• 検索結果がありません。

プライマリ・ケアで研究をする意義,そして成果を出すために必要な二つのこと

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "プライマリ・ケアで研究をする意義,そして成果を出すために必要な二つのこと"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

日本プライマリ・ケア連合学会誌 2021, vol. 44, no. 1, p. 23-29

特別企画

プライマリ・ケアで研究をする意義,そして成果を出すた

めに必要な二つのこと

The significance of conducting research in primary care, and the two matters essential to produce successful outcomes

井 上 和 男

Kazuo Inoue

要 旨

筆者はへき地で医師としてのキャリアを始めた.その経験から,日々の臨床現場で湧き上がる疑問や仮説につ いて取り組む Practice based research を実践し,提唱している.今回,本学会編集委員会より投稿依頼をいた だいた.熟慮した結果,プライマリ・ケアで研究をする意義,そしてその研究成果を出すために必要なことに ついて書くことにした.常日頃から,プライマリ・ケアでの研究について興味を持つ若手は多いものの,なか なか前に進めず経験を積めないということを感じていた.実際にそのような悩みを相談されたこともある.そ こでまず,現場での研究をしていくことが楽しくかつ最も良い自己研鑽につながってきたという経験を述べた. 次に,そのために大切だと思っている二つのことについて実際の経験を基に書き連ねた.その一つは,キャリ アの早期から研究に取り組む意義であり,若手の方々に伝えたいことである.もう一つは,より重要であるが 次世代が良い環境で研究を実践するには指導者はどうすれば良いのかである.若手を指導する立場にある,あ るいは将来なるであろう中堅の方々に考えていただく,その一助になればと考えている.

Keywords :Practice based research,知の円状構造(circular structure of knowledge),2 つの「学」と「楽」(two types of studies and pleasure )

はじめに 筆者は現在 63 才である.母校である自治医科大学の 義務年限を超えてへき地で勤務を続け,その時から臨 床・教育に加えて研究を「楽しく」やってきた.もう 40 年近くになるがこの年になって,定年を見据えなが ら考える疑問がある.それは「役職や肩書」などのお 飾りをとっぱらって,自分には臨床・教育・研究でど れほどの能力とやる気がいまだあるだろうか,である. さて,そういう筆者に編集委員長の竹村洋典氏から メールが届いた,ご指名である.「日本プライマリ・ケ ア連合学会の和文誌において,プライマリ・ケアの分 野で研究に取り組んでいる人にその醍醐味,有益性, 辛かったことなどお書きいただく特集をすることとな りました」とある.なるほど,冒頭に書いたこともあ るし,自己省察の意味も込めて取り組んでみるか.ち なみに依頼原稿なので,比較的自由に書かせてもらう こととした.話の内容はタイトル通り,2 つに分けるこ とにした.すなわち, ・プライマリ・ケアで研究をする意義 ・研究成果を出すために必要なこと 本稿では,これらのお題について遠慮なく,書くこ とにした. 1.プライマリ・ケアで研究をする意義 まずこちらのほうだが,筆者の答えは実に簡単明快 である. 「そりゃ言うまでもない,好きで楽しい上に実益を兼 ねていたからよ.おかげで受け身の勉強嫌いは変わら ないが,怠惰で学ばない医者にならずに済んだ」 ここで言う勉強とは,一方向性学習つまり受け手と 帝京大学ちば総合医療センター地域医療学 著者連絡先:井上和男 帝京大学ちば総合医療センター地域医療学[〒299-0111 千葉県市原市姉崎 3426-3] email: inouek@med.teikyo-u.ac.jp (受付日:2020 年 12 月 6 日,採用日:2020 年 12 月 8 日) Ⓒ2021 日本プライマリ・ケア連合学会

(2)

