ハバナ出土の東洋磁器
Oriental Porcelains Excavated in Havana, Cuba
長崎大学
野上 建紀
テンプロマヨール博物館
エラディオ テレロス エスピノサ
NOGAMI Takenori (Nagasaki University) ·
Eladio Terreros Espinosa (Museo del Templo Mayor)
はじめに
世紀末から 世紀初めにかけて、スペイン船によるアジアとアメリカを 結ぶ貿易ルートがあった。マニラ・アカプルコ間を往復したマニラ・ガレオ ン貿易ルートである。この貿易ルートを通じて、アメリカ大陸からアジア市 場へ銀がもたらされ、アジアからは絹や香料をはじめとした産物が太平洋を 渡っていった。 世紀初頭に至るまでアジアでのみ生産が可能であった磁器 もその重要な産物であった。
筆者は 年のマニラ出土陶磁器の調査を皮切りに、スペインのマニラ・
ガレオン貿易における陶磁器貿易について調査研究を行ってきた。調査方法 は各地の遺跡から出土した陶磁器を種類、年代、生産地等により分類し、分 析するというものである。同時に実測図作成と写真撮影による資料化を行い、
各地域間の資料の比較を重ねていった。 年は主にマニラへの輸入経路上 の貿易拠点の調査を行い、続く 年からメキシコをはじめとした中米地域 から出土した東洋磁器に関する調査を行っている。メキシコ以外ではグアテ マラ( ・ 年)、パナマ( 年)の調査を行い、 年には新たに キューバのハバナで調査を行った。ハバナは太平洋を渡った東洋磁器がさら に大西洋を越えていったかどうか知る上で極めて重要な位置にある。
学 術 資 料
ハバ ナ 出土 の 東洋 磁 器
年 月 日〜 日にかけてメキシコ国内の遺跡の調査を行い、 日か ら 日にかけてハバナの遺跡の調査を行った。 日間の短い調査期間であっ たが、ハバナの考古学博物館の協力により効率的な調査を行うことができた。
本研究ノートでは、このハバナ調査で得られた資料の紹介と考察を行う。
.キューバの貿易小史
年 月 日にスペインを船出したクリストファー・コロンブスは、バ ハマ諸島にたどり着き、 月 日にキューバに上陸している。 年にはセ バスティアン・デ・オカンポがキューバ全島を探検し、一つの島であること を証明している。 年にスペインの総督ディエゴ・コロンは島の征服を決 意し、そして、実行に移した(ラモール )。キューバはメキシコ湾の探 検と征服のための前進基地として発展を遂げていった。また、島の何カ所か で砂金が発見され、 年まで小さなゴールド・ラッシュが続いて、バルバ コア、トリニダー、カマゲイなどの町々が建設され、 年にはサンティア ゴが首邑となった(増田 )。しかし、スペイン・アメリカ間の船団の航 路が確定すると、北海岸東部に位置するハバナが帰航する船団の集結地とな り、カリブ海随一の重要港となった(増田 )。それゆえにフランス、オ ランダ、イギリスなど他国の襲撃を受け、その結果、ハバナを防衛する要塞 が築かれていくことになる。また、 年代にはタバコ産業が興り、良質の タバコがスペイン向けに輸出されるようになり、砂糖の生産も始まった(増 田 )。
一方、アメリカ大陸と太平洋を挟んだ反対側のもう一つのスペインの植民 地フィリピンでは、 年にミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島に到着 し、占領したセブシティをフィリピンの首都としたが、 年後の 年には マニラを占領し、首都を移してフィリピン統治とアジア貿易の拠点とした。
マニラ建設後まもなく先に述べたマニラ・ガレオン貿易ルートが開設された。
前述のとおり、スペインのアジア側拠点のマニラとアメリカ大陸を結ぶ貿易 ルートであり、アメリカ大陸から銀がアジアへ渡り、そして、アジアからア
メリカ大陸へ絹や香料、陶磁器をはじめとした産物が太平洋を横断して運ば れた。そして、それらのアジアの産物はアメリカ大陸のスペイン植民地に流 通し、中には陸路で大西洋側の港であるベラクルスに運ばれ、さらに大西洋 を横断してスペイン本国に運ばれるものもあった。マニラ・ガレオン貿易に よってアジアからアメリカ大陸やスペインにもたらされた商品はさまざまで あり、沈没船資料が当時の貿易を具体的に示してくれる。 年にマニラ沖 で沈んだサン・ディエゴ号、 年にフロリダ沖で沈んだアトーチャ号、
