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理科研究室 高 野 恒 雄

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Academic year: 2021

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総合科学カリキュラムの基礎       一

理科研究室 高 野 恒 雄

§1 総合科学力リキュラムについて

カリキュラム編成にあたっては,三つの原則すなわち分化の原則・つまり専門化ともいえる教育内容の 分岐の仕方,統合の原則つまり分化している内容を結合するまとめ方・個性化の原則つまりひとりひとり の学習者に適応させる仕方が重要な視点になる。

このうち,分化の原則と統合の原則とを関連づけてみると,かつては低年令ほど未分化で合科的な教育 課程を編成し,高年令化するほど分化の原則を尊重し・専門化していくという傾向を持っていた。

この傾向は,幼稚園,小学校低学年から大学に至るまでの過程において・一般的に成り立つ傾向である

といえた。

ところで,今日に澄いては,カリキュラム編成の重要な根拠である社会的要求の面からも,また・自然 科学の学問的研究の態様からいっても,統合の原則を高年令においても・要請する考え方が広まりつつあ る。例えば,今日の環境問題にみられるような人間生活をめぐるさまざまな問題が・総合的な学際的アブ ローチ(InterdiscipIinary apProach)を要請して澄り・統合の原則を尊重したカリキュ ラム編成がのぞまれている。

学問的にも,自然科学の研究対象である自然は,よく「切れ目のない織り物」といわれるように・専門 分化した各特殊科学的な研究だけでは不十分で・既成科学の境界領域における研究が尊重されている。

更に別な観点として,学習者の持つべき学習態度は・単なる知識習得学習ではなく・問題解決的・問題 探究的学習が要求されている。この傾向は,これまでとかくありがちであった機械的な記憶偏重型の学習

から脱皮して,問題解決型の学習になるために過程志向(process oriented)になるようさけば

れている。

このような学習過程に澄ける学習の方法の面での刷新を行っていくことは・教育内容構成にも・自ずと 要求が出されてくるわけであり,問題解決的探究に於いては,どうしても統合的な内容の運用が必要にな

ってくる。

こうして,理科教育において「内容」と「方法」をかけあわせた結合が目ざされているわけであり・基 本的な教育のあり方に結びついているものということができよう。

ここで総合カリキュラムと称しているものは,このような方向でとらえ多べきものと考えるが,諸外国

に論いてもすでに Integrated Science,1Jnified Science,Fused Science,

Combined Scienceなどと呼ばれている教育内容は,大体においてこの方向に合致するものとい ってよいであろうし,また,General Science・わが国に澄けるかつての「般理科・物象なども

一43一

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縁のある内容であり,現在の高校に訟ける基礎理科も共通する性格を持っているものといえよう。また,

中学校におけるIPS(Introductory physical science)やわが国における中学校理科

第1分野,第2分野の構成もこの性格を一部生かしているものといえるのではなかろうか。

ここで筆者が考えようとしている内容は,この総合科学カリキュラムの基礎になる考え方を筆者なりに 吟味して,具体的なカリキュラム編成並びに教材開発の下地を少しでも作ってみたいと思うのである。

§2 「統一」の態様

総合科学の総合とは・ふつう分析に対する反対語として使われているが,その意味は,いくつかの要素 を結びあわせてひとつの全体に統一することである。

つまり,対象や表象などをその部分,要素に分析したものを統一するわけである。したがって分析なく しては,総合はあり得ないわけであるが,この総合の中心的な働らきに統一ということが存在している。

そこで統一のいくつかの態様をとらえてみたいのである。

統一の仕方,つまり多様な要素をひとつのものとして統一する場合のあり方は,大きくわけて,論理的 統一と有機的統一の二種類になるといえる。その各々を少し吟味してみよう。

(1)論理的統一(還元による包摂)

この統一のあり方は,多くの個々のことがらに含まれている類似の諸要素を引き出し,ひとつの概念を うち立て,その概念に多くの個々のことがらを包摂させてひとつにまとめる仕方である。

