀物の個別的価値によって決定されるものとされているが︑なぜそうなの

力

、

つまり︑なぜ︑この場合︑市場価怖は︑表一の場合とは異なり最劣等地の価値以上にのぼりえないとするのかと

いう点である︒表二の状態において︑需要をみたすために最劣等地

A

の耕作が必要とされているとき︑なぜ︑その土

地の所有者はその所有の力によって︑穀物価格を価値以上に押し上げることはできないのであろうか︑じつは︑この

点こ

そ︑

われわれが氏にさきたい最も肝心の点である︒そして︑これは氏の批判の対象とされる大内氏にとっても︑

おそらく同じ気持をいだかれるところであろう︒だが︑この肝心の点を氏は少しも説明してくれないのである︒﹂(一

︒三

ペー

ジ﹀

このように﹁肝心の点﹂の説明が私見にはないと教授はいわれるのであるが︑この﹁肝心の点﹂こそ︑そもそもマ

ルクスの差額地代論の核心的論点であり︑マルクスの絶対地代論は︑この論点が解明されたのちに展開されているの

である︒教授は絶対地代を論じでいる最中に︑差額地代の基本問題をいきなり提出されたのである︒

﹁最

劣等

地

A

の

絶対

地代

と価

値

(12)

絶対

地代

と価

値

穀物の個別的価値によって市場価値が決定される

i

ーより厳密には

A

地の個別的価値からの平均価値(市場価値)││

のはなぜか﹂という点については︑絶対地代論以前で解決済みとして︑一々その説明を絶対地代を論ずる際に繰り返

さないのである︒もちろん︑論旨の進行上必要があれば問題とすることは差支えない︒しかし高島教授のように絶対

地代を論じている際に差額地代の基本問題に答えていないのはおかしいなどといわれるのはどうであろうか︒

それ

に︑

右の点は別にしても︑①最劣等地の平均価値(最劣等地の社会的・標準的経営の個別的価値)が市場価値を規

定することと︑②この市場価値が新しい段階の大きさに移行することはあっても︑地代は価値以上の価格からではな

く︑常に農産物の価値から支払われるという点の説明は︑密接な関連はあるが︑同じ問題ではない︒

①についての私見は︑最劣等地での社会的・標準的農業経営の個別的価値が市場価値を規定するのは︑

マルクス価

値論の必然的帰結である︑ということであり︑別言すれば︑土地的条件では限界原理が︑資本的・経営的条件では平均

原理が貫徹している︑ということである︒この点については︑今日までの著書論文で私が述べてきたところである︒

また②は︑当面の絶対地代と価値との関連を明らかにするために必要な論点であり︑絶対地代が独占地代とは本質

的に異なる範噂であることを解明するための必要な論点であり︑私が表一と表二で説明しようとしたことも︑この①

の論点を明らかにするためであった︒しかし高島教授は②を問題にしているところで①の問題を持ち出し︑私がこれ

に答えていないとされたのである︒だがこの点はあとで立ち戻るとして︑さらに教授の次の論旨をみよう︒

﹁肝心の点の説明を回避している氏は︑上記の叙述にすぐ引き続いて︑次のようにいわれるが︑ここでも氏は大き

な誤りをおかされている︒

﹃かくて地代を求める土地所有者と利潤を求める資本家の競争の結果︑価値以上の穀物価格は結局は価値の線まで

(13)

引き

下げ

られ

る︒

﹄

ここで︑氏のいわれる﹃価値以上の穀物価格﹄とは︑いうまでもなく︑表一における一ブッシェ

ル当り七シリングの販売価格を指すものであろう︒ところが︑それが﹃競争の結果﹄として︑結局は︑﹃価値の線﹄︑

つまり表二における一ブッシェル当り七シリングの市場価値リ販売価格の線に﹃引き下げられる﹄というのであるか

ら︑話はサッパリわからない︒﹃価値以上の穀物価格﹄は﹃引き下げられる﹄どころか︑依然としてもとの一ブッシ

ェル当り七シリングの価格のままではないか︒したがって︑氏の﹃引き下げられる﹄という言葉は明らかに誤りであ

って︑それはで::︑価値以上の穀物価格は結局はやはり価値の線で決められることになる﹄とでも改められるべき

もの

であ

ろう

︒﹂

(一

O三

ペー

ジ)

