F・H・ギディングスの社会組成の概念 : 多元的国 家論の萌芽
その他のタイトル On the Concept of Social Constitution
著者 上林 良一
雑誌名 關西大學法學論集
巻 44
号 4‑5
ページ 707‑735
発行年 1995‑01‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/00024632
F•H
・ギディングスの
社 会 組 成 の 概 念
↓元的国家論の萌芽ー~
上
林
良
F. H
・ ギ デ ィ ン グ ス の 社 会 組 成 の 概 念 然ではなかろうか︒ 解が︑早くから︑ 後継者であった
R. M・
マッキーヴァー
しているのではないか︑
た社会生成
( so c i al co mp os it io n)
と社会組成
( so c i al co ns ti tu ti on )
ヽ
結社
(association)
テンニースのゲマインシャフトとゲゼルシャフトの分類に妥当するとの考察がある︒新明正道 も︑テンニースの社会団体論との類推︑対比については︑重要な留保を認めながらも︑これら三種の構造論と変動論︑
とりわけ︑ギディングスとマッキーヴァーの共通した性格︑
co mp on en t so ci et
y
が
co mm un it y
に ︑
co ns ti tu en t so ci et y
が
as so ci at io
n
に︑それぞれ概念的に符合していると指摘している︒窮極的に︑前者を基礎団体︑後者を派生団体と
して︑普遍的集団形態の特徴によって一括している︒そのうえで︑人為団体︑
J
の
論 文
で は
︑
F•H
・ギディングス
(G id di ng s) (M ac lv er )
よ ︑
目的団体︑機能団体等と称される派生
一 五 一 ︱ ︱
︵ 七
0 九 ︶
マッキーヴァーの共同社会
(c om mu ni ty )
と
の国家論︑政治社会学の特徴をあきらかにするとともに︑その の政治学的業績をとりあげて比較し︑両者に共通した性格を究 明しようと思う︒とりわけ︑社会行為論︑社会団体論における国家活動の位置づけを中心に︑﹁結社としての国家観﹂
については︑ギディングスが︑初期の業績のなかに︑すでに﹁機能社会︑社会組成としての国家観﹂をしめしている
ことに注
Hし︑したがってその国家論は︑多元的社会論の基礎に立ったマッキーヴァーの国家観︑政治観の源流をな
の課題を提起しようと考える︒それゆえギディングス社会学理論における国家論︑政治的見
一種の﹁多元的国家論﹂
(T he Pl ur al is ti c th eo ry f o th e State)
を主張したものと︑考えることが当
もともと︑ギディングスの社会学理論のうちで︑大きい位置をしめる﹁社会要素論﹂﹁社会構造論﹂の提説であっ
キーヴァーも多元的国家者の一角をしめた︒社会学者マッキーヴァーは︑主権概念批判から出発した政治主義者ラス
キやサンデイカリズムを説いた経済学者コールに対して︑比較的穏健なイデオロギーの持主であった︒この観察は︑
妥当な見解として是認されるが︑それはイデオロギーや政治的態度という見地からのみ︑穏健かつ中間的であると評
されるのであれば︑適切ではないだろう︒マッキーヴァーは︑国家を他の社会団体の機能に優越して社会統合の中枢 キ
(H ar ol d Jo se ph a L sk i)
︑
コール
第四四巻第四・五合併号
団体の成立と変化を強調して︑ つぎのように述べている︒﹁事実派生団体の成立は︑社会が進歩するとともに益々増
大する傾向を辿りつつあるものであって︑団体の全体的比重においてその意義の増大しつつあることは︑デュルケー
(l )
ムやギディングスによって指摘されたところである﹂︒なお大道安次郎も︑アメリカ社会学に独立科学としての資格
をあたえたギディングスの功績を評価するとともに︑ギディングスとマッキーヴァーの社会団体の分類に共通性を認
( 2)
めているのは︑ほぽ新明に相似た所説であろう︒
ここでは︑ギディングスとマッキーヴァーについて︑両者の政治社会学的側面に注目し︑社会構造論の共通特徴を
とりあげて︑それを肯定的に受けとめるばかりではなく︑国家論への対応と政治的態度を問題にしようと思う︒
考えてみると︑わが国にも多くの影響をあたえた新国家論︑多元的国家論︑あるいは政治的多元主義は︑イギリス
を中心に現実の政治状況にも関わりが深く︑硬軟さまざまの振幅の広がりをもっていた︒企業や労組︑教会等社会集
団の自立と競争が︑資本主義の発展とともに︑とくにアメリカ社会に圧力団体理論を成長させたが︑
フィッギス
(J oh n N ev il le Fi gg is
) ︑
(L eo
磨
n Dui t )
