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日本の伝統的地域景観

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Academic year: 2021

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と も に ヨ ー ロ ッ パ 各 地 へ 広 が っ て い っ た。 そ し て, Landschaft(独),landscape(英),paysage(仏)の言葉が 生まれた。これらの言葉には共通して,Land や pays と いった土地や地域を意味する語が含まれている。 日本にはドイツ語のLandschaft が 1920 年代に導入さ れた。Landschaft には風景的な意味と地域的・空間的な 意味とが含まれていたため,和訳は困難を極め,景観, 風景,景域,地景などの訳語が当てられたが,中でも景 観の使用頻度が高かったため,次第に「景観」が訳語と して定着した。今日「景観」は,学術的には可視的・形 状的側面が強調された言葉として,多分野の学問領域で 活用されており,地理学では地域的な意味合いを持つ言 葉としても用いられている。 なお,日本には古来から「風景」という言葉があり, この風景は景観と異なり,主観と客観という対軸で捉え られることが多い言葉である。 「日本の風景」をテーマにした自由描画による調査 1 はじめに 現在は多様化の時代といわれている。グローバル化が 進行するにつれて,多様化する現代社会は細分化と重層 的横断的な関係が進みより複雑なものになった。しか し,見方を変えれば,多様化は同時に画一化をもたらし たといわれている。現代都市を見渡してみると,細部の 違いを無視すれば,全国の都市には同じような景観が出 現し,没地域性,没場所性が問題視されるようになって いる。なお,景観は魅力ある地域づくりにおいて欠かせ ない存在である。とくに近年では,美しい景観を地域資 源として活用する試みがあり,各地でさまざまな施策が 展開されている。 ここで景観の概念について,ヨーロッパから日本に至 るまでを概観し,現代日本における景観認識を日本人の 風景観に視点をおいて検討する。ヨーロッパでは16 世 紀のフランドル地方で,風景画と同じくしてlandschap (風景)の語が出現し,フランドル画家たちの風景画と

佐野 充

・田中 絵里子

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The “keikan” is established as a translation of Landschaft. If it can recognize as natural at present even if nature is changed artificially, we will be understood as a natural landscape. Since the feeling tone of Edo has the strong rows of houses built after Meiji Era, the city called “small Edo” is also in a traditional city. Thus, we the Japanese recognize the traditional area with landscape subjectivity and emotionality. That is, we can say that landscape recognition of Japanese people has in the heart the outlook on nature and cultural view which history, culture, tradition, a climate, etc. made. We can say that the traditional area in pre landscape sent-day Japan is understood by Japanese people as the bottom of land-scape recognition of subjectivity and emotionality as a result.

Keywords : 景観(Landschaft),伝統的地域景観(Traditional area landscape),世界遺産(World heritage)

日本の伝統的地域景観

A Traditional Area Landscape of Japan

Mitsuru SANO

and Eriko TANAKA

**

(Received October 31, 2011)

Department of Geography, College of Humanities and Sciences, Nihon

University: 3 − 25 − 40 Sakurajosui, Setagaya − ku, Tokyo, 156 − 8550 Japan

** Transportation Engineering and Socio-Technology,College of Science

and Technology,Nihon University:24-1, Narashinodai 7-chome, Funabashi-shi, Chiba 274-8501, Japan

日本大学文理学部地理学科:

〒156−8550 東京都世田谷区桜上水3−25−40

**日本大学理工学部社会交通工学科:

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(2007年実施)では,半数が自然的な風景を主題に描き, 約3 割が農山村の風景を描いていた。また,全体の半数 がそれらの風景を「実際に見た」ことがある風景だと答 えているものの,現実の生活とは離れた思い出的な風景 であったものも多かった。結果として,日本人の自然観 には,霊峰富士,白砂青松,春の桜,秋の紅葉,清流な どに,日本の美しさを感じる日本人の主情的な自然認識 があり,文化観には,京都や江戸といった日本の歴史時 代の主要な部分を占めた時代と空間(時間)のイメージ が認識の根底に存在していることが日本人の風景認識で あることが理解された。 自然的な要素の強い景観を自然的景観,文化的な要素 の強い景観を文化的景観に区別できる。ここで,両者に ついての問題意識の高まりと保護・保全に至るまでの経 緯についてまとめる。 日本における自然的景観は,1931(昭和6)年の国立公 園法制定以降,科学的,静態的な保護がなされてきた。 初期に指定されたのは,日光や富士箱根など江戸時代よ り名所として親しまれてきた伝統的風景観に基づく名勝 地や,大雪山や阿蘇など原始性の高い山岳地域であっ た。その後,主に火山地形など特色のある自然的景観が 指定され,1970年以降には海中や湿原にも指定が拡大す るなど,国立公園の種類に多様化がみられるようになっ た。1980 年代以降になると,環境保全と地域振興に対す る世界的な関心の高まりを受け,国内でもグリーン ・ ツーリズムやエコツーリズムの取り組みが検討されるよ うになった。このように日本における自然的景観は,時 代のニーズや世界的な動きに対応してきたといえる。 一方,文化的景観に対する関心は,町並み保存の運動 の高まりとともに強くなった。町並み保存は,高度経済 成長期の効率性,経済性重視による画一的,没地域的な 景観への反省とともに,全国に広がった。1975(昭和 50)年の伝統的建造物群保存地区制度は,「古い」に「伝 統的な」価値観をもたらし,全国の地域づくりに大きな 影響を与えた。従来の文化財保護法では対象物が点とし て保護されるだけであったが,町並み保存では点として の建造物を中心にその周辺を含めた地域全体の保全が求 められるようになった。前者は静態保存と称され,後者 は静態保存と日常で使用しながら保全する動態保存とを 組み合わせている。 このように,景観への関心の高まりは,自国の景観の 見直しと同時に,世界との対比の中で深化した。また, 時代の変化とともに,自然的景観と文化的景観の両方に おいて,静態保存に動態保存を取り入れ,地域資源とし ての活用が期待されるに至った。そこで,現代日本にお ける景観認識を明らかにする際には,景観を静態的に保 存するとともに,動態的な保全にも取り組んでいる事例 を検討する必要がある。 景観はLandschaftの訳語として定着している。たとえ、 自然が人為的に改変されても,現時点で自然として認識 できれば、自然的景観として理解される。歴史的都市の 中には,明治時代以降に造られた町並みが江戸の情緒が 強いために「小江戸」といわれる都市もある。このよう に,私たち日本人は主観性と主情性をもって伝統的地域 景観を認識している。つまり,日本人の景観認識は,歴 史 ・ 文化 ・ 伝統 ・ 風土などが創った自然観や文化観を心 の中に持っているといえる。結果として,現代の日本に おける伝統的地域景観は,主観性と主情性を景観認識の 根底として日本人に理解されているといえる。 2 景観保全と景観を活かした地域づくり 2-1 環境と景観への意識の高まり 景観に関する議論は,環境に関する議論から発展した ものが多い。桑子(2005)1)は,景観の中には環境をめぐ る価値の問題がその本質的な姿を示すとしている。さら に,景観・風景は,環境の問題の下位に位置するもので はなく,むしろ,「自然と社会に対する人間のかかわり の全体像を示すのが景観であり,風景」だと述べている。 環境を維持,もしくは保全(エコロジー)2)し,快適な くらし(アメニティ)を確保しようとする概念は,19世 紀のイギリスから広まった。当時のイギリスは,中世以 降の急激な技術の進歩や産業革命による工業化にとも なって,自然破壊や衛生状態の悪化といった周辺環境の 急激な悪化が目に余るようになっていた3)。このような 状況を受け,イギリスでは,1895年にオクタヴィア・ヒ ル(Octavia Hill)らが,産業開発から自然と歴史的建造 物を保護することを目的にナショナル・トラスト4)を設 立した。また,1909年には住宅都市計画法において,く らしの快適性(アメニティ)が「都市計画の全体的目標 における柱の一つに位置づけられた」(植田ほか2005)5) 当時のアメニティの概念は,“the right thing in the right place”(あるべきものがあるべき場所にあること)であ る。言い換えれば,地域によってあるべきものやあるべ き場所は異なっており,アメニティは地域ごとに異なっ ているということになる。 日本において環境に対する動きは,20世紀初頭の田中 正造と南方熊楠から始まったといわれている。田中は足 尾銅山の鉱毒事件で「人民の生きる権利」を主張した。 南方は神社合祀に対して,神社喪失は「原生的自然を

