『馬伯楽』論
著者
山本 和子
雑誌名
研究論集
巻
92
ページ
35-53
発行年
2010-09
URL
http://doi.org/10.18956/00006144
『馬伯 楽 』論
山
本
和
子
要 旨 蕭 紅 が 遺 した 長 編 小 説r馬 伯 楽』 は 、1937年7月7日 に 勃 発 した 日中戦 争 下 の混 乱 した社 会 状 況 を 背 景 に 、 主 人 公 が 青 島か ら上 海 、上 海 か ら武 漢 へ と避 難 す る過 程 が 描 かれ て い る。 主人 公 の 馬 伯 楽 は 青 島の 資 産 家 の 息 子 で、 す で に 妻 と三 人 の 子 供 が い るが 、 定 職 に就 か ず父 親 の 家 で 気 ま ま に 暮 ら して い る。 小 心 者 で 一 家 の 主 と して の 気概 も能 力 もな い 。 父 親 や妻 を守 銭 奴 だ と批 判 し な が ら、 父 親 の 経 済 力 に依 存 して生 きて い る 無 責 任 で 身 勝 手 な 人 物 で あ る。 日中戦 争 さ な か 、 民 族 統 一 戦 線 が 叫 ば れ 、 文 芸 界 に お い て も人 民 の 戦 闘 意 欲 を 高 揚 させ る作 品 が求 め られ た 時 代 に 、 蕭 紅 は 時 代 の 潮 流 に挑 む か の よ うに 、 馬伯 楽 の よ うな 否 定 さ るべ き人 物 を描 い た。蕭 紅 は 馬伯 楽 の 形 象 を通 して 、 「人 間 的 に 不 誠 実 な い い加 減 さ」 を浮 き彫 りに し、 国民 性 に お け る問 題 点 の 所 在 を 明 らか に し よ う と した の で あ る。 キ ー ワ ー ド:蕭 紅 、 馬 伯 楽 』、 抗 日 戦 争 、 国 民 性 は じめ に 蕭紅 は そ の短 い 生 涯 の 晩 年 、 二 年 間 を 香 港 で過 ご した 。 そ の 間 、病 と闘 い な が らの 彼 女 の 仕 事 ぶ りに は 目を 見 張 る もの が あ る。 彼 女 が 遺 した 二 篇 の長 編 小説 、r呼 蘭 河 伝 』 とr馬 伯 楽 』 は い ず れ もそ の 大 半 が 香 港 で 書 か れ た 。 この 二篇 は 、 ほ ぼ 同 時 期 の 作 品 で あ るが 、 そ の 題 材 と 趣 は 大 き く異 な る。 r呼 蘭 河伝 』 は 、1937年 武 漢 滞 在 中 に 書 き始 め られ 、1940年12月20日 に脱 稿 した 。 東 北 の 美 し くも厳 しい 自然 と、 そ こで 繰 り広 げ られ る残 酷 で 哀 しい 人 間 の 営 み が 、 律 動 感溢 れ る文 体 で 鮮 や か に 描 き 出 され た 傑 作 で あ る。 そ れ は 、 作 家 の脳 裏 に鮮 烈 に焼 き付 い て い た 故 郷 の 光 景 が 、 二 十年 の 歳 月 を 経 て 再 現 され た もの で あ り、 故 郷 の 愚 か な 人 々に 抱 い て い た憤 り とか 憎 しみ と い った 生 々 しい 感 情 は 、 二 十 年 とい う歳 月 に よ って 、 濾過 され鎮 静 化 され て 、 全 体 が 悠 然 とし た 冷 静 さ と哀 れ み の 情 に 包 ま れ て い る。 一 方 の 『馬 伯 楽 』 は、1937年 前 後 の 青 島 、 上 海 、 武 漢 を 舞 台 に 、 抗 日戦 争 期 とい う、 ま さに 作 者 自身 の 生 きて い るそ の 時 代 が 描 か れ て い る。 主 人 公 の 馬伯 楽 は 青 島 の 資産 家 の 息 子 で 、 中 学 を 卒 業 した の ち 、 定 職 に 就 か ず 父 親 の 家 で 気 ま ま に暮 ら して い る。 年 は 三 十 に 近 くす で に 妻と三 人 の 子 供 が い るが 、 小 心 者 で 一 家 の 主 として の 気 概 も能 力 もな い 。 父 親 や 妻 を 守 銭 奴 だ と 批 判 す るが 、 彼 自身 、 父 親 の 経 済 力 に依 存 して 生 きて い るの で あ る。 作 者 がr馬 伯 楽 』 の 主 人公 として選 ん だ 馬 伯 楽 は 、 た くま し く生 き る理 想 的 人物 で もな く、 ま た 、 社 会 の 底 辺 で ど うし よ うもな い 運 命 に 翻 弄 され 、 哀 切 の 情 を 禁 じ得 な い とい った 人物 で もな い 。蕭 紅 は 、 な ぜ この よ うな 人 物 を 描 こ う とした の か 、 この 作 品 を 通 して 何 を 訴 え よ う と した の か 、 探 って み た い 。 蕭紅 は 、1932年 、 宿 代 が 払 えず 人 質 と して 軟 禁 され て い た旅 館 か ら、 作 家 の蕭 軍 に よ って 救 出 され た 。 以 来 、 二 人は 人生 の パ ー トナ ー として 共 に貧 困 と闘 い 、 日本 の 侵 略 に よ る弾圧 と闘 い 、 上 海 ま で 流 亡 して きた 。 しか し、 生 活 が 安 定 す るに 従 って 二 人 の 問 に 亀 裂 が 生 じ始 め る。 蕭 軍 との 生 活 に 精 神 的 に 疲 れ 果 て た蕭 紅 は 、 美 術 学校 の 学 生 とな って 学 生 寮 に 入 って み た り、 日本 に 渡 航 した り、 そ の 後 も北 京 に 出か け た り と、蕭 軍 と離 れ て 暮 らす こ とを試 み る。蕭 軍 も ま た 、蕭 紅 が 素 晴 ら しい 女 性 で あ る と認 め な が ら 「彼 女 は 妻 で は な い 、 と りわ け 私 の 妻 で は な い 」 と悟 って い る。1)結局 、 二 人 は1938年4 .月、 西 安 で 別れ る こ とに な る。 この 訣 別 につ いて 、 川 俣 優 は 「単 な る感 情 的 な 対 立 か ら生 じた もの で は な い 。 い か に して 抗 日活 動 に 関 わ って い く べ きか とい う課 題 を め ぐって 、 二 人 の 問 に 考 え方 の 相違 が 生 じ、 そ れ が 揺 ら ぎつ つ あ った 二 人 の 生 活 を 破 綻 に 導 い た もの で あ る。蕭 軍 は 延 安 の 共 産 党 根 拠 地 へ 向 か お う と考 えた が 、蕭 紅 は そ れ を 受 け 入 れ る こ とが で きな か った 」2)とい う。 蕭 軍 自身 、 当 時 を回 想 して 「私 は学 生 た ち とい っ し ょに抗 日戦争 の遊 撃 戦 を戦 いに 行 きたか っ た の だ が 、 彼 女 は 私 に 作 家 で あ り続 け る こ とを 望 ん だ 。 しか し、 あ の とき、 私 は す で に 作 家 と して の 気 持 ち を 失 って い た 。 す で に ベ ンに 対 して 興 味 を 失 って い た 。銃 を 持 って 戦 い た か った の だ 」3)と、 二 人 の 考 え方 の不 一 致 を 記 して い る。 抗 日に よ って 絆 を 深 め た 二 人 だ が、 そ の 抗 日が 二 人 の 絆 を 断 ち 切 る一 因 に もな った の で あ る。 蕭 紅 は その 後 、端 木 藪 良 との 結 婚 生活 に入 る。 この端 木 との 結 婚 も、 当初 か ら波 瀾含 みで あ っ た よ うだ が 、 ともか く二 人は 武 漢 か ら重 慶 へ と 日本 軍 の 侵 攻 か らの 避 難 を 続 け 、1940年1月 、 香 港 に 至 る。 彼 女 が 香 港 へ 避 難 した こ とに つ い て は 、 当 時 は 無 論 の こ と1980年 代 ま で 、 抗 日戦 線 か ら離 脱 した とか 、 自己 の 小 さな 世 界 に 蟄 居 した とか 、 あ ま り肯 定 的 な 捉 え方 を され て こな か っ た。 こ う した 見 方 に 対 して 、艾 暁 明 は 、 「蕭紅 は 進 んで 自分 の 果 た す べ き役 割 を選 ん で 、 一 人 の 戦 争 に入 った。 一 人 で 、 人 類 の 精 神 に お け る愚 昧 や 卑 劣 に対 して戦 い を挑 ん だ 」の と、 む し ろ 「闘 い の 姿 勢 」 を 見 て 取 る。 執 筆 に 専 念 で き る環 境 を 求 め て 香 港 に逃 れ た もの の 、蕭 紅 の 身 体 は す で に 結核 に蝕 ま れ 、 か
