反 俗 の文学集団──学衡派
阪 口 直 樹
Ⅰ 「学衡派」に対するこれまでの評価と問題点
Ⅱ 「学衡派」の文学主張
Ⅲ 「新月派」と茅盾に関する呉の評価
Ⅳ 文化ナショナリズム潮流としての「学衡派」
Ⅰ 「学衡派」に対するこれまでの評価と問題点
1.文学史における評価
胡適「文学改良芻議」(1917年1月)をきっかけに,反封建と反伝統を旗印として展 開された「文学革命」は, 復古派 を主要な敵対者として選び,打倒・殲滅の対象と した。かつて文学史はこれら 復古派 に対しては,一律に全面否定の評価を与えてき た。例えば田仲済・孫昌熈主編『中国現代文学史』は,「封建復古派とブルジョア右翼 文人に対する闘争」の章で次のように述べている。
五四文学革命の時期に,新文化陣営は林 を代表とする封建復古派と闘争を行っ た。 五四 以後,新民主主義革命と新文化運動の一層の発展は,封建勢力の極端 な恐懼を引き起こした。政治戦線上においては,封建勢力の政治的代表である北洋 軍閥と帝国主義はお互いに結託して,革命的大衆の運動に対する弾圧を強め,文化 戦線上においては,封建勢力の利益を代表する封建復古派も,新たに糾合し,新文 学陣営に対して反撃してきた。学衡派と甲寅派がその代表であった。……学衡派の 代表的人物は南京東南大学教授胡先,梅光迪,呉などで,彼等は1922年1 月,雑誌『学衡』を創刊するや,復古主義を鼓吹し,新文学運動に向かって攻撃を かけてきた。これら文人は林 などの遺老とは違って,西欧の留学生であり,背広 を着た紳士として, 学貫中西 博古通今 を売り物にしたのである。彼らは中国 内外の正統思想と正統文化の防衛者・継承者であると自任し,自ら 国粋を昌明 し,新知を融化する ことを旗印とした。彼らには,復古という本性と,西洋奴隷 という特性を持っていて,彼らの所謂理論というのは,封建買弁思想の寄せ集めで あり,少し舶来で装った 国粋主義 にすぎないのであ
1
る。
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1 山東人民出版社,1979年8月刊,661頁。
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ここで名をあげた「学衡派」とは,東南大学(前身は南京高等師範)の教員達が月刊 誌『学衡』を拠点にして,①文学進化論に反対,②文言文は白話文に勝る,③言文は一 致すべきではない,④文章は古文を模倣すべし,との主張を展開したが,これに対して 魯迅(風声)が「估『学衡』」(『晨報副刊』1922年2月9日),(「 一是之学説 」1922 年12月3日)を書いたほか,茅盾(沈雁冰)も「評梅光迪之所評」(『時事新報・文学 旬刊』1922年2月21日),「近代文明与近代文学」(『時事新報・文学旬刊』1922年3月 1日),「駁反対白話詩者」(『時事新報・文学旬刊』1922年3月11日),「文学界的反動 運動」(『時事新報・文学旬刊』121期1924年5月12日)など連続して批判文章を発表 し,後世の文学史に 醜名 を留めることになったのであ
2
る。
文革後80年代後半から本格化した文学史見直しの作業は,こうした 復古派 に対 する再評価を促進していったが,90年代後半からの 国学 ブームのなかで,「学衡 派」の作家研究や著作も大量に公刊されるようになる。例えば中国での主要な関連論文 だけで以下のリストを挙げることが出来る(ここで「学衡派」と「清華学派」・「清華国 学研究院」の間は必ずしも同一でないことは注意しておく必要があるが)。
①『呉与陳寅恪』(清華大学出版社,1992年3月)
②『呉自編年譜(1894〜1925年)』(三聯書店,1995年12月)
③陸鍵東『陳寅恪的最後20年』(三聯書店,1995年12月,邦訳:平凡社,2001年3月)
④孫尚揚・郭蘭芳編『国故新知論──学衡派文化論著輯要』(中国広播電視出版社,1995年)
⑤『中国現代学術経典──魯迅・呉・呉梅・陳師曽巻』河北教育出版社,1996年8月)
⑥張紫葛『心香泪酒祭呉』(広州出版社,1997年3月)
⑦徐葆耕『釋古与清華学派』清華大学出版社,1997年5月)
⑧沈衛威「『学衡派』的人文景観」(『新文学史料』1998年第2期)
⑨曠新年『現代文学与現代性』「学衡派与新人文主義」(上海遠東出版社,1998年6月)
⑩羅崗「歴史中的《学衡》」(『記憶的声音』学林出版社,1998年12月)
⑪沈衛威『回眸 学衡派 ──文化保守主義的現代命運』(人民文学出版社,1999年4月)
⑫沈衛威『呉与《学衡》』(河南大学出版社,2000年8月)
⑬鄭師渠『在欧化与国粋之間──学衡派文化思想研究』(北京師範大学出版社,2001年3月)
⑭高恒文『東南大学与 学衡派 』(広西師範大学出版社,2002年4月)
うえのリストによって,90年代初頭から「学衡派」再評価のための研究が開始され ていることがわかるが,そのなかで④『国故新知論──学衡派文化論著輯要』は,再評 価の視点を明確にしたうえで関連資料を網羅した画期的なものとなったし,③陸鍵東
『陳寅恪的最後20年』と⑥張紫葛『心香泪酒祭呉』は 国学 ブームを象徴するベス トセラーとなったのである。こうして,1995年以後「学衡派」の見直し作業は,その
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2 東京堂『中国現代文学事典』参照。
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準備段階がすでに完了したとみなすことが出来よう。
2.アメリカ留学生の関係から見た「文学革命」
「学衡派」が五四文化運動と「文学革命」に対して,極めて機敏に,しかも激しい対 抗行動を展開したことはよく知られているが,その背景にはアメリカ留学時期における 両者の軋轢が反映していることが考えられる。胡適の「文学改良芻議」は,アメリカコ ロンビア大学から『新青年』雑誌に投稿したものであったが,彼と「学衡派」メンバー は同時期に友人関係にあり,その時期の軋轢が,中国に帰国してからの激しい敵対関係 を生みだしていった経過を,高恒文が具体的に明らかにしていて興味深い。胡適,梅光 迪,胡先,呉における在米期間の関係を見てみよ
