第6回大会シンポジウム特集「現代文学に見る多元文化性」
西欧在住の現代ロシア作家たち
──イリヤー・チラーキとマリーナ・パレイにおける多元文化性──
高柳 聡子
はじめに
ロシア文学には、ソ連時代に生まれた「亡命文学」という非常に大きな領域が あり、これについては日本でもすでに紹介や研究が進んでいる(1)。また、最近で は、「世界文学」、あるいは、「移民系文学」に関する研究の成果もあり、ロシア 国外で創作活動を行っているロシア系移民作家らの活動も紹介されるようになっ た(2)。
本論では「ロシア文学」という語を、(国としての)ロシアの文学ではなく、
ロシア語で執筆された文学という意味で用いることとする。中央アジアやカフ カース(コーカサス)、ウクライナなど旧ソ連邦に属し、ソ連崩壊後に独立した 国々には、現在でもロシア語で執筆している作家は多く、「ロシア文学」の領域 はロシア国内におさまってはいない。例えば、2015年にノーベル文学賞を受賞し たベラルーシの作家、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチは、ベラルーシ人だ がロシア語で執筆活動を行っている。ロシア語による執筆で得られる読者数は、
ベラルーシ語の比ではない上に、外国語への翻訳の可能性も大きく開かれるから だ。アレクシェーヴィチがベラルーシ語で執筆していたならば、ノーベル賞の候 補に挙がることすらなかったであろう。
このように、旧ソ連圏では、各独立国家とロシアとの間に、常に多くの人の移 動が双方向にあり、それによって言語や文化も越境することになる。そして、よ り特徴的な現象となっているのが、さらなる外部への人の流出、つまり、旧ソ連 圏以外への地域への出国である。
1.亡命と移住の波
ソ連の歴史には「亡命の波」と呼ばれる、国外への大きな人口流出の動きが三 度あった。第一の波は20世紀初頭の革命の時期に起きたもので、帝政時代の貴族
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階級出身の人々が多く、ここには才能ある作家や詩人たちも含まれていた。第二 の波は第二次世界大戦の時である。外国で捕虜となった兵士たちの中に、終戦後 もソ連に帰国せず、そのまま国外に留まった人々がいた。第三の波は1960年代か ら1980年代にかけて生じ、規模としては非常に小さなものではあったが、ノーベ ル賞を受賞した作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンや詩人のヨシフ・ブ ロツキーらが含まれていた。この時期になると、ソ連体制に批判的な人々に対 し、スターリン時代のような粛清ではなく、国外追放という手段がとられていた ことも要因となっている。また、ここには、イスラエルへ出国したユダヤ人らも 含まれている。最近では、これら三つの波に、ゴルバチョフによるペレストロイ カ期やソ連崩壊後の国外移住の波を加えて、第四の波(3)、あるいは、第五の波(4)
と呼ぶ研究者もいる。
こうした大規模な人々の移動によって、世界の各地に旧ソ連出身者らのコロ ニーが形成され、ドイツのベルリンのコロニーは、その中でも最大規模のものと なっている。ドイツには今現在、旧ソ連からの移民が300万人以上おり、ロシア 人向けの店や出版物などが数多く存在している。ベルリンで発行されているロシ ア語新聞『ロシアのベルリン 』(5)は発行部数8万部とも言われて いる。
本論で取り上げる劇作家イリヤー・チラーキは、ベルリン在住のロシア語作家 で、まさにこうした移民コミュニティを基盤に創作活動を行っている。一方、マ リーナ・パレイは、オランダのロッテルダム在住のロシア語作家である。二人に 共通するのは、1950年代のソ連に生まれ、国内で高等教育をうけた後、駆け出し の作家であった30歳代でソ連崩壊を体験し、国外へと移住したことである。そし て、それぞれの移住先に定住しながら、ロシア語での執筆活動を継続している点 である。
旧ソ連に出自を持つ亡命文学や移民系文学の作家たちが日本にも紹介される中 で、この二人の作家について言及されることはこれまでなかった。そもそも亡命 作家には、ナボコフやブロツキーのように、英語が堪能で、亡命後は英語での執 筆も行い、亡命先の文学と融和したという人もいれば、ソルジェニーツィンのよ うに、亡命先に決して染まらぬように暮らしながらロシア語でのみ執筆を続け、
