文字創製・改革にみた中国少数民族政策
著者 庄司 博史
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 12
号 4
ページ 1181‑1214
発行年 1988‑03‑26
URL http://doi.org/10.15021/00004337
文字創 製 ・改革 にみ た中国少数民族政策
庄 司 博 史*
The Chinese Policy in Developing Writing Systems for National Minorities
Hiroshi SHOJI
This paper presents an observation on developments in the creation of writing systems for national minorities, as a part of the Chinese policy towards its ethnic minorities.
When socialist China was founded, in 1949, many ethnic minorities were present within its territory. These minorities, who occupied over 60% of the land area, which, although mostly marginal, was strategically and economically critical areas, remained both economically and educationally far behind the Han Chinese. Thus, inevitablly, China had to incorporate the minorities into the unified nation building plan by bringing
their socio-economic levels near to those of the Han.
Therefore it was not surprising that the Chinese government adopted, at a very early stage, the rather progressive policy of guaranteeing the minorities the right to preserve and develop
their own languages and customs. But most minority peoples lacked a written language or writing system. Thus China soon put forward a strong measure based on the Soviet model, to formulate writing systems for minority languages.
In China the realization of this plan involved several phases:
1. massive linguistic and sociolinguistic research on minority languages;
2. selection of alphabet or writing systems (pictography or phonetic alphabet; Latin or Cyrilic alphabet, etc.)
3. formulation of orthographical norms (i.e., the assignment of letters to sounds). This was done for every language, taking
into consideration the problem of a unified system with other
languages and, especially, with pin-yin, which was then also
being planned as a phonetic writing system for the Han
*国 立民族学博物館第3研 究部
1181
国立民族学博物館研究報告 12巻4号
language; and
4. preparation of a draft plan, and pedagogic and reading materials for tentative use.
All these aspects progressed at varying ranges under the influence of both Sino-Soviet relations and domestic Chinese political conditions. The latter has been reflected in the varying interpretations of the status of nationalities in relation to socialist progress of China; between total cultural autonomy at one ex- treme and assimilation or amalgamation with the Han at the other.
Developments in the creation of the writing systems for the minorities as a whole, falls roughly into three distinctive periods;
(1) (until ca. 1958) the urgent attempt to develop any one writing system for every minority language, and a later attempt to produce uniform systems on rather a theoretical basis; (2) (until ca. 1978) the period of retreat and disruption of the minority language policy; (3) (1978 — present) the period of the revival of writing system creation on a more practical basis, i.e., according to the conditions of the individual minorities.
It is not difficult to relate different political situations to these periods. The present minority language policy is ap- parently being conducted under the favorable atmosphere of the recent political liberalization movements.
1.序
II.少 数 民 族 ・民 族 言語 政 策 皿.中 国少 数 民 族 言 語 政策
1.少 数 民 族 の 法 的地 位 一 マ ル クス主 義 ど の か かわ り にお い て一
2・ 少 数 民 族 言 語 政 策 の基 本 方 針 3.漢 語 の 共 通 語 ・識 字 化 政 策一 も う一 つ
の言 語 改 革 一
IV.少 数 民 族 言語 政策 の 推 移 1.少 数 民 族言 語 調 査 2.方 言 の標 準 化 と民 族 の識 別 3,文 字 改 革 ・創 製 の 進 行 4.停 滞 ・後退 期 5.少 数 民族 政 策 の復 活
& 中国少 数 民 族 政 策 に み る柔 軟 路 線 V.結 語
1.序
中 国 は数 億 の 人 口 を か か え,面 積 も 日本 の 約20倍 に も た っす る巨大 国家 で あ る。 か つ て は 名 実共 に超 大 国 と して東 ア ジ ナ に君 臨 した こ と もあ っ た。 しか し,現 在 我 々 が 中 国 とみ な して い る地 域 を全 体 と して内 か ら見 れ ば,決 して一 つ に ま と ま った均 一 な
1182
