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ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
Title
朝鮮通信使と埼玉県川越市
Author(s)
糟谷, 政和
Citation
茨城大学人文学部紀要. 人文コミュニケーション学科論集
, 20: 33-40
Issue Date
2016-03
URL
http://hdl.handle.net/10109/12764
Rights
このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属 します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。『人文コミュニケーション学科論集』20, pp. 33-40. © 2016茨城大学人文学部(人文学部紀要) 糟谷 政和 要約 江戸時代の川越氷川神社の祭礼に登場する仮装行列は朝鮮通信使を真似たものとする研究 を今後さらに進めるために、仮装人物の姿を明らかにするための基礎作業を行った。さらに、 2015年の川越市においては、10月に氷川神社の例大祭・神幸祭と「川越まつり」、11月に「唐 人揃い」が行われているが、そのような姿になるに至った経過を明らかにした。 1.はじめに 現在、埼玉県川越市では、10月に川越氷川神社の例大祭と神幸祭、そしてやはり10月に 市民祭としての「川越まつり」、さらに11月に「唐人揃い」というイベントが開催されている。 それらの祭りが現在のような形で開催されるまでの経過を明らかにするとともに、江戸時代 の朝鮮通信使の姿が、川越市の氷川神社の祭礼の中にどのように受容されて行ったのかも明 らかにしたい。 2.江戸時代の川越氷川神社祭礼の出し物としての仮装行列と朝鮮通信使 江戸時代の川越氷川神社の祭礼の様子を伝えるものとしては、つぎの3つの祭礼絵巻があ る。朝鮮通信使との関連性を示唆する出し物の姿を伝える絵画資料である。 ・「氷川祭礼絵巻」1718(享保3)年、ニューヨーク・パブリック・ライブラリー所蔵 ・「川越氷川祭礼絵巻」1826(文政6)年、川越氷川神社所蔵 ・「川越氷川祭礼絵巻」1826(文政6)年、江戸東京博物館所蔵 この3つの絵巻では、川越氷川神社の氏子町のひとつである「本町」の出し物の仮装行列 が朝鮮通信使を真似たものであるといわれてきている(1)。 以下の分析を通じて、仮装の内容とそれに付された詞書きを明らかにすることにより、今 後、実際の朝鮮通信使一行の姿との相違について検討する準備作業としたいと考えている。
34 糟谷 政和 3.1718(享保3)年の「氷川祭礼絵巻」の中の「本町」の出し物について そこで、1718(享保3)年の「氷川祭礼絵巻」の中の「本町」の出し物について、それがど のような仮装なのか示すと以下のようである(2)。 ・出し 猿 担ぎ手4人奴風 ・「清道」旗2本 旗持ち2人唐人風 ・刀持ち2人唐人風 ・槍持ち2人唐人風 ・喇叭(小)吹き8人唐人風 うち3人は旗も持つ ・乗馬男性2人唐人風 ・馬の口取り2人奴風 ・警護1人紋付袴着 ・喇叭(大)吹き2人唐人風 ・喇叭(小)吹き2人唐人風 ・「壽」旗持ち2人唐人風 ・手持ち太鼓4人唐人風 ・法螺貝吹き1人唐人風 ・太鼓(小)持ち1人唐人風 ・太鼓(大)担ぎ手2人打ち手1人ともに唐人風 ・輿(1人乗り)担ぎ手4人 女性1人着物姿 ・警護1人紋付袴着と1人裃袴着 ・山車(外題:幣献舞) 舞手は1人と5人唐人風 引手10人奴風 ・警護2人裃袴着 氷川神社の祭礼と朝鮮通信使との関連性を考えるとき、『武蔵三芳野名勝図会』の氷川神 社に関する項目「氷川神社」の中に、氷川神社祭礼に関する挿絵とその挿絵にある詞書きの 部分が重要となる。その詞書には、次のような記述があり、祭礼における基本的な出し物が 何であったか分かる(3)。 (前略)年々種々の数奇を好ミ、風流の躍を催し、上五町、下五町と列を定め、花出し・