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保っている森林としての神社林の破壊」と「地域社会で の人間たちの生活の崩壊」を導くものだと主張した(鳥 越1999)6)。また,南方は「川村竹冶宛て書簡」で「エコ ロギー」の文字を用いており,おそらく南方が日本で初 めてエコロジーの語を使用した人物であろうといわれて いる。 明治以降,公害という形の環境問題は早くから自覚さ れたが,「日常環境の精神性という問題意識と思想的実 践は,やはり弱かったと考えざるをえない」との指摘も ある(中村1982)7)。しかし,田中と南方は,いずれも市 民の生活環境の悪化や破壊を憂い,社会 ・ 政府に対して, 改革を訴えているのであるまさに人々が快適にくらす環 境を守ろうとした動きであるといえる。このように日本 における環境保全は,イギリスと同じようにくらしの快 適性と密接に関わり合いながら展開してきたといえる。 20 世紀半ばでは,水俣病が挙げられる。それまで奇 病とされてきたこの病の原因が,メチル水銀であること がわかったのは1956(昭和31)年である。その後行われ た水俣再生運動では,地域を水俣病襲来以前の自然と人 間のくらしに戻すことが究極の目標とされた。行政が水 俣病を公式に確認してから50年目の年に当たる2006(平 成18)年度の『環境白書』では,刊行にあたって小池百 合子環境大臣(当時)が,水俣病を「環境問題の原点」と した上で,「水俣病問題は日本が高度経済成長をする中 で生じたもの」と位置づけている。高度経済成長という 大きな社会的,経済的発展の裏で起きたこのような公害 は,イギリスにおける産業革命期の環境問題と同じであ り,経済の発展が人々にとって好ましくない兆候を環境 に与えたのは大きな矛盾といえる(中村1982)。 経済の発展によって変化が生じたのは自然としての環 境だけではない。同じような動きで,都市の景観にも大 きな変化が起きた。高度経済成長による国際化は,都市 景観に多様化と画一化をもたらし,没場所性,没地域性 が問題視されるようになった。まさに「普遍性を獲得し た国際様式と称する新たな規範が文化を超えて先進的な ものとして需要された」時代だといえる(窪田陽一 2004)8)。日本における文化的景観,とくに歴史的な町並 みが失われていることに気づいたのは,まさに高度経済 成長期の後であった。 2-2 科学的エコロジーと風土的エコロジー 環境保全についての論争としては,20世紀初頭に開始 されたジョン・ミューア(John Muir)9)とギフォード・ ピンショー(Gifford Pinchot)10)の例が挙げられる。二人 は森林保護区(後の国有林)へのダム建設を巡って激し い論争を繰り広げた。渓谷の名前から「ヘッチヘッチー 論争」と呼ばれたこの論議は,地元カリフォルニアにと どまらず全国規模に拡大した11)。反対派のミューアは, 自然とは原生の自然であり,手付かずのままに保存する ことを主張した。それに対して推進派のピンショーは, 自然保護は自然を人間が有効に利用し続けるために必要 であると主張した。前者は,生態学の理論から自然を保 護する立場であり,後者は人間のくらしを基本とした自 然保護の立場をとった(畠山1999)12) 保全と開発という対立的な関係は,しばしば問題とさ れてきた13)。自然に対する人間の関与を完全に否定,も しくは制限した前者のエコロジー論は,人々のくらしと 無縁の地域においては可能であるといえる。しかし,今 日の地球上においてそのような地域はごくわずかであ り,最良の方法だと断言できない。一方,後者の人々の 生活を軸にしたエコロジー論は,田中正造や南方熊楠ら と共通するものがある。鳥越(1999)は,生態学の理論 を借用した前者のエコロジー論を「科学的エコロジー 論」とし,後者の人々のくらしを基盤としたエコロジー 論を「人民的エコロジー論」としている。しかし後者は, 自然や人々のくらし,歴史,文化を取り巻く環境を保全 する意から,「人民的」よりもむしろ「風土的」と表現し た方が理解を得やすいと考える。

ベルク,A.(1992)は,自著のタイトル “LE SAUVAGE ET L’ARTIFICE” (直訳「野生と人為」)14)を「風土」とい う言葉で表現している。野生と人為とは,すなわち自然 と開発の関係を示している。つまり,風土とは常に自然 環境と人間社会のバランスによって保たれており,自然 と社会とは不可分であるといえる。 「風土」に関して,和辻(1979)は「ある土地の気候, 気象,地質,地味,地形,景観など」の自然的事象から 文化的事象にまで概念を拡大させ,歴史をも統合する総 合的な概念として説明し,自然と人間の関わりを論じて いる15)。桑子(2005)は「地球上の地形を含む地理上の 変化や大気を含む機構的多様性と不可分な関係」で「特 色ある局所的空間に生活する人びとの空間との関わりを 蓄積したものとして文化的履歴をも内包する」としてい る。すなわち,地形や気候といった自然的な要素と人間 生活とが密接に関わり合いながら形成されたものである といえる。また,和辻(1979)は「通例自然環境と考え られているものは,人間の風土性を具体的基盤として, そこから対象的に解放され来たったものである」とし, 自然環境と人間生活との関係を考える際には,人間生活 そのものさえもすでに対象化されていると述べている。 風景や景観は主体としての人間の視点から眺めるが,風