右の批判も内容的な批判とはいえないであろう︒表一では玉川シリングの価値の穀物が︑七シリングの価格に騰貴

していたが︑この価値以上の価格が教授のいわれるように﹁結局はやはり価値の線で決められる︺ということが私の

いわんとしたところだからである︒

いう

まで

もな

く︑

工業では価値以上の価格は競争によって価値に﹁引き下げられる﹂︒というのは工業では一般に

技術

の改

良︑

生産性の向上が不断の方向だからである︒農業の場合でもより大きな需要が優等地の増産によってみた

される場合ーーーこの優等地の増産された生産物の個別的価値が︑それまでの最劣等地の個別的価値の平均より少ない

場合││価格は価値の線に﹁引き下げられる﹂のである︒しかし︑より劣悪な土地の耕作圏内への参加によって需要

がみたされるなら︑新しい価値水準へ価格は落着く││それは以前よりも高い水準となり︑﹁引き下げられる﹂ので

はなく﹁引き上げられる﹂││のである︒これが農業の工業と較べての独自性である︒抽象的にいえば︑自由競争段

階では工業生産物の価格は常に従前の価値水準に引き戻されるか︑またはより新しい価値水準に引き下げられるので

絶対地代と価値

(14)

絶対

地代

と価

値

四

あり︑これに対し農産物は従前の価値水準に落着くか︑より高い価値水準に引き上げられるのであり︑これを一般的

にいえば︑価値が価格を規制する︑ということであり︑価格は結局は価値に引き戻される傾向があるということであ

る︒なるほど︑表一と表二でいえば︑七シリングの価格(価値以よの価格)が新しい価値の七シリングに一致する状態

に移行じたのであるから︑数字的にはイコールであろう︒しかし内容的には︑価値以上の価格が︑価値に引き下げら

れているのである︒だから私見が﹁サッパリわからない﹂はずはないのだが︑教授の批判はさらに次のように続けら

れる

﹁氏は︑この訂正を要する文句に続いて︑さらに次のようにいう︒﹃右の場合優等地の追加投資を捨象して考えた ︒

が︑たとえば旧来の借地での追加投資を考えるならば︑表一の段階で販売価格一ブッシェル当り七シリングでは何ら

の地代ももたらさないが︑平均利潤をもたらすなら追加投資が行なわれる︒この旧来の借地での追加投資と土地等級

A

の追加耕作とはすでにみたように﹁相互的制限﹂をなす︒しかし土地等級

A

の採用はそのこと自体が地代をもたら

さない追加的諸投資では需要が充たされないことを証明しているのであるo﹄ここでは︑﹃表一の段階で販売価格一ブ

ッシェル当り七シリングでは何らの地代ももたらさないが﹄というのが︑わたくしにはよく意味がのみこめないこと

のほ

か︑

おおむね妥当な表現として︑異議はないよ(一O

三ペ

ージ

)

右の高島教授の私見の引用で﹁よく意味がのみこめない﹂としている部分を説明すれば︑それは︑表一の段階で五

U何シリングの価値のある農産物が七シリングの価格を維持しているなら︑優等地での追加投資は地代部分を入手でき

なくとも平均利潤が入手できるなら行なわれる︑ということである︒なぜなら優等地の地代は借地契約期間内では一

定であり︑追加投資の有無は地代支払に直接関係がないので︑借地農業資本家は︑追加投資が平均利潤をもたらすな

(15)