な り衰 弱 して い た 。 咳 と頭 痛 と不 眠 に 悩 ま され 、 数 日書 い て 数 日寝 込 ん で い た とい う。5)それ に もか か わ らず 、 彼 女 は 精 力 的 に 創 作 に 励 み 、r后 花 園』r小 城 三 月 』 な ど叙 情 性 豊 か な短 編 小 説 や 、 数 編 の 散 文 、 そ れ に 二 篇 の 長 編 小 説r呼 蘭 河伝 』 とr馬 伯 楽 』 を 書 き上 げ る。 このr馬 伯 楽 』 を書 く前 に 、蕭 紅 は そ の 前 作 ともい え る短 編 小説 を発 表 して い る。1939年1 月r文 摘 』 に掲 載 され たr逃 難 』 で あ る。r逃 難 』 の 主 人 公 はr馬 伯 楽 』 の 主 人 公 の 原型 とい え る人 物 で 、 口で は 勇 ま しい こ とを 言 い な が ら、 本 当 は 戦 々就 々 として い る臆病 者 で あ る。 彼 は 、 日本 軍 の 侵 攻 が 迫 るな か 、 あ くま で も踏 み 止 ま って 「抗 日」 を 行 うべ きで 、 逃 げ 出 す の は 怪 しか らん と口で は 言 う。 本 当 は 、 一 刻 も早 く逃 げ 出 した くて た ま らな い の に 、 戦 闘 的 で あ る こ とを 装 うの に 懸 命 な の だ 。 結 局 、 彼 は こ っそ り避 難 し よ う と、 妻 子 を 連 れ て 駅 ま で や って 来 る。 しか し、 駅 に は 避 難 民 が あ ふ れ 、 列 車 に 乗 るの は 至 難 の 技 だ 。 主 人 公 一 家 は 、 混 雑 す る駅 で 家 族 が ば らば らに な った り、 揉 み 合 う うち に荷 物 だ け が ひ と りで に 列 車 に 送 り込 まれ て 運 び 去 られ た り と、 さん ざん な 目に遭 い な が ら、 這 々の 体 で 西 安 に 辿 り着 く。 中 国 で は 抗 日戦 争 が 始 ま る前 か ら列 強 の 侵 略 や 内 乱 が 相 次 ぎ、 人 々は しば しば 避 難 を 余儀 な くされ て い た 。 駅 や 列 車 は い つ も大 きな 荷 物 を 抱 えた 人 々で 混 雑 し、 列 車 が 駅 に 到 着 す る と車 両 の 入 口は 押 す な 押 す な の 大 混 乱 とな った 。 そ うした 状 況 を 、 葉 聖 陶 は す で に1924年 にr洛 先 生 在 難 中 』 で 、 あ りあ り と描 き 出 して い る。 r逃 難 』 を 書 ぎ上 げ た 後 、蕭 紅 はr馬 伯 楽 』 の 構 想 に か か り、1940年 春 、 執 筆 に か か る。物 語 は 第 一 部 と第 二 部 か ら成 り、 第 一 部 は蕭 紅 自身 が 表 紙 を デ ザ イ ン して 、1941年1月 、 大 時 代 出版 社 よ り単 行 本 として 出版 され た 。 第 二 部 は1941年2月 か らll月 までr時 代 批 評 』 に 十 五 回 に わ た って 連 載 され 、 「第 九 章 完 、 全 文 未 完 」 で 終 わ って い る。 当 時r時 代 批 評 』 の 編 集 に 携 わ って い た 衷 大 頓 が 、 未 完 に 終 わ った経 緯 を こ う記 して い る。 41年11月r馬 伯 楽 』 の 原 稿 の ス ト ッ ク が な くな っ た 、 続 き は ど うす る?と 訪 ね た と き 、 彼 女 〔蕭糸1〕は ぼ ん や り と し て 言 っ た 。 「大 頓 、 私 は も う書 け な い 。 誌 上 に 私 が 病 気 に な っ た と書 け ば い い わ 。 とて も 残 念 。 あ の 悲 しい 馬 伯 楽 に 、 明 る い 結 末 を つ け て や れ な くて 」6) 再 小 平 は 「蕭紅 は続 編 で 、 馬伯 楽 の 覚 醒 と新 生 を描 くつ も りで あ った よ うだ」7/と、 作 者 の 意 図 を 推 測 す る。 さて 、 続 編 は どの よ うに 展 開 した で あ ろ うか?そ の こ とを 考 え る とき、 注 目 した い二 編 の散 文 が あ る。 いず れ も1939年 重 慶 に避 難 して い る ときの もの で、r長 安 寺 』 と 『放 火者 』 で あ る。 r長 安 寺 』 は 寺 の 境 内の 夕 暮 れ 時 の 情 景 を 淡 々 とス ケ ッチ した もの で あ る。 ゆ った り と流 れ る時 間 の な か で 、 来 る 日も来 る 日も繰 り返 され るで あ ろ う庶 民 の な に げ な い 日常 の 一 コマ を 描
き 出 した あ と、 最 後 に 、 作 者 は 、 こ こが 爆 撃 を 受 け た ら、 と想 像 して 戦 陳を 覚 え る。 永遠 に 続 くか の よ うに 思 わ れ る人 々の 日常 の 営 み が 一 瞬 に 断 ち 切 られ て しま う とい う不 条理 が 、 鮮 や か に 浮 か び 上 が るの で あ る。 r放 火者 』 は1939年5月3日 と4日 に 爆 撃 され た 重 慶 の 市 街 地 を 描 写 した もの で あ る。 爆 撃 に 遭 い 瓦礫 の 山 と化 した 街 。 まだ そ こ ご こに くす ぶ り続 け る煙 。 奪 わ れ た 無 数 の 命 。 そ れ は 戦 闘 員 の 命 で は な い 。 平 凡 に 暮 らす 庶 民 、 年 寄 りで あ り母 で あ り幼 子 の 命 だ 、 と作 者 は 訴 え る。 『馬 伯 楽 』 の 続 編 で は 、 馬 伯 楽 の 覚 醒 と ともに 、 重 慶 の 惨 状 を 描 い て 、 戦 闘 員 で は な い 庶 民 が 犠 牲 者 とな る戦 争 の 不 条 理 を 浮 き彫 りに した か った の で は な い か 、 そ して 、 そ れ は 、蕭 紅 独 特 の 手 法 に よ って 、 読 者 の 心 を 揺 さぶ る よ うな 、壮 大 な反 戦 文 学 とな った の で は な い か 、 と想 像 され る。 r馬 伯 楽 』 は 未 完 で は あ るが 、 第 一 部 と第 二 部 そ れ ぞ れ が 、 時 間 的 空 間 的 に ま とま りを 持 っ た 構 成 とな って い る。 第 一 部 の 前 半 は 、盧 溝橋 事 件 発 生 以 前 の 青 島 を 舞 台 に 、 主 人 公 馬伯 楽 と 彼 の 家 庭 環 境 が 描 き 出 され る。 後 半 は 、盧 溝橋 事 件 発 生 後 の 上 海 が 舞 台 とな る。 単 身 上 海 に 逃 げ 出 した 馬 伯 楽 は 、 穴 蔵 の よ うな 家 で 耐 乏 生 活 を しな が ら、 ひ た す ら妻 が 金 を 持 って 来 るの を 待 つ 。 そ して 、 三 人 の 子 供 を 連 れ て 青 島 か ら 出て 来 た 妻 と、 武 漢 へ 避 難 す る こ とで 落 着 す る。 第 二 部 、 前 半 の 四 章 で は 、 混 雑 す る列 車 と船 を 乗 り継 い で 上 海 か ら南 京 、 南 京 か ら武 漢 へ と 避 難 す る行 程 が 、 後 半 の 五 章 で は 、 武 漢 を 舞 台 に 、 彼 の 恋 愛 と失 恋 の 顛 末 を 中 心 に 描 か れ る。 そ して 、 次 の 避 難 地 重 慶 に 逃 れ よ う として い る とこ ろで 物 語 は 終 わ って い る。 1937年7月7日 、盧 溝橋 事 件 を 契機 に勃 発 した 日中 戦 争 は 次 第 に 戦 域 を 拡 大 し、8月13日 に は 上 海 も爆 撃 され る。 い わ ゆ る 「八 一 三 」 で あ る。 主 人公 馬 伯 楽 が 上 海 か ら武 漢 に 避 難 した の は 「八 一 三 」 の 約 二 ヶ月後 とい う設 定 で あ るが 、 そ れ は蕭 紅 が蕭 軍 と ともに 上 海 を 離 れ た 時 期(1937年9月28日)と ほ ぼ 一 致 す る。 作 品 に は 、 作 者 が 避 難 す る間 に遭 遇 した と思 わ れ る情 景 描 写 が 随所 に 見 られ 、 当 時 の 状 況 を彷 彿 させ るの み な らず 、 作 者 自身 の 切 実 な 思 い が ひ しひ し と伝 わ って くる。 な か で も、淞 江橋 の 場 面 は圧 巻 で あ る。 「八一 三 」 後 、 ほ どな く 日本 軍 の 爆 撃 に よ って 、瀬 江橋 が破 壊 され て し ま った 。 上 海 か ら南 京 に 行 くに は 、舩 江橋 で 一 旦 列 車 を 降 りて 徒 歩 で 渡 らな け れ ば な らな い 。 昼 間 は 日本 軍 に よ る 爆 撃 の 恐 れ が あ るの で 、 列 車 は夜 、 上 海 駅 を 出発 し、夜 中 に瀬 江橋 に 着 く。 暗 闇 の な か を 人 一 人が 通 れ るほ どの 橋 板 の 上 を 群 衆 が 我 先 に渡 ろ う とす る。 だ か ら、 毎 晩 、橋 を 渡 る人 々の 叫 び 声 や 泣 き声 が 、 「あ たか も無 数 の 人 間が 一 つ の 楽 器 を奏 で て い るか の よ う」 に響 き渡 った。
そ の 泣 き声 と叫 び 声 は 天 地 を 揺 るが す 。 あ た か も人 々は 死 ぬ か 生 き るか の瀬 戸 際 に 立 た され た か の よ うだ 。 先 を 争 え る者 は 先 を 争 い 、 先 を 争 えな い もの は 遅 れ る。 狂 った 牛 や 馬 の よ うに 強 壮 な 者 は 、 自ず と前 を 駆 け 、 老 弱 婦 女 は 、 自ず と河 に 押 し落 とされ る。 な ぜ な ら、 年 老 い て 弱 い 者 、 あ るい は め そ め そ して い る女 子 供 は 動 作 が の ろ く歩 くの が 遅 い か ら だ 。 こ うした 弱 者 は 、 自分 が の ろい こ とは 別 に構 わ な い が 、 問 題 な の は健 康 な 人 た ち の 邪 魔 を して しま って 、 優 秀 な 人 た ち を 風 の 如 く前 に 進 ま せ な い こ とな の だ 。 た だ 前 に 進 ま せ な い とい うだ け の こ とだ け ど、 優 秀 な 人 た ち は 、 前 に押 しの け て い くしか 仕 方 が な い 。 そ こで 、 強 壮 な 男 は 風 の よ うに 押 しの け て 行 き、 老 弱 者 や 子 供 は 抵 抗 す るす べ もな く、 ば らば ら と河 の 中 に 押 し落 とされ て しま う。 優 勝 劣 敗 の 哲 学 は 、舩 江橋 に 来 る と、 誤 りで な い こ とが 十 分 に 証 明 で き、 完 全 に 具 体 化 で き るの だ 。8) 戦 争 とい う非 常 時 に お い て 最 も厳 しい 状 況 に追 い 込 ま れ るの は 弱 者 で あ る。 社 会 に お い て も 家 庭 に お い て も女 として 常 に 弱 い 立 場 に あ った蕭 紅 は 、 優 勝 劣 敗 の 現 象 に 非 常 に 敏 感 で あ った 。 支 暁 明 は、 「蕭紅 は紛 れ もな く、 女 性 と して 弱 者 と して 、 戦 争 とい う暴 力 の 下 で 受 け た 自 ら の 辛 い体 験 を 作 品 に 融 合 させ た。