〈
研 究
ノ ー ト〉
異界
が
口
を
開 け
る
と
き
一 ’「ハ ー メ ル ン の笛吹
き男伝
説 」 と夏
至に まつ わる民間信 仰 につ い て溝 井 裕
一 はじめに 「ハ ーメル ン の笛 吹 き男伝 説 」 (以下 「笛 吹 き男伝 説」 と表記)は, グ リム兄弟の 『ドイ ッ伝説集』 に も収録さ れ, 世 界 的に有 名に なっ た ド イツ の伝 説の ひ とつ で ある。 周知の ように これは, ハ ーメ ル ン の市民に裏切 ら れ たネズ ミ捕り男が ,6
月26
日の ヨハ ネとパ ウロ の 日 に町に現れて , 笛を吹 きつ つ130
人の 子供たち を導き出し, 郊外の 山にある穴 を通っ て姿 を消 して しまっ たこ とを伝 えて い る。 1) 一般 にこ の伝 説は, 実際の 事件が核と なっ て形成さ れ たとい わ れて い る が, 子供た ち が消 えた本 当の理 由に関 して は これ まで さまざ まな説が唱 えら れ て きた。 もちろ ん筆者 も, 「笛吹き男伝説 」 の背景に, 何ら かの事件があっ た こ と を否定 する もので は ない 。 本 稿 におい て も, 伝 説の発生 し た期 日に子 供失 踪 事 件があっ たこ とを仮 定して考察をお こ なう。 し か し拙 論の 目的は, ハ ーメ ル ンの事件それ 自体の真相 を暴 くこ とで はな く , 伝 説の生成プロ セス を解明するこ と に あ る。 すな わ ち夏至 に まつ わ る 民 間信仰が, 「笛 吹き 男伝 説」 の 生成に重大 な影 響 を及ぼ した可能 性につ い て , ド イツ語 圏各 地に伝わ る夏至 伝説 とのか か わ りか ら検討 し て み たい 。 これまで の 先行 研 究2) に よ っ て , ハ ーメ ル ン の事 件の 日付 (6
月26
日)が 夏 至祭に重 なっ て いた こ と はすで に よく知 ら れて い る。 だが, こ れ らの研究に お いて, 夏至は単に 祭日の時期で あっ た だ けで な く, 異界が 口を開 けて デーモ ンが 現 われ る時期 と見 ら れ て い たこ とに関 して はあま り触れ ら れて い ない 。 3) し か し本稿で は , ドイ ツ語 圏に100
以 上存在する夏至伝説の調査 を踏 ま え, 夏至にまつ わ る不気味な民 聞信 仰との か か わりか ら, 「笛 吹 き男 伝 説 」 生 成の 問 題に取 り組ん で み たい と思う♂)1
)Vg1 .
BrUder
Grimm
:Dcutsche
Sagen
、Bd
.1.Berlin
ユ816
. In:Hans
−」6rg Uther(hrsg.):
Deutsche
Mblrchcn
undSagen
,(CD
−ROM
).Berlin
(Directmedia
)2004
,
S
.26406ff
.2
)
日本で は阿部謹 也の 『ハ ーメ ル ン の 笛 吹 き男』
(
筑摩 書房,2004
年)(
初版1974
年, 平 凡社)が代表的であ る。3
) F .ロ ス テ クーリュ ーマ ンは 「笛吹 き男伝説 」 を心理学の観 点か ら分 析 して い る が, その際 , 彼女はこ の伝 説 と夏至 に 山が開 くとい う信 仰との 関 連 性 を指 摘 してい る。VgL
Fanny
Rostek
−L茸hmann
:DerKindet
伽ger
vonHameln
:UntetsagteW
且nsched
die
Funktion
des
Fremden
.Betlin
(Dietrich
Reimer
),
1995
,S
.76ff
.4
)これまで に筆 者は, 以下の資料における
1D3
の 夏至伝説を分 析 し た。 Uther 2004 .,Hcinz
ROIIeke
(hrsg
.):Das
gtosse
deutschc
Sagenbuch
.Dttsseldorf
(Albatros
)2001
.,210
溝 井 裕 一 1. 「ハ ーメ ル ンの笛吹 き男伝 説 」 をめ ぐる議論 グ リム伝説集に収録 された 「笛 吹 き男伝説 」 は, もともと異 なる2
つ の 話 が合体 し て 形成 さ れた もの である。 こ の伝 説は, 謎の男が ネズ ミ を退治 する話 と, 子供が誘拐さ れ る話か ら成 り立っ て お り, こ の2
つ の モ テ ィ ーフが合体 し た話 は16
世紀の 年代 記 には じ めて登場 する。 5 ) よ り古い言い伝えで は , 謎の 男に よ る子 供の 誘拐の み が 語 ら れて い た。 伝 説にまつ わ る 最古の 資料は, エ300
年ごろ か ら 町の教 会に飾 ら れ てい た とい うス テ ン ド グラス に付 記 さ れて い た文 章だが, 17 世 紀に とられた とい うその複写は 一部が 欠 落し てい る。 し か し 「ヨハ ネ とパ ウ ロ の 日」 とい う事件の期日 と, 「 コ ッ ペ ン」 とい う, 子供 が失踪 したと さ れ る 山の 名は読み と るこ と が で き る。 6) 次 に古い 資料と し て ,1384