3
う。
その1,梅光迪(1890−1945)と胡適の関係について。
胡適と梅光迪の2人は,1910年に第1次留学生試験(庚子賠償)を受けたことで知 り合った。しかし胡適は1回で合格したのに梅光迪は次年度にやっと合格となったこと もあり,2人は先輩後輩としての関係を保つことになる。ある時胡適は自分の文学革命 の考えを詩に込めて,同調と支援を求めるために梅光迪に贈ったが,梅光迪は賛成せ ず,それがきっかけで両者の関係は冷えてしまう。袂を分かった胡適が「文学革命」側 に身を投じると,梅光迪は胡適と反対の側に立って,敵対的行動を起こすことを決意す る。梅光迪が,すでに内定していた南開大学への赴任を中止し,東南大学副学長劉伯明 の招聘に応じたのは,東南大学が反胡適の拠点となることを知ったからであったとい う。
その2,胡先(1894−?)と胡適の確執について。
『学衡』において,「評『嘗試集』」(『学衡』第1期1922年1月),「評胡適『五十年来 中国之文学』」(『学衡』第18期1923年6月),「文学之標準」(『学衡』第31期1924年 7月)など,華やかに反「新文化運動」の論陣を張っていた胡先が,植物学家であっ たことは意外感を与えるが,彼の新文化運動批判の文章が,すべて胡適をその対象にし ていたことから,胡適との個人的な確執が内在していたことが推測できる。胡先はア メリカ留学中, 科学社 グループのメンバーとして雑誌『科学』の編集に携わっいた が,胡適は当該雑誌に文章を掲載したり,研究会に参加して面識もあり,胡適は彼を
「私の友人」と称するほど良好な関係にあった。ところが,胡適は「文学改良芻議」の なかで胡先の個人名をあげて批判の対象としたのである。その「第5 陳腐な常套語 はできるだけ避ける」のなかに該当部分がある。
ちかごろ文学を学ぶものは,文学的常套語を少しおぼえると詩人だという。その
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3 上掲高恒文『東南大学与 学衡派 』「第2章 一個流派的出現」48−73頁。
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書く詩や文章は,陳腐な常套語でみたされていて,……といった類いのものが無数 に使われていて,全く腹が立ってくる。この悪習から,我が国には,本当らしく見 せかけてウソであり,形だけ似て実際には文学ともいえない詩文が大量に生みださ れることになっている。その証拠として私の友人である胡先氏の詞を1首引いて みよう。
として詞を引用し,そのあとで「この詞はざっと見たところでは,文字や句はみな 一々詞になっている。だが,実は陳腐な常套語の累積でしかない」と最低の評価を下し ているのであ
4
る。
「文学革命」のさきがけとなった歴史的文書のなかで,胡先は 友人 の胡適から 名指しで指弾されたわけであるから,その立場と面目はまるつぶれになったというのも うなずける。彼が胡適の『嘗試集』の詩を徹底的に批判した「評『嘗試集』」を『学衡』
創刊号(1922年1月)に掲載したのが,個人的な復讐に端を発していたという説も理 解できないわけではない。もちろん彼は1922年から1924年のあいだに10数篇の詩論 を書いていて,もともと詩に対する造詣が深いが,それだけに胡適の批判が彼に与えた ショックの強さを窺うことができる。
その3,呉(1894〜1978)と梅光迪の関係。
『学衡』の編集者として「学衡派」を代表する位置にあった呉も,アメリカ留学生 である。彼の文学理論がハーバード大学時代の恩師バビットからの影響を受けたもので あることは周知の事実だが,梅光迪との関係も重視すべきだろう。呉は1917年にア メリカのルイジアナ大学に入学し,翌年ハーバード大学に転学したが,そこで梅光迪と 知り合っている。当初彼は『新青年』の名前さえ知らないほど国内事情に疎かったが,
梅光迪の影響を受けて次第に反 新文化運動 に傾斜していき,留学中に「論新文化運 動」(『留美学生季報』第8巻1期,のち『学衡』第4期1922年4月に転載)を書き,
そのなかで「天理,物象,人情は古今普遍で東西皆同じであり,所謂新旧などない。人 文分野の発展は科学のように直線的に進歩するのではなく,そのために 新旧 で文化 を論ずるのはもともとでたらめなのである。」と,のちの「学衡派」と同じ主張を展開 している。そして卒業後内定していた北京高等師範学校への赴任を中止して,東南大学 に移ったのは梅光迪の誘いによったのであった。
以上からみて,「学衡派」はアメリカ留学中における,胡適との個人的な対立関係の なかで形成され,なかでも梅光迪が東南大学を反新文化運動の拠点とする意図を持ち,
アメリカ留学時代の 同志 たちを糾合したことがわかるのである。
だが,私はかつての文学史が「学衡派」を 復古派 として十把ひとからげに否定し
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4 訳文は増田渉・服部昌之『中国現代文選集』第3巻,平凡社,1963年3月による。
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た方法に賛同できないのと同じ理由で,アメリカ留学生の人間関係や人脈のなかからだ け,問題の本質を見ようとするのも問題であろうと考える。私は,むしろ彼等の 復 古 の意味を,「白話文否定・文言文讃美」にこだわり続けた,その具体的な文学的主 張を検討する中で明らかにし,反 俗 を貫いた彼等の文学史上の位置を確定したいと 考えている。
Ⅱ 「学衡派」の文学主張
1.バビットの新人文主義をめぐって
