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雑誌名 明治学院大学社会学・社会福祉学研究 = The Meiji

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(1)

浴風園入園者(1925‑1931)の家族関係と入園前支 援源の特徴─『浴風会事業報告書』と「個人記録」

をもとに─

著者 横山 博子

雑誌名 明治学院大学社会学・社会福祉学研究 = The Meiji

Gakuin sociology and social welfare review

巻 154

ページ 113‑129

発行年 2020‑02‑28

その他のタイトル Characteristics of Family Relationship and Pre‑admittance Support Resources of Yokufuen Residents(1925‑1931): Based on Yokufukai Activity Reports and Resident Files

URL http://hdl.handle.net/10723/00003838

(2)

1 目的

 浴風園は大正12年の関東大震災で自活することができなくなった高齢者の援 護を行うため,御下賜金及び一般義損金を設立資金として,大正14(1925)年1 月15日内務大臣の許可を受けて財団法人として設立された施設である

(1)

。岡本 らは浴風園の社会的・歴史的意義に早くから着目し,2005年に高齢者施設処遇 史研究会を立ち上げ,同会の資料の発掘・保存と分析を進めてきた。その代表 的成果として2015年の『浴風園ケース記録集』

(2)

がある。同書では110人の生の

「個人記録」と,研究会メンバーが整理した入居するまでの要救護高齢者の生 活特質や入所者への支援内容が記載されている。本稿はこの研究の流れに位置 づくものである。

 そもそも浴風園の開園当初の入所基準は,「関東大震災罹災者で60歳以上の 老衰者並びに不虞癈疾者で自活することができず,かつ扶養者がいないこと」

である。いうまでもなく,扶養してくれる家族がいないために入園にいたった のであるが,入園者は全く家族とは無縁で生きてきたとは考えにくい。それぞ れに生まれ落ちた時に家族があり,自分で家族を作ってきたと思われる。

 当時の社会では家族が高齢者の扶養をすることになっていたが,そのような 社会において扶養者がいないというのはその家族関係にどのような特徴がある のか。加えて,家族に頼れなくなった時に当該高齢者は浴風園に入園するまで

【研究ノート】

浴風園入園者(1925-1931)の家族関係と 入園前支援源の特徴

──『浴風会事業報告書』と「個人記録」をもとに──

横 山 博 子

(3)

どこから支援を受けていたのであろうか。

 本稿では,浴風園入園者の家族関係の特徴と入園前支援源の特徴を整理した。

その際に,現在では科学的根拠について検討が必要な内容や,不適切な言葉が 用いられているものもあるが,当時の状況を知るためあえてそのまま引用した。

2 資料

 入園者の全体的な傾向を把握するために浴風会が毎年出している「入園者概 況昭和2年3月31日現在」「入園者概況第二輯」「入園者概況第三輯」「老齢保 護第四輯」(これらは『老人問題研究基本文献集第13巻』

(3)

所収)と「浴風会事業 報告昭和4年度」「浴風会事業報告昭和5年度」「浴風会事業報告昭和6年度」

(『老人問題研究基本文献集第16巻』

(4)

所収)を,また,個々人の人生航路を辿る 視点から「個人記録」

(2)

を分析資料とした。また,整理対象期間は,大正14年 の開設から救護法の実施前までの昭和6年とした。なお,以下の引用では所収 文献の記載は省略する。

3 方法

 まず,前述した「浴風会概況」等の年次報告における家族関係及び入園直前 の支援源に関する概要を整理する。次に,『浴風園ケース記録集』の中から大 正14年から昭和6年の入園者を抽出し,家族歴と震災後の支援先を列挙する。

4 結果

(1) 年次報告における家族と入園前の支援源の特徴  1) 調査項目の全体像

(4)

 昭和2年から6年までの年次報告資料の中の家族関係関連項目等を列挙した ものが表1である。昭和2年3月末現在での概況では入園者の結婚回数と結婚 種別(入籍結婚か内縁か,媒酌人の有無)が統計的に示されたのみであるが,第 2輯では父母の飲酒量や父母の結婚形態が,翌年の昭和3年の第4輯では幼少 期の扶養者,兄弟,子どもの数の項目が追加された。ところが,昭和4年度で は,入所者の入所直前の世帯構成が調べられただけであった。それに反して昭 和5年度では,付録として「家族事件の統計的観察」が26頁も割かれている。「家 族事件」とあるが,「本調査は将来一般的な貧困調査を完成するため準備的の試 みとして在園者の家族歴の大体をたどり説明的記述をなしたるに過ぎない。」

(5)

表1 「入園者概況」「老齢保護」「浴風会事業報告」における家族関係・入所前生活調査項目一覧

家族に関する項目 入所直前

入園者婚姻関係 父母 その他 の生活 入園者概況(3)

昭和2年3月31日現在

(結婚回数)縁事関係

(結婚種別)

入園者概況 第2輯(3)

昭和2年6月末日現在

(結婚回数,延べ回数)縁事関係

(結婚種別)

出生当時の父母の縁 事関係(入籍・内縁)

父母の飲酒量

収容直前生 活状況

入園者概況 第3輯(3)

昭和3年5月10日発行

在園者縁事関係

(結婚回数,延べ回数)

(結婚種別)

出生当時の父母の縁 事関係(入籍・内縁)

父母の飲酒量

老齢保護 第4輯(3)

昭和3年10月1日現在

入園者の縁事関係

(結婚回数)

(同棲期間)

(結婚年齢)

(結婚種別)

両親の縁事関係

(入籍・内縁)

