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イギリス・ロマン派研究

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[ 13 ]

ヒエログリフの比喩

―エラズマス・ダーウィンから引き継いだ伝統―

[A Metaphor of Hieroglyphics in P. B. Shelley’s A Defence of

Poetry: A Literary Heritage from Erasmus Darwin]

池 田 景 子

[Ikeda Keiko]

Synopsis

In his essay, A Defence of Poetry, P. B. Shelley compares poetry to hieroglyphics. The metaphor of hieroglyphics is used only once in this essay, but deciphering hieroglyphics is signifi cantly linked to creative actions in both Percy’s “Alastor” and Mary Shelley’s The Last Man. Particularly, in Defence, the metaphor of hieroglyphics directly touches the core of Percy Shelley’s theory on poetry. His theory focuses on the complicated relationship between poetic language and human thought. For Shelley, poetic language connotes visual ideas which create a neces-sary relationship between language and human thought. Thus, he seems to associate the quality of hieroglyphics with the visual one which builds the necessary relationship with human thought. On the other hand, he admits that language is arbitrarily associated with its referent. This is a dilemma in his poetic theory which makes it diffi cult to understand the metaphor of hieroglyphics. Though Tilottama Rajan successfully interprets the metaphor embodying both the possibility and the limit of visualized language, her discussion focuses on William Warburton’s in-fl uence on Shelley and then excludes other possible sources for Shelley’s view toward hieroglyphics. Critics have discussed whether Shelley is conscious of Warburton’s groundbreaking view of hieroglyphics which suggests hieroglyphics’ phonetic quality in the eighteenth century. Yet, this essay proposes that another source might be Erasmus Darwin since

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Darwin compares hieroglyphics to poetry in The Temple of Nature. Unlike Shelley, however, Darwin emphasizes the visual quality of hi-eroglyphics as animation of poetry. It is true Shelley adapts Darwin’s hieroglyphics to his theory on poetry, but we cannot deny that he is also conscious of other arguments on hieroglyphics. His contemporary arguments were divergent. Infl uenced by this historical background to the hieroglyphics arguments, Shelley’s view of hieroglyphics is recreated on the basis of his theory on language and view on the relationship between picture and poetry.

I

シャンポリオン(Jean-Francois Champollion)がヒエログリフ解読を公に したのは1822年9月27日、シェリーの死後わずか2か月後である。シャ ンポリオンによるロゼッタ石の解読以前、ヨーロッパではヒエログリフ誤 読の変遷史が古代ギリシア・ローマ時代から連綿と続いてきた。1 18世紀の 聖職者、ウィリアム・ウォーバートン(William Warburton)は当時としては 画期的にも、ヒエログリフを図から表音文字に至る発展の中間地点と位置 付けている(71–72)。だが、ルネサンス期にはヒエログリフは表音文字とし ての機能には一切焦点が当てられず、表意文字としてのみ捉えられていた (Raybould 170)。さらに、ヒエログリフに付された表意的・絵画的特質は 新プラトン主義や神秘主義のシンボリズムと結びつき、18・19世紀に入る と隠喩的に用いられていく(Dieckmann 31, 62, 68)。ゆえに、シャンポリ オンの解読はヒエログリフにおける音声記号の特質を確実に証明した点で、 大きな功績であった(Iversen 141)。

P. B. シェリー(P.B. Shelley)は評論『詩の弁護』(A Defense of Poetry)で 言葉をヒエログリフに喩える。『詩の弁護』の執筆は、シャンポリオンの解

読に直近する1821年2∼3月だが、批評家はシェリーのヒエログリフ観は

シャンポリオン以前の誤読の中に位置付けている。特に、ウィリアム・キー チ(William Keach)とティロッタマ・ラジャン(Tilottama Rajan)は、シェ リーがウォーバートンを意識して、ヒエログリフに表音文字の特質を認めて いたか否かを争点に、シェリーの言語観におけるポスト・モダン的革新性、 すなわち記号の任意性を論じる。だが、シェリーのヒエログリフ観はウォー