人 々 に よ って 形 成 さ れ て い た の で は な く,言 語 や 文 化 を 異 に す る民 族 の集 合 体 で あ っ た。 中国 の 歴 史 にお い て,中 華 思 想1)を も っ て支 配 しよ う とす る漢族 と彼 らに よ り蛮 夷戎 狭 と蔑 ま れ た辺 境 の異 民 族 と の攻 防 が重 要 な側 面 を な して きた こ とは周 知 の 事 で あ る。異 民族 に 対 す る この よ うな態 度 は,基 本 的 に は満 州 族 の 清 朝 が倒 れ,三 民 主 義 や 五 族 共 和 を 唱 え た 民 国 時 代 に も継 承 され て い た とい わ れ る[岩 佐 1983:8]。
少 数 民 族 が 民族 と して 漢族 と同等 の権 利 を法 的 に認 め られ た の は よ うや く新 中 国 が 成 立 してか らの こ とで あ る。 しか し中 国全 人 口 の わ ず か6〜7%に す ぎな い と はい え, 合 計6700万 人2)に の ぼ る少 数 民族 は 全 土 の60%を 占 め,そ の多 くは,国 境 地 域 に居住
して お り,さ らに 国境 を こえ 国 外 にま で広 が って い る もの も少 な く な い。 これ は, 領 土 と国民 保 持 とい う観 点 か らは国 家 の存 在 に重 要 な 問 題 と な りう る[EDMONDSON l984:67]。 と は い って も近 代 化 とい う大 きな課 題 を か か え て い る 中 国 に と って,55 に ものぼ る少 数 民 族 に漢 族 と同 等 な権 利 を 実 現 し,同 時 に 国家 的統 一 を維 持 す る こ と は政 策 的 に も経 済 的 に も大 き な負 担 とな るの はあ き らか で あ る。 こ うい う現 実 上 の問 題 を かか え な が ら,新 中 国成 立 以 来 約40年 のあ いだ,少 数 民 族 政 策 は国 策 の 中 で 大 きな比 重 を 占 めて きた 。 当初 か ら法 的 には 自 治権,固 有 の言 語 と風 俗 習慣 の 自 由 が保 障 さ れて い た と は いえ,す べ て の 民 族 問題 を 階級 問題 に解 消 し,ま た 中央 集 権 的 に な りが ちな社 会 主 義 的 理念 との矛 盾 や 各 時 代 の 国 際 的,国 内 的諸 状 況 に よ って 少 数 民 族 政策 が大 き く左 右 され て きた 。特 に1964年 か らの 文 化 大 革命 中,民 族 政策 が 大 き く後 退 した の は周 知 の こ とで あ る。 しか し,1970年 代 末,文 化 大革 命 の影 響 が排 除 さ れ始 1)中 華 思 想,大 漢 族主 義 に関 して,興 味 深 い説 が あ る。 これ は元 来 漢 族 が,周 囲 の異 民 族 を 漢
化 しな が ら形 成 さ れて き た こ とに もとつ い て い る が,そ の一 例 と して,竹 村[1983:334‑335]
は 次 の よ うに の べ て い る。 「漢民 族 と非 漢 民族 と のか か わ りあ い の歴史 を少 し注 意 して み る と, 両 者 の 間 に は も と もと絶 対 的 な差 別 と い う もの は な か った と考 え て よ い 。 しいて い うな らば,
『文 化 の落 差 』 に もとつ く優 越 意 識で あ って,少 な くと も 『人 種 差 別 』 は な か った の で あ る。
これ は西 欧 列 強 に よ る植 民 地 支 配 に み られ た 『差 別 』 と根 本 的 に性格 を異 にす る点 であ る。」
しか し一 般 に人 種 差 別 と みな され て い る もの が,実 際 には 被差 別 民 の 背 景 とす る風 俗,習 慣, 言 語 な ど正 に文 化 的 要素 を基 準 に され て お り,「文 化 の落 差 」に よ る レ ッキ と した 民 族 的差 別 と 本 質 的 な 区別 は可 能 で は ない と思 え る 。差 別 は 民族 間 に も と もと存 在 す る よ り,む しろ歴 史 的 経 済 的 事情 を背 景 と して,集 団 間 に利 害 の 対 立 す る場 合 に生 じる もの で,言 語,宗 教 そ の他 文 化 的 要 素 や形 質 的 な 差 は差 別 の契機 と な り,異 な る形 態 を と らせ る要 因 とな りう るが表 層 的な もので あ ろ う。 も し 「絶 対 的 な差 別」 が西 欧列 強 に よ る植 民地 支 配 にみ られ た とす るな ら,そ れ は東 洋 と西 欧 とい う精 神風 土 の 違 い よ り,む しろ,近 代 国 家 に よ る絶 対 的 弱者 支 配 の構 造 と お そ ら く無 関係 で はな い で あ ろ う。 そ して,た とえ こ の大 漢 族主 義 が単 に 「文 化 の 落 差」 に も とつ く優越 意 識 か ら くる もので あ った と して も,そ の行 な った行 為 の残 虐 性 に お いて は 西 欧列 強 に劣 らぬ もので あ った こと も疑 い え な い事 実 で,こ こ にお い て も両 者 の 間 に絶 対 的 な違 い は な い とい え る。
2)1983年 入 口 謂査 で は67,233,254人[張 1984b:47]で これ には1,300万 以 上 の チ ワ ン族,640 万 の回 族,540万 の ウ イ グル 族,480万 の イ族,390万 の ミャオ族,340万 の チ ベ ッ ト族,260万 の 蒙 古 族 な どと な らん で,1万 人 た らず の チ ン族,チ ー ヌ族,ポ ー ナ ン族 や5,000人 に みた ぬ トー ロ ン族,オ ロチ ョ ン族,1,400人 余 りの最 少 の ヘ ジ ェ ン族 な どがふ くまれ る。
1183
国立民族学博物館研究報告 12巻4号 め る と と もに,少 数 民族 政 策 が 再 び復 活 され つ つ あ る こ とが 指 摘 さ れ て い る[毛 里 1980;佐 々 木 1982]。
1949年 新 中 国 と して 成 立 当時,国 民 の80%は 文 盲 で 国家 建 設 の た め の大 きな 障 害 と な って い た。 したが って,文 盲 を排 除 す るこ とは 国家 的 重 要 課 題 の一 つ で あ っ た。一 方 辺 地 の 少 数 民 族 は 自 己の 言語 を 表記 す る文 字 さ え も た な い状 態 で,文 化 的 に も漢族 に比 べ は るか に遅 れ て い たが,中 国政 府 は文 字 創 製 を含 め た,民 族 語 の 文 語養 成 を民 族 政 策 の 重 要 課 題 と した。
民 族 に と って 民族 言語 は切 りは な す こ とが で きな い 。そ れ は単 に民族 の 必要 条件 で あ る ばか りで な く,彼 ら に と って 自 由 な意 志 を 発 露 す るた め の 最 良 の手 段 で あ り,ま た民 族 問 題 に は,陰 に 陽 に 浮 上 して く るア イデ ンテ ィテ ィ ー と も深 くか か わ って い る。
した が って,国 家 の少 数 民族 に 対 す る姿 勢 は,そ の言語 に対 す る政策 に よ って は か り しる こ とが で き る とい え る。拙 論 は こ の よ う な観 点 か ら,中 国 の少 数 民 族 語 の文 字 創 製 政 策 の 推移 を追 う こ とに よ り,少 数 民 族 語 政 策 の一 側 面 を と らえ,ま た現 在 の政 策 の 位 置 づ け を行 な お う とす る もの で あ る。 中国 の少 数 民族 語 政 策 の 流 れ に 関 して の文 献 は,[西 田 1980;王 1982;岩 佐 1983;EDMoNDsoN l984;Fu 1985]な ど い くつ か あ るが,い ず れ も中 国側 のか ぎ られ た,公 的,半 公 的 な資 料 に依 拠 して,全 体 と して経 過 を追 うに とど ま り,文 字 創 製 に関 す る政 策 の変 遷 お よ び,そ の背 景 につ い て は ほ とん ど触 れ られ て い な い 。岩 佐[1983]は 民 族 語 政 策 の推 移 を政 治 的 情 況 と の 関連 に お い て 的確 な記 述 を行 な って い るが,文 字 創製 に 関 して は簡 略 に とど めて い る。拙 論 で は,各 時 点 で の 半 公 的 な 見 解 で あ ると い う資 料 的 制 約 はあ るが,『 中 国語 文 』 『民 族 団結 』 『民族 語 文』 『民 族 研 究』 な ど の民 族 ・文 字政 策 に 関 す る記 事論 文 の 記 述 の 流 れ を追 うこ と に よ り,そ の 背景 に あ る国 内 ・国際 的政 治 情 況 との関 連 を 跡 づ
け るこ と を試 み た。
L 少数民族 ・民族言語政策
