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はじめに...3 第一章基本情報 1-1 < 路地裏の店を含む日本の飲食店の現状分析 > 第二章仮説と検証 1-1 < 本当にすべての飲食店が利益を上げることを目的に運営しているのか > < 収支の内訳がそもそも店舗によって違うのではないか > <

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2016 年度 上智大学経済学部経営学科 網倉ゼミナール 卒業論文

なぜ路地裏のさびれた店はつぶれないのか

A1242253 上智大学経済学部経営学科 山岡美玖 1

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はじめに ………....3 第一章 基本情報 ……… 1-1 <路地裏の店を含む日本の飲食店の現状分析> ………...4〜6 第二章 仮説と検証 ……… 1-1 <本当にすべての飲食店が利益を上げることを目的に運営しているのか> ………...7 1-2 <収支の内訳がそもそも店舗によって違うのではないか> ………... 8〜9 1-4 <大手居酒屋チェーン店の戦略のひとつなのではないか?> ………...10〜11 1-5<商店街活性化プロジェクト等、地域の特性が関係しているのではないか?> ………...11〜14 第三章 結論 ………. 1-1 <最後に> ………..14 1-2 <参考文献> ………..15 2

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はじめに

近年、1980 年ごろに比べ、日本国民の娯楽にかける費用や外での飲食にかける費用が縮小して いる傾向にある。特に20 代の若い世代の休日に外に出かける頻度は年々少なくなっているようで ある。BtoC の企業は、新規顧客を獲得することは大変難しいため、ターゲットを絞って既存顧客を リピーターにしようと戦略を練っている。特に、飲食業界は、固定客をつけるのが難しく、存続年数 は大変短い。そういった厳しい時代背景の中で、なぜ路地裏にあるあまり顧客を獲得していない飲 食店は、何十年もつぶれることなく存続しているのか疑問に思った。また、私の地元の徳島では小 さな店が軒を連ねている商店街が次々とシャッター街と化しているのに対し、同じような商店街でも メディアに注目され繁栄している商店街もあるという現状をみて、いったい何が違うのかという点に も疑問を抱いた。この論文を通して、いったいな飲食店の存続年数は短いのに対し路地裏の決し て魅力的とは言えない飲食店が何十年も存続しているのかという理由を明らかにしていきたいと思 う 。 3

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第一章

基本情報

1-1 路地裏の店を含む日本の飲食店の現状分析① -廃業しやすい飲食店の業態- 閉店しやすい業態は居酒屋、バー、ラーメン屋、中華、アジア料理、そば、うどんであることが分か った。閉店した飲食店の件数を業態と営業年数ごとに集計したところ、アジア料理、ラーメン、中華、 そば・うどんについては、7 割以上の店舗が営業 3 年以内で閉店しており、4 割以上の店舗につい ては営業1 年以内に閉店していることが判明した。(「飲食店.COM」に 2015 年 7 月 21 日までに 登録された造作譲渡情報より、営業年数および業態を保有するデータ3,534 件を集計。) なかでもラーメンは「出店したい業態」としても必ずトップ5 に入る人気業態である一方、閉店する件 数も多くなっており、生き残りが厳しい業態でもあることがわかる。なお、「出店したい業態」と「閉店 が多い業態」の両方でトップなのが居酒屋・ダイニングバーだが、営業年数が 3 年を超える店舗が 4 割以上となっており、これと比較してもラーメン店は短命の傾向にあると言えるだろう。 4

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逆に、閉店までの営業年数が長かった業態を見てみると、営業3 年を超える店舗が 5 割以上の業 態は、寿司、フランス料理のみとなっている。さらに寿司は営業 11 年を超えていた店舗の割合が 21.5%と全業態中で最も高い割合、またフランス料理は 1 年以内で閉店した店舗が 12.8%と最も 低い割合となっている。寿司およびフランス料理は、調理に専門技術が必要となること等から開店 までの障壁が高く、他業態と比較すると開店件数が少なくなっている。そのため、競合店が生まれ にくく、営業年数も長くなる傾向にあると推測できる。寿司およびフランス料理は、そういった格の高 い食事を求める顧客を取り込むことのできる土地に開店する必要があるため、開業資金が潤沢に ある者、または確かな技術、ノウハウ、人脈を持った者でないと開業できないという側面もある。また、 鉄板焼き・お好み焼きも3 年を超えて営業した店舗が 46.3%と営業年数が長めの業態と言えるが、 設備投資コストの点で開店障壁があるため、寿司・フランス料理と同様に競合店が生まれにくく、閉 店もしにくいのではないかと考えられる。 1-1 路地裏の店を含む日本の飲食店の現状分析② -飲食店の平均存続年数- 1 年未満で閉店した割合は 34.5%、2 年以内で閉店した割合は 15.2%。合計すると 49.7%となり、 約半数の飲食店が2 年以内に閉店している。(2008 年〜2013 年に居抜き情報.COM によせられ た問合せの中から、店舗の営業年数別に割合を取得。) 5