してこれまでの知識を(何の批判的吟味もせず)吸収 することである.これ,楽しいだろうか? 筆者は, 楽しくない.特にそれが機械的な繰り返しになったと きには苦痛である.ヒトには,楽しくないことは忘れ ようという特性がある,実際そのほうが人生幸せなの だが,この特性のおかげで苦手なことは避けようとす る.読者諸氏も,嫌いな科目で不合格になるかもしれ ないとわかっていても,それに手がつかないことを経 験しただろう.これは同じ心理である.しかしながら, それが苦痛にならないことがある.先ほども書いたが, あるテーマや課題について,「俺ならこう思うがな」と か「ああ,ここまだあやふやなんだ」と思うときであ る.そのときは,繰り返してもちっとも苦痛にならな い.特に,目の前の患者さんや地域の人々について浮 かんだ疑問やアイデアの時はそうである.なぜなら, 「俺の考えは間違ってないか」とか,「頭に浮かんだ研 究アイデアはものになるか」などを確認することにな るからだ.しかもこれは楽しく,自己研鑽につながる. そうはいっても受け身的に知識を学ぶこと(学習)は 必要であろうし,それが目の前の患者の持つ問題解決 に役立つとなればやりがいと楽しさは出てくる.加え て再度だが,自分が抱いたオリジナルな疑問やアイデ アに積極的に取り組む(学究)のはさらに楽しい.例 えば,若手研究者が指導者から指示された(かつ興味 のわかない)研究テーマと,以前から抱いていたテー マに時宜を得て取り組む場合を考える.どちらが楽し く,そして楽しいことによって長続きし,長続きする ことによって研究の質が上がるであろうか.言うまで もないだろう.筆者はこれらをまとめて「二つの学(学 習と学究)と楽」と呼んでいる. 筆者がこれらを重要視するには理由がある.指導し た経験や,論文を査読した経験からである.研究を楽 しくやれている人は,その結実たる論文においても 隅々まで目が届いている.また指導している場合も, こちらの言うことに関して即座に反応して仕事を返し てくる.結果として研究成果である論文はレベルアッ プし,論文として受理される確率も高まる.思い起こ せば,その最たる例の一人は筆者の弟子といえる,松 本正俊君(現広島大学医学部教授)である.「研究がし たいです!」と言って筆者の名前を聞きつけて,遠く 栃木の自治医科大学から筆者が仕事を当時していた高 知県四万十川中流の村まで会いに来た.その後彼とは ずっとリモートで仕事したが,メールで彼の論文草稿 にコメントを付けたら,その翌朝にはその草稿を手直 しして返信が返ってきた.あの時,「彼は楽しく研究を する(できる)人だなあ」と思った.後日,彼が英国 Oxford 大学に留学することになり,推薦状を書いた. 筆者は上記の経験から,コア・メッセージとして自信 を持ってこう書いた.

Most importantly, he loves to conduct research.(最 も大事なことだが,彼は研究が好きなんです) さらに言えば,この「二つの学と楽」はプライマリ・ ケアの現場で相互にプラスの効果がある.再び松本正 俊君に登場願おう.彼は留学前に,へき地診療所にお ける勤務経験がある.その後も指導しながら,気づい たことがある.彼が我が国のへき地医療,医師分布や 教育制度について多くの功績を成したことはご存知の 人も多かろう.へき地での経験はそれよりずっと前の ことだが,それが彼の研究における視点の向上に,大 いなる貢献をしてきたと筆者は感じている.いわば, 「一皮むけた」のだ.彼と筆者とは共通な土台としての へき地診療の経験がある,それは指導しているこちら も楽しかった.何となれば,教えたことがすぐ彼の経 験の扉を開き,彼の中で昇華できるからである.「して いる(してきた)ことを研究の礎にする」という,Prac-tice based research の真価がここにある.加えて,彼は いやいやへき地で臨床を行ってきただろうか,明白に 「否」であろう.医師としての臨床業務を,やりがいを 持って前向きに行わなければ,先ほど述べた幾多の, 研究の結実もまたなかったからだ. 2.成果を出すために必要な二つのこと さて,次に「成果を出すために必要な二つのこと」に ついてである.本稿では,こちらのほうが主内容と言 えるかもしれない.ここで取り上げたいのは,以下の 二つである. ①なぜプライマリ・ケア分野で研究が課題なのか ②上記に対する解決策は何か 前者の①については,読者も色々意見をお持ちであ ろう.あるいは,「いやそんなことはない,学会を中心 に研究も発展してきている」との意見をお持ちの人も いるだろう.しかし筆者や,筆者に近しいあるいは筆 者が指導してきた人たちはこう思っている.視点を変 えていえば,それに対して何とかしたいという有志の 方々が,この筆者に投稿を依頼したのかもしれない. いずれにせよ,課題がわかれば,その解決策も見えて くるであろう. 筆者が考える課題とは,研究に関しての適切なキャ リアを早期から積んでいく環境が圧倒的に不足してい ることである.若手の医師で,臨床に加えて研究にも