(中 略)彼 女 の 弱 者 と して の立 場 が 、 逆 に 強 者 た ち を 可 視 化 した 。 例 えば 、 尊 敬 され て い る男 性 作 家 た ち に は 見 えな くて 表 現 しな か った もの 、 民 族 の 生 活 の 中 で ず っ と存 在 して きた 卑 劣 な 人 格 や 私 欲 や 虚 偽 とい った もの を 可 視 化 した の で あ る。 これ らは 、 戦 争 の 危機 に よ って 減 少 す る どこ ろか 、 逆 に この 危 機 ゆ えに よ り直 接 的 に 一 般 の 人 々の 日常 生 活 を 脅 か した の だ 」9)と論 じて い る。 1930年 、19歳 の蕭 紅 は 父 の 決 め た 縁 談 を 嫌 って 家 出 し、 北 京 で 、 学 生 の 陸振 舜 と同棲 しな が ら北 京 女 子 師 範 大 学 附 属 中 学 に 通 う。 しか し、蕭 紅 の 父 親 の 要 請 を 受 け て 、 陸 の 親 が 仕 送 りを 絶 った の で 生 活 で きな くな り、 家 に 舞 い戻 ら ざ るを 得 な くな った 。 さ らに 、1932年 、 婚 約 者 王 恩 甲に 旅 館 に 連 れ 込 ま れ た とき も、 親 に 金 を も ら って くるか ら とい って 、 置 き去 りに され た 。 親 の 金 に 依 存 して 生 き る男 に 二 度 まで もひ どい 目に遭 わ され た の で あ る。 そ の 手痛 い経 験 は 、 彼 女 に 、 自分 を 窮 地 に 陥 れ た 無 責 任 な 男 の 正 体 を は っ き り知 ら しめ た で あ ろ う。 た だ 男 で あ る と言 うだ け で 女 の 上 に 位 置 し、 尊 大 に 振 る舞 う男 た ち が 、 女 に 劣 らず 、 否 、 む し ろ女 よ り卑 小 で 怯 儒 で あ る こ とを 、 彼 女 は 思 い 知 った に違 い な い 。 r馬 伯 楽 』 で は 、 そ の よ うな卑 小 で怯 儒 な 男 を主 人 公 に して 、 「人 物 の 可 笑 し くて卑 しい 性 癖 と細 部 を拡 大 し、 皮 肉 に 満 ち た議 論 を 加 えて マ ジ ッ ク ミラ ー の よ うに変 形 させ 」、10)そう し て 数 々の 欠 点 を 暴 き 出 した 。 そ の 容 赦 の な い 筆 致 は 攻 撃 的 で さ えあ る。 平石 淑 子 はr馬 伯 楽』 の特 徴 の 一 つ に 「登 場 人 物 に作 者 の 同情 や共 感 が 反 映 され て い な い」")
点 を挙 げ る。 また 、尾坂 徳 司 は 「滑稽 な文 章 なの に 、読 み進 む うち に笑 え な くな って くる。(中 略) 蕭 紅 のr馬 伯 楽 』 は彼 女 自身 を も含 め た 知 識 人 の 内部 告 発 だか ら後 味 が悪 い の で あ る」12)と評 して い る。 抗 日の 気 運 が 高 ま る な か で 、 「抗 日」 「愛 国 」 「正 義 」 とい った 大 義 名 分 を 振 り回 して い る男 た ち が 、 実 は保 身 を 図 るの に 汲 汲 として い る こ とを 、 誰 もが 逆 ら えな い 立 派 な 言 葉 に潜 む欺 隔 を 、蕭 紅 は 見 逃 さな か った 。 そ して 、 そ の 欺 隔 を 暴 くの が 自 らの 使 命 で あ る と考 えた の で あ る。 そ の 妥 協 を 許 さな い 強 い 思 い が 、 十 分 に 鎮 静 化 され る こ とな くス トレ ー トに 作 品 に反 映 され 、 そ れ が 、 「同情 や 共 感 が 反 映 され て い な い」 或 い は 「後 味 が 悪 い」 と評 され る要 因 とな って い る よ うに 思 わ れ る。 蕭 紅 は 雑 誌r七 月 』 の 座 談 会(1938年4月29日)で 、 「作 家 は一 つ の 階 級 に属 す る もの で は な く、 人類 に 属 す る もの だ 。 現 在 或 い は過 去 にお い て 、 作 家 た ち の創 作 の 出 発 点 は 人 類 の 愚 昧 に 向 き合 うこ とな の だ」 と発言 して い る。13/蕭紅 は 、 ま さ し く 『馬 伯 楽 』 に お い て 、人 類 の 愚 昧 、 と りわ け 当 時 の い わ ゆ る知 識 人 の 愚 昧 に 正 面 か ら向 き合 い 、 彼 らの 「馬 々虎 々」(い い 加 減)な 生 き方 と、 そ の 心 理 を 徹 底 的 に明 らか に し よ う とした の で あ る。 作 品 の 背 景 とな った 大 状 況 と して 中 国 の 近 代 化 と 日中 戦 争 が あ る。 そ の 混 乱 期 に 、 主 人 公 馬 伯 楽 は 故 郷 青 島 か ら上 海 、 上 海 か ら武 漢 へ 「逃 げ る」。 先 ず は 自分 を 疎 外 す る家 か ら、 後 に は 迫 り来 る爆 撃 か ら。 そ の 「逃 げ る」 馬 伯 楽 と、 戦 時 下 の 混 乱 した 社 会 の 現 実 が 、 喜 劇 的 タ ッチ で 風 刺 画 の よ うに 描 き 出 され る。 「何 事 も後 退 す る ゆ と りを 残 して お か な け れ ば な らな い 」。 これ が 馬伯 楽 の 哲 学 で あ る。 後 退 とは 逃 げ る こ とで あ り、 形 勢 が よ くな い と見 て 取 る と、 彼 は 先 ず 逃 げ る。 彼 は 中 学 を 卒 業 して 、 上 海 の 大 学 を 受 験 した が 、 失 敗 して 聴 講 生 とな った 。 しか し、 父親 が 仕 送 りを して くれ な い た め 家 に 帰 り、 そ の 後 、 定 職 に 就 か ず 、 勝 手 気 ま ま に 日 々を過 ご して い る。 父 親 の 経 済 力 に 依 存 して 、 生 活 に 困 る こ とは な か った 。 馬 伯 楽 一 家 が 住 む 青 島 は 、1898年 に ドイ ツの 租 借 地 とな って 以 来 、 帝 国 主 義 に よ る政 治 的 、 経 済 的 、 文 化 的 侵 略 を 受 け て きた 地 域 で 、 有 力 者 た ち は 保 身 の 意 味 もあ って 、 ほ とん どが キ リ ス ト教 に 入信 した とい う。1"馬 伯 楽 の 父親 も一 代 で 財 を 成 した 資 産 家 で 、 や は りキ リス ト教 に 入 信 した 。 外 見 は 生 粋 の 中 国 の 老 人 で あ るが 、 精 神 は す っか り西 洋 に か ぶ れ て 「外 国 の もの は 何 もか も よい 。 外 国 の 子 供 は ま るま る太 って い る し、 外 国 の 女 性 は 能 力 が あ る」 挙 げ 句 の 果 て に は 「八 か 国連 合 軍 が 北 京 を破 壊 した け れ ど、 それ は我 々に とって よか っ た」 「外 国 人 は 我 々 中 国 人 の 模 範 だ 」 と言 う始 末 。 馬 伯 楽 は そ ん な 父 親 の 考 え方 に反 対 で あ る。
こん な こ とで い い の か?こ ん な 子 供 が 大 き くな って な ん の 役 に 立 つ ん だ?中 華 民 族 は 日に 日に 深 い穴 に 足 を 踏 み 入 れ て い るん だ よ!中 国 が どの 家 も子 供 の 時 か ら、 外 国 人 を 見 た らま るで 金 を 見 るか の よ うに 目を ぎ ら ぎ ら させ て 眺 め る よ うに 教 育 した ら、 ど うな るん だ 。 外 国 人は お ま えに 金 を くれ るわ け じ ゃな い ん だ よ。 こん ち くし ょ う、 人 民 の 汗 と 脂 が み ん な 彼 らに 吸 い 尽 くされ ち ま った とい うの に、 そ れ で も まだ 尊 敬 す るの か よ。15) この よ うに 、 口で は 父 親 の 西 洋 崇 拝 を 批 判 す るの だ が 、 行 動 にお い て は 西 洋 崇 拝 の価 値 観 か ら抜 け 出せ ず 、 中 国 人 の 店 で は 全 て に 疑 い の 眼 差 しを 向 け 、 どん な に 安 い もの で も、 ま ず値 切 る。 しか し、 外 国 人 の 店 で は 頭 か ら信 用 して 、 金 に 細 か い そ ぶ りな ど少 しも見 せ ず 、 相 手 の 言 い値 で 支 払 う。 無 意 識 の うち に 西 洋 人 には ま った く頭 が 上 が らな い の で あ る。 彼 は ま た 、 父 親 の よ うに外 国人 が い い とは 言 わ な い が 、 し ょ っち ゅ う中 国人 を 罵 る。 「こん ち くし ょ うの 中 国 人め!」 不 愉 快 な 目に遭 うた び に 、 この 言 葉 が 彼 の 口を 衝 い て 出 る。 中 国 人 で あ りな が ら中 国 人 を 罵 る とい う矛 盾 を は らん だ 罵 言 に よ って 、 作 者 は 、 主 人 公 の 醗 屈 した 心 理 状 態 を あ りあ り と描 き 出す 。 そ れ は 「俗 人 を 超 越 して い る と思 い 込 ん で い る彼 の 強 い 自惚 れ を 示 す と同時 に 、 ど うし よ うもな い コ ン プ レ ックス を も示 して い る」'6)ので あ る。 沙 金 成 は 、 そ の 意 識 構 造 の 背 景 に は 、 百 年 に 亘 る中 華 民 族 の歴 史 が あ る、 と指 摘 す る。 1840年 の 阿 片戦 争 か ら1940年 に蕭 紅 がr馬 伯 楽 』 を 書 くま で 、 ま る ま る100年 間、 中 華 民 族 は 、 帝 国 主 義 列 強 の 政 治 的 、 軍 事 的 、 経 済 的 、 文 化 的 侵 略 を 受 け 続 け て きた 。腐 敗 し た 統 治 階 級 は手 を こま ね いて 、 中 国 の 主 権 を帝 国主 義 に差 し出 して しま った。(中 略)こ うして 歴 史的 に 培 わ れ た 「恐 洋 症 」 は 、 次 第 に統 治 階 級 を 始 め として 、 民 族 悲 観 主 義 的 意 識 を形 成 して い く。(中 略)馬 伯 楽 の 口癖 で あ る 「こ ん ち く し ょ うの 中 国 人 め!」 は 、 旧 社 会 に 存 在 した こ うした 精 神 意 識 を反 映 して い るの で あ る。'7) 馬 伯 楽 父 子 に 見 られ る西 洋 崇 拝 は 自 らを 卑 下 す る劣 等 意 識 の 裏 返 しで あ り、 馬伯 楽 の 口癖 で あ る 「こん ち くし ょ うの 中 国 人 め!」 は 、 彼 の 強 い 自惚 れ と劣 等 意 識 、 そ の 劣 等 意 識 に 対 す る 苛 立 ち 、 これ らが 蜷 局 を 巻 い て い る魂 の 奥 の 暗 黒 を 象 徴 して い るの で あ る。 四 馬 伯 楽 の 父 親 は 敬 慶 な キ リス ト教 信 者 ら し く、 熱 心 に聖 書 を 読 み 、 毎 朝 祈 りを捧 げ る。 家 中 至 る所 に 聖 像 画 が 掛 け られ 、 家 族 に も毎 朝 祈 りを 捧 げ る こ とを 求 め た 。 見 か け は模 範 的 な キ リ
