Title
土からみたグスク時代2.沖縄島の遺跡,グスクの分布
Author(s)
外間, 数男
Citation
沖縄農業, 47(1): 71-77
Issue Date
2015-02-12
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/21495
Rights
沖縄農業研究会
# 巌
土か らみたグスク時代
2.沖縄島の遺跡,グスクの分布 外 間 数 男(
J
I
CA
コロンビア支所) KazuoHOKAMA:Gusuku periodofOkinawathatexperimentedfiom thesoil.
2.Distribution oftheGusuku andtheremainsofthehistoryin Okinawaisland.
は じめに 沖縄 島の面積 は1,204k血 琉球列 島中最大 の 島である.沖縄 島は奄美大島 (718.7kd)の1.7 檀,種子 島 (447.4kd) の2.7倍 にすぎないが, そ こに住む人 口 (約120万人) は両 島 (奄美大 島約6万人,種子 島約 3万人) に比べ圧倒的に 多い.その要因として,島の地形や地質な どが 挙げ られ る. 沖縄島は,地形的に高島的,低島的な特徴 を あわせ もつ島である. また植生な ど生物相 も多 様である.沖縄島に渡来 した旧石器人は最適な 居住環境 を求め定着を繰 り返 したが,成功す る ことはなかった. しか し何度かの渡来を繰 り返 すのち,6,000年前 には本格的な定住 が始 まっ た という (高宮,2005).定住地は当初海岸沿 であったが,その後内陸台地に移 り,また海岸 に戻 るな ど,場所の移動を繰 り返 し,グスク時 代には内陸台地に定着する. グスク時代以前は沖縄貝塚時代 と称 される. 貝塚時代は海 に依存 した 自然採取経済であった ことか ら,遺跡は海岸近 くに多 い. しか し沖縄 島の遺跡分布は中 ・南部に偏 る傾向にある. 12世紀前後 に始 まるグスク時代は農耕社会で あった.グスク (城)は按 司な ど政治権 力を持 2013年12月25日 受付 つ指導者の築いたものであ り,要塞的な役割 を 果 た して いる.沖縄,奄美 を含 めて300以上の グスクが確認されているが,その大部分は沖縄 島の中 ・南部に分布する. 沖縄貝塚時代の遺跡およびグスクの分布は, 沖縄島の中 ・南部に集 中し, また集落数 も中 ・ 南部に多い.遺跡な ど分布の偏 りは, 自然環境 や地形な どと深 く関係す ると思われるが, ここ では土の視点か らながめてみたい.また併せて 沖縄島の地域的特性 を明 らかにし,土 との関連 を概観する. 1.酸性地域 とアルカ リ性地域 沖縄 島は石川地峡 を境 に して (図 1), 北の 酸性地域 と南のアルカ リ性地域に二分すること ができる. うるま市石川か ら北は,北部または 国頭 (山原) と呼ばれ 赤黄色の土壌 ・国頭マー ジ (赤黄色土壌)が広 く分布する地域である. この地域のほぼ90%は国頭マージで占められる. 島尻マージは本部半島や金武町,宜野座村な ど の一部に分布するが,ジャーガルは分布 しない. 国頭マージは古第三紀始新世以前の古 い地層を 基盤 とし,国頭磯層や粘板岩な どか らできてい る.国頭マージは塩基類の溶脱が著 しく,その
72 沖縄農業 第47巻 第 1早 (2015) 図 1.沖縄 島の地域区分 殆 どは酸性∼強酸性を呈す ることか ら,北部 を 酸性地域 と呼ぶ ことができる. 一方石川地峡か ら南は,中 ・南部または中頭, 島尻 と呼ばれ,暗赤色の島尻マージ (暗赤色土 壌) と灰褐色のジャーガル (灰色台地土)が広 く分布す る地域である. この地域の90%以上は 両土壌で占め,国頭マージは沖縄市や うるま市, 読谷村の一部 に分布す るにすぎない.島尻マー ジは弱酸性か ら弱アルカ リ性であるが, ジャー ガルの殆 どはアルカ リ性である.島尻マージは 琉球石灰岩, ジャーガルは泥灰岩か らできてい るが,いずれ も第 四紀更新世以降にできた新 し い地層である.中 ・南部は島尻マージや ジャー ガルのアルカ リ性土壌が占めることか ら, この 地域をアルカ リ性地域 ということができる. 石川地峡 を境 とす る北の酸性地域 と南のアル カ リ性地域は,植生の点でも大きな違 いがみ ら れる.地峡か ら北はシイなどブナ科植物が多 く, 植物社会学的には常緑広葉樹林であるが, リュ ウキュウアオキ ースダジイ群団としてまとめ ら れている. また南の中 ・南部地域はクワ科 を特 徴 とす る樹構成であ り,ナガ ミボチ ョウジーク ス ノハカエデ群団とされている. いずれ も地域 の極相林であ り,潜在 自然植生 と考え られてい る (新納,1983;沖縄地学会,1983). リュウキ ュウアオキースダジイ群団は奄美か ら与那国島までの非石灰岩地域に成林する常緑 広葉樹林で,酸性地域に適応 した植物相である.