(3)

図 1 知の円状構造(学習と学究の連続性も包含する) 興味を持っている人は決して少なくない.ところが, 多くの場合彼らは上級医師から適切な指導を受けられ ない.やがて時間が経過し,その若手が中堅になって も研究経験を積めないので,自明だが研究指導もでき ない.その好ましからざる循環(vicious cycle)が繰り 返され,若き頃の知的探求心を発揮できないまま,廃 用性委縮(disuse atrophy)を起こしていく.自明だが 臨床であれ研究であれ,充実させていくには人材の拡 大再生産が欠かせない.しかしながら現実は往々にし て,そうなってこなかったということである. 再度であるが,研究をいつ開始するか,あるいはリ サーチマインドを持って取り組むか? 多くの若手の 人々はこう思っているかもしれない,「まずは臨床で一 人前になって,研究はそれからだ」と.一見正しいが, 実はここに落とし穴があり,上記に述べた課題の誘因 になっていると考える.筆者のこれに対する状況認識 は以下である. ・どちらもキャリアの全期間を通じて研鑽すべきも のである ・臨床については(専門医などの当面目標はあるも のの)学習曲線は連続している ・研究については「お作法」があり,キャリア早期 に覚えないと習得が困難である ・お作法は通常,熟練した研究者の指導を受けるこ とで学ぶ ・独創性やひらめきは,(一部の例外は別として)若 い時に最も優れる ・どちらも実践経験が必要で,経験していないこと は実行できずまた,教えられない 次に②の解決策であるが,これらから言えることは, 明快である.即ち「臨床も研究もキャリアの早期に, 適切な指導を受ける」ということによってその基本を 習得することが必要である.まず前半部分であるが, キャリアの早期でそういう経験を持つことは可能であ ろうか.筆者は,「是」と答える.それは,筆者が日頃 から提唱している Practice based research を実践す ることである.以下にこの研究手法とその理論的礎を 簡単に記載しておくが,詳細はぜひ筆者の Website1) か,Practice based research についてシリーズで作成 した文献およびテキストを参照されたい2∼8)

