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"戦略的経営決定の考察 -- 松下電器の事例研究 -- -- N. W. チェンバレンの所論をふまえて --"

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(1)戦略的経営決定の考察 —. 松下電器の事例研究 ――. ’—N. W. チェンバレンの所論をふまえて —. .: 大 • • . • • 1 2 3 4 5. 1.. 弘. 森. 序ー戦略的決定の意義 目的性と将来性 予見と判断の性質 常規的決定との関係 結ー経営決定での位置. 序―― 戟略的決定の意義. .. ... 9 「戦略的決定 (Strategic decisions) は, 新しい諸目的を達成すべく企業. . .. —. 資産の再展開 (redeployment) を扱うものである。」注 1)これは, N.·W. チ ェンバレンの所論である。「企業と環境」との関係において, その 「変化と 相互作用の理論」として構築された所論の内容は, つねに環境との対比にお ヽ いて企業を理解し, その機能や構造を検討しようと意図するのは当然といえ. .. よう。 経営の意思決定の問題にしても, そうである。,すなわち,. 「企業とそ. ヽ. . ,. の環境との間の比較的変化しない現在の関係に焦点を合わせる管理的あるい は常規的諸決定とは対照的に. ある違った将来に志向する戦略的諸決定があ 注—1) N. W. Chamberlain, "Enterprise and Envirorunent", -1968. 「企業と環境」ダイヤモンド社刊, 昭和49年, 40頁.. - 137 :C 137)-. 大森他訳.

(2) る」注2)という。 経営の意思決定を,. 企業と環境の関係において, 戦略的と. 管理的ないし常規的の類型に二分するのである。 そしてその区分の基準を, 企業が環境に適応すちにあたづての資産の再猥開だ祀どめているのである。 ここに戦略的決定の意義の大きな一つを見出すのである。 「資産の再展開」という概念は, 「資産を新しい形態につくりあげることを. ”. 意味する」注3)という。 それは一種の形態変化であるともいう。 特定の形態 で凍結されている企業の財務的資本を流動化し. その流動資産を以前と同じ 形態で再び凍結することなく, 企業が将来のため, その資産価値を維持し, 増殖するために, 変化していく環境や拡大された機会に, より適応した形態 9 へ資産を展開する 決定をなす. これが 戦略的決定の役割であり, 曇’. 内容であ. り, 意義であるという。 たしかに企業の経営管理陪はつねに. 一方では凍結. .. . .. . : されている資産ないし資源から能率的な目標の達成に努力するとともに. 他. 方ではその資産, 資源が流動化してくるとき, より効果的な方向に展開しよ うと努力するものである。 それは企業に利益が留保されるときにかぎらず. 在庫品が出庫されるときをはじめ, 債権が返済されるとき, 減価償却が引当. .. ~· . .、.. てられるとき, あらゆる機会を活かして,資産の再展開をはかって,:企業成. 長のための戦略的決定がなされなければならない。 こうした問題は, 技術的変化に対応して機械設備の転換をはじめとして, 生産工程や工場全体. その立地,. `. さらには製造すべき製品や新製品開発な. ど, 幾多の戦略的な課題として採り上げられるであろう。 これらの問題は, すぐれて長期的な課題ではあるが. なかには短期的に急激に環境の変化に順 応し, 方向転換せざるをえない場合もあるにはある。 たとえば企業の買収や 合併など. その事例であろう。 しかもこれらの問題は同時併行的に解決され なければならない課題であることが屡々である。 したがってこれらの戦略的 な問題を解決するための, いわゆる戦略的決定の課題は. 企業全体として, 注—·2) N. W. チェンバレン, 前掲訳害,40頁. ' 注— 3) 同上, 同書,40頁.. -138_(138)-.

(3) 時間的な流れのさまざまな点に関して, また活動的な働きのいろいろな点か ~ らしても, 企業および計画において統合されなければ ならない。 「そしてこ. のような統合は, それらが予算の中に組み込まなければならないー一段階的 にそれらを達成すべく資源を配分することによって. 具体性が与えられる一 ーことを意 味する。」注— 4) ただ資産の再展開というのは, こうした財務的な配慮ーーたとえば貸借対 照表項目としての資産を取扱うだけに限局されているわけではない。 むしろ 強調したいのは, いわば「企業の真の資産――その製品ライン, その生産 マ ー ケティング• 財務組織ー一」注 5) である。 勿論,. ・. これらには財務的な資. 本投下も ふくまれてはいるが, 「長期間にわたってうち立てられた組織的な ヽ 制度的諸関係のネットワ ー ク」注. —. 6) である。. つまり,「経営管理層が将来に志. 向する場合, 財務的資産の再展開だけでなく, 真の資産の使用方向の変更に も注意を払わなければならない」注 7) ということである。 そのことは,. 財務. 的な実体的資産の再展開ということにとどまらず, 組織的資産の再展開とい うことまでふくめると いうことであり,. とくに研究• 開発の領域や部門で. は, 実体的資産の再展開より, 組織的資産の再展開そのものである典型が見 出されるといえよう。 そういう意味で, 企業の真の資産の再展開である,戦 略的決定は,. まさに「組織の調整と 新組織の創造という,. もっと複雑な過. 程」注 8) をも包含した課願であるといえる。 これと関連して, 戦略的決定の問題は, 代替的な投資機会を比較秤羅する のに, ただ投下資本からの成果の相対的比率だけを考慮してはならないこと が必要になる。 すなわち, 「提案された新投資が,. 企業の現在の真の資産,. その組織構造にどんな影響をもたらすだろうかという点も銘記しなければな 注— 4) 注-5) 注— 6) 注— 7) 注ー 8). N. W. チェンバレン, 前掲訳書, 42 頁.. 同上, 同上, 同上, 同上,. 同書, 同書, 同書, 同書,. 43 頁. 43 頁. 43 頁. 43 頁.. -139 (139)-.