ソ連崩壊後にロシアに帰国したという作家もいる。
一方、最近登場してきた移民系作家と呼ばれる若い世代の作家たちの多くは、
幼少期、あるいは誕生前に両親が旧ソ連圏から他国へ移住したためにバイリン ガルとして育ち、移民先の言語を用いて執筆している作家がほとんどだ(6)。した がって、現在は、アメリカやドイツに英語やドイツ語で執筆するロシア系作家が 存在しているということになる。
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これに対し、チラーキやパレイは、ロシアに近いヨーロッパで、ロシア語での 執筆を続けているソ連時代を知る世代であり(7)、ロシア語圏にすでに一定の読者 を持っている。この世代は、残念ながら、やがて消えゆく一時的な現象であるた め、ロシア移民系文学の一端として記録しておくことは、不可欠な課題であると 考える。
2.イリヤー・チラーキ ɂɥɶɹɑɥɚɤɢ
チラーキは、1959年にモスクワで生まれた劇作家で、ソ連邦が崩壊した1991年 にドイツのベルリンへ移住している。本名はイリヤー・チラーキシヴィリとい い、家系の出自はグルジア(ジョージア)だという。
本論では、2013年に発表された二幕物の喜劇『インテンシヴ・レターズ──集 中治療室の手紙』における多元文化性についての考察を行う。この戯曲は、一幕 目が十二場、二幕目が十場から成っており、舞台はすべてベルリンのある病院の 集中治療室となっている。各場に生死の境にあるさまざまな人物が登場するのだ が、彼らは、その名前から多様な国籍の人々であることが覗える。冒頭に登場人 物として挙げられているのは、マリア、エディータ、ペテル、フランツ、トーマ ス、クラウス、オーベルハイム、クラインシュミット、ファーナー、アレクサン ドル、ミリアム、スレイマン、ヨハンナ、ボリス、ギーゼラ、ロルフ、カール、
ヘルムート、ユルゲンといった名であり、テクスト中の会話においても、トルコ 人のビチディやアメリカ人のマイケルといった名への言及がある。
第一幕第一場では、エディータという女性が集中治療室に入院しているのだ が、そのそばにマリアという女性が突然に現れ、エディータの母だと名乗る。ひ としきりのやりとりを経て、エディータはマリアが自分の亡くなった母親である ことを信じ、子守唄を歌ってもらい眠りにつく。
1.マリアとエディータ
マリア しーっ、しぃぃ、静かに、静かにしなさい。もう痛くないわ よ、痛くないでしょう。
エディータ 痛いわ。
マリア すぐにひくわよ。
エディータ 痛いわ。
マリア すぐよ、すぐによ……。
エディータ ところで、あなた、どなた?
マリア どなたじゃないわよ、ただの、お母さんですよ。
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エディータ あたしのお母さん?
マリア そりゃあ、そうよ。あんたのよ、当たり前じゃないの、あんた のですよ。
エディータ いいえ、あなた、誰かと間違えてるんだわ。あたしのお母さん はだいぶ前に死んだんだもの。あたしが17歳のときだったわ。
あたしの誕生日に死んだのよ。考えられる? あたしが生まれ た日にお母さんは死にかけてるなんて。(317p.)(8)
マリアに対し、母の死の日(かつ自分の17歳の誕生日)のことを詳細に語り出 したエディータは、自宅で急死した母をベッドの下に隠し、予定通り誕生パー ティを行ったこと、母を隠したベッドの上で、マイケルという男性と一夜を過ご したことを打ち明ける。
また、第一幕第六場では、フランツという男性が入院しており、見舞いに訪れ た息子たち(第五場)が去った後にマリアが登場する。ここでのフランツはマリ アのことを看護師だと勘違いしたまま会話が進行していく。
6.フランツとマリア
フランツ トーマス、クラウス、どこだ? おい、どこに行きやがった?
かくれんぼしてるのか? よーし、見つけてやるぞ、尻をひっ 捕まえてやるからな! どこにいるんだ、くそガキども? 俺 にはおまえたちが見えているんだからな! おーい、クラウ ス? トーマス?
