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SHIZUOKA
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この競技を始めたきっかけ・競技歴
事故で左脚を失った後、義肢装具士になりたいと思い、専門学校に入学しました。そこで出会った義 肢装具士から「こんな義足あるから履いてみない?」と言われて、競技用義足を履く機会があったんで す。初めて履いた競技用義足はすごく跳ねる感覚で、義足自体も軽かったため、ピョンピョン跳んで早 く走れるんじゃないかとイメージが わきました。実際に走ってみたとこ ろ、全速力になるくらいのタイミン グになった時、崩れ落ちる感じで転 んでしまいました。まだ義足のつま 先が前に出ていないのに地面に接地 しようとしたせいだったのかと思い ます。「競技用義足はそのまま使っ ていていいよ。」と言ってもらえた ため、競技用義足で走る練習をして 大会を目指してみようと思いました。 これが走り始めたきっかけですが、 そもそも競技用義足は高価で気軽に 購入することはできません。今思い ●プロフィール 1982年生まれ。静岡県掛川市出身。新日本住設株式会社所属。 高校2年生の時にバイク事故で、左脚の膝から上で切断する。その後、 義肢装具士を目指して通った専門学校で競技用義足と出合い、陸上競 技を始めた。2008年北京大会でパラリンピックに初出場すると、そこ から3大会連続で出場し、銀メダル2つを含む3個のメダルを獲得した。 東京パラリンピック出場もすでに内定を果たしている。ふじのくに
しずおかパラアスリート
∼選手インタビュー∼
山
や ま本
も と篤
あ つ し(陸上競技)
日本の誇る世界トップクラスの義足ジャンパーだVol.8
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出してみても、たまたま競技用義 足を無償で使わせてもらえたこと が、競技の道へ進む大きな要因だ ったと思います。 それから競技用義足で走る練習 を始めましたが、当時は競技用義 足の走り方を教えられる人はほと んどいなくて、専門学校の先輩が 卒業論文で研究している資料を見 せてもらいながら1人で練習をし ていました。ただ1人で練習を続 けるのはモチベーションとしても 難しく、「もっと専門的なことを 学びながら一緒に頑張る仲間がい れば」という思いもあり、専門学 校卒業後は大阪体育大学に進学し、本格的に陸上競技を続けていくことにしました。 初めて出場したパラリンピックは2008年北京大会でした。スタジアムは満員で、すごい雰囲気の 中で最初の出場種目である100mに臨みましたが、これまでで一番緊張してしまったため、自分の 力が出せずに5位で終わりました。次の走幅跳では、とにかく思いっきり跳ぼうと試技に臨んだ結果、 5m89cmで銀メダルを獲得することができました。ただ金メダルを獲った選手は6m50cmを跳び、「こ の記録は絶対に超えられないんじゃないか…」と思ったのを覚えています。 そして2012年には6m24cmを大会前に跳び、順調に記録が伸びている中で迎えたロンドン大会で したが、他の選手の大ジャンプに焦ってしまい、自分の跳躍も6mを超えられずに5位とメダルには届 きませんでした。思い返してみても、これまでの国際大会でメダルが獲れなかったのは、このロンドン 大会だけだったのではないかと思います。 その後も記録を伸ばしていき、2013年の世界選手権では優勝し、2016年には6m56cmを跳ん で初めて世界記録を更新しました。しかし、2016年シーズンはライバル選手も世界記録を更新し続 け、迎えたリオ大会では誰が優勝してもおかしくない状況でした。試技では、先にドイツの選手が 6m70cmの世界新記録を出してリードを奪いました。当然、他の選手にプレッシャーがかかってきま す。そんな状況の中でも自分の試技に集中して、自己新記録となる6m62cmを出して銀メダルを獲得 することができました。 リオ大会終了後、ケンブリッジ飛鳥選手(陸上競技)や内村航平選手(体操)らオリンピック選手がプ ロアスリートとなっていましたが、自分も当時の所属先を辞めてプロアスリートとして活動を始めまし た。その方がより自分のやりたいことに注力できると思ったからです。陸上競技では引き続き走幅跳で 記録を更新し、6m70cmまで自己記録が伸びました。また事故に遭う前から大好きだったスノーボー ドでは、2018年平昌冬季パラリンピックを目指して挑戦し、出場することができました。 競技以外では、これまで取り組んできている、脚を失った方たちが再び走れる喜びを取り戻す「ラン ニングクリニック」をもっとやっていきたいと思っています。2020年に静岡市にある、このはなアリ ーナで「静岡県ブレードランニングクリニック」が行われましたが、こういった事業が僕のやりたいこ とですし、自分も義足で走ったことで人生がハッピーになったので、走れる喜びを色んな人に知っても らいたいと思っています。 スノーボードでもパラリンピック出場を果たし、活躍の場を広げた3
