地方議会議員の免責と非免責 : ライアビリティー とアカウンタビリティー,レスポンシビリティーの 区別
その他のタイトル The Privilege of Exemption from Liability of the Members of the Local Assemblies
著者 吉田 栄司
雑誌名 關西大學法學論集
巻 54
号 6
ページ 1193‑1235
発行年 2005‑03‑10
URL http://hdl.handle.net/10112/12196
次 は じ め に 第一章地方議会の基本性格と国会のそれ 第一節地方自治の本旨と地方議会 第二節地方議会と住民の意思 第三節地方議会と他の機関 第二章地方議員の法的責任と一般人のそれ 第一節法的責任と政治的責任 第二節地方議員の賠償責任 第三章地方議員の免責と国会議員のそれ 第一節免責特権の主体と対象行為 第二節議会内における責任追及
むすびにかえて
地方議会議員の免責と非免責
目
ーライアビリティーとアカウンタビリティー︑
地方議会議員の免責と非免責
吉 田
ー 上
ノ
︵ 一
︱ 九
三 ︶
栄 司
レスポンシビリティーの区別
制 度
構 築
と ︑
一 九
八
0
年代半ばにおける一憲 ︵
︱ 一
九 四
︶
二
00
0
年四月の新地方自治法の施行を中心とする地方制度改革が︑旧憲法制定直前の一八八
0
年代における地方
一 九
四
0
年代におけるポツダム宣言受諾後の現憲法制定に伴う抜本的制度改革に続く第三の改革として︑
文字通り﹁国のかたち﹂をめぐる憲法上の統治機構にかかわる大改革であることは︑いまさら指摘するまでもない︒
今次の改革が︑﹁国の機関委任事務﹂を形式上全廃しながら︑なお﹁国の関与﹂を相当に残すとともに地方財政の抜 本的改革を先送りしており︑改革はいまだ途上にあるという指摘もまた︑繰り返しなされているところである︒ただ︑
憲法が描く地方自治制そのものにかかわる大改革であるにもかかわらず︑憲法研究者からの原理的な問題提起ないし 制度分析が相対的には少なく︑行政法研究者あるいは行政学を中心とする政治学研究者に︑効率性等の観点からする 実務的ともいえる改革提言の多くが委ねられている︑との印象を拭うことはできない︒このことは︑現行憲法が章を 建てて﹁地方自治﹂を国家統治の不可欠の要素として設定しているにもかかわらず︑
法研究者の表現を借りれば︑現憲法成立当初からこの領域が﹁憲法︵学︶の辺境﹂に位置づけられ続けて来た結果とい うこともでき︑責めはひとえに憲法研究者の側にあるともいい得るところであろう︒
もっとも本小論は︑そのような責めの一端を担う筆者の立場において︑現行憲法が設定する地方自治制そのものを
(2 )
大上段に構えて描き直そうとし︑今次の大改革を原理的に再検討の対象としようとするものでは決してない︒単に︑
現行憲法が描く﹁地方自治﹂制をある角度から原理的に紐解き直す上で︑きわめて興味深い︱つの裁判事件︑まさに 上記地方自治法大改正案が国会において審議の対象となっていたその時期に︑地方裁判所において審理が進められて
は じ め に
関 法 第 五 四 巻 六 号
四 六
を阻却しないとして不法行為の成立を認め︑
六 五
一九九九年に公務員の公務に関する不法行為に
一九九八年に生じたこの事件は︑市議会議員が︑
いた市議会議員発言に関する損害賠償請求事件を︑憲法学的関心からする︱つの契機ととらえ︑地方議会議員の﹁責 任﹂のあり方をめぐる一試論を提起しようとするものにすぎない︒
議場における他の議員の発言によって自らの名誉が毀損されたとし︑必ずしも市を相手取ることをせずに︑発言議員 個人を相手取って損害賠償等を請求したものである︒地方裁判所は︑
ついては公務員個人の責任を追及し得ないとして請求を棄却し︑高等裁判所は二
000
年に当該議員の発言は違法性 一審判決を逆転させて請求の一部を認容し︑上告を受けた最高裁判所第
三小法廷は︑二
0
0
三年に複数の最高裁判例を引用してこれを再び逆転させ︑きわめて簡略な判決文をもって原判決
(3 )
を破棄したのである︒本小論においては︑この事件を﹁本件﹂として適宜検討対象として扱うこととする︒
﹁本件﹂をめぐる地裁以降の三判決を文字通りの素材とし︑筆者は地方議会の議員が負う﹁責任﹂のあり方を︑す なわち︑地方議会議員が議会内の発言等に関していかなる免責ないし非免責の法的枠組みに立つのかを︑国会議員に 関して憲法上保障されている五一条の﹁免責特権﹂との異同という観点を中心に据えながら探り直そうと考えたので
(4 )
ある︒筆者はかつて︑国会議員の免責特権をめぐる一九九七年の同じ最高裁判所第三小法廷の判決を契機とし︑また
(5 )
学界内に生じた絶対的免責説と相対的免責説の新たな対立をも背景として︑憲法が設定している国会議員の免責と非
(6 )
免責のありようについて︑本小論と同様の副題を付して論じたことがある︒本小論が複数の責任概念を用いるのは︑
現行憲法が﹁地方自治﹂の章を設定する根拠としてのポツダム宣言︱二項が︑周知のとおり﹁国民の自由に表明する
意思
( t h e
w i l l )
に基づく⁝⁝責任を負う政府
( r e s p o n s i b l e g o v e r n m e n t
) ﹂の樹立を要求し︑
地方議会議員の免責と非免責
一九四五年︱二月の G
H
Q
内部文書が日本の憲法改正の三テーマの一っとして﹁地方への責任の配分
( l o c a l r e s p o n s i b i l i t y )
﹂を大きく打ち
︵ ︱
‑ 九
五 ︶
第五四巻六号
( 7 )
出していたことにかかわる︒同時にまた︑国会議員に関して憲法五一条が免じている﹁責任﹂
の公式英訳が︑三条や
六六条一二項の英訳に用いられている応答︵国民にレスポンスする︶責任
r e s p o n s i i b l i t y
では決してなく︑不利益処分
つまりは権力的制裁を受ける地位という最終局面としての受裁責任
l i a b i l i t
であり︑さらには︑その両概念の中間に y
位置づけられ︑近時社会科学全般において用いられるにいたっている説明責任
a c c o u n t a b i l i t y
をも視野に組み込んで︑
この問題領域を整理し直すべきだと筆者が考えているからにほかならない︒憲法学界は従来︑この三責任概念をまっ た<区別せずに来ているが︑地方自治制を含むすべての統治機構上の諸制度を人権諸規定と接合させて理解する上で︑