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土は人間さえもその一部でしかないという点が大きく異 なっている。 くらしを基盤としたエコロジーを「風土的」と表現し た理由はここにある。人間は環境を保護することを最上 の目的とはせずに,自分たちの環境,自分たちのくらし を快適にすることを目的としている。つまり,人間が風 土の一部となって快適な環境を維持しようとしているこ とに他ならない。 また,環境を科学的に保護しようとした科学的エコロ ジーは,静態的な保存の仕方であり,一方の風土的エコ ロジーは動態的な保存の仕方であると位置づけられる。 静態保存は規制などによる現状保存を基本とし,動態保 存は緩やかな規制に基づき活用しながら保存する方法で ある。環境を保全する際には,科学的な静態保存と風土 的な動態保存とをうまく組み合わせていくことが肝要だ といえる。 3 伝統的地域景観保全の動き 3-1 自然的景観と文化的景観 景観には様々な特徴を有するものがあり,地理学では 伝統的に類型化が行われてきた。その中で最も良く知ら れているのが,景観を自然と文化に分けて説明する方法 である。サウアー(1925)は景観形態学を提唱し,景観 を「自然景観」と「文化景観」に分けた。それに対し,ハー ツホーン(1939)は,「自然景観」とは決して人為的作用 の及ばない地域に限るべきものであり,純粋な「自然景 観」は存在しないと批判した(ハーツホーン著 野間訳 1957)16)。確かにこの地球上で,いまや人間の力が加わ らない地域を探すことは,極めて困難であるといえる。 しかし,サウアーは決して自然と文化とを対立した概念 として捉えたわけではなかった。 現在ある景観は,長い歴史の中で人為的影響を受け, 次第に変化していった文化景観であり,「生成の学とい われた形態学の立場にたつサウアーは,人間の手の加わ る以前の景観,いわば景観の原型ともいえるものを求め ること」を課題としていた。つまり,「自然景観」には「原 景 観 」 の 意 味 が 内 在 し て い る と い え る( 中 村 ほ か 1991)17) ここでは景観を主題に扱うものであるが,その対象は 現代であり,原景観を求めるものではない。しかし,景 観を自然と文化とに区分する捉え方は,地理学が自然地 理学と人文地理学とに区分して捉えようとする見方とに ている。そこで,従来の地理学で扱われてきた「自然景 観」や「文化景観」とは意を異にし,あくまで景観の中 における要素の強さを表現する言葉として,景観におい て自然的な要素の強いものを「自然的景観」,文化的な 要素の強いものを「文化的景観」と定義する。 3-2 自然的景観の保全と活用 日本における環境保全は,くらしを保護する風土的エ コロジーの立場から生まれ,急速な工業化がもたらした 公害問題は大きな社会問題として取り上げられた。とく に水俣病問題は,日本が高度経済成長をする中で生じた ものであるとともに,日本における環境問題の原点とし て,今日でも語り継がれている。その一方で,観光開発 に関わる自然的景観の破壊は長い間,問題視されること がなかった。高度経済成長期に入った1960 年代はまさ に観光の大衆化時代ともよばれ,全国で大規模な観光開 発が行われた。山岳には観光道路が建設され,ゴルフ場 やスキー場,別荘地の開発が進んだのもこの時期であっ た。 日本における自然的景観は,1931(昭和6)年に国立公 園法の制定以降,法的保護が実現した(表1,図 1)。日 本で最初の国立公園は,1934(昭和9)年3月に瀬戸内海, 雲仙天草,霧島屋久が指定され,12 月に阿寒,大雪山, 日光,中部山岳,阿蘇くじゅうの5 ヶ所が追加指定され た(表2)。初期に指定された地域は,日光,富士箱根な ど,江戸時代より名所として親しまれてきた伝統的風景 観に基づく名勝地(図2)や,大雪山,阿蘇など原始性 の高い山岳地域などであった。1957(昭和 32)年には国 (環境庁パンフレットによる) 要 概 年 1930 世界初 米国イエローストーンに国立公園指定 1931 国立公園法制定 1934 日本発の国立公園指定(8箇所) 1949 特別保護地区,国定公園制度創設 1957 自然公園法制定 1970 海中公園制度・指定湖沼制度創設 1973 普通地域の規制強化 1974 特別地域の地種区分規定 1975 各種行為に関する審査指針査定 1990 動植物殺傷等制限,馬車乗り入れ規制創設 1994 自然公園等事業の公共事業予算化 2000 地方分権改正,審査基準の法令化 2002 責務規定に生物多様性確保追加,利用調整地区,風景地保護協定, 公園管理団体制度創設,指定動物規制等 2005 特別保護地区における動植物放出規制 表1 自然公園制度の歴史年表

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立公園法の全面改正により,自然公園法が制定され,国 立公園,国定公園,都道府県立自然公園から成る現在の 体系が確立した。このように日本における自然的景観 は,一方では法的整備の元で,科学的,静態的に保護が なされ,他方では観光開発が進められてきた。とくに名 勝地のような自然的景観においては,古くから観光地化 が進行していたこともあり,保護地域というよりも観光 地としての認識の方が強いといえる。 日本における国立公園は,伝統的風景観に基づく名勝 地や原始性の高い山岳地域の指定に始まり,主に火山地 形など特色のある自然的景観を対象に指定地域を増やし てきた(図3)。1970(昭和45)年には海中公園制度が加 わったことにより,海洋地域における自然的景観も保護 の対象となった。これを受けて翌年には,西表,小笠原, 足摺宇和海の3 箇所が国立公園の指定を受けている。こ 図1 日本の国立公園の分布 (環境省 自然環境情報GISデータにより作成) (平成 注:表中の番号は図1内の番号に一致する. 23 年 4 月 1 日現在,環境庁により作成) 番号 公園名 指定年 面積(ha) 関係都道府県 1 利尻礼文サロベツ 1974 24,166 北海道 2 知床 1964 38,636 北海道 3 阿寒 1934 90,481 北海道 4 釧路湿原 1987 26,861 北海道 5 大雪山 1934 226,764 北海道 6 支笏洞爺 1949 99,473 北海道 7 十和田八幡平 1936 85,551 青森,岩手,秋田 8 陸中海岸 1955 12,212 岩手,宮城 9 磐梯朝日 1950 186,404 山形,福島,新潟 10 日光 1934 114,908 福島,栃木,群馬 11 尾瀬 2007 37,200 福島,栃木,群馬,新潟 12 上信越高原 1949 188,072 群馬,新潟,長野 13 秩父多摩甲斐 1950 126,259 埼玉,東京,山梨,長野 14 小笠原 1972 6,629 東京 15 富士箱根伊豆 1936 121,695 東京,神奈川,山梨,静岡 16 中部山岳 1934 174,323 新潟,富山,長野,岐阜 17 白山 1962 47,700 富山,石川,福井,岐阜 18 南アルプス 1964 35,752 山梨,長野,静岡 19 伊勢志摩 1946 55,544 三重 20 吉野熊野 1936 59,793 三重,奈良,和歌山 21 山陰海岸 1963 8,783 京都,兵庫,鳥取 22 瀬戸内海 1934 66,934 大阪,兵庫,和歌山,岡山,広島,山口,徳島,香川,愛 媛,福岡,大分 23 大山隠岐 1936 35,053 鳥取,島根,岡山 24 足摺宇和海 1972 11,345 愛媛,高知 25 西海 1955 24,646 長崎 26 雲仙天草 1934 28,279 長崎,熊本,鹿児島 27 阿蘇くじゅう 1934 72,678 熊本,大分 28 霧島屋久 1934 60,794 宮崎,鹿児島 29 西表石垣 1972 20,569 沖縄 2,087,504 合 計 表2 国立公園一覧 図2 日光国立公園 注:1934(昭和 9)年に日本で初めて指定された国立公園の 1 つ. 華厳滝.(田中撮影) 図3 磐梯朝日国立公園 注:爆裂式火山と火山性湖沼群.五色沼.(田中撮影)

