関 根 孝
*ケーススタディと理論構築
はじめに ケーススタディは単なるエピソードに終わるのか, それとも理論構築に結実していくのだろうか。こうし た疑問,そしてケーススタディの研究意義について, アイゼンハートら(Eisenhardt and Graebner)[2007] とザイタムルら(Zeithaml, Jaworski, Kohli, Tuli, Ula-ga, and Zaltman)[2020]のふたつの論文を順に紹介 をしながら検討しよう。 まずは,アイゼンハートらの「ケースからの理論構 築―機会と挑戦」は,ケーススタディからの理論構築 を論じた研究で,彼女らの見解を5つのポイントにま とめた。そこでは,本文で紹介されている文献の原典 に当たり,また必要に応じて他の文献により補強を 行っている。次いで,わが国のケーススタディの大き な研究成果のひとつである矢作敏行のコンビニエン ス・ストアのイノベーション・モデルを取りあげ,5 つのポイントから検討を行う。 第3に,本研究で主に対象とするもう一つのザイタ ムルら[2020]の,「マーケティング理論構築するセ オリー・インユース(Theory-In-Use, TIU)」の論 文を取りあげ,TIUとは何か,また彼女らの言う3 つの帰納的方法(TIU,ケーススタディ,エスノグ ラフィー)の関係性について,本論中で紹介されてい る模範的研究を参照しながら考察する。ここでは,最 近注目を浴びているエスノグラフィーに着目する。第 4に,ケーススタディから理論構築をする,あるいは セオリー・インユースと言う場合の「理論」はどうい うレベルで捉えるべきなのか。抽象度の高い研究者が 構築した理論と,実践的な,そして実践者自身にしっ くりくる持論,実際に使用に耐えるセオリーはどう関 連するのかを1),マートン[1948]の中範囲の理論な どを中心に検討をする。 終わりに,ケーススタディの魅力と今後の研究課題 を示したい。 1 ケーススタディからの理論構築のケースを取りあげ,詳しく調査・研究し,問題の所 在・原因等を発見・究明しようとする方法で,帰納的 アプローチのひとつである。帰納的とは個々の具体的 事実から一般的な命題ないし法則を導き出すこと,ま た特殊から普遍を導き出すことであり(広辞苑),こ この文脈ではケーススタディから具体的事実をくみ取 り,理論構築を志向することを意味する。ケーススタ ディにおける研究の目的は,仮説を検証することでは なく理論構築にある,としている。 彼女らによれば,ケーススタディが適切なアプロー チとして人気がある大きな理由は,ゆたかな定性的証 拠から研究の主流である演繹的研究(deductive re-search)への橋渡しができることにある。帰納的研究 (inductive research)のひとつであるケーススタディ は,構成概念,手段,検証可能な理論的提言の進展を 重視するので,演繹的研究における検証可能な理論を 強調することと共通性をもつ。実際,ケーススタディ などのデータを分析して新理論を構築するのが帰納的 理論で,一方,理論仮説のデータを用いて検証, チェックしてそのサイクルを完成させるのが演繹的理 論であり,帰納的ロジックと演繹的ロジックは表裏一 体の関係にある。さらに,ケース研究は,ゆたかな実 証データに深く根差した理論の構築を行うアプローチ なので,正確で,興味深く,検証可能な理論を生み出 す可能性がある。従って,それは学問において中心的 位置を占める演繹的研究にとり,必要性の高い補完的 研究方法と言える3)。 論理的思考法としては,アイゼンハートらが取りあ げる帰納法と演繹法の他にもう一つのアプローチ,仮 説的推論法(アブダクション)がある。帰納法とアブ ダクションは,演繹法における必然性ではなく蓋然性 の論理であることでは共通するが,帰納法が個々の事 実から共通する法則や原理を導くのに対し,アブダク ションは事実が先にあり,その事実を理解するために 仮説を用いて理論を構築する点で異なる。また帰納法 と演繹法が推論プロセスで論理的思考を重視するのに 対し,アブダクションは研究者の感性やアイディアが 大きな役割を果たす。かつてペガサスクラブを設立 し,日本のチェーンストアの育成と指導に生涯をささ げた渥美俊一が採った方法論のひとつは仮説的推論法 であった。彼は「若い頃,新聞社で解説報道記者で あったが,精力的に現場を歩き回り,人の話に耳を傾 けた,その取材の中からアブダクションで複雑な現実 を切り取った」と評価されている4)。
