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覚一本『平家物語』安元御賀回想場面に見られる維 盛像

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覚一本『平家物語』安元御賀回想場面に見られる維 盛像

著者 徳田 詠美

雑誌名 同志社国文学

号 75

ページ 42‑56

発行年 2011‑12‑20

権利 同志社大学国文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013299

(2)

覚 一 本 ﹃ 平 家 物 語

﹄ 安 元 御 賀 回 想 場 面 に 見 ら れ る 維 盛 徳 像

田 詠 美

はじ めに 維盛 は﹃ 平家 物語

﹄の 中で

︑妻 子を 思い 続け る貴 公子 とし ての 印 象が 強い

︒特 に︑ 出家 した 維盛 一行 を見 かけ た那 智籠 の僧 が安 元御 賀で の青 海波 の舞 を回 想す る場 面︵ 以下

︑安 元御 賀回 想場 面︶ は︑ 彼が 物語 中で 最も 華々 しく 活躍 する 箇所 であ り︑ 維盛 を論 じる 上で 重要 なも のと いい うる

︒し かし

︑安 元御 賀回 想場 面を 諸本 比較 し︑ 各諸 本に おけ る維 盛像 を考 察し た先 行研 究は 見当 たら なか った

︒そ こで 本稿 では

︑ま ず安 元御 賀回 想場 面を 七諸 本で 比較 し︑ その 相違 点を 考え る︒ さら に︑ 維盛 の描 写に 関し て他 諸本 にな い表 現が 覚一 本に 見ら れる ため

︑覚 一本 にの みあ るも のを

﹁覚 一本 特有 表現

﹂と 位置 付け

︑そ れら が覚 一本 の維 盛像 にど んな 影響 を与 え︑ 他諸 本と どの よう に違 うの か論 じた い︒

一 安元 御賀 回想 場面 の維 盛 諸

本比 較と 覚一 本特 有表 現

まず

︑各 諸本 の安 元御 賀回 想場 面を 見て いく

︒本 稿で は語 り本 か ら一 方流 諸本 の覚 一本 と八 坂流 諸本 の屋 代本

︑百 二十 句本 を︑ 読み 本か ら延 慶本

︑長 門本

︑盛 衰記

︑四 部合 戦状 本を 取り 扱う

︒な お︑ 引用 文中 の傍 線や 太字

︑記 号は 引用 者に よる

﹇覚 一本

﹈ あの 殿の 未四 位少 将と 聞え 給ひ しA

安元 の春 の比

︑A

法住 寺殿 にて

︑ 五十 御賀 のあ りし に︑ 父小 松殿 は︑ 内大 臣の 左大 将に てま しま す︒ 伯父 宗盛 卿は

︑大 納言 の右 大将 にて

︑階 下に 着座 せら れた り︒ 其外 三位 中将B

知盛

・頭 中将 重衡 以下

︑C

一門 の人 〻︑ けふ を 晴と とき めき 給ひ て︑ 垣代 に立 給ひ し中 より

︑此 三位 中将

︑D

覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

四二

(3)

の花 をか ざし て青 海波 をま うて 出ら れた りし かば

露に 媚た る 花の 御姿

︑風 に翻 る舞 の袖

︑地 をて らし 天も かゝ やく ばか り也

︒ 女

院よ り関 白殿 を御 使に て︑ 御衣 をか けら れし かば

︑父 の大 臣︑ 座を 立是 を給 はッ て︑ 右の 肩に かけ

︑院 を拝 し奉 り給 ふ︒ 面目 たぐ ひす くな うぞ 見え し︒ かた への 殿上 人︑ いか ばか りう ら山 しう 思は れけ む︒

内裏 の女 房達 の中 には

︑﹁ 深山 木の なか の桜 梅と こそ おぼ ゆれ

﹂な ンど 言は れ給 ひし 人ぞ かし

︒E

唯今 大臣 の 大将 待か け給 へる 人と こそ 見奉 りし に︑ けふ はか くや つれ はて 給へ る御 あり さま

︑か ねて は思 ひも よら ざッ しを や︒ うつ れば かは る世 のな らひ とは 言ひ なが ら︑ 哀な る御 事哉

︵巻 第十

﹁熊 野参 詣﹂ )

﹇屋 代本

﹈ 安A

元ノ 御賀 ニF

其比 十八 カ・ 九カ ニテ

・D

桜ヲ

・カ サヒ テ・ 青海 波 ヲ被 舞シ ニ・C

当家 ニモ

・他 家ニ モ・ 皃ヨ キ殿 上人 ト・ 撰垣 代ニ 立給 ヘリ

・階 下ニ ハ・ 関白 以下 ノ大 臣公 卿多 ク着 給タ ル中 ニ モ・G

父ノ 小松 殿ノ

・大 将ニ テ被 着タ リシ ニハ

・又 人可 立並 ト モ・ 見サ リシ 物ヲ

嵐ニ 匂フ

・花 ノタ クヒ ニ・ 風ニ 翻ル 舞ノ 袖・ 照一 天ヲ 耀地 程ナ リ・ アハ ヤ・E

大臣 大将 只今 待懸 給ヘ ル人 ヨ・ トコ ソ我 モ人 モ申 シニ

・移 レハ 替ル 世ノ 習コ ソ悲 ケレ

︵巻 第十

﹁惟 盛高 野登 山幷 熊野 参詣 同入 水事

﹂)

﹇百 二十 句本

﹈ 安A

元の 御賀 に︑F

その ころ 十八 か九 かに て︑D

桜を かざ いて 青海 波 を舞 はれ しに

︑C

当家 にも 他家 にも

︑み めよ き殿 上人 にえ らば れ て垣 代に たち 給へ り︒ 橋も とに は関 白以 下の 大臣

︑公 卿︑ おほ く着 き給 ひし なか にも

︑G

父の 大将 にて 着せ られ たり しか ば︑ 人 また 並ぶ べし とも 見え ざつ しも のを

嵐に にほ ふ花 のす がた

︑ 風に ひる がへ る舞 の袖

︑天 を照 らし 地を 輝か すほ どな りき

﹃あ はや

︒E

大臣 の大 将を 待ち かけ 給へ る人

﹄と こそ

︑わ れも

︑ 人も

︑申 せし に︑ 移れ ば変 る世 のな らひ こそ かな しけ れ

︵第 九十 八句

﹁維 盛入 水﹂ )

﹇延 慶本

﹈ アノ 殿四 位ノ 少将 ト聞 ヘ給 シA

安元 二年 ノ春 比︑ 法皇A

法住 寺殿 ニ テ五 十ノ 御賀 ノ有 シ時

︑父 ノ大 臣ハ 内大 臣ノ 左大 将ニ テ左 ノ座 ニ着 座︑ 伯父 宗盛 ノ右 大将 ハ右 ノ着 座セ ラレ キ︒ 其時 ハ︑ 越前 三位B

通盛 卿ハ 頭ノ 中将

︑本 三位 中将 重衡 卿ハ 蔵人 頭︑ 此人 々ヲ 始ト シテ

︑C

一門 ノ卿 相雲 客︑ 今日 ヲ晴 ト声

花 ニ引 修ヒ テ︑ 青 海波 ノ垣 代ニ 立給 ヘリ シ中 ヨリ

︑ア ノ殿 青海 波ヲ 舞出 ラレ タリ シ有 様︑

嵐ニ タグ フ花 ノ匂 ヒ︑ 天モ 耀ク 計ナ リシ 事ノ

︑只 今ノ 様ニ 覚ユ ルト ヨ︒

﹃E

今両 三年 ノ内 ニ大 臣ノ 大将 ニ疑 アラ ジ﹄ ト 申ア ヘリ シニ

︑カ ク見 成奉 ルベ シト ハ思 ヤハ 寄リ シ︒ 遷レ バ易 覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

四三

(4)

ル代 ノ習 ト云 ナガ ラ︑ 穴哀 ノ御 有様 ヤ

︵第 五末

﹁那 智籠 ノ山 臥惟 盛ヲ 見知 奉事

﹂)

