正 岡 子 規 自 筆 ﹃ 竹 乃 里 歌 ﹄ 短 歌 の 気 象 語 彙 に つ い て
︱ 感 覚 表 現 を 視 点 に し て ︱ 石 井 翔 子
一 ︑ は じ め に
本稿の目的は︑子規の短歌に詠まれた気象が︑子規の歌風や生活の変化にどのように対応しているのかを︑具体的に検証することである︒その方法として︑気象をどの感覚で捉え表現しているのかに注目したい︒子規の歌風の変化との対応では︑子規の短歌革新︑明治三一年発表の﹁歌よみに與ふる書﹂で唱えられたことの一つである︑趣向を多様なものにするための題材を拡大することによる﹁用語の拡大﹂の主張
が︑子規の作品にはどの 1
ように反映されているのかを調査する︒此腐敗と申すは趣向の變化せざるが原因にて︑又趣向の變化せざるは用語の少きが原因と被存候︒故に趣向の變化を望まば是非とも用語の區域を廣くせざるべからず︑用語多くなれば從つて趣向も變化可致候︒また︑子規の生活の変化との対応では︑子規の世界が﹁病牀六尺
﹂となる前後に︑使用される気象にどのような変化 2
が見られるのかを調査する︒本稿で気象に注目するのは︑子規の生涯通して身近にあったものの一つとして︑植物の他に︑晴れや雨といった自
然現象があると考えられるからである︒実際明治三四年九月五日の日記
また︑外出がほぼ不可能になり病床にあった子規の環境は︑縁側に出ず寝たきりになっても︑天体の様子や外の気象 梨一ツ紅茶一杯菓子パン數個/夕鷄肉卵二ツ粥三椀餘煮茄子/若和布二杯酢カケ︵/は改行︶ わかめ 九月五日雨夕方遠雷/朝粥三椀佃煮瓜ノ漬物/晝メジノサシミ粥四椀燒茄子梨二ツ/間食 には天気が記録されている︒ 3
は分かるものであった︒それは︑明治三二年に子規の病室に硝子窓が取り付けられた為である︒以下︑歌番号は私に付け︑作歌年も附して記す︒︵以降も同様とする︶
ガラス戸ノ外ハ︽月︾アカシ森ノ上ニ白雲長クタナビケル見ユ︵一七九〇・三三年︶鏡なすガラス張窓影透きて上野の森に︽雪︾つもる見ゆ︵一三七七・三三年︶
二 ︑ 資 料 と 方 法
気象語彙の採録は︑以下の三点で行った︒自筆本﹃竹乃里歌﹄の複製本︵講談社 一九七六年九月六日出版︶講談社版﹃子規全集 第六巻﹄収録
﹃竹乃里歌﹄に記載されている作品は明治十五年から明治三三年までのものである︒﹃竹乃里歌﹄に収録されなかっ 子規は生涯二四五三首の短歌を残しており︑作歌の時期が判明しているものは二四三二首である︒ 正岡子規自筆﹃竹乃里歌﹄﹃竹乃里歌拾遺﹄語彙総索引稿︵金子彰・石井翔子編私家版︶ ﹁竹乃里歌﹂と﹁竹乃里歌﹂拾遺︵一九七七年五月十八日発行︶
た和歌を︑講談社版全集編集者が集めた﹃竹乃里歌﹄拾遺
作歌年が不明︶から三五年までの作品が収録されている︒作歌の時期が判明している二四三二首を調査対象とした︒ には︑明治十五年以前︵明治十五年以前の作品で具体的な 4
この作歌の期間を︑明治三十年以前と明治三一年︑三二年︑三三年︑三四年︑三五年の六つに分けた︒短歌革新発表以前︵明治三十年以前︶と革新後から明治三三年︵明治三一〜三三年︶︑明治三四︑三五年の三期に分
けられるが︑短歌革新発表の作品と︑明治三四年以降の作品では︑その歌風が異なっており︑年毎に変化が見られるとの指摘もある
︒また︑明治三十年以前︑三一年︑三二年︑三三年と分けることで︑それぞれの期間の作品数のバラ 5
ンスがとれているので︑本稿では六期間に分けた︒気象語彙の認定とその分類は︑子規の編集した語彙集﹁たね本
﹂で﹁天文﹂の項目に分類された語彙を基準にし 6
た 7
︒﹁天文﹂に分類された語彙の中で︑気象に該当した語彙を気象語彙とした︒
三 ︑ 気 象 の 語 彙
三︱
1
︑気象語彙の認定気象語彙としたものは︑次のものである︒資料
次の歌の場合は音の区切れによって︑﹁夕立﹂﹁の﹂﹁雨﹂の三語に分けているが︑この様な例は全て一つの複合語と 我々が作成した語彙総索引稿では音数で語彙を区切っている︒例えば﹁夕立の雨﹂は複合語として採っているが︑ のを挙げる︒
1
︵四一〜四四頁︶に気象語彙とその期間ごとの例数をまとめたもして採録した︒夕立の雨にけふりて近江かた瀨田の長橋虹とこそ見れ︵十一・十八年︶
三︱
2
︑ 気象語彙の期間ごとの変化気象語彙の異なり語数は全体で一一八語であり︑期間ごとの異なり語数は次の通りである︒明治三十年以前⁝五六語 三一年⁝六一語 三二年⁝二十語 三三年⁝四四語 三四年⁝二語 三五年⁝四語右の結果より︑明治三一年に異なり語数が大きく増加していることが分かる︒これは短歌革新の際に唱えた﹁用語の拡大﹂の実践の影響であろうか︒明治三一年の気象語彙は︑前期間と比べ︑気象に時間や空間︑状態等の意味が付随されているものの種類が多い︒しかし︑明治三二年以降︑異なり語数は大きく減少していっているので︑三一年の増加は一時的なものであったといえる︒気象語彙を詠んだ作品数は次の通りである︒︵ ︶内の割合はそれぞれの期間に詠まれた全作品数に対する割合で あり︑少数第二位以下を四捨五入したものである︒明治三十年以前⁝一七三首︵三〇.〇%︶ 明治三一年⁝一七八首︵二五.八%︶明治三二年⁝ 四七首︵十二.八%︶ 明治三三年⁝一一九首︵十八.四%︶明治三四年⁝ 十四首︵十五.七%︶ 明治三五年⁝ 五首
︵七.九%︶明治三二年にガラス窓が設置されたことで外の様子を室内からでも見ることができるようになったことに加え︑明治三四年以降の日記に天気が記録されていることから︑亡くなるまで子規は気象に意識を向けることは多かったと考
えられる︒しかし右の結果は︑期間を下るに従い気象語彙を短歌に詠むことが少なくなってゆく傾向を表している︒子規が文学に取り入れた写生理論について︑松井貴子氏による次の指摘
①写生する材料は身近なところでも無限に発見することができる︒ 子規が不折に学んで美術から文学へ取り込んだ写生は︑次の五点に要約できる︒ がある︒ 8
②作品中に描くものを取捨選択し︑不要なものを削除する︒③取捨選択した材料を構成︵結構布置︶し︑作品に仕上げる︒④作品の中心となるものに焦点を合わせ︑作者の主意を表現する︒⑤形や色︑明暗︵光線の具合︶︑遠近︵位置関係︶を正確に表現する︒期間を下るに従い短歌に気象語彙を詠むことが少なくなるのは︑この写生理論の②の点︑﹁描くものを取捨選択﹂する過程で︑気象語彙が﹁削除﹂されるようになったためであろうか︒
そこで︑どのような気象語彙が﹁削除﹂されるようになったのか検討してゆく︒資料
明治三三年⁝十一語 明治三十年以前⁝十二語︵二一.四%︶ 明治三一年⁝十三語︵二一.三%︶ 明治三二年⁝七語︵三五%︶ 下を四捨五入したものである︒ 的に表現した語彙数︵異なり語数︶を挙げる︒︵︶内には各期間の異なり語数に対する割合であり︑少数第二位以 気象そのものだけを端的に表現した語彙を使用する傾向が強くなっていることが分かる︒左に気象そのものだけを端
1
より︑期間を下ってゆくに従い︑﹁春雨﹂のように時間などの意味を含んだ気象語彙でなく︑﹁雨﹂のように︵
二五%︶ 明治三四年⁝一語
