中国の税法ハイブリッド
−税法史を基礎とした中国における税法の移転メカニズム−
山 内 進
1.は じ め に
わが国から中国への進出は,直接投資の受け入れ動向をみると,1992年ご ろから急激な上昇を遂げた。そこには労働賃金等の影響ばかりでなく外資優 遇税制等の税法の影響もあるといえる。
アジア諸国は,わが国と経済,社会,文化等に共通するところもあり税法 においても似ている点が多い。その理由は,諸外国の税法,制度が移転し合 い影響しあっているためであると考えられる。税法の移転メカニズムを筆者 はハイブリッド税法と定義している。このハイブリッド税法の視点から,中 国における税法の移転メカニズム・ハイブリッド税法を研究するのが本小論 の研究目的である。
その研究の基礎をなすのが,アジア諸国の税法史である。税法史について 考える時,中国のように社会主義体制下の税法,わが国や韓国,台湾に見る 資本主義体制下の税法,香港のような英国租借地から立ち上がった税法とに 分けられよう。
中国においては,社会主義市場経済となってから現在の税法に至るまで,
多くの国々からの税法の導入及び改正が実施されてきた。とくに中国の税法 は会計と並び1979年の対外開放政策以来,社会主義経済発展に伴い大きく変 化し続けてきた。ここに経済,社会に適合させた税法のハイブリッド化がみ
られると推察できる。とくに改革開放の中国にとって,税制改革のため,諸 外国の税法を研究することは不可欠だったと思われる。
本研究にあたり,中国の税法史を以下の四段階に分類した。第一段階は,
1949年の新中国成立前である。中華ソビエト共和国憲法の大綱のもとで中華 ソビエト共和国の暫時実行の課税原則が築かれた時代である。第二段階は,
1949年から1979年の社会主義税制制度の時代である。
第三段階は1979年から1994年の税制改正前までで,開放政策のもと外資系 企業と国内企業に対して個別に税法が構築された時代であった。第四段階は,
1994年の税制改革以後である。これは外国企業と国内企業及び,外国人と中 国人との税法の統一化,分税制が構築された時代である。
中国に関する税法の資料はわが国には少ない。まして中国税法史に関する 文献は,あまり見当らない。そこで筆者は2001年3月に中国天津財形大学,
南海大学に赴き中国税法に関する多くの資料を収集してきた。本小論は,そ の資料のうち中国税法史に関する書籍『中国税制50年』『中国税収制度』『中 国税制』を翻訳し,中国税法史について整理し,税法ハイブリッドについて 最後の節で論及したものである。
2.ハイブリッド税法研究・税制の移転メカニズムの基礎となる中国税法史 第一段階(新中国成立前)
1
新中国成立前においては,中国の課税制度は革命発生地の課税制度を受け 継いで発展するとともに,中国同盟会当時の課税により改善することとなっ た。前者の革命が発生した地域の課税制度は土地革命時期の中央ソビエト区 に始めて創設されたものであった。これが土地革命,日中戦争,内戦を経て 改善されていった。
まず1928年には革命が発生した地域である井岡山で公布された井岡山土地 法の規定によって,土地税は15%,10%,5%に分けられた。中心は一番目
であり,特別な場合はソビエト政府によって許可された。1929年からその他 の革命の発生した地域でも土地税は徴収されることとなった。累進課税であ り税法は各革命の発生した地域で決められた。
1931年の中華ソビエト共和国臨時政府は,中華ソビエト共和国憲法の大綱 というハイブリッドされた憲法のもとで,「中華ソビエト共和国の暫時実行 の課税原則」というハイブリッド化された課税原則を発布した。
営業税も革命が発生した地域の主な税であり,1931年末に,この中華ソビ エト共和国の暫時実行の課税原則に照らして,13の等級に税率が分けられ,
累進課税の方法をとった 。1)
その後,新中国税制度は旧解放区の税法の経験をまとめ,なおかつ旧政府 の税法制度を整理した上で,だんだんと成り立ったものであった。1949年の 中華人民共和国が成立する前から,区域的な税法制度が各解放区ですでに成 り立ちつつあった。例えば,1948年一月,東北行政委員会ではすでに関税,
貨物生産売上税,営業所得税,屠宰税,家畜貿易税等税種別の規定が発表さ れていた。
さらに1949年1月には,華北人民政府も,家畜屠宰税,給与所得税,輸出 入貨物税,商業所得税,営業証明書税,不動産収入税,鉱業税,タバコ類税,
貿易税,印花税等納税関係の規定を発表した。
しかし新しく解放された都市では,税制がまだ整っていなかったため,政 策上の混乱と停滞を防ぐ必要があった。事実上当時,若干都市では勝手に徴 収停止したり,免税令を出したりして,結局元の徴収制度に戻したりする混 乱な状況に落ちたことがあった。そこで,中華人民共和国中央政府は下記の ような指示を出した。
要するに,でたらめな税金徴収と反動目的の納税をしなければ,暫くの間 は旧徴収制度を利用しつつ,その後だんだんと整えるというやり方でよいと する命令を各地域に出していた。
例えば,北京市では解放直後,暫くの間は国民党が使っていた21箇条の税 法をそのまま使いこなした上に,税率も変えてもいなかったという 。この2) ように,区域的に税制が設立していた。しかし各解放区の地域によっては税 制・税法の設立には,旧解放区の税制・税法経験が生きていることが理解で きる。
その後,第二段階に入るが1949年の新中国の成立から,政治経済の変化,
および党と国家の各時期における要求にしたがい,中国の税法制度は変化発 展していった。そのなかには数多くの成功経験やいくつかの教訓があった。
その第二段階における税法制度および改革状況は以下のようである。
第二段階(1949年から1979年・社会主義税制制度)
2
1949年に中華人民共和国が成立した。しかし税制度は既述したように革命 が発生した地域に独自に制定されていた旧解放区の税法と,新解放区に暫時 的に施行されていた税法が混じり,この二種類の税法は統一がされなかった。