(4) らないということである。」注 9) たしかに, 他の企業への株式投資が, たとえ より大きな利益をもたらすとしても, 企業の資源を, シナ ー ジ効果, いわば ヽ 相乗効果のない, 無関係の方向に転換することになるとすれば, それは「一. ヽ つの活動的な組織としてのその企業の真の資本価値を引き下げる」. ー—. そう. いった戦略的決定となるであろう。 そこに戦略的決定の定義をふまえた, 決 定のための準則なり原理と, その役割が見出され, 戦略的決定の意義を理解 することができるといえよう。 、こうした戦略的決定の意義をふまえて, 松下電器の事例を解析していきた いとおもう。 そこで必要となる解析の尺度は. 時間的尺度なり座標としての ●. 「将来性」であり, また他方の尺度は機能的というか. それが構造化された 組織的な尺度としての「目的性」である。 これら「将来性」と「目的性」と いう解析の概念を, 事例の研究に先立ってまず理解しておこう。. 2.. 目的性と将来性. この「目的性」と「将来性」という概念は. チェンバレンもいっているよう に,J. R. コモンズの所論に親近性をもっている。 すなわち, コモンズの畢 生の遺作である「集団行動の経済学」注10) のなかにおいても見出されるとこ ろである。彼は第 一 部で「経済活動」そのものの本質を, 「資本主義」 の枠 組のなかにおいて,「取引」 との関連について「集団行動」 および「個人行 動」として解析し, その制度的特性を理解したうえで, あらためて 第二部で 五•つの「単純化された仮定」を検討してしヽる。「主権」「稀少性」「能率」「将 来性」そして「慣習」についてであるが, そこに「将来性」の吟味がある。 さらに第三部では「相対性」にかんし、「研究方法」 と「評価」, とくに「経 注—9) N. W. チェンバレン, 前掲書, 44頁. 注-10) John R. Commons, "The Economics of Cojletcivt;i Action", 1950. 日井薫等訳,「集団行動の経済学」文雅堂刊. 昭和33年.. ー140 (140)-. 春.

(5) 済学者の価値理論」などを考察し,「行為準則」について「同様性と相違性」. . ”. および「部分と全体の関係」そしてそれらの「歴史的発達」を理解したうえ で, 「経営管理の戦略」や「調停と制限」の問題として展開する。 それはま さに「目的性」との関連の吟味である。 あとは第4部で「経済問題の公行 政」への応用の問題として展開されているところからすると,. コ ンンズのこ. ヽ の大著が, 「経済活動」の理論的な解明にあたって, 「将来性」と「目的性」 疇. をいかに重要な構成要素としているかが, 計り知られよう。 「将来性」については, とくにコモンズは, 企業の複雑さを分析して,<時 間要素」の観点からすると,「初期の経済学者は 過去から始めて現在の起源 を過去の中からあとづけた」が, 「今日の経済学者は 将来から始めて現在へ と読み戻るのである」注 11) という。 われわれは, ここに大局的な時間の尺度 についての示唆をえるのであるが, 同時にわれわれは, 局部的というより,. `. 具体的な全体としての企業そのものの活動に焦点をおいた時間的な考察をふ まえる必要があろう。. " . .. それについて, チェンバレンはいう。 「戦略的諸 決定は応用経済理論以上 のものである。」それは,. コ モンズとの関係においては,. 制度理論といえど,. マ クロ的把握では抽出できない, 企業そのものの活動を対象にしたミ クロ論 の必要なことであるとともに, 経済理論におけるミ クロ的アプロ ー チといわ れるマ ー ジナル論, いわば「限界主義者の計算を超えるもの」であることを. . .. 意味しようとしているのである。 つまり戦略的諸決定, 「それらは 企業の目 的. (purpose), すなわちそれが実現しようと期待する将来のある状態をあら. わしている」という。 それにたいして,「理論は 予測可能性を もって働く一 ーそれは将来が現在と過去の延長であること, 変化のない風景を貫いて時間 の流れが通っていることを含意する」ともいう。 したがって, 「戦略的 決定 は, 将来を制御し, それを予測できるものとは別の何かにする力ヘの信頼を 含意している」ともいえる。 そのため, 「そこには目的の選択が, 次いで手 注—11) J. R. コモンズ, 前掲訳書,123頁.. ー141 (141)-.

(6) 段の工夫が含まれるが, どちらも過去のできごとから決定論的に出てくる反 応よりはむしろ, 意思の主張を意味するものである。 」また,「それらは検証 可能な論理あるいは環境の継続性によって指導される決定よりはむしろ, 将. . .. 来への目的的な突進である」ともいえよう。 「つまり, それは選択の結果を 文字どおり予測できない代替的方法間の選択の問題である」といいえよう。. .、 .. たしかに戦略的決定は. 予測不可能で不確実性にみちた将来への挑戦であ ることに第一の特性がある。 それは将来性そのものの本性に依存する。 予測 不可能性であり, 不確実性の要素である。 これに関連して, チェンバレンの いうところをみよう一ー計画化される事象は, 保険統計上の危険のように, 確率分析が妥当する一連の類似の事象の一つではない。 むしろ――意思決定 が行われる単位の内部で. その事象は独立し孤立しており, 成功あるいは失 敗の見込みを計算することができない。 しかも一ー不確実性要素はまた, 追 加的資料の猥得によっても克服されない。 たしかに — 情報の増加は決定の 改善をもたらし, その限りにおいて不確実性を減少させるかもしれないが. つねに将来と関連するがゆえに, 期待や推測しかできない種類の事実が依然 としてあるにちがいないし, またこの単純な, 免れがたい将来の神秘性が, 企業資産の再展開のあらゆる重要な企画にまつわりついているのである。 その結果として. チェンバレンもいうように一ー記録に残る歴史の全体を 通じて, 人々は, 事業家だけでなく, しばしば特定の将来を自分に信じさせ るであろうし, こうして他の人々がどう思おうと, 彼ら自身の心中では不確 実性を確実性で置き換えるいろいろな工夫に飛びついてきた, のである。 ま さに, 「予言のための宗教的信念」もそうであるし,「トランプ占い師」や 「仏 教修道僧」なども, 今日なお, 「ときには事業上の不確実性の苦痛を和らげ る手助けをしている」といえるのである。 「しかし最近いちばん普及してき. ‘ 注—12) N. W. チェンバレ ノ, 前掲訳書,46頁.. -142 (142)-. . ‘.1i―、 · . 、」 }4ょl 邊 ・ ・ ‘ ー ii. という 注 12) 。 たとえば, こうした実践の事例は, 代替的投資決定案に割引利. : ... 4 •. たのは, 将来を予言する手段として科学や数学に頼ろうとする試みである」.

