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『詩と真実』と『回顧録』 : 自伝から時代史へ

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『詩と真実』と『回顧録』 : 自伝から時代史へ

著者 吉田 國臣

雑誌名 星薬科大学一般教育論集

号 20

ページ 1‑24

発行年 2002

URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000216/

(2)

﹃ 詩と真実﹄と﹃回顧録﹄

1自伝から時代史へー

    Ω09ゴ①ψ力︒.O一〇ゴ言づひq已づq≦①庁葺O一け.︑ニロ臼

    口oゴo口Oo﹃中ψ力..﹀葺o宮ooq冨廿臣ψり090力⇔ゴ﹃巷oづ.︑

吉 田 國臣

1

1

  晩年のゲーテが自伝的な作品﹃詩と真実﹄を世に出し始めたのは︑作者が六二歳になった一八一一年以降のことである︒ 一 方アイヒェンドルフが伝記的な作品を書き始めたのは比較的早く一八三〇年代以降の四〇代で︑まだ壮年期であった︒ しかも後者の場合︑同様の素材をもとにさまざまな形態のものを種々試みた末に︑時代を回顧する作品として小規模なが らまとまったものとして残されたものは︑﹁貴族と革命﹂および﹁ハレとハイデルベルク﹂のみである︒のちに編纂者に よって通称﹁回顧録﹂の名のもとに一括されるこの二作が完成したのはやはり六〇歳代の後半︑それも死の直前であった︒ これらの遺稿作品を伝記として扱うことには異論があるかもしれないが︑一連の伝記的作品の断片との関連から通例この

系列に分類される︒ゲーテの場合もアイヒェンドルフの場合もともに︑比較的詳細な前書きやメモなどが残されているの

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2 で 作者の執筆に至る動機や作品の意図などを知ることができる︒特に後者については前者ほど知られてはいないが︑近年

その時代に対する批判や証言の面から見直しの機運があり︑独自の評価の可能性も出てきているのでその点に焦点を合わ

せ て 紹 介かたがた考察を試みたい︒同時に完成稿に近い断章の数編を引用の形で訳出することにした︒それらはアイヒェ

ドルフにおける自伝記述の変遷を知る手掛かりとなるはずである︒一方﹁回顧録﹂の仮題のもとに知られる独特の同時 代 史記述がいかにして成立したかの理由がどの辺にあるかも知られよう︒

  まず自伝文学の金字塔といわれる﹃詩と真実﹄を手掛かりに︑このジャンルの特質を検討することから入ることにする︒

この作品の特徴を知るには︑序文を参照するのが︑もっとも適切とは言えないまでも︑有力な手掛かりを提供してくれる

と思われるので第一部の冒頭を引用する︒

この書物にはおそらく他のいかなる作品にもまして序言が必要であろうが︑ここに︑ある友人の手紙を掲げて序言にかえることにし

た い︒つねに疑わしいものである自伝を書くという仕事を企てる気になったのも︑もとはといえばこの手紙のゆえであるからで

ある︒

  こうした断り書きを添えてから︑作者は直接友人の手紙なるものを挿入する︒むろんこの手紙の作者は︑ゲーテ自身と

考えられている︒もっともその素材となるのは︑作者自身が直接に見聞きしたものや実際の手紙などに基づいているでは

あろうが︒

  ここで︑その手紙の内容に入るのに先立ち︑作者の断り書き中の﹁つねに疑わしいものである自伝﹂という表現にまず

注 目したい︒これは自己を語る上での作者の街いを意味するだけのものであろうか︒それだけではあるまいと推断するこ

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    とから︑本論の趣旨に触れることになる︒つまり︑自伝において作者が自身の過去を振り返って思い出を語ったり書き留     め たりするのは︑後世の人々に伝えるだけの価値をみずから認めているからであろう︒また一方でその価値ある内容が作     者 自身の生き様に直接に関わっている点で︑他の文学ジャンルの場合との相違をいやでも自覚させられることである︒な     ぜ なら作家が作品を生み出すに当たって︑虚構を採用することにためらいの少ない他の文学ジャンルでは︑おのずと作品     と作者との関係に一定の距離が生じる︒すなわち作品の独立性ないしは客観性が保たれるのである︒それに対して自己を     語 ることを目的とした自伝が︑もし作者の実人生とかけ離れた存在であるとしたら︑それ自体がすでに矛盾を孕んでいる ↑     ことのジレンマは避けられまい︒逆に︑純然たる自伝とは言えないゲーテ自身の作家的な出発点を飾る小説﹃若きヴェル

触 テルの苦悩﹄は︑作者自らの体験的事実と切・ても切れない一致や関連がつとに作者自らによ・ても指摘されているので 時 ら ある︒それは一部の相違はあるにせよ主人公と作者自身との具体的な身辺事情の面における一致以上に︑心理的ないしは

か 伝   感 情体験レベルにおける一致点が深いものである︒であるからこそヴェルテルによる直接の告白ではなく友に宛てた手紙 臼     の 体裁を取るといった手のこんだ手法を用いているのも︑作品と作者との間に︑ある距離をおくことによって客観性を持

鋤   たせようとしたのだといえよう︒それでは自伝はいかなる手法で自己を語るのか︑自伝においてそのような客観性を保つ 顧 回  のは可能なのであろうか︒またどのようにしてその客観性を保証するのか︑そこに自伝作品の価値も生命も係かっている ﹃ と ようである︒その辺の事情を承知しながらゲーテは自伝をどのような姿勢で書こうとしたのであろうか︒

  顛 さて﹃詩と真実﹄の成立を促す警とな三と作者が主張する手紙の趣旨は︑最近出揃・た+二巻の自著﹃ゲー暑作

説   集﹄に接した友人たちが︑そこに収められた数々の作品の素材となっている生活状態︑心境ならびに影響を受けた先踏︑ ﹃

    遵 奉した理論的原則およびそれらの相互の関連を作者が明らかにすることによって︑作品群全体の関連性をも同時に把握

3     が 可 能となるよう︑読者に寄与してほしいという強い要請があったということである︒しかもそれは作者自らが老年を迎

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4 え︑認識が一層完全となり自覚が一層明晰になったいま︑既成の作品を再び素材として取り扱い︑その最後の仕上げを加

えることで︑以前にその作品を通じて自己を陶冶していった読者にとってさらにまた教養の資となるのではないかという

の で ある︒要するに友人の依頼に応える形でゲーテ自らがあらためて既存の作品の案内役をしようというのが当面の手紙

趣 旨であろう︒

  ところがゲーテは引用した手紙の後に続けて︑早速︑作品の分類︑整理などの仕事に取りかかったにも拘らず︑作業上

の 種々なる困難な状況からそれが不可能なことであることがまもなく判明したと述べている︒そしてさらには次のように 所 期の目標とは異なる趣旨をもってこの作品を執筆することに至った経緯を語るのである︒それはまさにゲーテの自伝文