年にサイパン沖で沈んだコンセプシオン号、 年にドミニカ沖に沈んだコ ンセプシオン号などが知られている。学術的な発掘調査が行われたものもあ れば、商業的サルベージによって引き揚げられたものもある。金、銀、銅、
宝石、陶磁器などが大量に発見されており、当時の盛んな貿易を物語ってい る。もちろん海中で腐食し、消失した貿易品も少なくない。これらの沈没船 の中でハバナを出港あるいは寄港した船はアトーチャ号とコンセプシオン号 である。いずれも大西洋を横断してアメリカ側からスペイン本国に向かおう としていたもので、マニラ・ガレオン貿易によってもたらされたアジアの陶 磁器などの産物やアメリカの金、銀などを積んでいたものである。ハバナは スペインへ向かうそのような船の集結地であった。
世紀に入り、 年にブルボン王朝がスペインで発足し、植民地に対す る統制が厳しくなると、 年にはタバコが王室の専売事業になり、 年 に王立商社が設立されて、スペイン・キューバ間のすべての貿易はその事業 になった(増田 )。この厳しい統制状態に大きな変化をもたらしたのが、
年のイギリスによるハバナ攻囲と占領であり、その占領下でハバナはイ ギリス領アメリカとの自由な貿易を行った。 年にフロリダとの交換によ りハバナはスペインに返還されたが、ハバナの自由貿易への欲求は強く、
年にキューバと全スペイン帝国との自由貿易が認められた(増田 )。タ バコ貿易、砂糖貿易、そして、それに伴い奴隷貿易が盛んに行われ、 年 には全ての国の奴隷商人がキューバに奴隷を輸入することが許され、 年 にはタバコの生産、販売が自由化され、ついにキューバはすべての国の商船 に門戸を開くこととなった(増田 )。ハバナが自由貿易の権利を獲得し
学 術 資 料
ハバ ナ 出土 の 東洋 磁 器
ていく一方で、スペイン本国は斜陽化していき、 世紀初頭にはメキシコ副 王領の独立に伴い、およそ 年続いたスペインによるマニラ・ガレオン貿 易も終焉を迎えた。
.ハバナ出土の東洋磁器
ハバナの旧市街の歴史地区を中心に市内の各遺跡から東洋磁器が出土して いる(Fig.)。出土地点等は一覧表(Tab., )を参照されたい。当該歴 史地区は世界遺産にも登録されており、開発工事等に際して随時発掘調査が 行われており、その中で出土したものである。ただし、詳細な出土状況を示 す写真等は確認できていない。陶磁器の編年観から 世紀後半〜 世紀前半、
世紀後半、 世紀末〜 世紀前半、 世紀〜 世紀初めの順に紹介する。
なお、Fig.はアジアの家(La Casa- Museo de Asia)の保管分、Fig.は考 古学博物館(Museo de Arqueología de la Oficina de Historiador de la Ciudad de La Habana)の保管分である。
. 世紀後半〜 世紀前半
Fig.‐ 〜 、Fig.‐ 〜 がこの時期に該当するが、いずれも景徳鎮窯で 焼かれた製品である。Fig.‐ 〜 、Fig.‐ は染付芙蓉手皿である。Fig.‐
、Fig.‐ , は染付鹿文皿である。Fig.‐ は染付折縁皿である。Fig.‐ , は染付碗である。Fig.‐ は「大明年造」銘が入る。Fig.‐ は色絵鳳凰文 折縁皿である。この段階ではまだチョコレートカップは見られない。
. 世紀後半
Fig.および Fig.‐ , は日本磁器である。九州北西部の肥前地区で生産 されたものであり、特に有田の内山地区で生産されたものと見られる。Fig.
‐ (Fig.‐ )については景徳鎮窯産の可能性も考えたが、有田焼であろう と判断した。Fig.‐ (Fig.‐ )は染付チョコレートカップである。外面 に芥子文と草花文が描かれ、高台内には「大明年製」の銘が入る。Fig.‐
(Fig.‐ )は褐釉掛分染付碗である。器の上半部しか残っていないが、チョ コレートカップであろうと思われる。Fig.‐ は染付チョコレートカップで ある。外面には草花文が入る。Fig.‐ も染付チョコレートカップであろう。
. 世紀末〜 世紀前半
Fig.‐ , , 〜 、Fig.‐ 〜 , , , がこ の 時 期 に 該 当 す る。
いすれも景徳鎮窯で焼かれた製品である。器種はチョコレートカップが大半 を占め、その他に皿、チョコレートカップ以外の碗などがある。Fig.‐
〜 ,Fig.‐ 〜 , は染付チョコレートカップである。大半が唐草文 であるが、草花文が描かれたものもある(Fig.‐ )。Fig.‐ 〜 、Fig.
