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月のマエストロヒュ決して早くなかったが 演奏解釈は今フー ウルヒュー ウルフは国際的な環境に育ち 現在も国際的に活躍する音楽家である しかし世界の名だたる音楽家のように 幼い頃から音楽の道を一直線に走った訳ではなかった ウルフは両親の仕事の関係で パリのアメリカ人 として生まれた その後ロンドンの学

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Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3

Hugh Wolff

幅広い教養と多彩な文化との

接触に裏づけられた

ユニークな音楽性

谷口昭弘

今月のマエストロ

ヒュー・ウルフ

©Frank Hülsbröhmer

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広い教養に支えられている。常に作 品がどのような背景で作られたかを 考え、指揮するときも、楽団員にそ の文脈をしばしば伝えているという。 ニーチェを知らずにリヒャルト・シ ュトラウスの《ツァラトゥストラは こう語った》は演奏できないとする のが彼の立場だ。 現代音楽の魅力を大衆に  また作曲家として 20 世紀音楽を 肌で感じながら音楽家になったとい うこともウルフの個性だろう。今回 の公演にも日本初演のアデスの作品 が含まれている。彼に言わせれば、 近年の「現代音楽」は、かつてのよ うに、作曲家が作曲家のために書い ているようなものではなく、若い世 代の聴衆は新しい音楽に対して恐れ を持っていない。またシェーンベル クの作品にしても、表面的な「難し さ」は言葉の難しさのようなもので あり、我々が外国語を学ぶようにそ の言語を理解すれば、シェーンベル クの音楽に潜む古典的な側面が聞こ えてくるとウルフは語っている。そ して音楽家の役割は、そういった 20 世紀音楽の魅力を大衆に伝える ことだと言う。外国での生活が長く、 作曲から音楽に入ってきた人らしい 発言ではあるまいか。  室内管弦楽団での経験も彼の音楽 作りに影響しているだろう。アメリ カでは、ヨーロッパほど室内管弦楽 団は普及していない。ロサンゼルス、 ニューヨークを中心に、少なからず  ヒュー・ウルフは国際的な環境に 育ち、現在も国際的に活躍する音楽 家である。しかし世界の名だたる音 楽家のように、幼い頃から音楽の道 を一直線に走った訳ではなかった。  ウルフは両親の仕事の関係で「パ リのアメリカ人」として生まれた。 その後ロンドンの学校に通い、外で はイギリス英語、家ではアメリカ英 語を話していた。帰国後はワシント ンD.C.に暮らすが、10 歳の時、姉 が練習していたピアノを見て音楽に 興味を持つ。その 2 年後、彼は毎日 ピアノに熱中し、地元のピアノ・コ ンクールにも出場するほどに腕を上 げた。高校時代には名手レオン・フ ライシャーにピアノを習っている。  しかしウルフは、進学先を専門の 「音楽院」にはしなかった。自分の 知的好奇心を制限するように思えた からだった。そんな彼が選んだのは 名門ハーヴァード大学。将来は科学 者になることを夢見て、物理学、化 学、数学を学んだ。しかし彼の情熱 は、次第に音楽へと向かっていった。 そうしてウルフは作曲を専攻し、学 生指揮をしながら音楽実践と、指揮 者として必要な楽団員とのやり取り、 コンサートの作り方などを体験する。 奨学金を得て生誕地パリへ向かった ウルフはオリヴィエ・メシアンのク ラスに入り、作曲と音楽分析を学ん だ。  このように、ウルフの音楽家とし ての本格的なトレーニングの開始は 決して早くなかったが、演奏解釈は 今月のマ     ヒュ ー・

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Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3 ている。このうちベートーヴェンに ついては、フランクフルト放送交響 楽団(現hr交響楽団)と交響曲全 集を録音している。少人数の編成で、 両翼型の対向配置によりヴァイオリ ン・パートにステレオ効果が生まれ る。ボーイングやアーティキュレー ションは新しいベーレンライター版 に準拠。過剰なヴィブラートを避け て控えめにし、メトロノームの設定 にも従うようにした(ピリオド楽器 は音の持続時間が短く、速いテンポ 設定の方がよいそうだ)。またティ ンパニと金管楽器にピリオド楽器を 導入。ウルフはこういった様々な方 策により新鮮な響きをベートーヴェ ンの音楽に与えたのである。ちなみ にアメリカのセント・ポール室内管 弦楽団よりも、ヨーロッパの方が、 こういった「新しい」取り組みには 積極的だという。  プロコフィエフといったロシアも のについては、ウルフがワシント ン・ナショナル交響楽団で副指揮者 をしていた経歴に注目したい。当時 の音楽監督はプロコフィエフやショ スタコーヴィチと個人的に親交を持 っていた、世界的チェリストでもあ るムスティスラフ・ロストロポーヴ ィチだったからである。ロシア/ソ ヴィエトの音楽には、たとえ音が静 かな箇所であっても豊かな感情と研 ぎ澄まされた緊張感のあることを学 んだとウルフはいう。また作品の背 後にある歴史や社会について知るこ とが音楽作りの上で重要だという自 存在してはいるものの、歴史の浅い アメリカは、どちらかというと 19 世紀的なモデルからオーケストラを 出発させているということもあり、 大きなオーケストラを重要視してき た。そんな中で、ウルフがセント・ ポール室内管弦楽団と活動し、録音 を多く残していることは、大きな意 味がある。  小さいオーケストラでの経験が生 きているのか、ウルフは大編成の曲 においても作品の鼓動・律動を司る 細やかなリズムに耳を傾ける。それ によって、音楽はきりっとした運動 性を保ち、古典的な造形美を持つ作 品を、すがすがしく聴かせる。しか もそれが決して死んだ構造物にはな らず、時には血沸き肉踊る高揚感も 与えてくれるのだ。  いっぽう、その律動に乗せて多彩 な楽器から繰り出される伸びやかな 楽想にもウルフは注意を払う。いま まで何度も聴いてきたはずの作品で さえ、我々が聴き逃している箇所が まだまだ多いということを、彼は実 感させてくれる。こういった、歯切 れ良いリズム感、幾重にも重なる楽 想を聴かせる能力が「鮮度の良さ」 「解像度の高さ」というウルフの評 価につながってくるのだろう。 型にはまったプログラミングを 排したユニークな選曲  今回のプログラムにはベートーヴ ェン、プロコフィエフと、イギリス の作曲家アデスの日本初演が含まれ

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な客演指揮を経験し、1986 年から 1993 年までニュージャージー交響 楽団の音楽監督に就任する。また 1988 年から 2000 年まではセント・ ポール室内管弦楽団の首席指揮者、 後に音楽監督となり、20 あまりの 録音を残した。なかでもピリオド楽 器を意識した古典派の演奏は話題を 呼んだ。  1997 年から 2006 年まではフラン クフルト放送交響楽団(現hr交響 楽団)の首席指揮者を務め、ヨーロ ッパでの名声を確実なものとする一 方、現在はボストンのニューイング ランド音楽院にて後進の指導にあた りながら、欧米各地のオーケストラ を指揮。来日経験もあり、高い評価 を得ている。N響定期公演出演は、 今回が初めてである。 (谷口昭弘)  1953 年パリに生まれた。高校最 後の年にレオン・フライシャーにピ アノを習い、ハーヴァード大学に入 ってからは作曲をレオン・カークナ ーやジョージ・クラムに学んだ。同 大学では学生運営によるバッハ協会 管弦楽団で指揮者としてもデビュー する。1975 年に大学を卒業後パリ 国立高等音楽院に留学し、作曲をオ リヴィエ・メシアン、指揮法をシャ ルル・ブリュックに師事。1 年後に 帰国後はボルティモアのピーボディ 音楽院にて再びフライシャーにピア ノを学んだ。  1979 年にはワシントン・ナショナ ル交響楽団の副指揮者となり、1982 年には、当時の音楽監督のムスティ スラフ・ロストロポーヴィチを通し てロンドン・フィルハーモニー管弦 楽団のコンサートを指揮。ウルフの 名前が広く知れ渡った。その後様々 プロフィール 今月のマ     ヒュ ー・ されている。「序曲~協奏曲~交響 曲」というプログラミングは型には まったものだとして疑問を呈してい るのだ。今回の公演におけるユニー クなプレゼンテーションにも、我々 は胸を踊らされるだろう。 (たにぐち・あきひろ 音楽学・音楽評論) らの持論を、これらの作品から改め て実感することになった。  このように知的なバックグラウン ドを持ち、多彩な文化との接触や大 小様々なオーケストラとの共演によ って自らの音楽を作り上げてきたウ ルフのユニークさは、選曲にも反映