ら︑そうするであろうということは自明のことだからである︒

基本的にはマルクスの所説に即して︑価値論の発展としての地代論を把握し︑大内︑日高説に批判を加え︑マルクス

を擁護されようとする高島教授が︑たとえ叙述に未熟な点があったとしても︑どうして私見を自明のことと理解され

ないのか︑わかりかねるのであるが︑次の文章を読んでさらにこの感は︑深まるのである︒すなわち教授は続けられる︒

﹁そして︑氏は︑この文章を述べたのち︑行を改めて︑次の結論をひきだされる︒

円以上の如く農産物の価値以上に市場価格が恒常的に騰貴することは︑旧来の借地での追加投資や土地種類A

とい

う新地の追加耕作の結果︑つまり資本家及び土地所有者の競争の結果ありえない︒そしてこの場合明らかに農産物の

価値が規制的役割を果している︒﹄

この井上氏の結論には︑われわれがこれまでみてきたよう

ι

︑それにいたる過程においてさまざまな疑義があった

以上︑かんたんに同意しえないものである︒氏は︑﹃資本家及び土地所有者の競争﹄︑つまり︑﹃旧来の借地での追加投

資﹄や﹃土地種類

A

という新地の追加耕作﹄﹃価値以上に市場価格が恒常的に騰貴すること﹄は

﹃ありえない一というが︑しかし︑これまでの氏の説明をきいたところでは︑それは︑市場価格が価値以上に引き上げ

られないということではなくして︑むしろ︑価値以上の市場価格が思うままに引き上げられないということではある

まいか︒そして︑この場合﹃旧来の借地での追加投資﹄や問土地種類

A

という新地の追加耕作﹄が︑市場価格を忠h

ままに引き上げることに対する阻止条件になっているということではあるまいか︒おそらく︑氏は︑自分の説明が︑ が行なわれる限り︑

そういうことになるとは思っておられないかもしれないが︑しかし︑われわれには︑どうもそうとしか理解できない

のである︒なぜなら︑そう理解すべきではなく︑氏の結論のように理解すべきである理由は︑少なくとも︑その結論

絶対地代と価値

五

(16)

絶対地代と価値

一六

にいたる過程にかんする氏の説明のなかには何ら述べられていないからである︒﹂(一

O

三ペ

ージ

﹀

いったいどうして右のような解釈が可能になるのだろうか︒﹁市場価格を思うままに引き上げる﹂ことができない

のはもちろんであるが︑ぞれは競争の結果︑価値の線に引き戻される必然性(法則﹀が存在するからである︒私が表

一と表二を例として説明しようとしたことは右の点以外の何ものでもない︒﹁氏の説明のなかには何ら﹂この点につ

いて﹁述べられていない﹂という結論は︑だから不当であろう︒にもかかわらず教授はさらに右の点を次のように続

けら

れる

︒

﹁と

ころ

で︑

﹃旧来の借地での追加投資﹄や﹃土地種類

A

という新地の追加耕作﹄が︑市場価格を思うままに引き

上げさせない制限条件となっていることは︑氏の批判する大内氏においても︑明らかに認められている︒すなわち︑

大内

氏は

︑

われわれがすでにみたように︑﹃絶対地代は本質的には土地所有の独占によって︑農産物の生産価格以上

に市場価格が引上げられろことから生ずるのであるが︑ただこの土地所有の独占はけっして絶対的なものではなく︑

優等地の追加投資とより低い劣等地の耕作圏への導入と︑この二つの条件のゆるす範囲内であらわれる独占にすぎな

い﹄といわれている︒そして︑この大内氏のいう二つの条件は︑上記のように︑井上氏によってそのまま採用されて

いるだけでなく︑また﹃この二つの条件により土地所有の独占は農薬における資本の自由競争と結びついている﹄と

いうかたちで︑井上氏の見解のなかにとり入れられているのである︒とすれば︑この点にかんする限り︑大内氏と井

上氏のあいだに︑どういう見解の相違があるということになるのか︒わたくしは︑少なくとも︑この点にかんして両

氏のあいだに意見のちがいを認めることはできない︒だが︑すでに新浬氏の所説を批判したさいに述べたように︑

たとえ土地所有の独占があっても農産物価格を思うままに引き上げさせない自明的な経済的制限条件とし

Z R

内

M

は︑

(17)

て ︑

﹃旧来の借地での追加設資﹄のほか三つの条件をあげているが︑なお︑これらの条件は︑絶対地代をもたらす農

産物の価格決定が価値によって行なわれることに対しては︑﹃問題にならない﹄ことをあわせて指摘している︒わた

くしには︑井上氏がその結論でいうように︑﹃旧来の借地での追加投資hや﹃土地種類

A

という新地の追加耕作﹄が︑

農産物の価格を価値以上にさせない条件として作用するものと考えることはできないのである︒﹂竺

O

一二

│四 ペー ジ)

