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開発途上国における学校教育の受容に関する一考察 [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)開発途上国における学校教育の受容に関する一考察 ―ネ パ ー ル ・ カ ト マ ン ズ 近 郊 の 事 例 を 通 し て ― キーワード:教育開発、学校教育、近代化、留年、中退. 発達・社会システム専攻 佐々木. 学. 〈目次〉. 透拡大により、初等教育普及に向けて開発途上諸国政府に. 序章 本研究の問題意識と目的、方法. よる計画立案や国際援助機関、援助国の援助が活発に行わ. 第1章. れている。. 教育開発の歴史. しかし多くの子ども達が学校教育を受けることができる. 第1節. 第二次世界大戦後∼1950 年代末. 第2節. 1960 年代初期∼1960 年代末. ようになった一方で、留年、中退をする子ども達も少なく. 第3節. 1970 年代初期∼1980 年代初期. ないことが報告されている。このような留年、中退といっ. 第4節. 1980 年代初期∼1980 年代末. た現象が生じるのは、開発プログラムが十分な成果を上げ. 第5節. 1990 年代以降. ておらず当該の子ども達に対しても十分な学校教育が提供. 第6節. 現在の教育開発の動向 ―『世界子供白書』の. されていないからであるとされ、一般に改善を要する「問. 分析から―. 題」点として語られている。しかし留年や中退を一方的に. 第2章. 「問題」視するこのような語り方は、国際援助機関や開発. ネパールの概況と教育. 第1節. ネパールの概況. 途上諸国政府、あるいは援助を行う先進諸国にありがちな. 第2節. ネパールの教育開発の歴史. 学校教育における西欧近代式の普及形態(一定年齢、一定. 第3節. ネパールの学校教育制度. 期間での卒業、継続的な就学等)を当然視し、市場の前提. 第4節. ネパールの教育開発の現状―初等教育を中心. とする一つの近代化論的な開発イデオロギーに基づいてお. に―. り、実際に留年や中退といった現象が生じている地域の住. 第3章. ティミ A 小学校児童の留年、中退に関する事例と. 民にとっての学校教育に対する考え方や実感に沿ったもの. 学校教育の受容に関する考察. であるとは必ずしも断言できないと筆者は考える。. 第1節. 調査地の概況. 第2節. A小学校の留年、中退の状況と児童の具体的. 置するティミのA小学校の事例を通して児童たちの留年や. 事例. 中退という現象について検討することで、開発途上国にお. 考察. ける子ども達やその親達の学校教育に対する柔軟でローカ. 第3節. そこで本研究では、ネパールの首都カトマンズ近郊に位. 終章 結論. ルな考え方や受け入れ方の存在可能性に関する考察を試み た。. 〈序章〉. 本研究はネパールにおける現地調査と、教育開発、ネパ. 開発途上国を中心とする社会・経済開発への取り組みは、. ールに関する資料や文献に基づいたものである。筆者は予. 第二次世界大戦後から現在まで様々な目標や方法、手段に. 備調査として 2002 年 12 月 26 日∼2003 年 1 月 6 日、およ. よって進められてきた。特に「近代化論」に基づく経済中. び本調査として 2003 年 9 月 13 日∼10 月 11 日の期間でネ. 心の開発は、貧困に苦しむ人々の生活改善には貢献できな. パールに滞在し、資料収集と首都カトマンズ郊外にあるバ. いことへの批判から、 「近代化論」に代わる開発の概念や理. クタプル郡ティミにあるA小学校を対象に教師、児童、児. 念、理論が現在進行中で模索されている。教育開発の分野. 童の両親に対するインタビューを行った。. においては 1990 年代以降、タイのジョムティエンで開かれ 〈第 1 章〉. た「万人のための教育世界会議」による「基礎教育」 (人間 が生存し、自らの能力を十分に伸ばし、尊厳を持って生活. 開発は第二次世界大戦後のアメリカによるヨーロッパ復. し、働き、開発に全面的に参加し、生活の質を高め、知識. 興支援として始まったが、1950 年ごろから冷戦に向けた戦. に基づいて判断し、学習を続けるのに必要不可欠な学習手. 略として、援助は開発途上国にも拡大されることとなった。. 段や基礎的な学習内容を充たす教育)の概念や、子どもの. 1940 年代から 1950 年代半ばにかけて開発理論の主流であ. 権利条約における「人権としての教育」といった理念の浸. ったのは「 (経済)成長理論」と呼ばれるものであり、国家. 1.

