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私の学力評価論

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私の学力評価論

一教育における能力主義とはなにか一

小 沢 有 作

 学校で教える勉強は,必ず,生徒のでき具合(学力)を調べ,評価します。

学力と評価は,さながら車の両輪のような関係にあります。教師はもとより,

ほとんどの人が,評価をしない学校教育なんて,今の世にありえない,と信じ ています。

 ここでは,このような大前提の当否を議論することから入ることは止めて,

学校で今ひろく行なわれている学力評価のやりかたに目を向け,その実際を見 考えていくことから始めます。というのも,実際には,学力評価制度が,生徒 の学力を測り,点数化し,もってこれを階層化・序列化することをとおして,

学校における業績を示し、能力主義を顕在化する第一の装置になっているから です。また,そうすることによって,生徒を苦しめる制度になっているからで

す。

 学校における能力主義の問題を,高度成長期における産業界のハイタレント の要請,それに応える教育政策の展開に求める見かたも大事ですが,そのさい,

内部からそれを支える装置が既存し,活動してきていることを忘れてはならな いでしょう。文部省制定の学力構造および評価方法の2つが学校における能力 主義の実在形態にほかなりません。

 後者についていえば,ハイタレントは5パーセントいればよいと産業界が言 い始めたとき,学力評価の世界では,すでに,5をつけるのは7パーセントで

よいと定めていたものです。競争的・序列的な学力評価制度,わけても,5段

階相対評価法・その基をなす点数制こそ学校における能力主義の一方の原基で

あり,それを介して,ひろく社会の能力主義を支えているように思うのです。

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(1)学力評価制度を見なおす

1 学力評価制度の現在一学力の点数化と成績の5段階化   ①学力評価システム

    ーテスト・指導要録・通信簿一

 日本の学校では,一般に,教師が,まず,教科(目)別に,教えた教科書の 知識をテストし,生徒一人ひとりのでき具合を調べて,点数をつけます。つぎ

に,テストの点数をもとに,学年や学級ごとに,教科(目)それぞれについて,

生徒の成績を5段階に分け,指導要録に記入します。指導要録が「指導及び外 部に対する証明」に用いる評価の「原簿」です。入試などに用いる内申書はこ れに基いて作成します。さらに,指導要録にそって一その通りでなくてよい一 通信簿を作成し,各家庭に渡します。

 ここで,ちょっと寄り道して,指導要録と通信簿の関係についてふれておき ましょう。通信簿は親への連絡のためのものですから,もともと公開用ですが,

指導要録は,「部外秘」ですので,非公開です。親や生徒は部外者であるとみ なされて,これを見ることができません。おかしな話です。そのうえ,公開さ        れる通信簿について,文部省は「指導要録⑳様式や記載方法等をそのまま転用 することは必ずしも適当ではない」と指導し1ています(1971年,初中局長通知)。

 指導要録と通信簿は,いわば二重帳簿になっているわけです。ですから,通 信簿だけ見ても,これがわが子,自分にたいする公的な評価の内容であるかど

うか,知ることはできません。当事者でありながら,親はわが子の,生徒は自 分の学力や行動・性格について,教師が下した公的な評価の内容を知る権利を 持っていないのです。生徒や親はちっとも「学校の主人公」ではありません。

 このように見ますと,学力評価の手順はテスト,指導要録(+内申書),通 信簿の3段階になっていることがわかります。学力評価のシステムは三層の装 置から成っているといいかえてもよいでしょう。

 制度的には,指導要録という親や生徒の目から隠されているものが,評価の

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「原簿」として,「指導及び外部に対する証明」に用いられ,評価の公的な側 面を代表するのにたいして,親や生徒の目に見える通信簿は,学校の評価の私 的な側面を伝えているにすぎません。ですから,通信簿は個人的には自分にた いする評価のおおよそを知らされる意味があっても,公的な場にはなんの役に

も立ちません。

  ②学力評価の方法

    一100点満点法と5段階相対評価法一

 学力評価について,これを評価の方法という角度から見てみますと,また別 の光景が浮かんできます。

 テストは,ふつう,100点満点の点数法で採点しています。そうなるよう に問題と解答を作っているわけです。これは,一定の基準(=問題が要求する 正答)にどのくらい近づいたか(=答えができたか)を測るものですから,い わば絶対評価の方法です。みんなが100点を取ってもかまいません。

 ところが,これをもとにして,指導要録に成績を記入する段になると,54 321の5段階評価で記入していきます。しかも,いまは,ガウス分布(別名,

正規分布,どこが正規なのだろうかと思いますが)に基いて,クラスの生徒の 成績を,5と1はそれぞれ7パーセント,4と2はそれぞれ24パーセント,3

は38パーセントに配分します。これは,普通程度を3として,これより優れた ものを5,劣る程度を1とし,その中間を4と2とするというふうに,クラス のなかで生徒の成績を比較し,5段階に階層化して,このどれかに位置づけて いく方法です。これを相対評価法といっています。

 このような相対評価法に従って記入された指導要録に基いて通信簿を作成し ます。そのさいには,指導要録そのままの転記ではなく,各学校ごとに「児童 の発達段階や学校の実情等を考慮」して,成績表記を工夫することが許されて います。54321の代わりに,よくできた,できた,がんばろうでもいいわ けです。でも,実際には,5段階相対評価(小学校1,2年生は3段階)をほ ぼそのまま転用している学校が多いようです。

 こうして見ますと,学力評価の方法として,2種類の方法が用いられている

ことがわかります。テストにおける100点満点法と,成績表記における5段階

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相対評価法です。このような2つの方法の併用は,1948年(小学校),49年(中・

高)に戦前の学籍簿を指導要録へ衣替えして以来,今日まで40年間,学力評価 の基本的なやりかたとしてつづいています。

  ③矛盾する2つの評価方法

 ですが,この2つの学力評価の方法は,原理的に対立しており,相入れぬも のです。かりに,100点満点のテストにおいてクラス全員が100点を取ったとし ても,いざ指導要録に成績をつける段になると,全員に5をつけるわけにいき

ません。生徒を54321の5段階に分け,1をつける生徒,2をつける生徒

をむりやりひねり出して,相対化(=階層化)していかねばなりません。これ は足(テストの点数)に靴(成績)を合わせるやりかたではなく,靴(5段階 相対評価)に足を合わせるやりかたです。生徒の努力にたいしてこんなむごい 仕打ちはありません。

 5段階相対評価法のもとになっている評価理論は,生徒の成績はガウス分布 に従って5段階に分布しているという理論です。これは確率論(のうちの1つ の確率論)に基いて作られた評価理論ですが,このもとをなすガウス分布がそ