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のように,1970年代以降はサンゴなどの海中景観や広大 な湿原景観など,国立公園の指定に多様化が見られるよ うになってきた。すなわち,「時代と共に優れた自然の 風景地としての風景評価が変化,多様化してきた」こと に応じる動きだといえる(環境庁2007)18)。しかし,世 界的な視点からみると,日本における自然保護はとくに 海域部において規制の基準が低く,しかも管理が各省に 分散されているため,自然保護や生態系保全の観点から の規制は困難を極めている点が指摘されている。また, 国立公園は1970 年代までにそのほとんどが指定されて いる。1980 年代以降の指定は,ラムサール条約登録湿地 の釧路湿原(1987年)と日光国立公園から独立した尾瀬 (2007 年)のみである。2011 年現在,国立公園には 29 箇 所が指定されて,その分布は全国に広がっている(図1)。 1980 年代以降になると,環境保全と地域振興に対す る世界的な関心の高まりを受け,国内でもグリーン・ ツーリズムやエコツーリズムへの取り組みが検討される ようになった。これらは各地で大規模リゾート開発が進 行したことによる様々な問題点が指摘される中で,持続 可能な地域づくり,外部資本に頼らない地域資源を活か した内発的発展が志向されるようになったことを示して いる(浅野・フンク2002)19)。グリーン ・ ツーリズムやエ コツーリズムは,人々の関心の高まりに支えられ,確実 に日本における自然的景観の動態保存的な活用手法の1 つとして広がっていった。 また,横山(2006)は,環境への責任を自覚したツー リストをソフト・ツーリストとエコツーリストに区分し ている。それによると,前者は主に保養や楽しみを目的 に「田園・農村地帯,あるいは自然公園などで休暇を過 ごすツーリスト」で,後者は体験や学習を目的に人為的 な影響の少ない自然に近い空間が残る「自然保護区や国 立公園で休暇を過ごすツーリスト」だとしている(横山 2006)20)。つまり,ツーリストの意識や目的がツーリズ ムの形態に大きく影響しているといえ,自然環境への意 識が自然的景観の認識には重要であると考えられる。 1980 年代は世界的に自然環境保全と地域振興に対す る関心が高まりをみせた時期である。1982(昭和 57)年 にIUCN(国際自然保護連盟)第3回世界国立公園保護地 域会議において,エコツーリズムが「自然保護の資金調 達機能として有効」とされ,1985年にはWTO(世界観光 機関),UNEP(国連環境計画)が「観光と環境に関する 共同宣言」において「環境の保護と改善は観光の調和の 採れた開発にとって基本的条件」とした。この自然環境 保全と地域振興を同時に達成するための有効な手段とし て採り上げられたのがエコツーリズムであった。これは まさに先進国のマスツーリズムに対峙する概念として生 まれたといえる。そしてこの世界的な動きを受け,日本 でもエコツーリズムが検討されるようになった。 日本では1989 年に小笠原ホエールウォッチング協会 が発足した。1991(平成3)年には環境庁がエコツーリズ ム推進のための検討調査を開始し,いよいよ実践的な取 り組みへ動き出した。1990 年代はそのための基礎が築か れた時期であり,全国で協会やガイド作りが展開され た。とくに1993 年の屋久島と白神山地の世界自然遺産 登録は,自然保護地域の価値を高めたと同時に,観光地 として注目を集めることとなった。2000 年代になると, 世界的なエコツーリズムへの動きを受けて,国内でも具 体的な世策が展開されるようになった。とくに2002 年 には北海道,東京,沖縄の各地で大きな動きが見られる。 1998 年に設立された全国組織のエコツーリズム推進協 議会は,2002年に日本エコツーリズム協会へ改名し,翌 年にはNPO法人となるなど,まさに,全国的にエコツー リズムを支える体制が整ったといえる(佐野・田中 2011)。小笠原諸島は2011年に世界自然遺産になった。 このようにして,従来は科学的に静態保存が大前提で ありながらも,名勝地として観光地化が進んできた日本 の自然的景観に,自然環境保護意識を伴う観光利用とし てグリーン ・ ツーリズムやエコツーリズムが検討される ようになった。つまり,自然的景観に自然環境保護意識 を伴った地域資源としての動態的活用が期待されるよう になったといえる。 3-3 文化的景観の保全と活用 文化的景観に対する関心の高まりは,高度経済成長期 の効率性,経済性重視による画一的,没地域的な景観へ の反省から生まれ,町並み保存運動へつながった。町並 み保存の動きは1968(昭和43)年に妻籠で始まった運動 から始まる。当時の妻籠には荒廃した宿場跡が残された ものの,過疎化が進んでいた。この問題を解決するため に,宿場の建造物だけでなく,周辺の山々を含めた広域 を保存地区として残そうと提案された集落と町並みの保 存策が現在の町並み保存のさきがけとなった。1971(昭 和46)年には,地域社会共有の文化遺産としての歴史的 町並みを外部の観光資源開発から守り,自らが保護して いくことを宣言し,「妻籠宿を守る住民憲章」が制定さ れた。「売らない,貸さない,壊さない」の三原則が明 言されたこの全11 章 23 項目から成る住民憲章こそが, 全国初の町並み保存例といわれる所以であるといえる。 妻籠宿で始まった歴史的集落および町並みの保存活動 は,地元住民・研究者・行政が一体化した動きとなって