くれなゐの牡丹の花におほひたるやふれ小傘に雨のしきふる︵拾遺四三〇・三四年︶ 門並に柳植ゑたる家つゞき春雨細く燕飛ぶなり︵一〇四五・三二年︶ 牡丹﹂と共に詠まれていることで︑﹁雨﹂が﹁春の雨﹂であると判断できる︒ 次の﹁春雨﹂では︑その語自体で﹁春の雨﹂であると判断できるが︑﹁くれなゐの﹂の歌の﹁雨﹂は﹁くれなゐの このように︑﹁雨﹂など気象そのものだけを端的に表した語彙が︑明治三二年を境に増加する傾向が見られる︒ ︵五〇%︶ 明治三五年⁝二語︵五〇%︶
これは一つの語彙で多くの情報を表す方法から︑他の語や表現で情報を補う方法を採るようになったためであろうか︒
四 ︑ 気 象 の 感 覚 語 彙
四︱
1
︑感覚表現の基準本稿では︑感覚表現の判断基準について︑﹃感覚表現辞典
感覚表現の分類を基に︑独自に項目を設けた︒ ﹄に依ることにした︒﹃感覚表現辞典﹄に挙げられている 9
1
︑視覚⁝﹁光影﹂・﹁色彩︵紫も含む︶﹂・﹁動き﹂・﹁状態﹂・映った影・視覚行為2
︑聴覚⁝﹁音声﹂﹁音響﹂
3
︑嗅覚⁝匂い
4
︑味覚⁝味5
︑触覚⁝﹁触感﹂﹁痛痒﹂﹁湿度﹂﹁温度﹂右の歌では次に挙げる感覚表現の基準となる語彙は使用されていないが︑﹁もかな﹂と暑い日に﹁風﹂を望む表現が 羽團扇の愛宕おろしの風もかな都大路の今日のあつさは︵七四五・三一年︶ た︒ 感覚表現を表す語彙や表現の有無︑対象物に対する感覚表現が読み取れる語彙や表現の有無で︑感覚表現を分類し
6
︑複合感覚表現あるので︑﹁もかな﹂に﹁吹く﹂という意味が省略されているとし︑触覚表現とした︒また︑﹁月更けて﹂の歌の﹁秋の初風﹂は︑涼しさを想起させるが︑その根拠となる語彙や表現が見られないので︑触覚表現としなかった︒月更けて人は歸りぬ鴨河や四條河原の︽秋の初風︾︵七五六・三一年︶
1
︑視覚表現とするもの次のような語彙や表現︵視覚表現︶は対象物を視覚で捉えていると判断する︒
① ﹁光影﹂を表すもの⁝
﹁朝日﹂﹁木陰﹂など光源や陰・影をあらわすもの︑﹁明し﹂﹁暗し﹂など明暗をあらわすもの︑﹁光る﹂﹁明く﹂など光のある様子を表すものを分類する︒② ﹁色彩﹂を表すもの⁝﹁色﹂﹁紅﹂など色を表すもの︑﹁色づく﹂など色がある様子を表すものを分類する︒③ 対象物の﹁動き﹂を表すもの⁝﹁盆踊﹂﹁飛ぶ﹂など動きを表す語を分類する︒④ 対象物の﹁状態﹂を表すもの⁝﹁やれ衣﹂﹁涸れ盡す﹂﹁良し﹂など状態が表されている語を分類する︒次の歌のように対象物の存在する場所が明らかであるものも︑その場所に存在している状態であると判断し︑﹁状態﹂を表すものとする︒關もりの招くやそれときて見れば尾花か末に︽風︾渡る也︵二三八・二五年︶次のように対象物を見ていなくとも︑﹁動き﹂や﹁状態﹂を表す語や表現が用いられている場合は視覚表現とする︒枯芝に霜置く庭の薄月夜音ばかりしてふる霰かな︵三五一・三一年︶次の三つも視覚表現とする︒ものに映った影を表現したもの︵次に一部の例を挙げる︒例の該当箇所に傍線を引いた︒以降同様である︒︶
まてしはし小舟さをさすわたしもり涼しき月の影やくたかむ︵五・十七年︶紫色を表すものもの山の端の紫の雲に雲雀鳴く春の曙旅ならましを︵五九一・三一年︶視覚行為が明らかであるもの蓬生の病の床に鶴をくひ牡丹をなかめわが富貴足る︵一六八二・三三年︶次のものは視覚表現としない︒
﹁色彩﹂を明確に表していないもの雪にをれす霜にもくちぬ高砂の松は榮へん千代も八千代も
風もなくたちくる波もなつの日に三津の濱邊を船出する哉 子規自身の﹁動き﹂﹁状態﹂を表すもの 右の歌は﹁雪﹂の白と﹁松﹂の緑の対比が想起されるが︑明確に色の対比を表していないので視覚表現としない︒ ︵十八・十八年︶
玉つさをいそきよみする心地せり見る間にすくる天津雁金 ﹁動き﹂の主が他者であるか不明なもの 覚する意識が薄いと考え︑今回は視覚表現としない︒ 子規自身の﹁動き﹂﹁状態﹂を第三者の視点で描写しているとも考えられるが︑自分以外の対象を視覚するよりも視 梅の花見るにし飽かず病めりとも手震はすは畫にかゝましを︵拾遺四六九・三五年︶ ︵二六・十八年︶
︵四五・十八年︶
うたゝねの夢さへものを思はせて憂をかさぬる戀もするかな︵五一・十八年︶
2
︑ 聴覚表現とするもの⑤ ﹁音声﹂を表すもの⁝﹁聲﹂など音声を表すもの︑﹁呼ぶ﹂など音声を伴う行動を表すものを分類する︒⑥ ﹁音響﹂を表すもの⁝﹁音﹂など音を表すもの︑﹁共擦れ﹂など音が立つことを表すもの︑﹁騒ぐ﹂﹁静かなり﹂
など音の有無を表すものを分類した︒
3
︑ 嗅覚表現とするもの⑦ 匂いを表現するもの⁝﹁匂ひ﹂など香りを表すもの︑﹁かぐはし﹂など香りの状態を表すものを分類する︒4
︑ 味覚表現とするもの⑧ 味を表現するもの ⁝﹁甘し﹂﹁渋し﹂など味を表すもの︑﹁うま乳﹂など味の様子が分かるものを分類する︒飲食行為が表現されていても︑味や食感の表現がないものは味覚表現としなかった︒左の﹁食す﹂は視覚表現となる︒日の本にたぐひあらじの黍團子君がいくさを祝ひてぞ食す︵八六六・三一年︶5
︑ 触覚表現とするもの⑨ ﹁触感﹂を表現するもの⁝﹁薄衾﹂など厚さを表すもの︑﹁堅し﹂など硬軟を表すもの︑﹁揺る﹂など体感できる動きを表すものを分類する︒⑩ ﹁痛痒﹂を表現するもの⁝
﹁痛む﹂など痛みを表すものを分類する︒なお痒みを表す語は子規の短歌に見られな
い︒左の歌の﹁重く﹂も二日酔いの症状と考え︑﹁痛痒﹂に分類した︒頭重くゆふべの酒の醒めやらで傾城と二人朝櫻見る︵四五一・三一年︶⑪ ﹁湿度﹂を表現するもの⁝﹁濡る﹂﹁乾く﹂など乾湿を表すものを分類する︒次の歌のように対象物が何かを濡らしているという表現も︑対象物の﹁湿度﹂を表現するものとした︒雨になく庭の鶯そぼぬれて羽はたきあへす枝移りする
温度の状態が分かるものも分類する︒
⑫﹁温度﹂を表現するもの⁝﹁暑し﹂﹁冷ややか﹂など寒暖・温冷を表すものを分類する︒また﹁温泉﹂のように 右の歌では︑﹁雨﹂と﹁鶯﹂のそれぞれに対して︑触覚表現が用いられているとした︒ ︵一〇四一・三二年︶
6
︑複合感覚表現とするもの次のように︑一つの対象物が複数の感覚によって捉えらていると考えられる例は︑複合感覚とした︒複合感覚表現
には︑次の感覚表現の組み合わせが見られた︒該当する作品を一部挙げる︒視覚表現+聴覚表現︵視覚表現には一重線︑聴覚表現には点線を附した︶墻踰えてをぢは走りぬうば一人司の前にかしこまり泣く
山さとの杜の下ゆく眞淸水は夏のあつさをそゝくなりけり 視覚表現+触覚表現︵視覚表現には一重線︑触覚表現には点線を附した︶ 黑石の炭やく煙風をいたみわろき香放ち我家に入る︵一七八五・三三年︶ ゆきかへばやれ衣だにかくばしき花をきぬると思ふばかりに︵八二・十八年︶ 視覚表現+嗅覚表現︵視覚表現には一重線︑嗅覚表現には点線を附した︶ 九重の二重の御橋とゞろかし王の車の先づ渡るらし︵一三三〇・三二年︶ ︵九六〇・三一年︶
いにしへの書よむ窻に松風の音聞くのみもすゝしかりけり︵一三七・二三年︶ 聴覚表現+触覚表現︵聴覚表現には一重線︑触覚表現には点線を附した︶ 厠戸の手洗水をうちかくる秋海棠は濡れぬ日もなし︵一二一六・三二年︶ ︵十二・十八年︶
ひとへ衣襟吹きはなつ夕風に亂れて蝉の聲そ涼しき︵八五一・三一年︶視覚表現+聴覚表現+触覚表現︵視覚表現には一重線︑聴覚表現には点線︑触覚表現には二重線を附した︶雨になく庭の鶯そぼぬれて羽はたきあへす枝移りする︵一〇四一・三二年︶また︑次の歌の﹁︵家主︶怒ラ﹂は︑﹁対象物の﹃状態﹄を表している﹂ので視覚表現であると判断できる︒また﹁怒
