生と死の交錯の文学 : Virginia WoolfのMrs Dallowayを中心に
著者 滝野 光子
雑誌名 主流
号 25
ページ 117‑142
発行年 1964‑01‑31
権利 同志社英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016682
生 と 死 の 交 錯 の 文 学
一 ‑Virginia W oolfの lvlrsDallow仰 を 中 心 に 一 一
滝 野 光 子
Virginia W oolf (1882‑1941)が伝統的な従来の小説形式に訣別し, 新 たに i意識の流れ」とか I内面の独由」といわれる小説技法の実験に着 手した理由 ~;t, 彼女の書いた Modern Fiction円の中で充分明らかに されている.彼女はここで当時の代表作家といわれる三人, H. G. Wells, John Galsworthy, Arnold Bennettを精神に考慮を払わず、肉体にのみか かずりあう「物質主義者」と呼び3 重要なものを描かずp 些細なことやラ 移ろい易いものを永遠なものにみせようとすることに非常な努力を払い9
その結果,作家が描かなければならない真実の人生が描かれていないと非 難した. これに反して Woolfの写しだそうとした重要なもの,換言すれ ば真の人生とは,自己の心を深く探求し9 鋭い感受性と,深い洞察力によ って捕えた一瞬一瞬のアトムの雨の印象によって,心の中に形成された生 のvisionなのである.それ故に常に彼女の中心題目となったものは「生き ている人に9 人生がどのように感じられるか」である.己れの心を深く探 求してこの「生の感じjを求める Woolfには旧来の外面的な描写を主体 とする手法を用いて真の人生を写しだすことはできなかった.ではWoolf の心に映った「生の感じ」とはどのようなものであろうか.
G. S. Fraserカ5
The title of one of Mr. Auden's latest poems, The AgeザAnxiety, suggests one of the moods to the post‑war world‑a mood of what is often called angst
,
a word borrowed from the Danish religious thinker of the early Nineteenth Century,
Soren Kierk邑gaard.118 生と死の交錯の文学
というように,三大戦争の谷間に住んだ Woolf の生の vision にこの angstの moodが漂うことは当然である.この第一次世界大戦直後は,社 会状勢の不安が反映して,混乱と幻滅の時代である.戦後に伴う経済不況 は労働者を失業におびえさせ,経済草命の危機をも感じさせた.又知識階 級は頼るべき伝統を失い9 自己の知性や愛が無力なのを悟仇懐疑に走る のである.英国民は今迄の静かな規則正しい伝統的生活習慣を失い9 前途 に希望をなくする.文学もこの時代の緊張と苦悩と不安を反挟して伝統を 重んぜず,因襲を否定し9 その形式,内容も実験的なものとなった.そし て特にこの時代の作家は成長期に第一次世界大戦を経験したので,破壊の みを知って建設的な意欲の経験がなく,信頼すべき伝統を失ってしまった らラ もう自己の外側には頼るべき何ものをも見いだすことはできなかった.
ただすがることのできるものは自分自身,即ち,自分の経験しかなかった のである.しかし,この個人主義は WalterPaterが自己の感覚に無条件 な信頼をもつのとは異なり, T. E. Hulmeの 身eculationsにみられる原 罪的な人間観に立脚して,人間を不完全な,有限的なものとみなし,従っ て宗教というような絶対的なものへの批判のできないものとみたのである.
一度ふみこんだら逃げだすことのできない pessimisticな個人主義である.
世紀末の官能に頼る唯美主義も美の絶対性を信じることに救いがあるが,
この不完全な自己しか信じることのできない個人主義は絶望的なものであ る.この不安を掘下げればますます不安につきあたるとLづ永遠の懐疑を 負わされている.しかし9 この個人の経験のみが realであり, 信ずべき 信仰である場合,自己の心を追求して, この消えやすい一瞬の realityを 捕える以外に,即ち,不安を不安として徹する以外に安住の地を見いだせ ないのである.この人間心理の秘密の内面描写がこの時代の作家の仕事で あり, James Joyce, Virginia Woolfがこの不安な心を探求して「意識 の流れjを写しだすことにより9 己れの心に捕えた真の人生を描こうとし たのである.
生と死の交錯の文学 119 Woolfの「生の感じ」とはこの不安な心に映った「生の感じ」である.
Woolfにおいては,この不安は, 自己をみつめる以外頼るもののない孤 独へと通じ,この唯一の自己を消滅する死の意識へとつながる.彼女の描 く作品にかならずといってよい程頭をだす孤独と死の主題は彼女の不安な 心の現われで、あり,特に死の主題は彼女の全作品の主調をなしているとい えよう. 彼女が描こうとする「生の感じ」ははじめから死の moodに包 まれた生である Woolfは生の意義を知るためには死の意義を悟らなけ ればならなかった.Daichesも
.
. d邑athfor this writer was always the i11uminator of and commen・
tator on life, so that an adequate insight into any character is only given if h巴 isshown not only living but also in some connection with death.
というように,彼女の生には絶えず死がまつわりつく.
では,彼女においては,何故この不安が持に死の影を伴うのであろうかa
これは二大戦争のさ中に生きたという死の雰囲気の外に,彼女には本質的 に死にまっこうから立ち向かわなければならないものがあるように思える のである.
あるだが、ンュタイガーの「詩学と基礎概念」の中で詩を「叙事的J I叙 情的J I劇的」と三つの基礎概念に分類しているのをみて,作家を生につ かれた叙事的タイプと死につかれた叙情的タイプの三種類に分類して以下 のようにいっているのを読んだことがある.
「それによると「叙事的」とはギリシャ叙事詩にあるようにラ死や闇と は無縁な行動と形象と陽光の世界であり「叙情的」とはそれとは逆に形象 さだかならぬ死と閣の世界であると説いている.いまこの概念をかりて云 えば,生につかれた叙事的タイプと,死につかれた叙情的タイプと二種類 の人聞が存在するということを私はほとんど信じている.