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東京都内では、2012 年に倒産した飲食業は 156 件で、00 年以降で最も多かったことが東京商工 リサーチの調査で分かった。中小企業金融円滑化法などの支援策で都内の他産業の倒産件数は 落ち着いているが、飲食業は外食・居酒屋の低価格チェーン店との競合が激しいうえ、所得が減っ て外食を控える人が増えていることなどが影響した。 飲食業の倒産件数は07 年(97 件)から6年 連続で増加した。従業員数別にみると、4人以下が132 件で最も多い。5~9人が 12 件で、これも 含めると10 人未満の小規模店舗が全体の9割を占めた。業態別では食堂・レストランが 48 件で最 多。専門料理店(33 件)や酒場・ビアホール(32 件)が続いた。東京商工リサーチは「東日本大震 災直後の自粛ムードで経営体力をそがれ、回復できなかった店舗もある」と分析する。12 年の飲食 業の倒産の負債総額は 222 億 3800 万円で、前年比で5割増。ステーキハウス経営の清(東京・ 港)など、負債額10 億円以上の大型倒産が7件あった。東京商工リサーチは「飲食業は消費者の 嗜好の変化が激しく、『B級グルメ』ブームが去って倒産した事例もある。ブームの周期も短くなって いる」と指摘している。 1-1 路地裏の店を含む日本の飲食店の現状分析③ -廃業しやすい飲食店の特徴- 規模感は小規模(20 坪未満)で、立地タイプは住居立地で、営業年数は 2 年以内のお店が廃業し やすい飲食店の特徴なのではないかと思われる。これは、飲食業界が利用頻度の低い中で差別 化を図らねばならず、固定客をつけるのが難しいという特徴が反映されているのではないかと思わ れる。 6

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立地タイプ別の閉店割合は、住居タイプのものが一番高くなっている。これは、住居が軒を連ねて いる場所はアクセスが悪く、顧客を集客するには不向きだからという点が挙げられる。

第二章 仮説と検証

仮説1 -本当にすべての飲食店が利益を上げることを目的に運営しているのか?- 7 0 500 1000 1500 2000 2500 3000 10坪未 満 10坪~ 20坪 20~30 坪 30~40 坪 40坪~ 50坪 50坪~ 閉店割合 1130 2983 1285 524 234 375 1130 2983 1285 524 234 375 閉 店 年 数

閉店割合

0 500 1000 1500 2000 2500 3000 住居 商業 オ フィ ス 商業 オ フィ ス住 居 オ フィ ス 商業 商業 住居 オ フィ ス住 居 系列1 2847 1341 931 556 375 449 179 2847 1341 931 556 375 449 179 閉 店 数

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飲食店を含む企業の目的は、利潤最大化である。しかし、不動産を経営し、赤字を出すことで税金 対策を図っている飲食店もあるのではないかという考えがある。そこで、その仮説が本当であるかど うか、この章で検証し明らかにしていきたい。パーセンテージ等が表記されているようなデータを発 見することができなかったので、ケースを見て論じていきたいと思う。 「もし副業が赤字だと税務署に申告すれば、本業の給与所得と「損益通算」をして、所得税や住民 税を安くすることもできる。そこで「架空の副業で赤字が出たことにすればいいのではないか」と考 える不届き者もいるようだ。その男性は、自分の知人や口コミで集まった約 20 人の代わりに、副業 で赤字が出たように装った確定申告書を作成し(税理士法違反)、総額で約 600 万円の税還付を 求めさせた(脱税)という。実際に還付された金額の一部を謝礼として受け取っていたようだ。(税理 士ドットコム 2015)」 このケースから、副業で赤字を出し、その旨を確定申告書に書いて提出すれば、本業で得た所得 の税金対策になったり、税還付を受けることが可能であるということが分かる。このような目的で、不 動産においてかかる税金対策のために趣味の延長で開店し、利益度外視で運営している飲食店 は少なくないようである。 仮説2 -収支がそもそも店舗によってちがうのではないか?- 飲食店を運営するにあたって、必要な費用は、仕入れの原価、人件費、水道光熱費、販売促進費、 家賃、初期投資費用に分けられる。 8