‐ 〜 などは唐草文の描き方が福建省東海平潭碗礁 号沈没船遺跡(碗礁 一号水下考古隊 )から出土している染付チョコレートカップに類似して いる。碗礁 号沈没船発見の陶磁器の年代は 〜 年代の間と推定され ている(栗 )。Fig.‐ は染付唐花文碗である。同様の文様は碗礁 号 沈没船発見の染付皿に見られる。Fig.‐ は色絵皿である。
. 世紀〜 世紀初め
Fig.‐ , , 、Fig.‐ 〜 , 〜 がこの時期に該当する。景徳鎮 窯で生産されたものと徳化窯系の窯で生産されたものがある。Fig.‐ は 青磁掛分碗である。Fig.‐ , 、Fig.‐ は色絵チョコレートカップで ある。Fig.‐ は色絵菊牡丹文皿である。染付の素地に色絵を加えたいわ ゆるチャイニーズ・イマリである。Fig.‐ 、Fig.‐ , は 世紀代の染 付楼閣山水文皿である。いわゆるウィロー・パターンの意匠が描かれたもの が含まれる。Fig.‐ は徳化窯系の型作りの色絵碗である。Fig.‐ は徳 化窯系の白磁チョコレートカップである。
学 術 資 料
ハバ ナ 出土 の 東洋 磁 器
.ハバナ出土の東洋磁器の特質と貿易ルート
. ハバナ出土の東洋磁器の年代と生産地、器種
ハバナで出土している東洋磁器は、最も古いもので 世紀後半の製品が見 られる。量的に多いのは 世紀前半および 世紀の製品である。
生産地は中国江西省の景徳鎮窯のものが最も多く、その他に福建省の徳化 窯系の窯、日本の有田焼が見られる。漳州窯の製品はほとんど見ないが、現 在、発掘調査中のサンタ・クララ修道院では碗が出土しているので、輸入さ れていないわけではない。また、景徳鎮窯の製品は全時代を通じて見られる が、徳化窯系の窯の製品は 世紀以降、有田焼は 世紀後半〜 世紀前半に 限られる。
今のところ、器種は皿と碗に限られる。皿は芙蓉手を含めた中皿が主体で あり、碗の多くはチョコレートカップである。この皿と碗の傾向は中米各地 と共通している。
. ハバナへの輸入ルート
ハバナに輸入された東洋磁器の貿易ルートについて考える。 年にドミ ニカ沖で沈んだコンセプシオン号の資料をみると、大量の中国磁器が含まれ ている。この船はベラクルスを出帆し、スペイン本国へ向かう途中、ハリケー ンに遭遇して沈んでいることから、これらの中国磁器は中国からマニラを経 て、アカプルコにたどり着き、メキシコ高地を横断して大西洋側のベラクル スにもたらされた磁器と考えられる。そのため、少なくとも 世紀中頃まで はハバナへもこのルートでもたらされていたと推測される。
次に 世紀後半以降をみてみる。清朝による海禁政策下にあたる 世紀の 第 四半期の東洋磁器の主体は有田焼である。海禁政策下、中国磁器の取り 扱いができなくなった鄭成功一派は、盛んに長崎から日本磁器を東南アジア 一帯に積み出した。マニラもその輸出先の一つであり、多くの日本磁器がも たらされている(野上 )。マニラに輸入された日本磁器には、有田焼以 外の波佐見焼なども含まれていたが、マニラからさらに太平洋を越えて、ア
メリカ大陸に運ばれる際には選別され、比較的品質の高い有田焼のみが選ば れていた。ハバナで出土した数片の日本磁器はいずれも有田焼である。数と しては決して多いものとは言えないが、今回、確認された中国磁器片が 数 点にすぎないことを考えると、他の中米地域に比べて、東洋磁器の中で占め る割合としては小さくない。今後、東洋磁器の出土資料が増加すれば、有田 焼の確認例も増えると推測される。同時代の有田焼がメキシコで数多く発見 され、それがマニラから運ばれたものであることを考えると、ベラクルスか らもたらされたと考える方が妥当と思う。
続いて展海令の公布により清朝の海禁政策が解かれ、中国磁器の再輸出が 本格化する 世紀末頃においても太平洋ルートによってアメリカに運ばれた ものがハバナに持ち込まれた可能性が高い。方真真の教示によれば、スペイ ン側が記した 世紀末以降のマニラの税関記録の中にチョコレートカップが 多数輸入された記載が見られる。チョコレートカップはマニラよりもむしろ アメリカのスペイン植民地の需要に応えたものである可能性が高いため(野 上 )、 世紀末になってもマニラからアメリカへ東洋磁器が運ばれてい た可能性が高い。その一方、メキシコなどで出土が確認され、キューバでも 伝世品の存在が知られる 世紀末〜 世紀前半の有田焼の金襴手色絵製品に ついてはまだアジア側のマニラでは確認されていない。マニラでも展海令以 後の製品自体は出土が確認されているので、今後の調査が進めば金襴手色絵 製品も確認される可能性が十分考えられるが、現段階ではヨーロッパから運 ばれた東洋磁器があった可能性も考えておかなくてはならない。
そして、 世紀以降については、まだ結論を見出せない。いわゆるチャイ ニーズ・イマリ、染付楼閣文皿や徳化窯系の型作りの染付碗などはメキシコ における出土事例と共通しており、メキシコと同じルート、すなわち太平洋 ルートである可能性が高いものの、すでに述べたようにハバナが自由貿易港 として発展しており、アメリカの他の都市や地域から広く輸入される可能性 も考えられるからである。
学 術 資 料
ハバ ナ 出土 の 東洋 磁 器
おわりに
マニラ・ガレオン貿易によって太平洋を渡った東洋磁器については多くの ことがわかってきている。中米地域での出土状況も概略がつかめてきたとこ ろである。一方、まだいくつか課題が残されており、その中でも大きな課題 の一つが大西洋ルートの解明である。すなわち、太平洋を渡った東洋磁器が さらにどういった実態をもって大西洋を渡っていったかである。例えばメキ シコやグアテマラで発見される有田焼のチョコレートカップに類似したもの はスペイン本国でも出土例が確認できるが、それはヨーロッパでも入手可能 なものでもあり、大西洋を渡ってきたという流入ルートの特定にはならない。
やはり大西洋ルートの解明のためには、スペインへ帰航する船団の集結地で あるハバナにおける陶磁器需要の解明が不可欠であろうと思う。
今後はさらに質の高い資料の収集に努めるとともに、ハバナ旧市街の発掘 調査を実施したいと考えている。
謝辞
今回の調査では、多くの方々や機関の御協力を得た。芳名を記して謝意と したい。
Museo de Arqueología de la Oficina de Historiador de la Ciudad de La Habana, La Casa-Museo de Asia, Antonio Quevedo Herrero, Ivalú Rodríguez Gil, Roger Arrazcaeta Delgado, Gustavo López Gonzalez, Teresita Hernández Corrales, Racso Fernández