ひとつの概念による論理的統一の仕方なのである。この点で典型的な姿を持っているのはいわゆる「統 一科学」(Unity of Science)である。これは,論理実証主義の哲学に澄いてとらえられている あり方であおが,その基本的な考えはつぎのようなものである。

すべての科学の命題は,プロトコル命題(protocoI senteInce)に還元される。ここでプロト コル命題は,それ以上単純な命題に分解不可能な命題,つまり原子的命題(atOmiC SentenCe)

であって,しかもその真偽が直接に観察によって検証できるものをさしている。

このように・すべての科学の命題を還元したプロトコル命題は・結局は時間・空間的座標による物理学 的命題に還元されることを意味する。

したがって,この物理学的命題から出発して,すべての科学の命題は,論理的に構成できるはずである とする。いわゆる物理学主義(physicalism)である。シュリック(SchIick,M.),カール ナップ(Carnap,R ),ノイラート(Neurath,0.)等によって主張されたものであり,還元 による包摂をなすことによって科学的命題が統一されるとする考え方である。

このような統一のあり方は,現在学習されている理科教材の中にもかなり存在している。例えば,イォ亀 ンの既念を学ぶ時にも・中学校に澄いて水溶液の電気分解,融液の電気分解,気体における放電現象等の 諸現象から,電気を運ぶ粒子としてそれまでに習っている金属中の自由電子による電導と区別した粒子と

して,イォンの存在をあげ,統一的に諸現象をとらえる。

この立場をいろいろの化学反応に適用し,一般化し,更に統一の度をすすめる。これは,論理的統一の 例であり,現在のカリキュラムの中でも行われている。

これを一歩進めて,更に統一するとすれば現在のカリキュラムを変更して,上の学習よりかなり以前に

学習することになっている物質の特性,中和や酸化還元等の化学変化もまとめて統一することも考えられ      ㌧

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る。

(2)有機的統一(総合による結合)

この統一の態様の例として,波動力学の構成をあげたい。

つぎに波動力学についてのべたバシュラール(Bachelard・G・)の考えをのべよう。

「波動力学は,すべての時代のうちでもっとも広大な総合の一一つと思われる・それは・まことに一つの

り     ●    ●     ●    .

歴更的総合である。それは,実際,多くの世紀にわたる教養の再結合を含む教養の総合である。

ド・ブローイが,フレネルの科学にもニュートンの科学にも属していなかった粒子の振舞いを研究する ために,新しい科学を提唱して,いくつかのニュートン的仮説をいくつかのフレネル的仮説に結びつけた とき,フレネルの物理光学は,ニュートンの物理光学を澄しのけて・それに全面的にとって代わっていた。

科学的総合が一つの変革的総合であることをこれほどよく証明するものはない。」

以上の波動力学の構成におげる統一の態様は,前にのべた還元による包摂の場合とはちがって・異質の 部分と結びつけてひとつの全体を構成する様な統一の仕方である。つまり・総合による結合と名づけたゆ

えんがここにある。

このような統一は,有機的統一と名づけた名前にも示されている様に・生物の体の構成がそもそも有機

的統一の典型である。

生物の各器官系統は,それぞれ分化して,機能を果たしているが・それらが全体としてシステム的に統 一され構造を持っているのである。

また,生体内に澄けるいろいろの変化をかいしゃくするのに・物質代謝・エネルギー代謝の観点から・

統一的にとらえるわけであるが,この場合は,ある面では多様な生態内の現象を個々に還元しているとも みられるが,しかし,この視点のもとに複雑な生体内現象を有機的に統一することができるといえよう。

また,生物科学の研究に齢いては,多様な側面からの統州的な研究の必要性が・ますますさけばれてい

る。

例えば,哺乳動物学に澄いては,同一系統であるいわゆる相同構造を持ちながらも・しかし・多様な変 化をとげた哺乳類の進化の由来が問題にされているようである。

このような問題を解くためには,先づ発生学澄よび古生物学・形態学・分類学・動物地理学といった側 面からの実態把握が必要であることはもちろんであるが・生化学や遺伝学・分子生物学的な観点からの研 究が統合される必要がある。

