蝮の裔よ(ルカ 3:7~14)―ルカ福音書講義(15) 2016.05.23 3 章 7そこで、彼から洗礼を受けよう1)として出て来た民衆2)に彼は言った3)、「蝮 の裔よ4)、誰があなた方に、来るべき怒り5)から逃れるように教えたのか。8さ あ、悔い改め6)にふさわしい実を結べ。われらは父祖にアブラハムをもつ、など と言い出してはならない7)。なぜなら、あなたがたに言っておくが、神はこれら の石からでさえ、アブラハムに子孫を起こすことがおできになるのだ。9すでに 斧も木々の根元におかれている8。いまや、よい実を結ばない木はすべて切り倒 1) バプティゾー「洗礼を授ける」の受動態。バプティゾーは「浸す」が原意。したがって、 シリアの将軍ナアマンがそうであったように(王下 5:14)、水に身体を沈めるのが元来の「洗 礼」(今日のキリスト教会では浸礼と滴礼)。クムラン教団の居住跡からも身を清める貯水槽 がいくつも発見されており、ユダヤ教の会堂には、その入口の手前にミクヴェ(miqweh)と 呼ばれる清めの水槽が設けられた。 2) マタイによれば、以下の言葉をヨハネは「民衆」でなく、「ファリサイ人とサドカイ人の 多く」に語っている(3:7)。ルカはこのようにマルコやマタイが別の表現を用いる箇所にし ばしば óchlos「民衆」を用いる。たとえばルカ 5:1 とマタ 4:18/マコ 1:16 を、ルカ 9:18 と マタ 16:13/マコ 8:28 を対比されよ。それは、ルカが「民衆」を不特定多数の人々ではな く、イエスの宣教活動の意味を際だたせる役割を担う存在として位置づけていることを示 唆する。ルカ 23:48 を参照。なお、民主化運動期の韓国では「民衆の神学」が提唱され、安 炳茂がそれをマルコ福音書によって基礎づけ、中南米ではホルヘ・ベルグリオ(現フランシ スコ教皇)がマルクス主義に傾く「解放の神学」でなく、貧しい人々に焦点を当てた信仰実 践を「民衆の神学」と呼んだ。なお、ルカは後に「ファリサイ人や律法学者」がヨハネの洗 礼を拒んだと記す(7:30)。 3) 7-9 節はマタ 3:5-10 と並行。それに対して、10-14 節はルカに特有。 4) gennḗmata「裔(すえ)」(génnēma の複数形)の原意は「生まれた者たち」(→武田泰淳 『蝮のすえ』)。こうした呼びかけは預言者的。アモ 4:1「バシャンの牝牛どもよ」、イザ 1:10 「ソドムの首領たちよ」「ゴモラの民よ」などに通ずる。 5) 神の審判。 6) 3:3 の訳注 7) 救いは系譜や生まれによらない。当時のユダヤ人が「アブラハムの子孫」であると誇っ ていたことはヨハ 8:33 などにうかがえる。マタイ福音書によれば、イエスはイスラエル(= アブラハムの子ら)の「失われた羊」のもとに福音を伝える使命をもっていた(マタ 10:6、 15:24)。この発言はマルコもルカも伝えないが、ルカは「イスラエルの子」に救いが訪れた ことを喜ぶイエスを描く(19:9)。異邦人に福音を伝えたパウロは、「アブラハムの子孫」は 血筋ではなく、信仰による、と述べる(ガラ 3:7)。 8) 木を切り倒す斧の比喩はイザ 10:33-34、エレ 46:22-23 などにみられる。前者はアッシ
されて火に投げ込まれる9)」。 10すると、民衆は彼に尋ねて言った、「では、私たちは何をしたらよいでしょ うか」と10)。11彼は答えて、彼らに言った、「2 枚の下着を持つ者は、持たない者 に与えよ11)。食べ物をもつ者も同じようにせよ12)」と。12取税人たち13)も洗礼を 受けるためにやって来て、彼に言った、「先生14)、私たちは何をしたらよいでし ょうか」と。13すると、彼らに言った、「あなたがたに命じられている以上に、 けっして取り立ててはならない」と15)。14兵士たち16)も彼に尋ねて言った、「私 リア、後者はバビロニアによる侵略の比喩。ルカでも、元来はローマによる国土蹂躙を意 味したか。 9) マタイはこれとほぼ同じ言葉をイエスにも語らせる(マタ 7:19)。実をならせない木を 切り倒すことはルカ 13:6-9 のたとえ話にも。「火」は神の審きを象徴する(17 節の訳注参 照)。 10) これに似た問いと答えは、イエスと金持ちの議員との間で交わされる(ルカ 18:18-23)。 ルカは使徒言行録でも類似の問答を記す(使 2:37-39、16:30)。 