等とならんで︑ メートランド
(F re de ri c Wi ll ia m M ai tl an d)
︑
(G eo rg e D ou gl as Ho wa rd Co le
) ︑
と社会団体の自由主義に基礎をおいたものであった︒ 関法
デュギー
︵ 七 一
0)
ーカー ゞ
J一
五 四
マ ッ
いずれも︑個人
(E rn es t B ar ke r)
︑ラス
機能をはたらく団体であるとしながら︑その基調には︑経済︑宗教︑文化諸集団の自由な競争を認めるので︑自由主
ニューディール政策を積極的に支持し︑
一九一七年﹃コミュニティ﹄
あったと云えよう︒
(L ip pm an n)
一 五 五 ︵ 七 とおなじく、大統領
F•D・ルーズベルトの
アメリカ合衆国に︑新しい社会再組織案に対して︑
たえたといわれる︒こうしたマッキーヴァーの多元的国家論とその現実社会への政治的・社会的対応は︑結局のとこ
て堅持されてきた﹁派生団体としての国家観﹂ ︱つの社会哲学原理をあ
(T he o M de rn St a ) t e
を 通 じ て ︑
の考察を中心としたマッキーヴァーの社会構造論に由来するもので
このように考えると︑家族と国家をひとしく人為的目的的結社として分類したマッキーヴァーの考察が︑近代社会
化という社会変動の立場をふまえていることもふくめて︑社会生成と社会組成の対比というギディングスの社会構造
論の特色に似かよっていることに着目するならば︑ギディングスもまたマッキーヴァーとおなじように︑多元的国家
論の主張者と評することができるだろう︒ここに社会学的立場を基礎にした多元的国家論の萌芽をしめしたギディン
グス国家論の特色を見出すことができるだろう︒したがって︑第一次世界大戦中の社会的発言のみをとりあげて︑ギ
ディングスを︑好戦的で帝国主義の肯定者であったと判断するのは︑決して︑正当な評価ではないだろう︒第一次世
界大戦ののち︑自由放任主義経済の自律機能の崩壊を察知して︑国家の統制機能を重視したマッキーヴァーが︑第一︱
大戦後には︑ ゆきすぎた集団の圧力活動を批判し︑共同社会を尊重し︑国家の統合機能を強調して社会解体の危機を
救おうとの社会的発言をおこなったことは︑自由主義を基調にしながら︑他の多元論者をリードした国家優越論に由
(3 )
来するものと理解されるべきであろう︒第一次大戦中︑主としてドイツにむけられたギディングスの積極的社会発言 ろ ︑
F.H ・ ギ デ ィ ン グ ス の 社 会 組 成 の 概 念
ヽ(C om mu ni ty )
一九二六年﹃近代国家論﹂ 義的見地に立っていた︒このために︑
W・リップマン
一 貰
し
一九一八年﹃責任国家論﹄
家 の 包 括 的 機 能 を 重 視 し た
﹁ 社 会 組 成 論
﹂ に 帰 着 す る も の で あ ろ う
︒ 本 論 文 で は
︑ 第 二 章 で
︑ ギ デ ィ ン グ ス 政 治 社 会 学 の 特 色 と 位 置 づ け を と り あ げ
︑ 第 三 章 で ギ デ ィ ン グ ス の 社 会 構 造 論 と 国 家 論 に つ い て
︑ 第 四 章 で
︑ の 多 元 的 国 家 論 と 社 会 構 造 論 を 論 じ
︑ ギ デ ィ ン グ ス の 国 家 論 と の 共 通 性 に ふ れ る こ と と す る
︒
も ︑
( l
) 新明正道﹃社会学辞典﹄昭和十九年︑一五五頁︒
( 2
) 大道安次郎﹁アメリカ社会学﹂阿閉吉男・内藤莞爾編﹁社会学史﹄昭和二十七年︑三一八頁︒
(3)H
・ラスキも︑初期には︑国家の法律的主権論を否定し︑国家を他の社会団体と並列︑平等の機能を持つものとして︑徹 底した多元的国家論を唱えたが︑一九二五年﹃政治学大綱﹄
(A Gr am me r o f P o li t i cs )
以後の著作では︑徐々に︑マッキー
ヴァー︑コール等とおなじように︑国家機能の全体性と国家権力の独自性を承認し︑個人および団体に対して強制を課しう ることを強調するようになった︒このような国家観の変化にかかわらず︑根本的には︑ラスキが個人主義︑自由主義の立場 を守り︑イギリス功利主義的観点を失わなかったことは︑よく知られていることである︒自由主義の信條を堅持しながら︑
国家の統合機能を強調する理論は︑もっとも積極的に︑アメリカの
w
.リップマンによって明確にされた︒イギリスの社会
学者︑政治学者︵ロンドン大学︶でフエピアニズムの指導者でもあった
G ・ウォーラズからリアリズムと経験主義を学んだ
︱一人のプラグマティスト︑ラスキとリップマンは︑自由主義︑デモクラシーの基調を失うことなく︑学界とジャーナリズム︑
現実政策の世界で︑指導的役割を演じた︒
(W , Li pp ma nn , T he Me th od of Fr ee do m,