しかし新中国の成立する当初,人民政権の建設,国防の建設,経済の復旧 と発展,その他の事業の発展には大量の財政資金を必要とした。そのため新 解放区と旧解放区で別々の税法制度を実施することは当時の状況に合わなく なっていた 。3)
そこで1950年に,国民党時代の複雑な税制を整理統合するため全国税制実 施要則を発布した。14種類の税を全国で統一し,新しい社会主義税制を確立 した。しかし流通税と所得税とが交合している複雑な工商業税は依然として 継続していた。
この新中国設立の翌年1950年の税制改革は,旧解放区が税法制度を建設し た経験に学び,旧中国税制を整理した上で立てた中華人民共和国の新税制・
新税法であった 。ここにも税法のハイブリッドがみられる。4)
(1949〜1952年の税法制度)
(1950年税制改革)
㈰全国の税制の統一,社会主義体制における新税制の樹立
1949年10月1日,中華人民共和国が成立した。当時の党と国家が直面して いた課題は,統一した政治経済制度の確立と国民経済の回復であった。新中 国が成立した初期に中国が執行した税法制度には,以下の二つの種類があっ た。
一つは革命が発生した地域で継続されていた,もともと各地域で独自に制 定していた税法制度で,その方法は統一されていなかった。もう一つは新解 放区で暫時的に執行され,整理,排除,改正が行われた旧税法であった。こ の二種類の税法は種類,税目,税率および徴収管理方法などの面で統一がな されておらず,新しい情勢発展の需要を満たすことが難しかった。
領土の統一のためには経済と政治の統一が必要であり,そのためには,税 法制度の統一が必要だった。税法制度と政治経済制度を合致させるために,
中国人民政府協商会議共同綱領の第四十条,すなわち「国家の税収政策は革 命戦争の供給の保障,生産の回復と発展への配慮および国家建設の需要を原 則とし,税制を簡易化し,合理的な負担を実行しなければならない。」とい う規定を基礎に,中央人民政府は1949年11月,第一回全国税務会議を召集し,
1950年1月には全国税政実施要則を発布した。
「全国税政実施規定」では下記の規定がされていた。1全国規模で実施す る税収条例は全て中央政府政務院で一括管理し,各地域ではそれに従わなけ ればならない。実施上違う意見がある場合は,中央に報告し確認を受けるべ きで,勝手な修正,変更をしてはならない。2全国規模で実施する税収条例 の内容については,中央税務機関が作成し,財政部が許可をだし実施する。
各地域の税務管理局は中央が定めた規定の精神に従って徴収方法を考え,さ らに大行政区の許可を受け実施する。3地元の税収の立法に関しては,県レ
ベルのものは,県人民政府に提出し,省人民政府或いは軍政委員会から許可 をもらう。それと同時に,その実施内容を中央政府に提出し,記録を残す。
省レベルの範囲内のものは,省人民政府に提出し大行政区人民政府或いは軍 政委員会を通って,直接中央政府からの許可を受ける 。このように全国税5) 政実施要則は新中国の租税政策,税法制度,管理体制,組織機構などを明確 に規定したものであった。
農業税をのぞいた,貨物税,工商業税,塩税,関税,預金利息の源泉所得 税,給与報酬所得税,印紙税,遺産税,取引税,屠殺税,家屋税,地産税,
特殊消費行為税,ナンバープレート使用税などの14種類の税を全国で統一規 定した。その後,各種類の税の税法と実施細則が公布され,加えて契約税暫 行条例も制定されて,契約税の徴収が始まった。全国の税制を統一したこと により,新しい社会主義税法制度が建立されたといえる。
㈪税制の調整,徴税方法の改正
1950年の上半期において,全国の経済状況は好転し始め,財政収支は均衡 に近づき,物価も安定傾向に向かうという良い状況が現れ始めた。しかし長 期的なインフレにより形成されてきた表面上の購買力の消失,さらに一部の 私営企業の経営方法が新しい情勢が不適合であったため,市場不況と生産の 縮小といった状況が出現した。
また税制には各種類の税目の詳細化,徴税の不明確さ,税の計算と徴収の 煩雑さ,負担の不公平などの問題が存在していた。経済状況を好転させるた めに,上記の問題を解決するため,1950年6月,党中央は税収調整に関する 以下の原則的決定を行った。
このときの調整の原則は,以下のようであった。第一に財政収支の均衡を 堅固なものにすること。第二に生産の回復と発展に配慮すること。これら二 つの原則にもとづき,以下の税収の調整を行った。その主要な内容は以下の ようである。
いくつかの種類の税の停止と統合簡略化 ア
まず給与報酬所得税と遺産税を行わないことに決定した。また家屋税と地 産税を一つにまとめて都市家屋地産税とした。さらに税目に合併を施した。
もともと1136個あった貨物税の税目を358個にまとめ,印紙税の税目も30個 から25個に減らした。
一部の税の特定税目に対する税率の引き下げ イ
塩税の税額の半額に引き下げ,また預金利息所得税の税率も,10%から5
%に引き下げた。貨物税中の巻きタバコ,毛織物,マッチの税率の引き下げ,
家屋地産税の税率の引き下げ,工商業所得税の累進幅を広げるなどを行った。
徴税方法の改正と納税手続の簡易化 ウ
私営工商業に対して,自らによる報告と帳簿の検査,税率による徴税計算,
民主評定と民主評定を基礎に定期定額の三種類の徴収方法を明確にした。同 時に貨物税に関する証明書類の照合制度を簡易化した。
国家による棉糸の統一買い付け・統一販売政策の実施のため,また国家財 政収入を確保するために,1951年に綿花・綿糸・棉布会社が統一して販売し た綿糸に対しては,貨物税中から区別し,独立に綿糸統一販売税を新たに課 税する規定が創設された。
この調整を経て,税負担が減少し,徴税方法が規範化され,経済の発展が 促進された。そして中国の港湾を進む船舶の管理を強化し,同時に公用航路 標識の保護維持と建設を促進するために,1952年9月に中央人民政府政務院
(中国国務院)財経(経済財政)委員会の批准を経て,税関本部は中華人民 共和国税関船舶トン(船の積載貨物容積の単位)税暫定規則を発布し,船舶 トン(船の積載貨物容積の単位)税を開始した。調整,改革を経て,比較的 完全な税制体系が形成されていった。