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ろ,担当部署が明確になった57 地区のうち 50 地区が教 育委員会内に設置されていた。この数は全体の8 割にの ぼる。とくに教育委員会内の生涯学習部門に設置される 例がもっとも多く,歴史的町並みが教育目的での資料的 価値を有している点が挙げられる。その他の部門として は,都市計画課,都市政策局,文化政策部,総務部,建 築部,商工観光課などがあった。また,担当部署が教育 委員会に設けられていても,実際の保全活動や整備事業 においては,都市計画や商業観光など多くの部署と連携 しあって事業が進められている。つまり,歴史的町並み には単に資料的価値として保存されるだけではなく,地 域資源としての価値が注目されているといえる。 また,内閣府が2003(平成15)年に行った「文化に関 する世論調査」で「文化が息づくまちづくりのための要 望」を一般市民に訊ねたところ,地域のサークルなどの 文化活動支援や,イベントの実施,公共施設への設備投 資などへも関心が見られたものの,今日のまちのなかに ある歴史的建造物や遺跡を活かしたまちづくりに対して 大きな期待が集められていることがわかった。いまや歴 史的町並みは広く一般市民にまでまちづくりのための一 手法として認識されていることの表れだといえる。 さらに1996 年以降は,変化の著しい現代社会に対応 するため「登録有形文化財」の制度も導入された。登録 文化財の条件は,国土の歴史的景観に寄与している,造 形の規範となっている,再現することが容易ではないな どである。これは文化財としての価値評価が確定してい ない近代建築物でも,後世に継承するために積極的に登 録していこうとする制度で,幅広い活用が可能である。 したがって建物用途を転用して活用し続ける動態保存が しやすくなり,登録制であるため申請も簡便になった。 このように日本における文化的景観は点から面へ,静態 保存から動態保存へと,保全の対象範囲や保全方法を時 代のニーズに合わせて対応しながら変化を続けてきた。 今日の日本における文化財の保存体系は,静態保存と 動態保存とがバランスよく保たれている。従来までの文 化財保護は,対象物をそのままの状態で保存する静態保 存が中心であった。しかし,そのままでの保存が難しい 場合や,未だ価値の定まらないものに対しては,緩やか な規制の下に,対象物を活用しながら保全する動態保存 が取られるようになった。歴史的町並み保存に関してい えば,歴史的に価値ある造形物はそのままの状態で静態 保存するとともに,価値があるものの,現在でも引き続 き人びとのくらしの中で活用されており,静態的な保存 が難しいものには動態保存をするという,選択の幅が広 がった。 進められ,全国に知られるところとなった。 このような動きを受けて,1975(昭和50)年には文化 財保護法の改定に伴い,新しく伝統的建造物群保存地区 制度が設置された。城下町,宿場町,門前町など全国各 地に残る歴史的な集落・町並みの保存が目的で,その中 でもとくに重要なものは重要伝統的建造物群保存地区 (以下重伝建地区)として国から選定される。従来の文 化財保護と大きく異なる点は2 つある。第一に,従来の 文化財は特定の対象物が指定されるだけであったのに対 し,重伝建地区は,それらの文化財を中心にその周辺地 域も保全していく必要がある。まさに「地区」としての 選定であり,それは従来の点的指定から面的な広がりへ と概念が拡大されたことを示している。第二に,これま での文化財は国からの指定を受けるだけのものであった が,重伝建地区は地元住民と自治体が積極的に文化財を 保護するための制度がないと選定されない。重伝建地区 は,面的な広がりを持った地区としての選定であるた め,該当地区の住民や行政の合意形成が不可欠となっ た。それゆえに,町並み保存は地域が一体となった動き として捉えられる。重伝建地区は2007 年 12 月時点で 80 地区が選定されていた(図4,図5,図6)21)が,2011年 11月には93地区に増加している(表3)。 歴史的町並みには様々な価値がある。伝統的建造物群 保存地区協会から重伝建地区の担当部署を調べたとこ 図4 重要伝統的建造物群保存地区の分布 (文化庁 国指定文化財産等データベースにより作成)

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歴史的町並み保存は,「古い」に「伝統的な」価値観を 付与し,全国の地域づくりに大きな影響を与えたといえ る。この動きは全国的に広がり,美しい町並みは観光地 として注目を集めた。町並み保存は,地域全体として景 観を保全する動きの代表例と位置づけられた。なお,対 象地域において,無形の文化財22)の発掘,保存が進めば, 地域活性化がさらに進展することになる。 このように,日本における景観は時代の変化ととも に,自然的景観と文化的景観の双方において,静態的な 保存に動態的な保全を取り入れ,地域資源としての活用 が期待されるに至った。そこで,現代日本における景観 認識を明らかにする際には,自然的景観と文化的景観の 双方において,景観を地域資源として動態的な活用を試 みている例を検討する必要があるといえる(佐野 ・ 田中 2007)。 3-4  世界遺産登録を目指した伝統的地域景観づくりの 広がりと問題点 経済成長は,公害や無秩序な観光地開発などによる環 境問題,多様化や画一化が進む都市景観の問題など,景 観に関する問題意識を目覚めさせた。また,景観への関 心の高まりは,自国の景観の見直しと同時に,世界との (文化庁 国指定文化財等データベースにより作成) 名 称 種 別 都道府県 名 称 種 別 都道府県 名 称 種 別 都道府県 町 港 崎 浜 市 萩 3 6 町 家 商 町 三 市 山 高 2 3 道 海 北 町 港 町 広 末 町 元 市 館 函 1 町 家 武 区 地 古 安 平 市 萩 4 6 落 集 村 山 町 荻 村 川 白 3 3 町 家 武 町 仲 市 前 弘 2 町 家 武 区 地 内 堀 市 萩 5 6 町 家 商 町 濃 美 市 濃 美 4 3 町 家 商 町 中 市 石 黒 3 4 金ケ崎町城内諏訪小路 武家町 岩手県 35 豊田市足助 商家町 愛知県 66 柳井市古市金屋 商家町 5 仙北市角館 武家町 秋田県 36 亀山市関宿 宿場町 三重県 67 三好市東祖谷山村落合 山村集落 町 家 商 町 南 町 脇 市 馬 美 8 6 町 家 商 幡 八 市 幡 八 江 近 7 3 町 場 宿 宿 内 大 町 郷 下 6 県 川 香 町 港 島 笠 町 島 本 飽 塩 市 亀 丸 9 6 町 前 門 、 群 坊 里 本 坂 市 津 大 8 3 落 集 村 山 沢 前 町 津 会 南 7 町 郷 在 町 之 卯 町 和 宇 市 予 西 0 7 落 集 村 農 堂 金 荘 個 五 市 江 近 東 9 3 県 城 茨 町 郷 在 壁 真 市 川 桜 8 町 蝋 製 国 護 市 日 八 町 子 内 1 7 他 の そ 浦 根 伊 町 根 伊 0 4 県 馬 群 他 の そ 、 落 集 村 山 岩 赤 合 六 町 条 之 中 9 県 知 高 町 郷 在 町 川 良 吉 市 戸 室 2 7 町 屋 茶 橋 新 園 祇 市 都 京 1 4 県 玉 埼 町 家 商 越 川 市 越 川 0 1 町 郷 在 井 吉 後 筑 市 は き う 3 7 町 前 門 本 居 鳥 峨 嵯 市 都 京 2 4 県 葉 千 町 家 商 原 佐 市 取 香 1 1 町 下 城 月 秋 市 倉 朝 4 7 町 前 門 坂 寧 産 市 都 京 3 4 県 潟 新 町 港 木 根 宿 市 渡 佐 2 1 町 郷 在 木 黒 市 女 八 5 7 町 家 社 茂 賀 上 市 都 京 4 4 町 家 商 筋 町 山 市 岡 高 3 1 町 家 商 島 福 女 八 市 女 八 6 7 落 集 村 山 北 町 山 美 市 丹 南 5 4 落 集 村 山 沼 菅 市 砺 南 4 1 町 家 商 津 田 塩 市 野 嬉 7 7 他 の そ 悦 加 町 野 謝 与 6 4 落 集 村 山 倉 相 市 砺 南 5 1 町 郷 在 、 町 港 町 屋 金 浜 町 津 庄 浜 市 島 鹿 8 7 府 阪 大 町 郷 在 、 町 内 寺 林 田 富 市 林 田 富 7 4 他 の そ 立 橋 賀 加 市 賀 加 6 1 他 の そ 宿 木 本 八 町 中 浜 市 島 鹿 9 7 町 下 城 山 篠 市 山 篠 8 4 落 集 村 山 谷 東 賀 加 市 賀 加 7 1 町 磁 製 山 内 田 有 町 田 有 0 8 町 港 通 本 山 町 野 北 市 戸 神 9 4 他 の そ 麓 山 辰 卯 市 沢 金 8 1 町 家 武 路 小 代 神 市 仙 雲 1 8 町 下 城 石 出 市 岡 豊 0 5 町 屋 茶 町 計 主 市 沢 金 9 1 町 港 手 山 東 市 崎 長 2 8 町 家 商 山 松 市 陀 宇 1 5 町 屋 茶 し が ひ 山 東 市 沢 金 0 2 町 港 手 山 南 市 崎 長 3 8 町 郷 在 、 町 内 寺 町 井 今 市 原 橿 2 5 他 の そ 区 地 島 黒 市 島 輪 1 2 町 港 浦 神 村 島 大 市 戸 平 4 8 町 家 商 町 新 條 五 市 條 五 3 5 町 場 宿 宿 川 熊 町 狭 若 2 2 23 小浜市小浜西組 商家町、茶屋町 54 湯浅町湯浅 その他 和歌山県 85 日田市豆田町 商家町 大分県 24 早川町赤沢 山村、講中宿 山梨県 55 倉吉市打吹玉川 商家町 鳥取県 86 椎葉村十根川 山村集落 町 港 津 々 美 市 向 日 7 8 他 の そ 、 町 港 津 泉 温 市 田 大 6 5 町 場 宿 井 良 奈 市 尻 塩 5 2 町 家 武 肥 飫 市 南 日 8 8 町 山 鉱 山 銀 森 大 市 田 大 7 5 他 の そ 沢 平 曾 木 市 尻 塩 6 2 町 家 武 麓 来 入 市 内 川 摩 薩 9 8 町 山 鉱 屋 吹 市 梁 高 8 5 町 蚕 養 、 町 場 宿 宿 野 海 市 御 東 7 2 町 家 武 麓 水 出 市 水 出 0 9 町 家 商 畔 川 敷 倉 市 敷 倉 9 5 町 場 宿 宿 籠 妻 町 曾 木 南 8 2 町 家 武 覧 知 市 州 九 南 1 9 町 港 洗 手 御 町 豊 市 呉 0 6 落 集 村 山 鬼 青 村 馬 白 9 2 落 集 村 農 の 島 島 富 竹 町 富 竹 2 9 町 塩 製 区 地 原 竹 市 原 竹 1 6 町 家 商 り 通 本 町 村 岩 市 那 恵 0 3 落 集 村 農 の 島 島 喜 名 渡 村 喜 名 渡 3 9 県 口 山 町 場 宿 市 並 々 佐 市 萩 2 6 町 家 商 町 新 大 町 之 二 下 市 山 高 1 3 岐阜県 岐阜県 佐賀県 長崎県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県 山口県 岡山県 広島県 徳島県 愛媛県 福岡県 滋賀県 京都府 兵庫県 奈良県 島根県 青森県 福島県 富山県 石川県 福井県 長野県 表3 重要伝統的建造物群保存地区一覧 図5 南木曽町妻籠宿 注:日本の歴史的町並み保存の先駆けとなった宿場町. 1976(昭和51)年選定.(田中撮影)      図6 白馬村青鬼 注:妻籠宿と同じ長野県だが全く異なる景観の山村集落. 1998(平成10)年選定.(田中撮影)      