( 8 )
それらの区別はきわめて重要な意義を有すると思われるのである︒
( 1
) 手島孝﹃憲法学の開拓線﹄︵三省堂︑一九八五年︶二四七頁︒手島は︑憲法七章の﹁財政﹂と八章﹁地方自治﹂をともに
﹁辺境﹂と評している︒しかし︑同時に手島は︑﹁開拓最前線の意味においてフロンティアである!﹂として︑理論的解明 への可能性にこそ意欲を示し︑﹁憲法︵学︶における﹃地方自治﹄の再評価は︑憲法原理としての﹃地方自治の本旨﹂︵九二 条︶を徹底的に洗い直すことから始まる﹂として固有権説を再照射していて興味深い︒
(2)
杉原泰雄『地方自治の憲法論—|『充実した地方自治』を求めて』(勁草書房、二
00二年)は、憲法研究者の立場から、
文字通りそのような原理的な再検討とあるべき改革方向の提示を行なう数少ない業績の︱つであるといえよう︒本書は︑近 現代からの展開や欧米との比較を含め︑まさに時間の流れと空間のひろがりを視野に据えて﹁地方自治﹂のあるべき姿を︑
改めて日本国憲法から読み解こうとするものであり︑筆者自身もこれによって認識を新たにし大いに教示を受けている︒
( 3
) 事件の概要はこうである︒
A 市議会議員である X
は︑定例市議会において一般質問に立った同議会議員Yによって︑名指 しで以下のような論評を加えられた︒すなわち︑産業廃棄物処分場拡張問題に関して︑﹁
X が︹特定産廃業者に対して︺本
件各土地を購入するよう仕掛けたために︑
A 市議会は難問題を背負い込むこととなった︒
X は右のような工作をする一方で
産廃反対運動の音頭をとるもので︑まさにマッチポンプの仕業である︒真面目な反対同盟の皆はその真相を知ることなく踊
ら さ
れ て
い る
﹂ の
と だ
︒ そ
こ で
X は
︑ 右
発 言
は 質
問 事
項 の
事 前
通 告
に な
い も
の で
あ り
︑ 他
の 議
や 員
傍 聴
者 に
誤 解
を 与
え ︑
自
関法
六 六
︵ 一
︱ 九
六 ︶
地方議会議員の免責と非免責
六 七
己の社会的評価の低下を招来し︑まさに名誉を毀損するものであって︑公務員がかように職権を濫用して不法行為を行った 場合には︑公務員の個人責任を追及し︑救済を求めることができると主張し︑
Y に
三 三
0 万円の損害賠償および地方新聞へ
の謝罪広告の掲載を求めて出訴した︒
第一審は︑本件発言は︑事前通告にないものであるとしても︑市議会議員の市議会における発言である以上﹁職務を行う について﹂なされた﹁公権力の行使﹂であることは明らかであり︑議員の職務外の行為ということはできず︑仮に故意又は 過失による違法行為であったとしても︑﹁市が賠償責任を負うことがあるのは格別︑公務員である被告個人は︑原告に対し てその責任を負わない﹂︑としていずれの請求をも棄却した︵熊本地判一九九九︵平成︱‑︶年一
0 月一九日判タ︱
1 0
ニ
号ニ︱四頁︶︒しかし第二審は︑一般に議員が他議員に対して行う論難は憲法ニ︱条によって保障されるべきものであるが︑
﹁誤った事実を披泄するなどの行き過ぎのあるときは︑地方公共団体の議会の議員は⁝⁝当然責任を負わねばなら﹂ず︑そ れは︑国会議員が憲法五一条によって免責を受けるのとは異なり︑﹁地方公共団体の議会の議員には憲法上および地方自治 法等の法律上そのような特権が付与されていないことからも導かれる﹂とし︑事実認定の結果︑﹁仕掛けたとの事実摘示は 真実であったとはいえないし︑⁝⁝︹誤信する︺相当な理由もなかった﹂にもかかわらず︑⁝⁝﹁マッチポンプの仕業など
と X
を評したのであるから⁝⁝違法性を阻却することはな﹂<︑﹁質問の本論とは関係のない発言であった⁝⁝から︑⁝⁝
正当な職務行為として違法性を阻却するものでもない﹂とし︑請求の一部を認容して三三万円の賠償をYに命じた︵福岡高
判 二
0 0
0
(平成︱二︶年︱一月二二日判タ︱
1 0
二 号
二
0 九
頁 ︶
︒ しかし上告審は︑次のように述べて原判決を破棄した︒﹁公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて︑故意ま たは過失によって違法に他人に損害を与えた場合には︑国家賠償法一条一項に基づき国又は公共団体が賠償の責に任じ︑公 務員個人は被害者に対してその責任を負わない︒そして︑同項の﹃その職務を行うについて﹂とは︑客観的にその職務執行 の外形を備える行為をした場合をいうと解すべきであるから︑市議会議員が議会内における一般質問の際に行った発言は︑
その発言内容にかかわらず︑職務を行うについてなされたものと認められる﹂︒﹁被上告人
X が本件請求において問題とする
上告人 Y
の発言が︑仮に︑被上告人の名誉を毀損する違法なものであるとしても︑上告人が︑被上告人に対し損害賠償責任 を負うものではない﹂︒なお︑滝井繁男判事により以下の﹁意見﹂が付された︒すなわち︑﹁上告人の上記発言は︑同僚市議 会議員の行動に対し︑⁝⁝市議会の立場を困難にした旨の批判をしたものであって︑被上告人の名誉を毀損するものである
︵ ︱
‑ 九
七 ︶
とはいえない︒したがって︑被上告人の請求は理由がない﹂︵最三小判二
0
0 三︵平成一五︶年二月一七日︑判例集未登載︶︒
なお︑本最高裁判決原本は︑被上告人の弁護人である熊本県弁護士会所属の三浦宏之氏の好意により入手することができた︒
ここに記して︑謝意を表する︒
( 4
)
最判一九九七年九月九日民集五一巻八号三八五 0 頁︑判時一六三一号五七頁︑判夕九六七号一︱六頁︒この判決の評釈と
しては︑阿部泰隆﹁国会議員が国会の質疑等の中でした発言と国家賠償責任﹂民商法雑誌︱ニ︱巻(‑九九九年︶八六頁以
下︑安藤高行﹁国会議員が議院で行った発言と民事責任﹂平成九年度重要判例解説︵ジュリ臨増︱一三五号(‑九九八年︶︶
ニ四頁以下︑原田一明﹁憲法判例百選
I l 第四版﹂別冊ジュリ一五五号︵二 0
0
年︶三七六頁以下︑大橋弘﹁国会議員が国 0
会の質疑等の中でした発言と国家賠償責任﹂ジュリ︱一三三号(‑九九八年︶一八 0 頁︑川岸令和﹁国会議員の国会での名
誉毀損的発言と国家賠償責任﹂︵判例セレクト九七︶法教ニ︱ 0 号(‑九九八年︶一︱頁ほかがある︒
( 5
)
この事件を背景として︑佐藤幸治により︑マスメディアの発達を前提とした名誉・プライヴァシー保護の必要性の増大と
いう観点から︑国会議員の発言に基づく不法行為責任を限定的ながら承認する﹁相対的免責特権﹂説が提起された︒佐藤幸 治「『議員の免責特権』についての覚え書き」法学論叢―二六巻四·五•六号(-九九