ようである13)。すなわち人は,自分の表情や仕草など をコントールして,他人に好印象をもってもらおうと す る 行 動 を と る 傾 向 が あ る 。 ア イ ゼ ン ハ ー ト ら [2007]は,こうした考えを言語による行動も含め広 義に捉えて印象管理とし,ヒアリングなどで得られた データには脚色されたコンテンツが含まれるので,取 り扱いに注意を喚起している。 一 方 , 社 会 心 理 学 者 の ミ シ ガ ン 大 学 の ワ イ ク (Weick)[2000]は,組織にとり重要なのはセンス メーキングであり,それは正確性よりも説得力のある 魅力的なストーリー性をもたせて組織のメンバーやス テークホルダーを納得させることであると言う。セン スメーキングとは「意味づけ」と訳されるが,「納得」 を生み出すために行う循環プロセスであり,想定外の 出来事や不確実性の高い事象に対して,もっともらし い解釈や補足を付け加えることにより,組織やチーム にとって最も望ましい結果を手に入れることが可能と なる。センスメーキングのプロセスには,次のような 特徴をもつ14)。 ① 組織と自分の底流には,アイデンティティが社 会的相互接触により構築されている。 ② 意味の解釈は,行為がなされた後に回顧的にな される。経営の意思決定は,選択の行為と言う より,解釈の行為である。 ③ 環境はわれわれと無関係に存在するのではな く,組織と自分が理解可能なように環境を創出 する。この環境に行動が制約される。 ④ 組織はセンスメーキングの行為により社会的認 知を求めようとする。 ⑤ 意味形成は,特定の状況で絶えず継続的に再定 義される。 ⑥ 組織にとっての環境が創出されるのは,他と相 互接触する社会的脈絡の中で,謎(疑問),目 印や合図があり,そこに注意が向かうからであ る。 ⑦ 正確さよりも納得性を重視する。 こうしたストーリー性の重要性は,ブランドでも論 じられている。ブランド論の大家であるアーカー (Aaker[2019])は,ストーリーとは,現実または架 空の出来事や経験の含意をひとつの流れにまとめたも のであり,ブランド・マーケティングでは,ブラン ド・ビジョン,顧客との関係,組織の価値観や事業戦 略などを明確化するメッセージを伝える,あるいは支 える物語,すなわち「シグネチャーストーリー」の重 要性を指摘している。それは興味をかき立て,人を引 き込み,真実味を感じさせ,そして長期にわたってブ ランドに知名度と活力をもたらし,従業員や顧客を説 得し刺激を与えるものである15)。また,矢作敏行 [2011]は,主にケーススタディによる研究成果であ る『日本の優秀小売企業底力』において,日本の優秀 小売業はそれぞれ独自の組織能力を有しており,それ が競争上の強さになっていることを明らかにした。そ の序章で,それぞれのケースを「ナラティブ(物語) スタイルで各社の創業から現在に至る軌跡を再現する アプローチを採用した」とし,ケーススタディのス トーリー性の重要性を指摘している16)。 第4に,ケーススタディにおける理論構築は,グ 「グラウンデッド・セオリー・アプローチ」(GTA)について ◇定性的データを扱う質的研究法として,欧米ではGTA,エスノグラフィー,現象学があげられる が,日本ではKJ法や内容分析などが利用される。GTAにおける「理論」は,概念同士の関係を文章 であらわしたストーリーライン(物語の流れ)であることから,GTAはデータから概念を抽出し,概 念同士を関連づけようとする方法である。この研究方法は,社会学者のグラッサー(Glaser)とストラウ ス(Strauss)によって提唱されたが,主に医学(看護学)およびその関連分野で多く利用されてきてい る。データ収集は複数方法が推奨され,通常はインタビュー法と観察法を併用することが多いが,文 書,日記,手紙,メール,新聞,歴史的記録,カルテ,ビデオ,映画など,その現象に関わる様々な データも分析の対象にし,現象を多角的に捉えようとする。(戈木クレイグヒル 滋子[2014])。
チーム(管理職)が企業内,市場,競争相手につき, メンタルモデルを変革することができるかどうかにか かっている」と述べている26)。 第3に,TIUは特に,マーケティングに関連する 問題に固有の理論,換言すればラスト(Rust)[2006] が言うオーガニック理論ないし生え抜きの(home-grown)理論を創造する自然なアプローチである。 Journal of Marketing(JM)の編集長だったコーリ (Kohli)[2009]は「編集者より」のなかで,同誌が 発刊以来70年以上経ち学問としてのマーケティングと ともにJMも変化に晒され,過渡期にある。たとえば 最近投稿される論文をみると,心理学に依拠しない マーケティング固有の行動論や,経済学には必ずしも 関係しないマーケティングに有効な数式モデルで,理 論開発を行った論文が投稿されるようになっている, と述べている。同様に,コーリの3年前にJMの編集 長だったラスト(Rust[2006])も,同じような立場 から「マーケティングに固有かつ一般化可能な解決す べき問題(problem)や議論すべき問題(issue)を ベースに開発された生え抜きの理論を,もっと受け入 れなければならない」としている27)。 ザイタムルらによれば,オーガニック・マーケティ ング理論とは,経済学や心理学などの他分野から借用 するのではなく,主にマーケティングの文脈に根ざし た中心的な構成要素による理論構築を意味する。この 点に関し,TIUアプローチは,マーケティング理論 にオーガニックなアプローチとして貢献し,これまで サービス品質,市場志向,経験的消費,顧客ソルー ション,ハイブリッドな提供物のような概念を創出し てきた。従ってこの方法は,マーケティング文脈にお いて実務家や消費者の経験と知識を利用するので, マーケティング現象の先行条件や結果など実際のマー ケティング世界を反映する重要な構成要素を識別し, 確定するのに特に有効であると評価している28)。 こうしたTIUが有効な事例として,サービス品質 (Parasuraman, Zeithaml, and Berry [1985]を参照)