る﹂動作には音声も付いてくるとも考えられ︑聴覚表現とも考えられるので︑複合感覚表現とした︒サ庭ベニハビコル松ノ枝伐ラバ家主怒ランサモアラバアレ
︵拾遺四四一・三四年︶
四︱
2
︑期間ごとの感覚語彙の変移気象語彙に対する感覚表現が見られる作品数を資料
2
︵四五〜四六頁︶に挙げた︒なお複合感覚表現の場合はそれぞれの感覚表現の作品数にも含めた︒︵例えば視覚と聴覚の複合感覚表現の場合は︑視覚表現の見られる作品数と聴覚表現の見られる作品数の両項目に作品数入れた︶資料
関係︶を正確に表現する﹂ことが徹底され始めたのであろうか︒次の﹁提灯の﹂の歌では町の明るさと森の暗さが表 間を経て自らの短歌のあり方が確立し始める︑明治三二︑三三年以降から﹁形や色︑明暗︵光線の具合︶︑遠近︵位置 発表する前であり︑三一年は理論の実践の期間で子規自身の短歌のあり方の模索が色濃い時期である︒そのような期 準の一つ︑﹁対象物の﹁状態﹂を表すもの﹂に当てはまる︒明治三十年以前は短歌に写生の方法を取り入れることを 目︑﹁⑤形や色︑明暗︵光線の具合︶︑遠近︵位置関係︶を正確に表現する﹂という写生の方法は︑視覚表現の分類基 視覚表現の使用が多いことについて︑子規の写生理論が影響していると考えられる︒前述の松井貴子氏の要約の五項 も見られるが︑そのほとんどが明治三三年までのものである︒
2
より︑概して各期間通して視覚表現の使用が多いことが分かる︒また聴覚表現と触覚表現︑嗅覚表現の使用され︑﹁咲く花の﹂の歌では花の雲の色と︑花の雲のある位置︑花の雲が靡いている形が表されている︒提灯の山なす町を行き過きて上野の森は暗く淋しき︵一三一八・三二年︶咲く花の薄色雲は吾妻橋ゆ梅若丸の塚になひけり︵一六四七・三三年︶また︑次の子規の論
と香といずれが強く刺撃するかといえば色の方強きが常なり︒ゆえに﹁梅白し﹂といえばそれより香の連想多少 元来人の五官の中にて視官と嗅官とを比較すれば視官の刺撃せらるること多きは論をまたず︒梅を見たる時に色 も︑視覚表現が短歌に多くなることについての原因を表していると考えられる︒ 10
起れどもただ﹁梅かをる﹂とばかりにては今梅を見て居るところと受け取れずしてかえって梅の花は見て居らで薫のみ聞ゆる場合なるべし︒
このように︑子規は視覚表現が嗅覚表現を補うことが可能であるとしている︒右の論では﹁梅﹂と﹁嗅官﹂が扱われているが︑視覚表現が触覚表現と聴覚表現も補いうる例も見られる︒視覚表現には傍線を附した︒酒店を叩けども起きずすゝり泣く賤の童に︽雪︾ふりしきる︵四五四・三一年︶天人が湯あみの盥かへしけん此里はかり︽夕立︾のふる
表現︶も歌から受け取れる︒﹁天人が﹂の歌の﹁夕立﹂は︑﹁夕立﹂が激しく降るものという共通認識から︑﹁夕立﹂ ﹁酒店を﹂の歌の﹁雪﹂は︑﹁雪﹂が冷たいものであるという書き手と読み手の共通認識から︑﹁雪﹂の冷たさ︵触覚 ︵七一二・三一年︶
の音︵聴覚表現︶も受け取れる︒このように作者と読み手の対象物に対する共通認識によって︑視覚表現が触覚表現や聴覚表現の役割も果たすこと
が可能である︒子規は﹁元来人の五官の中にて視官と嗅官とを比較すれば視官の刺撃せらるること多きは論をまたず︒﹂としているが︑触覚と聴覚に対しても視覚の方が﹁強く刺撃する﹂といえるのではないか︒子規は︑視覚表現
が︑嗅覚に限らず︑触覚や聴覚の表現も﹁連想﹂させ得るとも考えていたのではないか︒そのために︑視覚表現の使用が多いという結果に繋がったと考えられる︒子規が香りを詠む例は明治三五年まで見られ︑その作品の多くが次の二首のように香りを主題としている︒黑石の炭やく煙風をいたみわろき香放ち我家に入る︵一七八五・三三年︶小包を開きて見れは花菫その香にほひてしをれてもあらす
子規の﹁元来人の五官の中にて⁝﹂の論は落合氏の﹁わづらへる鶴の鳥屋みてわれ立てば小雨ふりきぬ梅かをる朝 ︵拾遺四七九・三五年︶
﹂ 11
に対する批判であるが︑実際の子規の梅花の歌には次のような変化が見られる︒いつのよの庭のかたみそ賤か家の垣ねつゝきに匂ふ梅かゝ︵二四五・二六年︶柵橋に駒立てをれば薄月夜梅がゝ遠く匂ふ夕暮︵二七六・二六年︶明治三十年以前の期間では︑右のような梅の香りを詠んだ歌が見られるが︑三一年以降は次の歌以外で梅の香りを詠
んだ歌は見られない︒左の歌では﹁梅の花は見て居らで薫のみ聞ゆる場合﹂が歌われている︒うは玉の闇に梅か香聞え來て躬恒か歌に似たる夜半かも︵一四五二・三三年︶
ただし︑梅の香りについては︑子規が三一年に次のように批判
勞加減は恐れ入つた者なれどこれも此頃には珍らしき者として許すべく候はんに︑あはれ歌人よ﹁闇に梅匂ふ﹂ ﹁花の匂﹂などいふも大方は噓なり︑⁝﹁梅闇に匂ふ﹂とこれだけで濟むことを三十一文字に引きのばしたる御苦 はいふ迄も無く候︒﹁露の音﹂﹁月の匂﹂﹁風の色﹂などは最早十分なれば今後の歌には再び現れぬやう致したく候︒ 總て噓といふものは一二度は善けれどたび〳〵詠まれては面白き噓も面白からず相成申候︒況して面白からぬ噓 ﹁露の落つる音﹂とか﹁梅の月が匂ふ﹂とかいふ事をいふて樂む歌よみが多く候へども是等も面白からぬ噓に候︒ したことが影響しているとも考えられる︒ 12
の趣向は最早打どめに被成ては如何かや︒以下本稿では︑これらの気象語彙の中で︑特に作品数の多い﹁風﹂と﹁雨﹂︑﹁雪﹂︑﹁雲﹂を扱う︒それぞれの気象に対する感覚表現には︑次のような特徴が表れていた︒﹁風﹂︑﹁雨﹂︑﹁雪﹂︑﹁雲﹂は視覚で捉えられる気象であり︑実際共通して視覚表現が多く用いられていた︒﹁雨﹂と﹁雪﹂は明治三四年以降でも視覚表現が使用されていた一方で︑﹁雲﹂の動きは︑病状が悪化した明治三二年から詠まれなくなっていた︒また︑植物の動きによって視覚できる﹁風﹂も︑﹁庭前即景﹂の歌風が確立している明
治三四年から詠まれなくなっていた︒聴覚表現や触覚表現︑嗅覚表現の例も見られるが︑明治三四年以降︑視覚表現に収束していく傾向であった︒聴覚で捉えることのできる気象は︑﹁風﹂と﹁雨﹂︑﹁雪﹂であるが︑﹁風﹂と﹁雨﹂︑﹁雪﹂は明治三四年以降に聴覚表現が使用されなくなっている︒触覚で捉えることのできる気象は︑﹁風﹂と﹁雨﹂︑﹁雪﹂であるが︑﹁雨﹂と﹁風﹂︑﹁雪﹂の触覚表現は明治三四年以降にほとんど見られなくなっている︒このような感覚表現の特徴について︑以降具体的に見てゆく︒⑴
﹁風が吹く﹂﹁風が荒る﹂の﹁吹く﹂﹁荒る﹂は︑﹁風﹂の動きや状態を表しており視覚表現に分類されるものである ﹁風﹂
が︑﹁風﹂そのものは目に見えないものである︒そこで﹁風﹂に対する感覚表現について︑前述した感覚表現の基準に加え︑次のような認定基準を用いた︒﹁風﹂によって動くものと共に﹁吹く﹂などの語が詠まれている場合は視覚表現とする︒夕されは波うちこゆる荒磯の蘆のふし葉に︽秋風︾ぞ吹く︵五二七・三一年︶