1934,
R . S te e l , W al te r L ip pm an n a nd th e Am er ic an Cen tu ry ,
1980)
広く知られているように︑
ン ビ ア 学 派 を き ず い た
︒ ギ デ ィ ン グ ス と ス モ ー ル は 方 法 論 と 学 風 こ そ 異 な っ て い た が
︑ お な じ よ う に
︑ 心 理 学 に 依 拠
関法
第四四巻第四・五合併号
F•H
・ギディングスは、シカゴ大学の A.w .スモール
一 五
六
(Sma ll )
に対応して︑
︵ 七
︱ 二
︶
コ ロ
(T he Re sp on si bl e S ta te )
に 本 ア ら わ れ た 国 民 へ の 義 務 を 強 調 す る 国 家 観 と と も に
︑
国
マッキーヴァー
ギディングスの政治社会学は︑ 学の対応であったといえるだろう︒
Jの特色は︑ギディングスが︑ ディングスの特徴は︑
(S mi th )
説を唱えたことで著名であった︒同時に︑このことによって︑
学的社会学として確立したので︑
(C ha ri s A br am El lw oo d)
の 同
情 説
︑
G
・ タ
ル ド
(T ar de )
アメリカ社会学を︱つの独立社会科学︑
アメリカ合衆国のアカデミズムの世界に︑社会学の体系化をはかった功績は大き
かった︒かれは︑大学教科課程としての﹁社会学﹂の地位を確立し︑
の時代に︑在野科学であった社会学を︑
一 五
七
一 九
九 四
年 ︑
th e t he or y o f H um an So ci et y)
ウォード
(L es te r Fr an k W ar d)
つまり個別科
やエルウッド
(l )
はじめて大学の講壇に登らせたのであった︒ギ
コロンビア大学に創設された社会学講座の担当者として招聘されたことばかりで
なく︑その社会学は政治学部における社会学であった点で︑おなじように︑
一 九
八 六
年 頃
︑
一八九二年︑シカゴ大学で最初の社会学
部長として招かれ︑かつドイツ流心理学を基礎にしたスモールとは︑ことなった特色が見出されるだろう︒
のちの大統領
W・ウィルソンとともに︑経済学︑政治学をプリン・
マール大学で講じた経歴を持っていたこと︑なおそれ以前には︑新聞記者生活十年の実績をもっていたことも︑かれ
の社会学体系の特色として︑政治学に関連ふかい理論社会学の傾向︑実践社会学としての政治社会学の傾向が認めら
れる業績を残していることをうらづける事実であった︒ギディングス社会学がまた統計学的社会学といわれ︑社会調
査それ自体でなくても︑実証科学としての方法論を強調したことも︑当時のアメリカ社会の発展と要求に即した社会
一九一八年﹃責任国家論﹄と一九二二年﹁人間社会の理論的研究﹄
(T he St ud ie s i n
の二業績において明らかにされている︒とくに︑かれの政治社会観をよくあらわして
F•H
・ギディングスの社会組成の概念 初めは同類意識説にもとづき︑ のちには
J.B・ワトソン
(W at so n)
︵ 七 ︱ ︱
︱ ‑ ︶
の行動心理学の発展に感化されて︑複数行動 した社会学を唱えた︒ギディングスは︑
A・ ス
ミ ス
の模倣説をとり入れ︑
﹃ 社
会 学
原 理
﹄ 人 類 的 結 合
As so ci at io n)
︑として叙述しているが︑このように︑動物社会︑蒙昧社会︑文明人社会の記述は︑
(B ag eh ot )
であらわされた選良主義論の主張は︑社会発展における冒険史観︑あるいは︑
まり近代主義的観察を基礎にしながらも︑社会化された個人のリーダーシップを説いているので︑ギディングスの年 来の文明史観をあきらかにした独創性に満ちたものであった︒なお﹁歴史の一理論﹂の提唱は︑このように特色ある 文明史や歴史観を述べているばかりではなく︑ギディングスの社会学にある政治学的傾向︑あるいは政治社会学の実
質にふれたものであり︑しかもギディングスの政治的態度を表明しているものともいえよう︒ ンサー
(S pe nc er )
関法
と︑バジョット
(A nt hr op og en ic A ss oc ia ti on
) ︑
(E th no ge ni c As so ci at ion)
(T he Pr in ci pl es of So ci ol og y)
︑
第四四巻第四・五合併号
いるのは︑﹃人間社会の理論的研究﹄
のなかで︑第一編﹁歴史的﹂第五章﹁歴史の一理論﹂のなかで述べられている 選良主義︑プロトクラシーの理論にある︒もともと︑﹁歴史の一理論﹂は︑
( Po l i ti c a l Sc ie nc e Quarterly,
vo l .