(出生当時両親の年 齢)

幼少年期の扶養者 兄弟の数および出生順位

入園者の子どもとその数

浴風會事業報告(4)

昭和4年度 家族及び親族関係 入園直前の

居住地及び 生活状況

浴風會事業報告(4)

昭和5年度

付録 家族事件の統計的観察

(父の職業,出生順位,出生時父母の年齢,兄弟姉妹の数,両親に 死別の年齢,両親の許を離れた年齢,養育者を離れて最初の就業,

初婚時の年齢,初婚の相手と別れた年齢,子女の数,凡ての子女 に死別し又は遺棄された年齢)

入園直前の 居住地及び 生活状況

浴風會事業報告(4)

昭和6年度 家族関係

(入園者の世帯構成)

入園直前の 居住地及び 生活状況

(5)

とし,特に家族の事件を扱っているわけではない。昭和6年度では昭和4年度 と同様に入園前の世帯構成を統計的に示しつつも,個々の事例に重点を置いて 入所までの簡単な経緯が記述されている。以下では簡単に家族関係の特徴をま とめる。

 2) 入園者の縁事関係

 入園者の中で,一度も結婚したことのない人の割合は,昭和2年6月末では 7.2%(男性8.6%,女性5.5%)

(6)

,昭和3年5月では8.8%(男性11.9%,女性4.6%)

(7)

昭和3年10月では7.7%(男性10.6%,女性4.6%)8)である。結婚回数は,「1回」

が最も多く次いで「2回」であり,両者を合わせて約78%である(昭和2年6月,

昭和3年5月)。この点に関連して,「中には8回,10回,13回も結婚した人が あるが,これらは一種の遊戯であり,刹那的享楽に過ぎないものと考えざるを 得ない。しかしこのような人は全体からいえばごく少数である。」

(9)

と執筆者の 意見が記載されている。

 次に,結婚種別を表2に示した。いずれも内縁結婚者の比率は76.5%(昭和2 年)

(8)

,68.9%(昭和3年)

(9)

であり高い値である。この点について昭和2年には

「内縁関係が男女とも多数であることは,貧民が結婚問題を軽視し,しかも我 国古来の慣習である有媒酌人結婚を無視してすべてを簡略にする傾向があるが ためである。」

(10)

と書かれている。また昭和3年では「収容せる老人の縁事関 係の調査にあたって,結婚に関する観念が甚だ薄弱というよりもむしろ無関心 であることである。」

(11)

として,「内縁関係が入籍結婚者の数よりも多く,媒酌 人を有せざる結婚が内縁関係において多数に認められることは下層階級におい て…(略)…経済的余裕なくまた性に関する道徳的観念の薄弱なるため野合的結 合によりて夫婦となるものは珍しくない結果であろう。」

(12)

と分析している。

 昭和5年度には初婚時の年齢を調査している。それによると,「男子につい ては17歳が最も早く48歳が最も遅い結婚年齢となっており,女子にあっては14

(6)

歳が最も早く43歳が最も遅いとなっている。初婚年齢が男子にあっては25~29 歳を中心とし,女子にあってはそれより5年低下の20~24歳を中心とし,その 間のものが多数を占めていることは正常なものとみられる。」

(13)

とし,特に初 婚年齢には特徴はないとする。

 また,最初の配偶者との関係は表3である。年齢別と組み合わせると「男性 では離別が多く,女性では死別が多い。男性の離別が最も多いのが25~29歳,

次いで30~34歳である」。35歳前に離別したものが結婚したものの中の約7割を 占めている。「一方,死別は離別のように(その発生年齢に)特別の特徴はない。」

そして,「女性では離別の数が少ないので,男性のように年齢的特徴はみてと れない。」

(14)

と記載している。

表2 入園者の結婚種別

昭和2年6月 入籍結婚者 内縁結婚者

有媒酌人 無媒酌人 合計

31(24.8) 49(39.2) 45(36.0) 125(100)

19(21.6) 40(45.5) 29(33.0) 88(100)

50(23.5) 89(41.8) 74(34.7) 213(100)

昭和3年6月 有媒酌人 無媒酌人 有媒酌人 無媒酌人 合計

57(24.4) 11(4.5) 85(35.7) 84(35.3) 237(100)

54(32.3) 4(2.4) 55(32.9) 54(32.3) 167(100)

111(27.5) 15(3.7) 140(34.7) 138(34.2) 404(100)

出典:浴風会「入園者概況 第2輯 昭和2年6月末現在」p.17 出典:浴風会「入園者概況 第3輯 昭和3年5月」p.17

表3 最初の配偶者との関係(昭和5年)

離別 死別 現在に至る 不明 合計

80 63 5 2 150

38 103 3 5 149

出典:浴風会「浴風会事業報告 昭和5年度」p.76

(7)

 3) 父母について

 父母の飲酒量は「アルコール中毒者の子孫は精神肉体とも抵抗力薄弱なる体 質を有するため肺結核,徴毒等に感染しやすく,また記憶力,注意力などの神 経系統の上に障害を受けやすき状態にある。」

(15)

として,父母の飲酒量が調査 された。

 その結果,昭和2年

(16)

では大酒豪を父とするものは12.8%であったが,昭和 3年

(17)

では大酒豪を父とするもの29.62%,3~4合くらい晩酌するものを父 として生まれた者22.69%であり,収容者の半数以上の父は飲酒家であった。

 このことから,「これを一般社会の人たちの中の飲酒家の数に比して多くの 飲酒家を父とせる収容者の悪遺伝に染まって成育されしを思うとき,その遺伝 がメンデルの法則によって父の子供に及ぼす影響は子女の4分の1の遺伝なる にもせよ,老人たちの恵まれざる身体並びに精神に同情すべきものがある。」