ス ト教 信 者 で あ る。 とこ ろが 、使 用 人 で あ る車 夫 が 今 に も死 に そ うに 苦 しん で い る とき、 父親 は 医 者 に 診 せ よ う と しな い ば か りか 、 「イ エ ス 様 は 狭 い と ころ は お嫌 い だ 」 と言 って屋 内 に 入 れ る こ とを拒 む 。 ま た 、 五 歳 の 孫 、 つ ま り馬 伯 楽 の 次 男 が 乱 暴 者 で 女 の 子 に 怪 我 を させ た とき も、 相 手 の 母 親 に 謝 る どこ ろか 、 「キ リス ト教 を信 仰 して い るか?」 と尋 ね 、 相 手 が 「い い え」 と答 え る と、 「道 理 で 、 あ ん た の 子 供 は 鼻 血 が 出易 い わ け だ 。 そ れ は キ リス ト教 を 信仰 して い な い か らだ 。 キ リ ス ト教 を 信 仰 しな い 人 は 災 禍 に遭 い や す い ん だ よ」 と言 って 、 あ くま で も孫 の 非 を 認 め よ う と しな い 。 キ リス ト教 を楯 に 、保 身 を 図 ろ う とす る、 つ ま り、 キ リス ト教 とい う立 派 な 衣 を 纏 っ て 、 信 仰 とは ほ ど遠 い 俗 物 の エ ゴ イス ト とい う中 身 の ごま か しを 図 るの で あ る。 外 見 で 中 身 を 覆 い 隠 す 、 そ う した ご まか しを 作 者 は 次 々 と槍 玉 に 挙 げ て い くの だ が 、 そ の 中 で 、 主 人公 が ご まか しの 尤 も ら しい 理 屈 を 考 え 出す 場 面 が あ る。 そ れ は 、舩 江橋 を渡 る とき。 馬 伯 楽 は トラ ン クを 持 ち 、 さ らに娘 の 雅 格 を 抱 い て舩 江橋 を 渡 らな け れ ば な らな か った 。 だ が 、 彼 は 力 を使 い 果 た し、 もは や トラ ン クか 雅 格 の どち らか を 手 放 さな け れ ば 持 ち こた え られ な くな る。 トラ ン クを 手 放 せ な い 理 由は こ うで あ る。 よ りに よ っ て 、 こ の 二 つ は どち ら も 手 放 す わ け に は い か な い 。 ト ラ ン ク の 中 に は ス ー ツ が 入 っ て い る 。 ス ー ツ を 手 放 し て い い も の か?ス ー ツ は 外 観 だ 。 人 に と っ て 中 身 は な く て も い い が 、 外 見 は な い わ け に は い か な い 。 こ の ご 時 世 、 誰 が あ ん た に どれ だ け の 学 問 が あ る とか 、 どれ だ け の 才 能 が あ る とか 、 とい っ た 中 身 を 見 る だ ろ うか?中 身 は 見 え な い が 、 外 見 は 一 目で 見 え る の だ 。 こ の 世 界 、 人 々 は り っ ぱ な 外 見 で 悪 い 中 身 を 覆 い 隠 し て い る で は な い か?18) 結 局 、 彼 は 土 手 か ら転 落 して 、 どち ら も手 放 して しま うの で あ るが 、 りっぱ な 外 見 と悪 い 中 身 、 つ ま り人を 欺 き 自 ら も欺 く欺瞞 の か ら く りが 非 常 にわ か りや す く形 象 化 され て 、 説 得 力 の あ るモ ノ ロ ー グ とな って い る。 これ まで 見 て きて わ か る よ うに 、 馬 伯 楽 の 父 親 の 最 大 の 関 心 事 は 、 い か に して 金 を 使 わ な い か 、 で あ る。 そ ん な 父 親 か ら金 を 引 き 出す の は 容 易 な こ とで は な い 。 馬伯 楽 は 、 父 親 か ら金 を 引 き 出せ な い と きは 、 妻 に借 りる。 妻 は へ そ く りを彼 に渡 して 、 不 機 嫌 な顔 で言 う。 「男 の く せ に 。 外 で 金 を 工 面 で きな くて 、 女 の 金 を 持 って い くな ん て 」 そ して 、 父 親 が 金 に 細 か い こ とに不 満 を抱 く彼 に、 妻 は ぴ し ゃ り とい う。 「ε …二 、 三 十 歳 に もな るの に 、 口を 開 け ば 父 さん 、 手 を 伸 ば せ ぱ お 金 。 お 父 さん が し っか り握 って い な け れ ば 、 あ ん た み た い な 人は 、 将 来 妻 を 売 った り子 供 を 質 に入 れ た りす るに ち が い な い 。 一 日中 、 二 本 の 手 は 、 金 を 要 求 す る以 外 は ご飯 を 食 べ るだ け 。 ほ か に能 が な い の?」
この よ うに 現 実 的 で し っか り者 の 妻 は 、 舅 が キ リス ト教 の 信仰 の 厚 い 者 に遺 産 を 多 く分 け 与 え る とい うの を 聞 く と、 俄 然 、 朝 の 礼 拝 に 励 む よ うに な る。 父 親 に しろ、 妻 に しろ、 キ リス ト 教 を 信 仰 す るの は 、 打 算 か らで あ り、 欲 得 ず くで あ るの が 見 え見 えで あ る。 そ れ で 、 馬伯 楽 は 「この 家 は 本 当 に ひ どい 、 み な 金 を 見 て 生 きて い る。 道 徳 心 が な い 、 信 仰 心 が な い」 と批 判 す る。 批 判 す る彼 自身 、 金 を 見 て 生 きて い る人 間 そ の もの で あ るの だ が 。 学 生 時 代 に は 左 翼 運 動 に 参 加 し、 ま た ゴ ー リキ ーや ゴ ー ゴ リの 作 品 に も親 しん で 、 自分 で は 進 歩 的 で 有 為 な 青年 で あ る と思 い 込 ん で い る馬 伯 楽 で あ るが 、 金 を 稼 ぐこ とは 何 を や って も失 敗 ば か り。 家 じ ゅ うの 期 待 を 背 に 上 海 に 出て 書 店 を 開 い た とき も、 本 は 一 冊 も売 れ ず 、 父親 の 金 も使 い 果 た して す ごす ご と家 に 舞 い 戻 る。 家 で は ベ ッ ドは 柔 らか い し、食 事 も時 間 通 りに で きた が 、 能 な しの 彼 に 対 す る家 人 の 態 度 は 冷 た く、 彼 は 毎 日虐 待 され て い る よ うに 感 じた 。 家 で の 地 位 は 若 旦 那 とい うよ りむ し ろ召使 い に近 か った 。 「昔 の 人 は うま い こ と言 った もの だ 、 人 生 は 苦 しい こ とが 多 くて 楽 しい こ とは 少 な い 。 金 が あ れ ば 、 妻 で あ り、 子 で あ り、 父 で あ り、 兄 で あ る。 金 が な け れ ば の ら犬 に も劣 る。 人 が 生 き る って こ とは こん な もん だ 。 正 義 も真 理 もあ った もん じ ゃな い 。 す べ て 人 を騙 す 言 葉 で は な い か 」 と、 彼 は 自分 の 無 能 を 棚 に 上 げ 、 親 子 の 情 さ え も金 次 第 だ と呪誼 す る。 そ の 実 、彼 が 父 を 父 と認 め 、 妻 を 妻 と認 め るの も、 父 が 金 を 持 って い るか らで あ り、 妻 か ら金 を 巻 き上 げ る こ と が で き るか らな の だ 。 五 盧 溝 橋 事 件(1937年7月7日)が 発 生 す るや い な や 、 馬伯 楽 は 青 島 の 家 か ら上 海 に 逃 げ た 。 人 一 倍 警 戒 心 が 強 くて 、盧 溝橋 事 件 の 重 大 性 を い ち 早 く察 知 した か らで あ る。 しか し、 上 海 に 着 い て み る と、 上 海 の 街 は 普 段 と変 わ らず賑 や か で 、 危 機 意 識 の か け ら も感 じ られ な い 。 当 時 、 国 民 党 が 資 金 を 稼 ぐた め に 「救 国 」 の 名 を 冠 して 航 空 くじを 売 り出 して い た の だ が 、 そ の くじ売 り場 に は と りわ け 多 くの 人 が 群 が って 、 目の 色 を 変 えて くじを選 ん で い る。 馬 伯 楽 は そ ん な 能 天 気 な 人 々に 怒 りを 覚 え る。 「日本 人 が ま も な く攻 めて くる とい うの に、 まだ 準 備 を し よ う としな い 。 こ こで ひ た す ら金 儲 け の こ とを 考 えて い る」 「あ ん た た ち は 馬 鹿 じ ゃな い 。 あ ん た た ち は い い 生 活 を した い し、 安 定 した 生 活 を した い ん だ 。 み な 集 ま って 一 生 懸 命 に 航 空 くじを 買 って い る様 を 見 る と、 金 儲 け に どれ ほ ど切 実 で あ るか わ か る よ。 だ け ど、 小 日本 〔日木人の蔑称〕が や って きた ら、 逃 げ 惑 う こ とに な る ん だ ぞ。 そ の とき に な った ら、 連 日泣 きわ め い て 家 族 ば らば らに な っち ま うん だ 。」 彼 は 、 戦 争 が 始 ま るか ら避 難 しな け れ ば い け な い 、 と友 人 た ち に 説 い て 回 る。 しか し、 誰 に も相 手 に され な い 。 一 人 で 空 回 りす る うち に、 準 備 の 時 期 は過 ぎた 、 す ぐに 行 動 す べ ぎだ と考