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Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3

Jun Märkl

プレーヤーの自発性を生かしながら

オーケストラを巧みに統制する

寺西基之

今月のマエストロ

準・メルクル

©MDR/Axel Berge

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曲によるブラームスの《ピアノ四重 奏曲第1番》とがメインだった。こ のシェーンベルク版のブラームスと いう選曲がメルクル自身によるもの なのか、それともN響側からの希望 だったのかはわからないが、いずれ にしてもN響にとっては、メルクル にこの難曲を振らせることはある意 味で彼の実力を見定める格好の試金 石になったに違いない。筆者も前年 のことがあったので、今一度彼の力 量を測りたく聴きに出かけたのだが、 この複雑精緻なシェーンベルク編曲 のスコアを明めい晰せきに解きほぐすかのよ うな、巧妙にコントロールされた響 きの流れの中で、生き生きとした音 楽を生み出していくメルクルの手腕 に、改めて感心させられた。実際こ の公演の成功によって、以後N響定 期の常連の指揮者に名を連ねるよう になったことは間違いないだろう。  この公演の帰り道、先程までステ ージ上で演奏していた知り合いの楽 員に電車の中で出会ったので、演奏 する側からのメルクルについての見 解を聞いたところ、「とにかく棒が わかりやすくて、動きが音楽に密着 しているし、リハーサルでの指示も 的確」というきわめて高い評価だっ た。たしかにメルクルの棒さばきは 実に明快で、曖昧なところがない。 彼の棒や体の動きが音楽表現に一体 となって結び付いていることは、の ちにN響と並んでメルクルの日本 における重要なパートナーとなる水 戸室内管弦楽団のあるメンバーも語  準・メルクルがNHK交響楽団を 初 め て 指 揮 し た の は 1997 年 な の で、すでに 15 年にわたる間柄とい うことになる。この初顔合わせの場 は定期公演ではなく、サントリーホ ール主催の演奏会だった。当時の彼 は、ヨーロッパではすでにキャリア を充分積んでいたものの、まだ日本 ではほとんど無名の若手だったと言 ってよい。ドイツ人と日本人のハー フということが話題になってはいた が、指揮者としての実力は未知数で あり、果たしてつわものの楽員が揃 ったN響を相手にどんな演奏を聴 かせるのかと、こちらもお手並み拝 見といった感じで聴きにいったこと を覚えている。ドビュッシーの《牧 神の午後への前奏曲》と《海》を最 初と最後に置き、その間に R. シュ トラウスの《死と変容》と《オーボ エ協奏曲》(オーボエは宮本文昭) を挟むといった、指揮者としての統 率力が求められる曲ばかりのプログ ラムだったが、経験豊富なメンバー に臆することなく、積極的なリード で瑞々しい音楽を引き出す颯さつ爽そうたる 指揮ぶりに、大きな将来性を感じた ものである。 明快で曖昧なところがない 棒さばき  続いてのN響との顔合わせはそ の翌年 4 月の定期公演であった。こ の時はスティーヴン・コヴァセヴィ チとの共演によるベートーヴェン の《皇帝》と、シェーンベルクの編 今月のマ     準・メ

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Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3 てオーケストラと一体化させていく という、オペラ指揮者に求められる 臨機応変の対応、彼はそうした技を 完全に自分のものとしており、その ことがコンサート指揮者としての活 動にも生かされている。オペラ経験 が未熟のままコンサートのみで名を 成す近年の多くの指揮者の行き方と は違った、ヨーロッパ伝統の指揮道 であるオペラ劇場でのたたき上げと いう経歴が、彼の強みとなっている のだ。 得意なフランスものの 具現化に期待  もちろん指揮者とオーケストラと の関係というのは非常に微妙なとこ ろがあり、N 響との共演でも、一 時はお互い慣れが生じたのか、やや 不完全燃焼に終わってしまったこと もなかったわけではない。しかしむ しろそうした過程を経てこそ、さら に相互理解が深まることは多い。最 近のこのコンビの演奏は、両者がさ らに新たな結び付きを見出したかの ような新鮮さを感じさせている。今 回の 2 つのプログラムのメイン曲、 サン・サーンスの《交響曲第3番》 とラヴェルの《バレエ音楽「ダフニ スとクロエ」》全曲は、その意味で とても期待が膨らむ。最近まで国立 リヨン管弦楽団の音楽監督を務めて いたメルクルにとって、フランスも のはお得意のレパートリーだが、サ ン・サーンスの交響曲の持つロマン 的な劇的起伏と豊かなサウンド、ラ っていたことである。 オペラ劇場で培われた 指揮者としてのスキル  巧みな棒さばきといってもそれは オーケストラを強引にドライヴする ことだけを意味するものではない。 先のシェーンベルク版ブラームスに しても、彼が引き締まった運びのう ちに表情豊かな音楽を引き出したの は、しっかりとオーケストラ全体を コントロールしながらも、そこにプ レーヤーの自発性を充分に生かして いたからであった。単なる力技では なく、オーケストラの呼吸を感じつ つそれに柔軟に反応して全体をまと めていくそのセンスに、メルクルは とりわけ優れたものがある。そして その土台には、彼が若い時からドイ ツやスイスの劇場でオペラの下積み を経験し、その後ザールラント州立 劇場やマンハイム歌劇場の音楽監督 を歴任してきたというオペラ指揮者 としての地道なキャリアがあること は間違いない。  実際メルクルがオペラ指揮者とし ていかに優れているかは、新国立劇 場におけるワーグナーの《ニーベル ングの指環》4 部作での演奏で証明 された。とりわけ《ジークフリー ト》と《神々の黄昏》では普段ピッ トに入ることのほとんどないN響 からワーグナーにふさわしい響きを 引き出して、公演を圧倒的な成功に 導いたことは語り草になっている。 その場その場の歌手の息遣いを感じ

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している。  コンサート指揮者としてもドイツ はもとより欧米のメジャーな楽団に 客演するなどめざましい活動を繰り 広げており、2005 年から 2011 年ま ではフランス国立リヨン管弦楽団 の音楽監督、2007 年からはライプ ツィヒの中部ドイツ放送交響楽団の 首席指揮者・芸術監督を務めている。 日本には 1997 年N響を振ってデビ ューを果たし、以後今日に至るまで N響とは度重なる共演をとおして 密な関係を築いてきた。さらに新国 立劇場のワーグナー《ニーベルング の指環》4 部作(その後半 2 作はN 響が共演)や水戸室内管弦楽団も指 揮しているほか、パシフィック・ミ ュージック・フェスティバル(PM F)にも参加するなど、日本の聴衆 にすっかりおなじみの存在となって いる。 (寺西基之)  ドイツ中堅世代を代表する指揮者 準・メルクルは 1959 年ミュンヘン生 まれ。ハノーファー音楽大学に学び、 1979 年から 2 年間チェリビダッケ の下で研けん鑽さんを積んだ。その後ミシガ ン大学でグスタフ ・ マイヤーに師事、 またタングルウッド音楽祭でも学ん でいる。  ドイツやスイスの歌劇場での下積 み経験を通じてその実力が認められ、 1991 年から 1994 年にかけてザール ラント州立劇場音楽監督、1994 年 から 2000 年まではマンハイム歌劇 場音楽総監督および芸術監督を務め た。その間の 1993 年にはウィーン 国立歌劇場にデビューして大成功 を収めたほか、1996 年にイギリス のコヴェント・ガーデン王立歌劇場、 1998 年にアメリカのメトロポリタ ン歌劇場にデビューするなど、世界 各地の主要歌劇場に登場し、オペラ 指揮者としての名声を確かなものと プロフィール 今月のマ     準・メ スの《チェロ協奏曲第1番》、そし てリストの《レ・プレリュード》で も彼の俊敏なタクトが感興豊かな音 楽を紡いでくれることだろう。 (てらにし・もとゆき 音楽評論家) ヴェルの傑作バレエの精妙な色彩感 と躍動感を、メルクルが N 響相手 にどのように具現化するのか楽しみ でならない。もちろんリストの《ピ アノ協奏曲第1番》とサン・サーン