マリア ここにはいませんよ。
フランツ なんだって? 今しがたまでいたのに……どこに行きやがった んだ ?!
マリア 帰りましたよ。
フランツ なんだおまえは、俺をバカにしてるのか ?! 言っただろうが──
今しがたまで二人ともここにいたんだよ。
マリア 今しがたじゃありませんよ。
フランツ 今だって言ってるだろ!
マリア 二日前ですよ。
フランツ なんだって?
マリア お二人がいらしたのは二日前です。
フランツ だって俺たちは今しがた……。
マリア 光陰矢の如しですわ。(329p.)
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この後フランツは、マリアを相手に、一度も見舞いに来ない妻との関係について 語り出し、彼の妻が、病や死といった汚れたものには近づかないのだと説明する。
このように、各場で、集中治療室にいる重病の患者の元にマリアが現れ、患者 たちの夢や妄想や回想が披露される。そのときマリアは、母を名乗ったり、看護 師や家政婦の役を演じたりしながら彼らの話を引き出していく。そして、各場の 後にはマリアのモノローグが置かれている。
7.マリア
マリア ずっとあなたのことを考えているのよ。今日はあなたがまだ小 さかった時のことを考えていたの。あなたは本当に可愛い男の 子だったわ、もちろん今だってとっても素敵だけどね、でもあ の頃は──ぜんぜん別ね。絵の中から出てきたようだった。私、
あなたにお洋服を買ってあげたわよね、すごく欲しがったもの だから、いろんなお歌を歌いながら外を歩いたわよね。朗らか な子だったわ、いつもにこにこしていて。すれ違う人みんなに 微笑みかけて、ひとりひとりにご挨拶をしていたわよね……。
(330-331p.)
マリアのモノローグはすべて、息子のミハエリへの呼びかけとなっている。彼 はどこか遠くにいて長いこと会えず、マリアは淋しくて仕方がないという内容で ある。
しかし、作品の最後に置かれたマリアのモノローグにおいて、息子ミハエリと は、何十年も前に流産した子であること、さらに、マリアは心臓病を病み集中治 療室に入院している重篤の患者であることが明らかになる。結末で、彼女にも最 後の時が訪れ、愛する息子が彼女の元へやってきて手を差し伸べる、つまり、彼 女自身の死が暗示されて作品は終わるのである。
ここで、この戯曲の中心人物であるマリアとは何者なのかを考えてみたい。第 二幕第十二場に至るとようやく、マリアがドイツ人であることが分かる。
16.ボリス、マリア
ボリス [……]俺が今から君にモスクワの病院の話をしてやろう。お もしろいぜ……。ちょっと待てよ、ところで俺はいま何語で話 してるんだ? 君はロシア人かい?
マリア ドイツ人よ。
ボリス でもロシア語が分かるんだな。
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マリア 全然。
ボリス どういうことだ?
マリア あなたの言うことは分かるのよ。
ボリス 俺の言うこと?
マリア ええ、分かるの。
ボリス 俺だから分かるってことか?
マリア あなただからよ。
ボリス もしも俺じゃなかったら? ロシア語じゃなかったら?
マリア 何語かなんて意味ないのよ。
ボリス 「何語かなんて意味ないのよ」か。くっだらねえ! じゃあ、
なに人かは?
マリア 何ですって?
ボリス 意味があるかい?
マリア あるわよ。
ボリス そりゃ、ありがたい。(348-349p.)
