交通面からする長崎改造策
松竹秀雄
1.はじめに
2.モノレール及び人口島築造等による長崎の交通活性化構想
(1)モノレール
(2)人口島
(3)県庁舎移転
3.高架道及び大駐車場構想
(1)高架道構想
(2)大駐車場構想 4.長崎外環状線構想
5.長崎臨海観光都市として−総括
1.はじめに
長崎県並びに長崎市に関係ある交 通問題について,最近続いて計画案 なり,また変更案なりが新聞紙上発 表された。一つは女神大橋ルート案 がまとまったので,平成3年9月2
日以降沿線住民を対象に地元説明会 を開くというものであり,もう一つ は九州新幹線長崎ルート促進期成会 会長である佐賀県知事から,最近ま で主張されてきた佐世保近く(早岐)
を通って長崎に入るという計画案か ら, I佐世保近辺」をカットするこ とによって路線を短縮しようという 平成3年9月17日付の佐賀県代替案 である。
後者は,九州新幹線鹿児島ルート の着工が本決まりとなったことを受 けて,長崎ルート建設を促進しよう とするものではあるが,昨平成2年 度の長崎旅博覧会実施に合せて長崎
市周辺の有料道路・トンネル等の整備がかなり進んだことと併せて考えてみ て,益々逼迫してきた長崎市内道路交通渋滞にいよいよ抜本的改善の期が熟
しつつあるのを感ずる。
九州新幹線長崎ルートのうち長崎県内ルートの案は,昭和60年に国鉄(当 時)が環境影響調査(アセスメント)を実施するための駅・ルートの概要を 公 表 し 昭 和61年にアクセス案報告を公表し,長崎県議会もこの方向で決ま ったのはいうまでもないが,しかし各地の要望をそのまま取入れて行けば,
長崎県の地形上,佐世保の近くを通るという原案に達したことは当然と思わ れ,これが即, I総延長が在来線の長崎線より12km長い166kmとなり,工事 費が5,200億円にのぼることから営業を担当する] R九州は 採算ベースに 乗らない"と難色を示していた」となるであろうことはまた当然と思われた。
この代替案に対して長崎県知事は, I佐世保市にとって厳しい案だが,スピー ドアップや地元負担の軽減・費用合理化の3点からルート見直しを迫られて おり,検討を避けて通れない」と言い,また「九州新幹線長崎ルートはもと もと佐世保市南部を通過する案で決着していた。佐賀県の指摘は本県にとっ て厳しい内容」と困惑しつつも, I地元負担軽減などは従来からの強い主張」
と説明し,但し「佐賀県の理解がなければ新幹線は実現しない」との認識で 佐賀県の考えに一定の理解を見せた,とある。
佐世保市長は, I論外だ。従来の案通り進めるべき。将来の需要予測をせ
ず,現在だけをみていたのが今までの考え方だったが,佐世保市では,来年,
ハウステンポスも開業する。 (JR九州の)社長もハウステンポスのことを 考えている。経済界も含め,絶対に譲れない」と強く批判している。佐世保 地元としては当然の反対であり,新幹線促進期成会々長である佐賀県知事と しても,財源・地元負担及び費用合理化を考慮すれば,路線短縮案を以て「現 実的に一刻も早い着工」に向けて進めようとするのも当然、の案である。
ここで長崎県知事が「佐賀案は検討を避けて通れぬ」と即日理解を示した,
とあるのは何故であろうか。常識的にみて各地を通ることにコンセンサスが 得られているという原案は,各地を通るということによって同意を得られた わけであって,私はその報告のくわしい内容まで立入って調査してみたわけ ではないが, I (有明海沿岸をかなりジグザグ状にはしる)在来線の長崎線よ り12km長い」ことになるということだけとってみても,本当に実現性を目 指した新幹線長崎ルート案であったとはとても考えられない。仮に建設費財 源の目途がついた場合を考えてみても,地元負担額が示されたとき,所謂総 論賛成各論反対の困惑となるであろうことは目に見えている。従って,県都 のある長崎駅まで新幹線をもってくる,ということと,希望各地に新幹線駅 を造るということとは矛盾する原案であったということになる。つまり長崎 県の地形上,在来線は線路のカーブカットによる距離短縮が費用の点から不 可能に近く,そして長崎県内第2の都市佐世保市の近辺に駅を設定すること が,大村湾の南東部を経由することにより在来長崎線よりも距離が長くなる というおかしな現象になるということを如何ともなし得なかったからであ る。