年の ミサ書 『パ ッ シ オナー レ 』 があるが,1761
年に書 き写 された文章には,1284
年の ヨハ ネ とパ ウロ の 日 に, カ ル ワ リア (コ ッ ペ ン 山の近 くの 丘)が,130
人の 子供たち を 「生き た まま呑み込んで しまっ た」7) とある。 ただ, 今 あ げ た2
つ の 資料は, 複写にすぎ ない とい う点で , その信 憑性に関して は疑 問 が 残 る。 それ ゆえ , 現 時 点で 資 料 的価 値 が もっ とも高い と認め られて い る の は,1430
/50
年の 手書本に書か れ た文章で ある。 そ れ に よ る と,1284
年の ヨハ ネ とパ ウロ の 日 に, 「ある美 し くて , 見た者は みな感嘆するほ ど立派な服を着た30
代の若者が, 橋 を渡っ て ヴェ ーザー門か ら入っ て きた。 彼は奇妙 な銀の笛 を持っ てお り, そ れ を町 中で 吹 き鳴ら し は じ め た」s)。 する と, その音を聞い た130
人の 子供たちが, 彼に続いて東門 を通 りぬ け, カ ル ワ リ ア も し くは死 刑 場の とこ ろ まで い っ て姿 を消 した とい う。 以 上,3
つ の 資料か ら, 伝 説に まつ わ るもっ と も古い 話におい て も,1284
年6
月26
日 の 「ヨハ ネ とパ ウ ロ の 日 」 とい う期日が 語 ら れてい たこ と, また , 大勢の子 供の 失 われ た場所が 山で あっ たこ と が確か め ら れ る。 9) 一般 に 「笛 吹 き男 伝 説 」 は, もともと 13 世紀に起 こっ た実際の 事件に, さま ざまな 地 方で語 られて い た誘 拐 者 伝 説や , ネズミ捕 り男伝 説の モ ティ ーフが結びつ け られ , 今 日の 形 に なっ た と さ れ る。 そ れゆ え, 伝 説の核 にある 歴史 的事件に関 し, 研 究者た ち は さま ざ まな推測 をお こなっ て きた が, 阿部はハ ーメ ル ン近 郊の戦い に おける若 者の 戦死 説, 東 方殖 民政策に よる若 者たちの移住 説 (W
,ヴ ァ ンな ど), そ して子供の遭 難説 (W
. ヴォ エ ラー )を代 表 例 と し て挙げて い る。 10 )5
)vg1
.Hans
Dobbertin
(hrsg
,):Quellensammlung
zufH2melner
Rattenfdngersage
.G6ttingen
(Otto
Schwartz
)1970
,S
.24f.)
)
) )6780
ノEbd
.S
,11.El
)d
.S
.14
.Ebd
.S
.16
. 事件の発生 が 7 月 22 日とする報 告 も1555
/56 年 以 降存在 するが (Ebd .S
.21ff.), 14 世 紀初 頭か ら 19 世 紀にい た るまで一貫 して伝 承 されて い るの は や は り6
月 26 日で あ る。異 界が 口を開 け る と き
211
こ のな か で は, 「笛吹き男伝 説 」 と夏 至 との か か わ りを 強 く論 じ てい る ヴォエ ラーの考 察が興味深い。 彼 女は, 6月24 日の ヨハ ネの 目(
夏 至祭)に火祭 りを お こな う風 習があっ た こ とに注 目し, 子 供たちは問 題の 日も山へ かが り火を焚きに い き, そこ で何 らかの きっ か け で生 じ たパ ニ ッ ク に よっ て沼に はまっ て沈ん だの だと結 論 し た。 11 ) しか し, 単に子 供や若 者の 失 踪, ない し死亡事件があっ た とい うだけで は, そ れに魔 力を もつ 楽師や 「呑み 込 む 山 」 の 話が結び つ い た 理由が説明で き ない 。 中 世 に おい て, 子供 十字 軍や舞踏 病によっ て大 勢の子 供が突 然 失踪 する ことは ,他の地 方で も見 ら れた か らで あ る。 12) し か しこ れ らの 事件は事件と して報 告さ れてお り , 伝 説 化は 生 じて い な い oヴァ ン や ヴ ォエ ラーは , ヨハ ネとパ ウ ロ の 日につ い て もっ ぱ ら現実の事件や祭 りとの 関係で 論 じて い る。 さ ら に従 来の説で は, 子 供の 失踪 し た 山 につ い て も, 戦場の近 くに あっ た と か , 若 者が東へ 行 く出 発 点で あっ た とか , 事 故の現 場で あっ たなど と解釈さ れ て い る にす ぎ ない 。 し か し筆 者の考えで は, 伝 説の語 り手に とっ て
6
月26