右で教授は﹁大内氏のいう二つの条件は::井上氏によってその支ま採用されている﹂と述べているが︑﹃資本論﹄

中の﹁地代論﹂を学んだ人なら誰でも知るように︑﹁大内氏の二つめ条件﹂は︑大内氏がマルクスから学んだ点であ

って

︑

﹁大内氏の二条件﹂などと表現すべきものではない︒このことは︑高島教授御自身が最もよく知るところであ

ろう︒なぜなら︑マルクスが︑右の二条件のほかにさらにコ一つの条件をあげている︑と教授御自身がそのすぐあとで

述べておられるからである︒

しかも教授は︑右の二条件が﹁農産物の価格を価値以上にさせない条件として作用するものと考えることはできな

い﹂と断定されているが︑それが何故であるかを︑どこで説明されてお︑りれるのだろうか︒

以上のような高島教授の私見への批判を考えてみるとき︑教授が︑大内説への私の﹁批判はおおむね正しく︑その

限りでは大内氏の主張の欠陥をついて︑マルクス絶対地代論の正統性の防衛にある程度成功している﹂とされたこと

自体がおかしな結果になるのである︒前置きとして一応評価するとしながら︑内容的には誤解にもとづく否定をされ

ているからであり︑したがって以下のような教授の結論的批判も私には納得することができないのである︒

﹁このように︑氏の結論には︑行論のあいまいさと誤謬にもとづく独断が含まれているのであるが︑氏は︑この結

論をもって大内氏の見解に対する批判の最有力な根拠とされるのである︒すなわち︑氏は︑その結論にすぐ続いてい

絶対地代と価値

七

(18)

絶対地伐と価値

一八

O Aノ

﹃それ故大内氏のさきに要約した見解:・・絶対地代は土地所有の独占によって農産物の生産価格以上に市場価格が

引き上げられることから生ずるのであって︑価値が何らかの基準として作用することはないという見解は納得しえな

しかし︑既記のように︑井上氏の結論そのものに疑義があり︑また︑その結論にいたる説明に問題がある以上︑氏

の大内氏批判はけっして成訪しておらず︑大内氏をいささかも納得させるものではない︒井上氏の放つ矢はマトを外

れて

いる

ので

ある

︒﹂

(一

O

四ページ)

さて︑以上で高島教授による拙論への批判を紹介し︑私の反論を述べたのであるが︑でほ高島教授御自身の積極均

見解ほどのように展閲されているのだろうか︒以下︑高島説の積極的見解とこれに対する私の疑問と批判を徒示しょ

︑ つ ノ

︒

高 島 教 授 の 積 極 的 見 解 と そ の 問 題 点

高島教授はまず次のようにいわれる︒

﹁私見を結論的にいえば︑わたくしは︑やはり︑絶対地代は︑独占地代とは異なり︑土地所有の独占と農業資本の

低位構成を二要件として︑価値法則が貫徹するところに成立すると考えるよ(一

O

四ページ)

すなわち教授は︑土地所有の独占と農業資本の低位構成というマルクスのあげた絶対地代成立のための不可欠な二

条件のもとでの価値法則の貫徹の結果として︑絶対地代を把握されているのであるから︑この点では何ら教授が独自

(19)

の説をなしているわけではない︒そして続けて︑

﹁なるほど︑富山日批判者の多くがいうように︑絶対地代をもたらす農産物め価格が価値によって規定さるべきも

のであることは︑﹃資本論﹄のどこにも直接的なかたちでは述べられていない︒しかし︑この直接的なかたちで述べ

られていないことは︑日一両氏のいうように︑理論的に﹃述べ︑りれるはずがない﹄

(日

高︑

﹃絶

対地

代と

価値

法刷

﹄三

九べ

ージ)ということではないのはもちろん︑

冨

R M

自身もそのことを考えていなかったということではけっしてないの

であ

る︒

﹂ハ

一

O四

ペー

ジ)