つゝみある身のさかしらに遠く來てそゞろに寒き藤の︽下風︾︵拾遺三一九・三三年︶﹁夕されは﹂の﹁秋風﹂は﹁蘆のふし葉﹂に﹁吹く﹂とあり︑葉が風によって揺れていると判断でき︑風を視覚表現で表しているとする︒また﹁つゝみある﹂の歌では﹁吹く﹂などの語は使用されていないが︑﹁藤﹂という風に吹かれていると判断できる植物︵風によって動くもの︶が詠まれており︑﹁夕されは﹂の歌と同様に視覚表現とする︒但し﹁風﹂が植物などを吹いている︑もしくは吹いていたことが前提でもその表現がない場合︑視覚表現としない︒水上は嵐吹くらし大井川に紅葉おしわけて筏さすなり︵拾遺二三五・二八年︶
名殘なく野分は晴れて倒れ伏す萩に朝日の胡蝶飛ぶなり︵一二一三・三二年︶﹁水上は﹂の歌では﹁嵐﹂によって﹁紅葉﹂が吹き散らされていることが前提であるが︑直接そのような表現が用い
られていないので視覚表現としない︒﹁名殘なく﹂の歌では﹁野分﹂が﹁萩﹂を吹き倒したことが分かるが︑﹁野分﹂が﹁萩﹂を吹き倒している表現がないので視覚表現としない︒﹁吹く﹂などの語と共に﹁風﹂が吹いている時の状況の触覚表現がある場合や︑他の表現から触覚で﹁吹く﹂を捉えていると判断できるものを触覚表現とする︒
こきもせて帆をふく風に舟人の水掬ひつゝ夕涼かな︵拾遺四九・二一年︶君が着る羅紗の衣手をさをあらみな吹きすさみそから山颪︵二八二・二七年︶﹁こきもせて﹂の歌では﹁夕涼﹂とあり︑﹁吹く風﹂は触覚で捉えられていると判断できるので触覚表現とする︒﹁君が着る﹂の歌では筬が粗いことを理由に﹁な吹きすさみそ﹂としているので︑﹁吹く﹂を触覚で捉えていると判断し触覚表現とする︒﹁風﹂が吹くことで音が立てられる︑もしくは音が運ばれることを表している場合は聴覚表現とする︒秋風の吹けば砧の聲すなり薄にくるゝ原の一つ家
︽風︾にたに匂ひを殘せ梅の花ちりての後も人かとはなん ﹁風﹂の中に匂いが含まれること︑匂いが運ばれることを表している場合は嗅覚表現とする︒ るので︑聴覚表現とする︒ 右の二首は︑﹁秋風﹂によって﹁砧の聲﹂が聞えたり︑﹁風﹂が吹いたことで﹁風鈴の鳴る﹂という結果が生まれてい 風わたる賤か檐端の荵草螢なひきて風鈴の鳴る︵六八五・三一年︶ ︵二〇四・二四年︶
︵二三三・二五年︶
黑石の炭やく煙︽風︾をいたみわろき香放ち我家に入る︵一七八五・三三年︶﹁風にたに﹂の﹁風﹂には梅花の匂いが含まれることが望まれており嗅覚表現とする︒﹁黑石の﹂の﹁風﹂は煙の匂い
を家の中に運んでいるので嗅覚表現とする︒この基準により︑例えば左の短歌の﹁風﹂の感覚表現は次のようになる︒
むら雨窓をあくれは我庵の園生の竹に︽風︾わたる也︵二二・十八年︶﹁むら雨﹂の歌の﹁風﹂は︑﹁竹﹂︵風に動かされるもの︶と共に詠まれているので﹁わたる﹂は視覚表現となる︒竹
に風が吹いていることと窓を開けていることから︑﹁風﹂を聴覚と触覚で捉えていると判断できるが︑﹁風﹂の音や触感を表す語彙や表現がないので︑聴覚表現・触覚表現としない︒﹁風﹂に対する感覚表現を詠んだ作品数は次の通りである︒︵ ︶内に﹁風﹂を詠んだ全作品数を挙げる︒明治三十年以前⁝五二首︵六八首︶ 明治三一年⁝五三首︵七五首︶ 明治三二年⁝五首︵十二首︶明治三三年 ⁝三〇首︵三二首︶ 明治三四年⁝なし
明治三五年⁝一首
︵三首︶﹁風﹂に対する感覚表現について︑期間ごとの特徴を見てゆく︒明治三十年以前の作品での﹁風﹂に対する感覚表現は︑視覚表現︑聴覚表現︑嗅覚表現︑触覚表現︑複合感覚表現︵視覚+聴覚・視覚+触覚・聴覚+触覚︶である︒作品例を抄出し︑︵ ︶内に各感覚表現の見られる作品数を挙げ
る︒︵以降同様にする︶視覚表現︵三二首︶
むら萩の末こす︽風︾に散る露をしはし下葉にとゝめてしかな︵拾遺七三・二一年︶ちる花をまたふきあぐる︽春風︾はむかしの枝にかへすとすらん︵一五〇・二四年︶
みちのくの︽夕風︾あれていつる月にこかね花ちる沖つ白波︵二六二・二六年︶聴覚表現︵八首︶海神も恐るゝ君か船路には灘の︽波風︾しづかなるらん︵九五・十九年︶︽秋風︾の吹けば砧の聲すなり薄にくるゝ原の一つ家︵二〇四・二四年︶︽風︾あるゝ伊勢の浦わの濱荻の枯れて音なき冬は來にけり︵三一三・二八年︶嗅覚表現︵三首︶花かとは見れと吹く︽風︾かほりなし遠山の端にかゝる白雲︵一三二・二三年︶やまふきのさきそめしより賤の女のやつれ衣にかほる︽春風︾︵一四三・二四年︶︽風︾にたに匂ひを殘せ梅の花ちりての後も人かとはなん︵二三三・二五年︶触覚表現︵十八首︶
もくつたく蚊遣の煙見へされは夏とはしらし磯の︽松風︾︵十六・十八年︶さなきたに︽夕の風︾は涼しきを樅の梢に月も出けり︵拾遺五二・二一年︶燒太刀を拔きもち見れは水無月の︽風︾冷かに龍立昇る︵二八一・二七年︶複合感覚表現 視覚+聴覚︵五首︶︽風︾そよく隅田のあしのふしの間に夏の夜あけて鷄やなくらん︵拾遺六三・二一年︶松にふく夜半の︽嵐︾の音たえて梢にのこる有明の月︵二六三・二六年︶呉竹に︽風︾吹き入るゝ音す也はつかの月の今か出つらん︵三〇八・二八年︶複合感覚表現 視覚+触覚︵三首︶
見渡せばはるかの沖のもろ舟の帆にふく︽風︾ぞ涼しかりける︵一二〇・二〇年︶こきもせて帆をふく︽風︾に舟人の水掬ひつゝ夕涼かな︵拾遺四九・二一年︶昨日まてすゝしといひしあしの葉の︽風︾身にしみて秋やたつらむ︵拾遺六八・二一年︶複合感覚表現 聴覚+触覚
︵一首︶
いにしへの書よむ窻に︽松風︾の音聞くのみもすゝしかりけり︵一三七・二三年︶明治三十年以前の作品の﹁風﹂に対する感覚表現は︑視覚表現と触覚表現に偏っているといえる︒明治三一年の作品の︑﹁風﹂に対する感覚表現は視覚表現︑聴覚表現︑触覚表現︑複合感覚表現︵視覚+聴覚・視覚+触覚︶が見られる︒視覚表現︵四一首︶︽風︾吹けば蘆の花散る難波潟夕汐滿ちて鶴低く飛ぶ︵五二五・三一年︶麥の葉に︽風︾吹きわたる旅心菅笠の上に雲雀鳴くなり︵五八七・三一年︶白砂に松葉吹き散る水無月の︽風︾綠なり住吉の宮︵八七二・三一年︶聴覚表現︵九首︶夜をこめて︽比枝山颪︾音すなり瀨田の螢や吹き盡すらむ︵六八六・三一年︶聞きなれし︽松の嵐︾の音ならばこそあながま瓢あながまの世や︵八九六・三一年︶夜もすからさわぐ︽野分︾の音絶えて雨戸あくれは垣なかりけり︵九八五・三一年︶触覚表現︵十一首︶野の空の夕暮寒み︽風︾荒れて武藏の雲雀下總に落つ︵五八一・三一年︶
麥畑に巣立ちしあへぬ子雲雀の︽夕風︾寒く親や呼ぶらん︵五八五・三一年︶繪を挂けて夏を靜かに觀ずれば︽風︾冬の如く雪壁に滿つ︵九七六・三一年︶複合感覚表現 視覚+聴覚︵二首︶岡こえて利根川近み︽風︾そよぐ麥の葉末に白帆行くなり︵五九八・三一年︶︽風︾わたる賤か檐端の荵草螢なひきて風鈴の鳴る︵六八五・三一年︶複合感覚表現 視覚+触覚︵六首︶折〃は不二の︽根颪︾雪を吹きて春まだ寒し武藏野の原︵三八三・三一年︶夏衣まだぬぎあへぬ旅人の袖吹きかへす︽秋の初風︾︵七五九・三一年︶壁の畫を涼しき︽風︾の動かして林の雪の散るかとぞ思ふ︵九七五・三一年︶明治三一年の作品の﹁風﹂に対する感覚表現は︑視覚表現に偏っている︒触覚表現もやや多く使用されているが︑片寄り方は︑前期間の場合よりも小さくなっている︒明治三二年の作品では︑﹁風﹂に対する感覚表現は視覚表現︵五首︶のみが見られる︒群れ走る蘆毛月毛の駒の尾に︽春風︾吹きて御代しつかなり︵一〇八〇・三二年︶蝉の鳴く森の梢に︽風︾過ぎて松葉杉葉のはら〳〵と落つ︵一一八七・三二年︶
