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リカアドウ﹁機械論﹂の成立過程(1)

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(1)

リカアドウ﹁機械論﹂の成立過程(1)

眞實一男

日     次 l   は   し   が   き

Ⅱ   旧   機   械   論

Ⅲ 過預期の撥械論

lV 新 機 械 論

りカブドウ﹁機械論﹂成立のケイ牛については︑大別して二つのものを考ええよう︒その一つは︑かれの﹁機械論﹂

がその当時の歴史的・社会的基盤よりいかなるケイキをうけとつたかという問題であり︑い変一つは︑そのような歴

史的・社会的基盤を背光にして︑﹁機械論﹂北開するりカアドゥの内面的過程を追うという︑いわばメンタルヒスI

リーの問題であろう︒前者については他所において言及したからの︑ここではもっぱら後者に焦点を集l中することに

し た

い ︒

リカアドウ﹁機械論﹂の成立過程

(1)本稿は、福島の第8国学史学会(1953年秋)においてなされた報告草稿の後 半部に手をいれたものである。なお国東学院機関誌「経済系」節寧1紐に掲載さ れる予冠の′J、稿「リカアドウ『機械論』成立の背景」はその前半部に手をいれた ものであるので、併読して貰えは幸甚である。報告草稿全部につき御助言を載 いた一橋大学経済研究所の大野精三郎助教授に感謝の念を捧げたい凸

(2)前述の「リカアドウ『機械論』成立の背景」を参隔されたし。

(2)

経 営 と 経 済

九 さてリカアドウ﹁機械論﹂の内面的成立過程を追求せんとする試みは︑現在までにすでにいくクかのものを数えう る向︒しかし前世紀の八

O i

0

年代にみられた﹁リカアドウの復位﹂以後︑次々に公刊された新資料を利用しての

ホ一プシグ1の諸研究は仰︑その中でも特竿されるに似しよう︒かれは︑たんにリカブドウの主著﹁原理﹂第三版︑第三

一平﹁於械にクいて﹂の論理をたどるのみならや¥リカブドウのマルサス・マカロック

‑T

一 プ ウ ア あ で の 手 紙 集 仰 ︑

﹁マルサス評註﹂などを縦杭に駆使することによって︑リカアドウにおける旧き機械論より新しき桜械論への転換の

メシグルヒス f

リーを追求するという点にむいて尖り多さ成果をゐさめえた︒

ただかれの帰結は︑当時与えられた内川(かれ日身売比したものを合めて)に基やき︑かれの方法をもクてするもの としては︑いち沿うの終れ点とみなされうるも

ω

であクた︒上クてこの紋による成果拡大のためには︑上り新しき一資 料

ω

佐川いが不可欠と次り︑ひとびとは︑これを‑一

H

旬仇(たと︑いんば仙似前)に沿いては︑この別刊にゆ八日ええた上うであるが︑機械論に関する限り︑卒直

ω

}た︒それらは他 八とれること多く刊行されること遅き﹁新リカアドウ全集﹂に期待し

M

にいクて必木的にホアンダーの結沿をくつがえすようなものは何もなかったということもできよう︒それにもかかわ

らや︑いくたの仙足的問料を加える乙とによクて︑その成果を間一古川にしたことは充分に認められなければなるまい︒

ともあれとれに工ってホラシグ1的方法に芸ゃくリカブドウ﹁機械論﹂に附する批終・故引の定説の抗出が可能とな

り︑一帯宍全集第一巻﹁原理﹂に長ける編集者(ステップア治上びドツプ﹀のこの部分に関する発一一一日は仰︑メごグルヒ

スTリ1的方法に誌やく﹁機械論﹂成立の内面的過程の現段階に・おける故終的帰結として受取られぬでもない︒ただ

そ乙では他の序一一一口の場合と同じく︑できるだけ百科をもクてみ宇からを託ら一しめるという客観的方法がとられている

のみならや︑脚註に示された諾資料より設小限に必要な言葉を綴り合せるといクたゆき方がとられて治る関係上︑そ のぷ命はいわば甘格抑に与えられているともいえよう︒よって以下にゐけるわれわれの努力の方向は︑基本的にかか ろゆき方な承認した上で︑それに対して少しでも肉付を試みるという点に集中される︒

k

われわれは︑日ぺ休的にその成立過程の追求に入る前に︑あらかじめリカブドウ﹁機械論﹂の改変のポイ

h

Y

が T

どこにあっ欠かなはっきりさせてむく必要がある口いまその要点を簡単にまとめれば︑長そらく次のようにもなろ

(3  )たとえば、われわれは、次の如き諸文献をもっ。その内容については、小稿

「 パ

F トンおよびリカアドウの『綾城論』について(二

) J

の註三を参照された い。(経営と経済第59 号 Pl'.118 121.)