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このグラフはこのような収支であれば、利益率が10%になるため、存続できるというグラフである。こ のグラフから分かるように、人件費は27%、家賃は 10%かかっている。もし家族が従業員で、住居 で飲食店を開業していたら、この37%はかからなくなる。 そのほかにも、家族の生活と兼用できる部分(水道光熱費、食費等)かあるため、新たな土地で家 賃を払いながら運営する個人経営の飲食店とは収支内容がまったく異なるということが分かる。 路地裏の何十年も続いている飲食店はこのケースに当てはまっているのではないかと考えられる。 9

30%

27%

5%

3%

5%

10%

10%

10%

飲食店の支出表

原価

人件費

水道光熱費

販売促進費

その他

家賃

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仮説3 -大手居酒屋チェーン店の戦略のひとつなのではないか?- この仮説も大手居酒屋チェーン店である株式会社セクションエイトのケースを基に論じていきたい と思う。 「2016 年 4 月、「居酒屋はなこ」が 10 年の歴史に幕を閉じた。運営会社である株式会社セクション エイトの戦略的な後退と見られる。「戦う男たちの癒食(いしょく)空間」として、多くの男性に笑顔と 元気を届けてきた「居酒屋はなこ」が、2016 年 4 月 23 日の営業を以って全店舗を閉店した。「居 酒屋はなこ」は、2006 年 4 月に新宿歌舞伎町に 1 号店をオープンし、その後ピーク時には全国に 40 店近くまで店舗数を増やした。しかし、2014 年頃から各地の店舗が閉店したという目撃情報が ネット上で報告されるようになり、今回残る全店舗の閉店が実施された。露出度の高い制服を着た 女性スタッフが接客を行うという画期的なアイデアで居酒屋業界に旋風を巻き起こした「居酒屋は なこ」。グルメサイトの口コミ欄には、「色々お世話になったので、全店閉店とか寂しいです。」、「は なこがなくなるの?どうして?」といった名残を惜しむ声が多く残っている。「居酒屋はなこ」を運営 していた株式会社セクションエイトは、店内で見知らぬ異性と相席になるシステムが話題を呼んで いる婚活応援酒場「相席屋」も運営している。近年、同社は「居酒屋はなこ」の店舗を次々と「相席 屋」に入れ替えてきており、実際に歌舞伎町にあった「居酒屋はなこ」1 号店も、2014 年 7 月に「相 席屋」へと看板の付け替えが行われた。つまり、「居酒屋はなこ」閉店の裏側では、運営元である株 式会社セクションエイトの業態変更戦略が行われていたのである。「相席屋」は 2014 年 3 月に東 京・赤羽に1 号店をオープン以降、そのわずか 1 年後の 2015 年夏には 15 都道府県に 40 店舗 に、2016 年 3 月には海外を含む 70 店舗以上にまで成長した。飲食業界の関係者によると、「相席 屋を運営するセクションエイトの横山社長は、2016 年中に 47 都道府県へ計 100 店舗を出店する と息巻いています」とのこと。ここまでの勢いを維持することができれば、実現しそうな数字である。 「相席屋」の成長スピードを支えた要因の 1 つに、「相席屋」がフランチャイズを積極的に取り入れ た事も考えられる。(フランチャイズ比較.net)」。このような例は株式会社セクションエイトだけでは なく、大手飲食チェーンのワタミも今ある店舗を業績不振のため閉店にし、今までのワタミとは違う 一見ワタミの出したものであるとは気づかないような高級感のある新店舗をオープンするという戦略 をとっている。 仮説4 個々の飲食店の魅力等だけではなくて、立地している土地の特性が大きく影響を及ぼしているの ではないか? 10