0年)一〇六頁以下、同「『議員の免責特権﹄について﹂法学教室︱四三号(‑九九二年︶四八頁以下︑同﹁議員の免責特権について﹂ジュリ一 0 五二号(‑九
九四年︶七九頁以下︒それに対して︑安藤孝行が従来の通説である﹁絶対的免責特権﹂説の立場から批判を展開した︒安藤
高行「国会議員の免責特権l|—衆議院議員委員会発言損害賠償請求事件札幌地裁判決ーー止佐賀大学経済論集二七巻一号︵一九九四年︶三五頁以下︑同﹁再び国会議員の免責特権について﹂九州大学法政研究六四巻一号(‑九九七年︶六四頁以
下︒また︑安藤のものを含む判例評釈︵注
( 4
) ︶
を 参
照 ︒
( 6 )
拙稿﹁議員の免責特権と名誉毀損の救済﹂ジュリ一 0 三八号(‑九九四年︶一三二頁︑同﹁国会議員の免責と非免責 I
ライアビリティーとアカウンタビリティー︑レスポンシビリティーの区別ーーー﹂﹃佐藤幸治先生還暦記念論文集・現代立憲
主義と司法権﹄︵青林書院︑一九九八年︶五四九頁以下︒ここで筆者は︑憲法五一条が国会議員に免じているのはライアビ
リティーのみであり︑被害者救済のためのライアビリティーは憲法一七条を根拠として国が担い︑その訴訟上の証言負担と
してのアカウンタビリティーは国会議員に対して免じられていないと解すべきことを主張し︑いわば絶対的免責説と相対的
免責説との接合を展開した︒
関 法 第 五 四 巻 六 号
六 八
︵ ︱
‑ 九
八 ︶
地方議会議員の免責と非免責
旧憲法下における府県会や市町村会が︑その成立の当初から一定の自律的権限を認められ︑とりわけ大正デモクラ
シ1
期には男子普通選挙制の導入も果たされ︑その権限強化が図られて地方分権の進展がみられたが︑
第一節地方自治の本旨と地方議会
第一章
地方議会の基本性格と国会のそれ
六 九
( 7
) 高柳健三・大友一郎・田中英夫編﹃日本国憲法制定の過程
I 原文と翻訳﹄︵有斐閣︑一九七二年︶二
0
頁 以
下 ︒
G H
民 Q
政局のラウエル陸軍少佐による一九四五年︱二月六日付レポート﹁日本の憲法についての準備的研究と提案﹂は︑﹁憲法に は⁝⁝以下の付属文書に掲げるような諸規定が設けられるぺきである﹂とし︑付属文書
A
﹁ 権
利 章
典 B i l
l o
f R i g h t
﹂ s
・ 付
属
文書 B ﹁国民に応える政府
R e s p o n s i v e G o v e r n m e
n t ﹂
・ 付
属 文
書
C ﹁地方に責任を分与すること
L o c a l R e s p o n s i b i l i t y
﹂を
これに付し︑この C
の中で﹁占領目的の達成のためには︑地方に責任を分与することを促進し︑地方選挙を行い︑⁝⁝民主 的傾向を強化するような変更を支援すること︑が必要であろう﹂と述べている︒なお︑翌四六年一月の
SWNCC228 文
書﹁日本の統治体制の改革﹂が︑﹁問題点に関する考察﹂の第︱二項目において﹁都道府県議会および市町村議会の強化
s t r e n g t h e n i n g o f t h e p r e f e c t u r a l a n d m u n i c i p a l
assemblies」ぇd~~山山1)
ていたこと
J 9迂i
ロ ロ
に 結
g
する︒同書四三五頁参照︒
( 8
) 箪者は先の論稿︵注
( 6
) ︶において︑三種の﹁責任﹂概念の区別が︑人権論における﹁制約﹂︑﹁決定﹂︑﹁救済﹂のみなら
ず︑機構論における﹁代表﹂︑﹁統制﹂︑﹁裁量﹂の各概念の把握にすべてかかわることを示唆した︒なお︑筆者はまた︑その 論稿において︑委任者の意思に応答する受任者の責任をレスポンシビリティー﹁応答的責任﹂︑委任者に応答不十分と評価 される場合に受任者が負う責任をアカウンタビリティー﹁弁明的責任﹂︑弁明不十分と評価され制裁を受ける責任をライア ビリティー﹁被制裁的責任﹂と表記していたが︑それぞれ四文字として応答責任︑説明責任︑受裁責任に変えて本小論にお いては用いることとする︒これらの訳語は︑後述する行政学の行政責任論︵第二章注
( 1
) ︶に負うものである︒
︵ 一
︱ 九
九 ︶
一 九 一 ︱
1 0
年代
( ︱ 二
0 0
) におけるいわゆる戦時体制への突入以降︑﹁国家総動員法﹂に示されるような中央集権体制の末端機構へと︑それら が大きく変質させられ︑ほぼその地方分権を担う自治組織としての側面を消失させられたことは広く知られるところ である︒そのような地方制度の変容ないし衰退は︑地方団体が憲法上﹁自治﹂を承認された存在では決してなく︑い わば天皇主権原理の下における中央政府の下部機構として︑文字通り政府の政策的判断によって容易に変更できるも のだったからである︑とみることができよう︒受諾されたポツダム宣言の内容に即した
G H
Q の原案を素材とする政
府案を︑男女平等の衆議院総選挙を経た衆貴両院の審議修正を通じて成立した日本国憲法が︑国民主権原理への転換 を大前提とし︑﹁地方自治﹂の章を建て︑﹁地方公共団体の組織及び運営﹂に関する事項を﹁地方自治の本旨﹂に基づ いて法律で定めるものとし︑地方自治制度を憲法上の統治制度として明確に位置づけているのは︑そのような前史が あってのことである︒
しかし︑日本国憲法の統治制度に関する憲法学界の営為は︑憲法価値の実現をめぐる与野党の激しい対立を背景と し︑当初から国会と内閣の関係に集中する傾向を有したといってよく︑地方自治に関する解釈論は相対的に等閑視に
(2 )
され続けることとなったといわなければならない︒また︑東西冷戦を背景として憲法制定直後から改めて進展した中 央集権化の動向を受け︑旧憲法下における制度的枠組みや実務上の慣習ないし実務者の感覚が克服されることなく残
存し︑この五
0余年が経過したということもできよう︒したがって︑地方議会そのものの憲法上の基本的性格に関す る研究︑すなわち国会との対比ないし異同に関する理論的検討が必ずしも十分に行なわれないままに推移していると 筆者には思われる︒統治機構の全体構造が大きく改革を迫られ︑地方制度のあり方も政治学や行政学そして行政法学 においてさまざまに議論されるようになった一九九
0
年前後以降の憲法学の体系書においても︑地方議会の性格に関
関 法 第 五 四 巻 六 号
七 〇
(4 )
する記述はきわめて簡略ないし粗雑であるといわざるを得ない状況にあるのである︒
七