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Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3

1748th Subscription Concert / NHK Hall 9th (Sat.) Feb, 6:00pm 10th (Sun.) Feb, 3:00pm 第 1748 回 NHKホール 2/9[土]開演 6:00pm 2/10[日]開演 3:00pm [コンサートマスター] 堀 正文 [指揮] ヒュー・ウルフ

[conductor]

Hugh Wolff

Program

A

[piano]

Paul Lewis

[ピアノ] ポール・ルイス [concertmaster] Masafumi Hori ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第 5 番 変ホ長調 作品 73「皇帝」(40’) Ⅰ アレグロ Ⅱ アダージョ・ウン・ポーコ・モッソ Ⅲ ロンド:アレグロ アデス 歌劇「パウダー・ハー・フェイス」(1995) から「ダンス」(2007) [日本初演](11’) Ⅰ 序曲 Ⅱ ワルツ Ⅲ フィナーレ プロコフィエフ 「ロメオとジュリエット」組曲 第 1、2 番(抜粋)(37’) 「モンタギュー家とキャピュレット家」 「少女ジュリエット」 「メヌエット」 「仮面」 「ロメオとジュリエット」 「タイボルトの死」 「修道士ロレンス」 「ジュリエットの墓の前のロメオ」

Ludwig van Beethoven (1770-1827)

Piano Concerto No.5 E-flat major op.73

“Emperor”

Ⅰ Allegro

Ⅱ Adagio un poco mosso Ⅲ Rondo: Allegro

Thomas Adès (1971- )

“Powder Her Face”, opera (1995) –

“Dances” (2007)

[Japan Première]

Ⅰ Overture Ⅱ Waltz Ⅲ Finale

Sergei Prokofiev (1891-1953)

“Romeo and Juliet”, suite No.1, 2

(excerpt)

“The Montagues and the Capulets” “Juliet - the little Girl”

“Minuet” “Masks”

“Romeo and Juliet” “The Death of Tybalt” “Friar Laurence” “Romeo at Juliet’s Grave” 休憩 Intermission

(10)

Pro

gram

A

Soloist

©Jack Liebeck 弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管 弦楽団、シカゴ交響楽団などの一流オー ケストラと共演。  ディスクでは、ベートーヴェンの『ピ アノ・ソナタ全集』、『ピアノ協奏曲全集』 (イルジー・ビエロフラーヴェク指揮B BC交響楽団)、シューベルトの『ピア ノ・ソナタ集』、三大歌曲集(テノールは マーク・パドモア)などを残している。  今回演奏される《皇帝》はまさにルイ スの十八番というべきレパートリーであ る。NHK交響楽団とは初共演。 (山田治生)  リヴァプール生まれ。チェッタム音楽 学校で学んだ後、ギルドホール音楽院で ジョーン・ハヴィルに師事。その後、ア ルフレート・ブレンデルの薫くん陶とうを受ける。 1994 年のロンドン国際ピアノ・コンクー ルに入賞する。2005 年から 2007 年にか けて、欧米でベートーヴェンの「ピア ノ・ソナタ・シリーズ」を敢行。2010 年夏、 BBCプロムスで、ベートーヴェンのピ アノ協奏曲全曲を演奏した。2011 年か らは、シューベルトの最後の 6 年間の全 ピアノ作品の演奏に取り組んでいる。こ れまでにロンドン・フィルハーモニー管

Paul Lewis

ピアノ

ポール・ルイス

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Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3 かの形で音楽化しようとしていたこ とが分かるのである。  そして、手紙に綴られたような 「人間の悲惨さ」に直面したベート ーヴェンの内なる応答をも、この音 楽からは聴きとることができるか もしれない。とりわけ第 2 楽章を 主調である変ホ長調から遠く離れ たロ長調(H-dur)に移し、天上的 (himmlisch)な祈りを響かせている 点は、尋常ならざる戦略である。な お、この楽章の最後で主音であるロ 音は変ロ音へと半音下げられ、再び 地上の変ホ長調に戻ってフィナーレ へと突入する。  なお、ベートーヴェン作品にはほ とんど常のことであるが、本作は初 演時、「独創的だが難解」「識者向 け」と評価された。 第 1 楽章 アレグロ 変ホ長調 4/4 拍 子。ソナタ形式。 第 2 楽章 アダージョ・ウン・ポーコ・ モッソ ロ長調 2/2 拍子。変奏曲。 第 3 楽章 ロンド:アレグロ 変ホ長 調 6/8 拍子。ロンド形式。 (西田紘子)  ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴ ェンの最後の協奏曲にあたる本作が 作曲された 1809 年、ウィーンはフ ランス軍による砲撃を受けた。この 年の 7 月、ベートーヴェンは、出版 社ブライトコプフ・ウント・ヘルテル にこう綴つづっている―「周囲の生活 はじつに破壊的で放ほう埓らつです。あるの は、太鼓の響き、大砲、あらんかぎ りの人間の悲惨さだけです」、と。  事実、本作には、出版社が《皇 帝》という名を授けたことからも分 かるように、理想主義的で絢けん爛らんたる 英雄性と、戦闘の暗示とが不即不 離に結びついている。前者は、《英 雄》交響曲と同じ調の選択や、協奏 曲と交響曲という異なるジャンルを ひとつに昇華させるかのような交響 的様式にうかがえる。他方、軍楽隊 に由来する音楽語法が随所に聴かれ ること、さらに、当時のスケッチ帳 にはオーストリアの愛国歌のほかに、 「歌として」、「戦闘へ、歓喜の歌」、 「攻撃」、「勝利」といった具象的な 語も記されていることから、ベート ーヴェンが当時の軍事的状況を何ら

Ludwig van Beethoven

1770-1827

ベートーヴェン

ピアノ協奏曲 第 5 番 変ホ長調 作品 73「皇帝」

作曲年代:1809 ~ 1810 年はじめ 初演:1811 年 11 月 28 日、ライプツィヒのゲ ヴァントハウスにて、フリードリヒ・シュナイ ダーの独奏 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペッ ト 2、ティンパニ 1、弦楽、ピアノ・ソロ

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Pro

gram

A

ォツェック》の再来」と評され、結 果的に高い評価を得た。  今回のプログラム《ダンス》の、 コンサートホールには似つかわしく ない、キャバレーの中に突如放り込 まれたかのような俗っぽい雰囲気に 面食らう聴衆も少なくないだろう。 ミュート(弱音器)を多用した金管 楽器のエキゾティックで官能的な音 色、木管楽器のおどけたようなパッ セージ、ムード音楽を思わせるロマ ンティックな弦楽器の旋律などにア デスの遊び心が余すことなく発揮さ れている。  〈序曲〉公爵との離婚によって経 済的に窮きゆうした公爵夫人がスイートル ームを去る日、彼女に仕えていたホ テルのメイドと電気技師が凋ちようらく落した 彼女を嘲ちよう笑しようする場面で幕開ける。フ ォックストロット(イギリスで流行 した社交ダンス)のリズムの豪ごう奢しやか つ猥わい雑ざつなこの序曲に曲全体の雰囲気 が反映されている。  〈ワルツ〉公爵夫人の結婚式で給 仕をしていたウェイトレスが「もし 自分が公爵夫人のように美しくて裕 福だったら」と思いに耽ふけり、美しい アリアを歌う場面。弦楽器のピッツ ィカートと木管楽器がワルツのリズ ムを刻む一方、時折、錯乱したパッ  1971 年イギリス生まれの気鋭の 作曲家トマス・アデス初のオペラ 《パウダー・ハー・フェイス》から 3 曲を抜粋し、演奏会用組曲としてフ ル・オーケストラ版に編曲されたの が《ダンス》だ。まずは歌劇の概要 に触れよう。  《パウダー・ハー・フェイス》は 1995 年にアルメイダ劇場で初演。 脚本は作家フィリップ・ヘンシャー (1965 ~)。ソプラノ 2 人、テノー ル、バスの計 4 人の歌手が登場する が、公爵夫人役以外の 3 人は場面に 応じて複数の役を演じる。管弦楽は 15 人の室内楽編成。  ソプラノが演じる主人公の公爵 夫人はマーガレット・ウィッカムを、 バスが演じる公爵は第 11 代アーガ イル公爵イアン・キャンベルをモデ ルにしており、実際に 1950 ~ 1960 年代のタブロイド紙を賑わせた彼ら のスキャンダラスな離婚裁判が物語 の中心だ。その奔ほん放ぽうな性癖ゆえに堕お ちていく公爵夫人の姿は、ベルク の《ルル》のルルに代表されるファ ム・ファタル(魔性の女)と重なる。 過激な性的描写が初演時に賛否両論 を巻き起こしたが、アデスの巧妙な オーケストレーションによるグロテ スクな感情表出は、「ベルクの《ヴ