新税制は流通税と所得税を主体とし,そのほかの税種を組み合わせた複税 制であった。新税制の基本的な特徴は,多税種,多回数徴収である。これに
より各々の部分に分散している資金を税収ルートを通じて有効に一本に集中 化させ,国家財政収入を保証することができるのであった。
また比較的に各方面の経済利益関係を調節することもでき,税収の経済梃 入れ作用を充分に発揮することもできるのであった。そして各種の経済要素 と各種経済活動に対する財政監督を強化し,違法な活動を制限し,国民経済 を回復させる任務を促進することができたのである 。6)
(1953〜1957年の税法制度)
1952年末,中国は国民経済を回復するという任務を完成した。当時,社会 主義経済の国民経済全体に対する比重は一歩一歩増加していた。新しい商業
・サービス網が作られ,とくに経営方式と流通ルートには大きな変化が発生 していた。国営商業と合弁会社の経営は殆どが委託加工,代理買付け,代理 販売および内部調達などの方式を採用していたのであった。
一方私営企業は共同経営,買付け・販売の範囲の拡大,生産と販売を直接 繋げる方式に向かっていった。そして商品の仲介段階を大幅に減少させた。
商品の回転数が減少したことで卸売営業税が減少し,経済は日増しに繁栄し たが,税収はそれと反比例して下降して行くという状況を生み出した 。7)
加えて社会主義経済が日増しに大きく発展するに伴い,私営工商業を主要 な納税者とする従来の比較的繁雑な徴税方法は,新しい状況に相応しくなく なっていった。税制度を変化した経済情勢に適応させるために,また経済発 展と財政収入を確保させるために,同時に1953年に始まる私営商工業に対す る改造と第一次五カ年計画の実施のために,1952年末には,税収の保証,税 制の簡易化の原則にもとづいて,税制に一回目の修正が加えられ,1953年1 月1日より試験的に実施された。
(1953年改革)
1953年から,税収の保証,税制の簡略化のために,社会主義経済の発展に よる流通構造の変化に対応し工業,商業に対する税制を修正した。第一には
商品流通税の試行,第二には,工商業が納すべき営業税およびその附加税と 印紙税をあわせて営業税とし簡略化することであった 。8)
㈰商品流通税の施行
商品流通税とは,ある種の特定の商品について,その回転に応じた額にも とづき,生産から消費までの間に一括して課税を行う税である。これは商品 の生産の段階で納める貨物税,営業税(工商業税中の営業税を指す,以下同 じ),印紙税,および商業卸売と商業小売段階で納める営業税,印紙税を一 種類の税にまとめ,生産段階と販売段階において一度に徴税するものであっ た。
商品流通税の対象商品は煙草,酒,麦粉,マッチ,綿糸,コンクリート,
原木,鋼材などの22個の品目であった。この商品流通税は,ソ連の流通税一 時徴収制に影響され,1953年に新しくできて施行されたものであった 。こ9) の事実から中国の商品流通税がソ連の流通税を導入し,ハイブリッドしてい ることが理解できる。
㈪貨物税の改訂
従来,貨物税が課された貨物に対して支払うべき工業販売営業税とその附 加税,商業卸売営業税とその附加税及び印紙税は貨物税に含められ,貨物税 の税率は調整が行なわれていた。そして税額を含まない貨物税の課税価格の 場合には,税を含む国営卸売公定価格にもとづいて計算するように改めた。
さらに貨物税の項目を簡略化し,もともとの358個の項目を174個にまで縮小 した。
㈫工商業税の改訂
工商業が納めなければならない営業税およびその附加税と印紙税をあわせ て営業税とし,営業税の税率を統一した。そして,すでに商品流通税を納め た商品については,再び営業税を納める必要がなかった。しかしすでに貨物 税を納めた貨物については,商業販売時においては営業税を納めた。商品流
通税も貨物税を納めない商品は,工業販売でも商業販売でも,全て営業税を 支払わなければならなかった。
所得税と地方附加税をあわせて徴税し,税率の累進幅を広げ,中小企業の 税負担を軽減した。同時に機器製造業等,国家経済と国民生活に利益となる 20の業種における生産と経営に対し,それぞれの所得税負担を10%から40%
軽減した。これにより国家経済と国民生活に利益となる業界に対する個人の 資本投資を導き出すことができた。
臨時商業と露店販売に対しては営業税と所得税をあわせて徴税し,また各 々に課税基準を規定し,この課税基準に達しないものについては,徴税をし なかった。
㈬その他各種税の改正
特殊消費行為税にはもともと次のような項目,例えば映画演劇および娯楽,
ダンス・ホール,宴席,アイスクリームや清涼飲料などの冷たい食品,旅館 などの5種の消費行為が含まれていた。税制修正により,特殊消費行為税は 廃止され,そのうちの演劇および娯楽部分の税目を文化娯楽税として改め,
その他の税目は営業税として徴税することになった。同時に食糧取引税は貨 物税に改められ,綿花取引税は商品流通税に改められた。
1953年の税制修正により,中国では全部で15種類の税を設定した。その15 種類とは,商品流通税,貨物税,工商業税,塩税,関税,農業税,牧業税,
印紙税,屠殺税,家畜取引税,都市家屋地産税,文化娯楽税,車船ナンバー プレート使用税,利息源泉所得税,契約税であった。
この時期,経済発展に適応させ,財政収入を確保するために,いくつかの 修正を行うことは必要であった。しかし当時の多種にわたる経済形態が並存 している状況において,非税論と一括徴税制度の影響を受けて,過分な各の 種類の税の簡略化・併合が行われた感があった。しかし一括徴税制度を実行 したことで,経済発展に一定の影響がもたらされ,市場物価の波動も引き起
こした。
同時に税負担の過分な集中により,容易に一つ漏らすと全てが漏れてしま うという状況を作り出してしまい,監督管理が難しくなった。これにより社 会主義経済の発展,資本主義工商業の改造,個人経済を公営企業との合弁へ の道に向かわせることが難しくなった 。10)
