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Poeを読むFaulknerを読む/読まないOates アメリカン・ゴシック小説を巡る一考察-香川大学学術情報リポジトリ

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Poe を読む Faulkner を読む/読まない Oates

アメリカン・ゴシック小説を巡る一考察

山 内   玲

Abstract

This paper aims at examining the intertextuality of Edgar Allen Poe s The Black Cat, William Faulkner s A Rose for Emily, and Joyce Carol Oates s The Temple within the context of American gothic criticism. When she anthologized The Black Cat and A Rose for Emily in the collection of stories, American

Gothic Tales (1996), Oates added her own story The Temple to its selection, a story rewriting the theme of femininity in these two earlier gothic tales written by the male writers, thus contributing to reexamination of the canonical American literary history and reevaluation of women writers. On the other hand, however, Oates didn t give due consideration to racial blackness in American gothic fiction, whose invisibility in the guise of esoteric darkness has recently attracted attention from critics. A close reading of A Rose for Emily reveals that Oates s intertextual rewriting of femininity repeats the pattern of marginalizing black characters and their

realism in the grotesque mode of gothic fiction. 1

 1996年に作家 Joyce Carol Oates (1938 )の編纂によって出版された American Gothic Tales (以下 『アメリカン・ゴシック物語集』)は、色々な意味でアメリカ文学研究の一部をなすアメリカン・ゴ シック研究の縮図となっている。46人の作家の作品からなるこの本は、基本的には短編小説のア ンソロジーではあるものの、初めにアメリカン・ゴシックの祖として定評のあるCharles Brockden Brown (1771 1810)の長編小説Wieland (1798)からの抜粋を収録し、Nathaniel Hawthorne (1804 64) やHerman Melville (1819 91)といったアメリカ文学史のキャノンに含まれる作家の短編を収めてい る。同時にリアリズムの作家として文学史に名を連ねるHenry James (1843 1916)やEdith Wharton (1862 1937)の名も窺われるものの、収録された短編は文学史の教科書では黙殺される幽霊譚であ

り、主に超自然的な出来事を題材とし、正統的な文学史から逸脱するゴシック小説の性格を体現し ていると言える。実際、このアンソロジーは、文学史の教科書には滅多に出てこない怪奇小説作家 H.P. Lovecraft (1890 1937)や、Ray Bradbury (1920 2012)、Stephen King (1947 )、Anne Rice (1941 ) などの現代作家などの作品も収録し、高尚な文学と低俗な大衆小説といった区分を曖昧にするかの

 本稿は、科学研究費補助金基盤研究B「亡霊たちの近代」平成23年度第2回研究集会(平成24年1月28日 於

香川大学)における講演「ポーを読むフォークナーを読むオーツ」の発表原稿に基づき、修正と改稿を施した ものである。

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ごとき様相を示している。さらには、John Cheever (1912 82)や日本では村上春樹の翻訳で知られ るRaymond Carver (1938 88)など、通常リアリズム作家としてその名が知られ、ゴシック小説のア ンソロジーにはおよそ似つかわしくないはずの作家の短編まで収録されている。他方、1970年代以 降のフェミニズム批評による再評価によって文学史のキャノンに加わることになった作品にも目配 りし、アメリカ女性ゴシックの起源的存在とも評されるCharlotte Perkins Gilman (1860 1935)の The

Yellow Wallpaper(1892、以下「黄色い壁紙」)を始めとし、女性作家の短編も挙げている。オーツ によれば、アメリカン・ゴシック小説の歴史的な概観を示しつつ、自分の好きな、特徴の際だった 短編を選ぶのが編者の意図であったということだが( Introduction 8)、同時にこうした多種多様な 作家の作品が入り乱れることは、文学におけるゴシックというジャンルの枠組みの曖昧さという問 題を示している。  裏返してみれば、オーツはアメリカン・ゴシック小説を巡る批評の輪郭の曖昧さを活用し、自分 のお気に入りの短編による通時的な見取り図を提示しているとも取れるのだが、興味深いのはその ような系譜をいわゆる間テクスト性によって示すその示し方である。オーツは、アメリカ文学史に おいて未だその輝きを失わないWilliam Faulkner (1897 1962)について語るにあたり、アメリカン・ ゴシックを論じる上で語ることなしにはできないEdgar Allen Poe (1809 49)を引き合いに出しつつ、 次のように述べている。

    William Faulkner has long been recognized as sui generis, beyond taxonomy: is Faulkner a realist? a naturalist? a symbolist? There is no mistaking the influence of Poe in Faulkner s most famous short story, A Rose for Emily ; but one might argue that the gothic influence is ubiquitous in Faulkner s work, frequently transmogrified as a wild, lurid, demonic humor. (Oates Introduction 8 Original Italics)