日 は た だの 事件や祭りの 期 日 で はな く, 山 も単 なる事 故 現場とい うだけで はなかっ た。 こ の 日 にあ たる夏 至に は 「もうひ とつ の世 界 」, す なわち異 界か ら住人が現わ れて , 人を引 き込む と 信じ ら れ てい た し, ま た 「山 」 は, 中世の人 び とか らすれ ば異界へ の入 り口 で もあっ た。 その事実は, 他の夏 至伝 説 を概 観 する こ とで 明 らかとなる はずで ある。II
. 異界が 口を開けると き 夏 至にまつ わる習俗と伝説 先 述の ように ドイッ で はかつ て, ハ ーメ ル ンにお ける子供 失踪の 日の2
日前 にあたる,6
月24
日の ヨハ ネの 日 に盛 大な祭 りが おこな われていた。 この 日 は, キ リス ト教化さ れ てか ら洗礼 者 ヨハ ネの誕生 日 と して祝 わ れ た が, もともと は 一年で昼 が も っ とも長 くな る夏至 を祝 う古 代の祭 りで あ っ た。 近代に至る まで, ヨ ーロ ッ パ で は古 くか ら伝わる夏 至の 習俗が多く残存して いた。 そ して, その ひ とつ が, ヴォエ ラ ーや阿部が示 し た火 祭 りで ある 。A
.フ ァ イル ハ ウ ァー に よ れ ば, これ は 丘 や 山の上 に か が り火 をたい て , その周 りで踊っ た り火の上 を跳び 越10
) よ り新しい 説 と して は, ベ ス ト に よ る大量 死 が伝説の 起 源 とする もの も あ る。Vgl . Wemer Uef丘ng ;Die
hamelner
Rattenf苴ngersage und ihrhistorischer
Hintergrund . In:Norbert
Humburg
(hrsg
.):Geschichten
undGesc
}1ichte .Erzblhlforschertagung
in
Hameln
,Oktober
1984
.Hildesheim
(Lax
)1985
,
S
.185ff
.11
)Vgl
.Waltraud
Woeller
:Zur
Sage
vomRattcn
伽ger
vQnHameln
.In
:Zeitschrift
fUr
Deutsche Philologie.
Bd
.80
.: 1961 .S
.135ff.12) た とえば 1212 年に はフ ラン ス で子 供 十字 軍の 熱狂 が起こ り, 結 果 として子 供が 奴隷として売ら れる事件があっ た。 同年にはケル ンで も子供十字軍が発生 し,
一説には
数千 人の 子供集団がエ ル サレム を目指し た とい う。 Vgl .
Steven
Runciman
:Geschichte
der
IkeuzzUge . Miinchen (
Deutscher
Taschenbuch )1995 ,S
.196ffaさ ら に
1237
年に は, エ ァ フ ル トの子 供 た ちが突然遠 くの ア ル ン シュ タッ トへ と練 り歩い たあ げ く, 疲労のた め倒れて い る。
VgL
Wily
Kfogmann
:Der
Rattenfanger
vonHameln
.Eine Untefsuchung 廿
ber
dasWe
エden
def
Sage . LUbeck(
Matthiesen)
, 1967212 溝 井 裕 し た りする行事で あっ た が, そ れ に よっ て一年間災厄 か ら身 を守るこ と がで きる と信 じ ら れて い た。 13) だ が ヨハ ネの 日 は単に, その 後の 一年を祝福する た め だ けの 日 で は な かっ た 。 この 日 ハロウ イ ン は 冬至に あたる ク リス マ ス や, ヴァ ル プル ギス , 万 聖 節の ような祭 日 と同様に 聖なる 日で ある と同時に危険な 日で もあっ た。 フ ァ イルハ ウ アーは, 「こ の 日の 水は癒し の 力が あ る ば か りで な く, とくに危 険で もあ る と考 えら れ てい た の で ,かつ て 川 に は雄 鶏, 一塊の パ ン , もしくは子 供の服の ような捧 げ ものが され た。 聖 ヨハ ネ が
3
つ の犠 牲 を要求するとい う観念 もか な り広 まっ てい た。 ひとつ は水中で, ひ とつ は地 上で , そ し て も うひ とつ は空 中で 」14) と述べ てい る。 ま たこれ に関連 し て, 「ヨハ ネ の 日 にエ ルベ 川 , ザ ーレ川, ウン ス トル ー ト川 , エ ル ス ター川の水の精は生 け贄 を求め る。 だ か ら多 くの船乗 りはヨハ ネの 日に, 必 要の ない と き は船出し ない。 水の 精は, 生 け贄と して求め る者の 名を3