11) ルカ 6:29 のイエスの発言に通ずる。 12) イザ 58:7 をふまえる。衣食は人間生活の最低限の必需品。ヤコ 2:14-17 でも、衣服と 食物を例にして信仰に伴う行いが語られる。 13) 当時のローマは各属州に人頭税と土地税を課し、それを徴収する役所をおいた。ユダヤ では他に神殿税が加わった(代下 24:6、ネヘ 10:33 他)。ローマが徴収する税は現地で雇っ た「取税人(telṓnēs)」にあたらせた。ただし、ガリラヤ地方は、ローマがその統治をヘロ デ・アンティパスに委ねていたので、「取税人」はヘロデの配下として雇われていた。彼ら のなかには私腹を肥やす者もあり(それが 13 節の発言の背景になっている)、聖書外資料は 「取税人」を乞食や盗賊と並べる(ABD VI 337)。属州民は「取税人」をローマの手先とし て忌み嫌った。福音書も彼らを「罪人」と並べ(ルカ 7:34 他)、ファリサイ人は盗賊や姦淫 する者たちと「取税人」を同列とみなす(ルカ 18:11)。イエスは、しかし、彼らと親しく交 わり(ルカ 15:1-2 他)、12 弟子の 1 人マタイは取税人であった(マタ 10:3)。また、ユダヤ 教の指導者たちに向かってイエスは「取税人や娼婦たちのほうが先に神の国に入る」と語り (マタ 21:31)、神の前に義とされたのは高ぶるファリサイ人でなく、へりくだる取税人の ほうであった、と弟子たちに教える(ルカ 18:9-14)。「取税人たち」がヨハネから洗礼を受 けたことをルカは 7:29 に明示する。 14) didáskale「先生!」という呼びかけは 7:40、9:38、10:25、11:45、12:13、18:18、19:39、 20:28、39、21:7 などでイエスに用いられる(5:5 では epistáta)。イエスは「あなたがたは ラビと呼ばれてはならない」と教えたが(マタ 23:7,8)、ヨハ 1:38 によれば、このヘブラ イ語「ラビ」がギリシア語で didáskalos「先生」。もっとも、ルカは他の福音書に用いられる ヘブライ語「ラビ」を用いない。ローマ軍によるエルサレム陥落後、神殿を失ったユダヤ人 たちは律法学者を「ラビ」と呼ぶようになり、今日に至る。 15) イエスと出会った取税人頭のザアカイは自ら貧しい人への援助を申し出る(ルカ 19:8)。 16) strateuómenoi「兵士たち」は新約聖書中ここにのみ用いられる語形。ルカ福音書の文脈
たちとしては何をしたらよいでしょうか」と。すると、彼らに言った、「何もゆ すり取るな17)、強要するな、自分たちの労賃で満足せよ」。 ヨルダン川での 洗礼の模様 古代のミクヴェ、右はガムラ(ガリラヤ)で、左はエルサレムで発見 (3:19)ではガリラヤの領主ヘロデの傭兵も考えうるが、マルコをふまえればローマの兵士 たちが念頭におかれていよう(マコ 1:5)。共観福音書はいずれも最後にローマの百卒長に よる信仰告白を記す(ルカでは 23;47)。 17) 動詞ディアセイオー(diaseíō)。「激しくゆする」が原意。
本日の箇所は、洗礼者ヨハネの登場を述べた 2:1-6 に続き、ヨルダン川で人々 に洗礼を授けていたヨハネの宣教活動を具体的に記す。7-9 節はほぼ同様の記述 がマタイ福音書にもみられる(マタ 3:7-10).それに対して、10-14 節はルカに 独自の箇所。新約聖書学では、前者をマタイとルカの共通資料 Q に属すると考 える。ルカ独自の部分については、これが資料に遡るのか、ルカの創作か、意見 は分かれる。 7 節からみてゆく。ヨルダン川で洗礼を授けていたヨハネから洗礼を受けるた めに「民衆」が「出て」きた。「出てくる」とは、自分の住むところから出ると いう意味で、すでにマルコ福音書がこの表現を用いる(マコ 1:5)。7-9 節までは マタイと並行するが、細かな点で違いがみられる。その違いの一つはルカが「民 衆が」というところをマタイは「ファリサイ人とサドカイ人の多くが」と伝える。 この違いについて、マタイはマタイ福音書の文脈で考察しなければならないが、 注 2)に記したように、マタイやマルコがそうでない表現を用いる箇所に、ルカ はしばしばオクロス「民衆」という表現を用いる。また、ルカ 7:30 によれば、 ファリサイ派や律法学者たちはヨハネから洗礼を受けることを拒んだという。 