民 族 の 定 義 は さて お き,世 界 中の ほ とん どの 国家 は程 度 の差 こ そ あれ 多 民 族 国 家 で あ る。 一 般 に これ ら民 族 間 に は,人 口,経 済 力,政 治 力 や 文 化 な ど の差 か ら種 々 の力 関 係 の ア ンバ ラ ンス が生 じて い る。普 通少 数 民 族 とは絶 対 人 口が 少 数 であ る とか,国 家 に お い て少 数 派 であ る と い う意 味 で 用 い られ る こ とが多 い よ うで あ るが,む しろ, 上 に あげ た よ うな 理 由 で不 利 な 立 場 に あ る もの と した方 が 適 当 であ ろ う。 ただ ほ とん
ど の場 合 有 利 な 立 場 にあ る集 団 よ り少 数 で あ るた め,こ う呼 ばれ るの で あ ろ うが,弱 1184
者 の立 場 を抜 き に した定 義 は当 た って い な い 。 クル マ ス[1987:118]がE.ハ ウゲ ン の主 張 を 引 用 す るよ うに,少 数 民 族 とは非 抑 圧 者 を示 す腕 曲 的 表 現 で あ ると い うの は 当 をえ て い る。 しか し,ク ル マ ス の い う被 差 別 の意 識 はか な らず しも存 在 して い る とは 限 らな い。 場 合 に よ って は,特 定 の 民 族,あ るい は そ れ に類 す る集 団へ の帰 属 意 識 さえ は っ き り しな い場 合 が あ り,こ れ を養 う こ と も後 で述 べ る民族 政 策 の一 つ にふ
くま れ う るの で あ る。
す べ て の民 族 は,そ れ が 特殊 で あ ろ う がな か ろ うが,自 分 た ちの 意志 疎 通 と自 己 表 現 の手 毅 と して慣 れ親 しん だ言 語 を持 って い る。 しか し,す べ て の 民族 が そ の言 語 を, 他 の 民族 と平 等 に用 い る機 会 と権 利 を持 って い るわ けで は な い 。言 語 的不 平 等 の形 態
は,そ の歴 史 的 背景 と と もに実 に様 々 で あ る 。 た とえ ば,文 語 と して の 長 い歴 史 を持 ち,そ れ を 自 由 に読 み書 きで き る民 族 であ る に もか か わ らず,国 家 に よ り,言 語 教 育 や 出版 や放 送 な ど公 的 場面 か ら締 め 出 しを くっ て い る場 合 が あ る。 ル ーマ ニ ァ のハ ン ガ リー語 な どが これ に 当 た るが,こ れ な ど は,国 家 に よ り言 語 的 に民 族 が抹 殺 され よ
う と して い る例 で あ る。
一 方 これ とは ま った く異 な る,少 数 民族 語 の お か れ た 状 態 と して,読 み書 き に用 い る文 字 を持 たず,民 族 語 と して 標 準 化 され た言語 もな く,限 られ た集 団 内で 通 用 す る 方 言 のみ を用 いて い る場 合 をあ げ る こ とが で き る。 この場 合,国 家 あ るい は多 数 派 の 意 図 にか か わ らず,そ れ を母 語 とす る人 び とが不 利 な立 場 に あ るこ とは あ き らか で あ る。 自 己 表現 か ら教 育,参 政,社 会 の あ らゆ る伝 達 が文 宇 を媒 介 に して い る現 代 社 会 で は,こ れ らか ら締 め 出 され る こ と は,基 本 的 人権 に もか か わ る こ とで あ る。 ま た多 くの場 合,か れ らは経 済 的 、 文 化 的 に も遅 れ て い て,こ れ らか ら抜 け 出す に も,文 字 の な い こと が障 害 とな って い る。以 上 に 関 して はCoulmas[1984:6‑7]を は じめ, 最 近 多 くの研 究 に よ り明 らか に され て い る。
ア ジア,ア フ リカ,中 南 米 の 多 くの 国 家 は この よ うな民 族 を 多 数 か かえ て い る。無 文 字 の民 族 の 存 在 は,こ れ らの諸 国 の 現 在直 面 して い る近 代 化 を あ らゆ る面 で さま た げて い る こ とは説 明 す るま で もな い 。 しか し,こ れ は必 ず し も,国 家 が,少 数 民族 に 文 字 を与 え る と い う方 向 に は進 ま な い 。 え て して民 族 の権 利 よ り重 要 な 国家 的利 益 が 優 先 され る。 そ の一 つ は,経 済 で あ り,他 の一 つ は 国家 と して の 国民 の統 合 で あ る。
解 放 後 の中 国 は客 観 的 条 件 と して は,こ の よ うな 国の 〜 つ で あ っ た。 つ ぎ に 中 国 の 選 択 した道 をた ど る こ と にす る。
国立民族学博物館研究報告 12巻4号
皿.申 国少 数 民 族 言 語 政 策3)
現 在 公 的 に み て も554)も の 民族 を か か え る中 国 は,中 華 人民 共 和 国 と して発 足 す る 当初 か ら根 本 的 問題 を解 決 して お く必 要 が あ っ た。 そ れ は大 きな一 つ の 国家 と して統 一 を維 持 す る一 方 で
,こ れ ら多 くの少 数 民族 の存 在 を い か に扱 うか と い うこ と で あ っ た 。固 有 の文 化 や言 語 を持 ち,歴 史 的 に もお た が い に必 ず し も友 好 的 で あ っ た と はい え な い諸 民 族 は,や や もす る と民族 意 識 が民 族 の分 離 独 立 運 動 へ と向 う要 素 を ふ くん で い る5)。 社 会 主 義 的 国 家 建設 を 目指 す な かで,こ れ らの多 くの少 数 民 族 の潜 在 的 な 欲 求 を,社 会 主 義 と い う理 念 と整 合 させ な が ら,い か に満 足 させ るか は至 難 の 業 で あ
っ た に違 いな い。
こ こで は,新 中 国 が,少 数 民 族 に対 して如 何 な る基 本 的態 度 を も っ て臨 ん だ か を, まず 法 的条 文 に見,そ して 社 会 主 義 理念 とのか ね あ いか らそ れ に至 っ た歴 史 的 背 景 を 探 る。 次 に この 基本 的 態 度 が,具 体 的 に ど の よ う な政 策 と して 実 施 され て い った か を, 少 数 民 族 の言 語 調 査,標 準 化,文 字 創製 と改 革,そ して言 語 教 育,出 版 ・文 芸 活 動 な
ど政 策 の推 移 を通 じて 概 観 す る こ とに す る。少 数 民 族 言 語 政 策 は 中国 の 民 族 理 論 お よ び民 族 政 策 の 基本 路 線 の変 遷 とか か わ って い る こ と は い うま で もな いが,こ れ らに 関 して は,毛 里[1980],佐 々木[1982]を 参 照 され た い。
1. 少 数 民 族 の 法 的 地 位 マ ル クス 主 義 との か か わ りにお い て
本 来 民 族 問 題 は プ ロ レ タ リア ー ト階 級 闘 争 の 終 結 と と も に 解 決 さ れ,民 族 的 分 裂 は 世 界 的 階 級 闘 争 の 障 害 と な る と す る の が,共 産 主 義 の 古 典 的 な 「民 族 」 に 対 す る立 場 で あ る 。 し か し,マ ル ク ス 主 義 に お い て 「民 族 」 の 扱 い は け っ し て 不 動 の も の で は な く,民 族 問 題 ほ ど,理 論 化 に よ り,異 説 が 生 み だ さ れ,大 き な 飛 躍 を 遂 げ た 例 は な い 3)巻 末 に 中 国の 少 数民 族 言 語 政 策 の年 表 を あ げ た 。 と りあ げ た項 目 は政 策 ・方 針 の 決 定,全 国 的 な言 語 調 査,主 に文 字 創 製,試 行,採 用 に 関す る決 定 で あ り,す べ て の言 語 につ い て網 羅 的 に あ げて はい な い 。 なお 文 中 で言 及 した 事柄 や漢 語 の 文 字 改革 で も関係 の あ る もの は と りあげ た 。年 表 製 作 に あ た り,以 下 の論 文 や 年表 を参 考 に した:[CHANG 1967a,1967b;中 国語 文 編 輯部 1959a,1959b;岩 佐 1983;王 1982;西 田 1980;傅 1984]。
4)民 族 と して 公 的 に認 め られ て い る数 は 自立 的民 族 を 称 す る集 団 よ りか な り低 くお さ え られ て い る ら しい。 公 的 な民 族 と して の基 準 を み た した集 団 だ け が55と い う ことで あ るが,こ れ は増 加 す る可 能 性 が あ る[岩 佐 1983:9‑10]。 現 在 ま だ 民 族 の公 認 を 受 け ぬ,未 識 別 の 集 団 に88万 人 が属 して い る[張 1984b:47]。 ち なみ に ま だ本 格 的 な言 語 調 査 が 始 ま って い な い1952年 で は70民 族 とな って い る[羅 常 培 1952:3]。
