1 9 5 0〜7 0年代半ばの日本における 未利用天然資源の活用
―― 石炭産業の事例 ――*
島 西 智 輝
は じ め に
日本における天然資源,とりわけ数十年単位での再生が不可能な天然資源!の 賦存状態の特徴として,種類が多い一方で,埋蔵地が各地に散在していること があげられる。橋本寿朗の言葉を借りれば,日本は天然資源が「異常濃集」し ていないため",天然資源の生産において規模の経済性を発揮できないのであ る。それゆえ,日本は近代以降の工業化の離陸に必要な天然資源はある程度自 給できたものの,工業化の進展にともなって次第に供給不足や生産コストの高 騰が顕著となり,鉄鉱石や石油など重化学工業化に不可欠な天然資源は,それ らが「異常濃集」している諸外国からの輸入に依存せざるを得なくなった。
こうした天然資源の制約を背景として,日本経済は3つの道を追求すること になった。第1は,エネルギー節約的な経済成長の過程に象徴される#,天然資 源の投入量を節約してより多くの財・サービスを生み出す道である。第2は,
* 本稿は,社会経済史学会第78回全国大会パネルディスカッション「エネルギー資源制約 と日本の経済成長(1920〜70年代)」(於:東洋大学,2009年9月27日)における報告「1960
〜70年代における石炭資源開発と石炭利用−電力用一般炭を中心に−」に基づいている。
当日コメントを頂戴した杉山伸也氏(慶應義塾大学),沢井実氏(大阪大学),橘川武郎氏
(一橋大学)に感謝申し上げる。また,本稿は,2009〜2011年度科学研究費補助金基盤研 究(B)「『化石資源世界経済』の形成と森林伐採・環境劣化の関係に関する比較史的研究」
(研究代表者:杉原薫)の研究成果の一部である。
(1) 以下,本稿ではこの定義に基づいて天然資源という言葉を使用する。
(2) 橋本寿朗『戦後の日本経済』岩波書店,1995年,150頁。
(3) 小堀聡『日本のエネルギー革命−資源小国の近現代』名古屋大学出版会,2010年。
香 川 大 学 経 済 論 叢 第85巻 第4号 2013年3月 241−268
核燃料サイクルの研究開発に象徴される,天然資源に代わる新たな資源を生み 出す道である
!
。そして第3が,本稿が検討の対象とする,未利用天然資源を新 たに活用する道である。
未利用天然資源の活用の事例は数多くあるが,経済史研究では小坂鉱山にお ける黒鉱という貧鉱を用いた金属精錬の事例がよく知られている"。他方で,非 金属の資源,とりわけ産業革命期から現代に至るまで重要なエネルギー資源で ある石炭およびその関連資源については,未利用天然資源の活用の歴史という 観点では検討されてこなかった。むしろ,エネルギー革命が進行するなかで,
利用可能な石炭すら積極的に放棄されていったという見解が支配的であったの である#。これに対して,島西智輝は,1950年代に入ると石炭産業と電力業が協 力して技術開発を行い,これまで廃棄されていた低品位炭を火力発電用燃料と して活用したり,ボタ(廃石)から軽量骨材を製造したりしていたこと,そし てこうした活用が1960年代後半の公害問題の深刻化によって困難になったこ とを明らかにした$。しかしながら,上記は高度成長期日本における石炭産業の 衰退要因を検討した研究の一部分を成すものであり,石炭に関連する未利用天 然資源の活用の歴史という観点からすれば,断片的な知見にとどまっていた。
そこで本稿は,上記の知見を改めて整理したうえで,1950〜70年代半ばの 日本の石炭産業における未利用天然資源%の活用の歴史を検討する。石炭産業が エネルギー革命の影響を受けて利用可能な石炭を単に放棄したのではなく,放 棄に至るまでの間に未利用資源の活用も積極的に行っていたことを明らかにし たい。
(4) 橘川武郎『原子力発電をどうするか』名古屋大学出版会,2011年;吉岡斉『新版 原 子力の社会史−その日本的展開』朝日新聞出版社,2011年。
(5) 岡田有功「小坂鉱山煙害問題と反対運動−一九〇一〜一七年」『社会経済史学』第56 巻第3号(1999年9月),59〜88頁。
(6) 矢田俊文『戦後日本の石炭産業−その崩壊と資源の放棄』新評論,1975年。
(7) 島西智輝「戦後日本の石炭市場における市場開拓と取引制度の再編」『立教経済学研 究』第64巻第2号(2010年10月),109〜130頁;島西智輝『日本石炭産業の戦後史−
市場構造変化と企業行動』慶應義塾大学出版会,2011年。
(8) 以下,「未利用天然資源」は未利用資源と略記する。
−242− 香川大学経済論叢 518
日本における資源論の展開過程を分析した佐藤仁は,現在クローズアップさ れつつある資源問題に対応するために必要な資源論を準備するためには,天然 資源の利用と保全の分野で事例研究を積み重ねることが有益であると述べてい る
!