(i)  K.  Dl: ehi  heiclfthacnsesswiliazSo  erungenErlaut u z David   s'odarcRi Gruudg

e s e t z e n

  der'   hatttscswirolkV und  g. uneurests 2 sde.   igpzLi  .0519 Te i1 ]f.  K

a p . 7 .

   dosicarR Anschau l1ngen  uber  Krisen , roduktion Uberp und  l¥1a nechias .

w e s e n .

  ~. rdo Rica . rbeq d~s Maschienenwesen.   .5S 425‑30. 

(3)

う︒第一に改変︑前のりカアドウにあっては︑・たとえ一時的・降格的労働排除を伴う乙とはあっても︑校械の導入は地

主階級︑良川中京資本家階級︑労働者階級のすべてを通じて一般的た社会の利誌であるという従米までの訓和的通説がと

られていた白乙れに対して改変後のかれにあっては︑れ悦の浮入はたとえ産業資本家階級沿工び乙れと利告の併行す る地主附絞には利治であっても︑乙

K 労

m M

什附終に閃する限りは不利であるとされ︑税械のヰ入をめぐる労働者階級

とか川市内水没附仇(沿工ぴとれしじ利引

ω

併行する地主附紋)シ一の対立が︑王国きって取上げられたのであクた︒第二

にリカプドウ以・にんに川川仰と必仰との相反関係論を打ち出したのみ注らやノ︑一歩すすんで何故に機械の導入が労働

汗附仇にとって不利となるかという治討をも試みんとする︒その主要点は機械の導入に去やノ︿労働需要の減少であ り︑後汗迎初米するものとしての仕銀支払益金の大きさをあらわす総牧入(日総所得)の減少であるロいま少し詳 守すれば︑その間に次の工うな述似をたどるととが可能に怠る︒すなわち改変後のリカア下ウに工れば︑そもそも社 会の純牧入

( H 純所得)と総収入とは必やしも併行的に効くという保証はない口事実労働節約的た機械の導入は︑純 牧入在地加させるかもしれないが︑それはかえクて総収入の減少をきたす口と乙ろが産業資本家階級の目椋とする所 は純牧入であクて総牧入ではないから︑純牧入にして増加すれば総収入の減少はかれにとって問題とは危ら伝い︒従 っていま松械導入に基やき総収入にして減少する訟らば︑託銀支払芸金の犬きさを規定するものは総牧入であクて純 収入でないから︑当然に労働需要(雇傭)の減少が結果するととにたろうロかくて結論的にいえば︑改変前のりカア ドウを改変後のかれと介クメルクマールは︑次の二点に条約され工う︒その第一は機械導入忙対する楽観的見解よ り︑悲観的見解との対立であり︑その第こはその論誌にさいしての純牧入と総収入との併行的増加の可能性を軸とす る

︑ 労 働 需 要 の 純

・ 総 収 入 分 析 と で も い う べ き も の で あ る

︐ もっともかえるこ主の内本をもっリカアドウの﹁新機械論﹂は︑以下に展開する上ろに一挙に成立したものでもな く︑またその新機械論は︑旧披械論ののとり払すから完全に解放されていたわけでも訟かクた︒殊に新旧両機械論の かけはしとでもいうべき﹁マルサス評註﹂に沿いては︑﹁評話﹂自体の前後に沿いて互いに矛盾する表現を露呈して

いると忠われるので︑以下の叙述に・おいては︑かれの広義の桜械論をばたんに旧機械論・および新機械論(狭義の機械

リカアドウ﹁機械論﹂の成立過程

一 九

( i i )

  K.  Marx:  Theorien  uber   ned. Mehrwert.  3 Bde.   tragttutS 1905  ‑10.  Rd.   .[] David  Riacdor仇.eiT 日1V I[.]

1

j

E南碓訳「円苦刺:司1余{価函値学説史、第二巻第二部」

( i i i )

  小泉信三「りカアドオの際械論」三国学会雑誌、!;rH5 巻 第12号(大lE 1012 月)pp.  1 ‑3 1.  ( rリカアドオ研究J昭 和4年、1'P.477‑504 所牧) (

i

   v) 舞出長宜郎「リカアドウの!設械論」経済学論集(!日巻)、 第5巻 第3号 (大正15 年12

月)

PP.37‑66. 