5)今 世 紀 に はい って か らだ け で も,ユ940年 代 の回 教 徒 の反 乱,1959年 の チ ベ ッ ト動 乱,1950年 代 後半,百 家 争 鳴 の風 潮 を 期 に沸 きで た ウイ グル,カ ザ フ,蒙 古 族 な ど の分 離 主 義 的傾 向を あ げ る こ とが で き る。
1186
と いわ れ る[坂 本 1970:7]。1917年 の ソ連 にお け るボ ル シ ェ ビキ革 命 以 降,か つ て の ロ シア の民 族 地 域 各 地 で共 産 主 義 政 権 が 樹 立 され るが,そ れ ら は,以 前,階 級 闘 争 の障 害 と な る と して否 定 され た はず の,民 族 に よ る共 和 国,自 治共 和 国 や 自治 州 で あ った 。 そ の 理 由が た とえ 社 会 主 義 革 命 の 戦 術論 か らきた もの で あ った に して も6)社 会 主 義体 制 と民 族 と の共 存 の可 能 性 を認 め て い た こ とに な る。
以 上 の よ う な政 策 に理 論 的根 拠 を 与 え る契 機 を つ く り,さ らに民 族 と言 語 とが 切 り 離 す こ とので きぬ もの で あ る と い う原 則 を う ちた て た の は,20世 紀 は じめ のオ ース ト リァ社 会 民 主 党 内で オ ッ トー ・バ ウア ー と論 争 した カ ール ・カ ウツ キ ー とそ の 後 継 者 で あ るス タ ー リ ンであ る とされ る7)。 ス タ ー リンの 『マル ク ス主 義 と民 族 問 題』 か ら, 幾 度 と な く引用 され て きた 「民族 」 の 定 義 を次 に あ げ る。 「民 族 と は,言 語,地 域, 経 済 生 活,お よび 文 化 の 共 通 性 の う ちに あ らわ れ る心 理 状 態,こ れ らの 共 通 性 を 基盤
と して 生 じた と こ ろの,歴 史 的 に 構 成 さ れ た,人 々の堅 固 な共 同体 で あ る」[田 中 1975:91]。 この定 義 は それ 以 降 社 会 主 義 国 に お け る少 数 民 族 政 策 の い わ ば 指 針 と し て強 い影 響力 を もつ こ とに な る。
さ らに重要 な こ とに,ス タ ー リンは,民 族 の言 語 を 単 に伝 達 の手 段 と して で は な く, 精神 的 能 力 の 自 由 な発 達 とか かわ って い る とと らえ て い た 。 そ して母 語 に よ って は じ
めて 自由 に教 育 を受 け る こ とが で き,敵 とよ くた たか うこ とが で き る。 こ れ は プ ロ レタ リア ー トの利 益 につ なが る こ とで あ る と 述 べ て い る[田 中 1975:100]。 ス タ ー リ ンが この よ うに民 族 語 と民 族 との関 連 性 を積 極 的 に 認 め,母 語 の 使 用 と教 育 の必 要 性 を 社会 主 義 国家 建 設 の 理念 と合 致 させ たた め に,ソ 連邦 成 立初 期 に お い て民 族 語 の保 護 とそれ を文 明 語 に発 展 させ る政 策 が と られ る こ とに な る。 こ う して,当 時 ソ連 は少 数 民 族 の言 語 政 策 と して 文 字 を持 た ぬ 民 族 語 に文 字 を与 え る こ とを 目標 に掲 げ, 実行 に移 して い った。 これ は主 に ソ連 の 北方 お よび 極 東 の 民族 言 語 を対 象 と した が、
目標 達 成 の た め,言 語 学 者 や民 族 学 者 を 動 員 した 総 合 的 な調 査 が前 も って行 な わ れ た [CoMRIE l981:22‑23;GuRvicH and TAKsAMi l 987:37‑39]。 こ う して1940年 に は68言 語 が文 字 を 得 て,2500万 人以 上 が そ れ らを利 用 で き る よ う に な った と いわ れ
る[LEWIs l983:322]。 この よ うに大 規 模 で計 画 的 な言 語 政 策 が 行 なわ れ た の は前 例 が な く,こ の際 の 豊 富 な 経 験 は後 に 中 国 の少 数 民族 語 の文 字 化 に お いて あ らゆ る面 で参 考 に供 され た。
6)つ ま り この よ うな 民 族 の 自決 権 を認 めた の は,「ロ シア帝 国 の枠 内 に強 制 的 に併 合 させ られ た 諸 民 族 の分 離 的 傾 向 に 目を 向け,こ の傾 向 を 満足 させ る こ とこそ 民族 問 題 解 決 へ の第 一歩 で あ り,ひ いて は 社 会主 義 達 成 の た め に も必 要 で あ る と考 え た」[坂 本 1970:8]た めで あ る とす る意 見 が あ る。
7)こ の 論 争 の経 過 に つ いて は[田 中 1975:87‑102]に 詳 し く述 べ られ て い る 。
国立民族学博物館研究報告 12巻4号 ソ連 との 強 い結 びつ き の上 に成 立 し,し か も,ソ 連 と同 じ く多 民 族 国家 を形 成 す る 新 中 国 に と って,社 会 主 義 の 国家 理 念 と民 族 擁 護 と の矛盾 は す くな く とも そ の基 本 に おい て は理論 的 に解 決 さ れ,民 族 政 策 の基 本 路 線 も方 向 性 を 与 え られ て い た と考 え ら れ る。 つ ま り上 で 述 べ た よ うな,民 族 を重 視 し,さ らに言 語 を そ の 重要 な条 件 と して 擁 護 させ 発 展 させ よ う とす るス タ ー リン主 義 を受 け継 いだ か らで あ る 。
ソ連 の少 数 民 族 政策 が 中 国 に と って重 要 な モ デル とな って いた こ と は,当 時雑 誌 や 新 聞 に ソ連 の民 族 政 策 を紹 介 す る記 事 が繰 りか え し掲 載 され て いた こ とか らも理 解 で き る[王 1952;維 諾 格 拉 多 夫 ・謝 列 布 連尼 科 夫 1952;傅 1957a]。 ま た 次 の よ うに,直 接 そ れ を 明言 して もい る。「ソ連 が 各 少 数 民 族 に 文字 を創 製 した経 験 は,我 々 の 学 習 の手 本 で あ る。特 に ソ連 の北 方 と 中央 ア ジァ の か な りの民 族 の過 去 の情 況 とわ が 国 の 多 くの 民族 の現 在 の情 況 に は似 た とこ ろ があ り,ソ 連 の言 語 学 者 は種 々の 具 体 的 問 題 にお い て豊 富 な経 験 を積 ん で い る ばか りで な く,多 くの経 験 を総 括 して 科 学 理 論 に高 めて い る。」[羅 常 培 1954:12]。
新 中 国発 足 後,少 数 民族 言 語 の 取扱 い に 関す る最 初 の公 式 な 態 度 表 明 は,「 す べ て の民 族 は言 語 を発 展 させ,習 慣 衣 服 宗教 を保 持 し改 革 す る自 由を もつ 」 と した,1949 年9月 の政 治 協 商 会 議 共 同綱 領 第53条 に述 べ られ て い る。そ の ほか 中華 人 民共 和 国 民 族 自 治 区 実施 綱 要(第15条,16条)に は 「各 民族 自 治 区 の 自治 機 関 は本 区 で 通 用 して い る民 族 文 字 あ るい は各 民 族 自身 の言 語 や 文 字 を 用 い て職 権 を行 使 しな らび に文 化教 育 事 業 を発 展 させ る こ とがで き る」8)。さ らに 中央 人 民 政 府 政 務 院 「関 於 保 障 一 切 散 居 的少 数 民族 成 分享 有 民 族 平等 権 利 的決 定 」(第4条)に は 「散 居 す る少 数 民 族 が 固 有 の 言語 や 文 字 を持 つ 場合,法 廷 に お いて そ の言 語 や 文 字 で訴 訟 を進 行 で き る。」 と 明 記 され て い る[罹 常 培 1952:3]。
2、 少 数 民 族 言 語 政 策 の 基 本 方 針