Practice based research は臨床経験を積んでいく過 程の中で浮かんだ,仮説や疑問について行う研究手法 である.いわば,日々の臨床から研究を行うので,同 時に両方について熟達できると考える.ちなみに図 1 は,筆者オリジナルの「知の円状構造」である.真ん 中の A 領域は自分にとって既知,その外にある B 領域 は自分が未知で学び取っていく領域である.A に加え て,B 領域を広げていくことが臨床における,生涯自己 教育である.そして B 領域の外側に,「課題と認識され てまだわかっていない」C 領域がある.通常研究とは, C 領域で行い,その研究成果で B の領域を広げている 反復作業なのだ.この概念図より,学習と学究の連続 性が理解されるであろう.即ち,自分にとって未知の 課題や疑問が,文献などを調べることにより解決でき たら「学習」,そして未知で解明すべきものであれば学 究すなわち研究領域なのだ.したがって臨床と研究が 同時成立し得るのである.なお D 領域は未だ課題とも 何ともわかってない領域で,現時点であれば天才の領 域,あるいは将来成されるべき領域である.D 領域は ひとまず置いておくが,「我こそは天賦の才あり」と思 う人は無論チャレンジしていただきたい.一方,筆者 を含め多くの常人は C 領域で研究することは言うま でもない. 筆者はオリジナルのこの「知の円状構造」を様々な 機会で提唱している.本稿でも言及するのはこの概念 から,多くの研究テーマや疑問が日常診療から生まれ ることが理解できるからである.既知の A・B 領域の 外側に C 領域がある.その境界線を越えて既知の知見 に何かを付け加えることができたら,それはオリジナ ルな研究となる.読者も日々の臨床で疑問点が生じた とき,これまでの知見を検索しても解決しないことが 多くあることに気付いているであろう.その時点で, それらは研究の材料となりうるのだ. 加えて,同時に A,B および C 領域を自在に動ける ようになることが臨床と教育の両立に必要である.自 在に動けるためには,生産性を上げる必要がある.生 産性とは大まかに(出力/入力)の割算で示される.入 力は,投下した時間や労力,コストなどの資源などで ある.出力は無論,臨床能力の向上や研究成果である.

(4)

研究者が限られた資源を最大化し有効に活用するため に,ハード及びソフトウェア両面での科学技術の導入 は必須である.筆者は,例えば論文や図表作成に費や す時間以上に,そうした研究の実践環境の整備と使い こなしが重要と考えている. 次に後半部分の「適切な指導」を如何に受けるかで ある.実はここが一番の課題と言ってもいいであろう. これについては,筆者は以下の事例を挙げておく.こ れらは筆者の実際の経験からのものである.なお,全 て事実であるが,主な経験談に他の類似経験を入れ, かつメッセージを変えない範囲で脚色している(dis-guise).よって特定の個人についてのものではない.無 論であるが,筆者が日ごろ親密にしている人々では, I や II は皆無である. I.ある研究セミナーのエピソード

これまで無数の機会で,Practice based research に ついてセミナーをしてきた.その中での経験である. 指導者と若手が大勢集まって聴講してくれた.後者の 連中は,目を輝かせて講義に聞き入ってくれ,その後 も多くの質問をしてきた.彼らは,非常に研究に興味 を持ったようであった.だがその中で,ディスカッショ ンにも参加せず,講師(筆者)や参加者に冷ややかな 視線を浴びせている者がいた.それは,指導者であっ た.「やりにくいな∼」と思いつつ気にせず講義を終え た,十分その指導者には配慮したつもりだったが, 「キャリアの充足には研究経験が必要である」としたの がいけなかったのか? 後日,この実感は裏付けられ ることとなった.なぜなら,セミナー後のレポートを 若 手 は 全 員 書 い て き て,し か も Practice based re-search について非常に積極的な姿勢だった.しかしそ の指導者のみ,非常にネガティブなわずか 1∼2 の文章 を書いてきたのである.筆者の実感であるが,むしろ その指導者が気の毒になった.人間,できないことに ついては無視したり,あるいは否定したりするもので ある.おそらく,「俺の立場を危うくする講義をしや がって!」と,思っていたのかもしれない. II.困っている若手からの相談 また,こういう事もあった.ある若手が筆者のこと を知ってコンタクトしてきたのでメールでやりとりし た.なんでも,「研究をすることになっているが,上級 者には実際には研究経験がなく,全く教えてもらえな い.自分以外にも同じことで困っている若手がいる, なんとかならないだろうか」というものであった.そ の若手が言うには,「研究は基本,自分一人でやるもの だと言われて,そうかと思っていました.ですが教え てもらいたいことがあっても,全く取り合ってもらえ ないのです」ということである. 筆者はこうアドバイスした,「多分だが,人間誰しも 自分がしたこともないことは,教えられないんだよ. 臨床であろうと,研究であろうとね.君が研究指導者 と頼む人を見つけてきて,上から依頼してもらったら」 と.これは彼の希望でもあった.なぜなら元をただせ ば,筆者に研究指導を依頼したかったのである.しか しこれも,プライドがあって全く見込みなしと言うこ とだった.どうしてここでこんなことを書くかと言う と,冒頭に書いたようにこうしたことは繰り返される ものだからである.上記のように若手時代に指導を受 けられず,研究の作法を知らないままで年齢だけが上 がっていく.そうすると今度はこの人が,若手の研究 指導ができないことになる.そして(この人は好人物 だったので可能性は低いと思うが)逆に若手にとって の阻害因子になりかねない.なお,I と II はいずれも, 筆者が Inoue Methods website1)

