1980年以降のシェイクスピア批評と「階級」概念(一) - 衣装と「階級」 -
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(2) 文学・芸術・文化 1 6巻 1・2合併号 2 0 0 5 . 2. らの主導のもとカリフォルニア大学出版局 ( U n i v e r s i t yo fC a l i f o r n i a. P r e s s ) が発行する『レプリゼンテーションズ j(Representations) 誌周辺で 活動をしていた人々. O. グリーンプラットらの第一世代の後を引き継ぐかた. ちで、新歴史主義批評の次世代、「新・新歴史主義 J( ANewNewH i s t o r i -. P a t r i c i aF u m e r t o n ) やデボ c i s m ) を標梼する、パトリシア・ブアマトン ( ラ・シュガー ( D e b o r aS h u g e r ) といったカリフォルニア在住の学者たち を中心とするグループの活動。さらに細かく分割をすることも可能である が、概ね以上のような地勢図が浮かび上がってくる. O. これらの「階級」論をめぐるさまざまな研究の系列は相互横断的である と同時に、それぞれ緊密に結びつきあっており、それらを個々に独立させ て系列として論じるのはきわめて難し~ ¥ ' 0 また、仮にそれぞれの問題の系. 列に属する論考を議論できたとしても、それらを包括的にまとめるにはま だまだ時間と紙幅を要することも認めざるをえない。しかし、全体として の流れを概観するために細部についての議論を多少犠牲にするのを承知の. 9 8 0 年代以降のシェイクスピア批評において、しばしば「階 上、本論では 1 級」との関連で議論の姐上に載せられる機会が急速に増えた初期近代イギ リスにおける衣装と「階級Jの関係について本論では論じてみたい。. リサ・ジャーダイン(Lis aJ a r d i n e ) 衣装は、初期近代のイギリスでは個人の身分を表す指標で、あった。衣装 を見れば、その人がどういう身分の人間であるか見分けがつく時代。それ が初期近代という時代であった。しかし、同時にそうした安定した内面と 外面の一致が、崩壊の危機に曝されつつあった時代。それもまた、初期近 代イギリスのもつ別の姿であった。 早い段階から衣装とエリザベス朝演劇の関係に焦点、を当てたリサ・ ジャーダインは、シェイクスピア批評にフェミニズムを導入した古典的論 t 司. A斗 A.
(3) 1 9 8 0 年以降のシェイクスピア批評と「階級」概念(ー). 衣装と「階級 J- 藤 津. 考とされる『まだ娘のことをくよくよ思っていらっしゃる J( S t i l lH a r p i n g MyD ωg h t e r s,1 9 8 3 ) で、初期近代イギリスでは収入ではなく、身分に. よって衣装は規制を受けていた当時の状況を記述した後、「身分の表徴と しての衣装へのこだわりにおいてエリザベス朝ほど、古く、過ぎ去り行く 封建的社会と新興の商業社会の問であきらかな緊張のあった時代はどこに もな p J“ (Nowherei st h et e n s i o nbetweent h eo l d, o u t g o i n gf e u d a lo r -. d e randt h enewm e r c a n t i l eo r d e rmorea p p a r e n tt h a ni nt h eE l i z a b e ) と指摘している。 t h a np r e o c c u p a t i o nw i t hd r e s sa ss t a t u s . "1 4 12 ・. ジャーダインは続いて、賛沢禁止法 ( s u m p t u a r yl a w ) によって女性は 男性に従属すべきだとされていた当時にあって、それまでは男性の軽装で あった腰のくびれた胴衣、ダブレット ( d o u b l e t ) を女性が着用し始め、 男女間の性差が埋められつつある状況に当時の人々が脅威を感じていた状 況について、出自に恵まれていない女性が豪華な衣装を着るのをたしなめ たパンフレットなど豊富な歴史資料の発掘により例証している(Ja r d i n e. 1 5 6 )。ジャーダインの論考を読んで興味深いのは、この時点ですでに生 まれの恵まれていない人々が高価な衣装を身につける行為が、当時の社会 になんらかの緊張関係を生み出していた事実を指摘している点にある。 ただ、エリザベス朝演劇の研究者であると同時に、エラスムスやフラン. C h r i s t o シス・ベーコンなどの人文主義の研究、クリストブアー・レン ( p h e rWren) の伝記執筆に代表される王立協会 ( R o y a lS o c i e t y ) の成立の 研究でもすぐれた歴史家としての側面をもっジャーダインは、安易にその : ' また、用心深い歴史家であるジャー 緊張関係を強調しすぎたりはしな t¥ 0. ダインは用語法にも細心の注意を払っており、「階級」という言葉を使う 代わりに、初期近代イギリスの身分制度について議論する際に“r a n k " や“ s t a t u s " という言葉を選んでいるのも注目に値する。. 円. 5i.