この地域ではスダジイ を優先種 とし,イタジイ やイ ジュ,オキナ ワウラジロガ シ,ヤマモモな どがよく生育する. しか しこれ らの樹種 を中 ・ 南部のアルカ リ性地域で 自然植生 として見 るこ とはない (新納,1983;沖縄地学会,1983). 中 ・南部地域は,台地や平地の殆 どを農耕地 や宅地な どが 占めることか ら,アルカ リ性地域 固有 の林相は御森林や石灰岩の露呈する場所 に 限 られる.石灰岩地域固有 の植物相であるナガ ミボチ ョウジークスノハカエデ群団は石灰岩地 域の極相林であ り,クスノハカエデ,ヤブニ ッ ケイ,ホル トノキ,タブノキな どが地域固有 の 植物相をな し,アルカ リ性地域固有 の樹相をな している (新納,1983;沖縄地学会,1983). また動物相か ら北 と南を比較することは,坐 息環境の異なる点で難 しい. しか しオオシマゼ ミは 「山原セ ミ」 といわれ るほど国頭マージ地 帯だけに生息 し, 中 ・南部では見 ることがない (宮城,2000).北部は手つかずの自然環境が残さ れ ヤンバル クイナやヤンパルテナガ コガネな ど貴重な野生動物の生息域 となっている. これ に対 し中 ・南部は開発が進み, 自然環境の消滅 で動物相が極めて貧弱である. しか し土壌を基 盤 として植生に違 いがあるように,動物相 もか っては異なった様相を示 していたかもしれない. 土壌の pH (酸性, アルカ リ性) は作物の生 育に大きな影響を及ぼす.作物は,弱酸性か ら 弱アルカ リ性土壌 を一般的に好むが,酸性また はアルカ リ性だけを好む作物 もある.パイナ ッ プルや ミカン類,茶な どは酸性土壌 を好み,強 酸性でも良く生育する. しか しアルカ リ性土壌 では経済的な栽培が難 しい.ホウレンソウはア ルカ リ性土壌 を好むが,酸性では極めて生育が 悪 い. また水稲は酸性 を好むが,かな りpH の 範囲は広 い.オオムギ,コムギ,アワな どは弱 酸性か らアルカ リ性を好み,アルカ リ性土壌の 島尻マージでよ く育つ.今で も,その産地は島 尻マージ地帯である. 酸性地域 とアルカ リ性地域は,地質や土壌が 異な り,それを基盤 とす る植物や動物相にも影 響 し,独特の生物相がつ くられている.また栽 培植物 にも違いを生 じ,生業 に影響す ることで 社会経済的な基盤 も異なって くる.両者の間に は文化的な違いも想定される.文化領域が,領 域内の社会が共有す る文化要素が他 と明 らかに 違 うこととされ る (大林, 1996).酸性地域 と アルカ リ性地域は,文化要素の詳細な検討 を行 うことで文化領域が設定できるか もしれない. 2.遺跡の分布 沖縄県で発掘 された遺跡 の数は700以上 にの ぼ る.県内最古 の遺跡は那覇市山下町第一洞穴 遺跡で,32,000年前 と推定 されている. また沖 縄本島の八重洲町具志頭の港川 フィ ッシャー遺 跡か ら18,000年前の洪積世の人骨や鹿の骨な ど が発掘 されている. しか し土器な ど生活の証が みつかってない (沖縄考古学会,1978,沖縄の 歴史研究会,1984). その後土器を伴 う新石器文化が発掘 され るの は,6,670±140年前の渡具知東原遺跡,4,530 ±75年前の喜屋武同村貝塚 (糸満市)である. 沖縄最古の土器は本土の縄文早期 に比定 し,早 期か ら九州本土 との交流があった (沖縄考古学 会,1978,沖縄 の歴史研究会,1984). グスク時代以前を沖縄貝塚時代 (新石器時代) として,本土の縄文時代か ら弥生,平安期 まで を包含する.沖縄貝塚時代の遺跡は,当初 (6・ 7000年前)海岸砂丘地や河 口に多 く,漁労 を中 心 とした移動生活か ら遺跡 も洞穴 に多 い. 中期 頃 (縄文前期∼中期)か ら丘陵地や台地に遺跡 は多 くな り,竪穴住居を利用 した定住生活で貝 塚が現れる.後期 (縄文後期) になると再び海