1955年以降,中国の財政,税務部門は税制改革の準備を始めた。そのなか で呉波副部長は「ソ連の先進的な税制は中国税制の発展方向である」と示し た。これは,中国の税法が,ソ連の税法を模範として導入し,ハイブリッド 化していくことを示していたといえる。
中国の今後の税制は以下の3つの部分から構成された。(一)国営企業が 納付した運転税と非商品業務税(利益歩合は別途納付する)と(二)合作社 企業が納付した運転税,合作社と団体農庄が納付した所得税と(三)国民が 納付した各種税である。
ソ連の税制の経験を学んでいる同時に,中国の具体的な経済条件と階級関 係の特徴,即ち,多種の経済要素が共存し,国家税収が資本主義に対する利 用,制限,改造の役割を発揮しなければならなかった。国家が大きく,経済 状況が複雑で,地区間・産業間の発展が均衡でなかった。価格制度が健全で なかった。国営企業の原価,利益の水準も一致していない等これらの状況を 十分に考慮し,逐次に推進しなければならなかった。
これはソ連の税法を導入するとしても,中国の経済,社会に適合させなが ら税法を運用していかなければならなかった状況,つまりハイブリッドの必 要性を示しているといえる。
従って,今後中国の税制改革の方針はソ連の先進経験を学び,中国経済発 展・変化の実際に結び付けて,積極的に研究し,統一的に企画し,慎重に改 訂とすべきである 。このように呉波副部長は中国の税制・税法はソ連の税11) 制・税法を学ぶように示唆していた。
(1958〜1972年の税法制度)
㈰1958年の税制改革(税制の簡略化)
1956年,中国は基本的な社会主義改造を完了し,社会経済構造には根本的 な変化が発生していた。共有制経済が絶対的な優勢を占め,私営工商業の大 部分が社会主義,半社会主義の性質をもった公私共営企業に転化したのであ った。私有制の税法制度をともに改造するというそもそものねらいは,すで にこの変化した新形勢にそぐわなくなっていたためであった 。12)
税収業務の対象も,すでに資本主義商工企業を重点にしたものから,社会 主義の性質をもった工商企業を重点にしたものに発展していったのである。
1957年末の第一次五カ年計画の実現に加えて,1958年には第二次五カ年計画 を実行し,大躍進を展開した。
社会主義改造の終結は規則と制度の簡略化の要求を生み出し,税制の簡略 化は1958年の税制改正における中心課題となった。
1958年の税制改正は「基本的にはもともとある税負担の基礎にのっとって 税制の簡略化を行う」という基本方針を貫くために,1958年9月に工商統一 税が試行された 。1958年税制改革の主要な内容は以下のとおりである。13)
工商統一税の施行 ア
いわゆる工商統一税とはもともとあった商品流通税,貨物税,営業税,印 紙税の4種類の税を工商統一税として一つにまとめたものである。工商統一 税は生産から販売までの間に二度課税を行う制度で,工業品は工業品販売段 階で一度課税され,農産物は列挙された産品について買い付けの段階で一度 課税される。また輸入貨物は輸入段階で一度課税されるのである。上述の産 品は商業小売の段階でさらにもう一度課税され,二度課税されたこととなる。
卸売り段階で課税されていた営業税は廃止された。同時に税額計算も,実際 の販売価格にもとづいて税額計算する方法に改められ,中間産品に対する課 税が減少した。
農業税制の統一 イ
新中国が成立した初期には,新旧解放区の状況はまちまちであり,採用さ れた農業税制も様々であった。旧解放区は土地改革を経て各階層が占有して いる土地を大体において平均させていたので,比例税制を採用したが,具体 的な徴税制度については土地ごとに異なっていた。一方新解放区においては,
土地改革以前には地主の経済をおさえるため,差の著しい全額累進農業税制 を実行していた。
1952年に土地改革が基本的に完成した後,土地占有の差が非常に大きいと いう状況は改変されたが,しかし富農は依然として存在していた。そこで富 農を制限するために,全額累進税制の累進幅を縮小し,税率を低くした。
1956年の農業合同化以降,富農経済はすでに消滅しており,新旧解放区で はすでに二種類の異なる農業税制を実行しつづける必要がなくなった。これ により,1958年6月,国務院は中華人民共和国農業税条例を制定,公布し,
全国において統一して地域格差比例税率を実行し,また継続して「安定した 負担,増産と税の非増加」の政策を実行し,これにより農業生産の発展をも たらした。
工商所得税の調整 ウ
工商業税中における営業税が工商統一税に組み入れられた後,1958年に工,
商業税中の所得税が一つの工商所得税として独立の税種となった。
しかし1963年4月になって,国務院は工商所得税負担と徴税方法の改進に 関する施行規定を発布した。このときの内容は,所得税負担の調整に重点を 置いており,その原則は以下のようであった。
個人経済の制限及び集団経済における利潤の調節をした。個人経済には集 団経済よりも多く徴収し,合同工商業には手工業よりも多く徴収し,集団経 済の負担を平衡にあるいは良い方向に持っていった 。14)
このように企業形態により別々に税率を適用し,税率の違いだけではなく,
その構造も異なっていたため,当時の中国の工商所得税の税率及び構造は比 較的複雑となったといえる。
定期市取引税の開始 エ
1962年4月,定期市交易中にある正常な物資交流の妨げになる投機的取引,
暴利をむさぼる活動,農産物販売の高額収入を制限するために,国務院は定 期市取引税の開始を決定した。1964年には,農村における定期市交易活動は 大幅に減少し,定期市の取引高が急激に下降したため,国務院の許可を得て,
定期市取引税は保留され,暫時的に徴税を停止された。
利息所得税の停止等 オ
国務院の許可を得て,1959年から利息所得税が停止された。また1966年に は文化娯楽税が停止された。1958年およびその後の何年かの税制改革を経て,
中国の税制はさらに簡略化されたといえる。文化大革命の前夜にいたるまで,
中国の税は全部で12種類設けられていた。すなわち,工商統一税,工商所得 税,塩税,関税,農業税,牧業税,都市家屋地産税,車船ナンバープレート 使用税,屠殺税,家畜取引税,定期市取引税,契約税である。しかし最後の 二つの税は有名無実化されており,実際には10種類の税だけが徴税されてい た。