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バートンひとりを源泉としているとは限らない。また、『詩の弁護』におい てヒエログリフに関連する古代エジプトのコンテクストがないにも拘らず、 シェリーがその比喩を採用した理由についてはキーチもラジャンも触れてい ない。本論では『詩の弁護』におけるヒエログリフの比喩につながる源泉の ひとつに18世紀の詩人エラズマス・ダーウィン(Erasmus Darwin)がある と考える。この考察を踏まえ、シェリーのヒエログリフがシェリーの言語観 のみならず、詩と絵画の関係を表す重要な比喩であると立証したい。

II

『詩の弁護』においてヒエログリフの比喩が見られるのは一回限りである。 だが、それゆえにこの比喩は注目に値しないとするのは早計である。とい うのも、類似したモチーフがメアリ・シェリー(Mary Shelley)の『最後の人

間』(The Last Man)やパーシー・シェリーの「アラスター、あるいは孤独

の霊」( Alastor; Or, the Spirit of Solitude )に見られるからである。2 まず、 メアリの小説『最後の人間』に付された序文では、創造行為の筋書きの中に ヒエログリフ解読のモチーフが見られる。この序文は本文の物語が生まれた 経緯を語るメタフィクションの現場となっており、序文の語り手は1818年 に「連れ」とともにナポリの洞窟を訪れ、発見したシビルの葉に記された韻 文の「解読に従事」し、復元を試みる(4: 8)。3 このシビルの葉に含まれる のが、「ピラミッドと同じくらい古い、エジプトのヒエログリフ」である(4: 7)。また、この序文の物語は一人称の語り手によって進められ、1818年に おける、メアリと夫、パーシー・シェリーのナポリ旅行が下地になってい る。ゆえに、「連れ」がシビルの葉を解読・編集する途中で世を去った後に 語り手がひとりで解読・編集にあたる筋書きは、夫の死後に彼の作品を編集 したメアリ自身の った創作活動の軌跡を反映している(Ikeda 75–76)。こ の序文はメアリの創作活動もメタ・レベルで表象しており、ヒエログリフ解 読のモチーフが語り手の創作活動と関連して描かれているのは単なる偶然で はないだろう。ヒエログリフ解読のモチーフはパーシー・シェリー作品から 受容(解読・編集)され、メアリの小説の中で新たに結実した可能性がある。

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詩的インスピレーションをヒエログリフの解読に喩えるモチーフは、パー シー・シェリーの「アラスター、あるいは孤独の霊」にも見られる。4 本作 品で主人公の<詩人>は「未発見の土地で見知らぬ真理を模索する」ため旅 に出る。道中、<詩人>はアテネからバビロニア、エジプトを経由してエチ オピアへと遺跡巡りを行う(77)。5 エチオピアの遺跡寺院で、<詩人>は「強 烈なインスピレーションのように意味が己の空なる精神に閃」き(126–27)、 ひたすら「世界の揺籃期の記念碑」を見つめた末に「時の誕生の戦慄させる ような秘密」を認識する(121–22, 128)。この寺院では「死者が沈黙の思想 を沈黙の壁に飾り」、<詩人>も「これらの黙然とした姿を凝視する」のみで、 一切の言葉が発せられない(119–20, 123)。<詩人>が時の誕生に関わる秘密 の「意味」を直観し、詩的啓示を得るのは、視覚を通じてのみである(126)。 視覚によってのみ「意味」を直観する、<詩人>の認識行為は、ヒエログリ フを解読する行為を連想させるが(126)、この詩行はヒエログリフに直接言 及していない。また、<詩人>が詩的啓示を受けるのは「永遠のピラミッド」 があるエジプトではなく(111)、「雪花石膏でできた方尖塔、あるいは碧玉 の霊 、毀損されたスフィンクス」の存在するエチオピアである(113–14)。 だが、<詩人>は詩的啓示を受ける直前、ヒエログリフ解読を行ったとする、 この一見突飛な解釈にも首肯できる側面はある。 「アラスター」において<詩人>が、「時の誕生の戦慄させるような秘密」 を認識する直前(128)、エチオピアの寺院で凝視していたのは「世界の揺 籃期の記念碑」だった(121–22)。この寺院では「死者が沈黙の思想を沈黙 の壁に飾り」、「大理石のダイモンが十二宮図の真鍮製の神秘を見つめてい る」(119–20, 118–19)。19世紀フランスの思想家はエジプト占星学を学問 の原点とみなし、シェリーもその影響を受けた形跡がある。特に、歴史家、 コンスタンタン・フランソワ・ヴォルネー(Constantin Francois Volney)の 重要性は「アラスター」、『クィーン・マブ』(Queen Mab; A Philosophical Poem)や『イスラムの反乱』(The Revolt of Islam)において見逃せない。