以 上 は少 数 民 族 語 の 平等 性 と擁 護 の観 点 か ら,今 日的 意 味 にお い て も非 常 に 進歩 的 で あ る こ と は否 定 で きな い 。 しか し,民 族 言 語 を用 い,そ れ を 発 展 させ る自 由 を保 障 す る に と どま り,言 語 政策 の方 向性 に つ い て は具 体 的 にの べ て い な い 。羅 常 培 は,少 数 民 族 が 文 字 を完 備 しな い場 合,上 記 の よ うな権 利 の遂 行 が 妨 げ られ るた め,文 字 創 製 の た め の政 策 が必 要 で あ る と訴 え た[羅 常 培 1952:3]。 こ れ も基 本 的 人 権 と して 識 字 を と らえ よ うとす る点 で は,上 の たて ま え論 に近 い ・ こ の よ うな 原 則 的 な 立場 か ら少 数 民 族 言 語 政 策 にか か わ った 人 々の い た こ とは,決 して 否 定 は で きな い が,中 国
8)こ れ ら条項 は後1954年に発布 された憲法第3条,第7条 にそのまま継承 されている。
の初 期 の言語 政策 に緊 急 性 と直 接 的 な 動 機 を 与 え た の は,む しろ 国家 の早 急 な近 代 化 の必 要 性 であ ろ う。 この枠 内で の少 数 民 族 言語 政策 の 基本 方 針 は,実 用 面 に お いて, 様 々な段 階 にあ った少 数 民 族 の言 語 を,あ る程 度,つ ま り現代 社会 に お い て,政 治 ・ 教 育 面 で の使 用 に耐 え う る段 階 に ま で高 め る こ とで あ った9)。 当時,国 内 の大 部 分 の 言 語 は,文 字 で書 き表 わ す手 段 さえ も って いな か った の で あ る。 ま た文 宇 は あ っ た と
して も,事 実 上一 部 の特権 階 級 に独 占 さ れ,種 々の 理 由で 大 衆 は ほ とん ど文 盲 の状 態 で あ った 。 これ らの 点 で も,ソ 連 の初 期 の言 語 政 策 と同 じ 目標 を も って い た といえ る [LEwls l983:311‑313ユ 。
しか し,中 国 で は従 来 の少 数 民 族 観 や言 語 理 論 の 大 幅 な 立遅 れ も手 伝 い,ほ とん ど の少 数 民 族 語 に関 す る研 究 は非常 に遅 れ て い た。 そ こで1951年2月 中央 人 民 政府 政 務 院 は民 族 事 務 に関 す る決 定 と して次 の こ とを決 めた 。
「政務 院 文 化 教 育 委 員 会 内 に,民 族 言 語 文 字 研 究 指 導 委 員 会 を設 置 し,少 数 民 族 言 語 文 字 研 究 に関 す る工作 を指 導 組 織 す る。 まだ 文 字 を 持 た ぬ 民族 が 文 字 を 創 製 す る の を援 助 し,文 字 の不 完 全 な民 族 が 次 第 に文字 を充 実 させ るの を 援 助 す る。」[羅 常 培 1952;3]。
しか し,文 字 を持 たぬ 民 族 の 具 体 的 情 況 は 非 常 に複 雑 で,文 字 創 製 の可 能 性 や方 法 もそ れ に応 じて行 な う こ とが 必 要 で あ った。1952年 羅 常 培[1952:3]は,創 刊 して 間 もな い 『中 国語 文』 巻 頭 の論 評 で少 数 民族 の文 字創 製 の努 力 を呼 びか けて い るが, そ の 中 で具 体 的情 況 と して,次 の4つ の情 況 を あ げ て い る。
1. 方 言 間 の差 が大 き くな く,政 治,経 済 の集 中す る地 方 の方 言 を文 字 創 製 の 基 礎 に で き る。
2. 長 期 にわ た り統 治 を う け,あ る いは 隔絶 さ れ た民 族 は方 言 差 が 比 較 的 大 き く, 系 統 関係 は まだ 研 究 を要 す る。 まず 言 語 を 表音 記 号 で 記 録 す る こ とを 援 助 し, 民 族 語 と文 字 をつ く る条 件 を整 え る。
3。 民 族 名称 は異 な るが,言 語 は基 本 的 に同 じで,自 ら共 同 の一 種 の 文 字 を作 る こ とを望 む 場合,調 査 研 究 と各 民 族 の 協議 を経 て,共 同文 字 を創 製 で き る。
4.人 口 が比 較 的 す くな く,ま た 自 らも,近 くの他 の民 族 の文 字 を用 い る こ とを 望 む 場合,そ れ は可 能 であ る。 しか し,も し民族 独 自 の文 字 を創 造 す る こ と を望 9)文 字創製の 目的にお ける国家 的要請が,決 しておろそかにされていなか ったことは,識 字政 策による個人的,民 族的利益が国家建設につなが るものと して,述 べ られていることか らもい える。たとえば,1954年 「まだ文字を持たぬ民族の文 字創製の援助に関す る問題についての報 告」 の紹介で はこう述べ られている[羅 常培 1954:11]。 「明 らか に兄弟民族が 自らが容易に 学習 し,容 易に使用 し,か つ自 らを代表する文字の創製 を援助する ことは,か れ らの教育普及 や,新 しい科学技術を有効に学習す るのを促進す る重要 な要素である。これは兄弟民族が文化 水準を高 めるのを助け,よ ってすべてが一緒 に社会主義社会を建設す ることにおいて非常 に重 要な意義を持つ ものである。」
1189
国立民族学博物館研究報告 12巻4号 む 場 合,具 体 的 情況 を考 慮 す る。
そ して,少 数 民族 に文 宇 を創 製 す る に は,ま ず 第一 に当該 言 語 に属 す る方 言 を は っ き り させ,そ れ ら方 言 の分 布 情 況 と話 者 を 明 らか に し,言 語 の 内 部規 律 を研 究 す る こ とが必 要 で,そ の た め の調 査 が急 務 で あ る と され た[羅 李 光 1952:8]。 当時 少 数 民 族 語 政策 の3大 課 題 と して あ げ られて い た文 字 創 製 ・改革,標 準語 化 そ して薪 語 造 語 の 際 の規 範 化10)の うち文 字 創 製 ・改 革,標 準語 化 が 調 査 の結 果 を 前提 と して い た と い え る。 の ち1954年5月 に は文 字 化 の よ り具 体 的 な 問 題 を討 論 す るた め政 務 院 文 化 教 育 委 員 会語 言 文字 研 究 指 導 委 員 会 の開 催 した 「文 字 の な い民族 の文 字創 製 援 助 に 関す る問題 を 討議 す る会議 」11》に先 だ って,羅 と傅 に よ り,当 面 の 言 語 政策 の 基 本 とな っ た,言 語 の分 類 文 字 使 用情 況 の類 型 的 分 類 に関 す る論 文 が 発 表 され て い る。 そ の論 文 は民 族 の文 字使 用 情況 を4つ に大 別 し,そ の う ち無 文 字 民族 を さ らに7つ に細 分 化 し て い る[羅 ・傅1954:24‑26]。 当 時 の少 数民 族 の文 字 使 用情 況 は次 の よ うで あ っ た。
1. 文 字 を持 って お り,ま た相 当 の数 量 の 読 物 を もつ9民 族 。
チ ベ ッ ト族,蒙 古 族,ウ イ グル族,朝 鮮 族,オ ロス(ロ シア)族,シ ボ族,ウ ズ ベ ク族,タ タ ール 族 。 これ らは 出版 物 をふ や す ほか に,文 法,正 書 法 の規 範 化 な ど が必 要 。
2. 文 字 を もつ が,新 しい読 物 が少 な い5民 族 。
タ イ族,チ ンポ ー族,リ ス 族,カ ワ(現 在 ワ)族,ラ フ族 。 3. 文 字 は あ るが,通 用 しな い,ま た は ほ とん ど通 用 しな い4民 族 。 満 族,イ 族,ナ シ族,ミ ャオ族 。
4, 文 字 を もた な い民 族 。 次 の7つ の 情況 に わ け られ る。
1) 主 要 方 言 は異 な って お り,絶 対優 勢 な方 言 区 が あ る。
10)こ れ は,少 数民 族 が 社 会 的文 化 的 発展 に伴 い,そ れ まで にな か った概 念 を 表 わ す必 要 が で て きた際 の 原 則 を たて る こ とで あ った。 社会 発 展 の 枠 内 で言 語 政 策 を と らえ て い た 中 国 に と って, これ は解 決 しな け れ ばな らな い課 題 で あ った。 あ とで くわ し くの べ る よ う に,こ れ に は 自 己の 言 語 で ま か な う方 法 と他 言語 か らの借 用語 を用 い る方法 に大 別 で きる 。 当初 に は ソ連 の学 者 が ソ連 の少 数 民 族言 語 政 策 の 経 験 か ら導 い た結 論 と して,自 己の 言 語 の語 彙 を ま ず 利 用 し,先 進 的 ロシ ア語 か ら も取 りい れ る 。 しか し,そ の場 合 も ロ シア語 の 表 記法 で 機 械 的 に移 す の で は な く,民 族 語 の 規範 を破 壊 せ ぬ よ う考 慮 す べ きで あ る とい う説 が 指 針 と して しめ され て い る[王 1952:zlr]0