Thomas Adès

1971-アデス

歌劇「パウダー・ハー・フェイス」(1995)から

「ダンス」(2007)[日本初演]

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Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3 作曲年代:2007 年 初演:2007 年 6 月 17 日、サフォーク州スネイ プ・モルディングス、アルデブルク音楽祭にて 作曲者自身によるフィルハーモニア管弦楽団 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボエ 3、 クラリネット 3(バス・クラリネット 1)、フ ァゴット 2、コントラファゴット 1、ホルン 4、 トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、グロッケンシュピール、シ ロフォン、サスペンデッド・シンバル、ハイハ ット・シンバル、小太鼓、キット・バスドラム、 大太鼓、ロートトム、ブレーキ・ドラム、タム タム、トライアングル、木魚、ヴィブラスラ ップ、ギロ、ハイ・ボンゴ、ウォッシュ・ボー ド、タンブリン、ポップ・ガン、ハープ 1、ピ アノ 1、弦楽 セージが挿入され、羨せん望ぼうと嫉し つ と妬が入 り交じる複雑な女心を描く。  〈フィナーレ〉公爵夫人が去った ホテルの部屋で電気技師とメイドが シーツを畳んでいる。重厚な前奏の 後、ボンゴのリズムで洒脱なタンゴ が始まる。途中、古きよき時代の回 想としてフォックストロットが再登 場し、リズムはより複雑になるが、 ダンスのエネルギーは失われない。 しかし、破局は突然訪れる。素早い パッセージが木管楽器の間で受け渡 され、力尽きたかのようにあっけな く幕を閉じる。 (高橋智子)

(14)

Pro

gram

A

ものだったようだ。  さて、プロコフィエフは、バレエ 音楽と演奏会用組曲の目的の違いを 強く意識していたようで、組曲を作 る際に、複数の曲をまとめて 1 曲 にしたり、一部を削ったりと、程度 の差はあれ、どの曲にも何らかの変 更を加えている。楽器の違いも多い。 プロコフィエフは、「舞台上で音楽 が聞こえづらい」という踊り手たち の意見に従って、不本意ながら、初 演前にオーケストレーションを厚め に修正しているので、そのような修 正のない組曲のほうが本来の意図に 近いともいわれる。実際、晩年の作 曲者は、バレエの方も組曲と同じよ うなオーケストレーションに戻す計 画を持っていたらしいが、これは実 現しなかった。  なお、本公演では、組曲そのまま ではなく、そのうちの 8 曲を選び、 ほぼ物語に沿った順序で演奏する。 こうすると、音によって『ロメオと ジュリエット』の物語を描く、大規 模な交響詩ができあがるわけだ。ち なみにNHK交響楽団は、1998 年 3 月に、シャルル・デュトワ指揮で 《ロメオとジュリエット》抜粋を演 奏し、CD録音をしているが、この ときデュトワが選んだ曲も、〈修道 士ロレンス〉の代わりに〈マドリガ  プロコフィエフが《ロメオとジュ リエット》に着手したのは 1934 年 末だった。翌年 5 月に台本ができ あがると、作曲は一気に進み、9 月 初頭には全曲のピアノ版が完成する。 ところが、リハーサルを重ねるうち に、「音楽が複雑すぎて踊れない」 と踊り手から文句が出たり、二人と も死なないハッピーエンドの台本 (「死人は踊れないから」というのが 理由)が物議を醸かもしたりとトラブル が相次ぎ、ついにボリショイ劇場と の契約は破棄され、上演の見通しは 白紙になってしまう。それならなん とか音楽だけでも、というわけでプ ロコフィエフが作ったのが、各 7 曲 からなる組曲《第 1 番》、《第 2 番》 だ。バレエ自体とは対照的に、組曲 はすんなり初演され、各地で好評を 博した。ちなみにバレエの初演がよ うやく行われたのは 1938 年末、し かもソ連ではなくチェコスロヴァキ アのブルノ劇場においてだった。ソ 連での初演はさらに 2 年後の 1940 年、レニングラード(現サンクトペ テルブルク)のキーロフ劇場(現マ リインスキー劇場)で行われた。名 バレリーナ、ウラノヴァの主演で行 われたこの上演も、無断でカットさ れたり、別の曲の挿入が行われたり と、作曲者にとっては満足できない

Sergei Prokofiev

1891-1953

プロコフィエフ

「ロメオとジュリエット」組曲 第 1、2 番(抜粋)

(15)

Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3 作曲年代:1935 年夏~ 1936 年春 初演:第 1 番:1936 年 11 月 24 日、モスクワ、 ジョルジュ・セバスティアン指揮 第 2 番:1937 年 4 月 15 日、レニングラード、 作曲者指揮による 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、 バス・クラリネット 1、ファゴット 2、コント ラファゴット 1、テナー・サクソフォン 1、ホ ルン 4、トランペット 2、コルネット 1、トロ ンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、大太 鼓、小太鼓、トライアングル、シンバル、タ ンブリン、シロフォン、グロッケンシュピー ル、ハープ 1、ピアノ 1、チェレスタ 1、弦楽 ル〉が入っていたことを除けば、今 回と同じだった。 1.〈モンタギュー家とキャピュレッ ト家〉(組曲第 2 番 -1)威圧的な冒 頭はバレエの第 7 曲〈大公の宣言〉、 有名な舞曲の部分は第 13 曲〈騎士 たちの踊り〉だ。この 2 曲、バレエ では間に 5 つもの曲が挟まれている のだが、全く違和感なく接合されて いる。 2.〈少女ジュリエット〉(組曲第 2 番 -2)バレエ第 10 曲。ロメオと出 会う前の、潑はつ剌らつとした少女ジュリエ ットである。 3.〈メヌエット〉(組曲第 1 番 -4) バレエ第 11 曲。キャピュレット家 の舞踏会に、賓ひんきやく客たちが入ってくる。 4.〈仮面〉(組曲第 1 番 -5)バレエ 第 12 曲。舞踏会に、敵であるロメ オたちが仮面を付けて潜り込む。 5.〈ロメオとジュリエット〉(組曲 第 1 番 -6)有名なバルコニーの場 面だ。バレエの第 19 曲と第 21 曲 を結合している。躍動的な第 20 曲 をカットすることで、終始、陶酔的 な愛の場面が続くことになった。 6.〈タイボルトの死〉(組曲第 1 番 -7)マーキュシオとタイボルトの 決闘、そしてロメオとタイボルトの 決闘を描く激しい音楽で、バレエ の第 33、35、36 曲をまとめている。 単独で演奏されることも多い。 7.〈修道士ロレンス〉(組曲第 2 番 -3)バレエ第 28 曲。若い二人を助 けようとする修道士ロレンスの音楽 は、穏やかで優しさに満ちている。 8.〈ジュリエットの墓の前のロメ オ〉(組曲第 2 番 -7)ロメオが自死 する大詰めの場面だ。バレエ第 51 曲と第 52 曲の最初の部分だが、バ レエでは、この後にジュリエットが ロメオを追って死ぬ場面が続く。 (増田良介)