74 沖縄農業 第47巻 第1早 (2015) 岸砂丘地 に遺跡は多 くな り,洞窟や竪穴住居な ど多様な生活様式 になる.晩期 になると,遺跡 規模は大型化 し,内陸部に集落ができ,人 口も 増加する.食物貯蔵の穴や土器が急増 し,弓矢 が利用されて くる.弥生時代∼平安並行期にな ると,遺跡は海岸砂丘地に移 り,網 を利用 した 漁労や鉄,銅が出土 し,石器が減少 して くる. 海外 との交易 も盛んにな り,ゴホフラ貝,イモ 貝が移出され る.グスク時代に再び台地や丘陵 上に移 り,本格的に農耕が行われる (沖縄考古 学会,1978;沖縄 の歴史研究会,1984). 図2は沖縄前期 (縄文 期) 遺 跡 と沖縄後 期 (弥生∼平安時代相 当期)遺跡の分布 図を示 し てある.遺跡は沖縄前期,後期 にわたって沖縄 島の中 ・南部 に集 中す る.北部は遺跡数が中 ・ 南部 に比べて少な く,分布 も本部半島に偏 って いる.遺跡が沖縄島の中 ・南部に多いことは, 縄文早期∼前期,中期∼後期でも殆ん ど変わ ら ない. また遺跡は内陸部よ り海岸沿いに多 く,特に 石灰岩地域で密に分布す る. ジャーガルが広 く 分布す る地域は,海岸沿 い (中城湾沿 い) に遺 跡がほとん ど分布せず,内陸部 (南風原な ど) にもみることがない.ジャーガルの沖積地は湿 地帯が広が り,居住や移動条件が悪 く,天然の 住居 (洞穴な ど) も確保 し難 いな ど生活す る上 で難点があった. これに対 し島尻マージの分布 す る石灰岩地帯は,住居や食の確保,移動する うえで最良であった と思われ る. 3.グスクの分布 グスク時代は,各地にグスク (城)が造 られ 図2.沖縄島の遺跡分布図. 宮城栄昌 ・高宮康衛編 「沖縄歴史地図 (考古編)」 (1983年)から作成.
た時代である.グスクは奄美か ら沖縄,先島ま で含 めると300余 りが確認 されて いる.その大 部分は沖縄島を中心 とした島々に分布 し,沖縄 本島及びその周辺離島には223ヶ所確認 されて いる. 北部 には45, 中部 に65,南部が113ヶ所 となっているが,グスクの80%以上は中 ・南部 に集中する.特に南部はグスクの過密地域 となっ ている (沖縄 の歴史研究会,1984). 図3は建築上のグスクの分布図を示 してある. グスクは,原始社会か ら古代社会へ移行する過 渡期 (10世紀∼12.3世紀) に出現す る.生活 の拠点は丘陵上に移 り,採取経済か ら生産経済 (農業),血縁集落か ら地縁集落 に移行す る時期 である.地縁集落は地域集団 として統合 し小王 国が成立す る.その拠点 としてグスクが造 られ た (沖縄の歴史研究会, 1984). 按司の居城 としてのグスクの分布は図3に示 したよ うに,グスクが中 ・南部に集 中し,特に 石灰岩地域 に分布は密になっていることがわか る.グスクが石灰岩の丘陵上に多 いことか ら城 塞 として,有力按司の居城 と考え られてきた. しか し仲松は 「城」 を聖域 として捉え,嵩元は 集落であった とした.また高良はグスクを高地 性集落か ら聖域や城,特殊なグスクな どが派生 す る動的モデル を提示 している (安里,1980; 沖縄の歴史研究会, 1984). 図3.沖縄島のグスク分布図. 宮城栄昌 ・高宮康衛編 「沖縄歴史地図 (考古編)」(1983年)から作成.