(4)

経 蛍 と 経 済

一 九

四 論)に二

AAJ

するのみなら宇︑その小間に過波別の機械論として﹁評註﹂陀・おける

JF

グモルフオ 1

ゼの過程をそう入す

るととにしたい口

リカアドウリ以前中の川発点が﹁地念品争﹂を主とする代幣金融論的︒ハシフレツ T であったととは︑よくしられてい

る市災であろう︒しかしリカプドウの訓

mA

休系を形成する上に特に力のあクたものが﹁穀物論争﹂の中から生れた

﹁侭仰相﹂(一入一冗)のであったととも︑川政に上くしられている事実であろう︒そ乙での機械に対する見解は︑正

而立つてのおのとはいえない円しかしそれにもかかわらやわれわれは次の工うな発一一一口をそとに見出しうる︒﹁︹穀物の

侭さ行幣制作が︺乙の附加ハ労仰汗階級︺の利告に台工附す初

μ

刊は︑改良された機械の諸影響とほとんど同様であ ろう口そうしてそのととはもはや疑問士されないのだが︑その改良された機械は︑労働の実賃貸銀を引上げるという

決定的傾向をもっ︒﹂(コ

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以 下

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ジ 以 た あ ら わ す

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とあり︑視点を機械の諸

改良と宍同日刊は銀との関係に定め︑しかも明かに機械と労働との問にプラスの関係を考えているといえ工う︒

さらに﹁原理﹂初版(一入一七)四

Ol

四一ページ(ア

S )

に沿いても︑附子製造業者の桜械導入に関して数字的

設例を示した後に︑﹁しからば恥くして︑公衆は機械に工クて恩恵を乙うむる口とれらの純白一一一口の働き手は︑たとえそ

れらが同一の貸幣価依であるときでさえ︑それらが排除するととろの労仰よりも︑やっと少左い労働の生産物であ

る︒::::::そうしてその結果である節約︹税械導入による労働の節約︺は︑製造された生産物の価格の切りつめと

してみ十からを示す

o ﹂というととに主クて︑前拐の﹁低価格﹂の場合と同じく︑商品の価格低下に基ゃく実質賃銀 の引上げという意味に沿いて︑機械に対する楽観論をのべているといえ工う口との箇所乙そはそのまま第二版(一入 一九)に引継がれているのみ段ちゃ︑少しばかりの字句の変更を別にすれば︑かれがその第三一章に新機械論を追加 した泊三版二八ここにもその主交残存しているのである︒(阿・

6 )

との点に関してリカプドウはかれの第三版︑第=二章にむいて︑旧桜械論をとれまでに公表した乙とは友いと一一一口明

なお上詑に次の如き諸文献をも追加しうるであろう口

(v)  堀経夫「機械と労働ーリカアドウの学説を中心としてー」東北帝国大学 経 済 学 会 研 究 年 報 経 済 学5.1936.PP.1‑16.

( v i )

  掘経夫「リカアドウ『経済学及び課税の諸原理』の構成について」経済学

論究第7巻 第1号、 (昭和824月)Pp.1‑14

( v i i

) 岸本誠二郎「英国経済学史における1718 年前後一機械論を中心としてー」

舞出教授還暦記念論文集(l) r古典学派の生成と辰開J PP.  201‑243. 

(5)

しているが

2 ・

g

g

︑上述の﹁低価格﹂沿工び﹁原理﹂に・おいては︑少くともそれを公表していると小われなければ なるまい口なるほどこの場合︑第二二章の新枕械丸刈

ω

仲山中変数は労働需要であるのに対し︑以上の両者に沿いてはー︑ それが価格脱落に伴う突賃貸俣の上下であるという相川内点在認めることもできよう

ω

︒しかしわれわれのメルクマー ルの幻一に服していえば︑それは川かに川

MMA

に川するといわれなければなら歩︑さらにいま一歩ふみこめばそも そも仙机

ω

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川加花可前次らしめるためには白銀初の減少のないことが前抗されねばならぬが︑そ

れ乙そいわ

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一山川ぷ的けん仰でおり︑流して税約料品の江花がこのようた補償説的見解より解放説的見併への脱却に

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川別料品的性格は刊然とすることになろう︒そうして乙のような発一一一一口は︑むしろリカプドウの

旧れ川崎から叩れ州市への脱皮の不完全を示すものとみられないでもない

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さらにわれわれは︑不公去とでもいうべき議会での発一一けや︑私一信等に沿いても旧機械論的見解にゆき当る乙とがで

きる

n

以下においては年代順に発一一一口を追う乙とにしたいが︑ただマレツ

t

の日記記入にクいては第二次資料と思われ るので︑乙の原則に従わや一番最後にまわす乙とにした︒

さてその第一は︑﹁原理﹂初版刊行後ただちにパ

l F

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ら 工 せ ら れ た と 思 わ れ る 手 紙 に 対 す る リ カ ア ド ウ の 返 信