(16)

Pro

gram

B

1750th Subscription Concert / Suntory Hall20th(Wed.)Feb, 7:00pm 21st(Thu.)Feb, 7:00pm 第 1750 回 サントリーホール 2/20[水]開演 7:00pm 2/21[木]開演 7:00pm [ピアノ] ヘルベルト・シュフ [オルガン] 新山恵理* [コンサートマスター] 篠崎史紀 [指揮] 準・メルクル [conductor]

Jun Märkl

[piano]

Herbert Schuch

[organ]

Eri Niiyama

[concertmaster] Fuminori Shinozaki

Program

B

リスト 交響詩「レ・プレリュード」(16’) リスト ピアノ協奏曲 第 1 番 変ホ長調(19’) Ⅰ アレグロ・マエストーソ Ⅱ クワジ・アダージョ Ⅲ アレグレット・ヴィヴァーチェ Ⅳ アレグロ・マルツィアーレ・アニマート

Franz Liszt (1811-1886)

“Les préludes”, sym. poem

Franz Liszt

Piano Concerto No.1 E-flat major

Ⅰ Allegro maestoso Ⅱ Quasi adagio Ⅲ Allegretto vivace Ⅳ Allegro marziale animato 休憩 Intermission サン・サーンス 交響曲 第 3 番 ハ短調 作品 78(37’)* Ⅰ アダージョ―アレグロ・モデラート―ポ ーコ・アダージョ Ⅱ アレグロ・モデラート―プレスト―アレ グロ・モデラート―プレスト―マエスト ーソ―アレグロ

Camille Saint-Saëns (1835-1921)

Symphony No.3 c minor op.78

Ⅰ Adagio – Allegro moderato – Poco Adagio

Ⅱ Allegro moderato – Presto – Allegro moderato – Presto – Maestoso – Allegro

(17)

Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3

Soloist

©Felix_Broede ランクフルト放送交響楽団(現hr交響 楽団)、フランス国立リヨン管弦楽団な どのオーケストラと共演。2009 年には ウィーン放送交響楽団と来日。準・メル クルとは、2010 年 3 月に、彼が首席指 揮者を務める中部ドイツ放送交響楽団の 演奏会で、ベートーヴェンの《ピアノ協 奏曲第 1 番》を共演している。リストの 《ピアノ協奏曲第 1 番》でも息の合った 演奏が聴けるだろう。NHK交響楽団と は初共演。 (山田治生)  1979 年、ルーマニア生まれ。1988 年 に家族とともにドイツへ移住。ザルツブ ルクのモーツァルテウム音楽大学でカー ル・ハインツ・ケマーリングに師事。アル フレート・ブレンデルからも薫くん陶とうを受け る。2005 年、ウィーン・ベートーヴェン 国際ピアノ・コンクールに優勝。  ディスクでは、シューマン、ホリガー、 スクリャービン、ラヴェル、モーツァル トの夜の音楽を集めたアルバムや、シュ ーベルトとラッヘンマンの作品を組み合 わせるなど、選曲にもこだわりをみせる。  これまでに、ケルン放送交響楽団、フ

Herbert Schuch

ピアノ

ヘルベルト・シュフ

(18)

Pro

gram

B

―人間の生は死への前奏曲(プレ リュード)である。無む垢くな愛は嵐に よってさえぎられ、傷ついた魂は静 かな田園において安らぎを求める。 しかし人は、再び自らのために闘い へと立ち上がるのである―。まさ に普遍的な人間の生き様、人生の詩 といえよう。留意すべきは、この大 意を音で描写することが狙いではな いということ。あくまでも普遍的な 性格、苦しみからの救済、ここにテ ーマがあることを忘れてはならない。  合唱曲《四大元素》から 3 つの主 題が採られているが、なかでも冒頭 主題がとりわけ重要で、この主題が 徹底して変容されることで統一が図 られている。この主題変容は、伝統 的な形式に代わるリスト特有の書法 である。その意味でも、とても革新 的な作品といえよう。リストの音楽 の本質は、伝統にとらわれない自由 な革新性と、壮大な宗教観・世界観 にある。 (なお本解説においては、リストの 作品目録の番号は割愛した) (福田 弥)  交響詩とは、文字通り、交響的な 詩、それも叙事詩のことである。人 間の歴史と本質を普遍的に描いた叙 事詩、それを題材とすることで、リ ストは人間の本質にせまろうとした わけだ。戦争が絶えなかった 19 世 紀、不安に苛さいなまれる社会、さまざま な矛盾や苦しみから人間を救済した いという理想と願いの表れ、それが リストの音楽といえる。個人的な出 来事ではなく、世の中を普遍的に捉 え、救済へ導こうとする世界観の表 明である。そうした彼の芸術宗教と もいうべき壮大な世界を表現しよう としたジャンルが交響詩ということ になる。その際、作品の方向性を 明らかにするために標題(プログラ ム)をつけた。  もともとこの曲は、フランスの詩 人オートランの詩による世俗合唱 曲《 四 大 元 素 》(1844 ~ 1845 年 作 曲)の序曲として 1849 年頃から作 曲された。その後、フランスの詩人 ラマルティーヌの同名の詩を使って、 標題となる序を付け、交響詩として 初演される。標題の大意は次の通り

Franz Liszt

1811-1886

リスト

交響詩「レ・プレリュード」

作曲年代:1849 頃~ 1855 年 初演:1854 年 2 月 23 日、ワイマール、作曲者 自身の指揮による 初版:1856 年、ブライトコプフ・ウント・ヘル テル社 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、 トランペット 2、トロンボーン 3、テューバ 1、 ティンパニ 1、シンバル、小太鼓、大太鼓、ハ ープ 1、弦楽

(19)

Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3 を除いて、独奏楽器はすべてピアノ であり、半数以上の 9 曲はピアニス ト時代に作曲または着想された。ピ アノ協奏曲と呼ばれる作品は 3 つあ るが、1988 年に発見された《遺作》 が演奏される機会はまずない。《第 1 番》、《第 2 番》のピアノ協奏曲の ほかには、《死の舞踏》がしばしば 演奏される一方で、かつてよく演奏 された《ハンガリー幻想曲》は、近 年ではあまり聴く機会は多くないよ うに思う。それよりも《悲愴協奏 曲》などは、もっと演奏されてもよ い作品であろう。  細かい改訂を別にすると、リスト は協奏的作品に、数年ごとにまとめ て取り組んだと言ってもいいだろう。 最初の成果は 1830 年代半ばで、《ピ アノ協奏曲第 1 番》初稿はこの時期 の作品である。ピアニストとしての 活動を再開する 1839 年には、《第 1 番》と《第 2 番》、《遺作》などに 取り組んでいる。次にリストがこの ジャンルに取り組んだのは、ピアニ ストを引退した 1850 年前後である。 《第 1 番》と《第 2 番》の改訂をは じめ、《死の舞踏》、《悲愴協奏曲》、 《ハンガリー幻想曲》、シューベルト の《「さすらい人」幻想曲》の編曲 など、8 曲もの協奏的作品に取り組 んでいる。そして 1860 年代になっ  リストといえば、ヴィルトゥオ ーゾ・ピアニストのイメージが強い が、それは彼が 1830 ~ 1840 年代に、 モスクワ、イスタンブール、リスボ ン、グラスゴーに至るまで、文字通 り全ヨーロッパを演奏ツアーで巡り、 空前の成功を収めたことによる。し かし、その後の活動はさほど知られ ていないかもしれない。1848 年か らドイツはワイマールの宮廷楽長と して、おもに指揮活動と作曲活動に 専念し、交響詩という新しいジャン ルを創始するとともに、ピアニスト 時代に書いた多くのピアノ曲や歌曲 を改訂・出版している。1860 年代に はローマで宗教音楽に傾倒してい った。1869 年以降は、ブダペスト、 ワイマール、ローマに住み、教育に 力を注ぐ一方、自らの作風は急進的 となり独自の無調音楽にまで至った。 彼が残したジャンルは、ピアノ曲に 限らず多岐に及ぶ。しかし伝統的な 多楽章構成に対しては、若い時代か ら興味を示さず、主題を変容するこ とによって、革新的な単一楽章の作 品を生み出していった点は一貫して いる。  リストは独奏楽器と管弦楽のため の作品を 15 曲残している。それら すべてが伝統的な 3 楽章ではなく、 単一楽章の様相を呈している。1 曲