度呼ぶの を常 とし, 次いで その 者をい やお うな しに川 まで 導い て引 き込ん で しまう」15) と伝 えら れてい た。 水の精 の魔 力は, 「笛吹き男 」 の笛の力を強 く連想させ るもの で ある。 さ ら に多 くの ドイツ語 圏の夏 至伝説に おい て も, こ の 日の前 後に は自然の デ ーモ ン , ヴァイ セ’フ ラ ウ シ;ヴァ ルツニ’フ ラ ウ 悪魔, 幽霊 じみ た 厂白 い 女 」 や 「黒 い 女」 など, 不 気 味 な存在が現 れて人と接 触 する と さ れて い る。 た とえば 「白い女 」 や 「黒い 女」 の伝 説は, ドイツの幅広い 地域に おい て 山や城の廃 嘘 など と結びつ けて語 ら れて い るが,ハ ーメ ル ンか ら さほ ど遠 くない フ ンネス リュ ッ ク城の 廃 墟で は, ヨハ ネの 日の夕暮れ に 女の 子 が, そこに 「白い女 」 が 座っ て い るの を見た と伝 えら れて い る。16 ) 同様に 「黒い 女 」 もヨハ ネの 日 に現れる と さ れる。A
,ク ーン らの編纂し た シュ ヴィ ー ネ ミュ ンデ(現ポーラ ン ド領)の 伝 説で は, あ る2
人の 女の 子 がヨハ ネの 日 に 山へ い っ た とき,「彼女たちは , 遠 くか ら黒い 女が 自分たちの方へ やっ て くる のを見た が , 女は彼 女 ら に親 しげに手を振 り, 山の穴 を指 し示 し た。 最 初, 彼女ら は そ れ が 隣家の 女 性だ と 思 い , 近 くまで い っ た もの の, や がて 自分た ちの誤 りに気がつ い て引 き返 そ うと し た」。 17 ) する と,女は恐ろ しい 顔を して宙に舞い 上 が り, 彼 女た ち を 追い かけて き た とい う。 こ の伝 説が語るの も, 夏 至に山が口を開 け, 得 体の知 れぬ 存 在 が その なかへ 子供たち を誘 うとい う, ハ ーメ ル ンの伝 説 と非常に よく似たモ テ ィーブ で ある。13
)
Vgl , Angelika Feilhauer: Feste feiern in Deutschland , Ein Ftthrer zu alten und neuen
Volksfesten
undBr
互uchen .ZUrich
(Sanssouci
)2000,
S
.139ff.
14
)Ebd
.S
,143
.15)
Emil
Sommer
:Sagen
,MZrchen
undGebr
加 che ausSachsen
undThUtingen
.Bd
.1
.Halle 1846 . In:
Uther
2004 ,S
.47692 .16
)VgL
Georg
Schambach
/Wilhelm
M
齟 er:Nieders
且chsischeSagen
undMtirchen
.G6ttingen
ユ855
. In:Ebd
.S
.41097
.17
)Adalbert
Kuhn
/Wilhelm
Schwartz
:Norddeutsche
Sagen
,
Mdrchen
und
Gebrtiuche
aus
Meklenburg
,PQmmcm
,der
Mark
,Sachsen
,ThUringen
,Braunschweig
,Hannover
,異 界が 口 を開 ける と き
213
また夏至の 時期に は, た だ異界の住人が姿を現 すだけで はない 。
J
,D
.H
.テ メ の採取 し た伝 説に よ る と, ある羊飼いが ヨハ ネの 日 に 山へ 向かっ た と き, 「彼は彼の羊 と も ど も一 度に地 面へ 沈み込み , 地面は彼の上で 閉 じら れ た」。 18) 山の 地 下に は13
世 紀に生 きた伯 爵とその兄 弟がい て ,羊飼い は彼 ら か ら金の杖を受けとっ た が, 翌年の ヨハ ネの 日 まで 地 上 に出るこ とが で きなかっ た とい う♂9> こ の ように, 人 間が逆に山の 穴や地 中の穴 を 通っ て , 地 下 世 界へ 入 り込む とい う伝説 も認め ら れ る。 紙面の都 合か ら, 夏 至伝 説の すべ てをこ こ で紹介 することは で きないが , ヨハ ネの 日 とその 前 後に デ ーモ ンや悪 魔が現わ れ た り, 人間が 地 下世界へ 入っ た りする話は他に も 数多く存在する。 2°)し た がっ て6
月26
日 に起こ っ たハ ーメ ル ン の事件を語る とき, 人び と は実 際の 出来 事や祭 りの こ とだけ でな く, 夏至に 不気 味 な怪 異現 象 が起こ る ことも意 識 して い た と考え ら れる。III