さて,本論はここで一挙にその解決案を示そうという気負ったものではな い。しかし新幹線の受け皿となり得る可能性としてのものも含めて,私が昭 和60年11月以来,長崎県・長崎市に提案した幾つかのことを整理し,まとめ てみようとするものであり,私なりのデ、ソサンである。
2.モノレール及び人口島築造等による長崎の交通活性化構想
(1) モノレール
道路がなぜ混雑するか,というその原因は極めて簡単であって,道路を通 る車が多過ぎること,その道路の幅と長さを含めて道路が不足することであ る。従って道路が混雑している現象は,国・県・市を含めて首長による社会 資本の導入方が悪いという単純な評価となる。
長崎の交通渋滞状況を長崎県警察本部規制課の平成2年度(平成 3年 3月 付)の報告書についてみると,一日平均交通量の最も多い路線は,長崎市内 では長崎駅前(国道202号線)の58,432台,佐世保市内では本島交差点(国 道35号線)の46,821台であり,渋滞の要因は朝の通勤ピーク時における車両 の過度集中であって,長崎駅前の渋滞度は九州でも1‑‑‑‑‑‑2位という名誉でも ない順位である。
我国の経済は,敗戦後の混乱期を経て昭和25年の朝鮮動乱の勃発による特 需という契機が本格的復興の原因となった。戦後の我国の道路は,欧米諸国 に比し車輔数が極めて少いということもあって,道路は未整備のままに捨て 置かれていた。わが国民は,パス・トラックが通りさえすればそれを道路と 思いこんでいたが,終戦となり進駐軍によってわが国の未舗装道路,即ち雨 に遭えば水溜りが出来,泥んこにもなるその道を, r道路に非ず,道路予定
地なり」といわれて,なる程と始めて気がつき,妙に感心したものであった。
そのように社会資本不足のままの道路が,急激な経済復興による物流の増加 と観光需要の高まりに追いつけなかったことは全国的に似たものであるが,
長崎県ではその外に離島を多くかかえ,離島振興法活用による離島の港湾・
架橋に力を入れたその反面事情として,市街部への社会資本導入が遅れた,
という面は否めないようである。また長崎市街地はもともと利用可能土地が 狭く,大方の低平地は長崎港内を埋立てたものであり,且つその埋立地もさ ほど広いものではなかった関係上,道路幅は狭くて当然の地形であったとい えよう。
そのような原因が累積して現状となっているのであるが,今となってみれ
ば郊外地と異り,市街地に於ては道路幅をひろげることは極めて難しい。さ りとて長崎は観光立県・観光立市を目指して発展して行かなければならな い。ということは,否応なく今まで以上の車輔を呼び込まなければならない。
それは,県外からの車輔であろうと,列車‑航空で長崎入りし,市内のパス
・タクシーを使用するものであろうと,市内を走る車摘を増す為に努力する という結論には変りないものである。
さて,大都市では従来の交通システムの欠点を補うものとしての交通,即 ち新交通システムを以て種々の陸路を克服しようとしている。新交通システ ムは,多様化・高度化する交通需要を満足させるもの,公害少し交通事故 少いもの,そして公共的交通機関として安定した経営ができるもの,といえ るであろう。故に,長崎市に於て交通渋滞を解決するとすれば,多分に新交 通システムの適用でなければならぬといえる。
ここでモノレールと表記したのは,地形的に大部分の距離は高架上を走行 し,一部は地上を走り,そして部分的には地下を走らざるを得ないと考えた 結果である。
昭和60年(1985)11月11日に長崎市長に, 11月15日に長崎県知事に提案し,
同12月6日に長崎県庁に於て説明した原案は次の通りである。
① 人口島築造
多良見町二見瀬鼻沖に人口島(1 km x 4 km)を造り,空港との問に架 橋し,モノレールと自動車道‑歩道を通す。
② モノレール
長崎県主導型の第3セクタ一方式がのぞましいであろうo
② 長崎一長与一空港一大村一諌早線
⑪ 長崎一長与一空港一大村‑針尾島‑佐世保線
但し最初の段階としては,長崎から大村までとし,逐次延長する。
(注1)長崎市の起点は,初段階は松ケ枝附近からとし,逐次香焼町入口附近まで延長す る。
(注2)パス路線は,前記の各段階に応じて,そして航空便のアクセスパスが完全にモノ レールに移ること,パス利用客も一部その傾向が考えられることをも含めて,パ ス路線の再編成は行われる。(詳細は省略)
① 人口島の利用方