ここで強調したいのは、フォークナーの代表的な短編である A Rose for Emily (1930、 以下「エミ リー」)をアメリカン・ゴシックの系譜において挙げるにあたり、ポーの影響を指摘している点で ある。この影響関係自体は多くの論者が指摘してきたことであるが、とりわけオーツの指摘が際立 つのはこの問題をアンソロジーの編纂方法において浮き彫りにした点にある。オーツはポーとゴ シックという文脈でほぼ必ず最初に挙がるであろう The Fall of the House of Usher(1839)ではなく、

The Black Cat(1843、以下「黒猫」)を『アメリカン・ゴシック物語集』に収録することにより、フォー

クナーとの、とりわけ「エミリー」との連続性を示した。こうしたオーツの意識がより明確になる のは、このアンソロジーのために、これら二作品に対する一種のオマージュとして書かれた The Temple(1996、以下「聖堂」)である。この三頁の掌編のあらすじは、ある女性が家の外の庭から 猫のような鳴き声や何かをひっかく音が聞こえたので、そこを掘り返してみると、数十年も前に埋 められたであろう子供の白骨死体が見つかり、バラバラの骨をかき集めて人の形を作り、ベッドの そばに死ぬまで横たわらせていた、というものである。主要な出来事を拾うだけでも、猫の鳴き声 によって妻の死体を暴くことになった「黒猫」や、自分の恋人の遺体と床を共にしていたことが結 末で暴かれる「エミリー」を想起させるのは言うまでもない。後に詳らかにするように、このオマー ジュ的な掌編は、アメリカン・ゴシックの系譜を女性性という見地から問い直すというオーツのゴ シック小説の読み手としての姿勢を暗示している。  他方、オーツの「黒猫」や「エミリー」の読み方は、『アメリカン・ゴシック物語集』が出版された 1996年前後のアメリカン・ゴシック批評の展開を別の形で逆照射する。この問題を考えるにあたり、 アフリカ系アメリカ人の短編の掲載を巡る序文の記述を見てみよう。

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    I would have liked to include more stories by African-Americans and other American ethnic writers, but the gothic has not been a popular mode among such writers, for the obvious reason that the real --- the America of social, political, and moral immediacy --- is irresistibly compelling at this stage of their history. (Oates Introduction 8-9)

こうした弁明が、当時進行していた白人中心のアメリカ文学史の見直しに対する意識の表れである ことは言うまでもない。だがここで指摘しておくべきは、いわゆる政治的正しさに対する編者のお 定まりの配慮ではなく、 gothic と real を対立させるオーツのゴシック小説観である。社会・政治・ 道義的な切実さという「現実」が差し迫る人種的・民族的少数派に属する作家にとって、基本的に 超自然的な怪奇現象を扱う「ゴシック」というジャンルが向いていないという理由を「明らかな」も のとして挙げたとき、果たしてオーツは1990年代に議論されてきたマイノリティの(表象の)他者 化という問題をどの程度意識していただろうか。奴隷制下における黒人女性の物語を母に殺された 娘の幽霊を軸に展開するという意味で、怪奇小説とも言えるBeloved (1986)を書いたToni Morrison (1931 )が、Playing in the Dark (1992)において指摘したのは、白人作家の作品において「黒さ」と いう曖昧な表象の下で不可視化されるアフリカ系アメリカ人の問題であった。それを契機として 1990年代のアメリカン・ゴシック批評は「ゴシック」的な物語に潜在する人種問題へと注意を向け ていったのであり、結論を先取りして言えば、「聖堂」は、「黒猫」や「エミリー」に潜在する人種問 題に触れないというその事実によって、作中で不可視化されている人種問題をその歴史的文脈との 関係性から顕在化する当時のアメリカン・ゴシック批評の趨勢と表裏一体をなしているのである。  以上のアメリカン・ゴシック批評における人種とジェンダーの問題を踏まえた上で、本稿は「黒 猫」と「エミリー」の関係をオーツの掌編を媒介として読み解くことを目的とする。まずアメリカン・ ゴシック批評の展開を概観し、その上で作品の比較対照を行ないつつ、これら3篇の間テクスト性 を明らかにしていく。そこから明らかになるのは、人種問題に言及する際に gothic と real という ジャンル区分が採用される状況に内在する創作と白人性の関係である。 2  幽霊・廃墟といったゴシック小説の指標的要素をリストアップして、ある作品を〈ゴシック的〉 と名指すのが比較的容易であるのに対し、ゴシック小説とは何かという定義を行なうのは非常に難 しい。文学史的に言えば、18世紀後半、イギリスで生じたゴシック・リヴァイヴァルに呼応して陸 続と出版された小説を挙げることはできるが、その後の〈ゴシック的〉と名指される小説の多様さ を鑑みるに、現在に至るまでゴシック小説という定義は拡散し曖昧になったと言える。1アメリカ ン・ゴシック小説ともう一つ形容詞がつくと、さらに事態は複雑になり、アメリカン・ゴシック小 説とは何かという定義を示すことの困難さは、これまでの先行研究の示すところである。2そこで、 アメリカン・ゴシック批評の動向を素描するのにあたり、定義を行なう作業を迂回して、アメリカ ン・ゴシック小説がどのように語られてきたのかについて素描することで、その輪郭を見定めたい。 まず議論の参照点として引用したいのが、八木敏雄『アメリカン・ゴシックの水脈』における次の 定義である。 1  イギリスのゴシック小説の興隆と、その後のゴシック小説の枠組みの拡大と曖昧化という点については、