(18)

としている。

 また,出生時の両親の縁事関係については,「60歳以上の老人の両親の縁事関 係であるから正確に知ることはできないが,老人たちの話模様なり,戸籍謄本 等で,知りうる範囲で老人の父母がその当時の習慣に従って正式に結婚したと 考えられるものを『正式結婚』として扱い,これに反して,隣人里親等より両 親の不行跡,あるいは一時的遊戯的の結婚であると漏れ聞いた『内縁関係』と した」

(19)

。その結果,正式結婚は57.6%,内縁関係は24.6%,不明が16.9%であった。

 父母に関するこれらの調査結果については,報告書は「不明」の比率が高い ことに着目している。

 縁事関係の「不明」については「老人たちが幼事から両親の膝下にはぐくま れず,里子に出され,あるいは遠縁の親戚に育てられ,特には全然他人にもら われなどして,父母の縁事関係を知る機会のなかったためである。」

(19)

と記し,

酒量の「不明」に対して「かかる奇しき運命に翻弄されて転々して,父母を知 らざるものが女子に多数あるは,幼事女児が子守または中等家庭使用人として

(8)

男児に比して重要視される結果であろう。」

(20)

と記し,その運命的な恵まれな さを同情をもって指摘する。

 4) 幼少期の扶養者

 昭和3年10月には幼少期の扶養者を調べ,男女別に詳細な表にまとめてい

(21)

。抜粋し一部改変したものが表4である。90%以上の者は1歳までは実父 実母に育てられるが,その後,年齢が上がるに従い低下し,父か母のどちらか を失い,再婚した親や養父母,親戚が増加している。報告書では,「20歳まで 実父実母に育まれた人は,男30%,女15%に過ぎない」

(22)

 5) 兄弟姉妹の数

 昭和3年10月では,「3,4人が最高であることは我国一般の平均と同じく,

12人兄弟,13人兄弟など判然としているのは,老人の記憶がこれだけは確実で

表4 幼少時の扶養者

1歳まで 5歳まで 10歳まで 15歳まで

実父実母 500(91.1) 458(83.4) 367(66.8) 239(43.5)

実父のみ 8(1.6) 17(3.1) 31((5.6) 24(4.4)

実母のみ 15(2.7) 20(3.6) 43(7.8) 48(8.7)

実父継母 5(0.9) 15(2.7) 18(3.3) 17(3.1)

継父実母 2(0.4) 3(0.5) 11(2.0) 10(1.8)

養父母 5(0.9) 15(2.7) 22(4.0) 27(4.9)

祖父または祖母 2(0.4) 3(0.5) 4(0.7) 4(0.7)

兄姉 0(0.0) 0(0.0) 6(1.1) 4(0.7)

親戚 2(0.4) 5(0.9) 21(3.8) 30(5.5)

里親 5(0.9) 6(1.1) 8(1.5) 2(0.4)

その他 0(0.0) 0(0.0) 13(2.4) 139(25.3)

不明 5(2.7) 5(0.9) 5(2.7) 5(0.9)

合計 549(100.0) 549(100.0) 549(100.0) 549(100.0)

出典:浴風会「老齢保護第4輯」pp.113-115 一部改変

(9)

あることを物語っている。」

(23)

となっており,また昭和5年でも「兄弟姉妹は 3人,4人を有するものが多数にてこれは一般の状態に一致する」

(24)

と書かれ ている。

 6) 入園者の子ども

 昭和3年10月では子どもの数を調べている

(25)

。表5は,横浜分園を含めた 数である。全体の約半分にあたる48.5%に子どもはいない。横浜分園を除いた データについて,報告書では,「昭和3年10月1日現在375名の老人について子 どもを持ったことの有無を聞いたところ,男207名女168名のうち,男113名,

女103名は一生の間に子どもを持ったことのないさみしい人たちであった。実 子をもつた人といえども,子どもの死亡,あるいは行方不明のため,あっても なきがごとく,わずかに男子の中に9名,女子の中に7名の老人が子どもの居 場所をわかっているばかりである。この実子とも種々の事情で現在は父母をす ら養うことの能力のない人たちである。」そして,「入園せる老人たちは扶養者 なき人々に従っていかに子どもについて恵まれていない人々であるか実に驚か ざるを得ない。」

(26)

と入園者はいかに子どもに恵まれなかったかを強調している。

 7) 入園直前に家族親族のいる者

 家族及び親族とは扶養義務者とその他の同居している親族を含めている。昭 表5 入園者の子ども

実子 養子

なし 合計

生存 死亡 行方不明 生存 死亡 離縁 行方不明

14 70 28 0 7 1 2 116 238

10 62 8 1 9 3 8 94 195

24 132 36 1 16 4 10 210 433

注:表は横浜分園を含む 出典:浴風会「入園者概況第3輯 昭和3年10月1日現在」p.132

(10)

和4年

(27)

と6年

(28)

に調査が行われており,親族がいた者の比率は表6のとお りである。

 昭和4年では,同居の続柄は,男性では最も多いのは内縁の妻(9人),妻(4 人)であり,女性では内縁の夫(6人),子ども(男)(4人),孫(女)(4人)であり,

女性には続柄に多様性がみられる。報告書は「救助を要する極貧者の社会層に あって,殊に院内救助の対象となるものは夫婦,子女等の正常な家族を持つ場 合は少なく,家族があっても多くは病者,不具廃疾者,養女の孫等である。」

