• 検索結果がありません。

Edith Whartonのゴシック短篇にみるジェンダーとセクシュアリティ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Edith Whartonのゴシック短篇にみるジェンダーとセクシュアリティ"

Copied!
15
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

序論

Edith Whartonは、The House of Mirth(1905)や、The Age of Innocence(1920)

などの長篇作品で名声を博した小説家であるが、生涯を通して、多くのゴシック 短篇を執筆し続けた一面も併せ持っていた。ウォートンのゴシック短篇への関心 が、彼女の幼少期に早くも萌芽を見せていることは、超自然現象に対して敏感だっ た幼い自身を回想するウォートンの言葉からも窺える。九歳にしてチフスにかかっ たウォートンは、生死の境をさまよった経験が、子供から大人へと彼女を成長させ る一段階であったと捉え、その新たな世界に踏みこむことを、“[I]t was to enter a world haunted by formless horrors”(Wharton, “Autobiographical Postscript” 98)と 表現している。ウォートンに初めて恐怖の概念を植えつけた“formless horrors”「形 なき恐怖」は、彼女のゴシック的想像力の源であると同時に、“[N]obody knows better than a ghost how hard it is to put him or her into words shadowy yet transpar- ent enough”The Complete Works x)とウォートン自身が述べるとおり、その不可 視性をいかに可視化するのか、という課題として、つねに彼女の意識に潜んでいた のである。

ウォートン自ら「形なき」と形容するこの恐怖の実態に目を向ければ、彼女のゴ シック作品に多く見られる特徴が思い起こされる。それは、作中において不在の人 物、またはその正体が曖昧である人物が、その不確実性にも関わらず、主人公のア イデンティティにきわめて強く作用するという逆説である。ここで、「形なき」と 形容してきた漠然たる“formless”な恐怖が、「姿なき」恐怖として立ち現れること、

すなわち不可視の何者かによって引き起こされる戦慄でもあることに注目したい。

この不可視性の意義を位置づけるにあたり、先行研究を参照しておくと、例えば

Kathy Fedorcoは、ウォートンのゴシック作品の重点が、超自然的な体験を通して

浮き彫りとなる“gender anxiety”に置かれているとし(3)、Margaret B. McDowellは、

ウォートンが“the aspirations of women”(“Viewing the Custom” 521)に焦点を絞り、

不在と実在の逆説

Edith Whartonのゴシック短篇にみるジェンダーとセクシュアリティ

原 あゆみ

(2)

男性優位のジェンダー規範へ一石を投じていたのだと指摘する。つまり、ウォート ンのゴシック作品において不可視の存在が誘発する恐怖は、個人の自我の中でも、

とりわけ性の問題に深く結びついていると言える。このように、性というディス コースにおいて、再び「姿なき」恐怖に目を向けるとき、その不可視性が、タブー とされる領域を描き出すのにふさわしい手段であることが見えてくるだろう。

本論では、ジェンダーの揺らぎと、不可視の脅威との結びつきが、特に顕著に表 れているゴシック作品二篇、“Miss Mary Pask”(1925)と“Mr Jones”(1929)を取 り上げ、ウォートンの描く不可視の存在が、個人のアイデンティティをいかに翻弄 し、一方で覚醒に導くのかを考察する。本論は、これらの作品にみる不在・実在の 二項対立と、転覆的なジェンダーおよびセクシュアリティとの密接な繋がりを発掘 する試みである。

1.呼応する恐怖─ “Miss Mary Pask”“Mr Jones”

本論が扱う二作品は、それぞれ人名を表題に冠しており、メアリー・パスクと ジョーンズ両者の重要性は一見して明らかである。加えて、表題という最も可視化 された場所に位置しながらも、メアリーとジョーンズの存在が不可視化されている 点で両者が一致していることも注目に値するだろう。二作品の比較および相互参照 にあたり、まずは各作品のプロットを確認しておきたい。

「ミス・メアリー・パスク」では、語り手である男性が、友人Graceの姉であり、

孤独に暮らす独身女性のメアリー・パスクを訪問するも、彼女の死を知らせる電報 を受け取っていたことを思い起こし、目の前で饒舌に語り続けるメアリーの姿に、

生死の境界の曖昧さを実感し驚愕する。すがりつくメアリーを振り払い、パスク邸 から逃げ出した語り手が、グレイスからメアリーの死が実は誤解であり、メアリー は強硬症の発作から奇跡的に生還したのだと明かされたところで、物語は幕を下 ろす。一方、「ミスター・ジョーンズ」では、由緒ある屋敷を相続することになっ

Lady Jane Lynkeが、姿の見えない執事ジョーンズと、彼の命令を代行する女中

Mrs Clemmに翻弄されながらも、ジョーンズの正体に迫るべく奮闘する。おそら

くジェインの謎解きに手を貸してしまったために、ミセス・クレムがジョーンズに 殺されたことが示唆されるのみで、ジョーンズは結末でさえ、明確に姿を現すこと はない。

各プロットにおいて、メアリーとジョーンズの存在が不確実なものであること は、彼らが生死の境界を攪乱していることに起因している。メアリーを亡霊だと思 い込んだ語り手は、“What had shocked me was that the change was so slight̶that between being dead and alive there seemed after all to be so little difference”(CW

(3)