バビット(Irving Babbitt 1865年〜1933年)は,ハーバード大学のロマンス語・フラ ンス文学の教授で,1920年代の「ニュー・ヒューマニズム」(新人文主義)の批評家と しても有名である。主著『ルソーとロマンティシズム』(1919年)で,ルソー的な近代 ロマン主義を,放恣で反逆的な主情主義として徹底的に攻撃し,古典主義の均整を基準 とする批評,人間の内的抑制・訓練を重んじたが,中国の伝統思想(孔子孟子など)に も注目した。梅光迪,呉,胡先ら「学衡派」中心メンバーはいずれもハーバード大 学でバビットの薫陶を受け,その「新人文主義」思想を中国に紹介した(『学衡』に20 本以上の「新人文主義」関連文章が掲載されている)ことからもその影響の強さを知る ことが出来
5
る。
これら「新人文主義」関連論文のうち9本が呉の訳であることから,彼の入れ込み の深さがわかるが,ともあれ「学衡派」がバビットの影響で「新人文主義」を中国に紹
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5 参照『学衡』に掲載された新人文主義関連論文。
著者 篇 名 刊載期数
白璧徳(胡先訳) 白璧徳中西人文教育談 第3期(1922. 3)
葛蘭堅(呉等訳) 葛蘭堅論新 第6期(1922. 6)
梅光迪 現今西洋人文主義第一章緒言 第8期(1922. 8)
梅光迪 安諾徳之文化論 第14期(1923. 2)
白璧徳(呉訳) 白璧徳之人文主義 第19期(1923. 7)
柯克斯(徐震) 柯克斯論古学之精神 第21期(1923. 9)
柯克斯(同上) 柯克斯論美術家及公衆 第23期(1923. 11)
白璧徳(呉訳) 白璧徳論民治与領袖 第32期(1924. 8)
白璧徳(徐震) 璧徳釈人文主義 第34期(1924. 10)
白璧徳(呉訳) 白璧徳論欧亜両洲文化 第8期(1925. 2)
葛蘭堅(張蔭麟訳) 葛蘭堅論学校与教育 第42期(1925. 6)
葛蘭堅(張蔭麟訳) 葛蘭堅黒暗時代説 第44期(1925. 8)
薛爾曼(浦江清訳) 薛爾曼現代論序 第57期(1926. 7)
穆 爾(呉訳) 穆爾論現今美国之新文学 第63期(1928. 5)
白璧徳(呉訳) 白璧徳論今後詩之趨勢 第72期(1929. 11)
穆 爾(呉訳) 穆爾論自然主義与人文主義之文学 第72期(同上)
不 明(呉訳) 薛爾曼評伝 第73期(1931. 1)
馬西爾(喬有忠訳) 布朗乃爾与美国新野蛮主義 第74期(1931. 3)
貝爾江(呉訳) 班達論知識階級之罪悪 第74期(同上)
白璧徳 白璧徳論班達与法国思想 第74期(同上)
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介したパターンは,胡適がデューイの影響でプラグマティズムを中国に紹介したのと重 なっている。
ところでバビットは1921年のアメリカ東部中国同学会総会における講話「中国与西 方的人文教育」で,中国の五四新文化運動に対して興味深い見解を表明している。
中国で現在開始されている新旧間の論争……。一方は,軟弱無能に近い伝統であ り,一方は進歩的で,組織的で効率的な中国のために努力する人々である。聞くと ころによれば,中国の進歩的人士の別のパターンは,中国経典の排斥を主張する が,転じてルソータイプの西洋作家──例えばイプセン,ストリンドバーグ(Strind- berg. August 1849〜1912スウェーデンの劇作家)やバーナードショウを極端に崇拝 しているのである。……だが彼ら(在米の中国人)は,現在中国での功利主義・感 情主義の運動を輸入して,それらが文明的であり,倫理的であると自称している が,……この運動は西洋ではとっくに過ぎ去ったことである。……我々は,所謂進 歩という言葉が本来有している観念にもどるべきだろう。……
私のすべての結論は,貴国の文芸復興運動の中で,貴国は決してその倫理的側面 を軽視してはならず,またニセの倫理もいけない。……もし今日西欧で流行してい る思想に対して,批判的に受容しないならば,このニセ倫理となってしまう可能性 がある。はっきりと言えば,貴国は貴国の偉大で文明的な歴史の精粋を失うだけで なく,西洋の本当の文明も獲得できないだろう。
もしこの人文主義の運動が西洋で始められ,それに中国で起こされる一つの新儒 家運動──儒家思想のなかで長年にわたって累積してきたアカデミズム的あるいは 形式主義の要素を止揚することを特質とする新儒家思想──が呼応できるならば素 晴らしいことである。要するに人文主義の功利主義及び感情主義に対する最終的な 戦争が,中国でも,西洋でも必然的に教育の領域で展開されねばならいということ であ
6
る。
ここでバビットは中国の五四新文化運動を「文芸復興運動」と規定し,ルソー的な功 利主義・感情主義を排して,倫理面を重視することを主張し,さらに西欧文化思想と中 国伝統思想を批判的に摂取することの必要性を強調している。注目されるのは,新儒教 運動について触れている点で,バビットが中国を単なる後進国として見るのではなく て,むしろ豊かな文化思想の伝統を再創造して,西洋思想と東洋思想を融合した「新人 文主義」の新たな展開を意図していたことがわかる。
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6 侯健『從文学革命到革命文学』中外文学月刊社,1974. 12所収,259−268頁。
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2.「学衡派」の新文化運動・「文学革命」に対する見解
(1)五四新文化運動と「文学革命」に対する観点
さて「学衡派」の五四新文化運動と「文学革命」に対する批判の論点は何だったのだ ろうか,ここで彼らの基本的な観点を一番早期に系統的に表明したものとして梅光迪
「評提唱新文化者」を取り上げて,その論点の枠組みを見ておきたい。彼はその批判点 を次の4点にまとめている,少し長いが引用してみる。
1番目に,彼らは思想家ではなくて詭弁家である。……宋元になって,白話体の 小説戯曲が興ったというので,彼らは文学が時代に従って変遷するといい,だから 現代の人間は文学革命を起こして,文言を廃し白話を用いるべきだと考えている。
そもそも革命とは,新を以て旧に替えること,此を以て彼に替えることを言う。も し古文と白話が入れ替わり発展するというなら,それは文学体裁上の増加のことで あって,実は完全なる変遷ではないし,とりわけ革命ではないのだ。本当に彼らの 言うとおりだとすると,古文のあとには駢儷体がないはずだし,白話のあとには,