で言及している,「危 ない研究指導者」に入る.しかしながら比べた場合, 後者の方が「問題多き」なのは言うまでもない,理由 は説明を要さないだろう. III.伯 楽 そうかと思うと,しっかりと臨床をこなしつつ現場 での研究を行っている人もいる.既に述べた松本正俊 君に加えて例えば,大学では後輩にあたるが川本龍一 君(現愛媛大学教授)など,真っ先に脳裏に浮かぶ. いつ会っても謙虚であり,真摯に学び取り組む姿勢が 素晴らしく,筆者などこれについてははるかに及ばな い.彼の下にいる若手はおそらく,その背中を見てい ることだけでも多くを学ぶことだろうといつも思う. 全く,このような後輩がいることを嬉しく思う. また一方でタイプは違えど,これまた名伯楽と思え る人もいる.その人は筆者にこう言った. 「先生,私は現場や行政の経験が長くてそうしたこと は伝えられるし,現場との研究面のパイプ役にはなれ るのですが,残念ながら研究経験に乏しく,若手を研 究指導してやれません.ですので,どうか若手の研究 指導をしてやっていただけないでしょうか.またもし, 先生に指導をしていただけるのでしたら,私を論文著 者に入れるかどうかは先生の判断で構いません.(中 略)私の為すべき役割は,こうしたことだと思ってい ます」 あるいは別の人であるが, 「先生が来られるその日時は,彼は教室の業務がある のです.しかし指導をしていただけるのでしたら,私

(5)

図 2 若手研究者との論文のやりとり これで筆頭著者とのやりとりのほぼ半分である.冒頭に Inoue Methods での基本 4 点セットがあり,それを固めた上で論文作成に入る. が彼の仕事を代ってやりますので,ぜひお願いします」 どうだろうか,まさに「実るほど 頭を垂れる 稲 穂かな」である.しっかりと自分の役割を認識し,礼 をわきまえる.このような人こそ,その経歴や業績に 関わらず,指導者,伯楽と呼ぶに相応しいと思う.さ て,ここでセクションのまとめである.若き研究者に は,その研究者が行うであろう研究分野の豊富な経験 を持つ,いわば先達と呼べる指導者が必要である.加 えて,もしそうでなければ,責任者としての立場をわ きまえつつ,若手が自由に仕事できる度量を持ち,必 要によっては人に頭を下げられる伯楽のような指導者 の下で仕事をするべきである.なお,I や II の御仁たち もこのような伯楽になっていただきたいと,筆者とし ては切に思う.自分が仮に研究(および指導)できな いとしても,自分の周りに集う後進が,さらに発展し てくれればそれで良いと,そのように考えれば楽しい

(6)

のではないか.

