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南部白人女性像の変遷とアフリカ系アメリカ人男性作家 - Langston HughesとRichard Wrightの比較研究 -

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南部白人女性像の変遷と

アフリカ系アメリカ人男性作家

─ Langston Hughes と Richard Wright の比較研究 ─

種 子 田 香

.はじめに

 アメリカ南部文学研究者 Kathryn Lee Seidel は、「サザンベル」(Southern belle)と呼ばれる南部白人女性像は、作家の南部に対する視座を完璧に示 しており、南北戦争後に南部が退廃するにつれてサザンベル像も変わって いったと論じている(Seidel 164)。また、Mind of the South (1941)の著者 J. W. Cashも、南北戦争前には南部白人女性は南部の「守護神」(Palladium)で あり、そのイメージは屈強な男性にさえセンチメンタルな涙を誘う力があ ったと指摘している(Cash 86)。Seidel や Cash が論じるとおり、南部白人女 性は南北戦争前には従順で清楚なイメージが概ね定着していたが、20 世 紀には神経過敏で自己中心的な女性像が描かれるようになった。つまり、 「南部の美徳の象徴」から「南部が内包する悪徳の体現者」へと人物設定 されるようになり、この南部白人女性像の変化は多くのテクストに見るこ とができる。  このような南部白人女性像の変遷においてアフリカ系アメリカ人作家と の関係は見逃されがちであるが、本稿では Langston Hughes(1902‒1967)と Richard Wright(1908‒1960)の作品に現れる南部白人女性像に焦点を絞り、 アメリカ南部文学における人種を越えた作家たちの相互関連性について考 察したい。Hughes と Wright は同時代を生きたアフリカ系アメリカ人作家 であるが、Hughes はハーレム・ルネサンスで注目を集め、Wright はポス

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ト・ハーレム・ルネサンスの南部出身の作家として評価されており、彼ら の作品に登場する南部白人女性像はかなり異なる。Hughes は “Silhouette” (1936)と “The South”(1922)で、南部白人女性は冷酷非情で北部女性のほ うがまだましだと批判しながらも、南部白人女性の美しさは人の心を魅惑 するとうたい、白人女性に対するセンチメンタリズムを根本から覆すこと はしなかった。ここには白人のパトロン、読者への配慮が感じられる。そ れに対し、Wright の短編 “The Man Who Killed a Shadow”(1949)において は甘い表現が一切はぎ取られ、白人女性像に付与された従来のセンチメン タリズムが、Malcom Cowley の指摘する自然主義的な冷徹さで徹底的に破 壊されている(Cowley 430)。

 本稿では Langston Hughes と Richard Wright の作品における南部白人女 性像をとおして、アフリカ系アメリカ人男性と白人女性像の文学上での相 互関連性について考察したい1。Hughes と Wright の作品に登場する女性像 の比較から、アフリカ系アメリカ人文学が人種とジェンダーの境界を越境 しつつ、白人作家たちの南部白人女性像の変容と共振していたことを明ら かにしたい。 2.Hughes の南部白人女性像  まず、Hughes の詩 “Silhouette” に登場する白人女性と黒人男性の関係が、 人種とジェンダーのヒエラルキーを再配置している点に注目したい。 “Silhouette” Southern gentle lady, Do not swoon.

They’ve just hung a black man In the dark of the moon.

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To a roadside tree In the dark of the moon For the world to see How Dixie protects Its white womanhood.

Southern gentle lady, Be good! Be good! (171) 「シルエット」 南部の高貴な女性よ、気絶しないでおくれ 黒人の男が月影で縛り首にされた。 黒人の男が月影で道端の木に吊るされた。 南部諸州がどうやって白人女性を守るか、世の中に知らしめるために。 南部の高貴な女性よ、いい子にしなさい、いい子にしなさい。  「シルエット」は短い詩だが、人種間の対立の構造がジェンダー規範に よって厳格に規定されていることを示しており、南部の人種問題が性別役 割分担といかに密接な関係にあるかを示唆している2。白人女性の女性性 に過度な価値を付与することで相対的に他の人種の女性性の価値を下げ、 白人女性を支配し得る者が人種間の権力闘争に勝利した者だという白人男 性側の論理を支えている。そのため、「シルエット」にみられるように、黒 人男性が白人女性と遭遇するときには、命の危険をもたらすほどの緊張し た状況に陥る。  また、この詩においては1つの単語に二重の意味を持たせる技巧が使わ れており、それによって作者が白人に対する批判を婉曲的言い回しにする ことに成功している。例えば2行目の swoon は、「気絶する」という意味