11)こ の会 議 で は,文 字 方 策 を進 め るた め,責 任 関係 を あ き らか に した分 業 態 勢 を と る決 定 を し て い る。 これ に よ れ ば,文 字 創製 に関 す る工 作 援 助 は語 言 研 究 所 が行 な い,文 字方 案 の確 定 は 中央 民 族 事 務 委員 会 が 責 任 を もつ 。 確 定 した文 字 の 教育 推 進 は中 央人 民 政 府 教 育 部 が責 任 を も ち,文 字 の 実 験 と推 進 は各民 族 地 区 の人 民 政 府 が 行 な うこ とに な った[坂 本 1970:3341。 さ らに,過 去4年 間 の文 宇 工作 の進 展 の遅 い こ とを 指摘 し,文 字 創製 の計 画 の 具体 的方 案 が で き れ ば,ま ず試 行 し,そ の 結 果 を みて,そ の方 法 が 有 効 で あれ ば,他 の民 族 にお いて も進 行 させ る と指 示 した[羅 常 培 1954:12]。
1190
2) 主 要 方言 は 分 岐 して お り,現 在 の と こ ろ絶 対 優 勢 な方 言 区 が な い。
3)方 言 の差 が 非常 に小 さ い。
4) 名称 は 同 じで あ るが,言 語 の系 統 が 異 な る。
5) 民 族 名称 は漢 語 で は異 な って い るが,言 語 は基本 的 に似 て い る。
6)民 族 語 と近 い他 の民 族 が文 字 を持 っ て お り,そ れ をつ か う こ とを 望 ん で い る。
7) 民 族 言 語 が(話 者 に)完 全 に備 わ っ て いな い。
ま た,上 の よ うに文 字 が存 在 す る場 合 も改 革 の 必 要 があ る と され た の は,そ れ が複 雑 で大 衆 の学 習 を 阻 み,ま た非 合 理 的 で あ る と い う理 由で あ っ た。 た とえ ば,蒙 古 語 の伝 統 的 文 字 の欠 点 と して,次 の点 が あ げ られ て い る[中 国語 文 編 輯 部 1955:4]。
言 文 不 一致/字 形 の 変 化 多 し/一 字 多 音/一 音 多 字/正 字 法 の 複 雑 さ/横 書 不可 能 。 しか し,そ の 裏 に は,こ の文 字 を独 占 して い た,か つ て の 封 建勢 力 で あ った寺 院 や牧 畜 主 等 との結 び つ きを 断 と う とす る 目 的 もあ った に違 いな い。
3. 漢 語 の 共 通 語 ・識 字 化 政 策 もう一つの言語改革
少 数 民族 の言 語 政策 が ど の よ うに進 め られ て い っ たか をみ る前 に,中 国の言 語 改革 の も う一 つ の 重要 な 側 面 に触 れ て お き た い。 上 で述 べ た少 数 民 族 の 法 的 地 位 と基本 政 策 にお いて 見 た少 数 民族 擁 護 と平 等 の精 神 もあ くまで,統 一 体 と して の 中国 を 前提 と し,そ れ との バ ラ ンス の 上 に 進 め られ て きた 。 こ れ と 同様 の事 は ま た 中 国 の少 数 民族 に対 す る言 語 政策 に お い て もい え る。す なわ ち,一 方 で は民族 と言 語 の 不可 分性 を認 め,民 族 文 化発 展 の た め言 語 を擁 護 し,ま た文 字 を創 製 しよ う と しな が ら,他 方 で は,お お くの言 語 を か か え,さ らに漢 族 が方 言 に お いて 分 裂 して い る情 況 を 改 善 す る こ と も急 務 であ っ た。 全 国 で通 用 す る言 語,つ ま り共 通 語 の制 定 と普 及 であ る。共 通 語 を作 りあ げ よ う とす るの は,言 語 統 合 に よ り国 民意 識 を植 えつ け よ う とす る政 治 的 意 図 と密 接 な 関 係 にあ るの は 周 知 の こ とで[ク ル マ ス 1987:22‑23],こ れ は国 家 と して 存 続 す るた め の国 民 統 合 の手 段 と して は よ くみ られ る。 しか し中 国 の場 合 に は, 人 々 の遅 れ た 教 育 ・生 活 水 準 の 向 上 と,国 家 の近 代 化 とい う目 的 の た め に も,さ らに 行 な われ な けれ ばな らな い こ とが あ っ た。 そ れ は す な わ ち 高 い文 盲 率 の解 消 であ る。
これ ら共 通 語 の普 及 と識 字 率 の向 上 は相 互 に か らみ あ い,同 時 に進 め な けれ ばな らな い や っか い な課 題 で あ っ た。 この 点 に お い て 中 国 は多 民 族 を か か え るア ジ ァや ア フ リ カ の諸 国 と 同 じ問 題 をか か え て いた と いえ る[CouLMAs 1984:5‑8]。 中 国 に お い て共 通 語 の候 補 と して あげ られ るの は,漢 語 で あ る こ とは 自 明 の こと で あ っ た。 この 候 補 選 び さえ ま ま な らぬ 多 くの 多 民族 国 家 に比 べ,中 国 に お いて 話 者 人 口が圧 倒 的多
1191
国立民族学博物館研究報告 12巻4号 数 を 占 め,歴 史 的文 化 的重 要 性 に お い て,他 を完 全 に しの いで い た 漢語 の 場 合 は,ま だ容 易 で あ った とい え る。 そ れ で も共 通 語 に な るた めの 条 件 は完 全 に整 って い た とは い え ず,古 くか らい くつ か の改 革 の必 要 性 が主 張 され て い た。 す な わ ち,あ ま りに も 方 言 の差 が 大 きす ぎ,ど の方 言 を共 通 語 の 基礎 とす るか に 関 して 意 見 が 分 れ て い た こ
と,第 二 に漢 字 が複 雑 す ぎ,学 習 に不 利 で あ った こ とで あ る。
新 中 国 で は さ っそ く次 の3つ が 漢 語 改 革 の プ ログ ラム に 上 った 。
1. 標 準 化:方 言 か ら1っ を共 通語 の 基礎 に選 び,そ の規 則 を規 範 化 す る 。 2.耕 音 化:方 言 に よ り異 な る発 音 を統 一 し,標 示 す る た め,表 音 文 字 耕 音 を考 案 す る。
3. 漢 字 の 簡 素 化:学 習 を 容 易 に し,表 記 法 を 合 理化 す る。
これ らは,国 家 的 事 業 と して積 極 的 に 進 め られ た 。 こ の うち,第 二 の耕 音 化 は,少 数 民 族 語 の文 字 創 製 と も深 くか か わ り,そ の進 展 に大 き な影 響 を与 え る こ と に な る。
したが って,こ こで は漢 語 の併 音 化 の経 過 に つ い て概 観 す るこ と に す る。
漢 字 の代 替 案 と して 考 え られ た もの も含 め て,漢 語 の 表音 文 字 化 の試 み の 歴 史 は, 1920年 代 か らあ る。 ラテ ン文 字 を基 礎 とす る立 場 で は,い わ ゆ る 国語 ロ ーマ 字 派 と ラ
テ ン化 派 の二 派 が あ り,主 に,こ れ らに よ る論 争 が解 放 ま で続 い て き た12)。
新 中 国成 立 後,全 体 的 な 文 字 改 革 を 進 め るた め,文 字 改 革 委 員 会 が1949年10月 設 立 され た。 活 動 の 目的 と して は,表 音 文 字 の 作 成,文 字 の 簡 素 化,方 言 の調 査 研 究 の ほか に少 数 民 族 語 の 文 字 制 定 も含 ま れ て お り[DEFRANcls l967:136],す くな く と も,お な じ枠 内 で少 数 民族 語 もプ ラ ンに 上 って い た こ と がわ か る。 文 字 改 革 委 員会 は 改 革 案 を 広 く募 り,検 討 した結 果,1955年10月 全 国文 字 改 革 会 議 にお い て6種 の耕 音 文 字 法 案 を提 出 した 。 この 中 に は4種 の漢 字 形 式 の文 字 と キ リル文 字,ラ テ ン文 字 そ れ ぞ れ 一 種 が 含 ま れ て い た[中 国文 字 改 革 委 員 会 1956:48]。 この段 階 で キ リル 文 宇 が 形 式 的 に しろ,考 慮 の対 象 に な って い た と い うの は注 目 され る。 そ して,こ こ で の 討論 を経 て,ラ テ ン文 字 を排 音 文 字 の基 礎 とす るこ と に決 定 した 。 そ の 理 由 と し て は,中 国 に導 入 され た歴 史 が長 い/世 界 で 広 範 囲 に普 及 して い る/構 造 が簡 単 で あ る/過 去50年 間耕 音 案 と して 考慮 さ れ て き た,な どを あ げ て い る[中 国文 字 改革 委員 会 1956:49]。 キ リル文 字 を用 い る ソ連 と の緊 密 な 関 係 を 保 ちな が ら,中 国 に とって は, 明 らか に有 利 で あ った ラテ ン文 字 を選 択 した 理由 を 釈 明 した訳 で あ る。 一方,当 時 少 数 民族 語 の文 字 創 製 工 作 の ほ うで は,一 部 で 漢 語 の耕 音 案 と統一 性 を もたせ る必 要 が 叫 ば れ て い た が,こ の段 階 で の漢 語 の耕 音 案 はす くな くと も公 的 に は,未 決 定 の ま ま