X
X V
,
No . 4)
に宝可稿した論文であり︑﹁歴史の一理論﹂なる表題へのアプローチは︑
社会学講座とともに︑文明史﹁歴史哲学﹂の担任者として招かれたギデイングスにとって︑当然の研究課題でもあっ たのである︒このなかで︑ギディングスは︑歴史の発展を広義の文化
(A ch ie ve me nt )
意義を高く評価し︑近代社会組織を貴族政治︑金権政治︑煽動政治︑民主政治に四分類し︑最高の形態︑社会統制原 理として︑社会化された個人主義
(S oc ia li ze d in di vi du al is m)
を強調しているのである︒考えてみると︑
一八九八年﹃社会学綱要﹄
人 種 的 結 合
︵ 七
一 四
︶
っ
(D em o g e ni e
一九九六年
一 九
二
0
年十二月の﹁政治学四季年報﹂
としてとりあげ︑文化闘争の
(T he El em en t o f Sociology)
に 比 較 す る と ︑
大きい変化をしめしている︒この著作においては︑社会進化を四段階に分けて︑動物的結合
(Noogenic
As so ci at io n)
︑
一 五
八 庶
民 的 結 合
ほとんど
H・ ス
ペ の社会進化論に導かれたものであった︒したがって︑﹁歴史の一理論﹂
スペンサーとバジョットの社会学︑
一 五 九
さて一九一八年﹃責任国家論﹄は︑ギディングスが﹁世界戦争と無政府主義の脅威にかんがみて︑根本的政治理論
を再検討しよう﹂と試みた著述であったが︑もともとは︑ギディングスがプラウン大学に招かれておこなったコル
バー寄付講義を一本にまとめたものであった︒本書は第一編﹁国家の起源﹂
(O ri gi ns of th e State)
をとりあげ︑第二
編﹁国家権力﹂
(P ow er of th e State)
︑第一章﹁少数者と多数者﹂
(M in or it y an d M aj or it y)
でプロトクラシーを論じ
て い る ︒ 第 一 二 編 ﹁ 国 家 の 権 利 ﹂
(R ig ht of th e State)
︑第四編﹁国家の義務﹂
(D ut oy f t he St at e)
について論じている︒
序文で﹁もともと︑私は政治学の教授としてオーソドックスな国家論を講義していたのであるが︑
0
0
年以来︑週刊誌﹃独立﹄
(T he In de pe nd en t)
われた現実感覚をもとに︑理論政治学と連関のふかい政治的態度と政治的見解︑ のちには︑方法論
においては統計的︑内容面から云えば心理学︑歴史学につながる学問として︑社会学を講義することになった︒
のスタッフの論説記者として︑学界よりも広い世界に起る重要な社
会事象に︑否応なく関心を持たざるをえなくなり︑そこで︑チュートン政治哲学の非現実的性格を感じとったのであ
( 2)
る﹂と述べている︒このことは︑たんにギディングスの研究の足跡を叙述しているばかりではなく︑とくに︑かれの
研究過程のなかで︑政治学と社会学の連関︑本来的な政治学への関心︑しかもジャーナリズムの世界に身をおいて養
いわば︑政治社会学への傾向をしめ
していると見ることができるだろう︒したがって︑﹃責任国家論﹄は︑社会学的国家論であるとともに︑ドイツの
ヘーゲル哲学にしたがった国家の形而上学的性格を攻撃し︑理念的国家を否定し︑リアリズム国家観を強調する実証
哲学の立場をつらぬいた業績であったということができよう︒
一 九
0
0
年の ﹃デモクラシーと帝国﹄
(D em oc ra cy n a d E mp ir e)
もまた︑﹃責任国家論﹄とおなじように︑ギディ
ングスの社会学的国家論をしめした著作であるとともに︑その政治的態度ないし政治的イデオロギーを理解するうえ
F•H
・ギディングスの社会組成の概念
︵ 七
一 五
︶
一 九
第一次世界大戦の渦中にあって︑ 第四四巻第四・五合併号
で︑重要な文献であった︒﹃デモクラシーと帝国﹄は︑第三章﹁社会の心理学﹂
(T he Ps yc ho lo gy f o Society)