﹇長 門本

﹈ あの 殿の 四位 少将 と申 し時

︑A

安元 の春 の頃

︑法 皇A

法住 寺殿 にて

︑ 報恩 経供 養の 時︑ 五十 の御 賀の 有し に︑ 父重 盛は 内大 臣の 左大 将︑ 叔父 宗盛 卿は 中納 言右 大将 にて

︑階 下に 着座 せら れた りき

︑ 頭中 将B

通盛

︑三 位中 将重 衡卿 以下 のC

卿相 うん かく 十余 人︑ はな やか なる 姿に て引 つく ろひ て︑ 垣代 にた たれ たり し中 より

︑D

桜 梅を 折か ざし て︑ 青海 波を 舞て 出ら れた りし 景気 は︑ たと へば 嵐

にた ぐふ 花の 匂ひ 御身 にあ まり

︑風 にひ るが へる 袂天 にか ゞ やき

︑地 をて らす ばか りな りし

︑御 有様 の今 の様 にお ぼゆ るぞ や︑E

今両 三年 もあ らば

︑大 臣の 大将 疑ひ あら じと こそ 見奉 りし に︑ 今か く見 なし 奉る べし とは

︑か つて 思は ざり し事 かな

︑う つれ ばか はる 世の 習と いひ なが ら︑ むざ んの あり さま 哉

︵巻 第十 七﹁ 維盛 高野 参詣 同投 身事

﹂)

﹇盛 衰記

﹈ 安A

元二 年の 春の 頃︑ 法皇A

法住 寺殿 にて 五十 の御 賀の あり しに

︑ 時D

の綺 羅を 付け て青 海波 の曲 を舞 ひ給 ひし に︑H

前に は月 卿玉 の 冠を 研き て十 二人

︑後 には 雲客 花の 袂を 連ね て十 五人

︑そ の中 に父 の大 臣は 内大 臣左 大将

︑叔 父宗 盛は 中納 言右 大将

︑B

知盛 は

三位 中将

︑重 衡は 蔵人 頭中 宮亮

︑已 下C

一門 の月 卿雲 客今 日を 晴 とき らめ きて

︑皆 花や かな る貌 にて 舞台 の垣 代に 立ち 給ひ たり し時 はさ しも うつ くし くお はせ しが

︑中 にも この 時は 四位 の少 将に て舞 ひ給 ひた りし かば

嵐に 類ふ 花の 色︑ 匂ひ を招 く舞 の 袖︑ 天を 照ら し︑ 地も 耀く 程に 見え しか ばI

簾中

・簾 外皆 さざ め き立 ちて

︑桜 梅の 少将 とこ そ申 しし か︒ 哀れ にう つく しく 見え 給ふ 人か な︒E

今三 四年 が程 に︑ 大臣 の大 将は 疑ひ あら じも のを と︑ 諸人 に言 はれ 給ひ しぞ かし

︒J

され ども 龍樹 菩薩 の釈 に曰 く︑

﹃世 間は 車輪 の如 し︑ 時に 変じ て輪 転に 似た り﹄ 文︑ げに 只今 の有 様に 引き 替へ てお はし ぬる を見 れば

︑朝 の紅 顔︑ 夕の 白骨

︑ 理な りと 思ひ 合せ て泣 かる るな り

︵巻 第四 十﹁ 維盛 入道 熊野 参詣 附熊 野・ 大峰 の事

﹂)

﹇四 部合 戦状 本﹈ 此の 殿︑ 四位 の少 将に て御 せし 時︑A

安元 元年 三月

︑法 皇A

仁和 寺 にて 臨時 の御 経供 養幷 びに 五十 の御 賀有 りし に︑G

父の 大臣 殿は

︑ 公卿 の中 に勝 れて 見え たま ひて

︑舎 弟宗 盛卿 は左 衛門 督に て御 せし が︑ 歌釈 に立 ちた まひ しC

一門 の人 々︑ 今日 を晴 と威 儀た ま ひし に︑ 此の 殿︑ 左衛 門の 陣よ りD

桜を 疣差 して

︑青 海波 を舞 は れた りし かば

御身 に余 る匂 伝は り︑ 嵐廻 り絶 え︑ 袖の 色風 に 翻る

︒H

前に 臨め ば︑ 月卿 冠を 並べ て十 二人

︑後 ろを 顧み れば

覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

四四

(5)

雲客 袖を 連ね て十 五人

︒垣 代に 立ち て昢 かり し事 ぞか し

︵巻 第十

﹁維 盛熊 野参 詣﹂ ) 七諸 本の 引用 から

︑お およ そ十 三の 相違 点が 指摘 でき る︒ 引用 の記 号と 対応 する 形で 以下 にま とめ る︒ A 延慶 本︑ 盛衰 記に は﹁ 安元 二年 ノ春 比﹂

︑﹁ 法住 寺殿

﹂と ある が︑ 四部 合戦 状本 は﹁ 安元 元年 三月

﹂︑

﹁仁 和寺

﹂と する

︒﹃ 玉葉

﹄ によ ると

︑事 実と して は前 者が 正し い①

︒な お︑ それ 以外 の諸 本 には 具体 的な 年が 書か れて いな い︒ B 覚一 本︑ 盛衰 記が

﹁知 盛﹂ と記 して いる 箇所 を︑ 延慶 本や 長門 本は

﹁通 盛﹂ とす る︒

﹁通 盛﹂ を採 るの が古 態と され る諸 本で ある こと から

︑覚 一本 と盛 衰記 が﹁ 知盛

﹂に 改変 した もの と推 察で きる

︒ C 垣代 に立 つ人 々に 関し て︑ 八坂 流諸 本は

﹁当 家に も他 家に も﹂ とす る︒ 一方

︑長 門本 以外 の他 諸本 は﹁ 一門

﹂と 記し て平 家一 門に 限定 して いる

︒ D 維盛 の姿 に関 して

︑盛 衰記 には

﹁時 の綺 羅を 付け て﹂ と書 かれ てい る︒ しか し︑ 延慶 本に は記 述が ない

︒ま た︑ それ 以外 の諸 本は 桜な どの 花を かざ して いる と示 す︒ 覚一 本が

﹁露 に媚 たる 花の 御姿

﹂と 記す 一方

︑他 諸本 は﹁ 嵐に にほ ふ花 のす がた

︵百 二十 句本

︶﹂ など と表 現す る︒

覚一 本に のみ 見ら れる

︒ 覚一 本に のみ 見ら れる

︒ E 語り 本の 諸本 は︑ 用字 の違 いが ある もの の﹁ 大臣 の大 将待 ちか け給 へる 人︵ 覚一 本︶

﹂の よう に表 現す るが

︑延 慶本

︑長 門本

︑ 盛衰 記は

﹁今 両三 年ノ 内ニ 大臣 ノ大 将ニ 疑ア ラジ

︵延 慶本

︶﹂ と描 く︒ ただ し︑ 両者 の内 容に 大き な違 いは ない

︒ F 維盛 が当 時十 八︑ 九歳 だっ たと 記す のは

︑八 坂流 諸本 のみ であ る︒ G 八坂 流諸 本と 四部 合戦 状本 は︑ 重盛 を卓 越し た存 在と して 描く

︒ H 盛衰 記︑ 四部 合戦 状本 は︑ 垣代 に立 つ公 達を 前列 と後 列の 対句 で表 現す る︒ I 盛衰 記の み﹁ 桜梅 の少 将﹂ と示 す︒ J 盛衰 記に のみ

