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南九州の群発地震についての一調査

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昭和 36年 (1961)の日向灘地震,吉松地震 直.昭和 9年 (1934)の硫黄島火山噴火地震 N. 昭和 12年 (1937)の日向灘群発地震 V.昭和 3年 (1928)の薩摩沖群発地震 の6つを選んで若干整理してみた. 本調査費は西日本気象協会の研究助成金にあおぎ,調 査には全般的に長友技官の協力を得,その他Eについて は菊池技官, III, N, Vにっし、ては当台中原技官の協力 を願い,製図には,押川,右松両嬢の努力を願った.こ こに筆記して同協会ならびに各位諸嬢に感謝の意を表し, あわせて資料の提供を願った鹿児島・熊本・大分地方気 象台,名瀬・屋久島測候所,小林・吉松・真幸市町役場 に謝意を述べさしていただ、きたい. そこでt筆者は過

大 正2年の真圭群発地震 期間別としては,高千穂峯御鉢の間けつ活動期ではあ ったが,御鉢活動の大体おさまっていた大正2年 5月19 日から霧島山北麓真幸・加久藤一帯に強烈なものを含む 有感地震が群発しはじめ若干の盛衰を現わしながら 11月 16日 ま で 断 続 し さ ら に 翌 年 の1月 4日より14日にい たるまだ、にも 3回の地震があった .11月8日23時,高 千穂峯御鉢に小爆発があり, 12月 9日4時にも,小爆発, さらに翌年 1月 8日2時に 3回目の小爆発があった.こ の地震群が霧島火山爆発の前兆であったかどうかは断定 できないが,将来の参考として当時の地震状況を摘記し てみよう.ただし当時,どこにも地震計がなかったので, 体感のみによらざるを得ないのは遺憾であるがやむを得 ない. 第 1図は真幸における有感表である.ただし 1月13-14日の両日のものは桜島噴火地震または空振かも知れな

*

1 の発震時の遅れともいうべきものはないようで,これは 地震の発生と気圧変化とは関係なく,また内陸のことと て当然ながら潮汐の影響もないことを示すものであろう 第 2図は毎日の平均気圧(宮崎)と真幸における有感 地震の回数を示したものである.このように地震数が本 震発生後逆指数的に減少せず,数回にわたり不規則

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An Investigation on Some Earthquake Swarms in Southern Kyushu. (Received Nov. 6, 1961)

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110 験 震 時 報 27巻 3号 金~ 第2図 真幸地震の目別回数と日平均気圧(宮崎) 発するのは,桜島噴火当時にも経験したごとく火山性地 震の特性であろう.気圧と地震数には特別な関係はない が,比較的気圧上昇期に多い傾向があることは,桜島火 山における地震微動数の変化とその軌をーにしている. この地震の震央がどこにあったかは判明しないが,地 震の大部分について真幸で地鳴りが伴っていたこと,ま た真幸では強い地震が吉松ではあまり強くなかったこと などから,震源は真幸に極めめて近く勺かっ浅いもので 宙 戦 起 時 ..Mι血 岨 1・ 昔 h札J九."S且 地 宣I

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第3図 吉松地震現地観測表 太線は吉松有感 太線と細線は吉松感震(吉松地震計) 第3図は吉松地震の吉松町における有感地震回数と起 時

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日まで吉松町役場に置かれた 鹿児島大学の地震計による記象数を示したものである. これによれば吉松地震の有感地震の状況は前述の大正 2年真幸地震の状況に酷似しており,その発現状況は明 らかに火山性群発地震の特色を示している. 起時には夜間にやや多いということが示されているだ けで特別な特徴はない,また起時の日々の遅れもめいり ょうでないところからみて起時と潮汐には関係ないよう である. この吉松における有感地震の大部分は宮崎ではもちろ あったと思える. んのこと,エピノの地震計にすらめいりようには記象さ なお,この地震が霧島山・高千穂峯御鉢の小噴火の前 れなかったところからみて,おそらくきわめて浅いもの 兆であったかどうかは,地震群の終了後御鉢爆発までの であったのであろう 期聞があまり長いことから直接の前兆地震とは言えまい. エピノ地震計にはときどき地震,微動が記象された. しかし,霧島火山地帯の中にかかる火山性地震群が発生 桜島火山の調査におけると同様にエピノの近くのやや深 したことは霧島火山の活動力が一般的に強まったことを いところに発するA型地震の月別回数とその P-S秒, 示しているものと了承される. 脈動ょうのB型微動の回数を調査すると第 4図のごとくー この経験にかんがみ今般の昭和36年3月以降の吉松 であった. A型地震の大きなものは1部はエピノにおけ 地震群発に際して,宮崎地方気象台としては