学に関する観点を端的に述べる結果となっているのだ︒

  好

意 をよせてくれるひとびとの満足をうるために︑私はこれらのことをすべて︑おいおいに書きこんでゆくつもりにしていた︒と

ころが︑こうした努力をし︑あれこれ考えているうちに︑私のなすべきことはますますふえてきた︒というのは︑配慮のゆきとどい

た あの要望にそいたいと思い︑私のうちなる衝動や︑外から与えられた影響︑あるいは理論的実践的に私のあゆんできた段階を︑順

をおって述べようと努あているうちに︑私は狭い私的な生活から広い世界へと連れ出され︑近しい人︑未知なる人たるを問わず︑私

影 響を与えた数多の忘れがたい人たちの姿が︑目の前に浮かんできたからである︒さらには︑私にも同時代の↓般大衆にもきわあ

大 きな影響をおよぼした︑一般的な世界の移り変わりの巨大な歩みにとくに注意をむけなければならなかった︒というのは︑人間

をその時代との関連のなかに置いて描き出し︑時代全体の動きが︑どの程度その人を損なったか︑あるいはどの程度その人に有利に

働いたか︑そこからその人がどのような世界観︑人間観をつくりあげたか︑あるいはまた︑その芸術家︑詩人︑作家である場合には︑

その世界観︑入間観をこんどはどのように外にむかって映しだしたか︑これを示すことが伝記の主要な任務であるように私には思え

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るからである︒しかしそのためには︑伝記を書こうとする者は目己と自己の時代を知らなければならないという︑とうてい及びがた

い ようなことが要求されるのである︒すなわち︑自分がどのような境遇のもとに置かれても︑どの程度変わらずにいられたであろう

か ということ︑ひとは誰でも生まれるのが十年早いか遅いかによって︑自分の教養や外に及ぼす影響がまったく違ったものになった

か もしれないといいうるほどに︑欲する者も欲しない者も︑ともに押し流し︑決定し︑形成してゆく時代というものを知らなければ

ならないという要求なのである︒

へ     ここに述べられているように︑伝記を書こうとする者は自己が影響を受け︑または自己が影響を与えた人々だけでなく︑

時 ら 成過程を知らしめることにもなるという︒ことばを変えればきわめてひろい意味での客観性の要求といえよう︒また一個

か 伝   の

人 格の位置付けとしてはこの上なく広大な視点といっても過言ではない︒

自 一 自己の生きた時代をも知・て描かなくてはならない︒それによ・てそこに生きた者の人間観︑世界観のダイナミ・クな形

一 と・ろで7テは標題に客観性を示唆する﹁真実﹂という・とばと並べて﹁詩﹂といういわば﹁轟﹂を暗示する・と 鋤   ば も添えている︒したがっていかなる形であれまったくの客観的な事実をかたることの不可能さ︑不毛さをも同時に示し 顧

回   て い る︒このことをまずもって第一章の冒頭の誕生をかたる描写がすでに示している︒ ﹃

壮 難  毛四九年八月二+八日の正午︑+二時を智せる鐘の音ととも・︑・ラン・・ル・・アムニ・三私・・の世・生をうけ・︒

託  星位には恵まれていた︒太陽は処女宮の座に位置し︑その日の頂点に達していた︒木星と金星は好意の眼差しをも・て太陽をなが ﹃

     め︑水星も反感を示してはいなかった︒土星と火星は無関心の態度をとっていた︒折しも満ちていた月だけは︑同時にその惑星時に

5      入っていたので︑ひときわ衝位の力をふるっていた︒そのため月は私の誕生にさからい︑この時の過ぎるまで私の誕生は終わらな

(7)

6 かった︒

  このめでたい星位は︑のちに占星家たちが私のために大きな価値を認めてくれたものであるが︑私が命をとりとめたのもおそら

くこの星位のおかげであった︒というのは︑助産婦が未熟であったため私は死児としてこの世に生まれ︑さまざまに手をつくしたあ

げく︑ようやくにして日の目を見ることができたからである︒私の家族を非常な心痛におとしいれたこの事情は︑しかし同市の市民

は利益をもたらした︒これがきっかけになって︑私の祖父である市長ヨハン・ヴォルフガング・テクストルが産科医を任命して︑

助産婦の教育を行ない︑あるいはそれを改革したからである︒このことはあとから生まれてきた多くのひとびとの役にたったようで

ある︒

  この描写では誕生にまつわる牧歌的な物語的要素と︑誕生の事実が社会状況へ間接的な影響を及ぼした具体的事例が巧

み に 融合されている︒英雄伝説につきものの神秘的な誕生の道具立てはのちに他人から聞かされたことであるにしても︑

作 家の詩的な感覚をぬきにしては語れないであろう︒また助産婦の教育は︑本人の意思の結果ではなくともその誕生の事

実が一族の者をして社会的な行動に移させた事実には変わりはないのである︒

  さて本論においては︑ゲーテの﹃詩と真実﹄の検討に多くの紙面を割くことは︑当面の目標ではないのでひとまず措く

ことにする︒そこでいささか性急であるが︑アイヒェンドルフの伝記作品に移ることにする︒

11

ア イヒェンドルフが︑ゲーテの﹃詩と真実﹄の副題にある﹁私の生涯から﹂ということばに匹敵する標題﹁わが誕生の

(8)

章﹂のもとに一八三〇年から一八三八年の頃にかけて起草した断片的な遺稿の中で︑一部といえども完成稿に近いものを

まず引用しょう︒

わ が 誕 生 の 章

           一七八八年の冬はたいそう厳しかったので︑屋根のこけら葺きの留め釘がピシピシときしむ音を立て︑眠っている憐れな鳥たち ↑ が 禦曇ちたほどだξノ・覧讃たち§す・か・途ξれて方・の村・・で逃れて・㌃その同・冬の三月の・・

触  晩に三7ボヴ・・ツ訳者注︺の寂しい田全・の城では︑階段を上が・たり降りたり駆けずり回・不思議・秘密・満ちた慌しい人

時 ら   の動きが見られた︒灯りが窓辺に見え隠れした︒しかしすべては音も無く静かだったので︑まるで古い家のなかを幽霊がさ迷よって

か 伝

るかのようであった︒わたしの父は蝋燭の明かりでぼんやりと照らされた︑広い食堂の中を行ったり来たりしていた︒そしてとき 自 ︸  おり隣室のもの音に聞葺を立てたか・思えば︑おもての深い活ヨの積も・た庭をつかが・たりしていた︒やがて誓かない様子で窓

鋤       辺

歩み寄ると窓についた花模様の氷の結晶に息を吐きかけてガラス越しに遥かな星空を眺めやった︒星座の配置は申し分なかっ 顧

回  

    た︒木星と火星の二つが仲良く雪に覆われた屋根の上に瞬いていた︒月は乙女座に位置していまにも頂点に達するのは間違いなかっ

﹃ と   た︒そのとき突然城下の村の奥で一匹の犬が吠えると続いてまた一匹が︑そして次から次へと吠え声が近づいてきた︒鞭の音が響   顛  き︑馬の足踏みが屋整・響き渡・た︒ようξ7ー父・叫ぶと︑急・で正面玄関から外へ飛び出して行.た︒権の滑り木の上