︑こ の表 現が 見ら れる

︒ 右の 一覧 を見 ると

︑ 以外 では

︑八 坂流 諸本 によ る重 盛の 描写 と盛 衰記 によ る独 特の 表現 が目 立つ

︒前 者に つい て︑ 八坂 流諸 本は Cで 平家 だけ でな く他 家の 存在 も書 き︑ Gに よっ て誰 より も秀 でた 存在 とし て重 盛を 置く

︒す なわ ち︑ 八坂 流諸 本は 青海 波を 舞う 維盛 だけ では なく

︑父 重盛 も安 元御 賀の 中心 人物 とし て描 いて いる

︒ 八坂 流諸 本に 重盛 と維 盛し か平 家一 門の 人物 名が 出な い点 も考 慮す ると

︑八 坂流 諸本 には 重盛 を筆 頭と した 小松 家を 際立 たせ る意 図が 覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

四五

(6)

ある と考 えら れる

︒一 方︑ 八坂 流諸 本以 外は 重盛 だけ を書 くの では なく 宗盛

︑重 衡な ども 書き 連ね

︑あ くま で平 家一 門を 示す

︒た だし 四部 合戦 状本 の記 述だ けは

︑重 盛の 秀逸 さと 平家 一門 の全 盛を 両立 させ てい ると いえ よう

︒ま た︑ 後者 につ いて

︑盛 衰記 には 他諸 本に ない 表現 が三 つ見 られ る︵ D︑ I︑ J︶

︒よ って

︑盛 衰記 は他 諸本 と比 べて 独自 性の 高い 本文 をも つこ とが 分か る︒ 盛衰 記と 同様 に︑ 安元 御賀 回想 場面 にお いて 他諸 本に ない 表現 を 三つ もつ のが

︑覚 一本 であ る︒ 覚一 本に 特有 の表 現は

︑先 述の 一覧 で

︑ と記 した もの だ︒ ︑ は 対応 する 表現 が他 諸本 に見 受け られ ない

︒ま た︑ は 他 諸本 の﹁ 嵐﹂

︑﹁ 匂﹂ を用 いた 表現 に対 応す ると 考え られ る︒ どち ら にし ても 覚一 本に しか 見ら れな い表 現と いう 意味 で︑ 本稿 では

﹁覚 一本 特有 表現

﹂と 位置 付け る︒ さら に︑ この 三点 は維 盛の 舞姿 やそ れを きっ かけ とし た場 面の 描写 であ る︒ ゆえ に︑ 安元 御賀 回想 場面 の覚 一本 特有 表現 は全 て維 盛像 に関 わる もの とい える

︒そ のよ うな 表現 であ れば こそ

︑覚 一本 から は他 諸本 と異 なる 維盛 像が 発見 でき ると 考え られ るの であ る︒

二 覚一 本の 維盛 像に 見ら れる 特徴

︶ 先

行研 究か ら

前節 では 安元 御賀 回想 場面 を諸 本比 較し

︑覚 一本 特有 表現 が三 つ ある こと を述 べた

︒本 節か らは

︑各 々の 覚一 本特 有表 現を ひも 解き

︑ 覚一 本の 維盛 像が 他諸 本と どの よう に異 なる のか 探り たい

︒ま ず本 節で は︑ 先行 研究 にお いて 他作 品と の関 連を 指摘 され てい る と を取 り上 げる 二 ︒ 一︱ 群書 類従 本﹃ 安元 御賀 記﹄ と覚 一本 特有 表現 に つい ては

︑群 書類 従本

︵以 下︑ 類従 本︶

﹃安 元御 賀記

﹄と の 関連 が指 摘さ れて きた

︵前 略︶ 左の 舞人 には やう とす ゝむ れば

︒し ばし 有て 権の すけ 少将 これ もり 出て 落尊 入綾 をま ふ︒

︵中 略︶ 舞終 りて 帰り 入時

︒ 院の 御ま へよ り殿 上人 を御 使に てめ して けふ の舞 のお もて はさ らに 〳〵 是に たぐ ふ有 まじ くみ えつ るを とて

︒女 院の 織物 のか ず︒ 御ぞ に紅 の御 袴ぐ して

︒関 白御 使え たま はす るに

︒父 の大 将座 を立 て参 りて

︒御 衣を 取て 右の かた にか けて

︒院 を拝 し奉 り給 程の めい ぼく

︒其 時に 取て はた ぐひ なく ぞ見 えし

︒か たへ の人 々も いか にう らや まし う覚 えけ ん②

覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

四六

(7)

右の 場面 と は︑ 舞の 曲名 が異 なる もの の場 面展 開が 共通 する

︒ま た︑

﹁女 院﹂

︑﹁ 関白

﹂の 呼称 はも ちろ ん︑

﹁右 のか たに かけ

﹂︑

﹁院 を 拝し 奉り 給﹂

︑﹁ うら やま しう

﹂な どの 表現 にも 共通 の語 を含 む︒ 加 えて

︑ が﹃ 平家 物語

﹄諸 本の 中で 覚一 本に 特有 であ るこ とも

︑す でに 冨倉 徳次 郎氏 によ って 指摘 され てい る③

︒氏 はさ らに

︑﹃ 平家 物 語﹄

︑﹃ 安元 御賀 記﹄ の諸 本は 各々 に安 元御 賀で の維 盛を 描い てい た が︑

﹃平 家物 語﹄ が後 に類 従本

﹃安 元御 賀記

﹄に 基づ き同 場面 を書 き改 めた 可能 性が ある と論 じる

︒こ の﹁ 書き 改め た﹂ 部分 こそ で あろ う︒ しか し︑ 覚一 本と 類従 本﹃ 安元 御賀 記﹄ の成 立順 序に よっ ては

︑ 類従 本﹃ 安元 御賀 記﹄ が を下 敷き とし て表 現を 書き 改め たと も考 えら れる

︒こ の点 につ いて

︑以 下伊 井春 樹氏 の説 を取 り上 げて 整理 して おき たい

︒氏 は﹃ 玉葉

﹄と の対 照か ら︑ 定家 本﹃ 安元 御賀 記﹄ 類︱ 従本

﹃安 元御 賀記

﹄︱

﹃平 家公 達草 紙﹄ 青海 波の 段と いう 順で 成立 した こと を明 らか にし

︑覚 一本 の安 元御 賀回 想場 面に 出る 知盛

︑ 重衡 の官 職に 関し て︑

﹁︵ 前略

︶知 盛の 三位 中将 と重 衡の 頭中 将は

﹃平 家公 達草 紙﹄ と一 致す る︒ とり わけ 重衡 につ いて は︵ 中略

︶﹃ 平 家公 達草 紙﹄ の改 定に とも なう 特有 の官 職で

︑そ れが

﹃平 家物 語﹄ と重 なる とい うの は︑ 共通 する 資料 があ った ため か︑

﹃平 家公 達草 紙﹄ を参 考に した 結果 とも 考え られ そう であ る④

︒﹂ と記 す︒

﹃平 家公

達草 紙﹄ 青海 波の 段は 類従 本﹃ 安元 御賀 記﹄ に依 拠す ると され

︑南 北朝 期頃 に写 され た第 一種 本に 収め られ てい る⑤

︒覚 一本 は応 安四 年

︵一 三七 一︶ の奥 書を もつ ため

︑両 者は 同時 期の もの だと 考え られ よう

︒ま た︑

﹃平 家公 達草 紙﹄ 青海 波の 段に は のよ うな 表現 は見 られ ない が︑ 前節 の諸 本比 較を 見る と重 衡を 頭中 将と する のは 覚一 本の みだ

︒こ れら の点 から

︑類 従本

﹃安 元御 賀記

﹄は 覚一 本が を 取り 入れ る以 前に 成立 し︑ 覚一 本の 安元 御賀 回想 場面 は類 従本

﹃安 元御 賀記

﹄︑

﹃平 家公 達草 紙﹄ 青海 波の 段や それ らと 共通 の資 料を 用 いて 当該 場面 を書 き改 め︑ 現在 の状 態に なっ たと 推察 する

︒ した がっ て︑ は 類従 本﹃ 安元 御賀 記﹄ と同 様の 資料

︑ま たは 類 従本 自体 を下 敷き にし た表 現と いえ る︒ 以上

︑冨 倉氏

︑伊 井氏 の説 を支 持し

︑ につ いて 考察 した

︒ 二︱ 二

﹃源 氏物 語﹄ と覚 一本 特有 表現 に つい ては

︑﹃ 源氏 物語

﹄紅 葉賀 巻と の関 わり が指 摘さ れて い る︒ 具体 的に は︑ 光源 氏と 頭中 将が 青海 波を 舞っ た際 の︑ 片手 には 大殿 のと ふの 中将