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と、「夢中になる」という意味がある。前者では、白人女性が黒人男性にお びえて、その恐怖から失神するという白人女性のステレオタイプ的かよわ さが前景化されている。それに対して後者では、白人女性から好意を持た れることは黒人男性にとって命取りであるので自分に夢中にならないでほ しいと、黒人男性側が白人女性を敬遠している場面を表している。つまり、 この語り手は男性として自分に魅力があることを自負しており、ユーモア を交えつつも白人と黒人の間の力関係に攪乱を起こそうとしている3  さらに、リンチで縛り首にされた黒人男性の遺体が月光に照らされてい るという描写が繰り返されているが、この「月」にも二重の意味が込めら れている。第一に、月は lunatic(狂気の)という単語の語源であり、古来、 狂気は月光の影響と考えられていた。月光によって人は精神のバランスを 崩すという言い伝えを援用し、暗闇に紛れて頻発する南部のリンチ事件は 正気の沙汰ではないと糾弾している。第二に、ローマ神話では月の女神デ ィアナは女性の守護神であり女性の象徴でもあったように、この詩におい ても月は南部白人女性の美しさを表す。同時に、南部という土地そのもの が女性の比喩になっていることを考慮に入れれば、南部の自然の美しさを も表現しているとも言える。「月」が持つ狂気と神秘的な魅力という両義 性のため、おぞましい暴力と大地の美しさの対照性が強調され、月光が映 し出す遺体の影の不気味さがさらに際立つように工夫されている。  最終行に注目すると「いい子にしなさい」と黒人男性が白人女性をなだ める言葉で詩が締めくくられている。これは子供に対して大人が注意する ときに使う言葉であり、南部白人女性は子供のような存在であることを皮 肉を込めて描いている。彼女たちは自立する手段を持たないため自分の身 を守るためには白人男性の力を借りなければならず、それゆえに保護され るべき未熟な存在としてふるまい続けなければならない永遠の子供とも呼 べる存在である。大人として成長すると保護されなくなるので、生きてい く戦略として精神的成長を止めてしまわなければならない。そして彼女た ちの気まぐれに振り回され対応に苦慮している「大人」である黒人の姿が

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浮き彫りになり、ここでもまた白人対黒人という人種間の力関係を攪乱す る試みが読み取れる。

 次に Hughes の「南部」という詩においては、南部白人女性がさらに退 廃的に描かれている。

“The South”

The lazy, laughing South With blood on its mouth. The sunny-faced South,    Beast-strong,    Idiot-brained. The child-minded South

Scratching in the dead fire’s ashes For a Negro’s bones.

   Cotton and the moon,    Warmth, earth, warmth,    The sky, the sun, the stars,    The magnolia-scented South. Beautiful, like a woman,

Seductive as a dark-eyed whore,      Passionate, cruel,

     Honey-lipped, syphilitic —      That is the South.

   And I, who am black, would love her    But she spits in my face.

   And I, who am black,

   Would give her many rare gifts    But she turns her back upon me.