もそも生徒の成績分布を表わすのに適切な理論かいなかについて,吟味する必 要があります。

 数学者の遠山啓さんは,これについて,パチンコで「玉のとおる道にあるク ギに仕かけがなければ,下に落ちる玉の数はほぼガウス分布に近くなる」こと がしられているが,これをそのまま生徒の成績分布にあてはめることは無理で あり,無茶である、と指摘しています。ガウス分布は,パチンコの玉のように,

集団の数がきわめて多数で,かつ,無作爲の状態におかれている場合にあては まる確率であって,これを,集団の数が4,50のクラスで,しかも良くなろう と努力する生徒にたいして適用することは,そもそも筋ちがいというものです。

立論の根拠も理論の対象もまったく異なっています。パチンコの玉と生徒の努 力を一緒の扱いにするな,という話になります。

 にもかかわらず,ガウス分布に基く5段階相対評価法は,戦後教育における

公的な成績評価の方法として,今なお猛威を振っています。これは,一人が3

から4へ上がれば,一人は4から3へ落ちなければなりません。だれかを蹴落

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とさなければ上位にあがれぬ仕組みになっています。そうして,最終的には,

必ず,生徒全員の成績を5段階のどれかに配分して,5グループに階層化,序 列化していきます。生徒の成績は,あたかも先天的に上下5段階に分けられる

ことが決まっているかのようです。これでは,わざわざ競争を煽り,成績差別 を作り出しているようなものです。ガウス分布という確率論は,生徒の学力評 価に適用されるなかで,競争を組織する競争理論と成績差別を作りだす差別理 論をあわせもつ評価装置に転化しています。

 このような5段階相対評価法は,人間存在の固有性と尊厳を説く憲法・教育 基本法の精神を真向うから否定する成績評価の方法であるはずです。それなの

に,われわれは,憲法・教育基本法のもとで,それを容認しつづけてきたので す。しかし,われわれがその精神の尊重を言うならば,こういう足元にあって,

しかも生徒一人ひとりの心の生き死ににかかわる問題に目を向け,これを変え ることにしつように取りくむべきでありましょう。40年間も,これに,生徒は 苦しみつづけてきました。教師も悩み,親も嘆いてきました。このあたりで,

本気になって,これをなくさねばなりません。

 以上のように,学力評価は,テストをして,その結果を点数に換算一学力の 点数化一したのち,これに基づいて,5段階に成績を階層化していく一成績の

5段階化一という,2つの操作を経て行なわれています。もし,テストによる 学力の点数化を土台にたとえるならば,指導要録における成績の5段階化はそ の上に建てられた家屋にたとえることができましょう。外からは家屋(成績)

しか見えませんが,その下には土台(テストの点数)がちゃんとあるわけです。

土台の上に,それに合わせて家屋が建てられているわけですが,絶対評価法を とる土台と相対評価法に従う家屋との間には大きなズレが生じております。

2 学力評価の近代史

 こで,評価の歴史をちょっとふり返って見ましょう。1872年の「学制」導入

のときから三十年近くの問は,テストの点数をそのまま成績としてつけていま

したが,二十世紀に入ってから,テストの点数と成績の表記を分離してつける

ようになり,今日にいたっています。いわば二重の評価システムを取るように

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なったのです。それ以来,土台(テストにおける点数制)のほうはずっと変わ らぬ方法でつづいているのに,家屋(成績表記の方法)のほうは時どきに建て 替えられてきています。

  ①点数法の導入

 さて,テストを100点満点の点数法によって採点する方法は,近代学校が成 立してくるなかで登場した学力評価法でありましょう。これは学力評価におけ る近代の幕あけを告げる方法ですが,これがいつごろ,どのようにして姿を現 してきたのか,知っている人に教えて頂きたいのです。一九世紀、イギリスの 大学の医学部で発明されたとも聞きますが、いかがなのでしょうか。

 ただ,日本では,1872年の近代学校制度の導入と一緒でした。一斉授業の方 式が導入され,学年制が採用され,そのなかで進級・進学制が実施されること と結びついて,100点満点のテストが始まりました。進学はむろんのこと,進 級させるかどうかについてもテストして決めるわけです。たとえば,時代は下

りますが,1890年当時の山梨県三恵小学校では,50点以下を落第,それ以上を 及第にしていました(唐沢富太郎『図説明治百年の児童史』)。小学校に落第制 度(=原級留めおき)がなくなるのは,ようやく1900(明治33)年の小学校令

においてです。

 進級試験は及落を決めるのみでなく,次学年に教室で座る席次まで決めまし た。もちろん,成績順に席を並べていくわけです。これが高じて,毎日,生徒 への「学術試験」を行ない,「優劣に応じて席順を定む」ような学校も出てき

ました(唐沢富太郎,前掲書)。テストの点数順に席次が決まるところから,

佐藤秀夫さんによると,「席次」という言葉が作られてきたそうですが,これ が廃止されたのは,1894(明治27)年の文部省の体育と衛生にかんする訓令に よってでした。競争の弊害として,たとえば,テストの点がわるいと,背が小 さくても後の席にまわされて,黒板がよく見えないというような状態が頻発し たことも,廃止する一つの理由になっています。

 このように,文明開化の時代は,学力評価の歴史から見ますと,100点満点 法のテストの始期であり,テスト競争が燃えさかり,点数万能の時代でありま

した。成績も100点満点法でつけられていました。学年末テストの点数=成績

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というように,評価システムも100点満点の点数法で一本化していたのです。

日本の近代学校における生徒の歴史は,こうして,テストと点数の洗礼を浴び,

わが身に競争の概念と意識を深くふかく刻印しながら,始まっていったわけで

す。

  ②テストの点数と成績表記の分離

 明治の中頃になって,さすがに,このようなテスト競争=点数法一点張りの 弊害を是正しようとする考えが強まってきました。こうした反省のなかから,

100点満点の点数法で成績を表記する方法を修正する動きが生じてきました。

テストの点数と成績(表記)を分離する発想の登場です。1891(明治24)年の小 学校教則大網は,この分離へ向けての大きな転機をもたらしたように思います。

 小学校教則大網の説明書は,評価の方法にかんして,二つの修正案を示して

います。

 一は,テストが「競争心ヲ鼓舞スル具」になっているのを改め,卒業認定に あたっても一回のテストによらず「平素ノ成績」を考慮すべきだ,と言って,

学力評価にあたってテスト万能主義から脱却する必要性を説いていることで す。「平素ノ成績」を加味すれば,成績をテストの点数で表示することに制約 が生じます。

 二は,点数法による成績表記は「細密ノ学業ノ優劣ヲ評スルニ適スル」が,

弊害もまた多いから,「成績ヲ評スルニハ成ルベク適当ナル語ヲ用ヒ」るよう 提案したことです。そのさい,「点数若クハ上中下等比較的ノ意味ヲ有スルモノ」

を使ってはならないと注意しています。傍点は,注目してよい指示だと思って,

わたしが附したものです。

 これを転機にして,成績表記にあたっては,点数法の代りに,甲乙丙という という三段階でつけるように,だんだん変わっていきました。(この下に落第 を意味する丁というランクもありましたが,ほとんど使われなかったようで す)。この分離の動きを完成させたのが,1900(明治33)年の小学校令であっ たように思います。