Fred Botting Gothic(1996)の議論に依拠している。

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   英国のゴシック小説は新古典主義の抑圧と拘束に対するロマン主義的反抗の産物であり、そ の主人公たち(たいていは悪党)の「悪の力」は、個人の情熱や意思と社会の因習、見地、伝 統などの統制や圧力との衝突のエネルギーに由来するけれども、個人の原罪意識に由来する ことはあまりないように思われる。[中略]アメリカン・ゴシックが追及する人間の領域は 「外」より「内」であり、その恐怖も肉体的・社会的恐怖というより心理的・宗教的恐怖であっ て、これはアメリカ初の本格的小説『ウィーランド』の特色でもあった。(八木 75) ここで確認しておきたいのは、アメリカン・ゴシック小説の議論における二つの典型的な特徴であ る。一点目は、ゴシック小説というジャンルの発生地である英国との比較を行ないつつも、アメリ カン・ゴシックの独自性を強調している点であり、二点目は、内面・心理的な問題の追求を重視し ている点である。  一点目の特徴について指摘しておくべきことは、ゴシック小説というジャンルの歴史的な由来よ りも、国家形成の歴史に結びつく正統的なアメリカ文学史の言説との関係である。アメリカ合衆国 がイギリス植民地から作られた国家であり、イギリス・ヨーロッパからの違いを強調して新しさと 若さを謳う国家のアイデンティティ形成に19世紀までのアメリカ文学が結びついていることは多く の論者の述べてきた所である。〈アメリカの〉ゴシックを語る際にも、単にイギリス本国から派生 したという説明にとどまらず、その独自性を強調する姿勢において、正統的なアメリカ文学史の言 説と軌を一にしている。とはいえ、20世紀前半のアメリカ文学のキャノンの形成期において、ゴ シック小説はその正典形成から排除されていた。3アメリカン・ゴシックという語が文学史の中で

定着する契機となったのが、Leslie FiedlerのLove and Death in American Literature (1960)である。大 衆文化にも目配りの届く議論を行なう批評家フィードラーは、その名も Charles Brockden and the

Invention of the American Gothic という章で、ブラウンの『ウィーランド』をヨーロッパから入って

きたゴシック小説の系譜に位置づけながら、アメリカ小説の起源として取り上げると同時に、アメ リカン・ゴシックの起源であると論じている(126 161)。  フィードラーの著書は、その批評の内容だけでなく方法においても、心理・内面性の重視という アメリカン・ゴシック批評をめぐる言説を特徴づける。フィードラーの議論は、いわゆる神話批評 と呼びうるもので、フロイト派・ユング派の思想をアメリカ文学の議論に採用している。アメリカ ン・ゴシックに心理学的解釈を施すことへの批判がなかったわけでもないが、4フィードラーのとっ  Godduによれば、ゴシック的な要素は大衆小説と結びつきやすく、それゆえに高尚なものを上位とする文 学史のヒエラルキーにおいて、下位とみなされて無視されてきた(5 6)。例えば、19世紀アメリカ文学のキャ ノン形成に寄与したF.O. MatthiessenのAmerican Renaissance(1941)では、アメリカン・ゴシック小説の代表 格であったPoeが註でたった一行だけ触れられていない。同じくキャノン形成に寄与したRichard ChaseのThe

American Novel and its Tradition(1957)では、イギリスのノヴェルと対比してロマンスをアメリカの特徴的な ジャンルとしたホーソンの定義を取り上げて、アメリカ文学の独自性を主張しているものの、Nina Baymに よれば、ホーソンの生きた時代のアメリカでは、ロマンスという語はむしろ大衆的な意味合いで使われる など、雑多な使われ方をしていたのであり、ホーソンのロマンスという語の使い方は彼一人の独自のもので あった(430 38)。ベイムの議論を受けてゴドゥは、ロマンスという語が今でいうところのゴシックに特徴的 な要素を意味していたのであり、それにもかかわらず、超自然的な要素などを説明するのに、ゴシックとい う語が排除され、その代わりに闇や黒さという深遠なイメージを示す語が使われてきたと指摘する(6)。 4  Donald A. Ringe は、心理学者のいわゆる無意識の発見にゴシック作家が寄与したことを指摘しつつも、 フィードラーの方法論の一貫性のなさを批判的に言及しつつ、19世紀アメリカのゴシック小説を20世紀の心 理学の学説の枠組みから論じることを批判している。(11, 194n17)