いまは,ただひとつの仮説として云えるにすぎないが,この三つの資質
120 生と死の交錯の文学
は,生れつきその人に備わったもののように思える.もちろんこの両極端 の間にはさまざまなパリエーションで,中間的存在があるかもしれない.J
このような仮説を
W o o l f
にあてはめてみればフ まさに彼女は死につか れた 「叙'情的」 作家の典型といえよう. 彼女の作品は死の主題が死のmood
に包まれているといってもよい.ではこの内面的に死の意識におい やる素質とは彼女の家庭環境とか,肉体的病弱の外面的な要因の外に,何 よりも死の意識を誘うものはあのどんな僅かな刺戟にも反応する鋭い感受 性ではなかろうか.生の醜悪,悲哀,恐怖3 孤独,幻滅に反応した感受性 が,それから逃れるために死を誘う. そしてこの感受性は,こんどは,反 対に美に,喜びに反応する.人聞の平凡な日常の生活の中に見過ごしたり,埋もれたりしている美を発見し,奇蹟を生み,生の法悦を味わせてくれる。
しかしこの生の喜びがいくら強烈なものであっても9 この愛する生が移ろ い易い,滅びるものであるという思いが又死に連らなるのである.これを もう少し理論立てていうならば 20世紀の偉人とまで、いわれる Freudの 精神分析学に於いて,彼は,人聞には生と死の二大本能があると唱えた.
彼のいう生の本能とは9 その代表が性的衝動で,人間の多くの行動はこれ の変形とみなすのである.又死の本能とは9 人間の無生物に帰ろうとする 傾向を死の本能とみる.彼によると,生物の体内で同化作用と異化作用が 行われるように,人間の生活の中でも,これが行われるのである.ここで は同化作用を生の本能とみ9 異化作用とは,人間が以前の状態にもどろう とする額向をいい9 これは人間は無生物から,即ち,蛋白質からできたも のと考えて,これに帰る傾向を死というのである.即ち生の呂標は死であ り,ここに人間には死に向う本能があると唱えたのである
W o o l f
の意 識の中に常に生と死が内包されているのは,彼女が, Freudのこの学説に 影響されて9 自己の心を深く探求したとき9 この二大本能が自己の意識の 流れの本流になっていることを認めたのではなかろうか.いずれにせよ
W o o l f
の描く作品の生とは9 常に死が生れ, 内蔵され,生と死の交錯の文学 121 交錯し,死との連関による生である Woolfの描く人々は生の喜びに酔 いしいれればしいれる程,この生を一瞬にして滅ぼす死を恐れ,憎み,そ して死をものみこむ,永遠の生のあかしを求め,それを得て喜びにひたる 瞬間,文生の確信は消え,死の思いにつかれるという生と死のりズムが絶
えず波打っている.Holtbyが Woolfの世界を
Past and present, time and space, colour and sound, contingent and absolute have flowed together. Light answers shade, death answers life; the fears, hatreds and misunderstandings of division disappear. といっているが, Woolfの描く位界には常に相対照するもの,異質のもの が調和し,融和して止まることなく流れてゆくのである.今9 この Woolf の心に波打つ生と死のリズムを追うことにより,彼女の真実の「生の感じ」
に触れてみたいと思う.
Woolfの作品はどれをとりあげても, この生と死が交錯し3 リズムと なって流れているが,特に l恥
の中で 1have almost too many ideas. 1 want to give life and death, sanity and insanity; 1 want to criticise the social system, and to show it at work, at its most intense."と記しているようにフ生を描くと共に 死を一つの大きな主題として取り扱おうとした.生と死の対照的な主題を 別個に導入し,これを展開させることにより Woolfは生と死の感じを余
すことなく伝えるのである.
生を象散する主題は9 現実の生活をひたすら愛し,国会議員の妻として 上流の社交生活に自分の存在価値を認めている52歳の Clarissa Dalloway
L 彼女を中心とする夫や9 かつての恋人や友人によって展開する.しか しこの夫人の心の中にも,病後のためとか,老年のためとかで9 当然死が まといっきラ現在の生を楽しむ日々に空しさが感じられ,生と死のリズム が心の中で常に交錯しているのである.
122 生と死の交錯の文学
さて死の主題はラ戦争犠牲者であるー青年 SeptimusWarren Smith によって象徴され,彼を中心としてその妻や医者により展開される.
まず,生の主題をたどってみよう.この作品は,生の主題から導入され,
Dalloway夫人が今夜の partyのための花を買いに,六月の太陽の輝く,
朝のロンドンの町へ出掛けるところからはじまる.生を享受する彼女はラ まず〉朝の太陽に酔い,限に映る見慣れたロンドンの風景,風物に心を奪 われ,毎日繰り返される平凡な出来事が彼女の感覚をゆすぶり,強い生の 喜びを与えるのである.ここに描かれる日々の見慣れた物や,些細な,平 凡な日常の出来事が Woolfの愛する生の源であり,永遠の生を編みだす 一つ一つの鎖である.そして Woolfの描く女性はこれを素材にして美を,
調和を,永遠を創造する芸術家の素質を与えられるa
In people's eyes, in the swing, tramp, and trudge; in the bellow and the uproar; the carriages, motor cars, omnibuses, vans, sand‑ wich men shuffiing and swinging; brass bands; barrel organs; in the triumph and the jingle and the strange high singing of some aeroplan巴overheadwas what she loved; life ; London ; this moment
7)
of June.
しかし,この生の讃歌をうたっているとき,この愛する生を奪う死の思 いにつかれる.彼女は心臓を病んだ後,特に迫りくる死に不安を覚え,被 女にとっては,今や,生とは beingout, out, far out to s巴aand alone; she always had the feeling that it was very, very dangerous to live even one day."という感じとなり, 時そのものに恐怖さえ覚えるのであ
った. Butshe feared time itself, and read on Lady Bruton's face, as if it had been a dial cut in impassive stone, the dwindling of life;
9)
how year by year her share was sliced …円しかし9 このように絶えず 死を意識している夫人は,この生を脅かす死を恐れるだけでなく,死の意 義を充分把握している.即ち,この個人を絶滅する恐ろしい死の意識を超
生と死の交錯の文学 123
越して,死を,生から死,死から不減の生に生きる一つの過程であると感 ずるのである.