 小学校令では,評価の方法を「試験」制から「考査」制に変え,落第制をな

くしました。生徒の学力を見るにさいして,テスト第一・点数万能の制を改め

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て,「平素ノ行状学業」を見て評価する「考査」の制に変えました。

 実際には依然テストが学力評価の第一の方法としてつづきますが,しかし,

「考査」によるともなれば,テストの点数をそのま成績表記に移すわけにいか なくなります。成績は,テストの点数のほかに,ふだんの態度や努力など他の 要素を加味してつけなければなりません。そうなると,評価の方法として,両 者を分離せざるをえなくなります。

 そのうえ,落第制を廃止しましたから,テストの役割のうち,それで及落を 分ける役割はなくなりました。全員進級するのですから,生徒のあいだに成績 を階層化する役割が主になっていきました。事実,成績を甲乙丙に分けてつけ ても,丁(落第)をつけることはめったにありませんでした。

 また,この小学校令は施行規則で,学籍簿(今の指導要録の前身)の様式を 統一しました。これによって,成績を記入する受け皿が制度的に整えられたこ とになります。学籍簿は,はじめ,入学年月日・氏名・年令・保護者・住所・

退学年月日などを記入する,いわば生徒の戸籍簿のようなものとして,1881(明 治14)年に定められましたが,ここにいたっては,右の項目のほかに学業成績・

出欠・身体の状況などを記載するするようになり,生徒に対する評価の記録と いう性格を持つにいたりました。

 この「学業成績」の欄にどのような表記で成績を記入すべきかについては,

規定されていませんでした。ただ,当時,100点満点法による記入を排して,

甲乙丙という表記法を用いる方向に動いていましたから,ほとんどの学校がこ れで記入するようになったことは間違いありません。

 こうして,日本の学校は,20世紀に入ると同時に,テストの点数を土台にし ながらも,これと成績のつけかた(区分と表記)は別にしていくという,学力 評価の二重システムを事実上制度化するようになりました。

 こののち,このような二重システムのもとで,成績のつけかたのほうをあれ

これ変えていく歩みがつづきます。敗戦後も,成績のつけかたにガウス分布を

導入した以外は,敗戦までに作られた,これらを受けついでいるものです。成

績のつけかたの変遷を手短かにに追ってみましょう。

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  ③成績の3段階表記

 まず,成績区分とその表記法です。甲乙丙という3段階表記は,半世紀近く 用いられたのち,1938年(昭和13)年に姿を消しました。この年の学籍簿改訂

によって,操行(優良可の3段階でつける)以外の教科目を10点法でつけるこ とに替えたか6です。もっとも,この10点法による表記は,わずか3年のいの ちでした。小学校が国民学校に衣替えすると同時に,成績は優良可の3段階で 表記するように替えられました。

 甲乙丙であれ,優良可であれ,成績を3段階に区分(階層化)する方法には,

たとえば天地人,松竹梅というように,日本に伝統的な区分(階層化)意識が 投影されているように思います。こうした3段階成績評価法に,敗戦までに小 学校・国民学校に籍をおいた旧世代は,からだごとなじんできました。この点,

戦後の5段階成績評価法のなかで育って,これに馴れた新世代とは,評価の区 分意識にズレが生じていましょう。

 成績区分は,戦前から戦後,3段階から5段階へ細分化したわけですが,そ の移行への芽は,1941年の学籍簿改訂のときに出ています。優良可の3段階を,

さらに,優のうちのさらに秀れた者に秀をつけ,良を良上と良下の2つに分け てもよい,と認めています。当時,国民学校の生徒であった私は,秀には縁が ありませんでしたが,良上と良下をよくもらった記憶を残しております。

  ④相対評価法の登場

 1941年の学籍簿改訂は,もう一つの面で,戦後の評価法につながっています。

これが相対評価法を導入しているからです。

 それまでの成績評価は,決められた教授目標を基準にして,そこへの到達度 を測る,いわゆる絶対評価法を取っていましたが,この改訂では,「当該学年 相応ノ程度」を修めたのを良とし,これを標準にして,良より優れたるものを 優,良の域に達しないものを可と決めました。標準という概念を取りいれ,こ こからの距離を測るという意味では,これを相対評価法の導入と言ってよいで

しょう。

 このような相対評価法の導入という点で,1941年の学籍簿改訂は,それまで

の成績評価の方法を修正し,戦後の成績評価法に接続しています。

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 ただ,一つ違う点は,これが,天皇の下では赤子としてみな平等という論理 から,担任の生徒が標準=「国家が要求している程度」に達しているならば,

「全部に良の評価を与え」ればよい,といっているのにたいし,1948年に始まっ た小学校指導要録では,科学的なガウス分布を導入した結果,、標準=3をつけ るのは38パーセントというように,成績段階ごとに配分する生徒の割合を決め ていることです。皆に良をつけてよかったものが,戦後,科学の名のもとに5 段階に山型に配分されていくようになりました。

  ⑤文部省が評価の方法を決める

 学籍簿の学業成績の欄に記入する成績区分と評語を文部省が決めるように なったのは,1938(昭和13)年の学籍簿改訂のときからです。それまではこれ

らについての明文規定はありませんでしたから,慣習として甲乙丙をつけてき たわけです。しかし,この改訂以降,文部省が成績の区分と表記を決めるよう になりました。1941年のときも,1948年のときも,そうでした。今日でも,こ れらを決める権限は教育委員会が持っているのに,評価法の全国統一性の確保 という名目で,文部省が(初中局長通知で)決めています。この点では,1938 年以来,なにも変わっていません。

 今まで「学業成績」のことにしぼって話をすすめてきましたが,ここで,学 籍簿の様式についてふれておきましょう。学業成績欄の記載も含めて,生徒に

たいする評価の公的な記録として,学籍簿が作られ,学校に備えられているわ けです。これは,1881(明治14)年に始まり,1990(明治33)年に「学業成績」

や「身体の状況」の欄を加え,さらに1938(昭和13)年にいたって「性向概評」

を加えるとともに,成績の区分・表記法を定める,といったように,その様式 と記述のしかたを整えていくわけです。

 思えば,このように学籍簿の様式と記述をどう決めるかということが,その まま生徒の学力や人格にたいする評価の方法を決めることになっております。

では,これを決める者はだれかと言えば,ずっと文部省(初中局)でした。

1945年以降も,指導要録の様式と記載を決めてきた者は文部省です。つまり,

国家が,学籍簿や指導要録の内容を決めることをとおして,学校の生徒にたい

する評価の方法をリモートコントロールしているのです。

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 ⑥ 通信簿

 そう言えば,「通信簿ノ成績ノ記入方法ハ学籍簿二準ズルコト」と決まった のは,なんと1941年の学籍簿改訂のときでした。

 通信簿の始まりについては諸説があるようですが,ここでは,1880(明治13)