(29)

と書いている。

 昭和6年では,「元来,本入園者は扶養能力ある家族のないことが条件であ るから,入園直前家族のあったものの少数であることは当然である。」と前置 きし,「家族ごとに事情が異なり統計的に整理することは至難である」が,「配 偶者(内縁関係を含む)との2人のみからなるものが第1位を占め,男子は14人,

女子は10人であるが,この24人中同時入園したものは16人であり,残りの8人 は夫または妻の入園によって最後に残っていたただひとりの家族と別れて単身 となり,女子は手仕事婦・駄菓子行商等をし,男子は自由労働等によってかろ うじて自活の道を辿りつつある」

(30)

 「次に多かったのは男子にしてその息子と家族を構成している者であるが,

息子に扶養能力がない。また,生計能力別にも入園人員をみているが,それに よれば,本人自身世帯主として家庭を維持していたものが,男女あわせて43人 中19人であった。」

(31)

と単に,世帯構成員を聞くのみならず,家族員の状態も

表6 入園直前に家族親族のいる者

昭和4年 22人(27.2%) 26人(32.2%)

昭和6年 29人(46.0%) 14人(25.9%)

出典 :浴風会「浴風会事業報告昭和4年度」pp.89-90.

出典:浴風会「浴風会事業報告昭和6年度」p.59

(11)

含めた調査結果を示している。

 8) その他の家族の特徴

 昭和5年の付録 「家族事件の統計的観察」で家族に関する幅広い観点から の調査が行われているがこのまとめを引用すると以下のとおりである

(32)

 ①中小農工商家の子弟多いこと,②俸給生活者又は賃金労働者の子弟の稀な こと,③第1子第2子の数が著しく多数を占めること,④父母の生活の安定期 または向上期に出生したる子女の寧ろ多数なること,⑤兄弟姉妹は3人,4人 を有するものが多数にてこれは一般の状態に一致すること,⑥父母はその一方 を生育期たる幼年時代に失えるものの数が一般に比して過多なること,⑦10歳 までに父母の膝下を離れたるものの数が相当にあるとともに11歳より20歳の間 に父母の許を離れたる者の数が最も多いこと,⑧最初の職業は父母のそれとは かなりの変化あり,父の業を受け継ぎたるものの少なきこと,⑨俸給生活者,

賃金労働者党の増加を見得ること,⑩結婚年齢については一般の状態に略一致 すること,⑪離婚の歴史を持つものが相当に多きこと,就中子女よりも男子に おいてしかり,⑫子女を持たざる者の数が甚だ多くかつ子女ありたるものとい えども多くは早くよりこれを喪ひ又は離散の憂き目にあっていること。

 9) 入園直前の生活状況

 入所直前の生活状況は,昭和2年,昭和4年~6年に調べられている。昭和 2年のみ質問の仕方が異なっている。昭和2年

(33)

では「社会施設に収容」が 男女ともに比率が高い(表7)。また,男性では「借家で一人暮らし」が女性で は「知人と同居」が多く,性別による違いが顕著である(表8)。

 昭和4~6年

(34) (35) (36)

をみると,男性と女性によって直前の生活状況に違い があるのは同様であるが,その内容に変化がみられる。男性は「知人」に次い で「自活」が多く,「親戚」や「近隣」は少ない。一方,女性はどの年も「知人」

(12)

が多いが,昭和4年では「親戚」が,昭和5年と6年は「近隣」の比率が高く なっていた。

(2) 個別ケースにみる家族と支援源の特徴

 表9は大正14年から昭和6年に入園した「個別記録」

(2)

を整理したものであ 表7 入所直前の生活状況(昭和2年)

同居人との関係 借家部屋借のもの:

自己の家族人員数 社会施設

に収容

一定の住所なかり しもの 合計 奉公先 知人 親戚 1名 2名 3名 4名以上

男子 2

(2.9) 12

(17.1) 6

(8.6) 17

(24.3) 7

(10.0) 2

(2.9) 0

(0.0) 21

(30.0) 3

(4.3) 70

(100.0)

女子 2

(3.6) 20

(36.4) 4

(7.3) 3

(5.5) 6

(10.9) 1

(1.8) 0

(0.0) 19

(34.5) 0

(0.0) 55

(100.0)

出典:浴風会「入園者概況第2輯 昭和2年6月末日現在」pp.12-14 表8 入所直前の生活状況(昭和4年,5年,6年)

昭和4年 昭和5年 昭和6年

自活しおりしもの ※ 19

(23.5) 8

(10.5) 9

(15.3) 8

(13.8) 22

(34.9) 4

(7.4)

自己の住居にて近隣の救助をうける 6

(7.4) 7

(9.2) 6

(10.2) 12

(20.7) 9

(14.3) 9

(16.7)

宿屋に止宿中宿料支払いが不能となったもの 7

(8.6) 2

(2.6) 7

(11.9) 1

(1.7) 12

(19.0) 5

(9.3)

親族の家に厄介になりおりしもの 9

(11.1) 18

(23.7) 7

(11.9) 9

(15.5) 7

(11.1) 4

(7.4)

知人の家に厄介になりおりしもの 30

(37.0) 34

(44.7) 24

(40.7) 22

(37.9) 13

(20.6) 30

(55.6)

社会施設に救助されおりしもの 10

(12.3) 7

(9.2) 6

(10.2) 6

(10.3) 0

(0.0) 2

(3.7)

合計 81

(100.0) 76

(100.0) 59

(100.0) 58

(100.0) 63

(100.0) 54

(100.0)

※注:昭和4年は「自己の住居にて売り食い」

出典:浴風会「浴風会事業報告昭和4年度」p.100 出典:浴風会「浴風会事業報告昭和5年度」p.22 出典:浴風会「浴風会事業報告昭和6年度」pp.50-52.