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対比の中で生まれたといえる。 とくに近年盛んに行われている町並み整備は,ヨー ロッパの整然とした街路景観を手本としたものが多い。 電柱・電線の地中化や石畳舗装は,まさにヨーロッパ的 な価値観に基づく景観整備であるともいえる。このよう な価値観は,日本の自然的景観や文化的景観に対する価 値観とも密接に関わりあっており,とくに近年,全国各 地で展開されている世界遺産登録活動は,まさにヨー ロッパ的価値観への追従の現れであるとも指摘できる。 世界遺産は,1972年の第17回ユネスコ(国際連合教育 科学文化機関)総会で採択された「世界の文化遺産およ び自然遺産の保護に関する条約」(以後,世界遺産条約) に基づいて,「世界遺産リスト」に記載(登録)された自 然や文化のことである。世界中の顕著で普遍的な価値の ある文化遺産・自然遺産を人類共通の宝として守り,次 世代に伝えていくことが目的で,有形の不動産が対象と なっている。登録された世界遺産を持つ国は,現状維持 が義務とされている。保護に関わる資金援助は原則的に なく,保全状態は定期的に調査される。その価値が失わ れたと判断された場合には,世界遺産リストから除外さ れる。 世界遺産は,自然遺産,文化遺産,複合遺産の3 種類 に分類される。2011 年 6 月時点で,世界遺産リストには 936件(文化遺産725件,自然遺産183件,複合遺産28件) が登録されている23)。また,正式な分類項目はないもの の,「アウシュヴィッツ強制収容所」(1978年登録),「広 島平和記念碑(原爆ドーム)」(1996年登録)に代表され る,人類の過ちを象徴する「負の遺産」や,「アイアンブ リッジ峡谷」(1986 年登録),「ブレアナヴォンの産業景 観」(2000年登録),「ダーウェント渓谷の工場群」(2001 年登録)など,18 ∼19世紀の産業革命期を象徴する「産 業遺産」が近年,注目を集めている24) 日本は1992 年の世界遺産条約批准以降,着実に登録 数を増やし,2011年11月1日時点で,16件(自然遺産4件, 文化遺産12件)が登録されている(表4)。今後5 ∼10年 以内の登録を目指す暫定リストには,12 件(自然遺産 0 件,文化遺産12件)が記載されている(表5)。暫定リス トから,2011年6月に4年ぶりに,平泉−仏国土(浄土) を表す建築 ・ 庭園及び考古学的遺跡群(文化遺産)と小 笠原諸島(自然遺産)の2 地区が新たに世界遺産登録さ れた。 世界遺産の登録には,いくつかの効果が期待されてい る。まず,登録による開発計画の抑制効果が期待されて いる。林道計画の反対運動から世界遺産の登録運動へつ ながった白神山地の事例は有名である。次に,登録に伴 う地域イメージの向上や地域の活性化が期待されてい る。観光地化を目的に世界遺産登録を目指す地域もあ り,世界遺産はもはや地域づくりの手段の1 つにさえ なったといえる。現在,日本国内でおよそ60 ヶ所以上 の地域が世界遺産の登録を目標に活動を展開している。 摩周湖(北海道),出羽三山等の文化財と風土(山形), 大阪城と難波宮跡(大阪),隠岐の牧畑(島根),鞆の浦 (広島),軍艦島(長崎),阿蘇山(熊本),与那国島の海 底構造物(沖縄)など,活動している地域は日本全国に (環境庁,文化庁により作成) 和名(一般的な邦訳名) 所在地 登録年 分類 1 法隆寺地域の仏教建造物 奈良県 1993 文化 2 姫路城 兵庫県 1993 文化 3 白神山地 秋田県・青森県 1993 自然 4 屋久島 鹿児島県 1993 自然 5 古都京都の文化財(京都市・宇治市・大津市) 京都府・滋賀県 1994 文化 6 白川郷・五箇山の合掌造り集落 岐阜県・富山県 1995 文化 7 広島平和記念碑(原爆ドーム) 広島県 1996 文化 8 厳島神社 広島県 1996 文化 9 古都奈良の文化財 奈良県 1998 文化 10 日光の社寺 栃木県 1999 文化 11 琉球王国のグスクおよび関連遺産群 沖縄県 2000 文化 12 紀伊山地の霊場と参詣道 三重県・奈良県・和歌山県 2004 文化 13 知床 北海道 2005 自然 14 石見銀山遺跡とその文化的景観 島根県 2007 文化 15 平泉         岩手県 2011 文化 16 小笠原諸島      東京都 2011 自然 表4 日本における世界遺産の一覧(2011年)