実は,この話には前日譚がある.筆者がニュージー ランドに留学していた時に,ある総合診療学教室(De-partment of General Practice)の教員から聞いた話で ある.「この国でも我々の講座は新しい.初代の教授は, 臨床面や人格で尊敬を集めていた開業医師が赴任し た.やがて,その教授を慕って若手が集まりだした. 初代教授は,無論研究経験はなかったが,自分の役割 が若手の環境を整えることであるとわきまえていて, 積極的に部下に研究などを奨励していた.そして教育 や研究面も充実して行ったのですよ」と.どうであろ うか,この初代教授も(お会いしたことはないが),名 伯楽と呼ぶに相応しい方であろう.国や地域は違えど, 人の育て方は同じなのだと思う.実際に指導をしてい くか,あるいは若手が成長していくのを支えていくか, そのどちらかあるいは両方であるということだ. IV.まっとうな研究指導者であるために さて,上記は一先ず置くとしても,良き,もとい「まっ とうな」研究指導者たるべき条件は何だろうか.筆者 が考えるのは以下である. ・現在(*)も自分自身が研究を行い,論文を執筆 し,筆頭著者として出版している.*譲って 5 年以内 上記が第一であるが,若手の研究指導については下 記も言えるであろう. ・現在も自分が直接若手研究者を指導し,論文にも 手を入れている. なぜならこうしていないと,研究者したがって研究 指導者としての腕が鈍るからである.これは残念なが ら査読者としての実感でもある.筆者は,(不当なくら い)査読の依頼を受けるのだが,「残念な」論文の中で, いわゆる名の知られた研究指導者が著者に入っている ことがある.この時に筆者が思うのは次の二つである. 「研究指導者が自分で仕事をせず腕が鈍った」か,「そ もそもろくに当該論文を指導していない」のどちらか であろうと.ともかく,どちらに思われても文句は言 えないであろう. V.自分はどうか それでは自分自身は,と矛の先をせねば公平とは言 えまい.ええ,やってますよと自分では言えると思っ ているが,判断は読者に委ねたい. ・現在も筆頭著者としてある論文を投稿中である ・研究アイデアを構想し骨格を作った上で若手を指 導している ・若手研究者オリジナルの論文には逐一コメントを 入れて指導している 図 2 は,数年前になるが若手研究者との論文テキス トのやり取りである.この論文は,筆者がアイデアを 出して,若手研究者が筆頭として論文を作成した(上 記の 2 番目に相当).こうやって何度も,何度も論文に 取り組み改変,良きものにしていく.そうでなければ, 第一読者である編集者・査読者に読んでもらうべきも のにはならない.ちなみにこの内容は勿論,論文とし て結実している9).最近の査読で感じることであるが, 論文の作り込みが様々な点で「甘い」投稿が増えてい ると感じる.論文著者は匿名化されていることが多い が,おそらく指導者も入っているであろう.初老になっ た人間(筆者)が休日も使って査読しているのだ,ちゃ んと細部まで指導してくれませんかね∼,というのが 偽らざる実感である. 終わりに 以上,編集委員会より依頼された内容について,筆 者なりの視点を加えつつ記述した.参考になれば幸い である.文中で述べたように筆者は,Practice based research を提唱している.その詳細について,帝京大 学を始め幾多の医学部で教え,自分で作成した Inoue Methods website やその他の機会で紹介している.そ の動機は,本稿で述べたように多くの若手が適切な研 究指導を受けられずにプライマリ・ケアの現場でいる のではないか,自分自身の経験からも感じたこの課題 に,些少なりとも貢献できればと思ったからである. また近しくは,同じプライマリ・ケア連合学会の今年 度のシンポジウム 6 「論文の質量を高める:high volume GP への道」でも話しているのでそちらも参照 されたい.再度,依頼原稿ということで,これまで自 分の思っていた,および経験したことを忌憚なく書か せていただいた.その点については,もう定年が近い 人間の本音として,ご容赦されたい. 告知事項 本稿は本学会編集委員会(竹村洋典委員長)からの 依頼により作成した.なお,松本正俊君との私信(推 薦状含む)などに関する公開および川本龍一君を取り 上げたことについて,両君の了承済みである. 利益相反 本稿に関連して,開示すべき利益相反はない.

(7)

文 献

1)井 上 和 男.Inoue Methods website.Available from: htt p://www.chiikiiryo.jp.

2)井上和男.JIM Lecture プライマリ・ケア医だからでき る臨床研究入門(第 1 回)なぜ,「Practice based research (PBR)」な の か.JIM: Journal of Integrated Medicine.

2013;23:706-709.