12)漢 語 の併音化について は,解 放前か らを も含め,[DEFRANcls l967]参 照。
1192
で あ っ た 。 し た が っ て,漢 語 排 音 に ラ テ ン文 字 が 決 定 した に も か か わ ら ず,後 で も述 べ る よ う に,ソ 連 側 に 同 系 民 族 を も ち,ま た ソ 連 の 学 者 と の 協 力 の 上 に 研 究 が 進 め ら れ て い た 中 国 の 北 方 諸 語 に ま で 影 響 を 与 え る こ と は な か っ た 。 こ れ は,少 数 民 族 文 字 政 策 が 北 と 南 で は,幾 分 異 な っ た こ と と 関 連 す る 点 で 注 目 さ れ る 。
後1956年2月,漢 語 併 音 方 案 が 提 出 さ れ た 。 こ の 際 に 考 慮 さ れ た 点 と し て,漢 字 音 の 標 示 手 段,共 通 語 で あ る普 通 語 の 普 及 の 手 段,科 学 ・技 術 上 の 符 合 と して の 適 用 性, 将 来 の 漢 語 の 耕 音 文 字 へ の 移 行 に く わ え,少 数 民 族 の 文 字 の 基 礎 と な り う る こ と もあ げ られ て い る 。 そ して,具 体 的 条 件 と し て,ラ テ ン文 字 で あ る こ と,一 音 素 一 文 字 の 原 則,字 母 の 数 を 抑 え る こ と,漢 語 の 音 構 造 に 留 意 して 系 統 だ て た 表 記 に す る こ と と して い る[中 国 文 字 改 革 委 員 会 1956:48]。 そ の 後,こ の 案 は 各 機 関 で の 検 討 を 経 て 漢 語 併 音 法 案 審 訂 委 員 会 に お い て 修 正 さ れ,1957年11月 に は,改 革 案 が 国 務 院 全 体 会 議 に よ り公 布 決 議 さ れ た 。 こ れ ら両 者 の 間 に は,少 数 民 族 後 の 文 字 創 製 か ら み て, い く つ か 重 要 な 違 い が あ る が,修 正 案 は 全 体 と して 少 数 民 族 語 文 字 創 製 か ら は 好 都 合
で あ っ た[馬 1957c:5]。
そ れ は 漢 語 に 特 殊 な 音 構 造 の 表 記 に 関 係 して い た 。 原 案 と修 正 案 双 方 に 共 通 した 点 と し て は,標 準 語 の 基 礎 と な っ た 北 京 語 の 音 構 造 に した が い,<t>:<d>,<p>:
<b>,〈k>:<9>,<c>:〈z>13),な ど,一 般 に 国 際 的 慣 習 で は 無 声:有 声 の 対 立 を 示 す 文 字 の 対 に よ り,無 声 有 気 音:無 声 無 気 音 の 対 立([th]:[t],[ph]:[p], [kh]:[k],[ts]:[tsh])を 示 そ うrと し た こ と が あ る 。 こ れ は,閉 鎖 音 や 破 摩 音 の シ
リー ズ に お い て 同 様 の 対 立 を 形 成 しな い 言 語 の 表 記 と 統 一 性 を も た せ る 際 の 一 つ の 問 題 と な る。 そ し て,原 案 と修 正 案 の 違 い は,[t§][t§h][§]の そ り舌 音 の 表 記 に あ っ た 。 原 案 は 一 音 一 字 の 原 則 か ら変 形 文 字 を 考 案 し,そ れ ぞ れ に,〈 統〉,〈 俺〉,〈 §〉
を あ て て い た が,修 正 案 で は,二 字 の 組 合 せ を 用 い て,<zh>,<ch>,<sh>と 表 記 し た 。 さ ら に 後 者 は,前 者 が[tg]と[η]に あ て て い た 〈q>〈 η〉 を 廃 し,<j>
<ng>に か え た 。 こ れ に よ り,一 字 一 音 の 原 則 は 破 られ る こ と に な っ た が,漢 語 の 特 殊 文 字 を 少 数 民 族 語 に も併 用 さ れ る べ き,字 母 表 に も ち こ ま ぬ こ と に な り,全 体 と して,字 母 の 数 が お さ え られ た 。 馬 学 良 は,そ れ に つ い て こ う述 べ て い る,「 少 数 民 族 語 の 音 声 は 一 般 的 に 漢 語 普 通 語 よ り多 い。 ミ ャオ 語 を と っ て み る と そ の 声,鵠,調 の 総 数 は 漢 語 の2,3倍 に な る 。 こ れ で は 漢 語 排 音 の 原 案 の よ う に 一 字 母 が 一 音 を 表 す よ う に は で き な い 」[馬 1957c:6]。 こ の 併 音 修 正 案 は,そ の 後,少 数 民 族 語 の 特 殊 文 字 を 抑 え る 傾 向 に も,影 響 を あ た え て い く こ と に な る 。
13)〈 〉 は文 字 を,[]は 音 価 を表 わす こ とに す る 。音 価 は 国 際音 標 文 字 に よ るが,簡 略 化 した 。
国立民族学博物館研究報告 12巻4号
IV.少 数 民 族言 語 政 策 の推 移
一 方 少 数 民族 の文 字政 策 に お い て,前 章2項 で 述 べ た 基 本 方 針,す な わ ち言 語 調 査, 文 字 を 持 た ぬ 民族 の 文字 創 製,不 完 全 な文 字 の改 革 を 行 な う こ とを 目的 として,1950 年 に設 立 され た 中国 科 学院 語 言 研 究 所 に民 族 語 言 研 究 組 が 組 織 され た。 ま た1951年 に は少数 民族 の幹 部 の養 成 と言 語 教 材 の 開発 等 を 目的 とす る中央 民族 学 院語 文 系 が成 立 した。 さ ら に言 語 政策 の進 展 に伴 い1956年 に語 言 研 究 所 民 族語 言研 究 組 を少 数 民 族 語 言 研 究所 に 発展 させ た 。
1. 少 数 民 族 言 語 調 査
少 数 民族 語 の調 査 は部 分 的 に は す で に解 放 前 に も行 なわ れ て い た 、特 に,日 中戦 争 の戦 火 を の が れ て 昆 明 に うつ った 中央 歴 史 語 言 研 究所 と北 京大 学文 化 研究 所 が,雲 南 諸言 語 を対 象 と して行 な った もの は重 要 な 意 味 を もつ 。 これ に よ り言 語 学 者 が現 地 の 少数 民族 の 事情 に触 れ る機 会 を もち,そ の 多 くは 解 放 後 の 民族 語 政策 に経 験 を生 か す こ と にな っ た[王 1982:2‑3;岩 佐 1983:232‑233]。
新 中国 発足 後,少 数 民 族 文 字 政 策 とい う具 体 的 な 目標 が で きて の ち,設 立 した ばか りの 科 学 院 語言 研究 所(以 下,語 言 研 究 所)は1951か ら1952年 にか け て 中 国 南部 各 地 で言 語 調 査 を行 な って い る。 そ して,そ れ と平 行 して 初 歩 的 な文 字 創 製 や改 革 の試 み が 行 な わ れ て い た (年表 参 照)。 さ らに1955年 夏 に は語 言 研 究 所,中 央 民 族 学 院 が 共 同 で蒙 古 族,新 彊 の諸 族 お よ び ミ ャオ 族 へ 大 規模 な 調査 隊 を 派遣 した 。 しか し,こ れ らは,目 的 は は っ き り した もの の,方 法 的,理 論 的 には ま だ未 熟 で あ った た め,実 際 の需 要 に答 え る こ とはで き なか った[馬 ・他 1956:10]。1955年12月 に は 第 一 次 民 族 語 文 科 学 討 論 会 に お いて 文 字 創 製 が 緊 急 課 題 で あ る こ とが訴 え られ,2,3年 内 に 文 字 の制 定 ・改 革 案 を提 出 す る た め,全 国 的少 数 民 族 語 調 査 を行 な う こ と が決 定 され
て い る[馬 ・他1956:10‑11ユ 。