古文がないはずである。……思うに,文学の体裁が異なっているのは,それぞれ長 所があるのだから,それを取り違えたり混淆してはいけない。それらは互いに並存 すべき価値があるのに,どうしてほかのスタイル(体裁)を捨てさり,ただ白話の みを尊重することができようか。文学が進化するというのは,断言し難いことであ る。西洋の著名人(略)たちは,文学進化論を俗流の過ちとして斥けているものが 多いのに,我が国の人間がこれを信じ込んでいるばかりか,西洋近世文学が,古典 派からロマン派に,またロマン派から写実派に変わり,今やまた写実派から印象 派,未来派,新ロマン派へと変わってきているというのである。……
2番目に,彼らは創造家ではなくて模倣家である。彼らは昔の人間や,古来の制 度を何もかも覆すことを自分の職責とし,我が国には文化がなく,旧文学が死んだ 文学であると大声で主張し,大衆を威し低俗へと追いこむ。……政治を語ればロシ アをモデルにし,文学を語れば近年の堕落派(The Decadent Movement──例えば 印象,神秘,未来主義などはみなこの派に属し,所謂白話詩とは,もっぱら自由詩
(Verslibre)およびアメリカの最近における形象主義(Imagism)のかすを拾い集め たものであるが,この自由詩と形象主義はまた堕落派の2大潮流でもある……)を 真似する。……。
3番目に,彼らは学者ではなくて,売名をはかる野心家(原文は功名之士)であ る。学者は真理のために真理を求め,自分の信念を中心に考え,世俗の知に重きを おかないものである。……
4番目に,彼らは教育家ではなくて投機家(原文は政客)である。近年以来,彼
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らの被害が最も大きかったのは教育の分野である。……だから固有の文化を改造 し,他国の文化を吸収しようとすれば,まず徹底的に研究し,はっきりと批判を し,そのうえで精確で適正な手続を経なければならない。……だが,現在は投機家
・詭弁家と野心家達が,……我が国の学術思想の基準がまだ確立せず,高等教育を 受けるものが多くない時期に乗じて,ニセ欧化を武器に,学力浅薄で善悪をわきま えない若者をそそのかしているの
7
だ。
ここで梅光迪は,五四新文化運動・文学革命派のものたちを, 詭弁家 ・ 野心家 ・ 模倣家 ・ 投機家 といった,思想学術上の角度からというよりも,人格的な攻撃を 行っていて,アメリカ留学中に醸成された個人的不信感を強く反映しているが,「学衡 派」の五四新文化運動に対する反撃的宣言の性格を持ち,彼らの基本的な態度と論点が 表明されている。
すなわち文学そのものに 新旧 (新しいものがよくて旧いものが悪い)という価値 判断ではなく,文学の進化や革命の必要性は不要であると明確に主張している。そして 小説や詩文,また白話文や文言文などは形式の変遷にすぎず,それぞれの形式には長所 があるから各形式の並存が可能だとしている。また外国文化潮流に対しては,全面否定 ではなく,批判的な受容を主張していて,特に堕落派(The Decadent Movement)の流 派や,自由詩(Verslibre)と形象主義(Imagism)にその批判の矛先を向けていること がわかる。
新文学運動は,白話文と文言文の関係について,文言文はすでに死に絶え,白話文こ そ生きたものであり,両者は丁度古代のラテン文と英・仏・独語の文章との関係と重な り,だから文言文に替わって白話文を採用すべきだという基本的な観点を主張したのに 対して,「学衡派」は白話文と文言文が並存の関係にあると反論したのだが,これにつ いて邵祖平「論新旧道徳与文芸」がさらに具体的に論を広げている。
新文芸は中国では,白話文,白話詩,写実派小説として呼びかけられたが,白話 文は中国にもとから存在するもので,その役割は語録・家書・小説及び伝奇小説な どのせりふに適していて,多用していけないわけでも,使えないわけでもない。
……。
文言が道理を表現できることは白話文が道理を表現できることと,また大差ない のである。……ただ文言は白話よりも遠くを見通すことができ,白話文の冗長な表 現は文言が簡潔で一読理解できるのに遠く及ばない。白話文は方言が統一できない
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7 『学衡』第1期1922年1月,合訂本第1巻,17−24頁。以下『学衡』の引用は1971年台湾学生書局復 刻版の通し頁による。
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状況では,俗字やことわざも,反切(伝統的発音表記)に頼らなければ理解できな いのである。……また新文芸家の主張によれば,古詩文を死んだ文字とし,白話詩 文を生きた文字とし,古詩文を貴族文学とし,白話詩文を民間文学とし,古詩文に 対してはその模倣を非難し,白話詩文に対しては創作のモデルとするのである。…
…要するに文言と白話は,みなその伝えるべきものは伝わり,死なずともよければ 死なないのであ
8
る。
この文章で彼は文学進化論(新が旧に優ること)を否定しながら,文言・白話の並 存,文言・白話の役割分担説を具体的に例をあげながら説明し,さらに白話文が言文一 致体として成立する際に,方言の存在が制約となることを指摘していて興味を引かれ る。
これらから要約できることは,「学衡派」の態度とは,伝統を墨守する 復古 では なくて,外国文化と中国文化の批判的摂取,あるいは中国文化を外国の方法によって改 良しようとするもので,あえて言えば「文化革命派」ではなくて「文化改良派」であっ たことである。だから文言文と白話文はそれぞれ生きていて,どちらを潰しどちらを生 かすというものでもなく,文学の必要に応じて活用すればいいというのである。しか し,文学の質的観点から見れば「文言文」は達意で 雅 に属し,「白話文」はしまり がなくて 俗 に属すると明確に評価が分かれているのである。つまり彼らの観点は,