ヴォルネーは1811年『滅亡、あるいは諸帝国の興亡概論』(The Ruins: Or

a Survey of the Revolutions of Empires)でエチオピアを「学問の揺籃地」

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このようなヴォルネーの記述は、パーシー・シェリーの「アラスター」にお けるエチオピアの寺院の描写と見事に一致している。6 また、ヴォルネーの 『滅亡』はメアリの『フランケンシュタイン』で怪物が読んでいた書物であ る(1: 89)。メアリの小説は1816年夏に構想が作られ、パーシーによる「ア ラスター」執筆の1815年の秋から初冬に近い。メアリとパーシーがヴォル ネーの『滅亡』に関して情報を共有していた可能性は高い。また、「アラス ター」で<詩人>の遺跡めぐりの最終目的地はエジプトではなくエチオピア に指定されている。ヴォルネーによると、エチオピアは上エジプトの前身 であり、アルファベットとヒエログリフの両方を使用していた(188–89n)。 ゆえに、「アラスター」の<詩人>が古代遺跡の中で詩的啓示を受ける直前、 凝視していたのはヒエログリフと考えるのはそれほど突飛ではない。このよ うに、ヒエログリフと詩の結びつきには恣意性がある。

III

メアリの『最後の人間』やパーシーの「アラスター」において、作家ない し詩人はヒエログリフの解読者である。一方、『詩の弁護』で詩人はヒエロ グリフを用いる表現者となり、ヒエログリフは、詩人の概念と表現の関係に 関わる、詩論の核心部分に触れる比喩である。シェリーによると、詩人の言 葉は想像力によって「任意に生み出され(arbitrarily produced)、概念との み関係性(relation)を持つ」(DP 513)。7 この議論を踏まえて、シェリーは 言語芸術と言語以外の芸術様式を比較し、言語芸術の優越を次の理由で強調 する。詩は言語以外の芸術様式よりも「さらに直接的に、われわれの内なる 存在の情熱や行動を表象したもの」である(DP 513)。つまり、言葉による 概念の表象は直接的で、光を「反射する鏡」だが、言語以外の芸術様式に よる表象は間接的で、その「光を弱めてしまう雲」である(DP 513)。両者 の違いは、芸術家の抱く「構想(conception)」と「表現(expression)」との 間に、直接性が見られるか、否かである(DP 513)。従って、雲(言語以外 の芸術様式)に比べると、鏡(詩の言葉)は、光(詩人の構想/概念)を弱める ことなく、表現できる。この直後、鏡の比喩は、ヒエログリフに取って代

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わられる。「彫刻家、画家、そして音楽家の名声は、これらの芸術の巨匠の