詩       に据えられて︑がっちりと扉に施錠した旧式な儀装馬車が︑馬の吐く白い息の濃い霜に包まれて︑魔法の煙の中から出てくるように ﹁

        朧な輪郭を現した︒その煙の中で︑御者はこわばった腕を風車の羽根のように前後に振っていた︒どうぞ︑先生︑ーと父は自ら馬

7         車の扉を開けながら言った︒ーきっと中で眠りこまれてしまったのでは?  名誉にかけて︑ほんの少しです!という返事がも

(9)

8 どって来た︒そして馬車から驚くほど身軽に飛び降りてきたのは︑皆が驚いたことに︑期待していた医者ではなくて︑誰も知らない

背の高い痩せた男であった︒ぴっちりとし色槌せたお仕着せを着ていたが︑そこからのぞいている肘が明るい月の光を浴びて白々と

輝いたときには︑見る者の心を凍りつかせたのだった︒父は肝をつぶしてまじまじと男をみた︒見知らぬ男は急いで一握りの雪をつ

かむと︑半分凍えた鼻をそれで擦った︒御者は罵りのことばを吐いた︒足元の雪が踏まれてギシギシと鳴った︒屋敷内の犬が吠え声

を上げた︒ーそのときだった食堂の隣りの部室でわたしが生まれたのは︒父は赤子の泣き声を耳にしたので︑仰天して空を見上げ

た︒すると月が今しがた頂点を通過したあとであった︒間一髪の差でわたしは幸運な時刻に生まれるはずだったのに︒わずかに一分

半だけ遅れてしまったのだった︒しかも足をもつれさせて生まれた︒わたしは踵を打ち合わせてバレーのアントルシャをやったのだ

と言われている︒

  わ た しはせいぜいぼんやりと思い出せるにすぎないが︑暖房のよく効いた室内のとても暖かくて心地よい布団に寝かされ︑ナイ

トランプの明かりが輪飾りや絵模様の影を部屋の天井に投げて揺れているのを不思議そうに眺めていた︒馴れた駒鳥もいつもと違

う明かりや人の動きで目を覚まし︑自分も巣作りをするかに羽根を揺すっていたが︑そのうちに興味深げにわたしのベッドの天蓋に

とまって︑囁くように低い声で歌い始める様子は︑まるで誕生のお祝いを告げているかのように思えた︒母の方は美しい蒼ざめた顔

をして大きな目に親しみをこめ︑わたしの方に身を傾けると︑巻き毛がわたしをすっぽりと包んでしまったので︑その間からわたし

おもての星空と静かな雪景色が窓越しに煙いているのを垣間見ていた︒そのとき以来︑わたしは晴れ渡った星の清かな冬の夜を見

るたびに︑ふたたび自分が生まれ変わったかのような気分になるのである︒

  しかし星座の素晴らしい前兆に恵まれたにもかかわらず︑絶好の星位を逃してしまったことは︑婚礼の席に遅れてもう少しのと

ころでケーキを食べ損なってしまった憐れな若者のように︑今日にいたるまで︑わたしを不機嫌な気分にさせるのである︒そんなこ

とにならなければ︑裕福な妻と︑勲位と︑すばらしい縁故や引き立てを得たり︑わたしの冴えない容姿の代わりに︑洗練された押出

(10)

へ 史

代 しを︑あるいはまた朝刊紙上で桂冠詩人の栄誉を獲得するのもたやすいことであったろうに︒今日の世の中は完全な平等を欲してい る︑それが自然の成り行きに適っているそうだ︒もう結構︑そんな言い草はこあんこうむりたい!自然はいよいよもってひどく階級 的だ︒子牛の上に立派な雄牛を︑猫の上に犬を︑鼠の上に猫を︑そして人間の間では下劣なならず者の上に才能に恵まれた︑生まれ ながらの本物の貴族を置いているではないか︒わたしがこれまでにつねつね見出したことは︑平等を作り出す手段は唯一あるのみだ ということである︒それは愛だ︒愛によってわれらの主イエス・キリストは父なる神の前での万人の平等を実現したのだ︒つまり父 自らが宿命的な星の配置に虐げられた者に︑有徳と聖なる意思の力によって才能を上回る権限を与えるという愛の行為でわれらを         ③

等 しくしたのである︒

時       ︑ ら  一読して気付くことは︑この文はまさにゲーテの﹃詩と真実﹄に倣って書かれていることである︒しかもそこにシニカ か 伝 ルでユーモラスな筆致を看取するのは容易であろう︒また同時に重要なメッセージがすでに込められていることを見逃す 自 一 わ けにはいかない︒没落過程にあ・た里・貴族階級の自己の出自と︑一方︑興隆碧あ︒た裕福な都市市民階級のゲーア

鋤   の 出生との相違︒そしてまた︑文芸家として古典主義の頂点をきわめた大才に対して︑ロマン主義に属しながらもその文 顧 回   学 的潮流に遅参したというアイヒェンドルフの嘆きを知る我々には︑ゲーテの幸運に比べて︑同じく出生時のいささかの ﹃ と 遅れが不運な生涯を暗示していたというのは︑単なる自己稻晦には思えない︒それどころかゲーテが﹃詩と真実﹄におい

  顛 て 指摘したこと︑﹁ひとは誰でも生まれるのが+年早いか遅いかによ・て︑自分の教養や外に及ぼす影響がま・たく違・た

誕   ものになったかもしれないといいうるほどに︑欲する者も欲しない者も︑ともに押し流し︑決定し︑形成してゆく時代と ﹃

    い うもの﹂を厳粛に受けとめ︑アイロニカルに表現した部分といえよう︒さらにはフランス革命以来︑時代の主張であっ

9     た﹁平等思想﹂がかならずしも自然の理に適ったものでないことを痛烈に椰楡している︒やはりゲーテの﹁時代全体の動

(11)