Did it matter then, she asked herself, walking towards Bond Street, did it matter that sh巴mustinevitably cease completely; al1 this must go on without h巴r;did she resent it ;or did it not become conso1ing to believe that death ended absolutely? but that somehow in the streets of London, on the ebb and flow of things, hereラthere, she surviv巴d,Peter survived, lived in each other, she being part, she was positive, of the trees at home; of the house there, ugly, rambl帽
ing all to bits and pi巴cesas it was; part of people she had never met; being laid out like a mist between the people she knew best, who lifted her on their branches as she had seen the trees lift the
10)
mist, but it spread ever 80 far, her life, herself.
彼女にとって死とは,愛する人の一部となり,彼女は生きている以上の影 響をあたえて,生き続けることなのである.彼女はこの知った人に融合す ることから彼女の知らない人,即ち全人類に融合するのである.さらに,
人間だけでなく,彼女の愛した場所や,良く知っている故郷の家とか,あ の自然の中に調和し,宇宙全体の大自然の生命に融和し,不滅の生が始ま ることを感ずるのである.
この死こそ時間,空間を超越した生の実証でありフ死に裏付けされた永 遠の生への融合こそ Woolfにとっては生の確信となり, 彼女の生の源泉 となるのである. この死の思いを Woolfは Dalloway夫人の若き日の 恋人で,今なお慕って彼女の思出にふける PeterWalshの口より9 再び、
語らせ,死の思い,換言すれば,生の確証を更に強め,具体的に証明し,
死によって肉体は消滅するが,しかし精神はなおも永遠に生き残るという transcenden talな思想を表現する.
But she said, sitting on the bus going up Shaftesbury Avenue, she
124 生と死の交錯の文学
felt herself everywhere; not here, here, here円 and she tapped the back of the seat; but everywhere. She waved her hand, going up Shaftesbury Avenue. She was al1 that. So that to know her, or any one, one must seek out the peopl巴whocompleted them;
even the places. Odd a伍nitiesshe had with people she had never spoken to, some woman in the street, some man behind a counter‑
even trees
,
or barns. It ended in a transcendental theory which,
with her horror of death, allowed her to b巴lieve,or say that she believed (for al1 her scepticismλthat since our apparitions, the part of us which appears, are so momentary compared with the other, the unseen part of us, which spreads wide, the unseen might sur‑ vive
,
be recovered somehow attached to this person or that,
or even11)
haunting certain places, after death. Perhaps‑perhaps.
このように Dalloway夫人は死を恐れれば恐れる程死の意義を
1
寄りヲ永 遠の生の確信を深める.又,現実の生を愛すれば愛する程死を意識し9死の 意義を追求する.彼女の生の喜びの中には死の影がさし9生と死のリズムが 脈打っている.即ち彼女の意、識の中には生と死が融合して流れるのである.Al1 the same
,
that one day should follow another; Wednesday,
Thursday, Friday, Saturday; that one should wake up in the morn‑
ing; see the sky; walk in the park; meet Hugh Whitbr巴ad;then suddenly in came Peter; then these roses; it was enough. After that, how unbelievable death was!一thatit must end; and no one in the whole world would know how she. had lov吋 it all; how,
12)
every lllstant '"
彼女が平凡な日常の事柄に永遠の生のあかしを見いだし,喜びにひたる 瞬間,この現実の生の一瞬は消えさるつかの間の生の一瞬であるという思 いが忍び寄ってきて,その喜びに安住することはできない.そして又死の
生 と 死 の 交 錯 の 文 学 125 思いに誘匂われるのである.そして Woolfのいおうとすることはラこの現 実の平凡な生の営みこそ,人間の死も悲しみも総てのみこんで流れる悠久
の生の流れの一滴であり,一瞬であるという思いであった.
The noise was tremendous; and suddenly there were trumpets (the unemployed) blaring, rattling about in the uproar; military music;
as if people were marching; yet had they be巴n dying‑had some
,
voman br巴athedher last ・ー1t was not conscious. There was no recognition in it of one込for‑ tune, or fate, and for that very reason even to those dazed with watching for the last shivers of consciousness on the faces of the dying, consoling.
Forgetfulness in people might wound, their ingratitude corrode, but this voice, pouring endlessly, year in year out, would tak巴whatever it might be; this vow; this vaロ this life; this procession; would wrap them all about and carry them on, as in the rough stream of a glacier the ice holds a splinter of bone
,
a blue petal,
some oak13)
trees, and rolls them on.
これまで Dalloway夫人の生の意識を死の裏づけによってみてきたが,
こ乙で彼女の愛する生の一瞬の喜びそのものに焦点をあててみたいと思う.
これこそ Woolfが時代の懐疑の波にものまれずに生の不滅を信じ,その 生を感ずる人間個人の価値を信ずることができる根源である.そしてこの 喜びは宗教も与えることのできない喜びであることを Woolfは教えるの である.たとえば, Dalloway夫人は老婆の平凡な一日の営みに, この一 瞬をみいだす.
She was still there, moving about at the other end of the room.
Why creeds and prayers and mackintoshes? when, thought Clarissa, that's the miracle, that's th巴mystery;that old lady, she meant, whom
126 生 と 死 の 交 錯 の 文 学
she could see going from chest of drawers to dressing‑table. She could sti1l see her. And the supreme mystery which Kilman might say she had solved, or Peter might say he had solved, but Clarissa didn't believe either of them had the ghost of an idea of solving, was simply this: here was one room; there another. Did religion
14)
solve that, or love?
「ここにも部屋がある,あそこにもj とこの平凡な事柄に,直観によっ て見いだした realityこそ Woo1fにとっては真実の生なのである. この 生のあかしにラ自我を忘れて9 これと融和しラ永遠の生に抱かれた平和の 一瞬は,宗教によっても,あかすことができないものと思われるのである.