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たアプローチが、アメリカン・ゴシック小説の特徴として心理・内面性の追求を挙げる批評的言説 を代表しているというのは間違いない。それに加えて確認しておきたいのは、心理学的解釈に付随 して生じる所の、ゴシック小説における現実逃避的な性格を指摘する傾向である。例えば、ゴシッ ク小説全般について述べたことではあるが、先に引用した『アメリカン・ゴシックの水脈』において、 八木はフロイトの文明論を参照しながら、ゴシック小説の読者が恐怖を楽しむ安全圏を担保してい ると主張している(249 50)。つまり内面性重視という批評の傾向は、アメリカン・ゴシックを外 部すなわち社会的な問題からの逃避と評する傾向と表裏一体の関係にあると言える。  言い換えるなら、内面性の重視という性格を強調するアメリカン・ゴシック批評は、社会的な問 題を排する非歴史的な批評の言説であったとも言えるのだが、注意すべきは心理学的解釈というア プローチ自体が、1980年代以降のフェミニズム批評や新歴史主義的批評の展開を経て、抑圧という 心理学的解釈の主題を社会的文脈に置いて考察する方向に向かったことである。フェミニズム批評 の文脈で言えば、Elaine Showalterが、 American Female Gothic (1990)において、家父長制社会で 抑圧を受ける中産階級の女性の問題をゴシック的に描き出す女性作家に光を当て、既にフェミニズ ム批評の文脈で評価の定まったギルマンの 「黄色い壁紙」をアメリカン・ゴシックの系譜に位置 づけた。さらにショーウォルターはギルマンを起点としてアメリカ女性ゴシックの系譜を示す過 程で、オーツを女性ゴシック作家として挙げた上で、その代表的短編 Where Have You Been? Where

Are You Going?(1966)を題材に取り、「黄色い壁紙」に代表される女性のヒステリーというゴシッ

ク的主題とは一線を画したその特徴について、次のように述べている。

    Oates does not see the Gothic as a revelation of female hysteria, but rather as the indictment of an American social disorder, the romanticization of the violent psychopath and serial killer. (Showalter 140) この引用は、オーツの作品の多くに見られる男性の暴力と、その極端なデフォルメとしての殺人者 について議論している箇所からのもので、ポーの「黒猫」の語り手のような暴力的な男性を描いて 物語を成立させるという意味で男性ゴシック作家との類似性を持ちながらも、そうした男性像を許 容する男性作家のゴシック小説への批評性を持つという意味での差異があると指摘している。他方 アメリカ合衆国の文脈で社会的に抑圧された存在として、黒人の問題、とりわけ19世紀における奴 隷制の問題を、アメリカ合衆国の国家的なナラティヴにおける抑圧の回帰としてとらえた研究が 1990年代以降台頭してきた。この潮流は、先にも言及したように、アメリカ文学史で闇や黒さと いった深淵だが抽象化されたモチーフの下で、黒人の問題が不可視にされていると批判して白人作 家のアメリカ文学を読み直したモリソンの議論に多大な影響を受けており、後に詳らかにするよう に、当時の奴隷と中産階級の女性に対する抑圧の表象として、「黒猫」を読むといった議論などが その典型と言える。  以上の点をまとめると、内面性の追求という主題やそれを強調する心理学的解釈の下で排除され た社会的文脈を、〈抑圧されたものの回帰〉という形で見出していくのが、『アメリカン・ゴシック 物語集』の出版された1990年代のアメリカン・ゴシック批評の趨勢だったと言えるだろう。このよ うな批評の動向においてこのアンソロジーの編纂方法を考えると、「黒猫」と「エミリー」の連続性 を見出し、「聖堂」という掌編を加えることで新たな間テクスト性を示そうとするオーツの読解は どのような意義を持つのか。この点を念頭に置いた上で、以下これら3篇の比較分析を行なってい きたい。