年前後から自生的に起こり,1891(明治24)年の小学教則大綱で「学校ト家庭 ト気艇(脈)ヲ通スルノ方法」として公認されてから,各地の学校で広く使用 されるようになった,とみておきます。通信簿の作成は,学籍簿のように法的 に義務づけられているものでなく,その様式も記述のしかたも,さらには発行 の有無も,各学校の裁量に委かせられていました。それは学校が生徒の評価を 私的に家庭に伝えるという性格のものでした。ただ,実際には,学籍簿に記し

た評価を転記する学校が多かったように見受けます。

 通信簿の発行が重なるうちに,いつしか,学校は通信簿を必ず出すという習 慣ができあがってしまいました。それと一緒に,なにしろ学校はオカミの学校 でしたから,通信簿は学校と家庭の連絡簿というより学校から家庭へ下附され

る通知表であるという印象(性格)も,定着するようになりました。通信簿は,

法的には学校の私的な通信であっても,これを受けとる家庭の側にとっては,

学校という公的な機関からの評価として権威を持って受け取られていました。

 1941年の規定は,通信簿は公的な評価である学籍簿に準拠して記入すると定 めることによって,通信簿を制度化し,以前からの慣習とその権威を公的に追 認する役を果たしました。

 話をちょっと先へのばしますと,敗戦後の新教育において,通信簿を(学籍 簿の衣替えである)指導要録に準拠して記入する制度は,J p止されました。法 令上は,ふたたび,以前のように,これについての規定はなくなり,文部省も 参考案を示さず,学校から家庭への(法令上は)私的な連絡簿として,各学校 の裁量に委ねられることになったわけです。学校の教育の実態に応じて創意工 夫があってしかるべきものに戻ったのです。

 ですが,慣習の力とは根強いもので,大多数の学校は,以前と変わらず,指

導要録準拠の通信簿を作成しつづてきました。ガウス分布に基いて指導要録に

記入した5段階相対評価をそのまま通信簿に転記するわけです。

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 そうして20年を経過したのち,1969年にテレビのモーニングショウでガウス 分布に基く通信簿記入が問題とされ,これにたいして,文部省は,前まえから 準拠しなくてもいいと言っているのにと言いながら,あらためて,1971年に2 頁に紹介したような通知を流した次第です。今,思えば,この時の論議が指導 要録の様式と記載方法(ガウス分布方式など)の問題にまで踏みこまなかった のは,まことに残念です。

  ⑦ 内申書

 こんにち,受験時における評価の装置として欠かせないのは内申書ですが,

それが初めて登場したのは1927(昭和2)年のことでした。

 中等学校への進学希望者がふえ,受験競争が激しくなりました。入試は学科 テストー本槍でしたから,受験勉強もそれに合わせて強まりました。文部省は,

受験勉強の弊害をなくすため,思いきって学科テストを全廃して,代りに,新 しい選抜方法とした,小学校長の内申書,人物考査(=口頭試問)および身体 検査の3つを併用することに決めました。内申書には,最終二学年の学業成績,

特性などを記載するのみならず,「上級学校進学二関スル志望ノ確否,性能ノ 適否」などについても記入するようにしました。これが内申書の始まりです。

 新しい選抜方法は翌28年から実施されましたが,たとえば,口頭試問の代り に口問筆答の方法を取る中等学校が生じ,増え,また,内申書の記載は不確実 で選抜に役に立たないとする中等学校側の意見が起こり,早くも3年後には,

旧来の学科テストが復活してしまいました。

 このとき以来,学科テスト中心の弊害が深まると,内申書尊重へ動く,とい う揺れが,くり返されるようになりました。

  ⑧評価制度におれる戦前と戦後

 以上のように見てきますと,評価制度の構造は1945年までにできあがり,戦 後教育における評価制度はそれを受けついでいることがわかります。整理して

みますと,

 まず,テストの点数と成績のつけかた(区分と表記)を分離して,二重の評 価システムを作りました。

 つぎに,成績のつけかたを甲乙丙(国民学校時代は優良可)の3段階とし,

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絶対評価を取るようになりました。そして,国民学校時代になって,5段階区 分と相対評価の考えかたが生じてきました。

 また,学籍簿,内申書,通信簿といった評価の様式が姿を整え,テスト・学 籍簿(内申書)・通知簿というふうに,評価の三層の装置が定型化するにいた

りました。

 さらに,これらを決定してきた者はつねに文部省でした。評価制度も,国家 制度としての学校制度(=日本型公教育)の一環として,国家が決めることの

うちにありました。

 このように形造られた構造をもとに,戦後教育の評価制度が発足したわけで す。学籍簿が指導要録に,学業成績が学習の記録に名称を変更したように,衣 替えは行なわれましたが,構造に大きな変化はありませんでした。いくつか目

につく修正をあげてみますと,

 第一に,指導要録が指導上の「原簿」とされました。以前も事実上原簿の役 を果していましたが,法令上に明記されたのは1948年が初めてです。1955年の 指導要録改訂のときには,さらに「外部に対する証明」の原簿ともされるとと

もに,その原本の20年間の保存が決められています。戦後になってからのほう が指導要録の公的な規制力は強まってきたわけです。

 第二に,成績のつけかたが5段階相対評価に移りました。そのさい,同時に,

ガウス分布方式を取り入れ,成績表記も漢字から数字に替えました。確率論に 基く数量化の方法の導入で,一見科学的に見えるものですが,これが生徒にとっ

てひとつも科学的でないのは,前に記したとおりです。

 第三に,高校・大学入試とのからみで発明された標準偏差値があります。こ れは,テストを受けた者の全体の平均を50として,その標準から自分の成績が

しています。高校・大学受験者が激増するなかで,合格するかどうかの目安を

つけるためには,全体のなかで自分の成績はどの辺に位置するのかを知ること

が欠かせません。こうした動機から,教え子の合否を心配した港区の中学の先

生・桑田昭三氏が発案したといわれていますが,1970年代に入って予備校が使

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いはじめたことから爆発的に広まったことは周知のとおりです。

 こうして,学力評価制度の歩みを辿ってみますと,これが整っていけばいく ほど,生徒を縛る力を強めているように思われます。ことに,ガウス分布曲線 や標準偏差値などの数量化の方法が導入されるようになってからは,全体のな かの自分の位置・序列をたえず確認させられることをとおして,生徒により強 く,お前(の成績・学力・能力)はこの程度のものといったような宿命論的な 影響を与えて,明らかにマイナスに働いています。「科学」の差別的利用です。