(7) 益率法による分析を適用する場合などであるが, その経営決定が戦略的であ ればあるほど, そうした公式は有効でなく, 無益というより, 有害ですらあ るかもしれないといえよう。 なぜなら, 「どんな公式も, 確実性の意味で知 ることができない, その企業の将来にかかわら なければ ならない からであ — る。」 注 13). そこに本来というか, 本質的に, 戦略的決定が, 価値セット (Value Set) あるいは戦略セット (Strategy Set)を必要にする根拠があり,「判断」とい い,「勘」といわれるものが必要になる頷域があるといえよう。. またそこに. 経営の理念や方針, あるいは価値観といわれる, いわゆる自然科学の対象に. •. はなりえない概念が理解されなければならない社会科学の固有の対象が見出 されるともいえ, さらには社会科学としての科学の範疇だけでは把握しえな い学問, つまり哲学, なかんずく経営哲学の範疇が見出されなければならな いともいえるのである。 まさにこうした適切な事例として, 松下電器, そし てその創業者たる松下幸之助の, 経営の理念や方針, あるいは経営哲学を見 出し, 研究の対象としたいわけである。 もっともここで, 松下電器の事例に. .. ついて詳細に検討するのは別稿にゆずり, さらにチェンバレンの所論にした がって, 理論的な枠組の検討を進めて行きたいとおもう。 つまり「戦略的決 ー. 定のもつ判断という性質」注. 3.. 14) についてである。. 予見と判断の性質. まず, チェンバレンは,「戦略的決定のもつ判断という性質」を判然とさ せるために,「予測」 (prediction) という 言葉の定義からはじめる。. それ. は,「特定の諸前提からの演繹に甚づく将来の事象あるいは事態の予想 (fore. `. —. casting)という意味」注. 15) であるという。. さらに言葉を借りていうなら, っ. 注—13) N. W. チェンバレン, 前掲訳害, 48頁. 注ー14) 同上, 同書, 48頁. 注—15) 同上, 同書, 49頁. ー143 (143)-.

(8) _. それは因果的諸力を確認する能力への 信頼を含意す. `. ぎのようである。. る。 換言すれば決定論的哲学に頼るものである。 したがって統計的推定は, ある問題と論埋的に関連している統計的系列をまず確認し, 次いでその統計. .. 関数の連続性か, あるいは予期される変化に関するなんらかの前提に甚づい て, その系列を将来に延長するという意味で. 予測の中に含まれるであろう ーーという。 そこで, チェンバレンは. 予言 (prophecy) や. 判断 (judgement) を, 予測および予想と対比させ, その相異を強調する。 すなわち, 予言は,. 「論. 理よりは信念に根ざす確信に基づいて, ある特定の将来を予想する」注—16) も のであり, また判断も, 「資料や論理を用いて多数の代替的 可能性を 立証す るけれども. さまざまの論理的可能性の中から選択するためには. なんらか の非論理的過程に頼らなければならない」注17) ものである。 つまり, 非論理 的過程が介在することによって, 予測と本質的に相異するものであり, そこ に戦略的決定の本質も存在しているといいえよう。 まさに, チェンバレンがいうように, 「戦略的決定は判断の 行使に 依存す ヽ. る。」注 18) しかも, 判断について, 明確に以下のように指摘している。 判断, あるいは戦略的決定は. ーー最終的選択にあたっては非論理的過程の力を穎 りにするが, その性質はたやすく明らかにされない。 それは事業家がときと. . .. して, 知的思考と区別するために 「勘」による思考とみなす要素である。 そ 亀. れは直観といわれることもあれば,「決断力」といわれるとともある。. それ. はおそらくかなり豊かな経験ーーすなわち類似した型の情況とか類似した種 類の問題を数多く切り抜け, また似通った不確定な事態に直面し, どうすれ ば解決されるかを観察して,「正しい」 あるいは満足のいく 選択ができると いう自信, あるいはなんらかの選択を行って, 臆せず結果に向かい合うとい 注—16) N. W. チェンバレン, 前掲訳書 49頁. 注—17) 同上. 同書, 49 頁. 注ー18). .. 同上, 同害, 49頁.. -144 (144)-.