例えば,分類学に澄いては,核型分析など染色体のレベルでの形態学的研究が行なわれ・ミクロな個体 の内部の分子的な部分から,更には現代の物理科学的な方法をさかんに取り入れている。

ところで,現代までの主要な自然科学の研究においては,物理科学的・数学的な法則にたよってきた面 が多かった。だがそれだけでは事象と事象の間に横たわる共通な性質をとらえる上では・極めて有効では あるが,多様な特質をとらえる上では,適応の限界があることをさとらされているようである。

自然は,ダイナミ。クな複合的なシステムであり,進化の結果・それが備えられている多様さや特色な どについてとらえ直しをすることが重要だと意識されている。

      ㌧

アれまでのように,物質的な構造から解明するだけでは・哺乳類の特有な運動法則や生態・行動はわか

らないといえる。このような生物科学の研究に澄ける諸科学の統一的な結びつきは・今後ますます盛んに

なるものと見られるが,これらは,有機的統一の姿を示しているといえよう。

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一、

§3 「構造」の持っている基本的性格

上記のような統一がなされると・そこにできあがったものは,必ず「構造」を持っであろう。

本論に澄いて・目ざしているものは,総合科学カリキュラムという教育における組織体であるが,この 場合も「構造」を持つはずであり・しかも教育的な観点を含んだものとなるわけである。「構造」につい ての考えのうち・筆者は特に構造主義に詮ける構造のとらえ方を参考にしたい。以下,構造主義に学びな がら筆者の解釈を示してみよう。

構造主義とよばれる考え方が・フランスを中心に出ているが,そこに筆者の求める構造に近いものがふ くまれているようである。構造主義は・数学・言語学など個別の学問分野にあらわれた分析と総合の方法 を・すべての学問分野に共通の「構造論的方法」として鍛えあげようとする,ひとっの思想といえる!1)

その基本的な方法は・諸事象を記号としてとらえ,記号を構成する諸要素の関連と,さらにそれらの集 合としての記号相互の関係とを,ひとつの意味作用のシステムとして分析する。

そのとき・諸々の変換をうちだしている意床作用の基底にかくされているある不変の性質を「構造」と 名づけるのである。そしてこの方法は・言語学・文化人類学・音楽等における深層構造をとらえるのに使 われている6

ところで・この場合「構造」という概念は・学問領域・文化領域のいかんにかかわらず,三つの基本的 性格をそなえているべきであるとする。それは,つぎのようである。

①全体性

② 変換性

③ 自動調整

ここで全体性というのは・もともと構造という概念が・実在の中にかくされている全体性を発見するた

      、

゚に・手段として用いられるものであることを考えるとドまず,そなえていなければならない性格である。

そして・全体性の要件とは・構造を構成する諸要素が,たんなる孤立した集含状態であるのではなく,す べての要素がそれぞれに,不可分のきずなによって結びつけられているということである。

たとえば・数学では・孤立した諸要素の「集合」に対して,それを「群」(あるいはその結びつき方に よって「環」・「体」等)とよぶ。

変換性というのは・構造のあり方として・実在を生きさせるものであり,静止した閉鎖的なものではな いところに特徴をもつ性質である。つまり,ダイナミックで開かれたものであるぺきであるので,構造は,

同時に・変換のできるものでなければならないし・変換の構造をふくむものであるべきである。そして,

変換に論いては・諸要素を変換していっても・その結合関係の本質は不変のまま残るようなシステムをも

っことができる。

自動調整は・上記の結合関係の不変性を澄びやかす諸要素が代入することや,誤まった結合をつねにチ エックし・未知の多数の諸要素から適合するものだけを選択し,結合していく機能をさしている。この機 能があってこそ構造が形成されるのである。そして,この修正の機能は,可逆性原理と,矛盾原理によっ

て行なわれる。

つまり・要素の変換が可逆であるか否か・要素間の矛盾が存在するかどうかを基準にして,要素の適否 を判定し修正する。また・時間の経過によって矛盾の蓄積が澄こりうるが,この矛盾の時差的な自動調整 機構が「フィード・バック」機能である。