え始 め た。 「さ も な け れ ば 、 そ の と きに な った ら ど うす る?人 々が み な 逃 げ る時 に な った ら ど うす る?汽 車 や 船 は使 えな くな る。 戦 争 が 始 ま った ら、 交 通機 関 は 使 えな い 。 兵 を 運 ぶ も の は 兵 を 運 び 、 食 料 を 運 ぶ もの は 食 料 を 運 ぶ 。 そ の うえ に難 民 を 運 ぶ 余裕 が あ る もの か ね? 避 難 す るな ら早 く避 難 しな け れ ば 、 逃 げ 遅 れ て もい い の か ね?し か し、 避 難 す るに は 金 が 要 る。」 彼 は 青 島 を 離 れ る とき、 青 島 は 切 迫 した 情 況 にあ る と思 って い た 。 だ か ら、 彼 は 妻 が す ぐに も上 海 に や って くる、 妻 が 来 る ときは 必 ず 金 を 持 って くる、 とた か を く くって い た 。 とこ ろが 、 妻 は な か な か 来 な い 。 貯 えは 日に 日に減 少 す る。 「日本 人 は な ぜ ま だ 青 島 に 攻 め て 来 な い ん だ ろ う?青 島 に 攻 め て 来 な い と、 奥 さん は 出 て 来 な い、 奥 さ ん が 来 な い と金 が 来 な い 」 「日本 人 は 中 国 を攻 め る に は違 い な い が 、 こん な に 遅 い とは 思 い も しな か った 」 「も し 日本 人が 、 も しε ε も し二 十 日以 内 に 青 島 に攻 め て こな け れ ば 、 も う終 わ りだ 。 今 は 十 元 あ るが 、 そ の ときに な った ら終 わ りだ 」 戦 争 が 始 まれ ば 妻 が 逃 げ て くる。 妻 が 来 た ら金 も来 る。 金 に 窮 した 馬伯 楽 は 、 あ ろ うこ とか 、 戦 争 が 一 日で も早 く始 ま る こ とを 、 日本 軍 が 一 日で も早 く攻 撃 して くる こ とを 、 ひ た す ら望 む よ うに な った 。 そ して 、 つ い に 人 々が 続 々 と避 難 を 始 め た 。 「い い そ、 避 難 だ 」 馬 伯 楽 は うれ し くな って 思 っ た。 「これ が 、 よ くよ く見 な い で い られ る か ね?こ ん な機 会 は 多 くは な い ん だ!今 日見 な け れ ば 明 日に は も うな くな る」 彼 は うれ し くて 、 卵 五 個 入 りの チ ャ ーハ ンを 食 べ た 。 彼 は 痩 せ て い るけ れ ども、 大 股 で 昂 然 と頭 を 挙 げ 、 ときに は 口笛 を 吹 きな が ら、 上機 嫌 で 街 を 闊 歩 した 。 彼 は 自信 た っぷ りだ った 。 そ して 、 「八 一 三 」 前 夜 。 大 砲 が ま も な く鳴 り響 くだ ろ う。 北 四 川 路 は し ん と静 ま り返 っ た 。 す べ て の 家 が 空 っ ぽ に な っ た 。 街 路 に は 人 っ 子 一 人 い な い 。 い つ も な ら街 路 い っ ぱ い に 溢 れ た 車 が な くな っ た 。 全 て が 戦 争 を 待 っ て い た 。 全 て が 長 い 間 待 っ て い た 。 街 路 に は 引 っ 越 しの た め 、 紙 が 飛 び 散 っ て い る 。 市 街 地 が 空 っ ぽ に な る と、 広 野 よ りず っ とが ら 一 ん と し て い る 。 広 野 は 果 て し な く広 々 と し て い て 、 何 も 遮 る も の が な い 。 だ が 、 市 街 地 は 真 っ 暗 で 、 ひ っ そ り と し て お り、 建 物 が な に か 怪 物 の よ うだ っ た 。 が ら 一 ん と し て 広 野 よ り も っ と恐 ろ し い 。'9) 静 ま りか え った 空 っぽ の 市 街 地 の 印 象 を 淡 々 と綴 って い るだ け だ が 、 す べ て が 息 を潜 め て 戦 争 が 始 ま るの を 今 か 今 か と待 って い る不 気 味 な 情 景 が 、 目の 前 に迫 って くる。 この 夜 、 つ ま り8月12日 の夜 、蕭 紅 の も とに一 人 の 日本 人 が 訪 ね て きた 。 鹿 地 亘 の 妻 の 池 田
幸 子 で あ る。 池 田は 、13日 未 明 に 日本 軍 の 上 海 攻 撃 が 開 始 され る こ とを知 らせ るた め に 来 た の だ 。 そ の 夜 、 夫 の蕭 軍 を 別 室 に 寝 か せ 、 二 人 は 一 つ の ベ ッ ドに 横 に な った 。 明 け 方 、銃 声 ら し き音 が 聞 こえ た 。 「池 田、 銃 声 じ ゃな い?」 「た ぶ ん 、 そ うだ わ」。20)攻撃 され る側 の 中 国 人 と 攻 撃 す る側 の 日本 人 、蕭 紅 と池 田 は奇 し くも一 つ の ベ ッ ドで 不 安 な 一 夜 を 明 か し、 「八 一 三 」 を 迎 えた の で あ る。 さて 、 馬 伯 楽 が 待 ち に 待 った 日本 軍 の 攻 撃 は 開 始 され た 。 しか し、 そ れ で も妻 が 来 る気 配 は な い 。 彼 は 自問 す る。 金 が な くて 、 避 難 で き るの か?「 金 が な け れ ば 、 ま た 家 に 帰 らな け れ ば な らな い 。」 家 に帰 る と考 え た とた ん、 彼 は も う考 え続 け る こ とが で きな くな った。rあ の よ う な 家 に ど うして 帰 れ る もの か 。 冷 た くて 、 無 情 で 、 父 親 、 母 親 、 妻 か ら末 娘 の 雅 格 に 至 るま で 、 彼 に い い 顔 を す る者 な ん か 一 人 もい な い 。」 馬 伯 楽 は 家 賃 が 払 えず 、穴 蔵 の よ うな 家 に さ え住 み 続 け る こ とが で きな くな って 、 友 人 の 所 に 転 が り込 む 。 そ れ で も、 彼 は 家 に 帰 りた くな か った 。 六 妻 が 上 海 に 来 た の ち も、 馬 伯 楽 は な か な か 金 を 手 にす る こ とが で きな い 。 妻 の 胸 の 内 を 計 り か ね た 彼 は 次 第 に 不 安 に な って くる。 「ま さか 妻 と三 人の 子 供 を 、 今 後 お れ に養 わ せ る とい うの で は あ る まい な?」 馬 伯 楽 は そ う考 え る と、 恐 怖 を 覚 えた 。 「そ れ は で きな い 、 そ れ は で きな い 。」 も し彼 に 彼 女 た ち を 養 わ せ よ う として も、 そ れ は 絶 対 にで きな い こ とだ 。 世 界 に あ るは ず の な い こ とだ 。 断 じて 不 可 能 な こ とだ 。 少 しの 可 能 性 もな い こ とだ 。 馬伯 楽 自身 に は 絶 対 に で きな い こ とだ った ♂1, 中 本 百 合 枝 は 「馬 伯 楽 は 幼 児 の ま まの 状 態 で 生 き続 け て い る、 一 人 の 幸 せ な 男 で あ る」 と言 う。 「普 通 の 人 間 で あ れ ば 対 峙 して 解 決 して い か な け れ ば な らな い よ うな 事 で あ って も、 彼 は た だ 逃 げ る とい う行 為 で 対 処 す る。 そ れ だ け が 彼 の 持 つ 手 段 の 全 て な の で あ る。彼 は あ らゆ る 責 任 を 徹 底 的 に 回 避 す る」。22) 妻 の 顔 色 を 窺 って 、 い つ も逃 げ て ば か りい る馬 伯 楽 で あ るが 、 我 が 身 の 安 全 を 確 信 した とき、 安 心 して 居 直 る。 妻 が 自分 に 従 わ ざ るを 得 な い 情 況 に な った ときで あ る。 妻 が 彼 に や か ま し く騒 ぎ立 て て も、 身 を 避 け るか 、 或 い は 相 手 に しな い 。 そ うで な け れ