(4) 文学・芸術・文化 1 6 巻 1・2合併号 2 0 0 5 .2. キャサリン・ベルシー ( C a t h e r i n eB e l s e y ) また、 1 9 8 5 年にはイギリスの文化唯物論(cu l t u r a lm a t e r i a l i s m ) を提唱 する学者たちが、『代替となるシェイクスピア J( A l t e r n a t i v eShakespeares) を出版し、レイモンド・ウィリアムズが指摘した「文学研究という既存の 支配的なパラダイム J“ (t h ee x i s i t i n gdominantparadigmo fl i t e r a r ys t u d -. i e s "D r a k a k i s1 ) の代りとなりうる新たな文学批評のモデルを提示する. O. さまざまな文学理論をシェイクスピアのテクスト分析に鮮やかに用いて見 せたこの論集にあって、キャサリン・ベルシーもジャーダイン同様、フェ ミニズム的関心から異性装や変装を扱っている。 ベルシーは、イギリス・ルネサンスでは性について抑圧のシステムが存 在しており、さまざまなる可能性をもった性のありかたが抑圧された時代 であると指摘した後、そのような状況下で、シェイクスピア喜劇は男性対 女性、男性的なるもの対女性的なるものといった対立項を問いに付して、 性差を擾乱(“ d i s r u p t " ) していると主張する ( D r a k a k i s1 7 1 )。なかでも、 『お気に召すまま J(AsYouLikeI t ) のエピローグを飾るロザリンドのせり ふ、「私が本物の女でありましたなら、私を喜ばせてくださる髭を生やし たお方たちみなさんに口づけをしてさしあげます J( “ I f1w ereawoman,. 1wouldk i s sa smanyo fyout h a thadb e a r d st h a tp l e a s e dm e . " Vi . v . 2 1 4 1 6 ) にベルシーは注目する. O. たしかに、このせりふではベルシーの指摘し. ているように「だれが話しているのか J(“Whoi ss p e a k i n g ? " ) が、不明 瞭である. O. 女性は少年俳優が演じているわけであり、このせりふを語るロ. ザリンドは外見通りの女性として語っているのか、それとも実際にこの役 を演じている少年男優が自分の声として語っているのか、判然としない。 さらに、このロザリンドのせりふ以外にも、『十二夜 J ( T w e l f t hN i g h t ) に登 場するヴァイオラ ( V i o l a ) が男女二役を変装によって演じながらも、観 客に向かつて「私は私でな p J“ (1amn o twhat1a m . " I I Ii .. 1 4 3 ) と自ら. -176-.
(5) 1 9 8 0年以降のシェイクスピア批評と「階級」概念(ー)一衣装と「階級 J- 藤 津. 認めている点に触れつつ、この劇に中心人物のアイデンティティーの危機. D r a k a k i s1 8 9 )0 を見出している ( 初期近代の人々にアイデンティティーが存在したかどうかは議論の余地 があるものの、これらの少年俳優が女性を演じる行為によって生まれる ジェンダーのゆらぎは、「すべての差異を消し去る第三の、統一された、 両 性 具 有 的 な ア イ デ ン テ ィ テ ィ ー J“ (somet h i r d,u n i f i e d,androgynous. i d e n t i t yt h a te l i m i n a t e sa l ld i s t i n c t i o n s " ) でも、「セクシュアリティー自 体 を 否 認 す る J“ (r e p u d i a t es e x t u a l i t yi t s e l f つのでもないという. ( D r a k a k i s1 9 3 ) ベルシーがこのような契機に見るのは、「性差の内在化 0. を通して、性差という余白(形而上学的性の両極性が消し去る余白)にお いて個人の、(立)場の複数性、あるいは存在の楼数性を定義すること」 ( “t od e f i n et h r o u g ht h ei n t e r n a l i z a t i o no fd i 旺e r e n c et h ep l u r a r i t yo f. p l a c e s,o fp o s s i b l eb e i n g s,f o re a c hp e r s o ni nt h emarginso fs e x u a ld i 壬 f e r e n c e,w h i c ham e t a p h y s i c a ls e x u a lp o l 担i t yo b l i t e r a t e s ")である ( D r . 品E 品GS 1 9 3 ). 0. 異性装や変装にあからさまな「階級J性をベルシーは見出してはいない が、彼女の発想には初期近代イギリスのジェンダーの体系とそれを擾乱す る性の多様なるあり方という図式が下敷きとなっており、ブェルディナ. F e r d i n a n ddeS a u s s u r e ) のラング(1a n g u e )と ノt ン・ド・ソシュール ( ロール ( p a r o l e ) の類推が働いている。現代から見ると古風なポスト構造 主義的議論と思えなくもないが、ルネサンスのテクストについて論じるベ ルシーの態度は政治的なものであり、彼女はルネサンスについて語りなが らも、現代の性の開放について同時に実践的に係わっている. O. p ずれにせよ、エリザベス朝の体制によって強要された秩序立った性の. 体系を、シェイクスピア劇に描かれた性のあり方が擾乱するという図式は、 部分的にせよベルシー以降多くの批評家の間で共有されていくこととなる. O. 円. 唱E4. i 門. i.