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及び,まさに日本は世界遺産ブームにある。 しかし,世界遺産に関してはいくつかの問題点が指摘 されている。第一に全体の半数近くがヨーロッパに集中 していること,第二に8 割近くが文化遺産に偏っている ことである。このような登録数や地域の不均衡は1990 年代頃から問題視されてきた。世界遺産がヨーロッパに 集中する理由としては,そもそも世界遺産条約がヨー ロッパの価値観に基づいて評価されるからだと指摘され ている。近年になってようやく偏りを是正する動きが見 られるようになってきたが,未だその差は大きい。登録 内容が文化遺産に偏る理由としては,自然遺産の保護の 難しさが挙げられる。自然遺産は一般的に保護の対象が 広大である上,保護すると自由な土地の利用が難しく なってしまう。さらに自然遺産は文化遺産よりも価値の 判断が難しく,具体的な「もの」として主張しづらい点 も挙げられている。 また,日本における世界遺産は周辺地域の観光産業に 多大な影響がある反面,観光客数の激増による問題が生 じている。文化遺産の白川郷では,観光客が地元住民の 日常生活に配慮せずに覗き込んだり,観光客の自家用車 や団体客のバスが交通渋滞を生じさせたりする問題が顕 著に見られる(図7,図 8)。また,住民間では観光業に 従事している者と,従事していない者との間に意識差が 生まれているほか,観光客の間でも否定的な意見が出て いる(黒川・下村2001)。自然遺産の白神山地では,ゾー ニングによる入山規制が行われているが,登録後の急激 な観光客の増加が生態系に及ぼす影響が懸念されている ばかりか25),地元で伝統的に山を利用していたマタギ (猟師)の生活権に対する問題も提起されている。 図7 観光客が激増した白川郷 注:特に世界遺産登録後は観光客が激増した(田中撮影) 図8 渋滞が続く白川郷 注:自動車交通量の増加や自動車と観光客との錯綜は,観光地化 が進む町並み保全地域が抱える問題のひとつとなった (田中撮影) 類 分 年 載 記 地 在 所 名 件 1 古都鎌倉の寺院・神社ほか 神奈川県 1992 文化 2 彦根城 滋賀県 1992 文化 3 富岡製糸場と絹産業遺産群 群馬県 2007 文化 4 富士山 山梨県・静岡県 2007 文化 5 飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群 奈良県 2007 文化 6 長崎の教会群とキリスト教関連遺産 長崎県 2007 文化 7 国立西洋美術館本館 東京都 2007 文化 8 北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群 北海道・青森県・秋田県 2009 文化 9 九州・山口の近代化産業遺跡群 山口県・福岡県・佐賀県・熊本県・長崎県・鹿児島県 2009 文化 10 宗像・沖ノ島と関連遺跡群 福岡県 2009 文化 11 百舌鳥・古市古墳群 大阪府 2010 文化 (文化遺産オンラインにより作成) 12 金を中心とする佐渡鉱山の遺産群 新潟県 2010 文化 表5 日本における世界遺産の暫定リスト一覧 (20011年)

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い。2005 年に実施した「日本の風景」をテーマにした自 由描画による調査では,半数が自然的な風景を主題に描 き,3 割が農山村の風景を描いた。全体の半数は「実際 に見た」ことがある風景を描いたものの,その風景像は 現実の風景とはかけ離れたものであり,思い出的な風景 であった。結果として,日本人の自然観には,霊峰富士, 白砂青松,春の桜,秋の紅葉,清流などに,日本の美し さを感じる日本人の主情的な自然認識があり,文化観に は,京都や江戸といった日本の歴史時代の主要な部分を 占めた時代と空間のイメージが,認識の根底に存在して いることが確認できた。 このような日本人の風景観を踏まえ,本研究では景観 について日本人の自然観や文化観を考慮しながら検討す ることとした。その際に,自然的な要素の強いものを「自 然的景観」,文化的な要素の強いものを「文化的景観」と 分類し,両者から現代日本における景観認識を明らかに した。 日本人は主観性と主情性をもって伝統的地域景観を認 識している。つまり,日本人の景観認識は,歴史・文化・ 伝統 ・ 風土などが創った自然観や文化観を心の中に持っ ているといえる。結果として,現代の日本における伝統 的地域景観は,主観性と主情性を景観認識の根底として 日本人に理解されているといえる。 謝辞 本論文をまとめるにあたり,多くの方々に調査協力してい ただきました。ご協力くださいました皆様に心より御礼申し 上げます。なお,本論文は,田中絵里子の12 年にわたる景 観研究の成果を主体として,佐野 充の「記憶にある都市づく り」の概念に基づく景観把握に,田中との討論の結果をまと めたものである。 研究にあたって,2011年度日本大学文理学部自然科学研究 所研究費(共同研究:「日本社会における持続機能の変質と 現状に関する地理学的考察」の分担研究「伝統的地域景観の 変質と現状の分析」)を使用した。 また,2011年10月に定年を迎えられた永野征男教授に,永 年のご教示に感謝致し、ここに本論文を謹呈いたします。 4 まとめ 現代における景観の問題点として,「均質的多様性」 と「没場所性」を挙げることができる。文化の多様化は 同時に画一化をもたらし,地域の個性や場所性が求めら れるようになってきた。しかし,没場所性が単に近代技 術や現代社会の必要悪であるとはいえない。人々が暮ら している限り,社会は常に景観を変化させ,その変化は 決して悪ではない。むしろ変わることを否定するべきで はないとさえいえる。 景観は,いまや魅力ある地域づくりにおいて欠かせな い視点である。とくに近年では,美しい景観を地域資源 として活動しようとする試みがみられ,全国で様々な施 策が展開している。今こそ,景観の概念を再考し,日本 人の景観認識について問い直すことが必要である。 ヨーロッパにおける景観概念は,風景画の誕生と密接 に関連し,土地や地域といった意味を含んでいる。これ らの概念を巡る議論は,ドイツ地理学において盛んに行 われてきたが,Landschaft(ラントシャフト)には,風景 的な意味合いと地域的・空間的な意味合いがあり,しか も可視的現象を伴う場合が多いものの,概念は研究者に よって異なり,まさに多義性がある。日本にラントシャ フトは1920 年代に導入され,検討されてきた。ラント シャフトには多義性が含まれていたため,従来の日本語 ではラントシャフトの概念を十分に説明することができ ず,和訳には困難を極めた。訳語には景観,風景,景域, 地景などが当てられたが,景観はとくに使用頻度が高 く,確実に定着した。今日「景観」は,学術的には可視的・ 形状的側面が強調された言葉として,多分野の学問領域 で利用される。その一方,地理学においては,伝統的に 本来ラントシャフトが持っていた多義性を引継ぎ,地域 的広がりを持つ言葉としても用いられている。 また,日本には古来「風景」という言葉があり,風景 と景観は,主観と客観という対軸で捉えられることが多 1) 桑子敏雄(2005):『風景のなかの環境哲学』東京大学出 版会. 2) ecology (エコロジー)という言葉は,1873年にエルン スト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel) が初めて使用したÖkologieに由来するとされている. 3) たとえば,1880 年ロンドンでスモッグ事件が発生し 1,200名以上が死亡した事件は有名である. 4) 1895年に設立された組織で,イングランド,ウェールズ, 北アイルランドに27 万 ha 以上の田園地帯,960km の自 注 然海岸線,300 ヶ所以上の歴史的建造物,230以上の庭園 をプロパティ(保存地)として保有・公開している.こ れらは全て市民によるボランティアや会員よって守られ ている.現在,会員数は海外会員も含め310 万人以上に 登る(英国ナショナル・トラストによる). 5) 植田和弘(2005):都市と自然資本・アメニティ.植田 和弘・西村幸夫・神野直彦・間宮陽介編『都市のアメニ ティとエコロジー』5-18.岩波書店. 6) 鳥越皓之(1999):環境―エコロジー論を軸として.20