㈪文化大革命開始後の税制状況
十年の内乱期間において,本来すでに簡略化され,単一になっていたはず の税制は「煩瑣哲学」そして「管理」,押さえつけ,「圧力」の典型として批 判され,「不合理な制度の改革」の重点対象となってしまった。
1966年2月,「差額税」想定の実行を提案し,企業産品売価にもとづいて 原価と少量の計画的な保留利益の差額を控除し,これを税として納めるよう にしたが,その実質は「税利合一」であった。5月以降,さらに「税の蓄積」
という想定が提案され,国営企業はただ一種の「蓄積の多いものは多く税を納 め,蓄積の少ないものは少なく税を納め,蓄積の無いものは税を納めない」15)
という原則で税を納めるだけになったが,これも実質は「税利合一」であっ た。
1969年にはまた総合税という方法が押し広められ,もともとの企業が上納 していた工商統一税,都市家屋地産税,車船ナンバープレート使用税と工商 統一税を簡略化し,統合して一つの総合税とし,企業の販売収入にもとづい て税額の計算を行った。この方法は実際には単純に税収を財政収入に組み込 む手段であり,税収の調節機能ではなかった。ただし,これらの方法は全て 異なる企業に,異なる税率を通用し,一企業一税率であったため,立法する ことが難しかった。よって1970年にさらに業種にもとづいて税率を設計する,
いわゆる業種税の試験的実施を試みたが,良い効果は得られなかった 。16)
(1973〜1978年の税収制度)
1973年の改革は税制の簡素化が目的であり「税種の合併,徴税方法の簡略 化,不合理な税収制度の改革」という指導思想にもとづいて,中国は税制に 対して全面的な改革を行った。また文化大革命による資本主義的工商税の煩 雑性に対して,排斥が行われ,工商税の再統一が図られた。1973年の改革は 文化大革命でのものであった。
㈰税種の合併,工商税の試行
工商企業に対して徴税されていた工商統一税および都市家屋地産税,車船 ナンバープレート使用税と屠殺税を一つにまとめて工商税とし,同時に塩税 もあわせて工商税の一つの税目とした。
㈪税目,税率の簡略化
工商税は業種にもとづいて税目,税率を決定する。税目はもともとの工商 統一税の108個を44個に減らし,税率は141個を82個に減らし,実際に異なる 税率は16個だけにした。税目,税率表により,多数の企業が一つの税率を適 用すればいいところまで簡略化が可能になった。
㈫不合理な徴税方法の簡略化
1973年の中華人民共和国工商税条例(草案)は12条しかなく,実施細則は 発布されなかった。同時に中間産品に対する徴税,委託加工産品の徴税など の規定を廃止し,一部分の管理権限を地方に掌握させた。
㈬税率の調整
少数の職業の税率に対して,税率の調整をおこなった。例えば農業機械,
農薬,化学肥料,セメントに対する税率が少し下がった。しかしプリンティ ング,ミシンに対する税率は向上した 。17)
1973年の税制改革は,十年の内乱という特殊な環境下において進められた。
当時,税収業務は非常に大きな攻撃に遭い,すでに簡略化されていた税制も まだ煩瑣哲学として批判を受け,いわゆる一種税,一つの率を行わなければ ならなかった。すでにゆるめられていた管理についても「管理,押さえつけ,
圧力」と責められ,完全に税収の監督を放棄しなければならなかった。した がって税収はただ財政資金を集める手段としてしか見られず,税収の経済梃 入れ作用は弱められた。
1973年の税制改革を経て,中国の工商税制は単一の税制になった。国営企 業は工商税一種類の税を納めればよく,集団企業は工商税と工商所得税の二 種類の税をおさめればよかった。都市家屋地産税,車船ナンバープレート使 用税,屠殺税,家畜取引税などは,名義上はまだ一つの税種として存在して いるようではあったが,実際には非企業の単位(ダンウェイ)と個人の徴税 だけであり,全徴税額は工商税収の総額の1%にも満たなかった。工商税は 中心となる税であり,全部の税収入のうち90%を占めていた。
このように1958年には税制の簡素化の方針を貫くため,工商統一税が試行 された。農業税も統一された。1973年には,工商税は税種の合併,徴税方法 の簡素化,不合理な税制制度の改革という指導思想にもとづき全面的に改正 が行われ簡略化が図られた。さらに合弁法が施行される1979年までは,中国
の税制のうち企業所得税は全く社会主義経済下の税法であり,国有・国営企 業を中心とした制度であった。
第三段階(1979年から1994年改正前・外資系企業と国内企業に分離し 3
た税法)
(1979〜1993年の税法制度)
1978年に党の第十一回第三次中央全国人民大会が開かれ,国外に向かって 開放,国内の経済活性化を進めるという指導のもと経済改革が進められた。
新中国成立以来の偉大な歴史的転換が実現したといえる。対外開放政策とし て外資導入政策を実施したのである。中国の外資導入政策は初期段階におい ては,合弁企業の誘致を最優先課題としてスタートした。
すなわち国外に向かっては開放し,また国内に向かっては経済活性化を進 めるという指導のもと,経済体制改革が不断に進められた。
劉志城局長は,税制改革について,「世界中の税制は複雑で,国によって 税目も異なる。なかには成功した事例もたくさんある。中国として外国税制 を参考にして,いい税目,税の種類を増やしたら,対外経済交流上も平等の 経済環境が作れる」と指摘した 。開放政策に対して,諸外国の税法を参考18) にする意義について述べた。
この開放政策は,外資導入及び外国企業の対する税法の成立に向かわせた 重要な政策であるといえる。具体的には国内税制に先行して,外国企業所得 税等が制定されている。
税制改革の原則は以下のようであった。第一には,経済の性質と経済形式 の発展需要に適応すること,段階的に幾つかの税種を回復させ,幾つかの税 種を増やし,それぞれの税収が生産,流通など異なる領域で各自の作用を発 揮できるようにすることにあった。
第二には,企業を活性化させるために,国家は国営企業にも所得税を課す ことにした。徴税後に企業内で分配できるようにしたことであった 。19)