万度・練子・踊屋台・ダンジリ・唐人揃い・龍神揃い・色々の造り物を出す(後略) これによって、元禄の頃から19世紀初頭にかけての氷川神社祭礼における基本的な出し 物が何であったかが分かる。特に「唐人揃い」は朝鮮通信使一行の様子が何らかの形でとり 入れられた仮装行列と考えられているといえる(4)。 4. 1826(文政9)年「川越氷川祭礼絵巻」(川越氷川神社所蔵)と1826(文政9)年「川越氷川祭 礼絵巻」(江戸東京博物館所蔵)の中の「本町」の出し物について 二つの1826(文政9)年「川越氷川祭礼絵巻」の中の「本町」の出し物について、それがど のような仮装なのか示すと以下のようである(5)。なお考察の参考にするために、中島守謙『佐 久良能仁保比』(1886年)にある「文政九年川越氷川祭礼詳細記」にある記述をそのまま引 用した(6)。(引用した3つの資料の出し物の間の間隔は、比較の都合上、変更してある。)こ れらの出し物の中で朝鮮通信使との関連性が明確なものは、「清道簱」と「台所唐人」とい える。 氷川神社蔵 江戸東京博物館蔵 文政九年川越氷川祭礼詳細記 五番 本町 笠鉾之上ニ猿 人之形装束着 荷人八人 五番 本町 荷人八人 花色絹 装束着吹貫 出シ笠鉾之上ニ猿金入之 五番 本町 一、出シ 荷人四人 笠鉾ノ上ニ猿、金入 ノ装束着、吹貫花色白絹 警固 麻上下拾人 黒ンぼふ二人 囃子方 太鼓三人 笛 同 摺がね 壱人 珊瑚珠 曳物引手八人 警固 袴着十二人 十人 警固麻上下着 鉄棒引二人 黒ン坊二人 八人 引手 珊瑚樹引物 摺鉦 壱人 笛 三人 太鼓 三人 囃子方 十二人 警固袴着 但鶴之模様 大籏一本三人 二人 一、警固 麻上下花笠 十人 一、鉄棒引 二人 一、珊瑚樹引物 引手十人 囃子有リ 一、黒ン坊 二人 一、囃方 一、太鼓 三人 一、笛 三人 一、摺鉦 一人 一、警固 袴着 十二人 一、大籏一本 三人持ち 但、鶴ノ模様
36 糟谷 政和 教導官 馬上六蔵 馬上 市三郎 馬上 才次郎 管弦 弐拾壱人 管弦大将 馬上 忠蔵 はる 勝蔵 さえ ふて たか 清道籏二本 六蔵 教導官馬上 傘 緋鈍子籏二本 黒熊鉾二本 市三郎 籏将 馬上 傘 せつかひ籏二本 才次郎 籏将 馬上 傘 司楽籏二本 二十一人 管弦人 二人 青龍刀二本 師字籏一本二人 令小籏二本 忠蔵 管弦大将馬上 傘 錦籏二本 勝蔵 はる 小童二人 傘 ふて さへ 小童二人 たか 小童一人 一、清道籏 二本 一、教導官 馬上 六蔵 傘 一、緋純子籏 二本 一、黒熊鉾 二本 一、籏将 馬上 市三郎 傘 一、セツカヒ籏 二本 一、籏将 馬上 才次郎 傘 一、司楽籏 二本 一、喇叭 二人 一、チャルメル 四人 一、横笛 六人 一、手太鼓 四人 一、チヤンキリ 四人 一、大太鼓 一人 一、青龍刀 二人 一、師字籏 一本 二人持 一、管弦将 馬上 忠蔵 傘 一、錦籏 二本 一、小童 二人 はる 傘 勝蔵 一、同 二人 さゑ 傘 ふて 一、同 二人 なか 傘 一、令小籏 二本 一、乗輿 よし 傘 一、小童 一人 ちよ 傘 一、同 一人 うめ 傘 一、同 一人 やを 傘 上輿 ゑい はか さと 令小籏二本 ゑい 上輿 傘 はか 小童 傘 さと 一、令小籏 二本 一、上輿 ゑい 傘 一、小童 一人 ちか 傘 一、同 一人 さと
つる ふぢ 上輿 八十八 馬上 賄唐人 小童 傘 つる 小童 傘 ふじ 小童 傘 令小籏二本 八十八 上輿 軍配二本 傘 馬上 台所唐人 荷茶屋 壱荷 傘 一、同 一人 つる 傘 一、同 一人 ふし 傘 一、令小籏 二本 一、上輿 八十八 傘 一、台所唐人 馬上 一人 右唐人装束ノ儀は、不残有来リノ品 相用申候 一、荷茶屋 一個 5.現代の川越氷川神社の祭礼と「川越まつり」、「唐人揃い」について (1)江戸時代から現代までの川越氷川神社の祭礼に見る変化 すでに、江戸時代の川越氷川神社祭礼を描いた絵巻において見たように、氷川神社神社の 神幸祭の神社中心の「鳳輦供奉」の行列(先触れ太鼓、氏子総代、榊、五色、四神旗、猿田彦、 獅子、雅楽師、供え物、神職・巫女、神輿、神馬、氷川神社宮司乗馬、斎姫輿(7))を先頭に して、その行列の後に氷川神社の各町の氏子たちが「付祭」として山車や屋台や練物(仮装 行列)といった出し物で参加した。