とい

われ

る︒

呆し

て︑

マルグスは絶対地代をもた︑りす農産物の価格が価値によコて規定さるべきものであることを﹃資本論﹄の

どこにも直接的なかたちで述べていないのだろうか︒教授は述べていないと断言され︑絶対地代と価値の関連につい

ては

︑

マルクスのエンゲルス宛の書簡が明確に述べている︑として次のようにいわれる︒

﹁民間同は︑﹃資本論﹄第一巻の刊行一八六七年に先立つ一入五一年の一月七日には︑回出口問︒︼凹あてに

E S E C

地代

論の根本的欠陥を指摘した手紙(同

‑ Z

ミ♂

ロ器

開国

句

E ‑ ‑

図︒

・国

・﹀

岳山

口問

・

HP

呂田

口口

・間

︐・

閉口

問司

︼叫

4耳目白砂

s m

円

・

62

・ 関 白 匂

F E w

‑

ω ‑

u a

l

∞・岡崎次郎訳﹃マルクス・エンゲルス資本論に関する手紙﹄上巻︑法政大学出版局刊︑二四│八ページ﹀を送り︑さらに

その

一

O

年後の一八六二年の八月九日には︑同じ何回想ぽあてに︑絶対地代にかんする宮川同日自身の考えの精ずいと

みられる三点をしたためた手紙を送っている︒その三点中の第一点の冒頭には︑﹃ぼくは理論的に証明すべき唯一の

ことは︑価値法則を侵害しないでの絶対地代の可能性だ︒これが重農学派以来今日にいたるまで理論的論争の中心点

なのだ︒リカiドはこの可能性を否定する︒ぼくはそれを主張する﹄

( H Z a

‑ ‑

切片 山田

SR 6

宮・

出回 開担 問︼ 位同 円相

︑

ω・ ∞

El

m‑

上

掲︑邦訳﹃マルクス・エンゲルス資本論に関する手紙﹄上巻︑一一六ページ)とある︒

絶対

地代

と価

値

九

(20)

絶対

地代

と価

値

二

O

これによって︑宮号凶にとっての絶対地代にかんする問題の最重点が︑価値法則との関連におかれていたことは明

らか

であ

る︒

そして︑この宮山日の意図を帯して︑﹃資本論﹄の第三巻第六篇第四五章を読むならば︑宮

R H

が︑絶

対地代について︑直接的なかたちで価値法則との関連を論じていなくとも︑この両者の関係︑つまり︑絶対地代を生

ずる農産物の価格は︑結局は価値によって規定されるべきものだと主張していることは︑きわめて明確に把握される

ので

ある

︒ ま た

そういう観点からでなくては︑冨向日の絶対地代にかんする叙述はぜったいに理解できないであろ

ぅ︒

﹂(

一

O

四 五 ペ ー ジ )

可資本論﹄では述べられていないが︑﹃書簡﹄では述べられており︑マルクスが絶対地代を価値との関連で把握し

ていたことは極めて明白だ︑と教授はいわれているのである︒

しかし﹃資本論﹄のなかで︑右の重要な点111絶対地代と価値との関連ーーについて直接述べられていないのだろ

うか︑といえは︑述べられているといえよう︒そこで次に二つほど第三巻第六篇第四五章﹁絶対地代﹂から引用して

みよ

︑っ

﹁土地所有ほ土地生産物の価格を生産価格以上にひきあげうるとはいえ︑市場価格が生産価格を超えてどの程度ま ︒

で叫値に近づくかは︑つまり︑与えられた平均利潤以上に農業で生みだされた剰余価値がどの程度で地代に転形する

か︑それとも平均利潤への剰余価値の一般的均等化に参加するかは︑土地所有に依存するのではなく︑一般的市場状

態に依存する︒どんな場合でも︑この絶対的な・生産価格をこえる価値の君過から発生する・地代は︑単に︑農業的

剰余価値の一部分であり︑この剰余価値の地代への転形であり︑土地所有者によるそれの横取りであって︑それはあ

たかも︑差額地代が︑一般的生産価格のもとで︑超過利潤の地代への転形・土地所有による超過利潤の横取り・から

(21)

発生するのと同じである︒﹂(長谷部訳︑青木文庫

同一

O七七ページ)