10 きが︑どの程度その人を損なったか︑あるいはどの程度その人に有利に働いたか︑そこからその人がどのような世界観︑

人 間観をつくりあげたか﹂という観点に対しても︑これほどにも短い文章のなかにすでに自己の世界観の根底をうかがわ

せ て い る︒自然の寵児として自然の摂理に対し受容的なゲーテとは一線を画し︑真の平等を保証するものが︑キリスト教

に裏づけられた﹁愛﹂のみであると主張してはばからないのである︒

  まずここで断わっておかなければならないのは︑ゲーテの作品はかなりの分量を一〇年余にわたって発表されたもので

あったのに対して︑アイヒェンドルフのものは︑繰り返し執筆を試みられたにもかかわらず終に日の目をみることなく遺

稿におわったことである︒しかも量的にも短いものである︒だからといってそれだけ価値の低いことを意味するわけでは

ない︒むしろ何度か異なる形式での試みを重ねるうちに明瞭になっていく独特のスタイルの回顧録とその内容には︑それ

なりの評価の尺度が求められなければならないであろう︒

  ア イヒェンドルフの文学的な業績の評価において︑数多の持情詩と大小の小説に重点が置かれるのは︑当を得ていない

わけではないが︑作家の根本姿勢に照らして充分であるかどうかは再考の余地が残されていると思える︒その点に示唆を

与えてくれるのが︑主として晩年に執筆された政治評論︑文学史記述と並んで︑本論で取り上げている自伝的作品の断章

群 で ある︒ことに後者はまとまった作品として世に出されるに至らなかった点で全集の出版が相次いでなされた近年にお

い て ようやく注目されることになったとも言える︒

  ア イヒェンドルフは上掲の﹁わが誕生の章﹂を書いてから︑後を続けて書くことをしていない︒この短い断片がきわめ

て ﹁ 詩 的な﹂要素つまり物語的な特徴を備えているのを︑さらに一層強めて﹁不運な星﹂と題される短編小説の制作に向 か うのである︒この題名はルートヴィヒ・ウーラントの同名の詩﹁不運な星﹂にちなんでいる︒なぜかと言えば︑ウーラ

トの詩の内容がすんでのところで幸運を取り逃がすという彼自身の心境を極めて端的に表現していたからである︒そこ

(12)

で 改めて誕生の場面も含めて稿を起こすこととなった︒しかしながらそこではまたしてもゲーテに対する作者のこだわり

が われわれの注意をいやでも喚起するのである︒

﹁ 不 運 の 星﹂小説︵ノヴェレ︶断片       ︹一八三八−一八三九︺

第一章

へ 触  第一章をできれば私・す・かり飛ばしてしま・た・︒私はや・・とがた・んあるし︑恩のある読者実いに喜ばせ・ために 時 ら   書かなければならない素晴らしい冒険のことで頭がいっぱいなのだから︒そこでただちにこの場をかりて神の忍耐強さを本心から か 伝   賛嘆しておきたい︒今の時代にはわれわれがついにはいかなる天才となるかを︑しかも中世の生意気盛りや︑聡髪や袋髪を経てプロ 自 一  ⁝の近衛兵の弁髪に至るまでの歴史の全禁︑どの考に進んでい−かを実によ〜︑存知だ・た・だか・︒私だ・た・不可能だ

鉤       ろう︒このささやかな私の物語をここで無理やりむつきの中から紡ぎ出すことなど︑私にはたえられない︒私の子供時代が読者にど 顧 回   れほどの関わりがあろうとも︒そう︑そのうちの一人についてはーその人がいまだに私の本を読んでいることだけでも私には驚き ﹃ と    なのだがーかつて彼に子供時代があったことなど︑わたしにはとうてい想像できないだけでなく︑ただちに彼はズボンと燕尾服を

  鉄  着て・の世・登場したのだと贋して・・︒・の威厳のある男・は︑私は特別の敬意裏しているし︑彼の驚嘆すべき特性︑あの真

と 詩   摯な態度︑ひとの気を逸らさない謙虚さ︑品よく整った鼻筋などの観察に︑思わず引きこまれて時の経つのも忘れることがしばしば

 ロ      く

      ほ         で ある︒ー私は謹んでこの小説を自薦し献呈する︒だからといって彼は読むにはおよばないのだ︒

11

(13)

12   ここで作者が﹁ある威厳のある男﹂といっているのは︑ゲーテに他ならないだろうが︑その誕生時の状況を記した﹃詩

と真実﹄に倣ってすでに﹁わが誕生の章﹂を書いておきながら︑改めて稿を起こすにあたっては︑﹁このささやかな私の物

語 をここで無理やりむつきの中から紡ぎ出すことなど︑私には我慢できない︒私の子供時代が読者にどれほどの関わりが

あろうとも﹂︑と批判を呈示している︒そして次のような変更後の記述が続く︒

  本来私はこの章において︑さながら戯れのかたちで︑こどもの教育について新しい考えを披漉したかったのだ︒つまり学校をじっ

くり考察したり︑そっと気付かれないように大学に目を転じたりしてみるつもりであった︒しかしそのうちに私は眠り込んでしまっ

た︒そのときに私が見た夢では︑父の家の敷居の上に私は坐って︑ベルトーフの絵本をパラパラとめくっていた︒雪が溶けてしきり

屋 根から滴っていた︒陽射しが窓から暖かに入りこんで私の背後の部屋部屋の板敷きの床にまで伸びていた︒そこではフルート時

計が古い曲を演奏するのが聞こえた︒かたわらでは家の召使の老いたダニエルが朝霧に胸まで浸ってハシバミの木を切っていた︒庭

通 路の真ん中を父が行ったり来たりしていた︒私はどこかに行っていたかのように︑ふたたび戸口に坐ったのだが誰も気付かない 様 子であった︒すると庭の奥の方に長い長いブロンドの巻き毛をした美しい隣家の娘の姿も見えた︒娘は山の斜面に立つ菩提樹の葉

の ない梢に坐っていた︒彼女は私に背を向けて歌っていた︒私のよく知っている歌だった︒歌っているうちに︑突然春のにわか雨が

庭 全 体に広がり先へ進んでいった︒霧が千切れ︑谷底に川が見えた︒遠くの街や蒼い山々もその後ろに見えた︒ーアンジェラ!と

私 は叫んだ︒その娘はすばやくこうべをめぐらせた︒ーそこで目が覚めた︒

  私 が 混

乱 して部屋の中を見回すと︑明かりは燃え尽きて短くなっていた︒おもてを見ると雪がきらきらと輝く山々の稜線を見せ

る異国の土地が窓越しに目に入った︒故郷は遥か遠くにあった︒私の髪は白くなり︑父も母もとうに亡かった︒ーそんな情景は人

を狂気に落とすかもしれないーだから私はただちに第二章を始めたい︒

(14)

第二章

      というのも私が目を覚ましたときに︑たまたま雪に覆われた稜線をなぜ目にしたのかそのわけを詮索好きの読者は最終章で始め

        て 聞くことになるであろう︒ひとつにはなんといっても前章では夢見ごこちであったのだし︑ここでぜひとも埋め合わせしておかな

        ければならないことは︑私にとっての非常な重大事︑つまり私の誕生である︒それは以下のように運んだのであった︒一七八八年の ↑ ある冬の璽晴れた・の深夜で・ξ星位は・とのほか婁木星・雀は量・屋根の上に鴛的・瞬いて・㌃月は処女