︑第四章
﹁ 多
数 者
の 心
意 ﹂
(T he Mi nd of th e M an y)
︑第五章﹁進歩の代償﹂
(T he Co st s o f P ro gr es s)
︑第十一章﹁政治的多数
の 本
質 と
行 動
﹂
(T he Na tu re an d C on du ct of Po l i ti c a l Majorities)
︑第十二章﹁デモクラシーの連命﹂
(T he De st in ie s o f De mo cr ac y)
︑第十六章﹁被治者の承諾﹂
(T he Co ns en t o f t he Go ve rn ed
)
︑第十七章﹁帝国主義﹂
(I mp er al is m)
︑第十
八章﹁市民的自由の残存﹂
(T he Su rv iv al of i C vi l Liberty)
︑第十九章﹁民族の理念﹂
(T he Id ea ls of Na ti on
)
︑第十二
章﹁無抵抗の理念﹂
(T he Go sp el f o No
n , Resistance)
等二十編の論文が収められているが︑とくに冒頭の第一章﹁民
主主義的帝国﹂が︑
こにあげられた趣旨が︑最後まで本書の主張をつらぬいていると認めることができる︒そこにはカイザーにひきいら
れたドイツやレーニン独裁のソ連にみられる反民主主義的体制に対する批判が述べられているとともに︑帝国主義的
な進出をみせるイギリス︑
られる︒このように考えると︑ギディングスのナショナリズム︑愛国心︑保守主主義傾向は︑決して︑
ものと受けとることができるだろう︒ギディングス自身︑これについて︑﹃デモクラシーと帝国﹄
ように述べている︒﹁デモクラティックな動向のさまざまの局面は︑
育等の見地からデモクラシーの発展を観察しようとした︒私は︑これらの問題の研究を︑
係のなかで見てゆこうとした。…•••デモクラシーと帝国主義は、一見して矛盾しているようであるが、人類進歩のう
( 3)
えでは︑きわめて相関的関係にあることを理解するようになった﹂としているのは︑かれの立場と心情をよくあらわ 関法
デモクラシーと帝国主義の相関と両立をイギリスを実例に肯定しているところに特色があり︑こ
アメリカのデモクラシーを信頼してゆこうとするギディングスのナショナリズムが読みと
一挙に噴出したのではなく︑培ってきた社会学的思索とともに︑永く養われてきた
の 序
文 で
︑
つよく私を捉えた︒すなわち︑産業・政治・教
つづけて相互に高めあう関
一 六
0
( 七
一 六
︶
一 九
一 八
年 ︑
つ ぎ
の
F•H
・ギディングスの社会組成の概念 (
D a
r w
i n
) ︑ティンドール
( J
o h
n T
y n
d a
l l
) ハックスリー ︑
一 六
大道安次郎は︑
で あ
っ て
︑
一種の社会化された個人主義といえよう︒政治的には共和党に属し︑米西戦争以来︑ アメリカの帝国主義
(4 )
を肯定し︑第一次世界大戦の際には好戦的態度をもってドイツ攻撃に力を盛した﹂と結論づけている︒
いかに︑第一次大戦のような激動期的政治状況からの環境的圧迫があったといえども︑ギディングスにおけるかよ
うな反動主義者に見まがうような変化をみせた理由は何であろうか︒それには︑ギディングスが︑﹁ニューイングラ
ンドの植民地を最初に開拓したイギリス宗教移住者の直系であり︑ いわばアメリカ社会の名門に当る一家の出であっ
( 5)
たためか︑イギリス贔贋で︑またよい意味での貴族的で︑したがって保守的だった﹂ので︑支持する政党も共和党で
考えてみると︑
たダーウィン あったことが︑大きい背景として考えられるだろう︒ わち﹁彼の政治的見解はプトロクラシー の主張に見出される︒これは一種の選良主義乃至は英雄主義
し て
い る
︒
つぎのよう述べて︑社会学者ギディングスの政治的態度を解説するとともに︑批判している︒すな
( P
r o
t o
c r
a c
y )