本研究ノートは、平成 〜 年度科学研究費(基盤研究(C)(一般))(課 題番号 アジア・太平洋海域における有田焼交易ネットワークの考古 学的研究)の成果の一部である。
ジャン・ラモール、萬代敬三訳 『キューバ』文庫クセジュ 白水社 野上建紀 「ガレオン貿易と肥前磁器−二つの大洋を横断した日本のやき
もの」『東洋陶磁』第 号
増田義郎 (増田義郎・山田睦男編)「植民地時代のカリブ海地域」『ラテ ン・アメリカ史①メキシコ・中央アメリカ・カリブ海』新版世界各国史 山川出版社
碗礁一号水下考古隊 『東海平潭碗礁 号出水瓷器』科学出版社(北京)
栗建安 「概述」『東海平潭碗礁 号出水瓷器』科学出版社(北京)
学 術 資 料
ハバ ナ 出土 の 東洋 磁 器
Fig. ハバナ旧市街地図
Fig. ガレオン貿易関係図(斜字は沈没したガレオン船の船名と沈没年代)
1 2
3
4
5
6
7 8
9
1 2
3
4
5
6
7 8
9
10
11 12 13
14 15
16 17
18
19
20 21
22
10 11
12 13
14
15
16 17
18
19
20 21
22 1
2
3
4
Fig. ハバナ旧市街地出土日本磁器(肥前磁器)
Fig. ハバナ旧市街地出土東洋磁器( )(Courtesy: La Casa-Museo de Asia)
Zona Oeste de la Plaza de Armas
Tacón No. e/ Empedrado y Oʼ Reilly
Convento de Santa Clara Fig. アルマス広場(Plaza de Armas) Fig. サンタ・クララ修道院跡
(Convento de Santa Clara)
学 術 資 料
ハバ ナ 出土 の 東洋 磁 器
1
2
3 4
5 6
7
1
2
3 4
5
6
7
8
9
10
11
12
13 15
14
16 17
18
19
20
21 18
19
20 21
22
23
24 22
23
24
Fig. ハバナ旧市街地出土東洋磁器( )
(Courtesy: Museo de Arqueología de la Ofícina de Historiador de la Ciudad de La Habana)
図版番号 登録番号 出土地点(遺跡) 種類 器種 年代 生産地
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Palacio de los Capitanes Gen- erales
染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa 19 83‐1984)
染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ 染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa 19 83‐1984)
染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida
染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa
‐ )
染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Oficios No. . Hoy Hostal Valencia
染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa
‐ )
染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa
‐ )
染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa
‐ )
染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ − − 染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Tab. ハバナ旧市街地出土東洋磁器一覧表( )
学 術 資 料
ハバ ナ 出土 の 東洋 磁 器
図版番号 登録番号 出土地点(遺跡) 種類 器種 年代 生産地
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa
‐ )
染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa
‐ )
染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa
‐ )
染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ − − 染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ − − 青磁
掛分 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Garita de la Maestranza de Artillería.(Primera Etapa
‐ )
色絵 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ − − 色絵 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 染付 碗 ‐ s 徳化窯系
Fig.‐ − − 白磁 碗 ‐ s 徳化窯系
図版番号 登録番号 出土地点(遺跡) 種類 器種 年代 生産地
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Tacón No. e/ Empedrado y OʼReilly
染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Zona Oeste de la Plaza de Ar- mas
染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Excavaciones Arqueologicas.