。すなわち,未利用天然資源の活用にかんする事例研究を蓄積することは,
新たな資源論を展開するうえで重要な作業となるのである。また,佐藤は,「日 本が経済的に困窮し,不足感が支配的なときに資源論は最も活力のある動きを 見せ,経済的に豊かな時代には活力が減退する」と指摘している"。戦後復興に よる成長とエネルギー革命による衰退の両方を経験した石炭産業を取り上げる ことで,この指摘が資源利用をめぐる具体的事例でも当てはまるのかを検証す ることができる。それゆえ,本稿は日本の資源論の進展にも貢献すると考えら れる。
本稿の構成は以下のとおりである。まず,第1節では,石炭の選別後に廃棄 されていたボタと炭層内に賦存していたガスの活用を取り上げる。第2節で は,新資源#活用に対応した石炭需給構造の形成過程,およびそれに付随して発 生した新たな石炭需要確保の問題を検討する。第3節では,これらの活用が困 難になっていった要因を検討する。最後に,本稿の検討結果をまとめる。
1.石炭生産にともなう廃棄物の資源化
! 低品位炭火力発電の構想
石炭を生産する場合,採掘した石炭(原炭)の全量を石炭として出荷できる わけではない。燃料用の一般炭を生産する炭鉱の場合,燃焼によって3,500〜
4,500kcal以上の熱量を発生する精炭部分とそれ以外の部分に原炭を選別する 選炭工程を経て,前者を石炭として出荷し,後者をボタ(ズリ)として廃棄す るのが一般的であった$。表1に見るように,1950年代後半の原炭量に対する
(9) 佐藤仁『「持たざる国」の資源論−持続可能な国土をめぐるもう一つの知』東京大学 出版会,2011年,215頁。
(10) 佐藤『「持たざる国」の資源論』,245頁。
(11) 本稿では,過去に未利用資源だったが,新たに資源として活用されるようになった資 源を「新資源」と呼称する。
519 1950〜70年代半ばの日本における未利用天然資源の活用 −243−
精炭量の比率は60%台であったから,原炭の約3分の1が無価値物として廃 棄されていたことになる。
しかし,ボタの性質は均一ではなく,岩石と同様の不燃部分もあれば,燃焼 によって3,500〜4,500kcal以下のカロリーを発生する低品位の部分も含まれ ている。調査や方法によって差はあるが,ボタの2.6%〜42.7%が3,000kcal 程度のカロリーを発生する部分であった"。それゆえ,ボタからこれらの部分を 再選別して低カロリーの石炭=低品位炭として利用できれば,ボタが資源とし て価値をもち,石炭生産量の増加,生産コストの低下,そして石炭価格(炭価)
の低下が実現されることになる。
ボタを新たな資源として活用しようという動きが本格化したのは,石炭供給 の不安定性や供給量の限界が顕在化した1950年代初頭のことである
#
。主な利 用方法として検討されたのが,ボタからガス分を抽出するガス化と,ボタから
(12) 本稿で使用するカロリーの単位はすべてkcal/kgであり,kcalと略記する。
(13) 以上は,田中楠弥太「低品位炭の利用について」『日本機械学会誌』第483号(1959 年4月),5〜8頁;小溝精二,桑山六郎「低品位炭の実態」工業技術院編『1959石炭 利用技術会議会議録!』日本動力協会エネルギー技術対策本部,1960年,46〜56頁に よる。
(14) 石炭産業では1952年に63日間にわたる長期ストが行われるなど,生産は不安定で能 率も伸び悩んでいた(石炭政策史編纂委員会編『石炭政策史』石炭エネルギーセンター,
2002年,52〜60頁)。
年 原炭(A) 精炭(B) 資源利用率
(B÷A×100)
1955 57,589 37,230 64.6 1957 72,086 45,794 63.5 1959 69,757 47,886 68.6 表1 石炭産業が生産した原炭量と精炭量 (単位:千トン,%)
注)1955〜57年は水選原炭,59年は機械選炭原炭。また,59 年の精炭は同年度生産量。
資料)小溝精二,桑山六郎「低品位炭の実態」工業技術院編『1959 石炭利用技術会議会議録!』日本動力協会エネルギー技術対 策本部,1960年,48,53頁;石炭政策史編纂委員会編『石 炭政策史 資料編』石炭エネルギーセンター,2002年,32
〜33頁より作成。
−244− 香川大学経済論叢 520
回収した低品位炭を燃料とする新鋭火力発電であった"。このうち,ガス化は実 験段階であり実用化のめどは立っていなかったため,1920年代から選炭廃水 の沈殿地に堆積する低品位の微粉炭を自家火力発電用燃料として使用したり,