ここでは、ボリスというロシア人が登場し、マリアに対して〈君はロシア人 か〉と問う。マリアは、自分はドイツ人でありロシア語は分からないと答えるの だが、ここで我々は意表をつかれる。これまで、マリアがロシア人であろうと想 定しながら読んでいたことに気づかされるのである(9)。
ここで注意したいのが、〈マリア〉という名の持つ普遍性である。マリアとい う名は、ヨーロッパ文化圏、さらにはキリスト教文化圏に共通して存在する名で あり、その意味では非常に無国籍的であるということができる。マリアという ファーストネームのみでは、その人物の国籍や民族を特定することはできない。
これに対し、チラーキは、その他の登場人物には、民族的にかなり分かりやすい 典型的な名を用いている。したがって、この作品では、マリアという名の普遍 性・多元性が、多様な出自を持つ入院患者らと会話をし、個々の場をひとつのテ クストに繋ぐ糸となる役割を果たしているのである。
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3.マリーナ・パレイ Ɇɚɪɢɧɚɉɚɥɟɣ
マリーナ・パレイは、1955年にレニングラード(現サンクトペテルブルグ)に 生まれ、まずは医師となり、その後、文学大学を経て作家となった。1995年にオ ランダのロッテルダムへと移住し、一時期、アメリカの大学で教鞭をとっていた こともあったが、ロシア出国後のほとんどの期間をオランダで過ごしている。現 在はオランダ国籍を取得していることもあり、自身を「ロシア人」「ロシア人作 家」と名乗ることを避け、「ロシア語作家」と名乗っている。また、昨今のウク ライナ紛争にあって、「自分は精神的にはウクライナ人だ」(10)と述べており、反 プーチン主義を支持してウクライナ詩篇なども執筆している。
パレイは、創作の初期の頃には、レニングラードを舞台としたソ連に生きる 人々の日常を描いた作品を執筆していた。そのため、彼女の創作は、19世紀のド ストエフスキイやゴーゴリらに代表される「ペテルブルグもの」の系譜に繋がる として「現代のペテルブルグもの」と呼ばれていた。こうした傾向は移住を境に 大きく変化していく。
本章では、2000年に発表された長編小説『ランチ』における多元性を指摘した い。ロシアを出てからのパレイは、言語や文体上の実験的な創作を試みている が、この作品は、そうした長年の試行錯誤が結実し、非常に完成度の高いものに なっている。
テクストは、基本的にはロシア語で書かれているのだが、そこに英語やフラン ス語、ドイツ語、ラテン語が挿入されている。さらに、キリル文字表記されたド イツ語や英語もあり、やや長めの外国語には註が付されロシア語訳が記されてい る。
volk
( !)"#$
»....(C. 68)
例えば、思考の最中に、紙の上に〈volk〉(民衆、民族、人々、群衆)とい う語が現れたりすると──その瞬間、頭の中でロシアのおとぎ話の語〈オオ カミ(ヴォルク)〉が牙を剥いたりするんだ。(68p. 強調は引用者)(11)
上記の引用のように、主人公は〈volk〉というドイツ語を目にするのだが、この 語はキリル文字に置換すると〈〉となり〈オオカミ〉を意味するものとなる。
主人公であり語り手の〈私〉のこうした多言語的な状況がテクストの本質に かかわる主要な条件となっているにもかかわらず、彼がなに人なのか、どこに住
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んでいるのかといった詳細は明確には明かされない。彼の最初の妻はアメリカ人 であったと述べられ、彼女のセリフは英語で記されている(119p.)。また、彼自 身は公務員であったようで、かつての同僚たちとの会話にも英語が用いられて いる(13p.)。さらに、口の利けない古書店員とフランス語で筆談をしている場 面などもあり(139p.)、我々が読んでいるロシア語は本来の彼の言語なのだろう かという疑問が常につきまとい、この疑問は最後まで解決されぬままなのであ る。これについて主人公は、〈他人と共通の言語が私にはない%!#
&〉(67p.)と言う。
この語り手〈私〉の言動はパラノイアを彷彿させるものだ。彼は、千頁を超え る〈大論文'〉を執筆しているのだが、その主旨は、我々(ホモサピエン ス)の魂はすでに殺害されているのだが身体は生き続けている、この魂なき身体 を操っているのは、人間の食欲や消化吸収、リンパや血液循環を牛耳っている
〈大ガスター(〉であり、この大ガスターに乗っ取られた人類は殺戮を繰り 返し、地球にみずからの病原菌を伝染させているのだという妄想的なものだ。
語り手の回想や思考から成る地の文と〈大論文〉の断片、さらに古書店で購入 したボクサーの手記など複数のテクストのコラージュから成るこの作品は、ドス トエフスキイやトルストイの名が出てきたりはするものの、さほどロシア的なも のを感じさせない。ロシア人の名だけでなく、モーツァルトやゲーテなどの名も 登場し、とりわけ、モーツァルトをめぐるエピソードは重要な位置を占めてい る。
結局、主人公は結末で、妄想の中の大ガスターから逃れるために、自分の腹を ナイフで刺し自殺してしまう。この最終的な思考の契機は、タイトルにもなって いる〈ランチ〉という語が、自分には〈リンチ〉と聞こえるのだという言説から 始まっている。
)*#$#!+
,-./012+3*.-012+4+5 +6$#?'