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︑ そ こ で は パ 1 T

の反対にこたえて︑﹁件(木の蓄積分が回定資本例えば Y

波械︑建物等唱えに実現されるのに比例して︑それらハ矢本の渋川杭八守山は︑渋川杭制された浜本が流動浜本として使用される

場合工りも︑労働に対して工り少なき永続的居僻を与えるでし工うし︑またそれゆえに入手に対するより少たき需要 があるでしょうし︑人口の増加に対して上り少なき必要性があるでし工うという乙とは︑疑いも訟く真実である︒し かし必要な泊費を超過しての︑生産された財貨の数量は︑両者の場合に沿いて正確に同一でしょうし︑あるいはむし ろそのパラシスは︑あなたが想定されるように消勤資本に有利なのではなくして︑固定資本に有利なのでしょう

o ﹂

( 詞 ・

53

とのべている口ことでの基準変数は明かにパ

1 F

の問題提起をうけて労働需要であり︑回定安本化に伴う Y

労働市男の減少ないち沿う認める発一一一口をなしながらも︑その後半に・おいては純牧入を強調する乙とによクて問題の次 元をや

J

らしてしまっているように思われる︒

リカアドウ﹁同械論﹂の成立泊程

一 九

( 4 ) (

  )  David  Ricardo:  A  cry enaent e .BaltimorEstimate 10.19

山下英夫;1R

rリ カF ドウ研究」

( i i

)sr'endlaolHonictdurotIn  ot Notes  on  Ma 1t'shu  eslcpinrP  fo lacitiloP Economy"  by  David  . docarRi  edtdie with  an  i niotcduornt and   steon by  Jcob a H.  Hollander  and   .T . E . Gregory e timorRal and  London   928.1

( i i i

)Hollander

noictuourtIn  ot niotdinoc   tfo  he  ngiurbola  sessalc  f'o yteicos hV  Tohn  ton Rar 117̲ A  r tniroe  fo eoonQmic   .stcart  dteied bV  Tcob a H.  HoU 

(6)

経 蛍 と 経 済

一 九

その第二は︑一八一九年二一月一六日の問会に・おけるリカアドウの演説である向︒それはサ1・

w

・下・クリスピ

ニイがオウェシ氏のプ一ブ γ 佐川究ナベ立作川安円以会の効訟を拠出したさいに長けるものであるが︑ハシサードに主れ

ば﹁リカブドウ氏口︑政治山川町午

ω

刊以 m m と一致しない理論の上に組立てられたところのオウェシ氏の体系とかれが

全く交戦中であろ止のペ火︑:・

1

れ料が労仰に対する需要を減少させないというととは︑その主題︹機械の導入にクい

ての主問︺の引川的以比例に川十いて︑石山されえないであろう口:::﹂(ア ω ︒)とかかれているロ乙亡での基準変

没弘明かに労一川山川小︑でおわ¥リカプドウがれ山に上る労働排除という現実をみせクけられたがら︑しかも理論とし

ての川れいい治に川仇してい允ことが仰われ乙川︑わ

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年一月号に抗枕されたマカロックのパ

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的見解に反対すべくか

かれ︑にかれ・の子机(平伏三冗九︒一八二

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︑豆︑ご九)である︒マカロックの論文﹁課税と穀物法﹂は︑名目的には

パ 1fγ

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γ ブレヅ f ﹁労似汗附絞の状態にクいての的視察﹂の書評であクた︒そ}しでかれはパ

1 T

Y の意見に組

じて﹁

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にね仇された同定作木は︑クねに流別行一木の押しく上り大佐る数量を排除するに違いたい︒ーーというの

M

口︑さもなくばそれを往造する勤税がありえないのでしょうから︒そうしてそれだ仇らそれの最初の影特は︑・賃銀

不在的加させるよりもむしろ洗下させる乙とでしょう︒﹂(﹂国・口

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および戸市

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とのベた口とれに対 してリカアドウは上記の手紙に沿いて︑﹁機械の伎川は︑けっして労働に対する需要を減少せしめないとおたくしは

忠いますの││それは︑けクして労働の価格の下洛の以内では次くして︑そのハ労働の価格の︺問答の結果なのです︒﹂

(酉・口同)と反論している︒乙乙での基準変数はが刀仰の川市川および宍穴代俣の両市引であクて︑リカアドウの旧機械論に

わいては︑機械の使用は労働需要を永続的に減少せしめたいという側同と︑般械の使用は商品の価格の切下げにより (川一の代併託銀が確保されるという前提の上では)宍賃貸銀を引上げるということから︑産業浜本家階級︑地主階

LL

川じくれ代行止しての作一格に沿いて労働者階絞にも利誌があるという側而とがからみあクて借り︑その問の区別

は川仰で次かっ

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さらにれ二次件︑れとしてではあるが︑

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T の日記記入に誌されたリカアドウの発一一一日があげられよう口

そ れ

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  re Raltimo 1931  .