大衆にどのように教育し,啓蒙していくのかという,そのために「白話」がいいのか
「文言」がいいのか,小説がいいのか,詩文がいいのかという観点ではなくて,ただ一 つ 雅 (質)の立場から,文言文と詩文の優位性を主張していることになるのであ る。
(2)文学形式についての呉の見解
以上,「学衡派」の新文化運動・文学革命と文言・白話に対する見解を要約的に見て きたが,次に,文学の形式(ジャンルや言語)に対する態度を,詳細に述べている呉
「論今日文学創造之正法」を見てみることにしよう。ここで呉は,文学創作にあたっ て,(1)虚心に,(2)つねに苦心練習する,(3)新旧の各種の形式(形態・言語)に習 熟する,(4)模倣から着手すべきこと,(5)新奇さだけを求めない,(6)文字を破滅さ せない(中国の文字を使う)など,精神的な心構えを6点にまとめたうえで,5つの文 学形態に即してそれらの特徴と差異を整理しているので,以下紹介してみよう(ただし
(5)翻訳の項は省略)。
(1)詩について。作詩の方法は,新しい材料を古い格律にあてはめることであ
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8 『学衡』第7期1922年7月,合訂本第1巻,883−885頁。
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る。……新体白話の自由詩などは,実は詩ではない。……要するに,詩の格律は本 来変化すべきであり,旧詩の格律には伸縮・創造の余地が大きいので,これを嫌が り,避けたり,廃絶する必要はない。……
(2)文章(散文)について。作文の方法はその手本を古文に求めるべきである。
もちろん,自分が作った文章が,どのようなものになるかは,古文を熟読しそれを 模倣することから始めなければならない。……古文は時代が下がれば時文となり,
時文がのちには白話となり,濃から淡へ,精から粗へと変化した。……だから白話 文を作るものは,また古文をその手本とすべきである。いわんや文学創造に従事す るものにおいては当然ではないか。試みに,我が国で一般的に見られる文章で,そ の文体は3種類あって,それは文選体,古文体,白話体というのである。……
(3)小説について。西洋では最近短編小説と一幕劇が流行しているのも,文学衰 退の象徴である。……けだし現代の人間は,自分の経営する事業だけを考え,それ に関わる専門的学問のほかは,まるで無関心である。文芸にはまったく門外漢であ るから,小説にも読書にも慣れ親しまず,読んでも理解できないし,飽きては眠く なる。だから小説雑誌の編著者は,これら大多数の心理に迎合して,それを多く売 るためにもっぱら短編小説だけを作るのである。思うに短編小説は10分や15分で 1篇読了できるし,そのなかの人物は極めて少なく,ストーリーもごく簡単で,内 容を理解しやすい。そのうえ,原稿料や印刷費も安く上がるので,雑誌の定価も比 較的廉価で,広告にたよって巨利を得るのである。短編小説が盛んとなり,一幕劇 が流行するのもまたこの理由によるのである。これらはみな暇つぶしに供するもの で,短期に大金を儲ける心理を広く喚起する。需要と供給が相互に助け合って,遂 にこのようになったのだ。しかし小説においては長編章回体小説が正統である。昔 の小説の大家が作るものはみな長編であるが,長編小説には始めから精深優美の芸 術があるのである。現代西洋の長編小説作家は少なくないのに,我が国を顧みれ ば,近年の新派のいう文学創造とは,短編小説を作るのが最上ということで,長編 章回体を作るものは殆どいない。……現在小説創作の方法は,また新しい材料を古 い格律にはめ込むことであり,我が国には昔から碑史(小説の原型)があり,その スタイルも完備しているのである。そして章回体の長編小説は,芸術が最もすぐ れ,そのなかの規則・法則や言葉・単語もすべて保存され守られている。同時にさ らに西洋長編小説の芸術法則を研究し,これを補い広げ,質的な向上をはからねば ならない。これが所謂古い格律なのである。……この30年来,わが国の社会各方 面では,大きな変化を遂げ,学術文芸,思想感情,風俗生計もまた日進月歩で,今 日は昨日よりすべて良く,苦楽・悲歓,勝敗と興亡,栄光と恥辱などは,あたかも うたかたの世界,修羅地獄の観があり,これらはすべて中編小説のもっともよい材
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料となるだろう。……このような小説を作る方法は,一人あるいは・一家庭の出来 事を取り上げるのがよい。そして盛衰離合の場合や,男女愛情を小説の主体とし て,それに数十年の歴史的社会的な背景を間接的に表現するならば,……空疎散漫 の弊害を避けることができよう。……
要するに,ただ低劣なこじつけ的な白話を使って,毎行5字から10字余りで,
英語の句読点を使い,こまぎれのありきたりの感情や出来事を書くだけという,こ のような短編小説は,実に価値がないのである。だが彼らは利益のため生計をはか ることを考えるだけの文人であって,やることといえば酒色歌舞や遊びや賭事ばか りで,陳腐できまり調子ばかりの,中途半端(新でも旧でもない)な小説であり,
それが無価値なことはいまさら言うまでもないのである。……
(4)戯劇について。欧米で現在行われている戯劇は,種類が極めて多いのであ る。……要するにそれぞれの芸術にはそれぞれの価値と,それぞれの格律と法則が あり,決して無理に全体にまとめることはできない。……我が国では最近学生演劇 が非常に盛んになってきている。だがその上演はバラバラ散漫であり,実に我が国 の腐敗した政治や腐敗した社会と相呼応している。従って私は我が国の演劇関係者
(演出・俳優)が,精神を奮い立たせ,法則を明確にして,欧米の演劇者がその事 業に真剣に,真剣に取り組んでいることから学ぶように願っている。そうすれば新 しい演劇にも前途が見えるだろうし,そこから優秀な人材とチームワークの観念を 養成することができるだろ
9
う。……