3 点数制を疑う一学力の虚構化

  ①学力の点数化

 学力評価制度の現状と歴史を,その問題点を取りだすしかたで,大急ぎで見 てきました。そうしましたら,また,学力評価の結果はすべて数字に換算され て表示されていることが見えてきたように思います。テストの点数から始まり,

それをもとにした成績の5段階表記であれ,あるいはもっとも今日的な換算方 式である偏差値であれ,それぞれが意図し,それを導きだす方法は異なるにし ても,最終的には,評価の結果を数字で表示している点では,共通しています。

多少シンボリックに言えば,学力点数化の方法です。

 これは,私が言うまでもなく,だれもが体験して,よく知っていることです。

そして,これこそが近代の学力評価法の中核をなしている方法だ,と思うので

す。

 そう思いますと,それでは,学校の勉強の結果(=学力)を点数に換算して 測ることができるという考えかた,つまり学力の点数化の思想は,いつごろ,

どのようにして生じたのかという疑問が起きてきます。

 もちろん,ここはそれを探索する場ではありませんので,探索を避けます。

ただ,今までにはっきりしている事実として,知識詰めこみ型近代学校の学力

評価が学力の点数化の思想と方法を中核とし,それを点数制として制度化して

いるということは,言えるように思います。近代日本の学校教育は,それにな

んの疑いを持たずに,それを自らの学力評価の思想と方法に化して,点数制の

道をひたすら歩みつづけてきているわけです。

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 本論文のはじめに学力(学校の勉強)と評価は車の両輪のようにみなされて いると記しましたが,ここまでくれば,もうすこし実態に即して,これを,学 校における知識詰めこみ型教授と学力の点数化は表裏一体の教育方法である,

といいかえたほうがよいかもしれません。

  ②点数が学力を示す。

 こうした教育方法の定着の結果,学校は生徒の学力を点数で後始末する場所 になってしまいました。それと一緒に,逆立ちした見かたが生じ,広まってき たことも,見ておかねばならないでしょう。それは,点数が生徒の学力を示し ているとみなすようになったことです。

 テストをして,点数をつけます。点数を見て,教師と生徒,親と子,あるい は生徒どおしの間で,よくがんばったとか,やっぱり力がないとかの論評をく

り広げます。あるいは,内申書の成績を見て,上級学校や企業が採用の可否や 得意・不得意の分野を知る参考にします。もっと端的には,偏差値で進学校を 決め,入試の点数で合否を決めます。点数が学力を見るものさしになっていま

す。

 点数が生徒の学力を示すという見かたが,あたかも公理であるかのように,

われわれの評価意識の中心に居座るにいたっています。そのなかで,まるで貸 幣のように,点数は一人歩きをするようになりました。どこでも,だれでも,

点数を見て,その生徒の使用価値(学力)を測るようになりました。経済の世 界が貸幣を交換手段(交換価値)にしているように,教育の世界では点数が交 換手段の役を果たすようになりました。

 そういえば,学力点数化の基盤のうえに,心理学を中心にして,人間の能力 を数量化して見ていく方法があれこれ案出されるようになりました。われわれ になじみ深いのは知能検査であり,その結果をIQ 102とかの数字で知らされ ることです。また,産業化が進展するにつれて,青年・成人にたいする能力開 発テストがさまざまに開発され,今日はその花盛りを迎えています。点数化万 能の時代であります。

 こうして,社会構造の一環に点数で人の学力・能力を測り・見る評価システ

ム=点数制が組みこまれ,人びともまた,これを是とする意識に慣れていきま

(16)

した。〈点数社会〉の成立であります。近代の能力主義社会は,点数制を土台 にして,成りたっているのです。たしかに,人の学力や能力を測り・見るのに 点数ほど便利なものさしは他にありません。これは人間評価にかんする近代最 大の発明の一つです。反面,その便利さが人間性をじわじわと腐蝕して今日に いたっているのも,もうひとつの事実です。

  ③点数の魔術一その1

 点数という便利なものさし(交換手段)を発明したことによって,いろいろ な社会的・教育的な「効用」が生まれました。その代わり,大事なものを見失 なうようになりました。便利なものほど落とし穴も大きいように思います。

 点数は,もっとも直接的には,一人ひとりの生徒のテストの結果を数字化し たものです。そうすることによって,今までは個々の生徒に内在して見えなかっ た学力の程度を外化し,見えるものに変えていったわけです。ですから,学力 は,テストをくぐるなかで,点数という抽象的な数字に物象化されていく,と いうふうにいえます。

 点数は生徒一人ひとりの学力に点数という値段をつけたようなものです。こ うなって,点数は数字の魔術を存分に発揮するようになりました。点数のおか げで,今まで較べにくかった生徒の学力を比較することができるようになりま した。その結果,学力を広場(入学や入社などの試験)に引き出して,取捨選 択ができるようになりました。比較・選別の対象になる生徒の数が多くなれば

なるほど,点数は偉力を発揮しました。広場を産業社会風に市場と言いかえる ことができます。こうして,点数は,比喩的に言えば,学力を交換可能な商品 に変えました。

 その代わり,われわれは大事なものをたくさん見失なうようになりました。

なによりも,点数からは生徒の顔(意欲や関心,人柄や生活)が見えてきませ ん。点数は生徒の人間を学力と人格に分解し,学力から人格を引き剥がしてし まいました。そうして,学力,もっと具体的には,点数化された学力のみが社 会的に通用する使用価値を持っているという見かたを広めていきました。

 人格から切りはなされた学力は,機械的・機能的な学力に変質します。点数

は,生徒個々の生活や課題と結びついて生かさるべき学力を,そうした意味で

(17)

は生徒個々のなかに内在化・主体化することによって生きる学力を,テストの 問題に答える学力に向きを変えさせ,点数として抽象化・画一化することに

よって,生徒の生活や生きかたから引きはなしてしまいます。生徒の生活や生 きかたと結びつかぬ学力は知識の機械的な暗記になり,すぐに忘れ去られてい

きます。

 点数のために身につける学力は,生徒から人間的なるものを疎外していきま す。こうした点数化をめざす学力が独走していけば,よく言われる「学校に教 育がない」状況にいたるのは,必然です。学力が人格を食っていくことになり

ます。

  ④点数の魔術一その2

 点数は,学力というもともと数値になじまぬものを数値化して,これを比較 可能・交換可能なモノに変えました。そこから,いろいろな「効用」が生じま

した。

 たとえば,点数が生徒の学力のみを抽出してこれに値段をつけ,生徒の人格 を捨象しているのは,賃金が労働者の労働力に値段をつけ,これに支携われて,

労働者の人格や思想には支携われていないことに対応しています。産業社会で は,学力が労働力に,点数が賃金に対応する装置および概念になっているよう に思うのです。

 このような対応する社会関係のもとで,生徒の学力にたいして値段をつけて いる点数が,あたかもそれがその生徒の能力の使用価値を示しているかのよう なラベル(交換価値)として通用,彼または彼女を市場に連れだし,労働力と