(5)  )  L sertte   David fo l¥.o darci   Thmoas ot Robert  Ma Jthus , 1810  ‑1823.  d eitde bア James  nar. Bo Oxford  .7881 中野正訳「リカアドのマルサスへの手紙」上・下 ーラ{f::

ι'i 

( i )i s ertteL  fo David  do Ricar  ot John  Ramsy  McCulloch  1816‑1823.  q etdie with   niotcduortin and  annot~tion5 hy  Joh ac H.  H der.llano New  York   .9581 -~~正翠[リカアドオのマカロツグへの手紙」

(7)

八二三年九月のりカアドウの死去にさいして︑三年前を瓜い出しでかかれた政古的文立でおり︑・おそらく一八二

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一月一一一日のリカブドウ宅に長けるデナ 1

パ ー テ ィ の 山 上 に む け る 討 論 の こ と を さ し て い る も の と 推 定 さ れ て い る

H m そ乙では︑﹁:::機械を人間労働に代用するととから怜必ずる純然たる恩恵という主問についてのえ配的次江見にク

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ことが︑グレシブール氏︑ l ツク氏︑そ

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他 の 人 た ち が 出 席 さ れ て い た 三 年 前 の か れ の 家 に 治 け る ヂ ナ

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沿こり古じた円かれ日以れや

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が全く上っているという合意は疑わしい︒:::たんたるテーブル上での評一一一口以上のあるものが︑重大な学説上の変更恥加ト川凶

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﹂仰としか忠われないのである︒ただわれわれがことで乙の食料になんらか︑の侃似を認

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めるとすれば︑乙の頃までにはりカアドウは未だ旧桜械論の立場に止クていたということなのであろう口かくてかれ巾

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は一プヂイツトの限じようや︑農村治よび工業地帯を掩う不況にもかかわら十少くとも一八二

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年の春頃までには新機¥陥吋凶

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一 約一%川的な片リシをもみせていた

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クたといえよう︒すなわち︑機械の導入は労仰に対する需裂を減少させないという

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ても︑椛牧と労働との問にはプ一アスの関係が考えられていたといわれなければなるまい︒

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問機械論に対する信念のグラツキ左手引取しうるのは︑告そらく﹁マルサス評註﹂から訟のであろう︒全集第

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・庁仕立にゐける綿経友考証によれば(岡

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︑﹁評註﹂は遅くとも一八二

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(8)

経 営 と 経 済

一 九

八 られ︑一一月一六日頃にはかき上げられていたもののようである︒よってリカアドに訟ける旧機械論から新機械論へ の移行の始点は︑一八二

O

年の秋頃からであり︑﹁評註﹂はもなによりも新機械論への第一歩を形成するものと考えられ

るのである口

4

ただ﹁評註﹂の泊後に沿いてかれの機械論は首尾一貫せやノ︑ある箇所に沿いては充分に新桜械論的発一一一一

u

をなしてい るかと思えば︑他の問所に沿いては依然として旧機械論的見解を間執しているというように︑かれ自身いまだモサク

の過棋にあクた乙とをあらわにしてゐり︑その芯味に・おいては過渡期の機械論とでもよばれうべきものであクた︒だ

から以下に・おけるわれわれの作業は︑﹁汗討﹂に出在する機械論的諸ノlTを新機械論的なものと旧機械論的なもの

とに上り分け︑その各々につき吟味を試みることにあてられる︒

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ノ 1 f は ノ 1 T 一問九であろう口とのノートの対象となクたマルサスの議論は次のよう

にい品川れていた口すなわち︑労仰に対するの

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r は同火作一本の川加に比例してではなくして流動資本の増加にのみ比

例しうるというパ

1

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人バ令休としては)正しく友いとの立場をとり︑どちらかといえば︑パ

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Y

左半ば肯定し半ば否定するという態度に

でた︒乙れに対してリカブドウは︑当面のマルサスの立見に反対すべくむしろパ

1 f

y の見解を全面的に承認をしよ

うというのであった︒後日の﹁原理﹂︑第三版︑第三二日十を思わせる議諭が︑そこに反問されているが︑それは次の如

く契約できよう口﹁労働に対する有効需要は︑労働の賃銀が支払われるところのその資本部分︹流動資本︺の増加に

依存するに遣いたい︒﹂(同・自ごとドクた後︑二︑

000

ポシドの牧入をもク人が︑それを資本に投下して生産的に使

用する手術的設例に進む︒資本投下には︑附加的労働を雇う場合(流動作木への投下)ム一機械を造る場合(固定院本

への皮下)とのこクの場合を考えうるが︑いづれにしても利潤率を一

O

1

y t

( 利潤額はご

O

O

ポシド﹀として

活花治める︒そうすると総状入は前者より後者が大となり︑その大きさは前者の二五

O

ないし三

O

O

ポシドに対し

て︑後芥は二︑二

O

O

ポシドとなろう︒もっとも純収入は両者の場合同一であるう︒しからば﹁純所得によクてのみ

日23

れるところ

ω

川は︑同才の切合において同等に強力であるう︒

ll

資本家にとクては︑かれの資本が固定資本

( 8)  Vo

1 .  