(6) 文学・芸術・文化 1 6 巻 1・2合併号 2 0 0 5 . 2. ジーン・ハワード ( J e a nE .H o w a r d ) ベルシ一同様、フェミニストにしてマルクス主義者を自認するハワード も、初期近代イギリスにおける異性装の問題を単なる風習の問題としてだ けではなく、「階級」とジェンダーを規定する重要な問題としてとらえて. Howard9 4 )。また、ハワードは「階級」という言葉を確信をもっ いる ( て用いているようであるし、彼女が著作の中でしきりに反復しているのは、 「闘争 J“ (s t r u g g l e " ) という言葉である。はたしてルネサンスの人々が異 性装をするのにどの程度「闘争」の意識をもっていたかは疑わしいが、い ずれにせよ、ジャーダインやベルシーにも増して、異性装を論じる際に、 「階級J聞の「闘争」や断絶 ( d i s c o n t i n u i t y)が強調されているのが特徴 的である. O. 全般としては、ハワードの議論はこれまでの異性装をめぐる議論と重複 する部分が多い。ピューリタンのブイリップ・スタブズ ( P h i l l i pS t u b b s ) らの劇場批判論者によって展開されていた、異性装を行う俳優たちが男女 の境界や身分の高い者と低い者の境界を乱しているとする議論の紹介など はすでにジャーダインもアグニューも行っている O a r d i n e1 4 7 9 ;Agnew. 7 34 ) し、これ以外に言及している資料は他の異性装を論じる批評家たち ・. とあまり大差がない。 ハワードの議論は良い意昧でも、悪い意昧でも包括的である。異性装の 議論でしばしば言及される劇、シェイクスピア劇では『お気に召すまま』 ( A sYouL ik eI t )、『十二夜 J(TwelfthNight)、『ヴェニスの商人 J(TheMerchantof怜 n i c e )、 ベ ン ・ ジ ョ ン ソ ン ( BenJ o n s o n ) の『エピシーン』 ( E p i c o e n e )、トマス・ミドルトン ( ThomasM i d d l e t o n ) とトマス・デッ. カー (ThomasD ekker) の『わめく女 J(TheRoaringGirz ) を網羅して p るのはその一例である. O. また、「悪い意味でも包括的 j であるとは、非常. に広範囲にわたる議論をひとつの論文に集約しているために、要点が非常. -178-.
(7) 1 9 8 0 年以降のシェイクスピア批評と「階級」概念(ー)一衣装と「階級 J- 藤津. につかみにくいということである。彼女自身が「要するに J“ (i ns h o r t " ) という言葉を連発して、自分の意見を集約しようと躍起になっているのは、 その証左である. O. しかも、マルクス主義批評にありがちな異常に難解な文. 体で論文を記述しているのも、読者にとって親切とはいえない。 ただ、ハワードが異性装でも特に女性のキャラクターが男装する設定を 大きく扱っているのは注目に値する. 実際、少年俳優が女装をしている上. O. に、さらに男装をするのであるから、観客にしてみれば相当複雑な劇の観 賞を迫られるのは必至である. O. このような設定では、ベルシーのように女. 性に扮する少年俳優の発言にルネサンス当時の家父長制的性体系へのゆさ ぶりを読み取るのが定番の解釈である. O. しかし、ハワードは、先に言及し. た一連の劇に家父長制社会の一本調子の批判ばかりを読み取らず、それぞ れの劇がさまざまな方法で当時の家父長的な性の体制へと「闘争J( s t r u g -. g l e ) を挑んでいる様子を、一般化せずに多様性を認めたまま描写してい る. O. 実際、当時の異性装がどのような意味をもっていたのかをすっきりとし たかたちで描写するのは、ハワード自身も困難であると認めており、その 理由について異性装は「なんらかの現行のイデオロギー的闘争への反抗で あり、その意味が論争中の実践であるために単一のあるいは固定した意味 をもてないからだ J “ (T h i sf o r mo ft h e a t r i c a l i t y( ie .c r o s s d r e s s i n g )…h a d. n os i n g l eo rf i x e dm e a n i n gb e c a u s ei ti sac o u n t e rt oo n g o i n gi d e o l o g i r a c t i c ewhosem e a n i n gwasu n d e rt h ec o n t e s t "Howc a ls t r u g g l e s,ap a r d1 2 7 ) としている。 強引な普遍化を行わないハワードの異性装についての議論は好感がもて る。しかし、同時に断絶や闘争としての側面を、近代以前の劇において強 調しすぎているという印象は拭いきれないのも事実である。. 門. i. 41. Qd.