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3  オーツが「聖堂」で示した間テクスト性を論じるのに先立ち、まずは「黒猫」と「エミリー」のあら すじを確認しておこう。「黒猫」は、Plutoという黒猫を飼っている男性が一人称で語る短編である。 この語り手は酒が入る度にこのペットを虐待していたのだが、ある日猫の反抗を受けてかっとな り、目をくり抜いて首吊りにして殺す。その後、火事が起こりその焼跡には首を吊った猫の像が白 く残り、殺害現場を想起させる。引っ越した先で新たに隻眼の黒猫を飼い始めると、胸元に絞首台 の形をした白い斑点があることに気づき、手斧で猫を殺そうとするのだが、自分を制止する妻を殺 してしまい、漆喰の壁に埋めて死体を隠す。その後行方不明になった妻の捜査で警官がやってくる と、壁から聞こえる子供のようなすすり声が聞こえ、壁に塗り込められた猫が妻の死体のありかを 知らせてしまうという結末で物語は幕を閉じる。  殺人によって生じた死体の隠匿と発見という出来事は「エミリー」でも反復される。Emily Griersonの葬儀から始まるこの短編は、weという一人称複数形の語り手の視点から過去のエミリー の生涯を回想するという形で展開していく。かつての名門の一人娘として生まれ、あらゆる求婚者 をはねつける父のもとで育てられ父の死後も独身者として通すものの、北部からやってきた流れ 者の労働者Homer Baronとの恋愛というスキャンダルで街を騒がせる。その恋人もある時期を境に ぷっつりと姿をけし、同時期に屋敷から腐臭が漂ってくるのだが、その原因は分からない。その後 エミリーの世話をする黒人召使Tobeを除いては、屋敷に足を伸ばす人の数も減り、屋敷に閉じこ もったままその生涯を終える。そして、葬儀の後、町の住人が屋敷の中に眠っている秘密を探り当 てようと屋敷に入り込むと、エミリーの寝室にはかつての恋人のものと思しき白骨死体があり、そ の枕元には彼女の白髪が一筋残されているという結末で終わる。  死体の隠匿とその秘密の開示という点で結末は似ているものの、おそらくフォークナーは「黒猫」 という先行作品を意識した上で、死体の枕元に残された髪の毛という一ひねりを加えている。これ はエミリーが恋人の死体と床を共にしていたという死体嗜好症の可能性を暗示するもので、死体の 隠匿に加え、いわゆる異常性愛によって強調される女性性の主題を示している。恋人を逃がしたく ないという気持ちが昂じて、殺鼠用のヒ素で恋人を死に至らしめ、自分の寝室に閉じ込めるという 展開は、父親による性的抑圧という見地から心理学的な解釈がなされることもあるが、ここで強調 したいのは閉じ込められていた者が閉じ込める者へと変貌するという逆転現象である。夫に殺され る妻という「黒猫」の構図と比較するならば、家父長制下の男性の女性に対する暴力性を誇張する ポーの短編に対し、その女性に対する暴力的な抑圧が恋人の束縛という形で転移していると読むこ ともできる。この点で興味深いのは、先にも触れたギルマンの「黄色い壁紙」との間に見出しうる 対照関係である。フェミニズム批評によるキャノンの見直しの文脈で再評価を受けたこの短編は、 部屋に監禁される女性の物語であり、床を這いつくばる女性と、それにおののく夫の姿で幕を閉じ る結末に、空間的な束縛のみならず狂気という形もとって顕在化する中産階級の白人女性の心理的 な抑圧を読み解くことはひとまず妥当な解釈と言えるだろう。幽閉というモチーフから指摘してお くべきは、女性が男性の恋人を閉じ込めるという「エミリー」の構図が「黄色い壁紙」の夫が妻を閉 じ込めるという構図と見事に対照を成していることである。後者の場合、女性を閉じ込める場合は 生かしたままで閉じ込めておくことができるのに対し、前者の場合、女性が男性を閉じ込めるため には殺さなければならなかったという違いがあり、こうした対比的な構図に男女のジェンダーの非 対称性を見出すことは可能である。  しかしながら、「黒猫」と「エミリー」という二作品の連続性を意識して短編集を編んだオーツは、 先に触れたように暴力という男性性の特徴を極度にデフォルメして批判的に示す作家と評されては いるものの、「聖堂」においては両作品に共通する暴力そのものを前景化することはなく、先行作

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品との差異を織り込みながら女性性の問題を読み替えていく。猫のような声を聴き、庭の畑に埋 まっていたのが子どもの白骨死体であったという点で、「黒猫」では like the sobbing of a child (Poe 86)という単なるたとえであったのに対し、本当に子どもの死体が出てくるという形で脚色を加 えている。また、その子供の骨の断片をかき集めて人間の形にしてベッドの傍らに置いて床につ くという行為も、明らかに恋人の白骨死体のそばに横たわっていたであろうエミリーを連想させ るものの、骸骨の記述ではあるが Not a hair remained (Oates 348)と言及することにより、「エミ リー」の結末で仄めかされるような扇情的な性愛をほのめかすものではない、と言わんばかりの差 異化のメッセージを暗示する。こうした差異化の延長上に見出しうる先行作品の読み替えという見 地から強調したいのは、母娘の関係を前景化しているということである。「黒猫」が家庭内暴力の 極致としての妻の殺害、「エミリー」が父娘の支配的な関係といずれも家父長制的な枠組みを基盤 としているのに対し、「聖堂」は母の庭に埋まっていた子供の骨という形で、母娘のつながりを示 す。また子供の頭蓋骨の眼窩を描く筆致も、「黒猫」で目をえぐられた猫を想起させるものの、 The woman lifted the skull to stare into the sockets as if staring into mirror-eyes, eyes of an eerie transparency (Oates 348)と描くことにより、Claire Kahaneが「ゴシックの鏡」と呼ぶ、女性作家のゴシック小説