 .1 n.oitcduortnI  .pIIvl においては、 「低価格」における発言だけが取上 げられ、「原理」初版および第二版における発言はおろかそれが第三販にまでのこ っているということに対する言反はなされていなし、。 しかしこの点についてはホ ランダ戸もはっきりと指摘しるいるように少くとも「侭価格」と同一次兎での発 言であるといわれなければなるまい。 (cf. 【Hollander'~】 Introduction ot 'sntoarR r

e p r i

n

t .  

 .p 3) 

(9)  掘経夫「リカアドウ『経済学及び課税の諸原王町の癌戒についず Ipp  1~-11

(9)

から構成されているのか︑もしくは流動性本から印刷成されているのかは︑主要ではありえない︒しかし労働の賃銀に 上って︿らすととろの人々にとっては︑そのと止が︑投犬の主要事である口かれらは︑総牧入が別加するととに京大 た興味をもクロ友ぜたらば︑人口を交が友う千段が依存しなければたらたいのは︑主さに総収入なのだがら︒もし

も院本が機械陀実現されるならば︑労問況の川加に対ずお川市"はほとんど生じたいであろう︒ーーもしもそれが労働

陀対すろ附加的川刊托川山一す

HOKF

内伏︑それは必然的に幻川村に上って治賛されるととろの初物に実現されるであろ

う o

﹂ (

同 ・

回 日

! 日

︒ )

止 し

て い

n

ととでは明かにれ仰の川入をめぐる資本家階級と労働者階級去の対立正共に︑純所 符・総所作外析に間十く桃川県入に上る労働排除がはク立り止取上げられて借り︑いちじるし

C

1 T γ

的主見解に

近宇いてきているもの

k

い え

工 う

ロ 主た乙れ党側足すろものとしてのノ

1 F

一玉三に沿いても︑マルサスの提起した馬スキ耕作左手スキ耕作とに関連

して生やる馬に工る兵業労働者の排除の問題に対して︑次の上うにいう︒﹁人に工って遂行されるほとんどすべての仕

事を馬でたすととは可能であろうが︑との工うた場合に長ける応の︹人に対する︺代用は︑たとえ工り多︿の生産物 を伴うとしても︑勤労諾階級にとって有利たのであろうが

7

反対に︑それは労働に対する需要をひじ工うに大きく 減少させるのではあるまいか?わたしがいわん止するすべての乙とは︑工り低限友耕作方法左もクてすれば︑労働 に対する需要は減少するであろうし︑主り高価注耕作方法をもってすれば︑労働に対する需要は増加するであろうと

いう事態が︑たまたま起りそうだというととである︒﹂(同・ぉ

3

と︒ととでは応が機械にいれかわクただけで︑議論

の筋道はノ

1r

一四九と同じであるといえよう︒

さらにノ

1 T

一五一に沿いては︑問題をノ

1 t

一五三とは逆の局間で取上げ︑﹁総牧入島工ぴ純牧入の減少をもク

てしでも労働に対する需要が増加する﹂(同・自∞)場合として馬の排除に上る手スキ耕作者の需要増加を考えてい

るなど︑いやれも旧機械論と全く対立する見方あ打ち出しているといえ工う︒

な・お之れらの一述の新機械論的ノ

1

T に対して︑はたしてパ

1 T

Y がどれだけの役割を演じたかは乙れを豆確には

しりえたい o しかし治そらくノ

1 t

一四九をかくにあたって︑リカブドウはパ

1 T

Y をよんだのではないかと推測され

リカアドウ﹁機械論﹂の成立過程

一 九

C I .  

)386 といわれているのはこれをさすも (1 )0 第31 章において「他の方法で」

のと思われる白

なおこれを補足するものとしては、 1819626 日のオウエン氏のプランについ ての集会でのリカアドウ演説(1819竿 6 月 28 日のタイムズの詑~J)があげられる。

そこでは委長会にかれの名が連ねられてはいるが、そのプランに全面的には賛成 できないとのべている口 (V.  467‑8) 

( 1 1 )

  たとえばNew saC t1e o n TyneHrown あての返信(実際には出されなかっ

(10)