. 夏 至に まつ わる民 間信 仰 と 「笛 吹き男伝 説 」 生成の問 題 前章で見た ように, 多くの夏至伝説に おい て この 時期に は異 界が 口を開け, デ ーモ ン 的存在が現わ れる と語 ら れて い た。 これ らの伝 説と 「笛吹 き男 伝 説 」 が, ス ト ー リー展 開 に お い て強い 類似 性を持っ て い る こ と は, 単なる偶 然で は ない 。 すで に挙 げた諸説で は, 「笛吹 き 男 」 の 「実像」 を めぐっ て議論が おこなわ れて きた。 た とえば戦死 説で は彼は兵 隊を率い た笛 吹 き とされ,21) また東 方殖 民 説で は若 者を移 住 先へ 導い た 人物であっ た と さ れ る。 22) だ が 「笛 吹き男 伝説 」 と他の 夏 至伝 説 を比 較 す る と, 問 題の楽 師は歴 史上に実 在 した何 者か とい うよりは,デ ーモ ン じ み た存 在の ように 映る。 ハ ーメ ル ン の 伝 説の祖 型で は, ネズ ミ捕 りと市 民の裏切 りの話はな く,謎の楽 師 がふ ら りと現わ れて 町の子供たちを誘い , 山 に入っ て姿を消し たこ と だけが語 られて い た。 こ の話は, 夏至に おける デ ーモ ン と人 間の接 触 を描い た他の 伝説 と類 似 して お り , しか18
)Jodocus
Deodatus
Hubertus
Temme
:Dievolkssagen
von Pommern und Rugen .Berlin 1840 . In:Ebd , S,51870 ,
19
)
山の 地下に, は る か昔の 人 間がい る とい うモ テ ィ ーフ は , ク ーン らの 編纂し た キ フホ イ ザ ー伝 説にも見 ら れ る。 そ こに は神 聖ロ ーマ 皇帝 フ リー ド リヒが 眠っ て い る とさ れ る が , ヨハ ネの 日, 山 が開い てい る と きに, ある牛飼いが その なか に入っ たこ とがあ
る とい う。
Vgl
.Kuhn
/Schwartz
1848
.In
:Ebd
,S
.29401
.20 ) 筆 者 が調べ た夏 至伝 説の うち, 自然の精霊, 幽霊, 悪 魔, 山に閉じ込め られ た住
人にまつ わる話が
50
, 口を開 ける山や岩の話は16
, その他の超 常現 象 (地 中の宝 が光る, 沈ん だ町が見 えるなど)に まつ わ る もの は52
ある。 た だ し, い くつ か の伝 説で はモティ ーフ が 2 つ 以上並存して い る。
21)
Vgl
.Heinrich
Spanuth
:Der Rat亡enf 盗nger von Hameln . Vom Werden und Sinn einer altenSage
.Hameln
(CW
Nierneyer
)1985
、S
.63E
22
)VgL
VVolfgang
Wann
:Der
Rattenf
瓦ngcr vonHameln
:Hamelner
Landeskinder
zogen aus nach Mahren . MUnchen
(
Eigenverlagdes
SudetendeutschenArchivs
)1984 .S
.214
溝 井 裕 も子供 を 自在に操る 「笛 吹 き男 」 の 魔 力は, 名 を呼んだ上でい や おうなし に人 を引 き込 む とい う水の精の魔 力に 通ずる もの が ある。 そ して, 伝 説に おい て放 浪楽師 とデ ーモ ン の イメ ージ が重なる とい う事 実は, その 語 り手の 意 識下 に おい て , 両 者の あいだ に明確 な線 引 きが な さ れて い な かっ た可 能 性を示 して い る。 同様に 「笛吹き男伝 説 」 に お け る 「山」 もま た, 単な る事件現場以 上 の存 在で あっ た。 ヴォエ ラーの ように, 子 供が 山 に呑み 込ま れ た とする伝 説の描 写が, 子供が付近の 沼に 沈んだ事実に由来する と考えるこ とは不 可能で はない。 し か し他の 夏至伝説を概観すれ ば, 山は デ ーモ ンや死 者が暮 らす とこ ろ であ り, 夏 至に は異界が 開い て その なかへ 足 を 踏み入れ るこ と が で き る と信 じ ら れて い たこ と が わ か る。 「笛吹 き男伝説 」 も ま た, こ の よ うな信仰 と無縁で は なかっ た。 も ともと 人間で ある はずの 「笛吹 き男 」 とデーモ ンが 同列に扱わ れ た り, 自然が人を 呑み込 むと語 られ た りし てい るこ とは奇 妙 と映る。 だが, この種の話は 「本 当にあ っ た こ と」 と して, 人び とに語 られ た だけで な く,年代記 など にも掲 載 さ れて い た。 この事実は, 中世 特 有の世界観に基づ い て考察する必要がある。 中世の 定住者にとっ て , 山の ような 自然の 領域は現 在 考 えら れ る よりもはるかに恐ろ しい とこ ろ であ り, そ れ 自体意思 を持っ て い る かの よ うな場所で あっ た。 歴史学者A