むら雨にぬれし佛の御手の上に紅葉ふき亂す︽山おろし︾の︽風︾
︵一二九五・三二年︶明治三二年の作品の﹁風﹂に対する感覚表現は︑視覚表現のみであり︑明治三一年までの流れから見ると︑視覚表現
に収束したといえる︒明治三三年の作品では︑﹁風﹂に対する感覚表現は視覚表現︑聴覚表現︑触覚表現︑複合感覚表現︵視覚+聴覚・
視覚+触覚・視覚+聴覚+触覚︶が見られる︒視覚表現︵二八首︶
アリナシノ︽風︾カ過ギケン椎ノ葉ノ若葉三葉四葉動キテヌ︵一八四〇・三三年︶︽嵐︾フク闇ノイサリ火亂レツヽ黑戸ノ沖ニ鯛釣ルランカ︵一八九一・三三年︶﹁晝寢の日面會の日と分ちけり﹂の紙吹き返す︽秋の初風︾︵拾遺三四四・三三年︶聴覚表現︵二首︶
ガラス戸ニ音スル夜ノ︽風︾荒レテ庭木ノ梢ユレサワグ見ユ︵一八四一・三三年︶川下る舟に乘る夜の︽風︾寒み荻の葉さやぎ月傾きぬ︵一七五三・三三年︶触覚表現︵八首︶武藏野の︽こからし︾しぬぎ旅行きし昔の笠を部屋に掛けたり︵一三五一・三三年︶瓶にさす梅はちれゝど庭にある梅の木咲かず︽風︾寒みかも︵一四五六・三三年︶ウガヒスト夜ノ衣ヲ脱ギモアヘズ端居ノ︽風︾ノ秋チカヅキヌ︵一八七四・三三年︶複合感覚表現 視覚+聴覚︵一首︶ガラス戸ニ音スル夜ノ︽風︾荒レテ庭木ノ梢ユレサワグ見ユ︵一八四一・三三年︶複合感覚表現 視覚+触覚︵四首︶まだ淺き春をこもりしガラス戸に寒き︽嵐︾の松を吹く見ゆ︵一五三二・三三年︶冬寒き︽風︾松か枝を吹くなへに木陰の菊は色あせにけり︵一九一五・三三年︶つゝみある身のさかしらに遠く來てそゞろに寒き藤の︽下風︾︵拾遺三一九・三三年︶
複合感覚表現 視覚+嗅覚︵一首︶黑石の炭やく煙︽風︾をいたみわろき香放ち我家に入る︵一七八五・三三年︶複合感覚表現 視覚+聴覚+触覚︵一首︶川下る舟に乘る夜の︽風︾寒み荻の葉さやぎ月傾きぬ︵一七五三・三三年︶明治三二年までの期間で視覚表現に収束したようであったが︑明治三三年では再び聴覚表現と触覚表現が用いられている︒しかし視覚表現に大きく偏っている︒明治三三年までの作品では﹁風﹂が多く詠まれており︑﹁風﹂に対する感覚表現は視覚表現が多く見られた︒明治三四年は﹁風﹂を詠んだ作品が見られない︒また︑明治三四年以降では﹁風﹂がほとんど詠まれなくなってい
る︒明治三五年の作品では︑﹁風﹂に対する感覚表現は触覚表現︵一首︶のみが見られる︒年のはの︽北風︾さむみくれなゐの梅のつぼみのちひさきろかも︵拾遺四五七・三五年︶明治三五年では触覚表現のみが見られ︑これまで多用されていた視覚表現がなくなっている︒﹁風﹂に対する感覚表現が触覚表現に収束したようであるが︑例数が一例であるので︑そのようには結論付け難い︒また明治三十年以前からの流れを見ると︑視覚表現に収束する傾向が強いといえるのではないか︒以下︑﹁風﹂の感覚表現の特徴を記述する︒明治三四年以降に︑視覚表現が詠まれなくなったことについて︑﹁庭前即景﹂の歌風が確立し︑実際に見ることの
できる植物が限られたものとなったために︑新しい趣向を作ることができなかったためでもあったのではないかと考えられる︒また風の影響を受けない枕辺の植物が詠まれるようになり︑﹁風﹂が植物と詠まれる機会が減ったことも
影響しているのではないか︒明治三四以降に聴覚表現が用いられないことについては︑後述の﹁雨﹂でも同様の結果であったことから︑明治三四年以降の子規が気象による音を歌材としなかった所に︑子規短歌の表現法の特色の一つがあるといえる︒子規短歌の﹁風﹂の触覚表現については︑次の変化を見ることが出来る︒明治三十年以前の作品では︑子規は﹁風﹂を涼しいものする例が多かった︒しかし︑明治三一年になると︑﹁風﹂を寒いものとする例の方が多くなり︑三三年では﹁風﹂を涼しいものではなく︑寒いものとして表現されるようにな
る︒明治三五年には﹁風﹂を触覚で捉えた表現が詠まれた作品が一首見られるが︑それも﹁風﹂の寒さが歌われている︒明治三四年︑三五年は作られた短歌の数が少ないと言うこともあるが︑明治三四年以降の子規にとって寒い対象
である﹁風﹂は︑歌に詠まれることが少なくなったと考えられる︒以下例示する︒あへきつヽ行きかふ人をよそにみてこゝは涼しき︽松の下風︾︵一八三・二四年︶行きくれし眞葛が原の︽風︾寒み鶉啼くなり人も通はず︵五二六・三一年︶瓶にさす梅はちれゝど庭にある梅の木咲かず︽風︾寒みかも︵一四五六・三三年︶年のはの︽北風︾さむみくれなゐの梅のつぼみのちひさきろかも︵拾遺四五七・三五年︶⑵
以下述べるように︑雨の感覚表現は次のように推移する︒ 明治三三年⁝三二首︵四二首︶ 明治三四年⁝十首︵十一首︶ 明治三五年⁝なし 明治三十年以前⁝二六首︵三八首︶ 明治三一年⁝三九首︵四五首︶ 明治三二年⁝十四首︵十六首︶ ﹁雨﹂に対する感覚表現を詠んだ作品数は次の通りである︒︵︶内に﹁雨﹂を詠んだ全作品数を挙げる︒ ﹁雨﹂
明治三十年以前の作品では︑﹁雨﹂に対する感覚表現は視覚表現︑聴覚表現︑触覚表現︑複合感覚表現︵視覚+聴覚・視覚+触覚︶が見られる︒視覚表現︵二六首︶︽時雨︾ふる冬としなれは木枯のふくとも見えす木の葉ちる也
︵六二・十八年︶︽五月雨︾に四方のなかめもなかりけり堤をゆする隈田の川波︵拾遺三八・二一年︶鶯のねくらやぬれんくれ竹の根岸の里に︽春雨︾そふる︵二二二・二五年︶聴覚表現︵一首︶夜をこめて窓うつ︽雨︾は心せよ夢にも花のうつろふと見ん︵二二一・二五年︶触覚表現︵五首︶あふ坂の關路をやがてこえ行けば叉袖ぬらす土山の︽あめ︾︵一六七・二四年︶
かざしたる花のうつり香したゝりてすげのをがさにそぼつ︽春雨︾︵拾遺二〇六・二四年︶いかめしく身ごしらへした雨合羽︽篠つく雨︾は屁とも思はず︵拾遺二一八・二四年︶複合感覚表現 視覚+聴覚︵一首︶夜をこめて窓うつ︽雨︾は心せよ夢にも花のうつろふと見ん︵二二一・二五年︶﹁窓うつ﹂に﹁雨﹂の動き︵視覚表現︶と︑﹁雨﹂の音が立つこと︵聴覚表現︶が表されているとした︒複合感覚表現 視覚+触覚︵五首︶
ゑかくともかゝるけしきはゑのしまの︽雨︾にぬれにし衣そいとをし
からかさに人目の關はへだつれとぬれても見たき︽春の雨︾かな︵拾遺一八七・二三年︶ ︵拾遺六五・二一年︶
あふ坂の關路をやがてこえ行けば叉袖ぬらす土山の︽あめ︾︵一六七・二四年︶﹁あふ坂の﹂の﹁土山のあめ﹂は︑﹁土山に降るあめ﹂であるとし︑視覚表現と判断した︒明治三十年以前の作品の﹁雨﹂に対する感覚表現は︑触覚表現が多く見られるも視覚表現に偏っているといえる︒明治三一年の作品では︑﹁雨﹂に対する感覚表現は視覚表現︑触覚表現が見られる︒視覚表現︵三四首︶日は落ちぬ︽雨︾はふりいでぬ飯たきて妻待つらんぞ馬うちて行け︵四〇六・三一年︶美しき鳥飛び去つて暮れぬ日の︽春雨︾細し靑柳の門︵五七〇・三一年︶西晴れて白帆むれ行海原の入日にそゝぐ︽夕立の雨︾︵七一三・三一年︶触覚表現︵五首︶︽雨︾乾く薄紅梅の夕日影又照り返すカナリヤの籠︵四三三・三一年︶一むらの葉廣柏に風過ぎて︽夕立︾寒し白川の關︵七一〇・三一年︶照りつゞく土用の空の︽雨︾かれて雲の峰わく雲の峰の上︵七三四・三一年︶明治三一年では︑明治三十年以前で見られた︑聴覚表現や複合感覚表現が見られなくなっている︒また視覚表現への偏りが大きくなっている︒明治三二年の作品では︑﹁雨﹂に対する感覚表現は視覚表現︑触覚表現︑複合感覚表現︵視覚+触覚︶が見られる︒視覚表現︵十一首︶門並に柳植ゑたる家つゞき︽春雨︾細く燕飛ぶなり︵一〇四五・三二年︶目をさまし見れば二日の︽雨︾晴れてしめりし庭に日の照るうれし︵一〇九一・三二年︶