255)と、二項対立として捉えてきた生死の概念を揺るがされたことに動揺を禁じ 得ない。同様に、ジョーンズも、ミセス・クレムが“He’s between life and death, as

it were”(307)と語るように、生死の中間をさまよう存在である。さらに、両者

は、それぞれ“Miss”そして“Mr”と、男女の敬称を用いた表題であることからも、

その対応関係は視覚的に暗示される。1ウォートンが、当初「ミスター・ジョーン ズ」の表題を“The Parasite”と名づけながらも、現タイトルに変更していることも、

彼女が二作品を意図的に関連させている可能性をほのめかす。この変更について、

Jacqueline Wilson-Jordanは、ジョーンズが「寄生虫」と置き換えられることに注

目し、ジョーンズが体現する男性中心主義に搾取される女性たちの“limited author- ity”(186)を作品の主題として解釈する。確かに、ジョーンズは女性たちを支配下 に置き、長きにわたってベルズ邸の掟であり続けたが、ウォートンが「ミス・メア リー・パスク」の四年後に「寄生虫」から「ミスター・ジョーンズ」へと表題を変 更し、両者を呼応させているとすれば、「ミスター・ジョーンズ」におけるジェンダー 表象は、“limited authority”を強いられる弱者としての女性像だけに限られず、「ミ ス・メアリー・パスク」との関連から、新たな視点で再考することが可能となるだ ろう。次節では、まず「ミス・メアリー・パスク」におけるジェンダーの諸相に焦 点を当て、「ミスター・ジョーンズ」分析への土台を構築する。

2.逸脱する性─メアリーと語り手

前節で、ウォートンが意図的に「ミス・メアリー・パスク」と「ミスター・ジョー ンズ」を対応させている可能性を指摘した。むろん、タイトルの類似性は、その 対応関係を可視化するのみであり、両者を結びつけるにはさらなる論拠に頼らね ばならない。そこで、ウォートンが、メアリーとジョーンズ双方に、吸血鬼とい う共通のイメージを付与していることに注目したい。ジョーンズがミセス・クレ ム殺害の際、彼女の喉に“a circle of red marks”、言い換えれば“the marks of recent

bruises”(CW 331)を残していたこと、そしてこの作品が当初「寄生虫」と題され

ていたことからも、ジョーンズと吸血鬼のイメージを結びつけることは大いに可 能である。ミセス・クレムの首に残された鬱血の痕のみならず、佐々木みよ子が

“It is. . . distinctly materialized in Wharton’s rather late stories that a fortune-hunter is vampirized because of his insatiable material gratifi cation”(33)と指摘するように、

ジョーンズの権力に対する飽くなき執着そのものが、彼を吸血鬼と捉える視座の足 場となるだろう。

一方メアリーは、語り手の誤解の中で死者の立場に位置づけられるものの、

ジョーンズのように他者へ危害を加えることはない。では、メアリーと吸血鬼はど

(4)

のように重ねられ、その連想は何を意味するのか。この疑問に向き合うとき、「ミス・

メアリー・パスク」が、語り手の主観に深く根差して語られる物語だという事実 を思い起こす必要がある。語り手が読者に与えるのは、自身が“nervous collapse”

を患ったばかりで心身が覚束ない頃の体験談であるとともに、“The happenings of that night had to be overlaid with layer upon layer of time and forgetfulness before I could tolerate any return to them”CW 237)というように、トラウマから回復する ための長い時間と忘却を経たのちの回想録である。不安定に揺らぐ語りの信憑性 は、メアリーに関する情報においても不確実性を生み出す。結末で妹のグレイスが 明かすとおり、メアリーは重病から生還しているにも関わらず、彼女が亡霊だと信 じて疑わない語り手には、メアリーのすべてが死を想起させてしまうのである。

こうして、いわゆる「信頼できない語り手」の典型である「ミス・メアリー・パ スク」の語り手であるが、彼の主観に依拠したナラティヴの中でも、次に示す一例 には、とりわけ不自然さが如実に表れている。メアリーから必死で逃げ出した語り 手は、“the bride of Corinth, the medieval vampire”(252)と、吸血鬼のモチーフが 描かれるゲーテの“The Bride of Corinth”(1797)のヒロインにメアリーを重ねてい る。確かに、この連想を踏まえてメアリーの言動に注目すれば、“I hate the light̶

it makes my head ache”と、日光を嫌っているために、庭の片隅にある“a shady

corner”(249)で眠ることを打ち明けるメアリーの姿は、彼女が吸血鬼の性質を備 えていることを裏づけるかのように浮かび上がる。しかしここで留意せねばなら ないのは、この比喩の直後に、語り手が“[B]ut what names to attach to the plaintive image of Mary Pask!”(252)と述べ、悲愴に満ちたメアリーの姿を形容するにふさ わしい言葉が見当たらないと嘆くことであろう。つまり語り手は、メアリーを忠 実に描写して読者に提示すべく苦心するのではなく、彼女の姿にそぐわないにも 関わらず、なかば強引に吸血鬼のイメージを持ち出しているのである。語り手が ここで無意識に露呈するのは、メアリーの、そして語り手自身のセクシュアリティ に潜む問題だと考えられる。吸血鬼が人間の血を求める姿は、Ernest Jones“It may be said at the outset that the latent content of the belief yields plain indications of most kinds of sexual perversions. . .”(98)というように、逸脱した性的欲求の表象 と重ねられてきた。また、Bram StokerDracula(1897)の中で、性交の代替と して描かれる吸血行為に着目するChristopher Bentleyは、性に対し閉鎖的であっ た当時、吸血鬼という伝説を介してこそ、ストーカーが抑圧された“human sexual relationships”(26)を描くことを可能にしたのだと分析する。このように、吸血行 為には性的な含意が付随するが、「ミス・メアリー・パスク」において特筆すべき は、語り手の比喩の中で、吸血行為の主体となるのがメアリーであり、語り手が自 身を受動的な立場に定位していることである。先に引用したジョーンズの調査によ