#!7$
+6*'#8$+9
$+(C.245)
ワングラスを持ち、私は太陽の色のテーブルクロスをかけたテーブルに座ろ うとする。My lunch。最初、この言葉が私には「lynch」と聞こえた。その ことが胸を痛める。だがそのとき、私の頭にある考えが浮かんだ。なんのた めにテーブルにつかなきゃいけないんだ? 身体は、私の意に反して、自分
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の記憶でもって、学生のように窓敷居に腰かける悦びを取り戻している。論 文の完成を楽しく祝わなきゃな、学生のように。ランチはあとでもいいだろ う。(245p. 強調は引用者)
このテクストの複雑な構造や世界観、言語の意義については、別途、文学的な 論考が必要となろうが、ここでは、パレイという作家が、「ペテルブルグ」とい う、ロシア文学にとって大きな意味を持つ都市の名を自分の作品の中から排し、
国籍や民族が特定されうる登場人物の固有名も徹底的に排除しているということ に注目したい。このことは、テクストの基本言語となっているロシア語そのもの の絶対性も留保してしまう。そして、前章のチラーキと同様、パレイは〈マリ ア〉ではなく、〈私〉という一人称の普遍性を選択している(12)。
文学作品が大きな都市を舞台とする場合、川の名前をひとつ挙げさえすれば都 市名は容易に特定しうる。ペテルブルグの場合、運河や橋、川、通りの名を名指 せば、即座に「ペテルブルグ」という舞台が設定されるのであり、多くの作家が この手法を積極的に用いてきたし、今も用いられている。
『ランチ』においても、主人公の住む場所が川と運河の多い都市であることは 語られており、ペテルブルグもそれに該当するわけだが、確定要素は何も提示さ れず、作家になじみの深いアムステルダムやヴェネツィアの可能性も残されたま まなのである(13)。
おわりに
ロシア文学界では、「19世紀文学へのレミニッセンス」ということがよく言わ れ、過去の文学作品や作家たちの記憶を惹起するテクストが好まれる傾向があ る。また、最近の文芸批評では「ノスタルジー」がキーワードであるということ が言われ、ソ連時代に子ども時代を送った世代が過去をノスタルジックに描くこ とが流行ってもいる。
そうした中で、ここに挙げた二人の作家は、ロシア的なものに依存せず、過去 のロシア文学を想起させるようなモチーフを散りばめることもせず、純粋に「新 しいテクスト」を創ろうとしているようである。
ロシア国内の文芸批評は、『ランチ』を含め、パレイの移住後の作品について は極めて否定的な評価が見受けられ、移住後にロシア語を忘れてしまったのでは ないかというような辛辣な批判もある(14)。これを擁護したセルゲイ・ベリャコー フも、『ランチ』は評価すべき作品だがと断りつつも、〈パレイという作家は多元 性というものをまったく信じていない。パレイの書くものは非常に一元的で自分
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自身の皮膚感覚に基づいており、他者と共有できるものがない〉(15)と述べている。
こうした反応は、ロシア国内の文芸批評にとって、パレイのテクストが非常に新 しい現象であることを改めて教えてくれる。
現在では、ロシア文学じたいが、ロシア国内で創作される文学という枠にも、
ロシア語で執筆される作品という枠にもおさまり切れなくなっており、本論で挙 げた二人の作家もそうした現状の枝葉のひとつであると言うことができよう。外 国に出ることが容易になり、インターネットも普及した昨今では、海外へ出て執 筆する作家は今後も増えることが予測される。
世界情勢は日々めまぐるしく変化しており、各地のロシア人コミュニティが今 後も存続していくのか、また、移民たちの子孫が出自を忘れる日も訪れるのでは ないかという問題もある。あるいは、ロシアが受け入れた移民たちがやがてロシ ア語で執筆する日が来ることもありえよう。だとすれば、現在の状況は歴史の一 時的な過程に過ぎないのかもしれない。