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地方都市では、若者が大都市に流入した結果人口が減少し、その要因にあいまって商店街の店 主の高齢化が進み、にぎわいが喪失している。商店街組織や行政組織が単独で活性化に挑んだ 例もあるが、決してその結果はいいものであったとは言い難いものであった。その後、行動原理の 異なる新規に発足された組織や、NPO などがセクターを超えて連携することで、活性化を図った 商店街もあったが、目的や行動原理の異なる組織が連携すれば商店街は必ず活性化すると断言 することはできなかった。以上のことから、商店街の特性や対処法はさまざまであり、商店街の活性 化に対する処方箋のようなものはまだ見つかっていないと考えるのが適当であると思う。よって、こ の仮説は衰退しシャッター街化している傾向にある地方の商店街のなかで、様々な衰退化を促進 する要因を抱えながらも、発展し存続している商店街を例にして論じていきたいと思う。 対象とする商店街は、みずきしげるロードを有する商店街にしたいと思う。1992 年から 1994 年に かけて、市が駅前から商店街にのびる道路のうち、大正町、松ヶ枝町商店街にかけての区間にて、 車道の車線を減少するとともに、歩道を拡張し、アーケードを改修する都市計画道路整備事業を 行った。さらに、駅前から商店街を貫く上記の道路を市のシンボルロードに位置づけ、1992 年から 1994 年を一期工事として松ヶ枝町商店街の南側道路の一部に 40 体のブロンズ像並びに北川歩 道に絵タイル8 枚を設置し、1995 年から 1996 年は二期工事として大正町の南北の歩道にブロン ズ像を 40 体設置した。上記は水木しげるロードを整備事業として一体的に行われている。自前に 市から、商店街や自治体に対して十数回を超える説明会が行われた。設置するブロンズ像は、市 の出身である水木しげるの漫画「ゲゲゲの鬼太郎」をモチーフにし、松江市の彫刻家の手により丹 念に仕上げられた。店の前に設置された店主の中には、毎日丹念に磨きをかける者も現れた。 1993 年に設置されたばかりのブロンズ像が盗難やいたずらにあう事件が多発し、松ヶ枝町商店街 や大正町自治体の会員を中心として防犯パトロールを行い対応した。事件発生以降、水木しげる ロードでの取り組みは地方紙に取り上げられるようになり、市の内外に認知され、観光客が訪れるよ うになった。 11

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観光客が訪れ始めて、土産物のニーズが発生し、1993 年から手製の土産物の制作屋開発が行わ れはじめ、1993 年には 13 店舗が土産物を販売しており、中には近隣の商店や住民が集まって、 手芸による土産物の制作を始めるグループも現れはじめた。同じく1993 年に、松ヶ枝町商店街の 10 店舗程度が共同で出資し、空き店舗に飲食のできる休憩所を設置した。1994 年には松ヶ枝町 商店街、大正町自治体のそれぞれが協賛店を募り、ブロンズ像の配置を案内する地図を 制作し、観光客に対し無料で配布するなど、観光客に対応する中での活動を展開した。1994 年に はロードとしてオープンした大正町、松ヶ枝町にて、整備事業の完成記念イベントが行われ、市が つけた予算により、松ヶ枝町商店街や大正町自治会の会員が設営をはじめ、出店などの催しを団 結して実施し、盛大に開催された。1994 年から 1996 年の間に、鬼太郎音頭を踊り市内外に PR する活動や、全国の水木しげるファンに向けロードから広報を行う活動等新規組織が合計3つ発 足された。1996 年頃になると、市が財政難のため、観光施設の整備計画を中断すると発表した。 それに受けて、協同組合境港商店会が1996 年に、市や商工会議所など既存組織及び新規組織 の主だったメンバー23 名からなる、活性化委員会を設置し、活性化の方策を議論した。その結果、 県の「中小商業活性化補助金」1000 万円を活用して、ロードで妖怪フェスティバルというイベントを、 1997 年および 1998 年の二回行うことにした。主なプログラムは、妖怪のはりこを制作し、仮装した 人々がロードを東から西へパレードするもので、市内外の参加を募った。また、1998 年に大正町、 松ヶ枝町、本町の商店ならびに行政職員を含む28 名により、水木しげるロード振興会が発足され た。振興会は、商工会議所の認定を得て、県の中小商業活性化補助金を1998 年にうけ、ストリー トファニチャーや観光施設の整備など今後おこなわれるべき整備事業を実施主体を明確にして記 載した「商店街活性化基本計画」を策定した。1999 年には、振興会の会員のうち 7 名が出資して、 株式会社アイズが設立され、2000 年にはロードに面した大正町の敷地に「妖怪神社」が建設され た。続いて、境港駅からロードへの導入部に立地する民間事務所 a が 2000 年にブロンズ像を一 体設置し、市に寄付した。一方ソフト面では、振興会が観光客に対して、肝だめし風の「妖怪探索 ツアー」や下駄をとばして的に当てて競う「下駄的あて大会」など、体験参加型の小規模イベントと 通年で多数開催し、開催方法を工夫することにより、低予算で持続的な開催を実現した。市や商 工会議所など、主だった既存組織に呼びかけ、特に観光シーズンである8月を「妖怪霊在月」と名 付け、イベントを集中して開催する協定を結んだ。また、振興会会員店舗に妖怪をかたどったスタ ンプを設置し時期に関係なく楽しめる魅力を作り出すなど、多様な活動を展開した。ブロンズ像が 設置されないままになっている本町商店街では、1999 年からの 5 年間、周辺住民が境港まちづく り応援団を設置し、妖怪のモニュメントを政策するイベントを行い、作品を展示した。2002 年からは 民間事務所a が駅前の広場でジャズフェスティバルを開催した。2003 年に市が、念願の観光拠点 施設である水木しげる館を本町商店街内に建設した。2004 年に民営化された観光協会により、本 町商店街や松ヶ枝町商店街の北側歩道などの像が長らく未整備であった場所に35 体のブロンズ 像が設置された。その費用は、商店外部に呼びかけて整備のための寄付金を募り、 12