精炭カロリーが低品位炭に近い宇部炭田で火力発電用燃料として使用したりす る事例が存在していた低品位炭火力発電が推進されることになった#。
しかし,新鋭火力で低品位炭を使用するためには,以下の問題を解決せねば ならなかった。第1に,低品位炭は単位量当たりのカロリーが低いため,運搬,
整粒,乾燥,粉砕などの処理量,ボイラーへの投入量が増加した。たとえば,
2,000kcal(灰分70%)の低品位炭の場合,6,000kcal(灰分20%)の高品位 炭の約4倍の能力を発揮する粉砕設備が必要であった。第2に,燃焼時に大量 に発生する灰がボイラーや付帯設備に溶着すると燃焼を妨げたり,摩耗や腐食 をもたらしたりすることがあるため,燃焼温度を適温(800〜1,100℃ 前後)で 安定させながら運転する必要があった。第3に,低品位炭は不燃の灰分が多く 含まれるため,燃焼時に発生する灰の量が非常に多かった。上記と同様の低品 位炭と高品位炭で比較すると,前者は後者の10〜12倍もの灰が発生した。し たがって,この灰を処理できなければ,低品位炭を発電用燃料として利用する ことは難しかった
$
。
! 低品位炭火力発電の事業化と効果
表2に見るように,1952年から産炭地付近の各電力企業は次々と低品位炭
(15) 新鋭火力とは,1950年代初頭から導入された高圧高温で大容量,かつ再熱式で1機1 缶方式の火力発電設備をいう(相部嘉輔「新鋭火力発電設備の運転実績について」『日 本機械学会誌』第519号(1962年4月),5〜12頁)。
(16) 福島県総合開発調査局『常磐低品位炭活用の構想』福島県総合開発調査局,1955年,
7〜80頁;阿部弥之助「低品位炭活用について」工業技術院編『1959石炭利用技術会 議会議録!』日本動力協会エネルギー技術対策本部,1960年,126頁;加島篤「筑豊炭 田の電力史−炭鉱中央発電所の歴史的役割」『北九州工業高等専門学校研究報告』第45 号(2012年1月),25,30頁。
(17) 以上は,田中「低品位炭の利用について」,5〜8頁;阿部「低品位炭活用について」, 126〜129頁;田中楠弥太,猪飼茂,小泉睦男,市川道雄「低品位炭微粉炭燃焼に関する
研究」『日本機械学会誌』第503号(1960年12月),6〜13頁による。
521 1950〜70年代半ばの日本における未利用天然資源の活用 −245−
運 転
開始年 電力会社名 発電所名 出 力
(MW)
低品位炭
使 用 備 考
1952 九州 築上 35,55×2 4,800kcal炭使用 1953 中国 小野田 35 ●
1955 北海道 砂川第二 27 5,000kcal炭使用
中国 小野田 75 ●
1956 九州 苅田 75 4,567kcal炭使用 1957 常磐共同火力 勿来 35×2 ●
1958 中国 新宇部 75×2 ●
1960 北海道 滝川 75 5,000kcal炭使用 1961 常磐共同火力 勿来 75×3 ●
1962 中部 新名古屋 220
1963 北海道 新江別 125 ●
電源開発 若松 75×2 ●
西日本共同火力 新苅田 220 ● 1964 常磐共同火力 勿来 175
1965 東京 川崎 175 関西 尼崎東 156 1966 中部 武豊 220 1967 電源開発 磯子 265 電源開発 竹原 250 1968 電源開発 高砂 250 1969 電源開発 磯子 265 電源開発 高砂 250 1970 常磐共同火力 勿来 250 表2 主要低品位炭火力,揚地火力の概要
注)新設,増設の区別なく記載した。低品位炭は4,500kcal以下とし,低品位炭に近い品 位の石炭使用の主要火力発電所も記載した。
資料)電気学会,火力発電技術協会編『火力発電の回顧と展望』電気学会,火力発電技術協 会,1962年;九州電力株式会社編『九州電力三十年史』九州電力株式会社,1982年;
東京電力社史編集委員会編『東京電力三十年史』東京電力株式会社,1983年;東京電力 火力部編『東京電力火力技術三十年の歩み』東京電力株式会社火力部,1984年;中部電 力火力部編『中部電力火力発電史』中部電力株式会社火力部,1988年;社史編集小委員 会編『中国電力50年史』中国電力株式会社,2001年;北海道電力五〇年史編纂委員会 編『北のあかりを灯し続けて〜北海道電力五十年の歩み〜』北海道電力株式会社,2001 年;関西電力五十年史編纂事務局編『関西電力五十年史』関西電力株式会社,2002年;