︑か たち 用意 人に はこ とな るを

︑立 ち並 びて は︑ なを 花の かた はら の深 山木 なり⑥

︒ を踏 まえ て﹁ 深山 木﹂ と﹁ 桜梅

︵花

︶﹂ を組 み込 み︑ 維盛 を光 源氏 に擬 した とさ れる⑦

︒ま た︑ 維盛 を光 源氏 と重 ねる 例は 類従 本﹃ 安元 覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

四七

(8)

御賀 記﹄ や﹃ 建礼 門院 右京 大夫 集﹄ にも 見ら れる

︒ 片手 は源 氏の 頭の 中将 ばか りだ にな けれ ば︒

︵後 略︶

︵類 従本

﹃安 元御 賀記

﹄) 法住 寺殿 の御 賀に

︑青 海波 舞ひ ての 折な どは

︑﹁ 光源 氏の 例も 思ひ 出で らる る﹂ など こそ

︑人 々言 ひし か⑧

︵﹃ 建礼 門院 右京 大夫 集﹄ ) が

﹁深 山木

﹂と

﹁桜 梅﹂ によ る比 喩で あっ たの に対 して

︑右 の二 例は

﹁光 源氏

﹂と 明記 する

︒一 方で

︑他 諸本 の安 元御 賀回 想場 面に は﹃ 源氏 物語

﹄紅 葉賀 巻や 光源 氏を 明ら かに 取り 入れ たと 見受 けら れる 表現 はな い︒ よっ て︑ の 描写 は他 諸本 より も類 従本

﹃安 元御 賀記

﹄や

﹃建 礼門 院右 京大 夫集

﹄の それ に近 いと いえ る︒ は 貴族 的な 美の 代表 であ る光 源氏 を維 盛に 投影 し︑ 維盛 の美 しさ を女 房の 視点 から 描写 した もの だと 考え られ る︒ 以上 の考 察か ら︑ と は 他者 が維 盛の 青海 波を 高く 評価 した こ とを 記し

︑維 盛と 光源 氏を 重ね るこ とで 彼の 貴族 とし ての 活躍 を強 く印 象付 けて いる とい える

︒そ して それ が︑ 安元 御賀 回想 場面 にお ける 覚一 本と 他諸 本の 差異 では ない だろ うか

三 覚一 本の 維盛 像に 見ら れる 特徴

媚﹂ の語 から

前節 では ︑ に 見ら れる 維盛 像を 探っ た︒ 本節 では に つい て 考え る︒ に 関し ては や と は異 なり

︑注 目す べき 先行 研究 が見 当た らな い︒ 本節 では

︑﹃ 平家 物語

﹄諸 本や 他の 先行 作品 から

﹁媚

﹂ の用 例を 集め

︑ が描 く維 盛の 姿に 迫る

︒な お︑ 覚一 本の 奥書 を考 慮し

︑応 安四 年︵ 一三 七一

︶以 前の 作品 を採 る︒ 三︱ 一 覚一 本﹁ 露に 媚た る﹂ と他 諸本

﹁嵐 にに ほふ

﹂ の比 較 まず

︑第 一節 で に対 応す ると 推察 した

﹁嵐

﹂︑

﹁匂

﹂を 含む 表現 と を比 較し たい

︒こ こで は他 諸本 の表 現に つい て︑ と の対 応が 語単 位で 表れ る﹁ 嵐に にほ ふ花 のす がた

︵百 二十 句本

︶﹂ に統 一し て示 す︒

三︱ 一a

「嵐 にに ほふ 花の すが た﹂ と和 歌 比較 対象 の﹁ 嵐に にほ ふ花 のす がた

﹂は

︑和 歌に よく 使わ れる 表 現で ある

﹃新 編国 歌大 観﹄ によ ると

︑﹁ 嵐﹂

︑﹁ 匂﹂ が同 時に 出て くる 和歌 は 四十 四例 あり

︑そ の中 で花 やそ れに 準じ る語 を含 むも のは 四十 一例

覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

四八

(9)

︵全 体の 九十

%以 上︶ であ った

︒ 山た かみ つね にあ らし のふ くさ とは にほ ひも あへ ず花 ぞち りけ る

︵﹃ 古今 和歌 集﹄ 四四 六番 歌︑ 紀利 貞) 山桜 さそ ふ嵐 のか よひ きて 匂ひ もま がふ 峰の 白雲

︵﹃ 玄玉 和歌 集﹄ 五四 五番 歌︑ 円経 法師 ) さと わか ぬ月 をば いろ にま がへ つつ よも のあ らし にに ほふ 梅が え

︵﹃ 千五 百番 歌合

﹄一 八八 番歌

︑藤 原定 家) 以上 のよ うに

︑﹁ 嵐﹂

︑﹁ 匂﹂ が出 てく る例 はほ ぼ全 てが

﹁花

﹂︑

﹁梅

﹂︑

﹁桜

﹂な ども 詠み 込む

︒ま た︑

﹁嵐 にに ほふ

﹂の 例を 検索 する と︑ 右 の﹃ 千五 百番 歌合

﹄一 八八 番歌 が初 出で

︑応 安四 年︵ 一三 七一

︶ま での 他の 例と して は︑

﹃住 吉社 歌合 弘長 三年

﹄二 番歌 と﹃ 続門 葉和 歌集

﹄七

〇番 歌が 確認 でき た︒ それ 以後 の例 は寛 文九 年︵ 一六 六 九︶ 成立 の﹃ 黄葉 和歌 集﹄ 一三 九一 番歌 のみ であ った

︒用 例の 少な さや

︑初 出が 定家 の作 とい う点 を考 える と︑

﹁嵐 にに ほふ 花﹂ は和 歌の 中で も﹃ 千五 百番 歌合

﹄一 八八 番歌 を参 考に した 可能 性が あろ う︒ これ まで の用 例か ら︑ 覚一 本以 外の 他諸 本に 見ら れる

﹁嵐 にに ほ ふ花 のす がた

﹂等 の表 現は

︑右 に示 した よう な和 歌に 詠ま れる 風景 と共 通す ると いえ る︒ 他諸 本は 和歌 的な 表現 によ って

︑維 盛の 舞姿 の美 しさ を描 いた と考 えら れよ う︒

三︱ 一b

「露 に媚 たる 花の 御姿

﹂と 漢詩 文 前項 の﹁ 嵐に にほ ふ花 のす がた

﹂に 対し て︑ の

﹁露 に媚 たる 花 の御 姿﹂ は和 歌に 見ら れる 表現 とは いえ ない

﹃新 編国 歌大 観﹄ で検 索す ると

︑﹁ 露﹂ と﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂が 同時 に出 てく る例 は和 歌に は見 られ なか った が︑ 次の よう な漢 詩文 を確 認し た︒ なお

︑﹃ 平他 字類 抄﹄ や﹃ 色葉 字類 抄﹄ にお いて

︑﹁ 嬌﹂ も﹁ こ びた り﹂ と読 んで いる ため⑨

︑﹁ 嬌﹂ の用 例も 同様 に考 察す る︒ 昨は 園の 露を 含み て玉 顔媚 たり 今は 籬の 霜を 戴き て白 髪新 た なり

︵﹃ 和漢 兼作 集﹄ 九七 一番 歌︑ 平範 雅) 柳絮 風に 払ふ 頭上 の雪 桃顔 露に 嬌ぶ 鏡中 の春

︵﹃ 和漢 兼作 集﹄ 二六 三番 歌︑ 藤原 経任 ) 風に 随ひ て春 に舞 ふ未 央の 柳 露を 帯び て夕 に嬌 ぶ大 液の 蓮

︵﹃ 朗詠 題詩 歌﹄ 三九 三番 歌︑ 尊円 ) この 三例 を比 較す ると

︑﹃ 和漢 兼作 集﹄ の二 例が 顔に 対し て﹁ 露﹂

﹁媚

︵嬌

︶﹂ を用 いる 点で 共通 し︑ に やや 近い

︒し かし

︑ は維 盛 の顔 だけ でな く容 姿全 体を 描写 する 表現 であ るた め︑

﹃和 漢兼 作集

﹄ の二 例と 全く 同じ 用い 方と はい えな い︒ 続い て﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂だ けの 例を 考察 し︑