Franz Liszt

1811-1886

リスト

ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調

(20)

Pro

gram

B

て、《第 2 番》と《死の舞踏》をや っと出版したのである。  この《協奏曲第 1 番》は 1832 年 から作曲に着手され、1835 年に一 通り完成されたと考えられているが、 このときはまだ普通の協奏曲のよう に 3 楽章構成であった。その後、幾 度も改訂される過程でトライアング ルが用いられ、タイトルは一時的に 《交響的協奏曲》となる。結局、初 版は 1857 年だったので、じつに四 半世紀の年月をかけて現在の稿とな ったわけだ。初版はイギリス生まれ のリトルフ(1818 ~ 1891)という 音楽家に献呈されたが、じつは《交 響的協奏曲》という題名、協奏曲へ のスケルツォ楽章の導入、トライア ングルの使用など、リトルフの《交 響 的 協 奏 曲 》(4 曲 現 存、1844 ~ 1867 年頃)と、この《第 1 番》は 多くの共通点をもっている。おそら くリストは、リトルフの作品から少 なからぬ影響を受けたと思われる。  リストの提唱した標題音楽に真っ 向から反対していた批評家ハンスリ ック(1825 ~ 1904)さえも、この 曲については絶賛している。彼が住 んでいたウィーンでは 1857 年以降、 幾度か演奏された。たとえば 1879 年には、曲自体が完璧であり、熟練 し、楽しい。想念と形式が一致して いる。ここでは最も見事なリストに 接することができるとハンスリック は述べている。  華麗な技巧が展開される一方で、 大きな形式的枠組みのなかに、リス ト特有の主題変容、激しい転調、半 音階的書法が一貫して認められる。 そして何よりも形式そのものが画期 的である。冒頭の主要主題、緩徐楽 節(第 2 楽章としての役割ももつ) のいかにもリストらしい息の長い主 題、そしてスケルツォ風の楽節(第 3 楽章の役割)に現れる主題は、そ れぞれが最後の楽節で再現される。 つまり、終楽章が始まったと思って 聴いていると、次々に今までの主要 主題が現れるので、全体の再現部で もあることに気づくという仕掛けだ。 これは、4 楽章構成とソナタ形式を 融合しようという斬新な試みであり、 まさにピアノ協奏曲の歴史を飾る革 新的な 1 曲といえよう。 (なお本解説においては、リストの 作品目録の番号は割愛した) (福田 弥) 作曲年代:1835 ~ 1856 年。リトルフに献呈 初演:1855 年 2 月 17 日、ワイマール、ベルリ オーズ指揮、作曲者自身による独奏 初版:1857 年、ハスリンガー社 楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、 クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トラ ンペット 2、トロンボーン 3、ティンパニ 1、ト ライアングル、シンバル、弦楽、ピアノ・ソロ

(21)

Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3 翌年のパリ初演も成功を博した。パ リ初演の折、この曲に感激したシャ ルル・グノーは、指揮台を降りて楽 屋に戻るサン・サーンスを見て「フ ランスのべートーヴェンが行く!」 と叫んだという。  この作品と同年にヴァンサン・ダ ンディの《フランスの山人の歌によ る交響曲》が生まれ、1888 年には セザール・フランクの《交響曲 ニ短 調》、1890 年にはエルネスト・ショ ーソンの《交響曲 変ロ長調》が発 表されている。当時のフランスでは、 サン・サーンスだけでなく、さまざ まな作曲家が交響曲を手がけるよう になっていたのである。  「オルガン付き」というニックネ ームがついていることからも分かる ように、この曲の楽器編成にはオル ガンやピアノが加えられているのが 特徴の一つで、サン・サーンスの精 妙な管弦楽法によって、華麗で繊細 な音の世界が広がっている。  この作品には「F. リストの思い 出に」という献辞が添えられている。 フランツ・リストはサン・サーンスの オルガニスト、ピアニスト、作曲家 としての才能を早くから認め、1877 年歌劇《サムソンとデリラ》のワイ マールでの世界初演を助けた。一方、 サン・サーンスは長年にわたりリス  フランス近代の代表的な作曲家で あるカミーユ・サン・サーンスはさま ざまな分野に多くの作品を残したが、 交響曲も例外ではなく、以下のよう に、番号のついた交響曲を 3 曲、番 号なしの交響曲を 2 曲残した(他に 未完の交響曲が 3 曲ある)。 ・交響曲 イ長調:1850 年作曲 ・ 交響曲第 1 番 変ホ長調 作品 2: 1853 年作曲、1853 年聖セシル協 会コンサートで初演(スゲール指 揮) ・ 交響曲 へ長調《首都ローマ》: 1855 ~ 1856 年 作 曲、1857 年 パ ドルー管弦楽団により初演 ・ 交 響 曲 第 2 番 イ 短 調 作 品 55: 1859 年作曲、1859 年パドルー管 弦楽団により初演 ・ 交 響 曲 第 3 番 ハ 短 調 作 品 78: 1885 ~ 1886 年 作 曲、1886 年 ロ ンドンで初演  このなかで、現在、一般的なレパ ートリーに入っている作品は《第 3 番》だけだが、サン・サーンスは 1850 年代のフランスで交響曲を書 き続けた稀有な存在で、その活動が 1880 年代以降のフランス音楽全体 の黄金時代につながった。  《交響曲第 3 番》は、ロンドン・フ ィルハーモニー協会の委嘱で作曲さ れ、1886 年 5 月のロンドン初演も、

Camille Saint-Saëns

1835-1921

サン・サーンス

交響曲 第 3 番 ハ短調 作品78

(22)

Pro

gram

B

ト作品の紹介に尽力した。《交響曲 第 3 番》を献呈したいというサン・ サーンスの申し出に対してリストは 喜び、1886 年 6 月 19 日付けでワイ マールからサン・サーンスに次のよ うな手紙を送っている「このような 証しをご親切にも私に与えてくださ って感謝しています。交響曲のロン ドンでのご成功をとても喜んでいま す。パリでもほかの場所でもその成 功はクレッシェンドしつづけるでし ょう(…)」。しかし、リストは、そ の 6 週間後の 7 月 31 日に世を去っ たため、出版譜を手にすることはで きなかった。リストの訃ふ報ほうを聞いた サン・サーンスは「F. リストの思い 出に」という献呈の辞に差しかえ、 この作品を出版したのである。  曲は 2 楽章構成だが、内容的には それぞれの楽章が通常の 2 つの楽章 をまとめた形をとっている。全曲を 通じて循環主題が随所に、しかも緻 密に用いられており、作品の構築性 を高めている。 第 1 楽章 第 1 部 アダージョ―アレ グロ・モデラート ハ短調 6/8 拍子。 序奏つきの自由なソナタ形式。11 小節の序奏の動機のなかには、すで に第 1 主題が内包されている。アレ グロ・モデラートの主部は、16 分音 符で刻まれて始まる第 1 主題と、そ の一部から派生した変イ長調の循環 主題が提示された後、甘美な第 2 主 題が変ニ長調で現れる。第 1 主題 と循環主題を素材にした展開部に続 いて、ほぼ型どおりの再現部となり、 しだいに静まる。 第 1 楽章 第 2 部 ポーコ・アダージ ョ 変ニ長調 4/4 拍子。3 部形式。オ ルガンに導かれて、弦楽器のユニゾ ンが甘美な主要主題を奏でる。 第 2 楽章 第 1 部 アレグロ・モデラー ト ハ短調 6/8 拍子―プレスト ハ長 調―アレグロ・モデラート ハ短調― プレスト変イ長調。スケルツォ的な 部分で、アレグロ・モデラートとプ レストの 2 つの部分からなっている。 第 2 楽章 第 2 部 マエストーソ ハ 長調 6/4 拍子―アレグロ ハ長調 2/2 拍子。序奏つきの自由なソナタ形式。 オルガンのハ長調の主和音の強奏が 鳴り響くなか、荘厳な主題が対位法 的に扱われ、続いて、循環主題がピ アノの分散和音を伴って現れる。や がて、アレグロでは、循環主題をも とにした第 1 主題と、表情豊かな第 2 主題、さらに序奏部の主題を中心 に壮大に展開し、最後はハ長調の主 和音の上に全曲が華々しく閉じられ る。        (井上さつき) 作曲年代:1885 ~ 1886 年 初演:1886 年 5 月 19 日、ロンドン、セント・ ジェームズ・ホール、作曲者自身の指揮による ロンドン・フィルハーモニー協会管弦楽団 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 1)、オーボ エ 2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネッ ト 2、バス・クラリネット 1、ファゴット 2、コ ントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、 大太鼓、シンバル、トライアングル、オルガ ン 1、ピアノ 1(四手連弾)、弦楽