以上のような検討と考察をもとに・理科授業の本質的な構造をとらえるために,筆者はつぎの三つの基

一46−       P

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本的性格を提出したい。

① 全体性の保持

②変換のシステム

③ フィードバ・クの機構

まず,第1の全体性の保持とは,前述した全体性の性格が・一つの単元の授業の流れを通して一貫して 通ることをいっている。全体性が大切なだけでなく・それが指導の流れを通して一貫するところに・単元

の教材内容に太い筋が通るとともに,授業における子どもの学習がたえず全体性の把握と結びついて・統 一に接近していくことができるのである。

っまり,指導を通して全体性が保持されることが重要な性格といいたいのである。

第2の変換のシステムとは洋元の全働嬬造の部分をな類素が他のもの醸換するとき・その変 換の仕方にシステマティックな傾向が存在することである。

第3のフィードバックの機構とは,前述の自動調整の性格のうち・授業においてもっとも大切なものは フ,一ドバ。クでは伽かと考え勧けである・前に学んだ内容を後から知っ納容によって修正し憶 味の転換を行なうことは,授業において,効果的な学習とその定着をねらうために欠くことのできないも

のである。

以上の髄の考筋をとると,総合科学カリキ。ラムの轍肋いては・それが轄都とって・ 繼L

の構造の三要素が+分にはたらくような学習過程を想定したものでなければならないように思うのである・

§4 総合科学力リキュラムと学習者の認識論的立場

総合科学カリキ。ラムは,上にのべたように・学瀦の轄過程を想定しながら轍すべきものと考え るが,学習者自身が,統一的に自然をとらえていくその過程において・基本的に学びとって知きたいもの

      (2)がバシュラールの意見の中に見い出される。

「認識論的障碍の概念は,科学的思考の歴更的発展と教育の実践とにおいて研究されることができる。

教育陣いては激育的障碍の鵬が無視されている・私は・科学の搬たちが・他の搬たちよりも 自分が理解されていないことをさらにいっそう理解していないという事実を見て・しばしば詮どうかされ たことがある。誤謬や無知や無反省についての心理学を深く掘りさげて研究している人はきわめて少数で

ある。

教授たちは清敏ちがすでに構成ずみの蝋をもって擁の蘇に出てくるという事実を考えたこと がなかった。青年たちにとっては,経験的教養を獲得するのではなく・その経験的教養を変えることが・

日常生活によってすで礪種ねられてきたもろもろの障碍をくつがえすことが大切なのである・一つだ け例をあげると,浮かんでいる物体の均衡は,熟知した直観の対象であるが・それは誤謬の織物である。

〔浮くという濁〕は,多かれ少なかれはっきりと浮いている物体に・もっと適切に言えぱ・泳いでい る物体に帰せられる。手で木片を水の中に沈めようとすると・木片は抵抗する。この抵抗を水のせいにす

ることは容易ではない.したがって,まず・最初のさまざ藪直観の不純嫁合体を批判し解体し⑫ かなかったならば,アルキメデスの原理の屍ろくべき数学的単純さを理解させることはかな咽難であ る.とくに澱初の誤謬についてのこの精神分析が鮒れば・水面に出てくる物体と完全に水中蹴んだ 物体とが同一の法則に従っていることを理解させることはけっしてできないだろう・

こうして,あらゆる科学的教養は,われわれがあとで詳しく説明するように・知的・感情的なカタルシ

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スからはじまらなければならない。」

このような基本的認識に立った場合,学習者はつぎのような認識論的立場に立つことがのぞましい。

「われわれが科学的認識の哲学を開かれた哲学として,未知のものに働きかけ,先行の認識と矛盾する ものを実在のなかに求め・そうすることによって自己を確立する精神の意識として定義しようとすれば,

われわれはこのような結論に到達しなければならないであろう。なによりもまず,新らしい経験が古い経 験にたいして否と言う事実を自覚しなければならない。このことがなければ,新らしい経験というものは