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     So now I seek the North —      The cold-faced North,      For she, they say,      Is a kinder mistress,    And in her house my children

   May escape the spell of the South. (173)

「南部」 口のまわりに血をつけて笑っている怠惰な南部。 陽気な南部は、獣のように力強く、頭は空っぽ。 子供のままの南部は、灰の中に黒人の骨を探している。    綿花と月、温もり、大地、温もり    空、太陽、星、マグノリアの香漂う南部 女性のように美しく、黒い瞳の売春婦のように誘惑する    情熱的で、残酷、蜜のような唇をした梅毒病み、    それが南部だ。 そして黒人の私は、彼女を愛していたが、彼女は私の顔に唾を吐く。 そして黒人の私は、彼女に多くの貴重な贈り物をしたが、 彼女は私に背を向けた。    だから私は今、北部へ行く。    冷たい顔の北部はもっと親切な女主人だと言われているから、 彼女の家では、子供たちは南部の呪縛から逃れられるかもしれない。  口に血糊をつけ、人骨を探して暖炉をかき回す女の姿は、吸血鬼のよう なモンスターを連想させる。吸血鬼の恐ろしさは、血を吸われた者もまた 吸血鬼になるというその伝染性であり、吸血鬼の血は果てしなく蔓延し、 遂には自分までも罹患するかもしれないという恐怖へ読者をいざなう。さ らに、川本静子が指摘するように、飽くことを知らずに手当たり次第に獲

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物に狙いを定め、血を吸い続ける女吸血鬼には、貪欲な誘惑者というイメ ージが付与されており(川本 215‒221)、それと同じことがこの詩における 南部女性にも言える。南部に要求されるがまま自分の大切なものを差し出 し続けた末に命まで求められるようになった語り手は、白人女性を尽きる ことのない欲望と恐怖の入り混じった対象として描いている。しかし、命 を代償とする女の誘惑は、いわばサロメのような世紀末の退廃した悪の魅 力を備えている。  南部を具現化した女性はさらに梅毒も患う存在に設定されている。梅毒 は 1940 年代末にペニシリンを中心とする抗生物質が導入されるまで肉体 ばかりか神経や脳を冒し、子孫にまでも禍根を残す不気味な病でありつづ けた(川本 154)。19 世紀末に〈新しい女〉を描いた白人女性作家たちは、 夫が家庭外から持ち込んだ梅毒がどれほど家庭に脅威を与えるかという告 発をサブテクストとした作品を多く残しており、梅毒を「種の退化」、「先 祖返り」のしるしとして受け止めていた(川本 163)。例えば、イギリス人 作家セアラ・グランドは『ふたご座』という小説で梅毒が夫から妻や子に 感染する悲劇を描き、ヴィクトリア朝の性のダブル・スタンダードがもた らす弊害を攻撃するために利用している。このように梅毒は性的不道徳さ を示すイコノグラフィ(iconography)として世紀末のイギリスで認知されて いたのである。  しかし、世紀末のイギリス白人女性作家たちが白人男性/白人女性とい う二項対立で、白人女性を犠牲者として比喩的に描き出そうとしていたの に対し、Hughes はそうした白人女性の論法を利用して、白人女性/黒人男 性という二項対立にすり替えている。つまり、子供たちの将来を案じる家 庭的な父親である黒人男性と、命の危機さえもたらすような性病を患いな がらも自堕落な生活を続ける白人女性という二項対立に替えることで、犠 牲者は黒人の側であるという主張をしている。外見上は魅力的な女性の南 部であるが、その体内には恐ろしい毒をたたえており獲物の命を次々に奪 っていく。もはや南部白人女性は人間ではなく、理性を欠いたモンスター