(8) 文学・芸術・文化 16巻 1・2合 併 号 2005.2. ディヴィッド・スコット・カスタン. ( D a v i dS c o t tK a s t a n ). ジャーダイン、ベルシ一、ハワードを経て、衣装と「階級 jの問題はか. 9 9 3年にこれら なりのまとまりのある議論へと集約されて p く。そして、 1 の議論の蓄積をもとに衣装と「階級」について理論化しようとする試みが 行われる. O. それが、『ルネサンス・ドラマ j ( R e n a i s s a n c eDrama) 誌第 2 4 巻. にディヴイッド・スコット・カスタンによって発表された「この(シェイ ク ス ピ ア の ) テ ク ス ト に 階 級 は あ る か ?J“ (I st h e r eaC l a s si nt h i s. ( S h a k e s p e a r e a n )T e x t ? " ) である. O. 後にカスタンの主著となる『理論以降. f t e rTheory,1999) に再録されているこ のシェイクスピァ j (Shakespearea. の論文の冒頭で、「階級」という概念を見直そうとする初期近代イギリス 史研究の分野での修正主義について一言で片づけてしまう. O. I tmayw e l lbe,t h e n,t h a tanya n x i e t ya b o u tdeploymento ft h e l a n g u a g eo fc 1a s si nt h ed i s c u s s i o no fS h a k e s p e a r e ' sp l a y si san u n n e c e s s a r ys c r u p l e .Eveni ft h ec u l t u r ed i dn o te x p e r i e n c ei t ss o c i a lr e l a t i o n so v e r t l ya sc 1a s sr e l a t i o n s,c e r t a i n l ys o c i a ls t r a t i f i c a t i o nandt h et e n s i o n sr e s u l t i n gfromt h eformso fi n e q u a l i t ya r e e v i d e n ti nt h ep l a y sandc a nbeu s e f u l l ye x a m i n e d .( K a s t a n1 5 0 1 ). たしかに、カスタンの主張するように、いつの時代でも「社会階層化や 不平等の形態から生じる緊張」は存在するであろう. O. しかし、その分析の. 道具は絶えず、刷新されてしかるべきである。カスタンは『理論以降の シェイクスピア』の後注でピーター・ノ t ーク ( P e t e rB u r k e ) やピーター・ ライトソン ( P e t e rW r i g h t s o n ) などの「階級」論について修正論をうな がすイギリス史研究の代表的な論文を何本か紹介してはいるものの、提示 しているのは各論文のタイトルだけにとどまり、具体的な論文の中昧につ. -180-.
(9) 1 9 8 0年以降のシェイクスピア批評と「階級」概念(・). いての議論は皆無である. O. 衣装と「階級」一. 藤津. そこには議論の交流がな t~. 0. さらに、カスタンはルネサンス演劇では舞台に登場する王や道化は、こ れらの役柄を演じる貧しい俳優たちであって、そこには「階級」が描かれ ていないとさえ述べている. O. ジャーダインなど他の衣装を論じる批評家た. ちが問題にしていたように、当時の演劇では女性を描いていても舞台上で は少年俳優が女性を演じているわけであり、その意味において「舞台上に 女性は存在しな p J と言えなくもな t¥0 カスタンは女性の表象と異性装の 問題の聞に類推を見出し、「ちょうど女性がそうであるように、階級の位 置づけは、異性装の演劇的伝統についての考察においてのみ舞台上で表れ るJ“ (C l a s sp o s i t i o n s,t h e n,a p p e a ronS h a k e s p e a r e 'ss t a g ee x a c t l ya s. womendo,o n l yi nt h em e d i t a t i o n so fat r a n s v e s t i t ea c t i n gt r a d i t i o n . " K a s t a n1 9 9 9 :1 5 2 ) と主張している. O. この論文において、カスタンはあまりにも衣装という表層的な事象にし か目を向けていない。たしかに、女性を演じているのは少年俳優であり、 王侯貴族を演じているのは決して社会的身分の高いとはいえない俳優なの かもしれな t¥0 しかし、劇は物語であり、そのなかに描カ通れた社会的身分 をめぐる翻離は、なんらかのかたちでその時代を映し出しているのではな いだろうか。それを異性装の問題を指摘するだけで、歴史の分野での「階 級 Jという用語をめぐる見直しの流れを無視してよいとは思えない。. ところで、グリーンブラットの著作に表れたイギリス・ルネサンス当時 の社会における社会階層の理解については、以前この論集に発表した 年代から 1 9 8 0 年までJにお 「シェイクスピア批評と「階級」概念 -1930 いて貴族対民衆という理解を示していることを指摘した(藤津. 2 0 0 4 )。. R e n a i s s a n c eSeがF a s h i o n グリーンブラットが『ルネサンスの自己成型 J( 9 8 0 ) であきらかにしたのは、貴族階級に完全に同化できないものの、 i n g,1. さまざまな障害を前にして自己を環境に応じて変容させながら、自己形成. -181-.