(9) -. う大胆さを身につける一ー を 含 むであろ う。 ヽ. そういう意味で, 「予見」(fo resight) も, 「 判 断」 の一 側面であると い う 。 すなわち,「それは 論理的に可能な諸代替案を明示 し , 、 その中から選択が行 —. われなけれ ばならないことを 含 意している」 注. 19) からである。. したがって,. 予見は. 経営者によって. 大きな相違であるはずであり, それは経営者の時 間的視界の知覚できる代替案の範 囲にかかっており, また論理に基づいてい るとはいえ, 遠い将来に隔たるにつれてますます推測的な思考に頼らざるを えないからである . という。 また, 「 し たがって, 想像力という性質が予見の重要な要素である」注 20) と もいう。 これについて, 微生物学者であるロッ ク フ ェ ラ ー 大学のルネ ・ デ ュ ボ ス (Rene Dubos) 教授の言葉 を引用 し て解説している。 実際界において, 「想像」 とか「想像する」 という言葉が本来の意味を失なって, 科学者の社 会では, むしろ 「知的教養の欠如」や「現実のゆがんだ認識」を 意味するも のにさえなっているという。 「けれども これらの言葉は,. 最も創 人間精神の •鳥 ペ. 造的な特徴の. 一. つ一. 事実, 人間を他の高等動物と区別するごく少数の特性. の一つ――—に起源 をもつものである。」 注 21) そして, 「想像する, ことは明 ら. .. かに一つの心像をつくり出すこと一—より厳格にいうと. われわれにぶつか る 無数の無定形の事実や事象の中から, 各人が, 自 分にとって意味のある一 つの明確な パ タ ー ンに 組織できる少数のものを 選び出すこと一ーを 意味す そこで, 「想像は現実のあるがままの事実から意義のある構. '. ー 22) という。. る」注. 造を形づくるために人類が用いてきた鋳型を提供したのであるから, 文明生 活 の最も創 造的な諸力の一つであった」注 23) という。 チ ェ ンバレンもいう 一一想像の創造的性質は目的性と将来性という二つの 注19) N. W. チェンバレン, 前掲訳害, 50頁. 注-20) 同 ーI:. 同書, 50頁. 注—21)22)23) Pene Dubas, The Dreams of Reason, Columbia University Press, New York, 1961 , PP. 43.-44. ( 野島徳吉等訳 「 目 覚め る 理性」 紀 伊国屋書店刊, 1971年. ). - 145 ( 145 :> -.

(10) •-. 要素から生 じ る。 そ し て 一ー 目 的性と将来性 なしに は 想像は 不可能か, それ. •.. ・. .、 と も 実らないかのどちらかである。 将来の不確実性要素が, 考えられるさま. .. ヽ ざまの将来をつくりあげるために 想像を用いることを可能 にするのである。. .. も し将来が予測できれば, それは変化の可能性を伴わないであろうから, 想 像は 夢想という無意味な行為となろ う , と。 さらに 一ーこうして, 判断の創造的性質と結びついた将来性と 目 的性とい う要素 は , 不確実性 を単に克服すべき危険あるい は脅威と見るだけで なく, 利用すべき一 つの機会と考えることを可能 にする。 環境—ただいま現在の 環境では なく将来の環境 ) ' "ーー は, 可能ではあるが確実では なく, 他の人々が それに 気づくか も しれないし, 気づかないか も しれない手段 に よって, 開発 0) 可能性のある場として探査される, という。 まさに , 戦略的決定は , 将来の 不確実性 に とんだ環境に たいする, 想像 と 予見, そして判 断 に よる も のである。 しか も , チェ ンバレンのいうとおり •. 「判断という最終的 な行為と, これまた想像と予見に依拠している 戦略的決 —. 定 は , 最高経営管理屑が回避できない仕事である。」注 公) 戦略的決定についての, チェンパレンの考察をさらに 忠実に 跡付けてみよ ヽ う。 戦略的意思決定を行うに あたって, 判 断 の指棚として能率の基準 は使え ない, という。 以下, つぎのようである。 能率という概念は, 企業資産をど のように 再展開すべきかについての決定に つきまとう不確実性が存在する場 合, 適切でない。 たとえば, 1 ダ ー ス の可能な代替的活動方向の中からな ん らかの選択が行われようとしている場合を考えてみよう。 各案は判断によっ て しか評価できない失敗と成功の可能性を も っており, そのことは , 論理の 手の届くの はここまでで, それから先は な んらかの非論理的 な決定の基礎 に 道を開くことを意味する。 どんな限界主義者の計算 も , いろい る な大きさの 不確実性の前で は な んの意味 も も た ない 一ーという。 たしか に , 戦略的決定 に おける, 「非論理的 な決定の基礎」 の位置づけと解明こそが, これからの 注—24) N. W. チ ェンバレン, 前掲訳書, 53 頁.. - 146 1 (146 ) -.

(11) 課題といえよう。 また, こうした「非論理的な決定の基礎」 をふまえた戦略的決定は. いわ ゆる常規的決定あるいは管理的決定と. たえず補完関係にある。 現在の企業 活動にかんする, いわば増分的決定としての常規的, 管理的決定は. す ぐ れ て能率の 基準ないし 規範によっており, 組織を安定的な 均衡位置へと推進 し, 組織の各単位も他の各単位と合理的に関連づ け られることに な る。 それ に た いし. チェンバレンもいうとおり, 「戦略的決定の将来志向的な 目的的 判断は. それと逆の機能. つまり部分的. 全体的のいずれかにせよ, 現在の 秩序を破壊し, 結局は現在の体系的な諸関係を ぐ らつかせる変化 を導入し一 ー一時的でしか な いが一ー不均衡状態をつくり 出 すという機能をもつもので あり, そこからある将来の秩序が出現すると期待される」 注 25) ものである。. . .. このような 戦略的決定と常規的な管理的決定の相乗効果. チ ェ ンバレン のいう, ー一短期的な精密さと制度的正統性 を増大しようとする持続的 な 動 きと. より長期的な急進的思考と制度的改革をめざす, もっと起伏のある動 き, これら二つの相互作用の問題がでてくる。 この問題を, つぎに採り上げ ていこう。. 4.. 常規的決定との 関係. 戦略的決定と, 常規的ないし管理的決定の相互作用の関係は, どうであろ うか。 チェンバレンによれば, 相互に作用する方法には. 少 な くとも三つあ るという。 第ーは, チェンバレンのいうように. 「一方は将来を 志向するとはいえ, ー. どちらの型の決定も現在行ゎれな ければ ならな い」注. 26) ということで. ある。. そのことは. 資産の再展開計画ともいえる戦略的決定が, 将来を志向する も 注ー25) N. W. チェ ンバレン, 前掲訳贅 55頁. 注—26) 同 上, 同書, 55頁.. - 147 ( 147 ) -.