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であり、南部社会に毒を振り撒く悪の根源にされている。南部が患う梅毒 は人種差別の隠喩でもあり、強い感染力で南部社会に広く蔓延し、人間の 精神を んでいる。一方で、語り手である黒人男性は子供たちの幸せを願 う常識ある父親であり、その平穏な生活に脅威を与えるのは白人女性の、 そして南部がはらむ暴力性や倫理観の欠如であるということをこの詩では 訴えている。  このように、Hughes は吸血鬼や梅毒といった 19 世紀末の白人文学にし ばしば登場するモチーフを換骨奪胎し、白人女性のセクシュアリティが黒 人男性にとっていかに脅威になっているかを幾重にも強調している4。し かし、Hughes は南部白人女性を冷酷であり北部女性のほうがまだましだ と批判しながらも、南部白人女性に対するセンチメンタリズムを根本から 覆すことはしていない。ここにはハーレム・ルネサンスの作家として白人 のパトロン、読者への配慮が感じ取れる。また、Hughes の父方の曾祖父は 2人とも白人で、母方もフランス人やネイティブ・アメリカンの血を受け 継いでおり、さらに Hughes は白人の子供たちが通う小学校で教育を受け たという経験などを考慮にいれると、自身に流れる白人の血についても意 識せざるを得ない環境で育ったと言える(『ぼくは多くの河を知っている』 20‒24)。そのためであろうか、Hughes の詩は白人社会を敵対視して対立を 深めようというよりも「人種」という曖昧で不条理な問題に支配されてい る人間の普遍的な悲哀を浮き彫りにしている。しかしこのような白人社会 に根付く「悪」でさえも、そういうものとして受け止めようとする態度は、 Richard Wrightには生ぬるく感じたようで、ハーレム・ルネサンスの作家 たちに少なからぬ抵抗感を表明している(Huggins xvii)。 3.Wright の南部白人女性像  このように白人女性に対して多少の配慮を感じる Hughes に対し、 Richard Wrightはそうした遠慮は一切見せず、白人女性像をその台座から 徹底的に引きずりおろしている。具体的に Wright の短編 “The Man Who

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Killed a Shadow”で、崇拝されていた南部白人女性像が殺人事件の直接の 原因となっている場面をみてみたい。主人公の Saul Saunders は幼少期よ り「白人と黒人の二種類に分かれた世界で、白人の世界は黒人の世界から 心理的にとても遠いところにある」(Eight Man 185)と考えていたため、白 人が境界線を越えて自分の領域に侵入してくることを過度に恐れるように なった。  ワシントンにある教会の掃除係として働いていたとき、白人女性の Maybelleが Saul を意識していることに気付き、恐怖を感じて彼女を遠ざけ ようと必死になる。Maybelle Eva Houseman は現実には偏執的な中年女性 として描かれているが、その名前が連想させるように彼女の空想の中では いまだにサザンベルであり、19 世紀文学に普及していた白人女性崇拝を 盲目的に受け入れている。この人種差別的な価値観を植え付けられた Maybelleが Saul に近づいてきたとき、Saul は敏感に危険を察知し、彼女を 視界から消し去ろうと過剰に反応してしまう。彼にとって Maybelle は人 間ではなく存在感のない影にすぎず、その影を消すことに罪の意識はなか った。Saul から殴られ、彼女は自分が被害者であることを世間に知らしめ るために叫び続けた。この金切り声は Saul を心理的に追い詰め、この状況 を何とかしなければリンチをうけるか逮捕されて処刑されるか、いずれに しても死が待ち受けているという恐怖を感じさせた5  ここで Saul は人種差別によって殺人犯になるように追い込まれてしま った環境の犠牲者と言えるが、白人女性としての優越性に疑問を持つこと のない Maybelle もまた、人種差別の犠牲者であると言えるだろう6。つまり、 この殺人事件は Saul と Maybelle の共犯関係によって成り立っており、両 人ともが偏見に踊らされ、事件の犠牲者であり加害者であるという構造に なっている。人種に付与されたステレオタイプ的イメージを忠実に実行し、 2人は自分自身をさらに抑圧する人種差別の仕掛けにからめとられてしま った。結局、この小説における殺人は人種間の偏見を容認し助長する社会 環境において、起こるべくして起きた事件であると言え、Malcom Cowley

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の指摘する Wright の環境決定論に基づく自然主義的傾向が現れていると 言えるであろう。