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浅野敏久・カロリン,F.(2002):シンポジウム「エコツー リズムを考える―自然保護と地域経済の両立をめぐる諸 問題―」―2001年度秋季学術大会シンポジウム―.地理 科学57-3:155-157. 植田和弘・西村幸夫・神野直彦・間宮陽介編 2005.『都市 のアメニティとエコロジー』岩波書店. 窪田陽一(2004):都市景観の形態的特質とその形成要因. IATSS Review 28:270-279. 黒田乃生・下村彰男(2001):世界遺産登録後の白川村荻町 における観光の現状とその方向性に関する考察.日本都 市計画学会学術論文集:253-258. 桑子敏雄(2005):『風景のなかの環境哲学』東京大学出版会. 佐野 充・田中絵里子・森田圭・畠山輝雄(2006):日本の 風景としての富士山の観光開発のあり方.第3 回富士学 会研究発表会―環境と観光―報告書:95-99. 佐野 充・田中絵里子(2007):産業近代化遺産の活用に関 する問題点.研究紀要42:39-44. 佐野 充・田中絵里子(2011):エコツーリズム推進地域に おける自然保護と地域開発に対する意識―小笠原諸島に おける観光客と地域住民の意識―.富士学研究8-1:19-26. 参考文献 鳥越皓之(1999):環境―エコロジー論を軸として.20 世紀 をふりかえる5:2-7.有斐閣. 永野征男(1987):歴史的風土に関する法的規制の地理学的 考察.日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要22: 1-12. 中村和郎・手塚 章・石井英也 1991.『地理学講座 第 4 巻 地域と景観』古今書院. 中村良夫(1982):『風景学入門』中央公論新社. ハーツホーン著,野間正七訳(1957):『地理学方法論 地理 学の性格』朝倉書店.Hartshorne, R. The nature of geog-raphy: a critical survey of current thought in the light of the past.

ベルク,A.著,篠田勝英訳(1990):『日本の風景・西欧の 景観―そして造景の時代』講談社.

ベルク,A.著,篠田勝英訳(1992):『風土の日本』筑摩書房. Berque, A.(1986):Le sauvage et l’artifice –Les Japonais

devant la nature. Gallimard

横山秀司(2006):『観光のための環境景観学―真のグリーン・ ツーリズムにむけて』古今書院. 和辻哲郎(1979):『風土―人間学的考察』岩波書店. 世紀をふりかえる5:2-7.有斐閣. 7) 中村は,問題意識と思想的実践は弱かったとしながら も,その後に環境と生活の美を巡って,植物学者の南方 熊楠と宗教学者の柳宗悦を挙げている.中村良夫1982 『風景学入門』中央公論新社. 8) 窪田陽一(2004):都市景観の形態的特質とその形成要 因.IATSS Review 28:270-279. 9) John Muir(ジョン・ミューア)(1838-1914)は,アメリ カの自然保護運動の歴史において多大な影響を及ぼした 「自然保護の父」と呼ばれる人物である.ヨセミテを国 立公園として制定するのに尽力し,1903年に時のルーズ ベルト大統領と歴史的なヨセミテキャンプを行い,後の 国立公園指定へとつながる国立記念物制度創設への足が かりを作った. 10) Gifford Pinchot(ギフォード・ピンショー)(1865-1946) は,アメリカ森林局初代長官やペンシルベニア州知事を 務めた.アメリカの森林管理の基礎を築き,功利主義的 森林管理を目指した. 11) 水不足に悩まされていたサンフランシスコ市民は,ダム の建設を望んでいた.米国を二分したこの論争は10 年 にも及び,結局国会の票決によりダムは建設されるに 至った. 12) 畠山武道(1999):自然保護と法.20世紀をふりかえる7: 487.有斐閣. 13) 世界でも環境と開発に関する世界委員会(World Com-mission on Environment and Development)が 1984 年に 成立するなど,環境保全と開発の対立的な関係は問題視 されてきた.1987 年に発表した「地球の未来を守るため に」では「持続可能な開発」の概念を強調している. 14) ベルク,A.著,篠田勝英訳(1992):『風土の日本』筑摩

書 房.Berque, A. 1986. Le sauvage et l’artifice –Les

Jap-onais devant la nature. Gallimard

15) 和辻哲郎(1979):『風土―人間学的考察―』岩波書店. 16) ハーツホーン著,野間正七訳 1957.『地理学方法論』 朝倉書店. 17) 中村和郎(1991):自然現象のなかの空間秩序.中村和 郎・手塚 章・石井英也著『地域と景観』16-41.古今書 院. 18) 環境庁(2007):国立公園の歴史による. 19) 浅野敏久・カロリン,F.(2002):シンポジウム「エコツー リズムを考える―自然保護と地域経済の両立をめぐる諸 問題―」―2001年度秋季学術大会シンポジウム―.地理 科学57-3:155-157. 20) 横山秀司(2006):『観光のための環境景観学―真のグ リーン・ツーリズムにむけて』古今書院. 21) 文化庁によると,2007年12月4日現在,重伝建地区には, 全国38 都道県,69 市町村.80 地区,面積 3149.3ha が選 定されている. 22) 無形の文化(民族文化財,フォークロア,口承伝統など) は「無形文化遺産の保護に関する条約(無形遺産条約)」 に基づき人類共通の遺産として保護されている.2006 年 4 月 20 日発効.日本は 2004 年 6 月に 3 番目の締約国とし て条約を締約している. 23) 社団法人日本ユネスコ協会連盟による. 24) 産業遺産はヨーロッパ地域で数多く登録されているもの の,アジアにはない.そもそも産業革命はヨーロッパを 中心に起こったものであるため,ヨーロッパに指定が多 いのはやむをえないが,今後多くの地域での登録が期待 されている. 25) 黒田乃生・下村彰男(2001):世界遺産登録後の白川村 荻町における観光の現状とその方向性に関する考察.日 本都市計画学会学術論文集:253-258.

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