(2) 全体の経済が成長すれば富の総量が増え、それが国民一人. 行う際に、歳出削減と増税による財政均衡や為替・貿易の. 一人に「滴り落ちる」ように行き渡る(トリクル・ダウン. 自由化、官営事業の閉鎖または民営化などを要請した「構. 仮説)と考えられ、工業化に向けた援助が盛んに行われた。. 造調整政策」は貧困層への配慮を置き去りにし、貧困問題. しかし経済開発において経済外的要因を検討することの重. をより深刻なものにしていった。教育の分野においては、. 要性が指摘され、経済外的要因のひとつとして教育が注目. 「構造調整政策」による教育支出配分の削減により教育資. されるようになった。. 源の有効利用を図ろうとすることを目的とした、 「人的資本. 1960 年代から開発援助活動の理論的基盤となっていた. 論」を踏襲した「効率アプローチ」に基づく分析が行われ. のは「近代化論」と呼ばれる理論である。 「近代化論」の特. た。教育の価値の判断基準が貨幣価値に換算されて測られ. 徴として、①世界のあらゆる国家は開発を進める際に同じ. るこの「効率アプローチ」は、経済以外の多様な価値を見. 道筋を進むという「進化論的前提」 、②特定の国家制度への. 落とす危険性が指摘された。. 近代化の試みは必ず他の制度に波及し、やがて国家全体の. 1990 年代はこれまでの経済中心の開発アプローチを修. 効率化に貢献するという「構造機能主義」 、③伝統的知識は. 正する概念や理論が打ち出された。UNDP(国連開発計画). 科学的に有効と検証されない限り一般的には近代化の妨げ. は教育、健康、所得、雇用に対する人々の機会を拡大し、. となるとされ、優れた科学技術を有する先進国の知識が近. 健康的な物理的環境から経済的政治的自由に至るすべての. 代化促進の鍵となると考える「科学技術への信仰」の3つ. 範囲において人々の選択の幅を広げる「人間開発アプロー. が挙げられる[鈴木 2001]。この「近代化論」を理論的基. チ」を打ち出し、教育は人間開発指数を構成する要素の一. 盤として、教育による人的資質の向上が経済成長をもたら. つとされ、人間開発の本質とされた。また、西欧式近代化. すという「人的資本論」が確立された。教育への投資とそ. 論の開発途上国への直輸入に対する批判と非西欧社会にお. の結果得られる利益を比較する「収益率」の分析を行うこ. ける独自の価値伝統の再評価を掲げる「内発的発展論」も. の「人的資本論」に基づき、教育への援助は主に近代化を. この時期に注目されるようになり、内発的発展を目指す教. 推進する指導者となり得るエリートや専門的技術、知識、. 育は、市民の声を反映させ、人間的な教育を地域住民主体. 技能を持つ人材を育成することを目的とする高等教育へ向. でつくりあげていく契機となることが求められている。 現在ほとんどの開発途上国において「万人のための教育」. けられた。 1970 年代に入ると、経済成長の成果が自動的には平等に. が最重要課題のひとつとなっており、基本的人権として「基. 分配されず貧富の格差が拡大し続けていることが明らかと. 礎教育」をすべての子ども、青年、成人に提供することを. なり、これまでの開発理論への批判がなされるようになっ. 目指している。 「基礎教育」の中でも特に国連機関が重視し. た。一家族の私的消費のために最低限必要な食料、住居、. ているのは初等教育へのアクセスの改善と、初等教育の質. 衣服や、飲料水、衛生、公共輸送、保健、教育・文化設備. の向上(教員の授業計画や教室の備品の整備にとどまらず、. といった社会によって提供される基本的サービス( 「ベーシ. ジェンダーの平等、公正、保健や栄養、親やコミュニティ. ック・ヒューマン・ニーズ」[西川 1997])の充足がうた. ーの参加、教育システムの管理をも含む[ユニセフ 1999]). われ、教育は人間が受けるべき基本的要素と捉えられ始め. である。