﹁本来的農耕地代が単なる独占価格たるかぎりでは︑この独占価格は小さなものでしかありえず︑この場合には絶

対地

代も

︑

ii

生産物の価値のうち生産価格をこえる超過分がどうあろうと︑││正常的諸関係のもとでは小さなも

のでしかありえない︒だから絶対地代の本質は︑つぎの点︑すなわち相異なる生産諸部面における同等量の諸資本

は︑同等な労働搾取のもとでは︑それらの資本の平均構成が異なるに応じて異なる分且一塁の剰余価値を生産する︑とい

う点

にあ

る︒

工業では︑これらの相異なる分量の剰余価値は平均利潤に均等化されて︑社会資本の可除部分としての

個々の資本に均等に配分される︒

︹と

ころ

が

U土地所有は︑生産が農業のためにであれ原料採取のためにであれ土地

を必要とするぱあいには︑土地に投下された諸資本にとっての右の均等化を妨げるのであって︑さもなければ一般的

利潤率への均等化に参加すべき剰余価値の一部分を横取りする︒その場合には地代は︑商品の価値・くわしくいえば

剰余価値・の一部分ーーといっても︑それを労働者から取りあげたF武本家階級にではなく︑それを資本家から取りあ

ける土地所有者だけに帰属する部分ーーーをなす︒この場合には︑農業資本は非農業資本中の同等量の一部分に比しょ

り多くの労働を運動させるということが前提されている︒この背離がどの程度のものであるか︒または総じて背離が

実存するかどうかは︑工業に較べての農業の相対的発展に依存する︒事態の本性上︑この差等は農業の進歩につれて︑

l i

不変資本部分に較べて可変資本部分の減少する割合が工業資本では農業資本でよりも大きいのでなければ︑ーー

減少

する

に違

いな

い︒

﹂(

向上

︑

一 O

八 七 八 ペ ー ジ )

右の二つの引用からでもマルクスの絶対地代と価値についての考えがわかろう︒すなわちマルクスは絶対地代につ

いて﹁農業で生み出された剰余価値﹂︑﹁生産価格をこえる価値の超過から発生する地代﹂︑﹁地代は商品の価値・くわ

絶対

地代

と価

値

(22)

絶対地代と価値

しくいえば剰余価値・の一部分﹂であることを明言し︑その成立の必然を﹃資本論﹄で解明しており︑この価値によ

って規定された価格││価値以上の価格ではなく

l

ーから差額地代も絶対地代も支払われるとしているのである︒

このように私は教授の所論に賛成できないのであるが︑さらに教授の主張をみよう︒教授は続けて﹁われわれは︑

まず︑順序として価値法則について正しい理解をえておく必要がある︒だが︑このことは別稿(﹁﹃社会的必要時間﹄に

かん

する

技術

説に

つい

て﹂

Iお

よび

E︑﹃茨城大学農学部学術報告﹄第六号昭和三三年一一月および第七号昭和三四年二一月所載)

において詳細に論述しているので︑ここでは必要最少限にとどめたい︒﹂こO五ページ﹀と述べ︑需給の均衡につい

て ︑

マルクスのいうそれが︑単なる現象的なそれではなく︑価値との関連で把握されなくてはならないという正しい

見解を次のように述べられる︒

﹁われわれのいう需給の均衡は︑俗学的見解のように︑生産された商品がその価格のいかんをとわずすべて売りつ

くされる状態をいうのではない︒つまり︑売れ残りの商品を生じなければ︑需給は均衡しているという性質のもので

はないのである︒生産された商品が︑もし価値以上の価格ですべて売りつくされているとすれば︑じつは需要が供給

にくらべて大きかったのである︒また逆に︑生産された商品が︑もし価値以下の価格ですべて売りつくされていると

すれば︑じつは供給が需要にくらべて大きかったのであって︑いずれも需給は正しく均衡していないのである︒した

がっ

て︑

われわれのいう正しい需給の均衡とは︑価格と価値の一致︑換言すれば︑価値すなわち平均価値を前提と

し︑これに対応して生じる商品の供給量と需要量とが過不足なく一致している状態をいうのである︒

︹な

おこ

の点

につ

いては︑上掲の論文のほか﹁絶対地代にかんする一考察│i﹃資本論﹄第三巻第四五章冒頭文の新解釈

│

l﹂

︑﹃

茨城

大学

農学

部学

術報

告﹄

第九

号昭

和三

六年

一

O月

の九

七ペ

ージ

の註

記参

照︺

﹂(

一

O五ページ)

(23)