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競技の紹介、ルールなど
陸上競技は、パラリンピックで最も多くの選手が出場する競技です。車いすや義足といった障が いの種類やその程度で分けられたクラスごとに競技が行われます。例えば、僕のような義足のクラ スでも、膝から下を切断したクラスと膝から上で切断したクラスで分かれています。種目も、100m から5000mまでのタイムを競うトラック種目や、走幅跳ややり投などのフィールド種目、そして 42.195kmのマラソンもあります。ルールもほとんど同じで、一番の魅力はタイムや記録で勝敗がは っきり決まることではないかと思います。観客の方も見ていてわかりやすいし、選手も自分自身と向き 合い、限界に挑戦することができます。Q
自分のアピールポイント
僕は短距離と走幅跳に出場しますが、ど ちらにしても義足を使いこなす技術が重要 になります。特に走幅跳では義足側の脚で 踏み切ってジャンプするため、さらに技術 が必要になるかもしれません。競技用義足 の板バネと呼ばれる部分はカーボンプラス チックというたわむと反発する素材ででき ています。踏み切る際に、助走の勢いと自 分の体重を義足にかけることで強い反発 が生まれ、それを利用して遠くへ跳びま す。どのタイミングでどれくらいの力をか ければ最も強い反発が生まれるのか、義足 の特性を理解することが重要です。また義 足側の脚で踏み切るということは、ファウ ルになるかどうかのギリギリの一歩を感覚 のない脚で調整することになります。踏み 切りを合わせることが健足で跳ぶよりも難 しく、そのカギになるのが助走です。毎回 同じ歩幅、同じ速さで助走ができれば、試 技をこなすごとに少しずつ合わせていくこ とができます。競技用義足を使いこなす技 術のおかげで、年齢を重ねても記録が伸 び続けています。20代で迎えた北京パラ リンピックの記録は5m89cm、それから 11年後の2019年に更新した自己記録は 6m70cmです。ぜひ観客の皆さんには義 足で踏み切って、ギュンとたわみ、バン! と弾いて跳ぶ姿を見て欲しいと思います。 義足で踏み切り、その強い反発力を活かして大ジャンプ!4
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新型コロナウイルス感染症による制限の中でどのように過ごし、競技に取り組んでいるか
ウエイトトレーニングの器具を買って、自宅で身体を動かしていました。競技場が使えないときは自 宅の前の道路を走り、さらに子どもと一緒に公園に行って懸垂をしたり、子どもを重りにしてスクワッ トをしたりとできることをやって、決して練習を止めることはしませんでした。ただ難しかったのは、 大会がなかったことでしたね。大会がないということは、どこで記録を出そうか目標がないということ になります。また出場しようとエントリーした大会の中止や、越県移動の制限で出場することができな くなったことも苦しかったです。それでも2020年9月上旬に日本パラ陸上競技選手権大会が開催され たことで、目標ができ、モチベーションを維持して何とか練習を続けることができました。Q
東京パラリンピックに向けた目標、意気込み
自己ベストを更新することです。自国開催のパラリンピックで自分が最高のパフォーマンスを出して、 それを一人でも多くの方に見て欲しいと思います。自己ベストを更新することができたらメダルはつい てくるかなと。経験を積んだ現在は、ピンポイントで大会に照準を絞って調整することができるように なってきました。東京パラリンピックには自己ベストを更新できるコンディションに調整して臨みたい と思います。Q
趣味やリラックス、リフレッシュ方法など
趣味はゴルフですね。大学生のときに初めて授業でゴルフを体験し、社会人1年目のときにクラブを 買いました。散歩だとたくさん歩けないけど、自然の中を歩き回るから気持ちいいし、ワイワイ言いな がらプレーするのは楽しい。あとスポーツなので、自己ベストが出ればうれしいですね。Q
モットー、座右の銘
「挑戦」。自分の人生で挑戦 し続けたい。脚を失ってから走 り始めたこともそうだし、陸上 競技だけじゃなくて、スノーボ ードもそう。新しいことに挑戦 してワクワクドキドキする気持 ちが楽しい。思い返してみると、 脚を失ってからこのような考え 方になったのかもしれませんね。 「脚を失った自分に何ができる んだろう」と考え、今までやっ たことのあることは全部やって みようと思って実際に挑戦した ところ、けっこう色々できるも のだなと気がつきました。 「静岡県ブレードランニングクリニック」では講師を務めた5