呉の考え方は,非常に明瞭である。文学の形態にはそれぞれの長所があり,それぞ れの法則・格律を持っている。詩,文章,小説はすべて中国の伝統的芸術であるから,
その基礎の上に新しい内容を注入すべきだということで,西洋の形式も改良的観点から 改善を図るべきということである。これは中国が外国思想や文化を受容する場合の典型 的パターンである「中体西用論」に類似している。また,詩文を中心とする点では他の
「学衡派」メンバーと同じだが,小説では長編小説に対する積極的な評価と,その反対 に,短編小説に対する激しい攻撃的姿勢が対照的である。また戯劇については,中国の 旧劇(京劇と崑劇)と改良旧劇のほかに模範例をあげることができず,西洋の多様な経 験を指摘する範囲で終わっていることは,彼らの弱点とみなすことができるかもしれな い。
以上「学衡派」の文学観を呉を中心として紹介してみたが,それらを要するに,
①復古ではなく,中国と外国文化,伝統と現代の批判的摂取を主張していること。②白 話と文言は形式上の多様性であり,読者とジャンルの必要性に応じて書き分ければよ
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9 『学衡』第15期1923年3月,合訂本第2巻,1982−1993頁。
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い。③文学に 雅 と 俗 の両者が存続することが可能であるが,文学の品質の角度 から言えば,達意の文言が上位にあるという考え方。④文学のジャンルで言えば詩文を 上位とする考え方であり,小説戯曲もその独自的存在価値があるが,短編小説について は軽薄・読者迎合という観点から,きびしい評価をつけてい
10
る。
Ⅲ 「新月派」と茅盾に関する呉の評価
呉は,1928年1月に,張季鸞と胡政之の招きで天津『大公報』「文学副刊」主編と なり,1934年1月まで計313期にわたって編集に携わっていて(1930年9月〜1931年 9月は外遊で不在),その間呉の文学評論は『大公報』「文学副刊」で展開されてい
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る。ここでは「新月派」と茅盾『子夜』に関する評論を通して,30年代における呉 の新文学に関する見解を見てみたい。
1.新月派の詩作との親近性について,
1932年に呉は「論詩之創作」と「詩韻問題之我見」という文章を『大公報』「文学 副刊」(1932年1月18日)に掲載し,詩論を展開している。この文章を書いた目的 は,彼の詩学理論を展開したというよりも,五四新文化運動以来の白話詩に反対するた めであるが, 俗語は決して詩に使用すべきではない(俗語断不可入詩) ということよ りも,新詩の言語が 文言文から白話文に代わるべきだ という主張に反対していると いう感じが強いが,ここで彼は詩の内容と形式について興味ある4パターンを整理して いる。
甲 旧材料──旧形式 (例)鄭海蔵
乙 旧材料──新形式 (例)某某等之語体詩 丙 新材料──旧形式 (例)黄公度 呉芳吉 丁 新材料──新形式 (例)徐志摩
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10 他に『学衡』掲載の関連論文は以下のものがある。
胡先「評嘗試集」「評嘗試集(続)」(『学衡』第1期1922. 1,第2期1922. 2)
呉「文学研究法」(『学衡』第2期1922. 2)
胡先「論批評家之責任」(『学衡』第3期1922. 3)
呉芳吉「再論吾人眼中之新旧文学観」(『学衡』第21期1923. 9)
郭斌和「新文学家之痼疾」(『学衡』第55期1926. 7)
易峻「評文学革命与文学専制」(『学衡』第79期1933. 7)
11 上掲『呉与陳寅恪』(64頁)では「1927年12月,呉は天津《大公報》総編集長張季鸞先生の相談 を受けて,自ら担任『大公報』に新しく設けられた「文学副刊」の主編を担当することを願い出た。そ の意図は,新文化運動の刊行物が大量に発刊される状況のもとで,その一角を占めて自分たちの主張を 宣伝しようと考えたためである」と述べている。
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ここで丁項の徐志摩の詩創作を例示して,一見呉が五四以来の白話詩への積極的評 価に転換しているように見えることが注目される。
呉は「新月派」のこの種の詩が,「格律」を持っている「新形式」と認められ,こ の「新形式」が五四以来の自由詩とは全く異なっていると考え,それを肯定したのであ る。ここで呉が言う新形式とは「新月派」の聞一多や徐志摩が試みた「新格律詩」の ことを指している。そもそも「新月派」は,胡適,徐志摩,聞一多,饒孟侃,梁実秋,
潘光旦,羅隆基,葉公超など欧米留学帰りの作家が,雑誌『新月』(1928年3月創刊)
を拠点に集まったグループで,4・12クーデター後の混乱のなかで, 健康 と 尊厳 を標榜して登場した。このグループの理論的中心であった梁実秋(1902年〜1987年)
は,1922年にアメリカ留学し,ハーバード大学でバビットに師事し,帰国後は「新月 派」のなかで,バビットの新人文主義を援用しながら,新文学運動に対する全面的批判 を行ったのである。創作の中心となった徐志摩や聞一多たちは,中国伝統詩を再評価し ながら,「新格律詩」(口語定型詩)を模索したが,これは新文学陣営の「自由詩」に対 する批判的な回答となったのである。だから「新月派」と「学衡派」の間に強い親近性 が存在していることは不思議ではないと言えようが,注意すべきなのは,呉において は,徐志摩の「新材料──新形式」のパターンは単なる 肯定 の範疇にあっただけ で,彼の提唱ないし主張したものは,やはり丙の「新材料──旧形式」にあり,清末の 黄遵憲を代表とする 詩界革命 の方向であったことは注意して見ておくべきだろ
12
う。
2.茅盾『子夜』の評価をめぐって
次に呉の茅盾評価を見ておきたい。彼は茅盾『子夜』の書評を『大公報』「文学副 刊」第275期(1933年4月10日)掲載している。標題は「茅盾著長篇小説子夜」(署 名は雲)で,前書きには「この書は本年1月に出版され,開明書店発売・価格1元4角 で600頁に及び,最近の小説では最も優れたものである」とある。全文1,700字余り で,新聞書評としては丁寧な扱いだといえる。