ば 、 彼 は 腹 を 立 て て 言 っ た 。 「お ま え た ち 、 青 島 に 帰 れ ば い い 」 彼 は 、 彼 女 た ち が 帰 れ な い こ とを よ く知 って い る の で 、 と りわ け 勇 ま し く怒 鳴 りつ け た 。23) 妻 が 泣 い て も、 彼 は 気 に も留 め な か った 。 か わ い そ う とも恨 め しい とも思 わ な か った 。 な ん らの 感 覚 もな しに 彼 女 を 軽 視 して い た 。 相 手 が 弱 け れ ば 弱 い ほ どます ます カ サ に 掛 か るの で あ る。 この よ うに 、 弱 者 に 対 して は 本 能 の赴 くま ま に身 勝 手 に振 る舞 う馬伯 楽 で あ るが 、 手 強 い 相 手 に は 、 ど う対 処 す るの か?相 手 の 言 い な りに な るの み で あ る。 しか し、 そ れ で は 腹 の 虫 が 治 ま らな い の で 、 彼 は 自分 を 納 得 させ るた め に 言 い 訳 を 考 え る。 逃 げ て きた 南 京 も 日本 軍 に 空 襲 され る とい う。 急 い で 避 難 しな け れ ば な らな い の に、 武 漢 に向 か う船 の 切 符 は な か な か 手 に 入 らな い 。 彼 の 足 元 を 見 た ボ ー イが 、 切 符 を 手 に 入 れ て や る見 返 りに船 賃 の 二 割 を 寄 こせ 、 と 言 う。 み す み す 金 を 巻 き上 げ られ るの は 腹 立 た しい と思 うが 、 ボ ーイ の 要 求 を 拒 否 す る こ とも で きな い 。 そ こで 、 彼 は 考 え る。 そ れ は 当 然 の こ とだ 。 大 混 乱 の と き に 、 金 儲 け し な い で 、 い つ す る の か?国 難 の と き に 、 金 儲 け し な い で 、 平 和 に な っ て か ら 、 ど こ で 金 儲 け す る の か?人 は 生 死 存 亡 の 瀬 戸 際 で は 、 相 手 が 一 と言 え ば 一 、 二 と言 え ば 二 だ 。 金 が 大 事 か 、 命 が 大 事 か?馬 伯 楽 は 、 ボ ー イ に 二 割 や っ て も よ し と し よ う、 と思 っ た 。24) どれ ほ ど理 不 尽 な 目に遭 って も、 言 い 訳 を 考 え 出 して 、 心 の 平衡 を保 と う とす るの で あ る。 武 漢 滞 在 中 、 馬 伯 楽 は 妻 の 目を 盗 ん で 王 家 の 令 嬢 と恋 愛 し、 失 恋 す る。 そ の後 、 暗 澹 とした 生 活 が 六 、 七 ヶ月 続 い た 。 しか し、 と う と う光 明 が や って きた 。 な に が 光 明 か?武 漢 もま た 撤 退 しな け れ ば な らな くな った か らで あ る。 馬 伯 楽 は 言 った 。 「ま た逃 げ な くて は」 す る と、 彼 は 元 気 に な った 。 あ た か も長 征 の 大 軍 が 出 発 す る前 夜 の よ うに 、 競 馬 場 の 馬 が 競 馬 場 に 出て きた 時 の よ うに 、 あ の 満 ち 満 ち た 精 神 は 遮 る こ とが で きな い 。 誰 に も阻 止 で きな い の だ 。 馬 伯 楽 は この知 らせ を 聞 く と、 ぱ っ とベ ッ ドか ら跳 び 起 き、 「そ の ときが 来 た ら ど うす るの だ?早 く船 の 切 符 を 買 い に 行 こ う」 と言 った 。 妻 が 言 う。 「船 の 切 符 を 買 って ど こへ 行 くの?」 馬 伯 楽 が 言 う。 「み ん なが 行 く と ころへ だ よ」
こ の と き 、 漢 口 じ ゅ うの 人 々 は み な 重 慶 を 思 い 描 い て い た 。25) 武 漢 も決 して 安 全 とは い えな くな り、 また 逃 げ 出 さな け れ ば な らな くな った 。 そ の 途 端 、 そ れ ま で 無 気 力 で 意 気 消 沈 して い た 馬 伯 楽 は 、 俄 然 張 り切 り出 す の で あ る。 「馬 伯 楽 に とって は 逃 げ る とい うこ とそ の もの が 人 生 に於 け る一 つ の 目標 に な って い る。 彼 は 逃 げ よ う として い る時 だ け 精 神 の 高 揚 を 感 じ、 何 処 か に落 ち 着 い て 安 定 す る と欝 状 態 に 陥 る の だ 」。26)本来 は生 きる た め に逃 げ る の だ が 、 馬 伯 楽 に お い て は 、 逃 げ る こ とが 目的 と化 し、 逃 げ る こ とに よ って 生 活 が 満 た され 、 逃 げ る こ とに よ って 彼 は 生 命 を 吹 き込 まれ るの で あ る。 こ うして 、 馬 伯 楽 一 家 が 重 慶 を 目指 す で あ ろ うこ とを 暗 示 して 、 「第 二 部 第 九 章 」 は終 わ る。 七 葛 浩 文 はr馬 伯 楽 』 を 評 して 、 「蕭紅 は作 中 にお いて 、 誰 も 口出 しで きなか った戦 時 文 学 と、 あ の 自 らを 愛 国 作 家 と名 乗 る作 家 た ち に、 彼 女 の 鋭 い 筆鋒 を 向 け た 」27)と言 う。 日中 戦 争 さな か 、 民 族 統 一 戦 線 が 叫 ば れ 、 文 芸 界 に お い て も、 積極 的 に 民 族 解 放 闘 争 を表 現 す る こ とが 求 め られ た 。 そ うした 抗 戦 ム ー ドを 高 揚 させ 、 人 民 の 抗 戦 の 決 意 を 強 化 させ る こ と が 求 め られ た 時 代 に 、蕭 紅 は 馬 伯 楽 の よ うな 戦 闘 的 で な い臆 病 な 人物 を 描 い た の で あ る。 しか も、 馬 伯 楽 は 社 会 的 風 潮 に は とて も敏 感 で 、 「中 国 の 作 家 は現 時 点 で 積 極 的 に抗 日を進 め な け れ ば な ら な い」 とか 、 「俺 が 作 家 だ っ た ら、 抗 日を 指 導 しな けれ ば い け な い 。 中 国 が抗 日 しな い で 、 生 ま れ変 わ れ っ こ な い」 とか 、 「この ご時 世 に 日本 を や っつ け るの を 書 か な くて売 れ る か ね?そ れ に 、 作 家 に な りた い の な ら、 先 頭 に 立 って 率 い な くて 認 め て も ら え るか ね?」 と か 考 え る。 い か に も見 え見 えの 単 純 思 考 で 、 当 時 の 風 潮 を 風 刺 して い るの は 一 目瞭 然 で あ る。 戦 時 の 緊 迫 した 状 況 下 に あ って 人 々は 平 常 心 を 失 い 、 「愛 国」 「抗 日」 とい う言 葉 が 強 い 呪縛 力 を 発 揮 した 時 代 に 、蕭 紅 は そ の 鋭 い 感 覚 で 、 上 滑 り的 に言 葉 を 操 る人 間 の 危 うさ、 脆 さ、 軽 薄 さを 感知 して い た 。 そ して 、 馬 伯 楽 の 形 象 を 通 じて 、 い わ ゆ る 「愛 国 作 家 」 た ち を 辛辣 に 皮 肉 った 。蕭 紅 は 異 を 唱 え るの が 悼 られ る空 気 の 中 で 、 敢 えて そ の 風 潮 を 椰 楡 した の で あ る。 陳 潔 儀 は、r馬 伯 楽 』 の価 値 は 「抗 戦 文 芸 」 の 外 に立 って い る と ころ に あ る と、 指 摘 して い る。 作 品 を 通 して 「抗 戦 文 芸 」 の 創 作様 式 に 挑 戦 して い る意 図 が 見 て 取 れ る とい う。 『馬 伯 楽 』 は 「国 家 民 族 」 的 創 作 方 向 に対 す る椰 楡 に満 ち て い る。 故 意 に 「抗 戦 文 芸 」 とは 反 対 の論 調 を 唱 え て 、 別 の 新 しい 作 風 を 生 み 出 して い る 。 「民 族 大 義 」 とか 「正 気 凛 然 」 以 外 の 日常 生 活 の 情 景 や 些 事 を 描 い て 、 「抗 戦 述 語 」 も椰 楡 的 に用 い、 「英雄 」 以 外 の 庶 民 の 真 実 の 生 活 情 景 を反 映 させ た 。(中 略)
「抗 戦 文 芸 」 陣 営 の 内部 か ら 「抗 戦 文 芸 」 の 要 求 を ぶ ち こわ す 、 とい う試 み を 行 った 大 胆 さに お い て 、蕭 紅 の 一 貫 した 創 作 の 特 色 が 現 れ て い る。28) 「抗 戦 文 芸 」 の 要 求 とは 、 国 民 の 戦 意 高 揚 を 図 る こ とで あ り、 そ の た め に は 、 抗 日に 身 を 投 じて 闘 う英 雄 的 人物 や 英 雄 的 行 為 を 表 現 して 、 大 衆 を 鼓 舞 しな け れ ば な らな い 。 しか し、蕭 紅 は 馬 伯 楽 とい う怯 儒 な 人 物 を 主 人 公 に、 当 時 の 世 相 を 風 刺 した 。 彼 女 は 弱 者 の 視 点 で 戦 争 を 見 つ め 、 戦 場 で は な く後 方 で 右 往 左 往 す る人 民 に 焦 点 を 当 て た の で あ る。 この よ うな 『馬伯 楽 』 が 、 当 時 どの よ うな 評 価 を 受 け た の か 、 この 点 に関 して 、 葛 浩 文 は つ ぎの よ うに い う。 残 念 な が ら、 愛 国 文 学 と愛 国 作 家 に 対 す る風 刺 の 態 度 が 原 因 で 、 戦 時 の文 学 評 論 家 は 『馬 伯 楽 』 に対 して冷 や や か な 反 応 を示 し、 ほ とん ど誰 も触 れ た が らな か っ た。 そ れ らの 文 学 評 論 家 た ち はま った く どう して い いか わか らなか った 。 とい うの は、蕭 紅 は ともか く進 歩 的 作 家 で あ り、 公 に おい て も私 に おい て もそ の路 線 は非 常 に 正 確 で あ ったか らであ る。29) 中 華 民 族 が一 丸 とな って 抗 戦 を 闘 わ な け れ ば な ら な い と きに 、 『馬 伯 楽 』 の よ うな作 品 は 戦 闘 意 欲 を 削 ぐもの として 捉 え られ た 。 無 論 、 そ うした趨 勢 にあ って も、 中 華 民 族 の 中 に は び こ る阿Q精 神 を 洗 い 出 して 、 克 服 す べ き問 題 点 を 提 示 し よ う とす る作 家 もい た 。1938年 にr華 威 先 生 』 を発 表 した 張 天 翼 も その 一 人 で あ る。r華 威 先 生 』 は、 自己 の 存 在 を 顕 示 す る た め に あ らゆ る会 議 や 集 会 に 出て 指 導 者 面 を す る空 疎 な 人 物 を 風 刺 した 短 編 で あ るが 、 この 作 品 が 直 ち に 日本 語 に翻 訳 され て 雑 誌r改 造 』11月 号 に掲 載 され た こ とか ら、 「数 多 い 作 品 の なか か ら、 日本 人 が わ ざわ ざ この 作 品 を翻 訳 した の は 、 中 国 の 抗 日運 動 は 大 した こ とは な い と宣 伝 す るた め だ 」 「この 作 品 は味 方 を挫 き、 敵 を利 す る もの だ」 等 と物 議 をか も した♂o) 『馬 伯 楽 』 も、 ほ ぼ これ と同 じ よ うな 評 価 を 受 け た の で あ る。