(10) 文学・芸術・文化 16巻 1・2合併号 2005.2. を 成 し 遂 げ た シ ェ イ ク ス ピ ア 、 エ ド マ ン ド ・ ス ペ ン サ ー (Edmund. C h r i s t o p h e rMarlowe) などの出 S p e n s e r )、クリストファー・マーロー ( 自の面で恵まれていない作家や思想家たちの姿であった。. M i c h e l グリーンブラットの著作を読んでみると、ミシェル・フーコー ( C1 i 旺o r dG e e r t z ) らの影響以外にル Foucau1t)やクリフォード・ギァーツ ( ネサンスのテクストのなかに政治的問題を読み解いて、そこから得られる 知識を現代社会に内在する同様の問題へと接続してゆこうとするレイモン. i l l i a m s ) などの旧来のマルクス主義批評家 ド・ウィリアムズ (RaymondW たちと同様の意志が感得できる。つまり、現代においてイギリス・ルネサ ンス期のテクストを読む行為は、彼にとってひとつの政治的実践でもあっ た. しかし、こうした政治的実践とテクストを解釈する行為との聞に議離が 生まれはじめ、歴史資料を利用し、テクストに今までとは違う昧つけをし た論文が大量生産されるようになってくると、文学研究は政治的実践とい 、 うよりも、俄然、大学教育の制度化に伴う脱政治化を被ることとなる O 今 振り返ってみると、われわれが見たカスタンの「テクスト」は、近年とか く批判を受けがちな「階級」概念から一歩距離をおこうとする点で、そう した脱政治化への傾向を陛胎していた論文に見えてくる。. ピーター・スタリブラス (PeterStallybrass) カスタンの論文が出版された後に発表されたマーガレッタ・ド・グレイ ジア ( M a r g a r e t ad eG r a z i a ) らによって編集された『ルネサンス文化に おける主体と客体 j( S u b j e c tandO b j e c ti nt h eR e n a i s s a n c eC u l t u r e ) も、唯 物論批評が次第に政、冶性を失っていく分岐点のひとつに位置づけられる著 作である。従来のルネサンス研究は人を中心としたものであったのに対し て、「もの J“ (m a t t e rづの方から逆照射をして当時の人々の主体(性)を. -182-.
(11) 衣装と「階級 J- 藤 津. 1 9 8 0年以降のシェイクスピア批評と「階級」概念(ー). 描き出そうと試みるこの論集では、編者の一人であるスタリプラスによっ て「着られた=使い古された世界:ルネサンス演劇の衣服とアイデンティ テ ィ ー J("W o r nWo r l d s :C l o t h e sandI d e n t i t yont h eR e n a i s s a n c e. S t a g e . " ) というタイトルでルネサンス演劇での衣装の位置づけについて 論じた一文が収録されている ( d eG r a z i a2 8 9 ・ 3 2 0 ). 0. 冒頭でスタリプラスは、「ルネサンスのイギリスは衣服の社会であり、 “ (R e n a i s s a n c eEnglandwasac l o t hs o ・ またそれは制服の社会でもあった J. c i e t y ;i twasa l s oal i v e r ys o c i e t y . " deG r a z i a2 8 9 ) という興味深い発言 によって議論を始める. O. ルネサンスのイギリスでは衣服を扱う産業が中心. であり、また、複数からなるギルドを代表させていたのは、組合員たちの. e r y ) であった。スタリプラスは、この“l i v e r y " という 着ていた制服Oiv e1 i v e r y " や“ d i s t r i b u t i o n " と同時に、“ d e l i v e r a n c e "、 言 葉 の 語 源 に “d “ l i b e r a t i o n ' ¥“ r e l e a s e " を表す古いフランス語、“ l i v r a n c e " の存在を見出 している. O. つまり、「制服Jは親方から弟子へと配られるものであり、こ. s e r v i t u d e ) の象徴であると同時に、ギルドに属 の意昧において「従属 J( することによって弟子に服を買い与える権利を子にするという意昧におい て「自由 J( f r e e d o m ) の証でもあった ( d eG r a z i a2 8 9 9 0 )。 スタリプラスによれば、このような両価値性を有する「衣服J=. r 制. 服」社会でもあったイギリス・ルネサンスでは、劇場という空間は宮廷と ギルド社会との接点、に位置しており、両者に対して即かず離れずの関係に あったという ( d eG r a z i a2 9 2 )。直接的な関係としては、劇場に属する者 たちは、劇場を単に劇を上演するだけでなく、貴族から借りたり、あらた に購入したりして子に入れた高価な衣装を流通させて、利益を得る場所と “ (l i v して使用していた。また、間接的には、役者は「制服をきた使用人J. e r i e ds e r v a n t s " ) としての法的身分と、貴族の衣装を入手していることに よって保護されていたのである ( d eG r a z i a3 0 4 ) 劇場主の舞台衣装の購 0. 入リストから遺言にいたるまでさまざまな歴史資料を駆使して、いかに劇. -183-.