Woolfは不可知論者の家庭に育ったので特定の宗教を信じなかった. 宗 教にせよ,愛にせよラ人間の霊の privacyを侵害するものを Woolfは徹 底的に憎bのである.Dalloway夫人が娘, Elizabethの家庭教師Kilman 嬢に対する憎悪も,この宗教に対する憎悪の象徴と思われる Woolfに
とって宗教とは oneof those spectres who stand astride us and suck up half our life‑blood, dominators and tyrants"である.それ故彼女は 神に屈従した宗教による慰めを永久に知ることはなかった.しかしWoolf が追求したこの realityの把握の一瞬こそラ まさに宗教的な法悦であり,
満足である.仏教の「さとり」の一瞬であり,禅の無我の境といいうる意 義ある一瞬であろう.この一瞬の中には,永遠が凝固し,自我は非我と融 和し,悠久の生の中に生きる自分を見いだすのである.これこそ総ての理 解に通じる神の平和への道であり,これを Woolfは安易に既成の宗教に よって見いだすことを求めず,自分の力で,自分の心の中にこれを追求し たのであった.しかしこの直観による一瞬の realityへの信仰は,彼女に 永遠の心の安らぎを与えなかった.これは,はかないつかの間の一瞬に対 する信仰であることを1司Toolfも知っておった.しかし Woolfはこの一瞬 をたゆまず追求し続けたのである.彼女は日記の中でこのようにいってい
生と死の交錯の文学 127 る. ...there were causes in her life; prayer, principle. None in mine‑"と友が信ずべきものをはっきりと把握していることを羨み,
1 enjoy almost everything. Yet 1 h乱vesome restless searcher in me.
vVhy is there not a discovery in life? Something one can lay hands on and say This is it"? 恥I[y depression is a harassed feeling. I'm looking: but that's not it‑that's not it圃 Whatis it? And shall 1 die before 1 fInd it?
と,白分はあらゆることを楽しむ能力をもっているのに,これであると明 白にいうことのできるものを求めて,それを手に入れることができないた めに焦燥する.しかし
Then (as 1 was walking through Russ巴11 Square last night) 1 see the mountains in th己 sky:the great clouds; and the moon which is risen over Persia; 1 have a great and astonishing sens巴ofsome‑
thing there, which is it円 1tis not exactly beauty th丘t1 mean.
1t is that the thing is in itself enough: satisfactory; achieved. と彼女は突然, この陶酔的「さとり」の一瞬をもつのであった Woolf の追求するものはかならずしも美ではない.小さい白己が自然に調和し,
自我と非我の境界線は消え失せ,自然、に包含される自分を感じる一瞬で,
このときこそ enough,satisfactory, achieved円の感情が充満する. そ して Woolfはなおもこう続ける.
A sense of my own strangeness, walking on the earth is there too;
of the infInite oddity of the human position; trotting along Russel Square with the moon up there and those mountain clouds. Who am 1, what am 1, and so 0ロ thesequestions are always floating about in me : and then 1 bump against some exact fact‑a letter, a person, and come to them again with a great sense of freshness. And so it goes on. But on this showing, which is true, 1 think, 1 do fairly
128 生と死の交錯の文学
frequently come upon this it"; and then feel quite at rest. この日記は彼女が求める神秘的な一瞬の追求の過程とその把握の状態を,
もっとも明瞭にいい表わしている.Russell Squar邑で見た一瞬の VlslOn が彼女の求めているものを教えてくれたのだ.手で触れることができなく とも,口で説明することができなくとも,彼女は直観によって捕えたのだ.
彼女の心は満ちたり,平和になった.そして自分は単なる個ではなしこ の大宇宙の一部であるという安らぎを得て,元気をとりもどし,又新たな it円を己れの内部へと深く求めるのである. 被女はこの神秘の一瞬を神 の力で得ょうと思わなかったが,これこそ自分の直観によって見いだした 神の道に通じる宗教的法悦なのである.Chambersが
On巴 ofthe great comforts of religion must be the sense which it imparts to the individual of unity with something outside himself,‑
brotherhood with man, surrender to god; passion and purpose subside and the soul finds rest, lonely no longer. One of the trou司 bles of our troubled age is that many truly religious people have no religion to profess. If Virginia W oolf w旦sone of these, it is easy to understand her passionate desire to merge the personality with al1 that surrounds it and especially with the personalities of those it loves. といって羽Toolfの措く人物が9 いつも,人間関係に和を計り,融合させ ようとするのは Woolf自身が, この宗教的な慰めを見いだそうという願 いであると見るのである.そしてこれは又 Woolfの人物が絶えずrea1ity を追求していることの証拠でもあり9 又生の啓示を得るまでの過程とみな すことができる.
Woolfがこの移ろい易い信仰的陶酔感に酔うのは唯美主義者 Walter Paterと一脈通じるものがある. しかし Pat巴rが自己の感覚の哲学的信 頼感に基き,美の絶対価値を追求し,これを深めてゆくのと呉り,彼女は 自己の感覚をありのままうけとり,それに意味を見いだし,より高い理解,
生と死の交錯の文学 129 即ち,生の意義を見いだすことによる満足感,充足感を求めるのである.
そしてこれに通ずる唯一の道は, 日常生活の中に見いだす対象を,ありの ままに,そのもの自体をみること,即ち「判断なしに,選択なしに,沈黙 の理解をもって」みればヲ rea1ityを把握し, ここにあのいうにいわれぬ 幸福感が訪れることを教えるのである. そして Dalloway夫人はこの一 瞬の掬酔感に元気づけられ,死のリズムに伴奏されながらも,生の不滅を 信じラ現し身の生の climaxを象徴する partyの場へと近づく.
では,死の主題はどのように展開されるであろうか.この主題の伏線は,
生の主題とほとんど同時に現われラ生の主題に死の影のさすことをほのめ かす. Dalloway夫人が朝の讃歌をうたっている時に,大戦は終札平和 は蘇えったが戦争の傷跡がなおも生きている人を苦しめていることが知ら される.そして夫人が花を買っている
m
の近〈に,弾丸衝撃のために気が 狂った死の主人公が9 一見して悲劇を蔵し,妻と共に現われる.Septimus Warren Smith, aged about thirty, pale‑faced, beak‑nosed, wearing brown shoes and a shabby overcoatヲ withhazel eyes which had that look of apprehension in them which makes complete str乱n‑ gers apprehensive too. The world has raised its whip; where will
10)
it descend?