アメリカ社会学発展の四つの星の一っといわれたギディングスは︑直接的には︑プリン・マール大
学の政治学の教授だった
W・ウイルソンの推挙によって︑プリン・マール大学で政治学︑経済学の講師をつとめるこ
とになったが︑このことが︑後年一八九四年︑正式にコロンビア大学の社会学教授として招かれる端緒をつくった︒
同時に︑二十ニオから三十三才までの約十年間︑新聞記者の時代に︑現実社会に接して自学自修したことが︑
社会学者︑政治社会学者としての研究生活にとって大きい糧となったと考えられる︒それ以前に︑ながく研究してい
( T
h o
m a
s H
e n
r y
H u
x l
e y
スペンサー等︑と ) ︑
くにスペンサーの﹃社会学研究﹄(‑八七三︶によって得た知識をもとに︑実際界で研鑽を積むことになったのであ
︵ 七
一 七
︶
の ち の
とができるだろう︒
一八八四年のアメリカ経済学会︑ 第四四巻第四・五合併号
一 八
八
0
年から九
0年にかけ
︵ 七
一 八
︶
ろう︒﹁彼はニューヨーク州シェネクタデーのユニオン大学に入って︑土木工学を修めようと志したが︑良い指導者
を得ないで︑その興味を深めず︑学校を出ると新聞界に入って︑彼自ら云うように︑十年の間記者として活躍した︒
その間︑彼は社会学に関する読書を深めると同時に︑人間及び世界の出来事に関する驚くべき知識を養い︑併せて明
( 6)
瞭な︑生々した文章を書く修練を積んだのである﹂との内山賢次の叙述は︑大いに参考になるだろう︒
このように考えると︑ギディングスが社会問題︑政治学︑経済学︑社会学に興味をひきつけられたのは︑大道安次
郎も論じているように︑厳格であった牧師の父︑あるいは精神的︑宗教儀式的な家庭の雰囲気をのがれて︑経済生活
の実相にふれようとしたことに︑大きい理由を見出すことができるだろう︒すなわち︑宗教生活への反撥が︑ギディ
ングスをして︑ジャーナリズムの世界に赴かせ︑社会学︑政治学への発展を導く︱つの背景になったものと解するこ
けれども︑この点について︑かならずしも︑こうしたギディングスの個人的︑家庭的キャリアの問題として判断で
きない大きい要素が考えられるのでなかろうか︒アメリカにおける初期社会学の生誕と発展については︑自然科学の
成果を現実に適用しながら︑発展しつつあるアメリカ資本主義︑産業社会︑都市社会に対応して︑社会科学の眼で︑
アメリカ社会を科学的に把握しようとする企てが︑社会学の建設とその役割であった︒
ての社会科学運動︑ 関法
一 九
0
五年のアメリカ社会学会の設立にいたる一連の動向をふ
りかえると︑冷厳なる科学の実証性をあてはめると同時に︑そこにははげしい社会改革への熱意︑積極的で宗教的人
道王義︑博愛主義の発露が看取されるだろう︒とくに︑ アメリカ社会学講座のなかに︑社会不安や社会矛盾に対抗す
る意味での﹁社会問題﹂解決への息吹きが見られ︑﹁労働運動﹂︑﹁都市貧困問題﹂﹁失業問題﹂﹁移民問題﹂﹁人種間摩
一 六
擦﹂等の解決を課題とする実践社会学︑福祉社会学の性格が︑その後のアメリカ社会学の方向を︑ある程度指向して
いることがうかがわれるだろう︒この点に注目して︑
をなしているプロテスタンティズムが︑支配的影響をあたえたと見ることは︑決してゆきすぎではないであろう︒菊
池綾子の指摘は︑十分に首肯させるところがあろう︒﹁彼等初期の社会学者の社会改革の諸理論は︑藤々︑キリスト
教理想の演繹されたものであり︑また︑自己のもつ個人的な経歴の普遍化されたものである︒レスタ・ウォードの祖
父︑フランクリン・ギディングス︑ ウィリアム・ターマスの父は教会の牧師であり︑ウィリアム・
G・サムナー︑オ
ルビィオン・スモール︑ジョージ・ヴィンセント︑ アメリカ社会学の発展史のちかに︑
エドワード・ヘイズ︑ジェームス・リヒテンバーガー︑
ズ・ウェザリイ︑チャールズ・エルウッド︑ジョン・ギリンとうは︑事実上教会関係の職務に従事した経歴の持主達
である︒都市化・工業化の社会的変動を論じ批判した初期の社会学的実験の過程にあっては︑この地方出身の経歴と
( 7)