夏の日の旅行く人の影たえて那須野の原に︽夕立︾のふる︵一一一九・三二年︶触覚表現︵四首︶︽雨︾になく庭の鶯そぼぬれて羽はたきあへす枝移りする︵一〇四一・三二年︶︽むら雨︾にぬれし佛の御手の上に紅葉ふき亂す山おろしの風︵一二九五・三二年︶夜を深み戀の遠道犬吠えて︽時雨︾からかさ袂ぬれけり︵一三一三・三二年︶複合感覚表現 視覚+触覚︵一首︶目をさまし見れば二日の︽雨︾晴れてしめりし庭に日の照るうれし︵一〇九一・三二年︶明治三二年の作品の﹁雨﹂に対する感覚表現は視覚表現に偏っているが︑明治三一年までの期間と比べると偏りは小
さくなっている︒明治三三年の作品では︑﹁雨﹂に対する感覚表現は視覚表現︑聴覚表現︑触覚表現︑複合感覚表現︵視覚+聴覚・視覚+触覚︶が見られる︒視覚表現︵三二首︶櫻さく下道行けは︽小雨︾ふる花の雫の傘の上に落つ︵一五一六・三三年︶草枕旅路さふしくふる︽雨︾に菫咲く野を行きし時の蓑︵一五三〇・三三年︶古里の御寺見めぐる永き日の菜の花曇︽雨︾となりけり︵一七三六・三三年︶聴覚表現︵一首︶歌をよみにつどひし人の歸る夜半を花を催す︽雨︾瀧の如し︵一五八二・三三年︶触覚表現︵四首︶
︽さみたれ︾にぬれてもうゝるさをとめの笠の雫のしげくしおもほゆ︵一三五五・三三年︶︽春雨︾のしのふか岡にぬれてさく櫻をいつる傘の上の花︵一五一〇・三三年︶︽雨︾もなき旱の庭の燒土にこがれて立てる撫子の花︵拾遺三四八・三三年︶複合感覚表現 視覚+聴覚︵一首︶歌をよみにつどひし人の歸る夜半を花を催す︽雨︾瀧の如し︵一五八二・三三年︶﹁歌をよみに﹂の歌の﹁雨﹂は﹁瀧﹂のように勢いよく降り︑﹁瀧﹂のように雨音がとどろいていると判断した︒複合感覚表現 視覚+触覚︵四首︶くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに︽春雨︾のふる︵一六九六・三三年︶︽さみたれ︾にぬれてもうゝるさをとめの笠の雫のしげくしおもほゆ︵一三五五・三三年︶︽春雨︾のしのふか岡にぬれてさく櫻をいつる傘の上の花︵一五一〇・三三年︶明治三三年の作品の﹁雨﹂に対する感覚表現は︑再び視覚表現に大きく偏よるようになっている︒明治三四年の作品では︑﹁雨﹂に対する感覚表現は視覚表現︑触覚表現︑複合感覚表現︵視覚+触覚︶が見られる︒視覚表現︵十首︶春の日の︽雨︾しき降ればガラス戸の曇りて見えぬ山吹の花︵拾遺三八〇・三四年︶︽春雨︾のけならべ降れば葉がくれに黄色乏しき山吹の花︵拾遺三八二・三四年︶︽雨︾そゝぐ庭のかたへに傘さして立てる牡丹は美人の如し︵拾遺四三七・三四年︶触覚表現︵一首︶賤か家の貧しき庭に濡れて立つ︽雨︾の牡丹よ傘まゐらせん︵拾遺四三八・三四年︶
複合感覚表現 視覚+触覚︵一首︶賤か家の貧しき庭に濡れて立つ︽雨︾の牡丹よ傘まゐらせん︵拾遺四三八・三四年︶右の﹁雨﹂は牡丹に降る雨であるので︑﹁雨の牡丹﹂を視覚表現とする︒明治三四年の作品の﹁雨﹂に対する視覚表現は︑明治三三年までの期間よりもより増加している︒明治三五年の作品は︑﹁雨﹂を詠んだ作品は見られない︒このように︑﹁雨﹂に対する感覚表現は︑期間を下るに従い視覚表現は偏ってゆく傾向が見られる︒しかし子規の世界が﹁病牀六尺﹂となっても︑硝子越しに庭に降る雨を視覚で捉えることができ︑且つ﹁風﹂とは異なり﹁雨﹂単独で視覚で捉えることのできる﹁雨﹂が︑明治三四年以降に詠まれることが少なくなったことには︑次に示すように子規が﹁雨﹂に対して良い印象を持っていなかったことも影響していると考えられる︒次に明治三五年の﹁病牀六尺﹂の記事の一部を二つ挙げる
暑き日は暑きに苦しみ雨の日は雨に苦しみいたづらに長き日を書も讀までぼんやりとあればはては心もだえ息せ 七十九 ︒ 13
まり手を動かし聲を放ち物ぐるはしきまでになりぬるもよしなしや︒八十六○此 4ごろはモルヒネを 44444444飮 4んでから 4444冩 4生をやるのが何よりの 4444444444樂 4みとな 444つ 4て 4居 4る 4︒けふは相變らずの雨天に頭がもや〳〵してたまらん︒
には見られない︒それは︑﹁風﹂の場合を含めると︑子規短歌の表現法の特徴であると考えられる︒ 同様に聴覚で雨を捉えることも可能である︒しかし︑聴覚によって﹁雨﹂が表現されている作品は︑明治三四年以降 ︵本文では右傍に○が打たれているが︑印字上・とした︶
⑶ ﹁ 雪﹂﹁雪﹂に対する感覚表現を詠んだ作品数は次の通りである︒︵ ︶内に﹁雪﹂を詠んだ全作品数を挙げる︒明治三十年以前⁝二五首︵二七首︶ 明治三一年⁝十八首︵十九首︶ 明治三二年⁝二首︵二首︶明治三三年 ⁝十五首︵十五首︶ 明治三四年⁝なし
明治三五年⁝一首︵二首︶明治三十年以前の作品では︑﹁雪﹂に対する感覚表現は視覚表現のみ︵二五首︶が見られる︒川すゝみ風ふくかたを打見れはふしのたかねに︽雪︾そのこれる︵拾遺四八・二一年︶
きゆる間のなくてや︽雪︾のつもるらん日よりも高き富士の高ねは︵一七四・二四年︶大海原ふりさけ見れはふしのねの︽雪︾よりあくる日の本の空︵二六七・二六年︶明治三十年以前の作品の﹁雪﹂に対する感覚表現は︑視覚表現のみである︒明治三一年の作品では︑﹁雪﹂に対する感覚表現は視覚表現︑触覚表現が見られる︒視覚表現︵十七首︶北うけて︽雪︾また殘る竹藪の藪陰寒し梅五六本︵五九六・三一年︶旅人の往來も絶えて又六が門の杉葉に︽吹雪︾散るなり︵七七七・三一年︶繪を挂けて夏を靜かに觀ずれば風冬の如く︽雪︾壁に滿つ︵九七六・三一年︶触覚表現︵一首︶遼東の︽雪︾踏む夢や覺めつらん月に嘶く聲のかなしさ︵八〇五・三一年︶明治三一年の作品の﹁雪﹂に対する感覚表現に触覚表現が一首見られるが︑視覚表現の使用に大きく偏っている︒明治三一年に触覚表現が用いられたのは︑子規自身の唱えた歌材の拡大の実践の影響の可能性もあるが︑例が一首であ
るのと︑三二年以降に全く使用されていないことから︑そのように判断することはできない︒明治三二年の作品では︑﹁雪﹂に対する感覚表現は視覚表現のみ︵二首︶が見られる︒春風に立ちいでゝ見れば上野や黑髮山に︽雪︾殘る見ゆ︵一〇三九・三二年︶國境わが越え來れは八重山の頂の峰に︽雪︾そ殘れる︵一〇四〇・三二年︶明治三二年の作品の﹁雪﹂に対する感覚表現は︑再び視覚表現のみとなっている︒明治三三年の作品では︑﹁雪﹂に対する感覚表現は視覚表現︑聴覚表現︑複合感覚表現︵視覚+聴覚︶が見られる︒視覚表現︵十四首︶鏡なすガラス張窓影透きて上野の森に︽雪︾つもる見ゆ︵一三七七・三三年︶︽雪︾見んと思ひし窓のガラス張ガラス曇りて︽雪︾見えずけり︵一四二二・三三年︶山川を埋めてふれる︽雪︾の中に咲ける牡丹の花只一つ︵一五三九・三三年︶聴覚表現︵一首︶朝日さす森の下道我が行けばほつ枝下枝の︽雪︾落つる音︵一四三二・三三年︶複合感覚表現 視覚+聴覚︵一首︶朝日さす森の下道我が行けばほつ枝下枝の︽雪︾落つる音︵一四三二・三三年︶﹁朝日さす﹂の歌の﹁落つる﹂が﹁雪﹂の動きを表し︑﹁音﹂が﹁雪﹂の立てる音を表しているとする︒明治三三年の作品の﹁雪﹂に対する感覚表現に︑聴覚表現が一首見られるが︑視覚表現に使用が偏っているといえ