地方議会の議員が担う﹁責任﹂のありようをさぐるために︑地方議会の憲法上の性格をいま改めて把握し直す上で は︑当然のことながら︑まずもって﹁地方自治﹂の﹁本旨﹂の再把握から出発しなければならない︒地方自治とは︑
国内各地域団体の自己統治ないし自己決定権力の承認を意味し︑その﹁本旨﹂に関する通説的な理解に即して対外的 な﹁団体自治﹂と対内的な﹁住民自治﹂という二側面に照らし︑統治を意思
( t h e
wi ll )団体意思による自己決定権と住民意思による自己決定権という二内容を有するはずである︒国民主権原理を個人の尊 厳原理に結合させ︑その具体化として地方自治制を把握する上では︑住民意思による自己決定が人権保障に︑団体意
底にこそ責任
( r e s p o n s i b i l i t y )
の貫徹としてとらえれば︑
思による自己決定が権力分立に引き付けられて理解される必要があり︑この立憲主義的と形容されるべき決定権の根
(5 )
の概念が読み取られるべきものと思われる︒地方議会の憲法上の基本的性格は︑この ような観点から整理し直す必要があると筆者には思われるのである︒九二条に続く九三条が︑地方公共団体の対内的 側面に力点を置く自己組織権を︑九四条が対外的側面に力点を置く自己作用権を規定し︑レスポンシビリティーとし ての責任すなわち住民意思に応答する責任を負う地方自治制︑という根底的枠組みを構想しているとみる必要がある のである︒すなわち︑直接選挙の要請は︑住民意思による自己統治として︑住民代表機関の設置とその機関意思への 住民意思の反映を確保する手段であり︑そのような代表機関の意思をもって︑各地方公共団体としての意思を自立的 に設定させようとするものであり︑任期に基づく住民意思とその代表意思の更新を通じて︑この両者の﹁責任﹂関係 が確保されるとみるべきなのである︒この﹁選挙﹂による﹁責任﹂関係こそが︑﹁代表﹂関係にほかならないといわ
(6 )
なければならない︒
地 方
議 会
議 員
の 免
責 と
非 免
責
( ︱
二
0
1 )
第二節
( ︱
二
0 二 ︶
地方議会すなわち地方公共団体の議会について︑憲法九三条一項は﹁法律の定めるところにより︑その議事機関と して議会を設置する﹂とし︑同条二項は﹁その議会の議員⁝⁝は︑その地方公共団体の住民が直接これを選挙する﹂
と定めている︒したがって︑地方議会は憲法上の必置機関であり︑住民の直接選挙によって選出された議員で構成さ れる住民代表機関としての﹁議事機関﹂なのである︒地方公共団体の議事機関とは︑これを構成する多数の代表議員 による審議•議決を通じ、その機関意思を決定することによって、地方公共団体の意思を確定する合議制機関である から︑国の意思決定機関としての国会に相当することはまちがいない︒確かに︑﹁議事機関﹂という性格づけは︑国 会に関する憲法四一条の﹁国権の最高機関﹂で﹁唯一の立法機関﹂という性格づけとは異なり︑﹁地方自治権の最高 機関﹂とされているわけではなく︑﹁唯一の条例制定機関﹂とされているわけでもない︒しかし︑四三条による全国 民代表機関としての国会の構成原理は︑地方議会に対しても全住民代表機関として妥当し︑ともに﹁選挙﹂によって 成立させられる意思決定機関であるという点は完全に共通するのである︒
地方議会と住民の意思
地方公共団体の議会を把握する上では︑当然に地方公共団体とは何かという問題を避けて通ることはできない︒地 方自治法による具体化として︑その一条の一︱一に示されるように都道府県および市町村が普通地方公共団体とされ︑そ
(7 )
れぞれの機関として都道府県議会および市町村議会の二重構造をもって地方議会が設定されることとなっている︒憲 法学界は︑当初においては︑単一概念が用いられている点を重視し︑これに従来からの市町村をのせて把握し︑都道 府県についてはその設定の有無をも含めて立法裁量に委ねられるとする説と︑都道府県を完全な自治体に変化させよ
関 法 第 五 四 巻 六 号
七
た こ
と が
あ る
︒
七
( 8 )
うとした
GHQ
の判断を重視し︑従来からの二重構造をもって憲法上の地方公共団体ととらえる説の対立をみせた︒
その後︑いわば折衷説として︑単一構造では国家権力の介入を招き易いとし︑二重構造によってこそ地方自治は確保
( 9 )
されるととらえ︑都道府県の改組についてのみ立法裁量を認める説が多数を得るにいたっている︒この点について最 高裁は︑憲法上の﹁地方公共団体といいうるためには︑⁝⁝事実上住民が経済的文化的に密接な共同生活を営み︑共 同体意識をもっているという社会的基盤が存在し︑沿革的に見ても︑また現実の行政の上においても︑相当程度の自
( 1 0 )
主立法権︑自主行政権︑自主財政権等地方自治の基本的権能を付与された地域団体であることを必要とする﹂と述べ この判決では︑住民の共同体意識︑歴史的経緯︑行政的実態の三点が地方公共団体の要件として提起されたが︑
﹁現実の行政﹂上の実態を根拠に数えるのはいわば本末転倒であり︑歴史的経緯をも前提とする共同体認識としての 住民意思こそが︑国民主権原理に即した地方公共団体の性格づけの最重要要素として押さえられるべきであろう︒す なわち︑昨今の道州制論議に関し︑筆者自身は︑上述のように現行憲法の制定当初の枠組みを前提とし︑地方公共団 体として最終的に住民投票によるか否かは別として︑各住民意思を前提とする各団体意思による都道府県および市町 村の改組こそが憲法上許容される地方公共団体の改変であり︑現行地方自治法上︑都道府県の廃置分合が六条によっ て法律事項とされているものの︑国会における全国民の代表意思のみによる改組は憲法違反であると考えている︒す なわち︑既存の都道府県の複数の団体意思すなわち住民代表機関の意思の一致が成立した場合に︑当該地域の地方公 共団体としての廃置分合が︑国会によって承認されるととらえてしかるべきものといえよう︒地方自治権の承認につ いて︑憲法学界はいわゆる固有権説と伝来説の対立を克服し︑人権保障のための制度的保障ととらえるにいたってい
地方議会議員の免責と非免責
( ︱
二
0 三 ︶
( ︱ 二
0 四 ︶
るが︑その制度の核心部分としてこそ︑各住民意思を前提とする各団体意思の排除の禁止を読み取る必要があるはず ついで︑地方議会が全住民の代表機関たるべきである以上︑地方議会の成立が住民意思にどのように従属するかに