常磐共同火力株式会社編『50年のあゆみ 1955−2005−人と事業の記録』常磐共同火力株 式会社,2005年;国立国会図書館「第55回参議院石炭対策特別委員会9号(昭和42年 6月22日)」(http://kokkai.ndl.go.jp/,2012年12月閲覧)より作成。
−246− 香川大学経済論叢 522
を使用した新鋭火力を新増設した。同表からは,9電力以外の事業者も低品位 炭火力発電に参入したことがわかる。1957年に運転を開始した常磐共同火力 勿来火力発電所は",通産省の主導で実現した事業であった。東北地方では,只 見川の大規模水力開発と並行して1952年から低品位炭の利用が模索され始め,
1954年の電源開発調整審議会で低品位炭火力の設置方針が決定された。その 結果,1955年に通産省,東北電力,東京電力,常磐地域の炭鉱企業による議 論を経て,常磐共同火力株式会社が設立された#。
通産省石炭局と石炭産業が9電力と通産省公益事業局に低品位炭火力発電所 建設を要望した結果,1961年に設立されたのが,西日本共同火力株式会社で ある$。西日本共同火力は九州電力苅田発電所の敷地に新鋭火力の新苅田火力を 建設し,1963年に運転を開始した%。特殊法人である電源開発(電発)もまた,
1958年から低品位炭火力の建設計画を開始した。電発は中国電力から技術習 得を進める一方,建設地を北九州の若松に決定し,1963年に若松火力の運転 を開始した&。
各電力企業が低品位炭火力の新設に協力的であったのは,低品位炭の価格が 重油(0.81円/kcal)の約半額(3,000kcalの低品位炭で0.43円/kcal)であっ たからである
'
。炭鉱から離れた地域ではカロリー当たり運賃が嵩むため,低品 位炭を安価に利用することは難しかったが(,産炭地付近では低品位炭火力発電
(18) 以下,火力発電所は「火力」と略記する。
(19) 以上は,『常磐低品位炭活用の構想』,7〜80頁;電気学会,火力発電技術協会編『火 力発電の回顧と展望』電気学会,火力発電技術協会,1962年,279〜281頁;常磐共同 火力株式会社編『50年のあゆみ 1955−2005−人と事業の記録』常磐共同火力株式会社,
2005年,20〜47頁による。
(20) 出資者は,電力業が東京,中部,関西,四国,中国,九州の6社,石炭産業が三井鉱 山,三菱鉱業,明治鉱業,麻生産業,古河鉱業,住友石炭鉱業の6社であり,29.5%を 出資する九州電力が筆頭株主であった。
(21) 以上は,西日本共同火力株式会社編『西日本共同火力社史』西日本共同火力株式会社,
1972年,8〜30頁による。
(22) 以上は,30年史編纂委員会編『電発30年史』電源開発株式会社,1984年,132〜137 頁。
(23) 清水金次郎「石炭を船で運ぶか,電力にして運ぶか」『1959石炭利用技術会議会議録
!』,253頁;島西『日本石炭産業の戦後史』,96頁。重油価格は,重油の燃焼の容易さ を考慮しない場合には0.90円/kcalとなる。
523 1950〜70年代半ばの日本における未利用天然資源の活用 −247−
によって燃料コストを低下させることができたのである。
これらの新鋭火力は,どのように低品位炭燃焼にともなう諸問題を解決した のであろうか。まず,大量の低品位炭を処理できるように,スタッカーやジブロ ーダーと呼ばれる大型の石炭受払い設備が導入された。また,安定燃焼を実現 するために,重油を補助燃料として添加したり,設備に固着した石炭や溶着し た灰を人海戦術で除去したりするなどの対策がとられた。燃焼灰(フライアッ シュ)については,海面埋立て用材やセメント混和材として利用したりした"。 とくに注目すべきは,燃焼後の排煙からのフライアッシュ回収である。1950 年代前半までは,石炭燃焼による黒煙や燃焼灰が降下煤塵となって大気を汚染 し,工業地帯の住民に健康被害などをもたらしていた。しかし,1950年代後 半になると,遠心力を利用した機械式サイクロン集塵装置にくわえ,戦前から 金属精錬工場やセメント工場で高い集塵率を達成していた電気集塵装置(ESP) の設置によって,より粒度の細かいフライアッシュの回収が可能になった#。低 品位炭火力発電の事業化によって,低品位炭のみならず,発電後の廃棄物も新 資源として活用されるようになったのである。しかも,ESPの設置は,火力周 辺の降下煤塵を減少させ,大気汚染の進行の抑制にも貢献するという副次的な 効果をもたらした。