る︒また︑﹁雪﹂に対する聴覚表現が︑明治三四年以降使用されなかったのは︑﹁風﹂や﹁雨﹂と同様に︑気象による音を詠まないことが明治三四年以降の子規短歌の特徴の一つだとも考えられる︒しかし︑明治三三年までに詠まれた
聴覚表現が一首であることから︑子規短歌の特徴がここに現れたとは判断しがたい︒明治三四年の作品に﹁雪﹂を詠んだ例は見られない︒明治三五年の作品では︑﹁雪﹂に対する感覚表現は視覚表現のみ︵一首︶が見られる︒わか庭にさく梅の花︽雪︾なから折りてかさゝん人もあらなくに︵拾遺四五三・三五年︶﹁雪なから﹂より雪が積もったままと判断でき︑﹁雪なから﹂を視覚表現とする︒﹁雪﹂を捉えることのできると考えられる感覚は︑視覚と聴覚︑触覚である︒しかし︑子規短歌に用いられた﹁雪﹂
に対する感覚表現のほぼすべてが視覚表現であり︑わずかに聴覚表現と触覚表現が一首ずつ見られた︒各期間通して視覚表現に偏っている結果であった︒明治三三年まではまとまった作品数が見られるが︑それ以降は作品数が大きく減少するという点では︑﹁風﹂と﹁雨﹂の場合と共通している︒﹁雪﹂と﹁風﹂︑﹁雨﹂で共通していることは︑これらの気象は寒さをもたらすというこ
とである︒﹁風﹂は前述したとおり︑期間が下ってゆくに従い﹁風﹂の﹁涼しさ﹂から﹁寒さ﹂を詠む傾向が強くなり︑﹁風﹂
の﹁寒さ﹂が詠まれるようになった明治三四年︑三五年の二年間では︑﹁風﹂を詠んだ作品数が少なくなっている︒また︑﹁雨﹂は﹁雪﹂や﹁風﹂と比べ作品数の減少の幅は小さいが︑明治三四年に詠まれた﹁雨﹂は︑時雨などで
はなく︑﹁柔らかく暖かい印象を与える
⑷ 気象による﹁寒さ﹂が歌材になりにくいという点は︑明治三四年︑三五年の子規短歌の特徴の一つと考えられる︒ ﹂春の雨である︒︵明治三五年には﹁雨﹂を詠んだ短歌がない︒︶ 14
﹁雲﹂に対する感覚表現を詠んだ作品数は次の通りである︒︵︶内に﹁雲﹂を詠んだ全作品数を挙げる︒ ﹁雲﹂
明治三十年以前⁝十八首︵二十首︶ 明治三一年⁝二二首︵二五首︶ 明治三二年⁝一首︵一首︶明治三三年 ⁝ 五首
︵八首︶ 明治三四年⁝なし
明治三五年⁝なし作品例のない明治三四︑三五年を除く︑全ての期間において﹁雲﹂に対する感覚表現は︑視覚表現のみである︒御佛のいとも尊とし紅の︽雲︾か櫻の花のうてなか︵二七四・二七年︶丈六の佛の御手のたなそこに︽雲︾立のほる五月雨の空︵二八九・二七年︶榛の木に烏芽を嚙む頃なれや︽雲︾山を出でゝ人畑をうつ︵四五三・三一年︶煩惱の心を掩ふ︽雲間︾より眞如の月はあらはれにけり︵七八六・三一年︶八百萬千萬神のいでたゝす︽雲︾の旅路はにぎはしきかも︵一二九一・三二年︶岡の上に天凌き立つ御佛の御肩にかゝる花の︽白雲︾︵一六四五・三三年︶︽白雲︾ノ深クコモレル二荒ノ山ヨリ落ツル七十二瀧︵一八三四・三三年︶我手形紙ニオシツケ見テアレド︽雲︾モ起ラズタヾ人ニシテ︵一八九六・三三年︶この作品例より︑実際の﹁雲﹂を詠む例の他に︑﹁御佛の﹂と﹁煩惱の﹂︑﹁百萬の﹂︑﹁我手形﹂の歌のように現実
の気象ではない実在しない﹁雲﹂を詠む例が見られる︒また﹁白雲ノ﹂の歌のように︑記憶上のものと考えられる﹁雲﹂が詠まれる例も見られる︒一方で次の二首のように︑病床からでも﹁雲﹂を見ることは可能であった︒仰むけに竹の簀の子に打臥して背ひや〳〵と︽雲︾の行くを見る︵八四八・三一年︶
ガラス戸ノ外ハ月アカシ森ノ上ニ︽白雲︾長クタナビケル見ユ︵一七九〇・三三年︶しかし明治三二年以降︑このような嘱目による﹁雲﹂も含め︑﹁雲﹂を詠んだ作品数が大きく減少していることにつ
いて︑次の理由が考えられる︒地表で認識できる﹁風﹂や﹁雨﹂や﹁雪﹂とは異なり︑﹁雲﹂は空にあるものであるため︑目線を上に上げないと見ることのできないもの︑室内で寝た状態では観察しづらいものであると考えられる︒よって病状が悪化し外出の機会が減った明治三二年以降に︑﹁雲﹂を見て作品に詠むことが難しかったのではないだろうか︒
また︑﹁雲﹂が明治三四年以降詠まれていないのは︑明治三四年に目を遮ぎるような位置にへちま棚が設置されたためではないだろうか︒仰向けの姿勢から認識できる視界が狭まったために︑﹁雲﹂を詠むことがなくなったのでは
ないかと考えられる︒
四︱
3
︑気象の感覚表現について気象の感覚表現について︑次のことが明らかになった︒視線が地表近くであっても認識することができる︑﹁風﹂と﹁雨﹂︑﹁雪﹂は明治三四年以降も視覚表現が使用されている︒しかし︑視線を上にする必要のある﹁雲﹂は︑病状が悪化した明治三二年から詠まれることが少なくなって
いる︒気象の感覚表現では︑概して視覚表現に偏っていた︒聴覚表現や触覚表現︑嗅覚表現の例を見ることができたが︑明治三四年以降は視覚表現に収束していく傾向であった︒聴覚で捉えることのできる気象は︑﹁雨﹂︑﹁風﹂︑﹁雪﹂であるが︑﹁雨﹂と﹁風﹂は明治三四年以降に聴覚表現が使用されなくなる︒聴覚表現が子規短歌で使用されなくなる傾向は︑次の喜田重行氏の指摘
二十三年の子規に︑﹁目の役を耳にゆづるや揚雲雀﹂という句がある︒⁝だがこの句︑否応なしにやがて訪れる と異なる結果であった︒ 15
目と耳の生理的物理的拘束状況を不思議なくらい暗示しているのだ︒目も耳も病床に固定され︑ときに耳が目の役割をしなければならぬという特異な状況の中で︑子規晩年の表現世界がひらかれていくことにあらためて思い
いたるのである︒たとえば︑﹁いくたびも雪の深さを尋ねけり﹂︵
立しているのを読みとることができる︒総身を耳にしてそば立てるような緊張と感動は︑その後しだいに深まっ 明な語法のうちに詠みあげたところに︑以後死ぬまで子規固有のものとなる枕頭の目と耳の︑表現上の位置が確 ころで雪のふりつもってゆく気配を全身で感じているのだが︑気配はまず耳に伝わってきた筈である︒それを平
29
年︶という有名な句︒枕べの目のとどかぬとていく︒それは床上の眼の﹁写生﹂に先駆しているかのようであった︒⁝目を床上わずか寸余の高さに拘束されている子規にあって︑耳はときに目以上の事実をとらえている︒
︵傍線は私に附した︶
このように︑病床の子規にとって聴覚は重要な役割をもっており︑実際気象以外の音声は明治三四年以降の短歌に詠まれている︒作品例を抄出する︒我病みていの寢らえぬに︽ほとゝぎす︾鳴きて過ぎぬか聲遠くとも︵拾遺四二二・三四年︶わか病める枕邊近く咲く梅に︽鶯︾なかばうれしけむかも︵拾遺四六〇・三五年︶
それにもかかわらず︑気象に対する聴覚表現が明治三四年以降にほとんど使用されなくなっている︒それは︑子規短歌の特徴の一つと考える︑気象の﹁寒さ﹂が歌材になりづらいことが影響しているのではないだろうか︒﹁風﹂と﹁雨﹂の音は︑明治三四年以降の子規にとって﹁涼しさ﹂よりも﹁寒さ﹂など荒涼感を感じさせることが多かったのではないだろうか︒明治三三年の﹁風﹂と﹁雨﹂の聴覚表現を次に挙げる︒川下る舟に乘る夜の︽風︾寒み荻の葉さやぎ月傾きぬ︵一七五三・三三年︶ガラス戸ニ音スル夜ノ︽風︾荒レテ庭木ノ梢ユレサワグ見ユ︵一八四一・三三年︶