﹁媚

︵嬌

︶﹂ の使 われ 方が どん な特 徴を 有し てい るか

︑日 本や 中国 の漢 詩文

︑散 文か ら探 る︒ ここ で中 国の 文学 作品 も調 査対 象と する のは

︑日 本の 漢詩 文︑ 散文 覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

四九

(10)

の用 例に 中国 の文 学作 品を 摘句

︑下 敷き とし た表 現が 見ら れた から であ る⑩

﹃漢 詩大 観⑪

﹄︑ その 他の 索引 類か ら管 見に 入っ た﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂は

︑ 百例 であ った

︒こ れら の用 例を 見る と二 点の 指摘 がで きる

︒第 一に

﹁媚

︵嬌

︶﹂ の語 が春 やそ れに まつ わる 事物 に関 して 用い られ る点

︑ 第二 に﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂が 女性 や子 ども に対 して 用い られ る点 だ︒

「媚

︵嬌

︶﹂ の語 を用 いた 春の 漢詩 文や 散文 は︑ 三十 一例

︵全 体の 三十 一%

︶で あっ た︒ 杪春 の余 日媚 景麗 しく

︑初 巳の 和風 払ひ て自 ら軽 し⑫

︵﹃ 万葉 集﹄ 三九 九九 番︶ 嬌び たる 眼は 波を 曾ね て風 を乱 れむ とす 舞へ る身 は雪 を廻 し て霽 れて もな ほし 飛べ り⑬

︵﹃ 菅家 文草

﹄巻 第二

︑早 春の 内宴 に︑ 仁寿 殿に 侍り て︑ 同じ く

﹁春 娃気 力な し﹂ とい ふこ とを 賦す

︑製 に応 へま つる 一首

﹃万 葉集

﹄の 例は

︑晩 春の 景色 につ いて

﹁媚 景﹂ と表 現す る︒

﹁麗 し く﹂ の語 から

︑﹁ 媚景

﹂に 春の 華や かさ が読 み取 れる

︒一 方︑

﹃菅 家 文草

﹄巻 第二 の例 は︑ 内宴 の舞 姫た ちに 対し て﹁ 嬌﹂ の語 が用 いら れて いる

︒こ れは 春と

﹁嬌

﹂が 直接 結び つく もの では ない が︑ 題詞 に﹁ 早春 の内 宴﹂ とあ るた め︑

﹁媚

︵嬌

︶﹂ を使 った 春の 漢詩 文と い えよ う︒ また

︑先 に挙 げた

﹃和 漢兼 作集

﹄二 六三 番歌 には

﹁桃 顔露

に嬌 ぶ鏡 中の 春﹂ と記 され てお り︑ 右の よう な例 と同 じく

﹁媚

︵嬌

︶﹂ と﹁ 春﹂ をと もに 詠む

︒さ らに

︑春 に関 連す る事 物と

﹁媚

︵嬌

︶﹂ をと もに 詠み 込む 用例 も見 られ る︒ 粉閣 に夢 驚い て好 哢を 伝へ 紅窓 に灯 尽き て嬌 音を 送る

︵﹃ 新撰 朗詠 集﹄ 五九 番歌

︑宮 鶯暁 光に 囀る

︑村 上天 皇) 夜の 雨偸 かに 湿し て 曾波 の眼 新た に嬌 び 暁の 風緩 く吹 いて 不言 の口 先づ 咲む⑭

︵﹃ 和漢 朗詠 集﹄ 四三 番歌

︑桃 始め て華 さく の詩 の序

︑紀 長谷 雄)

﹃新 撰朗 詠集

﹄の 例は 鶯の 鳴き 声を

﹁嬌 音﹂ と表 現す る︒ この 他に も︑

﹃宮 河歌 合﹄ 七︑ 八番 歌の 判詞 に鶯 の声 を﹁ 嬌音

﹂と 記し た用 例が ある

︒ま た︑

﹃和 漢朗 詠集

﹄の 例は 同じ く春 の事 物で ある 桃の 様子 を美 女の 仕草 に喩 え︑

﹁嬌

﹂の 語を 用い る︒ この 他に は︑

﹃和 漢 兼作 集﹄ 一六 一番 歌も 桃に

﹁媚

﹂の 語を 使う 例で あっ た︒ 鶯︑ 桃は どち らも 春の 題材 なの で︑ これ らも

﹁媚

︵嬌

︶﹂ の語 を用 いた 春の 漢詩 文だ とい える

︒以 上の よう な︑ 春や それ にま つわ る事 物の 例か らは

︑維 盛が 青海 波を 舞う 際に 桜の 花を かざ した こと が想 起さ れる

︒ は

︑春 の代 名詞 たる 桜を かざ して 舞う 維盛 を︑ 春の 華や かさ と結 び付 けて 描写 した 表現 であ ると 考え られ よう

︒ 次に

︑﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂が 女性 や子 ども に対 して 使わ れる 用例 は二 十例

︵全 体の 二十

%︶ であ る︒

覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

五〇

(11)

︵前 略︶ 傾城 今始 めて 見る 傾国 昔曾 て聞 けり 媚眼 羞に 隨い て合 し︵ 後略⑮

︵ ︶

﹃玉 台新 詠﹄ 巻六

︑南 苑に て美 人に 逢う

︑何 思澄 )

︵前 略︶ 是傾 城可 憐の 女を 須つ

︒呉 妖の 小玉 飛び て煙 と作 り︑ 越艶 西施 化し て土 と為 る︒ 嬌花 巧笑 久し く寂 寥︑

︵後 略⑯

︵﹃ 白楽 天詩 後集

﹄巻 一︑ 霓裳 羽衣 舞歌 )

︵前 略︶ 嬌女

︑字 は平 陽︑

︵後 略⑰

︵﹃ 李太 白詩 集﹄ 巻十 二︑ 東魯 の二 稚子 に寄 す︑ 金陵 に在 りて 作 る︶ 衰病 四十 の身

︑嬌 癡三 歳の 女︒

︵後 略⑱

︵﹃ 白楽 天詩 集﹄ 巻十

︑金 鑾子 を念 ふ 二首 ) 前二 例が 女性 に対 して

︑後 二例 は子 ども に対 して

﹁媚

︵嬌

︶﹂ を用 いた もの であ る︒

﹃玉 台新 詠﹄ と﹃ 白楽 天詩 後集

﹄の 例は 美女 に

﹁媚

︵嬌

︶﹂ の語 を用 いる ため

︑美 しさ も﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂の 意味 する も のと 関連 する こと がう かが える

︒ま た︑

﹃李 太白 詩集

﹄と

﹃白 楽天 詩集

﹄の 例は

︑作 者の 李白 や白 居易 が我 が子 を思 って 詠ん だ漢 詩文 であ る︒ 我が 子に 対し て﹁ 嬌﹂ の語 を使 う点 から

︑﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂は 愛 らし さに つな がる 表現 だと 考え られ る︒ 以上

︑﹁ 嵐に にほ ふ花 のす がた

﹂と の

﹁露 に媚 たる 花の 御姿

﹂ を考 察し

︑前 者が 和歌

︑後 者が 漢詩 文に 見ら れる 表現 であ るこ とを

確認 した

︒さ らに

︑漢 詩文 に出 てく る﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂の 表現 の傾 向か ら︑ は 維盛 を春 の華 やか さや 女性 的な 美の 中で 描写 した もの だと 考え られ る︒ 特に