(12) のであることはいうまでもないが , それは同時に, 能率基準の制約の も とに なされる管理的決定あるいは常規的活動に, 現在の時点で影響しあうもので ある。 つまり, ·—- 2 種類の決定は機能的に統合されなければならない, す な わ ち おの お の は, 両者の機能を最も損なわないような方法で遂行されなけ ればならない ――ーということである。 戦略的決定と管理的決定の, 第二の関係は, 財務的なものであるという。 というのは一ー企業の 日 常的活動は減価償却への配分を通じて, また収益を 通じて, 企業が資金の流れを引き 出す主要源泉であ る 一� ことからで ある。 勿論, ほとんどの企業が , 資金の流入と流 出にかんして, 短期的およ び長期的な外部金融に依存していることも事実であるが , 主要な源泉として 内部金融を 志 向していることは 問違いない。 チェンバ レ ンも い うとおり, 「したがって, 企業の現在の活動からの収益の流れが, 企業の計画する 戦略 的投資の財務的手段を提供 する」注 'l:I)ことになる。 将来への戦略的 決定も, 現在の 日 常的な業務活動の収益と, 相互の関係をもっているということであ る。 チェンバ レ ンの表現によれば, 「このようにして 現在の利益が将来の収 益を引き受け, また常規的決定が戦略的決定を 可能にする」注-28)という こと である。 しかも戦略的決定, すなわ ち 資 産の再展開の特性は, つぎのようで あ る こともあわせて考慮しなければならない。 つまり一ー資産の 再展開 への どんな適用も諸活 動の異なる組合せに基づく利潤の達成の継続性を信頻して の, 希望の表明である一ーにすぎないということ。 なぜなら一ー企業は期待 や希望をもつことはできようが , 確信をもつことはできない。 というの も 現 在行われる戦略的決定が 将来の収益に及ぽす効果は, 正確な, あるいは意味 のあ る どんな方法でも計算できないからである一ーという, チェンバ レンの 見解についてである。 そこ戦 に 略的 決定と 管理的決定の, 第三の関係が 示唆されている。 注ー27) N. W. チェンバレン, 前掲訳書 56頁. 注ー28) 同上, 同書, 58 頁. - l祁 ;(14$ ) -. それ.

(13) ’. は, チェンバレンの言葉を借用 して要約 するなら, 「今 日 の 戦略的決定は , それがなし遂 げられると 将来の常規的決定に なるであろ う 」注郊)とい う こと である。 そのことは逆に, 今 日 の常規的決定による 企業活動の均 衡.. 貢献. が, 将来の戟略的決定そのものを 可能にするとい う 関係でもあると いえよ う 。 それは. ー一一種の繁殖関係で, 戦略的決定が新しい形態を生み出し, その新しい形態がほどな く 成熟して常規的決定とな り, 企業の生命の新世代 を生 じ るとい う ように, 生物学のこれに相当 する作用のよ う に無限に続く一 ーとい う 。 こうした論議 をふまえてみると. 企業とい う の は, た しかに 日 常的な業務 活動, つま り常規的な管理的決定の連続な り積み重ねの う えに構築されるも のであるとい う 見解を否定するわけではないが. むしろ常規的な管理的決定 との関係において, 戦略的決定をど う 位置づけ, 理解するかが肝要といえよ う。 企業とい う のは, まさに定義どお り, 業 を企てるものであ り. ミ ュ ン ペ ー タ ー のい う , 創 造的破壊をおこな う 企業家精神こそ, 本質であ り, 特性で. . なければなるまい。 そ う い う 意味で, 管理的決定の重要 さ を否定するのでな く, 戦略的決定の, 企業における中枢的な特性との関係で, たとえばチェン バ レンのい う 三面の関係で. 補完的に理解していくべきであろ う 。 とともに, 戦略的決定そのものの意義からして, 企業の経営理論そのものも検討しなお し再構築する課題があるといえよ う 。 それは. 戦略的決定が企業の中枢的な 特性で あるとい う こと から, 戦略的決定に 不可避の不確実性と不確定性に 直面して, ど う 企業の理論として消化していくかとい う ことである。 企業の 環境がますます不透明にな り, まさに ガルプ レ ス のい う「不確実性の時代」 とい う 経営環境になれば, よ り以上に, 戦略的決定の企業での理論化は必要 の度を高めるといえよう。 その経営理論は, まさに管理的でなく, 戦略的で なければならない。 従来の経済学の理論を援用し た , す ぐ れて 外挿法的とい う か, すでにふれた 統計的, 予測的な理論化でない. ナニモ ノ か, それはワ 注ー29) N. W. チェンバレン, 前掲訳聾 58 頁.. - 149' ( 149 ). 一.

(14) ーク. ・. デザイ ン 的とい う か, すでに議論 も した判断とい う 概念 を 中核にした. 理論の構築といえよ う か。 その企業の 理論は, 自 然科学的でなく, まさに社 会科学的である。 も っと も 理論その も の の 構築 の 議論が当 面の問題でないだ けに, その 検討はまたの機会にするとして も , 戦略的決定 を 中 枢 的 特性とし て, 従来の 理論に結合させ, 再構築化するとい う 課題にたいしては, チェ ン バ レ ン の つぎの言葉が, 傾聴に値いしよ う 。 「一一われわれの 予想としてこ の よ う な変化志 向 的な決定の 内 容よ り はむし ろ 過程を扱 う 理論の開発が 唯 一 の 解決策だとはいわないが, そ う することによって結合が大いに行われると 示唆する ぐ らいはで き る」注 30) とい う 。 われわれ も , チェ ン バレ ン の示唆にしたがって, 変化志向的な決定の内容 を , 事例をふまえながら, そ の 決定 の 過程について研究してい き たい も のと お も う 。 そ こ に再度, 松下電器における意思決定, なかんずく戦略的決定の 事例研究をしてい き たい問題意識の確認 をするわけである。. 5.. 結—-経営 決 定 で の 位 置 ●. 戦略的意思決定の経営決定での位置づけは, 常規的ないし管理的意思決定 と の 関 連において, すでにみたとおりである。 まさに表裏一 体であ り , 相互 補完の関係である。 とと も に , 企業における経営決定の位置づけが, 本来, サイモ ン の い う "Management is Decision-Making" であるだけでなく, なかんずく戦略的意思決定が, 経営決定, したがって企業その も の の 中枢的 特性をなすとい う 位置づけである。 そ う いった, い う なら量的な関係におけ る位置づけと, 質 的な関連での 位置づけを, あわせふまえてお き たいとお も. っ。 こ う した, 戦略的意思決定の 位置づけを, さらに考察するにあたっては, チ ェ ン バ レ ン の示唆にしたがって, 意思決定その も のの過程 を研究しなけれ 注—30) N. W. チ ェンバ レン, 前掲訳害, 59頁.. - 150' ( 150 ) -.