これもすでに見たように、氏子たちの用意した出し物は 常に一定ではないが、山車の人形は比較的長く使用できることもあり、その人形が現代に伝 わるものもある。全体的に、氷川神社の祭礼は江戸時代を通じて行われていたといえる。そ の後、現在に至るまでの間に川越氷川神社祭礼がどのように変遷したのかについては、十分 とはいえないが以下のようにまとめることができる。 江戸時代の川越氷川神社祭礼は、祭礼の成立投書から川越藩との関係が深いものだけに、 幕末維新の変動のなかで、祭礼形態も変化するが、「年表」の中から、明治以降の祭礼の中 の特徴的な様子を挙げると次のようである(8)。 (2)例大祭、神幸祭、神幸祭の「鳳輦供奉」、そして「鳳輦供奉」の中断 1872(明治5)年9月15日 氷川神社の神輿の巡行が始まった。 1880(明治13)年 氷川神社例大祭で山車が出た。 1881(明治14)年11月6日~ 氷川神社の御神幸が始まり、山車が出た。 1882(明治15)年10月25日・26日 氷川神社大祭。南町から山車が出た。
38 糟谷 政和 1901(明治34)年10月24日~26日 氷川神社例大祭(明治期最大規模の川越氷川祭り) *神幸祭の「鳳輦供奉」はこの時はあったが、翌1902年から1972年まで中断した。 (3)例大祭・神幸祭、戦争と神社祭礼 1908(明治41)年10月8日・9日 氷川神社祭典(第2回関東茶業大会と同時開催) 1911(明治44)年10月14日・15日 氷川大祭、氷川神社祭礼。山車が出た。 1915(大正4)年11月14日~16日 氷川神社例祭。山車、神輿が出た。 1932(昭和7)年14日~16日 氷川神社大祭(市制施行10周年奉告祭同時開催) *山車7台、仮装行列(映像フィルムが現存(9))が出し物として参加 1933(昭和8)年13日~15日 氷川神社大祭 1941(昭和16)年24日・25日 氷川神社例祭 1942年~1945年の祭礼については「年表」に特に記載がないので、祭礼実施は不明。 (4)戦後: 神社祭礼の例大祭・神幸祭、神幸祭付祭部分の「川越まつり」としての盛大化 1946(昭和21)年10月14日 氷川神社例大祭 1947(昭和22)年10月15日 氷川神社神幸祭の行列実施 1948(昭和23)年10月14日・15日 氷川神社秋の大祭及び商工業祭。山車、神輿、屋台、 稚児行列 1949(昭和24)年10月14日・15日 川越祭(川越市主催)。山車、屋台、神輿。 1950(昭和25)年10月14日・15日 川越祭、氷川神社大祭、全国茶業大会。山車、屋台、 囃子屋台、芸妓舞踊 1951(昭和25)年10月14日・15日 氷川神社の秋祭り 1952(昭和26)年10月13日~15日 氷川神社祭礼、市制30周年 1955(昭和30)年10月14日・15日 「川越まつり」、15日神輿渡御 1955(昭和32)年10月14日・15日 氷川神社神輿渡御、「氷川神社の秋祭り」 1959(昭和34)年3月 中台の囃子が「上覧ばやし」として埼玉県指定無形文化財指定 10月13日~15日 川越市あげての「川越まつり」、山車20数台 12月16日 川越市観光協会発足 1962(昭和37)年10月14日・15日 「川越まつり」、氷川神社祭礼と市制施行40周年 1968(昭和43)年3月 「川越氷川祭山車」として埼玉県有形民俗文化財指定 10月14日・15日 6年ぶりの「川越まつり」、山車18台 1969(昭和44)年10月14日・15日 「川越まつり」、山車9台 1970(昭和45)年10月14日・15日 「川越まつり」 1971(昭和46)年10月14日・15日 「川越まつり」 1972(昭和47)年10月14日・15日 「川越まつり」、市制施行50周年