︑女 性に 多く 使わ れる 表現 を用 いて 維盛 とい う男 性を 描写 した 点は

︑覚 一本 の安 元御 賀回 想場 面に おけ る維 盛像 が他 諸本 と異 なる 部分 だと いえ よう

︒ 維盛 以外 に﹁ 媚﹂ を用 いて 描か れた 男性 とし て︑

﹃今 昔物 語集

﹄ にお ける 藤原 伊衡 が挙 げら れる

︵前 略︶ 極ク 哀ニ 思ヘ テ︑ 居タ リツ ル茵 ニ移 リ香 媚ナ バ︑ 取除 ケ踈 シ⑲

︵﹃ 今昔 物語 集﹄ 巻第 二十 四﹁ 延喜 御屏 風伊 勢御 息所

︑読 和歌 語 第三 十一

﹂︶ 右の 例は

︑伊 衡が 醍醐 天皇 の遣 いと して 伊勢 御息 所の 元へ 訪れ た際

︑ 伊衡 退出 後に 女房 たち が伊 衡の 薫物 の香 りを 取り 除け がた く感 じる 場面 であ る︒ これ を見 ると

︑維 盛と 伊衡 に使 われ た﹁ 媚﹂ は舞 姿や 薫物 の香 りと いっ た貴 族性 を示 すも のに 対し て用 いら れる 点が 一致 する

︒ には

︑女 性的 な美 の表 現﹁ 媚﹂ によ って 維盛 の貴 族性 を表 現す る意 図が あっ たの では ない だろ うか

︒さ らに

︑薫 物の 香り を

﹁媚

﹂と 表現 され た伊 衡に 対し

︑維 盛の 場合 は彼 自身 の姿 に﹁ 媚﹂ の語 が使 われ る︒ 両者 を比 べる と︑ 伊衡 の﹁ 媚﹂ は間 接的

︑維 盛の それ は直 接的 に各 々の 人物 像を 表現 する と考 えら れる

︒﹁ 媚﹂ の語 覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

五一

(12)

がも つ女 性的 な美 や貴 族性 は︑ 維盛 本人 の人 物像 に深 く関 わる とい える だろ う︒ 三︱ 二 覚一 本に 出て くる

﹁媚

﹂の 傾向 他

諸本 と の比 較 前項 では 先行 の文 学作 品か ら が描 く維 盛像 を考 察し た︒ 本項 で は︑ 覚一 本に 見ら れる

﹁媚

﹂の 例を 確認 し︑ 他諸 本と 比較 した 上で

︑ 覚一 本の 安元 御賀 回想 場面 にお ける 維盛 像を 考え たい

︒ 覚一 本に 出て くる

﹁媚

﹂の 用例 は︑ を 含め 以下 の五 例で あっ た︒ ア この 后︑ 一た びゑ めば 百の 媚あ りけ り︒

︵巻 第二

﹁烽 火之 沙汰

﹂) イ 一た びゑ めば 百の 媚あ りけ ん漢 の李 夫人 の︑

︵後 略︶

︵巻 第三

﹁赦 文﹂ ) ウ (前 略︶ 万乗 の聖 主︑ 猶緬 転の 媚を なし

︑︵ 後略

︵巻 第四

﹁南 都牒 状﹂ ) エ 北の 方と 申は

︑︵ 中略

︶桃 顔露 にほ ころ び︑ 紅粉 眼に 媚を なし

︑ 柳髪 風に みだ るゝ よそ ほひ

︑又 人あ るべ しと も見 え給 はず

︵巻 第七

﹁維 盛都 落﹂ ) オ (前 略︶ 露に 媚た る花 の御 姿︑ 風に 翻る 舞の 袖︑

︵後 略︶

︵巻 第十

﹁熊 野参 詣﹂ )

他諸 本と の比 較は 稿末 の表 にま とめ た︒ それ によ ると

︑ア

︑イ

︑ウ は覚 一本 以外 の諸 本に も見 られ

︑エ とオ は覚 一本 にの み﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂ の語 があ る︒ 他諸 本に も用 例が ある もの は︑ 身分 の高 い人 物に 対し て﹁ 媚

︵嬌

︶﹂ を用 いる 点が 共通 する

︒具 体的 には

︑ア とイ は﹃ 長恨 歌﹄ の

﹁眸 を回 らし て一 笑す れば 百媚 生じ

﹂を 下敷 きに して おり⑳

︑后 であ った 褒姒

︑李 夫人 に対 する 描写 であ る︒ また

︑ウ は天 皇や 上皇 に対 する 表現 だ︒ これ を前 項で の検 討と あわ せて 考え ると

︑ア

︑イ

︑ウ は漢 詩文 に見 られ る﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂の 表現 を通 し︑ 対象 人物 の高 貴さ を高 めて いる とい える だろ う︒ ここ から も︑

﹁媚

︵嬌

︶﹂ とい う女 性 的な 表現 が貴 族性 を含 むこ とが うか がわ れる

︒ 一方

︑覚 一本 にし か用 例が ない もの は︑ 維盛 の北 の方 の美 貌を 記 すエ と︑ 本稿 全体 で とし て取 り上 げて いる オで ある

︒こ こで エに 注目 した い︒ 延慶 本︑ 盛衰 記も エと 同様 に北 の方 の美 貌を 描く が︑

﹁媚

﹂の 語で 北の 方を 描写 した のは 覚一 本だ けで ある

︒す なわ ち︑ 覚一 本に のみ 見ら れる

﹁媚

﹂は 維盛 夫妻 に対 する もの だと いえ る︒ 覚一 本は 維盛

︑北 の方 の人 物像 を﹁ 媚﹂ の語 によ って 方向 付け よう とし たの では ない か︒ 前項 の考 察や ア︑ イ︑ ウの 共通 点を エ︑ オに 当て はめ ると

︑覚 一本 の維 盛や 北の 方は

﹁媚

﹂の 語が 用い られ るこ とで

︑彼 らの 女性 的な 美や 貴族 性が 強調 され てい ると いえ よう

︒ま

覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

五二

(13)

た︑ エは 先述 の﹃ 和漢 兼作 集﹄ 二六 三番 歌と

﹁桃 顔﹂

︑﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂︑

﹁柳

﹂︑

﹁風

﹂の 語が 一致 する

︒現 在の とこ ろ︑ 両者 にそ れ以 上の 関 連は 見出 せな いが

︑注 意し てお きた い︒ 以上

︑﹃ 平家 物語

﹄諸 本の

﹁媚

﹂か ら︑ も ︑ と 同様 に維 盛 の貴 公子 ぶり を示 すと いえ る︒ さら に︑ 覚一 本に のみ 見ら れた

﹁媚

﹂の 例が 維盛 夫妻 に対 する もの であ った 点に 留意 する と︑ 覚一 本は

﹁媚

﹂の 語で 維盛 夫妻 の美 しさ や貴 族性 を強 調し たと 考え られ るの であ る︒ おわ りに 安元 御賀 回想 場面 の諸 本比 較か ら︑ 三つ の覚 一本 特有 表現 が指 摘 でき た︒ それ らが どの よう な維 盛像 を作 り上 げて いる か︑ また

︑他 諸本 の表 現と どの よう に異 なる のか 考察 した 結果

︑次 のよ うな 結論 に至 った

︒ま ず は︑ 漢詩 文に 見ら れる 表現 を用 い︑ 維盛 の女 性的 な華 やか さや 美し さ︑ 貴族 性を 示し た点 が他 諸本 と異 なる と考 えら れる