触  宮・位置し正曇・正中するはずであ・た︒三7ボヴ・・ツ訳者注︺の寂し・墨・の城では︑階段を上が三り降りたり駆け

時 ら   ずり回る不思議な秘密に満ちた慌しい人の動きが見られた︒灯りが窓辺に見え隠れした︒しかしすべては音も無く静かだったので︑

か 伝     まるで古い家のなかを幽霊がさ迷よっているかのようであった︒私はまだ生まれていなかったので︑窓から外を見ることができない 自 一  のは残念だ.た︒と・うのは辺りの城下・白・雪の嚢をま・・て祝・︑月はそ・上・禦・い光の凱歌を投げかけて・たからだ︒

鋤       庭

木々は祝祭の霜の衣をまとって静かに待機していた︒背の高いポプラのみはそんなことも期待できずに城に向かって相も変わ 顧

回       らず恭しく風に吹かれてうな垂れていた︒また白い煙突は︑なにごとが起こったのか見定めようと︑のどかに背筋を伸ばしていた︒ ﹃ と   というのはその遥か上空を野生のガチョウが時の速さを警告する夜の渡りをしていたからだ︒時折遠くの村で犬の吠え声が上がっ

  顛  た︒頼りなげにワン︑・・と︑ワン︑見てみなさ・時の流れ・早さ了ー庭のもっと奥の木・の間を窺がうと入り乱れ三群のぼ

説  んやりとした男たちの髪独特の濃い霞の中にまるで魔法の煙の中にいるかに見えた︒その中で男たちは強張・た腕を風車の羽根 ﹃

        の ように前後に動かしていた︒一方他の者たちは時折雪をひとつかみするとそれで半ば凍えた鼻を擦っていた︒

13           そのとき突然おもての雪に覆われた庭の上をギシギシと踏みしめる音が聞こえ︑すっぽりと顔を覆ったひとつの影が用心深く塀

(15)

14

ぴったり身をよせて裏門に向かっていた︒すでに私の夢の記述を知っている読者はご存知の︑老ダニエルだ︒彼は例の庭の黒い一

団の方に急いでいた︒ーそこには料理人︑猟師︑トランペットや太鼓とともにオルガン奏者たちが︑私がこの世の光明を見るや直

ちに祝祭の演奏をはじめようと集まっていたのだ︒そばには装填済みのいくつかの小臼砲もあった︒ダニエルはそれで拍子を取ろう

と思ったのだ︒産婆は窓から白布を出してシグナルを送る手はずであった︒しかし彼女は今まったく別のことで頭がいっぱいであっ

た︒厳格な彼女はできの悪いむつきに腹を立て︑召使の女たちと喧嘩を始めるとそれをただちに窓から外に放り出した︒それは夜陰

をつらぬいて遠くまで白々とした光を投げた︒1するとダニエルはすかさず臼砲を発射し︑オルガニストはファンファーレをただ

ちにそれに続けて演奏した︒驚いた私の母は突然気を失ってしまったほどの騒ぎだった︒

  い まやおもてではひっきりなしに臼砲がとどろき︑トランペットの吹奏が甲高く響いていた︒城の大時計はその間にすっかり混

乱 して十二時を打ち鳴らしたー何もかもが時期を失して空しかった︒母のために気付け薬の瓶が届けられたのは早いとはいえな

かった︒星位は吉兆の相を示していたにもかかわらず︑好機を失していた︒私の誕生は一分半遅過ぎたのだ︒ほんのわずかな時間

だった︒しかし遅れた時間を取り戻すことは誰にもできない︒幸運は一歩先にあった︒この者は時代に遅れた︒ただただ急ぐ余り一

方の手を間違った袖に通したら︑時間を無駄にしたくなければ︑もう一方はズボンを履かざるをえない︒間一髪の差でどこでも一番

なるところであった︑間一髪で国一番の金満家の妻を婁れたのに︑もう少しのところで朝刊紙に桂冠を飾れたはずだ︑そして︹ア

イヒェンドルフ家の︺禰の葉の紋章と綬と祭の時に雄牛がつけるような立派なリボンつきの勲章を手にすることができたであろう

に︒要するに彼はどこに行っても間一髪のところで幸運をつかみ損なうのだ︒そしてついには自分の頭に一髪もなくなる老人になっ      ⑤

て しまうのだ︒

この再稿ともいえる誕生時の描写でまたしても強調されているのは︑不運の原因が誕生時の星位そのものにはなく︑そ

(16)

    れ に遅れてしまったことで幸運を逃すことになったということである︒しかもなぜその遅れが生じたかの原因を少し変え     て い ることに注意しなくてはならない︒つまり誕生時における経緯を変更しているのだ︒しかしそれを強調することの意

  図は︑事実関係の正確さを求めることではなく︑むしろユーモラスな筆致からは︑ローレンス・スターンのトリストラ     ム

デ ィー流のいわばアンチヒーローを主人公にした小説を書こうとしていた作者の意図が窺がえるのである︒そ     してさらには︑後年の文学史記述において︑アイヒェンドルフは小説形式でのフモールの創始者としてジョナサン・ス     ウィフトとLスターンを位置付けている︒同時にその定義を﹁フモールが内面の分裂した近代的な意識でないとしたら一 ↑  

  体何であろうか︑その意識とは︑諸々の対立や矛盾を和解し調停する能力を持たない故に︑絶望を裏に秘めた一種の快活        触 さをも・てその矛盾と戯れているのであ・て︑それによ・てなんとかその状況を凌いでいるのであぷ﹂と述べている︒ 時 ら 従って作家の内面には︑このような形でしか自伝を書かざるを得ない状況にあった自己の身上ないしは階級的な意味での

か 伝   時代に遅れた存在の意識が根底にあったと見なければならない︒アイヒェンドルフの自伝的記述の試みは︑まさにこのフ 自 一 モ ←の形式を踏襲したものに他ならないのである︒彼が作家活動を始めた・うには︑すでに・マ・主義の盛時は峠を越

鋤   していた︒だからこそまだ壮年期に自伝などに手を染あざるを得なかったと言えるのではないか︒いな︑むしろアイロ 顧 回  二ーに満ちたその形式での文学活動こそが︑アイヒェンドルフの自覚的な新しい試みであったと考えなければならないの ﹁ と である︒

  顛 しかしなが・り・の試みもすぐに行き詰まる︒なぜなら7ラントの詩に・・トを得て試みた構想は︑作家自身の実生活

託   上 の 体験とは乖離していったからである︒主人公と大臣の娘との結婚が破産によって挙式直前に破れて故郷のルーボ ﹃

   ヴィッツに戻るという筋書きも︑インドに渡って一財産を成し戻る途中で難破した挙句に文明生活に嫌気がさし﹁隠者﹂

15     に なるというのも︑いずれにせよ実際の作者の生活との乖離はいかんともしがたく︑自伝の意味がますます薄れて行く結

(17)