(5)

れば、吸血行為は、眠っている男性を襲う女の悪魔Succubusのイメージとも重な ることから(116)、男性の血を求める「コリントの花嫁」にメアリーを、そしてそ の犠牲者に自身をなぞらえる語り手は、無意識のうちに、女性のセクシュアリティ に対する恐怖を露呈していると考えられる。

吸血鬼が体現する抑圧されたセクシュアリティがメアリーに潜む可能性は、

Janet BeerAvril Hornerによって指摘されている(273)。なるほど、確かにメア

リーが孤独な毎日の中で、男性との恋愛関係に想いを馳せていることは、“If a man came along some day and took a fancy to you?”(CW 251)という彼女の言葉にも明 らかである。とはいえ、メアリーに潜むセクシュアリティは、語り手との肉体的な 交わりにおいて満たされることへの渇望というよりも、自身の生存─亡霊ではな く、実体を備えたひとりの人間としての存在─を、語り手に印象づける手段と して発露しているように思われる。メアリーのセクシュアリティと、アイデンティ ティとの関連を探る文脈で顕著に浮かび上がるのは、語り手の訪問直後から、彼が 逃げ出すまでの刹那、自らあくまで死者として語り手に接しようとするメアリーが 強迫的に繰り返す、自身の「死」への言及である。彼女は、語り手との対面を喜び ながら、“I’ve had so few visitors since my death, you see”と語りかけ、“[t]he dead”

である自分は暗闇に慣れてしまったのだと言う。さらに彼女は、“When she got the news of my death̶were you with her?”(248)と、自分の「死のニュース」を受 け取った際のグレイスの様子を尋ね、孤独に生きる身を儚んで、“People don’t like me much since I’ve been dead”(250)と、自分が「死んでから」人々が疎遠になっ たことを嘆く。こうして、自身の死を語り手に刻みつける発言を四度にわたり繰り 返すメアリーであるが、彼女が、それらの発言すべてに、「笑い声」もしくは「微 笑み」を添えていることは、注目に値するだろう。何故ならメアリーの言動は、彼 にとって“the childish wiles of a clumsy capering coquetry”(247)であり、その笑 みは、語り手との親密性を深めるべく、彼の目に魅力的に映ろうとする試みだから である。メアリーは、あえて自らを死者と提示してみせ、語り手に“The revelation of the dead Mary Pask was much more real to me than ever the living one had been”

(253)と言わしめるほど、逆説的にその存在を強調するとともに、死者にふさわ しからぬ性的な含意を帯びた態度で語り手に接する。Cecelia Tichiは、ウォートン 作品の主軸に息づくセクシュアリティの存在を指摘した上で、“Sex, Wharton sug- gests, is central to power in relationships”(604)と述べる。むろん、メアリーと語 り手との間に異性愛的な交渉が生まれることはないが、語り手との関係性を構築す べく、官能的に振る舞うメアリーもまた、そうしたセクシュアルな空間を創り出し ている。自身の「死」の強迫的な反復、それに付随する笑みは、ひるがえって、自 らの生と性をもって語り手に訴えかけるメアリーの承認欲求の暗示として解釈で

(6)

きる。

では、このように表出するメアリーのセクシュアリティを恐れる語り手は、ど のような性の問題を抱えているのか。ここで、吸血鬼表象が描かれるウォートン

“The Eyes”(1910)を参照し、語り手のセクシュアリティに関する考察への足

掛かりとしておく。「眼」は、同性愛的な一面を持つ独身男性Andrew Culwinを苛 む、不気味な一対の眼をめぐる奇譚である。注目すべきは、カルウィンが回想の中 で、夜ごと自分につきまとう眼を“vampires with a taste for young fl esh”(CW 73)

と表現していることである。眼という身体の一部のみで現れるこの幻影を、人の姿 と、牙をも備えた吸血鬼に重ねるカルウィンの言葉から不自然な響きをぬぐうこ とはできない。この奇妙な恐怖の具現を、Allan Gardner Smithは、“horror of male oppression”“sadism with distaste for homosexuality”(97)との結晶であるとし、

固定化された性規範からの逸脱に対する恐怖の象徴として捉えている。カルウィン の場合、この奇怪な眼は最終的に彼自身の眼であることが結末で明かされる。彼が 吸血鬼として怯えていた存在は、ひそかに彼の内部に身を潜めていたのである。こ の啓示を踏まえると、彼の友人が、“juicy”(CW 55)な青年を好んで親密な関係に 引き込もうとするカルウィンの性質に言及していることは注目に値するだろう。こ