ネージャー,消費者,政策形成者の行動を規定する 「考え方」であり,新しいアイディア,慣習にとらわ れない思考,働き方についての素晴らしい情報源とな る。また,TIUはケーススタディやエスノグラ フィーとともに帰納法のひとつであり,これらは必要 に応じて適宜併用されると言う関係にある。 第3に,ストーリー性をもつケーススタディは,矢 作の研究を見るまでもなく魅力的な研究方法と言え る。本論文では,ケーススタディがTIUやエスノグ ラフィーなどで補強することにより理論構築を可能に することができることを明らかにした。ただし理論の レベルとその動態は絶えず考慮しなければならない。 それからもうひとつ問題は,ケーススタディの限界で ある。田村正紀[2015]は,実例研究には次の欠陥が あると指摘する43)。 1 分析焦点が多面的で焦点が定まっていない。 2 結果や原因条件がその事例特有のコンテクストで 語られる。普通名詞の理論概念ではなく,そのコ ンテクストを離れるとそれ自体意味を持たない固 有名詞で語られる。 3 事例記述を支える理論的な因果図式(モデル)は ない。 筆者に課せられた今後の研究課題は,こうしたアプ ローチとしての限界を念頭におきながら,魅力的で再 現性の高いケーススタディを創りあげることである。 「本稿は,法政大学地域商業研究会(代表 矢作敏行 同大学名 誉教授)での報告・討論に基づいている」。 注 1)金井壽宏[2018]。 2)サル他[2017]212頁(監訳者のことば)。 3)Eisenhardt et al.[2007]p.25-26. 4)矢作敏行[2010](まえがき)。 5)サル/アイゼンハート「2017」89頁。 6)高橋伸夫[2019]220頁。 7)Eisenhardt et al.[2007]p.27. 8)イン[1996]54-55頁。 9)Eisenhardt et al.[2007]p.25. 10)イン[2005]第2章。 11)田村正紀[2011]79-88頁。 12)Eisenhardt et al.[2007]p.28. 13)Snyder[1974]p.526. 14)金井壽宏[1999]129-133頁。 15)アーカー[2019]14-16頁。 16)矢作敏行[2011]32頁,349頁。 17)Homburg et al.[2020]Abstract. 18)戈木クレイグヒル 滋子[2014]33頁。 19)Eisenhardt et al.[2007]p.29. 20)Ibidem, p.26. 21)鈴木俊文[2007]239頁。 22)似鳥昭雄[2020]32頁。
23)Argyris and Schon[1974]pp.4-5. 24)Ibidem, p.200. 25)金井壽宏[2018]。 26)センゲ・ピーター[1995]9-17頁。 27)Rust[2006]pp.1-2. 28)Zeithaml et al.[2020]p.33. 29)Kohli et al.[1990]p.6. 30)Ibidem, pp.7-9. 31)Zeithaml et al.[2020]pp.35-36. 32)Chase et al.[2019]p.2. 33)Gebhardt et al.[2006]pp.39-40. 34)Gollnhofer et al.[2019]p.10. 35)Zeithaml et al.[2020]p.34. 36)Ibidem, p.48-49. 37)マートン[1969]4頁。 38)同上書,13頁。 39)ポパー[1971]103-107頁。 40)同上書,404頁(訳者(森 博)あとがき)。 41)サミュエルソン[1981]7頁 42)バナジー他[2020]18頁。 43)田村正紀[2015]7-11頁。 参考文献 アーカー,デービッド[2019]『ストーリーで伝えるブランド ―シグネチャーストーリーが人々を惹きつける』(Aker, David[2018]Strategic Messaging that Persuades, Energizes and Inspires, 阿久津 聡訳)ダイヤモンド。
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