(13)

る。男女別,入園順に並べている。男性 20事例,女性 15事例である。以下で は家族関係の特徴や震災後の支援源をみていく。

 今回整理した事例は限られているものの,全体を通して,配偶者の死亡や 子どもの死亡が頻繁であることが目をひく。たとえば,子どもは生後1週間

(No.20),3日(No.14),80日(No.29)で死亡とあり,子どもが全員死亡(No.2)

という事例もある。また配偶者とも、結婚(内縁含む)後,2年(No.35),4~

5年(No.14,No.29,No.35),6年(No.11,No.18)で死別している。加えて離 縁による結婚(同棲)生活の短さも特徴的であり,2,3か月(No.8),1年(No.10,

20),1年半(No.8),2~3年(No.13,34)となっている。離縁の理由が記載さ れている場合は「子どもがないため」である。

 このように,死亡率が高く,子どもができないことで結婚を解消する慣行下 にあっては,「親の面倒をみる家族」を形成することは当たり前にできること ではないと推測される。

 次に,震災時の世帯構成ごとに支援源の特徴をみてみよう。

 まず,生涯未婚であった事例は,No.1,9,17でいずれも男性であった。未 婚の理由はNo.9のみ記載されており,「母が頑迷なるため」となっている。未 婚の場合,生活難となったときにどこに支援を求めているかをみると,No.9は きょうだいネットワーク,No.17は仕事の知り合いネットワークであった。し かし,両者ともに支援源も同様に生活が困窮しており,その支援は長くは続か なかった。

 次に,一度の結婚(内縁も含む)で震災時まで継続している事例をみてみよう。

該当するのはNo.16,19,2,6,24,23の6例であるが,そもそも子どもがいなかっ たのはNo.16とNo.19である。この2例は震災後,仕事関係や知人宅で間借りや 住み込みの形で支援されている。また,子どもはいたのだが震災後に子どもの 死亡によって頼ることができなかった例(No.6)もある。震災に至るまで夫婦で ともに生活してきた場合,夫が働けなくなる,あるいは頼りにしていた子どもが

(14)

死亡となると支援先の選択肢はなく,生活困窮は加速し入園と進むようである。

 震災時には配偶者はいないが,子どもはいた事例をみてみよう(No.7,31,

32,35)。子どもがいたとしても,震災後に子どもを頼るものの子どもは死 亡している事例は3例である。その後は子のつてを手繰って生活しているの は2事例(No.31,35),子どもの死亡とともに入園が1例(No.7)であった。ま た,子どもは死亡はしないが,子どもも生活難に陥り一緒に救護されていた例

(No.32)もあった。

 しかし,最も多いのは震災時にはすでに配偶者も子どももいない事例である。

これらの高齢者は震災前から配偶者にも子どもにも頼らず仕事をして生活をし てきている人たちである。先の年次報告結果でみたとおり,男女によって支援 先が異なる。男性では仕事関係の知人(No.11,17)を,あるいは,仕事関係で 頼り先がなくなると同郷(No.18)や幼少時の知人や亡き妻の父の知人(No.16)を 頼る。女性では知人を頼る(No.21,22,27,29,34)。しかも,複数の知人を転々 としながら生活している。

 これ以外に,宗教ネットワークによって支援されていたのはNo.10とNo.28で あった。また,近隣の同情で支援されたとの記載があったのはNo.20とNo.30の みであり,数か月の支援ののち入園に至っている。

表9 個別記録にみる家族と支援源(2)

ケース番号 入園年月 性別・資料番号

続柄

婚姻関係 ・開始年明確  開始不明の時は印なし 震災時の年齢      ・死別    離別  

     ・結婚は実線,内縁は点線

震災後の状況 No.1

大正14年5月 男性 33

父母兄弟 父母死亡時不明 兄弟9人いたが震災前死亡 66歳 ・バラックで生活→1年5か月後横浜救護所

・2.5か月後浴風会入園

※入園後,養叔父が引き取り 配偶者 未婚

子ども なし No.2

大正14年5月 男性 16

父母兄弟 父母幼少時死亡 16,7歳で故郷を出たためきょうだいの生死不明 82歳 ・バラックで日雇い生活

・2年3か月後入園

(妻は扶養能力なし)

配偶者         30歳

子ども         3人全員死亡:時期不明 No.3

大正14年5月 男性 21

父母兄弟(記載なし) 63歳(震災後の支援記載なし)

・65歳入園・娘婿を探す。引き取る場合の連絡を取り 合う間に死亡した模様

配偶者 (記載なし)

子ども (記載なし)

No.4 昭和2年2月

男性 53

父母兄弟(記載なし) 63歳 木賃宿→深川区役所より救護→元内縁の妻が同棲し

ている人の厄介に。内縁夫から酒を飲むと退去を迫ら れ呵責に耐えられない

配偶者        内縁の妻あり,離縁(時期不明)

子ども 女子1名死亡1名養女1名(妻連れ子24歳)男子1名(実子10歳)

(15)