“juicy”という語が、カルウィン自身を吸血鬼のイメージと結びつけ、彼に潜む

同性愛的な欲望とともに、それに対する反作用としてのホモフォビックな一面を透 かし出すことになるからである。こうして、カルウィンが自らの同性愛的欲望の表 出である吸血鬼のイメージに苛まれることを考慮するならば、「ミス・メアリー・

パスク」の語り手が、メアリーを形容するのに適さないことを承知しつつも、あえ て吸血鬼のヴィジョンを提示する矛盾は、カルウィンのホモフォビックな恐怖と同 根であり、自己のセクシュアリティに対する不安に起因していると言えよう。

この前提に基づいて、「ミス・メアリー・パスク」の語り手が秘めるセクシュア リティの揺らぎと、それに対する不安をほのめかす一文に目を向けてみたい。物 語が結末に近づくにつれ、メアリーの「亡霊」に会ったことを彼女の妹グレイス に告げるべきか悩む語り手は、“She would just set me down as ‘queer’̶and enough people had done that already”(253)と述べる。彼は、グレイスに打ち明けたとこ

ろで“queer”と見なされるであろう未来の事態を予測すると同時に、これまで多く

の人々に“queer”の烙印を押されてきたという過去の記憶を呼び覚ます。そして彼

は、これ以上“queer”であるゆえに非難されることを避けようと、“All things con- sidered, I would hold my tongue”(254)と、パスク邸での出来事について沈黙する ことを決意する。この“queer”という語は、OEDの用例によれば、1914 年のLos

Angeles Times誌上で同性愛者を指す文脈で使用されていることから、「ミス・メア

リー・パスク」が出版された 1925 年には、すでにそのような文脈で言及されてい

(7)

たと考えても不自然ではない。2むろん、“queer”という語を単に「変わり者だ」と いう解釈にとどめておくことも可能であるため、この語を糸口として、さらに語り 手のホモセクシュアルな欲望を精査していきたい。

語り手の潜在的なホモセクシュアリティは、グレイスの夫Horace Bridgeworth について語る彼の言葉にその片鱗を見せる。語り手は、妹グレイスと常に行動を共 にしていたメアリーが、グレイスの結婚とアメリカへの移住を機に、妹から離れ、

フランスでひとり暮らすことを決めた理由のひとつに、メアリーがホレスを「あま りに愛していた」可能性を挙げる。その際に語り手は、この可能性が、「ホレスの ことを知る者にとっては」より説得力を伴ったものになることを付け加えている。

この条件を踏まえれば、メアリーが「芸術家気質であるために」ヨーロッパに残っ たとするグレイスの仮説よりも、自身のこの仮説を支持している語り手は、「ホレ スのことを知る者」に分類されることになる。すなわち語り手自身、メアリーが心 を奪われるに足るだけの男性的な魅力をホレスに見出しているのである。語り手か らホレスへの憧れは、“Miss Pask with her round fl ushed face, her innocent bulging eyes, her old-maidish fl at decorated with art-tidies, and her vague and timid philan- thropy. Aspire to Horace̶!”(238-39)という語りが顕著に示している。語り手は、

メアリーの容姿や性質を描写したのち、唐突に「ホレスに憧れて!」と感嘆するこ とで、自身の叫びを、あたかもメアリーのものであるかのように見せかけるのであ る。

ここで、Horace Bridgeworthという名について考察する必要が出てくる。こ

の名が想起させるのは、Thomas Babington Macaulayの物語詩“Horatius at the Bridge”(1842)であろう。マコーレーの詩は、自らの危険をいとわず、二人の戦 友とともに、たった三人で敵軍の侵攻を食い止めたローマの戦士ホラティウスの勇 姿を称えるものである。ウォートンが自伝の中で、“Horatius at the Bridge”が収録 されたマコーレーのLays of Ancient Romeを父から読み聞かせてもらった経験を明 かしていることも(“Life and I” 1075)、ホレスからホラティウスの連想の裏づけと なるだろう。「ミス・メアリー・パスク」では、ホレスの容姿や人格はほとんど明 かされることはないが、英雄ホラティウスに重ねられるホレスが男性的な人物であ ると考えることは可能である。ホレスとホラティウスの結びつきは、男性である語 り手がホレスの男らしさに「憧れて」いることを暗示する指標として考慮すべき細 部だと言ってよい。

こうして、ホレスに注がれる語り手のホモセクシュアルな視線は、彼が「変わり 者」としての“queer”の範疇を超え、「同性愛者」としての“queer”である可能性 を鮮やかに照射する。興味深いことに、語り手は自らを“queer”と称した直後に、

この語をメアリーにも付与している。彼は、荒れ果てたメアリーの家の外観を、“[t]

(8)

he queer neglected look of the house”(CW 254)と描写し、孤独の中に身をおく彼 女の姿に同情を寄せるのである。メアリーは、年老いてなお独身であるという点に おいて、語り手と同様にジェンダー規範から逸脱しているのであり、さらに語り手 の目に死者として映る彼女は、生という枠組みからさえも追放された完全なるアウ トサイダーだと言える。メアリーに対して恐怖しか抱きえなかった語り手の急激な 心境の変化が、互いに社会から疎外された“queer”な存在であるという同族意識に 基づいているとしても不思議はない。