Freudは他人に対する攻撃も自分に対する攻撃,即ち自殺の欲求も,同 様に死の本能のあらわれとみているがラこの青年は絶えず死の衝動にかり
たてられる.彼の狂った頭の中で,死を推進するものは,自分が無感動9
無関心であるという罪の意識であった.上官 Evansの戦死がp 出征し少 数々の手柄をたてて死をつぶさに経験していた当時は自分ではそう重要な 経験と思わなかったが,彼の潜在意識になって,狂った今,大きく浮び上 るのである.
50 there was no excuse; nothing whatever the matter, except the sin for which human nature had condemned him to death; that he
130 主主と死の交錯の文学
did not feel. He had not cared when Evans was ki1led; that was
~O)
worst. '" The verdict of human nature on such a wretch was death. 彼の頭の状態は,他人にあわせて社会生活を営むことのできない状態で あった.そしてただ、孤独感だ、けが深まり9 これが彼の自殺の衝動をますま す強めるのであった. とうとう Evansの幻覚があらわれ彼を死に誘うの である.一方外面的な自殺の推進者は二人の医師である.
Woolfは医術や法律を物質文明の象徴とみる. これは人を束縛し, 盲 目にして,あるがままのフ物自体を見ることを不可能にするものである.
医師は患者を人間としてみずに,病気の対象としてみ,医術の権威や精神 病を取締る法律で,青年の霊の privacyを侵害しようとした. Woolfは 宗教であれ,愛であれ,霊の privacyの破壊者を非常に憎むのである.
そしてこの青年の心を理解しようとはせず,機械的な治療を施し,強制隔 離によって正気にすることができるという物質文明に Woolfは反抗する のである.
Septimusは Humannature, in short, was on him‑the repulsive
空1)
brute, with the blood.red nostrils. Holmes was on him.円と医者を嫌 うあまり, 人間全体を嫌い, 精神病の大家 SirWilliam Bradshowが強 制隔離を申し渡した時,絶望し,医者, Holmesの応診をBradshowの迎 えと間違い, この外的な死への圧迫から逃げ場を失い, But he would wait till the very last moment. He did not want to die. Life was good. The sun hot. Only human beings?"という思いを抱いて窓から飛び下
りた.彼の死に直接的な影響を与えたのは物質文明に踊らされた人間であ っ7こ・
この知らせは, Dal10way夫人が開く partyのさ中にもたらされる.社 交界の常連の一人9 医師Bradshow夫妻の遅刻の言い訳として,彼等の回 りにいつもおこる,些細いな事件としてBradshow夫人の口からDalloway 夫人に告げられる.ここで生と死の二つの主題か融合し,けんららんたる
生と死の交錯の文学 131 climaxが展開される.
partyは Dalloway夫人の生活そのものの象徴である.現実的生の享受 者として partyは彼女の生きる目的である.
Here was So四and‑soin South Kenshington; some one up in Bays‑ water; and somebody else, say, in Mayfair. And she felt quite con‑ tinuously a sense of their existence; and she felt what a waste;
and she felt what a pity; and she felt if only they could be brought together; so she did it. And it was an 0妊ering; to combine, to create; but to whom?
An offering for the sake of offering, perhap古 Anyhow,it was her gift. Nothing else had she of the slightest importance; could not think, write, even play the pian~3) o.
Woolfは人聞を融合させ,和を作り, そこに調和や美を創造する女性 の優雅繊細の価値を認めこれを高く評価するが,これ以外のことに全然、価 値を認めない有関社交夫人の日々を鋭く批判し, Dalloway夫人と異った 価値観念をもっ Peterの口からその生活を批判させている. 彼は夫人を 階級や社交のことのみに心を煩わす snobであるといし、この社交中心の 生活を
…
she needed people, always people, to bring it out, with the inevi‑ table r巴sultthat she frittered her time away, lunching, dining, giv明 ing these incessant parties of hers, talking nonsense, saying things she didn't mean, blunting the edge of her mind, losing her discrim‑24)
inahon.
であると非難した. 即ち, まことの自分をすり減らして, 表面的な虚偽 の生活に明け暮れするロンドン社交会の女性の生活は Woolfにとっては death to the artist
,
death to reality,
death [to the ful1 development of intellectual power円を意味した.132 生主死の交錯の文学
Dalloway夫人も社交の為に装う己れを鏡に映しながら, まことの自分 を忘れ,生の中心から遠ざかる空しさを感じることがあるが,しかし人間 を融合させる才能を思う存分発揮して party を成功させることが彼女の 生の充足であると信じている夫人は,総理大臣を案内して部屋に入ってき たとき,生に対する勝利感に満ちあふれた.
And now Clarissa escorted her Prime Minister down the room, prancing, sparkling, with the stateliness of her grey hair. She wore ear‑rings, and a silver‑green mermaid's dress. Lolloping on the waves and braiding her tresses she seemed, having that gift sti11; to be; to exist; to sum it all up in the moment as she passed; turned, caught her scarf in some other women's dress, unhitched it, laughed, all with the most perfect ease and air of a creature
26)
floating in its elem巴nt.
しかしこの勝利感にはもう敗北が迫ってることを知らせるものがある.
一切のものが彼女の執道を廻っているという確信があるにしろ,勝利感に いつもと違った不安がつきまとった.彼女は老いたためかといぶかった.
しかしそうではない.彼女の生をのみほす強い死が近づいていたのだ¥こ の生と死が結ぼれた瞬間9 今迄の勝利感,満足感は空しく消え失せ,ここ に生は死に敗北した.彼女の心を現わすのにこの一言で充分であった.
Oh! thought Clarissa, in the middle of my party, here's death, she thought.彼女の今迄の生の確信は揺らぎ,一人になると死の思いがどっと 押し寄せてきた.ここで生と死の二本の糸は一本の死の糸によられ,死が climaxに到達する.