経 営 と 経 済

OO

ている︒もっともとの時に故初にパ

1 T γ が読まれたものたのか︑あるいはとの時にもう一度読み匠されたものなのか

は工く令ら註いけれども︑

h

おそらくは後者であったろうと思われる

μ

︒ソテイロブは後者であると考え︑その問の事情 を次の如く現解し・ている川口究やノマルサスは︑との部八刀に関する限りパ 1tyh 申工びシスモ γ ヂイによって

m w 科を交

けたのであろう︒当訪問所矢るマルサスの﹁原理﹂二四一ページの脚註には︑﹁パ

1 F γ 氏に工る労働持階級の状般

についてのすぐれたパ γ

ソ レ ツ

T をみ工﹂'どかかれているので︑両者のうち少くともパ

1 T γ

h u の影仰げを否定しえ

左いと忠われろ︒他方リカプドウはマルサス左批判すべく︑マルサスに批判されたパ

1 t

y を読み︑そのパ

1 T Y の

角度からマルサス托批叫したものの工うであ‑る︒かかる芯味に沿いてノ

1 T

一四九は著しくパ

1 T γ

的であり︑後日

の治三版活三一ホ

ω

ぷぬにひじ工うに近やいているムしいえ工う︒第二二章に沿ける唯一の脚註がパ

1 T

Y であり︑そ

とでは犬休にわいて汁先的引川がたされていろ止い丹市川︿正共に仰︑とのノ

1 T

一四九は︑リカブドウ﹁機械論﹂の

改六%のケイキ止してのパ lfγω 比況や.相討にふへだいものにさぜている曹にいわなければ怒るまい︒

しかし前山

ω

如く︑﹁一什討﹂にむけるリカアドウれ︑い究だ小一川的に川桃川沿に移行し終えてたく︑旧機械論的ノ 1

t を沢弘させており︑工り五しくは移行の過机にあった'といえ上う

n

たとえば以上の新機械論的危一述のノ

1

T にすぐ続くノ

1 r 一五五にわいては︑﹁わ穴しがひじように畏官な資本 をもク・どいうととは︑わたしが労働に対する犬き伝需要をもっというこ止である口労倒がひじ工うに長官であると

ρ

うととは︑それを雇傭する充ハ?な資本が泣いというととである o ﹂

(

? M H H )

去︑いうととに工クて︑資本の哨大と労働

需要との直結というスミス的た旧機械論的見解を露呈しているのである口 またマルサスの﹁機械論﹂ともいうべき︑かれの﹁原理﹂︑第七章︑第一久節﹁なの継続的増加に対する刺戟として 汚察された︑労働を節約する諸発明にクいて﹂という箇所にふされたりカアドウの一連のノ

1

T に‑おいては︑機械導

入の利ぬな昨保する条件としての外同貿易の問題を議論にいれ︑ながら︑しかもぎりぎりの所は︑機械が純粋に利益で あるんいうは仰がのべられている工うである︒たとえばノ

l

T 二問三に・おいては︑﹁われわれが相違する工ろにみら

れるのは此点である

n

わたしは次の上うに伝子る口すたわち︑ある偶然により現在までにまたは将来に沿いても諸外

たようであるが)においては労働者の窮境を充分に承認しながらも、むしろ穀物 注の問問にずらしているといえ土ラ。 c(

f .

VsI. 100‑101.

, 

 .pse  )3:01

(12)  J4.日の記入においては前々日たる12 日の民政が誌されているのである口

(咽.152‑3 e otnotfo ) 1

(1)3str'landHol 】Tonictuodrnt  ot sn'ortaR tnirper ,  .p .5 (14,)【'sanderHollonitucdrotnI ot Notes  on   .l"¥suhtluT  .p .xxl

(15)  G.  :fforitoS John  Rarton

C l

789‑1852).  E. 

1 .  

oL. V LyX[ . No .452

乱 1 :

harc . 5219

(11)

国と注んらの商業をももたないかもしれ注いようたもクとも限られた地方にすんでいる人民は︑それにもかかわら

守︑﹁作一本の荒川積︑土壌の肥沃度の改良治工ぴ労働を節約する新発明﹂から純粋たる訪利拾を引きだすであろうと︒

l l

マルサス氏は次の工うに考えます︒すなわち︑多くの事例に沿いて︑それら︹の三ちはかれら︹その人民︺に

対して符のある川物でし工うし︑かれに上れは︑それらを忠一応あるものにするため陀は︑それムは目別式に随伴されな

ければならない止︒さてわたしは︑川明︑口供給にのみ依存すると思いますので︑諾商品の孜前をうる千段は︑けっし

て忠一以的である以外にはありえ次い左川

ω

い 託

す ︒

﹂ (

同 ・

ω包)というととに上って︑明かに労働節約的放械の諸発明を

無条件的にブフスとしているのみならや︑その託明としてセ

1 の販路法則を援用しているといわたければならない︒

そうしてか L

る セ

1 の法則の雇用問題への適用がとりもなゐさ十補償説であると考えられるが︑かれは︑その直前

の ノ

1t

二間二にむいても︑泊費余力は無限であるので︑排除された労働は他の商品の生産にあてられうると考えて いる杭様である︒すなわち泊費は生産の如く苦痛を伴わないので︑事実上無限であるといクた後︑﹁想定された事例 k