(12) 文学・芸術・文化 1 6 巻 1・2合併号 2 0 0 5 . 2. 場と衣服が密接な関係を有していたかを、スタリプラスは執助なほどまで に探求している. O. イギリス・ルネサンスにおける衣服の歴史にまつわる前半の議論に引き 続いて、論文の後半でスタリプラスは舞台衣装が使い古される(“ worn") 過程で衣服に継承されていく「記憶 J“ (memory") に注目する。たとえば、 イギリス・ルネサンスの演劇では、舞台上で着る衣装は貴族の豪華な衣装 を中古で仕入れたりしなければならなかった。また、衣装は家族代々引き 継がれるものであり、そこには家族の記憶がしっかりと刻印され、遺言な どのかたちで正式に継承されるものでもあった (310)。まさに、衣服とい う物質にはさまざまな記憶が付帯していたのである. O. 衣装のやりとりに始まって、舞台で用いられる衣装が引きずっている記 憶を論じ、産業として衣服と劇場がいかに密接な関係を有していたかを歴 史的パノラマのように描きだすスタリプラスの筆致は冴えわたっている. O. ベルシーのようなポスト構造主義特有のテクストの戯れを巧みに論じるの ではなく、衣装の歴史を突破口として俳優の役割、劇場、社会形成のあり 方にいたるまであらたな光を当てようと試みている. O. 少々、衣装の問題で. すべてを論じようとしている点に無理があるように思えなくもないが、と りわけ「階級」論の関連で興味深いのは「制服」を「従属」と「自由」の 両方を表す記号として抽出し、豊富な資料で議論を補強しつつ、とかく二 元論に陥りがちな「階級 j論を換骨奪胎しているところである。. 「新・新歴史主義 J一政治色を失った「階級」論 カスタンやスタリブラスのグループは、現在のところ、「階級」、「ジェ ンダー」、「民族」といった大きな物語よりも、日常性に根ざしたわれわれ と「もの」との関係の歴史を遡行しようと試みているように見える。この 流れは先に言及した『ルネサンス文化における主体と客体』以降、とみに. -184-.
(13) 1 9 8 0 年以降のシェイクスピア批評と「階級J概念(ー). 顕著になってきている. O. 衣装と「階級 J- 藤 津. 特に近年では、スタリプラスが編集する「新文化. 研究シリーズJ(NewC u l t u r a lS t u d i e s ) に収録された一群の研究書が、地 図とそこに描き込まれた記憶、貨幣のもつ物質性、シェイクスピア劇と臭 いなど周縁的であると片づけられ今までほとんど論じられることのなかっ た事象の研究を含んでいる例などを見ても、その変化に気づかされる. O. 今. まで目を向けられず、沈黙していた事物に光を当てて、それらに自ら語ら しめようとする姿勢がうかがえる. O. 理論的な背景としては、第一世代の新歴史主義批評がフーコー ( M i c h e l. P i e r r eB o u r d i e u )、ノルベルト・エリアス ( N o r Foucau1t)、ブ、ルデュー ( b e r tE l i a s ) らを理論的支柱としていたのに対し、彼らが参照するのは、 ミシェル・ド・セルトー ( M i c h e ldeC e r t e a u ) やアンリ・ルブエーヴル. ( H e n r iL e f e b v r e ) とpったフランスの歴史家たちの著作である。彼らの 影響のもと、自称「新歴史主義の第三世代 J“ (t h esecondg e n e r a t i o no f. NewH i s t o r i c i s m " ) に あ た る 批 評 家 た ち に と っ て 、 あ く ま で も 「 階 級J は 「 平 凡 な る も の J“ (t h ecommon") や 「 あ り ふ れ た も の J“ (t h e. f a m i l i a r " ) を相対的に規定するための副次的な道具にすぎなくなっている. O. つまり、政治色を失った「階級」論というほとんど撞着語法のような現象 が生まれようとしているのである. O. r. ダグラス・ブラスター (DouglasBruster)- 文化」の効用 とはいえ、こうしたブアマトンらのあらたな試みを批判する動きもない わけではな~ ) 0 市場の表象と資本主義の誕生過程をステュアート朝の市民. 喜劇に読み取ってきたダグラス・プラスターは、新・新歴史主義を標椋す る批評家たちの試みを「初期近代研究における新唯物論J ‘ (' T h eNewMa-. t e r i a l i s mi nE a r l yModernS t u d i e s " ) において一定の評価を下しつつも、 疑問を投げかけている。先に言及した『ルネサンス文化と日常性』所収の、. 噌EA. Fhd. o δ.
(14) 文学・芸術・文化 1 6巻 1・2合 併 号 2 0 0 5 . 2. デボラ・シュガーによる近代的自己の形成に鏡が果たした役割を論じた小 論での著者の一言にブラスターはこだわる。. 1t h o u g h ti tmightbew o r t h w h i l et ot r a c et h er o l et h i sn o v e le v e η T d a ya r t i f a c tp l a y e di nt h eemergenceo fe a r l ymoderns e l f h o o d ; a tt h et i m ei tseemedap l a u s i b l eands u i t a b l ym a t e r i a l i s ta l t e r n a t i v et oc u r r e n tn a r r a t i v e so ft h emoderns e l fa sac a p i t a l i s te p i p h e nomenon. ( F u m e r t o n 201). この一節についてブラスターはルネサンスの人は鏡を見て、自分の姿を 確認し、そのおかげで近代的自己を発見したのかと皮肉っている ( B r u s -. t e r201) それでは高価な鏡を買った上に、一挙両得ではないかと。しか 0. し、ブラスターが特に重要視するのは上の引用の鏡が「資本主義の随伴現 象としての近代的自己という現在流通している物語の代替物」になってい るという引用の最後の部分についてである。 この一節についてプラスターは、「シュガーはほぼ二世紀にわたる唯物. “ (S hugerd i s p e n s e so fa l m o s tt w o 論哲学と批評を処分してしまっている J. c e n t u r i e so fm a t e r i a l i s tp h i l o s o p h yandc r i t i c i s m . "B r u s t e r202) と 批 判 している O 通常、資本主義の随伴現象を論じるのは、マルクス主義である のに、その知見をまったく読者に与えないのは公正を欠いているのではな p かというのである。. 1h a v ep a i dt h i sp a r a g r a p hs omucha t t e n t i o nb e c a u s ei tc o n t a i n sw i t h i ni ts o m e t h i n gl i k et h ewholep r o j e c to ft h enewm a t e nt h i ss e n t e n c e,n o to n l yt h es e p a r a t i o nfrom r i a l i s m .Weh a v e,i Marxanda ni m p l i c i targumentt h a tM a r x i s tc r i t i c i s mi sn o tt r u l y m a t e r i a l i s ta tb a s e ;wea l s oh a v et h ea s s u m p t i o nt h a to n l yt h i n g s -186-.