に見出されるところの、母娘の結びつき特有の自他の境界を揺るがす要素(334 51)を想起させる。 「鏡の眼」という記述が女性の姿を写し出していると考えると、その子供の白骨が女性自身であ

り、母体を象徴する母の庭に埋まっていた娘という解釈も可能になるだろう。確かに I will never

abandon you(Oates 348)という女性の言葉など、かつて自分が捨てられた存在であるかのように

考える心情を見出すことができ、女性自身の母親との関係を暗示するかのような箇所もある。だが 同時に「薄気味悪く透き通る眼」と言葉が続くことにより、骸骨の虚ろな眼窩はかつて母親の赤子 であった女性自身の投影の暗示で終わることなく、子供の骸骨をかき集めてその女性が母親のよう にふるまう結末につながる。このような展開に伺われるのは、「黒猫」や「エミリー」の女性作中人 物には見出しえない母性のテーマを描くことにより、先行するゴシック小説へのオマージュを示し つつも、女性ゴシック小説に特有のモチーフに読み替えていく小説家オーツの姿勢である。  言い換えるなら、オーツは 「聖堂」において「黒猫」や「エミリー」のような男性作家のゴシック 小説で黙殺されてきた母性や母娘の関係などの女性の問題を顕在化したとも言えるのだが、ここで 考察を加えてみたいのは二つの短編に共通して潜在的なモチーフとしてありながらもオーツがその 掌編で読み替えを行なわなかった人種問題である。「黒猫」と「エミリー」はともに人種問題を前景 化した短編ではないが、「黒猫」の場合は猫が同時代の歴史的文脈を、「エミリー」の場合黒人召使 の存在にそれぞれ人種問題を見出すことができる。先にも触れたとおり、アメリカン・ゴシック批 評という文脈では、「黒猫」を出版当時の黒人奴隷をめぐる言説の表象として読み解く解釈が示さ れている。Lesley Ginsburgによれば、「黒猫」が出版された1840年代当時は、1833年のNut Turnerの 叛乱によって掻き立てられた黒人奴隷に対する恐怖があり、他方で南部白人は黒人奴隷を白人の良 き家族とみなす言説を打ち立て、奴隷解放論者に対抗しようとしていた。ギンズバーグは、「黒猫」 の黒さを黒人の暗喩として読み解くにあたり、黒人と動物をパラレルにみる白人社会の差別的言説 を示したり、当時のペットをめぐるパンフレットに流通していた飼い主とペットの関係に、奴隷所 有者の主人と奴隷の関係を見出したりするなど、同時代に流通していた言説の文脈に「黒猫」を置 き議論を展開している(Ginsburg 99 128)。  他方、南部作家の代名詞であり人種問題を扱った作品を多数書いたフォークナーの代表的短編 「エミリー」は、人種問題を前面に出した作品ではないが、ゴシック的要素を手掛かりにして読み 解くと、アメリカン・ゴシック批評で問題化された人種問題のテーマを興味深い形で提示する。こ の点を検討するにあたり、まずは作中のゴシック的な要素を確認しておこう。

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    When Miss Emily Grierson died, our whole town went to her funeral: the men through a sort of respectful affection for a fallen monument, the women mostly out of curiosity to see the inside of her house, which no one save an old manservant--a combined gardener and cook--had seen in at least ten years. (Faulkner A Rose 182)

この作品冒頭からの引用で注目すべきは、 a fallen monument という語句である。これは旧名門の 一族の末裔であり、かつ古き良き南部の象徴とみなされていたエミリーを称して、街の声の代弁者 である一人称複数の語り手が「朽ち果てた記念碑」と評していると取れる。  字義通り取れば、過去の栄光を無残にも残す廃墟といったゴシック的な雰囲気を喚起する冒頭と なっているわけだが、ここで留意しておきたいのは、fallenという語の意味の二重性である。短編 を読み進めていくと、街中で流れ者の労働者との浮名を流すエミリーを揶揄して、古い世代の人々 は、 fallen (Faulkner A Rose 186)と評し、いわゆるfallen woman (身持ちの悪い女性)とみている。 このような物語の展開を考えると、冒頭の語句はゴシック的要素に女性の性愛という主題を加える ことを暗示しているとも言える。