ついて︑国会に関する憲法上の要請との異同を点検する必要がある︒選挙権に関して︑憲法一五条三項が﹁公務員の 選挙﹂について﹁成年者による普通選挙﹂を保障し︑同四三条にいう国会議員の選挙について︑同四四条が同一四条 一項を拡大する形で﹁差別﹂を排除する﹁普通選挙﹂の資格要件の法定を︑さらに同四七条が選挙区制を含む選挙事 項の法定を要請しており︑公職選挙法九条がこれらを受けて国会議員の選挙と同様の三要件を︑地方議員の選挙権に ついても法定している︒国籍要件については︑学説上なお国民主権原理との関係において︑定住外国人の参政権を否 定する立場が多数を占めてはいるが︑憲法上許容されるとする説も有力であり︑地方議会の選挙に関しては︑憲法九
( 1 1 )
三条二項の定住性を重視する﹁住民﹂概念を根拠として許容説が多数説となっており︑筆者もこれに与する︒最高裁 も︑定住外国人に対し︑﹁法律をもって︑地方公共団体の長︑その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講
( 1 2 )
ずることは︑憲法上禁止されているものではない﹂と︑九
0
年代半ばに判示するにいたったが︑公選法改正はいまだ
に成立してはいない︒地方議員選挙の年齢要件について︑国会議員選挙におけるそれよりも低く設定することも許容 されよう︒保健医療や学校教育等の住民に身近な権力発動領域は︑
とも︑全国的な内政外交事項とは質を異にする側面が強く︑世界的動向からしてもその年齢要件は引き下げられてし かるべきであろう︒住所要件についても︑三ヶ月が必要な期間であるとは必ずしもいえず︑短縮が検討されるべきと
こ ろ
で あ
る ︒
だからである︒
関 法 第 五 四 巻 六 号
いわゆる﹁補完性の原則﹂を引き合いに出さなく
七 四
七 五
さらに︑地方議会を全住民の代表機関という性格からみる場合︑住民人口比に応じた議員定数の設定という要請に 注目する必要もある︒地方自治法上︑都道府県および市町村の人口区分に応じて議員定数が定められ︑今次の改正に
( 1 3 )
よって条例での減員を明文で承認したが︑自己決定権の拡大と評価できるものでは必ずしもなかろう︒都道府県議会
の定数について最小四
0人 か
ら 最
大 ニ
︱
1 0
人︑市町村議会について最小︱二人から最大九六人という人口比別の上限 枠それ自体は︑立法裁量に委ねられることがらであろうが︑都道府県について約︱二
0
0
万人から六
0万人まで︑市
( 1 4 )
町村については約三五
0
万人からわずか二百人までの開きがあるという人口偏差の実態をどうみるのかという問題が
ある︒もちろん︑上記の地方公共団体の意義からすれば︑廃置分合はすべて住民意思に基づく団体意思に委ねること が憲法の趣旨というべきであるから︑財政面を含めて各団体の住民の意思の貫徹を保障する枠組みこそが求められる のである︒なお︑地方議会の議員定数に関しては︑地方公共団体内部の選挙区ごとの定数不均衡の問題も見落とすこ とはできない︒国会両院の場合と同様に︑﹁投票価値﹂の不平等状況それ自体︑住民意思の議会における反映を阻害 するものとして︑その違憲状態の是正は喫緊の課題であるというほかはない︒
第三節
地方議会と他の機関
地方議会の議会としての性格には︑﹁執行機関﹂としての独任制機関である﹁長﹂との関係において︑内閣に対す る国会の性格とは大きく異なる側面が生じている︒九三条二項が︑﹁長﹂についても﹁住民が直接これを選挙する﹂
と規定しているからである︒直接公選による限りにおいて﹁長﹂も住民代表機関であり︑地方公共団体においてはい わゆる﹁二元的代表制﹂が採用され︑国会と内閣の関係が議院内閣制として把握されることとの対比において︑大統
地方議会議員の免責と非免責
( ︱
二
0 五 ︶
とはいえ︑住民代表機関としての地方議会が︑地方公共団体に認められる自主立法権すなわち条例制定権の主要な 行使主体であることはまちがいない︒憲法九四条によって団体自治の要請として自主作用権を承認された地方公共団 体は︑住民意思を反映する合議制機関においてこそが︑住民の権利義務に関する法規定立権を掌握すべきだからであ る︒地方自治法は︑地方公共団体が﹁条例を制定することができる﹂(‑四条︶とした上で︑地方公共団体の議会の 権限規定において︑その冒頭に﹁条例を設け又は改廃すること﹂︵九六条一号︶と掲げている︒しかし同時に︑地方 議会の権限のうち︑最重要の議決事項には︑なお予算の決定や決算の認定を含めて一五件の事項が列挙され︑今次の
改正によって条例による議決事件の追加制度︵同条二項︶が導入されている︒さらに︑選挙管理委員等の選挙権︵九 が進展したとはいい得ない︒ 領制が採用されていることになる︒
一般に︑大統領制が国家レベルにおける用語法であることに鑑み︑学説上これを
( 1 6 )
﹁首長制﹂ないし﹁首長主義﹂と称している︒初期の段階において︑この﹁長﹂の直接公選の規定から直ちに首長制 が引き出され︑﹁長﹂が﹁直接に住民から選挙され︑住民の意志︵ママ︶を背景としながら︑地方議会に対して独
( 1 7 )
立・対等の関係に立ち︑勢力の均衡を保ちつつ地方政治の運営にあたるほうが望ましい﹂と評され︑これが通説を構 成して地方自治法も首長制で両者の関係を規定している︒ただし︑九四条が抽象的に規定する自主行政権および自主 立法権に関し︑地方自治法はなお地方議会の権限を列挙する形で限定し︑長の権限を上位ないし優位に位置づける傾 向を有し︑長の議会に対する権限として︑議会招集権
(1
0
一 条
︶ ︑
議 案
提 出
権 (
‑ 四
九 条
︑ ︶
再 議
請 求
権 (
‑ 七
六 ︑
( 1 8 )
一七七条︶︑議会解散権(‑七八条︶︑さらに専決処分権(‑七九条︶のみならず立法権としての規則制定権(‑五 条︶を保障している限りにおいて︑必ずしも対等独立の関係は確保されておらず︑今次の改革においてもその対等化
関 法 第 五 四 巻 六 号
七 六
( ︱
二
0 六 ︶
七 七
七条︶︑事務執行等の検査権︵九八条︶︑意見書の提出権︵九九条︶︑調査権
(1 00
条︶︑その他の決定権︵︱‑八条︑
一六八条︶等を有し︑広く自主行政権をも有することも見ておく必要があろう︒た だ︑ここで確認しなければならないのは︑住民代表機関としての地方議会が︑機関意思決定権として各種の権限を行 使しても︑それ自体としては団体意思の確定にならず︑条例制定でさえも長の公布を得なければ対外的効力を発しな
( 1 9 )
い手続(‑六条︶となっていることである︒
本小論との関係においてよりいっそう問題であるのは︑地方議会が︑国会の﹁最高機関﹂という位置づけを憲法上 受けていないことから︑きわめて曖昧な形でその機関としての自律権︑さらにそれを構成する個々の議員の免責特権