b いては︑治そらくわれわれの綿製品をすべてわれわれが泊費するという願望をもたたいであろう︒しかしそれら

を生陀する労働は︑われわれが泊費したいと思う他の諸物を生産するかもしれない︒﹂(同・まゆ

l I R g

とのべており︑

明かに﹁原理﹂第三版第コ二章(デ ω∞ごで諮れるものとして言及される旧絞械論を反問しているといわれ怠ければ

たるまい口

さらにノ

1

T 二三六に沿いては︑一使用部面から他の使用部副への資本の転用に関して次の如く発一一目する︒すな

わち﹁一使用から浜本を引上げてそれをもう一つの使用に訟くさいに︑一般には相当た損失があるというのは︑真実 であるのしかし想定された事例

K

おいては︑それ︹損失︺はけっして機械の発見上り生じる利誌と等しくありえな

い口個人は損害を袋るかもしれないが︑社会は恩恵をうける︒﹂(同・自己として︑機械の導入は社会の利誌としては

っきりと肯定されているロそうしてその根拠としては︑居館が減少せやに旬以巾賃銀が同一であるととゐよび商品の価

格の下落による実質賃銀の上昇が措定されている工うである口さらに以上の引用に続けて労働最を規定するものは資

本の価帆ではなくしてその数量(生産物の数量に告さ直されているが)であるととを力説じた後に︑﹁:::しかし問

リカアドウ﹁機械論﹂の成立過程O

p p .   93‑94. 

(16)   s)r'deanllHo( n oictudrotDI ot Note 00 ".husltMa  .p .iicx

(12)

経 営 と 経 治

O

題は︑なんらかの上り少たき労働者が雇傭されるのであろうかどうかという乙とであり︑また社会が乙の個別的諸損 失以上に大なる恩恵をうけるかどうかというととである口そうしてとの点についてわたしは︑マルサス氏を満足さ せるために左んらそれ以上の議論を用いる必要はないであろうロなんとならばかれはそれを認めているのだからーー かれは全資本が工り大たる生産物をあげるだろうというととを承認しているのだから口さて社会が主として興味をも

つのは外ならぬとの点たのである口実際の字受手段が附加するであろうとと︑・およびそれらの享受物の分配に・おいて

主り少往き数量がその人民の故も多数た階級の介前にあてられ注い主うにするととが望ましい︒われわれは︑同一の 貨幣浜本が労働の扶持に使用されるであろうととをみてきた︒そうしてその人民は︑増加もしくは減少したとは想 定されていたいので︑かれらは同一の代防白銀をうるであろう

o ﹂(デ部どといい︑すぐに続けて﹁しかし諾商品は

全く上り以上に県日であり主た低郎であろう︒従って各人の賃銀はより犬怠る享受物左かれに調達するであろう︒﹂

( 同 ・

ω

l ω

印とともいう口

さちにノ

1

T 二三九に沿いては︑﹁われわれがしりたいと瓜うのは︑︹俄械の︺部改良がいか友る諸事情の下に沿い

てもわれわれに対して恩恵的以外ではありえないかどうかというととである︒マルサス氏の議論は︑それ以外の場

合もありうるというのである︒﹂(同・窓口というととに工クて︑外同貿易ししは区別された︑機械の諸改良についての

純粋たる恩恵を打ち出さんと努力しているといえ工う︒

最後にノ

1

T とれはかれの﹁原理﹂第二版︑第二六章の﹁総牧入・および純牧入について﹂ 二五七があげられ工う

J

(初版︑第二四章)を批判したマルサスの﹁原理﹂︑四二五ページの脚註に対するリジョイシグーともいうべきものであ

J

そうしてとの点はリカアドウ新機械論の第二のメルクマールが︑純所得と総所得との併行的増加の否定であり︑

かれの判機械論が総所得・純所得八刀析による労働の排除とよばれている乙と工りしても似︑極めて主要注論点を形成

するものた瓜われる︒さてノ

1

F 二五七で取上げられるリカブドウとマルサスとの対立は︑国家に重要たのは総所得

なりや納所作たりや去の問問をめぐってごっの論点を含む口その第一一は次の如く展開される︒すなわち︑リカプ下ウ

では机税余力︑貯訴余力︑もしくは不生産的階級(例えば兵士)の居仰余力が︑﹁国家の真実の利治﹂の内容であると考

(17 ) 総所得・純所得分析と固定・流動資本分析との関係については小稿「パ戸ト シおよびリカアドウの間接械論』について(三

) J

経芭と経諮第06号(昭.72 9)

P P . 3 2

"

'

;

; ' 4

. の(脚註)59 を参照せよo

参照

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