これらの記事において、オクロス「民衆」は単なる有象無象の群衆ではなく、 この場合はヨハネの、後にはイエスの、それぞれ宣教活動と深く関わる存在とみ なされている。その一例として、ルカの十字架の記事(23:48)をあげることが できる。そこには、ローマの百人隊長に続いて、この光景を見つめるために集ま った「すべての民衆」が「胸を打ちながら帰って行った」と記されている。彼ら は「見物に」(新共同訳)来たのではない。イエスの死を見届けようとして集ま ったのである。しかも、「民衆」は胸を打ちながら帰途についた、という。ここ に用いられる「帰って行った」という動詞は「立ち帰る」ということに通じる。 つまり、ルカ福音書は、イエスを指し示すヨハネの宣教活動を、彼のもとに 「民衆」と「兵士」たちがやってきたところからはじめる。そして、イエスの十 字架処刑後に、同じく、ローマ兵と「民衆」がイエスに「神の子」の姿を認めた、 と記すのである。 試訳でオクロスを「群衆」でなく、「民衆」と訳したもう一つの理由は、「民衆 の神学」において、福音書に言及されるオクロスを「民衆」の原型としているか らである。この点についても、注 2)の最後に簡単に触れた。 ルカは、ヨハネが洗礼を受けるために集まって来た「民衆」にむかって「蝮の 裔よ」と叱責する言葉を記した。このヨハネの言葉はマタイにもあり、ルカが伝
承として受け取ったもの。このような激しい言葉を人々に投げつける伝統は預 言者たちかたら受け継いでいる(注 4)を参照)。その言葉の内容は、神の審き が迫っている、ということ。それゆえ、悔い改めよ、というのがヨハネの宣教の 主眼であった。ところが、ユダヤの人々は、自分たちがアブラハムの子孫であり、 神に選ばれた民である、と言って嵩をくくっている。それに対して、すでに斧が 木の根元におかれているではないか、と「民衆」に迫ってゆく。 ここには、救いは血筋にはよらない、というキリスト教の思想が反映する。こ れを単純に反ユダヤ主義と受け止めてはならない。イエスは、注 7)で述べたよ うに、イスラエル(=アブラハムの子ら)の「失われた羊」のもとに福音を伝え る使命をもっていた(マタ 10:6、15:24)。この発言はマルコもルカも伝えない が、ルカは「イスラエルの子」に救いが訪れたことを喜ぶイエスの姿を描いてい る(19:9)。 ルカ福音書には、後のヨーロッパに起こるような反ユダヤ主義はない。むし ろ、神の救いユダヤの民から全人類へというかたちで語られる。ところが、その ようなキリスト教の信仰は偏狭なユダヤ中心主義や排外的なユダヤ民族主義と 衝突した。後にみるように、イエスは律法を盾にとったユダヤ民族主義と闘い、 パウロは律法主義と闘った。 マタイ福音書によれば、洗礼者ヨハネはパリサイ派やサドカイ派に向かって 「蝮の裔よ、悔い改めよ、神の審きが迫っている」と告げる。それに対してルカ は、「民衆」に向かって「蝮の裔よ」とヨハネに告げさせる。すると、それを聞 いた民衆が、ならば何をすればよいのか、と尋ねるのである。それが 10 節以下 のルカ特有の部分。 ヨハネのところに出て来たのは「民衆」であった、と 7 節に記されるが、ここ では、「民衆」に次いで「取税人たち」が、さらに「兵士たち」までもが、それ ぞれ「わたしたちは何をしたらよいでしょうか」とヨハネに問いかける。この部 分がルカの創作なのか、ルカ以前の伝承なのか、といった議論があるが、判断は むずかしい。 いずれにしても、ルカがこの部分を加えた意図は明らかである。後々、オクロ ス「民衆」だけでなく、「取税人」も「兵士」も、イエスの宣教活動で重要な役 割を果たすからである。「取税人」(注 13)を参照)と食事を共にするイエスは ファリサイ人たちに非難される(ルカ 7:34 他)。「兵士」という語はここだけに 用いられる単語だが、福音書はイエスがローマ兵卒を癒した逸話を伝え(ルカ
7:1-10//マタ 8:5-13、ヨハ 4:43-54 では「王の役人」)、イエスの十字架の死を みた百卒長の信仰告白が記される(ルカ 23:47)。ルカは、「民衆」をここと十字 架の記事に登場させたのと同じように、十字架上で息を引き取るイエスをみて 信仰を告白した百卒長の記事を念頭におき、ここにも「兵士」を登場させたので あろう。それによって、神の子イエスによる福音がユダヤの民を越えてローマ に、ひいては地の果てまで述べ伝えられることをここに予示している。