16 果 となる︒一方で上述の﹁隠者﹂という考えが必ずしも行き当たりばったりのものではなく︑いわゆるグリンメルハウゼ

の ﹃ ジンプリチスムス﹄に由来するものであることは︑﹁三十年戦争時代から﹂という標題の構想断片の存在からも窺え

るが︑かたわら詩人自らが体験したナポレン支配からの解放戦争にも関連付けを意図していたことを物語っていよう︒こ

の ﹁ 隠者﹂の視点はまた︑時代を一歩離れたところから距離をもって客観的に眺めるためには魅力的な考えであったらし

い︒いわゆる古き良き時代を回顧するのに︑うってつけであった︒しかしいかにして隠者を自伝に結びつけるのであろう

か︒﹁始めと終わりないしはいかにしてわたしは隠者となったか﹂の見出を始めとして多数の構想が︑作者によるその間の

試 行錯誤の事情を物語っている︒ところが結局それは﹁ある世捨て人の手記から・寂蓼の慰め﹂の見出しのもとに集約さ

れる断片群に終わる︒ただしこの試みは後の﹁貴族と革命﹂および﹁ハレとハイデルベルク﹂の下地を用意することにな

る︒また作者がいかにこの作品の完成に向かって努力を重ねたかは︑己の青年時代の足跡をもとにして︑そこで描くはず

の 数々の項目的な記述を見れば一目瞭然である︒その結果︑たまたま隠者の友人が鉄道で旅をする途中の沿線に目にした 廃 嘘 に 興 味 を懐いて訪ねて行くという﹁序文﹂原稿が成立したのである︒そして二人が解放戦争時代の戦友であったこと が 判明する︒そこでは作者アイヒェンドルフは一人称で語る友人ではなく︑隠者に己が身を託している︒これはかなり遠

い が︑ヴェルテルにおいて友人の書簡を通じて自己の内面を語るゲーテの手法に通じていようか︒しかもそれにはアルニ

ム とブレンターノがハイデルベルクで発行していた﹁隠者新聞﹂に倣って﹁寂蓼の慰め﹂なる副題がそえられている︒

(18)

寂蓼の慰め      ︹一八五一ー︸八五三︺

 ︿隠者ー小説﹀

︿

序﹀

         

  ある晴れた暖かい秋の朝のこと︑わたしは鉄道に乗ってドイツの向こうの端から猛烈な速度で旅をしてきた︒まるで︑唯一わたし

へ       の 目的であった旅そのものを一刻も早く終えることの如何に死刑の罪状がかかっているかのようであった︒この蒸気機関の行き交

触  ・が︑もともとかずかずの駅で成り立・てい・に過ぎな・ような・の世界を︑万華鏡のよう・絶自?かき混ぜ揺り動かしてい・

時 ら    のだ︒そこでは︑なにかあるものの姿形がまだ捉えられないうちに︑目の前を疾駆して行く景色は︑つねに新しい様相を刻んで見せ

か 伝   る︒またこの飛ぶように移動していくサロンは︑先の結社が程よい決着を迎える前に︑つねに別の団体を創り出すのだ︒ところで今 自 一  度暑手・森・上部・見・・廃薔・三7長・・と視界・留ま・ていた︒退屈・・あまりわた・は例の流行り病の・・な〒

鋤       ロッパの倦怠を疑った︒そこで格別答えを期待したわけでもなかったが︑廃嘘の名称︑由来そして古い建造物の意義などを尋ねてみ 顧

回       た︒すると非常に驚いたことに思いがけないことを聞いたのであった︒つまりその上には隠者が住んでいるというのだ︒  なん ﹃ と   だって!長い髭︑薔薇の冠に修道服とサンダルを履いた︑ほんものの隠者がいるというのだろうか︒  しかしながら飛ぶように進

  顛  んで・晶・乗り合わせた同輩・うちには︑時代・逆行す・・の恥智ずな行為について満足のい畠報を私・もたらしξれ・

と 詩

者 は誰一人としていなかった︒自分の目で隠者を見たことのある者もいなかった︒男たちのひとりは隠者をまったく思いあがった変

        わり者だと決めつけた︒なぜなら彼の聞いたところでは︑隠者が教養階級の隣人たちのどこも訪問することはなかったそうだ︒確か

17      

   に名刺さえ配ったことがないということだ︒また別のひとりは︑そこには恐らく何かまったく別の事情が︑たとえば後ろ暗い行為だ

(19)

18 とか︑大きな政治的犯罪が背後に潜んでいるのだと主張した︒1この隠れイエズス会士らめ!そこにまた三人目の男が意味ありげ

な目配せをして話を遮ったので︑男はそれ以上のことは口を喋んでしまった︒するとベルリンからやってきた婦人がちょうど煙草に

火をつけて笑いながら請合った︒間違いありません︒それは今流行している教養の進歩を逃れて中世の原始林に逃げ込んだ最後のロ

ン主義者ですよ︑と︒結局隠者は少し頭がおかしいに違いないということで皆の意見は一致した︒

  わたしはこの結論の必然性が無条件に納得できたわけではけしてなかったが︑耳にしたわずかなことだけでも︑わたしの興味を

掻きたてるには充分であった︒そこで次の駅で汽車を降り︑この風変わりな奇人をその隠棲する場所がどこであれ訪ねてみる決心を

した︒

  しかし思ったよりことは簡単ではなかった︒駅の内というのはまことに気忙しいもので︑急ぐ余りになにもやり遂げることがで

きないのだ︒わたしがそこへ行く気などなくても︑人々は︑何時何分にはパリないしはトリエステ︑あるいはケーニヒスベルクに到

着 で きることを正確に知っていたが︑しかしわたしがまさに行こうとしている秘密に満ちた森の入り口やそこまでの距離について

は 確 か なことはなにも聞き出すことができないのであった︒それどころか聞かれた当人はわたしの言った方角をいぶかしげに眺め

て い た︒思うに彼はこれまで廃娃の存在などにはけして気付くことがなかったのだ︒それならなおのこと結構だ!そう思ったわたし

は背嚢を紐で縛ると久しく果たせなかった旅の悦びを覚えて︑今ではすたれたあのさすらい生活のあてどない冒険に踏み出したの

った︒

  列 車から出る長い煙の帯もすでにわたしの後ろの谷間にすっぽり呑み込まれて消えていた︒シューシューという機関車の音に替

わって昔ながらの森の小鳥の噌りが聞こえてきた︒そのピーピーいう騒ぎがまるでもう何年も前にわたしが学生時代に始めて世間

というものを見てきたときと同じように︑鳥たちはわたしがそんなに長いこと一体どこにいたのか聞きたいといわんばかりであっ

た︒そうしてわたしの到来を祝ってくれているような森の騒めきのもとに牧童たちに教えられた急な小道をよじ登っていった︒人気

(20)