第三には,対外開放政策にもとづき,また寛大・簡略の精神にもとづき,
外資企業に対する徴税方法を制定し,それにより外資を引き出し,また先進 技術や設備を手に入れることであった。
第四には,全面的に増値税の課税制度を普及させ,専門化提携の発展を奨 励し,万能工場や専業工場の税負担を合理的なものにすることであった。
第五には,中央と地方利益の双方に配慮を加え,中央と地方の税収の管理 権限を確定し,工商税収を中央税と地方税に,さらに中央と地方による共同 税に分けることであった。
㈰対外税制の設立と関税の調整
1980年より中国は,国家の主権を保護,維持しながら,国際的な慣例を尊 重し,また外資や技術を取り入れるのに有利であるという原則にもとづいて,
中外合資経営企業所得税法,個人所得税法そして外国企業所得税法,またこ れら三つの税法の実施条例を相継いで制定,公布した。ここにも国際的慣行 の尊重という事実から税法のハイブリッド化がうかがえる。
そして経済特区と沿海経済技術開発区の建設の速度を速めるために,これ ら三つの税法にもとづき,優遇した税法規定を作成した。
これらは開放政策のもとで,まず1978年に外資導入政策がうちだされた。
次に1980年9月には対外税制の整備のため,個人所得税,中外合弁企業所得 税税法が第五回全国人民代表大会第三次会議の審議により制定された。翌年 1981年12月には外国企業所得税が第五回全国人民代表大会第四次会議の審議 により国内税法に先行して導入された。さらに1991年4月には,第七回全国 人民代表大会第四次会議の審議により,上記の二つの対外企業所得税をあわ せて,外商投資企業および外国企業所得税とし実施した 。20)
これに対して対内税制は少し遅れ,国営企業所得税暫定条例が1983年,集 団企業所得税暫定条例は1985年に導入された。個人所得税も都市農村個人商 業者暫定条例,個人収入調節暫定条例が1986年に導入された。間接税では,
対外税制では中止されていた工商統一税暫定条例が1983年から再適用された。
対内税制では,増値税暫定条例,産品税暫定条例,営業税暫定条例が1984年 に適用された 。21)
㈪国営企業に対して所得税を課す
新中国成立以来の,国営企業を統一して徴収し,統一して支払うという方 法を打破するために,第十一回三中全国人民代表大会の後,中国は企業基金 制,利益留保制と利益引受制などの方法を相継いで実行し,企業の財産権を 拡大した 。同時に国営企業に対して課される所得税,すなわち利改税(利22) 益の一部を税金として納める税)を試行した。
これまで中国では,企業は国から資金や資材等の供給を受け,生産・販売 によって得た利潤をすべて国に納めるという制度を採用していた。これを利 潤上納制という。これに対して1983年6月に,この利潤上納制をやめ,税金 による徴収に改めた。利潤を税金に改めたという意味で利改税といわれる。
一回目の国営企業に対する利改税の実施であった。
この改革の主要な内容は,利潤のある国営企業に対して所得税を課し,大 中企業には55%の比例税率により徴税し,税を納めた後の利潤が企業の合理 的な留保部分を越えた場合には,さらに逓増引受,定額引受,固定比例引受,
調節税などの形式により国家に納付させるものであった。そして小型の国有 化企業には,利潤に対し累進税率により所得税を徴税し,税を納めた後の利 潤については,原則的に企業は自由であり,利益を生み出すか否か企業の支 配に帰することとなった 。23)
㈫利改税を中心とした全面的工商税の改革
1984年10月,利改税の二回目の改革が行われた。同時に税制に対しても大 規模な調整を実施した。改革の内容は以下のようなものであった。
現行の工商税をその性質により産品税,増値塩税,営業税に分け,同 ア
時に産品税の税目を詳細に分け,適正税率に調整を行った。
原油,天然ガス,原炭などの資源採掘業に従事しているものに対して イ
資源税の課税を行い,これにより自然資源と開発条件の差異から起こる 差額収入を調節し,国家の資源を有効に利用し,企業の公平な競争を促 進させた。同時に耕地の占有をコントロールするために,土地管理を強 化し,1987年には耕地占用税を開始した。
家屋税,土地使用税,車船使用税の徴税を復活させ,また新しく都市 ウ
維持保護建設税の徴税を始め,地方財政収入の財源とした。これにより 都市建設資金の不足を解決し,土地,家屋,車船の合理的利用を促進し た。
企業所得税をさらに改善し,国営大中企業に対し調節税を課し,1983 エ
年の利益保留額を基準にして調節税の税率を定め,基数を超過する部分 については70%減の徴収を行い,近代化を奨励した。
工商所得税の調節を行った。1985年,集団企業所得税暫時施行条例,
オ
都市と農村における個人工商業所得税暫時施行条例およびその実施細則 が相継いで発布され,企業所得税が形成された。
個人の収入レベルを調節するために1980年に個人所得税の徴収を開始 カ
した。1987年には中国居住民の個人収入レベルの差異拡大の状況を受け て,個人収入調節税を開始した。そして個人所得税は対外徴税にのみ適 用した 。24)
第二回目の利改税改革のとき,その改革の必要性について田紀雲副総理は,
「近年の経済体制改革の試行経験と東ヨーロッパ国家の経験から見れば,徴 税という方式で国と企業間の分配関係を解決することが実行できる方法であ ることが分った。この利点は,国家は徴税の経済的働きを利用してマクロ経 済を調節してコントロールするところである 。」と述べている。この発言25) から利改税の改訂にあたり,東ヨーロッパの経験が重視されていることかわ かる。
㈬いくつかの特定行為税の新規徴税開始と徴税復活
エネルギーを合理的に利用するために,石炭を石油の替わりに利用す ア
ることを促進し,1982年に焼油(石油燃焼)特別税を開始した。
基本建設管理を強化し,計画以外の基本建築規模を抑え,重要建築に イ
有利になるように,1982年と1983年にそれぞれ国家エネルギー交通重要 建設基金と建築税を始めた。