表3を見ると,これらの低品位炭火力発電の熱効率は,関西電力多奈川火力 のような5,000kcal以上の石炭を使用する火力発電と遜色なかったことがわか る。1960年代前半には,低品位炭は炭鉱の小規模な自家発電用だけでなく,
高温高圧で大容量の新鋭火力での使用にも耐え,かつ精炭を使用した場合と同 等の熱効率を発揮しうることが実証されたのである。また,常磐共同火力の勿 来火力が1965年頃には福島県内の約20%,茨城県内の約50%の電力需要を満
(24) 清水「石炭を船で運ぶか,電力にして運ぶか」,255頁。
(25) 以上は,『常磐低品位炭活用の構想』;「火力発電の回顧と展望」,279〜281頁;『50年 のあゆみ』,20〜47頁による。
(26) 以上は,阿部「低品位炭活用について」,129頁;火力発電技術協会フライアッシュ委 員会「生産面から見たフライアッシュについて」『1959石炭利用技術会議会議録!』,218
〜223頁による。
−248− 香川大学経済論叢 524
たす供給能力を持っていたことに示されるように",低品位炭火力によって産炭 地付近の電力供給を補完可能であることも確かであった。
その結果,図1に見るように,電力業における4,500kcal以下の低品位炭需 要は#,1964年度には500万トンを超え,1960年代終わりまで500〜600万トン 台で推移した。9電力が重油専焼火力を新設したり石炭専焼火力の重油混焼化 などを進めたりしたため,1964年度には発熱量ベースで重油火力が石炭火力 を凌駕したが(「油主炭従」)$,低品位炭火力は残存し続けたのである。産炭地 周辺に限られたとはいえ,高度成長のなかで増大する電力需要は,未利用資源 の活用によって生まれた低品位炭によっても賄われていたといえる。
! ボタ利用拡大の試み
ボタから低品位炭を回収したとしても,不燃部分は依然として残る。たとえ ば,1959年の原炭生産量6,976万トンのうち,3,000kcal未満の石炭は約130 万トンあったし
%
,九州の筑豊を中心として,長年ボタ山に放置されていたため
(27)『50年のあゆみ』,43頁。
(28) 同図の数値で電力業におけるカロリー等級別需要量の構成比を計算すると,別稿で示 した構成比と異なる(島西「戦後日本の石炭市場における市場開拓と取引制度の再編」, 122頁;島西『日本石炭産業の戦後史』,258頁)。別稿の数値は12月末値であることを
注記していなかった。本稿をもって訂正したい。
(29) 橘川武郎『日本電力業発展のダイナミズム』名古屋大学出版会,2004年,247〜254 頁。
会 社 名 発電所名 出 力
(MW)
設計炭品位
(kcal)
熱効率
(%)
関西電力 多奈川 75 5,300 35.00 九州電力 苅田 75 5,000 34.81 中国電力 新宇部 75 4,000 34.58 常磐共同火力 勿来 75 3,500 35.00 表3 石炭火力発電所の熱効率 (単位:表中に記載)
資料)阿部弥之助「低品位炭活用について」工業技術院編『1959石 炭利用技術会議会議録!』日本動力協会エネルギー技術対策本 部,1960年,128頁;『50年のあゆみ』,28頁より作成。
525 1950〜70年代半ばの日本における未利用天然資源の活用 −249−
0 2,000 4,000 6,000 8,000 10,000 12,000 14,000 16,000
1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972(年度)
(千トン)
4,500kcal以下 (下級=低品位)
4,500〜5,500kcal (中級)
5,500〜6,500kcal (上級)
6,500kcal以上 (特級)
に風化が進んで燃料利用が不可能となったボタも存在した。こうしたボタと,
その回収に付随して発生する廃棄物を燃料以外の用途にも利用しようという試 みが,九州を中心に進められた。
1957年に石炭化学研究所を設立し,未利用資源の活用の研究を進めていた日 本炭鉱株式会社(日炭)は,自社が経営する高松炭鉱の選炭設備内の沈殿池に 発生するスライムを回収,焼成して農薬キャリア(増量剤,粒径拡大剤)とし て活用することを構想し,試験を行った。産炭地域振興事業団も1963年に同 様の試験を実施した。それらの結果,沈殿池回収スライムの農薬キャリアとし ての品質は,競合品であるカオリン粉と同等であることが確認された。しかし,
焼成コストがかかるため競合品よりも割高であり,事業化には至らなかった
!