 Wright は 1946 年にアメリカを去ってパリに移住し(高橋 41)、パリで最 初に書いた短編が “The Man Who Killed a Shadow” であった(大内 161、162)。 フランス移住後、Wright の後期の作品は自然主義から実存主義へと変わっ ていったといわれているが、本短編は Native Son(1940)と似ている殺人場 面など、アメリカ社会でアフリカ系アメリカ人に課せられた厳しい環境を 冷淡な筆致で描いており、自然主義の名残りを感じさせる作品である。  この作品が白人社会に対する憎悪と暴力行為に満ちているにも関わらず 白人読者に受け入れられた理由としては、人間の惨めさが普遍化されて共 感が得られたためというだけではなく、黒人と白人の異人種間ロマンスを 徹底的に否定しカラーラインを侵犯していない点も一因として挙げられる であろう。南部における人種混交への嫌悪感は南北戦争後の奴隷解放以降 に強まったといわれており(Hodes 5)、異人種間結婚は南部各州の州法に よって長年にわたり禁止されてきた。金澤智が指摘するように、異人種間 ロマンスは単にスキャンダラスであるだけではなく、犯罪行為として社会 的にタブー視されていた(金澤 48)。Wright の描く生々しい殺人場面には人 種差別への強い怒りを感じるものの、主人公 Saul の行動に黒人と白人の 人種境界線を侵犯しようとする意図は感じられない。それどころか、Saul が境界線に接触することに対してただならぬ恐怖をおぼえ、黒人と白人の 異人種間の相互理解が芽生える可能性は徹底的に否定されている。つまり、 Maybelleから女性的な魅力をそぎ落とし、南部白人女性像に付与された伝 統的なロマンティックなイメージを容赦なく打ち壊すことは、異人種間の 心温まる交流というものは生ぬるい幻想にすぎないということを読者に突 きつける手法であった。このために、Wright は Saul と Maybelle がいかに 相容れない不毛な関係であるのか、つまり白人女性と黒人男性が人種差別 のシステムにからめとられて自己崩壊していく様子を徹頭徹尾、冷淡な眼 差しで描写している。

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4.おわりに  以上のとおり、Hughes と Wright の描く南部白人女性像にはセンチメン タリズムの有無に違いがあるものの、19 世紀の気高い南部白人女性像を 破壊することによって、相対的にアフリカ系アメリカ人の社会的地位を回 復しようとする方向性によって通底している。また、Hughes と Wright は H. L. Menckenの痛烈な南部批判の記事を読んでペンの持つ力強さを目の 当たりにした(Black Boy 244, 245、『ぼくらは多くの河を知っている』10)。これ らのアフリカ系アメリカ人作家と同様に、南部出身の白人著述家にも J. W. Cashや Ellen Glasgow など H. L. Mencken の南部批判に影響を受けて 創作活動を行う作家が少なくなかった。このようなことを俯瞰的に眺める と、人種や性別による作家間の境界線が薄れていき、そのかわりに思想に よる境界線が新たに構築されていった時代の流れが前景化される。南部白 人女性像の変遷に見られる人種を越えた作家たちの相互関連性を考察する ことは、人種、ジェンダー、階級によって分断されがちだった南部の作家 活動がそのような環境決定論的な生来の条件以上に、保守かリベラルかと いったような作家の後天的な信条によって徐々に再構築されていったとい う時代の流れを検証する作業であることを示している。  19 世紀後半から 20 世紀前半にかけての南部白人文学における白人女性 像が、「南部の悪徳を体現した人物」へと変容していったと Seidel が論じ ているが、同時代のアフリカ系アメリカ人男性作家たちの作品にも同様の 白人女性像が描写されていることが Hughes と Wright の白人女性像の比較 から明らかになった。これによって、人種、ジェンダー、階級といった曖 昧で矛盾に満ちた境界線によって定められた限界を作家たちが乗り越えつ つあった時代の流れが浮かび上がる。南部白人女性像の変遷とアフリカ系 アメリカ人男性作家たちの関わりは、本来、アフリカ系アメリカ人を排除 することによって成立していた南部白人社会の文学的世界観が、人種間の 優劣に異議申し立てを行っていたアフリカ系アメリカ人作家たちの自己表