八
蕭紅 は 友 人の 晶 紺 弩 に、 「意 地 で も小 説 を書 い て見 せ る 、r阿Q正 伝 』 やr孔 乙 己』 の よ うな もの を!し か も長 さに お い て彼 〔魯迅〕 を 超 え る もの を 書 く!」 と語 っ た 。川 そ の と き、彼 女 は 中 国 人 の 「国 民 性 」 に お け る問 題 点 を え ぐ り出す 作 品 を 書 こ う と考 えて い た の で あ る。 林 賢 治 は 次 の よ うに 論 じて い る。 r馬 伯 楽 』 はr阿Q正 伝 』 の 抗 戦 版 とい え る。 魯迅 は 、 阿Qを 書 い て 中 国 人 の寂 箕 の精 神 を 描 い た 、 とい う。 な らば 、蕭 紅 は 「逃 げ る」 の 意 識 で も って 国 民 性 の 低 劣 さを 集 約 し、魯 迅 の 小説 にお け る、悲 劇 を喜 劇 化 す る手 法 をまね て 、 中 国人 の 精 神 を描 いた ので あ る。32) 国 民 性 の 低 劣 さ として 、蕭 紅 が 最 も問 題 に した の は 「人 間 的 に不 誠 実 な い い 加 減 さ」 で あ っ た 。r馬 伯 楽 』 の 中 に も、 そ の 「不 誠 実 な い い 加 減 さ」 を鮮 や か に 体 現 して い る人 物 が登 場 す る。 主 人公 一 家 が 南 京 か ら武 漢 まで 乗 った 船 の 船 主 で あ る。 そ の 船 は 、 ひ ど くお ん ぼ ろで 、 南 京 と武 漢 の 問 を 往 復 す るた び に 部 品 が 欠 け 落 ち 、 い つ沈 没 して もお か し くな い 。 定 員 百 人 あ ま り とい うの に 、 今 は 四 百 人 あ ま り乗 せ て い る。 そ れ で も船 主 は 多 くは な い 、 と言 う。 多 い とき には 五 、 六 百 人 も乗 せ るん だ 、 と言 う。 「こ ん な船 、 客 を 乗 せ るべ ぎで な い」 「これ は我 々中 国 だか らだ。 も し外 国 だ った ら、 こん な 船 は と っ くに航 行 禁 止 に な って る さ」 「航 行 禁 止 の み な らず 、 と っ くに 解 体 され て い る よ。 この よ うな船 は い つ 危 険 が 起 きる か わ か らな い 」 「こん な ぼ ろ船 、 老 い ぼ れ 水 牛 に も劣 る とい うの に、 船 賃 を取 るな ん て … …」 「船 賃 が い らな い とい うの は い い け ど、 船 が ひ っ く り返 った ら、 命 まで 持 って 行 か れ るん だ ぞ 」 乗 客 の 不 満 は 今 に も爆 発 しそ うに な った 。 船 主 は 、 お とな し く聞 い て い た が 、 や が て 演 説 を 始 め る。 「・・・・・・… 諸 君 、 感 情 に ま か せ て 事 に 当 た っ て は い け な い 。 良 心 を 持 た な け れ ば い け な い 。 人 は い つ だ っ て 良 心 を 持 つ も の だ 。 ア ラ 探 し を す る な ん て 、 そ れ は 売 国 奴 の す る こ とだ 。 全 国 上 か ら 下 ま で 心 を 一 つ に して 敵 と戦 っ て い る と き 、 どん な 苦 しみ も 恐 れ ず 、 金 の あ る 者 は 金 を 出 し 、 力 の あ る 者 は 力 を 出 す 。 そ れ こ そ わ が 偉 大 な る 中 華 民 族 の 精 神 な の で あ り、 黄 帝 の 子 孫 に 値 す る とい う も の だ 。」33) 陳 潔 儀 が 指 摘 して い る よ うに 、 船 主 は 「全 国 一 丸 とな って 抗 日に 当 た る」 とか 「中 華 民 族 」 とか 「黄 帝 の 子 孫 」 とか 「人 として の 良 心 」 とい った 聞 こ えの い い こ とば を 並 べ て 、 そ の醜 い 行 為 を覆 い 隠 し、 同 時 に 、 「売 国 奴 」 とい う こ とば を 繰 り返 し使 って 、 人 々を叱 責 し脅 す こ と に よ って 自分 が 「公 明 正 大 」 で あ る こ とを 強 調 す るの で あ る。34) 船 主 は さ らに 言 う。 「諸 君 は 避 難 す るた め な ん だ 。 危 険 な所 か ら安 全 な所 へ 逃 げ た い ん だ 。 とこ ろで わ しは とい う と、 南 京 と漢 口の 間 を 行 った り来 た り。 な ん の た め か ね?わ しは 諸 君 の た め な ん だ よ!言 い 換 えれ ば 、 我 々の 国 家 民 族 の た め な ん だ 。 で な き ゃ、 ど うして この 航 行 を や らな き ゃい け な い ん だ?」(中 略)「 人 は 良 心 を 持 た な け れ ば い け な い 。 で な き ゃ、 わ しは な ん の た め に や って るん だ?わ しの この 小 さな 船 に、 も しそ れ 相 当 の 荷物 を 載 せ て 闇 取 引 した ら、 今 よ りず っ と気 が 利 い て い る じ ゃな い か!だ け ど、 そ うしな い だ け の こ とさ。
こ れ が 人 間 は 良 心 を 持 た な け れ ば い け な い っ て こ と さ 。 な に を 良 心 と言 うか?良 心 の あ る 者 は 天 に 恥 じず 、 地 に 恥 じな い 。」35) 聴 衆 は す っか り感 動 して つ ぶ や く。 「中 国 は滅 び る はず が な い … …」 問 題 の 核 心 が す り替 わ って い くこ とに 、 乗 客 た ち は 気 づ い て い な か った 。 も とも と問 題 は 、 この船 が の ろ い こ と、 この船 が ぼ ろ い こ とにあ った。 と ころが 、 船 主 は 「の ろ い」 と 「ぼ ろ い」 に は 一 言 も触 れ ず 、 逆 に 、 この 船 の 乗 客 全 員 が 良 心 を 持 って い な い か の よ うに 言 う。 す ぐに も み ん な ま とめ て 「売 国 奴 」 に な って し まい そ うな の だ 。 船 主 に とって は 「抗 日」 さ え も商 売 の 道 具 で あ り、 金 儲 け の た め の 名 目に す ぎな い 。 魯 迅 は 「実 」 を ともな わ な い で 、 「こ とば」(「名 」)ば か りで ご まか して い く方 式 こそ 、 これ まで の 中 国 人 に連 綿 と して あ った政 治 的 、 社 会 的 、 文 化 的 欺瞞 と見 な した 。36)まさに 魯迅 が 指 摘 して い る 「こ とば 」 ば か りで ごま か して い く方 式 を 、蕭 紅 は 、 この船 主 の 演 説 に よ って 見 事 に 形 象 化 した の で あ る。 「抗 日」 を 叫 び さえ す れ ば 正 義 で あ る、 と皆 が 感 じて い た 時 代 、 「抗 日」 の 旗 印 に は誰 も逆 ら えな い 空 気 に 覆 わ れ て い た 時 代 に 、蕭 紅 は そ の 「抗 日」 の 看 板 の 奥 に潜 む 「人 間 的 に 不 誠 実 な い い 加 減 さ」 を 問 題 に し、 立 派 な 大 義 名 分 の 裏 にあ るい か さ まに 近 い す り替 えを 、 戯 画 的 な 描 写 で 表 現 した の で あ る。 そ うした 「人 間 的 に 不 誠 実 な い い 加 減 さ」 を 生 み 出 した 国 民 性 の 問 題 に 関 して 、 再 小 平 は 次 の よ うに 指 摘 して い る。 この 作 品 に お い て 、 我 々は 百年 来 の 屈 辱 の歴 史 が 一 種 の 心 理 的 蓄 積 とな って い る こ とを 読 み 取 る。 新 た な 国 難 が 出現 して 民 族 存 亡 の 淵 に あ る正 念 場 に お い て 、働 き もせ ず 安逸 に 暮 らす あ の 寄 生 虫 の 、 意 気 地 な しの 、 天 性 の ふ ぬ け 野 郎 の 馬伯 楽 の 西 洋 崇 拝 と西 洋 排 斥 、 媚 洋 と恐 洋 の 矛 盾 した 心 理 が 映 し 出 して い るの は 、 中 国 人 の 愚 昧 で あ り、 怯 儒 で あ り、 ど うし よ うもな さで あ る。(中 略)我 々 は よ く、 「八 年 の 抗 戦 」 は 外 敵 に 立 ち 向 か う民 族 の 頑 強 さ と忍 耐 力 を 示 した 、 と言 う。 しか し、 この よ うな 大 民 族 が 、 小 民 族 の 侵 入 を 撃 退 す る の に 八年 もの年 月 を 費 や した とい うこ とに つ い て は 、 ほ とん ど考 え よ う と しな い 。37) 蕭紅 はr馬 伯 楽 』 に お い て 、 「抗 日」 の 看 板 の も と、 「人 間 的 に 不 誠 実 な い い 加 減 さ」 が 横 行 す る庶 民 の 日常 を 克 明 に 描 き 出 した 。 「抗 戦 文 学 」 を 書 くた め に 作 家 は 抗 戦 に参 加 しな け れ ば な らな い 、 とい う見 解 に 対 して 、蕭 紅 は 「後 方 に あ って 警 報 を 聞 い て 逃 げ 惑 った り、 母 親 が 戦 場 の 息 子 を 案 じた りす るの も戦 時 の 生 活 だ 」38)と語 って い る。 彼 女 は、 戦 場 で 勇 敢 に 戦 う 「英 雄 」 で は な く、 戦 争 に よ って 最 も苦 しい 生 活 を 強 い られ る庶 民 の 、 混 乱 し、狼 狽 した 生 活 を 描 き、 抗 戦 中 の 人 民 の 、 不 安 で 落 ち 着