She h且donce thrown a shi1ling into the Serpentine, never anything more. But he had flung it away. They w巴nton living Cshe would have to go back; the rooms were still crowded; people kept on coming). They Call day she had been thinking of Bourton, of
生と死の交錯の文学 133 P巴ter
,
of Sally),
they would grow old. A thing there was that mattered; a thing, wreathed about with chatter, defaced, obscured in her own life, let drop every day in corruption, lies, chatter. This he had preserved. Death was defiance. Death was an attempt to communicate, people feeling the impossibility of reaching the c巴ntre which, mystically evaded them; closeness drew apart; rapture faded;~8)
one was alone. There was an embrace in death.
彼女は自分が池にお金を投げたように9 生命を捨てた若い青年のことを 考えた.なんのために捨てたのであろうか.おしゃべりや虚偽や頭援のう
ちに,日毎に堕落する純粋の自分を救うためではなかろうか.自分は人々 を集めラ結合し,融和を生みだすことに生きる目的を見いだしたが,自分 がやったことは9 表面的な融和であって9 本当の心と心を結びつけ9 愛に よって結ぼれた真の交わりをさせることはできなかった.この真の交わり は死に価する程困難なことだ.人の本心に近づこうとすることは不可能な
ことだ.人聞は永久に孤独でありヲ死のみが孤独を救うことができるのだ.
このようにして無益な日々を送って大切な,本当の自己を堕落さぜてゆく のに反して,それを守って死んだ見も知らぬ青年に,理解と同情を覚え,
自分の分身に思われた.彼女はこの堕落した姿で,社交の仮面をかぶり,
このまま生きてゆくことに罪の意識を感じ,今や青年の死が自分自身の死 であることを心から悟るのであった.そして, Odd,incredible; she had never been so happy. Nothing could be slow enough; nothing last too long. No pleasure could equal … ~9) と死の抱擁に身をまかせ,孤独 から救われ,死によって本当の自分を堕落から守ることができる喜びを感 ずるのであった.
しかし Woolfは死に勝利を与えはしなかった Dalloway夫人が死の 意義を悟仇死に喜びを見いだしているさ中にラ向い側の窓から,前に見 た老婆がいつものように床に着こうとしているのが又見えた.その平凡な
134 生と死の交錯の文学
行為,見慣れた動作に,瞬間的に生の realityを見いだした.
She was going to bed
,
in the room opposite. It was fascinating to watch her, moving about, that old lady, crossing the room, coming to the window. Could she see her? It was fascinating, with people stiU laughing and shouting in the drawing‑room, to watch that old woman, quite quietly, going to bed alone. She pulled the blind now.The clock began striking. The young man had killed himself; but she did not pity him; with the clock striking the hourラone,two, three, she did not pity him, with all this going on. There! the old lady had put out her light! the whole house was dark now with this going on, she repeated, and the words came to her, Fear no more the heat of the sun. She must go back to them. But what an extraordinary night! She felt somehow v巴rylike him‑the young man who had killed himself. She felt glad that he had done it;
30)
thrown it away while they went on living. The clock was striking. 青年は死んだがラなお生き続けておる人もいる.そしてこの老婆は明日の ために床に着こうとしている.死も堕落ものみこむ生が,死ぬ人もいる し,生きている人もいるこの生が相変らず続いておるのだ.個人の生も死 ふ時間も空間ものみこむ永遠の生の流れが.夫人はこの老婆の姿から r巴在lityを把握し,生の一瞬の啓示を得て,死をふり払い,新たに9 元気づ けられ, partyの場へもどり,この作品は生の主題の勝利で終るのである.
さてこの lVlrs.Dallo切りは生と死の両極を交錯しながら,遂には生が 勝利を得るが, この作品の ModernLibrary版につけられた作者自身の 序文によればラ作品の最初の構想には Septimusは存在ぜず,夫人自身の 急死か自殺で結末をつけるつもりであった.このように死を結末にもって くる作品は,処女作 VoyageOut (1915)と,はじめて新しい技法を実験
生と死の交錯の文学 135 にうつした Jacob'sRoom (1922)の三つで両者とも若い生命が失われる のである.前者は,純真無垢な RachelVinraceが愛を知った時,急死す る.又後者は若い有能な希望にあふれた JacobFlandersが戦争で生命を 失うまでの生の記録である.たぶん Woolfは絶えず個人の生活が危機に 晒されているこの時代に,真の自己を見失うことなく生きてゆく難しさを 痛感し,たとえ生き永らえたとしても, Dal10way夫人が乙女時代の回想 にふけった時のあの悲しい後悔の思いのみが,心から離れないのであろう.
For she was a child throwing bread to the ducks, between her par‑ ents, and at the same time a grown woman coming to her parents who stood by the lake, holding her 1ife in her arms which, as she neared them, grew larger and larger in her arms, until it became a whole lif吉ヲ a complete life, which she put down by them and said,
This is what 1 have made of it! This!" And wh旦thad she made of it? Whatラindeed
う
そして女性の realityをこの社交に生きる女性に求めたときに9 それを 完全に写しだそうとするなら,その結末に死を求めることは当然なことで ある.しかし Woolfは女性の re日lityを求めるより, 生の rea1ityを伝 えることに重点をおいたのだ.彼女はここに厳然として, "human beings are part of an ever‑moving, ever‑changing乱owof existenc巴 円 とLぅ、 意識,即ち,死に打ち勝った生を伝えたのである.
この生の確信は次の作品 Tothe L忽hthouse(1927)では更にもっと強 まる.これは生の讃歌といってもよい.死は,勿論,人間の逃れられない 残酷な運命として, 生を愛した人に訪れるが, ここではただ Eventhe change from lif巴 to death can be less significant for her than the mutations of one person's consciousness into the di妊eringrecollections of that person, and the di宜ering response to the meaning of his or her personality, left in the consciousness of others after he or she
136 生と死の交錯の文学
has died."であった.そして死せる Ramsay夫人によって,画家の Lily
34)
Briscoeが Lifestand still here.と生の啓示をうけ,生の意義を知る場 面は Beethovenの「歓喜の歌」を聞くような思いがし, 死の影は消え失 ぜヲ不滅な全的生がこの一瞬に凝固するのである. もう一つの彼女の代表 作と考えられる TheWaves (1931) も死が作品の基調をなしているが,
当然,死は永遠の生の流れの中の一つの些細なできごとにすぎないという 感を深める.この作品の巻末にフ 偶像とも思われる Percivalの死によっ て大きな影響を与えられた六人の人物の一人 Bernardが死の思いにつ かれ, 死に対する挑戦の独白の後の Thezvaves broke on the shore円 に対して AileenPippettはこれを生の象徴とみて次の言葉を補っている.