。
(30) 小溝,桑山「低品位炭の実態」,53頁。
(31) 産炭地域振興事業団『ぼた山未利用資源の開発調査報告書』産炭地域振興事業団,1964 年,193〜205頁;日炭回顧録の会編『日炭回顧録』弦書房,2012年,84〜86頁。
図1 電力業のカロリー等級別一般炭需要量
注)原表の数値の誤りは修正した。
資料)通商産業省大臣官房調査統計部編『石炭・コークス統計年報』日本石 炭協会,各年度版より作成。
−250− 香川大学経済論叢 526
1960年代前半に,日本炭鉱と産炭地域振興事業団はそれぞれ,ボタを回転 窯で焼成してコンクリート用の軽量骨材として活用することも構想し,試験を 行った。日本炭鉱では,ボタに含まれるベントナイト!が製品品質の悪化や生産 管理の困難をもたらしたため,農薬キャリアと同様に事業化は困難と判断され
たが",産炭地域振興事業団では,生産原価計算に基づいて月産5,000m3規模で
事業化可能との結論が得られた
#
。それゆえ,1966年に産炭地域振興事業団は,
日鉄鉱業株式会社,三菱セメント株式会社,大林組,そして日炭などと共同出 資して,北九州に日本軽量骨材株式会社を設立した。日本炭鉱のボタを使用し た同社の事業は,操業当初はベントナイトによる生産管理の困難に直面した が,原料ボタに頁岩や土を付加して焼成することで困難を克服し,1969年に 日産300m3規模まで拡大した。年間販売量は1974年度に19万m3に達し,収 益も黒字に転換した$。
1960年代前半は炭鉱閉山が相次いだ時期にあたるが,ボタという未利用資 源の活用へ向けた動きは衰えるどころか,いっそう盛んになったのである。
! 坑内ガスの活用
石炭の生成過程で生じたメタンガスなどの可燃性ガスは坑内に滞留し,爆発 事故の原因となっていた。それゆえ,可燃性ガスの多い炭鉱では,ガス検定器 によって可燃性ガス濃度を把握する一方,扇風機などの通気設備によって可燃 性ガスを坑外へ排気せねばならなかった%。周知のように,メタンは天然ガスの 主要成分であったから,坑内ガスの排出は燃料用ガスとして利用可能な資源を 放棄することを意味していた。
日本では,戦前に北海道の夕張炭鉱と新幌内炭鉱で採掘後の密閉部のガスを
(32) 粘性,吸着性,吸水性の高い粘土。
(33)『日炭回顧録』,85頁。
(34)『ぼた山未利用資源の開発調査報告書』,208〜221頁。
(35) 以上は,産炭地域振興事業団編『産炭地域振興事業団十年史』産炭地域振興事業団,
1972年,139〜140頁;日鉄鉱業株式会社編『四十年史』日鉄鉱業株式会社,1979年,208
〜209頁による。
(36) 児玉清臣『石炭の技術史 摘録』(下巻)私家版,2000年,40〜56頁。
527 1950〜70年代半ばの日本における未利用天然資源の活用 −251−
坑外に誘導し,ボイラー燃料とする事例が存在していたが,炭層や坑道への削 坑,ガス抜き坑道の新設などによって坑内ガスを採掘前に積極的に坑外に排出 して活用する「ガス抜き」が開始されたのは,低品位炭の活用開始と同時期の 1950年代前半のことであった。1952年の北海道の大夕張炭鉱,新幌内炭鉱,
奔別炭鉱,1953年の九州の高松炭鉱を皮切りに,ガス抜きを行う炭鉱が増加 した。1958年度には全国の28炭鉱で1億5,700万m3のガス抜きが行われ,
うち78.5%(1億2,300万m3)が利用されるようになった。ガスの用途は,
山元での発電が38.6%ともっとも多く,ボイラー燃料(30.6%)と化学工業 原料(20.2%)がそれに続いた"。こうした状況を鑑みて,通産省も,1958年 から1960年にかけて炭田ガスの埋蔵量調査を実施し,坑内ガスの利用を推進 する方針を採った#。
戦後新たに坑内ガスが活用された事例として,山元発電と化学工業原料を見 てみよう。九州にあった大島炭鉱は,1950年代に入って坑内のガス量の増加が 生産を阻害するようになったため,ガス抜き坑道を新設したうえで,誘導管と ブロワー(送風機)でガスを坑外へ排出する設備を整えた。1961年には,この ガスを燃料とする自家ガスタービン発電所の運転を開始した。これによって,
1961年度の使用電力量4,198万kWhの約84.1%にあたる3,530万kWhを自 家発電で賄えるようになり,電力費は同年度だけでも1億円低下した$。大島炭 鉱の技術は他炭鉱にも普及した。たとえば,北海道にあった住友赤平炭鉱は,