持つ能力が言葉を自らの概念のヒエログリフとして用いてきた者たち(those

who have employed language as the hieroglyphic of their thoughts)に幾分 たりとも劣ることがなかったとしても、限定された意味における詩人たちの 名声に匹敵することはなかった」(DP 513)。詩人と他の芸術家の名声を比 較するくだりで、「言葉を自らの概念のヒエログリフとして用いてきた者た ち」とは、言葉を表現媒体にする詩人を指し、詩人の言葉はヒエログリフに 喩えられている。この文脈上、ヒエログリフもまた、直前の鏡と同様、詩人 の概念を直接表現することになる。 一方で、シェリーは、詩人の抱く構想と言葉の間に乖離を認めている。ひ とたび詩作が始まれば霊感の光は衰退し、詩人の「もともと抱いていた構 想」は言葉で表された途端に、「弱々しい影」になってしまうからである(DP 531)。だが、詩人の言葉は精神内部に宿る「行動や情熱を組み合わせ」るこ とで、言語以外の芸術様式よりも芸術家の構想を「より直接的に表象」する ことが可能になる(DP 513)。つまり、詩人は「もともと抱いていた構想」 と自らの言葉との直接的関係を、想像力によって再構築できれば(DP 531)、 内奥にある詩想を、言語以外の芸術様式よりも直接的に言葉(ヒエログリフ) に映し出すことができる。そうすると、シェリーのヒエログリフは概念を直 接表す、図像的記号である。確かに、西洋の伝統の中で、ヒエログリフは記 号と概念の間に直接的関係を構築する、図像的記号としてみなされてきた (Dieckmann 31–32; Iversen 64)。一方で、キーチやラジャンは、詩人の言 葉が想像力によって「任意に生み出される」といったシェリーの主張に着眼 し(DP 513)、シェリーがソシュール(Ferdinand de Saussure)に代表される 20世紀のポスト ・ モダン的言語観に先駆け、言語記号の任意性を意識して いると解釈する(Keach 15–17; Rajan 281–84)。確かに、詩人が「もともと 抱いていた構想」と自らの言葉(ヒエログリフ)の関係を、想像力によって直 接的なものに再構築されるとしても(DP 531)、その言葉は想像力によって 「任意に生み出される」のである(DP 513)。18世紀に入って次第にヒエロ グリフに関する事実が明らかになり、ウォーバートンは画期的にもヒエログ リフをもはや単純な表意文字ではなく図から表音文字に至る発展の中間地点

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と位置付けたが、キーチは『詩の弁護』におけるヒエログリフがあくまでも 「絵画的直接性と統一性(a pictorial immediacy and unity)」を表す、と考え

る(Keach 19)。したがって、言語の任意性を意識していたシェリーが敢え てヒエログリフの比喩を用いて「議論を不鮮明にする必要はなかった」ので ある(Keach 19)。このように、キーチはシェリーのヒエログリフを図像的 記号と捉えることで、この比喩が『詩の弁護』で持つ意義を否定的に捉えて いる。 だが、ラジャンの解釈は、ヒエログリフの図像性を『詩の弁護』における シェリーの言語観と矛盾しないとする。シェリーにおいては、ウォーバートン と同様、ヒエログリフの図像性が象徴的表象を含み、音声記号に準ずる任意 性を持つため、「複数の事物を指示・表象」し得る(Rajan 291)。さらに、シェ リーの場合、ウォーバートンよりも、概念と言葉の結びつきを固定化せず、 ヒエログリフは「ひとつの記号に単一化されない」概念を持ち、記号として の任意性は高い(Rajan 291)。このように、ラジャンは、シェリーのヒエロ グリフを図像的記号とみなした上で、そこに記号としての直接性のみならず 任意性が含まれると解釈する。この解釈によって、キーチが否定的に捉えた ヒエログリフの比喩の意義が再評価されている。だが、部分的であれ、ヒエ ログリフに図像性(絵画的特質)を認め、その図像性が概念との直接的関係性 を築くのだとすると、詩人の言葉は絵画的特質によって、概念との直接的関 係を築くことになる。だが、シェリーは、絵画を含めた言語以外の芸術様式 との比較の中で、概念と言葉の直接的関係を詩の優越として強調している。 また、ラジャンのように、ヒエログリフと概念の関係にある一定の任意性を 認めた場合、ヒエログリフの図像性を部分的に否定し、絵画との区別が可能 になる一方で、絵画を凌ぐ詩の優越性も崩れる。このような矛盾を孕みなが ら、シェリーが敢えてヒエログリフの比喩を用いた理由を考察していく。

IV

『詩の弁護』において鏡の比喩の直後、ヒエログリフの比喩が用いられる 点については、文脈上、唐突な印象を払拭できない。だが、詩をヒエログ

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リフの絵画的特質に喩えたのはシェリーによる完全な創意ではない。ナン