青年や成人を対象としたノンフォーマル教育も「基. た。また、世界規模での資本主義体制は開発途上国を取り. 礎教育」に含まれるが、 「万人のための教育」世界会議で目. 込み、先進国の援助なしには国家が成り立たないという「衛. 標の一つであった、2000 年までに初等教育を普及させるこ. 星」―「中枢」関係がつくられ、 「衛星諸国」は経済発展の. とへの取り組みが優先して行われたため、ノンフォーマル. 余剰を「中枢諸国」に搾取されるという、開発途上国の低. 教育への取り組みは十分に行われていないのが現状である。. 開発を生む構造を解明した「従属論」が「近代化論」に異. このように現在の教育開発は初等教育の普及を中心に行. 議を唱えるものとして登場し、開発途上国における固有の. われているが、本研究で現地調査を行ったネパールの教育. 事情や文化を反映させた開発モデルの必要性を認知させる. 開発はどのように行われ、またどのような問題が生じてい. ことを促した。. るのだろうか。. 1980 年代は第二次オイルショック(1978 年)に端を発 〈第 2 章〉. する累積債務危機が各国を襲い、これに対処するための. ネパールは 1742 年にゴルカ王国によって全国統一がな. IMF(国際通貨基金) 、世界銀行を中心としたマクロ経済運 営の論理が開発の唯一の枠組みとして多くの国に適用され、. された。 その後政権は1846 年から1951 年までラナ家 (1846. 1970 年代の「近代化論」に代わる開発モデルへの模索は影. 年当時軍部大臣であったジャンガ・バハトゥルの一族)が. を潜めてしまった。IMF と世界銀行が開発途上国に融資を. 握り、1951 年の王政復古により政党政治が始まり、政権は. 2.

(3) ・Sさん(女子、15 歳、両親の職業:農業). 各政党と国王の双方が握るようになった。1960 年には現国 王の祖父にあたるマヘンドラ国王がクーデターを起こし、. Sさんは 5 歳のときにA小学校とは別の公立学校の. 国王が最高権限を握って県、郡、市町村の各レベルでの評. Nursery(日本の幼稚園に相当する)クラスに入学したが、. 議機関を通して全国を統治する「パンチャーヤット体制」. 一年と経たないうちに勉強するのがいやになり辞めてしま. を築いた。1990 年に民主化が実現し政党政治が復活したが、. った。その後三年間学校に行っていなかったが、8 歳の時再. 2001 年にビレンドラ前国王が射殺されてからはギャネン. び同じ学校の 1 年生として入学した。3 年生のときに進級. ドラ現国王が権限を強化しようとする動きを見せ、現在に. 試験に落第したため 5 年生になるまで 6 年かかったが、5. 至るまで政権の不安定な状況が続いている。. 年生のとき(当時 13 歳)Sさんの父親と教師が学費のこと. ネパールにおいて学校教育制度が本格的に整備され始め. でもめ、5 年生を修了することなく辞めてしまった。その後. たのはラナ専制政治時代が終わり、王政復古のもとで近代. 二年間学校に行っていなかったが、15 歳になってA小学校. 国家としての国づくりが始まった 1951 年とされる。政府と. の 5 年生として編入した。. 諸外国の援助は近代国家形成の基盤をつくるものとして教. ・Tさん(女子、14 歳、父親の職業:荷運び). 育に力を注ぎ、学校の開校が相次いだ。王政復古後 20 年間. Tさんは 7 歳の時にA小学校とは別の公立学校の 1 年生. の学校教育の拡大は著しかったが、その一方で訓練を受け. として入学し、6 年生(日本の中学 1 年生に相当する)ま. た教師が少なく教材や教育内容が乏しいこと、職業教育が. での 6 年間その学校で勉強した。