( 2 0 )
が否定される通説が構成され︑地方議会と国会の性格の相違に関する以下の最高裁判例が︑学説上ほとんど無批判に 承認されていることである︒すなわち︑最高裁は﹁憲法上︑国権の最高機関たる国会について︑広範な議院自律権を 認め︑ことに︑議院︵ママ︶の発言について︑憲法五一条に︑いわゆる免責特権を与えているからといって︑その理 をそのまま直ちに地方議会にあてはめ︑地方議会についても︑国会と同様の議会自治・議会自律の原則を認め︑さら
( 2 1 )
に︑地方議会議員の発言にも︑いわゆる免責特権を憲法上保障しているものと解すべき根拠はない﹂と述ぺているの である︒しかし︑筆者は根拠がないとは考えない︒なぜなら︑国会議員の免責特権の制度は︑議院内閣制であろうと
( 2 2 )
大統領制であろうと︑国民代表機関としての議会に関し︑各国憲法においてほぼ普遍的に承認されているものであり︑
現行憲法が国会を﹁最高機関﹂と性格づけることから引き出される特異な制度では決してないからである︒それは︑
何よりも権力発動のあり方の最終的決定権者としての国民ないし住民の意思を体現する一人ひとりの議員が︑十全に 審議を重ねて代表機関意思を決定するために︑また︑十全に国民ないし住民に対する応答責任︑
地方議会議員の免責と非免責
︱ 二
七 条
︶ ︑
同 意
権 (
‑ 六
二 条
︑
レスポンシビリ
( ︱
二
0
七 ︶
次章において︑代表議員が負うこの
﹁責任﹂について整理し直すこととする︒
ティーとしての
﹁責任﹂を負うために認められているものなのである︒﹁最高機関﹂性に関する通説判例が︑これに
( 2 3 )
法的効果を認めない政治的美称説を取っていることからしても︑整合する解釈態度ではないといわなければならない︒
( 1
) 旧地方自治制度の変遷については︑俵静夫﹃地方自治法﹄︵有斐閣︑一九六五年︶一五頁以下︑原田尚彦﹃新版・地方自 治の法としくみ﹂︵学陽書房︑二
0
0 三年︶一三頁以下︑松本英昭﹃要説地方自治法︵第二次改訂版︶﹄︵ぎょうせい︑二
O
0
0 年︶三
0 頁
以 下
等 参
照 ︒
(2)当初から憲法学界に多大な影響を及ぼしている体系書は︑国の統治構造の民主化が当然に地方に対する国の監督の民主化 をもたらすとして︑﹁地方公共団体を国に従属させること︑すなわち︑いわゆる中央集権が︑かならずしも常に無条件に非 民王的であるというわけではない﹂と述べ︑地方分権の要請こそ国民王権原理の具体化としてきわめて肝要であるとの認識 を欠いていたといわざるを得ない︒宮沢俊義﹃日本国憲法コンメンタール﹄︵日本評論社︑一九五五年︶七六
0 頁
︒ な
お ︑
地方自治制に関する憲法学界の五
0 年間の営為に関しては︑山内敏弘﹁分権デモクラシー論の五
0 年
﹂ ﹃
憲 法
理 論
の 五
0 年 ﹄
︵日本評論社︑一九九六年︶︱‑︱‑三頁以下参照︒ちなみに︑同書における拙稿﹁議会制論の五
0 年﹂は︑この論稿との関連
もあって︑地方議会制論を視野に入れるものとはなっていない︒
(3)今次の地方制度改革が︑形式的にすぎないとのそしりを受けながらも︑ようやくにして全廃するにいたったいわゆる機関 委任事務の存在が︑その典型例であるということができよう︒また︑憲法九三条二項が規定している公選﹁吏員﹂として︑
一九四八年の﹁教育委員会法﹂によって導入されていた教育委員の公選制は︑一九五六年の﹁地方教育行政の組織及び運営 に関する法律﹂によって長による任命制に改められ︑それ以降﹁その他の吏員﹂の直接選挙を定める法律はなく︑憲法のこ の部分は完全に死文と化し︑地方執行機関の多元制という憲法が予定する構想はいまだに実現していないのである︒現行地 方自治法上︑人事委員会︵または公平委員会︶︑教育委員会︑選挙管理委員会︑監査委員の制度が設定されているが︑いず れについても住民による選挙からは切り離されている︵同法一三八条および一八
0 条
等 参
照 ︶
︒ (4)たとえば︑芦部は全三六九頁の体系書において﹁地方自治﹂に関してはわずか七頁を割くにすぎず︑地方議会の性格につ いては何も記述していない︒芦部信喜︵高橋補訂︶﹃憲法︵第三版︶﹄︵岩波書店︑二
0
0 二年︶三三六頁以下︒浦部も全五
関 法 第 五 四 巻 六 号
七 八
( ︱
二
0 八 ︶
地方議会議員の免責と非免責
七 九
一九九五年︶二七
八一頁の体系書で一六頁足らずの記述を割くにとどまり︑必ずしも地方議会には論及していない︒浦部法穂﹃全訂・憲法学
教室﹄︵日本評論社︑二
000 年︶五六六頁以下︒他方において︑松井は︑分量的には少ないものの︑﹁地方議会﹂という見 出しを二箇所で設け︑その自律権の承認を重視して司法審査権からの排除を記述していて注目される︒松井茂記﹃日本国憲
法 ︵
第 二
版 ︶
﹂ ︵
有 斐
閣 ︑
二 0
二年︶二八四︑二八八頁︒ 0
(5)大石は︑﹁立憲主義の目標﹂として﹁権利保障の理念﹂を︑﹁立憲主義の道程﹂として﹁権力分立の原理﹂を︑そして﹁立 憲主義の担保﹂として﹁責任政治の原理﹂を並べて整理していて興味深い︒大石真﹃憲法講義
I ﹄
︵ 有
斐 閣
︑ 二
0
四 0
年 ︶
二 0
頁 以
下 ︒
(6)この﹁選挙﹂と﹁代表﹂と﹁責任﹂の概念的結合関係については︑とりわけ樋口が一貰して強調しているところである︒
その体系書においても︑それらの関係について詳述されている︒樋口陽一﹃憲法
I ﹄︵青林書院︑一九九八年︶一五一頁以
下 参
照 ︒
(7)地方公共団体の議会は︑地方自治法一条の三第二項によって︑普通地方公共団体とされる都道府県と市町村のみならず︑
特別地方公共団体とされる特別区および地方公共団体の組合にも設置され︑財産区にも一定の条件の下に設置されるが︑地 方開発事業団には理事会のみが設置される︒市町村については︑議会に代えて︑条例によって有権者すべてを構成員とする
「町村総会」を設けることも認められている(九四•九五条)が、それが憲法九三条一項に適合しないのではないかとの疑
義がある
Cしかし︑住民代表によらず住民自らが意思決定機関を構成することは︑住民自治の要請に適合こそすれ反するも のではないとするのが通説であり︑筆者もこれに異論はないが︑実際には町村総会を設置する小規模町村は存在していない︒
近時の市町村合併の動向については︑注
( 1 4 )
参 照