3)井上和男.JIM Lecture プライマリ・ケア医だからでき る臨床研究入門(第 2 回)研究にあたって大切なこと. JIM: Journal of Integrated Medicine.2013;23:792-795. 4)井上和男.JIM Lecture プライマリ・ケア医だからでき る臨床研究入門(第 3 回)山村診療所からの情報発信 PBR の 実 例(1).JIM: Journal of Integrated Medicine. 2013;23:910-913.

5)井上和男.JIM Lecture プライマリ・ケア医だからでき る臨床研究入門(第 4 回)山村診療所からの情報発信 PBR の 実 例(2).JIM: Journal of Integrated Medicine. 2013;23:990-994.

6)井上和男.JIM Lecture プライマリ・ケア医だからでき

る臨床研究入門(第 5 回)プライマリ・ケア医による論文 作成(1).JIM: Journal of Integrated Medicine.2013;23: 1097-1103.

7)井上和男.JIM Lecture プライマリ・ケア医だからでき る臨床研究入門(第 6 回)プライマリ・ケア医による論文 作成(2).JIM: Journal of Integrated Medicine.2014;24: 76-83.

井上和男.JIM Lecture プライマリ・ケア医だからでき る 臨 床 研 究 入 門(第 1-6 回)JIM: Journal of Integrated Medicine. 2013;23:706-709, 792-795, 910-913, 990-994, 1097-1103, および 2014;24:76-83

8)井上和男.地域医療における調査研究.Practice based re-search の理念と実践.東京:診断と治療社;2019. 164-167. (日本医学教育学会地域医療教育委員会・全国地域 医療教育協議会.地域医療学入門.)

9)Kashima S, Inoue K, Matsumoto M, et al. Low serum cre-atinine is a type 2 diabetes risk factor in men and women: The Yuport Health Checkup Center cohort study. Diabe-tes and Metabolism. 2017; 17: 30076-30079.

図 1 知の円状構造(学習と学究の連続性も包含する)興味を持っている人は決して少なくない.ところが,多くの場合彼らは上級医師から適切な指導を受けられない.やがて時間が経過し,その若手が中堅になっても研究経験を積めないので,自明だが研究指導もできない.その好ましからざる循環(vicious cycle)が繰り返され,若き頃の知的探求心を発揮できないまま,廃用性委縮(disuse atrophy)を起こしていく.自明だが臨床であれ研究であれ,充実させていくには人材の拡大再生産が欠かせない.しかしながら現実は往々
図 2 若手研究者との論文のやりとり これで筆頭著者とのやりとりのほぼ半分である.冒頭に Inoue Methods での基本 4 点セットがあり,それを固めた上で論文作成に入る. が彼の仕事を代ってやりますので,ぜひお願いします」 どうだろうか,まさに「実るほど 頭を垂れる 稲 穂かな」である.しっかりと自分の役割を認識し,礼 をわきまえる.このような人こそ,その経歴や業績に 関わらず,指導者,伯楽と呼ぶに相応しいと思う.さ て,ここでセクションのまとめである.若き研究者に は,その研究者が行うであろう研

参照

関連したドキュメント

うのも、それは現物を直接に示すことによってしか説明できないタイプの概念である上に、その現物というのが、

究機関で関係者の予想を遙かに上回るスピー ドで各大学で評価が行われ,それなりの成果

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

実際, クラス C の多様体については, ここでは 詳細には述べないが, 代数 reduction をはじめ類似のいくつかの方法を 組み合わせてその構造を組織的に研究することができる

えて リア 会を設 したのです そして、 リア で 会を開 して、そこに 者を 込 ような仕 けをしました そして 会を必 開 して、オブザーバーにも必 の けをし ます

最愛の隣人・中国と、相互理解を深める友愛のこころ

すべての Web ページで HTTPS でのアクセスを提供することが必要である。サーバー証 明書を使った HTTPS

各テーマ領域ではすべての変数につきできるだけ連続変量に表現してある。そのため