        の ない牧草地の傍らを行くときには草を食む牛たちが人見知りしつつも興味深げにわたしの方を見上げていた︒サンザシやメギの

        木が若々しい花に飾られて︑はしゃぎついでにわたしの灰色の髪と擦切れた雑嚢に刺繍を施していたが︑勝ち誇るようにますます背

        高くなっていくその茂みを抜け出て︑わたしはついに頂上にたどり着いた︒

          す ると不意にまるで丈の高い雑草を巣にして潜んでいたかのように︑前足をわたしの方に大きく広げた巨大なスフィンクスが目

        の 前に現われた︒それは物問いたげに石の瞳でわたしをじっと見つめていた︒事実また予期していなかった怪物は謎を出して︑わた

        しを当惑させた︒というのも期待した深い渓谷︑野趣に富む泉と岩屋の庵室やその小道具などの代わりに︑わたしが目にしたのはし ↑

て 言 完ばひどく藁て嚢な⁝ス様式の庭園であ・㌃つまり高い並:線的な砂利竃右に分・て蓼れ奄薬

触  と王冠貝母・それらの上方には色とりどりの蝶・が風・吹かれる花のよう・漂・ていた︒そして中ほどには噴泉がま三くの静寂の

時 ら   中を単調な響きを立てており︑一羽の孔雀だけが王冠貝母の間を適遥していた︒ちょうど昼時で︑影のない幻影のような強い光が辺

か 伝 りに満ちていた︒太陽は燃えるように輝いていた︒鳥たちは噂りをやめ︑森はまだ夢の中のようにひっそりと音もなかった︒わたし 自 一  はど・か魔法・掛・た世界を通・て古き良き時代のただ・か・進んで行6の気分にな.たので︑智ぬうち・首筋・袋禁伸び

鋤       ていはしまいかと何度も頭を振った︒ 顧

回 そうしてわたしは廃嘘の前にたどり着いた︒というよりむしろそれは城であったが︑いずれにせよ廃嘘であることに変わりはな ﹃ と   かった︒廃嘘になったのは古いからではなくて烈しい火災によることが明白であった︒その一部は崩れて絵画的な様相をおび︑春の

  簸  季節にはとう・馴染んで・た︒春・花の咲養草ととも・至ると・ろの柱石や城壁・嬉・として絡みつき這い上が.ていた︒庭の方

と 詩       に面した建物の側翼だけが︑すべての窓に渦巻き型の装飾の技巧を凝らし︑石の花の飾りによって相互に結ばれていたので︑いまだ ﹃

       

大 層優雅なロココの王子の居城然とした趣を見せていた︒下の窓が開け放ってあった︒中を覗いてみると大きな天井の高い部屋部

19         屋 が 長 く連なっていて︑そこには豪華な絨毯︑寄木張りの床︑天井の華やかな化粧漆喰︑至るところに置かれたビロード張りの寝椅

(21)

20 子 や

スッ

ール︑金の円縁の付いた白ラッカー塗りの肘掛椅子︑大鏡や大理石のテーブルなどがあった︒内部は厳かな静寂につつまれ

て 冷え冷えとしており︑離れたところに位置する部屋部屋からは︑そのとき視野にないオルゴール時計の演奏するメヌエットが聞こ

え て きた︒わたしはそれを子供時代にはよく知っていたものだと思った︒

  そのとき背後から優しい小声が聞こえた︒男の子と女の子であった︒ふたりは追い駆けごっこをしていて︑わたしの姿を目にした

ときに︑びっくりして立ち止まった︒魔法使いはどこですか︒隠者の御方は?とわたしは自ら呼び方をあらためてたつねた︒顔を火

照 らせた少年が美しい顔から巻き毛を払い除けると黙って挑むようにわたしを見つめた︒幾分年かさの少女は四阿の方を示すと上

品な膝を屈める挨拶をして﹁隠者は祈祷中です﹂と告げた︒ーということは本当に昔のスタイルの隠者がまだいるということだと

考えて︑わたしは指し示されたスイカズラの四阿に急いだ︒そこにひとりの男がわたしの方に背を向けて坐っていた︒そして見たと

ころ自分の面前にある石のテーブル上に置かれた豚皮の四つ折り判の本を熱心に読みふけっていた︒そこでわたしがかなり近寄っ

て 行った時に︑それまでその存在に気付かなかったのだが︑傍らの飼育された↓羽のコウノトリが突然その瞑想から驚いて目覚め︑

首を後に傾けると長い哨を大きく開いてカチカチと力の限り打ち鳴らした︒ちょうどそのとき隠者が振り向いた︒  アルトゥー

ル !とわたしは吃驚して叫んだーリュッツォウ兵団での最愛の戦友だったのだ!

  これは驚いた︑いったい君はここでなにをしているんだい!ー

  ぼ くはカルデロンの自伝を読んでいるんだよーほかでもないこのめったにないほど世間から離れた場所でね!  これはぼく

の 故 郷の残骸なんだ︒と彼は落着いた口調で応えた︒またそこにいるのは子供時代の遊び仲間の孫たちだと二人の子供を指して笑い

ながら付け加えた︒こどもたちは好奇心に駆られてわたしの後に付き従ってきたのであった︒友はその間に立ち上がっていた︒彼は

正 式の隠者の装束というよりは︑短い緑の狩猟服を身に着け︑我々が喫茶店や図書室で見かける現代風の隠者のような美しく豊な顎

髪 を帯びていた︒われわれはあの戦争の年月以来会うことがなかった︒こうして今しばらくの間黙ってお互いに顔を見合せていた

(22)

が︑やがてわれわれはともに大声で笑い出したのであった︒二人はそれ以来年月を重ね堂々とした風格をそなえていた︒ただ彼の眼       m

差 しだけは昔の誠実なままであった︒わたしは即座にあのまったく独特の目の表情を彼に認めたのであった︒

    さてこの完成稿と思われる序文に続くはずの作品は残されていない︒完成しなかったという方が正確であろう︒構想の    断 片はかなりの分量になる︒しかし結局のところ断念するに至った事情はいかなるものであったのか︒推測の域を出ない    が︑当時の状況からして︑ひとつには︑当時メッテルニヒの招聰によりオーストリア宮廷の官房顧問に就任していたカー

ヘ   ル

エ ル

ス ト.ヤルケに要請された﹃歴史.政治評論誌﹄への寄稿である︒この評論誌はもともとゲレスなどの参画し

触 たもので・アイ三ンドル・にと・ても思想的にも親近感の持てるものであ・たらしい︒その誌面に掲載された﹃ドイ・ 時 ら 近代ロマン主義文学の歴史﹄は詩人が文学評論を手がける出発点になったことは周知のことである︒こうした業績に没頭

か 臨   する詩人にとって自伝を同時に執筆することは︑ますます負担になっていったと推察できる︒しかも歴史的な視点を重視

一 する傾向は︑・れを機縁に一層深ま・たといえる︒そのため天称で語らざるを得ない自伝を放棄する結果とな・た︒そ

鋤  のことによって逆に記述のさらなる自由を得たといっても過言ではないかも知れない︒かくして﹁貴族と革命﹂および﹁ハ 顧

回  

とハイデルベルク﹂は一連の自伝作品構想の福産物として成立したと言えるのである︒これらのほぼ完成稿といっても ﹃ と よい作品の成立を間接的に示唆する断片的記述が残されている︒