先に比較した「眼」をはじめとする他のゴシック短篇群と、「ミス・メアリー・

パスク」との決定的な違いは、メアリーが語り手の誤解の中で幽霊に位置づけられ るのみで、実際には怪奇現象が起きていないことである。マクダウェルは、ウォー トンの、とりわけ後期ゴシック短篇における主題を、「超自然的またはきわめて 精神的な経験によって強調される、人間関係の問題」や「自立への願望」(Edith

Wharton 87-88)と定義するが、「ミス・メアリー・パスク」も、そうした作品のひ

とつに数えることができるだろう。すべて語り手の誤解によって引き起こされ、彼 の意識においてのみ怪談となりうるこの物語は、メアリーが生み出す恐怖じたいで はなく、メアリーによって、自我に向き合う契機を与えられた語り手の内的葛藤 をめぐる物語となっている。女性に焦点を当てることの多いウォートンであるが、

「眼」や「ミス・メアリー・パスク」では、規範的な男らしさから逸脱する男性が、

自らの性に対して抱える不安をも巧みにあぶり出している。

3.不可視化される弱者─女性たちの抵抗

これまで考察してきた「ミス・メアリー・パスク」におけるジェンダー表象を踏 まえて「ミスター・ジョーンズ」を考察する際、メアリーのある発言が重要な意味 を帯びてくる。メアリーは、彼女の「死」以来、人々が近寄ろうとしないことに関

して、“Queer, isn’t it?”と語り手に問いかける。前節に述べたとおり、語り手は自

分とメアリーとを“queer”という語によって結びつけ、社会からの逸脱者として同 族意識を抱いていた。しかし、メアリーが“queer”だと見なすのは、彼女を疎外す るマジョリティの人々である。メアリーは孤独ゆえの苦悩をしばしば口にするも のの、結婚することもなく、ひとりで暮らす自分を“queer”な逸脱者に位置づける ことはない。言い換えれば、生きているにも関わらず死んだものとされるメアリー は、被害者性を帯びているかに見えるが、自身の性に不安を抱く語り手と比較して、

確固たる自我を備えているように思われる。これを補強するかのように、メアリー が訪問者である語り手に向かって饒舌に話し続ける一方、語り手はメアリーの前で ほとんど言葉を発することができない。彼は、語り手という特権的な立場に存在し

(9)

ながらも、“I dived down in vain for my missing voice”(CW 250)と、沈黙に徹さざ るをえない状況に追い込まれるのである。Deborah Lichtmanは、ウォートン作品 の多くが、ジェンダー規範に虐げられる女性を描くかたわら、男性を“a secondary

feminine position”(184)に定位し、女性であるウォートンが主導権を握るというジェ

ンダー・ロールの逆転を基盤としていると述べる。同様にメアリーは、女性である と同時にオールド・ミスであるという社会的弱者の立場にありながら、男性である 語り手との関係性において主導権を握り、語り手に代わって自ら語る優位に立つ点 において、その秘められていた主体性を発揮している。

このように、語り手には弱者として映るメアリーが、マジョリティを“queer” 呼ぶことで、規範的なジェンダー社会への抵抗を見せるように、「ミスター・ジョー ンズ」のヒロインであるジェインもまた、その言葉に主体的な女性としての自我を 織りまぜている。冒頭部に描かれる、ジェインが相続する予定のベルズ邸を訪れる 場面において、ウォートンは、情景描写とジェインの発言とを呼応させ、彼女のヒ ロイン像を提示してみせる。まず、ジェインはベルズ邸の近隣にある村に到着する が、“No one seemed aware of her”(CW 295)と、誰ひとりジェインの存在に気づ くことはない。ここで不可視化されるジェインの存在は、死者と誤解され、語り手 をはじめとする世間から不可視化されたメアリーの姿を呼び起こし、また、不在で ありながらもベルズ邸を支配するジョーンズの男性的権威と、アイロニカルな対比 をなす。しかし、ジェインは不可視化されることへの抵抗を表明するかのごとく、“a September sun that looked like moonlight”(296)の下にたたずむベルズ邸を目に して、“I shall never leave it!”“ejaculate”する。「月光のような九月の陽射し」は、

太陽が象徴する男性的な力と、月が内包する女性的なイメージを兼ね備えると同時 に、由緒正しいベルズ邸をあたかも支配するかのように見下ろすその構図は、屋敷 の新たな主人となるジェインの姿と共鳴する。さらに、この男性性と女性性の融合 は、直後にジェインの言葉によって反復されることとなる。「決してベルズ邸を手 放さない」という彼女の決意は、“ejaculate”という、男性的なセクシュアリティを 想起させる動詞を伴って発話されるが、彼女の胸はあくまで「恋人に誓いをたてた かのように」(297)繊細な鼓動を打つ。冒頭からジェインは、固定的なジェンダー 観に囚われない、二つの性の境界を自由に行き来するヒロインとして紹介されてい ると言えよう。この中性的な側面は、実はメアリーにも当てはまる。彼女の声は“an old woman’s quaver”であるのみならず、“a boy’s falsetto”(245)として語り手の印 象に刻みつけられる。ここでメアリーは、年老いてなお独身であり、また女性であ るという二重の障壁に逆らうかのように、年齢および性別の境界を攪乱するのであ る。ジェインの流動的なジェンダーのあり方もまた、メアリーが固定観念に対して 発揮する転覆性の系譜を受け継いでいるのではないか。