1956年2月 中 国科 学 院 と 中央 民 族 学 院 は 北 京 と成 都 に お い て語 言 調 査 訓 練 班 を組 織 し,500人 の言 語 調 査 員 を訓 練 した。 そ して,こ の た め に手 引書 と して 『語 言 調 査 常 識 』[馬 ・他 1956]が 出版 され た 。調 査 は4月 か ら6月 にか けて,7班 に分 か れ て 行 な わ れ た が,合 計700人 が参 加 す る世 界 に も類 の な い大 規模 な もの で あ っ た14)。 この 調 査 に は 中 ソ の蜜 月 時 代 を 繁 栄 して ソ連 の 研 究 者 が 全面 的 に 協力 を行 な って い る。 ま た調 査 法 に お いて も,ソ 連 で の経 験 が 重要 な役 割 を果 した と推 測 され る。 言 語 の 表記 14)各 工作隊の調査地域,調 査言語な どにつ いては 伊 1956]な どが詳 しい。
1194
に もキ リル 文 字 に よ る もの な どが み られ るの は そ の た め で あ ろ う 。特 に薪 彊 や蒙 古 の 諸 言 語 の調 査 に は ソ連 か らの研 究 者 が 同行 して い るが,後 に これ らの 言 語 に キ リル文 字 を基礎 と した文 字草 案 を生 む一 つ の要 因 と な っ た こ と はあ き らか であ る。 これ らの 調 査 は文 字 創製 の 基礎 とな る,方 言 の選 択 や言 語 構 造 の 解 明 を 目的 と して い た の は い うま で もな い が,民 話,民 歌,格 言,諺 な ど の 口頭 伝承 や1000か ら4000,場 合 に よ って は 1万 に もお よ ぶ語 彙 を言 語 資料 と して収 集 した[王 ・傅 1959:452]。 調 査 の成 果 と して の調 査 報 告 は そ の 後 い くつ か の言 語 で 出版 され て い る。 ま た語 言研 究所 で は38民 族 に つ い て,140万 字 にわ た る 『語 言 簡 志 』の 編 纂 が 開始 され た[王 ・傅 1959:452]。
そ し て1961年 の段 階で は,37言 語 の 『語 言 簡 志 』 の 編 集 が 終 了 し,40言 語 の 「語 言 概 況 」 の初稿 が完 了 した が[包 1961:7],い くつ か が 発 表 され ただ け で,文 化 大 革 命 間 は事 実 上 とだ え るこ とに な る。 これ ら 『語 言 簡 志』 は,後 に触 れ る1979年 以 降 の民 族 語 政策 の復 活 と と もに再 開 さ れ,民 族 問 題五 種 叢 書 の一 つ 『中国 少 数 民 族語 言簡 志 』
と して1986年9月 ま で に59言 語 が 出版 され て い る。
2. 方 言 の 標 準 化 と民 族 の 識 別
ま た,こ の調 査 が民 族 政 策 決 定 に重 要 な 役 割 を 果 した 社会 言 語 学 的 な側 面 も見 逃 す こ とは で き な い。 話 者 の数,分 布,方 言 の 情 況 や住 民 の意 識 な どは,言 語 を も って す る民 族 の枠 の決 定 に重 要 な 意 味 を も って い る。 これ らを基 に言 語 や方 言 の統 廃 合 が行 な わ れ た と思 わ れ るが,そ れ は標 準語 の 基 礎 と な る方言 の選 択 で あ った と同時 に,あ らた な 民族 の造 成 に もか か わ って いた と いえ る。少 数 民族 の言 語 の大 半 は,ま だ 統 一 的 な 民族 語 を持 つ段 階 に は発 達 して お らず,集 団 ご とに方 言 を形 成 して い た が,標 準 語 を選 択 し,そ の集 団 に経 済 的,政 治 的 に集 中 す る こ とで,他 の方 言 もそれ に融 合 し 標 準語 が形 成 さ れ る とい うス タ ー リ ンの説 に基 づ いて い た[羅 李 光 1952:9]。 これ
は,後 で も述 べ るよ うに,他 言 語 に対 して 自 己言語 の 特殊 性 を 強調 し,自 立 語 と して の存 在 を 主張 す る 「分」 と 「異」 の傾 向 を否 定 す る立 場 に,理 論 的根 拠 を与 え るこ と に もな る。す な わ ち,言 語 の系 統 に よ る分 類 一 辺倒 に対 し,共 通 点 を重 視 して言 語 の統 一 や 融合 を積 極 的 に言 語 分 類 に と りいれ よ う とす る もの で あ る。 喩 世 長[喩 1959:
54‑55]は そ の よ うな情 況 と して次 の3つ を あげ て い る。
1. 従 来 異 な る言 語 名 を用 い て い た が,話 者 の居 住 地 が接 近 し,経 済 的 に密 接 な関 係 に あ り,共 通 の民 族 心 理 を有 し,言 語 的 に も接 近 して い る場 合 は,こ れ らの 人人 が一 つ の民 族 で あ る とみ な され る。言 語 名 は異 な って いて も,同 じ言 語 の 異 な る方 言 で あ る。
国立民族学博物 館研究報告 12巻4号 2. あ る言 語 と近 い 名称 を 持 つ言 語 の話 者 が,そ の言 語 とで はな く,関 係 の遠 い言 語 の話 者 と居 住 を共 に し,相 互 の往 来 を行 な って い る場 合,関 係 の遠 い言 語 と 融 合 を お こす 。
3. 言 語 の 遠 近 にか か わ らず,民 族 ど う しが 同 じ所 に居 住 し長 期 に接 触 を続 けれ ば, 大 多 数 の人 は他 の言 語 を習 得 し,そ ち ら に移 る。
この よ うな解 釈 に よ り,言 語 政 策 の 対 象 とな る民族 や言 語 が 決定 さ れ た。
3. 文 字 改 革 ・創 製 の 進 行
少 数 民族 語 政策 の必 要 性 が熱 心 に主 張 さ れ は じめ た1952年 に は,無 文 字 民 族 に文 字 を 創 製 す る際 そ れ は表 音文 字 で な け れ ば な らな い と い う意 見 が す で に大 勢 で あ った ら
しい[羅 李 光 1952:8]。 表音 文 字 を 考 案 す る際,考 慮 しな けれ ば な らな い 点 は2つ あ る 。第 一 に どの よ う な文 字 を 用 い るか,そ して第 二 に どの よ う に綴 るか で あ る。 最 初 の文 字 の 選 択 法 に関 して,当 初 次 の3つ が あげ られ て い る[羅 李光 1952:8]。
1. 言 語 毎 に一 字 一 音 の原 則 で 自由 に文 字 を あ て る。 歴 史 的 な制 約 が な いか わ り, 文 字 形 式 が多 様 に な りす ぎ印刷 や 学 習 に不 便 で あ る。
2. 現 在 比 較 的 通 用 して い る文 字 を,そ の ま ま か,す こ し改良 して 用 い る。
3.将 来 作 成 さ れ る漢 語 の耕 音 と一 致 させ る。
少 数 民族 は 自分 の言 語 の外 に漢 語 を学 ぶ 必 要 上,第3が の ぞ ま しい。 しか しま だ漢 語 の併 音 が 創 製 さ れ て お らず,少 数 民 族 の文 字 創 製 も切 迫 して い るた め,第2の 方 法 を と らざ る をえ な い 。 そ して文 字 を考 案 す るさ い に は,1・ 科 学 的 で 正 確 で な け れ ば な らな い。2.人 民 が受 け い れ る よ うな簡 易 な もの で な けれ ば な らな い 。3・ 前 途 に お い て発 展 的 な もの で な けれ ばな らな い,と して 同 時 に進 行 して いた 漢 語 の 表 音 文 字 で あ る併 音 と基 本 的 に一 致 す る必 要 性 を ほの め か して い る[羅 李 光 1952:9]。
す で に述 べ た とお り1952年 ご ろか ら文 字 化 の試 み が あ った が,ま だ 具 体 的 モ デル や 原 則 に つ いて は統 一 がな く,試 行 錯 誤 の 状 態 で あ っ た ら しい 。 これ が全 国 的 に本格 的 に行 な わ れ るの は,1956年 の言 語 調 査 以 降 で あ る。 そ して,そ れ と前 後 して文 字 創 製 の方 法 や原 則 に つ い て も討 議 さ れ整 備 され て きて いた 。 これ に最 もお お き く影 響 を与 え た の は す で に 先例 と して存 在 す る ソ連 の経 験,そ れ に 並 行 して 進 め られ て い た,漢 語 の排 音 化 で あ る。
既 に上 で も触 れ た よ うに,少 数 民 族 語 を 表記 す る文 字 を 漢 語 の排 音 と基 本 的 に一致 させ よ う と い う主 張 は くりか え し出 さ れ て きた 。 そ れ は,主 に漢 語 や 他 の 諸 語 との相 互 学 習15》,ひ いて は漢 語 の普 及 を容 易 にす るた め で あ った 。音 韻 体 系 の異 な る言語 に