@ 長崎大学水産学部と長崎県立水産高校の移転。
※人口島の岸壁に水産学部及び水産高校の実験船・練習船を繋留出来る ものとする。
@ 水族館の移転と水族博物館への拡張
。
トラック流通センター※卸商団地の移転及び内航海運による岸壁荷役の検討。
この人口島は地理的に長崎県本土のほぼ中央に位置するので,物流 の大きな拠点となり得ると考えられ, 500トン級船舶ならば十分に湾 口の入出航可能である。
。
イベント広場の確保@ その他,現在諌阜市にある県立運動場の移転も考慮に入る。
④ 人口島埋立用土砂に関連して,琴尾山麓(長与町・多良見町)の住宅地 開発。
① モノレール路線に関連して,長崎市大波止突堤と,丸尾町(三菱電機前)
「旭町突堤」の聞に架橋(仮称長崎大橋)し,モノレール鉄道・自動車道 .歩道の3道を通す。
① モノレール地下道(大波止一中央橋一浜町一湊公園‑市民病院前)に関 連して地下商庖街の開発。
上記がその骨核であるが,モノレールとしたのは,浜町附近と長崎空港は 地下走行とするため,地上から地下への走行角度の関係からモノレールでな ければならぬであろうという理由による。
(2) 人口島
モノレール道の構想の中心は,二見瀬鼻の沖合の人口島であって,二見瀬 鼻と小崎鼻(何れも多良見町)にほぼ平行して長さ4km.幅1kmとすれば,
概ね次図の程度となり,面積としては長崎空港の箕島より広いものとなる。
このモノレール開通後の通勤事情から,将来或は現長崎市と現大村市との 大同合併による大長崎市の可能性を考え,長崎市長に,この人口島を長崎市
の飛地と出来ないかと質問したが,当時の長崎市長は無理であると回答した。
またこの人口島は,もし新幹線長崎ルート案が財源面その他から行詰った 場合,この人口島を通って長与に出ることにより大幅な距離短縮が可能とな
うつつがわ
り,従って佐世保市近辺(早岐)経由も可能となるであろうし,また現JII 駅附近経由の計画トンネルよりも現長与トンネル附近の新トンネルによって
トンネル距離短縮が出来る。最悪の場合でも,この人口島に新幹線長崎駅を 設置することにより,十分にその受け皿となり得る条件を持つものである。
また長崎空港の,モノレール線での隣駅であるから,或はホテル誘致も可
能となるかもしれない。
なお,二見瀬鼻から人口島,人口島から長崎空港の箕島へのルートは,海 図によれば水深16m平均の盆状地形をなしており,架橋はさほど難事ではな いと考えられる。
因みに大村市と大村商工会議所でも,大村湾架橋及び大村湾の観光開発に ついて以前からかなり討議されており,平成元年9月4日大村市における「大 村湾架橋問題会議」には筆者も出席した。構想の内容・架橋の位置等に差は あったものの,大村湾奥部を長崎県の中央と見倣し,現在の長崎空港を含め て,大村湾架橋により交通の中心点がはっきりこの地域に確定することによ って,つまり交通の核が出来ることによって長崎県観光が大きく浮揚すると いう見解は全く同じであった。その架橋位置と橋梁構造の一つのユニークな 案は次の通りであった。
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(3) 県庁舎移転
場所を特定して記述することは控えるが,モノレール開発に並行して現長 崎県庁舎の移転をモノレール沿線上に移転計画すべきことを提案した。
平成2年(1990) 7月3日の定例県議会で,県知事は新庁舎につき平成9 年着工・ 11年完成の概略を表明し, I現在地を売却するかどうかについて(審 議会を通じ)結論を出したし、」と述べているが,私案は現有建物の県有のま
まの利用である。
現長崎県庁舎は,その入口附近に右の石 碑があることからわかるように,長崎市内 の歴史的に重要な場所であって,安政4年 (1857)からの長崎熔鉄所(現三菱造船所) 及び安政6年からの大浦外人居留地等の埋 立てにはじまる現在の大半の長崎市内低平 地が,未だ海面であった往時を考えると,
この場所は長崎の町を見渡せる要地である と共に,政治の中心たるにふさわしい場所 であった。ということは,この場所こそが 現在では長崎の観光の中心として最もふさ わしい場所である。試みに長崎県庁の屋上 にのぼって見ることをすすめたい。かの16