シー・ムア・ゴスリー(Nancy Moore Goslee)は、シェリーの言語媒体によ

る表象が「図像テクスト(iconotexts or imagetexts)」をもとにしていると

指摘する(16)。この図像テクストの一例にヒエログリフがあり、シェリー

のヒエログリフ観を形成する源流のひとつにエラズマス・ダーウィンの『自 然の神殿』(The Temple of Nature)が挙げられる(Goslee 18)。シェリーに

とって、ダーウィンは偉大な先輩詩人のひとりであった。1811年7月28 日、シェリーは友人のトマス・ジェファソン・ホッグ(Thomas Jefferson Hogg)に「ダーウィンを読むのが楽しい」と漏らしている(LPBS 29)。8 ま た、1812年12月24日にシェリーはダーウィンの『自然の神殿』を注文 しており(LPBS 345)、1818年12月10日付の書簡で、ウィリアム・ゴド ウィン(William Godwin)もダーウィンを推薦図書として挙げている(LPBS 341n3)。このように、ダーウィンの神話や詩的イメージがシェリーにもた らした影響は大きい(Grabo 147; King-Hele 219)。 シェリーにおけるダーウィンの重要性として、ダーウィンがシンクレティ ズムの神話学に則ってヒエログリフを宗教や神話の源流とみなしていた点 がある(Goslee 18)。だが、両者の類似はシンクレティズムだけではない。 シェリーと同様、ダーウィンもヒエログリフを詩に喩えている。『自然の神 殿』第1歌(Canto I)の詩行は、文字が発明される以前の原始世界において 「エジプトの素朴な意匠」が「果てない海原からうら若いディオネの現れ出 た」神話的逸話を描出する(1.371–72)。9 この詩行に対する脚 で、ダー ウィンはヴィーナス、ヘラクレス、アドニスにまで言及し、「そのヒエログ リフ像(The hieroglyphic fi gure)」が神話を描出することを補足説明する。

ヴィーナスのヒエログリフ像(The hieroglyphic fi gure of Venus)は、ふ たりのトリトンのそばで貝の上に乗って支えられて海から現れ出る様を 表し、こん棒を持ったヘラクレスと同様に、最遠なる太古の遺物のよう に見える。[……]ヴィーナスは海から現れた有機的自然の美を表してい たと思われるが、後になって単に理想的美を表す寓意画になっていった。 他方で、アドニスの像は恐らく生命や活力といった抽象概念を表象する ために立案されていたのだろう。このようなヒエログリフの意匠(these

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hieroglyphic designs)の中にはエジプトの哲学者の学問における深い研究 を明らかにして、あらゆる書き言葉を超えて生き延びたものもあったよ うに思われる。そして、[このようなヒエログリフの意匠は、]上記の事 例における強さと美の意匠について言えば、未だにシンボルを構成してい るが、そのようなシンボルを用いて画家や詩人は抽象概念に形や生命力 (animation)を与えているのである。10 ダーウィンは『自然の神殿』の本文、脚 、補遺の の中で、hieroglyphic(s) を計13回用いているが、ヒエログリフの性格を詩と結び付けて言及してい るのは、上記の引用箇所に限られる。11 「上記の事例における強さと美の意 匠」とはヴィーナスやヘラクレスを表したヒエログリフの意匠であり、「画 家や詩人が抽象概念に形や生命力を与える」際に用いるシンボルとなってい る(TN 34n;1.372)。ダーウィンのヒエログリフは性格上、詩人の使う「シ ンボル」に相当し、詩に喩えられ、抽象概念に生命力を与える力を持つ(TN 34n;1.372)。 興味深いことに、シェリーも詩を絵に喩え、その生命力を無生命な抽象概 念と対照させて主張している。『詩の弁護』の目的は、ピーコック(Thomas