して商品化していく役割を果たすようになっているわけです。

 点数の「効用」は,このような経済的効用にとどまるものではありません。

生徒を操作する手段として強力な「効用」を発揮しています。学校の日常では,

むしろ,この生徒管理のほうに役立っているように思います。

 学力を点数に換算するから,生徒の成績に順位をつけ,一番から百番まで序 列化することができるのです。また,より高い点数を取って,順位をあげるよ

う,生徒に競争させることができるのです。学力を測るものさしが多元的で非

数値なるものとしてあるならば,一つの線上で学力を比較することはできませ

(18)

ん。ものさしを一元化し,かつ,それを数値化するから,学力を比較し,順番 をつけ,競争を組織できるのです。

 このハイライトの場面が入学試験でしょう。入試ともなれば,高得点順に合 格者を取り,最後には一点の差で合否が分かれます。かりに総得点千点として,

656点と655点を境にして合否が分かれたとしますと,この一点の差は両者の学 力の差を示す有効値としてはなんの意味も持っていません。

 また,かりに社会料を取った受験者2人の得点がともに200点満点のうちの 120点だったとしても,日本史を取った者と地理を取った者とでは,知識の内 容が違いますから,本来,両者の学力を較べることはできません。しかし,そ

れがいったん点数化されてしまうと,点数は異質な学力であるという壁をやす やすと飛びこえて,両者の比較を可能にします。

 考えてみれば,各教科はそれぞれに異質な学力ですから,この教科は得意,

あの教科は不得意ということはいえても,これらを足し算して一つにすること はできません。ところが,テストして,各教科の得点が出ますと,これを足し 算して,総合点はいくらというふうに一つにできるわけです。不可能を可能に する魔術をかけられているような感じになります。

 こうして,点数は,質(学力)を量(数値)に転化することによって,異質 なものを等質化・画一化し,生徒を選り分ける決め手として使われていくので

す。

 点数は,また,生徒にラベルを張るのにもっとも役立っています。点数が学 力の程度を示すと考えているから,点数の如何に応じて,あいつは勉強ができ る,できないといったラベルを安易に生徒に張ることができるのです。ここか らさらに一歩すすんで,点数が高ければ,頭がいい,低ければ,頭がわるいと いって,学力のみでなく知的能力まで表わしているかのように一般化していく わけです。

 のみならず,今日では,この見かたを無限定的に拡大して(点数=学力=知

的能力),点数を高く取る生徒は人間としても価値が高く,点数の低い生徒は

人間としてもダメであるかのように見るにいたっています。点数は学力(使用

価値)と人間的価値を分離したうえに成りたっていたものでした。なのに,点

(19)

数が人間的価値まで表示すると受けとられて,今日があります。点数を人間の 上におく意識,ここに極まれり,でありましょう。

 このような点数第一の生徒観にもっとも深く汚染されているのは,ほかなら ぬ学校の教師であるように思います。点数の高い生徒がわるさをしても,あの 子がするはずはないと感じたり,すぐに許したりしますが,同じわるさを点数 の低い子がしたりすると,やっぱりやつがやったかと諾き,厳罰を加えがちで す。学校では,点数さえ良ければ,なにをしても大目に見てくれます。点数が わるければ,なにをしても悪く解釈されます。点数次第で附加価値がプラスに

もマイナスにも大きく仇いていきます。

 点数は,以上のように,生徒の学力を比較し,序列化し,選り分ける機能を 持っています。それが生徒の人間評価や進路を左右していきます。そうなれば,

点数が生徒を縛り,支配するにいたるのは,必然です。だからこそ,学校と教 師は,せめて学力評価の側面のみに限定して利用してほしい点数を,生徒管理 の強力な手段として転用しうるのです。

  ⑤点数再考

 このように見てきますと,点数は無原則的に拡大解釈され,今や,オー一…ルマ イティの力を持つにいたったことがわかります。点数がおのれの人生を決める

という実感は,生徒の実感であるのみならず,親の実感でありましょう。

 近代社会では貸幣が富のシンボルになり,貸幣をより多く得るために仇いて いるように,近代学校の世界では点数が学力のシンボルになり,点数をより多

く得るために学ぶようになっています。イカく目的が作るよろこびから金もうけ 代ったように,学ぶ目的も知るよろこびから点数かせぎに代ってきました。学 ぶ目的が逆転してしまったようです。

 このような状況に立ちいたっているからこそ,ここで,ちょっと立ちどまっ

て,点数とはなんだろう,点数は,ほんとうに生徒の学力を表わしているので

あろうか,もっと踏みこんで言えば,学力を表わしていると見せかけているに

すぎないのではなかろうか,という問題について,考えてみることが必要であ

るように思うのです。それは,いいかえれば,点数(数字)の魔術を考えてみ

ることであります。

(20)

 そうして,点数の魔術,もっと端的にはその虚構を知って,点数の持つ意味 を相対化しておけば,点数を見るさい,肩の力を抜いて見ることができ,それ を絶対化する誤り=点数信仰から抜け出ることができるのではないでしょう か。さらにすすんで,学力の点数化という評価方法や点数制に疑いをもつよう になっていくのではないでしょうか。

  ⑥テストー学力を点数に転換する装置

 期末試験や入学試験をして,国語が75点,数学が60点,社会が65点というふ うに,点数がつけられます。点数は,教科ごとに問題にたいする答えが正答か 誤答かを調べ,○×をつけ,その結果を得点に換算することをとおして,得ら れるものです。テストの結果として出てくる数値です。そうして出てくると,

こんどは,反転して,点数に基いて,教科ごとの学力,全体の学力はどの程度 か見ていくわけです。

 テストが学力を点数に転換する装置になっています。また,そうした点数を つけた証拠としてテストの答案を持ち出し,点数が学力を表示している証しと

します。後段の操作を加えると,テストが学力Z点数という相互転換を操作す る装置になっているわけです。

 でも,先ほどらい記してきたように,学力と点数はまったく異質なものです。

置かれている次元も,仇きも異なります。

 学校ではカリキュラムとして共通化した知識を教えています。共通の知識さ え,生徒は自分の意欲・関心・生活の文脈をくぐらせて受けとって,自分のも のにしていくわけです。共通な知識をインプットしたから,共通な答えがアウ トプットされるはずだというのが,テストの思想でありますが,生徒は人間で あってコンピューターではありません。自分の思惟の文脈で取拾選択したり,