奨励金の上限をはずすことと,給与制度の改革を併せるために,また ウ
同時に消費基金の速すぎる増加を抑えるために,1984年と1985年に前後 して,国営企業奨励金税,国営企業給与調節税,集団企業奨励金税,事 業単位(ダンウェイ)奨励金税の徴税を開始した。
合理的な消費を引き出し,勤勉,節約を提唱するために,1988年宴席 エ
税の徴税を開始した。
商事証書の管理を更に強化するために,1988年10月1日より印紙税の オ
徴税を復活させた。
㈭農業税に対する調整と改革
1979年に,中国は農業税課税の最低所得額を規定した。これにより農民の 生活水準が改善された。そして1983年には農村経済状況が好転したのを受け てこの執行は停止された。
1985年,農業税徴収政策の集中と統一のために,地区間の税負担を平均化 し,国家は各地区の農林特産収入から農業税を徴収するという原則と範囲に 対して統一規定を作り,更に徴税範囲を明確にした。もともとの糧田(穀物 と田)にならって徴税する方法にし,統一の産品収入による徴税方法を採用 した。また税率の幅も統一し,穀物による納税から金銭による納税方法に改 めた。
上述の改革を経て,中国は流通税と所得税を主体とした多税種,多回数,
多段階調節の複合税体系を確立した。1993年末には,中国では全部で以下の
38種類の税を有するようになった。
38種類の税とは,産品税,増値税,営業税,工商統一税,資源税,塩税,
国営企業所得税,集団企業所得税,外商投資企業と外国企業所得税,国営企 業調節税,私営企業所得税,都市と農村における個人工商業所得税,個人所 得税,個人収入調節税,家屋税,都市家屋地産税,都市,鎮における土地使 用税,車船使用税,車船ナンバープレート使用税,印紙税,屠殺税,家畜取 引税,定期市取引税,国営企業奨励金税,集団企業奨励金税,事業単位(ダ ンウェイ)奨励金税,国営企業給与調節税,固定資産投資方向調節税,焼油
(石油燃焼)特別税,宴席税,都市維持保護建設税,特別消費税,農業税,
牧業税,契約税,耕地占用税,関税,船舶トン(船の積載貨物容積の単位)
税のことである 。26)
このように1979年の合弁法施行後,1994年の税制改正までの期間は,市場 開放政策の初期段階であった。国内経済活性化政策と対外経済開放政策によ り,税制改正が実行されていったといえる。開放後に初めて,利潤概念が取 り入れられた。
1979年から1980年代は対外開放政策として外資導入政策により,第一段階 として中国企業と外資系企業,中国人と外国人と切り離した税制が既述した ように構築されていた時代といえる。しかも国内税制に先行して,これら外 国企業所得税が制定されていた。
会計も同様で,1979年以後1994年までの期間は合弁企業,合作企業,100
%外資企業(三資企業という)が適用する税法・会計制度は,一般の中国の 企業が適用する税法・会計制度とは異なるという二本立ての税法・会計制度 であった。従来は,このように中国の税法と会計制度はどちらも,外資系企 業と中国企業とを完全に分離した形で制定してきたのであった。
次の外資導入政策の第二段階は1984年に公表された経済特区・経済技術開 発区規定である。外資導入政策に沿海地域戦略が明確に打ち出された。
1986年以降の外資導入政策の第三段階は輸出振興と先端技術の導入に重点 が移行した。高度新技術産業開発区すなわちハイテク企業の誘致に投資奨励 規定が新たに制定された。外資導入政策の第四段階の特徴として生産型企業 の重視と第3次産業に対する門戸開放がある。外資導入政策の手段として大 きな役割を担っていたのが,この外資優遇税制であった。
第四段階(1994年の改正・個人所得税の外国人と中国人に一体化,中 4
国企業の法人税の一体化)
(1994年の税制改革)
㈰税制改革の必要性
1979年の税制改革およびその後14年間の税制確立期間を経て,中国の税法 制度は基本的に改革開放以来の各時期における経済発展の需要に適応してき たと言え,また国家と企業の分配関係の正確な処理,そして対外経済関係の 発展促進のために積極的な作用を及ぼしてきたとも言える。
1992年10月,党の十四回全国人民代表大会が提出した中国の経済体制改革 の目標は,社会主義市場経済体制であった。市場経済という条件下において,
税収が経済を調節する範囲はどんどん大きくなり,税法は,市場秩序を保証 するために不可欠な法律規範となったのである。
しかしながら,この一時期の税制と社会主義市場経済体制確立のための要 求の間には,なおも一定の距離が存在しており,その主要なものが幾つかの 面で現れていた。それは以下のようなことである。
第一には,税制がコントロールと調整する範囲と程度が,生産要素が全面 的に市場に参入していくという要求に適応できなかったということである。
第二には,地方税の規模が小さすぎて,中央と地方の税制管理権限区分と 充分に合っていなかったことであり,中央と地方各々に税制を実行すること に不利であった。
第三には,企業所得税は異なる財産所有制度の性質にもとづき税種を設置
したため,企業の公平な競争に不利となり,特に国有企業は名目上の税率が 高いと同時に,税を納付する前に貸付を返済したり各種の優遇があり,実際 の税負担と名目上の税率の差が非常に大きかったことである。つまり,従来 は各企業所得税に差があったといえる。
第四には,個人収入が調節作用を持つ税種が多く,個人所得税,個人収入 調節税,都市と農村における個人工商業所得税などがあり,税法は規範化さ れておらず,社会分配の不公平という矛盾の緩和に対する調節機能が充分で はなかった。
第五には,流通税の三大税種が並存してしまい,構造は理にかなっておら ず,税制のマクロ的な調節が不利であり,特に増値税は一部分の産品に対す る徴税のみであり,さらに税率,税金控除方法の管理面でも問題があった。
第六には,税制全体が一定程度において煩瑣であったことである。この他 にも,現有の税制は充分に健全ではなく,国際的な慣例との差が大きかった ことなどがある。これらの問題に対処して,中国は税制に対して必ず改革を 進め,社会主義市場経済の需要をみたすことにつながるといえる 。27)