右の見解は教授の地代論把握のなかで重要な意味をもつようになる論点であることは後述の通りである︒それ自体

正しい価値と価格および需給の一致についての理解が︑どのように歪曲されて︑高島地代説を形成するうえで重要な

役割を果すことになるのか︒教授の所説は次のように続けられる︒

つわれわれが価値法刷の貫徹というのも︑つまりは︑価値から背離する価格をふたたび価値に引きつけ︑不均衡の

需給をふたたび均衡化へよびもどす作用をいうのであって︑それは︑あくまでも︑価値ないし価格の変化に対応し需

給そのものが自由に変動しうる機構を前提としてのみ現われる︒自由競争のもとでのみ価値法則が貫ぬかれるという

のも閉じ意味のことである︒そして︑自由競争にもとづくそうした機構のもとで︑商品の価格を究極的に規定する佃

値が一般的に平均価値であることはいうまでもなかろうよ(一Q

六ペ

ージ

﹀

そして教授は次の表を掲げて以下のようにいわれる︒

﹁われわれは上掲の表九によって︑第一形態の差額地代をもたらす農産物の市場調整的な一般的生産価格の決まり

方を

みよ

う︒

己の表における耕作の順序は︑E地からE地への下向序列とみても︑あるいはE地からE

地 へ の 上 向 序 列 と み て

も︑あるいはE地とE地における各部分の下向と上向の交互的進行の結果とみても︑少しもきしっかえはない︒しか

し

いずれにしても︑序列はできあがった結果としては︑その過程がいかなる進行をとったかを問わず︑つねに下

向的なものとして現われ︑しかも︑何らの地代を生じない劣等地E地の個別的生産価格が市場調整的な一般的生産価

格であると考えられている︒これは︑

われ

われ

が︑

Z R

凶と同様に︑優等地E地による生産物の供給だけでは社会の

全需要をみたすことができず︑これをみたすためには劣等地E地による供給を不可欠のものと前提するためである︒

絶対地代と価値

(24)

絶対地代と価値

二四

対*

αコ .:h~

告 雪

一一一一1 ‑一一一←一一一一一一一

,,)1清 流

~

〉今ト

ト 一 一 ← 一 一 一 一 一 ト

‑1│ 

(言言接持

持言

、 b司

)苦言iZJ:

し ̲ ̲ ̲ ̲ ̲ ̲ 1 ̲ ー

I  e ‑ ‑ '   e ‑ ‑ ' 同 Z :

│  川七三三7

い

3

て

町│ω 民│戸川富山

1 ' ‑ '

爵d

浬H

::;'iZJ:‑,‑

]  ] 13

同て

1  '同日

目|叶 ~I 申 |3言 d

I 

I  I  i 誌宣

!一一│ 己瓦ご

ち ま 高 士

一 言 u A

)議。

」 ー ← 一 一 一 一 一 (務 寺l: て予言 )隊 一一一

:‑‑‑‑1

一一一一

ハ隊

??重量

二主主

)完

H90 

〈宝、 ul 

] 足

︒

ト~o 

匡司 国~

目 ︒

︒

̲

̲

̲

,  

<:ll 

同日︒

~

N

︒

︒

日品

︒

NA

匹 ︒

童話 特

消印

U4

目白

)部

品一

仲∞

00+

問︒

︿・

謹州

対意

画凶

悦一

HHOO

冶 臥 唱 川 市

δ

差益

品開

一

H E

次い

罰法

J﹃

hm o

そして︑この前提を設ける限り︑農産物の市場調整的な一般的生産価格は︑工産物のそれのように︑個別的生産価格の 平均としては決まらず︑劣等限界地の個別的生産価格によって必然的に決定されることになるのである︒(註︑富田吋

H

は︑﹃資本論﹄第三巻第六篇﹁超過利潤の地代への転形﹂において︑差額地代論および絶対地代論を展開する場合︑これらの地代を

もたらす穀物の市場価値ないし市場調整的生産価格の決定については︑いわゆる限界原理を︑さしたる理論的説明なしに︑いわば自

明的に前提しているように忠われる︒すなわち︑彼は︑そこで︑なぜいったい穀価が限界的価値ないし限界的生産価格として決定さ

れることになるかを詳述してはいないのである︒しかし︑彼が︑そこで︑これを詳述していないのは︑じつはそれに先立つ第三一巻 簿二篇第一

O

章において︑市場価値論を論述したさい︑すでに一般論的なかたちでこ札を果たしているからである︒具体的にいえ ば︑同章における従来からの難問とされた︑いわゆる不明瞭な箇所というのが︑じつは︑市場価値の一般的平均規定とは異なる特