Love Peacock)に よ る 文 学 批 評、『 詩 の 四 つ の 時 代 』( The Four Ages of

Poetry )を受けて、当世の詩人を弁護し、その社会的貢献面を強調するこ とである。シェリーは、世代交代の中で新たな詩人が出現し、「人間の交 流といったより高貴な目的」に適う「完全な概念の絵(pictures of integral thoughts)」を完成させ(DP 512)、社会で預言者の役割を果たすと擁護す る。詩人がまとまりのない関連性を「新たに作り変えて(create afresh)」、 「完全な概念の絵」を完成できなければ、その言葉は、「概念の部分、もしく はその部類を表す記号」となってしまい、「人間の交流」も果たせず「死ん で」しまう(DP 512)。「記号」と「絵」は対比され(DP 512)、ジョン・ロッ ク(John Locke)を代表とするイギリス経験主義から影響を受けたシェリー が前者を「事実の総称」、すなわち無生命な抽象概念として批判し(Schulze 110)、後者に生命力を付与し、詩が社会で「人間の交流」を促すのに必要 な「隠喩的」特質と評価する(DP 512)。ダーウィンからシェリーへの影響 の大きさを考慮に入れると、シェリーがダーウィンの比喩を参考にして『詩

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の弁護』の中で詩を無生命な抽象概念と対比させ、生命力の備わったヒエロ グリフに喩えたとしても不自然ではない。 但し、『自然の神殿』の場合、ヒエログリフは画家と詩人の両方に喩えら れ、詩と絵画がその優劣なく並列されている。18世紀初めの詩論は擬人化 など視覚へ訴えかける技法に生命力を与える効果を見出し、ダーウィンも このような視覚重視の審美観と無関係ではない(Packham 195–96)。1791

年出版の『植物園』(The Botanic Garden)に収められた『植物の愛』( The Loves of the Plants )を見ると、その「幕間(Interlude)」は詩人と本屋の対 話形式で構成され、ダーウィンが詩人の姿を借りて自らの詩論を展開してい る。彼は詩と絵画の間に類縁関係を認め、「詩人は主に視覚に訴えるように 執筆し、散文作家は抽象用語をもっと沢山使っている」と主張する(48)。12 ダ ー ウ ィ ン に よ る と、 ポ ー プ(Alexander Pope)の「 ウ ィ ン ザ ー の 森 」 ( Windsor Forest )は韻文の悪例だが、表現を視覚に訴えるものに修正す るだけでその文章が格段に改善され、「詩になる」という( LP 48)。さら に、ダーウィンはエドワード・ギボン(Edward Gibbon)の『ローマ帝国興

亡史』(The History of the Decline and Fall of the Roman Empire)を例に挙

げ、たとえ散文が抽象的であったとしても、単語をひと工夫して、fullから

over-shadowedのように、視覚的イメージを喚起しやすい語に変更するだ

けでぐんと詩に近づき、抽象性の高い「散文に生命を与える(animates the

prose)」ことができる、と論じる( LP 48–49)。このように視覚に訴える 言葉が抽象性の高い散文に「生命を与える」効果は、ヒエログリフの絵画性

における審美上の効果―「抽象概念に形や生命力を与える(give form and

animation to abstracted ideas)」効果 ―を連想させる(TN 34n;1.372)。 このように、ダーウィンはヒエログリフの絵画性の中に絵画と詩の類縁性を

強調する18世紀の審美観を見出す。

V

『詩の弁護』においてヒエログリフの比喩が用いられる直前、詩の言葉は

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と強調される。このplasticには creative の意味と同時に(OED, a, 2.a)、

<造形>の意味もある(OED, a, 1, 4.a)。シェリーは、ヒエログリフの比喩を

用いる前にplasticとpictorialを同列に扱いつつ、「言葉と身振りは、造形

的、あるいは絵画的模倣(plastic or pictorial imitation)とともに、身の回り の対象とそのような対象に対する理解を組み合わせた効果を表す像となっ ている」と言う(DP 511)。詩人の力量は画家や彫刻家らよりも勝ると主張 する文脈にも拘わらず、「より創造的(more plastic)」特質を詩の言葉の中 に見出そうとするシェリーの態度には(DP 513)、言葉を絵画・彫刻と同列 にしてしまう、矛盾が見え隠れする。詩を絵画の sister art とする、詩学 上の伝統は、プラトン(Plato)の『パイドロス』(Phaedrus)やホラティウス