生活や感情と結びつけて深めたりしています。そうした意味では,学カー知識 のこなしかた一はつねに個別的・質的な存在形態をとっています。だからこそ,

ものの知りかたや見かたに個性が形造られていくのでありましょう。

 他方,このような性質である学力を測るものさしとして,点数が用いられて

いるわけです。点数は数を使っています。数は一つひとつの物や人の性質や特

徴を捨象して,それらを一元化して数値として抽象化していきます。日本に住

(21)

む人びとの生活や個性などは多種多様ですが,それらをすべて捨象して,日本 の人口は一億二千万というふうに括るわけです。ですから,数としての点数は,

個別・異質な学力を数値に変換して,数として抽象化・等質化してしまうイカき

をします。

 こう考えると,学力と点数(もしくは知識と数値)は異質なものであるばか りでなく,相反する方向にイカくものであるように思えてきます。論理的には,

学力(知識)は点数(数値)によって測られることになじまず,他方,点数(数 値)は学力(知識)の内容を再現することができません。学力と点数は互換不 可能の関係にあります。

 ですが,テストを媒介装置として,学力を点数に転換するという不可能を可 能にする操作が行われているわけです。しかも,それはあまりにも日常化し,

自然現象化しているために,われわれはこれに疑問すら抱かなくなっています。

でも,あらたまって見つめてみると,このような転換はどうして可能になるの か,不思議に思えてきます。われわれは魔法にかけられているかもしれんと思 えてくるのです。そう思うと,では,どのような魔法の種がしかけられている のだろうかと,疑ってみたくなります。

  ⑦テストのからくり

 テストが学力を点数に転換する装置になっているわけです。ですから,魔法 の種はテストのなかに仕かけられているはずです。私には,それが,テストの 形式として仕かけられているように思われるのです。

 テストの形式は二つの約束ごとから成りたっています。ひとつは,正答は一 つ(一つの問いに一つの正答)という約束です。そうすれば,正答と誤答を分

け,○×をつけることができます。どれも正答であれば,○×をつけられませ ん。ですから,○×がつけられように問いと答えの形式を工夫するわけです。

 もうひとつの約束は,100点満点法にして,一つの正答ごとに何点与える というふうに配点を決め,その得点を足して,テストの点数としていることで

す。

 前者があって,○×をつけることができるのですが,配点を決めているから,

○に得点を与えるというかたちで,○×の結果を点数に換算することができる

(22)

わけです。ですから,このような二段階の操作を導きだす二つの約束ごとこそ,

学力の点数化を可能にする魔法の種にあたります。

 正答は一つという前段の操作には,ともあれ,こういう知識を正答として要 求するという知識上,学力評価上の根拠があるわけです。これがはらむ問題性

については後述します。ですが,○×の結果を点数化する操作である後段の配 点にかんしては,どのような合理的な根拠があるのでしょうか。

 100点満点という約束のもとで,出題者が各問各答ごとに配点を決めていき ます。第一問の正答には15点,第2問のイ,ロ,ハ,二の正答には各2点とい うように配点するわけです。この配点方法には,合わせて100点にするという 数値上の約束ごとのほかに,どのような学力評価上・教育学上の根拠を見出し

うるでしょうか。

 配点方法の根拠をただす前に,テストで点数をつける理由を見つけておかね ばならないでしょう。私は,正直にいって,これの理由を見出しかねているの

です。

 どうしても覚えておいてほしい知識なので,テストに出して試してみたとい うならば,答案を見て,誤まった個所を明らかにして返し,復習しなさいとい えば済むことです。別に○×をつけ,点数をつける必要はありません。点数化 は,学力を評価するうえで不可欠だとは思えないのです。

 ならば,なぜ行われているのか。生徒の学力を比較し,序列化し,選別し,

競争を組織するのに,点数は便利だからです。つまついた内容がわからなくて も,点数さえわかれば,叱ったり励ましたりできますから,この点からも便利

です。

 このように教育外的な理由から点数がつけられていると思うと,テストにお ける配点方法についても,それが学力評価上,教育学上の確たる根拠に基いて 行われているとは思えません。100点満点法を取っているから,これに整合す るように各問各答ごとに配点していくという,数値上からの理由以外に見出せ ないのです。日常的には,出題者が重要と思う度合に応じて,各問への配点の 多募を決めていくのでありましょう。ですが,それは,100満点法という約束

のもとにおける配点技術の問題にすぎません。

(23)

 このように考えてみますと,そこに山があるから登るというような感じに似 て,そこに100点満点法があるから,それに従って習慣的に配点しているにす

ぎないように感じられます。

 考えてみれば,100点満点法もテストの一つの形式であり,一つの約束ごと にほかなりません。やや誇張して言えば,それは実体を虚構化する形式であり,

それじたい一つの虚構であります。なのに,長年テストの唯一の形態であるか のように扱われるなかで,それはいつのまにか理屈を超越した自然の理法のよ うに絶対化されるにいたっています。ですから,100点満点法に合理的根拠が あるのかと尋ねるほうが,いささか頭がおかしいのかもしれません。

 ともあれ,ここでは,答えという実体が,○×をつけられたのち,100点満 点法とそれに基く配点という虚構(形式)に媒介されて,一瞬のうちに,点数

という虚構(抽象)へ変身してしまう,というテストにおける仕かけを述べて,

引き下がることにしましょう。

  ⑨点数制からの解放

 以上のように,私は,点数制が学力評価の中核的な方法になっている,と思 うのです。しかも,それは,学校教育における学力評価の方法にとどまらず,

社会における能力評価の方法に広がり,近代を象徴する人間評価の代表的な方 法になっています。

 このような学力と能力の点数化のシステム=点数制を土台として,そのうえ に点数と成績の私的所有制が築かれています。学力と能力,点数と成績は自分 の所有物なのであります。この二重の制度が近代の能力主義の学校と社会を構 成する本質的な制度になっています。後者については後ほどふれますが,でも,

学力の点数化あって成績の私的所有制があるのですから,最初の出だし,点数 制を問うことが重要です。

 そこで,私は立ちどまり,思うのです。学力の点数化という評価システムを 変えることはできぬだろうか,すくとも,みんなして再検討してみることはで

きぬだろうか。そう呼びかけてみたいのです。

 そう思うと,いちど,学力評価の原点に立ちもどって,それについて議論を

交わす必要を感じます。学力の点数化は,「学力は点数に換算しうるか」とい

(24)

う本質的な疑問を解かぬまま,評価の中核的な方法になったものですから,こ の疑問について議論を交わしたいものです。また,学力の点数化は点数が学力

を表示するという意識を生みだし,流布させましたが,ここでも,「点数は学 力を表示するか」という本質的な疑問は放置されたままです。

 私は,テストが学力を点数に転換する装置になっている,といいました。転 換は,テストを介して技術的に行われていますが,それが一般化・日常化して いるあまり,上のような本質的な疑問は陰に隠されてしまったように思います。