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設置後はシに寄付するという方法により賄われている。2007 年には、観光協会と商工会議所が、 同様の方法で街灯を整備した。観光協会は2006 年から事務所のある夢みなとタワーにて、目玉と なるようなイベント「妖怪そっくりコンテスト」を行い、新聞やTV に PR を行っている。ロードでは、振 興会が下駄積みイベントなどのイベントの他に、混雑時の駐車場運営や歩行者天国の実施など、 来訪者への環境的なサービス提供のための活動に重心を移している。 市でロード整備事業を担当していたA 氏は、1992 年までに整備事業に関する説明 を行うことによって、商店主らと顔見知りの関係になっており、整備後も商店に足を運ぶなどした中 で、大正町自治会のB 氏や松ヶ枝町商店街の C 氏らとのつながりを維持してきた。観光客が訪れ はじめた状況をうけ、ブロンズ像を使った活動への機運が市や商店街で高まって、商店街組織が 主体的にイベント等の取り組みを実施しはじめた。C 氏を中心として松ヶ枝町商店街で鬼太郎音頭 を作曲、踊る活動が始まり、A 氏は市職員の立場としてこれを後押しした。1994 年に開催された開 催された完成記念イベントでは、会場設営をさせてくれるようにというB 氏のからの申し出を A 氏が 受け入れ、地元住民に委託する形で、市が予算を組んでイベントを開催した。1996 年頃になると、 A 氏は B 氏や C 氏を呼びかけて。ゲゲゲのしげる会を立ち上げ、市職員としての立場から商店街 の方へ一歩踏み出して、商店街を起点とする活動に加わりはじめた。1996 年に市が、観光の目玉 となる拠点整備の計画を凍結すると発表した。行政がしないというなら商店街がなにかせねばとい う機運が高まり、協同組合商店会が中心となって、活性化委員会を立ち上げた。A 氏とC氏は関係 団体代表として、B 氏は地域の商店代表として協議に参加した。県の補助金をうけて妖怪フェステ ィバルというイベントを開催するが、既存の商店街組織は整備事業へ展開するためのスキルを持た ず、ソフト事業をしても活用できる資金の限界で活動が持続しなかった。そこで、行政として事業や 補助金のスキルをもったA 氏が、共に活動してきた B 氏やC氏を呼びかけ、ハード事業を行うこと のできる組織を発足した。A 氏は市職員を辞職して、大正町の B 氏と共に大正町、松ヶ枝町。本町 商店街の店舗に対して一軒ずつ説明を行い、賛同を得た28 店舗と 1998 年に振興会を発足し、 振興会を受け皿として県から補助金をうけ、計画を策定した。振興会の中から、A 氏を中心として B 氏、C氏をはじめ初期から活動してきたメンバー7 人で 1999 年に株式会社を設立し、2000 年には 妖怪神社を建設し、ブロンズ像設置以来初めての空間整備を成し遂げた。B 氏は振興会会長とし て、1998 年以降小規模で多発的なイベント事業をロードで行い、持続的なイベント活動を自実現 した。活動は担い手間の水平的な関係の中で行われた。民間事業所 a の経営者として D 氏が 1995 年に市内にやってきた。D 氏は、2000 年に自社の前に 1 体のブロンズ像を設置して市に寄 付し、さらに2002年から会社としてジャズフェスティバルを企画し、事務局の運営や会場に対して 市の協力を得る中で、市とのネットワークを形成していた。2003年には、観光拠点施設である水木 しげる記念館を市が設立した。次の展開として、ブロンズ像が未設置のままになっていた松ヶ枝町 商店街にブロンズ像を増設し、充実を図りたいという要望が商店主から高まった。しかし、もはや市 には資金が残っておらず、 13