* 10月15日に、1901(明治34)年を最後に中断していた神幸祭の「鳳輦供奉」として の神輿巡行が復活し、さらに川越市新市庁舎を川越城にみたてて17台の山車が集 結した。 (5)川越氷川神社の例大祭・神幸祭と川越市観光イベント「川越まつり」との共存・自立 1972年に神輿の行列の町内巡行と山車の勢ぞろいというイベントスタイルができあがり、 その後、年々、「川越まつり」は盛大化していった。観光イベントとしてより多くの集客を 考えれば、「まつり」の平日開催よりも、休日開催にしたほうが効果的との意見が出てくる ようになった。しかし、1987年に「川越氷川まつりの山車行事」が埼玉県無形民俗文化財 に指定されたが、『指定報告書』には次のようにあり、行事全体の内容を理解することがで きる(10)。 ①祭りの期日は、10月14、15日両日。 ② 14日の宵宮には、山車が地元町内を一回りした後、氷川神社に詣で、人形を繰り上げ、 氷川大明神と対面し、囃子を奉納する。 ③ 15日の祭り当日は、氷川神社から川越市役所広場まで行列を作り、神幸祭を行い、 その後町内の巡行に移り、山車の「ひっかわせ」などが行われる。 こうして、1997年「川越まつり」の山車の出る日は、氷川神社の祭日(10月14日例大祭、 15日神幸祭)に関係なく、10月の第3土曜日・日曜日となった。 (6)「川越まつり」と氷川神社神幸祭 1997年以降「川越まつり」が10月第3土曜日・日曜日に固定化する中で、神幸祭神輿渡 御行列が「川越まつり」の中で実施されることになった。2015年の「川越まつり」は10月 17日土曜日と18日日曜日に開催されたが、氷川神社の神幸祭神輿渡御行列は「川越まつり」 にあわせて17日土曜日の午後13時から14時半の間に実施された。その行列のコースは、川 越氷川神社出御→裁判所前→札の辻→蔵造りの町並み→仲町→川越キリスト教会→市民会館 入口→市役所前→裁判所前→川越氷川神社還御であった。(川越まつり協賛会発行「川越ま つり」パンフレットより 開催日2015年10月17日(土)、18日(日)) (7)2005年より川越市で始まったお祭り「唐人揃い」について すでに見たように川越氷川神社の祭礼絵巻の中で描かれている本町の出し物(『武蔵三芳 野名勝図会』の記述にある「唐人揃い」とする)を復活するイベントとして2005年11月13日 (日)に第1回目が実施された(11)。2015年11月15日(日)には第11回「唐人揃い」実施が予 定されたが、その開催趣旨は次のようである。
40 糟谷 政和 2005年に「唐人揃い」を復活し、毎年11月に「多文化共生・国際交流パレード」と して約20団体400名ほどが華やかな民族衣装などを着て、「蔵造りの町並み」を練り歩 きます。今年で11回目になりました。 (2015年11月15日(日)第11回川越唐人揃いパレード宣伝チラシより) 6. おわりに 以上のように、江戸時代の川越氷川神社の祭礼は、すでに見てきたような経過をたどって、 2015年の川越市においては、氷川神社の例大祭・神幸祭、「川越まつり」、「唐人揃い」の3 つの行事として受け継がれているといえる。 注 (1)『川越氷川祭礼の展開』(第11回企画展図録)川越市立博物館編集・発行、1997年10月。 (2)次の二つに収録されているものを利用した。同上『川越氷川祭礼の展開』、川越市教育委員会編集・ 発行『埼玉県指定無形民俗文化財「川越氷川祭りの山車行事」 調査報告書・資料編』2003年。 (3)『校注 武蔵三芳野名勝図会』川越市立図書館、1994年、53頁。 (4)前掲『川越氷川祭礼の展開』。 (5)次の二つに収録されているものを利用した。同上『川越氷川祭礼の展開』、前掲『埼玉県指定無 形民俗文化財「川越氷川祭りの山車行事」 調査報告書・資料編』2003年。 (6)前掲『埼玉県指定無形民俗文化財「川越氷川祭りの山車行事」 調査報告書・資料編』243-244頁。 (7)谷澤勇『川越祭のすべて』小江戸出版会、2012年、48-49頁)。 (8)川越市教育委員会編集・発行『埼玉県指定無形民俗文化財「川越氷川祭りの山車行事」 調査報 告書・本文編』2003年、191-208頁の「第5節 川越氷川祭り年表」。 (9)同書添付資料「音声・映像資料」の「昭和7年川越氷川祭り」DVD参照。 (10)同上『埼玉県指定無形民俗文化財「川越氷川祭りの山車行事」 調査報告書・本文編』、22頁。 (11)『川越と朝鮮通信使』「川越と朝鮮通信使」編集委員会編集・発行、2007年。なお、開催目的とし ては「今年が日韓国交正常化四十周年に当たることを記念し」(『埼玉新聞』2005年11月13日)て 開催したことがわかる。