.ボル ス ト は, 中世の 自 然の イメージ に関し, 「海は魚を もた らす とと もに漁 師 を呑み込 む 。 森は焚 き木を もたら すが, その収 集者 を誤っ た方向へ と導 く。 大 地は収 益に よっ て 規定さ れて い た わけで は な く, そ こか ら利益 と害 を経験 する 人 び とに よっ て規 定さ れてい た」 23 ) と述べ てい る 。 そ して土 地 を持たずに街 道を さす らう放 浪 楽師は, 未 知 なる 自然 と接 触 す る謎めい た存 在で あっ た。 ま た外 界か ら 町 や村に現わ れ, 不思議な力で 人 を誘惑 するとい う点に おい て, 彼 らと デ ーモ ンは似た者 同士 となる 。 24) 以 上の ような中世の 人 び との意識に加えて, 古代, 山の地下に冥界がある と信じ られ てい たこ とが, 夏至に 口 を開け る 山の イメ ージ を よ り不気味に し た 。 ア イス ラン ド に伝 わ るサガ をもとに, 民俗 学者L
.ペ ッ ツ ォ ル ト は, 伝承における 山の 異 界 とい う観念の 古層 に は, 「山 は その 頂上 に住む神 々 と 人間との 仲介者で あり , その 内側 に は 死者の 住 居 , 地下世 界がある」25 ) とい う信 仰があっ た と指 摘 して い る。 し か しなが ら, 中世ヨ ー ロ ッ パ の人 び との意 識に は,キ リス ト教の地獄の イメージ が12
世紀以降は煉獄の イ メ ージも26) 存 在 してい たた め , 山の 地下世界はこれ らと重 ね られる か, あるい は得23
)Arno
Borst
:Lebensformenim
MittelaltetHamburg
(Nikol
)2004 ,S
.150f.24)
1555
年以降は, ハーメ ル ン の 子供た ち を山へ さ らっ て行っ たの は悪魔や デーモ
ンだ と明記さ れ る ようになる。
Vgl
.Dobbettfn
1970
.S
.21
ff
.南チ ロ ル の伝 承で は, 悪 魔が ヨハ ネの 日前 夜に現わ れ る と語ら れて い るが , 悪 魔はバ
イオ リン引 きの 姿で も現わ れ るとさ れ てい る。 し か も悪魔が人 をさらうと きは, 空 中へ
と さ らっ てい くか, 地 中 に沈ん で 地獄へ 連 れて い く とい う。
Vgl
.Hans
Matscher
:Der
Burggrtifler
in Glaubc und Sage . Bolzano(
Vogelweider)
ユ931, S.131ff.25
)
LeanderPetzoldt
:Tfadidon
imWandel
,Studien
zurVolkskultur
undVolksdichtung
.異 界 が 口を開 ける とき
215
体の 知れぬ 異界を体現するもの と して 畏怖 されて い た と考える の が 自然で あろ う。た だ, 実 際に子供失踪事件があっ て も, その記憶が容易に伝説へ と変貌しない こ とは, 他の 類似 し た事件が その ま ま報告さ れて い るこ と か ら も明ら かで ある。
13
世紀末にハ ー メ ル ン であっ た とされ る子供 失踪 事 件の場 合, なぜ その報 道 がデモ ーニ ッ シ ュ な放浪 楽 師と山の異 界 とい う二 つ のモ テ ィーフ と結びつ き,「笛吹き男伝説」 へ と発展 し たの であ ろうか。 こ こ で重 要と な るのが,6
月26
日とい う問題の 日付で ある。2
頁で述べ た ように, 初 期のハ ーメ ル ン の 伝 説は一貫 し て6
月26
日 に事 件が起こ っ たこ とを主張し てい る。 そ して こ の時 期には, 異界と人 間世界との 境 界が 一時 的に消 失 し , 両 者の あい だに交流が 発生 する と ドイツ語圏で広 く伝え られて い たこ ともすで に確 認し た。 は じ め にも述べ たように ,1284
年の6
月26
日 に, 本 当にハ ーメル ン で事 件があっ た のか , また 「笛 吹 き男 」 なる人物 が存 在 し たの か, これらに関する決 定 的 な証拠は見つ かっ て い なV だ が, 問題の 日付が ヨハ ネの 日 に まつ わ る 民 問信 仰や伝 説 を人び と に想 起 させ ,子 供 失踪 事件の報告に魔 的 な楽 師や 「呑み 込む山 」 の モ ティーフをつ なげる働 き を し た と考えるこ と はで き る。 すな わ ち, 夏至 に まつ わ る 民間信仰や伝 説 を媒介と し て, ハ ーメ ル ン の 子供 失踪事件に , 外 界か ら やっ て くる放 浪楽 師, な らびに ロ を開ける 山の異 界 に対 する畏 怖の念が織 り込 まれ, あの不 気 味な 「笛 吹き男伝説 」 が生 まれ た。 そ してその 内容は, 中世の世界 観に適 合 して い た た め に, 「本 当に あ っ た話」 と して受容 され, ペス トの流 行や魔 女 狩 りとい っ た動乱の なか で不 気 味さを増しなが ら, 語 り継が れ るこ と に なっ たの で は ない か。 もちろ ん こ の問題の検 証に際 して は, 今 後 もさ らなる中世 一近 代 資 料の研 究 を続行 す るとと も に, 中世 世界観に対する認識を深め な が ら, 「笛吹き男伝説 」 形成の メ カニ ズム につ い て, よ り広範 囲かつ 綿 密 な考 察 をおこ なっ て い く必 要 が あるの は, い う までもな い こ とで ある。 *本 稿は ,2006