Some readers have taken this to mean that Bernard goes through the swing‑door to his doom. Others remember only the magnificent courgae of his challenge, hearing Virginia vVoolf's proud reiteration,
36)
1t's life that matters.円
Woolfが若い生命に死を与えるのはフ個人の生命が絶えず、死に栖されて いるという無情観の現われであり,もう一つはこの現実の生活は盟落ふ 破 滅 ふ 虚 偽
ι
個人の生も死も総てのみこんで流れる永遠の生の一片で ある放に現実の生を愛するのであるという心境は,深い人生経験を得ては じめて到達できる境地であり9 若い人にはなかなか味わえない心境であろ うし, Woolf自身ふ 初期の作品を書いた頃には青年の将来に希望より 堕落や絶望しかみることができなかったが,年を取るにつれて,人生の喜 びをじっくり味い, Peterのように人生を日 hehad found life like an unknown garden, full of turns and corners, surprising, yes; really it took one's breath away, these moments ; there coming to him by the pillar‑box opposite the British J¥1useum one of them, a moment, in which things came together; this
37)
ambulance; and life and death.
生と死の交錯の文学 137 とみた時に9 この永遠の生に連なることを示す一瞬の生の啓示こそが本当 の生であり,これこそ,この現実の生によって得られるもので,この現実 の生こそ死よりも,一層重要なものであることを体得し,この現実の生の 意義を伝えることが,作家としての義務と考えたのであろう.
Woolfが心に映った visionを忠実に描き,真の人生を表現しようとし たときヲ不安な心に映った人生は,生と死という対照的な感じとなって現 われたのである.披女は不安を不安として徹してp その不安な心を掘下げ たとき,不安は不安につきあたるという永遠の疑義より逃がれ,自己の直 観によって生の意義を見いだすことができた.しかし不安な心に映った生 の不滅,生の意義には何かしらいうにいわれぬ不安がつきまとうのである。
いつ消滅するかわからぬ個人しか頼ることのできぬ自分自身の弱さという のか,絶対なものを信じるのとは異なり,信じる力に迫力が欠けていると いうのか,絶えず9 自分自身に説得しなければならないような弱さが感じ られるのである. この弱さがヲもう一つの人間本能の死を伴いフ死のmood を漂わせるのである.彼女の直観をとおしての生の信仰は死を超越する烈 しいタ強いものであるが9 その一瞬の中には,生に対する不信の影がつき まとうのは,この不安な時代に,あの鋭い感受性を持って生れたWoolfの
38)
宿命でもあり,彼女を死につかれた作家とする理由でもある. Blackstone はこの生と死の感じの生れる根源を以下のように明確に説明している.
「欠如は彼女のまわりの世界にあるだけでなく,彼女自身の中にもあっ た.それはわれわれがただ信仰と呼ぶことしかできないものの欠如であっ た.権威への屈従とか願望を伴った思考の上に立った信仰ではない.
彼女はそういうものを知ることは決してなかったであろう.それは,彼女 自身の直観の現実に対する信仰であり,ほんとうに最も純粋な形の知識で ある信仰なのである. というのは9 現実とのわれわれ自身の接触ほど9 わ れわれにとって確実であり,または直接的なものはないからである.この
138 生と死の交錯の文学
接触を彼女は断続的にもった.神秘的な(これは彼女が嫌った言葉で、あり,
私は,もし人が理解してくれると思えば,その代りにく純粋知性〉のとい う語を使いたしう要素が彼女!こは強かった.老子の言葉やプレイグの格言 的警句と並んで遜色のない文句がタ彼女の書いたものからーダースでも拾 い出せるのである.しかし波女の育ちは彼女にとって不利だった.不可知 論者の家庭に子供として育ったこと,一人の女として,知識人との交友を もったことは9 彼女の精神的な鑑識力の細い尖端を鈍くしてしまうことは なかったけれど,それは,綜合への道を旨く閉ざしてし主ったのである.J
この「直観の現実に対する信仰」はその感受性をとぎすまして,いくら 直観の力を強めても,この信仰のままにとどめておく限りは,滅びるもの,
移ろい易いもの,消え去るものへの信仰であって,永遠の信仰の対象にな ることはできず,消え去る一躍への信仰は,どんなに確かなものであろう と,彼女に絶えざる安らぎを与えることはできないのである.
しかし,いかに移ろい易い,消え去る一瞬であろうと, Woolf が心から 信じ,頼ることのできるものは9 この直観による realityの把握の一瞬で しかありえなかった.Woolfはそれを追求する過程において, 悩み, 苦 しみ,焦燥し,死の moodに包まれようと, ただ,ただ, これを求め続 けたのであった. そして Woolfが作家として忠実に措きだそうとしたも のはこの realityを求める人間の内面生活であった.それ故に, Woo1fの 描く「生の感じj とは,人間個人の生も死ものみこみ,絶えず流れて変化 しゅく生の実在を信じ,これを自己の直観によって一瞬,内在的に悟達す る可能性とその過程の追求の忠実な表現なのである. そして Woolfはこ の生の本質の探求こそ,たいていの人間が持っているがラ人間の意識の奥 深く内蔵されているため,気付かずにいる thisvarying, this unknown and uncircumscr仏edspirit円の働きであり,これを把握して, 伝えるこ
とが作家の務めと思ったのである.それ故にこの言葉にうっすことのでき ない精神の働ぎを表現するために
r
意識の流れ」という精神分析的な手生と死の交錯の文学 139 法が必要であった.