76 沖縄農 業 第47巻 第1早 (2015) 当真はグス クの考古学的調査 か ら支配者の居 住域であった とい う.グス ク時代は農耕社会 の 成立 した時代であ り,鉄器が使われ,海外交易 の活発化 によ り,階層分化 の進 んだ社会 として 捉え,そ の支配者 の居住域がグスクであった と いう. しか しグス クの統一的な見解 は,未だ出 されてな い (嵩元,1983). グスク時代は農業 を基盤 とした社会である こ とか ら,グス クの分布 が農業 に適 し,居住 に適 した地域 に密 にな ることは容易 に想像できる. グス ク時代 にはいると,居住は海岸砂丘 か ら丘 陵上 に移 る.特 に石灰岩丘 陵地は,農具 の未発 達な段階では焼畑な どを行 うに適 し,水や食料 が得やす いこと,居住や移動 に快適であった こ とな どで居住域 になった と考 え られ る. 4. ヒ ト,居住域の分布 沖縄県 の人 口は139.3万人 (2011年) である. そ の90% (約125万人) は沖縄 島 とそ の周辺離 島 に集 中す る. 沖縄 島は県 面積 の53% (1,204 kd) にす ぎな いが,人 口の殆 どは この島に集 中 して いる.特 に沖縄本 島の中 ・南部 にヒ トの集 まる傾向は古 くか らあった. 慶長検地 (1611)後 に作成 された 「琉球国高 究帳」 (1635) にある地域別 の村 数は,沖縄 島 が326,久米 島24,宮古 27,八重山58ケ村であ る.沖縄 島は全村 の71.8%を占めて いる. また 沖縄 島の地域別村数 をみる と,国頭 (北部) は 91ケ村 , 中頭 (中部) が121, 島尻 (南部) が 114とな り,沖縄 島の村数の72% (235ケ村) は 島尻,中頭に集 中している (仲松,1972・1978). また琉球国 由来記 (1713)か ら算 出された村 数は, 島尻が154, 中頭 153, 国頭 121とな り, 沖縄 島の村数428の72%は 島尻, 中頭 に集 中 し ている.廃藩置県 当時 (1872) の村数 を東恩納 寛博 の 「風土記」 か ら算 出す る と, 島尻は160, 中頭163, 国頭 134とな り,沖縄 島の村 数457の 71%は島尻, 中頭 に集 中 して いる.なお首里, 那覇は, この数 に含 まれていないので, これ を 合わせ ると,沖縄 島の人 口の90%以上は中 ・南 部 に集 中す る (仲松,1972・1978). 村数 は慶長検 地 の頃か ら置県 当時 まで に130 ヶ所 に増加 して いるが,村数が島尻, 中頭 に集 中 して いる ことは250年以上 にわた り変化 がな い し (仲松, 1972), また現在 に至 るまで変わ らない. 沖縄 島の人 口が, 中 ・南部 に集 中し,北部 に 少な い ことは,400年以上前か ら現 在で もほ と ん ど変わ らない.人 口が 中 ・南部 に集 中す る理 由 として,仲松 (1972,1978)は地形的な もの ではな く,土質 に関係す るという.それ による と,北部地域 に広 く分布す る国頭マー ジは強酸 性で有機質 に乏 しく,生産性 の低 い土壌である が,南部の土壌は島尻マージや ジャーガルで, 生産 力が高 く, 島尻マー ジは耕転作業 の労 力の 消耗が少な いことを挙げている.国頭地域は南 部 に比べて農耕す る上で好条件ではないという. また田里 (1981) も同様 の見解 を示 し,南部は 歴史的 にも先進地域であった とい う. 農業以外 に糧 を得 る術 がなかった社会は,土 に依存 した社会である.農業の基盤は土であ り, 農業生産は土 によって決 め られ る.土 の生産 力 (地 力) が農業 生産 を左右 し,土 の生産 力が高 ければ 高いほど,人 口の扶養 力も増 して くる. 沖縄島の中 ・南部に人口が多いのも肥沃なジャー ガルが広 く分布す るか らである (大城,1984). おわ Uに 沖縄 島は南北100km余 りで あるが, 地質 的, 植生な ど北 と南で大 き く異な る.その境界域は 石川地峡 にあ り,そ こか ら北は国頭マージの酸 性地域,そ の南は島尻マージや ジャーガルな ど