(15) 1 9 8 0年以降のシェイクスピア批評と「階級」概念(一)一衣装と「階級 J- 藤津. t h a tc a nbeh e l do rt o u c h e da r et h el e g i t i m a t ef o c u so f“m a t e r i a l ikeSuger,manyc r i t i c shavet a k e nt h ewordandp r a c t i c e i s m . "L. a t e r i a l i s m "t odepends t r i c t l yonc o n c r e t e “m a t t e r "a si t s o f “m e a d "m i r r o r sand o t h e rp h y s i u l t i m a t eg r o u n d .S c h o l a r swho “r m p l i e s,a r ed o i n gm a t e r i a l i s m . Thosewho c a lo b j e c t s,Shugeri t a l ka b o u ts e e m i n g l ya b s t r a c te n t i t i e sl i k e “c a p i t a l i s m "i s not . ( B r u s t e r2 0 3 ). ブラスターの指摘するように、. r T資本主義」のような外見上抽象的存在. について話す学者は唯物論を実践していない」と考える「新唯物論者」に とっては、「階級J概念も触感をもって接しうる「もの Jではなく、単な る「抽象的存在」にすぎないのかもしれな~ ¥ ' 0. 「鏡や他の物質的客体を読み解く学者が唯物論を行っている」と信じて いるとブラスターが呼ぶシュガーらの自称、新・新歴史主義者、ブラス ターの用語では、「新唯物論者」と呼ばれるグループが生産していくであ. T h eB r i t i s hL ib r a r y )や ろう論文は、たとえば、イギリスの大英図書館 ( TheB o d l e i a nL ib r a r y )、アメリカのブオルジャー・ ボドレイアン図書館 ( ライブラリー ( TheF o l g e rL ib r a r γ ) などが所蔵する資料の山からわれわ れが未だ目にすることのなかった「もの」の歴史に関する貴重な資料をこ れからも続々と明るみに出していくことであろう. O. しかし、目の前にある. ルネサンス演劇のテクストを読むときに、われわれは衣服、鏡、磁器、砂 糖の流通などの歴史まで通暁しなくてはならないとなると、暗潅たる気持 この研究に未来はあるのか」と。「トリヴィアル ちになるのを否めな Po I なものは、所詮、. トリヴィアルなものにすぎないのではないか」と。. これらの不安を一掃してくれる便利な道具がある。ブラスターは言う、 それは「文化 J“ (c u l t u r e " ) であると O たしかに、グリーンブラットや. C a t h e r i n eG a l l a g h e r ) らが行った「新歴史主義」 キャサリン・ギャラガー ( 門. 唱EA. i. o o.
(16) 文学・芸術・文化 1 6 巻 1・2合併号 2 0 0 5 . 2. のブランド化に加担してしまったと、ブラスターは『シェイクスピアと文 化の問題』の結論部で一定の範囲で自己批判を行っている ( B r u s t e r2 0 8 )。 また、本来なら「人文科学 J( h u m a n i t i e s ) と呼んでいた分野を「文学・文. (l i t e r a r yandc u l t u r a ls t u d i e s " ) ともっと親しみやすい名称で読 化研究 J“ 朝気昧に言及している ( 2 1 0 ) み替えてしまった安易な傾向についても白 I. 0. しかし、ブラスターは一定の反省をしながらも、「文化」は、さまざまな. 穴 ( p o r e ) が空いていると同時に、共有された思想信条や行動によってま とまりをもっている「聞かれた統一体 J“ (openu n i t i e s " ) であるとし、今 後もあらたな研究面での参入の見込める概念であるとしている。最後は初 期近代イギリスの文化を学ぶことから劇を研究することからシェイクスピ ア劇について学びつづけられるとし、「文化」に対して肯定的な意見を述 べて彼の著作を結んでいる。. Wes t a n dt ol e a r n- t oc o n t i n u et ol e a r n- a b o u tt h e s ed o c u mentsfrom s t u d y i n gt h e i r“ c u l t u r e, "j u s ta swe s t a n dt ol e a r n. t u r e " from s t u d y i n gd o c u m e n t s . Yet however a b o u tt h e i r“cu1 muchwemayf e e lt h a tt h e s ep l a y sc o n s t i t u t et h e“ a b s t r a c tand "a sHamletr e f e r r e dt ot h ei t i n e r a n t b r i e fc h r o n i c l e so ft h et i m e,. p l a y e r s, weneedt oa d v a n c eo u rargumentsa b o u tt h er e l a t i o n s h i p betweent e x tandc u l t u r ei namores t u d i e dm a n n e r . ( B r u s t e r2 1 0 ). 高尚な人文科学としての英文学がもはや過去となった以上、学生が近づ きやすい響きを兼ね備えた「文化」という概念をブラスターが否定するは ずもない。ブラスターの言うように「もっと慎重に考えぬいた方法で」. namores t u d i e dmanner") テクストと文化の関係についての議論を前 “ (i 進させる以外に方法はないのだろうか。文学不要論が喧伝される現在のと. -188-.