世紀後半から,この長崎一森崎と呼ばれた岬を突端として、海中に突出して いた高台を,伴天連アレッサンドロ・ワリニヤノが, I長崎は自然、の城塞で ある」といったことが実感を以て受取られるであろうし,また万里の波涛を のりこえてはるばるとこの地にポルトガル船が入港したとき,岬のイエズス 会本部の光り輝く十字架を仰ぎ見て感涙にむせんだということも実感できよ
フ。
長崎県庁舎は県有のままとして,県庁舎をモノレール沿線の場所に移し,
県有の現建物は観光を主体とする設備に変更することを強く提案する。この 場所は前記歴史上の三つの遺跡であるばかりでなく,出島遺構を術敵する絶
好の位置にある。すべからく長崎の観光拠点として開放すべきであると考え る。つまり他の観光都市の天主閣的観光存在といえるのである。
昭和61年2月末頃,長崎市長に現長崎県庁舎と出島遺構との聞に於て,平 面駐車場以外の,高い建物建設を制限する考えがないか文書打診したところ,
同3月7日付,市長個人名で
① 新 た に 建 築 さ れ た5階建建築物については「法律的には完備しており,
指導の余地がなし、」。
② 中島川添いの地域については, I緑地帯・駐車場を設けるなど景観確保 についても考慮するようになっている」
上記の通り回答があった。
なお,現県庁舎の利用は,
① 県観光物産センター(現在長崎駅前交通会館内)の移転。
② 市総合観光案内所。
① 貸会議室及び貸室(シアターなど)。
県立図書館移転の考慮。
④
①
③
北側建物部を普通車駐車場とする。
地下に大規模な観光パス用駐車場をつくる。
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高架道及び大駐車場構想
3.
高架道構想
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8月に,長 崎県知事と長崎市長に文書提案したものである。
この提案は,長崎市内の道路が狭いこと,交通渋滞地域の建物を立ちのか
「長崎市内に二階建道路を」という構想は,昭和61年(1986)
との2観点からして,長崎市 せて道路を拡張することが極めて困難である,
内の交通から渋滞を無くするために差引計算して二階建道路即ち高架道を建 設すれば解消できるという単純な発想である。条件としては次の2条件であ
る。
の 架道橋を取外して地下道にするか又は,架道橋の上に二階建道路を建
二階建道路における交差は立体交差とすること。
設する。
⑪
高架道が最も効果的と考えられる路線は,
一松ケ枝線 岩屋橋一長崎駅前(交差)一大波止(交差)
※必要に応じて乗降枝線を取付ける。
①
② 長崎駅前(交差)一公会堂前‑蛍茶屋線
※市役所附近に分岐。
(架橋)
① 丸尾町(旭町突提) 一一一大波止(交差) ‑中央橋一正覚寺線
※中央橋附近に分岐。
モノレールと高架道が出来た場合の浜町道路は次の通りとなる。
(上高架道路
中.陸上車道・電車パス道・歩道 下.モノレール地下道
なお,昭和62年 5月に モノレール1
二階建道路}等による長崎改造試案 県庁移転 j
として長崎県知事・長崎市長に
再提案した。 糊
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長崎県からの非公式回答で恥 ~ìe~ 調臨時閉ゑ喜一室実質必 嬰 は,高架道は政令指定都市にし 間賠部世話 ~!I群落事
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しいものである。これは平成3 年6月に建設省が都市部の慢性 的な交通渋滞を解消するため,
主要幹線道路を立体化し,車の 流れをスムーズにする「ハイモ ビリティ道路事業」の創設に向 かつて動き出したことからも時 代の流れが読み取れよう。
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(2) 大駐車場構想
平成2年の長崎旅博覧会を2年後に控えた昭和63年4月17日, この日島原 合宿ゼミで午前9時から正午まで交通問題講議の途中,突然NHK長崎支局 から電話で長崎旅博の長崎市内交通渋滞について質問を受け, またその翌日 帰校して午後5時頃NHK氏の訪問を受け,私なりの余剰自動車運送船利用 の駐車場化を主とする案を回答した。 しかしそれ以来,観光を以て立つべき 長崎市に新たな大駐車場が必要であるが,それを生み出す方策はないかと考 え続けて来た。私なりの解決策が稲佐橋大駐車場案である。これは昭和63年 12月に長崎県知事・長崎市長・長崎旅博プロデューサーに文書提案した。