歌をよみにつどひし人の歸る夜半を花を催す︽雨︾瀧の如し︵一五八二・三三年︶触覚表現も明治三四年以降での使用は﹁風﹂と﹁雨﹂に一首ずつ見られるのみであった︒聴覚表現と同様に︑子規に
とって﹁風﹂と﹁雪﹂が﹁寒さ﹂の対象となり︑歌材になりづらかったという特徴が見られる結果となっている︒喜田重行氏の指摘するように︑子規にとって﹁写生﹂の際に聴覚が重要な役割をもっていたが︑短歌に気象を詠み込む際には聴覚表現は多用されていなかった︒
五 ︑ ま と め
気象語彙の異なり語数の面で︑子規の対象物の短歌への写生の際の﹁取捨選択﹂の﹁取﹂﹁捨﹂の二面が見られた︒﹁取﹂の面で︑明治三一年の歌材の拡大の実践からか︑気象の異なり語数が増加し︑特に気象を表す端的な語彙に時間や空間︑状態などの意味を付随させた語彙の種類が多くなっていた︒しかし三二年以降は異なり語数が大きく減少していくので︑一時的なものであった︒﹁捨﹂の面では︑明治三一年に増やした︑気象を表す端的な語彙に時間や空間︑状態などの意味を付随させた語彙
の使用が少なくなってゆき︑明治三四年以降では一︑二種類までに減少していた︒気象語彙に対する感覚表現には︑視覚表現や聴覚表現︑触覚表現が見られた︒視覚表現が明治三四年以降も使われ
ている点で︑使用される感覚表現は視覚表現に偏っているといえる︒ただし︑﹁雲﹂は視線を上げなければ見ることができないものであり︑病状の悪化した明治三二年から詠まれることが減少し︑へちま棚が設置され空への視界が狭
まった明治三四年以降は詠まれることが無くなった︒また︑植物の動きで視覚できる﹁風﹂も︑明治三四年に視覚表現が見られなくなっている︒それは︑﹁風﹂と共に
詠む植物の種類が庭の植物に限定されるようになった影響ではないだろうか︒また︑枕元の鉢植えの植物が詠まれるようになり︑その植物を詠む際に﹁風﹂と組み合わせる機会が減ったことも影響していると考えられる︒気象の聴覚表現と触覚表現と嗅覚表現が明治三四年以降の作品では見られなくなるのは︑作者と読み手の共通して認識している気象であるならば︑前出した子規の﹁元来人の五官の中にて視官と嗅官とを比較すれば視官の刺撃せら
るること多きは論をまたず﹂の主張の様に︑視覚表現で聴覚︑触覚︑嗅覚表現が補い得るためと︑子規の写生の方法の一つが視覚表現を用いることであったためであると考える︒気象語彙を視覚表現とともに使用する傾向が確立しつつあった中で︑突如気象語彙を短歌に詠まなくなったのには︑気象の多くが温度感覚を想起させるものであったためではないかと考える︒特に﹁涼しさ﹂が﹁寒さ﹂と結びつ
き︑明治三四年以降の作品で歌材となりづらい例は﹁風﹂と﹁雨﹂︑﹁雪﹂でも見られるものであった︒最後に︑子規短歌の﹁温度﹂感覚について︑暑さや暖かさ︑寒さや涼しさを表す語を詠んだ作品を見てゆく︒次の四語を暑さや暖かさを表す語とした︒﹁あつさ︵暑・熱︶﹂﹁あつし︵暑・熱︶﹂﹁暖し﹂﹁暖む﹂次の十六語を︑寒さや涼しさを表す語とした︒﹁寒さ﹂﹁寒し﹂﹁寒み﹂﹁春寒み﹂﹁冷ゆ﹂﹁冷冷と﹂﹁冷かなり﹂﹁涼さ﹂﹁涼み﹂﹁川涼み﹂﹁夕涼み﹂﹁涼し﹂﹁涼しみ﹂﹁涼む﹂﹁涼み居る﹂﹁涼み居り﹂暑さや暖かさを表す語を使用した作品は明治三三年まで見られるが︑三四年以降は全く詠まれていない︒また︑暑
さについては︑次の歌のように暑さを凌ぐ為のものと一緒に詠まれ︑暑さの中の涼しさを表現する例が多い︒水無月の︽あつさ︾もしらぬ山里は螢や夏をほのめかすらん︵六四・十八年︶
子規は九月一日の﹁病牀六尺
いよいよ暑い天気になつて来たので︑この頃は新聞も読む事出来ず︑話もする事出来ず︑頭の中がマルデ空虚に ﹂にあるように︑暑さに弱かったようである︒ 16
なつたやうな心持で︑眼をあけて居る事さへ出来難くなつた︒寒さや涼しさを表現した語を使用した作品は︑明治三五年まで見られる︒しかし涼しさについては明治三四年以降詠
まれず︑寒さについても︑明治三四年以降では主題となっていない︒折〃は不二の根颪雪を吹きて春まだ︽寒し︾武藏野の原︵三八三・三一年︶
あら玉の年のはしめは︽寒けれ︾と梅をし見れはたぬしかりけり︵拾遺四五四・三五年︶右の﹁折〃は﹂の歌では春の寒さが主題となっているが︑﹁あら玉の﹂の歌では新年に咲いた梅が主題となっている︒短歌に涼しさを表す語を詠み込んでいないが︑明治三五年まで﹁涼しさ﹂を求めたことは︑次の随筆からも窺える
○此頃の暑さにも堪へ兼て風を起す機械を欲しと言へば︑碧梧桐の自ら作りて我が寐床の上に吊り呉れたる︑假 ︒ 17
に之を名づけて風板といふ︒夏の季にもやなるべき︒風板引け鉢植の花散る程に
また︑長谷川孝士氏も次のように指摘
子規の随筆﹁ゐざり車﹂︵明治三十二年︶に︑根岸の家から人力車で虚子宅を訪ねて︑西洋料理とアイスクリー している︒ 18
ムを御馳走になったことが書かれている︵八月二十三日︶︒⁝酷暑のなかでのアイスクリームは︑まさに﹁蘇る﹂思いであったに違いない︒﹁生きてをらんならんといふもあつい事﹂の俳句は作年次不明であるが︑晩年のもの
であろう︒明治三十五年の夏と考えてみたい︒⁝手作りの扇風器を碧梧桐が病室に吊るしてくれた︒子規はそれを風板と名づけて﹁夏の季語﹂になるだろうと言った︒子規遠逝二カ月ほど前であった︒⁝きびしい暑さのなか
で﹁生きてをらんならん﹂と堪える子規︱扇風機を買うことのできない子規に︑碧梧桐が風板を贈った︒それで涼をとりつつ夏を過ごし︑二カ月ばかり後の九月十九日︵旧暦八月十七日︶に世を去った子規である︒﹁風板﹂のように触感による涼しさの他に︑子規は︑次のような視覚による涼しさも求めている
去年の夏︑毎日々々暑さに苦しめられて終日病床にもがいた末︑日脚が斜めに樹の影を押して︑微風が夕顔の白 ︒ 19
き花を吹き揺かすのを見ると︑何ともいはれぬ善い心持になつて始めて人間に生き返るのであった︒その昼中の苦とその夕方の愉快さとが忘られんので今年も去年より一倍の苦を感ずるのは知れきつて居るから︑せめて夕顔
の白き花でも見ねばとてもたまるまいと思ふて夕顔の苗を買ふて病室の前に植ゑつけたが一本も残らず枯れてしまふた︒⁝もう今頃は白い花が風に動いているだらうと思ふと︑見ぬ家の夕顔さへ面影に立つて羨ましくて羨ま
しくてたまらぬ︒このように子規は寒暖や温冷に意識を向けている︒しかし寒暖や温冷を短歌に詠み込むことがなくなってゆく︒これ
は子規が歌材を写生する際﹁削除﹂する対象の一つに︑寒暖や温冷があったと考えられる︒寒暖や温冷が﹁削除﹂されるようになったのは︑子規の病状が悪化していったことと関係していると考える︒子規
が自力で避暑や防寒をすることができなくなってゆき︑寒暖や温冷の良い面を感じることが少なくなっていったのではないだろうか︒
以上︑子規の短歌の気象について見てきた︒子規が気象を短歌に詠む際︑次のものが﹁削除﹂される傾向がある︒一つに﹁春雨﹂や﹁伊吹颪﹂など気象を端的に表した語彙に様々な意味を付随させた気象語彙︑二つに﹁風の音﹂﹁そゞろに寒き藤の下風︵拾遺三一九の歌の一部︶﹂など気象語彙に対する視覚表現以外の感覚表現︑三つに﹁雲﹂といった天上を見上げる必要のある気象語彙︑四つに﹁風﹂﹁雨﹂﹁雪﹂といった温度感覚を想起させる気象語彙である︒