か な い 心情 を映 し出 した 。 同 時 に、 国民 性 の 問題 点 と して あ る 「人 間 的 に不 誠 実 な い い加 減 さ」 を 、 時 代 の 風 潮 に ひ るむ こ とな くえ ぐ り出 した の で あ る。 お わ り に 『馬 伯 楽 』 が 書 か れ て か ら半 世 紀 以 上 経過 した 今 日、 そ れ は 我 々に な に を 語 りか け て い るの だ ろ うか? 楊 暁 林 は 「馬伯 楽 は 、 取 り も直 さず 我 々 自身 で あ る」 「馬 伯 楽 は 、蕭 紅 の 人 間 の 弱 点 に 対 す る深 い 考 察 を背 負 って い る」39)と論 じて い る 。 ま た 、 孫 永 良 も 「馬 伯 楽 の 中 に我 々自身 の 影 が な い だ ろ うか?」 と自問 して 、 次 の よ うに い う。 馬 伯 楽 は もは や 「青年 知 識 分 子 」 で は な く、 甚 だ し くは もは や 本 当 の 意 味 で 「人 」 で は な い 。 彼 は 「人」 として の 精 神 、 価 値 を とっ くに 失 って し ま って い る。 彼 は い か な る存 在 意 義 も持 た な い 。 家 庭 の 中 に 位 置 が な い ば か りで な く、 社 会 の 座標 に お い て も彼 自身 に は 属 す る点 が な い 。 彼 の 「生 」 の 快 楽 は 、 た だ 「逃 げ る」過 程 に お い て の み わ ず か に 感 じ る こ とが で きる。 逃 げ るの で な けれ ば 死 ん で い る。 彼 は生 きて い て も死 ん で い る 。(中 略) この 馬 伯 楽 の 「生 もま た 死 で あ る」 の 悲 劇 は 、 我 々に 恐 怖 を 覚 え させ る。 そ れ は この よ う な 社 会 環 境 とこの よ うな 生 存 状 態 に 対 す る恐 怖 で あ り、 また 自分 自身 の 中 に あ る馬伯 楽 の 影 を痛 感 して 覚 え る恐 怖 で も あ る。 『馬 伯 楽 』 の 中 で 浮 か び上 が る の は 、 もは や風 刺 的 可 笑 し さで は な く、 悲 劇 的 情 調 で あ る。r馬 伯 楽 』 は悲 劇 で あ る♂o) r馬 伯 楽 』 に登 場 す る人 物 た ち の数 々の 愚 昧 な言 動 は 、人 間 の 心 の奥 に潜 む低 劣 な 欲望 に よ っ て 引 き起 こ され た もの で あ り、蕭 紅 は 「時 局 の 周 縁 に 立 って 、 周 縁 の 人 間 の 目で 中 国 人 の精 神 を 見 つ め 、 彼 らの 愚 昧 と精 神 の麻 痺 を 解 剖 して 、様 々な病 根 を 明 示 し、 治療 の 注 意 を 喚 起 し よ う とした 」41/ので あ る。 権 力 とは 無 縁 の 、 社 会 の 周 縁 に 立 つ 女 性 は 、 既 存 の 価 値 観 の 被 害 者 で あ るが 故 に 、 既 存 の価 値 観 の 歪 み を 敏 感 に 感 じ取 れ る立 場 にあ る。蕭 紅 は 周 縁 に立 って 人 間 の 「愚 昧 」 を 見 つ め 続 け 、 そ の 鋭 敏 な 感 性 で 真 と偽 、 実 と虚 を 嗅 ぎ分 け て 、 作 品 を 書 き続 け た 。 「私 の 一 生 の 最 大 の 苦 痛 と不 幸 は 、 私 が 女 で あ る こ とに よ る もの 」 と自 ら語 って い る よ うに 、 蕭 紅 は 女 で あ る が ゆ え に 蒙 る不 条 理 に苦 しみ 抜 い た。 そ して 、 「女 で あ るが ゆ え」 の不 条 理 に 屈 す る こ とな く真 正 面 か ら立 ち 向 か った か ら こそ 、 時 代 の 風 潮 を 超 越 して 、 人 間 存 在 の 本 質 に 迫 り得 た の で あ る。 r馬 伯 楽 』 は 、 そ の よ うな 作 者 に よ って 、 人 間 の 心 の 奥 に潜 む 「低 劣 な 欲 望 」 や 「愚 昧 」 や
「精 神 的 麻 痺 」 が 容 赦 な くえ ぐ り出 され て い る こ とに よ って 、 今 な お 、 我 々に 根 源 的 な 問 題 を 投 げ か け て い るの で あ る。 1 2 り 0 4 に り 6 7 8 ∩ り ( U 1 2 9 り 1 1 1 1 4 5 6 7 8 9 0 1 2 1 1 1 1 1 1 2 2 2 り 0 4 に ﹂ 役 U 9 自 り 自 り 乙 ∩ 乙 注 聶紺 弩 「在 西 安 」r新 華 日報 』 重 慶1946年1月22日(r懐 念蕭 紅 』 黒 竜 江 人 民 出 版 社1984年 、32頁)。 川 俣優 「抗 日戦 争 と蕭 紅 」r明 治 学 院 論 叢 』 通 号510、 明 治 学 院 大 学 、1993年2月 。 蕭 軍 「蕭紅 書 簡 輯 存 注 釈 録 」1978年(r蕭 軍 与蕭 紅蕭 軍 与 王徳芬 』 花 山 文 芸 出 版 社1993年 、78頁)。 艾 暁 明 「女 性 的 洞 察 論蕭 紅 的 「馬 伯 楽 』」r中 国 現 代 文 学 研 究 叢 書 刊 』1997年4月 。 「至 黄 歯 」1940年6月24日(r蕭 紅 全 集 』1312頁)。 袁 大頓r懐蕭 紅 」r星 島 日報 』 香 港1948年1月22日(r懐 念蕭 紅 』 前 掲 書 、78頁)。 再 小 平 「対 国民 性 的 思 考 和 生 命 意 義 的探 索 重 読 論 紅 的r馬 伯 楽 』」r三 峡 大 学 学 報 』 第26巻 第4期 、 2004年7月 。 『馬伯 楽 』 第 二 部 第 一 章(『 馬伯 楽 』 黒 竜 江 省 人 民 出 版 社1981年9月 、173頁)。 艾 暁 明 前 掲 。 楊 暁 林 「論"蕭 紅 体"小 説 的"別 例"r馬 伯 楽 』」 チ チ ハ ル 大 学 学報2003年4月 。 平 石 淑 子rr馬 伯 楽 』 の世 界」r蕭 紅 研 究 そ の 生 涯 と作 品 世 界 』 汲 古 書 院2008年2月29日 、268頁 。 尾 坂徳 司 『蕭紅伝 』瞭 原 書 店1983年1月 、296頁 。 「現 時 文 芸 活 動 与r七 月』 座 談 会 記 録 」1938年4.月29口(r蕭 紅 全 集 』 ハ ル ビ ン 出版 社1998年10 月 、1319貝)Q 沙 金 成 「論蕭 紅 的 「馬 伯 楽 』」r蕭 紅 研 究 』 北 方 論 叢 編 輯 部 編 、1983年 。 r馬伯 楽 』 第 一 部(前 掲 書9頁)。 沈 巧 墳 「論r馬 伯 楽 』 的 女 性 視 角 」r広 東 社 会 科 学 』2006年5月 。 沙 金 成 前掲 。 『馬伯 楽 』 第 二 部 第 三 章(前 掲 書204頁)。 『馬伯 楽 』 第 一 部(前 掲 書90頁)。 「記 鹿 地 夫 婦 」r文 芸 陣 地 』 第1巻 第2期 、 武 漢 、1938年5月1日(r蕭 紅 全 集 』1216頁)。 r馬伯 楽 』 第 一 部(前 掲 書135頁)。 中 木 百 合 枝 「蕭紅 の 「部 屋 」 長 編 小 説 『馬 伯 楽 』 を 中 心 に して 」 『國 學 院 雑 誌 』 國 學 院 大 學 出 版 部 、1995年5月 。 『馬伯 楽 』 第 二 部 第 六 章(前 掲 書258頁)。 『馬伯 楽 』 第 二 部 第 四 章(前 掲 書218頁)。 r馬伯 楽 』 第 二 部 第 九 章(前 掲 書289頁)。 中 本 前 掲 。
7 Q O ∩ ヲ 0 り 乙 0 乙 0 乙 0 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 3 3 3 3 3 3 3 3 3 4 4 葛 浩 文[HowardGoldblatt]r蕭 紅 評 伝 』 北 方 文 芸 出版 社 、 ハ ル ビ ン、1985年8月 、136頁 。 陳 潔儀 「論蕭 紅r馬 伯 楽 』 対"抗 戦 文 芸"的 消 解 方 式 」r中 国 現 代 文 学 研 究 叢 刊 』1999年2月 。 葛 浩 文 前 掲 書136頁 。 林 林 「談r華 威 先 生 』 到 口本 」r救 亡 口報 』 桂 林 版1939年2月22口(r張 天 翼 研 究 資 料 』 中 国 社 会 科 学 出 版 社 、 北 京 、1982年8月)。 晶 紺 弩 「回憶 我 和蕭 紅 的 一 次 談 話 」r新 文 学 史料 』1981年 第1期 。 林 賢 治r漂 泊 者蕭 紅 』 人 民 文 学 出 版 社 、 北 京 、2009年1月 、273頁 。 『馬伯 楽 』 第 二 部 第 四 章(前 掲 書229頁)。 陳 潔儀 前掲 。 『馬伯 楽 』 第 二 部 第 四 章(前 掲 書234頁)。 片 山智 行r魯 迅 の リア リズ ム 』 三 一 書 房 、1985年4月15日 、50頁 。 円小 平 前 掲 。 「抗 戦 以 後 的 文 芸 活 動 動 態 和 展 望 座 談 会 記 録 」1938年1月(r蕭 紅 全 集 』1318頁)。 楊 暁 林 前 掲 。 孫 永 良 「「馬 伯 楽 』 的 悲 劇 底 緬 」r呼 蘭 師 専 学報 』1999年 第2期 。 陳 進 東 「辺 縁 姿 態 的 写 作 析蕭 紅 的 香 港 時 期 文 学 創 作 」 『培陵 師 範 学 院 学 報 』 第20巻 第4期 、2004 年7月 。 (やま も と ・か ず こ 国 際 言 語 学部 准 教 授)