No.5 昭和2年2月 男性 188

父母兄弟(12歳まで父母と) 37歳 罹病臥床で穴居同様の住家→地震被害ない→・戸

籍には誰もなく,極度の生活困難に→41歳 浴風会に 希望

配偶者        ・32歳で発病し,障害者に。妻は家出 子ども (記載なし)       本人を見捨てて家出する。

No.6 昭和2年6月 男性 163

父母兄弟(記載なし) 78歳 次男と夫婦で同居→次男死亡→次女と同居次女は

夫と死別後14歳と12歳養育,妻は四女の養家に寄食

→82歳入園 配偶者

子ども       子どもは6人 長女死亡 次男死亡 No.7

昭和2年10月 男性 1007

父母兄弟 69歳 就業中に負傷。翌年,長男死亡。長男の子供二人は

他人に。体が衰弱し働けず方面委員の同情で生活(約 2.5か月)→73歳入園

配偶者          20歳ころ? 49歳

子ども        子ども7名。長男以外は20歳前後で死亡 長男死亡 No.8

昭和3年6月 男性 224

父母兄弟     20歳養母に 67歳 ・震災前から手伝いとして厄介になっていた家の同情

で生活 72歳入園 配偶者        45歳 妻帯するが,2,3カ月で離別

子ども No.9 昭和3年6月 男性 1510

父母兄弟 4人。20歳:弟と家族を呼ぶ 60歳 妹Aの嫁ぎ先に同居中に罹災。その後バラックに居住

→行商をするが収入はない→65歳:弟(無一文)と妹B

(独身)と一緒に入園。妹Aが時々訪問。

配偶者    母が頑迷なるため結婚せず 子ども    子どもなし

No.10 昭和3年7月 男性 1520

父母兄弟 父23歳,母24歳時に死亡 内縁→妻? 64歳 68歳連れ子家出→69歳仕事を求めて妻を残し上京→

牧師紹介の知人Aに世話に(2ヶ月)→紹介で知人Bに 雑役住込み→妻行方不明→本人病気に。Bも生活困 難。よって入園

配偶者   25-27歳結婚       49歳 69歳 子ども   (子どもないため離縁) 連れ子と同居

No.11 昭和3年10月 男性 1642

父母兄弟 父6歳時母出生後死亡 7歳姉3人と分かれ不明 71歳 71歳知人(関係不明)宅の飯炊き→74歳暇をとり餅問 屋に住み込み餅行商(3か月)→74歳合宿所に転居し 豆の売り子→老年かつ神経痛にて生活困難→76歳知 人依頼で入園

配偶者        56~62歳内縁 子ども        なし No.12

昭和3年12月 男性 469

兄弟姉妹 兄2人幼少時死亡 弟1人49歳時死亡 63歳 妻とともに寺院に4日間,その後電車庫内1か月避難→

バラックに収容,仕事する→64歳洋服店職工(1年)

→65歳府営住宅に→裁縫職人の知己を頼るが生活 困難→68歳入園

配偶者   27,8歳~10年    離縁 子ども   息子27歳で死亡・娘は妻に  子どもなし No.13

昭和4年1月 男性 498

父母兄弟 母4,5歳父32,3歳時に死亡   47歳頃兄死亡 甥も死亡 71歳

車力継続→76歳風邪にかかり就業困難廃業し,他に 収入の道なく困窮状態。→方面委員から依頼で入園 配偶者      34歳? 2年間   43歳頃?再再婚

子ども 40歳前? 2,3年で離縁 No.14

昭和4年4月 男性 300

父母兄弟 兄1人 死亡 58歳 バラックに収容。日雇い人夫として生活→59歳立ち退

きで木賃宿に→62歳老衰のため歩行不自由に。かろ うじて仕事→64歳就業困難となり本籍地に戻るが知人 なし。役場保護経由で入園

配偶者 25,6歳

子ども 長男3日で死亡,次男半年で死亡 No.15

昭和4年10月 男性 547

父母兄弟 父14歳時死亡  4人(姉22歳,妹A20歳,妹B17歳で死亡) 68歳 古物商にて内縁妻と同棲→神経痛等の病気

→74歳歩行困難。廃業。妻も同じ病気→家財を売り 生活するが困窮→入園

配偶者 30歳   42歳  63歳 子ども 妻の弟を養子に(20歳)

No.16 昭和4年11月

男性 393

父母兄弟 22歳24歳の時,兄と弟死亡 67歳 上野精養軒に約20日避難。知人(2,3日)仮住宅→石井

(関係不明)の同情で夜間の留守番に雇われ住込む

→幼少時の住職を頼り厄介に→木賃宿→亡き妻の父 の知人宅で世話に。長くは無理→73歳入園

配偶者 37 68歳

子ども 子どもなし

No.17 昭和5年4月 男性 831

父母兄弟 58歳 58歳A(内縁夫は大工)に同居。日雇い人夫に→60

歳入院(2か月半)→63歳大工Bに同居(3か月)→65歳 宿泊所に3日,鉄工所Cに同居。Cも生活困難になった ためD(19年前の知人)方に。Dも生活困難→宿泊所

→D方の世話。D家賃滞納で立ち退き→入園 配偶者 なし

子ども なし No.18

昭和6年3月 男性 1149

父母兄弟 父5歳母16歳時死亡 14歳時妹死亡 66歳 2日野宿→某方に間借り(3か月)→同業者Aに同居(3 か月)→同業者Bに同居(2年)→借家→72歳同郷知 人宅に同居→73歳老衰で活動できず困窮→入園 配偶者 23~29歳 32~47歳