ですが,このような疑問と向きあい,議論するなかから,テストのありかたを 含めて,学力評価の是否,あるいは学力評価の新しい方法への可能性が見えて

くるように思うのです。

 学力評価の是非・方法にかんする議論は,学校内の評価改革の議論にとど まってしまうものではありません。近代能力主義社会の本質にかかわる議論に なり,その構造改革を考える議論にいたりましょう。

 近代社会は点数制(+成績の私的所有制)の上に成りたっている能力主義社 会ですから,議論のなかで,点数制,つまり学力・能力の点数化は根本的にま ちがった評価方法であり,これは人間的価値(存在の固有性)を見損なわせる 虚構であるというふうに,皆が考えを変えるようになったとしたら,人間の学 力・能力の評価方法において最初のボタンを掛けちがえたと深く反省して,人 間評価システムを一から作り変えていく道を探っていかざるをえません。これ は人間の新しい存在様式を模索することと結びついています。

(2)テストの世界    一学力の変質一

1 わたしの疑問

 1872(明治5)年の学制導入以来,学校のテストでも,入学試験でも,学力

テストの場合はすべて,100点満点の点数法に従って採点するようになってい

ます。その100年をこえる歴史のなかで,ほとんどの人がこのような学力の点

(25)

数化を当然であると思うよ・うになり,これに疑いを抱かなくなって今日にい たっています。

 ですが,ごくごく素直な目でこれを見なおしてみると,裸の王様をそうと指 摘する子どものように,一つの疑問が浮かび上がってくるのです。ちょこちょ

こ小出しにふれてきましたが,あらためて記しますと,それは   学力は点数に換算できるか,

という疑問であります。これが,点数による学力評価法にたいする初歩的な疑 問として,私のなかにわだかまっているものです。

 このように学力の点数化にたいして疑問を持ちますと,引きつづいて,その 反面にある点数による学力表示にたいしても疑問が湧いてきます。

  点数は生徒の学力の実態、を正確に表現するか

という疑問です。評価を点数で表すと,一見客観的に見えます。しかし,はた してそうでしょうか。数字の魔術にごま化されて学力の実態を見損なっている にもかかわらず,なおかつそれを学力の実態であると思いこんでしまうまやか

し(虚構)が,起きているのではないでしょうか。

 私は,今日に支配的な学力評価法にたいして,このような二つの初歩的な疑 問を抱いています。前の疑問を解くことが後の疑問を解くことにつながってい

ますから,先に,学力は点数に換算できるかという疑問を考えるのが筋でしょ う。,この疑問を解くためには,むしろ,学力を点数に換算する,不可能と可 能にするそのやりかたを問うてみることから入っていったほうがわかりやす

い。そこで,

  学力の点数化はどのようなやりかたによって可能になるか という問いを立ててみることにしました。

 このような疑問を追いかけて,前章で,テストこそ学力を点数に換算する舞 台であるとし,その仕かけ・からくりを私なりに考えてみました。多少の復習

をまじえながら,あらためてテストとは何かについてもうすこし追求してみた

いと思います。

(26)

2 テストの形式一正答は一つという問いと答えの形式

 テストの問題を一つ実例にして,これを見ていくことにしましょう。どんな 例題でもよいのですが,手許に小学六年生の社会科問題集(教科書準拠)があ りますので,そのなかから「生活を守る政治」についての学力を問うた問題を 引いてみます。

国や地方の政治は,わたしたちの毎日の生活と深いつながりがあります。

つぎのしごとはどの場所でとりあつかっていますか。左の⑦〜②のうちか ら一つづつ選び,記号で答えなさい。

(1)住民の生命や身体の自由が他からおびやかされないように守るしごと。

 (2)一定の年令になった子どもを学校に入学させるしごと。

 (3)住所のある住民に住民票を発行するしごと。

(4)新しく家を建てた人に税金をかけるしごと。

(5)国民がいつも健康で安全な生活を送るために法律をつくるしごと。

    (1)(    ) (2)(    ) (3)(    )

    (4) (         )   (5) (         )

   i⑦銀行      ④教育委員会  ◎役場  ㊤郵便局 i    i㊥農業協同組合  ②警察署    ㊥国会  ②税務署 i

 五問全部できれば,「生活を守る政治」にかんする学力を身につけていると 判断されるわけです。しかし,だれもが,当の生徒たちさえ,テストのでき・

ふできの結果を表す点数を一過性的に気にしても,このテストによって「生活

を守る政治」にかんする知識を身につけていることを確かめたという実感を持

つことは,少ないのではないでしょうか。また,このテストの結果は,必ずし

も生徒が政治制度にたいして持っている生活のなかからの知識や意見の実態一

たとえば,うちの父ちゃん,税務署へ行くたんびに税金が高いとこぼしている

よ,といったような一を反映するものでもないように思います。ですが,今は

(27)

このような問題に立ち入ることは慎みましょう。

 このテストを見て,私が問題にしたい第一点は,正答を一つとするような問 題の作りかたをしている,ということです。答えを正か誤かの二分法で測りう るような設問のしかたをしています。これが日本の学力テストの定型になって います。マークシート方式はその最たる型でありましょう。

 このように設問にたいする正答が決められているから,答えに○×をつける ことができます。○×をつけることができるから,その結果を100点満点法に もとつく配点に従って点数に換算することができるわけです。かりに右の五つ の小問題の配点を各五点と決めれば,全部できれば二十五点,みんなまちがえ ば0点と換算されます。そして,その点数を,自動的に,各人の「学力」を表 すものと見なして,これを比較し,序列化していきます。

 これについては前章に記しましたので,これ以上の再論はやめましょう。こ こでもうすこし考えてみたい点は,正答を一つに限るような出題のしかた,受 ける側からすれば,設問にたいする正答は一つしかないこと,つまり正答は一 つという問いと答えのテスト形式がはらむ価値観の押しつけ,ともいえるよう な問題であります。正答は一つという形式は,回答者に出題者のイデオロギー を受容することを強います。それは回答者にたいする出題者のイデオロギー暴 力,もしくは象徴暴力にほかなりません。ここに,テストのもうひとつの問題 が生じてきます。

 たとえば,先の設問の(1)について,警察のしごとはそうでない,住民の自由 を犯す反面もあるのにと思って,㊥と書くのをためらったらいけません。(5)の 空欄に㊥を入れる場合も同じです。一つの制度が多面的な,時には相矛盾する 性格や仇きをしているのに,ある一面のみを取り出し,拡大して,これがその 事柄の正しい性格であるというふうに答えを一面化していく作用が,テストに おける問いと答えの問にあります。そこに出題者の意向,もっと強く言えば,

イデォロギーが仇くわけです。

 テストでは,出題者が正答とする答えが正答になります。回答者が,自分の 答えのほうが正しいのにと思っても,それは通じません。出題者の意向・イデ

オロギー(=期待する正答)に合わせねばなりません。出題者の側が正誤を決

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