ここで呉は,『子夜』のテーマとあらすじを紹介し,「(多少の欠点があるが)……
最近の貧困なわが国文芸界においては,少なくとも本書と対抗できるものはない」とし て好意的な評価をし,『子夜』を「激賞する」3つの理由をあげている。
第1は,作者が現代中国の動揺をうまく表現できることで,これは我々が以前か ら知っていることである。最初は「三部曲」(訳者注:「三部作」)」で名をなした が,……本書は大いに進歩を見せ,時代の動揺を表現する力量はとりわけ優れてい る。(具体事例は省略)……
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12 小島久代「梁実秋と人文主義」『御茶之水女子大学中国文学会報』創刊号,1982年参照。
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第2は,本書が人物の典型性と個性がうまく組み合わされていることで,環境の 配置もとりわけ見事といえよう。(具体事例は省略)……
第3は,茅盾君の筆の勢いたるや,激しく自在にほとばしり,まったく抑えられ ないほどで,またその委細を尽くしたディテール描写も優れている。とりわけ愛す べきは,茅盾君の文章は読んだり聞いたりできる口語文(原文「語体」)に近いこ とである。最近の作家が発表する書物は一見口語文であるが,実はわが中華の言葉 でも外国語でもなく,ただ意味の通じない翻訳文章と殆ど変わらない。これは文学 が精緻で美的になれない根本問題だといえるのである。試みに,最近のいわゆる口 語文の文章をみても,その凝った難解さは,……常套語の乱用と陳腐通俗にあふれ ているし,規則にはまらない当て字や誤字の多さは,比較のしようもないくらいで あり,これでどうして思想内容(原文「文思」)を表現する道具とできようか。私 はこれまでずっと,口語に近くて,秩序があり,精錬された文章を中国文芸の道具 とすべきことを主張してきたが,国語の進歩はここにおいて一旦頓挫してしまった のである。茅盾君のこの書は文体においてすでに「三部曲」よりも一層口語文に近 くなり,その清新・精錬に努力した点も顕著に見ることができる。それらが一層無 理なく自然に仕上がっていることによって,私は茅盾君が文章修養に払っている努 力を多とするのであ
13
る。
上掲「論今日文学創造之正法」で見たように,呉は五四以来の短編小説一辺倒の風 潮を批判し,西洋におけるような 真の 長編小説が出現することを望んでいたのだか ら,長編小説「子夜」を持ち上げるのは理解できなくもないが,これまで「学衡派」批 判の急先鋒であった茅盾の作品を,「口語に近くて,秩序があり,精錬された文章」と して,わざわざ書評に取り上げて高評価を与えることは,若干違和感がなくもない。新 文学の代表的作品である「子夜」を讃美することは,呉が五四新文化運動や「文学革 命」そのものを評価するという自己矛盾におちいらざるを得ないからである。ここには たしかに,新文学提唱期においてその存在を十分アピールしてきた「学衡派」が,30 年代の新文学全面的興隆期に直面して,その政策を全面対決から妥協的方向へと舵を大 きく切らざるを得なくなった時代的背景を物語っているのである。興味深いのは,呉 がこうして白話体長編小説を高く評価した30年代初期,左翼作家陣営の側で「文芸大 衆化」論争が起こり,瞿秋白,止敬(茅盾),鄭伯奇,周起応(周揚),寒生(銭杏邨)
らの間で激しい論争が展開されたことである。このなかで瞿秋白は言語の改革を具体的 に提示したのだが,彼は当時の中国の言語状況を①古文の文言,②梁啓超式の文言,③
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13 拙稿「 学衡派 呉の茅盾『子夜』書評について」『中国文芸研究会会報』No. 206, 207, 1998年12 月,1999年1月参照。
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五四式白話,④旧小説式白話,⑤真の白話,の5種に分類し,⑤ 真の白話 を主張す る一方,「五四式白話」については非難を集中し, 新文言 ラバ語 と名づけ,断種 すべきだとまで述べている。瞿秋白の主張は極端なところも多く,結局大きな影響を与 えることはかったが,「五四式白話」が「旧小説式白話」から発展するなかで,ますま す大衆からの遊離と知識人化,高級化をもたらし,書面言語における 俗 と 雅 の 対立構造が根深いものであることを,「学衡派」とは別の側面から浮き彫りにしたとも いえる。
Ⅳ 文化ナショナリズム潮流としての「学衡派」
1.「清華学派」・「国学研究院」との親近性
「学衡派」はその人脈や学術文化潮流の面から,「清華学派」や「国学研究院」との関 連で見ていく必要がありそうだ。
清国はアメリカ留学生の予備学習機関として,清華学堂を1911年に成立させるが,
五四運動以後に強まる民族主義的潮流に対応するために,1925年に国立「清華大学」
として昇格させると同時に「国学研究院」を設立する。その準備責任者として招請され た呉は,北京大学の胡適の援助も得ながら,王国維,梁啓超,趙元任,陳寅恪を招聘 してその基礎を固めたが,その後清華大学は聞一多,朱自清,楊樹達,劉文典,兪平 伯,王力,王文顕,呉必,馮友蘭,金岳霖,雷海宗,張蔭麟といった著名な学者をその 陣容に取り込んでいったのである。このようにして清華大学は「国学」の一大拠点とし て発展して,のち「清華学派」と呼ばれる一つの潮流を形成することになったのであ る。徐葆耕は「釋古与清華学派」のなかで,「清華学派」の特徴を次の4点にまとめて いる。
第1.伝統文化と外来文化に対して, 左右の対抗 とする思考パターンを取ら
ず, 綜合 のパターンを採用することで,解釈学の方法を通して, 外国 の方法 を 中国 に適用し,それで伝統の創造的転化を実現すること。