Casa de la Obra Pía 染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Excavaciones Arqueologicas.
Casa de la Obra Pía 色絵 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Palacio de los Capitanes Gen- erales
染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Tacón No. e/ Empedrado y OʼReilly
褐釉
掛分 碗 ‐ s 有田
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Zona Oeste de la Plaza de Ar- mas
染付 碗 ‐ s 有田
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Oficios No. . Hoy Hostal Valencia
染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ M . − 色絵 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 色絵 碗 ‐ s 徳化窯系
Fig.‐ GA‐‐ o
Desconocida o Excavaciones Arqueológicas.
Tacón No. e/ Empedrado y OʼReilly
白磁 碗 ‐ s 徳化窯系
Fig.‐ GA‐‐ Excavaciones Arqueológicas.
Teniente Rey No. 色絵 皿 ‐ s 景徳鎮
Tab. ハバナ旧市街地出土東洋磁器一覧表( )
学 術 資 料
ハバ ナ 出土 の 東洋 磁 器
図版番号 登録番号 出土地点(遺跡) 種類 器種 年代 生産地
Fig.‐ GA‐‐ o
Desconocida o Excavaciones Arqueológicas.
Tacón No. e/ Empedrado y OʼReilly
染付 碗 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Desconocida 色絵 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Zona Oeste de la Plaza de Ar- mas
色絵 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Muralla No. e/ Oficios y Teniente Rey
色絵 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐ Basurero frente al Hotel
Plaza. Centro Habana 染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Fig.‐ GA‐‐
Excavaciones Arqueológicas.
Oficios No. . Hoy Hostal Valencia
染付 皿 ‐ s 景徳鎮
Key Words: galleon trade, porcelain, Chinese porcelain, Arita ware, Latin
AmericaAbstract
In 1571,Spain founded Manila City for the rule of the Philippines and Asian trade. Ferdinand Magellan crossed the Pacific Ocean half a century before that time. After the City of Manila had been built, the Manila Galleon trade route was soon established. It functioned as a long-distance and large-scale sea trade route connecting Asian world with the American Continent until the early 19thcentury. Many Asian goods, such as silks and spices, were ex- ported by the Spanish galleons. They included East Asian porcelains as well.
Moreover East Asian porcelains were transported from the American Conti- nent to Spain by the Caribbean Sea and the Atlantic Ocean. Havana was one of the most important trade cities in the Caribbean Sea and many Asian goods were imported to Havana. Therefore the authors started to research on Oriental porcelains unearthed from in Havana in 2014.
These pieces of porcelain were Chinese porcelains, except pieces of Japa- nese porcelains. The majority of these pieces of Chinese porcelain were blue- and-white dishes and blue-and-white or overglaze-enamel chocolate cups.
They were produced in mainly Jingdezhen, Jiangxi province between 16th century and 19th century. All pieces of Japanese porcelain were blue-and- white chocolate cups that were produced in Arita, Saga prefecture in the sec- ond half of 17thcentury. This general character is similar with one of Central America such as Mexico and Guatemala. This fact shows us that most of these porcelains were transported from Central America, not from Europe.
However we have to consider the possibility that some porcelains were im- ported from Europe and North America because Havana became free port in 18thand 19thcenturies and opened to all countries.
学 術 資 料
ハバ ナ 出土 の 東洋 磁 器