問題にならない。」

このように学習者は・否定の精神をもとにして・自己変革的な認識過程をたどる必要があるのである。

また・教師に対する警告として発せられたバシュラールのつぎのことばを念頭に鉛きたいと考える。

「明晰さは・ときとして教授たちの列のなかにいけにえをつくる誘惑である。教授たちの列のなかには,

授業の騒がしい捻り声のなかで・安心して古い明晰さで自己満足し,世代を後ずさりさせる者が見いださ れる。方法が型にはまった慣例ではありえないことを,もう一度ゲーテの思想を使えぱ,rあくまでも探 求をっらぬく者は誰でも・おそかれ早かれ方法を変えることになる』ことを,いいたい。」

§5 技術の総合性

近代科学になってからは,ますます実験器具や装置,更には技術一般が総合性を増している。バシュラ 一ルはつぎのようにのべている。

「近代科学においては・一つの器具は真に一つの物化された理論素である。実験の図式的組み立てを章 ごとに・あるいはさらに器具ごとにとりあげてみると,仮説は器具の観点そのものから整序されるべきで

あることが理解される。ミリカンの装置やシュテルンおよびゲルラッハのそれのような装置は,電子また     、

ヘ原子の関数として・直接に考えられている。いま・科学の基礎で原子の性格についてなされている仮定 は・だから・たんなる足場なのではない。それらの仮定はわれわれの実験科学の骨組そのものを構成して

いるのである。」

したがって・教育の場に澄いても・扱う実験は・単に何かをみるために行うものではなく,実験そのも のが自然探究に澄いて構成した,仮説の具現化されたものであるともいえるのである。

戸  つまり・ある理論が物質化されたものが器具であり・装置である。このような技術の持つ総合性は,特 に総合科学カリキュラムにおいては生かされなければならないし・教師は,十分意識して,実験等の構成

にあたるべきであろう。

§6 総合科学学習における留意点

これまでいくつかの観点から・総合科学カリキュラムの基礎を検討してきた。総合科学の基本としての 統一の態様について・論理的統一・有機的統一のあり方を教育内容構成のあり方と結びっける方向で考え てみた。そして・統一されたものには・構造が存在するはずであるという考えから,構造の三要素すなわ ち・全体性の保持・変換のシステム・フィードバックの機構の三つの観点をとらえてみた。

また・学習者の学習過程に澄いては・自分が頭の中に作ってある自然対象にっいての体系を,新たな学 習によって作りかえていくことを大切にしなければならないと考える。「体系の作りかえとしての学習」

の立場が尊重されるべきであると考えるべきであると考える。バシュラールの「認識の障碍」の重要さは,

ここに意味を持つと思う。この学習時のことがらについて,最後に少し考察をすすめてみたい。上の障碍

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に関連のあることであるが,ケッセン(Kesse島W)はつぎのようにのべている。

「教育実践のあらゆる段階でのすぐれた教師のしるしの一つは・いま授業中の教科に対して変動性

(VariabiIity)と,不確定性(Uncertainty)とを効果的に導入する能力であろう。コミュ ニケ_シ。ン理論のしゃれによると,たくみな教師がなすこのような付け加えは, 愉快な騒音 と呼ぱ れている。このような教師のもとでの生徒は,ベクトルではなくて・交錯し合った線の集合をみることに なる。すなわち,それはもっとも思いきった興奮させる授業では・統制された万華鏡でさえある。」

このように,学習過程に澄いては,変動性と不確定性とを効果的に考えなければならない。

ところで,不確定性ということについては,少しく注意を要する。それは・生徒の認知の変化が行われ るためには,適度の不確定性が大切であることである・もし・不確定性がほとんどなくて・自分が今まで 持っていた概念に,簡単に同化される事物は・認知の変化をもたらすほどのことはないので・学習とはい

いがたい。

また反対に,あまりに過度の不確定性を持っている事象の場合に・自分のすでに持っている体系となじ まず、同化することができず,したがって肝心の認知の変化も起こらないことになる。