1964年に大島炭鉱と同様の技術を用いて,坑内ガスを利用した自家ガスター ビン発電所の運転を開始した。同年度には使用電力量の53.9%を賄うにとど まったが,発電量は年々増加し,1967年度には使用電力量1億1,540万kW の70.9%にあたる8,180万kWを自家発電で賄えるようになった
%
。同年度に
(37) 以上は,小溝精二,佐伯博蔵「炭鉱におけるガス抜きの現状」工業技術院編『1959石 炭利用技術会議会議録!』日本動力協会エネルギー技術対策本部,1960年,74〜78頁 による。
(38) 大同通信社編『石炭年鑑』(1961年版)大同通信社,1961年,168〜170頁。
(39) 以上は,松島興産七十年史編纂委員会編『松島興産七十年史−海よ空よわが島よ』松 島興産株式会社,1983年,292〜295頁による。
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は,同じく北海道にあった三井砂川炭鉱でも坑内ガスを利用した自家ガスター ビン発電所の運転が開始された
!
。
高松炭鉱は,1956年に坑内ガスを高濃度のまま坑外へ排出し,アンモニ ア・尿素や青酸合成の原料として7.2km離れた三菱化成株式会社の化学工場 へ販売した。この事業は三菱化成が原料を重油に切り替えた1966年度まで継 続し,9億3,000万円の売り上げをあげた
"
。三菱大夕張炭鉱は,坑外へ排出さ れた坑内ガスのメタン濃度を45〜60%から90%へと濃縮することに成功した。
大夕張炭鉱はこの濃縮メタンをメタノール合成原料として活用することを構想 し,1957年からメタノール工場建設を開始した。1959年から運転を開始した メタノール工場は1971年まで操業を続け,最盛期の1968年には約3万トンの 生産量を記録した#。
1965年に237名の死者を出した山野炭鉱ガス爆発事故をはじめ,ガス抜き が普及して以降も坑内ガスによる災害は発生し続けた。その意味では,鉱山保 安の確保という観点では,石炭産業におけるガス抜き技術は未熟であったとい わざるを得ない。しかし,未利用資源の活用という観点では,1950年代前半 から1960年代初頭にかけて,ガス抜きとそれを利用した技術が急速に確立し ていったことは疑いないといえよう。
2.新資源活用に対応した石炭需給構造の変化
! 低品位炭の積極的供給
低品位炭火力の増加に対応するために,一般炭炭鉱は様々な手段を用いて低 品位炭の供給を増加させた。その代表的な方法として,ボタの再選炭があげら れる。長崎の中小炭鉱であった中里炭鉱では,選炭後のボタ(灰分70%)を
(40) 以上は,住友赤平開坑三十年史編纂委員会編『住友赤平開坑三十年』住友石炭鉱業株 式会社赤平鉱業所,1968年,331〜332頁による。
(41) 本間友博「坑内ガス利用タービン」『GTSJガスタービンセミナー資料集』第8号(1979 年12月),7−1〜7−10頁。
(42) 以上は,佐々木高士『流体革命と日炭の対応』私家版,1995年,114〜116頁による。
(43) 以上は,三菱鉱業セメント株式会社総務部社史編纂室編『三菱鉱業社史』三菱鉱業セ メント株式会社,1976年,625〜627頁による。
529 1950〜70年代半ばの日本における未利用天然資源の活用 −253−
水選機で再選し,月500〜600トンの低品位炭(3,000kcal)を回収していた。
同様の生産方法は住友潜龍炭鉱でも見られ,月500トンの低品位炭(3,800 kcal)を回収していた"。投資余力のある炭鉱では,重液選炭機(重選機)を導 入することで,回収量を増加させた。重選機は使用する重液の分離比重を任意 に変えることによって厳密な分離が可能なため#,水選機と比較して低品位炭回 収量が多く品質の変動も小さかったからである
$
。たとえば,常磐地域の炭鉱で は,選炭後に発生した平均1,500〜2,000kcalのボタを破砕して重液選炭機に 投入し,3,500kcalの低品位炭と800kcalの廃石に分離することで,ボタの 30%を低品位炭として回収することに成功した%。