(25)

殊的限界規定を論じた笥所にほかならない︒すでに︑市場価値の成立にかんする特殊的限界規定を︑﹂のような一般論的なかたち でかたづけていたために︑のちの地代論におけて︑ふたたびこれを説明する必要はなかったわけである︒ニのF内向同市場価値論

のいわゆる不明瞭な箇所における市場価値成立にかんする特殊的限界規定の詳細については︑拙稿︑﹃マルクス市場価値論におけ

るいわゆる﹁不明瞭な箇所﹂について

1 1何値の平均規定と限界規定

il

h︑﹃茨城大学農学部学術報告﹄第八号昭和三五年三万

所載

︑を

みよ

︒)

﹂(

一

O七ページ︑註一一0ページ)

右で教授は︑なぜ穀価が限界的価値ないし限界的生産価格として決定されるかをマルクスが詳述していないのは︑

いわゆる﹁不明瞭な笛所﹂といわれる第三巻第二篇第一

O

章 に お い て 市 場 価 値 を 論 述 し た さ い

︑ 市 場 価 値 の 特 殊 的 限

ハ1

) 界規定を論じた箇所ですでに解明しているからだ︑といわれている︒しかしこの点も果してそうなのであろうか︒

( 1 )

この点に関して想起されるのは高島教授の﹁不明瞭な箇所﹂についての解釈である︒すなわち教授は問題の箇所を︑市場

価値の一般的平均規定の立場からの﹁市場価値の変動﹂の問題とする桑野仁氏らと異なり︑市場価値の特殊規定として次のよ

うに解する︒﹁需給の均衡が想定される限り︑たとえ商品の大部分が最悪(もしくは最良)の限界の荷品によって占められて

いても︑その平均価値

M

は限界の個別均価値Gと一致すること改ありえないが︑しかし︑この場合において︑需要量

D

(

も

し

くは供給量

S)

が供給(もしくは需要)の不変にかかわらずムD分(もしくはムS分)だけ増加すると仮定してみよ(ロ←ロ

+ p

u ‑

もしくは

ω

←

ω +

k v

ω )

︒そうすれば︑需給の均衡のもとではGに一致しなかったMも︑この需給の不均衡のもとでは

G

に一致することになる

( M

L G

Y

初等数学では解けない﹃限界値﹄の問題も高等数学でなら容易に解けるわけである︒かく

して︑この場合︑需給の不均衡という仮定があらたに導入されることによって︑﹃相呉なる諸条件のもとで生産される諸分量

間のたんなる比率か︑りすれば別の結果が生ずるはずにもかかわらず両極端の一方が市場価値を規定する﹄ことになる︒すなわ

ち︑市場価値の成立は限界的に規定されることになる︒﹂︿﹁マルクス市場価値論におけるいわゆる﹃不明瞭な箇所﹄について﹂

﹃茨城大学農学部学術報告﹄第八号︑昭和三五年︑}八四ページ)右で高島教授が︑﹁限界価値﹂の観点か︑りすれば︑不均衡

はなんら不均衡ではない︑とされたのは︑卓見であった︒しかし︑次にみるように︑これと同様の手法で︑中位の土地的条件

絶対地代と価値

二五

参照

関連したドキュメント

C)付為替によって決済されることが約定されてその契約が成立する。信用

ことで商店の経営は何とか維持されていた。つ まり、飯塚地区の中心商店街に本格的な冬の時 代が訪れるのは、石炭六法が失効し、大店法が

もし都心 5 区で廃止した 150 坪級のガソリンスタンド敷地を借りて 水素スタンドを作ると 月間 約 1000 万円の大赤字が続く?.

事業所や事業者の氏名・所在地等に変更があった場合、変更があった日から 30 日以内に書面での

3000㎡以上(現に有害物 質特定施設が設置されてい る工場等の敷地にあっては 900㎡以上)の土地の形質 の変更をしようとする時..

★代 代表 表者 者か から らの のメ メッ ッセ セー ージ ジ 子どもたちと共に学ぶ時間を共有し、.

このような環境要素は一っの土地の構成要素になるが︑同時に他の上地をも流動し︑又は他の上地にあるそれらと

地球温暖化とは,人類の活動によってGHGが大気