(10)

ジェインが「他の人々と違って」(295)いる点は、彼女の柔軟なジェンダーの あり方だけにとどまらない。メアリー同様、ウォートンはジェインにも独身女性 としてのバックグラウンドを設定する。ジェインが“independent”かつ“decided”

な生活を送る活発な女性であり、作家としての一面を持っていることから、Emily

Josephine Orlandoが述べるとおり、ウォートンがジェインに自己を投影している

可能性は高い(292)。ジェインは、三十代半ばの今もなお独身であることを恥じ ることもなく、むしろ、一族の繁栄だけを目的とした政略的な結婚を“a faint con- tempt”とともに“clever marriages”(CW 297)と皮肉をこめてあしらう。固定化さ れたジェンダー・ロールに束縛されないジェインは、ジョーンズの不可視の存在に 翻弄されながらも、被害者性を帯びたヒロインという印象を与えない。しかしジェ インは、ベルズ邸の墓地に、謎めいた女性が眠ることを知る。この女性は、墓碑に 名前すら刻まれることなく、リンク子爵の妻としてのみ認識され、“Also His Wife”

(298)のフレーズとともに葬られているのみである。ジェインは、この墓の謎を探 るうちに、この女性がJulianaという名であり、一通の手紙を残していることを突 き止める。手紙には、ジュリアナが聴覚と発話に障害を持っていること、恐らくそ のために夫に冷淡に扱われていること、執事ジョーンズによって、屋敷に閉じ込め られていたことが明かされる。ジュリアナが、その資産を目当てにリンク家に嫁が されたことに憤るジェインは、金銭目的の結婚を重視する自らの血族を“ghastly”

(328)と批判し、ジョーンズの監禁によって虐げられ、不可視化されたジュリアナ の存在を再発見するのである。

ここで、ジェインが葬り去られていたジュリアナを見つけだす契機が、聴覚も 声も持たないジュリアナの手紙であることに注目したい。「ミスター・ジョーンズ」

において、女性が文章を書くという行為に力点が置かれていることは、主人公ジェ インに作家の肩書が与えられていることからも明らかである。Gary Tottenは、ベ ルズ邸に隠された物語を紐解こうとするジェインの奮闘と、女性作家としてウォー トンが直面せざるをえなかった“anxiety of authorship”Gilbert& Gubar 59)を照 らし合わせているが(Totten 69)、屋敷に閉じ込められ、世間との交流をいっさい 断ち切られたジュリアナの手紙もまた、不可視化される自らの物語を可視化し、他 者へと発信する媒体として機能していると言える。小説における手紙の機能を分 析するJanet Gurkin Altmanは、“In letter narrative we not only see correspondents struggle with pen, ink, and paper; we also see their messages being read and inter- preted by their intended or unintended recipients”(88)と、書き手の意図や心境の みならず、その受け手が文章を読み、そして解釈する行為の重要性を喚起している。

冷淡な夫に自らの存在を主張するジュリアナの手紙はしかし、ジョーンズによって 文書保管庫の中に葬られ、長い年月に埋もれていた。彼女の手紙は、アルトマンの

(11)

言葉を借りれば“unintended recipients”であるジェインによって発掘され、読まれ、

解釈されて初めてその意義を獲得することができる。ジュリアナが手紙の中で夫に 訴えるも聞き届けられることのなかった“a perpetual eagerness of attention”CW 327)は、作家であるゆえに書き手の苦悩を理解し、そして読み手としてジュリア ナの悲痛な心境を解釈するジェインによって認知されるのである。

こうしてジェインは、主体的な女性像を体現するのみならず、男性的権威の被害 者ジュリアナの救済者および代弁者として立ち現れる。伴のかかった文書保管庫に 葬られたジュリアナの手紙が、部屋に閉じ込められた彼女自身の姿をメタフォリカ ルに反復しているとすれば、ジュリアナの謎に迫るため、ジョーンズが出入りを禁 止している文書保管庫へ入ろうとするジェインの“Break the lock”(321)という叫 びは、文字通りドアの開放を指すと同時に、男性的な抑圧のうちに忘却されたジュ リアナの解放を宣言するかのように響いてくる。ここで興味深いのは、文書保管庫 の伴をジェインに渡したのが、これまでベルズ邸の秘密に近づこうとするジェイン を阻んできたミセス・クレムだという点である。ジョーンズに支配され、彼に加 担していたミセス・クレムは、同じ女性として、父権的な束縛に屈することのない ジェインの叫びに共鳴したからこそ、自らの命が危険にさらされることを承知の上 で、ジェインに伴を渡したのではないか。ミセス・クレムが初めてジョーンズの掟 を破り、自らの意志でジェインとジュリアナのために行動した可能性は、文書保管 庫を探られたために、ジョーンズがミセス・クレムを罰したのだと説明する彼女の

Georgianaの発言からも、大いに肯定できるだろう。

Linda Costanzo Cahirは、百年以上に及ぶジョーンズの支配権への執着について、

“Wharton literalizes the notion of the extremes of self-reliance begetting a malevolent sort of immorality in ‘Mr Jones’. . .”(55)と述べ、ジョーンズの過剰な“self-reliance”