場所は次図の斜線部分(浦上川・稲佐橋下流)であり,地理上稲佐橋附近
きると考えられる。
通りである。
① 駐車(普通車)台 数は1500台乃至2000
L、
口。
※計画台数によって 駐車橋の長さを決定す る。
② 建設費用は公費の ほか県・市内の一般 企業・民間人から寄 附 (1口1000円)を
稲佐橋大駐車場(案) (1500台‑2000台)
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ねる様式として,旅博期間中 (或いは無期限に)その金額に 応じて駐車させるものとする。
その翌昭和64年1月 これは,
4日付文書を以て長崎市長に,
「目下,竹下内閣で計画中と伝 えられる ふるさと創生"の国 費」をこれに当てられたいと具
申した。
浦上川の上に大駐車場を造る
鼠輸のム川町上にピ ルや住宅ヨ内室てられれ1Z‑大き なメリヲトとな .II!J島町Z正ま で..土健施盆町lI'に耐える強 震が問闘で拍ー岨d四方.'回 界だ今た.園町斬=・トラえ でt:tl;V'C!I'(文鐙と食住佼粗 土'*'玄i:~腎である.再開姥の樋
合でも.盆民丹合11と行政問ピ ジ.:.-~句齢制*で晶咽司 治世暑とな1).U~旨信市町国 際 化 広 島 可 け 刷 、 そこでよ地"'"総回明u.絶 " に
というとすぐ強度及び耐久性の 面から単純な反対意見の出るこ とは考えられるが,現在は「川
2.11.9
⁝ ⁝ 日経
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溺 ⁝ 酒 ⁝
⁝ 況 ⁝ 澗
⁝ 羽 ⁝ ゅ
⁝ 沫 凍 溜
浦 ⁝ ⁝ 抑
制 ⁝ ⁝ ⁝
首都圏に第二の富士山?│
ー叫︿成建匝は二十一也知の新目出
しい都市空間として︑高さ四割引
平Mの円錐(えん?い)状の両凶
襲 撃 つ く る 構 想 を ま と め 鵠
た.
H H 名 称 は
﹁ 超 々 高 層 未 来 都 市 吃
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n円 目 ﹂
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写真は毘成予知相図︒都心周辺日制
部 の 海 上 ま た は 湖 ょ に 底 思 司
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の浮上高の基礎を園
d
つくり︑その上に巨大な柱と
の上・線路の上に街を創る」
(1990年,PHP研究所編発行, r図 解21世紀ビッグプロゼクトJ30頁)
ような時代であると認識して,
実現可能な構想として提案した ものである。
現在でも,公の建設で民間に
ス
ロ 一 フ
アイススケート,ゴル フ打放し等各種の遊戯施設を併 運営委託すれば,
ケート,
営して十分に経営可能ではない
富士山型、150兆円
これは博覧会その かと考える。
アイデア競争過熱
他大催事の場合に遊戯施設部分 を休業して駐車場として供する ような,伸縮自在の考え方で運 営すればよい。
4.長崎外環状線構想
この構想は稲佐橋大駐車場構想より半年前の昭和63年6月に,長崎県知事 と長崎市長に提案したもので,正式の表題は次の通りである。
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首長一首長屋一筋覧(香焼)の架橋を含む長崎外環状線構想」これは,以前から構想され平成3年9月1日の新聞紙上に,県と長崎市に より発表された「女神大橋線ルート案」を知らなかったわけでもなく,また これを否定す るものでもな い。先ず私案 の説明を始め ょう。
① 大筋としての外環状線は前図の通りであって,目的は長崎市を行き止ま りの土地,即ち往った道を復らねばならぬ土地・終点ではなく,別のルー トによって次の観光地に行けるようにすることによって交通渋滞の緩和を 図るものである。つまり,ハウステンポスーオランダ村‑琴海町三重一 福田‑深堀一長崎市を一つのルートとしようというものであって,深堀か ら茂木・東長崎に出るルートもまた同じ考え方である。これは平成2年 (1990) 9月から始まった「長崎自動車道延伸計画・中里‑早坂町間12 kmJのルート概要と環境影響評価(アセスメント)の為の住民説明会(九 州地方建設局主催)の目的とは概ね同じであるが,但し,私案はその具体 的ルートとは無関係に,架橋部の両サイドの大筋の外環状線としての構想 に留める。