(17) 1 9 8 0年以降のシェイクスピア批評と「階級」概念(一)一衣装と「階級」一. 藤津. ころ、ブラスターの結論に跨践しながらも、一旦領く以外ない。. むすび 1980 年代以降のシェイクスピア批評は、ジョナサン・ドリモアがティリ ヤード ( E.M.W.T i 1 l y a r d ) を槍玉にあげて痛烈に批判をした、テクストの 背後に統一された実体があるかのごとく論じようとする批評的態度、本質 主義ヒューマニズム ( e s s e n t i a l i s thumanism) に背を向けるかたちで実 践されてきたように思われる. O. テクストの背後にある「形而上学的真理」. 9 8 0 年代から について議論をすることは、もはやタブーとされた時代が 1 1 9 9 0 年代にかけて一時期たしかに存在していた。 そのような時代背景も手伝って、衣装というトピックは、まさにテクス トや演劇の表層のみを問題にしうる格好のテーマであった。しかし、これ まであきらかにしてきたように、当初、たしかな政治的意図をもって取り 組まれていた文学批評が、次第にその政治性を削ぎ落として行き、「沈黙 した声を復元する」という大義のもとにディレッタンテイズムに堕しつつ ある傾向が現在のところ歴然として存在している. O. それを「文化研究」. ( C u l t u r a lS t u d i e s ) と称して面白がるのも一興ではあるものの、議論がき わめて散漫になりつつあることも否めない。 現在のシェイクスピア批評では、「階級」はイギリス・ルネサンス研究の 舞台から次第に退場させられつつある。しかし、皮肉にもカスタンの主張 と重複してしまうものの、いつの時代においても不利な立場におカ通れてい る人々へのわれわれのまなざしは決して途切れさせられるべきではなく、 文学に描かれた身分をめぐる組離は人文科学に係わる者として絶えず問い に付すべきではなかろうか。「階級」と p う概念を無批判にルネサンス研究 に用いる研究手法を疑問視してはいるものの、分析方法に修正を加えなが ら、文学研究はこれからも社会に内在する問題を探求するべきだと私は考 ﹃ ハ. 。 。. υ.
(18) 文学・芸術・文化. 1 6巻 1・2合 併 号. 2 0 0 5 . 2. えている。. 参考文献. Agnew,J e a n C h r i s t o p h e . WorldsApart:TheMarketandt h eT h e a t e ri nAnglo-American Thought ,1550-1750. Cambridge:CambridgeU n i v e r s i t yP r e s s,1 9 8 6 . D r a k a k i s,J o h n .e d .A l t e r n a t i v eS h a k e s p e a r e s . 1 9 8 3 . 2ndE d t i t i o n . London:Routledge, 2 0 0 2 . B r u s t e r,D o u g l a s . Shakespeareandt h eQ u e s t i o no fC u l t u r e . NewY o r k : P a l g r a v eM a c m i l l a n,2 0 0 3 . deG r a z i a,M a r g a r e t a,MaureenQ u i l l i g a n,andP e t e rS t a l l y b r a s s .e d . SubjectandObject i nR e n a i s s a n c eC u l t u r e .C ambridge:CambridgeU n i v e r s i t yP r e s s,1 9 9 6 . Fumerton,P a t r i c i aandSimonHun t .e d . RenaissanceCultureandt h eE v e r y d a y . P h i l a d e l p h i a:U n i v e r s i t yo fP e n n s y l v a n i aP r e s s,1 9 9 9 . K a s t a n,D a v i dS c o t t . “I st h e r eaC l a s si nT h i s( S h a k e s p e a r e a n )T e x t ? " Renaissance Drama2 5( 19 9 3 ) :1 0 1 21 . ShakespeareA f t e rT h e o r y . NewYork:R o u t l e d g e,1 9 9 9 . Howard, J e a nE . TheStageandSocialStrugglei nE a r l yModernE n g l a n d .1 ρ n d o n : R o u t l e d g e,1 9 9 4 . J a r d i n e,L is a .S t i l lHarpingMyD a u g h t e r s .H e r t f o r d:H a r v e s t e rP r e s s,1 9 8 3 . 藤 津 博 康 「シェイクスピア批評と「階級J概 念-1930 年代から 1 9 8 0 年まで-J 近畿大学文芸学部論集『文学、芸術、文化』 第 1 5 巻第 2号 2 0 0 4 年 5 5 8 9 .. -190ー.
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