(Horace)の『詩学』(Ars Poetica)に端を発し、18世紀半ばまで続く(Plato 565; Horace 481)。だが、ロマン派の時代に、詩は絵画と距離を置き始め、 両者の類縁関係は、むしろ、それぞれの違いを際立たせるために、詩人や批 評家によって引き合いに出される。13 詩と絵画の類縁性と両者の差異は、ヒ エログリフの比喩が『詩の弁護』で孕む矛盾と一致する。詩の言葉が社会に 対して貢献する際、抽象概念の無生命な性質と対照的に、隠喩として生命力 を持ち、ダーウィンが『自然の神殿』で主張した、ヒエログリフの絵画的特 質に近づく。このように、詩が人間の交流といった社会の大義に向かって、 「完全な概念の絵」となるとしても(DP 512)、シェリー自身は詩人であり、 詩を絵画と区別し、絵画に勝る詩の特質を強調しようとする。したがって、 シェリーのヒエログリフは、ダーウィンのヒエログリフのように、生命力を 持つ一方で、その絵画性については部分的に否定することになる。詩と絵画 の関係に対するシェリーの態度が複雑であると同時に、ヒエログリフ自体が 連綿とした誤読の変遷史を背負っており、シェリーの時代はシャンポリオ ンの解読を前にして、ウォーバートンを代表とするように、ヒエログリフの 絵画的特質と音声記号の特質に関する議論が相克する過渡期にあった。シェ リーのヒエログリフも、このような議論の背景を受容し、詩と絵画の複雑な 関係性と対応しながら、『詩の弁護』の中ではシェリーの言語観や詩観の核 心に触れる、欠かせない比喩となっている。 (九州国際大学准教授)

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本論考は2013年度日本バイロン協会談話会(2013年7月20日、於国際文化会 館)での口頭発表を加筆・修正したものである。

Notes

1 e.g. Dieckmann 1–2; Iversen 38; Pope 10. 2 P. B.

シェリーの呼称は、メアリ・シェリーと比較する際「パーシー・シェ リー」とするが、P. B. シェリー単独で論じる際には、「シェリー」で通すことに する。

3

メ ア リ の 小 説 はJane Blumberg and Nora Crook, eds, The Novels and

Selected Works of Mary Shelley, 8 vols.(London: Pickering, 1996)に拠る。 4 Beer 64, 311n62; Ferber 25; Fricke 175–76; Sperry 28.

5

「アラスター」はDonald H. Reiman, Neil Fraistat and Nora Crook, eds,

The Complete Poetry of Percy Bysshe Shelley, vol. 3(Baltimore: Johns Hopkins UP, 2012)に拠る。

6 Curran 228n81; Colbert 25; Cameron 175–206; Hogle 154.

7『詩の弁護』はDonald H. Reiman and Neil Fraistat, eds, Shelleys Poetry and Prose(NY: Norton, 2002)に拠り、DPと略記。

8 Frederick L. Jones, ed, The Letters of Percy Bysshe Shelley, vol. 1(Oxford: Oxford UP, 1964)に拠り、LPBS と略記。

9

本論考で引用する『自然の神殿』の内容は1803、1804、1806年版の間 で差異がないため、The Temple of Nature; Or the Origin of Society: A Poem with Philosophical Notes(London: Johnson, 1803)に拠り、TNと略記。作品本 文(詩行)からの引用は、第1歌371–72行は、1.371–72の如く明記。 10 TN 34n;1.372. 脚 からの引用は、第1歌本文372行目に対する、34頁 記載の脚 は、TN 34n;1.372の如く明記。 11 本 文 はTN 1.368、 脚 はTN 8n;1.76, 9n;1.83, 13n;1.137, 15n;1.176,

47n;2.47, 162n;4.411、 補 遺 の (Additional Notes)はTN, Additional Note

VI, 21;1.371とAdditional Note X, 42;2.140を参照。補遺の からの引用は、 第1歌本文371行目に対する、補遺の VIの21頁は、TN, Additional Note

VI, 21;1.371の如く明記。

12『植物の愛』は The Loves of the Plants, The Botanic Garden: A Poem in Two Parts(London: Johnson, 1791)に拠り、 LP と略記。

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Works Cited

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参照

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