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まだ直 る有感地震である. 接に霧島火山噴火の前兆とはいえないが,念のため登山 この地震回数と第3図による吉松有感地震回数とはそ は注意されたい.とくに新火口縁への登頂はやめていた' の相差がある.また A型地震の震央は現在の観測設備で だきたい」との情報を発表した次第である. は詳細に求めることはできないが,P-S秒分布図を見 ~

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昭和36年の日向灘大地震と吉松地震 昭和36年2月27日に日向灘の宮崎沖に大地震が生じ 余震がしばらく続いた後

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日からしばらくの間 霧島火山の吉松町を中心とする群発地震が続発した. 日 向灘大地震そのものについては当台発行の「昭和36年2 月27日日向灘大地震報告」に詳しいからここJではその 記述を省略する. てこれに吉松有感地震を勘案すると大体2月中旬に霧島 山東方須木,小林方面に発源し地震が西遷して3月16日 頃にェピノ近傍に移り 16日にはエピソ地震がもっとも 多く, 18日頃は震央はさらに西方吉松あたりに移って吉 松付近に多数の有感地震をもたらしたものと思える. A 型地震はエピノを中心に

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km以内の範囲内に多く特 にエピノから5kmぐらいのところに最も多かった.吉 松地震が一時やや減少した26日にはエピノ地震が極大

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秒のものが多数発現し たのも A型地震央がそのころ一時的にエピノ付近に移っ たためであろう, 28日以後は吉松地震も数少なくなり‘ エピノからの

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秒がやや延伸じたのは震源が最も 遠.く東に移ったためで、あり,また4月7日ころには震源 が吉松付近に戻ったのであろう. 全般的に見てはA型地震央はあまり広い地域には広が っておらず,また桜島火山の場合のような火山表面活動 の前の

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秒短縮がみられない.これはエピノ,吉 松地下に強勢な地下マグマの注入がなかったことを示す もので,そのために火山爆発が生じなかったものと思う またこれだけの資料で推測するのは危険であるが,もし 霧島山に噴火が生ずるような場合ははっきりした

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秒短縮が認められるのではあるまいか. ただ一つ第4図の中3月 13日から15日までの

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秒短縮の後16日にエピノに地震,微動がひ必発してい ることは注意すべきことであろう. 昭和 36年前半期の近地地震のうち各地震計の記象か ら震央が求め得られるものの震央分布を図示したものが 第5図である. 第5図の諸図を見れば震源は青島沖から一つは北方に 移.っていることがめいりょうである(この延岡沖には 3 1 1

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南九州の群発地震についてのー調査一一一安井 月以降地震が生じていなし¥この程度の地震で地質不安 が解消されているとは思えないから,このあたりには次 の大地震の発生が懸念される).一つは北西方にのびて いき 3月8日に最初の小林地震, 10日に最初の吉松地 震が発生し, 14日から吉松地震がひん発している.吉松 地震は 4月中に盛期を終ったが,その間少数ではあるが, 霧島山系南部の地震が発生している,ことが注目される (今は筆者による霧島火山活動周期が B期であるため高 千穂峯活動が起らなかったのではないかとも考えられ る).そして吉松地震が弱くなってから再び日向灘地震が 増加しはじめついに7月18日の種子島東方大地震(震 源30.20 N, 132.