︒続 いて は

︑先 行作 品な らび に同 時期 の作 品や それ らと 共通 の資 料を 参考 にし

︑維 盛の 舞姿 が誉 れ高 いも ので あっ たこ とを 描い た︒ これ も と同 じく

︑維 盛の 貴族 性を 表現 した とい える

︒そ して は

︑﹃ 源氏 物語

﹄紅 葉賀 巻を 連想 させ る﹁ 深山 木の なか の桜 梅﹂ とい う表 現を 用い

︑維 盛に 光源 氏の 姿を 強く 投影 させ た点 が他 諸本

との 違い であ ろう

︒ 以上 のよ うに

︑覚 一本 特有 表現 は結 局︑ 安元 御賀 回想 場面 で各 諸 本が 主題 とす る維 盛や 平家 一門 の栄 華︑ 貴族 的成 功を 描い たも のだ とい える

︒し かし

︑こ れら の表 現に よっ て覚 一本 の当 該場 面に 独自 性が 生ま れた のも 事実 であ ろう

︒例 えば の 表現 から

︑維 盛夫 妻に は他 の登 場人 物と 異な る貴 族性 を見 出す こと がで き︑ や の 表現 は︑ 維盛 が青 海波 の舞 を他 者か ら高 く評 価さ れた こと を記 して

︑彼 の活 躍を 際立 たせ てい る︒ さら に︑ これ らの 独自 性は

︑そ の後 の維 盛譚 をさ らに 悲劇 的に 見 せる もの とし て効 果的 に働 いて いる と思 われ る︒ 安元 御賀 回想 場面 の後

︑物 語は 維盛 入水 へと 進む

︒維 盛は どの 諸本 でも 妻子 を忘 れら れな い貴 公子 とし て終 わる

︒そ の展 開を 踏ま える と︑ 若く して 入水 する 維盛 が活 躍し た過 去の 一場 面こ そ︑ 安元 御賀 回想 場面 なの だ︒ 在り し日 の姿 が輝 かし いほ ど︑ 入水 とい う悲 愴な 末路 が浮 き彫 りに なる

︒覚 一本 は特 有表 現に よっ て維 盛の 貴族 性や 過去 の栄 華を 強調 し︑ 後に 語ら れる 入水 を一 層悲 劇的 に見 せよ うと した のだ ろう

︒ 覚一 本の 安元 御賀 回想 場面 にお いて 特有 表現 が維 盛譚 を劇 的に す るた めの 工夫 であ った と考 える なら ば︑ 他の 場面 から も同 様の 意図 をも つ覚 一本 特有 表現 が見 つか るの では ない か︒ これ を今 後の 課題 とし たい

︒現 時点 では

︑都 落ち に際 して 維盛 が北 の方 に言 った 覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

五三

(14)

たと ひわ れ討 たれ たり と聞 たま ふ共

︑さ まな ンど かへ 給ふ 事は

︑ ゆめ 〳〵 有べ から ず︒

︵巻 第七

﹁維 盛都 落﹂ ) が︑ 本稿 で取 り上 げた 諸本 の中 で覚 一本 にの み見 られ るこ とを 確認 して いる

︒こ の表 現は 次の 引用 箇所 との 関連 から

︑巧 みに 構成 され たも ので あっ たと 考え られ る︒ 若君 の御 めの との 女房

︑泣 〳〵 申け るは

︑﹁

︵中 略︶ 今は いか な る岩 木の はざ まに ても

︑お さな き人 〻を おほ した てま いら せん と︑ 思召 せ﹂ と︑ やう 〳〵 にな ぐさ め申 けれ 共︑

︵中 略︶ やが てさ まを かへ

︑か たの ごと くの 仏事 をい とな み︑ 後世 をぞ とぶ らひ 給ひ ける

︵巻 第十

﹁三 日平 氏﹂ ) 右の 引用 は︑ 維盛 が亡 くな った こと を知 り悲 しむ 北の 方に

︑六 代の 乳母 が子 ども たち の養 育に 励む よう 諭し た場 面︑ およ び北 の方 のそ の後 が書 かれ た場 面で ある

︒本 稿で 取り 上げ た七 諸本 にお いて

︑乳 母が 北の 方に 子ど もた ちの 養育 を説 くも のは 覚一 本の 他に も延 慶本

︑ 長門 本︑ 盛衰 記︑ 四部 合戦 状本 があ る︒ しか しそ のう ち︑ 北の 方が 出家 した と明 言す るの は覚 一本 のみ だ㉑

︒北 の方 が出 家す ると いう 覚 一本 の物 語展 開を 踏ま える と︑

﹁維 盛都 落﹂ で維 盛が 北の 方に 出家 を禁 じた こと は︑

﹁三 日平 氏﹂ への 伏線 とし て組 み込 まれ てい ると いえ る︒ この 伏線 も︑ 本稿 で述 べた 覚一 本特 有表 現の よう に︑ 維盛 やそ の周 囲の 物語 を劇 的に 演出 する 工夫 だと 考え られ よう

﹃ 注 平家 物語

﹄本 文引 用は

︑覚 一本 が梶 原正 昭・ 山下 宏明 校注

﹃新 日本 古 典文 学大 系 平家 物語 上・ 下﹄

︵岩 波書 店︑ 一九 九一

~三 年︶

︑屋 代本 が佐 藤謙 三・ 春田 宜編

﹃屋 代本 平家 物語 上~ 下巻

﹄︵ 桜楓 社︑ 一九 七 三年

︶︑ 百二 十句 本が 水原 一校 注﹃ 新潮 日本 古典 集成 平家 物語 上~ 下﹄

︵新 潮社

︑一 九七 九~ 八一 年︶

︑延 慶本 が北 原保 雄・ 小川 栄一 編﹃ 延 慶本 平家 物語 本文 篇 上・ 下﹄

︵勉 誠社

︑一 九九

〇年

︶︑ 長門 本が 国書 刊行 会編

﹃平 家物 語 長門 本﹄

︵名 著刊 行会

︑一 九七 四年

︶︑ 盛衰 記が 水 原一 考定

﹃新 定源 平盛 衰記 第一

~五 巻﹄

︵新 人物 往来 社︑ 一九 八八

~ 九一 年︶

︑四 部合 戦状 本が 高山 利弘 編著

﹃訓 読四 部合 戦状 本平 家物 語﹄

︵有 精堂 出版

︑一 九九 五年

︶に よる

︒ 詩歌 の引 用は

︑特 に注 記を 付さ ない 場合

﹃新 編国 歌大 観 CD -R OM 版 Ve r. 2﹄

︵角 川書 店︑ 二〇

〇二 年︶ によ る︒ また

︑歌 番号 は注 記の 有無 にか かわ らず

﹃新 編国 歌大 観﹄ に従 った

︒ なお

︑引 用に 際し ては 適宜 字体 や訓 読表 記を 改め た︒

﹃玉 葉﹄ 安元 二年 三月 四日 条︒

② 塙保 己一 編纂

﹃群 書類 従 第二 十九 輯﹄

︵続 群書 類従 完成 会︑ 一九 八 二年

︶に よる

︒類 従本

﹃安 元御 賀記

﹄の 引用 は︑ 以下 同じ

③ 冨倉 徳次 郎注 釈﹃ 平家 物語 全注 釈 下巻

︵一

︶﹄

︵角 川書 店︑ 一九 六七 年︶

④ 伊井 春樹

﹁﹃ 安元 御賀 記﹄ の成 立︱ 定家 本か ら類 従本

・﹃ 平家 物語 草 紙﹄ へ︱

﹂︵

﹃国 語国 文﹄ 第六 一号 第一 巻︑ 一九 九二 年一 月︶ によ る︒

﹃平 家公 達草 紙﹄ に関 して は︑

③や

④の 他に

︑馬 場淳 子﹁

﹃平 家公 達草 紙﹄ の維 盛像

﹂︵ 小峯 和明 編﹃

﹃平 家物 語﹄ の転 生と 再生

﹄笠 間書 院︑ 二

〇〇 三年

︶︑ 重政 誠﹁

﹃平 家公 達草 紙﹄

﹁青 海波

﹂成 立に 関す る小 考﹂

︵﹃ 学習 院大 学日 本語 日本 文学

﹄創 刊号

︑二

〇〇 五年 三月

︶を 参照 した

覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

五四

(15)