︒ (8)前者の説として︑宮沢俊義︵芦部補訂︶﹃日本国憲法コンメンタール﹄︵日本評論社︑一九七八年︶七六二頁以下︑清宮四
郎﹃憲法 I
︵第三版︶﹄︵有斐閣︑一九七九年︶八五頁があり︑後者の説として︑佐藤功﹃日本国憲法概説︵全訂第五版︶﹂
︵学陽書房︑一九九六年︶五三八頁︑杉原泰男﹃憲法
I I
﹄︵有斐閣︑一九九四年︶四六六頁︑樋口陽一﹃憲法
I ﹂
︵ 青
林 書
院 ︑
一九九八年︶三五九頁︑松井茂記﹃日本国憲法︵第二版︶﹄︵有斐閣︑二
0
0 二年︶二七五頁︑辻村みよ子﹃憲法︵第二版︶﹄
︵ 日
本 評
論 社
︑ 二
0
四年︶五四六頁がある︒ 0
( 9
) 伊藤正巳﹃憲法︵第三版︶﹄︵弘文堂︑一九九五年︶六
0 三頁︑佐藤幸治﹃憲法︵第三版︶
J( 青
林 書
院 ︑
( ︱
二
0 九 ︶
0頁、野中・中村・高橋•高見『憲法Il(第三版)」(有斐閣、二00
一年)三四六頁(中村執筆)、芦部信喜(高橋補訂)
﹃ 憲
法 ︵
第 三
︶ 版
﹄ ︵
岩 波
書 店
︑ 二
0
0 二年︶三三八頁︑長谷部恭男﹃憲法︵第三版︶﹄︵新世杜︑二
0
四年︶四五四頁等︒ 0
( 1 0 )
これは︑東京都の特別区区長が一九五二年の地方自治法改正によって区議会による選任に改められていたところ︑その選 任に関して生じた贈収賄事件の被告人が改正条項の憲法九三条違反を理由として無罪を主張し︑地裁がこれを受け入れる判 決を下したためになされた跳躍上告審判決である︒最高裁は引用のように述べ︑東京都の特別区はその要件を満たさないか ら憲法上の地方公共団体ではなく︑都知事の同意を得て区議会が区長を選任する制度を憲法九三条に反しないと判断したの である︒最大判一九六三年三月二七日刑集︱七巻二号︱ニ︱頁︒が︑一九七四年の自治法改正︵同法二八三条一項︶によっ て区長公選制は復活している︒東京都の特別区の住民のみが︑二重の地方公共団体としての住民自治を否定される論拠を︑
憲法︱四条一項のもとで構成することはそもそも不可能だったといわなければならない︒
( 1 1 )
浦部法穂﹃全訂・憲法学教室﹄︵日本評論社︑二 000 年︶五 0 七頁︑奥平康弘﹃憲法
m﹂︵有斐閣︑一九九三年︶六一頁︒
なお︑長尾一紘﹃憲法︵第三版︶﹄︵世界思想社︑一九九九年︶一六一頁以下および五二四頁以下が︑この領域における学説 状況を整理している︒また︑初宿正典﹁外国人と憲法上の権利﹂法教一五二号(‑九九三年︶四九頁︑市川正人﹁定住外国 人の地方参政権﹂法セ四八五号(‑九九五年︶八二頁︑高田篤﹁在日外国人の地方選挙権﹂地方自治判例百選︵第三版︶別
冊ジュリ︵二
0
0 三年︶二四頁等︑参照︒
( 1 2 )
最判一九九五年二月二八日民集四九巻二号六三九頁︒宇都宮純一﹁地方自治と定住外国人の選挙権﹂平成七年度重要判例
解説︵ジュリ臨増(‑九九六年︶︶二 0
頁 以
下 参
照 ︒
( 1 3 )
従来︑都道府県議会について地方自治法九 0 条が︑人口七 0 万未満について四 0 人とし︑最大の東京都について一三 0 人
とするまでの人口比定数を設定し︑市町村議会については同法九一条が︑人口二千未満についてニ一人とし︑最大一
0
とするまでの定数を設定していたが︑一九九九年に改正されて二 人 0
0
0 三年一月に施行された両条項は︑前規定の上限枠を若
干修正した上で﹁議員の定数は条例で定める﹂と規定した︒これは︑すでに財政上の理由から相当数の団体とりわけ市町村
が議員減員条例を定めていたという実態を実定化したにすぎない︒
( 1 4 )
二 000 年の国勢調査結果によれば︑東京都人口は︱二 0 六万人︑神奈川県八四九万人︑大阪府八八一万人︑他方におい
て鳥取県六一万人︑島根県七六万人であり︑平均は二八六万人である︒市町村にいたっては︑合併の推進が図られていると 関
法 第 五 四 巻 六 号
八 〇
( ︱
ニ ︱
0 )
地方議会議員の免責と非免責
八
はいえ︑現時点で三一
0
0 以上を数え︑すでに三五五万人を超える神奈川県横浜市から三千人余の北海道歌志内市︑五万余
人の岩手県滝沢村から二百余人の愛知県富山村まで︑それぞれに各住民意思を前提として各団体意思を表明しているのであ
る︒総務省ホームページ︵二
0
0 四年︱二月現在︶等参照︒なお︑今次の地方制度改革の一還として成立したいわゆる合併
特例法により︑地方交付税の算定基準の優遇等の合併促進策が功を奏しており︑当初の期限であった二
0
五年三月につい 0
てさらに五年の延長もはかられ︑いわゆる﹁平成の大合併﹂は市町村数を二
0 0
弱に減少させる勢いを見せている︒が︑ 0
財政問題を含む合併の必要性等に関する各住民に対する情報提供の不十分性および住民意思の確認の不十分性等︑憲法上の 疑義を免れない手続上の不備を指摘せざるを得ない︒
( 1 5 )
最高裁は︑地方議会の議員定数配分について︑投票価値の平等を憲法上の要請と認め︑人口比例を最重要の基準とし︑公 選法一五条七項︵現八項︶に照らして︑最大格差五・四五倍に達した東京都艤会議員定数配分を違法と判断した︒最判一九 八四年五月一七日民集三八巻七号七ニ︱頁︒しかし︑その後の判例動向をみる限り︑衆議院議員定数判決と同様に︑三倍以 内を許容しているとみることができ︑学界における二倍未満ないし一・五倍未満を憲法上の要請ととらえる動向からすれば
当然に批判の対象となる︒
( 1 6 )
初期の段階において︑﹁知事や市町村長は︑直接に住民から選挙され︑住民の意志︵ママ︶を背景としながら︑地方議会 に対して独立・対等の関係に立ち︑勢力の均衡を保ちつつ地方政治の運営にあたるほうが望ましい﹂との理解から︑﹁首長 制﹂を採用したとされ︑これが通説を構成している︒清宮四郎﹃憲法
I ︵第三版︶﹄︵有斐閣︑一九七九年︶八四頁以下︒な
お︑野中・中村・高橋・高見﹃憲法
I I
︵ 第
三 版
︶ ﹄
︵ 有
斐 閣
︑ 二
0 0
一 年
︶ 三
五
0 頁
も 参
照 ︒
( 1 7 )
清宮四郎﹃憲法 I
︵第三版︶﹄︵有斐閣︑一九七九年︶八四頁以下︒その限りにおいて︑﹁長﹂を議会の意思に従属させる いわゆる﹁シティーマネージャー制﹂の導入は︑憲法違反と判定されるととらえる説が︑ほぼ通説を構成しているといって
ょ し
( 1 8 )
地方自治法一七八条は︑憲法六九条とは異なる解散制度を規定している︒すなわち︑定足数を三分の二とし︑しかも四分 の三の特別多数決をもって︑普通地方公共団体の﹁長﹂に対する﹁議会﹂の﹁不信任の議決﹂の制度を導入した上で︑これ に対する長の﹁議会を解散する﹂権限を規定し︑解散しないときまたは解散後に招集された議会で不信任議決がなされたと き︑長は﹁その職を失う﹂と規定しているのである︒また︑直前の同法一七七条は︑収入または支出に関する長の処置権を