宗教的理想のもつ合金的役割を見逃すことは出来ない﹂と述べているが︑同時に︑第二にアメリカ社会の東部から西
部への都市化の進展︑第三に都市社会化の条件が社会科学協会を設立させ︑
れたと述べ︑社会科学運動の改革意識をあげている︒それとともに︑第四に︑
一 六
アメリカ社会の倫理的中核
ユリシイ
工業化・都市化がアメリカ社会学の内
容を︑﹁社会問題﹂の表題のもとに︑青少年問題︑禁酒運動等のさまざまの都市社会の課題にとりくむ傾向をもたら
したとしている︒これらは︑すべて初めに指摘したアメリカ社会学のプロテスタントによる影響と切りはなすとこの
(8 )
できない視点であろう︒
このようにして︑ギディングス社会学の展開と政治社会学︑とくに政治的態度︑具体的には一九
0
0
年﹃デモクラ
シ ー
と 帝
国 ﹄
︑
一九二二年﹃責任国家論﹄における政治的信条は︑その背景にある愛国心︑共同体的思考︑保守主義
F•H
・ギディングスの社会組成の概念
︵ 七
一 九
︶
一 九
0
五年︑アメリカ社会学会が設置さ
第四四巻第四•五合併号
︵ 七
二
0 )
傾向︑反ドイツ主義とイギリス贔贋等の表現と考えるのは︑当然であるとしても︑本来のプロテスタンティズムの宗
教的伝統に育まれたものとの見方も無関係ではないばかりか︑重要な要素であろう︒ギディングスの﹁父方の祖先も
(9 )
母方の祖先も︑非常に厳格なニウ・イングランドの清教徒であった︒父は正教的傾向の強い組合派の牧師であった﹂
といわれ︑﹁新英州におけるギディングス家と云うのは︑十六世紀に信仰と政治における自由を求むべく英国から米
( 1 0 )
国に移住した初期清教徒の直系で︑約二百年以上も連綿たる家系を維持している名家﹂であって︑ギディングス自身
( 1
)
一八九四年にギディングスがコロンピア大学に移る以前に︑恐らく︑W・ウイルソンとともに︑プリン・マール大学で歴
史学・政治学を講じていた頃︑独立科学としての社会学の資格を論じたものとして︑つぎのような業績が確認される︒
Th e Pr ov in ce of Soc io lo gy ; i n An na ls of th e Am er ic an Ac ad em y o f P o li t i ca l a nd So ci al S c i en c e . Vo l. I . , No . 1 . J ul y 1. 89 0. T he So ci ol og ic al C ha ra ct er of P ol i t ic a l E co no my ; i n P ub li ca ti on s of th e Am er ic an Ec on om ic As so ci at io n. V ol .
I I I . ,
No . 1 . Ma rc h. 18 88 . Th e P ro vi nc e o f Soc io lo gy ; i n An na ls of th e Am er ic an Ac ad em y o f P o l it i c al an d S o ci a l S ci en ce . Vo l. I . , No . 1 . J ul y . 18 90
.
と
く に
So ci ol og y as
a
Un iv er si ty St ud y ; i n P ol i t ic a l S ci en ce Qua rt er ly . V ol . V I ., No . 1 . De ce mb er . 18 91 .
に 卜
6
つ て
坐 子 鬼 ハ
に 認
め ら
れ た
と い
わ れ
る ︒
( 2
)
Gi dd in gs , T he Re sp on si bl e S t at e , 1 91 8. P re fa ce vi i .
( 3
)
Gi dd in gs , D em oc rc y a nd Em pi re , 19 00 . Pr ef ac e. I V .