選炭を簡略化することでも低品位炭の回収が可能であった。1956年に重選 機を導入してボタから低品位炭(3,500kcal)の回収に成功していた高松炭鉱 は,1962年に選炭過程を簡略化して精炭の一部にボタを混入させることで低 品位炭の回収量の増加とカロリー低下(3,000kcal)をはかり,若松火力に納 入した。低品位炭供給先を若松火力に集中させた高松炭鉱は,1971年の閉山 までに若松火力だけでも478万トン(同火力使用量の93%)にのぼる低品位 炭を供給し続けた&。
中小炭鉱のなかには,高品位の精炭にボタを直接混炭するという簡便な方法 を採用する炭鉱もあった。筑豊の中小炭鉱では「鉄鋼,ガス関係の原料炭」を
「選炭工程により二号炭[中級の石炭]又は低品位炭を単味或いは混炭により 一般炭として電力その他のボイラー用」に供給していた'。炭鉱名は定かではな
(44) 以上は,福岡通商産業局『北松中南部地域指導報告書』福岡通商産業局,1963年,72
〜75頁による。
(45) 森祐行「日本における選炭技術の変遷とその後の展開」『資源処理技術』第45巻2号
(1998年6月),22〜26頁。
(46) 斎藤俊夫「電力用炭に対する選炭の現状と課題」『1959石炭利用技術会議会議録!』, 138〜143頁;日本炭礦株式会社石炭化学研究所「電力用炭としての低品位炭とその回収
方法」『1959石炭利用技術会議会議録!』,144〜152頁。
(47)『火力発電の回顧と展望』,280頁。同書の307〜308頁では,中国電力が重液選炭機を 設置して,選炭後のボタとボタ山から約15%の低品位炭(3,500kcal)の回収に成功し た事例が紹介されている。
(48) 以上は,『電発30年史』,280頁;佐々木『流体革命と日炭の対応』,139〜151頁によ る。
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いが,長崎では生粉(3,700kcalの粉状原炭)と精炭(5,800kcal)を7:3の 割合で混炭して3,800kcalの低品位炭を生産する炭鉱や,沈殿微粉炭を精炭に 混炭して低品位炭とする炭鉱もあった"。
前掲した図1で示したように,炭鉱閉山が本格化した1960年代以降も電力 業の低品位炭消費量は増加ないしは横ばい傾向にあったが#,このような積極的 な供給が行われた結果,供給不足が続いていた低品位炭の需給ギャップは解消 に向かった$。なお,炭鉱以外の業者によるボタ山からの回収炭(3,500kcal)や 河川に流入した選炭廃水からの水洗回収炭も低品位炭の重要な供給源のひとつ であり,1966年度にはその合計量が約170万トンに達した%。
! 精炭需要の確保
低品位炭の供給源は原炭を選炭する過程で発生したボタや選炭廃水であった から,炭鉱が低品位炭の供給を増加すれば,重油と直接競合する精炭(中〜特 級炭)の供給もまた増加することは当然であった(図1)。しかし,エネルギ ー革命の影響で製造業の燃料用一般炭需要は減少していたし,1960年代に入 ると石炭産業保護の観点から許可されていなかった重油専焼火力発電所の建設 も開始された。くわえて,需要が漸増していた鉄鋼業向け原料炭の増産に付随 して,原料炭炭鉱でも高品位の一般炭が増産されるようになった&。たとえば,
北海道の三井芦別炭鉱では,1964年に原料炭生産量の増加を目的として,選
(49) 福岡通商産業局『飯塚北部直方南部地域指導報告書(筑豊編その!)』福岡通商産業 局,1965年,69頁。
(50)『北松中南部地域指導報告書』,72〜75頁。
(51) 別稿において,一般炭のカロリー等級別生産量の比率の長期的動向をまとめた図を示 した際,低品位炭の生産比率も示した(島西「戦後日本の石炭市場における市場開拓と 取引制度の再編」,121頁,図2)。同図によれば,次に述べる炭鉱以外の業者による回 収炭や水選回収炭が合算された1968年度以降を除いて,低品位炭生産比率はあまり高 くない。また,原表を見ても1960〜1966年度の低品位炭生産量は伸びていない。こう した統計の齟齬が起こった要因は,生産量統計には混炭,とりわけ坑外での混炭が反映 されていないためと思われる。
(52) 島西「戦後日本の石炭市場における市場開拓と取引制度の再編」,120〜121頁。
(53) 通商産業省大臣官房調査統計部編『石炭・コークス統計年報』日本石炭協会,各年度 版;九州電力株式会社編『九州電力三十年史』九州電力株式会社,1982年,66頁。
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