( ︱
ニ ︱
‑ ︶
定め︑議会の議決に対する再議請求権を定めるが︑同条四項において︑非常災害復旧や感染症予防のための必要経費につい て議会が削除ないし減額の議決をした場合に︑長がこれを﹁不信任の議決とみなすことができる﹂と規定している︒住民意 思をともに体現する長と議会の対立に際し︑議会解散と再選挙によって住民意思に判定を委ねる制度ということができよう︒
( 1 9 )
最高裁は︑この点に関して初期の段階で︑﹁通常の場合においては︑議会が議決をしても︑その議決は外部に対し地方公 共団体の行為としての効力を持たず︑議決に基いて︑執行機関が行政処分をした場合に︑初めて効力を生ずる﹂と述べた︒
最判一九五一年四月二八日民集五巻五号三三六頁︒国会も最高裁も︑憲法の趣旨を超えて地方議会に対する長の権限を高く 想定してしまっているといわなければならない︒
( 2 0 )
俵はかつて︑﹁地方公共団体の議会は︑執行機関と独立対等の関係に立ち︑国会が最高機関であるのと異なり︑自治権の 最高機関たる地位にあるものではない﹂と述べた︒俵静夫﹃地方自治法﹂(‑九六五年︑有斐閣︶一三七頁︒近時の体系書 においても︑たとえば高見は︑体系書の﹁国会﹂の章において︑国会議員の免責特権は﹁地方議会の議員には認められな い﹂と端的に述べて次注の最高裁判例を引用し︑中村は︑﹁地方自治﹂の章でやはり俵を引用した上で当該判例を論評抜き で紹介している︒野中・中村・高橋・高見﹃憲法
I I
︵ 第
三 版
︶ ﹄
︵ 有
斐 閣
︑ 二
0
0 一年︶九五頁および三五一頁︒また︑長谷
部も︑端的に﹁地方議会の議員には会期中の不逮捕特権や発言・表決の免責は認められていない﹂と述べている︒長谷部恭 男﹃憲法︵第三版︶﹄︵新世社︑二
0
0 三
年 ︶
二 五
五 頁
︒
( 2 1 )
本件最高裁判決は︑県議会の議場における議長に対する議員の公務執行妨害罪の成否をめぐり︑議会ないし議長の告訴告 発を訴訟条件とすべきであり︑議会自律への司法権の介入は許されないとしてなされた上告を︑引用の理由づけによって退 けたものである︒最大判一九六七年五月二四日︑刑集ニ︱巻四号五五頁︒この判例評釈として︑大石慎﹁地方議会の自律
権•議員の免責特権の有無と公訴提起の条件」地方自治判例百選(第三版)別冊ジュリ(二00
三年)―-四頁参照。
( 2 2 )
このような議員の免責条項は︑統治機構のありようにかかわらず︑英米独のみならず︑フランスやイタリア︑輯国や中国
の憲法にも普遍的に導入されている。拙稿「国会議員の免責と非免責—~ライアビリティーとアカウンタビリティー、レスポンシビリティーの区別ー│̲﹂﹃佐藤幸治還暦記念・現代立憲主義と司法権﹄所収︵青林書院︑一九九八年︶五五三頁以下
参 照
︒
( 2 3 )
通説は︑いうまでもなく﹁政治的美称﹂説である︒たとえば︑芦部信喜︵高橋補訂︶﹃憲法︵第三版︶﹂︵岩波書店︑二
O
関 法 第 五 四 巻 六 号
八
( ︱
ニ ︱
二 ︶
受 け
︑
八
0
二年︶二六九頁等︒筆者自身は︑四一条にいう国会の二性格すなわち﹁最高機関﹂と﹁立法機関﹂につき︑七三条一号が 内閣の職権としての﹁国務の総理﹂と﹁法律の執行﹂に対応させ︑国民代表機関として主権者国民の動態的主権者意思を反 映する機能を読み込んで︑﹁最高﹂機関を他の国家機関とりわけ内閣以下の行政諸機関に対する統制機関すなわち﹁責任﹂
追及機関として把握し匝すことを提唱している︒拙稿﹁内閣の対国会責任について﹂関大法学論集三七巻ニ・三号一
0
︱ 頁
以下とりわけ一︱︱頁︑拙稿﹁権力統制機構としての権力分立制と複数政党﹂公法研究五七号︵有斐閣︑一九九五年︶四四
頁 以
下 参
照 ︒
第二章
地 方 議 員 の 法 的 責 任 と 一 般 人 の そ れ
法的責任と政治的責任
責任という用語ないし概念は︑周知の通り︑広く社会科学全般において用いられ︑道徳的ないし道義的責任という 用語法から︑政治的ないし社会的責任︑さらには法律的ないし法的責任といった別意の形容を伴う用語法まで︑実に 多岐に渡る観点から区別されるものではあるが、まずもって一定の基準・規範に違背することをもって批判•非難を ひいては一定の不利益•制裁を受ける立場・地位をさすものととらえうる。責任をもつ、負う、取るあるいは 責任感︑責任者といった用語法から引き出されるその一般的な意味は︑ほぼ上記のような内容をもって把握されると いってよい︒この漢字二文字そのものは︑中国法制史に淵源を求めることができ︑本来は役ないし職という語と密接
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に結びつき︑それに任じられた者が任じた者に対して担う地位として観念されていたようである︒すなわち︑この用 語ないし概念は︑行為者の意に反してでも一定の不利益を課される限りにおいて︑上下関係ないし権力関係を前提と
地方議会議員の免責と非免責
第一節
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三 ︶
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四 ︶
するものであり︑受任に始まって最終的に受任の撤回という制裁に至る循環過程の中で把握されるものである︑とい うことを押さえておく必要があるように思われる︒西欧においても当然にこの二文字に対応する概念が存するが︑実 は複数の用語が区別されており︑しかもそれらがこの循環の各場面に対応するのであり︑そうであるが故に本小論の
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副題に表示して注意を喚起することとしたのである︒
本小論においては︑憲法学の見地から憲法的責任を問題にするのであるが︑実は従来から学説は︑憲法的責任の中 で﹁法的責任﹂と﹁政治的責任﹂を区別し︑しかもその相違について必ずしも明確な通説的理論枠組みを構築しえて おらず︑たとえば衆議院の内閣不信任決議によって追及される責任の性格について︑﹁法的色彩が︑かなり濃厚にな
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