(15) ばならないであ ろう。 そういう意味で; 松下電器の戦略的意思決定の事例研 究の必要を確認したわけであるが. ここで, これまでの考察をふまえて, 松 下電器の創業者であり, 企業者としても経営者としても, 今日の日本的企業 の代表者の一人といえる, 松下幸之助の「決断」注31) についての 見解を取纏 めておこう。 ー. まず, 松下幸之助は, 最近の雑誌の「先見力の研究」という特集 注 3� で, 「先見力は予見プラ ス 理想」であると喝破しており,「一つの仕事を熱心にや っていれば, 厚紺大小の別 はあっても, 一応の先見力は身につくものだ」と. ”. いい, 「しかし, その先見力が非常に的確なものであるためには, しっかり した理想と信念を持ってい なければならない」という。 したがって, 「松下電器がこれだけ発展したのも, 私に先見性があったか. ’. らというより, 「こうしたい」 という希望をみんなに訴えて, 幸いそれがう 轡 まく実現したからですよ」と述恢している。 また「現在のような 非常に複雑. 多岐で, しかもテンポ の速い社会では, 本当 に的確な 先見性はだれも持 っ て いませんよ。 だから ‘. を把握できたら. ". 不確実性. 確実性. ”. “. という言葉が 出てくるんで, 的確に先見性. に なってしまう」といい, 「ただ, それを達成で. きるかどうかはともかく, 経営者は 自 分の希望なり理想を言葉にして社員に 発表し, みんなにもそう思わせることが大切です」 という。 すな わち,「. ". 不確実性. ”. を否定する気概」をもてという。「つまり, 第三. 者が見たら不確実な ことでも, 自 分がそこに乗り出して行って, 不確実 なも のを確実にする方法を考え, その実現に努力するわ けです」 と。. しかし,. 「不確実なものを 確実にするには, よ ほどしっかりした理想を持ってい なく てはならな い」と強調する。 そして, 「「これからは, こうなるだろう」 と いう予見も一つの先見性でしよう。 しかし同時に 「こういうふうにしたい, 夕 こうありたい」 という理想を持って, その実現に努力する ことも 先見性 で. 注—31) 松下幸之助著, 「決断の経営」 PHP 研究所刊, 昭和54年. 注—32) プレジデン ト , 昭和 54年 1 月 号 ( プレ ジ デン ト 社刊) 以下, 同誌記事引用.. - 151 ( 151 ) -.

(16) r す。 ことに, 最近のよ うに変化の激しい社会では 「こうなるだろう」 とい う ‘‘. 予見を持っても, 必ずそうなるとは限らない。 自分で そうする ” の がいち ばん確かです」と, 解説する。 しかも, 「確率70% で上出来」 だともいう。 それについても,「要は心の持ち方です。 経営者というのは, 心の持ち方が 非常に大事なんですよ」という。 「ですから経営者は, 商売の業 ( わざ) と か技術といった職業的なもの以外に, 人間的なものの考え方が必要ですね。 つまり, 経営者は技能的な手腕よりも人間的な. `. ”. 味 が問われるわけです」. と結論する。 こうした, 松下幸之助の生の言葉を集 録することによって, 現実に生きた 事実をもって, すでにみた, われわれの考察が哀付けられたり, 吟味を考慮 する余地が見 出されたりする。 たとえば, 戦略的決定にかんする「目的性と 将来性」についての裏付けであったり,「予測不可能性―― 不確実性」 にた いする新たな考察であったりする。. また戦略的決定に おいて判断 (judge­. ment) がもつ重要性を強調するチェンバレンの理解をふまえてみると,. 色. •々 な示 唆をえることができる。 再言するようであるが, 判断は, いわゆる決 定論的哲学による予測 (prediction) でも, 予想 (forecasting) でもない, むしろ予言 (p rophecy) と 近似性をもっている。 ま た 「勘」や「應観」そし て 「決断力」といわれる内 味は,「最終的選択にあたっては非論理的 過程の 會. 力を頼りにする」 注33) という意味で共通項をもっている。 さらに予見 (fore­ sight) は, 判断の重要な一面であり, 想像 (imagination) は, 予見の重要 な要素であ るという議論は, 松下幸之助の 見解と補完しあう。 松下 幸之助 は,「予見が一つの. `. ”. —. 先見性 」注 34) と規定し, 経営者の, したがって戦略的. な経営決定の課題を指摘している。 すなわち, 「問題は, その予見を強く持 っているかどうか, それが的確なものであるかどうかですが, 少なくとも経 営者である以上, ある程度 しっかりしていなければ 事業の発展は ありませ 注—33) N. W. チェンバレン, 前掲訳書,49頁. 3' 4) 松下幸之助. 前掲誌, 1,6頁. 注:-''. - 1 52 ( 152 )-.