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新規組織を含めて当時存在した組織には整備できる見込みがなかった。市とつながりができてい たD 氏は、経営や企画力の手腕を見込まれて会社の一線から引退する2004年に、民営化された ばかりの観光協会会長の就任を請われた。協会長として、同年には市の内外からブロンズ像設置 のための資金を集め、800mのロードにおけるすべての範囲にブロンズ像を設置することに成功し た。一方振興会では、2005年に会員ならびに役員の構成が再編され、1998 年以降に新しくロー ドに出店した商店主らが役員として運営を行い、イベントの数を減らす一方で、駐車場の運営など ロードの空間面での管理、運営に軸足を移しつつある。また、D 氏を中心として企画、計画されるイ ベント等が活発化した。 以上の例のように、商店街、ならびに小規模な商店が存続し、繁栄するためには、様々な目的をも った組織が連携しあうこと以外に、自発的に商店の店主ひとりひとりが積極的にプロジェクトに参加 し、それだけでなく自らが発展のためにアイデアをだすことを惜しまないという姿勢が重要なものと なっていることが分かる。こうした商店街の中にある小規模な商店、飲食店であれば、そうでない立 地の飲食店よりも集客率、利益ともに上げることが可能であると思われる。

第三章 結論

以上の4つの仮説から、飲食店が存続していけるか否か、というのは個々の飲食店そのものの魅力 に依存しているわけではなく、店をだした店主の動機や、その土地の特性等も深く関わってくるとい うことが分かった。不動産を所有しており、そのため赤字を出すのを目的としている飲食店があると いうことや、大手居酒屋チェーン店の企業戦略の一環でジャンルの異なる店をローテーションのよ うに回しているという背景を考えると、いかに家賃や人件費を払って飲食店を経営するということが 難しいかということが分かった。この研究テーマを通して、一つの結果には様々な原因が絡んでい るものであるということを学んだ。最後に、大学2年の時から今まで、就職活動や卒業論文、様々な ことに御力添えを頂いた網倉先生に心から感謝の気持ちをのべて、卒業論文の最後とさせていた だきたいと思います。ありがとうございました、網倉ゼミでよかったと心から思える3 年間でした。

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参考文献

外食市場の経済的特性と飲食店の競争「独占的競争」市場としての外食市場

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jfsr1994/2/1/2_1_2/_article/-char/ja/

都市計画論文集 No.38-3 2003 年 10 月社団法人 日本都市計画学会 東京中心部における商業・業務活動の寿命推定―空間分布と業種別傾向―

Statistical Estimation of the Duration of Business in Central Tokyo―By Districts and Business Types― https://www.jstage.jst.go.jp/article/cpij1/38/0/38_0_23/_article/-char/ja/ 中心市街地再生における都市農業の可能性 ― 7 次産業化の時代 ― http://ci.nii.ac.jp/els/110009794654.pdf?id=ART0010292469&type=pdf&lang=en&host= cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1476856008&cp= http://food-ma.jp/faq/closing-rate-of-eateries/ http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000090.000001049.html http://www.columbus-egg.co.jp/knowhow/simulation_management.php https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/46/3/46_3_487/_article/-char/ja/ https://www.fc-hikaku.net/aisekiya_fc/2164 http://www.nikkei.com/article/DGXNZO51907400Z10C13A2L83000/ http://www.inshokuten.com/foodist/article/611/ https://www.zeiri4.com/ 15

参照

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