  顛        二八五⊥ハ⊥八五七︺

と 詩         多くの友人たちが︑早くからわたしに忘備録の執筆を促していた︒自分のことや自分の人生に︑それほどの価値を置くことは︑ま ﹃

        るで考えていなかったのだが︑1しかし︑わたしの晩年がますます︑濃い夕闇に包まれてきたいま︑夕日が隠者のごとく沈んでし

21         まわないうちに︑今一度わたしの生涯を展望する必要を感じている︒i伝記というものは︑感傷ないしは反省に傾きがちである

(23)

22 と︑しばしば非難される︒そのどちらかを意図的に追い求めようとする者も︑また小心翼翼とそれを避けようとする者も︑いないよ

うにわたしには思えるのだが︒感傷と反省はともに人生においてはたえず交代を余儀なくされるものであるから︑わたしはまさにそ

の ときの状況に応じてどちらかに任せて筆を運ぶつもりである︒そしてたとえわたしという人物もわたしの運命もどちらも一般の

関心を呼ばないとしても︑数条の光はまだ︑わたしたちにとってはもはや遠い存在であるか現在には馴染みのないものとなった一時       ㈲ 代を︑もしかしたら照らし出してくれるかも知れないのだから︒

  この記述においてはまだ伝記を何らかの形で残したいという作者の意図が読み取れる︒しかし自分のことよりも︑まず

第一に時代そのものを表現したいという気持ちがはっきりと顕れている︒

  つ ぎに後年︑編纂者によって﹁回顧録﹂の標題をつけられた二作品を直接的に示唆する資料を掲げる︒

齢 が︑過ぎ去った人生の展望の必要性を感じさせる︒ー感傷も反省も排除せず  わたしの個性ないしは運命が一般の関心のあ

るところであるという自惚れはわたしにはほど遠い︒しかし数条の光は云々︒したがってわたしの閲歴などではなく︑体験録を期待

して欲しい︒わたしは自分の人生を記述したいのではなく︑時代を︑そしてわたしの生きてきた時代の変遷を︑ひとことで言えば︑

最 も広い意味での体験を書きたいのである︒しかしながらわたしの個人性が現れるなら︑そのときにはただもろもろの形象をより

くっきりと照らし出すための︑反射鏡であろうとする意図しかない︒

時 代を表現するという作者の意図はますますはっきりとしていく︒﹁わたしは自分の人生を記述したいのではなく︑時代

を︑そしてわたしの生きてきた時代の変遷を︑ひとことで言えば︑最も広い意味での体験を書きたいのである﹂という言

(24)

葉にはゲーテが意図した伝記の要件のなかでもきわめて難しいもの︑ゲーテが﹁とうていおよびがたいもの﹂と表現した

高い目標がが掲げられていると見なければならない︒

        わ た しは一七八八年に革命とともに︑つまり政治革命︑精神革命ならびに文学革命の時代にこの世に生を受けた︒なかでも最後の文

        学の革命に参加した︒ー旧時代から新時代への移り変わりそのものが︑どのように静かな田舎の家にその姿を反映したのかの過        oo

     

  程︒当時のカールスバートとトストの著しい相違︒

一 へ 触 ・の断片記述はアイ三ン・ル・が︑自分の個人的な人生と同時代との関連付けを意識し︑その意義に対する認識を非 時 ら 常に明確に把握した段階を示す重要なものである︒同時に上記の二作品がこの展望のもとに描かれたこと︑そして独自の

か 伝   歴 史記述を展開するに至ったこと︑またその前段階にあった文学史記述の持つ意義や特徴をも併せて示していると言えよ 自 ︸ 膓 鋤    このようにして詩人は最晩年に至っていわゆる従来型の自伝を書くことに︑もはやこだわりを持たなくなっていた︒言 顧 回 い換えれば一人称の記述を離れ︑客観的な立場を確保することにより︑貴族階級の没落の拠って来る歴史記述﹁貴族と革 ﹃ と 命﹂および自己の参加したロマン主義の思想史的な体験を描いた﹁ハレとハイデルベルク﹂が﹁挙に書かれたといえよう︒

  顛 その翻訳は紙面を別にして報告したい︒

説 ﹃   主

3  田 以下ゲーテの作品からの引用部分は﹃詩と真実ーわが生涯よりー﹄山崎章甫訳︵潮出版ゲーテ全集9︑一九七九年︶を参照し 2    

   た︒第一部冒頭および第一章︵七頁から=頁︶に含まれる記述である︒原文テクストは∀言§き蒔自這e§08S8§Qさや

(25)

           

  民o日日︒日碧Φ§ユヵ︒領﹇切3﹁°=①∋9お2い⊆°︒ぴq書︒日忘切餌且2国①雷已切oq︒σq︒ひg<8国ユ9↓日旨ζ口g9巨P民﹄o爵﹄O°Φ゜

2   戸旨oσ呂σq日O宮ωo穿︒◎力合﹃庄窪一﹄o二σo曽ぴo﹇宮庁Φ﹀巨①αqo二q⊃◎︒︹ω\隅を参照した︒

          ② 恕ミ誉言§さo合防きSo§∀防§註﹀§e寒§合藁庄゜︒8緩o亨訂三゜・︒冨>5σq曽o︵=民と\O︒oq﹁°<8笥芦︒巨民o︒合已a

             

編5;き︒吋らo葺σqΦ︷°己且宮゜︒σQ<oロ国︒﹁日四昌民旨ω各§O国①巨葺〆8力日③弓呼↓菩日゜qg⁚呂︒日︒コ﹁°切O°9輪陣品宮巨゜qg°・

              ↓o巳ω゜﹀巳oぴ8ひq日廿巨ψ・合o写poq∋o日Φ⁚↓o巴芦ユ丙o日∋o邑曽\宮ωoq°<80⁝巴日2困已巳゜︒9﹂ΦOo︒°︒◎°一べは

          ③

=°民◆﹀﹄P<°鼻−↓巴ω゜°カニベ哺゜

     ラ

       

  ほ国亘臼oo°ωや゜

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  旧国σ臼o力゜ωやは

          ㈲ 国゜民゜︾°毘゜<目ω﹈品゜<oqζe°es§合善ミ6斗ごコΦ臣゜日゜・°q°<︒ロ綱&ぴq昌︒︒写芦£巴ロ﹄ユぴq葺︒乙力9巨9合旨O=°︒﹁﹇忌゜q

             

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          m

出゜民゜﹀°OP<°﹄㍉↓o=ωひ゜°︒°︒宍

      

       

  侶団ひPo◎°零゜

      

         

⑲国亘臼o力゜Φc︒.

         ⑩

9°°力゜Φ゜︒°

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