しかし 6 年生のときに家. 不足していたこと、初等中等教育に比べて大学教育が過度. 計の担い手の一人である兄が警察に逮捕され、学費が払え. に肥大していたことなどの問題が生じた。. なくなって中退した。その後二年間は学校に行っていなか ったが、14 歳になってA小学校の 5 年生として編入した。. 以上のような問題を解決するために新教育計画(NESP) が 1971 年から実施され、教育制度の複線化や職業教育の導. 6 年生まで進学していたのに 5 年生に編入したのは、2 年間. 入などの措置がとられたが、職業教育を受けても卒業後の. 勉強をしていなかったので 5 年生ぐらいから勉強をやり直. 雇用の機会が少なかったことにより計画倒れになった。. した方がいいということと、 5 年生の初等教育段階ならば学. 1974 年の戴冠式でビレンドラ国王は初等教育無償化宣言. 費が安くて済むと彼女の父親が考えていたからである。. を行い、1977 年から小学校の授業料が無償化され、翌年に. 学校で伝達される文化(知識、信念、芸術、法律、慣習. は教科書も無償化された。このことは初等教育重視の教育. 行動の総体であり、当該社会に特徴的な生活、思考、行動. 政策への転換を促し、1980 年代にはベーシック・ヒューマ. の様式であり、社会の統合、秩序、存続の基盤となり、当. ン・ニーズの開発戦略に合致する国際機関の援助プロジェ. 該社会の成員としてのアイデンティティの基盤となるもの. クトが盛んになっていった。1990 年の「万人のための教育」. [藤田 1993])は多様な文化の中から選択され、一定の原. 世界会議を受けて、ネパール政府の国家計画委員会(NPC). 理に従って編成されたものであるが、その選択、編成され. による第9次 5 ヵ年計画(1997∼2002 年)や BPEP(基. た文化は学校で教えられることにより特別の価値と正当性. 礎初等教育計画)では初等教育の普及を目指した政策がと. を与えられ、子ども達が習得すべき価値ある文化であると. られている。. 見なされる。すなわち学校教育を受けることが正しい価値. 初等教育の総就学率は 1999 年では 122%であり、小学校. を身につけること、受けないことが正しい価値を身につけ. の数は 2000 年では 25927 校にのぼる。しかし 2001 年の初. ないことであると人々に思わせてしまう。しかしA小学校. 等教育における留年率は 24%、1999 年の小学校最終学年. の児童達は勉強がいやになったり学費が払えなくなったり. (5 年生)までの児童の残存率は 44%であり、第 9 次 5 ヵ. すると中退し、その後学習意欲が高まったり学費が払える. 年計画における初等教育の改善すべき「問題」として、留. ようになったりするとまた学校に行き始めるというという. 年、中退率の高さが挙げられている。. 行動や、すでに修了した学年の勉強をやり直すという行動. このように子ども達の留年、中退はネパール政府や国際. をとってきたことが分かる。このことから彼女達は留年や. 援助機関からは改善すべき「問題」として認識されている. 中退をすることに対してそれほど劣等感を感じておらず、. が、地域住民にとって子ども達が留年、中退することはど. 留年や中退を比較的柔軟に繰り返すことによって家庭の経. のように捉えられているのだろうか。. 済状況や児童の学習意欲や学習達成度に合わせた学校教育 の受け方をしているという見方もできるのではないかと考. 〈第 3 章〉. える。. A小学校の 5 年生 2 人の就学履歴に関する事例を以下に. また、 「なぜ子どもを学校に行かせるのか」というインタ ビューに対して児童の親達は「学校へ行かせることで子ど. 示す。. 3.