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現をすでに取り入れていた可能性を示しており、アメリカ南部文学のキャ ノン形成にも実際にはアフリカ系アメリカ人作家たちがいかに深く関与し 続けてきたかという本質的な問題を提起するのである。 ※ 本稿は、中・四国アメリカ文学会第 44 回大会(2015 年6月 13 日 香川大 学)での口頭発表の内容をもとに、加筆・修正を行ったものである。 1 Hughesはミズーリ州の出身であるが、父方の曾祖父たちは2人とも、ケンタッ キー州の白人の奴隷所有者であるので、南部の人種問題は自身に関連が深いとと らえていたと考えられる。 2 ここでは当時の人種差別について語っているため、現在、政治的に正しいと言 われているアフリカ系アメリカ人ではなく、「黒人」という言葉を使用する。 3 Hughesのセクシュアリティに関する議論がなされてきたと Arnold Rampersad

が言及しているが(Huggins xxxi)、これは Hughes が作品においてのみではなく、 実生活でも人種やジェンダーの境界線を越境していたことを物語っている。彼が 二重の意味で周縁化されていたことは、虐げられていた人の共感を得られるよう な、多様性を重視した作品を生み出す原動力になっていたのではないだろうか。 4 Hughesは詩に歴史的なエピソードを挿入しており、白人が語る歴史で黒人は 見えない存在であったが、実際にはいかに深くかかわってきたかという例証を行 っている。例えば、「黒人」という詩では、ジュリアス・シーザーやジョージ・ワ シントン、ウルワースといった歴史上の有名人たちによって、さらにはコンゴ河 流域のベルギー植民地などにおいて、黒人が労働を搾取されていたことが指摘さ れている(『ふりむくんじゃないよ』75‒77)。 5 越智博美はリンチを「黒人男性と白人女性のセクシュアリティとジェンダーの 規範を産出する文化的装置」と呼び、白人男性が黒人男性と白人女性の両方をコ ントロールする手段であったことを論じている(越智 276、277)。 6 Maybelleは黒人男性のセクシュアリティを見下す人種差別主義者のイメージを 付与されている。彼女の出身地が南部であるとは断定されていないが、Maybelle という名前による暗示や、ワシントンという南部から比較的近い舞台設定、あか らさまな人種差別主義的態度から、南部の人種差別主義者の価値観を共有してい たと考えられる。 参考文献

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Shadow.’” Black American Literature Forum 16. 3 (1982): 119‒121.

Cowley, Malcom. “‘NOT MEN’: A Natural History of American Naturalism.” The Kenyon Review (1947): 414‒435.

Cash, W. J. The Mind of the South. 1941. New York: Vintage, 1991.

Fabre, Michal. “‘The Man Who Killed a Shadow’: A Study in Compulsion.” The World of Richard Wright. Jackson: UP of Mississippi, 1985. 108‒121.

Hodes, Martha. White Women, Black Men: Illicit Sex in the 19th‒Century South. New Haven: Yale UP, 1997.

Huggins, Nathan Irvin. Harlem Renaissance. New York: Oxford UP, 2007.

Hughes, Langston. Selected Poems of Langston Hughes. New York: Vintage Classics, 1990. ─ . 『ふりむくんじゃないよ』古川博巳・吉岡志津世訳、国文社、1996 年。 ─ . 『ぼくは多くの河を知っている』木島始訳、河出書房、1967 年。

Seidel, Kathryn Lee. The Southern Belle in the American Novel. Tampa: U of South Florida P, 1985.

Wright, Richard. “The Man Who Killed a Shadow.” Eight Men. New York: Harper Perennial, 1996.

─ . Black Boy (American Hunger): A Record of Childhood and Youth. 1945. New York: Perennial, 1998.

─ . Native Son and How “ Bigger” Was Born. 1940. New York: HarperPerennial, 1993. 大内義一、鈴本三喜男『英米文学シリーズ 22 リチャード・ライトの世界』  評論社、1981 年。 越智博美『モダニズムの南部的瞬間—アメリカ南部詩人と冷戦』研究社、2012 年。 金澤智『アメリカ映画とカラーライン 映像が侵犯する人種境界線』水声社、2014 年。 川本静子『〈新しい女たち〉の世紀末』みすず書房、1999 年。 高橋正雄『悲劇の遍歴者—リチャード・ライトの生涯』中央大学出版部、1968 年。 (元大谷大学任期制助教 アメリカ文学) 〈キーワード〉アメリカ南部文学、人種、ジェンダー規範

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