(23)

Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3

1749th Subscription Concert / NHK Hall 15th(Fri.)Feb, 7:00pm 16th(Sat.)Feb, 3:00pm 第 1749 回 NHKホール 2/15[金]開演 7:00pm 2/16[土]開演 3:00pm [チェロ] ダニエル・ミュラー・ショット [合唱] 国立音楽大学* (合唱指導:田中信昭/永井 宏) [コンサートマスター] 篠崎史紀 [指揮] 準・メルクル [conductor]

Jun Märkl

[cello]

Daniel Müller-Schott

[chorus]

Kunitachi College of Music

(Nobuaki Tanaka, Hiroshi Nagai, chorus leaders) [concertmaster] Fuminori Shinozaki

Program

C

サン・サーンス チェロ協奏曲 第 1 番 イ短調 作品 33 (20’) Ⅰ アレグロ・ノン・トロッポ Ⅱ アレグレット・コン・モート Ⅲ テンポ・プリモ (アレグロ・ノン・トロッポ)

Camille Saint-Saëns (1835-1921)

Cello Concerto No.1 a minor op.33

Ⅰ Allegro non troppo Ⅱ Allegretto con moto

Ⅲ Tempo primo (Allegro non troppo) 休憩 Intermission ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」*(56’) 第 1 部 第 2 部 第 3 部

Maurice Ravel (1875-1937)

“Daphnis et Chloé”, ballet

Première Partie Deuxième Partie Troisième Partie

(24)

Pro

gram

C

Soloist

協奏曲》の録音も残している。また、テ レビでも放映された、2011 年 3 月のN HK交響楽団の北米公演でのプレヴィン 指揮によるエルガーの《チェロ協奏曲》 の名演が記憶に新しい。その他の録音で は、ブリテンの『無伴奏チェロ組曲全 集』などもある。  今回、サン・サーンスの《チェロ協奏 曲第 1 番》では彼の洗練された音楽性 が披露されるに違いない。使用楽器は、 1727 年製のマッテオ・ゴフリラー。 (山田治生)  ドイツの新しい世代を代表するチェロ 奏者の一人。1976 年、ミュンヘン生まれ。 ハインリヒ・シフ、スティーヴン・イッサ ーリスらに師事。近年、アンネ・ゾフィ ー・ムター、アンドレ・プレヴィンとトリ オを組み、モーツァルトの『ピアノ三重 奏曲集』を録音。プレヴィンからの信頼 が厚く、2011 年には、彼の《チェロ協 奏曲》を作曲者自身が指揮するライプツ ィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と世界 初演し、作品を献呈された。プレヴィン とは、エルガーとウォルトンの《チェロ

Daniel Müller-Schott

チェロ

ダニエル・ミュラー・ショット

©Peter Hundert

(25)

Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3

Chorus

刑台上のジャンヌ・ダルク》(原語日本初 演)など多くの歴史的公演に出演。近年 では 2005 年の準・メルクル指揮によるベ ートーヴェン《荘厳ミサ曲》、2006 年N 響創立 80 周年記念公演でのウラディー ミル・アシュケナージ指揮によるスクリ ャービン《プロメテウス》などでも高い 評価を得た。第 9 回NHK交響楽団「有 馬賞」受賞。 (柴辻純子)  1926 年に創設された東京高等音楽学 院を前身とする国立音楽大学は、とり わけ声楽科から第一線で活躍する歌手を 輩出しているが、それと同時に合唱の 教育・演奏活動も早くから重視してきた。 NHK交響楽団とは、創立 2 年目に新交 響楽団(N響の前身)と初共演以来、現 在まで多数の演奏会で共演を重ねている。  年末恒例の「N響《第 9》」のみなら ず、1986 年のN響定期 1000 回記念公演 でメンデルスゾーンのオラトリオ《エリ ア》、1989 年オネゲルのオラトリオ《火

Kunitachi College of Music

合唱

国立音楽大学

(26)

Pro

gram

C

サーンスのチェロ協奏曲」といえば、 作品 33 の《第 1 番》というのが一 般的であり、チェリストの重要なレ パートリーとなっている。  曲は 3 つの部分から構成されてい るが、全体は続けて演奏される。 第 1 部 アレグロ・ノン・トロッポ 2/2 拍子。急速な 3 連符による激しい第 1 主題と、ヘ長調で始まる叙情的な 第 2 主題を中心に、ソナタ形式で構 成されている。 第 2 部 アレグレット・コン・モート 変ロ長調 3/4 拍子。コン・ソルディ ーノ(弱音器付き)の弦楽を伴奏と する典雅な音楽。メヌエットのリズ ムで書かれている。 第 3 部 テンポ・プリモ(アレグロ・ ノン・トロッポ) 2/2 拍子。テンポ・ プリモの部分は、第 1 部の急速な 3 連符の主題が現れた後、シンコペー ションによるイ短調の第 1 主題、ヘ 長調で独奏チェロが朗々と歌う第 2 主題を中心に、ソナタ形式を構成し てゆく。そして 3 連符の主題が再び 登場した後に、イ長調で明るく閉じ られる。      (井上さつき)  カミーユ・サン・サーンスは 1835 年 に生まれ、2 歳半でピアノを弾き、3 歳で作曲を始め、1921 年に 86 歳の 生涯を閉じるまで、数多くの作品を 残した。協奏曲としては、5 曲のピ アノ協奏曲をはじめ、ヴァイオリン やチェロのための協奏曲を残してい る。《チェロ協奏曲第 1 番》は、国 民音楽協会の会長としてフランス音 楽の再興に尽力していた壮年期のサ ン・サーンスが生み出した傑作である。  この作品はトルベック(1830 ~ 1919)の独奏で初演され、彼に献 呈された。初演は『ルヴュー・エ・ ガゼット・ミュジカル』誌によれば、 終わり近くの独奏チェロのハーモニ クスによる音階の部分で不幸なミス があったため、聴衆の熱気が少し冷 めたというが、作品自体は、「美し くすぐれた作品で、すばらしい情感、 完璧な首尾一貫性を備えており、い つもながら、形式は非常に興味深 い」と賞賛された。  サン・サーンスのチェロ協奏曲に は《第 1 番》のほかに《第 2 番》 (1902 年)があるが、現在「サン・

Camille Saint-Saëns

1835-1921

サン・サーンス

チェロ協奏曲 第1番 イ短調 作品 33

作曲年代:1872 年 初演:1873 年 1 月 19 日、エドゥアール・デル ドヴェーズ指揮、パリ音楽院演奏協会定期演 奏会(1 月 26 日に同じプログラムで再演)、オ ーギュスト・トルベックの独奏 楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ ット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペッ ト 2、ティンパニ 1、弦楽、チェロ・ソロ

(27)

Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3 ながら衣を落として誘惑するが、相 手にされずじまい。甲高い声音(ク ラリネット)で年増女が拗すねて去る と、急に物々しい空気が……海賊の 来襲だ! クロエの身を案じて駆け 出すダフニス。入れ替わりにクロエ が現れ、祠の前で祈るが、押し寄せ てきた海賊たちにさらわれてしまう。 残されたサンダルから事情を察した ダフニスは、「なぜクロエを護って くれなかった」と神を呪い(パンと ニンフの主題)、悲しみと絶望で気 を失う。夜の訪れ(〈夜想曲〉)。祠 のニンフ像が一人また一人と動きだ し、静かに踊る(パンとニンフの主 題)。ニンフたちはダフニスに気が つき、彼に意識を取り戻させると、 パンに祈らせる。すると、遠方の岩 塊が巨大なパンの形をとりはじめた ……。  無伴奏合唱による神秘的な〈間奏 曲〉。そこに猛たけ々だけしい海賊のテーマ がまざりはじめ、音楽は第 2 部、海 賊たちの野営へ。荒々しい〈海賊た ちの踊り〉が終わると、クロエが海 賊の頭領ブリュアクシスの前に引き 出される。〈クロエの嘆願の踊り〉 も甲斐がなく、隙をみて逃げようと するが果たせない。ブリュアクシス がクロエを我が物にしようとしたそ の時、突如、空気が一変。サテュロ  ラヴェルの《ダフニスとクロエ》 は、古代ギリシャの作家ロンゴスの 同名の物語(2 ~ 3 世紀頃)による バレエで、ロシア・バレエ団のため に書かれた。古代の田園を舞台にし た牧人の少年少女の恋物語だが、物 語の背後には半人半獣のパン神がい る。なぜなら、パンの笛は牧人の道 具、パン神は牧人の護り神なのだか ら。  第 1 部の舞台には、3 人のニンフ (水の精)の像が刻まれた祠ほこらがあり、 遠方の岩塊はパン神に似た形をして いる。〈導入部〉のフルートの旋律 は、言わば「パンとニンフの主題」。 直後にホルンが独奏する旋律は、山 羊飼いの少年ダフニスと結びつく。 牧人たちの厳かな〈宗教的な踊り〉 に続いて、若者たちが 7/8 拍子で軽 快に踊る(〈全員の踊り〉)。その終 わり頃、牛飼いドルコンが羊飼いの 少女クロエにキスしようとして、ダ フニスを怒らせる。二人はクロエの 口づけを懸けて踊りを競うことに (その直前に弦が奏でるのがクロエ の主題)。鈍重な〈ドルコンの踊り〉 に若者たちは笑い出し、優雅な〈ダ フニスの踊り〉に軍配が上がる。ク ロエの口づけ。ひとり余韻にひたる ダフニスの前に、年増女のリュセイ オンが登場(クラリネット)。踊り

Maurice Ravel

1875-1937

ラヴェル

バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

(28)

Pro

gram

C

作曲年代:1909 ~ 1912 年 台本:ロンゴス『ダフニスとクロエ』に基づき ミハイル・フォーキンが執筆 初演:1912 年、シャトレ座、ピエール・モント ゥー指揮、ロシア・バレエ団、ミハイル・フォ ーキン振付、レオン・バクスト美術・衣装、配 役はニジンスキー(ダフニス)、カルサヴィナ (クロエ)他 楽器編成:フルート 3(ピッコロ 2)、アルト・ フルート 1、オーボエ 2、イングリッシュ・ ホルン 1、クラリネット 2、Es クラリネット 1、バス・クラリネット 1、ファゴット 3、コ ントラファゴット 1、ホルン 4、トランペット 4、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、 タムタム、トライアングル、タンブリン、小 太鼓、中太鼓、クロタル、カスタネット、シ ンバル、ウィンド・マシーン、大太鼓、チェレ スタ、ジュ・ドゥ・タンブル、シロフォン、ハ ープ 2、弦楽、混声四部合唱 スたちが跳ちようりようばつこ梁跋扈し、大地は大きく 割け、山々の上に巨大なパン神が姿 を現す(パンは「パニック」の語源 である)。海賊たちが逃げ去って舞 台が静かになると、物語は第 3 部へ (ここから後がよく演奏される「第 2 組曲」に当たる)。  〈夜明け〉。舞台は第 1 部と同じ。 鳥たちが鳴く。遠く、近く、羊飼い が牧笛を吹いて通り過ぎる。クロエ の主題、そしてダフニスの主題。二 人の再会の後、音楽は雄大なクライ マックスを築く。その余韻のなか、 老羊飼いラモンが二人に語る(オー ボエが繰り返す音型)―パンがク ロエを助けたのは、かつてパンが恋 したシリンクスを想ってのことだ、 と。そこで二人は、パン神とシリン クスの物語を演じて、パン神に捧げ る(〈無言劇〉)。パン(ダフニス) の求愛を拒み、葦あしの茂みに姿を隠す シリンクス(クロエ)。神話と異な り、ここではパンは、葦に変じたシ リンクスでなく、手近の葦で笛をこ しらえ、思いの丈たけをこめる(フルー ト独奏)。茂みから出てきて、これ に合わせて踊るシリンクス。吹奏と 踊りのテンポは速まり、ついにシリ ンクスは倒れ伏す(急下降する半音 階)が、それを受け止めたアルト・ フルートが吹くのは、ダフニスの旋 律にほかならない。演じ終わった二 人は、祠の前で結婚の誓いを立てる (パンとニンフの主題)。そこへバッ カスの巫女の格好をした娘たちが 乱入し、二人を祝って、5/4 拍子を 主体とした〈全員の踊り〉が始まる。 中ほどではクロエの主題が、続いて ドルコン、ダフニスの主題が聴かれ る。バッカナール(酒神バッカスの 踊り)の名に恥じない熱狂的な踊り で幕が降りる。  なお、パンの笛といえば、ドビュ ッシーの《牧神の午後への前奏曲》 が思い出されるが、ラヴェルはこの 曲への賞賛を惜しまず、折しも《ダ フニス》作曲中の 1910 年に、これ をピアノ連弾用に編曲している。 (近藤秀樹)

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Ph ilh arm on y Feb ru ary 2 01 3 よる交響詩《レ・プレリュード》」と 記しているにもかかわらず、じつは アルフォンス・ド・ラマルティーヌ (1790 ~ 1869)の同名の詩とはま ったく無関係に、この曲は成立した からである。つまり、「死への前奏 曲」として作曲などしていないので ある。 《レ・プレリュード》の標題文  まず、リスト自身がこの交響詩に 書き添えた、フランス語の序文(= 標題)を読んでみよう。  まるで、この詩を音楽化したかの ように、誤解してしまいそうだ。そ れほど、この交響詩の流れをみごと に示唆している。しかし、間違って 死への前奏曲?  かなり前のことだが、ある胃腸薬 のテレビ・コマーシャル音楽に、フ ラ ン ツ・リ ス ト(1811 ~ 1886) の 交 響 詩《 レ・プ レ リ ュ ー ド( 前 奏 曲)》が使われていたことがある。 そ れ、 ブ ラ ッ ク・ジ ョ ー ク?  な ぜなら、リストが書いた序文には、 「私たちの人生は、『死』への前奏曲 である」と書かれているのだから!  でも、知らずに薬を飲んでしまっ た方、ご安心を。作曲者自身が正式 名称として「ラマルティーヌの詩に 文

野本由紀夫

リスト《レ・プレリュード》

原曲の発見から日本での世界初演まで

シリーズ 名曲の深層を探る 第 6 回

私たちの人生は、まさにその厳粛な第 1 音が死によって奏でられる知られざ る歌に対する、一連の前奏曲[複数形]そのものではないだろうか? 愛は、 あらゆる生の、魅惑的な黎明を生み出す。だが、幸福の最初の快楽が、嵐によ ってすこしも邪魔されない運命などあるだろうか? その嵐は、快楽の麗しき 幻想を致命的なひと吹きで消し去り、宿命の雷によって祭壇を焼き尽くす。そ して、ひどく傷つけられて、そのような嵐の去ったあとに、いなかの生活のと ても穏やかな静けさのなかで、その記憶を忘れようとしない人がいようか?  しかし、はじめのうちその自然の乳房に魅せられていた人も、この恵みの快適 なぬくもりを長い間味わうことは、ほとんど甘受しない。そして彼は、隊列に 召集された戦争がいかなるものであろうとも、「トランペットが警報を発する」 と、危険な持ち場へと急いで行く。その戦闘のなかで自己意識を十分に取り戻 すために、そして彼の持てる力を完全に回復するために。(拙訳)

参照

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