⑥ 柳井 滋ほ か校 注﹃ 新日 本古 典文 学大 系 源氏 物語 一﹄

︵岩 波書 店︑ 一九 九三 年︶ によ る︒

⑦ 主な 先行 研究 は以 下の 通り

︒壬 生由 美﹁

﹁平 家物 語﹂ にお ける 平維 盛 像の 形成

「源 氏物 語﹂ との 関係 をめ ぐっ て﹂

︵﹃ 国文

﹄第 七三 号︑ 一九 九〇 年七 月︶

︑高 木信

﹁維 盛と して の光 源氏

﹂︵ 室伏 信助 監修

・上 原作 和 編﹃ 人物 で読 む﹃ 源氏 物語

﹄ 第三 巻 光源 氏Ⅲ

﹄勉 誠出 版︑ 二〇

〇五 年︶

︑三 田村 雅子

﹁︿ 記憶

﹀の 中の 源氏 物語

︶安 元御 賀の

﹁花 の 姿﹂

﹂︵

﹃新 潮﹄ 第一

〇二 巻第 二号

︑二

〇〇 五年 二月

︶︒

⑧ 久保 田淳 校注

・訳

﹃新 編日 本古 典文 学全 集 建礼 門院 右京 大夫 集 と はず がた り﹄

︵小 学館

︑一 九九 九年

︶に よる

⑨ 木村 晟編

﹃平 他字 類抄 本文 と索 引﹄

︵笠 間書 院︑ 一九 九一 年︶ や中 田祝 夫・ 峯岸 明編

﹃色 葉字 類抄 研究 並び に総 合索 引 黒川 本・ 影印 篇﹄

︵風 間書 房︑ 一九 七七 年︶ を参 照し た︒

﹃新 撰朗 詠集

﹄七 三二 番歌 や﹃ 千五 百番 歌合

﹄二 六七 五番 歌判 詞に

﹃遊 仙窟

﹄の

﹁誰 か知 らん 憎む 可き 病鵲

︑半 夜人 を驚 かし

︑薄 媚の 狂雞

︑ 三更 に暁 を唱 ふを

︒﹂ の摘 句が ある

︒ま た︑

﹃秋 夜長 物語

﹄や

﹃平 治物 語﹄ 下﹁ 常葉 六波 羅に 参る 事﹂ は本 論で 述べ た﹃ 長恨 歌﹄ の一 節を 下敷 きと した 表現 が見 られ る︒

⑪ 佐久 節編

﹃漢 詩大 観 上~ 下巻

・索 引第 ﹄

︵関 書院

︑一 九三 六~ 九 年︶

⑫ 佐竹 昭広 ほか 校注

﹃新 日本 古典 文学 大系 万葉 集 四﹄

︵岩 波書 店︑ 二〇

〇三 年︶ によ る︒

⑬ 川口 久雄 校注

﹃日 本古 典文 学大 系 菅家 文草 菅家 後集

﹄︵ 岩波 書店

︑ 一九 六六 年︶ によ る︒

⑭ 菅野 禮行 校注

・訳

﹃新 編日 本古 典文 学全 集 和漢 朗詠 集﹄

︵小 学館

︑ 一九 九九 年︶ によ る︒

⑮ 石川 忠久 訳﹃ 中国 の古 典 玉台 新詠

﹄︵ 学習 研究 社︑ 一九 八六 年︶ に よる

⑯ 佐久 節訳 注﹃ 続国 訳漢 文大 成 白楽 天全 詩集 第二 巻﹄

︵日 本図 書セ ンタ ー︑ 一九 七八 年︶ によ る︒

⑰ 久保 天隨 注解

﹃続 国訳 漢文 大成 李白 全詩 集 第二 巻﹄

︵日 本図 書セ ンタ ー︑ 一九 七八 年︶ によ る︒

⑱ 佐久 節訳 注﹃ 続国 訳漢 文大 成 白楽 天全 詩集 第三 巻﹄

︵日 本図 書セ ンタ ー︑ 一九 七八 年︶ によ る︒

⑲ 小峯 和明 校注

﹃新 日本 古典 文学 大系 今昔 物語 集 四﹄

︵岩 波書 店︑ 一九 九四 年︶ によ る︒

⑯に 同じ

㉑ 他諸 本は

︑長 門本 の巻 第十 七﹁ 三日 平氏 事﹂ に見 られ る﹁

︵前 略︶ さ まを もか へ︑ 身を も投 給ふ べく ぞみ え給 ふも むざ んな り﹂ のよ うな 描写 に留 めて いる

︒ 覚一

本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

五五

(16)

屋代 本

百二 十句 本

延慶 本 ア

一度 咲ハ

・百 媚ア リ︵ 巻 第二

﹁重 盛卿 父禅 門諷 諫 事﹂

一た び笑 めば

︑百 の媚 あり

︵巻 第二

﹁大 教 訓﹂

×︵ 第一 末﹁ 重盛 軍兵 被 集付 周幽 王事

﹂︶

四部 合戦 状本 欠本

×︵ 巻第 三﹁ 成経 赦 免﹂

×︵ 巻第 四﹁ 南都 牒 状﹂

×︵ 巻第 七﹁ 維盛 北方 の事

﹂︶

イ 一咲 ハ・ 百媚 有ケ ル︵ 巻 第三

﹁鬼 海島 流人 小将 成 経并 康頼 法師 赦免 事﹂

︶ ひと たび 笑め ば百 の媚 あり けん

︵巻 第三

﹁大 赦﹂

×︵ 第二 本﹁ 建礼 門院 御 懐妊 事付 成経 等赦 免事

﹂︶ ウ

欠本

なほ 面諂 の媚 をな す

︵巻 第四

﹁牒 状﹂

尚成 面展 之嬌

︵第 二中

﹁三 井寺 ヨリ 山門 南都 ヘ 牒状 送事

﹂︶ エ

×︵

﹁平 家一 門落 都趣 西 国事

﹂︶

×︵ 巻第 七﹁ 平家 一門 都落 ち﹂

×︵ 第三 末﹁ 惟盛 北方 事﹂

︶ オ

×︵ 巻第 十﹁ 維盛 熊野 参詣

﹂︶

×︵ 巻第 四十

﹁維 盛入 道 熊野 参詣 附熊 野・ 大峰 の 事﹂

×︵ 巻第 三十 一﹁ 維盛 妻 子に 遺を 惜し む事

﹂︶

尚面 展の 媚を 成し

︵巻 第 十四

﹁興 福寺 返牒 の事

﹂︶

×︵ 巻第 九﹁ 中宮 御懐 妊 附宰 相丹 波少 将を 申し 預 る並 康頼 熊野 詣で 祝詞 の 事﹂

笑み 給ひ たり けれ ば︑ い とど 百の 媚を ぞ増 し給 ふ

︵巻 第六

﹁幽 王褒 姒烽 火 の事

﹂︶

盛衰 記

×︵ 巻第 十﹁ 惟盛 高野 登 山幷 熊野 参詣 同入 水事

﹂︶

×︵ 第九 十八 句﹁ 維盛 入水

﹂︶

×︵ 第五 末﹁ 那智 籠ノ 山 臥惟 盛ヲ 見知 奉事

﹂︶

× 対応 部分 に﹁ 媚︵ 嬌︶

﹂の 含ま れる 表現 が見 当た らな い場 合

長門 本

×︵ 巻第 三﹁ 幽王 被討 事﹂

×︵ 巻第 五﹁ 建礼 門院 御懐 妊事

﹂︶ 猶成

面展 媚︵ 巻第 八

﹁山 門南 都牒 状事

﹂︶

×︵ 巻第 十四

﹁平 家都 落給 事﹂

×︵ 巻第 十七

﹁維 盛高 野参 詣同 投身 事﹂

覚一 本﹃ 平家 物語

﹄安 元御 賀回 想場 面に 見ら れる 維盛 像

五六

参照

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