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南九州の群発地震についてのー調査一一一安井 第9図の4 E幸 企l 第9図の 5 115 B幸 きりした相関はないようである.最後に地震と潮汐その 他との聞に関係があるかないかを調査するために毎日の 発現時を記入したものが第9図である. 第9図によりこの6ヵ月間の地震の起時分布を勘定し てみると第I表のごとくなった. 2月27日のO時一1 時の間に多数回の地震が生じたが,この初震あたりの地 震を除外すると日向灘地震で、は早朝より朝までに地震が 多く,その他の諸時刻ではほとんど同じであるに対し, 霧島山系の地震では宮崎に感じたものはそのほどんどが 午後であることが注目されるが,それが地震の発生機構 によるものか偶然なのかは断定できない. また地震の起時の満干潮分布を勘定してみると第 2表 のごとくなった.

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-南九州の群発地震についてのー調査一一安井 れはその数が少ないために断言はできない.以上のこと は日向灘地震は震源が浅く,海水圧の影響を受けている ことを暗示するものであろう ~ 3 昭和9年の硫黄新島噴火に伴う群発地震 昭和 8

12月24日4時 10分国永良部島金ケ岳が爆 発し赤熱噴石は砂が浜部落に落下,死者8,重傷者10, 軽傷者 20の被害を出した.さらに 27日 13時, 29

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, 1月 11日 16時 20分及び 12日未明にもかなり大きい爆 発があった.ついで昭和9年9月12日か‘ら硫黄島南西 方海底に地震群発し 19日向島の東方海底から噴火して 軽石浮流し,これより水蒸気を盛んに噴出し噴出口はそ の中央であったらしい.噴火点はE1300 21', N300 49' (硫黄島のENE2km)島民諸氏の実見談によれば噴火 は 19日 15時から少しずつ始まり 20日朝に盛んになっ たものらしい.当時の地震記象を示しているものは鹿児 島と宮崎の両ウイーへノレト地震計記象のみであり状況を さだかには知りがたいがその発現時その他の諸状況は第 10図A Bに示すがごとくであり,表面噴火の前に多く, かつ強く表面噴火が始まってからは少なく,かつ弱くな っている.あるいは表面噴火が始まってからは震源が極 く浅くなったので地震が遠くには伝わらなくなったのか も知れない.第11図は同一地震の最大振幅が鹿児島と 宮崎の双方で読取られたものの図で,これによれば振幅 減衰比(水平距離)が小さくやや深いと思われるものも 2,3あるがその多くは振幅減衰比が大きく震源は一般 に浅いものと考えられる.なお鹿児島における有感地震 はいずれもその初期に発し,中期以後のものはかなり振 幅が大きいにもかかわらず無感であったのは初期ほど震

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ー 117 第 3表 硫黄島群発地震の最大振幅分布表 3.争O氏:= ,.~ 111

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118 験 震 時 報 27 3 てよいであろう. 次は震源である.まづ宮崎ど鹿児島の双方に記象され ているものの発震時差を求めると第 13図 Bのごとくは なはだまばらであるがこれは小地震では発震時の読取り が困難なことを示し,震源測定には発震時による調査は 意味ないとみてよいようである. しかし宮崎,鹿児島の 双方共P-Sが記象されたものだけは第 13図Aに示す ようにかなりその集中分布が密になっている. 次に P-S秒についてはどうであろうか.第14図は 宮崎,鹿児島で観測された各地震の日別P-S秒時分布 ー 、 、 , ト ノ

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15図 硫 黄 島 群 発 地 震 P-S対比図 を示したものである.これによれば震源が順次南方から 北方に移ったかのような感を与える.第 15図は宮崎鹿 児島の双方で共にP-S秒H寺が読取れたもののP-S時 対比であるが,これによれば一般的にはじめは両P-S 時の差が小さく震源はやや深く後には両 P~SH寺の差が 大きく震源はやや浅いものであるようである.この読取 値が正確なものとし深さをOkmで震源を求めたものが 第16図A,20 kmで震源を求めたものが第16図Bで 3/・4 JO~ 3D"H 第16図A 硫 黄 島 群 発 地 震 D = Okmとした震央 Jil'E あるが前述したようにその位置はさして正確とはいえな いであろうが震源分布図からみると震源は深さ Oあたり にとるほうが妥当なようである. 最後に地震の潮位別発現回数を求めてみると第 4表の ようになった.その各々の差は小さいが,たしかにある 程度の潮の影響があるようである. 総括して昭和9年の硫黄島群発地震については次のこ とがいえよう. 1.地震日別頻度からみ丈明らかに浅いところで生じた 火山性地震であり,やや深いところに生ずる構造性地震 とは異なっている. 2.地震は表面噴火が開始されるまで、が多かった. 3.震源が海底の浅い所であったためか潮位の影響を若 干受けている. ← 18