 ゴシック的なイメージと性愛という主題の結びつきは、エミリーが作中に初登場する場面でも反 復的に示される。

    They rose when she entered--a small, fat woman in black, with a thin gold chain descending to her waist and vanishing into her belt, leaning on an ebony cane with a tarnished gold head. Her skeleton was small and spare; perhaps that was why what would have been merely plumpness in another was obesity in her. She looked bloated, like a body long submerged in motionless water, and of that pallid hue. Her eyes, lost in the fatty ridges of her face, looked like two small pieces of coal pressed into a lump of dough as they moved from one face to another while the visitors stated their errand. (Faulkner A Rose 183 下線は引用者による)

こうした身体描写は、骸骨を想起させることで死体のイメージを喚起し、対照的に描かれる肥満の 様子も水死体のイメージを呼び起こすことにより、ゴシック的な雰囲気を醸し出している。さらに 指摘しておきたいのは、エミリーの肥満体がある批評家たちには ghoulish (Skei 156; Stone 97)と いう印象をもたらしている点である。実際作中で断片的に語られる出来事を整理すると、エミリー が太りだしたのは恋人のバロンを死に至らしめ、自分の寝室に閉じ込めた時期と合致する。こうし た同時性は、廃墟や水死体のイメージと相まって、食屍鬼の印象を裏打ちし、死体嗜好症の可能性 を喚起する結末に至るまで、女性の性愛という主題をグロテスクに示すという意味でのゴシック的 な語りの一貫性を保つのに寄与している。  しかしながら、人種問題という点から注意しておきたいのは、ゴシック的な雰囲気が強調される ために軽視してしまうリアリズムの問題である。エミリーが太りだした時期に生じたあるエピソー ドを見てみよう。

    A few of the ladies had the temerity to call, but were not received, and the only sign of life about the place was the Negro man --a young man then--going in and out with a market basket.

     Just as if a man--any man--could keep a kitchen properly, the ladies said; so they were not surprised when the smell developed. (Faulkner A Rose 184)

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この引用は、恋人のホーマーが蒸発した後、つまり死んで寝室に閉じ込められた後、エミリーが自 分の屋敷に引きこもって外界との接触を断つようになった後の記述で、彼女の世話をする黒人召使 トゥビーの様子が町の住人の視点から描かれている。町の女性たちは買い物籠を下げて街を歩く様 子から男性が厨房に立つことを揶揄しているが、ここで強調したいのは、太りだした時期の食事を 作っていたのがこの黒人召使だという点である。その役割の意義はその後に続くエピソードにおい てより明確になる。この時期に、エミリーの屋敷に閉じ込められた遺体が放つ腐臭が町中に漏れ出 し騒ぎを起こすのだが、町の住人はエミリーのような名門の貴婦人が殺人を犯すはずないだろうと 考え、真実とは異なる原因を求めようとする。ここで興味深いのが、旧世代に属するスティーヴン 判事がエミリーを弁護するために、原因不明の腐臭に文句を言う町の住人達をなだめている場面で ある。

     I m sure that won t be necessary, Judge Stevens said. It s probably just a snake or a rat that nigger of hers killed in the yard. I ll speak to him about it.(Faulkner A Rose 184)

注目すべきは、黒人召使トゥビーがネズミを殺したという推測である。物語の核心となるホーマー の死の原因となったであろうヒ素を購入するに際して、エミリーは  For rats (Faulkner A Rose 187)と述べている。こうした語句の連鎖は、誰がホーマーに手を下したのかということを考える と、単なる符合以上の意味を持つ。というのは、ホーマーを殺したのはエミリーであるというのが 作品解釈の暗黙の前提とされてきたからである。だが、現実的にどのようにホーマーに毒物を飲ま せたのかと考えると、直接口にさせるわけにもいかないであろうから、何か飲み物か食べ物にこっ そりヒ素を混入していたとみるのが自然である。となると、エミリーは食事の準備をこの黒人召使 にまかせていたのだから、実際にヒ素を混入したのはトゥビーであるという推測も可能となる。少 なくとも殺人に共犯的に関与している蓋然性は高く、間違いなくその秘密は知っていたはずであ る。つまり、トゥビーがネズミを殺したという判事の言葉は、黒人召使による殺人を示唆している とも読めるのである。こうした可能性を考慮に入れるなら、恋人を殺してでも手元に閉じ込めよう とするに至る女性の性愛という主題は、ゴシック的意匠によってそのグロテスクさを強調されなが らも、黒人召使の行動によって支えられていたという事実が浮かび上がってくるわけである。  にもかかわらず、先行研究においてこの黒人召使トゥビーの意義はほぼ完全に無視されており、 この黒人召使が殺人に関与したという可能性を検討する先行研究は皆無に等しい。5しかしながら、 こうした批評家の無視あるいは盲目の一因として、この短編の創作過程を挙げることができる。こ こで注目したいのが、タイプ原稿の段階で物語の結末近くの過去の回想から現在の葬式の場面に戻 る個所にあったもので、雑誌発表時の前に削除されたエピソードである。このエピソードが伝える のは、死の間際のエミリーとトゥビーの会話のやり取りであり、そこからわかるのは父の死後給料 も払えないほどに没落したエミリーが彼女の死後に屋敷を譲り渡すという条件のもとに、トゥビー を召使として雇っていたということである(WFM9 210 12)。従来の研究では、この箇所を削った ことで作品の一貫性が強化され洗練されたとして肯定的な評価がなされている。6しかしながら、不  唯一の例外は、Shiromaである。Shiromaによれば、ホーマーを殺したのがトゥビーであり、白人の主人に 犯行を強要された黒人の犠牲者と評しており、この点を見逃してきた読者が暗黙の裡に「私たち」という一人 称の語り手と同一化している点を批判している(26)。だが、後に述べるように、トゥビーが受動的に共犯と なったのかという点に関しては、疑問が残る。