このように,学習が成立するためには,適度の不確定性が大切であると考えられる。ところで・この不 確定性の要素について,実際の指導に澄いて,効果的なものをバーライン(Berlyne・D・E・)はつ

ぎのように指摘している。

① たとえば,自然科学の授業で,以前の学習にもとついてなされる予期と矛盾する現象を提示するこ とにょる驚きの利用。その驚きの現象という事実が心に銘記され・予期されることがらが改造されるとき・

驚きに対する順応という報酬経験が,っついて起こっている。

② 有効かもしれないし,そうでないかもしれない一般原理を提示することによる「疑惑」という刺激。

疑惑は事例のつみかさねが,生徒に原理の有効性を確信させるにつれて解消される。そして,証明と同じ ようなものによって,疑惑の解消は,たぶん完全なものになるだろう。

(3)多くの異なった答えを持つかもしれない問題を,設定することによる不確定性の生起。(地域の自 然的特性しか示していない地図で,生徒が都市の位置を推測しなければならないというハーバード地理学 習と比較せよ)不確定性は,有力な可能性の一つが,答えとして選択され,その有効性が会得されるとき・

それにひきつづいて解消されるo

④ 「困難」さとの遭遇・それはふつう,ある事態のもつ明らかに矛盾しあう要求による葛藤を意味す る。これは,生徒に実践的課題を提示することによって,またその問題に直面している仮想的人物との同

_視によって,あるいは,年長の生徒においては,問題の単なる抽象的提示によって生み出される。(砂 漠の中央で地理的座標を見い出す問題を提示しているロシアのモロゾヴァの研究と比較せま)

この困難さは,生徒自身の努力によってであろうと・生徒が問題解決を試みたあとでの教師による援助 によってであろうとも,終局的には解決されるものであり・習得したという報酬感覚にとってかえられる のである。       、

(5)あきらかな「矛盾」の提示・これは,数学者が 反一直観定理 (Cαmter intuitive proposi tiOnS)と呼ぶものを含んでいるであろう。たとえば・生徒は偶数の数は全整数の数に匹敵し・

_インチ線分中の点の数は,一マイル立方体中の点の数に匹敵することが示される。あるいは・モロゾヴ アの例を使うならば,生徒は植物が光化学反応をするために葉緑素をいかに使うかについて説明されたあ

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とに,葉緑素や日光なしに,生存する植物のいることを知らされる。このようにして,現存の表象の構造 上の不完全性が,顕著にされ,そしてこれらの構造をよりよく現実に適合させるための再構造化が促進さ

れる。」

以上のような各種の学習に齢ける有効な不確定性の要因をできるだけフルに生かして,指導がなされて こそ,生徒の頭の中で現在の体系から,新しい体系へと統一されていく思考過程が可能になるであろう。

このことは,のぞましい学習過程に澄いて,最も基本的な事柄であると筆者は考える。

総合科学カリキュラムの学習が単に理念にとどまらず・地についた生徒の学習となるためには,上のよ うな体系のつくりかえとしての学習の側面を生かしていかなければならないと考えるのである。

文    献

(1) Jean Piaget:Le StructuraIisme, Presses Universitaires de

FranCe,滝沢武久・佐々木明訳,構造主義,白水社(1970).

田 島 節 夫  :構造主義と弁証法,せりか書房(1970).

北 沢 方 邦  :構造主義,講談社(1968).

      

A Ga鼻ton Bachelard:Epi8temologie・Presse8 Universitaires de

France(1971),竹内良知訳,科学認識論,白水社(1974).

Gaston Bachelard:La PhHosophie du Non,Pres8es Universita一

ires de France・Pari8(1940),中村雄二郎,遠山博雄訳,

否定の哲学(1974).

(3) Jeromes S.Bruner:Learning About Learning.(aconference rep一

、      ort)Office of Education,U. S.Department of Hea一 ノIth,Education and Welfare(1966),塩田芳久・田浦武雄i訳,

学習についての学習,黎明書房(1968).

〔本研究の一部ば文部省科学研究費特定研究「総合科学カリキュラムの基礎的研究」の費用によって行

われた。〕

@      幽

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参照

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