のアルカ リ性地域である. また植生か ら,北は リュウキ ュウアオキ ースダ ジイ群団,南はナガ ミボチ ョウジークス ノハカエデ群団の地域であ る. この南北の違 いは,遺跡やグス ク, ヒ トの 社会構造 にも大きな影響 を与えている. 沖縄の新石器時代の遺跡は県内各地に見つかっ ているが,分布 にはかな りの偏 りがある.先史 時代は狩猟採取経済であった ことか ら,遺跡は 内陸部よ り海岸沿 に集 中し,南 の中 ・南部 に遺 跡が多 く,北部 に少な い. この違 いは縄文早期 まで さかのぼ り,グス ク時代直前 まで変わ らな かった. また北部 につ いて詳細 にみ ると,遺跡 は本部半島に多 い. この地域 には琉球石灰岩が 分布 し, アルカ リ性地域である ことが影響 した ものである. またグスクの分布は, 中 ・南部 にグス クの密 度が高 く,北部は疎 になる.グスクが要塞や祭 司な どを司る場所であるな ら,石灰岩地域な ど 丘陵地 に構 えることも理解 できるが,土 の生産 力や農業生産の可否 も無視す ることはできない. 特 に人 口分布が沖縄 島の中 ・南部 に偏 ること は,仲松 (1972)が指摘す るよ うに,土壌の生 産力に分布 の違 いをみた方が良いかもしれない. 石川地峡か ら北の国頭マー ジは,土壌の養分 の 点で も癖薄土壌であ り,強酸性地域である点か ら作物の適応性が狭 く,生産 の阻害要因にな り やす い.一方 中 ・南部は丘 陵地や低地が多 く, 島尻マー ジや ジャーガルはアルカ リ性土壌であ り, 島尻マー ジは土壌構造がよ く発達 し,土壌 養分 も豊富であるな ど農業 の生産 力が高 く,農 業す る上で も好適な条件があった. また丘陵上 の生活は快適であ り,食料や水な どを得やす い ことも人 口の集 中す る理 由に挙げ られ る. 謝 辞 本稿 を とりまとめるにあた り,貴重な ご助言 をいただいた大城書信 (元沖縄県農林水産部長) 氏 に感謝の意 を表す. 引用文献 安里進 1980.考古学 におけるグシク論争.創 史社編, 日本城郭体系 1巻- 北海道 ・沖縄. 新人物往来社.pp331-335. 宮城邦治 2000.沖縄 島中南部地域 の 自然環境 とそ の特性. しまたて いNo14:9-ll. 仲松弥秀 1972.村 と生活.琉球政府編集,沖 縄懸史第22巻各論編10.琉球政府.p p.51-124. 仲松弥秀 1978.古層の村 ・沖縄民俗文化論. 沖縄 タイムス社. 新 納義馬 1983.琉球列 島の植生の地域性.宮 城栄昌 ・高宮康衛編,沖縄歴史地図 (考古編). 柏書房pp.161. 大林太 良 1996.東 と西 海 と山 一 日本 の文化 領域.小学館. 大城書信 1984.土壌 と農業.木崎 甲子郎 ・目 崎茂和編著, 琉球 の風水土.築地書館.pp. 101-112. 沖縄考古 学会編 1978.石器時代の沖縄.新星 図書. 沖縄 の歴史研 究会編 1984.沖縄 の歴史 (第 1 巻)前近代編.沖縄教育出版. 沖縄地学会編著 1983.沖縄 の島 じまをめぐっ て.築地書館. 高宮広土 2005. 島の先史学.ボーダーイ ンク (那覇市). 嵩元政秀 1983.城時代 とグスクの性格.宮城 栄 昌 ・高宮康衛編,沖縄歴史地 図-考古編. 柏書房.pp87. 田里友 哲 1981. 沖縄 の 自然 と集落立地 とのか かわ り.浮 田清編著, 自然 と人間のかかわ り. 古今書院.pp.200-210.