年6
月3
日の 日本 独 文 学 会における発 表 原稿を加筆修 正 したもので あ る。 26) Ebd .S
.82ff
.216
ne
#
ws
Die
Zeit,
wenndie
.andeteWelt"
sich auftut-
Zur
Beziehung
zwischender
Rattenfang
¢rsage vonHamein
unddem
Glauben
vonder
Sommersonnenwende
-Yuichi
MIzol
,,Der
Rattenfanger
vonHameln"
ist
eineder
bekanntesten
Sagen
ausDeutschland.
Nach
den
.Debltsdee .S}7gen"(1816)
der
BrUder
Grimm
entfUhrteein von
den
BUrgern
betrogener
Pfeifet
im
Jahr
1284
amTag
Johannes
undPaulus
(26.
Jimi)
eineAnzahl
vonKinder
und verschwand mitihnen
im
Loch
eines
Berges,
walirenddie
alteren
Sagen
ausdem
13rl5.
Jahthundett
nicht
die
Rattenplage
vonHameln,
sondetn nurdie
Kindesentfuhrung
durch
den
Pfeifer
erwahnen.Unter
der
Voraus$etzung,
dzss
es sichbei
der
Sage
um eingeschichdiches
Ereignis
handelt,
hat
manbisher
beztiglich
der
,,wahrenBegebenheit"
mancheHypothese
autgestellt wiedie
Kriegstheorie,
die
den
Jungenverlust
der
Schlacht
bei
Sedemtinde
um1260
zuschteibt(C.
F.
Fein
1749),
die
Ostkolonisationstheorie
(VU.
VUann
1984),
die
den
Jungenauszug
det
Sage
aufdie
Immigration
zurBesiedlung
M2hrens
zuriickfuhrt, oderdie
Katastrophentheorie
(S)Cr.
Woeller
1961),
nachdet
die
in
Panik
geratenen
Kinder
am26.
Juni
1284
in
einemTeich
vesunken seien.
Doch
die
Forscher,
die
verschiedene 'Hypothesen vomVerschwinden
der
Kinder
aufstellten, scheinen eine wichtige 'Frage nicht ausreichendbeantwortet
zuhaben:
VUarum
entwickelte sich eingeschichdiches
Eteignis
zu einer so eindrucksvollenSage
und wurdebis
Ende
der
Neuzeit
nacherz2hltPIm
Mittelalter
gab
es noch andete merkwiirdigeKinderauszUge,
etwadet
Kinderkreuzzug
vonK61n
(1212)
oderdie
Kindertanzwut
vonErfurt
(1237).
Doch
diese
Ereignisse
entwickelten sichnicht
zurSage.
Meines
Erachtens
spieltebei
der
Bildung
det
Rattenfangefsage
vielmehr
der
Volksglauben
vonder
Sommersonnenwende
(24.
Juni,Johamistagl
einegroBe
Rolle.
Denn
in
der
Zeit
der
Sommersonnenwende-so
glaubten
die
Leute
frUher
- tauchendie
verschiedenstenD2monen
auf undlocken
die
Menschen
in
ihre
VCielt,
wahrend sichdie
Unterwelt
in
den
Betgen
61ifhet.
Wle
A.