第2.歴史と現実に対して,歴史的本質を精確に把握することを強調し,また鮮
明な時代的色彩を備えなければならない。
第3.ミクロ(微観)とマクロ(宏観)で言えば,ミクロへのこだわりを強調す
るとともに,マクロ的な広さを重視する。
第4.研究の方法では,西方の理性精神と論理方法を重視するとともに,伝統的
訓詁学の長所を取り入れ,論文を学術的権威を備えたものにしなければならな
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い。
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14 『文学史』第3輯所収,北京大学出版社,1996年6月,129頁。
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「清華学派」が歴史に重点を置いたものであること,東西文化の融合を特に強調して いたことなど,その作風は「学衡派」と必ずしも同じではないが,第三章「 新月派 と茅盾に関する呉の評価」で見たように,「学衡派」と「清華学派」の間にも親近性 が存在することは疑いがない。「学衡派」の文学史的な位置を考える場合には,どうし てもそれ単独ではなくて,五四新文化運動以後における学術文化の流れの中で,一つの 潮流として見ていく必要があるのではないだろうか。
2.文化ナショナリズムの一潮流として
上でみてきたように,かつて文学史上で彼らを 復古 として規定したことは,事実 を正確に反映していないことが明らかとなった。彼らは中国の伝統のみを墨守し外国文 化を排斥したのではなくて,中国伝統を重視して外国文化を批判的に摂取することを主 張したからである。外国文化の受容の仕方において,五四新文化運動がアメリカの現代 的思想哲学であるプラグマティズムであったのに対して,「学衡派」は西洋古典主義を 信奉する「新人文主義」だったということであり,中国伝統と西洋文化の関係でいえ ば,「全盤西化」(全面的西洋化)か「中体西用」的であったかの違いであったというこ とになる。だから80年代以後「文学進化論」に依拠した 新旧論 (新が必ず旧よりも 優れる)の問題点が顕在化するのと反比例する形で, 古今 でとらえる「学衡派」の 観点が見直されてきたことも決して偶然ではないのである。
こうした「学衡派」を思想潮流において文化ナショナリズム(文化保守主義・文化守 成主義・文化民族主義)とみなすことも可能であるが,沈衛威はその関係を次のように 概括している。
学衡派 は……政治的専制の復活と帝政を夢想する保守主義とは異なって,そ の主要な表れは文化面での保守であり,政治的な意図を持っていない。……それは 現代的な政治(民主,自由……),経済(科学時代の賜物)及び技術の成果を受容 したが,同時に文化発展の継承性と規範化の面で,文化過激(激進)主義や唯科学 主義がもたらした社会文化観念と人生信念における現代的バランス失調(とりわけ 文人精神や倫理道徳の喪失あるいは疎外)に反撃したのであ
15
る。
私はかつてこうした文化ナショナリズム潮流の歴史における位置について次のように 触れたことがある。
人文系を専攻した在米中国留学生の多くが,国際主義ではなくナショナリズムに傾
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15 沈衛威「『学衡派』的人文景観」『新文学史料』1998年,第2期1998年5月,159頁。
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向したのは注目すべき現象である。それは例えば,1925年7月,在米留学生によっ て結成された「大江会」(粱実秋,聞一多,羅隆基,呉景超など29名)や,「神州会」
(同年結成,邱椿,劉師舜など)などの「国家主義」的団体に見ることができるし,
呉,梅光廸,胡先らが,アメリカ留学中にバビット(Irving Babbitt)の「新ヒュ ーマニズム」の影響を受けて結成し,「封建復古主義を鼓吹し,新文化運動に反対し た」と批判されてきた「学衡派」も,同様のナショナリズム的潮流に属するものであ った。そして抗日戦争が激化するなかで,アメリカ留学経験者は,ナショナリズム的 側面を強化するかたちで世論をリードしていったのである。……こうして……20年 代,30年代から継続する文化ナショナリズム潮流に位置づけることが可能となるの であ
16
る。
五四新文化以後,文化過激(激進)主義と唯科学主義が文学界を席巻し,それは大き な成果を上げたが,同時に中国の伝統的文化の成果を再創造したり東西文化を融合する 面において重大な欠落を胚胎し,抗日戦争が本格化するなかで,その矛盾が拡大してい ったのである。「学衡派」は学術思潮としての「清華学派」や「国学研究院」といった 国学 グループと関連し,また30年代の「新月派」とも強い近親性を保ちながら,大 きく中国近代の文化ナショナリズム思潮の一翼をになったということができるのであ る。
しかし,20年代から40年代にかけての中国文学のその後の状況は,必ずしも「学衡 派」に有利でなかったことも事実である。それは初等教育において白話が教材に採用さ れ,書き言葉の基準となったこと,現代文学の文体の主流が白話となったこと,彼らが 詩・散文・小説のいずれの分野においても,実作の模範を示すことができなかったこ と,逆に五四新文化運動派の側に優れた創作が生まれ,実作で回答を出したことは,
「学衡派」が単なる 犬の遠吠え 的存在であったことを示しているように見える。「学 衡派」とは,結局のところ,五四以後急激に展開する中国近代化のなかで, 雅 の復 権のために,異議申し立てを行った一つの反 俗 の文学集団であったということにな るのであろうか。
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16 拙著『十五年戦争期の中国文学−国民党系文化潮流の視角から』研文出版,1996年10月,9−10頁。
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