子ども 妻の2歳,5歳,7歳の連れ子 No.19

昭和6年8月 男性 988

父母兄弟 父42歳母57歳で死亡 兄・妹ともに3歳で死亡 71歳 71歳妻と寺に避難→1か月後バラックに収容→5 か月後眼鏡商A方に間借り→73歳転居。妻無職。

→78歳妻の看病。老衰のため生活困窮→入園 配偶者 36歳

子ども 子どもなし No.20

昭和6年11月 男性 1131

父母 父55歳, 母47歳時で死亡 60歳 60歳頼っていたAに伴われAの甥に厄介(1ヶ月?)→A がバラックを立て移転。同居→65歳Bと移転。収入減

→68歳1日の売上10銭以内。老衰で働けない→近隣 の同情で生活(2か月?)→入園

兄弟姉妹 8人は幼少時死亡。残り兄は9年前死亡,残り妹は不明 配偶者 36歳    1年で離縁 子ども 長男1週間で死亡

(16)

No.21 大正14年5月

女性 8

父母兄弟(記載なし) 68歳 ・家具衣類全焼

・68歳 知人(関係性不明)の扶助(約2か月?)→横浜 救護所→70歳入園

配偶者 40歳  離縁後手内職 子ども 18歳養子をもらう(詳細不明)

No.22 大正14年5月

女性 12

父母兄弟(記載なし) 58歳 ・全焼

・知人(関係性不明)に扶養される?

・59歳 横浜救護所→60歳入園 配偶者 22歳 46歳

子ども (記載なし)   夫死別後下宿屋営む No.23

大正14年5月 女性 19

父母兄弟(死亡:年記載なし) 79歳

・震災時に夫死亡。知人宅に厄介になる。

・80歳 横浜救護所→81歳入園

配偶者 18歳 79歳

子ども (記載なし)

No.24 大正15年2月

女性 40

父母兄弟(父母: 震災後所在不明)(妹:嫁いでいる貧困) 63歳 ・家屋半壊家具破損

・63歳夫は脳出血で働けず生活困難に→横浜救護所 に夫とともに入り,洗濯婦として従事

・66歳横浜市臨時救護所→入園

(姉死亡:年不明)(姉の子震災で死亡)

配偶者

子ども 養女 (内縁の妻であるが貧困)

No.25 大正15年3月

女性  42

父母兄弟 父:(9歳時死亡) 母(3歳時死亡) 58歳 ・震災時に頭部負傷し,病院で治療→その後単身で 窮する→一層生活困難になる→横須賀救済院→61 歳入園

配偶者 19~26歳 33歳 養女 養女死亡:年記載なし No.26

大正15年3月 女性 48

父母兄弟 父12歳時,母20歳時に死亡  (記載なし 68歳 震災後,内縁の夫の故郷に→1か月後1人で上京→内 縁夫音信不通。甥宅に同居→甥と妻は病身で子多く 生活難,別居を迫られ警察に相談し救護 配偶者 18歳    27歳(震災半年前に内縁)

子ども 5歳で死亡  甥の次女を養女:年不明 No.27

昭和2年5月 女性 167

父母兄弟 兄1人いたが死亡 71歳 焼き鳥屋全焼一戸を借りる→74歳病気のため無一文

75歳知己を頼り厄介に。単に知己にすぎず将来扶養 するのは困難→入園

配偶者 33?~44歳? 独身で焼き鳥屋 子ども 子どもなし

No.28 昭和3年5月

女性 8

父母兄弟 姉は60歳頃死亡 69歳 ・派遣看護婦として就職中に震災遭遇→全焼のためバ ラックに→病院を4つ変わり働くが老衰で働けない→宗 教上の知人に厄介→これ以上世話になれない→入園 配偶者 22歳(1.5年で離縁)   25~50歳

子ども 子なし   子なし No.29

昭和3年8月 女性 273

父母兄弟 父19歳,母23歳の時死亡 兄弟5人全員死亡 73歳 ・78歳頃まで洗濯家事手伝い→知人A方に寄寓(約2 か月)→知人B方に世話に。翌日警察,区役所をへて,

申請し,2日後に入園 配偶者 19~23歳?   28~57歳   針仕事

子ども 子ども死亡   子80日で死亡 No.30

昭和3年8月 女性 291

父母兄弟 12歳の時弟死亡  父40歳時死亡 66歳 震災前から奉公,手伝い婦,子守等をする→66歳病 気→知人が同情して看護→67歳内縁関係→2か月後,

内縁の夫半身不随で収入なし→町内有志の同情で生 活→数か月後入園

配偶者 24,5歳~50歳

子ども 養子もらう

No.31 父母兄弟(記載なし) 65歳 65歳生活難で娘を頼る→68歳娘死亡→69歳腰痛で

仕事ができない→70歳知人(養女の関係?)に厄介(約 7か月)→知人宅生活困難のため立ち退きを迫られる

→入園→長男引取り 昭和3年12月 配偶者 35~52,3歳

女性 886 子ども 1男1女あり,養女あり

No.32 昭和4年3月 女性 1479

父母兄弟 父32歳母42歳の時死亡 68歳 全焼→浅草公園(1週間)→菩提寺(半か月)→知人

(半年)→バラック→70歳要救助者収容所→72歳同 所撤退とともに養育院に。長男と。→半月で退院し木 賃宿で手伝い婦→73歳長男病気,自分も老衰で働け ず養育院に