(4)大道安次郎﹁アメリカ社会学﹂﹃社会学史﹂第五章昭和二七年︑三
0五 頁
︒
( 5 )
岩 崎 卯 一 ﹃ 社 会 学 概 論 ﹂ 昭 和 二 七 年 ︑ 三 八 四 頁 ︒
( 6
)
内山賢次﹁ギディングス小偲﹂内山訳﹃社会学原理﹄世界大思想全集
3 7
昭 和
四 年
︑ 五
頁 ︒
( 7
)
菊池綾子・村川隆﹁アメリカ社会学の展望﹂昭和三二年︑ニ︱ーニニ頁︒
( 8
)
同 書
︑ ニ
ニ ー
ニ 四
頁 ︒
(9)内山前掲書︑四頁︒ も︑このことをもっとも誇りとしていたとされている︒ 関法
一 六
四
う︒それによって︑
﹃ 社
会 学
の 人
と 文
献 ﹄
昭 和
二 四
年 ︑
ニ ニ
頁 ︒
第一次世界大戦の間︑ギディングスは︑﹃責任国家論﹂
共和党系の﹁独立﹂誌に寄稿して︑ の主張にあらわれるように︑またジャーナリズムの世界で︑
アメリカ参戦の輪陣を張ったところから︑結局のところ︑ アメリカ帝国主義の信
奉者のように見倣された︒しかしながら︑考えてみると︑ギディングスの態度は︑﹁状況をもっとも有効に支配し︑
新しい状況を創出することによって︑他の人々をして︑この新状況に適応させるように行動するのが︑人数の多寡に
かかわらず︑プロトクラシーである﹂とのプロトクラシーの概念の発展を基礎にしているので︑かならずしも︑本来
の帝国主義の首唱者として位置づけることに︑疑問が残るだろう︒ギディングスにあらわれたような大戦中の行動は︑
当時の激動期において自然に流露した愛国者的ゲマインシャフト論の提唱であったと解されるだろう︒
したがって︑プロトクラートとは︑すばやく社会状況の変化を把握して行動し︑対応する指導者︑
む人をあらわす先頭者を意味するので︑適確な意味では︑プロトクラシーは先頭者政治と解されるべきであろう︒こ
の点では︑大道安次郎がギディングスのデモクラティックな側面をとりあげ︑ギディングスが︑ いわば先頭を進
コ ン ト
(C om te )
ょ
りも︑むしろスペンサーの個人主義と自由主義を大胆に受容し継受していることに注目しているのは︑首肯されるべ
(1 )
き見解であろう︒
ここでわれわれは︑ギディングス社会学のもっている自由主義的な側面を︑その社会構造論の特徴から探ってみよ
10
F•H
・ギディングスの社会組成の概念 岩崎卯
一 九
二
0
年頃︑ジャーナリズムや論壇で活躍した帝国主義者の面ではなく︑自由主義的国家論の
一 六
五
︵ 七
ニ ︱
)
第四四巻第四・五合併号 基礎︑さらにいうならば︑多元主義的国家論の基調をも認めることができるだろう︒
ギディングスは︑個人の自発的︑無意識的︑または偶然的結合の上にはたらく社会心意
( so c i al mi nd )
は︑それぞ
れ︑社会生成
( so c i al co mp os it io n)
と社会組成
( so c i al co ns ti tu ti on )
という二つの異なった形態の結びつきを発展さ せるとし︑﹁社会生成の語は︑各自の小さい群が社会有機体として非常に完全で︑独立の生活を営むことができ︑小 群は大きい集合に結合されてゆく︒家族︑氏族︑部族︑および民族︑あるいは︑家族︑都市︑州︑国民等は︑社会生
(2 )
成の要素と段階を代表している﹂と述べている︒
社会組成については︑生成社会との関係をあきらかにして︑具体例をあげてつぎのように述べている︒﹁社会組成 は︑個人的メンバーがさまざまの社会目的を達成するために︑特殊な結社に加入してゆく組織のことである︒たとえ ば︑都市には市政府︑教会︑学校︑会社︑労働組合︑文学・科学学会︑社交クラブ等がある︒調和しながら相関して いるこれらの結合は︑共同体
(c om mu ni ty )
社会の組成的活動は目的的
(p ur po si ve )
︵ 七
二 二
︶ の社会組成である︒総じてこれらの集団は︑多様な社会活動をおこなう︒
である︒各結合は︑明確な目的を視野のうちにもっているので︑結合のメ ンバーは目的を意識していると考えられ︑その目的達成のために︑人々は努力をつくすものと期待される︒⁝⁝した がって︑社会組成のメンバーたることは︑社会生成におけるように︑出生という自然発生の偶然によるのではないの
(3 )
である﹂︒なお﹁社会組成における各結合は特殊な仕事をするのであるから︑それは社会的機能を果たしているとい う べ き で あ ろ う
︒ こ の 点 か ら 目 的 的 社 会 は 機 能 的 結 社 で あ る
︒ 目 的 的 結 社 の 結 び つ き は
︑
(a rr an ge me nt )
ということであり︑その相互扶助は︑量と力の拡大だけに限定されない︒分業によっても生み出さ
( 4)