こそが「ミスター・ジョーンズ」における恐怖の根源であると結論づけている。こ の指摘を前提にするならば、「ミスター・ジョーンズ」は、男性中心主義に固執す るジョーンズの“self-reliance”と、ジェインが体現する主体的な女性としての“self-

reliance”との対立によって紡がれる物語として捉えることができる。ジェインの

自己信頼とは、父権的な抑圧に囚われない生き方に宿るのであり、彼女にとっては、

盲信的に結婚制度を推し進める社会規範こそ“ghastly”と非難されるべき対象であ る。同様に、メアリーも、自らを“queer”と見なす社会こそ“queer”であると述べ、

マジョリティとマイノリティの界面を曖昧化する。本節で取り上げた三人の女性

─メアリー、ジェイン、ジュリアナ─はすべて、それぞれナラティヴの権利、

作家という職業、そして自己の存在を発信する手紙という三者三様の“authorship”

によって、彼女たちを不可視化する権力に抗い、自己を再び可視化してみせるので ある。

(12)

結論

本論では、「ミス・メアリー・パスク」と「ミスター・ジョーンズ」が、ウォー トンのゴシック短篇に見られる「不在」を特に強調する作品であることに注目し、

両者の比較の中に、ジェンダー規範の力学に屈しない女性たちの抵抗を読みとって きた。とはいえ、「ミスター・ジョーンズ」の結末で、ジェインが男性的な権力を 体現するジョーンズを打ち破ることができたのか、という疑問に答えは用意されて いない。むしろ、ミセス・クレムがジョーンズの手にかかって命を落とす幕切れが、

女性の“passivity”Stengel 427)を印象づけるものであり、男性の優位に抗いきれ

ないことを暗示していると捉える批評も散見される。そこで、「ミス・メアリー・

パスク」の結末に立ち返って、「ミスター・ジョーンズ」解釈への架け橋を築き、

本論の結びとしたい。

「ミス・メアリー・パスク」の結末で注目すべきは、死者であるとみなされてき たメアリーが、実は生きていると判明する逆転であり、語り手は、いくぶんユーモ アさえ滲ませながら、自身のあまりに重大な誤解を描写する。しかし、語り手の誤 解が解け、彼の意識の中でメアリーが擬似的な復活を遂げる前に、彼女が、重度の 強硬症から奇跡的な復活を実際に果たしていることを忘れてはならない。この事実 を注視するとき、メアリーの名前は、彼女の二度にわたる復活と密接に関連しなが ら浮上する。オールド・ミスであるメアリーが、聖母マリアと同じ名を持つことは 一目瞭然であるが、彼女のファミリー・ネーム“Pask”もまた、キリスト教的な含 意を帯びているのである。OEDによると、“pask”の語源は、イースターを指すラ

テン語“pascha”にまで遡り、古フランス語で“pask”となる。つまり、メアリー・

パスクは「聖女復活」を内包する名であり、医師たちが“an extraordinary case” と驚嘆するほどに奇跡的な彼女の復活と協和することで、虐げられた彼女の存在を 再発見する手がかりとなっている。

死のイメージを払拭し、生/聖の領域へと再定位されるメアリーであるが、結末 で初めて、人間ではない超自然的な存在であることが明かされるジョーンズは、不 確実な存在として描かれる過程を同じくしながらも、その実体はまったくもって 対照的である。具体的に言えば、メアリーは、妹グレイスの“She isn’t dead! There isn’t any grave, my dear man!”(CW 256)という叫びによって、語り手に初めて生 者として承認される。一方ジョーンズは、ジョージアナの“He’s in his grave in the churchyard”(333)という証言から分かるとおり、墓という死者の領域から出るこ とのない不可視の存在にとどまる。特筆すべきは、両作品において、結末にひねり を加える点で重要な意義を持つ“grave”の一語が、メアリーの場合はその生存を語 り手に知らせるべく言及される一方、ジョーンズの場合、彼が生者ではないことの

(13)

証として持ち出されていることであろう。こうして、「墓」という死のパラフレー ズを介して提示されるメアリーの実在、そしてジョーンズの不在との対比に、ジェ ンダー規範を打ち破って再生する自由な女性像が見えてくる。ジョーンズとジェイ ンのベルズ邸での支配権をめぐる勝敗のゆくえは憶測の域を出ないが、ジェイン やメアリーに与えられた主体性と、執筆によってジェンダーの障壁に向き合った ウォートンの姿勢に鑑みれば、「ミスター・ジョーンズ」は、絶対的な男性中心主 義に屈服を余儀なくされる女性ではなく、むしろ、それに対抗しうる女性の自己探 求の可能性を示していると言えるだろう。

ウォートンのまなざしは、生涯にわたって「姿なき恐怖」に注がれていた。それ は、不可視の存在がもたらす脅威や、不可視化される対象となることへの不安を表 すとともに、個人のアイデンティティに向き合う契機にもなりうる。ウォートンの ゴシック短篇には、常に死の暗い影が寄り添う反面、抑圧される人々─弱者と見 なされる女性や、社会規範からの逸脱者たち─に、主体的な自己のあり方という 光を投げかけているのである。

Notes

1ウォートン作品では、他に“Mrs. Manstey’s View”(1891)という短篇においても 女性の敬称を含む表題が確認できるが、本論で扱う二作品との間に三十年以上も の時間的な隔たりがあること、また、超常現象を扱っておらず、ゴシック作品に カウントされないことから、本論では取り上げない。

2OEDにおける、同性愛を指す“queer”の用例は以下の通りである。

OED, s.v. queer, adj.