いずれにせよ、ロシアの広大な領土は、その外郭として旧ソ連諸国という共同 体を現在も抱えており、その内部には、ロシア語を共通言語とした多様性が保持 されている。さらに、そこから世界の各地へと拡散していった大量のロシア語話 者たちがおり、彼らが各地でロシアと現地の特徴を融合させた創作を展開してい るのである。
彼らの創作は、「ロシア的なるもの」に固執するきらいのあるロシア本国の文 学と共存しながら、ロシア文学の領域をさらに拡張する役割を果たしているので ある。
注
(1) 代表的なものに、沼野充義『徹夜の塊 亡命文学論』作品社、2002年など。
(2) 例えば、塩川伸明、小松久男、沼野充義編『ユーラシア世界2 ディアスポラ論』
東京大学出版会、2012年。
(3) ペレストロイカ(建て直し)の時期に国外への出国が可能になったことを受け、
よりよい生活を求める人々の国外脱出が起きた。
(4) 1991年のソ連崩壊以降に数百万の人々(推定300万〜600万人)が国外に出国した と言われている。
(5) 電子版はhttp://www.pressaru.eu/?pub=russkiy-berlin&god=2016&nomer=32&str=1
(2016年9月30日現在閲覧可能)。
(6) ヴァレリー・グレチュコ「ロシアはいくつある?──外国に住むロシア人たち」、
秋草俊一郎「もうひとつの「ロシア文学」──ロシア系移民作家の現在」などを参 照。いずれも野中進、三浦清美、ヴァレリー・グレチュコ、井上まどか編『ロシア 文化の方舟』東洋書店、2011年所収。
(7) ちなみに、チラーキもパレイも英語、ドイツ語などが堪能な作家であるが、創作
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には一貫して意識的にロシア語を用いている。また、筆者によるインタビューにお いてチラーキは「インターネットのおかげでロシアの映画もテレビも音楽も享受で きるから、自分はベルリンで毎日ロシアの脈動を感じている、昔の亡命作家とは違 う」と現在の状況を述べた。
(8) 「インテンシヴ・レターズ」のテクストは、ɂɑɥɚɤɢ:#;;',
IGRULITA Press, USA, 2013, C. 314-366.を使用。引用はすべて拙訳により原文の頁
数を括弧内に示す。
(9) これはもちろん、このテクストがロシア語で書かれていることが大きな理由であ ろう。
(10) パレイ自身の家系の出自はウクライナであるという。また、パレイという筆名は 最初の夫の姓だが、非常に気に入っているというこの姓もやはりウクライナ由来の ものだという(作家との個人的な会話による)。
(11) 『ランチ』のテクストは、Ɇɉɚɥɟɣ<$=+4, 2012.を使用。引用は拙訳に より、末尾に原文の頁を括弧内に示す。
(12) パレイは1980年代後半から1990年代にかけてロシア文学史の大きな現象となった
「女性文学」(才能ある女性作家たちが一気に登場した現代文学の潮流のひとつ)の 代表のひとりとみなされているのだが、この枠から逃れようと志向し、女性の主人 公を排し、21世紀に入ってからは男性の一人称での執筆にこだわっている。こうし た姿勢はまた、ジェンダーの問題にも関わってくるが、他の作品における同性愛者 の主人公や(『クレメンス』、『サラマンドラへの賜物』)トランスジェンダーのテー マ(『ジョーラ・ジルニャーゴ』)などもこれと同様に、作家の「越境」の意識の表 れではないかと考えられる。これについては、改めて議論が必要であろう。
(13) そもそも、ピョートルⅠ世はペテルブルグをアムステルダムやヴェネツィアのよ うな都市にしようと設計した。これらの都市の類似性については、大石雅彦『聖ペ テルブルク』水声社、1996年に詳しい。
(14) Ⱥɇɟɦɡɟɪ'<;;5+ 1992. 12 +>ɆɊɟɦɢɡɨɜɚ)=+5=)
;;5+2000. 18+など。
(15) ɋȻɟɥɹɤɨɜ?!&=#;;+
@#8A#2011. С. 159-175.
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