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可視化される人種問題というアメリカン・ゴシック批評の論点から指摘しておきたいのは、二人の やり取りが削除されることで、外部からエミリーの内面を忖度することをできない語りの構造が徹 底され、ゴシック的なイメージに彩られた不可思議な秘密として白人女性の抑圧された性の問題が グロテスクに前景化されるのと引き換えに、エミリーへの想いを抑えながら一生仕えてきたと思し き黒人の主体性を消し去っていることである。フォークナーの、とりわけこの短編を含む初期から 全盛期の作品では、黒人の主体的な声が抹消されているという批判は従来の研究でよく指摘される ことであるが、7この削除は、フォークナーの創作における推敲と作品の洗練や完成度が、黒人存在 の排除と表裏一体の関係を為していることを裏付ける。8そのうえで、アメリカン・ゴシック批評の 見地から言えば、肥満や恋人の殺害といった形でゴシック的に示される女性の生/性の抑圧という 主題が、黒人の主体性の不可視化という形で成り立っていることを示すという意味で、抑圧された ものの回帰、とまではいかずとも、別の抑圧の痕跡を残す墓標となっているのである。  以上「黒猫」と「エミリー」について、オーツが「聖堂」で読み替えを行なった女性性の主題と行わ なかった人種問題のモチーフという見地から比較分析を行なってきた。オーツの読み替えで顕在化 したのが、母娘のつながりや母性といった女性性の問題であり、「黒猫」や「エミリー」などの男性 作家によるゴシック小説では前景化されない主題であった。他方、人種問題というもう一つの顕在 化されていないモチーフに関しては、元々二つの先行作品で前景化されていなかったので、その点 をあえて前景化する必然性がオーツに生じなかったのであろうと言えるのかもしれない。しかしな がら、ここで再度確認しておきたいのは、アフリカ系アメリカ人を初めとする人種・民族的マイノ リティのアメリカ作家が扱う問題を「現実的」と見て、ゴシック小説の様式とは親和的ではないと みなすオーツの小説観である。こうした区別の仕方は、ゴシック小説を現実逃避主義とみなす従来 のゴシック小説観と軌を一にしていると言えるだろうが、1990年代に展開したアメリカン・ゴシッ ク批評の明らかにした知見に照らし合わせると、ゴシックという様式からマイノリティの「現実的 な」問題を排除する姿勢と見ることもできる。さらにオーツが「聖堂」の下敷きにした「エミリー」 における人種問題と創作過程の関係を思い起こすなら、ゴシック的な様式の下で前景化された女性 性の問題を読み替えながらも、黒人の主体性を隠蔽し不可視なものにするという構図を反復してい ると見ることができるかもしれない。9オーツが先行作品に読みこまなかったものが暗示するのは、 隠蔽された秘密の開示という典型的なゴシック小説の様式において不可視化という形で抑圧されて きたアメリカ社会のマイノリティの表象の「現実」なのである。 引用・参照文献

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 たとえば、Hale and Jackson 35-37, Tischler 16などを参照。

 ただし、Skeiはこの改稿が雑誌の編集者の要求によるものであった可能性を指摘し、作家の意図を忖度す ることに留保の姿勢を示している(153)。 9  もっとも「黒猫」の新歴史主義的批評的読解が同時代の南部社会の言説を参照枠としたことや、「エミリー」 の作者であるフォークナーと南部社会の切っても断ち切れない関係を考えるのであれば、オーツが先行作品 の読み替えで排除したものは、人種問題そのものというよりは、黒人の問題のより深く根付いているアメリ カ南部という社会的文脈であったと言えるかもしれない。事実『アメリカン・ゴシック物語集』と題されるア ンソロジーにおいて、南部ゴシックという枠組みで語られることのあるFlannery O ConnorやCarson McCullers といった女性作家が言及されていないことも、そうした推測を裏付ける。

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参照

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