(17) チ ェ ンバレンの 「判断とい う最終的な行為と, こ •. ん」 注35) とする。 これは.. れま た 想像と予見に 依拠している戦略的決定は, 最高経営管理層が 回避でき ない仕事である」 注36) とい う 理解と共通しているものといいえよ う 。. た だ予. 衝. 見や判断に もとずいた 戦略的決定が, 環境の不確実性のもとに 非論理的な決 定の基礎に よるとする, チェンバレンの理解の 内味を, 松下幸之助の見解 は, さらに吟味してい る といえよ う 。 松下幸之助は, 予見を強く持っての判断, 意思決定 にとどま らず, 的確な 予見に よる判断, 経営決定をもとめる。 より強い予見を持つためには, 「 た だ, 一つの仕事を熱心 に やっていれば, だれでも自然 に 「この先はこ う なる だろ う 」とい う 決め手となる。. ‘. ”. 注37) , いわば仕事への熱心さが 予見 は持つことが できる」 だが的確な予見を もつためには.. さらに, 「それとも う 一. つ. しっかりし た希望なり理想を持つことも, 先見性に 欠かせない条件でし ょ う 」注38) とい う 。 松下幸之助は.. ~. , い う なら経営の哲学. っと簡単には「考え方」である。. (philosophy) であり, も. .. れを表現することがあるが .. しばしば信念なり理念とい う 言葉 で, こ. したがって,. 「だいたい 経営とい う もの. は, 経営者が考えていることを会社の目標として全従業員 に 知らせないと, う ま くいかないもので す」注39) とい う ことになる。 そこに 「不確実性を確実 にする方法」が見 出され. その鍵 になるものが, 経営者の考え方であり, 理 ヽ 念 理想で あり,「こ う なるだろ う 」の予見より,「こ う で ありたい」の予見. にしたがって, 「自分で. ‘. ” そ う する のがいちばん確か」なわけである。. こ. こに, 経営の理念とい う ものの積極的な意味と役割が, 不確実性に とんだ経 営環境 に おける 戦略的決定 に かんして 理解できるのである。 この事例とし て, 松下幸之助はみずから, 松下電器における完全週休 2 日 制の実施をとり あげ, 昭和35年度の経営方針発表会で 「希望」 として発表し, 5 年後, 昭 和 注—35) 松下幸之助, 前掲誌, 1 6-17頁. 注—-36) N. W. チェンバレン, 前掲訳書, 53頁. 注— 37)38)39) 松下幸之助, 前掲誌, 17頁. - 153 (153 ) -.

(18) 40年の実施を予期したものという。 こ のよう に「常に 5 年先を考える」経営 こ そが,「希望」のある「予見」であり,「理念」にもとずいた「判断」にな り, 戦略的決定,「決断の経営」 になるという。 松下電器が, は じ めて 5 カ 年計画を発表し たのは, 昭和31 年 1 月 の経営方 針発表会に おいてである。 その当 時の経営環境は, 日本経済とともに 松下電 器も, 戦後の困 難な復興期をのり こ えて, いよいよ本格的な活動期 に 入ろう としてい たとい ぅ 注 ,o)。 そのとき, 5 年後の売り上げ額を 3 倍強の 800億 円 を目標として発表し, 業界内外を梵 嘆さしたのも, 松下幸之助の判断に よる ものであり, 決断であった。 彼は述恢していう, 「 5 年先 に果たしてそれだ けのものが売れるかどうか, こ れはやはり実際 に はわからない。 わからない けれども, 私は800億 円 の 売り上げ額をあげると発表したのである。 それは. なぜか, どういうよう に考えたのか。」注--cl). 彼の考え方は, つぎのようである。 「私は一言でいえば, 世の中の人びと がのぞみ, 求めているものを, そのま ま 数字 に あらわしたのである」と。 そ の考え方を, さらに 付言すれば, 「世の人びとの要求, 要望がやがてお こ っ てくる こ とを予期し, その要望 に ただちに こ たえられるような万般の準備を し ておく こ とは, あらゆる業界, 業種, 識能を通 じ ての大きな義務であり, 責任であろう」 という。 そ こ で, ま さ に大衆との 「見えざる契約」として 「 5 カ 年計画」を発表したのだという。. こ こ に 「決断の経営」 の典型が見出. され, 彼 自 身,「私の決断のしか た」の事例としている。 これに 関連して,「決断の経営」, その決断のし か た に ついて, 彼が述べる 要点を集約してみよう。 予見でなく, むしろ判断そのものについての見解と いえよう。. ーー 言で要約するなら, 「私の決断のしかた 」 「それは私 自 身の. 一. —. 生活体験に もとづいている」注 ヽ2)という。 その こ とは, 注—40) 松下幸之助著, 前掲書,46頁, 以下, 同書引用. - 1) 同上, 同書, 48頁. 注4 注-42) 同上, 同書, 1 0頁. - 154 ·( 1 54 ) -. 決断そのものは, ニ.

(19) 面性をもって い るこ と を物語っている。 そ の 一面は, 「私 自 身」 に特定的 で あり, それは特性的であるとともに限定的であるとい う 側面である。 もう一 面は, 「生活体験」として変動 的であり, それは変化し, かつ動態であると. 彼 自 身もいっているよ う に,. ヽ. い う 側面であろ う 。. 松下電器が 小 さ な町工場で あった ころは,. 「みんなに相談せずに決 断して いた」, とい う 意味での 独断で あり, 「 ひ ら めい て決 断する」やり方であったとい う 。 その理 由は. 「一 つにはその方が早か ったか ら 」であり, また, 「人が 育っ て い なかった」からであり, 「こ の 状態 の 中にあっては, そ の 時 ど きの 私 個人 の ひらめきによって 判 断し, 決 断する. .. .. ほかなかったともい えるわ けである」という。 すなわち「直観力 」による決 断であり, それは「実世間 の 仕事を通 じ て身につ けた生活体験」によるもの である。 しかし生活体験は, その お かれる状態 の 変化によって, 累積し つ つ 動態的に変化する時間的あるいは歴 史的な脱皮 の 過程であり, 決 断のしかた も, したがっ て 変動的である。 たと え ば, 今 日 の 松下電器に お い て , 「衆知 による経営」といわれる, 衆 知 をあつめ て の決定のあり方は, その 変化の結 果であると い えよう。 またいかに松下電器の, そ の 当 時の工場が小 さ い と いっても, 「その 時 ど きの ひ ら めき だ け でつ ねに適切妥当な判 断 をし, 決 断 を下すと い う わけには いかない」とも い う 。 「やはり, 判 断する場合に は おのずと それなりの 基準 がある」とい う 。 すなわち, 「私 自 身」の 基準である。. そ の 基準は一概にい. えないにし ても, まず一ついえることは, 「なにが正し い か」 とい う ことで あるという。彼 自 身の言葉によると, 「こ う した ら 自 分 の ト ク になるとか, . 損だとかい う 利害で判断するのではない。 つ ねになにが 一番正し い か を考 え る 。 そして, その正し さ を基準にするわ け である。 だか ら 私の判断 の 基準と しては, 自 分の商売の損得とい う もの はお の ずと 第 二になっている場合が多 — 43) と いう。. かったように思うので あ る」注. 注—43) 松下幸之助, 前掲害, 11 頁.. - 155 (155 ) -.