しかし,何故, Woolfがあくまで訂滅することなし 懐疑におちいる ことなく,死の思いをふり払い9 断続的であっても「直観の現実に対する 信仰」を持ち続けることができたのであろうか.これは勿論,知性によっ てみがかれた天性の感受性から発する洞察力によるものであることはいう までもないが9 これを助けたもの,即ち,感受性の背後にあるものを作り だしたものは彼女の育ちといわなければならない.
それはまず第一に,不完全な自己を追求し,不安につきあたるという懐 疑より逃れ,自己の直観により realityを把握することを教えたのは,彼 女もその一人である,学者,芸術家,作家などの集り,Bloomsbury Group
の人々に影響を与えた Cambridgeの哲学者, G. E. Moorの哲学であっ た.彼は個々の経験こそ興味と意義の中心であり,美とか幸福は個々の経 験にあること,即私個人の体験の中にこそ,人生の総ての価値が存ずる
ことを教えた.Woolfはこの哲学を背景にして, Bloomsbury Groupの 人々と同様,ある選ばれた人,即ち知識人とか芸術家は,生れながらにし て?この reality把握の能力を備えていると信じ, 自分自身の心の中に,
この幸福を求めたのである.
第二には父 LeslieStephenである. 彼は彼女に真理とはいかに大切な ものかを教えたのだ.まだ一般的風潮として,因襲的なヴィクトリヤ朝の 女子教育が行われているさ中に,彼女は9 男性同様の知性を身に着けるこ とを許され,好むままに知的欲求を満たすことができた.数々の父の蔵書 は公正な判断力を養うことに役立ち,古典を学ぶことは,彼女に9 真理の 探究の道が,いかに険しいものかを教えた.そして学者としての父自身は,
いかに困難であろうとも,これを耐え忍び、,勇気をもってやり続けなけれ ばならないことを,身をもって教えた.又父が不可知論者であったため,
この時代の知能のすぐれた青年の信仰を捨てるという悩みも苦しみも味わ ず, 彼女はただ一筋に, realityを追求し, 生の本質の究明に立ち向い,
140 生と死の交錯の文学
作家としてこれを忠実に描写するため,彼女の名を高からしめた小説技法
「意識の流れ」が生れたのである.
Dalloway夫人から,断乎として,死の思いをふり払った Woolfが, 1941年3月28日, Ouse河に身を投げ, 59歳の生涯を閉じたのは, 死につ かれた作家としての宿命から逃れられないものを持っていたことを証明し たように思われる.失宛ての遺書には,狂気の状態で生き長らえ,愛する 夫に迷感をかけることを恐れる旨が記してあった.あの第二次世界大戦下
、の日々の生活を思いだすと?空襲,食糧難,その他種々の戦争に付随する 狂気じみた生活は, あの鋭い感受性を持った Woolfの神経が耐え得る限 界以上のものであり,彼女の正気を脅す原因となったことは充分想燥する ことはできる.しかし自殺の真相は永久に謎であるし又本人自身さえ,き っと,明白ではないだろう.ただ,死後も生前と変らず乙の生は,敏感な 心の持主には9 時々生のあかしを立てながら,総てのものをのみこんで,
永久に流れ続ける悠久の生であることを確信し,この生に安らかに抱かれ ている Woolfを私は感じることができるのである.
E主
1) Joan Bennett, Virginia Woolf: Her Art as a Novelist (Cambridge:
Cambridge University Press, 1944), p, 94.
2) G. S. Fraser, The Modern ~Vriter and His World (Tokyo: Kenkyusha, 1951), pp. 16‑17.
3) David Daiches, Virginia Woolf (Norfolk, Conn.: New Directions, 1942), p. 12.
4) 福田宏年, I死生観の断絶」毎日新聞,昭和38年3月16日.
5) Winifred Holtby, Virginia Woolf (London: Wishart
&
Co., 1932), p. 185.6) Virginia W ooH, A Writer' s Dimツ(London:τheHogarth Press, )954), p. 57.
生色死の交錯の文学 141 7) Virginia Woolf, Mrs. Dallaway (London; The Hogarth Press, 1960), p.
6.
8) Ibid., p. 11. 9) Ibid., p. 34. 10) Ibid., pp. 11‑12 11) Ibid., p. 168. 12) Ibid., p. 135. 13) Ibid., p. 152. 14) Ibid., pp. 140‑141. 15) Ibid., p. 15.
16) A Wトiter'sDiary, p. 86.
17) R. L. Chambers, The Navels af Virginia Waoグ(London:Oliver & Boyd, 1947), pp. 5‑6.
18) Bernard Blackstone, Virginia Waaグ:A Commentary.福田陸太郎訳.(研 究社,昭和34年入 34頁.
19) 1¥1rs. Dallaway, p. 17. 20) Ibi・d.,p. 101.
21) Ibid., p. 102. 22) Ibid., p. 164 23) Ibid., pp. 134‑135. 24) Ibid., p. 87.
25) Holtby, ap.αt., p. 155. 26) Mrs. Dallaway, p. 191. 27) Ibid., p. 201.
28) Ibid., p. 202. 29) Ibid., p. 203 30) Ibid., pp. 204‑205. 31) Ibid., p. 48.
32) Frederick Karl & Marvin Magalaner, A Reaゐ〆sG悶~'de ta φ 'eat Twen‑
tieth Century English N(lvels (New York: The Noonday Press, 1962), p. 130. 33) David Daiches, The Navel and the Madern Warld (Chicago: The Uni‑
V巴rsityof Chicago Press, 1960), p. 188.
34) Virginia Woolf, Ta the Lighthause (London: The Hogarth Press, 1951), p.250.
142 生と死の交錯の文学
35) Virginia WooH, The Waves (London: The Hogarth Press, 1950), p. 211. 36) Aileen Pippett, The Moth and the Star; A Biography 01防'rginiaWoolf
(New York: The Viking Press, 1957), p. 293. 37) Mrs. Dalloway, p. 167.
38) Bernard Blackstone, op. cit., p. 48.
39) Virginia W oolf, Modern Fiction," The Cοmmon Reader 1 (London, The Hogarth Press, 1951), p. 189.