② 架橋及び取付道路の新設は次の通りである。高鉾島から長万鼻(香焼) への長大橋は700"‑'750mとなり,鼠島から高鉾島に架橋(約450m) し, 高鉾島中上部を一周して,高度を上げて長大橋につなぎ,長万鼻で高度を 下げて香焼島長浜・深浦を経て深堀町に至る道路である。
この考え方は,松ケ枝一小曽根附近の交通が輯鞍していることから発し た。小曽根附近の一日平均交通量は次の通りである。
上り(市内へ) 下り(市外へ) 昭和61年年間平均 17,044台 13,785台
グ 62年 1/ 17,080 14,277
グ 63年 1/ 14,847 17,698
平成元年 1/ 17,822 14,892
グ 2年 1/ 17,002 14,804
上り線と下り線の傾向に於て,昭和63年が上・下線交通量が逆転している が,長崎旅博覧会めがけての工事関係で交通規制があった為であろうか。
ところでこの道路が割合い輯鞍しているのは,西琴平町・国分町‑戸町あ たりの中小造船所関係もさることながら,今は陸続きとなった百万トンドッ クもある三菱香焼造船所への通勤及び納入業者の車が相当に多いと思われ る。昭和63年5月に私が香焼工場保安係から間取り調査した結果は,一日約 1,600台ということであったが,平成2年(1990) 4月24日長崎新聞「秒読 み長崎旅博」の記事には「三菱香焼工場の通勤マイカーは1,700台」という 長崎県知事発言が載っている。何れにせよ,小曽根附近一日平均交通量の10
%相当である。然し乍ら,三菱香焼造船所への車の出入が圧倒的に朝夕の通 勤・退社時と考えてみれば,恐らくは30%は越すものと推定した。然らば小 曽根附近の交通渋滞を解消する方策如何, と考えたときに三菱香焼への最短 (三菱飽の浦・立神等からも)距離を図面に引くべしとなったのがこのルー トの発想である。つまり,これは産業道路である。
管見にしかすぎないかも知れないが,女神大橋はそれなりに有用・有効で あることは間違いないと思えるものの, しかし女神大橋が架かったことを想 像すると,長崎市内の方からみて,長崎港全体が何となく狭くなったと感ず るようにはならないであろうか。それに比し(仮称)高鉾大橋は長崎港を狭 くする感じとはならず,かえって歴史的にここらあたりが徳川幕府時代の長
崎警備の最外側の線(神の島‑高鉾島一蔭の尾島(長万鼻)間)であったこ とによる一つの史跡としてアピール出来るのではあるまいか。
またこれは,外海町その他の西彼杵半島五ヶ町への貢献には力不足である が,半島振興法に基づき西彼杵郡野母崎町・三和町をより九州北部へ近づけ る役目を果すことが出来ようし,神の島埋立地も生き返ることになるであろ うし,また伊王島の観光開発にも大きくプラスとなろう。
5.長 崎 臨 海 観 光 都 市 と し て ー 総 括
グラパー園から長崎市内を眺めると,前面に港が見え,対岸に大造船所が あって大てい大型船が鱗装岸壁に接岸している。時には白亜のクリスタル ハーモニー(5万トン)や飛鳥(2万8千トン)なども見えると長崎港が特 別に明るく映える。それに旭大橋の赤い色彩と稲佐山頂のテレビ塔・展望台
も加わって,立体感あるパノラマとなる。
昭和30年(1955)前後,私は長崎県の産物として,専門家から「いも・い わし・石炭」ときいた記憶がある。これは勿論,造船業を別格に置いての話 であったと思う。ところが現在は,いももいわしも石炭すら成立しなくなっ てしまった。これによりプラス・マイナスすると,観光と造船業だけが残る ことになる。つまり,造船業は別格として,観光立県,観光立市でなければ ならない。
提案した第ーは,人口島とモノレールによる長崎県交通の核の創出である。
これにより大村湾全体がウォーターフロントとして飛躍的に伸びることは疑 う余地はあるまい。それに長崎新幹線の受け皿としても重要なポイントとな ろう。モノレールはまたその建設に当って提案第二の高架道とうまく組合さ れねばならない。高架道は提案第三の大駐車場構想と相侠って交通渋滞を解 消すると共に,県外からの観光車輔を呼び込む強力な手段ともなる。そして 提案第四の外環状線構想と密につながり,香焼町と伊王島聞の架橋も将来実 現するであろうし,長崎港外のウォーターフロント化一例えば,