この問題を解決すべく,1994年中国は社会主義市場体制の改革の要求によ って国際的慣行を参考にして統一的税法や公平的課税,税制の簡略化,合理 的な権利の分配,分配関係の整理,税収を保証する等の以下指導方針に照ら し,税制の改革を全面的に実施した 。28)
㈪税制改革の基本原則
1994年の税制改革における指導思想は以下のようなものであった。
税制改革は中央政府のマクロ的なコントロール能力にとって有利でな ア
ければならない。税制構造を調整し,合理的に税種を区分して税率を確 定し,分税制を執行し,中央政府と地方政府の分配関係を合理化しなけ ればならない。税制改革を通じて,少しずつ税収収入が国民総生産に占 める比重が高くなっていき,中央政府の財政収入が全体の財政収入にし
める比重が高くなっていかなければならないのである。
税制改革は,個人収入の差が大きい,または地区間の経済発展差が非 イ
常に大きいものに対する調節作用の発揮するために有利でなければなら ない。
公平な税負担の体現と,平等競争の促進,公平な税負担は,市場経済 ウ
の税収制度に対する一つの基本要求である。異なる所有制や異なる地区 にもとづいて税種,税率を定めるという問題を解決しなければならない。
企業所得税の統一と回転税制の改善を通じて,各種企業間の税負担をお おむね公平にし,企業が市場において平等に競争ができる条件を作らな ければならない。
税制改革は産業政策の体現,経済構造の有効な調整の促進,国民経済 エ
の持続的な発展と全体の効果,利益の向上促進につながらなければなら ない 。29)
税制の簡易化,規範化 オ
経済発展に相応しくない種類の税を取り消し,重複して設置されている税 を合併しなければならない。また税制の簡易化と高効率化を実現しなければ ならない。税収は分配については,国際的な慣例を参考にしなければならず,
規範となる方法を採用し,税法の統一性と厳粛性を維持しなくてはならない。
㈫税制改革の主要な内容 流通税に関する改革 ア
( ) 規範化された増値(値上がり)税の確立i
1993年12月,国務院と財政部はそれぞれに《中華人民共和国増値税暫時施 行条例》とその実施細則を発布し,増値税の課税範囲を拡大した。また増値 税の税率を一つにまとめて簡易化した。領収書に税金を明記する制度と,価 格と税金を分けて計算する方法を実行した。また販売額の大小あるいは会計 計算制度が健全かどうかにより,納税者を一般納税者と小規模納税者に分け,
それぞれに異なる税額計算方法を規定した。さらに増値税の減免範囲を縮小 し,8項目の免税項目を明確に規定し,減免税権限を国務院に集中させた。
( ) 消費税の開始ii
1993年12月,国務院と財政部はそれぞれに《中華人民共和国消費税暫時施 行条例》とその実施細則を発布し,特殊な調節が必要な11類の消費品目に対 して,増値税の徴税後,さらに一度の消費税の徴収を行うことを規定した。
その目的は,国家の産業政策と消費政策を実現することであった。
( ) 営業税の改革iii
1993年12月,中央政府は《中華人民共和国営業税暫時施行条例》およびそ の実施細則を発布し,営業税は中華人民共和国内において労務を提供した,
あるいは無形資産の譲渡と不動産販売により取得した金額に対してのみ,営 業額の徴税を行うことを規定し,その徴税範囲は以前より大幅に縮小した。
税率の設計という観点からみると,新しい営業税は娯楽業に対して5%〜20
%の幅で比例税率を用い,その残りの納税項目は単一の比例税率を使用した。
上述の改革を経て,中国の流通税は増値税,消費税,営業税,関税等の税 種構成になり,それ以前の産品税,特別消費税,塩税と対外商投資企業から 徴収されていた工商統一税は廃止され,内外統一の流通税制が実行された 。30)
企業所得税に関する改革 イ
1993年12月,国務院は《中華人民共和国企業所得税暫時施行条例》を発布 し,統一された企業所得税を制定した。その主要な内容は以下の如くであっ た。
( ) 外商投資企業と外国企業のほかに,国内で独立会計を実行している全i ての企業あるいは組織を皆,企業所得税の納税者とし,その生産経営所 得とその他の所得から企業所得税を納めなければならないということを 明確にした。
( ) 企業所得税の税率は,外商投資企業と外国企業の所得税の税率を標準ii
として参考にし,それに企業の負担能力を加味して33%に統一した。ま た一部の企業に対しては利益水準が低いという状況を考慮して,暫時的 に27%と18%の二種類の優遇税率を増設した。
( ) 企業所得税の所得額を計算する際に,差し引いてはならない項目につiii いて以下のように明確に規定を行った。
・税制優遇の範囲を明確化し,税制優遇政策の適用範囲と減免税の審査権 限を決定した。
・納税者が当期損失を出した場合の補填方法と,補填継続期限に対して明 確に規定を行った。
・価格移転税制を導入し,納税者とその関連企業との間の業務取引につい て明確に規定し,独立企業間の業務取引としての代金費用の受取あるい は支払いを正規に行わずに納税額を減少させるものに対して,税務機関 が合理的な調整を行う権限を持つことになった。
・二重徴税を解消し,納税者が中国国外において得た所得に対して国外で 納税した所得税の税額について,税額を計算する際に,その税額の中か ら一定の標準にもとづいた控除を認めた。
・企業所得税の納税申告および徴収管理に関する問題について明確にした。
個人所得税に関する改革
ウ 31)
1993年10月の全国人民代表大会常任委員会において,改訂後の中華人民共 和国個人所得税法が通過し,1994年1月1日より実施された。また国務院は 実施条例を発布した。その主要な内容は以下の如くである。
( ) 税種の合併,税制の規範化を実施した。もともと中国人個人に適用しi ていた個人所得税,個人収入調節税,都市と農村における個人工商業所 得税を統一して個人所得税とし,同時に個人所得税の適用範囲を明確に し,それぞれの納税者に対する相応しい納税義務を規定した。
( ) 納税項目を調整し,新たに幾つかの納税項目を増設した。ii