(11)

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官 山 V 覧 舟 圃 岨 μ , A 〆 ω t印メ g 崎 第18図 日向灘群発地震(昭12) 宮崎と他観測所の振幅の関係 らかに主震に続く余震が日ごとに指数的に減少している 典型的なものとみられる 主震は1月 6日6時39分に生じたが前日の9時46分, 同日の5時から6時の間に3回の無感 6時から主震ま での間に2回の有感と2回の無感の前震が認められでい る 第18図は宮崎での最大振幅に対比した鹿児島・熊本・ 名瀬での最大振幅の関係を示したもので1• IIの両系に わかれ,どうも震源が 2つあるとの感をいだかせる.両 系とも日はさくそうしているから,その両震源は同時に. 存在していたのであろう.両震源が水平的に離れている' のか,垂直的に離れているかは別に考究せねばならIない. -

(12)

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G 'T 18 19 2c 宮崎の p_cs 更~ 第20図 日向醗群発地震 (U日12) 宮崎の

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分布

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鹿児島 @ 熊 本 第四図は宮崎,鹿児島,熊本で観測された地震の

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秒分布であるが,これによれば宮崎では,ほぼ一定 なるに対し,熊本,鹿児島では分布にかなりの幅がある ことが示されている 第 20 図は宮崎での P~S 秒に対比した各地震の鹿児 島,熊本での

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秒 分 布 で あ り か な り の 幅 を 示 し かっ2区域にわかれてU、ることが示されている. 第21図は宮崎,鹿児島3 熊本での 3点観測値に;より J.t. 31",[ ..,.'" '32・'.

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1 o8 olri? 0・ " ,0I IJJ"E 第21図の 1 日 向 灘 群 発 地 震 DニOkm とした震央

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5日 10日に発現 .11日-15日グ ④ 16日 以 降 グ 決定した震央分布である.深さはわからなし、が深さを20 km とした場合がもっとも交叉が良いから,震源の深さ は20km ぐらいとみてよいようである.深さ Okmとし ても 20kmとししても,震源域はかくぜんと 2つにわか れ,その中間にはない.かっこの両震源域はほぼ同時に 活動し,ほぽ同時におさまっており,片方が終ってから 残りが活動したのではない.なお主震は南方震源域の東 端 (29.70 N,132; 50 E) に発生している 第22図は石本一飯田式への適合を求めたもので?宮 崎,鹿児島共に常数 m は約1.5であり,適合度はなか なかによろしい. 第23図は地震の起時を示したもので日変化や特に地 -

(13)

20-南九州の群発地震についてのー調査一一安井 121, 阜 巾 第 22図 日 向 灘 群 発 地 震 石 本 一 飯 田 式 ④ 宮 崎 。 鹿 児 島 ,O.z.J 4 !FC. 7 .9 '9lO11目。,.IS F".. SBt.JT >Jz之AZ且zs zL且7>11-? 3・ |、 :1:ln'I.I" ‘ ~I

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2切 宮鹿 宮 計 百 崎共児島 崎 の み 率 記 録 ょうである. 前節までに述べたごとく昭和 36年の日向灘,吉松地 震では震源、が分枝状に移動し,昭和9年の硫黄島地震で は震央が欠環状に集中移動をしたのに対し,この昭和12 年の日向灘地震は2つの震源が同時に活動して移動を示 さなかったのが特徴で、あろう.かっ,この日向灘地震の 両震源が共に幅狭い帯状に分布して日向灘のほぼ中央を 南北に狭少に長く走っていることは,このあたりの地殻 構造の推定に若干有意義であろう ~