野母崎一高浜一深堀くく 伊王島
神の島遊休地ー福田遊園地
等がそれぞれ活き活きとした連繋のもとに伸びてくるであろう。百万トンド ック大造船所の遠望・近景もまた一つの観光である筈である。
このように都市基盤の整備が出来て,はじめて長崎が有する最大の資源で あるところの海と歴史が生きてくる。即ち,中心地点に長崎空港と人口島を 有するモノレール沿線乃至その延長線上に,長崎港外のウォーターフロント からハウステンポスを含む大村湾全域に至る広い地域が一つの観光圏とな り,これに九十九島・平戸等の北部観光域と島原・雲仙の観光域が,そして 五島列島が連繋することによって長崎観光コンビナートともいうべき広域観 光圏が成立する。それは長崎一人口島‑長崎空港一大村が一大幹線となるこ とによって実を結ぶことになるであろう。そして人口島のイベント広場で常 時何らかの催物が行われていることを想像するとき,長崎に国際的文化交流 の会場不足が指摘されて久しいことに思い至る。これには前述した現長崎県 庁跡建物を利用することにより一部の補いはつくものと考えられる。しかし ながらそれは一部であって,不足の解消までは至らないであろう。
ここで,最後に県庁移転をとりあげてみたい。県庁移転先はモノレール沿 線上にあって,可能ならばその建物の中にモノレール駅をとり入れることも 考慮してよいであろう。移転先が,若し私が昭和62年 5月に長崎県に場所を 特定して文書提案した,現県庁舎とさほど遠からぬ長崎市内の場所を想定し た場合,その附近は或は一部ウォーターフロント化という面も含めて整備さ れるものと思われる。新県庁舎は凡そ30階建程度のインテリジェントピルと なり,屋上に消防監視所が設置されるに伴い,ビル内に市中央消防署の移転 も考慮、に入る。この地が高架道の一つの基点となるので市内各地への消防車 の運行がスムーズに行われると,消防署の統廃合も考慮されるであろう。当 然,ピルの1階・ 2階にはこの消防車専用駐車場のほかに,県庁の特定駐車 場・有料駐車場が広く確保される。
またこのピルは,国際会議場・多目的会議場・多機能ホールなどのほか,
一つの情報通信基地としても活用されなければならない。昭和60年度に長崎 県は,通商産業省の委託を受けた財団法人ニューメディア開発協会の「昭和 60年度モデルコミュニティ情報化システム開発計画調査」事業のうちの,僻
地医療型(長崎市・大村市・五島対馬地域)モデル地域指定に鑑み,協力し て調査に当った。
長崎県は南北300余km,東西200余kmと広大な行政区域をもち,県土の面 積の約40%を占める大小600余の離島を有しており,人口老年化の速度は全 国平均より速い。しかし,長崎県は我国の西洋医療発祥の地として県民の医 療に対する意識も高いことと,本土と離島圏の医療体制の連携・充実を重要 課題の一つに位置づけていることから,そのモデル地域に指定されたもので ある。 1年間の調査実施の結果は,情報システムの技術面の充実と,大容量 伝送路 (DDX網・高速デジタル網・衛星)の情報インフラストラクチャー の整備と効率的な活用,並びに高度医療遠隔支援システムの運営体制の整備 等が今後の課題としてあげられた。このような情報の受発信基地としての役 割をこのインテリジェントビルに期待すると共に,要すれば屋上をヘリポー
ト基地として活用することも考慮されねばならぬであろう。
終りに,長崎市が南北に長く,東西に短い地形をそのまま自然に活用する ことをすすめたい。即ち,仮称長崎大橋が計画のテーブルに上ったとき,歩 道部分を,例えば東側の起点を現県庁舎と出島遺構の両所から歩いて対岸へ 渡れるように高架とし,そして現旭大橋の歩道部分も東西両端をもう少し延 長し,稲佐地区の高台部分からニュー長崎ホテル南側附近に階段が接地する ように,これは稲佐橋も同様である。つまり,東西は「狭い長崎,歩け歩け」
であり,南北は「より速く,より高く,よりスムーズに」である。
いつの日か,大村湾奥沿岸道路と人口島にかかる橋を一周してのマラソン 大会と,鼠島から高鉾島を経て長大橋を渡り市内中心部へ向うマラソン大会 を夢みて,結びとする。 (平成3.9 .28)