(4) もが将来いい仕事に就けるかもしれない」と答えた。南. 本研究の現地調査はネパールの一地域にある一つの公立. [1997]によると、ネパールの人々はA小学校児童の親たち. 小学校において行われたものであり、開発途上国全体に対. が就いているような農業や荷運びといった仕事を「カーム」. してはもちろん一般化することはできなし、ネパールの民. (人間が生きていくために行う仕事)と呼び、学歴をつけ. 族やカースト、社会階層やそれに基づく慣習などと人々の. ることで就くことができるデスクワークの仕事は「カーム」. 学校教育の受容との関連についてはほとんど言及しなかっ. と見なさず、 「カーム」は人間が生きていくために必要だが. たため、ネパール全体に対しても一般化することはできな. 「カーム」をしなくても生きていけるならばそれに越した. い。しかし、国際援助機関や開発途上国政府あるいは援助. ことはないという認識を持っている。彼らは学校教育を「カ. を行う先進諸国が学校教育を普及させる際に「問題」と見. ーム」と見なされない仕事に就くための手段として、すな. なしている現象が、実際に学校教育にアクセス可能となっ. わち社会的地位の上昇の手段として捉えているといえる。. た地域の住民による学校教育に対するローカルな受容の仕. このような親達の、社会的地位の上昇の手段としての学. 方として現れており、それが開発途上国における学校教育. 校教育の捉え方は、首都カトマンズ近郊に位置するティミ. の受容の一つのあり方となる可能性を示すことはできたの. が、学卒者の失業が増大し「学歴インフレ」が生じている. ではないかと考える。これからの課題としては、先述した. カトマンズの影響を受け、学歴社会が浸透しつつあること. ようなネパールの特異性が人々の学校教育の受容にどのよ. に起因すると考えられる。しかしその一方で子ども達は比. うな影響を与えるのかについての研究を進めていきたい。. 較的柔軟に留年、中退を繰り返していることから、A小学 校の児童や親たちは留年や中退をそれほど「問題」視して. 〈主要参考・引用文献〉. はおらず、少なくとも、決まった年齢どおりに進級できな. ・ Acbarya Usba D.. 2002. Primary Education in. かったり、学校へ行かなかったりすることに劣等感を持た. Nepal Policy,probrems and Prospects. なければならないような「学校化」された雰囲気の中には. BOOKS ・ CENTRAL BUREAU OF STATISTICS. ないことをうかがわせる。学歴社会も「学校化」も近代化. EKTA 2002. STATISTICAL POCHET BOOK NEPAL. の産物であるが、ティミにおいては近代化が進行しつつも、 人々が必ずしも留年、中退を「問題」であると認識してい. ・ ドーア,R.P./松井弘道訳、1978『学歴社会 新し. ないことがA小学校を人々が利用しやすい教育の場にして. い文明病』 、岩波書店. いると考えられる。. ・ 江原裕美、2001「開発と教育の歴史と課題 ―アメリカ 「教育開発」の足跡をめぐって」 、江原裕美編『開発と. 〈終章〉. 教育―国際協力と子ども達の未来』 、新評論. 開発途上国において国際援助機関や政府による開発がな. ・ 藤田英典、1993「学校文化の接近」 、木原孝博・他編著. される時、開発の基盤となる理念や理論が必要となる。そ. 『学校文化の社会学』 、福村出版. の理念や理論どおりに開発が進行しないと、その要因が「問. ・ 畠博之、2002「ネパールの教育開発の課題 ―カースト. 題」として見なされてしまう。しかしその「問題」は開発. /エスニック・マイノリティ・グループの教育問題を. が進められたことに対する地域の人々の主体的な反応とし. 中心に」 『アジア教育研究報告 第 3 号』 、京都大学大. ての現象であると捉えることができるのではないか。開発. 学院教育学研究科比較教育学研究室. 途上国において学校教育を普及させるという試みに対して、. ・ 石井溥編、1986『もっと知りたいネパール』 、弘文堂. 学校教育を受ける機会を得ることができるようになった子. ・ 河野佐恵子、2002「途上国をめぐる教育開発理論の展. ども達やその親達が、必ずしも学校教育を国際援助機関や. 開」 『九州大学大学院教育学コース院生論文集 飛梅論. 政府の理念どおりに受容するとは限らない。そしてその受. 集 第 2 号』. 容の仕方がたとえ国際援助機関や政府にとって「問題」で. ・ 南真木人、1997「開発一元論と文化相対主義 ―ネパー. あるように見えても、地域の住民にとっては提供された学. ルの近代化をめぐって」 『民族学研究 第 62 巻 2 号』. 校教育をその地域に即した方法で受容しようとしているに. ・ 西川潤、1997『社会開発 ―経済成長から人間中心型開. 過ぎず、そのように「問題」であると見なされる学校教育. 発へ』 、有斐閣. の受容の仕方も「子ども達が学校教育を受ける機会を得る. ・ 鈴木紀、2001「経済開発と社会開発」 、菊地京子編『開. ようになった」という意味においては国際援助機関や政府. 発学を学ぶ人のために』 、世界思想社 ・ ユニセフ、1998『1999 年 世界子供白書』 、財団法人. の理念から大きく外れたものではないと考えることは可能. 日本ユニセフ協会. なのではないだろうか。. 4.

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参照

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