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年の薩摩沖群発地震 昭和3年6月3日から薩摩半島西岸沖一帯に地震が群 発した.その日別回数は第 24図に示すがごとくであり, 主震(震度 V鹿児島)が 6月3日 17時 32分に生じてい ることを考えると,主震とそれに続く余震からなる構造 地震である.第 25図にみられるように鹿児島十一宮崎で、 の振幅減衰が大きいところからみて震源はかなり浅いも の と 思 わ れ る . 第 26図,第 27図は宮崎,鹿児島での P-S変化を示したもので, かなりの変化幅があり,大 体のところ震源は西方沖から次第に岸近くにせまり,後 再び沖の方に後退したようにもみえる. 熊本,宮崎,鹿児島の3点観測より求めた震央は第28 図に示すがごとくであり ,

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原震を 20kmの深さとした 場合がもっとも交叉がよかった.ただ、ここに奇怪に感ぜ られることは,・この地震群にかぎり,どうも宮崎での P-S秒が若干過大にでているらしいことでありこれは 金峯山付近の地震が,どうも宮崎の地震計に感じにくい こととともに何か地下構造に関係があることではあるま U 、カ入 第 28図を見れ:ば震源は古琉球火山帯に沿って細長な 分布を示し,かつ震域は南北の両震源帯に別れ,同時に 活動していることがうかがわれる.そして昭和 12年の -

(14)

21-01 岡田~ 11 h I I 2 :34-5, 6 'r 8 9 10 1112 13 14 15 16'1.'8'920 剖 ~223, ~+ 2!; 26 %1 2s '9 d<>I 9.3 4-5 6 'r 8 {l10 11 12 13 14 T局 第24図 薩 摩 沖 地 震 ( 昭3) の 日 別 回 数 時

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庇 鬼 お 薩摩沖地震の震源分布 深さOkm 震源の数字は発現の日 J/!j 第28図(a) μ司." 薩摩沖地震の血児島,宮崎の振幅減衰 第25図 ) , 見込 第27図 昭和3年薩摩川lの地震の p--.:.s秒変化図(鹿児島) ~ 第26図 昭和3年薩摩沖の地震 のp-s変化図(宮崎) ." 第28図 (b) 薩摩沖地震の震源分布 深さ 20kmの震源 震源の数字は発現の日 震はヲまだ各地の地震計が良好には作動していない頃で, 記象が少なくて十分な調査資料が得られなかったが,し、 ろいろな点から昭和12年の日向灘地震とよく諸性質が - 22-1300e . ,

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S J'."'-~・ ま 宜 日向灘地震と同じように主震は震源域の一端に位置して いる. 第29図は石本一飯田式の適合度を示したもので,宮 崎,鹿児島共に常数 m の値は約1.5であった. 第 30図は起時表であり特別に地震が起きやすいとこ ろ,時刻はないようであるが第6表に示すように潮位と はかなりの関係があるらしいことは昭和12年の日向灘 地震の場合と同一傾向である.この昭和 3年の薩摩沖地

(15)

南九州、│の群発地震についてのー調査一一安井 123 第29図 薩 摩 沖 の 群 発 地 震 石本一飯田式 O 宮 崎 似ているようである.

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年の真幸地震,昭和36年の吉松地震と 日向灘地震, 昭和9年の硫黄島地震, 昭和12年の日向 灘地震,昭和3年の薩摩沖地震についての各群発地震の 潮 1 6 1 1日5

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1 22 鹿 宮 鹿 宮 計 百 児島共崎 児島 崎 分 の の 率 t乙 み み 記 記 記 92 録 録 録 諸性質と震源分布の概要の調査結果を報告したが,これ だけでも火山性群発地震と構造性群発地震の差,陸上地 震と海底地震の差が,かなりめいりようにあらわれてい る.しかしこれらの差がどれだけ普遍的なものであるか は,さらに数多く考験が必要であろう.今筆者は大正12 年よりの南九洲の地震についての調査を進めているの で後日さらに詳細な調査報告が出し得られることを期し ている. ← 23ー

(16)

124 61.l 験 震 時 報 27巻 3号 第 30図 薩 摩 沖 の 地 震 の 起 時 - 24-二 24-二 満 潮 ④ 鹿 児 島50メL:>宮 崎10μ> :干潮 O双 方 共 記 象 し た が 小 さ い で - 満 干 間 潮 @ 鹿 児 島 の み 記 録 二二二干満間潮 ×宮崎のみ

参照

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