(20) . .. さらに「生成発展」 と いう基本 も , 判断そ して決断の根拠になっている と も いう。 彼による と , 「生成発展 と は, ー ロ にいう と ,. ”日に新た. ". と いう. こ と で ある」, これは「いわゆる 自 然の理法」で あり, し た がって「生成発 展の経営理念に も と づく経営」が, 「考え方の 拠りどころ」 と なる と いうの で あ る。 /. '. も っ と も , 「やはり 決断を下す場合に は, 一応常識的に損得 と い う も のを. 考えるのがふつうで あ る」 と いう。 「 し か し 常識的に損得を考える と 判断が つかない と いう場合 も あ る」 と も いう。 そう し た場合, 「そこには 期する も のがあ るべき」 , すなわち, 「自分のやっているこ と は 正 し いのだ と か, 自 分 はこういう使命に立っているのだからこれをやるのだ, も しうまくいかなく ふ て も それは し かた がない, と いうような心境が大切だ と 思う。 そ し てそのこ —. と は私心に と ら われない, と いうこ と に通じる と 思うJ 注 44) と いう。 ―. ――彼は, 戦国時代の故事を引用 し て,・ 決断の拠りどこ 「私心をばなれる」 ろを求める。 さらに, 時 と 場合によっては, 「常職に と らわれない」 決断の 必要なこ と , そ して「 自 分中心が迷いの も と 」 と し て「決断の経営」の拠り どころを, いわゆる企業公器論に結論づけるこ と になる。 この結論は, あ る 意味で は, 松下幸之助, 彼 自 身に特定的で あ り, し たが. ”、. って特性的, 個性的で あ る と と も に, 限定的, 限界的で も あ る。 すなわち, 現実に は 量 的に多数の企業に と って, それぞれ限定的で は あ るが, ほ ガ)の個 性的な 「 決断の経営」がありえる はずで ある。 そこで, 松下幸之助の「決断 の経営」 が, 松下電器に限定的で あ るか も し れないが, 質的にその個性的な 、. `. も のが, ヽ •企業 と し て代表的で ありえるかどうかの問題で あ る。 すでに検討 も —. し た, いわゆる「質的多数」注 45) で ありえるか, その意味で は, 「主体的」 で. あ りながら·. 「主観的」で も 「独断的」 で も なく, 「唯 一者」 で あ っ て, 「独 注—44) 松下幸之助, 前掲書, 12-13頁. 注—45) 澤濶久敬著 「哲学 と 科学」 1 68頁 ( 日 木放送出 版協会刊) 拙稿 「経営理念一 目 的 と 個性ーの考察」 商経学叢, 62号 .. - 1 56 ( 1 561) -.

(21) 自 的」であり. いわば「全の代表者」でな け ればならないわ け である。 松下幸之助 .「私 自 身」は, 「単一者」 として「多数における一者」 であ り, 「贔的多数」という意味での「個物」でありながら, しかも「質的多数」 としての「個性」をもち えるのか. という問題ともいえる。 いわば時間的. 歴史的な流れに たいして. 空間的, 風土的な場の問題といえる。 この問題に ついては.「個性は創造する」注 46) という規定を糸 口 として解明するなら, 松 下電器が企業としてもつ実績ないし成果 に よって, 直裁に 実証されえよう。 ここに , 松下幸之助の「決断の経営」が, す ぐ れて主体的でありながら, 個性的した がって独 自 的で, かつ創造的であり, 企業の風土として, 経営決 定の. いわゆる「価値 セット」 あるいは「戦略 セット」 さらには「規範」 を, 松下電器の組織のなかに定着化させ, 体質化し, それは同時に企業の歴 史とともに. 経営者の「生活体験」をふま えつつ, 経営の環境と状態に 適応 するよう動態的に 変化し脱皮しきたっているといいえよう。 最後 に ,. 松下幸之助は付言していう。 「決断は最後の ゴ ー ルではなく, む. しろ 物事の始 ま りだということである。」注 47) , そして, 「大切なことは. 決 断そのものよりも, 決断したことをいかに 辛抱づよく実現していくか, とい うことだ」ともいう。 それに はやはり, 「不確実なものを 確実にする方法」 を創造する個性の持主でなけ ればならないし, 挫折しない理想の持主でな け ればならない。 ま たすでに みたように. 経営者の 「心の持ち方」 すなわち「技 能的なオ腕よりも人間的な. ‘. “. 味 」つま り「人間的なものの考え方」が必要. である。 「決断の経営」といい, 「判 断の基準」 といい, いずれにしても, 「人間的なもの の考え方」, 換言すれば, 経営者の「理想」であり, 経営の 「理念」, チ ェ ン バレ ン に いわすれば,「価値セ ット」であり,「戦略 セ ッ ト 」 そして「規範」というものこそが. 経営の. し た がって経営決定の原点とい えよう。 注— 46) 澤潟久敬著, 前掲書, 1 68頁. 注—47) 松下幸之助著, 前掲書, 20頁.. - 1 57 ( 1 57 ) -.

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