Feilhauer
(2000)
bemerkt,
galt
der
Johannistag,
andem
das
groBe
Fest
firUher
gefeiert
wurde, nicht nurals
heiliger
Tag,
sondern auchals
gefahtlicher
Tag,
denn
nachdem
altenVolksglauben
verlangtder
heilige
Johannes
andiesem
Tag
dtei
Opfet.
Manche
Sagen,
die
Ubet
Ereignisse
amJohannistag
bzw.
ander
Zeit
vonder
Sommersonnenwende
erzdhlen, spiegelndiesen
Glauben
widet undbeschteiben
auchder
Rattenfangersage
Zhnliche
Geschichten,
zumBeispiel:
Zwei
M2dchen
scfiabtmeeali4t$
217
gingen
amJohannistag
zu einemBerg
undbegegneten
dort
einer schwarzenFrau,
die
siein
einErdloch
lockt
CA.
Kuhn
/
W.
Schwartz,
1848);
oder es soll einSchdfer
amJohannistag
zumBerg
gegangen
unddort
samt seinenSchafen
im
Erdboden
versunken sein(J.D.H.
Temme,
1840).
Ttotzdem
scheintmir,
dass
es nochkaum
Untersuchungen
gibt,
die
die
Rattenfdngersage
den
mehr als100
existierendendeutschsprachigen
Sagen
Uber
die
Sommersonnenwende
zuordnen.Ziel
meinesBeitrags
ist
es also,nicht
das
tats2chlicheEreignis
hinter
der
Rattenfangersage
vonHameln
aufuudecken, sonderndie
Entwicklung
dieser
Sage
im
Zusammenhang
mit
dem
Glauben
vondef
Sommersonnenwende
zubegreifen..
Am
Anfang
dieses
Aufsatzes
werdendie
alteRattenfangersage
vonHameln
aus
dem
13.-15.
Jahrhundert
sowiedie
Berichte
in
der
IUneburgischen
Handschrift
(1430
/
1450)
anhandHans
Dobbertins
2eredensammabuag
zur
Haneekeer
Raden-fa'agers`lge
(1970)
vorgestellt, unddie
verschiedenenHypothesen
vomVorfall
zuHameln
werden er6rtert.Im
fblgenden
Kapitel
werdendie
wichtigenSagen
und
Berichte
zurZeit
der
Sommersonnenwende
votgestellt undmit
der
Rattenfangersage
verglichen.Im
dritten
Kapitel
wirdUber
die
Entwicklung
det
Hamelnschen
Rat-tenfangersageim
Hinblick
aufden
Volksglauben
vomJohannistag
unddie
Weltanschauung
des
Mittelalters
diskutiert.
Durch
den
Vetgleich
der
Rat-tenfangersage mitden
anderenSommersonnenwende-Sagen
erkennt man,dass
die
Leute
frUher
wohlkeine
Schwierigkeiten
hatten,
in
der
Erzdhlung
einenPfeife:
die
Rolle
der
Naturdelmonen
oderTeufeIn,
die
in
der
Zeit
der
Som-mersonnenwende aufautauchen scheinen, spielen zu
lassen.
Auch
dieser
Vergleich
veranschaulicht,dass
der
Betg,
in
dem
die
Hamelaschen
I<inder
mit
dem
dhrnonischen
Pfeifer
verschwanden,nicht
nurder
Ort
itgendeines
geschichtlichen
Ereignisses
ist.
Es
warder
Ort,
dgr
sich amJohannistag
auftut undMenschen
verschlingtCF.
Rostek-Ltihmann
erwZhnt1995
bei
ihrer
psychologischen
Analyse
Uber
den
Einfluss
der
Vorstellungen
vom sich amJohannistag
6fiinenden
Berg
an
die
Rattenfangersage).
Hiet
werdeich
nicht
nurdie
Naturanschauung
des
Mittelalters,
sondern auchdie
altgermanischeTotenwelrvorstellung
undderen
Christianisierung
anhandder
Arbeiten
vonL.
Petzeoldt
(2002)
votstellen.Meine
These
in
diesem
Beitrag
ist:
Das
Datum
des
Eteignisses
in
Hameln,
der
26.
Juni,
gab
Anlass,
den
geschichtlichen
Bericht
mitden
Motiven
vomdZmonischen
Pfeifer
sowie vonder
Unterwelt
iM
Berg
zu verknUpfen, unddamit
erhieltdie
Hamelner
Sage
ljhnliche
ZUge
wie andereSagen
vomJohannistag.
Die
Entwicklung
der
Sage
vonHamein,
eineErzalilung
Uber
das
Verschwinden
der
Kinder
durch
den
daemonischen
Pfeifer
zurZeit
der
Sommersonnenwende,
ist
durch
die
Aufklarung
des
geschichtlichen
Hintergrundes
nicht
vollstandig zu218
ue
#
as
-wenn man