1914 Los Angeles Times 19 Nov. II. 10/5 He said that the Ninety-six Club was the best; that it was composed of the ‘queer’ people. . . He said the members sometimes spent hundreds of dollars on silk gowns, hosiery, etc. . . . At these ‘drugs’ the ‘queer’

people have a good time.

Works Cited

Altman, Janet Gurkin. Epistolarity: Approaches to a Form. Columbus: Ohio State UP, 1982. Print.

Beer, Janet and Avril Horner. “This Isn’t Exactly a Ghost Story’; Edith Wharton and Parodic Gothic.” Journal of American Studies 37.2 (2003): 269-85. JSTOR. Web. 25 January 2015.

(14)

Bentley, Christopher. “The Monster in the Bedroom: Sexual Symbolism in Bram Stoker’s Dracula.” Dracula: The Vampire Critics. Ed. Margaret L. Carter. Ann Arbor: UMI Research Press, 1988. 25-34. Print.

Cahir, Linda Costanzo. Solitude and Society in the Works of Herman Melville and Edith Wharton. Westport: Greenwood Press, 1999. Print.

Fedorco, Kathy A. “‘Forbidden Things’: Confrontation with the Feminine in ‘The Young Gentlemen’ and ‘Bewitched.’” Edith Wharton Review 11.1 (1994): 3-10. The Edith Wharton Society. Web. 19 January 2015.

Gilbert, Sandra and Susan Gubar. The Madwoman in the Attic: The Woman Writer and the Nineteenth-Century Literary Imagination. New Haven: Yale UP, 2000. Print.

Jones, Ernest. On the Nightmare. London: The Hogarth Press, 1931. Print.

Lichtman, Deborah. “Edith Wharton and Art of Concealment.” Diss. University of California, 1991. ProQuest Dissertations and Theses Global. Web. 20 January 2015.

McDowell, Margaret B. Edith Wharton. Boston: G.K. Hall, 1991. Print.

---.“Viewing the Custom of Her Country: Edith Wharton’s Feminism.” Contemporary Literature 15. 4 (1974): 521-38. JSTOR. Web. 19 January 2015.

Orlando, Emily Josephine. “Body Art: Women, Art, and Representation in Edith Wharton.” Diss. University of Maryland, 2002. ProQuest Dissertations and Theses Global. Web. 25 January 2015.

Sasaki, Miyoko. “The Sense of Horror in Edith Wharton.” Diss. Yale University, 1973. ProQuest Dissertations and Theses Global. Web. 25 January 2015.

Smith, Allan Gardner. “Edith Wharton and the Ghost Story.” Edith Wharton. Ed.

Harold Bloom. New York: Chelsea House, 1986. 89-97. Print.

Stengel, Ellen Powers. “The Terror of the Usual: The Supernatural Short Stories of Edith Wharton.” Diss. Duke University, 1987. ProQuest Dissertations and Theses Global. Web. 31 January 2015.

Tichi, Cecelia. “Women Writers and the New Woman.” The Columbia Literary History of the United States. Ed. Emory Elliot. New York: Columbia UP, 1988. Print.

Totten, Gary. Memorial Boxes and Guarded Interiors: Edith Wharton and Material Culture. Tuscaloosa: U of Alabama P, 2007. Print.

Wharton, Edith. “Autobiographical Postscript.” Gothic Horror: A Guide for Students and Readers. Ed. Clive Bloom. New York: Palgrave Macmillan, 2007. 97-99. Print.

---.The Complete Works of Edith Wharton: Ghosts, The Buccaneers. Ed. Yoshie Itabashi and Miyoko Sasaki. Kyoto: Rinsen Book, 1989. Print.

---.“Life and I.” Edith Wharton: Novellas and Other Writings. Ed. Cynthia Griffi n Wolff.

(15)

New York: The Library of America, 1990. 1069-96. Print.

Wilson-Jordan, Jacqueline. “Written on the Border: Story Telling and the Abject Subject in Edith Wharton’s Ghost Tales.” Diss. Northern Illinois University, 1999. ProQuest Dissertations and Theses Global. Web. 20 January 2015.

参照

関連したドキュメント

「ラリベロッチ―終わりなき祝福を生きる」

リーベルマンによれば、フェミニスト・ポルノの視聴者は制作者にたいす

で, とりわけ不当なコメントだと考える

たばこ総合研究センター他、 1995 )。したがって女性で も高齢になれば、いずれの制約からも外されることにな る。いっぽう、喜多村信節の『嬉遊笑覧』巻 10 上( 1830

この絵本に描かれた家事を女性におしつけている夫と男の子二人は、今までの男性イメージを踏襲し

しかし、リーダーシップのスタイルが逸脱行動に及ぼす影響を明らにすることが目的であるため、実際に分

Sara がひとりで過ごす 36 時間が描かれる II 章と III 章の大半が “silence” と

 非協力繰り返しゲームの戦略で問題となるの は,プレイヤーが協力的な戦略(必ずしもナッ