配偶者 20~30歳 子ども 長男。戸籍上は甥 No.33

昭和4年4月 女性 376

父母 父2,3歳,母10歳の時死亡 67歳 ・同棲中に震災に。無一文になる。→夫は新たな仕事を

→70歳夫中風で生活困難に→府営住宅。夫の先妻 の子から仕送り→夫の知己を頼る→72歳夫死亡。夫 の知己,先妻の子から送金なくなる→73歳入園 兄弟姉妹 男4人女3人,19歳まで姉夫婦の厄介に

配偶者 19~29歳?   32歳?~42,3歳 子ども 31歳私生児 No.34

昭和4年6月 女性 368

父母 父26歳,母61歳死亡 62歳 ・震災被害なし・手伝い婦や裁縫で生活。次第に生

活困窮に・66歳知人A(同郷人)の厄介(手伝い婦とし て住み込み1か月)→67~68歳知人Aの厄介に。家事 を手伝うが,知人Aの家は7人で矮小,近々2人帰宅す るので厄介になれない→入園(68歳)

兄弟姉妹 弟死亡

配偶者 16~18歳 別の弟から仕送り 子ども

No.35 昭和5年2月 女性 577

父母兄弟 68歳 震災被害なし→69歳長男死亡→74歳娘を頼る(約2週

間)→同家の雑仕婦の同情でその実家に→同家の親 族の子守に住込み→腰痛で働けず再び雑仕婦の家に

→同家でも両親を扶養。厄介になれない→75歳入園 配偶者 20~40歳  44~49歳

子ども 子ども2人  次女は養女

(17)

終わりに

 大正14年から救護法実施前の昭和6年までの浴風園入園者について,その家 族関係の特徴と支援先を整理した。個人記録とつきあわせることで,年次報告 書は入園者の詳細な個人面談データをもとに数値化されていることが明白とな り,改めてその資料的価値は高いことが示された。入園者の家族関係の特徴が 当時の平均的なそれとどのように異なるかは今後の課題としたい。

(1)  社会福祉法人浴風会ホームページ(http://yokufuukai.or.jp/history/index.html)

2019.9.23閲覧

(2) 社会福祉法人浴風会・高齢者施設処遇史研究会編, 2015,『浴風園ケース記録集-戦前 高齢者施設の「個人記録」110-』, 学文社.

(3) 小笠原祐次監修, 1991,『老人問題研究基本文献集 第13巻』, 大空社.

(4) 小笠原祐次監修, 1991,『老人問題研究基本文献集 第16巻』, 大空社.

(5) 浴風会, 1931,「浴風会事業報告 昭和5年度」, p.56.

(6) 浴風会, 1927,「入園者概況第2輯 昭和2年6月末現在」, pp.17-19.

(7) 浴風会, 1928,「入園者概況第3輯」, pp.16-18.

(8) 浴風会, 1928,「老齢保護第4輯 昭和3年10月1日現在」, pp.119-130.

(9) 浴風会, 1928,「老齢保護第4輯 昭和3年10月1日現在」, p.119.

(10) 浴風会, 1927,「入園者概況第2輯 昭和2年6月末現在」, p.19.

(11) 浴風会, 1928,「入園者概況第3輯」, p.16.

(12) 浴風会, 1928,「入園者概況第3輯」, p.18.

(13) 浴風会, 1931, 「浴風会事業報告 昭和5年度」, pp.74-75.

(14) 浴風会, 1931,「浴風会事業報告 昭和5年度」, p.76.

(15) 浴風会, 1928,「入園者概況第3輯」, p.14.

(16) 浴風会, 1927,「入園者概況第2輯 昭和2年5月末現在」, pp.16-17.

(17) 浴風会, 1928,「入園者概況第3輯」, pp.11-15.

(18) 浴風会, 1928,「入園者概況第3輯」, p.15.

(19) 浴風会, 1928,「老齢保護第4輯 昭和3年10月1日現在」, p.109.

(20) 浴風会, 1927,「入園者概況第2輯 昭和2年6月末現在」, p.17.

(21) 浴風会, 1928,「老齢保護第4輯 昭和3年10月1日現在」, pp.113-115.

(18)

(22) 浴風会, 1928,「老齢保護第4輯 昭和3年10月1日現在」, p.115.

(23) 浴風会, 1928,「老齢保護第4輯 昭和3年10月1日現在」, p.118

(24) 浴風会, 1931,「浴風会事業報告 昭和5年度」, p.80.

(25) 浴風会, 1928,「老齢保護第4輯 昭和3年10月1日現在」, pp.131-133.

(26) 浴風会, 1928,「老齢保護第4輯 昭和3年10月1日現在」, p.131.

(27) 浴風会, 1930,「浴風会事業報告昭和4年度」, pp.89-91.

(28) 浴風会, 1932,「浴風会事業報告昭和6年度」, pp.57-59.

(29) 浴風会, 1930,「浴風会事業報告昭和4年度」, p.89.

(30) 浴風会, 1932,「浴風会事業報告昭和6年度」, pp.57-58.

(31) 浴風会, 1932,「浴風会事業報告昭和6年度」, p.58.

(32) 浴風会, 1931,「浴風会事業報告昭和5年度」, pp.79-80.

(33) 浴風会, 1927,「入園者概況第2輯 昭和2年6月末現在」, pp.12-14.

(34) 浴風会, 1930,「浴風会事業報告昭和4年度」, pp.102-104.

(35) 浴風会, 1931,「浴風会事業報告昭和5年度」, pp.21-23.

(36) 浴風会, 1932,「浴風会事業報告昭和6年度」, pp.49-52.

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